1 :
SAM2 :
2001/08/08(水) 18:47 アメリカが開戦前から極秘裏に開発を進めていたVT(近接)信管。 日本軍がパールハーバーに飛び立った瞬間に負けが決まっていたようなもの。 エレクトロニクス戦の知識全く無かったのだろうか、日本は・・
2 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 18:55
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ このスレッドは、痴呆老人とシルバー介護士によるやりとりです。 キーボードを叩くことによって脳を活性化するトレーニングなので 一般の方の書き込みはご遠慮ください。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
3 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:02
開戦と同時にアメリカは各分野の専門家が、自分の現状テーマを一切中断 し、戦争遂行のため産・軍・学が一致協力して兵器開発に突入した訳で、 日本みたいなつまらんセクショナリズムも排除。 VT信管の開発もその一環でしょう。開戦前から極秘開発していたとは知りませんでしたが VT信管の実戦登場は確かマリアナ開戦だったような記憶がありますが、 開戦で開発も急速に進んだと思います。 当時のアメリカこそ、世界一の軍国主義国家だった。ということでしょう。 精神主義では戦争に勝てません。だから日本は軍国主義国家ではなかった。 高級軍人官僚は戦争しないで、政治をしていたのですから。
4 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:04
6 :
SAM2 :2001/08/08(水) 19:10
>>3 数1000種類の信管をカーネギー財団で試作、2万Gに耐える樹脂入り信管を
開発。マリアナ開戦で初使用。航空機の進歩により、巨艦主義の時代は
終わったか、と考えるも、防御の重要性に重点を置いて、「原爆に匹敵する発明」
VT信管の存在は、終戦まで日本軍は知らなかったそうです。
7 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:12
どうしてこうも所かまわずのいたずら餓鬼、もとい、書きが多いんでしょうね。 邪魔だから、お下がり。(オシタガリと読まんでよ、オサガリと読むんだからね)
8 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:14
原爆の非や飛行機のスペックばかり語り 無差別都市爆撃の悲惨さやVT信管に興味を示さない日本人
9 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:19
レーダの発想は日本にも昔からあったけど、砲弾の中にセンサーを仕込む 発想は日本では出にくいかも。(ひょっとした考えていた人はいたかもしれないけど) 兎に角、発想力、開発力は段違いですな。
10 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:21
未だにVT神話信じてる奴がいたのか。。 夏だな。。
11 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:22
発想力は劣ってるとは思わんが、なにせ基礎工業力がちがいすぎた。 そういう意味では発想力では日本がうわまわっていた部分はあるかもね 無いものを知恵でカバーしようとして。
12 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:29
実際、どのくらい近接したら爆発したの??
13 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:31
答え:爆発しません 理由:故障がおおすぎるから
14 :
名無し三等兵 :2001/08/08(水) 19:44
>>9 日本でも近接信管あったよ。何も知らんのか・・。
>>15 光電管爆弾の話?あれは実用化というレベルなのかな。作動率はかなり
悪かったようだけど。
対空用近接信管という意味では日本は実験すら成功していなかったので
は?
>>13 作動率5割はそんなに悪い数字かな?
日本人が考え、作り出したものではないですし、 大量生産出来ず、全く役に立たなかった事は事実ですが、 日本にも電波式の近接信管が存在したことも又事実です。 日本が、その存在にすら気付かなかったと云うのは、 全くの嘘です。
VT信管もさることながら、欧米各国の弾幕射撃が凄まじい。 日本の弾幕が地方の花火大会なら米英の弾幕はPLの花火だな・
19 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 23:25
日本には戦艦ように対空用3式弾があったではないか 撃つ前に調整せなあかんけど・・・
20 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 23:30
VT信管はなんせ原爆に匹敵する重要度の高い開発品目だった。 小型の電池管(電池で動作する真空管)から作って戦争中に 間に合わせるからすごい。 ドイツのV2もけっこうやられてるね。
21 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 23:39
VT信管って何?
ヴィーティー
23 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 23:55
ヴいじたいつ!!
24 :
名無し三等兵 :2001/08/12(日) 23:55
>>21 航空機をカモ狩りにする兵器じゃ
25 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 00:01
26 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 00:15
27 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 00:31
>>21 ヴァカというよりトンマな神官
つまりヒ○ヒ○をコケにした兵器さ。
28 :
=24 :2001/08/13(月) 01:08
29 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 01:12
>>19 航空機の機種と大きさで光学的に距離を測り、
発射直前に機械的に調整する三式弾があったらすごかったのにね(笑)
31 :
フェチ :2001/08/13(月) 01:25
>19 「三式弾」、大巡用20糎砲用から有った筈。 >21 「VT信管」、駆逐艦用の5.1吋砲に使用する対空砲弾。簡単にいうと簡易レーダー内蔵で、飛来中近くに飛行機等反応する物が有ると破裂する。 (普通の高角砲弾は撃つ前に破裂させる高度を設定してから使用する。)
32 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 02:43
>20
33 :
:2001/08/13(月) 06:46
VT信管付対空弾の一番のメリットは発射速度が劇的に上がること。 信管調定いらないからバンバン撃てる。向こうの5”、3”は半 自動自由装填、薬莢式なので、ほぼカタログデータの最大値で発射 可能。
35 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 09:43
>>20 V2〜X
V1〜○
NDが先の大戦で実用化されてたら、えらいこっちゃ。
36 :
名無し三等兵 :2001/08/13(月) 18:57
>5.1吋砲に使用する対空砲弾。 露西亜ですか(w
37 :
名無し三等兵 :2001/08/14(火) 00:01
38 :
名無し三等兵 :2001/08/14(火) 00:19
39 :
名無し三等兵 :2001/08/14(火) 00:21
ヴァギナ(V)を叩く(T)
たしかNHKスペシャルでやっていたような。 ほんとにアメリカが国力をあげて作ったっと言った印象。 ンで、カラーで撮影された試験で本当に飛行機を飛ばしてそれを撃ってました。 それはそうと、VT信管は不発が出たときに機密がばれたら困るから 敵に回収されない様に背景に陸があるときは撃たなかったとか言う話がありました。 となると、陸軍では使ってないという理解でいいでしょうか。 (なんか、海軍特権ってこともないのでしょうが) >34 えっと、そうなんですか。 もうちょっと詳しくお願いいたします。
41 :
名無し三等兵 :2001/08/14(火) 01:13
>>40 >>34
>えっと、そうなんですか。
ウソだよ、いちいち真に受けなさんな。
>>41 34の言ってること間違ってる?信管調定作業いらないのなら
その分装填速度が上がりそうな気がするけど。1発当り6秒以
上かかるんでしょ?それともVT信管でも発射前の信管調定作業
必要なのかな?詳しい方説明希望。
でもアメリカ側5インチの発射速度高かったのは薬莢式弾薬
と自由装填によるところが大きかったと思うけどね。
43 :
名無し三等兵 :2001/08/16(木) 04:13
>>42 >でもアメリカ側5インチの発射速度高かったのは薬莢式弾薬
>と自由装填によるところが大きかったと思うけどね。
機構的には日本海軍の12.7cm高角砲も同じ。どっちが優劣と言うことは無い。
>信管調定作業いらないのなら
>その分装填速度が上がりそうな気がするけど。1発当り6秒以
>上かかるんでしょ?
6秒?!
なんだこりゃ(笑)
可能な限り性能の良い物を作ってそれを少数搭載する 日本と、可能な限り早く作れる良い物を多数搭載する アメリカの差?
>>42 6秒というのは三年式の数値だと思われ。八九式は信管秒時自動調定装置
が付いているので1〜2秒程度。それも装填と同時に行われるのでロス少な
し。
薬莢式の方が装填早いというのは事実らしい(装填が自動化しやすいとい
うメリットもある)が、当時ではそんな有意差は出ないはず。ただ九八式10
センチが薬莢式にしたことを考えると、日本も薬莢式に移行する方針だった
かも知れない。
>>45 >八九式は信管秒時自動調定装置
>が付いているので1〜2秒程度。
1秒もかからないよ、ほとんど瞬時に近い。だからドイツが欲しがったんだよ。
敵の進路・速度を計算してから調節して射撃 当たる方がどうかしてるぜ
48 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 12:14
>>47 敵の進路・速度を計算しないと、砲をどこに向けて撃てばいいかもわからないよ。
>>47 敵機の進路と速度のデータなしだと、
VT信管を使ってさえ対空射撃の効果が出ないような気が。
50 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 13:01
対空射撃レーダーとVT信管の組合せで効果があったと思われ。
51 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 14:04
>38 ほんと?しらなかった。 自分は機密保持のための名でVTという言葉自体には、意味がないと聞いていた。
52 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 14:13
>>50 対空レーダーにはヤギアンテナを使ってたんだろうか。
広島原爆の対地距離測定にも使われてたやつ。
ヤギアンテナが大和に積んであったら・・・・
>>52 TV放送も始まってない時代に
八木アンテナ積んでどうするんだYO!
54 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 14:36
>53 まぢでいってるんですか?
55 :
名無し三等兵 :2001/08/25(土) 14:41
>54 ネタと思うYO!
Wartime director of the Applied Physics Laboratory of Johns Hopkins University. Proximity fuze 開発担当部長のモットー I don't want any damn fool in this laboratory to save money. I only want him to save time. We don’t want the best unit, we want the first one. The Navy says so! Who is the Navy? That was only the opinion of the man you were talking to. Run your bets in parallel, not in series. This is a war program, not a scientific program. Shoot at 80% job; we can’t afford perfection. Don’t try for an “A”; in a war “D” is necessary and enough, but an “F” is fatal. Don’t forget that the best job in the world is a total failure if it is too late.
Proximity fuze 生産会社(戦時中) <最終組立> Crosley Corporation Eastman Kodak Company Sylvania Electric Products RCA, Camden RCA, Bloomington McQuay-Norris Company <電池> National Carbon Company <真空管> Sylvania Electric Products <安全装置> Hoover Company Jefferson Electric Company
1945年8月15日までのProximity fuze生産量 <米海軍向け> Mk 32{5”/38} 2,055,132 Mk 40{5”/38} 339,616 Mk 45{3”/50 Mod11} 79,186 Mk 47{6”/47} 27,205 Mk 53{5”/38} 1,280,407 Mk 58{3”/50} 743,594 Mk 59{5”/54} 32,414 Mk173{5” rocket} 11,076 Total 4,568,630 <英海軍向け> Mk 33 340,710 Mk 41 212,042 Mk 56 121,610 Mk 60 216,389 Total 890,751 <米陸軍向け> T73{75mm AC} 1,000 T74{90mm AA} 1,499,750 T75{120mm AA} 621 T76{Lg. How.} 840,515 T76{Lg. How. RB6} 952,594 T76{Lg. How. RB12} 532 T80{Sm. How.} 6,916,665 T80{Sm. How. RB2} 92,668 T80{Sm. How. RB6} 3,787,110 T80{Sm. How. RB12} 118,575 T152{90mm AA Short SD} 780,284 T31{Mk 170 4.5” rocket} 3,071 Total 15,038,385 <英陸軍向け> T97{Brit. Sm. How.} 105,721 T97{Brit. Sm. How. RB6} 568,049 T98{Brit. 3.7” AA} 628,068 T100{Brit. Lg. How.} 82,558 T100{Brit. Lg. How. RB6} 67,081 T149{Brit. 3.7” AA Short RD} 124,238 Total 1,575,715 Grand total 22,073,481
Proximity fuze 実戦評価の一例 米海軍 1944年10月から1945年1月のデータ <対特攻機> 対空火器 撃墜数(1機当りの発射数) 5"/38 using AA Common - 19(1,162) 5"/38 using VT - 24.5(310) 3"/50 using AA Common - 6.5(710) 40mm Bofors - 114(2,272) 1.1" MG - 1(2,231) 20mm Oerlikon - 62.5(8,972) 0.5“MG - 2.5(28,069) <対通常攻撃機> 対空火器 撃墜数(1機当りの発射数) 5"/38 using AA Common - 33.5(960) 5"/38 using VT - 20(624) 3"/50 using AA Common - 4(752) 40mm Bofors - 46(3,361) 1.1" MG - 0(4,764) 20mm Oerlikon - 50.5(7,152) 0.5“MG - 3(15,139) 時限信管に比べてVT信管が圧倒的に有利なのは対特攻機のみ 生還を期さない分、特攻機は突入速度が大きいので時限信管が不利 他方、対通常攻撃機ではその差が縮まる(時限信管の調定が追随可能) 対空火器の真打はVT信管ではなく40mm Boforsと20mm Oerlikonである
開発名称(コードネーム)について “Proximity(近接)”や”Influence(感応)”の単語は禁止扱い イギリス開発側は”Variable time”にちなんで“VT”の名称を採用した。 他方アメリカ側はより類推され難い単語“Posit”、“Pozit”を採用。 (信管を適切な“位置”で起爆可能だから) チーム名は”SECTION T”,計画は”Project A”と命名。 地上戦でVT信管が本格投入されたバルジの戦い以降、 イギリス軍は”Benzo”と名づけ、ドイツ軍は“Electric grenade”と呼んだ。 ドイツ軍はVT信管の残骸を回収して、電気信管である事を知ったが、 その正体が自動近接電波信管である事にはついに至らなかった。
最初の実機発砲テスト 月日:1942年8月12-14日 場所:Norfolk沖停泊中の軽巡洋艦、Cleavland 砲:5“/38 信管:Mark 32(Crosley社製) 標的:無人機(ラジコン)を3機用意 (無人機は過去に何度も通常信管の対空砲火テストを受けたが、 一度も打ち落とされた事は無く、3機用意してあるのは 単に故障に備えたものだった。無人機のスペックは不明) 1機目: 無人機は直ちに撃墜される。 2機目: 無人機は魚雷攻撃を模して、低空でCleavlandに接近、 5“砲10発連射が終了する前に無人機を撃墜。 直ちに3機目の離陸が命じられるが、「当然」準備していなかったので テストは翌日に延期。担当者にはお仕置きが待っていた。 3回目(3機目): 今度は高高度からの爆撃を模して接近するが、 これも火達磨となって撃墜される。 結局、無人機3機を4発のVT信管付砲弾で撃墜してテストは打ち切りとなる。 もちろん記録担当カメラマン達は「初めての無人機撃墜シーン」を撮った。
62 :
Dr. Merle A. Tuve :01/08/28 22:11 ID:Sb51RYKI
電池(Reserve battery)の開発 Section TはNational Carbon社にVT信管用電池の開発を依頼。 1941年春には軽量、小型で発砲の衝撃に耐える電池が量産化されるが、 ハンディトーキーに使う乾電池と基本構造は変わらなかった。 だが乾電池の貯蔵寿命は短く、とりわけ南太平洋の環境では3、4ヶ月しか無く、 これに対し貯蔵期間は半年から1年が見込まれた。 出動中の艦隊で電池交換を行うのは現実的でないとして、 乾電池に代わる寿命の長い電池、つまり湿式電池の開発がスタートした。 併せて小型化も追求される この時点での乾電池開発事情は 米海軍(5インチ対空砲)向け:直径2インチが完成 米陸軍(対空&榴弾砲)向け:必要とされる直径1.5インチが未完成 ここで海軍が「陸軍が使える1.5インチの湿式電池」が完成するまで、 貯蔵寿命の短い2インチ乾電池で我慢すると「異例」の申し出をした。 この自己犠牲のお陰で開発エネルギーを集中でき、陸軍が必要とするときには 1.5インチの湿式電池が間に合ったのである。 (その後海軍は1.5インチ湿式電池に樹脂製パイプを付け、2インチに太くして 信管に収めた) そして電解液(クロム酸)をアンプルに入れた湿式電池が完成。 ガラスのアンプルはクリスマス装飾電球用の機械を転用してGEが生産 (装飾電球も戦時中では売れ無かったが) その後湿式電池の製造は急ピッチで行われ、V-J Dayには 1日で101,000個が製造された
SAGE忘れ
64 :
名無し三等兵 :01/08/28 22:14 ID:VYl/FauA
>時限信管に比べてVT信管が圧倒的に有利なのは対特攻機のみ 「マリアナ七面鳥撃ち」では特攻は無かったけど。
速度が遅ければ時限信管でも充分といっているでしょ。 マリアナでVTが無くても七面鳥撃ちだったということかな?
