1 :
トキ:
過去スレあれば失礼。学生時代に図書館で「海軍学徒兵硫黄島に死す」
(多田実著)に出会って以来興味が絶えません。日本軍以上の米軍死傷者
。ペリリューと並んで数少ない玉砕しなかったケース。バロン西の戦死
。ここで改めて語りたいですね。また硫黄島の戦いについて詳しい本
とかあればお願いします。
2 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 01:34
「帝国陸軍の最後・特攻篇」(伊藤正徳著)
3 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 01:34
「蝶の硫黄島」(筒井康隆著)
4 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 02:11
海兵隊の側からの記録にも目を通してみては?
ということで洋書も漁ってみましょう。
5 :
伊-400:2001/07/14(土) 02:19
「秘蔵写真で知る近代日本の戦歴12硫黄島の血戦 小笠原兵団と摺鉢山の死闘」
森山康平 フットワーク出版
6 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 02:55
7 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 03:08
あの、漫画で失礼ですが、
「幽霊艦長」水木しげる ちくま文庫
の中の「白い旗」とかどうかしら?
8 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 03:17
坂井三郎氏曰く 海軍航空隊は不足した戦闘機を取りに行くために
「戦闘機搭乗員を一時本土に帰還させて戦闘機を取りに行く」と言う輸送機(1式陸攻)などが来たそうだが
実際輸送機が来ると 上官命令で予定変更、偉い人順に乗って帰ったという。
坂井さんは運良く最終便に乗り込んで
「零戦取りに行ってくる」と残された整備員や搭乗員などに言ったそうだけど
その時に残された日本兵はどんな気持ちだったか?
逆に自分も「零戦取りに行ってくる」と言いつつ
結局硫黄島に戻ることはなかったという・・・話。
坂井さんは心中複雑だったと思う。
9 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 04:20
>>8 硫黄島とは違うけど
笹井中尉や西沢一飛曹、可愛い本田二飛曹などの
戦友を失った悲しみは筆舌し難いでしょうね・・・
10 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 07:59
硫黄島の要塞化がもっと進んでいれば終戦まで維持できたかなぁ。
護衛戦闘機がこなければ対爆撃機戦闘で済んでたのに。
でもそのときは艦載機が来るか。
11 :
トキ:2001/07/14(土) 10:31
みなさんたくさんの情報ありがとうございました。
2は確か光人社文庫で再販されてますよね?探してみます。
3は知りませんでしたので探してみたいですね。
4は一冊ですがロバートシャーウッドかリチャード・ニューカムの
やつをどちらか昔読みましたがタイトルが同じ「硫黄島」だったので
失念。日本軍のロケット砲や迫撃砲のすごさについて書かれてました。
5ははじめてです、ありがとうございました。
12 :
トキ:2001/07/14(土) 10:43
追伸:水木しげるは個人的に好きなんで探してみます。
>8「海軍学徒兵硫黄島に死す」でもそのあたりのこと詳しく書かれています
内地に兵器補充のため出張した陸海軍士官、将校が帰任しないケースが
目立ってきた「あの野郎、とうとう逃げたか。だいたいそういう奴だった。」
と下士官兵は鬱憤を晴らすしかなかった。とか。定期便に無理矢理負傷者を
おろして乗ろうとした陸軍幹部、しかし後ろからP51が突っ込み火だるまに、
とか。この本現在では「何も語らなかった青春」(三笠書房)で再販されてます。
13 :
8:2001/07/14(土) 14:28
さっき8で書いた文章と前後するけど
硫黄島に派遣されていたのは横須賀航空隊(だったと思う。)
戦闘機、攻撃機などで派遣されたけど
残りわずかになった戦闘機、攻撃機を発動機不調の機体等をかき集めて
「横須賀航空隊がここまでやられて恥だ。敵機動艦隊に一矢報いべく体当たり攻撃を敢行する」
って命令が出ましたよね。(当然異論も出たけど偉い人の決定権で実行。)
途中、敵戦闘機との交戦もせず体当たりしろって命令で。
坂井さんもメンバーに選ばれてましたよね。
途中 敵のレーダーに引っかかり戦闘になって為す術もなく撃墜された攻撃機や戦闘機。
結局、敵機動艦隊を発見できず
坂井さんや武藤さん(だったかな?)も生き残って帰還したけど。
もう
「横須賀航空隊がここまでやられて恥だ。敵機動艦隊に一矢報いべく体当たり攻撃を敢行する」
なんて発想で指揮する司令官なんて出てきた時点で
日本は負けていたんだな・・・ と思います。
坂井さんの著書にこのときの心境が書いてあるけど
「硫黄島がどんどん遠くなると辛くなる・・・」みたいなくだりが涙しました。
14 :
名無し三等兵:2001/07/14(土) 19:18
15 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 00:09
>>3 筒井康隆作品を愛読していますが、
戦記モノは初めて知りました。
探そ 探そ
16 :
トキ:2001/07/15(日) 00:36
14>
大変参考になりました。すごく詳しくていいサイトですね。硫黄島の写真は
あまりみたことないので感激しました。日の丸返還の話は思わず目頭が熱くなりました
一式陸攻を利用した地下壕の写真は特に良かったです。
17 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 01:21
>>14 遺品返還の記を読み、胸が詰まる思いでした。
18 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 01:29
硫黄島ってタイトルそのまんまの本もあるよね。
19 :
胸が痛む:2001/07/15(日) 01:39
硫黄島2万の日本軍守備隊将兵の当時の心を想像するとき
まことに胸に染みるものがある。
母国の防波堤として全将兵が一死を賭して迫り来る米軍に対峙した。
ある日洋上を見ると、島を取り巻く無数の艦影。
たえまなくつづく砲爆撃。
完全に包囲された孤島の自分たちの運命を誰もが知りつつ、
決死の覚悟で勇戦した。
やがて間近に上陸軍が迫り来る。乏しい弾薬限られた装備で、
計画どうりの守備戦を見事に果たした。
生き残りは700とも900とも言われるが、その勇戦は未来に語り継がれるだろう。
かれらの思いは死への恐怖が何%で、憂国の思いが何%でといった分析
は無意味のように思える。
確実なのは圧倒的に不利で絶望的状況にあっても、能う限りの
戦いを見せ、最大の出血を敵に与えた、その敢闘の成果である。
戦後を謳歌する私たちはかれらに頭(こうべ)をたれざるを得ない。
そういえば星条旗をおっ立てた海兵隊員達のその後の人生についての
ノンフィクションってありましたっけ?
記憶の片隅に引っかかってるんですけど。
21 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 02:03
22 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 02:08
むかーしの「丸」で読んだような気がするな…
24 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 02:15
実際はその面子の中に黒人が一人いたんだが、
写真は修整され、銅像でも省略されたって話を聞いたことがある。
多分ネタだと思うが。
25 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 02:16
硫黄島より・・アッツ島!
アッツ島の守備隊は全滅したんだって!
悲劇じゃん?初めてのギャクサイ
26 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 04:57
硫黄島の守備砲台が司令官の命令を守らずに発砲し、空母に打撃を与えたけど
位置を暴露され、戦艦の艦砲のエジキに。
あの時、司令官の言いつけを守って発砲しなかったら、どうなっていたかな。
空母に命中弾?
28 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 05:17
>>27 ひょっとして、空母に大打撃を与えたと思っていない?
