1 :
毀誉褒貶:
終戦翌日に自決した、軍令部次長 大西瀧治郎 海軍中将に
ついて、現在の評価を求む
遺書「特攻に英霊に申す。よく戦いたり、深謝す・・・・。」
2 :
名無し三等兵:01/08/31 01:59 ID:7emht/G2
徹底抗戦派だったな、この人。
外相!もうあと2千万、2千万の特攻をだせば、
ニッポンは必ず勝てます!
4 :
名無し三等兵:01/08/31 02:05 ID:uJ8sx.ng
海大出てなくて中将はけっこうすごいね。
それに海軍が存続してれば大将はかたかったでしょう。
でも「特攻の生みの親」以外にこれといった戦績はないよね。
5 :
名無し三等兵:01/08/31 02:12 ID:VlbDLFr.
>3
あと2千万の飛行機をどうやって調達するつもりだったのだろう?
6 :
名無し三等兵:01/08/31 02:11 ID:rXP.SGhw
大陸で陸攻を指揮してるよ。海軍航空の立役者の一人ではあるよね。
つーか「特攻の生みの親」つーのは、ある意味で濡れ衣と言えなく
もない。
7 :
名無し三等兵:01/08/31 02:12 ID:NxqxZLBk
>4
真珠湾作戦を立案
第11航空艦隊参謀長として南方作戦を推進
軍需省で上司遠藤三郎陸軍中将と航空機生産を管理
頑張ってるよ。
「これでよし 百万年の 仮寝かな」
8 :
名無し三等兵:01/08/31 02:13 ID:NxqxZLBk
>6
城英一郎だったか。特攻を「作戦」として提唱したのは
9 :
毀誉褒貶:01/08/31 02:17 ID:vA/F/urw
早速スマソ
徹底抗戦派を装わなければ、仕方なかったのでしょうね。わしの
メインソースは、副官の門司大尉の回顧録です。いわく、「必ず後から
行くからな」と言って握手して、散っていった若い青年諸子にすまないと
思われていたと。
>>3 それは最後の御前会議での、室外からの発言ではなかったでしょうか。
次長は御前会議の資格はありません。でも室外から「陛下、海軍は今まで
努力が足りませんでした。後一千万の特攻をだせば・・・」と、うめいた
。それを高木教育局長は、後世になって「一千万の男子を出して、仮に
効を奏したとしても、日本はどうなるのか」つまり国敗れて山河ありみたいな
ことをじゅつかいしています。
>>4 本当に特攻の海の親であるかどうか。門司大尉自信も疑問に思って
おられたみたい。でも海大出てなくて、将官になったのは、やはりすごい。
官僚主義、学歴主義ではなくて、真の実力者。
中将のエピソードというと
・芸者叩いて海大受験資格剥奪
・性病感染時にGF旗艦付近に着水、「海水が染みて痛い」とかいって
ときの高橋三吉長官をあ然とさせた
この二つが印象的だなぁ(w
11 :
名無し三等兵:01/08/31 02:21 ID:rXP.SGhw
>>8 誰か一人って言うより、ある種共同謀議じゃないかと思う。
実施段階を担当したのが大西だっただけで。
源田実とか当時の海軍航空作戦の中枢の一部は事前にかん
でるよね。
12 :
名無し三等兵:01/08/31 02:24 ID:7emht/G2
>>10 海大に逝けなかったのは
自業自得だったのね
13 :
8:01/08/31 02:27 ID:NxqxZLBk
>11
いや、確か侍従武官の城大佐が43年ごろに大西に主張しているよ。
当時の大西は蹴ったけど。
>ある種共同謀議じゃないかと思う。
特攻自体が実施される1944年には
作戦実施前に軍令部首脳にも承諾を得ていたとか言われてるね
でも中沢第1部長は戦後「知らない」とか言ってる。
中沢の人格は好きなんだけどね。なんでこんなこと言ったんだろう。
14 :
毀誉褒貶:01/08/31 02:27 ID:vA/F/urw
陸軍の第五(?)航空軍司令官 富永恭二中将のこと、ご存知ですか・
東条首相のときの陸軍次官。航空の素人。大西閣下は、航空のある意味での
専門家。自分で操縦もできた。
それが関大尉というエースパイロットを特攻に出す決断をせざるを得なかった
心境。関大尉ご遺族には申し訳ないけど、大西閣下のそのときの胸中いかばかりか
と思います。
>14
冨永恭次中将(陸士25期・陸大35期)ですね。
第4航空軍司令官です。フィリピンから台湾逃亡のチキン野郎
関大尉を選んだことについては、同期の菅野直大尉を選ぶ
予定だったとか元々選定されていたなど諸説ありますね。
艦爆出身の関大尉が戦闘機部隊の201空に出向されたのも、
考えてみればおかしいとか
16 :
毀誉褒貶:01/08/31 02:38 ID:vA/F/urw
第C航空軍でしたか。彼は軍法会議→結局はシベリアで死んだと思います。
だから死者に鞭打つみたいな記述もないですね。
それはそれとして。もし皆さんが、大西瀧治郎であり、つまりは特攻なんて
作戦の外道だと思っていたとして。軍令部から特攻作戦を命じられた
指揮官になったら、どうされますか?
