1 :
名無し三等兵:
なんでこんなの買うほど金あったんだろ・・・。
徳川も侮れん。
こんなのってナニが?
ちゃんと書け
開陽丸、回天丸、富士山、鋼鉄、この中のどれかの事ふだと思われ。
まっ・・・
待ってくれ削除人さんっ・・・!
__ 頼むっ・・・! このスレを今・・・・・・
_,, -―‐' \_,,,-―-、_ 今失うわけにはいかぬのだ・・・!
ノ `ゝ 削除するなとは言わぬ・・・・・・
/ l ただ・・・ もう少し待ってくれんか・・・!
> /'''i | 頼むっ・・・・・・!
/ __/|/|,ハ /|ハノ二|ト、. |
)/ \\ー┼|_,, -''',l|,-|l、. | わしはなんとしても・・・ このスレで
. `| ==-\|l |l_,,-'''=== 、`ヽ. | 今一度つかまねばならんのだ
| < @ >〉 ≡< @ > ::l r‐ 、 | マジレスを・・・!
| `ー‐' /,'::::u `ー―'' u ::::| ,|イ'| | | そして今度こそ
. | ー-‐ /,'::::::: . ー--一 ::::|,|/^| | |\ 優良スレの1にならねばならん
| __ノ (_;::::::- ヽ \__ u ::::||Oノノ |.:.:.:\ それがわしの悲願・・・・・・!
_|/ ,r===========、 ヽ、 ::::| ̄ |:.:.:.:.:.:.| ̄''''ー
' ̄.:.:.: | ((二二二二二二二)) | :::::|ヘ |.:.:.:.:.:.:.|.:.:.:.:.:. わかるだろ削除人さん・・・!
.:.:.:.:.:.:.:.|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ::::::|::::ヘ |:.:.:.:.:.:.:|.:.:.:.:. スレを立てていながら
.:.:.:.:.:.:.:.:!__u ≡ ____::::::ノ:::::::: ヘ|.:.:.:.:.:.:.:|.:.:.:. レスが付かないなどという
:.:.:.:.:.:.:.:|:.:.:.:.:ト、 ̄ ̄ ̄::::::::::::::::::::::::::::::::: /|.:.:.:.:.:.:.:.|.:.:.. そんな理不尽を
.:.:.:.:.:.:.:|.:.:.:.:.| ヽ::::::::::::::::::::::::::::::::. / |.:.:.:.:.:.:.:.:|.:.:.なぜわしだけ味わわねばならぬ・・・!
.:.:.:.:.:.:.|.:.:.:.:.| ヽ / |.:.:.:.:.:.:.:.:.|.:. なぜ・・・!?
河野洋一(銀と金)
5 :
名無し三等兵:2001/08/11(土) 04:42
この時代にまともに船同士で撃ち合ったのは日本位らしい。
6 :
名無し三等兵:2001/08/11(土) 04:47
>>5 ヨーロッパあたりの海賊船みたいなので撃ち合ったりしてないの?
借金はきっちし明治政府に受け継がれたし>こんなの買う金
>>5 南北戦争。
時代って言うからには5、6年はOKだよね。
9 :
名無し初年兵:2001/08/11(土) 09:10
加賀藩は当時の洋式戦艦(鋼鉄艦を含む)6隻保有し、4隻を幕府に貸与していた。
フランス式調練を受けた歩兵14000人の保有も記されている。
10 :
榎本総裁:2001/08/11(土) 09:21
開陽が・・・・・開陽が沈む・・・・
かいようがぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・
↑
10年位前に大晦日にやっていたドラマ?
12 :
名無し三等兵:2001/08/11(土) 15:09
開陽は当時の水準からすると優秀な艦と聞いたが。
13 :
名無し三等兵:2001/08/11(土) 15:12
チャールズダーウィンが乗船して世界一周した船は、幕末の日本に売られて
長くおつとめしていたそうだ。
>>7 「ストーンウォール」改め「甲鉄」(幕府が半金払ってそのままになっていた)購入
の付帯条件では?
15 :
名無し三等兵:2001/08/15(水) 10:11
>>12 らしいね。
でも艦隊戦で一番活躍したのは「ばんりゅう」という艦だと聞いた。
16 :
名無し三等兵:2001/08/15(水) 10:56
17 :
2チャンネル化学療法:2001/08/15(水) 10:58
18 :
名無し三等兵:2001/08/15(水) 13:23
おはんら、「アボルダージ」っちゅうのを知っちゅうか?