29 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 10:36
>27
少し戦史の勉強してからカキコした方がいいぞ。
30 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 11:10
>>26 艦砲射撃で砲台はすでに壊滅に近かったんで、一矢報いようとしたと↑のリンク先に書いてあったが・・・
31 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 11:16
>>30 頼むから、戦史を勉強してからカキコしてくれ。
32 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 11:25
33 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 11:29
>>31 いや、
>>30は、海軍砲台(だけ)が砲撃でやばくなったんで、
やられる前に砲撃したと言いたかったんだと思う
しかし、米軍に各砲台の位置が暴露していないこと、砲台が各砲ごと独立して掩体に入っており、
盲射に近い砲撃で各砲台がことごとく沈黙する可能性が極めて小さいことを考えると、
>>30の言うリンク先の説のような状況が生起することはまずなかっただろうと思う
34 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 11:39
確かに、「撃つなって言われてるけど、やられる前にや撃っちゃえ」
というのは、軍隊の指揮統制を知らない人間の物言いだな
そういう事は作戦計画で示されているだろうし、
もしそうだとしても結局海軍砲台の失策は免れない
俺は、海軍砲台は陸軍の指揮下にあるとはいえ本来の指揮系統が違っていたため
陸軍の砲台より徹底が効かなかったのが原因と思うが
35 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 11:41
後半、日本軍は食料水とも尽きて、命令を無視して玉砕しにいった者も多かったそうで・・・
36 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 11:44
後半は指揮系統も崩壊寸前で組織戦闘も事実上不可能だったからな。
それに、日本軍は逆襲好きだし・・・・
37 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 11:59
艦砲射撃といえば、穴掘って隠れてたため、めった打ちにされた割に死傷者は少なかったと聞きますが
38 :
がんばれニッポン:2001/07/15(日) 12:00
真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争を舞台に描かれる恋愛ドラマ「パール・ハーバー」(監督マイケル・ベイ)が14日、全国428スクリーンで封切られ、順調な滑り出しを見せた。
3時間3分の大作にもかかわらず、都内の各劇場は午前8時台の初回上映から立ち見となる盛況。「戦争という理不尽な歴史の流れの中でも、愛と友情を守ろうとする姿に感動した」(16歳・女子高生)「戦場の若者の勇敢さに活力をもらった」(33歳・女性)「戦争がいかにむなしいものかというメッセージが明確」(65歳・男性)など、幅広い層から、それぞれの感想が聞かれた。
配給のブエナビスタでは、「初日2日間で興収10億円、1週間で先行オールナイトを含め20億円が見えた。とりあえずの目標だった興収100億円をクリアするのは確実。息の長い興行ができる」と勝利宣言。早くもベイ監督の前作「アルマゲドン」(98年)が持つ同社の歴代記録、興収135億円に目標を上方修正し、先行する「A.I.」の勢いに待ったをかける構えだ。
39 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 12:15
敵の海底調査・障害物除去チームの艇を敵の上陸部隊と間違えて砲撃したらしい
40 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 12:26
>>39 硫黄島のドキュメンタリーにそんな説明があったね
41 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 12:41
でも、それと上陸部隊を間違えないと思うが
第一、数が違うだろ・・・・
42 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 19:55
有名な旗を立てる写真はカメラマンのヤラセだったんでしょ?その前に1回小さめの国旗をたててたんだよね。
43 :
アイダホ太郎:2001/07/15(日) 19:57
そうそう!
かなり小さい国旗だった。
44 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 20:06
昔、硫黄島のまわりを船で一回りしたことがあります
すごく天気がいいのに、ものすごく鬱になりました
サイパンの万歳クリフ以上ですね
そこに一緒に行った女学生がとりつかれて、かなりの期間おかしくなったそうです
慰霊祭を行って、「英霊のみなさん。祖国に帰りたいでしょう。どうかこの子たちに
つかまって、お帰り下さい」と言ったのがいけなかったらしい。
日本お船の振興会のツアーでのことです
45 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 20:07
オカ(以下略)
46 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 20:24
バロン西の部下に戦前のロス五輪で水泳で金メダル貰った人がいたんだって。メダリスト殺しちゃいかんだろ。
47 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 20:32
48 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 20:37
49 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 20:43
>>48 バロン西は金メダリスト。46の言っている水泳選手・河石達吾は銀メダリスト。
ちなみに西竹一中佐の部下ってのは本当か?<河石中尉
51 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 20:54
52 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 21:02
>>26の
>硫黄島の守備砲台が司令官の命令を守らずに発砲し、空母に打撃を与えたけど
>位置を暴露され、戦艦の艦砲のエジキに。
って
>>39が
>敵の海底調査・障害物除去チームの艇を敵の上陸部隊と間違えて砲撃したらしい
と触れた2月17〜18日の話?それに硫黄島上陸作戦に空母は参加してたっけ?
53 :
ふしあなさん@げすとげすと:2001/07/15(日) 23:27
上坂冬子の「硫黄島いまだ玉砕せず」読んだ人いる??
戦史とは違うけどナカナカ興味深かったです。
54 :
名無し三等兵:2001/07/15(日) 23:41
空しい戦史オタどものおしゃべりか。
戦争は遠くなりにけりだ。
55 :
対尾:2001/07/15(日) 23:45
栗林中将が戦死した本当の状況は「最後の切り込みで負傷、自決」ではなく
「参謀に切り殺された」というのは本当なのかな?
確か昔のスレの「信じられないが、本当だ」に「栗林中将は長い戦闘の後に十分に
任務を果たしたと考え降伏しようとしたが、それを良しとしない参謀によって斬られ
死亡した」というようなことが書いてあったような・・・どうなんだろう?
くだんねぇ煽り
57 :
一等自営業:2001/07/15(日) 23:46
バロン西の乗った戦車の砲塔が、嵐山博物館に
昔ありましたね。砲塔内部はハネタ破片のため
傷だらけだった・・・・
あの砲塔どこ行ったんでしょう?
>>24 黒人だからではなく、素行不良が理由だったと思う。
(英雄にはふさわしくないとかで)
子供も頃、栗林中将をメインに据えた「将軍、突撃せり」という本を読んだ。
いい本だった。家のどこかにあるはずだが、わからん。(涙)
59 :
名無し三等兵:2001/07/16(月) 00:06
>>58 あのときの黒人の扱いから見ると、妙にかんぐりたくなる
60 :
トキ:2001/07/16(月) 01:29
書き込みが増えてますね。
硫黄島戦を語る場合必ず米軍主力上陸前の発砲の問題が出てくるとは思って
ました。この点は以前読んだ元海兵隊員の著書の中でも批判されています。
機雷掃海のダイバーの接近を本上陸と間違ったのが理由と書かれています。
多田氏の著書には当時の米軍作成の硫黄島防備図がついており、南地区以外の
砲台は察知されており壕内に隠匿していた、野砲、迫撃砲、47ミリ速射砲など
小口径の砲以外は、戦艦部隊の猛砲撃を受けており、特にすりばち山の砲台は
崩落寸前だったとのこと。また15、14センチ砲は徹甲弾ばかりだった(警備隊司令
和智証言)とあります。また上陸直前にはほとんどの砲台はやられた(海軍12.7cm,
10cm.8cm高角砲、25mm機銃、陸軍75mm,88mm高射砲など地上目標向けの砲台)
もし隠匿に成功していた海軍の平射砲台が本上陸まで発砲を控えていたとして数発撃った時点で
観測機に発見され瞬く間に破壊されていたと思うのですが、まとまりのないぶんで
すいません
61 :
トキ:2001/07/16(月) 01:33
追伸
>53
硫黄島警備隊司令和智恒蔵の生涯について書かれた本ですね。
なかなか読み応えのある本でした、結構変わった方だったようですね
>>24 ヤク中かなんかで消されたんじゃなかったかな?