66 :
名無し三等兵 :01/08/28 22:39 ID:VYl/FauA
神風特攻が出現したのはレイテ海戦からだったけど、 それから米海軍の被害がどんどん増えてるんだよね。 VT信管は確かに強いけどそれで対空防御は万全ってことは無い。 特攻機の多くは対空砲よりもF6Fによる撃墜が多かったろう。 現に米海軍艦載機も攻撃機・爆撃機より戦闘機を増やしてる。
67 :
名無し三等兵 :01/08/28 22:49 ID:S4n/8b6w
>>66 F6Fが爆装できロケット弾が搭載できたから
68 :
名無し三等兵 :01/08/28 22:52 ID:.Y5KqV2w
いちお〜、カミカゼ対策に戦闘機の増強をおこなったはずです
>>67 ・・・海兵隊の戦闘機を乗せたんで、着艦事故が多発したらしいですけど(藁
69 :
名無し三等兵 :01/08/28 23:00 ID:S4n/8b6w
>>68 F4Uコルセアのことかな?
ヘルダイバーがへぼかったのもあるけど
戦闘機に爆装できなきゃ爆・攻撃機を
減らすのは勇気がいると思う。
70 :
名無し三等兵 :01/08/28 23:32 ID:nUtiTOmo
バーリトゥード最強!
71 :
名無し三等兵 :01/08/28 23:38 ID:rz.hWmfw
カミカゼには、発射速度の遅いVT信管つき5インチ両用砲より、 発射速度の速い40ミリ4連装機関砲の方が有効だったはずだけど。 だからVT信管の使える3インチ速射砲を開発したが、 戦争に間に合わなかった。
ある意味では原爆以上の発明かもしれないVT ロシアにその秘密が流出したのはいつ頃?
73 :
名無し三等兵 :01/08/29 10:30 ID:qCW9N1FE
>発射速度の速い40ミリ4連装機関砲の方が有効 撃墜しても突入される可能性があるから、空中でバラバラにしてやらないとね。
74 :
名無し三等兵 :01/08/30 20:02 ID:JgyaBiY2
>>73 だからアメリカ海軍は3インチ速射砲を開発したんじゃないの?
75 :
名無し三等兵 :01/08/30 20:18 ID:u3h8rLtk
>>71 末期には40ミリにもVT付いてたみたいよ。
76 :
名無し三等兵 :01/08/30 20:41 ID:jpYI0eDo
初期のVTって牛乳ビン位の大きさだったんでしょ? 大戦末期にはどれ位のサイズになったんだろう。
自然障害と人工妨害(その1) 開発中のVT信管には3つの弱点が予想、発見された。 ・海面反射波 ・降雨 ・妨害電波 <海面反射による誤作動> 標準局のDr.Huntoonが提出したシミュレーションは関係者の肝を潰した。 彼は「VT信管が規則的な波を打つ海上に低い仰角で発射されると、 高度1,000フィートで海面反射波を目標と感知して誤作動(自爆)する」と 数式証明したのである。 これが本当ならVT信管は海上を低空飛来する目標には無能となってしまう。 皆がDr.Huntoonの数式の誤りを探したが、数式、計算は完璧だった。 結局、彼の誤りはsin波形のような「規則的な波」の仮定にあった。 実際の海原はどんなに規則的に見えても、実は複雑な波の合成から 構成され、反射は絶えずランダムに変化していたのである。 だが、このシミュレーションも全く無視できるレベルでは無く、 初期型のMark 32を用いた海上テストでは仰角が低くなるにつれて 誤作動(自爆)の不良が多くなったのも事実だった。 1943年春には、目標反射波と海面反射波を区別する回路設計がスタート。 R.H.ThayerとJoHn Kuckの両者が増幅回路に AVC(Automatic Volume Control)を付けて解決した。 AVCの働きは以下の通り ・飛翔初期の段階で海面からの連続的な反射(ノイズ)を受けている間は AVCは増幅感度を下げて、起爆を防ぐ。 ・目標に近づくと、目標からの反射波の振幅が大きくなるにつれて、 その周波数もドップラー効果で変化する。 AVCは「振幅と周波数の両方」の変化を受けて感度を上げ、起爆を可能にする。 AVCのお陰でVT信管の動作率が一段と増加したのである。
78 :
とら :01/08/30 22:02 ID:WnPDT1pg
>77 勉強になります。続行を希望します。
79 :
名無し三等兵 :01/08/30 23:18 ID:tFBBRbVI
>>75 いくらアメリカの技術開発力をもってしても、それはないと思ふ。
自然障害と人工妨害(その2) <降雨による電波の減衰> 海面反射対策で採用したAVCも陸戦用のVT信管(対空、対人)には 不要だろうとAPLのスタッフは考えたが、そうは問屋が卸さなかった。 1943年末から1944年初めにかけて、各メーカーが組み立てた 対人用VT信管のテストが行われ、この頃には80%近い作動率を 確保していた。 ところが時には統計的に説明が付かない起爆タイミング誤作動品が続出、 それが雨の日にテストしたVT信管だった。 早速、雨天のテスト行おうとしたが季節は春。アメリカ東部に降雨は 期待できない。そこで気象局に問い合わせて辿り着いた先がパナマだった。 1944年5月19日、パナマでの大規模な遠征テストが開始。 3つの会社からロットの異なる対人用信管T80E6が1,500発用意され 毎日テストが続けられた。 強い雨程、悪影響をVT信管に与えることは直ぐに判ったが、解決方法が 見つからない。信管にワックスを塗ってみたが、殆ど効果が無かった。 連合軍はヨーロッパ大陸に進行するようになり、対人用VT信管の 供給は死活問題となった(晴れるまで砲撃するのを待てとは言えない)。 結局AVC回路が対人用VT信管にも採用された。 この新しいT80E7は旧式のE6よりも晴天下で優れていただけでなく、 パナマの雨中でも1時間に0.68インチの降雨では全く影響受けず、 1.38インチでも僅かに劣るだけだった。
自然障害と人工妨害(その3) <妨害電波> 敵が対空砲射程外から強力な電波でVT信管を誤作動(自爆)させる危惧があった。 逆にドイツや日本がVT信管を開発しても、アメリカは妨害できると考えた。 Tuve博士の「1本の弓に2本の弦を付ける」開発方針により I.A.Zartman とJ.A.Beardenの両者がジャミングの検討を開始した。 彼らが最初に試作したVT信管用ジャマーは可変空気コンデンサー組み込んだ 発信機を用い、周波数を変えながらノイズを発射する仕様だった。 (周波数スイープは1秒間に30回の割合) ジャマーは3フィートのアンテナと共に飛行機の翼端に装着、実験が開始された。 初期型のVT信管に対し、このZartman-Beardenジャマーは非常に有効だった。 VT信管は目標のずっと手前で自爆するか、もしくは不発のまま通り過ぎたのだ。 やがてVT信管にAVC回路が付くと、ジャマーの効率は落ちたが、まだ有効だった。 対人用VT信管も同様にテストされた。榴弾砲から数千ヤード離れたジャマーは 初期型信管であれば砲口を飛び出てから2〜4秒後に自爆させた。 しかしAVC回路付きになると、着弾目標付近にジャマーを設置しない限り 誤作動はしなかった。 Section Tは敵がジャマーを着弾地点に都合よく設置は出来ないと結論づけた。 1944年秋には全ての対空、対人用のVT信管にAVC回路が付いていたが、 終戦までドイツも日本もVT信管に対してジャミングを用いなかったのである。
各位 ひょっとして「激しくガイシュツ」ですか? 過去ログの内容とはダブっていないつもりですが、 小生の持ちネタを踏み台に、新しい情報が出てくるのではと期待して始めました。 「ウザい」「ネタ古い」のであれは直ちに退去します。< To ALL > 78 「とら」様 この辺りの事情が判ればご助言下さい。
83 :
海の人 :01/09/02 18:09 ID:5KAQx58k
>>82 よけいなコメントつけるよりも、まずは読んでいる最中なんでわ:-)
それにしても、「マリアナの七面鳥撃ち」と戦時中であるにも関わらず、その驚異的
な発想と、その実現がNHK特集などで報じられたVT信管にも、まだまだドラマが
隠れているものなのですな。
ちなみに、AVC回路についてなんですが、40mmボフォルスの射撃訓練で
でかい風船にアルミのリフレクタ(4分隊の手作り(笑))をつけてレーダー同期して
打ち落とすっつーのがあるのですが、これがまたヘリウムをケチるもんだから
水面すれすれのシースキマーバルーンになってしまって、対空射撃なのに
水平か、下手すると俯角で打ち込む事があります(^_^;
このときに、横で見ていて「そういやVTって電波の反射で炸裂するはずだけど
海面では炸裂しないの?」と尋ねたところ、射管長に詳しくAVCの話をしてもらった
ことがありました。
>77みて、ちょっと思い出したり(笑)
>83 「海の人」殿 レス有難うございます。 「これが有名な『放置プレイ』か!?」と取り乱しました。 小生は以前、某OR関係のスレに初レス&sage忘れを行ってスレを轟沈させた 前科があるので、生きた心地がしませんでした。 「新しい情報」の書き込み&sage進行協力にも感謝します。 それではマイペースになりますが、ネタの続編作成に励みます。
テスト射撃場であった恐い話 「どこの職場も慣れた頃にヒヤリ・ハットはやって(飛んで)来る」 終戦間際、射撃テストをノース・キャロライナ州 フォート・ブラッグ基地で行っていた時の話。 対人用VT信管をほぼ垂直に地表落下させる目的で 155mm榴弾砲を用いて50発のテスト射撃を計画していた。 VT信管の作動率は「90%を超え」、 155mm砲は「炸薬付きの砲弾」を8〜15フィート円内に収める精度、 まさにテストは楽勝ムード。 普段ならスタッフは狭いバンカーの「中」から着弾を観察するのだが、 今日は何故か「上」で観察した。バンカーは着弾目標から2,000フィートも 離れているので、理由が判らないでも無い。 30発分消化した時に突然、空挺降下の練習機がテスト場の上空を次々と飛来。 安全の為、スタッフは飛行機が完全に上空を離脱するまで発砲を約20分中止した。 その後いきなり発砲を再開、だが20分の間に風向きは逆転していた。 31発目の砲弾はバンカー上のスタッフの後ろ僅か50フィートに落下! それは今日唯一の「不発弾」だった。 (こうゆう四方山話はさすがにマズイですか?)