海軍さんは呑気じゃのう・・・。
おい平八!!このバカタレどもに教えてやれ。
19 :
甲賀源作:2001/08/15(水) 14:14
当時東洋では最大最強だったのが開陽丸。クルップ砲18門搭載他24門装備で3700トンだったか?造船所が鋼鉄で作った方が安いし頑丈と幕府に進言したが幕府は聞き入れず、不敏に思ったヒップス兄弟造船所が船体に銅板を張ったそうだ。
20 :
名無し三等兵:2001/08/22(水) 00:24
>>19 クルップ砲ってどんな砲?
アホに教えてくだされ。
21 :
さーて:2001/08/22(水) 00:27
おお!久しぶりの名スレの予感だ。
おれも阿呆だから、幕末大砲関係、がんがん教えてくだされ!
22 :
名無し三等兵 :2001/08/22(水) 00:54
新撰組をなぎ倒す手回しガトリング1インチ口径(←自信なし)に萌え〜!
23 :
名無し三等兵:2001/08/22(水) 01:01
そんな事よりも
>>1君、スペランカーは虚弱体質だとか散々な事言われてきたけど、
本当は弱くなんかないんだ。スペランカー以外のゲームのキャラクターが
尋常じゃないほど 強いんだよ。
例えばスーパーマリオを見てみようか。このゲームの主人公マリオやルイージは、
ボーナスステージの空の上から落ちても、ピンピン生きているじゃないか。
さらに、海の中を息継ぎもしないで泳いでいるじゃないか。こんなに強靭な肉体の
持ち主なのに、ノコノコとかいう亀にぶつかるだけで昇天してしまう方が
よっぽど不思議だと
>>1君は思わないかい?
スペランカーは、確かに自分の身長より低いところから落下するだけで死ぬよ。
でもこれは、この洞窟がとてつもなく熱いからなんだ。
洞窟の中は密閉された空間なので外からの空気が入ってこないし、
間欠泉や火の粉、謎のガスが噴き出したりしてとても温度が高いんだよ。
スペランカーがちょっと高い ところから落ちた場合、空気との摩擦により、
ものすごい熱が発生してしまうんだ。普通の環境であればこの空気との
摩擦なんて大したことないんだけど、密閉された空間で 高温となると、
この時発生する摩擦熱は想像を絶するほどの威力なんだ。
スペランカーが死んだ時、スペランカーは点滅するだろう?
これは実はスペランカーが気化して いる状態なんだ。あまりの熱で、
一気に固体から気体へ状態変化してしまうんだ。恐ろしい洞窟だね。
この辺の状態変化は、
>>1君がもう少し大きくなったら科学の授業で
習うと思うよ。
もちろん、スペランカーは通常の状態であれば、耐熱服を装備しているし、
摩擦熱が最低限になるようにちゃんと計算して移動しているんだ。
そんないつ気化するかわからない ような危険な洞窟に入ってまで欲しい財宝とは、
一体なんだろうね。そっちの方も気になるね。
24 :
名無し三等兵:2001/08/22(水) 01:01
そんな事よりも
>>1君、スペランカーは虚弱体質だとか散々な事言われてきたけど、
本当は弱くなんかないんだ。スペランカー以外のゲームのキャラクターが
尋常じゃないほど 強いんだよ。
例えばスーパーマリオを見てみようか。このゲームの主人公マリオやルイージは、
ボーナスステージの空の上から落ちても、ピンピン生きているじゃないか。
さらに、海の中を息継ぎもしないで泳いでいるじゃないか。こんなに強靭な肉体の
持ち主なのに、ノコノコとかいう亀にぶつかるだけで昇天してしまう方が
よっぽど不思議だと
>>1君は思わないかい?
スペランカーは、確かに自分の身長より低いところから落下するだけで死ぬよ。
でもこれは、この洞窟がとてつもなく熱いからなんだ。
洞窟の中は密閉された空間なので外からの空気が入ってこないし、
間欠泉や火の粉、謎のガスが噴き出したりしてとても温度が高いんだよ。
スペランカーがちょっと高い ところから落ちた場合、空気との摩擦により、
ものすごい熱が発生してしまうんだ。普通の環境であればこの空気との
摩擦なんて大したことないんだけど、密閉された空間で 高温となると、
この時発生する摩擦熱は想像を絶するほどの威力なんだ。
スペランカーが死んだ時、スペランカーは点滅するだろう?
