オートジャイロの映像発見

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1名無し三等兵
オートジャイロの映像発見

飛行機の機体に現在のヘリコプターのような回転翼を取り付
けた、オートジャイロと呼ばれる航空機の珍しい映像が見つ
かりました。昭和8年に、当時の日本陸軍が、アメリカから
2機を購入した際に撮影されたものと見られます。

http://www.nhk.or.jp/news/2001/08/14/grri840000006672.html
2KYB:2001/08/14(火) 14:57
量産された萱場オートジャイロ

 日本でヘリコプターが飛ぶようになったのは、もとより戦後のことだが、回転翼航空機としては戦前にもオートジャイロ
が実用になっていた。

 1932年(昭和7年)、2機のシエルバ・オートジャイロがイギリスから輸入され、1機は海軍が研究した。もう1機は
朝日新聞が使用し、実際に漫画家をのせて東海道漫歩などをおこない、1935年頃まで使っていた。

 1933年(昭和8年)には、陸軍がアメリカからケレットK-3を2機輸入し、研究した。40〜50mの滑走で離陸し、風
があれば5〜6mでも離陸できるという特性をもつので、最前線の弾着点の観測に使う考えであった。しかし2機とも研究
中に事故を起し、ものにならなかった。

 この事故を起したケレット・オートジャイロの修理を依頼された萱場工業は、その研究の結果、1941年(昭和16年)
「萱場カ号」と呼ぶ独自のオートジャイロをつくり、5月26日に初飛行させた。萱場工業は航空機の部品、とくにオレオ降
着装置を製造していた。

 カ号オートジャイロ(複座)は何と98機も生産され、弾着観測のほか対潜哨戒にも使われた。対潜機としてはエンジンが
240馬力、複座で、60キロ爆弾2発を搭載し、空から潜水艦を狙うものであった。

http://www2g.biglobe.ne.jp/~aviation/jpnhistory.html
3名無し三等兵:2001/08/14(火) 16:24
「愛國」って(ワラ
4名無し三等兵:2001/08/14(火) 16:27
>3
花火に「労働1号」って名前付ける国もアルヨ
5名無し三等兵:2001/08/22(水) 22:55
age
6RAMカンガルー:01/09/02 22:31 ID:BSCJOdj.
オートジャイロ、
カッコええーっ。
で60キロ爆弾2発か。
潜水艦相手なら結構痛手を与えられそうかな
7名無し三等兵:01/09/02 22:39 ID:fgvE7hOQ
カコイイ
8名無し三等兵:01/09/02 23:15 ID:i3LF6zCs
Fl282の映像って無いかなぁ?
9NF文庫 日本の傑作機より:01/09/07 13:48
【カ号観測機(T〜U)】 陸軍 設計・製作:萱場工業
 萱場工業と陸軍が協力して製作した機体で、陸軍が1933年に
アメリカから輸入したケレットK−3オートジャイロと、海軍が
輸入したイギリスのシェルバとの長所を取り入れて設計され、昭和
16年5月に完成、カ号観測機として制式採用された。
 T型(アルグス発動機装備)とU型(ジャコブス発動機装備)が
あり、昭和16年〜20年に萱場で約240機が生産された(U型
は量産されなかった)。
 カ号は砲兵隊の弾着観測に最適の機動性を持っていたので太平洋
戦争ではフィリピンなどで砲兵隊と協力して活躍した。
 また、戦争後期には日本近海の哨戒用としても使用され、対潜
攻撃用に60kg爆雷一個を装備することも可能であった。
〔型式・構造〕(T型)
単発 三翅ローター 木金混製 羽布張り オートジャイロ
ローター直径:12.2m 乗員:二名
発動機:アルグス空冷式倒立X型8気筒 240馬力
自重:775kg 全備重量:1170kg
最大速度:165km/h 巡航速度:115km/h
航続距離:280km
@ノハ@
(;‘д‘)ノ<・・・やそうやで、あ〜しんど!
        この本やと爆弾関係は60kg一発
        が標準みたいやな。
        U型のデータはええやろ。
10名無し屯田兵:01/09/07 14:55
カリオストロ伯爵のオートジャイロほしい。
11名無し三等兵:01/09/07 15:01
そう言えば、ファイン・モールドからオートジャイロのプラモが出てたっけ。
12名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2 :01/09/07 20:55
>>11