(それでは対人VT信管の誕生、テスト、戦歴をUPします) 「防御から攻撃へ」(その1) 1943年4月5日、Section TのRalph B. Baldwinは閃いた。 これまで対空用信管の予備実験として砲弾を水面上に撃ち込み、その水面反射波で 空中爆発させてきた。しかし実際には「乾いた」飛行機にもVT信管は反応している。 「つまり目標に導電性があれば、表面が濡れているかどうかは関係ない。 それならば、地表に砲弾を打ち込んでも、水面同様に空中爆発するはずだ!」 榴弾砲で兵隊、特にタコツボに入った兵隊を攻撃するには、 彼らの頭上で爆発させたほうが良いのは判っていたが、実現性が限られていた。 林中の歩兵には、触発信管が枝や幹に当ることを期待して使用された。 機械式時限信管も利用可能だが、各信管の起爆にばらつきが常に残った。 Baldwinはこのアイデアを陸軍のFuluholman大佐に打診、 榴弾砲とその信管に関する基礎知識を聞き出した。 <信管サイズ> 陸軍の榴弾には海軍5インチ砲用のMark32は収まらない。 だが英国4.5インチ対空砲用のMark33に手を加えれば、収まりそうだった。 <砲弾のスピンと速度> 最小で254回転/秒、最大で82回転/秒だった。 対空砲と異なり、榴弾砲は推進用の装薬を使い分けて撃つ。 75mmと240mmは4種類、105mm、155mm、8インチ砲は7種類の装薬 よって29通りの砲口速度とスピンをカバーする必要があった。 また対空砲に比べて榴弾砲は砲口での砲弾速度がずっと遅い。 これは衝撃から信管を守るのは容易だが、他方スピンも遅いので 遠心力を利用した安全装置の動作に懸念があった。
「防御から攻撃へ」(その2) (やはり安全・遅延装置について解説せざるを得ないか?) VT信管には電気雷管を使用、安全装置は雷管までの回路を短絡(バイパス) させるのが定石だった。 開発初期では発射の衝撃で短絡用電線が切れる機構が試されたが、 砲口で爆発する事故が度々あった。 <時限式安全・遅延装置> 最初に実用化したのが「機械時限式」だった。 これは遠心力で駆動して一定時間後に短絡回路を無効にし、 さらに雷管と起爆火薬の間を物理的に「通せんぼ」するゲートも開いた。 こうして信管の後部に装着するRear fitting、Mark1がオハイオ州にある Hoover Companyで1942年6月から量産化された。 Mark1は時限装置、電気雷管、雷管用コンデンサーから構成され、 信管全体としては起爆まで以下のステップを踏む。 1.発砲の衝撃で電気回路のスイッチが入る。 2.衝撃と遠心力でReserve Batteryが活性化、約0.1秒で所定の電圧に。 3.約0.5秒で雷管用コンデンサーが充電される。 4.平行して時限装置が0.5秒後に短絡回路を切り、ゲートをも開く 5.目標を感知するとコンデンサーが雷管へ向けて放電、起爆する。 この仕組みにより暴発事故を100万回に1回のレベルに抑えられたのだ。 <水銀式安全・遅延装置> Mark1の唯一の欠点は、直径2インチ、長さ2.5インチの大きさだった。 これでは信管の小型化が出来ない。 そこで直径0.315インチ、長さ0.53インチの水銀スイッチが Cater Oil Companyの研究所で開発された。 水銀スイッチは中央(安全)側と外周(スタンバイ)側の2つの空間から構成され、 両者は細かい穴の開いた隔膜(吸い取り紙や濾紙を応用)で仕切られている。 中央側には水銀が封入され、その導電性により中心部の接点と壁側が短絡する。 他方、外周側は空である(製造・保管・運搬時)。 砲弾がスピンを始めると遠心力で中央側の水銀が徐々に穴を通じて外周側に浸透、 ついには水銀が中心部から追いやられて、短絡回路が切られる。 もちろん遅延時間は「隔壁の穴サイズ」と「砲弾のスピン速度」で決定される。 (もし細かい記述が不要であれば遠慮なくコメント下さい < To ALL それにしても眠い。書き間違えがあるかも知れないので眉に唾を適量塗って下さい)
「防御から攻撃へ」(その3/完) (話はVT信管の対人用途に戻る) BaldwinはTuve博士のモットー、 “We don’t want the best unit, we want the first one.” を念頭に実証テストの手配を急いだ。 幸いなことに陸軍では各榴弾砲と90mm対空砲の信管は同サイズであり、 彼はMark33(英4.5インチ対空砲)の回路を手直しして90mm砲弾に 収まる様に試作してもらった。 他方、厄介な事も明らかになった。 信じられないようだが、Army War CollegeやField Army Boardの スタッフは「ドイツ砲野砲の空中爆発は非常に脅威だ」と言うだけで、 誰一人、対人榴弾の適切な爆発高度や落下角度についての知見が無かった。 <最初のテスト> 3週間後の1943年4月29日には、テストがAberdeen実験場で開始。 90mm対空砲を用いて100発のVT信管を水面と草地に撃ちこんだ。 爆発高度差から水面と地面の電波反射率の差が求まる算段だった。 対水面落下 正常起爆が18発、不発が39発、早期自爆が43発 平均起爆高度が29フィート。 対地面落下 正常起爆が34発、不発が28発、早期自爆が37発 平均起爆高度が20フィート弱。 注)作動率が低いのは「にわか手作り」の為と思われる 最初のテストは成功し、対人用途の道が開けてきた。
89 :
飛び入り :01/09/06 04:58 ID:2SfctPJ2
ええと、中公文庫「太平洋戦争航空史話」(秦教授著)より ・・・その発想は必ずしも劇的は発想からスタートした訳ではない。第二次世界大戦 が始まる直前の日米両海軍は、共に艦隊防空火力の効果がきわめて悪いことに頭をなやませ ていた。 元来が高速で自由に三次元の空間を移動する小目標に砲弾を命中させようというの であるから、水上艦相手の主砲砲撃より命中率が悪くなるのは当然のことである(中略) (高射砲と高射機銃の)射撃の操方は同じ原理で、目標の進路・速度・距離・角度等の 要素を方位盤と射撃指揮装置ですばやく計算して、あらかじめ一定秒時で炸裂するよう 調整した信管付の弾丸を予想される未来位置に送り出すのである。 ところがコンピューターの能力が航空機の高速化に追いつけず、演習の実績に照らしてみても 、対空砲火で来襲してくる飛行機を撃墜出来る機会は稀で、気休め程度というのが実態であった。 1,2の好例を挙げると、開戦時に空母エンタープライズが装備していた五インチ 38口径高角砲の場合、撃墜率は2、500発に1発、すなわち0,04パーセント と計算されていたという。日本海軍でも開戦後に砲術学校で公算学によって試算すると 4、000発に1発の数字が出たと伝えられている(中略) 砲術学校の第一回対空専攻学生で、開戦時連合艦隊旗艦「長門」の高射長だった千早正降少佐は 「艦隊防空の研究」と題したパンフレットを配っている。少佐はこの中で艦隊防空は高角砲では 成り立たず、100機以上の直衛戦闘機で守るしかない、と悲観的な結論を出している (中略・・・VT信管開発のスケジュールについて書いているのでがいしゅつ省略) 近接信管が使用されるようになってから、日米艦隊防空能力の格差は開く一方となった。 一九四三年に撃たれた五インチ砲弾で通常信管付27、200発に対し9,100発 の近接信管が命中率の五一パーセントを占めたという数字で、その魔術的威力を知る ことが出来よう。大量生産が軌道に載ると日産4万個という天文学的な数字が87社、 110工場から積み出されるに至る。それに反比例してコストも大幅に低下、初期の 1発あたり七三二ドルから十八ドルまで低下した。 悲劇的な事実は日本が最後まで近接信管の存在に気付かなかったことである。米側 が機密保持に万全の対策を立てていたからでもあるが、(前に米軍は残骸が日本軍の 手に入るのを禁じたため使用したのは洋上のみとの記述あり)それでも戦争が終局に近づく とV−1撃墜の為イギリスにも渡し、ドイツ軍最後の反抗となったバルジの戦いでは、 地上放火にも使用を許している。 日本でも、終戦の年の春に近接信管の研究をはじめたという話もあるが、たしかではない。 いずれにしても用兵者の間でこの種の発想は出ずじまいだったと言ってもよさそう である。 と、あります。 ・・・それにしても、「日産」4万発・・・。
で、同書には、米海軍は対空能力の改善を近接信管にだけ依存した訳ではない。 重量の関係で信管が装備出来るのは5インチ砲以上に限られていたし、近接した敵 機に対しては発射弾数の多い機銃の弾幕効果が大きいと考えられていた ともあります。
で、感想 ボフォース40ミリは全特攻機の51パーセントを撃墜っていう米海軍の宣伝 は無論マユツバですが、それでもやはり相当な「壁」だったのは事実でしょう。 また、やっぱりVT信管は効果があるようです。通常信管でも43年時の撃墜率 が上昇しているのはレーダーの能力向上と射撃指揮装置の進化だと思いますが、 そこにVT信管が入れば一気に命中率が向上しています。まさにマジックです。 それにしても日産4万発ってのは・・・。1日で43年度分の5インチ高射砲弾 の発射量を上回る生産量・・・。
ええと、あと 89式は11発・分、 98式は15〜19発・分 米海軍5インチ砲は16〜20発分の発射速度と記されてもおります。
「高まる期待」(その1) 1943年5月11日、Section Tの方針会議には 陸軍と海軍から多数の代表団が参加、 陸軍は対人用VT信管の開発を優先扱いする事に決めた。 榴弾砲の初テスト 1943年6月16日、対空砲に代わり155mm榴弾砲を用いた 最初のテストがスタート。とりあえず地表50フィート起爆を目標にした。 12,900ヤードの彼方にMark45(短縮型)を15発撃ちこんだ結果 空中起爆:9発 早期自爆:0発 接地起爆:2発 不発(電波は発信):3発 不発(発信無し):1発 爆発高度は高性能炸薬の代わりに少量詰めた黒色火薬が災いして 正確な判定は出来なかったが、おおむね33フィート+αとなった。
「高まる期待」(その2) テストは進み、つに8インチ砲も登場。 以下は報告メモの抜粋 AB-1 1/2”Fuze OSRD/SEC.T/APL/S-2403 1943年7月10日 宛:E.D.McAlister 発:R.B.Baldwin 題:最初の8インチ榴弾砲実射テスト(7月9日) 榴弾砲は装薬量=7、砲口初速=1950フィート/秒で発射。 ライフリングから初期スピンは115回転/秒 HE砲弾、M106に信管AB-2を装着 発射仰角=446.2ミル 飛翔時間=40.2秒 射程=15,000ヤード 終端速度=1035フィート/秒 落下角度=642ミル 信管にはTo127とTo128の発信機を5発ずつ用意 MA2G増幅器(衝撃スイッチ無し)、R24J24電池、改良DS-2時限装置は共通。 To128:起爆が5発、不発が0発 To127:起爆が4発、不発が1発 不発弾も最後まで電波が受信された 起爆高度は計画値の半分である、電池の電圧が高すぎるのでは無いかと推定 以上
「高まる期待」(その3) 安全・遅延装置の改良 榴弾砲のスピンは遅いため、水銀スイッチの動作が危ぶまれた。 外周側にエア抜き穴を追加すれば、水銀が速く移動できるが 必要な加工精度が得られなかった。 Jefferson Electric CompanyとAPLの共同研究の末、 ニッケル粉末を押し固めた後に焼結させ、多孔質の容器にした 改良型水銀スイッチが登場。 水銀の流れを安定化するために最高度の焼結冶金技術が用いられ、 遠心分離機にかけて遅延時間をテスト。 中の水銀を調べるためにX線写真を用いた。 榴弾砲のスピン速度は口径や装薬量によって異なるため、 結局12種類の水銀スイッチが用意された。
「高まる期待」(その4/完) 1943年の夏までに多数の知見が得られた。 <装薬量の制限> 榴弾砲発射時に砲弾にかかる衝撃は対空砲に比べて低い為、 装薬量が少ないと電解液アンプルが確実に割れない恐れがあった。 装薬量を変えたテストの結果、 以下の低い組み合わせは推奨できない事が判った。 105mm、155mm、8インチ砲:装薬量が1〜3。 240mm砲:装薬量が1と2 <雲の影響> VT信管が雲を通過しても影響は無かった。 <昼と夜> 昼と夜で感度が変わる事は無かった。 <起伏のある地形> 地面の等高線にそって空中爆発した。 これは時限信管には出来ない芸当である。 但し狭い谷底では、反射電波により誤作動(早期自爆)が見られた。 <仰角の影響> スタッフを驚かせたのは、仰角45度超での命中精度だった。 つまり仰角が大きいほど、高度と射程が安定した。 それ故、高い命中精度が期待できたのだ。
「飛び入り」さん 参加有難うございます。 小生は少し息切れしましたので書き込みを中断し、 モチヴェーションが戻ったら帰ってきます。 今後のネタ話は以下の予定 ・マッカーサー中将へのデモンストレーション ・殺傷効率の最適化テスト ・バルジの戦い ・アントワープ防衛戦(対V-1) ・ドイツとの技術競争考察 ・VT信管の大量生産 ・品質管理 ・戦後のよもやま話 ・日本の光電式近接信管 ・イギリス側の研究 (こんなに風呂敷広げて大丈夫かな?俺)
「デモンストレーション」(その1) 1943年の晩夏には一通りテストが無事終了したが。 課題も2つ残っていた。 作動率はこの時点で平均70%しか無かった。 ドイツや日本軍がVT信管の不発弾や早期自爆を観て 何と思うかは容易に想像がついた。 さらにMark45は未だ試作品レベルであり、 Mark33の手直し品は砲弾に収まりはするが大きすぎて、 75,105mm砲では肝心の炸薬量が制限された。 それでもスタッフは軍上層部に新兵器をお披露目する段階 に来たと考えた。 1943年9月24、25日 中将クラスの視察者が見守る中、テストは開始された。 テストに用いたVT信管は8インチ砲がT84E3(Erwood製)を50発 155mm砲がT76E3s(Eastman Kodak製)を300発 およびスペアとして100発(Erwood製)だった。 作動率は69%、起爆高度は目標の40〜60フィートに対して 20〜25フィートで起爆したが、将軍たちは問題にしなかった 従来の時限信管は飛翔時間15秒を越えると誤差が大きくて 役に立たない事を思えば、砲兵にとって良いニュースだった。