これは実はスペランカーが気化して いる状態なんだ。あまりの熱で、
一気に固体から気体へ状態変化してしまうんだ。恐ろしい洞窟だね。
この辺の状態変化は、
>>1君がもう少し大きくなったら科学の授業で
習うと思うよ。
もちろん、スペランカーは通常の状態であれば、耐熱服を装備しているし、
摩擦熱が最低限になるようにちゃんと計算して移動しているんだ。
そんないつ気化するかわからない ような危険な洞窟に入ってまで欲しい財宝とは、
一体なんだろうね。そっちの方も気になるね。
25 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 21:34
>>22 あのガトリング砲は2丁しかなかったからね。
長岡藩では気休め程度だったとか。
銃身かどこかにまたがって撃たなきゃいけないから敵弾に晒されるばかりらしい。
26 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 21:41
不思議と幕末からの海戦のそのほとんどを体験している東郷平八郎。
かれが連合艦隊の長になれたのはそのおそるべき強運もあったらしい。
27 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 21:51
>>26 薩摩海軍 軍艦春日のガトリング砲砲手だったっけ?東郷氏は。
28 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 21:53
東郷平八郎が司令長官になれたのは”運の良さ”を買われてだったよね?
29 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:04
このスレおもしろい。
ただ、幕末の軍事技術的な情報を、軍ヲタはあまり持っていないのではないかと。
某研、さっさと出てこいよ!
30 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:32
>>16ほか
欧米列強の側からしたら、当時の日本などに高価な兵器を売りつけることのほうが、
直接武力でもって植民地化するよりも、割のいい商売だったのだろうか?
今とあんまかわらんのね。
32 :
名無し三等兵:01/08/26 16:20
>>9 さすが百万石の加賀藩だ。
そういえば領内の五箇山で硝薬密造してたそうだけど、硝石なんてとれたのかな?
硝石はけっこうあっちこっとで採れてるよ。
34 :
nanasi:01/08/26 17:57
ハン板で訊いた方がいいかも知れないが、
朝鮮は洋式軍艦を買ったの?
35 :
ななし:01/08/26 18:26 ID:XPt6GYGo
>32
煙硝の製造法
煙硝(硝石)は草を混ぜた土に小便をかけるとできる。
土中のバクテリアによる化学反応である
脱線スマソ
36 :
32:01/08/28 17:22 ID:DpjwJkFE
長岡のガトリング砲だけども、発射薬に黒色火薬を使っていたため
煤で銃身が詰まって連続発射は無理だった・・・とか何かで昔読んだな。
ソース知ってる人います?
38 :
名無し三等兵:01/08/31 23:48 ID:Xo1F0apY
開陽って幕府が武装強化を図って随分と大砲増載してたんだって。だから喫水が深くなって座礁?海中から旧式砲が引き上げられている。
39 :
名無し三等兵:01/09/02 13:56 ID:QbkZm186
宮古湾海戦の土方歳三萌え〜。
作戦自体はドキュソだが。
40 :
名無し三等兵:01/09/02 14:21 ID:7SwLdc3U
>39
春日でガトリング砲撃ってた東郷平八郎萌え
41 :
名無し三等兵:01/09/02 14:26 ID:QbkZm186
>>40 「このたびの勝利は、ひとえに小栗上野介殿のお陰であった」
日本海海戦の後、東郷平八郎談。
42 :
名無し三等兵:01/09/02 14:27 ID:Rv8MI7KY
>>32 便所から採れる。長州は汲み取り便所周辺の土壌を
集めて回ったそうだ。五箇所山は堆肥作りみたいな
方法でやってたけどね。
43 :
名無し三等兵:01/09/03 09:28 ID:8yyvAByg
日本で近代的な火薬を使い始めたのはいつなんだろう?
やはり明治以後?
44 :
名無し三等兵:01/09/03 21:20 ID:nfpw9vk.
>>43 近代的なちゅうのがイマイチよくワカランが、幕末でも四斤山砲だのアームストロング
砲だのあるから、「幕末」ちゅうのが正しいんじゃないかねえ。
45 :
:01/09/03 21:24 ID:iDwj7iFg
幕末も戦国時代みたいに各大名が群雄割拠して争えば
おもしろかったのにねぇ
46 :
名無し三等兵:01/09/03 21:32 ID:L1nuoIL6
それをやらないで済むようにみんな苦労してたんじゃないか
47 :
名無し:01/09/03 21:43 ID:.f87HTNk
>>38 それは、初期の計画案では?初めクルップ砲8門旧式砲12門だったのを榎本がクルップ砲20門旧式砲8門に変更したと思いましたが。(細かい数値がうろ覚えでスマソ)
喫水が深くなっても浅くなっても、あの状況は変わりませんよ。沈没地点が陸に近くなっただけではないですか?