あの時あの場所で、「いや〜俺は反対なのだが、中央が・・・」って言いたいけど
いえませんよね。中将の苦渋はそこに始まると思います。
>16
軍法会議にかけられましたが、待命(予備役編入)後、
第138師団長に就任、シベリア抑留からも生還しています。
同期の会合ではすっかりふさぎこんでいたそうですが、
天寿を全うしています。
後、特攻への傾倒はむしろ大西中将自身からではないでしょうか?
おおよそのラインとすれば
大西発案→軍令部承認→レイテ戦→全面展開
でしょう。
命じられたとすれば、最終的に私も出撃するでしょうね。
同種の結果である自刃を選ばれた中将も立派だとは思います。
18 :
毀誉褒貶:01/08/31 02:52 ID:vA/F/urw
>>17 予備役編入はしってます。でもシベリア抑留から生還していたとは?
>>命じられたとすれば、最終的に私も出撃するでしょうね。
同種の結果である自刃を選ばれた中将も立派だとは思います。
少し論点がずれているように思います。命じられたとすれば、否応
ないでしょう。特攻の問題は命じてはいないけど、「それ」に応じなければ
ならなかったと言うことではないでしょうか?
19 :
17:01/08/31 03:04 ID:e0DnX7lA
確かに、意図を汲み取るのに失敗したようです。
ただ、ならばなんと解答すればよいのやらわからないのです。
申し訳ありませんが、毀誉褒貶氏は軍令部から特攻作戦の
指示が出されたとお思いですか?どうもこれまでの発言ですと、
軍令部の命令により、大西中将が特攻作戦を発動されたと
考えられているようなので。厨房的質問で申し訳ありません。
>命じてはいないけど、「それ」に応じなければならなかった
関大尉の場合もそれですね。命令ではなく、質問の形をとった
命令でした。戦争末期の特攻もほぼ強制志願であったと聞きます。
これらの点も特攻の非難されるべき点ですね。
冨永中将に関しては記憶違いでした。
満州からも逃亡しています。
http://www.ishin.net/j09erosion.html
20 :
毀誉褒貶:01/08/31 03:14 ID:vA/F/urw
>>19 そこが微妙ですね。特攻作戦は、軍令部からの正式記録に載り
ようもない作戦だと思います。記録にないから、実際になかった
かというたぐいの問題です。はっきり云って。
21 :
17:01/08/31 03:20 ID:e0DnX7lA
これは妄想やら仮想の類に過ぎませんが、
軍令部からの命令であれば、全軍特攻が発動されたのではないでしょうか?