sage。
>>24 >>62 あの写真は登頂した瞬間じゃなくて、しばらく後に撮り
直したものだって銅像にまつわるエピソードで言ってた。
65 :
名無し三等兵:2001/08/03(金) 05:12
米軍と互角に戦えたよage
66 :
伊-400:2001/08/03(金) 05:37
どなたか、混成第二旅団砲兵団の指揮官、街道長作大佐の写真載っている
本を知りませんか?高くてもかまいません。
検索しても名前と略歴だけです。
祖父が街道長作大佐が、中佐で部隊長の時会っていて、体格恰幅よく
気さくな人だったと言ってたので、どんな人だったのか人目見たいのです
67 :
少佐:2001/08/03(金) 06:52
硫黄島の戦いは日本軍の勝ちだと思う。
なぜならアメリカ軍は正攻法では落とせないものだから、毒ガスで硫黄島を
落としてるからだ。
68 :
海軍省人事局長:2001/08/03(金) 08:15
それにしても、何故近年は
「いおうじま、いおうじま」
と読むのだろう?ありゃ「いとうとう」です。
69 :
名無し三等兵:2001/08/03(金) 08:27
アメリカでは「イオージマ」です。
70 :
名無し三等兵:2001/08/05(日) 15:48
age
71 :
名無し三等兵:2001/08/05(日) 15:54
防腐剤投下
73 :
名無し三等兵:2001/08/09(木) 05:49
/ヽ /ヽ ヽ
/ ヽ / ヽ | |
/ ヽ / ヽ し
/ ヽ________/ ヽ ー|ー
/ ヽ .┌+- ヽ
/ / ̄\ / ̄\ \ .ノ /
/ | ◎ ;;;;| | ◎ ;;;;| | ヽ
| \_/ .\_/ | ―ヽ
| | / \ | |
| | | / :;| | /
| | | ;:| ;:| ――――――― |
| | | ;:/ ;;| ――――――― |
ヽ |: | ;::;| ;;;;| . /
\ | | :;:;/| ,,;;;/ /
\ \ \;:;;:/ \;;:::;:/ /
74 :
名無し三等兵:2001/08/09(木) 09:51
>73
怖いけどワラタ(・∀・)
77 :
名無し三等兵:2001/08/12(日) 06:27
あげ
sage!
今でも遺骨が出てくるらしいね。
なんできちっと調査して回収、慰霊祭をしないの?
80 :
a:2001/08/15(水) 15:15
ge
81 :
名無し三等兵:2001/08/16(木) 00:41
最後に出てきた日本兵は何ヶ月も何喰ってたんだろうね?
82 :
名無し三等兵 :2001/08/16(木) 01:20
84 :
名無し三等兵:2001/08/22(水) 00:54
age
85 :
伊-400:2001/08/22(水) 02:13
鎮魂 石川 敬 霞出版社205ページ-206ページは保存する価値有るのでここに転載。
筆者の同級生(慶応大学医学部)に硫黄島の生還者が一人いる。原 倫貞(ともさだ)君。
現在、清水市に住む小児科医院の院長である。以前クラス会で何年ぶりかで会った時、
「硫黄島の体験談を断片的でいいから聞かせて欲しい」と頼んでおいた。以下は、
彼がその後筆者宛に送ってくれた手紙の一部である。
「昭和十九年七月、我々陸軍部隊が島に上陸した時には、民間人は既に父島に引き揚げ、
海軍設営隊の人達が飛行場、電探の建設にあたっていた。無防備の島なので上陸後
間もなく地下壕及び迎撃用のトーチカ作りに取りかかった。灼熱の砂浜での作業は
暑さと渇きとの戦いで、まさに地獄であった。塩辛い乏しい水で渇を癒し、遮蔽物
のない炎天下で休んだ。地下壕を掘り進むにつれて温度は上がり湿度は高くなり、
サウナで穴掘りをしているようなものであった。 陸軍には資材がなく、海岸の
壕も砂や石を積んだようなものでしたが、十月頃セメントを海軍より譲り受け、
形だけの壕が出来上がった。海軍の方は資材、食糧とも時々補給があったようだが、
我々の方は皆無、かび臭い米と粉味噌のみで、木のこけやパパイヤの若木等を食べ
たものでした。海軍の消化不良、陸軍の栄養失調という言葉が生れたのもこの頃で
あった。五ヵ月間の作業で体力は極度に消耗し、思考力も衰え、10の数を指で
計算するようになっていた。九月下旬頃より飲料水のせいか下痢の患者が多発し
死亡者も多くなった。アメーバ赤痢などといっていたが、血便はなく、栄養失調
と脱水症状のために死んでいったようだ。 二十年二月十一日、予定の工事の九割
方終り、紀元節の式が行われた。その直後マリアナ附近を米機動部隊が北上中との
報が入り、「乙」配備の指令が旅団本部より出された。」
個人的な感想、街道長作大佐はやはり満州の関東軍から転じて硫黄島に行ったんだろうな
上陸した米軍に集中砲撃浴びせて進出一時ストップさせたのはやはり指揮が
うまく有能な指揮官だったんだろうなっと思う。
硫黄島戦をモデルにした映画が来春公開ですよね?なんていいましたっけ
87 :
名無し三等兵:2001/08/22(水) 02:25
スピルバーグ製作のやつ?
88 :
伊-400:2001/08/22(水) 02:39
アメリカ人は決して、硫黄島の戦いを負けと思わないだろうな
>>87 そうそう。日本軍がカッコよかった
第109師団で銃弾が3000万発備蓄してあったそうな
日本人は決して、太平洋戦争を負けと思わないだろうな
91 :
名無し三等兵:2001/08/22(水) 02:54
アメリカ人は決して、無差別爆撃を虐殺とは思わないだろうな
ロシア人は決して、レイプを犯罪とは思わないだろうな
自己満足的玉砕でなく、有効な抵抗をしたすぐれた防衛戦として評価されていると思われ。
ほとんど唯一の戦車戦もあったし。
1980頃、ベイルートで海兵隊のビルがパレスチナゲリラに爆破され380人が死んだ。
そのときの新聞の見出しは「硫黄島以来の被害」だった。海兵隊の一日の被害としては。
94 :
名無し三等兵:2001/08/24(金) 01:40
age
95 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 02:56
何で早く水際上陸阻止作戦を止めなかったんだ。
96 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 03:11
硫黄島ってのは日本人のDNAなんだろうな。
97 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 03:35
西さんがわかいそうだよな
片目が飛び出ても愛馬の鬣だけは持ってたらしい。
98 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 21:28
民族の誇りを賭けた戦いだったんだろうな。特に水戸健児は米軍が日本に上陸した時
は自分たちの家族が殺されると思って、一日でも粘れば妹や弟や母親が生き延びることが
できると考えた!健気なことだと思います!
99 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:20
いいねえ。あげ。
100 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:24
地雷で砂浜うめつくせばよかったのに。
撤退するときは島のあらゆるところに地雷原つくっていけばもちっとましな結果になったのに。
当然浅瀬には上陸艇対策に杭のさきに機雷つけるべし。
101 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:28
硫黄島以前の戦いで、硫黄島方式の戦いをすれば
戦史もかわっていたのに。
102 :
ポプラン中尉:2001/08/25(土) 22:32
擂鉢山と元山を繋ぐ地下道が
完成していたら、
米軍の損害
は、さらに倍増していたかも!?
103 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:35
ってゆうかこの板(軍事版)つぶれるかもしれない
他の板もかなりつぶれてるし
104 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:36
近畿で地震、大津で震度4?でかい方だぞ。
105 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:40
>>102 地下道の工事は朝鮮人にやらせたらしいね。
106 :
ポプラン中尉:2001/08/25(土) 22:47
>>105
それ本当かな!?
噴出する硫黄の臭いに耐え
陸軍部隊自らが持ち場を掘っていた
と聞いているが!?
107 :
ポプラン中尉:2001/08/25(土) 22:50
日本人にとっての
「硫黄島」
は
ギリシア人にとっての
「テルモピレー」
の様なものだと思う。
108 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:52
・・・ええと、硫黄島にプレデターが出たって本当なんでしょうか?