「デモンストレーション」(その2/完) 一通り試射が終わると視察団からあれこれ追加注文が付いた。 1.「155mm砲で最大装薬量、最大仰角で撃ったらどうなるか?」 砲口速度は最大、飛翔時間は1分を超える。 当然、時限信管の作動範囲を大きく上回る条件だった。 VT信管があっさり起爆する様を見て将軍たちは奇跡だと感じた。 2.「Rolling barrageはできるか?」 Rolling barrageとは砲撃中に仰角を僅かに変えて 着弾地点を味方部隊の前進に合わせて徐々に遠くへ前進させる射法 これも問題なし、着弾点は丘超え谷超えて「前進」して行った。 3.「夜間でも問題はないのか? 」 VT信管の作動原理をよく判っていない人が居られた その夜テストが行われ、疑念は晴れた。 そしてテストから5日後にはMark45が完成しだい 100万発の対人VT信管を発注する事が決定されたのだ。
「恐怖の設計」(その1) 秋になると野砲委員会から待望のデータが提供された。 彼らは地上に長さ6フィート,幅1フィート、厚み1インチの木板を 240枚地上に並べ(タコツボに潜む歩兵を想定)、 時限信管を用いて条件を変えながらテスト砲撃。 破片が貫通した孔を勘定、比較した。 グラフに起爆高度と貫通孔数の関係をプロットすると、 確かに殺傷率が最大となる「最適高度」が有りそうだと判った。 例を挙げると 75mm砲:30フィート 105mm砲:34フィート 155mm砲:38フィート 8インチ砲:44フィート 240mm砲:72フィート(外挿データ) さらに個々の口径で、落下角度と最適起爆高度の関係をプロットすると、 角度が大きくなるにつれて、最適高度は低くなることも判った。
「恐怖の設計」(その2/完) 委員会が提供したデータは「タコツボに潜む歩兵」用で、 歩兵が立っていたり、伏せていたりした場合のデータは無かった。 さらにテストが行われ105mm砲を例に挙げれば以下の傾向が判った。 <立った目標> ・10〜70度の範囲では落下角度の影響は殆ど無い ・最高効率を100とすると、起爆高度が10〜40フィート間で 効率は90以上(20フィートが100)となる。 <地面に伏せた目標> ・立った状態に比べて、若干落下角度の影響が出てくる。 ・角度10度では高度15〜70フィートで効率90%超となり、 他方角度70度では10〜40フィートで90%超となる。 <タコツボ内に潜む目標> ・最も落下角度の影響が大きい ・角度10度では高度30〜100フィートで効率90%超となり、 他方角度70度では15〜40フィートで90%超となる。 以上の3データをグラフに重ね書きすると105mm砲の場合、 起爆高度30〜40フィートであれば、「目標の状態や落下角度に係わらず」、 90%超が確保できる事が判った。 T80E8の場合、落下角度が10〜55度の範囲で起爆高度が30〜40フィートに 収まる様に感度が設定されたのだ。
「バルジの戦い」(その1) 1943年10月には待望のMark45が完成。 もちろんMark45は米・英陸軍向けVT信管の総称であって、 75mm、105mm榴弾砲、対地用90mm砲はT80シリーズ、 155mm、8インチ、240mm榴弾砲はT76シリーズと区別された。 1944年夏には100万発超のVT信管が大西洋を渡り、 英国と大陸に密かに集積された。 12月に砲兵部隊に必要な教育を完了させ、 あとは最高司令部の投入判断待ちと計画された。 結局アルデンヌでのドイツ軍反攻が引き金となり、 1944年12月16日、バルジの戦いがスタート。 対空用VT信管が直ちに投入、二日遅れて対人用も使用された。 アルデンヌの反攻までおとなしかったドイツ空軍は、 突如出現し、そして突如居なくなった。 ドイツのパイロットはかつて見たことも無い 猛烈な90mm対空砲火を浴びたのだ。 時限信管とVT信管で12月下旬だけで471機を撃墜したが、 夜間の成績が良いのはVTの方だった。 (低空飛来機には時限式も積極的に使用された) 連合軍のライン川越えの際には、 D−dayの時よりも激しい対空戦が展開 通算1,000機以上が撃墜され、1機を11発平均で 打ち落とす砲兵隊も確認された。
「バルジの戦い」(その2) VT信管が実戦投入されると、ドイツ側に秘密を盗まれる恐れが生じた。 特にドイツから日本へ「秘密」が流れると事は厄介だった。 さっそく調査団が教育指導のかたわら情報収集にもあたった。 実は米本土のテストでドイツの88mm砲に Mark45がすんなり転用できる事が判っていた。 おまけに性能も米国製と同等だった。 だが最後までドイツ側諜報部が秘密を掴んだ形跡は無かった。 VT信管の運用でトラブルもやはりあった。 ある戦域で榴弾砲にVT信管が殆ど使用されていなかったが 担当者に聞いてみると事情は簡単だった。 何とVT信管を付けた榴弾が味方のAOP(空中観測機)を誤って 撃墜してしまったのだ。 それでSection Tは対人VT信管の安全装置を細工して 起爆可能なるまでの安全時間をさらに延ばしたのだ。 (これにより飛翔時間の短い砲撃にはVT信管が適さない事に)
「バルジの戦い」(その3) 対人用VT信管でも次々に戦果報告が挙がってきた。 1.第8歩兵師団がハーゲンの森でドイツ軍パトロールに TOT砲火(Time-On-Target,斉射で同時に弾着)。 敵96人は「ひき肉」になっていた。 2.第82空挺師団によると、橋を渡っている部隊に 8インチを2回斉射、物資と300人以上の被害を確認。 3.空中爆発によりドイツ軍の通信用架線が切断、 戦術通信と砲火管制が混乱に陥った。 4.第104歩兵師団のOP(観測班)がドイツ前線の後方を移動する 部隊を発見。これを60門で砲撃、OPによると数時間も救急車が現場を 往復していた。 5.ライン川のほとりに対戦車塹壕を掘る大勢の民間人を発見。 60門で数回斉射すると、誰一人立てるものは居なかった。 6.戦車6台が森のはずれで野宿しているところを発見、 乗員が外に出てきた所へ、6門のLong TomでTOT。 翌日、装甲の薄い上部を破壊されて行動不能となった戦車と 乗員の死体が見つかった。 7.市街地に立て篭もる敵部隊に集中砲火。 屋根が吹き飛び、屋内の歩兵も街頭に立つ歩兵同様にやられた。 8.戦術上重要な橋に砲撃することでドイツ側の通行は阻止するが、 橋桁等の構造物は事実上無傷で米軍が手中に収めた。 阻止砲火(interdictory fire)と呼ばれた由縁である
「バルジの戦い」(その4/完) やがてPW(ドイツ人捕虜)からもVT信管が語られた。 PWはVT信管を”Magnetic igniter”と呼んだ。 彼らは地球の磁気に反応して起爆したと信じていたのだ。 そして榴弾からは事実上逃れようが無いことも異口同音だった。 着弾点から50mも離れたタコツボ中の兵士が傷ついたのは 理解に苦しむ現象だった。 第84師団に居たPWは彼の同僚2名が、歩哨に立つことを拒否して 処刑されたことを告げた。昼夜問わず、不意に飛んでくる砲弾は 例えタコツボに居ても命の保障は無かった。 あるPWはこう述べた 「これらの砲弾は非常に着弾速度が速く、よって砲弾の接近音を 事前に聞く事はできなかった。音を聞いて隠れ場を探す時間が無い 我々には非常に危険な砲弾だった」 ドイツ歩兵にトラウマを与えたVT信管は彼らの闘争心も奪った。 イタリア戦線でも同様だった。捕虜となった彼らは皆放心状態だった。 良く言われたように「彼らは中和された」のだ。 To ALL これで「対人用VT信管」はネタが尽きました。 しばらくはROMになります。 長いことスレッドを占拠してゴメンナサイ。
106 :
海の人 :01/09/09 22:27 ID:I0nBKdxU
おつかれさまです、また鋭気を養って続きをよませてください:-) 海の人的には、どうしてドイツ軍に同様の発想がなかったのか気になりますね〜。
おまけで「関連サイトの紹介」 1. Crosley's Secret War Effort The Proximity Fuze 59の対空砲火命中率のデータはここから引用しました。 お勧めはMark 53のカット写真とパーツ写真です。 www.warships1.com/W-Tech/tech-075.htm 2. OSRD 科学研究開発局が手がけた兵器、装備の紹介 Proximity fuze, SCR-584 radar, M-9 directorも登場 お勧めは戦時中のLife誌広告 history.acusd.edu/gen/WW2Timeline/OSRD.html 3. VT信管資料集 過去ログで紹介されていたが念のため お勧めは信管回路図 rd.vector.co.jp/soft/dos/hardware/se021125.html 4. ミサイル入門教室 対空射撃理論に興味ある方はどうぞ village.infoweb.ne.jp/~kubota01/
(スレッドの寂しさに負けて再登場。 対空用VTはTVや本でかなり既出だが、ご勘弁を) 「Buzz Bombs」(その1) 1943年の夏、V-1用発射台に気づいた英国側は先制爆撃に打って出る。 450機と2900人の犠牲を払って発射を半年延期させる事に成功。 1944年6月12日には攻撃が開始されたが、 幸いD-dayから6日後で上陸作戦には影響が無かった。 英国のV-1対策としては 「妨害気球」「迎撃戦闘機」「都市周辺の対空砲火帯」の 3つが用意された。 既に英3.7インチ対空砲用の信管は開発を終え、 評価報告書が英国に送られていたにもかかわらず 何故かそこに「VT信管」は無かった。 案の定、「報告書」はある准将の所に死蔵されていた。
「Buzz Bombs」(その2) 話は1943年に戻る。 デンマークのある島に1機の「無人機」が舞い降りる。 直にドイツ側が機体を確保にやって来たが、 すでにデンマーク人が写真を撮り終えていた。 情報は英国を経由してSection Tにも届いた。 さっそく実物大モックアップが製作され、ニューメキシコの 実験場でVT信管のテスト標的となった。 スタッフは対V-1こそ、VT信管が時限信管より優位に立てる 機会と考えたが、まさに正解で戦果は5対1だった 1944年初頭にVT信管を対V-1用に投入すべきか否かで 米参謀本部は大いにもめた。 陸軍航空隊のアーノルド将軍はドイツ側に秘密が漏れることを 恐れて強硬に反対した。 (だが彼ら自身も無用の損失を犯していた。爆撃機が密集編隊で 飛んでいたため、ドイツ対空砲火のカモになっていたのだ) 結局、「水面上で撃つこと」を条件に将軍の同意を得る。 1944年の春にはVT信管が大西洋を渡ってきた。 「荷物」を受け取りに港に来た米国スタッフは呆然となる 徹底した秘密主義の為、誰もが「荷物の事は知らない」と言うのだ。 そしてVT信管は英国Salisburyの森中に密かに運ばれた。 トラックにはトミーガンを持ったMPが同乗して警戒にあたる。 後日、スタッフが貯蔵庫に電話を掛けようとしたが相手に通じない。 そこで電話交換嬢が気を利かせてくれた。 「もしかして、新しい秘密兵器の担当将校さんですか?」
「Buzz Bombs」(その3) 当初、都市周辺に対空砲帯を配置したが、 V−1が人工密集地に落下して被害が大きくなると考え 1,100門が2日で沿岸地帯に移動された。 (ドイツはV−1に何故か超高感度信管を装着、 実際は弾が「かすった」だけで勝手に空中爆発した) しかしこの決定は厄介な心配をもたらした。 時限信管とVT信管では対空砲火の炸裂パターンが全く違う。 V-1の周囲に沿って、砲弾が炸裂する「奇妙な花火大会」は 狭い海峡を隔てたフランス側からでも十分見物できた。 半年後にはバルジの戦いが待っているのだが、 ドイツ情報部は本件を「報告」するが「結論」を出していなかった。
「Buzz Bombs」(その4) VT信管を支援したのがレーダーと照準装置だった。 <SCR-584 Radar> 探索・捕捉・射撃管制レーダー MITのRadiation Lab.でドイツの捕捉レーダー “Wurzburg”に対抗して作られた。 波長:10cm 周波数:3GHz(4バンド) ピーク出力:250kW パルス幅:0.8μs パルス頻度:1707/s アンテナ径:6フィート アンテナ形状:パラボラ ビーム幅:4度(ペンシルビーム) 捕捉方法:コニカル・スキャン 最大距離 探索時:70,000ヤード(65km) 捕捉時:32,000ヤード(29km) 管制時:28,000ヤード(25km) 最小距離:500〜1,000ヤード(450〜900m) アンテナ最大俯角:-9.8度 アンテナ最大仰角:88.9度 アンテナ回転速度:5回/分(探索時) レンジ誤差:25ヤード(23m) 方位角誤差:0.06度(1km先で1m) プラットホーム:K-78トレーラー 総重量:10トン 全長:19.5フィート 幅:8フィート 高さ:10フィート (To ALL M-9 directorの情報は有りませんか? 関連サイトでも結構です。よろしくの程)
「Buzz Bombs」(その5/完) V−1の襲来は80日間続くが、 そのラスト4週間にVT信管の撃墜率は急上昇した。 第1週:24% 第2週:46% 第3週:67% 第4週:79% アイゼンハワー将軍のコメント。 「もしドイツがV−1を計画通り半年前に投入していたら、 ヨーロッパ反攻作戦(Overload)は事実上不可能だったろう」 その「半年間」を稼いだのは空軍爆撃隊であった。 VT信管はそれに報いたのだ!