48 :
牢屋の老名無し:01/09/03 21:49 ID:SRFw2pJU
一応群雄は割拠していたかと思われ。ただ積極的に動ける人材が居なかったかと。
49 :
名無し三等兵:01/09/03 22:40 ID:8iUGyZec
宇和島藩は日本で初めて純国産の蒸気船を造ったとか。
50 :
名無し三等兵:01/09/03 23:12 ID:D66E6zM6
age
51 :
名無し三等兵:01/09/04 16:58 ID:pWxdsWC.
>>48 つーかどの藩も金が無く、密貿易で儲けた薩摩と借金幕府以外戦えない。
52 :
名無し三等兵:01/09/04 21:47 ID:jCZcvkzU
>>47 座礁は冗談。
ただ砲の増載の件は、引き上げの際の調査にオランダからの回航時の記録にのってない砲があったと読んだ。
榎本が換装したのは回航後のこと、建造段階のこと?
53 :
名無し三等兵:01/09/06 18:50 ID:bmkL2Jm6
島原の乱の時幕府は軍艦がなかったため、オランダ船に頼んで艦砲射撃してもらったとか。
54 :
名無し三等兵:01/09/06 18:53 ID:QHVbefPo
55 :
名無し三等兵:01/09/06 19:35 ID:8yETVWC.
ポルトガル船に砲撃要請したのは、門司合戦の時の大友義鎮じゃなかったか?
56 :
名無し三等兵:01/09/06 22:05
島原の乱で砲撃した船は商船だったせいか射程がたりず、幕府側の陣に着弾したりして役に立たなかった。
57 :
888get@リーダーかも?:01/09/06 22:06
>>888 きいてアロエリーナ
きのうはぶらっくまんこにくどかれちった
かわいいわねあなただって
でもね、きいてアロエリーナ
そのぶらっくまんこ90式くらい重そうなの
きいてアロエリーナ
そのぶらっくまんこと今週末会うやくそくされちゃったの
きいてアロエリーナ
ぼくあのぶらっくまんこにかてないよ
きいてアロエリーナ
ぼく、こわいよ、ぶらっくまんこがこわいよ
58 :
名無し三等兵 :01/09/07 23:57
確かに旧幕府海軍は当時最強だったけど、率いてた榎本がハッキリ言って
馬鹿だったよね、「徳川家の行く末を見るまでは動かない」なんて言ってた
から平潟には木梨精一郎と河田佐久馬の率いる部隊、新潟には山田顕義の
率いる部隊にそれぞれ上陸を許してしまい、その方面の新政府軍の制圧を
許してしまう。
幾ら強力な海軍を持っていても、その使い方を誤った旧幕府海軍は哀れ
ですね。
一方戦力は旧幕府海軍に劣っていた新政府軍の海軍ですが、こっちは
事実上の新政府軍の司令官の大村益次郎の指揮の元で大活躍してます。
しかし大村って海軍を率いるだけじゃなく、49さんが言ってた
宇和島藩の蒸気船まで設計した天才なのですが、この大村が旧幕府に
居たら歴史は変わっていたと思います。
59 :
名無し三等兵:01/09/08 00:07
888getは死ね
60 :
名無し三等兵:01/09/08 00:18
大村が暗殺されなかったら、今の靖国問題は無かっただろう…
61 :
名無し偵察兵:01/09/08 00:19
薩摩はサトウキビでおおもうけ・・・
62 :
名無し三等兵:01/09/08 20:25
>>58 大村もスゲーが幕府側にとって致命的だったのは、
将軍徳川慶喜が腰抜けだったこと。
鳥羽伏見で真っ先に逃げ出さなければ、
小栗上野介の言を入れて、東海道で官軍を陸海から袋叩きにしていれば、
勝てたはずだが。
63 :
58:01/09/09 00:27 ID:Rw4cnKLU
>>62 そうですね、実際大村自身その戦略をとられるのに恐れて、主力を東海道軍
ではなく東山道軍に振り分けたそうですね。言われて見れば東海道軍の参謀は
海江田信義と木梨精一郎と正直二流の人物ですが、東山道軍は参謀が板垣退助
と伊知地正治、軍監が谷千城と河田佐久馬と後の戦いを見れば活躍してる人間
ばかりですもね。
そう考えると、大村自身旧幕府海軍を恐れて主力兵力は東山道を進ませた
のでしょうが、幸か不幸か海舟が海軍を動かさなかった事によって、二流部隊
の東海道軍が東山道軍より先に江戸についてしまったと(汗)
私も62さんの言う通り旧幕府海軍が本気で戦えば東海道軍は壊滅したと
思うんですけどね。う〜ん勿体無い・・・。
慶喜は天皇大事の水戸史観とかいう思想だった。
どうしても逆賊にはなりたくない一心だったらしいよ。
65 :
名無し三等兵:01/09/13 20:05 ID:42YHD9TM
age
66 :
☆☆☆☆総統バンザイ:01/09/13 20:26 ID:RVPXGWk.
