328 :
テリ造:
今は亡き祖父(終戦時帝国陸軍軍曹、南方戦線従事)の話を
思い出しながら要約すると・・・
小銃などの部隊火器・・
祖父が言うには、日本軍歩兵部隊が一番羨ましがったアメリカ軍歩兵装備は
BARだったそうです。
むろん日本軍にも軽機関銃は小隊ごとに保有していましたが、祖父が言う
には、小銃程度の大きさで、なおかつ重量はあるものの使用が大変に
容易で、日本軍歩兵は敵のBARの掃射を嫌がったそうです。
(撃ってきて直ぐに位置が変わるので、機銃陣地の兵を倒すように
安易に狙撃しにくかったもよう)
M1ガーランドは祖父自身はそれほどなんとも思っていない様子でした。
祖父いわく「あんなものは直ぐに弾切れで大したことない」だそうです。
また「敵の騎兵銃は自動で正直羨ましかった」とも言っていまして、
おそらくM1カービンの事を言っていたのだと思います。
評価の違いは軽さと装弾数の違いからでしょうか・・。弾薬も異なりますが
祖父がそこまで知っていたかは謎。
資料で見る限り38式vsM1ガーランドの火力比は1:1.4で、私も
まぁ妥当なんじゃないかなと思います。
火砲など支援・・・
全く期待できなかったそうですが、後方の重砲などは精度が良く
散発的にせよ、敵陣に被害を出させていた模様です。
部隊内部では擲弾筒の評価は絶大だったもようです。
銃機関銃も評価が高かった模様(祖父の部隊は92式かは不明)
兵の質・・
農家の次男三男などが比較的多く、少数ではあるが、裕福な
商家や会社の息子もおり、徴兵に対しての不平等は比較的
少なかったらしいです。
自分の名前以外、漢字を書けない新兵もちらほらいたようですが、
入営して最低ライン程度の漢字は覚えていくようです。
また、入営して初めて白米を口に出来た。と喜ぶ兵もいたそうです。
指揮系統など統率
絶対服従が原則で、内地での訓練期間中は「いじめ」も含めかなり
苛烈だったそうですが、前線に出ると、意外と上官に意見を求め
られたり、部下が私見を述べる事が多少あり、上官も耳を傾ける
ことさえあったそうですが、やはり、一度命令が発動されると絶対
服従だったそうです。
それ以外は、上下の関係を抜いて冗談をいいあったりすることもあったそうです・