113 :
海の人 :01/09/13 04:59 ID:QtEv3ZM6
>その「半年間」を稼いだのは空軍爆撃隊であった。 >VT信管はそれに報いたのだ! この2行には無限の感慨がありますなぁ。 今NHK BS1でww2中、英国で設立され独占領下の大陸でのあらゆる不正規戦を 指揮し戦った「SOE(特殊作戦執行部隊)」の特別番組が4回連続で放映されている んですが、こういう名も残らない一人一人の戦士の積み重ねが、VT信管やASDIC ソナーに結実しているのですなぁ。
「アントワープ防衛戦」(その1) ノルマンジー上陸後、連合軍は東へ東へと進軍。 兵站ラインは500マイル以上に伸びきった。 1944年9月24日、Montgomeryはアントワープの港湾施設を無傷で確保。 総延長30マイルの埠頭、632基のホイスト、186エーカーの倉庫 そして100万ガロンの燃料タンクがそこにあった。 10月24日、ドイツが港湾施設を破壊する為にV-1攻撃を開始すると、 翌日には「陸地では使わない」という対空用VT信管の運用方針を見直し、 使用開始を現場の判断に任せる事になる。 12月初旬までは時限式信管のみで守ってきたが、撃墜率40%がやっとだった。 英本土での「勝利」を知っている彼らはVT信管を熱望した。 中旬になってVT信管を投入。 警戒レーダーが20マイル先のV-1を感知すると、残り時間は3〜4分。 悪天候の中を飛来するV-1を砲撃、機影を目視確認できる前に勝負はついた。
「アントワープ防衛戦」(その2) やがてドイツ側は飛来高度を調整。 平均2,300フィートから1,500フィートに低下する作戦に出た。 これはレーダーにV-1が捕捉され難くなっただけで無く、 ドイツ側が思いもよらぬ副次効果をもたらした。 砲火の低い弾道によって自爆装置が起動する前に砲弾が付近の畑に落下、 対空用のはずが「対人用VT砲弾」として炸裂してしまった。 ドイツ側に発見されると一大事である。 急遽、米本土メーカーに自爆タイミングの調整品を出荷要請。 自爆スイッチは砲弾のスピンが飛翔中に衰えることで作動するが スピンは気圧、海抜高度、初速、砲身の磨耗そして仰角にも影響される。 言うのは簡単だが、やっかいな仕事だった。 スタッフは機械計算機を48時間動かし、最適設定を求めた。 早速Kodak社が新しい自爆スイッチを製造し、 Crosley社が砲弾に組み込んだ。 他ならぬチャーチル首相がランカスター爆撃機による シンシナテイからアントワープまでの空輸を手配してくれた。
「アントワープ防衛戦」(その3/完) 2,394機のV-1の内、2,183機(91%)が 迎撃機、時限信管およびVT信管で撃ち落された。 VT信管投入後は、それが戦果を独占した。 第740対空砲部隊は75機中48機を撃墜、 第126部隊は90%をスコア。 それは「部隊一おんぼろな対空砲」にも戦果をもたらした。 港の補給機能は保たれ、ついに連合軍はライン川に到達する。
117 :
雑木林 :01/09/14 17:35 ID:mqK0sOAk
優良スレット認定
118 :
名無し三等兵 :01/09/14 17:56 ID:6UazjX2g
>2,394機のV-1の内、2,183機(91%)が迎撃機、時限信管およびVT信管で撃ち落された。 そんなに撃墜されたんか?、ちょっと誇大すぎるのでわ。1945年元旦の 「ボーテンブラッテ作戦」だって米英軍航空機が結構地上撃破されてるのよ。 (米英軍資料では300機程、ガーランド中将報告では500機程だそうだが詳細は不明) いくら奇襲されたからってそんなに凄い迎撃力があればこの損害は防げたはずだ。
子供の頃、大平洋戦争の記録映画をテレビで見る度に米軍の艦船から放った砲弾が 日本の戦闘機の周りで炸裂していて、空中に無数の爆発煙が漂っているのを不思議 に思ってましたね。 スレの中で何方が指摘していましたが私も詳しい内容を知ったのは、NHKが放送した 「ドキュメント大平洋戦争エレクトロニクスが戦を制す」でした。
120 :
名無し三等兵 :01/09/14 20:10 ID:lGEcWmT6
>119 わたしは、その番組の本を読んだことあります
121 :
名無し三等兵 :01/09/14 20:26 ID:SeV2YxH.
俺も文庫版読んで初めて知った。 日本にも複眼信管なんて物があったということも初めて知った。 「ドキュメント太平洋戦争」再放送してほしいなあ。
「中間報告」 >75 殿 >末期には40ミリにもVT付いてたみたいよ 58と59のデータから、大戦中に40mmへの実用化は無いと思われますが、 もしかしたら実験室レベルでは完成していたのかも? 詳しい方にデータを希望。 >76 殿 >初期のVTって牛乳ビン位の大きさだったんでしょ? >大戦末期にはどれ位のサイズになったんだろう 現時点では具体的な寸法を私は知りません。もっと探せば判るかも? ただ湿式電池の直径(2→1.5インチ)から、電池部分の太さは想像がつきます。 www.warships1.com/W-Tech/tech-075.htmにあるMark 53カット写真に スケールが入っていれば良いのですが残念です(あるいは部品の大きさから 全体を推定してみるとか?) あと私の手持ちにMark 45, 53, 56, 59の集合写真がありますが、 これにもスケールが入っていません。 この写真に定規を当ててそのまま読むとおよそ以下の感じです、ご参考まで Mark 45:長さ35mm X 最大外径9mm X 電池部外径7mm Mark 53:37mm X 13mm X 8mm Mark 56:37mm X 10mm X 7mm Mark 59:40mm X 11mm X 8mm 注)ピントの甘い写真故、0.5mmの誤差はありそうです もちろん、そのものズバリのデータをお持ちの方に是非ご協力を願います。 >97(私です) >・マッカーサー中将へのデモンストレーション “MacArthur”じゃ無いよ、 “McAlister”だよ! 彼がVTと出会うのはマニラでだった。寝ぼけて書き込んだから大勘違い。 「スペルが全然違うだろ!」等のアドバイスは固くお断りします(苦笑。 >113 海の人 殿 >その「半年間」を稼いだのは空軍爆撃隊であった。 >VT信管はそれに報いたのだ! 元ネタは「VT賞賛」のみで締めくくられていたのですが、 感極まって、つい書いちゃいました。 >117 雑木林 殿 「認定」にはかなり早すぎるのと思います。 まだ私が一方的に語っているだけですから、恥ずかしくてたまりません。 裏づけネタ、反証ネタがゾロゾロ出てきたら一人前のスレでしょう。 それでも出来ればsage進行でお願いします。 >118 殿 元ネタを再チェックしましたが、私の読み間違え、書き間違えでは無いようです。 となれば以下のどちらかでしょう 仮説1:元ネタの書き手が勘違い&チェック漏れか? 仮説2:元ネタには「○月○日〜?月?日の期間に」、2,394機のV-1が… とは記載されていません。集計期間や場所を都合良いように操作しているのか? < 各位 私はVT信者でもアンチでも無いので、ご遠慮無く書き込みをどうぞ。 私が皆さんを敵に回しても、賞賛し続けるのは最初の書き込み(56)、 Tuve博士の開発モットーだけです。コテハンも彼に対する尊敬から採用。 57以降の書き込みは「キャラメルのおまけ」だと思っています。 “The Navy says so! Who is the Navy? That was only the opinion of the man you were talking to.” この言葉、昭和18年夏の「あの会議」で曾根さんに伝えたかったな。
123 :
名無し三等兵 :01/09/14 23:19 ID:6UazjX2g
>仮説1:元ネタの書き手が勘違い&チェック漏れか? >仮説2:元ネタには「○月○日〜?月?日の期間に」、2,394機のV-1が… >とは記載されていません。集計期間や場所を都合良いように操作しているのか? 両方だと思います。あの比率が一般的事実なら「ボーテンブラッテ逆襲」 ができたはずはないからです。もっとも過大水増し戦果計算はドイツこそ 凄まじいもので、戦闘日誌を読んでいると全滅させたはずのソ連軍が あとからあとから湧いてきて、まるで幽霊のような印象を受けます。 太平洋戦争での日本海軍も「台湾沖航空戦」をはじめ数々の大本営発表 をしてましたが、全滅したはずの敵艦隊がすぐに、そしてほぼ無傷で 目の前に現れるからすぐにバレて、みんなから信頼されなくなってます。
>123 殿 コメント有難うございます。あやうく騙されるとこでした。 ところで「ボーテンブラッテ逆襲」について教えてもらえませんか? 検索しても出てこないので。
125 :
名無し三等兵 :01/09/15 02:04 ID:ReP9lBI2
As dawn broke on January 1, 1945 every serviceable Luftwaffe
fighter scrambled from bases ranging across northern Germany.
In the desperate effort to get 900 aircraft airborne many older
experienced pilots, now retired from flying duties, were thrown
into the fray. The success of Operation Bodenplatte, a secretly
planned maximum strength effort to cripple British and American
air forces, was to be achieved by mass surprise attacks on their
bases in France, Belgium and Holland. It was a battle fought
at great cost to the Luftwaffe. During the low-level attacks
and aerial battles that raged throughout the day, some 300 Luftwaffe
aircraft were lost. Though 200 Allied aircraft were destroyed, most
on the ground, pilot losses were light.
The paintings takes us right into the action above the Allied air
base at Eindhoven. Me262 jets join a concentration of Me109s and
Fw190s of JG-3 fighter wing, as they hurtle across the airfield
in an assault that lasted 23 minutes, while spitfires form 414
Sqn RCAF do their best to repel the attack. On the ground Typhoon
fighters of 439 Sqn - one of 8 Typhoon squadrons based at Eindhoven
- take a hammering, no fewer than 60 being destroyed or damaged.
http://www.militaryartcompany.com/luftwaffe.htm
>125 文献紹介、有難うございます。 ついでに以下の疑問にもご協力願います(当方、英文に弱いもので) 1. Operation Bodenplatteの場合、連合軍の撃墜スコアは900機中300機(33%) と解釈してよいですか? 2.上記データは「米英軍資料」,「ガーランド中将報告」のいずれでしょうか? >もっとも過大水増し戦果計算はドイツこそ >凄まじいもので、戦闘日誌を読んでいると全滅させたはずのソ連軍が >あとからあとから湧いてきて、まるで幽霊のような印象を受けます たぶん「米英軍資料」だと私は思いますが 3.1945年1月1日のドイツ機損失は「迎撃機+時限信管+VT信管」によるものと 解釈してよろしいですか? 4.この空襲は「老練パイロットによる奇襲」との事ですが、 もし奇襲でなければ当時の両軍実情から見て何%程度の撃墜率になると推定されますか? 5. 奇襲ではないアントワープでの対V-1(無人機)撃墜率は、結局どの程度の数字が妥当でしょうか? 今後ともアドバイスの程、よろしくお願いします。
127 :
名無し三等兵 :01/09/15 09:28 ID:ReP9lBI2
>1945年1月1日のドイツ機損失は「迎撃機+時限信管+VT信管」 >によるものと解釈してよろしいですか? 更に友軍の対空砲火による味方撃ちによる損失も多いです。
レス有難うございます。 「味方撃ち」とは全く考慮外でした。 奇襲だからこそ、そうなったんでしょうね。
129 :
名無し三等兵 :01/09/15 11:16 ID:ReP9lBI2
「戦後」(その1) <信頼性の向上> 第二次世界大戦が終わって振り返って見れば、 VT信管はその役目こそ果たしたが欠点持ちの兵器でもあった。 対人用VTは対空用よりは信頼性の点で少しはましだったが、 3月24日深夜のライン川対岸への集中砲撃時にも、 早期自爆による閃光がまるで照明弾のように夜空を照らした。 貯蔵安定性も完全でなく、耐水性も終戦まで不十分だった。 戦後、APLはKodak社と協力してVT信管の改良に乗り出す。 いわゆる”Permanent model”である。
「戦後」(その2) 1. コンデンサー 戦中使用した紙コンデンサーにはワックスが被せてあったが、 それでも湿気には弱かった。 最初に金属製、後にコストダウンを目的に樹脂フイルムで 覆ったコンデンサーが採用される。 2. 安全スイッチ 水銀スイッチも経時安定性が悪かった。 水銀が化学変化して流動性が失われた結果、不発弾が発生。 結局、信頼性の増した機械時計仕掛けが採用される。 3. ノーズコーンの材質 信管の先端キャップにはエチルセルロース樹脂を用いたが、 この樹脂自体も湿気を通しやすく内部回路が駄目になった。 テフロンの採用により無事解決する。 4. シール 湿気の進入を防ぐため、金属製ダブルシールが採用された。 5. 電極と電解液 湿式電池の亜鉛/炭素/クロム酸の組み合わせは、高温下で急速に能力が低下。 より安定性の高い、鉛/酸化鉛/沸酸の組み合わせに変更された。
「戦後」(その3) 6. 雨への対策 1944年のPanamaでのテストはAVC回路が雨中の動作安定性に役立つ事を見出したが、まだ誤作動は残った。 どうやら雨粒が衝突する衝撃で、真空管からノイズが出ているようだった。 Sylvania社と協力して衝撃対策に成功した。 7. 加速試験装置 高温・多湿化で長期保管した場合の性能劣化を短時間で見極める為、 専用の環境試験装置が採用された。 8. AVC回路の改良 戦中に実用化されたAVC回路は大成功であったが、 それでも戦後には見直しが始まる。 Kodak社は地上砲火向けにCVT(Controlled-variable time)信管を開発した。 その安全回路は最大100秒までの任意の時間で起爆を防止できた。 9. トランジスター 真空管に代わるトランジスターが発明。 1974年には全ての電波・赤外線式近接信管がトランジスター化された。 10. 迫撃砲への応用 1975年には多目的迫撃砲用の近接信管が完成。 触発、遅延、VT(強&弱)が戦場で切り替え可能だった。 テストでは400発中397発(99.3%)が正常動作した。
「戦後」(その4) <赤外線式近接信管> 戦後、Ford TuttleとHerb Trotterの両者がドイツを視察すると、 ドイツ人たちが独自に赤外線式近接信管を開発していた事を知る。 幸いにも戦争中には完成しなかった。 それに刺激されたKodak社は海軍と協力し、対空用赤外線式近接信管の開発に成功。電波式よりも細い赤外線ビームを利用したので、より精度が増した。 この技術は空対空ミサイル・サイドワインダーの近接信管に応用される。
「戦後」(その5/完) 一度、VT信管の成功が公知になると各国はVT信管の製造、採用に乗り出す。 多くの国は米国から供与、技術協力を受けた。 ソ連に対しても技術供与の話が持ち上がったが、やがてキャンセルされた。 G. S. Patton将軍曰く、 「世界中の軍隊がVT信管を装備したら、また新しい戦法を考えねばならないなぁ」
おまけで「音響式近接信管」のサイト紹介 “Topphemlig elektronik 1940-41” home.swipnet.se/sm5iq/zonror.htm 1940年にウプサラ大学で検討が開始される、 航空爆弾に装着して、爆撃機編隊上空から投下、 エンジン音を感知して近接起爆させる計画だったらしい。 当時見習いだった筆者は「開発に成功したとは聞いていない」 語学にたんのうな方、和訳をUPお願いできませんか?