>106殿
ということは、硫黄島ってやっぱり硫黄だらけということですか。あれって化合物になるとめっちゃ有毒なんですが。
>107殿
不勉強ですみません。
テルモビレーについて教えてください。
110 :
名無し三等兵:2001/08/25(土) 22:54
>>106 ソースはこれ。
硫黄島 太平洋戦争死闘記
著者:R.F.ニューカム/著 田中至/訳
出版社:光人社
ISBN:4-7698-2113-1
しかしあんたらのんきだな
**
番外:
イタリアESCI社から硫黄島の旗を立てている場面のプラモデルを買ってからこの島に興味を持つようになりました。
っていうか、腰抜けイタリアがアメリカのだけつくるんじゃねえ!!
113 :
ポプラン中尉:2001/08/25(土) 23:03
114 :
シモニダス:2001/08/25(土) 23:10
>>109 「旅人よ、行きてラケダイモンにかくは告げよ、我ら国法に遵いて死して此処に在りと」
レオニダス王率いるスパルタ軍がペルシャの大軍と戦って玉砕した戦い。
のち詩人が彼らの奮戦を称えて上記の碑文を作った。
115 :
伊-400 ◆G9D44d9s :2001/08/25(土) 23:21
廃墟の昭和から 美山要蔵 光人社188ページ
硫黄島引揚者の言によると、栗林閣下はとくに敢闘、敵戦車の攻撃に対しても
部下はよく百発百中で、二回にわたり撃退した。彼(*敵)は毎日午後四時に
なると、攻撃を中止するのを例とした。最後は焼夷剤によって敗退した。
と書かれている
焼夷剤は投下された容量55ガロンの焼夷弾(ナパーム弾)の事だろうか?
または、火炎放射器の事か?
>113殿
ありがとうございました。
>115殿
特定は難しいでしょうが、
B24がドラム缶サイズ(形もそっくり)を連発で硫黄島に落としている写真があり、
可燃性のものを投下したとか。(しかも粘着性とかいてあった)
多分、ナパーム系統のものが多量に使用されたのは事実ですね。
穴に入っていても窒息しかねないです。
「最後は・・・」とあるから、火炎放射器のことと思われ。
壕内の敵を、ナパームであっても航空攻撃で焼き殺すのは困難。
やはり歩兵が一つ一つ潰していくしかない。
ペリリュー島ではガソリンを壕内に注ぎ込んで火をつける、というようなことも
やってますね<米兵
118 :
名無し三等兵:01/08/27 23:11 ID:pWSKNs5o
浜辺は、死体の上に何度も迫撃弾が炸裂して
ぐちゃぐちゃだったそうです。
アメリカ軍は、それをブルトーザーで押しのけて
前進したそうです。
硫黄島はまだ日米で遺骨が全部回収されていないんですよね・・・
120 :
名無し三等兵:01/08/27 23:46 ID:Z2ppojeY
アメリカの勝利だと思うが。
何を持って勝利とするのか
122 :
名無し三等兵:01/08/27 23:50 ID:Z2ppojeY
120は88にね。
>>121 被害が多いとはいえ当初の目的を達成したのだからあちらさんの勝利では?
123 :
ポプラン中尉:01/08/27 23:50 ID:xoGjOLNw
第百九(金沢)師団の四式20糎噴進砲が活躍したらしい。
124 :
名無し三等兵:01/08/27 23:52 ID:pWSKNs5o
重傷を負った人は、どこにいたの?
野戦病院とかあったの?
そもそも衛生兵いたのかな?
『アメリカ海兵隊史上唯一の敗北』じゃなかったっけ?
戦闘自体には勝ったけど、与えた以上の損害を受けたからってんで。俗説かな?
ホントに負けたと思ってたらこんなこと言わないだろうとも思うが、勝利を誇ろうと
いう所までは行かないんだろう。
なんか揉めている様なので個人的な思いを述べます。
1、戦闘に負け、守備隊が全滅して占領されても
戦闘期間中、打電した戦闘報告は後世の貴重な参考になった
2、いままでやられっ放しの劣っていた日本軍が初めて互角に近い地上戦に
持ち込めた。
3、砲兵火力が充実すれば、米軍M4戦車は無敵では無い事を証明した。
たしかに負けたが、勝利は絶望的では無い事を身をもって教えてくれた
言い換えると、日本人から勝利の予感を米軍は完全に奪えなかった
以上です。
127 :
ポプラン中尉:01/08/28 00:37 ID:YtJlhVIM
古来より後詰めの無い戦は
負けるのがセオリーらしい。
128 :
名無し三等兵:01/08/28 01:58 ID:FlJDv7lk
ヒストリーチャンネルで、硫黄島で戦った
元海兵隊員が「英雄扱いされてますが、
実際は銃も無くし、敵の砲火の中でうずく
まってる兵士が大半だった・・・」ってやってたな
129 :
名無し三等兵:01/08/28 02:17 ID:w6dEgxFo
こりゃ温泉タマゴだな
大学の図書館にあったLIFEのWWIIシリーズの本に載ってた硫黄島上陸作戦の記事、おもしろかったなぁ〜〜〜
131 :
名無し三等兵:01/08/28 03:43 ID:sfYcYAGs
>>124 戦闘になる前までは野戦病院もあったようです。
ただし戦闘がはじまると悲惨なものだったようですよ。
光人社「硫黄島決戦」P70〜71より引用
重傷者が3列に並んでいた。火炎放射でマグロのようにブクブクに焼かれ目ばかりキラキラと光らせている者。目にいっぱい涙を浮かべている兵隊・・・・・・。その人達を若い軍医が次々と処置していく。
順番を待つ人達の胸中はいかに。残酷で凄惨な光景だった。私の目の前に軍医がやって来た。すぐそばの兵隊が腕を持たれ、注射をされている。やはり火炎放射で焼かれたのだろう。見えぬ目から涙が流れていた。軍医も泣いていた。
「軍医殿、泣いているのですか?」
軍医の涙が兵隊の顔に落ちたのだろう。
「俺は学校で直す事は教えられたが、こんなことは習わなかった。あとからすぐ行くよ」
「有難うございます。冷たい水が飲みたいなあ。多摩川の水は冷たいなあ。・・・・・・子」
その兵隊は、最後に自分の最愛の妻か子供の名を呼んで死んで行った。こんな後継は随所に見られた。
また寝ていた負傷兵が突然むくむくと動き出したかと思うと、這うようにして壕外に出て行った。コカ畑のあたりでパーンと音がする。手榴弾で自決をはかったのだ。そんな人達も少なくなかった。
洞窟内でも銃声がした。将校が自分の頭に一発撃ち込んだのだ。
132 :
名無し三等兵:01/08/28 07:12 ID:MVLTDAc2
マジでスピルバーグ映画作ってるのか?
マジだったらSPRみたいに「リアルでよし!」とか言ってらんないだろうな〜
133 :
名無し三等兵:01/08/28 07:45 ID:.hkpuytU
あまりの規模に、米軍が驚愕したという
硫黄島の地下基地の地図が載っているWEBか本てありますか?
134 :
名無し三等兵:01/08/28 12:56 ID:sfYcYAGs
私が131で紹介した「硫黄島決戦」には載ってるよ。
135 :
名無し三等兵:01/08/28 13:38 ID:c0o2l6BU
アメリカにしてみれば激戦の末、勝った思いが強いんだろうな。
「IWOJIMA」なんて軍艦の名にしたり。
アーリントン墓地に星条旗建ててる海兵隊の碑があったよね。(ハワイだっけ?)
ヒロシマ・ナガサキ・オキナワよりも印象に残ってる地名じゃないの?