そうでもなければ第2航空艦隊を通常攻撃で出撃させる理由が私には
わからないのです。
実際、真相は闇の中としか言いようがありませんが。
22 :
毀誉褒貶:01/08/31 03:22 ID:vA/F/urw
私の
>>20の書き込み、中途半端でした。重要な論点なのに
軍令部の記録をたどっても、特攻(どこまで含めるかは問題だけど)
を採用したと言う記録は出ないでしょう。
だからこそ現地司令官の大西閣下も辛かったのではないかと、想像する
わけです。命令書があれば、業務の一環ですから。
23 :
:01/08/31 04:13 ID:O/l6z4xY
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、近所の横須賀海軍航空隊行ったんです。横空。
そしたらなんか搭乗員がめちゃくちゃいっぱいで乗れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、特攻隊員募集、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、特攻如きで普段来てない航空隊に来てんじゃねーよ、ボケが。
特攻だよ、特攻。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で心中か。おめでてーな。
よーしパパ空母沈めちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、「ほまれ」やるからその席空けろと。
横空ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
Uの字テーブルの向かいに座った大西といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。下士官兵は、すっこんでろ。
で、やっと乗れたかと思ったら、隣の奴が、やっぱし紫電改で、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、自動空戦フラップなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、紫電改だ。
お前は本当に紫電改に乗りたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、メタノール噴射したいだけちゃうんかと。
海軍通の俺から言わせてもらえば今、特攻隊員の間での最新流行はやっぱり、 桜花、これだね。
大盛り一式陸攻下瀬だくギョク。これが通の飛び方。
下瀬だくってのは火薬が多めに入ってる。そん代わり燃料が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(弾)。これ最強。
しかしこれで帰ってくると次から憲兵にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、1は、赤とんぼにでも乗ってなさいってこった。
24 :
名無し三等兵:01/09/01 04:02 ID:PfL05Jbk
age
25 :
名無し三等兵:01/09/01 04:55 ID:PfL05Jbk
age
26 :
:01/09/03 11:02 ID:TgIM9WWc
あげ
27 :
名無し三等兵:01/09/05 01:41 ID:/1w//CAE
激あげ
28 :
名無し三等兵:01/09/05 03:14 ID:tr8n59sg
特攻について、海軍が本格的に検討を開始したのは、1944年4月との説もありますね。
軍令部第一部長(中沢少将)と第二部長(黒島少将)との間で、「体当たり航空機」や
「人間魚雷」などの採用が検討されています。
準備作業から正式な作戦への転換が図られるきっかけになったのが、同年6月25日の
元帥会議の席上で、伏見宮元帥より肉弾攻撃の考案と使用を行うべき旨の発言があり
ました。
これを受け、軍令部総長嶋田大将は「奇襲兵器」の名目で推進掛を設け実施準備を開始、
戦術としての特攻作戦が正式に発動されることになったようです。
ちなみに特攻隊の「敷島隊」などの名前も、あらかじめ軍令部で決めてあったようです。
29 :
名無し三等兵:01/09/10 14:49 ID:GvOboDtA
agee
30 :
大西瀧治郎:01/09/13 21:16 ID:V53aTur2
何故、この時節にワシのスレが上がらんのじゃ!
31 :
名無し三等兵:01/09/13 21:17 ID:4tF3mBIQ
>30
じゃああなた、今回の件についてどう思うの?
やっぱり「統帥の下道」だとお思いですか?
なぜ米内光政は小沢治三郎に代えて大西を軍令部次長にしたのか?
米内は押さえられる自信はあったんだろうな。
33 :
名無し三等兵:01/09/13 21:25 ID:4tF3mBIQ
>32
米内の誤算は同時に軍令部総長になった豊田副武のほうじゃないか?
あれだけの陸式嫌いが最後の最後に陸軍の尻馬に乗ってたのだから
34 :
名無し三等兵:01/09/13 21:33 ID:Pn1Jiqs6
豊田副武が戦争継続派に回ったのは、御前会議を3対3の五分に持ち込んで
昭和天皇の「御聖断」を仰ぐお膳立てのためだったという説もあるが。
35 :
名無し三等兵:01/09/13 21:33 ID:vcLqz0Wk
特攻の大西としては好かんが、送り出した多くの部下の後に続くべく、
自決したのは評価する。
その意味で有言実行の男。
「俺も必ずそっちへ行く」と建前吹いて生き残ったバカ指揮官こそ氏ね。
36 :
名無し三等兵:01/09/13 21:37 ID:4tF3mBIQ
>34
その割りには豊田は米内に8/12にこっぴどく叱られている。
統帥部の総意として「ポツダム宣言拒否」を上奏した件で
37 :
大西瀧治郎 :01/09/13 22:10 ID:V53aTur2
>31
よくやった!