136 :
名無し三等兵 :01/09/16 11:51 ID:U4WqIWtE
>136 有難うございます。本編が終わったらトライします。
(それでは、研究開発、大量生産、太平洋戦線の話をUPして行きます。 「話半分」で読んでください。 皆様も思い出、データ、関連サイトがあれば書き込んでください) 「開発初期」(その1) 話は1940年に戻る。 Tuve博士はSection Tを5つに分けた。 T-1:光電管式近接信管(担当はHafstad) T-2:地上からのパルス送信による遠隔起爆信管(保険策) T-3:電波式近接信管(担当はR.B.Roberts) T-4:電子部品の衝撃対策専門 T-5:音響式近接信管(担当はG.K.Green) 英国チームはT-1とT-2の方式を中心に進めていた。 彼らは砲弾用の近接信管は戦中に間に合わないと考え、衝撃の少ない ロケット弾用での実用化を急いだ「第三善を戦場に送れ」である。 Section Tのスタッフにとって、T-2方式は真の近接信管では無いが、 真空管の衝撃耐久性等の基礎実験には打ってつけだった。 もちろん彼らは「自律型」の近接信管開発を目指した。
「開発初期」(その2) <T-1:光電管式> PE(Photoelectric)信管はWestern Electric Companyの協力により進められた。 信管は100ポンド航空爆弾の尾部に取り付け、Dahlgrenで実験が繰返された。 実験室ではうまく作動したPE信管も航空機から投下、安全装置が解除された途端に早期自爆した。 作動不良の原因を「静電気」と考え、標準局の高電圧研究所にPE信管を持ち込み、 種々の電荷を掛けても不良は再現できなかった。 Herbert Trotterが振動により真空管内で「マイクロフォン現象」が起きているのでは と考えた。種々の振動を与えてオシロスコープで観察するが不具合は無かった。 原因は信管内の湿気が高度10,000フィート上空で結露、真空管の配線に付着していたのだ、ワックスで回路を保護すると早期自爆はピタリと止んだ。 次はPE信管付爆弾を敵爆撃機に当てる模擬テストが行われた。 海軍のTBD爆撃機が高度8,000フィートに上昇し、 長さ25フィート・直径4フィートの黒い吹流しを曳航した。 高度10,000フィートから別の飛行機がPE信管付100ポンド爆弾をノルデン爆撃照準機で 吹流し目掛けて投下した。2機の位置、進路、速度を調整する必要があったが、 PE信管は吹流し付近で起爆した。 初テスト終了後、曳航機は着陸前に吹流しのワイヤーを切り離そうとするが失敗、 どんなに曲芸飛行してもワイヤーは外れなかった。 ついにパイロットは観測者として後部銃座に同乗したTrotterに 「地上の高圧電線に吹流しを引っ掛けて外す」と告げた。 パイロットは無事成功させるが、知らせを聞いたTuve博士は直ちに 「テスト飛行機に乗ってはいけない人物」の名簿を作成させた。 また別の日には投下タイミングが遅れて、爆弾が真下にある橋の6フィート脇を掠めて 起爆する事故があった(幸い爆弾は発煙火薬仕様)。 スタッフは橋に対しても信管が感応したので大成功だと述べた。 だがPE信管の検討は打ち切られ、ついに実生産される事はなかった。
「開発初期」(その3/完) <T-3:電波式> 先行者の英国から提供された情報は貴重だった。 耐衝撃性はさておき、電波式近接信管の基本回路が入手できた。 (英国チームはやがてT-3方式を打ち切ることになる) さっそくRobertsらは電波式近接信管のモデルを作成。 10x15x2.5インチのシャーシに発信機、増幅器、乾電池を詰めて ダイポールアンテナを天辺に取り付けた。 これを室内に置き電波の放射パターンを測定、実験は手探り状態だった。 <T-4:真空管の耐衝撃テスト> ”Rugged tube test”も平行して開始。 やはり英国から提供された耐衝撃真空管を手がかりにテストが続けられた。 衝撃対策が施された真空管はビルの屋上から地面に落としたり、 自家製の1.6インチ砲で撃ち出したりした。 1940年末には海軍から骨董品の37mm砲を譲り受け、その後57mmに更新された。 ポトマックにあるStump Neckテスト場で垂直に砲弾を打ち上げては、土中から回収して評価が行われた。 テスト信管は電波を発信しながら撃ち上げられ、その電波を受信する事で「真空管」の無事が確かめられた。 そして地表落下寸前にパルスを送信、信管が応答信号を出すことを確認した。 最盛期には1週間も昼夜連続のテストが実施され、1日で780発に達した。 <T-5:音響式> 高周波を用いた音響式信管は雑音に弱く、実用化の見込み無しとされた
七面鳥射ち保全
「真空管」(その1) VT信管の回路には4本(後に5本)の真空管が必要だった。 三極管が発信用に1本。 四、五極管が増幅用に2本。 サイラトロン管が起爆スイッチ用に1本である。 航空爆弾やロケット弾用とは異なり、対空砲弾用には2万Gの衝撃と 毎秒400回転以上の遠心力に耐えることが要求された。 当時RaytheonやHytron社で生産されていた補聴器用の真空管を基に テストは進められた。補聴器の真空管は長さ1.5インチ(38mm)、 長径0.38インチ(9.5mm)、短径0.25インチ(6.3mm)の楕円柱状であった。 だが市販の真空管は衝撃に耐えられなかった。 目標を満たす為、1940年9月には猛烈な開発がスタート。 1941年4月20日には初めて真空管が「活きたまま」37mm砲から 撃ち出され上空で電波を発信した。5月には7発中2、3発の割合で成功。 VT信管が夢物語で無いことが証明されたのだ。 だが真空管の耐衝撃信頼性は1941年後半まで95%を越える事は無かった。 この真空管を4本用いて回路を構成すると回路全体の信頼性は95%の4乗、 つまり81%以下になる事を意味した。
「真空管」(その2) 1942年初頭には真空管の大量生産が開始。時には正体不明の歩留まり低下に 襲われることもあった。不合格となった真空管はまとめて海に投棄されたが 「秘密」のいくつかがボストンの魚市場に紛れ込む騒ぎもあった。 現代では容易な真空管の微細加工も1940年代の技術では困難を極めた。 Sylvania製T-3真空管は重さが僅か3グラム弱。 フィラメントは太さ0.00075インチ(20μ)x長さ1インチであり、 その加工には顕微鏡が必要だった。 その微細な真空管を2日半で100万本のペース製造するために、 最盛期には数万人が真空管製造に関与したが、その9割は女性だった。 1945年10月号の”Sylvania Beam誌”には当時の様子が記されている。 「工場には数千人もの女性がやって来た。殆どは工場で働いたことの 無い人ばかりだったが、銃後の守りに集まった。 それまで主婦、女学生、秘書だった彼女たちは、ケンタッキーの丘から メイン州の海岸にまで散らばるSylvaniaの工場に毎日押し寄せてきたのだ。」
「真空管」(その3/完) 工場で働く従業員は皆、陸・海軍の保安チェックを通過したが、 「真空管」を何に使うのかは説明されなかった。 VT信管を組み立てる工場では作業が区分化された。 もちろん彼ら(彼女ら)は聞こうともせず。例え知っても喋らなかった。 秘密は守られたのである。 同盟国の英国は厄介だった。 VT信管の製造について米国はいろいろ情報を提供したが、 Sylvania社で製造されている真空管の量だけは教えなかった。 英国側は憤慨し何とか知ろうとした 当時フィラメントにはタングステンが使用されており、 Sylvania社はタングステンだけで製造していたので、 実は英国側にも製造量が推測可能だった。 結局、全ての情報が英国側に提供された。
<ある感想> 「ごきぶりホイホイ」が登場してしばらくの頃、 私は以下のような噂を耳にした。 「北米でも販売されたが、日本のようには売れない。調査したところ、 アメリカの主婦は手先が不器用で「ハウス」が組み立てられないのだと。」 当時リアル中坊だった私は笑い転げたが、 今思えばそれはとても失礼な事だった(反省)。 でも深夜の通販TVを観ると「やはり本当か!」とも思ったりする。 誰か真相を知りませんか?
146 :
名無し三等兵 :01/09/19 22:13 ID:1Z0lhdwU
147 :
名無し三等兵 :01/09/19 22:53 ID:OlRwF.vA
ゴキブリホイホイですが、ちゃんと売れてHouseholdになりましたよ。 商品名はCockroach Motelだと聞きました。
>147殿 有難うございます。 あれはやはりデマだったんですね。
「サービスチーム」(その1) VT信管の開発、生産に目処がつくと、Section Tは 戦場での教育、調査、評価を行う体制が必要と考えた。 米軍と英軍のニーズを探るため、E.D.McAlisterを長とする サービスチームが発足した。 1942年10月当時は1日に500発分のVT信管が製造され、 カリフォルニアの貯蔵庫で砲弾に装着した。 その内の10%は抜き取られ、実射テストに掛けられた。 合格した砲弾は空母“Wright”に積まれてニューアレドニアにある Noumea貯蔵庫に運ばれる。近くには巡洋艦へレナ、 空母サラトガとエンタープライズが待機していた。 スタッフは太平洋艦隊の隊員から「新兵器」に有りがちな 疑いの眼差しを浴びてレクチャーを開始する。 ある駆逐艦がVT信管での対空戦を初経験した時のこと。 日本の爆撃機が襲来した際、時限信管を併用せずに 「VT信管のみ」で対空砲火を使用した。 だが照準が悪いために砲弾は1発も敵機のそばで爆発しない。 幸い日本軍の投下爆弾も外れて事無きを得るが、 艦長は「VTなんぞ今後一切使うな!」と怒った。 スタッフは艦長らと面談「従来の時限信管と混ぜて使うのが ポイント」だと説明し、他所の艦での成功例をアピールした。 レーダー射撃管制装置を修理し、無人標的機を3発目で 撃墜してみせた。もちろん誤解は解けた。
「サービスチーム」(その2/完) やがてマッカーサー将軍が「約束を果たす」とマニラ近郊で VT信管の説明会が開かれた。将軍は欧州での成功を聞いて、興味津津だった。 高湿度の船倉で長期間運ばれてきた信管に不発が多い事がこの頃に判明する。 1945年7月、ニミッツ提督は「カミカゼ」に対抗する為なら 新しい信管を空輸して全艦隊のVT信管を総入れ替えすると言った。 原因究明を始めて3〜4日後には犯人が判った。 電気雷管を発火させるコンデンサーが湿気でやられていたのだ。 不発の多いロットはSprague Electric社製のコンデンサーを使用。 同社はシーラント剤で作業者が手にかぶれるとしてAPLに内緒で 組成を変更していた。 大規模な交換作戦が終わった時、広島に原爆が投下されていた。 (次回「太平洋の戦い」をUPして完結です)
「太平洋の戦い」(その1) ヘルキャット、対空輪形陣、レーダー、近接火力と共に 5インチ砲から撃ち出されるVT信管は艦隊防空の基礎を固める。 <巡洋艦ヘレナ、ガダルカナル沖> 1943年1月5日に僚艦と共にいた所を 日本の爆撃機4機に不意を突かれる。 幸いヘレナは被弾せず、一直線に逃げる敵機目掛けて 5インチ砲(Mark 32)を斉射。2回目で1機が撃墜された。 他の1機はワイルドキャットが仕留めた。 <艦名不明、マキン島沖> 敵機に4回斉射、後半2回はMark 32を使用。 3回目で命中、敵機は海上に墜落した。 <艦名不明、ツラギ沖> 5インチ砲を発射。3発目が敵機を完全に捕らえ撃墜。 <艦名不明、サンクリストバル沖> 夜間に敵十数機が輸送船団に雷撃を仕掛ける。 5インチ、40mm、20mm、機関銃で反撃、5機を撃墜した。
「太平洋の戦い」(その2) VT信管の実戦効果はどの位なのか? ミシガン大学のDr. Dennisonが率いる科学者が VT信管と時限信管を統計比較した。 「1943年内に5インチ砲で撃ち出された対空砲弾の内、 75%が時限信管、残りの25%がVT信管だった。 そして同期間に撃ち落された敵機の内、 49%を時限信管が、残りの51%をVT信管が仕留めた。 両者の戦果を比較すると1対3になる。 よって大砲が3倍に増えたようなものだ」と報告された。 (集計期間がずれているがミシガン大学の報告と 私が59で紹介したデータを比較してみると、 59の「対特攻機」と「対通常攻撃機」を一緒に混ぜて 5インチ砲での戦果のみを比較する。 時限信管は計54,238発を使用して計52.5機を仕留める。 19機x1,162発/機=22,078発 33.5機x960発/機=32,160発 他方VT信管は計20,075発を使用して計44.5機を仕留める。 24.5機x310発/機=7,595発 20機x624発/機=12,480発 すると対空砲弾の内73%は時限信管、27%がVT信管を用い、 撃墜機のうち54%を時限信管、残りの46%をVT信管が 仕留めた事になる。 集計期間の違いを考慮すれば、ほぼ同じ生データを基に 統計比較されたと見て良いだろう。 だが得られたVT信管への評価は異なっていた。 「神話」はこんなところから生まれるのかな?)
「太平洋の戦い」(その3/完) もちろんVT信管の真の姿がどうであれ、 多くの米国将兵がそれに期待して感謝して勇気づけられて 進軍できたに違いない。 硫黄島の戦いでは近接信管が地上砲火、航空爆弾にも採用される。 日本軍も浅田博士の努力により独自の光学式近接信管、 「有眼信管」を生み出すが既に遅かった。 ある米側の記録によると、 「1発の1700ポンド爆弾を積んだ攻撃機「銀河」がサイパンの 飛行場を空襲。爆弾は地上35フィートで起爆し、駐機してあった 複数のB-29が破壊された。 だが硫黄島の陥落により、その成功が繰返される事は二度と無かった」 おしまい。
「引用文献」 Section Tで対人用VT信管の考案したBaldwin氏の回想録です “THE DEADLY FUZE. Secret Weapon of WW II” Ralph B. Baldwin Jane’s Publishing Company ISBN 0-354-01243-6 私はAmazon.comから古本で入手しました。 皆様、長い間ご迷惑をお掛けしました。 これで完全にネタ切れです。 邪魔だったらレスを削除されても結構です。 明日からはゆっくり眠れそう。
155 :
海の人 :01/09/21 01:21 ID:sZm92Vc2
おつかれさまでした。 このスレも永久保存版にしとこ・・・ゴソゴソ これに懲りずに、また新ネタあったら「続」とか「新」とかで、また続けて下さい よろしくお願いしますです:-) どうもありがとうございました:-)
おまけで「ビデオの紹介」 VT信管のビデオテープが米国で販売されている様です。 ドキュメンタリーTV番組のコピーと思われるが、 私は未だ入手していません。 発売元:www.wgvu.org/store/deadlyfuze.html タイトル:"The Deadly Fuze: The Secret Weapon of World War II 放映時間:60分 価格:22ドル95セント(US内送料、税込み) 海外通販に応じてくれるかは未調査 Yahoo!で検索した米国での紹介、感想記事を読むと 154に紹介した本とこのビデオがネタ元になっている様子。 太平洋戦争中「ベンハム」DD796で対空砲火要員として 同乗していたNicholas Camenares氏も VT信管の「黒いプラスチック製ノーズコーン」が気になって それが電波信管である事に気付いたそうですが、 その全体像を知ったのは、これらのソースに接してからとの事 (www.geocities.com/Pentagon/Quarters/7956/rumors.html) 誰かこれを購入してレポートをUPしてくれる人柱さん、 もとい「勇者様」が名乗りを上げてくれないかな?