河井継之助が進言したように、鳥羽・伏見の合戦で、京都を包囲して侵攻しなければ、新政府は京都市民を餓えさせ、やがて虐殺して、自滅しただろう。
67 :
名無し三等兵:01/09/13 20:31 ID:mg.Y2.2s
小栗忠順、河井継之助…。
実に惜しい。
68 :
名無し三等兵:01/09/13 20:34 ID:aAURBHJg
>>41 「たとえ売り家になっても、蔵つきです。」
69 :
質問:01/09/16 12:20 ID:M1yscXas
幕府以外、薩長や加賀の他に軍艦を持っていた藩はあるの?
70 :
47:01/09/16 13:07 ID:6af80r.k
時期遅れのカキコ申し訳ないが、
開陽丸は、ヒップス造船所で建造する前の計画段階で、クルップ砲26門搭載艦として設計。
後に財政難と無見識(?)からクルップ砲8門&旧式後装砲を搭載となったが、榎本らの嘆願で
クルップ砲20門搭載で落ち着き、日本回航後に旧式砲を増載したとのこと。
おそらく甲板上に配置していたと思われる。ただ、旧式砲と言うのが何を指すのかが不明で分かりません。
71 :
名無し三等兵:01/09/16 13:18 ID:TMrPXWWI
72 :
名無し三等兵:01/09/16 13:19 ID:z2jzIiag
>>69 土佐藩で建造したらしいよ、屋形船に大砲一門搭載のトホホな代物らしい。
73 :
名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2 :01/09/16 13:21 ID:S1Cej0xs
>>69 佐賀藩は洋物狂いの藩主、鍋島閑叟の元で洋式軍艦を作っていた。
小倉藩も小型洋式帆船を持っていたはず。
土佐藩のは軍艦とは言えんか。
よその全部合わせても、幕府艦隊に比べたらうんこ。
75 :
名無し三等兵:01/09/16 13:31 ID:6af80r.k
3000トンの開陽に1500トンの回天に対して、300トンだの150トンじゃ勝負ににならないっすよ。
76 :
名無し三等兵:01/09/18 23:37 ID:5SfkIS86
軍艦奉行の勝海舟は船ではなんと呼ばれていたのだろうか?
77 :
名無し三等兵:01/09/23 09:53 ID:jPPZLBKI
78 :
名無し三等兵:01/09/23 12:57 ID:5pw759ow
慶応4年1月現在 幕府軍艦
開陽、富士山、回天、朝陽、蟠竜、千代田、観光 計7隻
甲鉄(米国より回航、未引渡し)
日本の中では最強だが大した勢力ではなく、戦闘力があるのは
1000t以上の開陽、富士山、回天の3艦位
腰抜け慶喜が1ヶ月大阪で頑張れば甲鉄(アームストロング砲装備鋼
鉄艦)も幕府に引き渡されていたでしょうに。
79 :
名無し三等兵:01/09/24 10:25 ID:qeicypn2
この時代の艦隊って陣形とかはどうだったのだろう?
