あぁ我らが皇軍! 九七式中戦車は傑作か?

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376名無し三等兵
 当時の日本の機械化の遅れとインフラ整備の不十分さは、戦車の
開発に様々な影を落としていたといえます。
 当時は、九七式戦車程度の戦車が通行できない橋が多数ありまし
た。また当時は船の船倉から戦車を自走させる形式の船も、砂浜に
戦車を直接上陸させる形式の船もありませんでした。
 船からはデリックで戦車を上げ下ろししなければならず、戦車の
重量の制限は、港や船のデリックで吊り上げられる重量に制限され
ました。
 だから、装甲を犠牲にして攻撃力を高めたマーダーVのような形
式にしない限り、日本の戦車はどうしても九七式のようなものにな
ってしまいます。で、海外に戦車を輸送することなどできなくなっ
て四式や五式を作れたのだそうです。