うん
司馬さんは小説家であって、学者じゃないのは当然ですね。
そして、彼の著作は論文ではなくて小説であるのも当然。
だから、彼の影響力が強いからといって歴史学者として
すぐれているわけではない。
ただ、歴史学者ではなく歴史家の役割、歴史の役割っていうのはなんだ
ろうと考えてみる。
歴史っていうのは人間の世界観の一部であって、歴史家っていうのは
その世界観の一部としての歴史を読者に提示することなのではなかろうか。
そう考えると、いくら間違いがなくとも、面白くなくてだれも読まな
い本を書いてもしょうがないのじゃないか。
その点たしかに司馬さんや塩野さんは学者ではない。
しかし、歴史家としての業績は抜群なのではないか。
もちろん、なにが事実であり、なにが事実でないのかを
学問的に検証することも大事だ。
だから、学者には学者としての役割がある。
しかし、歴史家には人間の来し方を生き生きと描き出すと
いう役割もあるだろう。
とすると、小説家も歴史家としての役割を果たしている場合が
あるのではないか。
その場合の小説家は歴史家としてはすくなくとも歴史学者と
等価なのではないか。
主観が混じっているからといって所詮大衆向けだとけなすのは
間違いだろう。
学問的に見れば学問的業績を下敷きにして駄文を書いている。
経済的に見れば学者の地道な仕事を踏み台にして大金を稼ぎだしている。
その逆転の構図から嫉妬心が生まれるのは理解できる。
しかし、その他人にとってはどうでもいい嫉妬心をそのまま吐き出して
小説家のあらさがしをし、罵る人がいるのは困り者。
その結果、小説の読者までもをおまえらあんなものを読んでよろこんで
いる大衆はしょうがないなと臭わせるのには辟易します。