80 :
名無し兵曹長:01/09/26 02:15 ID:aD94y.2w
>>69 幕末諸藩で艦船を保有していたのは29藩で合計98隻
内訳としては正式軍艦は5隻(松江藩蒸気船2・久留米藩蒸気船1・
佐賀藩帆船1・薩摩藩蒸気船1)火砲搭載船18隻(10藩帆船8・
蒸気船10)運送船(帆船・蒸気船計75)だった。
保有数順では@薩摩藩17隻A土佐藩8隻B久留米藩7隻C金沢
藩・長州藩・佐賀藩が各6隻D福井藩・福岡藩・熊本藩が各5隻
以下略
>>70 開陽丸の兵装を担当した蘭海軍砲術監督官デ・フレメリーの計画
では、当初ライフル砲6門、無ライフル砲20門が搭載されるはず
だったそうだが、幕府側の強固な要求によりライフル砲16門、無
ライフル砲8門となった。オランダが当初無ライフル砲を多数搭載
させようとしたのは、当時のオランダ海軍の艦載砲が無ライフル砲
からライフル砲へと換装されつつあり、多量の無ライフル砲の余剰
があったためらしい。
>>78 慶応3年時点で幕府の保有する艦船は
@開陽A回天B翔鶴C富士山D観光E黒龍F朝陽G咸臨H蟠竜
I千代田型の10隻では?
>>79 日本で最初の艦隊行動は文久3年12月の将軍家茂の上洛時に、
当時の軍艦奉行並勝麟太郎の建議により幕府艦船5隻・諸藩艦船
7隻(内佐賀藩は幕府艦咸臨を借用)計12隻で行われた。
しかし大坂到着時点で3隻が後落し十数日後到着という有様だった。
艦隊陣形などといえるほどではなく、ただ一列に行進しただけ程度
だったと思われる。幕府・諸藩艦船の最初の戦闘参加は慶応2年6月
に行われた第二次長州征伐時に、幕府・諸藩艦船7隻が陸上砲撃に
参加したのが最初。艦船同士の砲撃戦は既出だが、慶応4年の戊辰
戦争緒戦に行われた幕府側開陽対薩摩側春日が最初。この時開陽
搭載のクルップ砲と春日搭載のアームストロング砲によって砲火が
交えられた。砲撃は2800m〜1200mの至近で展開されたが、砲力
では劣るが速力で勝る春日が遁走(最高速力16kt:開陽12kt)を計り
結局逃げ切りに成功。最終的に開陽25発・春日18発を発射したが
供に命中弾なし、という結果に終わった。
81 :
名無し三等兵:01/09/26 03:54 ID:zKjJ20us
遅いレスでゴメンね。43番だったかな。近代的な火薬という質問。
発射薬のことだったら、無煙火薬の発明だと思うが、これは金属カートリッジ、センターファイア雷管の発明のすぐ後のこと。
市販の銃で言うと1875年前後からです。したがって、維新戦争時の銃はすべて黒色火薬で撃っていたはずです。
村田銃は黒色火薬、国産銃でいうと、明治10年代からの登場になると思います。
なお、それまで黒色火薬を使っていた銃に無煙火薬を入れて撃つというのは、命を賭けた所業ですので、基本的にはやらなかったはずです。
82 :
79:01/09/26 08:03 ID:cm9ZeX2Y
>>80 ありがとう。
しかし凄いな、よく調べたね。
尊敬。
83 :
東京kitty:01/09/26 09:58 ID:UJVg35IQ
慶喜公は断じて腰抜けだったわけではない。
勝っても国が割れ、
外国が入ってくるのが分かっていたので、
敢えて朝廷に下り、
和を尊んだのだ。
目先の、徳川一門の狭い利益のために戦っていれば、
日本は英語とフランス語が公用語の国になっていたことだろう。
巨大な戦力を持っていたにも関わらず、
敢えて戦わず敗戦の将となることに甘んじた
彼の胆力は端倪すべきものだ。
84 :
名無し三等兵:01/09/29 09:32 ID:Lk4sOfYg
あげ
85 :
豊川悦司:01/09/29 09:54 ID:XbF6o1YA
埋蔵金があるって言ってくれ。
86 :
河井継之助:01/10/01 01:46 ID:zEiooUFA
榎本艦隊が新潟に軍艦(開陽丸or回天)を始め数隻を派遣してくれれば北越戦争は長岡藩が勝っていた。
87 :
名無し三等兵:01/10/03 10:14 ID:H/yTn2rM
>>86 たとえ上陸を阻止したとしても、内陸から少しずつ攻められたらじきに負けると思う。
88 :
名無し三等兵:01/10/03 23:58 ID:nmQ9ImkY
89 :
名無し三等兵:01/10/06 22:59 ID:RjyPZB3o
あげ
>>86 新発田藩の裏切り?が発生しない事が前提だろうね
91 :
名無し三等兵:01/10/07 11:13 ID:QohYqQdc
>>90 官軍に押されまくって降伏同然ではなかったっけ。
宮古湾海戦でガトリング砲を撃ちまくる土方萌え〜
94 :
名無し三等兵:01/10/08 23:51 ID:5tCVmBaU
しかし鎖国中は幕府の海軍はなかったのかな?