カ号1型ですね。
このほか、AzurからシェルヴァC.30が、エアフィックスからも昔出てたな。
13名無し三等兵 :01/09/07 23:51
>>8
昔持ってた。(今無い)
爆撃訓練までしていた。

昔の東京12チャンネルは、古いフィルムを使ったドキュメンタリーや特番が多く、
タイトルは、「悪魔の秘密兵器」とかの幼少向きのタイトルながら、
今なら数万するビデオにしかない映像をバンバン放送していた。
ほんと、バンバンと。
大多数は、ビデオの普及する前なので、二度とお目に出来ない映像も多々あった。

監修は、青木氏(生前の親父さん)が行うことも多かったので、解説もかなり詳しく正確だった。
こんなのフィルム残ったているかなあと思うようなのは、全部この局で見せてもらった。
更には、全編日米の記録フィルムのみで構成された、太平洋戦争のドキュメンタリーを週一で放映し、
「マリアナ」とか「ミッドウェー」と、1回毎にテーマを決め、真珠湾・マレーからB-29空襲・沖縄まで描き切った。
アニメンタリー決断を実写でやったようなもんかな。
オープニングのナレーションは、
「これは、死んでもカメラを離さなかった、従軍カメラマン達の映像である」と、
死んだ兵士を幾つも見せる所から始まった。
もう、こんなの放映してくれんるだろうなあ。
14名無し三等兵:01/09/08 00:26
>>13
知ってる。12chではよくやってた。「人に歴史あり」の故八木なんとかさんがナレーターしてた米軍撮影のカラー実写版が売り。
金曜スペシャルじゃなかったっけ。(潜入ヌーディスト村とかもやってた。)
ときどき兵器ものがあり、ドイツとかも出てた。Me163の離陸とかパンジャドラムとか連山とか震電の進空とか記憶にある。
あとFW190からドイツ版ダムバスターの試験映像もあったと思う。これみんな12chで見た。一部ビデオでとったがベータだったので廃棄してしまった。
印象に残ってる話で、元パイロットのインタビュー「(97戦と違って)1式戦は突っ込みがきくんですわ。ところが基地に帰ってくると、翼の下に裂け目がツーとついておって。
こんなのあったかいなと。それから急な旋回はやめろってことになって」子供心に飛行機ってこわいと思った。なつかしい。
1513:01/09/08 01:21
>>14
知っている方が居られましたか。
確かに、特番の方は金曜スペシャルだった。

>Me163の離陸とかパンジャドラムとか連山とか震電の進空とか記憶にある。
>ダムバスターの試験映像
そうそう、英独のダムバスター比較なんてのもあった。
他にも
ムッソリーニが幽閉されていた山荘から飛び立つFi156「シュトルヒ」
同じ山荘の、山肌の棚からロケットで飛び立つDFS230
ハンナ・ライチェの乗るMe163A「コメート」
ロケット花火の様に飛び出す、Ba349「ナッター」
現用兵器も、AH-56「シャイアン」なんてのも。
他にも書き切れない映像をタダで見せてくれた。

太平洋戦争物は、スペシャルとは違う週一の番組でした。
回天の攻撃で炎上する「ミシシネワ」を、両方の番組で見た記憶がある。
ヒストリーチャンネルよりもマニアックで、東京12チャンネルでミリオタなった少年も多いことと思う。
16名無し三等兵
>>15
もうひとつ思い出した。コメートの離陸シーン殆ど垂直上昇に見えてたんだけど、
BGMワーグナーの「ワルキューレの騎行」じゃなかったかな?後日、「地獄へ黙示録」で曲名知りました。
あとから思うとけっこう凝っていたよね。外国版兵器特集のときって日本(12ch)の制作なのかしらん。