泣ける話

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463名無し三等兵
国仙照雄さん 北海道出身、軍属。
昭和19年10月8日、フィリピン・ルソン島マニラ港で戦死。16歳。
継母・エツ宛
*以下、誤字など原文ママ

母上、もう自分は死をけつしんしております。
あの海原で働く自分にとつてはまことに美しく悲しい者です。
父上にはもうあゐません。このまゝあはないで死ぐとおもつてください。
自分たちは死ぐのをなんともおもつて、あの原であの野で見た美しい花とも、
あの美しい元山、かもめじまをあとに見て、自分は一生故郷に帰れないと
おもつております。もう自分のけつしんはきまつたぞ。さらば故郷よ。

元山のふもとにたたす我が町は
  きよきながれの川の下
    あゝなちかしきわが故郷

これは自分がつくつたのです。
母上様、くるによかつたら、きてください。
もう自分は故郷にかゐりません。では母上様、最後のため、きてください。
五月二十一日海軍大将山本五十六が戦死をしたのだ。
大将がせんし□□□□□の、自分が死ぐのはあたりまいだ。
ではあの海原に出て、りっぱなに死ぐきだ。
今あゐなかつたら靖国神社であをとお思つぞ。
戦にかちために皆で元気でやれ。

親をもふ心にまさる親心
  今日のおとじれなんときくらん

母上様、自分は今日まで、いろいろとせはになつた。
その恩は一生はしれなぞ。
母上、では元気でくらしてくれ。
自分はまことに親ふこうでございます。どうぞゆるしてください。
母上様、最後にどうぞきてください。
手紙のつきしだい、たのみます。
今あはなければ自分は一生あひません。

一日としては思はじ母の顔
  今日のくらすはどうぞしておる

では、さらば
  一同によろしく。