ワシの戦術を誉めてくれ、ってとこかな。
ちょいと論客の皆様にワシの評価を聞いてくるかな。
38 :
山口多聞:01/09/13 22:42 ID:eu.Wu1x.
大西さんはぶっ飛んでいたからな。
私だったら、特攻ごとき真似はさせんよ。
山本の親父の「米國との早期講和」の意に反する。
大西さん、私より長生きしてはいけなかったんだよ。
39 :
名無し三等兵:01/09/13 22:59 ID:fsBdIbCc
「これでよし 百万年の 仮寝かな」
これ本当に辞世の句!! 上手すぎ・・・
40 :
名無し三等兵:01/09/13 23:25 ID:S3kffqQs
>>32 出先に置いとくとマズイからじゃない?
本省・軍令部内のラインに組み込み、身動きとれないようにしたとか。
41 :
名無し三等兵:01/09/13 23:35 ID:.bQo8ihA
がんらい大西は、真珠湾攻撃はアメリカを本気で怒らせるから逆効果だと
山本に反対していたほどの冷静さも備えていたんだがな。
スキップ爆撃ってなんかメリットあるの
急降下爆撃より消耗率が少ないの?
スキップの効果は水線上に破口が開けられる。
命中率はかなり落ちると思う。生還率は日本軍の試算で1%とかなんとか。
しかし、特攻とは決定的に違うのは「生還する可能性がある」
44 :
名無し三等兵:01/09/13 23:43 ID:anWnCPEQ
>>42 急降下爆撃には、降下速度を落とすダイブブレーキや
引き起こしに耐える機体強度が必要だが、スキップ爆撃には不要。
爆装零戦も強度不足で急降下爆撃はできず、
命中率の劣る緩降下爆撃にしか使えなかった。
45 :
音速雷撃隊:01/09/14 01:13 ID:V8ER2H0w
「お前達だけを死なせはしない」という言葉通り腹を切り、
一昼夜のたうちまわって逝った大西中将の報を受けた
彼を良く知る海軍関係者らからは、「大西は、
たとえ戦争に勝っていたとしても腹を切っただろう」
と言われたという。
46 :
音速雷撃隊:01/09/14 01:19 ID:V8ER2H0w
有限実行の指揮官としてもうひとつ。
ヤマトのハンドルで他スレにカキコした物ですが。長文になります。
「ホタル帰る」2001年5月28日第1刷発行
発行所 草思社 著者 赤羽礼子(旧姓 鳥浜) 石井宏 ヨリ
以下
第四五振武隊隊長、藤井一中尉は特攻出撃も終わりに近い五月二十八日、部下を率いて出撃、
還らぬ人となった。富屋を訪れたであろう藤井中尉について、トメは年長の物静かな人がいた
という以外にとくに印象がなかった。
戦後、藤井中尉にまつわる話を聞いたトメは涙が止まらなかった。
戦争が始まった頃、藤井中尉は少年飛行兵の教官に就任した。彼は自分にも厳しい人で、
戦争が激化し、かつての部下だった少年兵たちの戦死の報を聞くにつれ、
「おまえたちだけを死なせるわけにはいかん」が口癖になり、みずから特攻兵を志願した。
藤井中尉は年齢的にも若くなく、結婚してすでに二児があった。こうした年長で係累の多い
将校などの場合、特攻としては採用されないのが原則である。当然のように
藤井中尉の志願は却下された。しかし、「教え子が死んでくのに自分だけがおめおめと
生きているわけにはいかない」という彼の信念は変わらなかった。
妻は最初は反対したが、次第に夫の固い覚悟に押し切られるかたちになった。
夫は再度却下されると、今度は血書して願書を提出した。夫の決意の固さを知った妻は、
後顧の憂いを絶つために
昭和十九年十二月十五日、近くを流れる荒川に、二人の子を道連れに投身自殺した。
自分たちが生きていては心残りとなるでしょうから、お先に行って待っています、
という遺書が残されていた。
血書の願書に妻子の自殺―藤井中尉の特攻志願は受理された。十二月二十日のことであった。
合掌
47 :
音速雷撃隊:01/09/14 01:31 ID:V8ER2H0w
有言打ちミス駄
鬱駄氏脳
48 :
毀誉褒貶:01/09/14 23:23 ID:DsAvAcjE
このスレを立てたものです。