136 :
名無し三等兵:01/08/28 23:11 ID:j.FyJdPo
米軍ラジオでは、ときたま「イオジーマ!」という
言葉を耳にする。
137 :
ポプラン中尉:01/08/29 23:36 ID:ulGiOJ/w
ペリリュー並の珊瑚礁洞穴陣地・
硫黄島並の地下要塞・
沖縄並の反斜面防衛線が、
サイパンなど多くの島々に準備されていたら、
米軍は失血死してたかも?
138 :
桐島:01/08/29 23:48 ID:fMZZbu3.
age
139 :
名無し三等兵:01/08/29 23:52 ID:BoW31dSw
FNSを聞いてるとアメリカンヒストリーでしょっちゅうイオージマが出てくる。「硫黄島の砂」じゃないがタラワが最初の試練、硫黄島が一番苦しかったゴールという位置付けらしい。
140 :
ポプラン中尉:01/08/30 23:46 ID:CaUlmgAg
司令部直撃弾が無ければ、
タラワの「椰子の木強化塹壕」陣地は
もうちょっと頑張れたかも?
141 :
名無し三等兵:01/08/31 00:20 ID:YDWu56cc
本土のみなさん さやうなら
142 :
名無し三等兵:01/08/31 00:32 ID:cvhg5lSM
/ヽ /ヽ ヽ
/ ヽ / ヽ | |
/ ヽ / ヽ し
/ ヽ________/ ヽ ー|ー
/ ヽ .┌+- ヽ
/ / ̄\ / ̄\ \ .ノ /
/ | ◎ ;;;;| | ◎ ;;;;| | ヽ
| \_/ .\_/ | ―ヽ
| | / \ | |
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| | | ;:/ ;;| ――――――― |
ヽ |: | ;::;| ;;;;| . /
\ | | :;:;/| ,,;;;/ /
\ \ \;:;;:/ \;;:::;:/ /
143 :
名無し三等兵:01/08/31 01:50 ID:WrEKMUTM
タラワでは米軍の指揮官が迫撃砲を使われたらもっと被害がでた。といっていたのを見たことがある。海軍陸戦隊には当時迫撃砲や擲弾筒は無かった?
144 :
名無し三等兵:01/08/31 02:08 ID:vD1XmV7M
国に激戦地諸島巡り定期クルーズを企画して頂きたい。
到着日付と陥落、玉砕日を合わせて貰うと有りがたい。
新造船でもOK、雇用対策にもなる。で、俺も乗る。
145 :
名無し三等兵:01/08/31 02:14 ID:.RAHFW4s
>>137 戦争は終わらない、しかし海上輸送は途絶したまま、ということで本土が失血死していたと思われ。
146 :
名無し三等兵:01/08/31 02:29 ID:9ZXw6dv2
当時の朝日グラフ見たら「ラバウルの地下陣地」とかいう記事があったぞ。
終戦まで穴蔵に篭って抵抗してたのかね。
一体何の意味があったのかわからんけど。
147 :
名無し三等兵:01/09/04 22:38 ID:FLuLyGDQ
このごろ知ったけど硫黄島ってイギリス人がみつけたんだってね。
148 :
名無し三等兵:01/09/04 23:04 ID:GxDfEwgQ
149 :
あ:01/09/04 23:26 ID:BIGI2MfE
あ
150 :
名無し三等兵:01/09/04 23:45 ID:FLuLyGDQ
151 :
名無し三等兵:01/09/06 03:37 ID:VZ01mFNY
硫黄島で1949年まで粘っていた日本兵について何か知りませんか?
152 :
名無し三等兵:01/09/07 23:44
age
153 :
名無し三等兵:01/09/08 00:35
age
154 :
名無し三等兵:01/09/10 05:11 ID:5B97D3hM
age
155 :
名無し三等兵:01/09/10 05:35 ID:NVDUlsLc
陸戦史研究普及会『陸戦史集15 硫黄島作戦』(原書房)絶版
陸戦史研究普及会は現在、陸戦学会戦史部会として活動を続けている。
156 :
名無し三等兵:01/09/10 12:12 ID:S.C6lPsc
硫黄島で戦ってる将兵達に家族が激励するラジオ番組が放送されてた
みたいだけど、どんな思いで聞いていたのかと思うと悲しくなる。
157 :
ハルゼー機動部隊:01/09/10 12:29 ID:rSW6AWrc
>>156 それも悲しいが、硫黄島からの「父島の全将兵、さようなら」という電文も泣ける
158 :
名無し三等兵:01/09/10 13:06 ID:m8eRtgVc
硫黄島の逸話の話で涙話しを一つ。出典は「2・26事件と郷土兵」
昭和11年に近3にいた兵士の思い出話だそうです。彼は除隊後、昭和19年に
再召集されて第109兵団司令部副官付として硫黄島へ…その時、一緒に決起部
隊にいた戦友と再会したのだそうです。彼は3/10に迫撃砲の直撃を受けて目
の前で戦死しました。戦後、遺骨収集団に参加した時に彼が吹き飛ばされた洞窟
を発見したそうです。その中に入って直ぐに足元に雑嚢が落ちているのに気付い
て拾い上げ名前を確認したら、その戦友の雑嚢だったそうです。その場で泣きま
くったそうです。
159 :
ロボット三等兵:01/09/11 16:11 ID:ObW/QEtg
硫黄島の島民の皆様は未だに疎開したままなんですよね。
何時になったら帰還できる事やら。
160 :
名無し三等兵:01/09/11 16:12 ID:cv33KmWE
161 :
名無し三等兵:01/09/15 19:54 ID:oPpmgEqM
バロン西 上げ
日本側からの水際戦の生存者の感想が聞きたいものだが、さすがに無い。
163 :
名無し三等兵:01/09/15 21:17 ID:PYpVIrCs
ええっと、50周年の時テレビで特集があったのだが、
それで日本側の生き残りの人が発言していた。
その人は軍医だが医務室(洞窟)は血でどろどろだったそうだ。
軍医とかしかいきのっこってないのでは?
まぁどこの戦線もそうだといえばそうだが。
あと砲撃手の生き残りもいたがその人は軍艦に向かって撃ったが、
ものいすごく反撃されたそうだ。
164 :
名無し三等兵:01/09/16 00:09 ID:K6MosywQ
151ですが最後の日本兵生存者が見つかったのは1949年というのは本当でしょうか?
後から来た従軍看護婦が地面を見てジョージア州特有の
赤土みたいねとジョークをかました。
隣にいた士官が一言「血を吸って赤くなったんだよ」
・・・・・
>164
横田庄一で検索しよう保全
167 :
名無し三等兵:01/09/18 02:12 ID:2UaKpuSc
現在、硫黄島では、成仏できない英霊が夜になると水を求めてさまようので、
夜になると泊まった小屋の前に必ず水の入った水筒を置いておくそうです。
直接、硫黄島へ行った方から聞きました。
168 :
名無し三等兵:01/09/18 03:07 ID:SZCyjB6I
地獄の戦場
硫黄島・摺鉢山の決戦
R.ホイ―ラ―/ 堀江芳孝/訳
この本なかなか良かったです。米軍の視点から書かれていました。
星条旗を掲げた部隊について細かい描写があったと思います。
169 :
フェムボット三等兵:01/09/18 11:32 ID:w7Mjs9gw
>>166 ルバング島で見つかった。
小野田寛雄元少尉の方が後です。
170 :
名無し三等兵:01/09/18 22:15 ID:PNVf9YDA
171 :
名無し三等兵:01/09/18 22:20 ID:OWvEMhVI
南鳥島なら行ったことがあります。
錆びた戦車がありました。
防空壕らしいのもありました。
172 :
名無し三等兵:01/09/19 01:37 ID:0i5TLFL2
ageます
173 :
名無し三等兵:01/09/21 16:15 ID:UbXJYiXw
硫黄島で噴火、小規模か
防衛庁から気象庁に入った連絡によると、21日午前10時25分ごろ、小笠原諸島の硫黄島南東の
近海で海水や土砂が噴き上がった。目撃した海上自衛隊硫黄島基地隊の隊員によると、海面から10メートルほどの高さに白い噴煙が上がり、海面が変色していたという。
正午現在、4か所から高さ約40―50センチになっているという。
気象庁では、父島の地震計で波計を観測していないことから、噴火があったとしても
小規模とみているが、海上保安庁の航空機で上空から観測する。
硫黄島には民間人は住んでいない。同基地では、この日出港した米空母キティホークの艦載機が26日までの
日程で夜間離着陸訓練をおこなっている。(読売新聞)
「硫黄島」ってだけでマルチポストすんじゃねぇマジ厨房が。
氏んでくらはい
175 :
名無し三等兵:01/09/21 16:21 ID:3mI3CD0s
176 :
名無し三等兵:01/09/21 16:30 ID:UbXJYiXw
>>174 別にいいだろ。それにここにしかコピペしてねーよ。
つうか、硫黄島の戦いというのを知らないからニュースコピれるんだろ。
せめて過去レス全部読んでからコピるぐらいの余裕を持て。
178 :
名無し三等兵:01/09/21 16:38 ID:UbXJYiXw
>>177 このごろもっと話題が少なくなって上がってなかったからあえてやったの。別にニュース速報板
の住人じゃないけどそんな気が触れたら謝る。
あと自分は170の質問したんだけどわかるんだったら答えてください。
179 :
名無し三等水兵:01/09/21 16:58 ID:TUh2aOlk
>177
まあまあ、別に新スレ立てた訳じゃ無し良いんじゃ無いですか?
