泣ける話

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昭和19年3月、ダバオ島を発った飛行機がセブ島近くの海面に不時着、
連合艦隊司令長官古賀峯一大将らが殉職、
参謀長福留繁中将ら九名がアメリカ軍将校率いるゲリラに捕らえられた。
海軍乙事件である。

拷問などによって機密が漏れる怖れがある場合には
舌を噛みきっても、と思い詰める彼等に、
ジェームズ・クッシング中佐率いるフィリピン人ゲリラは
卵を焼いたものなどを食べさせた。

捕虜交換の際、緊張する日本兵の前で、ゲリラは作り笑いをして
「ゴクロウサン」と言った。日本兵側もうろ覚えの言葉で
「アサヒバヤ」(ありがとう)と返した。
和やかな雰囲気になった両陣営は、煙草やキャラメルを振舞ったり、
童謡や民謡を歌うなどした。
そして当初の緊張とは違った和やかな雰囲気の中、出発の時間がきた。
解放された捕虜を伴って去る日本兵に向かって、ゲリラ達は手を振り、
「日本、フィリピン、友達。ノー・ポンポン、ノー・ポンポン」
と大きな声で言った。ポンポンとは銃声のことである。