現地司令官としては、必ずしも賛成ではなくても、中央で決まった作戦
は、これを実行するしかない。草柳大蔵さんの著書だったと思います。
美濃部少佐という方が登場します。確か彼がスキップ爆撃をあえて行い
中将もあえて反対しなかったという記述がありました。それどころか
少佐が反対理由を述べたときに、中将は「それほどの気概の指揮官で
あったか」と言ったとか。
人としての生き方に、私は感銘を強く受けるものです。最後の「百万年の
仮寝かな」の切腹。駆けつけた児玉よしお(漢字失念)が軍医や奥さん
を呼ぼうとしたのを、断固としてはねつけて死んでいった。
遺書続き「然れども諸氏の希望は、ついに達成しえざるに終れり。
我、死を持って特攻の英霊とその遺族に謝せんとす。・・・・中途失念
」
何か思うことがあるお方は、細々とでもいいですけど、またこのスレに
書き込んでくだされば、嬉しいです。
49 :
毀誉褒貶:01/09/14 23:31 ID:DsAvAcjE
>>45音速雷撃隊 様
大西中将と同時期フィリピンにいた、陸軍の第五航空軍司令官、富永恭二中将
(前陸軍次官)は、航空の素人で、実践航空部隊将兵からはうっとうしがられて
いたそうです。出陣のときに、いつもやってきては軍刀を抜き、「後からわしも
行くけんね」と発狂。でも20年になり劣勢が明白になると、報告と称して
台湾に下がり、これが重大問題となった。
私も人間だから、いざとなって怖気づき、卑怯未練な振る舞いに及ばないとは
いえませんが。大西中将と対照的ですね。
50 :
名無し三等兵:01/09/14 23:38 ID:BsU75WXs
>>48児玉誉士夫
Word君は頭イイね。「誉士夫」も入ってたよ。
そう言えば、特攻に出るたび生還するパイロットへ怒り心頭となり
その処刑命令!にサインして(←デマ臭いエピソードですが)
自分は台湾に逃げた司令官も同時期のフィリピンに出現しますな。
51 :
音速雷撃隊:01/09/16 01:15 ID:GRataP82
レスどうも>毀誉褒貶殿
確かに私も「それ」については良く思索する。
果たして「自身がその立場になった際に死を潔く覚悟できるか」
ということについて。
一般に人は「死」をその日常生活の中で意識することは稀であろうと思う。
私は幼少の頃肺炎で医者に見離されたり、高校生のころ結核(耐ストマイ)の恐怖
に対峙したり、長年の趣味のオートバイで死を目前に実感したり、と
「死」について鑑みる折は人より多かろうと思っているけれども、
その上で考えて。
慈しんでくれた父、母、兄弟、自分のこれまでの人生に縁の有った人たち、
生まれ育った故郷、そういうものを統括した自国の為に、
出撃せよという任務が課せられれば自分は潔く迷う事無く出撃出来ると思う。
が、しかし「自身が下した業務上の命令に対してみずから腹を切れるか」
という事を考えると考え入ってしまう。
おそらくは私自身としてはとても切腹は出来ない。
こめかみに南部14式の銃口を宛て、引き金を引くという自決になろうと思う。
冷静に熟考しても、とても大西中将の様な壮烈な末期を決する自信は無い。
あえて腹を切ったのは大西中将自信の漢のけじめのつけかたであろう。
もっと楽な死に方はいくらでも在るのだから。
私にはここまでの気概と覚悟は持てそうに無い。
正にあっぱれな帝国指揮官であったと思う。
富永恭二中将の話は存じませんでした。提示有り難うございます。
しかしながら富永中将に対して侮蔑や軽蔑の念もそれほど沸きません。
戦時の被害者であり、彼にも大切な家族がおり、戦争さえ無ければ不名誉を受ける事無く、
平和で幸せな生活を営んでいたのでは無いだろうか?と考えると・・・。
これら踏まえて考えると、大西中将の死に様は「他者(上記に挙げた自国という定義)
に対する大きな愛情とサムライの精神を受け継ぐ日本男児」であろうと感じています。
私はとても腹切は出来ない。
52 :
毀誉褒貶:01/09/16 01:25 ID:bD.IFEIY
>>51音速雷撃隊 様