>178
硫黄島は当時かなり要塞化されていて未完成ながら巨大な地下壕もあったのよ。
硫黄島の組織的抵抗が終結した後も一部の将兵はそういった壕を転々としつつ
ゲリラ戦を展開したんだそうです。最後の2名もおそらくそうやって4年間
戦いつづけてたんじゃないですかね?
180 :
名無し三等兵:01/09/21 17:09 ID:UbXJYiXw
>>179 どうもありがとうございます。
四年間も食料はどうしていたんでしょうね?
あとゲリラ戦はどれくらいの戦果をあげたのでしょうか?飛行場のB29やp51を
破壊したりしていたんでしょうか?
181 :
名無し三等兵:01/09/21 17:11 ID:IXG55Q7M
飛行場に切り込み成功したはず。
182 :
ポプラン中尉:01/09/24 16:23 ID:dC0EiQ7c
>>180 ペリリューでも、そうだが、
夜中に米軍の食料を盗んだのでは?
>>182 あ゙ー
言いたくなかったけど、残飯漁ってたらしいぞ
184 :
ポプラン中尉:01/09/24 16:29 ID:dC0EiQ7c
>>183 きっと残飯でも、インパールの兵士より栄養状態
良かったんだろうな。
敵のごみさえ糧とする。そしてそのごみから得たエネルギーでごみを出した
張本人である敵を叩く。
残飯漁り、大いに結構。陸軍兵卒age!
186 :
名無し三等兵:01/09/24 17:55 ID:nvnp2QqE
敵の食糧倉庫から缶詰を盗み出した兵がいたが、
栄養不足と空腹で両手に一杯の缶詰持ったまま、
へたり込んでいたら監視の黒人兵が見つけて
他の兵と一緒に囲んでニヤニヤ笑っていたそうな。
「殺すなら殺せ!!」と喚いたが殺さないで
ニヤニヤ笑っているだけだったとか。
ま、アメちゃんにすれば
「何人かいるみたいだけど残飯漁ってるだけで特になにもしてないからな〜
いちいち狩り出すのも面倒だし
ま、一応何かあるかも知れんから夜一人で出歩いたりはするなよ」
てな感じだったんだろうな
188 :
名無し三等兵:01/09/24 18:31 ID:EdjB2tR2
189 :
名無し三等兵:01/09/25 00:49 ID:uovn4znA
>186
戦争目的があまりにも原始的になっちまったな。気の毒に
190 :
名無し三等兵:01/09/25 01:02 ID:XkIsiCTI
>186 ちょっと嘘臭い。WWIIで黒人兵が通常編成の部隊に混じっていたのはまれ。
191 :
名無し三等兵:01/09/25 01:03 ID:VEpk0R9M
192 :
名無し三等兵:01/09/25 01:04 ID:XkIsiCTI
193 :
名無し三等兵:01/09/25 01:06 ID:kdfrya5A
>>191 いなかったと思うよ。
たぶん、「消された1人」のことを言ってるんだと思うけど、あれは素行不良で修正された。
白人だよ。
194 :
名無し三等兵:01/09/25 01:10 ID:VEpk0R9M
>>193 2本目の旗を立てた後の写真に黒人兵が写ってるよ。
195 :
名無し三等兵:01/09/25 01:19 ID:XkIsiCTI
とりあえず写真が見られないので、謝罪だけお納めくだされ
硫黄島は戦死した霊が出るとかで、有名らしい。
197 :
名無し三等兵:01/09/25 01:29 ID:VEpk0R9M
>>195 硫黄島 勝者なき死闘 著者名 :ビル・D.ロス/著 湊和夫/監訳
この本の最初の写真のページに載ってました。
198 :
名無し三等兵:01/09/25 01:31 ID:ExmezLuk
硫黄島はどうだかしらないけど、米兵にとて厄介だったのは、
組織的戦闘が終わってからも、生き残って密林に逃げ込んだ日本兵だったって聞いた。
それこそ、ゲリラ的に狙撃してくるし、捕らえようがなし、降伏しないし。
199 :
名無し三等兵:01/09/25 01:36 ID:XkIsiCTI
硫黄島がそれです。水際防御を最初から放棄してましたから。タラワあたりもそうかな。
「硫黄島の砂」に強烈な狙撃シーンがあったよ。
200 :
ポプラン中尉:01/09/25 02:07 ID:2qheFLoI
タラワは水際防御です。
椰子の木強化塹壕陣地が、よく艦砲射撃に耐え、
日頃の猛訓練が、司令部が吹き飛んだにも関わらず
まるで指揮系統に乱れが全く無いかのような戦いぶりを生みだしたのです。
日本の兵士はゲリラ戦に向いてないでしょう。
その真価は正規戦での強靱な戦闘力です。
なお、硫黄島は地形が変わるほどの艦砲射撃で林が焼失しています。
狙撃は、小隊指揮班に1名の割合でいた狙撃兵が担当し、
有効射程2500メートルの九七式6.5粍狙撃銃を装備していました。
201 :
名無し三等兵:01/09/25 15:28 ID:lH0zcar2
age
202 :
名無し三等兵:01/09/25 15:46 ID:NP9aj5X2
200番ご指摘感謝
でも6.5mmで2500m有効射程は信じない。ゴメンよ。
204 :
名無し三等兵:01/09/25 21:59 ID:1gQ0bHYQ
薬莢がでかっくて長銃身だったらかのうじゃない?
205 :
名無し三等兵:01/09/25 22:04 ID:OPnrM7gE
FLAGS OF OUR FATHERS
by James Bradley
を読んだ
感動した
206 :
81式:01/09/25 22:09 ID:rhsmmvxc
硫黄島の戦いはマンチェスター理論に合致するという話を聞いたのデスけど、詳しい話をご存知の方居ないデスか?
ランチェスターは知ってるけど、マンチェスター理論って何?
