泣ける話

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たまには日露戦争ネタで涙してみませんか?

明治37年、悪戦苦闘を極めた旅順戦で、第三軍司令官乃木希典大将は自身の二子をも失った。長男勝典は5月27日南山の戦闘で、次男保典は11月30日203高地の戦闘で、それぞれ戦死した。
保典戦死の報を聞いた乃木は、
「よく死んでくれた。これで世間に対し申し訳が立つ。よく死んでくれた。」
と言ったという。
文豪森鴎外はこの時、第二軍の軍医部長として十里河の前線にあったが、保典少尉戦死の報を知り、二子共に喪った乃木の心中を悼んで長編の詩を作った。それは「乃木将軍」という題で彼の「うた日記」の中に収められたが、その中での圧巻だと噂されている。

つはものの    武勇なきには  あらねども
真鉄(まがね)なす べとんに投ぐる 人の肉(しし)
往くものは    生きて還らぬ  強襲の
鉾(ほこさき)を  しばし転じて  右手のかた
図上なる    標(しるし)のたかさ 二霊三
嶺(いただき)の  ふたつ聳ゆる  石やまに
たえだえの    望みのいとを  掛けてこそ
きのうけふ     軍の主力を  向けてしか

霜月の   三十日の    夕まぐれ
将軍は   高崎山の    師団より
ただ一騎  柳樹房なる   本営に
帰らんと  曲家屯をぞ   過ぎたまふ
ほの暗き  道のほとりを  見たまへば
身うち皆  血に塗れたる  卒ありて
そびらには はやこときれし 将校の
亡骸を   かきのせてこそ 立てりけれ