官僚。軍人官僚。昨日まで、軍務局にいて開戦反対を主張していたとして
それが軍令部作戦課あたりに配属されて、今度は断固開戦を主張する。
すべてが業務の一環なのですね。
だから最後に「自分は陛下の幕僚でしかなかった」と言い逃れをする
人がたくさん出てきた。今までは陛下の幕僚であると言って命令を下し
ていたのに幕僚でしかなかったという。つまりは助言者でしかなかったと。
それと拳銃を自分のこめかみとか口腔に向けるだけでも、辛いものが
あるのに。大西中将の死に際は、腸も露出していてなおうめき声をはっする
(確かその時点でまともな会話をしている)という、壮絶なもののようでした。
中将は、まさに最後のサムライであったのでしょう。
53 :
音速雷撃隊:01/09/16 20:50 ID:GRataP82
最期の様子が記されたサイトがありました。以下引用
大西の最期は壮絶なものであった。
官舎で腹を十文字に切り裂き、頚動脈と胸を刺して自害したものの、まだ息があった。
友人の児玉誉志夫らがかけつけた時は腸がとびだしており苦悶の表情を浮かべていた。
だが大西は介錯を拒んだ。
「これでいいんだ。送り出した部下との約束が果たせる・・・」
そして苦しみの中、笑みを浮かべながら絶命した。
54 :
名無し三等兵:01/09/16 21:15 ID:vZBCGyyI
部下を自殺攻撃させといて、自分は逃げ回っている
ラヅィソに聞かせたい話だな
55 :
名無し三等兵:01/09/16 21:15 ID:gAqlUOfU
>>134 アフガニスタンが20万人のNATO軍に勝利する作戦スレからのコピペ。
>Aさんと Bさんが けんかしていました
>Bさんが Aさんを なぐっていました
>Aさんは くるしそうにたおれました
>ほかのひとたちは Bさんを あくまだと いいました
>でもじつは Aさんは ずっと Bさんを いじめていました
>なぐったり けったり していました
>Bさんは くるひもくるひも たえました
>かぞくがころされても すむところがなくなっても がまんしました
>しかし がまんできなくなり とうとう Aさんを はじめてなぐりました
>Aさんは Bさんを ゆるさないと いいました
>Aさんは ほかのひとに 「Bさんはきけんで みんな のてきだ」といいました
>ひとからひとへ つぎつぎと うわさは ひろまりました
>みんな Bさんが いじめられていたことは わすれました
>だれも なぜBさんが Aさんを なぐったのかも かんがえなくなりました
>Aさんは Eさんといっしょに Bさんを ころしにいきました
>Bさんは ころされてしまいました
56 :
音速雷撃隊:01/09/16 21:51 ID:GRataP82
もう一つ引用で申し訳ないが。
昭和20年5月、大西は軍令部次長として内地に帰還した。
官舎に独居して妻とは一緒に住まなかった。
それを聞いた者が「週に一度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか」
と勧めた。
大西は「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。
614人もだ。俺と握手していったのが614人もいるんだよ」と答えた。
大西の目には涙がいっぱい溜まっていたという。
57 :
毀誉褒貶:01/09/16 22:01 ID:r.UpQJI.
>>53 いつもありがとうございます。ところでそのサイトの
URLをお教え願いませんか?
58 :
音速雷撃隊:01/09/16 22:11 ID:GRataP82
59 :
名無し三等兵:01/09/16 22:16 ID:UINexvRg
大西が責任取って本当の責任者は知らん顔
60 :
名無し三等兵:01/09/16 22:38 ID:Nhqhz9HU
宇垣纏が部下と一緒行った八月十五日特攻に関して、
「既に終戦詔勅の後なのに宇垣は何をやっているのだ。死ぬのなら奴独りで死ね」
と大西閣下は言ったそうですが本当でしょうか?