厨房質問でスマソ
二乗則か。どっかのサイトかに解説があったと思う>硫黄島
だけどurl忘れちった。スマソ
209 :
81式:01/09/25 22:29 ID:rhsmmvxc
>>207 失礼、ランチェスター理論デスね・・・
どんな式だったか見た事はあるのデスけど、忘れてるデスし(笑)
微積も忘却の彼方だから、復習しないと・・・
210 :
名無し三等兵:01/09/25 22:31 ID:Wcmwqszw
そのサイトの内容うろ覚えだが。
・補給状態で(特に水など)実働兵数減少
・防御側=堅陣地として交換比を設定
した上で、ランチェスターの二乗則を実際の戦闘経過(予備の投入なども再現)
に当てはめると損害が理論と一致したって感じだったような。
211 :
名無し三等兵:01/09/25 22:33 ID:7odjnVc2
攻撃側は防御側の何倍の兵力が必要とかいう理論のことかな?
あれだけの血を流して取った硫黄島の用途は、専ら陸上戦闘機の発着場でしょ?
もっと日本に近い海上を自由に空母が行動してたのに、どうしてそこまでして取ったかという疑問が拭えない。
でもこりゃ前提条件が多過ぎるな
>212
それそれ、TNX
>211
そりゃちがう。防御側優位の法則は戦争論に書かれてるね。(それ以外でもだろうけどさ)
”戦力は兵力の二乗に比例する”のがランチェスターの二乗則
215 :
ポプラン中尉:01/09/25 22:47 ID:rvGi/csw
>>211 その価格及び、B−17と格段に違う高性能を考慮に入れると、
B−29の日本上空高々度爆撃での損害は、
想定した損害より、かなり多大だったそうです。
そこで、損傷したB−29不時着基地として、
また、高々度性能の良い護衛戦闘機P−51の発進基地が必要だったようです。
結構、サイパンに戻る前に海に落ちたケースが有ったそうです。
216 :
名無し三等兵:01/09/25 22:56 ID:7odjnVc2
うん、帰路の不時着場があった方が心強いのはわかるよ。
ただ、それでも万全ではないことを考えると、洋上救難ミッションを強化した方が良いし、硫黄島の存在によって救われるであろう(予測上の)搭乗員と、上陸戦によって被る損害の予測を比較しても、やっぱり解せない。
日本本土上陸作戦の準備としては役に立たない位置だし、少し早すぎるだろう?
もちろん、艦載機には艦載機の仕事があって、数的な意味で陸上戦闘機も必要だったというのはわかる。
そんなに深く考えてくれないでも良いですよ。素朴な疑問程度ですから。
217 :
硫黄島帰り :01/09/25 23:00 ID:uub4zGTs
ランチェスターのどっちだったか「めくら撃ち」の方の法則に
良く合っているそうな
めくら撃ちした40cm砲の痕は今でもあるよ
>216
硫黄島がここまで激戦になると予想してたわけじゃないんです、あっちも。
また、不時着地を用意することが洋上救難で代替できると考えるのは素人考えというもので
爆撃機乗員の安心度はそれとこれとではぜんぜん違います。
日本本土攻撃作戦としては当然の措置で、
これほど日本軍が抵抗してくるとは予想しなかったために
結果として表面的に割りが合わないように見える作戦になってしまっただけの話でしょう。
219 :
名無し三等兵:01/09/25 23:45 ID:PESKcVD.
>>218 5日で終わらせる予定だったらしいです。
220 :
名無し三等兵:01/09/26 00:03 ID:Mdaq.axY
2日じゃなかった?
221 :
名無し三等兵:01/09/26 13:05 ID:Oqc2jhno
3日分は掃討戦とか?
223 :
名無し三等兵:01/09/27 00:53 ID:R9jyoHUQ
最近はアメリカと自衛隊しかあの島に居ませんが、アメさんも艦載機で
沖縄や本土でやれない、タッチアンドゴーの練習や全開上昇
などのヤンキー全開の訓練してます、自衛隊も色々やってますが
隊員はオフの時する事が無いので、島周りのランニングか釣りして
暇潰ししてます、官舎には日本軍の方が良くおいでになるので
ドアの前に本土の水を一杯置いて寝ると朝までにきれいに無くなります
但し本土の水だけです、まだ2000体ほど埋まっているそうです
人魂の写真をみせてもらったのですが、ホタルの乱舞のようでした。
224 :
7C@三等兵:01/09/27 10:59 ID:VTrAnIkQ
225 :
名無し三等兵:01/09/27 12:31 ID:0sWRA2a.
水が良いようです
226 :
名無し三等兵:01/09/27 13:40 ID:XLdRWO/U
>>223 >>225 自分幽霊とかの類は信じていないんですが、硫黄島に行くと考え方が変わるんでしょうか?
227 :
名無し三等兵:01/09/27 21:28 ID:gUHTleGQ
>>226 自分、釣りでサイパンとか行くんですが、現地では
サムライと旧日本兵呼ばれてます、夜は窓の外見たく
無いです、供養してあげたいですね。
228 :
名無し三等兵:01/09/27 22:06 ID:ISlZh1w6
硫黄島へは風俗嬢が出張してます。
電気工事で硫黄島へ行った人が言ってました。
229 :
少佐:01/09/27 22:09 ID:DaKZA4v6
硫黄島は硫黄島の戦いを再現したテーマパークにするべきである。
230 :
ポプラン中尉:01/09/28 00:30 ID:5cPoyeuA
>>223 合掌。
戦争は、できれば、しないのに限るね。
231 :
:01/10/02 19:52 ID:Xdh4YItE
232 :
名無し三等兵:01/10/06 12:39 ID:wXgqOwrI
歴史群像の記事のことは誰も話題にしないのか(藁
いや、愚問だったな。
233 :
名無し三等兵:01/10/07 09:37 ID:/9yK1fNI
>>232 歴史群像よりかはニューカムの「硫黄島 太平洋戦争死闘記」の方が読み応えはある
234 :
名無しさんとうへい:01/10/07 09:43 ID:FOq3EkHQ
>>232 そんなに酷いのか・・・
で、どこがどう酷いんですか
たまたま昨日読み返してたもんですから
保存sage。
236 :
名無し三等兵:01/10/11 16:36 ID:zNMJ1Ua6
237 :
名無し:01/10/11 17:06 ID:jUPKkvwQ
中部太平洋の日米攻防戦でまともに抵抗できたのは「硫黄島」と
ソンソロール諸島の「ペリリュー」。
この2個所は死傷者の合計では米軍側が多くなっている。
ペリリューに遺骨収集に行ったときに聞いたのだが、
島民によると今でもジャングルで大勢の人が走る音を耳にすると言っていた。
硫黄島の地下陣地の高熱。 よく水も無しにここで戦ったと思う。
238 :
名無し:01/10/11 17:11 ID:bvJ.Ai2g
硫黄島の遺骨収集作業は2人1組で地下壕に入り、5分ほど作業
しては次の組と交代。5分の作業が限界なくらいに地熱が高い。
豪から出るたびに水をガブ飲みし、塩を舐める。
そんな豪で戦った昔の日本軍兵士の強さは並ではない。
239 :
名無し三等兵:01/10/12 11:32 ID:r443RGwA
栗林忠道と中川義正(ペリリュ―)あげ
しかし、硫黄の臭気と熱気が立ちこめ、清い水も食料も無く、一縷の勝機にすら
縋る事も出来ない、そんな状況下でも死ぬか動けなくなるまで義務を果たして
死んでいった兵達の思いって、いかばかりの物だったのだろう。
241 :
名無し三等兵:01/10/14 01:06 ID:zHzm7gm.