おまけで「関連サイトの紹介」(その2) 榴弾と信管について3件をご紹介 1.Fuzes 榴弾の信管別破裂パターンがイラストで紹介 www.peakpeak.com/~darylpoe/tanks/artillery/fuzes.html 2. WWII Artillery Notes, Target Considerations 各種地上目標に対する信管の選択 www.jmkemp.demon.co.uk/artillery/targets.html 3.信管 陸上自衛隊の信管についても記載あり www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1550/fuse/fuze.htm
(短いが対イタリア戦線も追加) 「地中海での戦い」(その1/完) 北アフリカでの順調な作戦進行を受けて米軍上層部は この方面であえてVT信管を投入する事は避けてきた。 しかしシシリー上陸作戦ではかなりの抵抗が予想された為、 ついに使用許可が下りた。 被弾して浸水したSwansonが何とか持ち応えた時、 一機のJu-88が来襲。VT信管による5インチ砲が 計15発で撃墜したのが初戦果だった。 この作戦では対空用VT信管が海上から陸地に向けて発射されたので、 不発弾はシシリーの地面に落下した。 上陸侵攻作戦の最中、専任部隊が浜辺で不発弾を探し廻り 彼らは実際に「原型を留めた信管」を回収してきた。 ここでも秘密は守られたのである。
「VT信管の月別生産量」 対空対人、米英両軍の合計 「*」1つが約10万発 総計2,200万発 <1942年> 10万発未満 <1943年> 01月:* 02月:* 03月:** 04月:*** 05月:* 06月: 07月:** 08月:** 09月:** 10月:* 11月:** 12月:** <1944年> 01月:*** 02月:**** 03月:**** 04月:*****(月産50万発突破) 05月:***** 06月:***** * 07月:***** 08月:***** ** 09月:***** *** 10月:***** ** 11月:***** **** 12月:***** *****(月産100万発突破) <1945年> 01月:***** **** 02月:***** **** 03月:***** ***** ** 04月:***** ***** **** 05月:***** ***** ***** ***(月産150万発突破、ドイツ降伏) 06月:***** ***** ***** ** 07月:***** ***** **** 08月:***** ****(日本降伏) 09月:*** 10月:** 11月:* 12月:
貴重な資料をどうもです。 消費量はどうだったんでしょう?
>160 殿 消費量については現在のところ資料無しです。 どこかにあるはずと思うのですが... 見つけたら必ずUPします。
(新しい電波妨害実験のネタが入荷しました 真偽の程は皆様にご判断をお任せします) 「ECM」(その1) ドイツ側がバルジの戦いの最中にVT信管を「廃品置場」から入手した可能性が有り、 彼らがコピーを作り出す前に対抗策を打つ必要が生じた。 Wright Fieldにある航空無線研究所でジャミング装置の開発が始まるが、 研究所の技師だったJack Bowers中尉は次のように回想する。 「近接信管の事は味方にさえ完全に秘密にされていた。 長い事ここでジャミング装置の開発に携わってきたが『そいつ』は初耳だった」 何故もっと早く対策検討をしておかなかったのか質問すると, 「開発部隊がジャミングは不可能と報告したから」との返事。 開発2週間後に出来たジャマーはVT信管の早期自爆に成功する。
「ECM」(その2) 砲弾自体をアンテナ代わりにする宿命から、VT信管の発信周波数は 180〜220MHzに制限されていた。波長にして1.7m〜1.4mとなる 「APT-4」と命名されたジャマーは、この周波数帯に対して 強力な妨害電波を放射する設計であった。 数台のAPT-4はB-17に実装され、本格的なジャミングテストが エグリン基地で開始された。 このテストに参加したIngwald Haugen中尉の証言によると、 「陸軍が用意した90mm対空砲の上空を飛ぶ段取りになって、 我々は「VT信管+発煙弾」を装填するよう当然要求した。 だが返事はノーだった。」 対空砲担当者曰く「VT信管は時限式よりも1.5インチ長いので、 発煙弾には収まらない」と、 かくして高性能炸薬を用いた「恐怖のテスト」が始まる。
「ECM」(その3/完) 安全の為に照準はわざと30ミル(約1.7度)、後に12ミル(0.6度)だけ ずらされたが、もしジャマーが作動しない場合は砲弾が240フィート (約60m)脇で炸裂する事になった(飛行高度は2万フィート)。 3ヶ月間に1,600発のVT信管に狙われながらB-17はテスト飛行を続ける。 機内では2名のECMオペレーターがやって来る砲弾の電波を受信。 VT信管はCW(連続波)を発信するのだが、砲弾は飛翔途中で僅かに偏芯運動を 起こすので、実際には変調波が受信された。 操縦士や航海士は眼下で炸裂する対空砲火を眺めていたが、時には近くで炸裂した。 テスト後APT-4はVT信管による対空砲火を非常に無力化できるとの結論が出された。 おしまい (またネタ探しの旅に出ます。 間が持たないので雑談でも何でもどうぞ)
165 :
名無し三等兵 :01/09/26 22:32 ID:YDoC3xts
そんなに凄い迎撃力があればこの損害は防げたはずだ。
>165殿 >そんなに凄い迎撃力があればこの損害は防げたはずだ。 何の損害が、何%程度(推測、直感で可)かUPして下さい。 ROMしている方が、判断できないと思います。 私も当時現場に居た人では無いので、下方修正するのは一向構いませんが 正解をもらえなければ困ります。
VT信管の定量的なネタは中々見つかりません(泣 しかしSection T以外にも近接信管の開発に携わったチームの 存在に気付きました。 ベル研究所は標準局のスタッフと共同で“Section E”を設立、 ・空対地用4.5インチ・ロケット弾の光電管式信管 ・航空投下用機雷の磁気式信管 の開発に成功したそうです。 <光電管式> 信管は大まかに3つのブロック、トロイダル状レンズ、光電管そして増幅回路から 構成。レンズはロケットのノーズコーンに装着され、外周方向から光を集めて 光電管に焦点を結んだ。光電管は光を電気信号に変えて増幅回路に送った。 レンズからの入光量が急激に変化すると、増幅回路がサイラトロン管に起爆信号を 送る仕掛けになっていた。これは夜明けや夕方での僅かな光量でも機能したのである。 そしてVT信管と同様に安全スイッチと自爆装置が仕込まれた。 信管先端部にあるレンズは「プレキガラス」と呼ばれる透明なメチルメタクリレート 樹脂が用いられた。レンズは射出成形法にて製造された為に研磨等の後工程が不要だったが、 表面を半透明にするためにスプレーで黒くつや消し塗装を施された。 普通のつや消し塗料ではレンズが痛むため、耐水性シール材と同様に材料選定で 苦労した。 増幅回路等の耐衝撃性を確保するため、各部品は油を含浸させた木材の中に 埋め込まれた後ワックスで固定される。この方法は電気回路が安定する副次効果もあった。 開発のポイントは2つ、約1,000Gの衝撃に耐えられる事と、低コストで大量生産に適している事だった。 ここでベル研が電話機製造を通じて得たノウハウがものを言う。 つまり樹脂加工、ダイキャスト成形、含浸材料、そして配線技術である 大量の光学式近接信管がWestern Electric Companyで製造され、1,000に1個の割合で抜き取り検査が行われた。品質管理をベル研が担当した。
<磁気式> 第二次世界大戦中にベル研究所では別タイプの近接信管が開発された。 それは船舶が地磁気を乱すのを感知する機雷用信管であった。 磁気機雷の為に開発されたこの信管は磁気合金、 とりわけパーマロイと呼ばれる合金技術が要求された。 ベル研究所でパーマロイを発明したG. W. Elmenは後に海軍で 磁気機雷の開発に携わる事になる。 磁気機雷もWestern Electricで製造され、航空機から投下する 最新式の機雷となった。機雷には敵の掃海作業を想定し、 何隻かが通過してから初めて起爆可能となったのである。 機雷投下は高度30,000フィートから「パラシュート無し」に行うことで、 散布精度が高まった。 <出典> Optical and Magnetic Proximity Fuzes-a Survey By Edward A. Sharpe, Archivist SMEC (c) www.smecc.org/pfuze.htm (パラシュート無しに着水したら衝撃は何Gになることやら)
(VT信管だけでV-1をバタバタと撃ち落した訳でない 事を示す別ネタを紹介します) ed-thelen.org/pre_nike.htmlから抜粋 「ロンドン防衛戦」(その1) 1944年6月13日、ロンドンへのV-1攻撃が開始される。 V-1は高度300〜3,000フィート(90〜900m)、 速度360〜400mph(580〜640km/h)で1トン近い炸薬と共に飛来。 最初の9ヶ月で、8,000発のV-1がロンドン目掛けて発射された結果、 2,000人が死亡。2,5000人が負傷した。 もし英国がダブルスパイ化計画で「着弾報告」を操作出来なかったら、 被害はもっと増えただろう。 話は1943年に戻る。 V-1の脅威に気付いた英国のEdward Pile将軍は、 ベル研究所に対空火器管制計算機、"Predictor"を要求。 これはレーダーから敵機の情報を受け取り、アナログ計算機で 90mm対空砲に方位、仰角と時限信管の調定を指示した。 "Predictor"が英国に到着したのは、まさにV-1が飛来し始めた時だった。
「ロンドン防衛戦」(その2) 当初V-1を迎えたレーダーには捕捉機能が無い為、V-1を1機撃墜するのに 平均2,500発が必要だったのがM-9の登場で約100発にまで向上した。 当時の対空砲では時限信管を調定してからブリーチブロックが閉じられるまで 7秒は掛かっていたので、Predictor に7秒後の予想位置を計算させた。 対空砲弾は1秒間に約800mに進むのだが、 V-1を中心とする半径30フィート(9m)の範囲で起爆させるには 時限信管の調定に0.015秒以内の精度が要求される。 しかも砲弾の飛び具合は天候、装薬の温度とロット、砲身の磨耗 によって左右される。VT信管はこの難題に答えたのである。 V-1が低空を真っ直ぐ飛ぶ、絶好の的であった事も対空砲火側に味方した。
「ロンドン防衛戦」(その3/完) それでもロンドン防衛戦の収支(1994年6月〜1945年3月)は V-1発射総数・約8,000機(100%)の内 ロンドン命中:約2,000機(25%) 迎撃機による撃墜:1,847機(23%) 対空砲火による撃墜:1,878機(24%) 妨害気球による撃墜:232機(3%) 故障による中途墜落:約2,000機(25%) 故障墜落を除去すると「迎撃機+対空砲火のスコアは66%」である。 何といっても炸薬1トンの爆発に巻き込まれる危険を冒して迎撃した パイロット達による戦果が半分を占めている。 VT信管は「残り半分」の中でのがんばりに過ぎないのだ。 (アントワープの時は66%+αと考えて良いのかな?問題はαの量ですな)
172 :
SAM2 :01/09/30 19:11 ID:LQFD8I5A
スレ立てたものです。初め、馬鹿にされていたので、放置されているのだろうと思っていましたが、 Dr.Merle A Tube氏が精力的に詳しく書き込んでいてくれたのを 今日発見して、凄く感激しました。その他の方々もありがとうございます。 専守防衛ということで、どんな敵航空機を撃ち落せる防御法(レールガン、テスラ砲、 プラズナー??)を日本が開発したら、アメ公なんかに大きな顔させないのだけれど。 ところで、自衛隊の91式携行対空ミサイルは、スティンガーより性能良いのでしょうか?
> SAM2殿 強引にスレを乗っ取ってゴメンナサイ。 >専守防衛ということで、どんな敵航空機を撃ち落せる防御法(レールガン、テスラ砲、 >プラズナー??)を日本が開発したら、アメ公なんかに大きな顔させないのだけれど 世界中の軍用機メーカーに袋叩きにされそうな恐い技術すね。 民間ジャンボ機に乗っても、乗務員に笑顔でコーヒーを掛けられたりして(妄想) 私だったらその技術を「封印」します。 >自衛隊の91式携行対空ミサイルは、スティンガーより性能良いのでしょうか? 私には判りません。「初心者歓迎〜」スレで聞いたほうが収穫があるのでは?
174 :
名無し三等兵 :01/09/30 23:41 ID:PZC5iZA.
