泣ける話

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781ヤマト
長文になります。
「ホタル帰る」2001年5月28日第1刷発行
発行所 草思社 著者 赤羽礼子(旧姓 鳥浜) 石井宏 ヨリ
以下
第四五振武隊隊長、藤井一中尉は特攻出撃も終わりに近い五月二十八日、部下を率いて出撃、
還らぬ人となった。富屋を訪れたであろう藤井中尉について、トメは年長の物静かな人がいた
という以外にとくに印象がなかった。
戦後、藤井中尉にまつわる話を聞いたトメは涙が止まらなかった。
戦争が始まった頃、藤井中尉は少年飛行兵の教官に就任した。彼は自分にも厳しい人で、
戦争が激化し、かつての部下だった少年兵たちの戦死の報を聞くにつれ、
「おまえたちだけを死なせるわけにはいかん」が口癖になり、みずから特攻兵を志願した。
藤井中尉は年齢的にも若くなく、結婚してすでに二児があった。こうした年長で係累の多い
将校などの場合、特攻としては採用されないのが原則である。当然のように
藤井中尉の志願は却下された。しかし、「教え子が死んでくのに自分だけがおめおめと
生きているわけにはいかない」という彼の信念は変わらなかった。
妻は最初は反対したが、次第に夫の固い覚悟に押し切られるかたちになった。
夫は再度却下されると、今度は血書して願書を提出した。夫の決意の固さを知った妻は、
後顧の憂いを絶つために
昭和十九年十二月十五日、近くを流れる荒川に、二人の子を道連れに投身自殺した。
自分たちが生きていては心残りとなるでしょうから、お先に行って待っています、
という遺書が残されていた。
血書の願書に妻子の自殺―藤井中尉の特攻志願は受理された。十二月二十日のことであった。

合掌