〜起て! 萌えたる者よ〜 慶祝スレッド第七章

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368追悼演説
お昼のNHKニュースです。

本日10:00より吉野の醍醐旅団墓地で戦没者追悼式が行われました。席上、
萌之院殿下は追悼演説を行われました。これより、その様子を録画でお伝
えします。

(萌之院、喪服に身を包みあらわれる。黒のブラウスに黒のロングスカー
 ト顔をケープで覆っている。顔はいささか青白く生気がない)

お集まりの皆さん、今わたしは、ここに南朝の代表者として立って
います。しかし、これからわたしが申し上げるのは、ただ南朝の犠
牲者のみに向けられたものではなく、この戦いで犠牲となったすべ
ての人々、国防軍やアメリカ軍、そしてC国軍を含めたすべての死
者に対する追悼の言葉です。

まず、困難な戦いを勝利に導かれた国防軍、そして海を越えて友情
の名の下に来援されたアメリカ軍の皆さんに深甚な感謝の意を伝え
たいと思います。未曽有の国難にあって、皆さんが払われた努力と
犠牲は永久に語り継がれるでしょう。かつて存した偉大な帝国であ
れば、凱旋の列に並んだすべての兵士に桂冠が与えられ、花と賞讃
が建物からふりまかれたであろう偉大な軍功は、あなた方のもので
す。わが醍醐旅団もその末席に加えられ過分な賞讃をいただいてい
ます。しかし、あなた方はわれわれなくしても武功をあげることが
できたでしょうが、われわれはあなた方なくして何をなし得たでしょ
うか。これ一つを取っても、われわれに与えられた評価が誇大であ
ることがわかります。

しかし、わが愛する醍醐旅団が、多くの犠牲を払ったのも事実です。
ここに、そうした犠牲者の一人が書き残した日記があります。遺族
の許可を得て、ここでその一部を読み上げたいと思います。
「死ぬのがこわいか、と言われれば、こわくない人間がいるのか、
 と俺は問うものに尋ねたい。だが、俺の心の中の萌えが俺に訴え
 かける。お前は敵を前にして、友を置いて逃げ出す卑怯者なのか
 と。俺は、自らの萌えと友のために戦う。そして命を落とすこと
 になっても後悔はしない」
わが旅団の兵士たちはこのような心をもって戦いに臨み、多くのも
のが帰って来ませんでした。かれらは自らの萌えに忠実でした。そ
のような男たちをわれわれは永遠に喪いました。耐え難い犠牲です。

この戦争でわが国は約25万の犠牲者を出しました。25万という数字
は、ここにお集まりの皆さんにはそれほど大きな数字とは感じられ
ないかもしれません。しかし、この式典の参加者がわずか5000人で
あることを知ったとき、25万という数字の意味は一変します。周り
を見渡して下さい。無数とも思える人々、それはこの戦争の犠牲者
の50分の1でしかないのです。考えてみていただきたいのです。25
万の人口を有する都市が、この帝国にどれほど存在するかを。
 
369追悼演説2:2001/05/29(火) 13:44
第二次世界大戦で大英帝国を勝利に導いた偉大な宰相がかつて述べ
たように、近代戦とは英雄のいない戦争、田舎の町役場で出納簿を
整理するときのように人命が単なる数字となってやりとりされる戦
争です。しかし、戦い倒れた人々には、家族がありました。笑い合
うことのできる友、共に萌えについて語り合うことのできる仲間が
いました。その数はいかほどになるでしょう。死は、何よりもまず
それが落ちかかった人にとっての不幸ですが、彼の周りにいる人々
にも不幸にもたらします。25万人の死者という言葉は単なる統計上
の数字に過ぎませんが、その陰に、どれほどの人の不幸を隠してい
ることでしょう。そして、これは我々だけの悲劇ではなく、昨日ま
での憎む敵にとっても同じことがあてはまるのです。敵の30万を越
える戦死者には30万の異なる人生があったことを、我々は忘却すべ
きではありません。彼らにも家族があり、友がありました。そして、
彼らは、我々とも友となれる人々だったかもしれないのです。なん
という痛ましい犠牲でしょうか。

かれらは自らの萌えのために戦い、薨れました。異なる萌えを胸に
抱きながら、何よりもまず自らの心に忠実であった男たちはもうい
ません。かれらのために、われわれは何をなしうるでしょうか。敵
を憎むこと?違います。憎しみは人の心を毒で満たし、憎悪が世界
中に壁を張り巡らすことを助けます。そして、われわれは憎しみに
よって流血の悲劇へと歩まされることになるでしょう。

われわれは、他の人々の幸福とともに生きたいと願っています。進
んで誰かを憎んだり、軽蔑したいと考えるものはいません。われわ
れは、自由で美しい、萌えに満ちた人生を送ることもできるのです。

われわれが死者のために何をなしうるか、もうおわかりいただけた
と思います。憎しみを忘れろ、とは申しません。それはあまりにも
傲慢な発言です。しかし、憎しみにとらえられ、自らの心を食い荒
らされる前に、あなたの人生は、もっと素晴らしいものになりうる
こと、そして、われわれは幸せになるためにこの世に生を享けたの
だということを思い出して下さい。人の魂には翼が与えられている
のです。やがてそれは羽ばたき、虹へと、希望の光へと、われわれ
すべてのものである輝かしい未来へと飛んでいくことでしょう。
370追悼演説3:2001/05/29(火) 13:45
最後にこの場で、わたしのささやかな夢を語ることを、みなさんに
許していただきたいと思います。

わたしには夢があります。

いつの日にか、誰もが何の犠牲を払うことなく自らの萌えを表明し、
お互いの萌えを尊敬し合える日が来るという夢が。

わたしには夢があります。

すべての萌えは平等であるというこの信条、人種や国籍や対象に関
わらず、すべての萌えは平等であるというもっとも尊ぶべき信条が
あらゆる地で真実となる日が来るという夢が。

わたしには夢があります。

あの戦いの大地、いまでも死臭と硝煙の臭いが消えぬあの地も、い
つか優しい姿を取り戻し、そこでかつて敵と味方として戦ったもの
が、ともに肩をたたき合い笑い合って自らの萌えについて話し合え
る日が来るという夢が。

その日が来れば、われわれは新しい意味を込めて「わが祖国よ、美
しい萌えの国を称えてわたしは歌う。父祖が骨を埋めた国、われら
の誇りとする国。すべての山々から、萌えよ鳴り響け」と歌うこと
ができるでしょう。

やがて、この白く真新しい墓標も朽ち果て祖国の土となり、その上
には美しい花が咲く時が来るでしょう。その時、史書にわが名が刻
まれていることをわたしは望みません。わが忠良なる醍醐旅団の名
が刻まれていることも望みません。わたしは、萌えによる犠牲者は、
この度のこの戦いによるものが最後であったと記されることのみを
心から願います。この後、すべての人が萌えを分かち合うことがで
きたと記されることを望みます。

ご静聴ありがとうございました。