61 :
毀誉褒貶:01/09/16 23:54 ID:EsVk.6.6
>>58ご教示ありがとうございます。ちらりとのぞきました。あとで
ゆく〜り見ます。
>>60私もそのように記憶しています。でも十年程前の新聞の投書で
もし宇垣纏のあの行動がなければ、第五航空艦隊?でも厚木基地の
ような反乱事件が持ち上がった可能性があったと。
62 :
名無し厨尉:01/09/17 00:19 ID:JOKFtYxc
63 :
毀誉褒貶:01/09/17 00:40 ID:0MrBs0WI
>>62 多田中将の息子、健太氏のことですね。本によると、子供のいない
大西は、健太を我がこのようにかわいがり、おしめを代えたりした
という。それが第一航空艦隊司令長官のときに、「おっちゃ〜ん、
今から出撃して来ます」といって、挨拶に来たそうです。
胸中やいかに。
64 :
名無し三等兵:01/09/17 00:43 ID:vY7q35AY
多田中将は終戦時の海軍次官。
米内氏や井上氏、高木氏がやっていることは知っていただろうから
複雑だっただろうな
65 :
毀誉褒貶:01/09/17 01:02 ID:0MrBs0WI
大西中将の追憶を、ゆっくりしますか?記憶だから正確かどうかはともかく。
フィリピン時代、食料も事欠き始めたとき。せめて将官連中には栄養を
つけてもらわないとといって、一品余計につけたそう。
大西はりんごが出たら出たで、従兵の山本に「特攻の諸君にも出ているのか?」
と尋ね、山本が「なにぶん食料が不足していますので」と答えると、「やってくれ」
と言って口にしなかったそうだ。
またある日生卵が出て、誰かの卵には血が混じっていて、「従兵、貴様は
こんなものを食わせる気か」と怒鳴り上げているときにも、「特攻の諸君に
やってくれ」と、小さな声で山本従兵に言ったそうです。
66 :
名無し三等兵:01/09/17 01:08 ID:QgeNY6C2
自殺することで上層部への責任追及をあいまいにした確信犯>大西
煽りじゃないよ。本当の事だし。
67 :
毀誉褒貶:01/09/17 01:11 ID:0MrBs0WI
>>66 確信犯と言うのはどうだろう?結果的にそういう風になったということでは?
68 :
名無し三等兵:01/09/17 01:18 ID:dNQsOUWk
大西閣下は「なるべく苦しんで死んでやる」と言って割腹されたとか。
ヒデキと比べると……
69 :
毀誉褒貶:01/09/17 01:21 ID:0MrBs0WI
>>68 ヒデキにはヒデキの言い分もあるだろうけど、戦陣訓の作者
として、あまりにかこ悪いね。
70 :
名無し三等兵:01/09/17 01:28 ID:dV2iEzVE
>13
>でも中沢第1部長は戦後「知らない」とか言ってる。
>中沢の人格は好きなんだけどね。なんでこんなこと言ったんだろう。
中沢氏は死を目前にしてこの件は認めたそうだよ。
認めなくても桜花の開発には中沢部長の決裁が必要だから
否定しててもわかることなんだけど。
どうも自衛隊関連の別の話題の講演をしていたら、聴講していた研究者から
突然証拠とともに詰問されて咄嗟に「しらない」と答えてしまったそうだ。
まあ、もっとも触れられたくない過去だったんだろうけど。
71 :
名無し三等兵:01/09/17 02:01 ID:8fyqreVg
太田特務少尉の関与はどんなもんだったのでしょうか?>桜花の開発。
開発の端緒に関わった物として、特攻に出撃できず、一生負い目を背負って失意のまま亡くなったそうですが
72 :
毀誉褒貶:01/09/17 02:42 ID:sF9FNEV.
>>71 googleで「太田少尉」で検索したら、出てきました。考えさせられますね。
73 :
名無し三等兵:
なぜ米内光政は小沢治三郎に代えて大西を軍令部次長にしたのか?
米内は押さえられる自信はあったんだろうな。