ベトナム戦争を語ってください

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118名無し三等兵
ホー・チ・ミンの残虐な政策の背後には、単純な動機が存在していた。
彼は、北ヴェトナムにおいては、共産主義の下で暮らす以外の選択肢はないのだということを、明白な形で示したかったのである。
しかし、選択肢は存在したのである。
南ヴェトナムにおいては、ゴ・ジン・ジェムは、アメリカの基準からは不十分ながらも、実質的に自由な国家を建設していた。
ホーとは異なり、かれは正統派の民族主義者であった。
彼は、帝都ユエの名家の出であり、フランス植民地主義に対して猛烈に抵抗したことで有名になった。
敬虔なカトリック教徒でもあり、合衆国のメリーノール神学校に二年間留学した。
1933年、彼は、国家統治にあたり国民議会を設けることをはじめとする改革をフランス側が飲むことを条件に、中央ヴェトナム安南の内務大臣に就任した。
三ヶ月しても、フランス側が何一つ条件を満たさなかったので、彼は怒って辞任した。
彼は、日本の占領政府の役職にも就いた。
戦後はフランスの傀儡元首、皇帝バオ・ダイが、繰り返し彼の助力を懇願した。