175 :
名無し三等兵 :01/10/03 01:56 ID:24KuJZtQ
雷撃隊の数少ない生き残りの方によると、雷撃隊員もやはりVT信管 の存在を察知しており、その対策法をいろいろ考えていたとのこと。 対策法として、雷撃針路に入った後も、エンジンの出力を調整したり、 フラップや脚を出したりして速度を一定にしないようにしていたとのこと。 この方法を実践した機は帰還率が高かったという。 VT信管の性質上速度の増減速はあまり関係ないから、 機銃弾を避ける分には効果があったのかもしれない。
>175殿 >雷撃隊の数少ない生き残りの方によると、雷撃隊員もやはりVT信管 >の存在を察知しており、その対策法をいろいろ考えていたとのこと。 以前の書き込みで「素人目でも新兵器だと分かった」とありましたが、 やはり雷撃隊の方々は、理屈はともかくその威力を実感されたのでしょう。 続編をぜひ希望します。
(四方山話ですが、埋め草として2件をUPします) <湖底からVT信管を発見> U.S. GEOLOGICAL SURVEYがオンタリオ湖の環境調査のため、 1978〜1996年にわたりN.Y.州ロチェスター付近の湖底を底引き網で 調査したところ、Mark 45信管の部品残骸が多数発見されたそうです。 ロチェスターにはVT信管メーカーだったKodak社があり、スクラップを オンタリオ湖に投棄したものと推定。 さすがに信管本体は発見されず、ノーズコーン、電気回路、電池、水銀スイッチ、 電気雷管が破損した状態で個別に回収。 報告書にはMark 45のカット写真とイラストが添付されていました。 出典:“Survey of Lake Ontario Bottom Sediment off Rochester, New York, to Define the Extent of Jettisoned World War II materiel and its potential for Sediment contamination” By Gregory Kennedy and William Kappel U.S GEOLOGICAL SURVEY Open-File Report 99-237
<空母エンタープライズの報告書> 太平洋戦線で日本軍の航空攻撃(通常、特攻)を受けた米艦船の VT信管関連の報告書(対空戦闘、補給)を探していますが不調です。 以下のGunnery Officer Reportのみが見つかったのでご参考まで 艦船:エンタープライズ(CV-6) 日時:1942年9月1日 (リモコン機撃墜テストの半月後、軽巡洋艦ヘレナ「初戦果」の5ヶ月前) 場所:東ソロモン諸島 報告者:O. L. LIVDAHL Lieut. Comdr., U.S.N. 出典:www.cv6.org/ship/logs/gunnery19420824.htm 主題:1942年8月24日の敵機攻撃について 抄訳:(かなり端折っていますで出典を確認された方が良いかと) ・17時前に敵機を発見。距離8,8000ヤード、方位300〜310度。 40,000〜50,000ヤードで迎撃した戦闘機が急降下爆撃機と雷撃機を多数確認。 快晴で視界は良好だったが、敵機は夕日に潜んで接近してきたため発見が遅れる。 レーダーが16,000ヤード手前で捕捉した時はまだ発艦作業中だった。 ・最後の1機が発艦してから2分後に最初の急降下爆撃機が襲来、 距離4,000ヤードで対空射撃を開始、この機は撃墜された。 ・次に3機の敵機が2方向に分かれて襲来、高度16,000〜20.000フィートから ダイブしてきた。これら敵機はレーダー射撃管制装置でカバー出来なかったので、 各対空砲が照準を現場で合わせた。 レーダーは「雷撃機接近」も伝えてきたが、実際にはやって来なかった。 ・5インチ砲は1.5秒の時限信管(precut fuses)を使用したが結果は良好だった。 対空砲の要員によれば敵機の目視照準は容易であったとの事。 砲弾は敵機の進行先で起爆し何機かは回避運動したが、3機を撃墜した。 ・もし5インチ砲と”influence fuzes”を組み合わせれば、 敵急降下爆撃機に大打撃を与えられるだろう。 ・最初の爆弾命中で動力がストップし、手動で5インチ砲を操作したので 発射速度は半減になった。 ・1.1インチ対空砲は曳光弾で照準を合わせた。照準には経験が必要だが 概して問題は無かった。しかし舷側方向に射撃するときは、 砲座の動きが制限される欠点もあった。照準が合った瞬間に艦がジグザグ運動して、 絶好の射撃機会を逃した事例も複数あった。 砲座はもっと艦首側、艦尾側に移動すべきである。 ・少なくとも敵14機が付近海面に落下、もしくは空中で破壊された。 残りの4機が遠方で墜落したのを確認。 ・弾薬消費量:5”/28 AA Common = 97 発、1.1 = 1500発、 20mm = 12280発、0.50 caliber = 885発 ・20mm砲について(省略) ・艦体への被害について(省略) (すでに砲術担当士官はVT信管の開発成功を知っていたのでしょうか? VT導入後の対空砲戦レポートが気になりますね)
179 :
名無し三等兵 :01/10/09 17:16 ID:31yCtj56
保存あげ
米軍の場合は弾幕が凄いんでVT信管のおかげかどうか分かるんでしょうか?
>180 殿 時限信管と有意差があれば、対空戦闘の当事者(攻撃側の日本軍も含む)は 「何かしら」を感じると私は思います。 砲術担当士官の生報告書ならば噂話や想像が入り込まないと期待をしていますが、 肝心のソレが入手できません(泣
「VT信管の評価について(私案)」 これまでOUTPUT(命中率等)に注目してVT信管の優劣が語られてきましたが 「INPUTに見合うOUTPUTであったか?」との疑問が当然あると思います。 研究開発費は除外しても、信管製造に関わった資材、工場設備、人件費を 別のエレクトロニクス軍需品製造に振り向けていたら米国の戦況は もっと有利になったでしょうか? もしかしたらVT信管は「結果オーライの道楽兵器」、 「単に戦時中の雇用(給与)を確保しただけ」かも知れません。 NBS(標準局)の資料によると戦時中のVT信管生産規模は 全米の電子部品製造業の25%、樹脂成形製造業の75%を占め。 総計2,200万発の信管は関連企業87社、110工場が関与。 総コストは10億ドル、全米の生産コスト・3日分に相当したそうです。 皆様はこのインフラで何を作りますか? 私は月並みな物しか頭に浮かびません(苦笑 ・前線の兵士全員に携帯用ラジオを支給 ・遭難、航法用のビーコン発信、受信機 ・レーダーの生産台数UPに振り向ける ・単に労働力を航空機製造の応援に出す (この程度ならVT信管を作っても良さそうか)
>182 攻撃を防げなかった場合に被ったであろう人的・物的損害及び 復旧にかかる労力などを考えると見合ったと言えるんじゃない でしょうか。 もしインフラを転用するとしたらレーダーによる射撃管制に 資源を集中するとよかったと思います。
相当無理してネタを振って見ましたが、このスレもここらが限界でしょうか? 保存用にとageて下さる方が居られますが、私個人としてはこのまま倉庫行きになった方が 気が楽になります。 それでは最後にVT信管とはスレ違いではありますがレスを下さった皆様への 感謝を込めて、オペレーションズ・リサーチの対特攻機対策をUPします。 関連スレが全部沈没状態でかつ新規スレ立てする程のネタではないので、 艦隊防空の一環として興味のある方はどうぞ。 それでは皆様さようなら。
特攻機とOR」(その1) 表1. 特攻機数と艦船への命中率 (表記は機数/率の順) <大型艦船> ・BB、CA、CL – 48機/44% ・CV - 44機/41% ・CVE、CVL - 37機/48% <小型艦船> ・DD、APD、DM、DMS – 241機/36% ・AP、APA、AKA、AKN – 21機/43% ・LSM、LST、LSV – 49機/22% ・Small craft – 37機/22% 考察 ・突入した477機中、36%の172機が命中。 ・477機のうち、詳細報告が残っているのは365機分のみ。 ・命中した艦船のうち27隻が沈没
「特攻機とOR」(その2) 表2. 艦船の回避運動と特攻機命中率 (詳細報告のある365機について分類。突入機数/艦船命中率) <回避運動有り> ・大型艦船 – 36機/22% ・小型艦船 – 144機/36% ・合計 – 180機/33% <回避運動無し> ・大型艦船 – 61機/49% ・小型艦船 – 124機/26% ・合計 – 185機/34% 考察 ・大型艦船は「回避運動有り」の方が特攻機命中率は下がる。 ・小型艦船は「回避運動無し」の方が特攻機命中率は下がる。 ・どのような回避運動が効果(弊害)あるのかは判断つかないが、 「全速でフル操舵を行わなかった」場合は「回避運動無し」と報告 された模様
「特攻機とOR」(その3) 表3. 回避運動と対空砲火命中率 (突入機数/砲火命中率) <回避運動有り> ・大型艦船 – 36機/77% ・小型艦船 – 144機/59% ・合計 – 180機/63% <回避運動無し> ・大型艦船 – 61機/74% ・小型艦船 – 124機/66% ・合計 – 185機/69% 考察 ・大型艦船は回避運動の有無と対空砲火命中率の関係は断言できない(サンプルが少ない)。 ・小型艦船は回避運動無しの方が対空砲火命中率は向上するが、 小型艦船ほど回避運動によるピッチング、ローリングが影響すると予想される。
「特攻機とOR」(その4) 表4. 特攻機の突入角度と艦船への命中率 「回避運動無し」の艦船への突入機のみを集計(有りでは判断し難いから) 大型、小型艦船を同時集計(艦の形状と対空砲火の配置分布は相似だから) (突入機数/艦船命中率) <高高度からの突入> ・艦首正面 – 1機/100% ・左右舷前方 – 6機/50% ・舷側真横 – 10機/20% ・左右舷後方 – 13機/38% ・艦尾正面 – 5機/80% <低高度からの突入> ・艦首正面 – 11機/36% ・左右舷前方 – 17機/41% ・舷側真横 – 23機/57% ・左右舷後方 – 13機/23% ・艦尾正面 – 23機/39% 考察 ・高高度から突入された場合は、艦首や艦尾側が舷側に比べて艦船への命中率が大きい。 しかし低高度から突入された場合は、舷側が船首、船尾側に比べて命中率が大きい。 ・特攻機の立場から見ると、高高度から突入する場合は有効面積が大きい 船体軸方向が操縦誤差によるミスが小さい。 他方低高度から突入する場合は舷側の方が有効面積は大きくなりミスが小さい。
「特攻機とOR」(その5) 表5.駆逐艦の回避運動と艦体への命中率 上記の考察を検証するために、回避運動した駆逐艦のデータのみを再集計 (突入機数/艦船命中率) <高高度から突入> ・特攻機に舷側を向けた – 6機(17%) ・舷側を向けない – 11機(73%) <低高度から突入> ・特攻機に舷側を向けた – 9機(67%) ・舷側を向けない – 11機(45%) 考察 ・回避運動にて対空砲の効率が低下しても、突入角度に応じて操艦すれば 被害は低減できる。
「特攻機とOR」(その6/完) <提案戦術> 1.「全ての艦艇」は、高高度からの特攻機に対しては舷側を向け、 他方、低高度からの特攻機に対しては舷側を向けないようにすべきである。 (なおこの提案は艦艇に特攻機が命中した際のダメージは特攻機を迎える 角度によって大差が無いとの仮説による。 もし大差があるならば本提案は見直されるべきである。) 2.「戦艦、空母、巡洋艦」は上記の回避運動を「急速」に行うべきである。 3.「駆逐艦および小型艦艇」は上記の回避運動を「低速」に行うべきである。 急速に回避運動すると対空火器の命中精度が低下する。 4.上記の最適戦術を取った艦艇への特攻機の命中率が29%に対して、 そうでない場合は47%であった。 おしまい
191 :
海の人 :01/10/22 05:50 ID:3Zxh7p/m
お疲れさまでした。 また質疑応答などでコメントいただけることを期待しておりますです:-)
192 :
名無し三等兵 :01/10/29 03:19 ID:P5sdwv/l
age
「軍事とコンピュータ」スレで大迷惑を掛けてしまいました。 無視や批判は覚悟の上でしたが、まさか皆さんが完全に引いてしまうとは... もう元のマターリ雑談状態には戻らないのでしょうね。 あの話の続編は準備してあるのですが、たぶん何処のスレでも「はた迷惑」かと 何か良い方法はありませんか?
194 :
海の人 :01/11/02 00:48 ID:vwr0mhFy
>193 をよ?レス付かないだけで、みなさん静聴体制に入ってるだけなんでわ。 かくいう海の人も、ネタ返しにふさわしいのが手元にないので様子眺めになって いますが:-) まぁ、別に荒らしてるわけでなし、小出しに一日1つぐらい出していけば定期刊行に なっておもしろいのでわ:-)
>194 海の人 殿 アドバイス有難うございます。 これから戦線に復帰します。
(「ミサイル回避方法について」スレで ミサイル入門教室HPの久保田隆成先生とVT信管が話題に上ったので、 以前ホームページのアンケート欄に「VT信管の文献を紹介して欲しい」と書いたら 丁重な返事メールを頂いた事を思い出しました。 以下はメールのからの抜粋ですが、防秘の関係上これが限界かなと思いました。ご参考まで) 以下抜粋 さて、VT信管に関する文献ですが、VT信管を単独で採り上げている本はな いようです。 私も、防衛庁内で、1年間、幹部学校(旧陸軍大学に相当)の学生として研修する機会があり、 そのとき ”航空機が対空火器の発達に及ぼした影響について"と題するペーパーを提出しました。 昭和50年のことですが、そのコピーが手元に残っています。 それによると、高射砲の信管は、火道式時限信管、機械式、時限信管、近接信管(VT= Variable Time Fuze) と発達してきたました。 機械式時限信管は、信管測合機によって信管秒時を設定するものですが、 信管測合機を装填のサイクルに組み入れることによって設定時間遅れを極限まで少なくした例が、 90mm高射砲であり、VT信管を組み込んだ例が75mm高射砲で、いずれも、昭和40年代の初期まで、陸上自衛隊で使われていました。 近接信管は、対空ミサイルにも当然使われています。 ただし、ミサイルは、火砲と比べて、容積に余裕があることと、発射時の加速度が少ないこともあって、クリティカルな問題としてはクローズアップされてないのが現状です。 以下に、文献を示します。 歴史に関するもの @ 小山弘健:「図説世界軍事技術史」、昭和18.7、教材社 A 小橋良夫:「兵器図鑑」、昭和47.2、芳賀書店 B フォッグ(小野訳):「大砲撃戦」、昭和47.7、サンケイ新聞社出版局 C 砲兵沿革史刊行会:「砲兵沿革史」第2巻〜第4巻、昭和40〜47、偕行社 ミサイルの信管技術に関するもの @ 「Principle of Guided Missile Design」 , D. Van Nostrand, Inc,Princeton, N. J., 1956 (注: 著者は各巻によって異なります) この文献は、私の記憶しているところでは、全6巻にのぼる大著です。 内容的には、ミサイルの機体、空力、ロケットエンジン、航法はもとより、レーダ、OR、コスト、開発における各種試験などを含んでいます。 ミサイルの開発に携わる人は、一度はお目にかかる、いわば教科書であり、定番でありますので、あるいは、既に読まれいているかもわかりません。 私の手元には、その内、関係分野のコピーが残っています。
さげ
198 :
名無し三等兵 :01/11/15 02:27 ID:5Dt4Bcn2
素晴らしいスレだ
ファルコンには近接信管なかったけど、あれは特殊な例ですナ。