泣ける話

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8名無し三等兵
セブ島から特攻出撃した大和隊隊員植村少尉が幼いわが子に
あてた遺書。


素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りも
したし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって
私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のこと
をよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残して
あります。
素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやり
の深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったの
を見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまって
も、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたい
ときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様の
お顔がお前の心の中に浮かびますよ。
父はお前が幸福者と思います。
生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると
真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって
下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福を
のみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても
親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って
おります。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。

お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで
貰いなさい。

昭和十九年○月某日                  父

植村素子へ
追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて
自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒に
いたわけです。
素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。