諸藩にはトン数制限を設けて大型船は建造させなかったようだけど。
95 :
名無し三等兵:01/10/09 00:49 ID:S5WMcWMY
織田信長の鉄甲船は当時どのくらい世界に通用したんでしょうか?
96 :
名無し三等兵:01/10/09 11:07 ID:D23hqvBo
97 :
名無し三等兵:01/10/09 16:43 ID:9ME7ywY2
>>95 武装はともかく、西洋の帆船と違って腐食に強い木材で出来てるわけでは無いので
遠洋航海は無理でしょう。
98 :
名無し三等兵:01/10/09 20:09 ID:8oGs6YIM
>>18 西郷輝彦がこの役やってたんやったっけ?
ワシも一つ覚えてるよ。千代田の艦長のセリフ。
「ジャンプだあああああああああ、ひひひひひひひっひ」
99 :
名無し三等兵:01/10/11 09:22 ID:4BWfxWfs
>>97 当時東南アジアなんかに日本人町があったことからみて
日本の船も結構遠くまで行けたんじゃない?
鉄甲船は見た感じ内海専用っぽいけど。
101 :
小栗上野介忠順:01/10/11 14:06 ID:Ovcv0qMk
>85
「残念ながら、埋蔵金など有りませんな。そんなことより、
公方様の腰抜けぶりには……」
>97
日本船は、ふなくいむし対策に金属板の貼り付けで対応していたんだって。
実は、弱点と言われる逆風航行能力も設計次第では決して低くならない。
一応水密構造という発想自体もあったそうだしね。
ただ、舵の付近に構造的な弱点があるそうで、あまり嵐には強くなく、
舵の付け根の部分から浸水が発生する事が多かったそうな。
>94-95
江戸初期までは海外貿易に関心のある諸侯はジャンク系の船なら所有
してましたし、その船にも外航能力はありました。
が、西洋の船と違って竜骨を持たないため、外殻で強度を支える構造と
なっており、一つ所に力を受けると簡単に壊れてしまいます。
更に鉄甲船になると、上部構造を鉄で覆ったために重心が上昇し、かなり
不安定な船になっているようです(第四艦隊事件を見ても重武装の船が
転覆したりしてますね)。
また天文航法の技術はないので、「あの島の形はこれだから、この辺」と言う
感じの地紋航法に頼らざるを得ず、陸続きの土地しか航海できなかった。
徳川家康時代に、三浦按針などの指導で、西洋式帆船を建造したことはあり
ますが、和船が櫂と帆の併用で、帆は補助的にしか使われなかったのに対し、
西洋船は帆のみが推進力で、いろんな方向から吹く風を受ける、または必要
に応じてマストに昇って折り畳む必要があるため、どうしても操帆技術が要求
されるわけですが、幕府の水軍に属する武士階級(足軽も含めて)は「鳶の
真似が出来るか」と言うことで、その技術の習得を拒んだそうです。
なので、その西洋帆船も単なる港の飾りに過ぎなくなったそうです。
>103
和船も決して帆走主体になっていなかった訳ではないぞ、と主張し、
「帆は補助」と言う学説に対して間違っとると断言している先生も居るです。
彼によれば、どうも船によってはちゃんと帆走航海していたと言う事らしい。
あと、当時の西洋船と比べて云々と言う話に関してもその本で反論がなされていた。
強引に意訳すれば「五十歩百歩、さして変わらん………。」
ただ、構造的な弱さよりも舵の取り付け部の方が弱点としては大きかったらしい。
徳川時代に入ると、航海期間短縮のために外洋を走破している船も結構居るので、
地紋航法のみで航海していたと言うのもおかしい。
一応羅針盤もあったし(ただし品質は滅茶苦茶劣悪)。
105 :
名無し三等兵:01/10/12 16:58 ID:NF5NDrlM
黒潮にのってアリューシャンやカムチャツカに逝ってしまった人もいたな。
106 :
名無し三等兵:
あげ