___
/__|__
/__了 ゚Д゚)
(|〆/|)
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|硫黄島守備隊総司令部|
戦局遂に最期の関頭に直面せり、十七日夜半を期し小官自ら陣頭に立ち
皇国の必勝と安泰を念願しつつ全員壮烈なる攻撃を敢行する。
敵来攻以来、想像に余る物量的優勢をもって陸海空より将兵の勇戦は
真に鬼神をもなかしむるものがあり。
しかれども執拗なる敵の猛攻に将兵相次いで倒れたために
ご期待に反しこの要地を敵手にゆだねるやむなきに至れるは、
まことに恐懼に堪えず幾重いにもお詫び申しあぐ。
今や弾丸尽き水枯れ、戦い残るもの全員いよいよ最後の敢闘を行わんとするにあたり、
つくづく皇恩のかたじけなさを思い粉骨砕身また悔ゆるところにあらず。
ここに将兵とともに謹んで聖寿の万歳を奉唱しつつ、永久のお別れを申しあぐ。
防備上に問題があるとすれば、それは米国との物量の絶対的な差で、
結局、戦術も対策も施す余地なかりしことなり。
なお、父島、母島等に就いては同地麾下将兵
如何なる敵の攻撃をも断こ破砕しうるを確信するも
なにとぞよろしくお願い申し上げます。
終わりに駄作を御笑覧に供す。なにとぞ玉斧をこう。
国のために重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
仇討たで野辺に朽ちじ吾は又 七たび生まれて矛を報らむぞ
醜草の島にはびこるその時の 国の行く手一途に思う
有名な海兵隊員が旗を揚げている写真はやらせだってのは既出ですか?
本当の旗はもっと小さめで、前日だったか数時間前に掲げられたそうです。
小さな旗だったにもかかわらず沖合いの艦艇や島内の海兵隊員の間に
歓声が沸きあがったということです。
243 :
名無し三等兵:01/10/24 15:24 ID:71d3Knk3
244 :
名無し因果応報:01/10/24 16:13 ID:LS6BVjIM
硫黄島にいる米兵もそれなりの畏敬を持って死んでいった日本兵たちを見ていそうですね
アメリカ人だから幽霊を見ないってことはなさそうだし
245 :
名無し三等兵:01/10/24 21:26 ID:NCKraV7v
>244 でもスカルコレクターが日本兵の遺骨から頭蓋骨を持って帰って売り払った
そうですよ。
遺骨まで土産の対象になるとは。
246 :
名無し因果応報:01/10/24 22:19 ID:tRGNDzdz
まあ、それいったら日本の軍人だって何人殺したと自慢していた奴もいたわけで
でも、それは少数派なわけで。現実、実際に日本兵と戦闘した連中にはそれなり
に戦士としての敬意があるんじゃないかな。神風特攻を見て恐れるよりも感動で
涙を流した米海軍人がいると聞いたし、マリアナ沖で七面鳥言われても零戦と戦
ったパイロットは「奴らは強かった。全力で戦った」と言ったそうだし。
私の親戚がちょっとしたツテで硫黄島にC-1で行ったことがあってね。
ああ、ひたすらに合掌。
247 :
名無し三等兵:01/10/26 16:52 ID:AxBhp4T5
そういや、硫黄島の海岸での噴火は治まったのね?
248 :
名無し三等兵:01/10/29 20:09 ID:KWJotWyJ
>>245 アメリカ兵はそういう遺物を採取して戦利品にする習慣があった
それに目をつけたペリリュー守備隊はペンとかに爆薬を取り付けて一種のブービートラップにしたとか
万歳突撃がいちおう禁止されていただけマシ
あれがあったらもっと短期間で陥落していたと思う
250 :
:01/10/31 14:58 ID:qk/b6x8P
スピルバーグが硫黄島の映画作ってるってのはマジなのか?
硫黄島戦で捕獲された日記
「関東電氣興業株式会社」の事業所や営業品目の一覧が印刷された手帳に
住所「東京都神田区小川町(注・現千代田区神田小川町)」
「高野四郎」
日記は、昭和十八年(一九四三年)十二月三十一日始まる。
比較的内地に近い船の中で書かれた?
東部第二一〇一部隊、翌昭和十九年三月二十七日硫黄島上陸。
混成第一旅団工兵隊に所属。目的、防備基地づくり・地下壕掘削。
病気、快復を繰り返す。アメリカ軍の空襲と自分の体調についての記述中心
「余りにも衰弱し」「腹などはペシャンコ」、練兵休(作業を休む)の状態で
昭和二十年を迎えた。
昭和二十年1月3日 今日も大半を壕内で過ごす。書類の返納で隊長に呼ばれたが、
相変はらず、まずい顔をしてゐる男だ。顔を見るのもいやだ。小生の休務中は長島、
久我の両者が代行をしてゐてくれるので安心して休む事が出来る。隊長は早く小生
に仕事をさせたくて仕方ないらしい。
病気で寝ても何時も嫌味たらたらで、実に不愉快だ。これさえなければ、実に
ゆったりとした気持ちで養生する事が出来るのだが。......
1月4日 ・・・・・・診断を終へて暫らく雑誌を見てゐたが、何時の間にか昼食時
になってしまった。隊長の甲高い声が壕内で聞こえ、思はず其の声をきいた丈けで、
ぞっとする。壕内の自分の部屋が出来たので、明日其処に移る事にした。・・・・・・
最近は読書もせず、ただ何にも考へる事もなく、頭はパパイヤになり、帰ったら
使いものになるかと思はれ、ただ毎日考へてゐる事は、早く東京へ帰り度い事だ。・・・・・・
254 :
名無し三等兵:01/11/09 02:20 ID:KGo2bFcZ
400以下dat逝き防止age
硫黄島上陸一年目の昭和十九年大晦日の記述
12月31日 愈々本年も今日一日で終わりだ。正に決戦の年と云われる丈に、敵も
味方も相当によく戦った。・・・・・・十一月、十二月の敵空襲の度は極めて熾烈
であり、毎日毎夜の来襲だ。敵乍よく物資の補給がよく続くと思はれる位、爆弾を
硫黄島に落したものだ。・・・・・・早くサイパンを何とか敵より取りもどさねば、
本土空襲は免ぬかれる事は出来ない。何時攻勢に出るのか。願くは其の日一日も
早からん事を祈りおる次第だ。家族もみな健在でよき新年。
256 :
名無し三等兵:01/11/10 03:57 ID:3SlQ15+O
age
1月10日(昭和二十年)・・・・・・タコ葉に雨がパラパラと当る音がよく聞えて来る。
雨音を聞く都度、何時も故郷の事が余計に思ひ出されてならぬ。故郷に居る時も、
雨の日は物静かな、そして、考へ事をするのに実によい。・・・・・・
258 :
名無し三等兵:01/11/10 23:40 ID:yLj5dMDO
age
1月11日・・・・・・午后は壕内にて珍らしく昼寝する事が出来、「笑の王国」のゆめ
を見て、笑ひに興じてゐる所でめがさめた。・・・・・・
1月12日 昨日より賀川豊彦の「一粒の麦」を読み初めた。味ふ、学ぶべき事が多々
あり、最近読んだ中でこんなに感じた事はない。少し自分の遇に似てゐる点もあり、
余計に感じたのでもあらう。壕内のランプの灯にて、これを読み切ってしまった。・・・・・・
1月19日・・・・・・外はなかなか寒むさが厳しい。殊に仕事もせずに居ると、余計
寒むさを身に感ず。炊事の釜土の火に当り、温らんとした時に隊長と会ふ。又、例の
いやがらせ的言辞をはく。気にすまいと思ふけれど、終ひ言葉に対して気にせざるを
得ない。考えると何時かそれは口惜しさ、そして、それは又、反感を抱く様になって
来る。之れは自分ばかりではなく、總べての兵が彼を蛇カツの如く嫌ってゐるのでも
解る。彼は自己の地位を利用し、自分程偉い人間はないと、まったくのぼせ上った
人間で、自己の利益栄達のためには手段を選ばずと云ふ、まったく慾望で固まった
人間だ。世間広しと云へ共、こう言ふ種類の人間には接した事はない。之れは自分
ばかりが認めるのではなく、誰でも等しく認める事実である。こんな人間とは一日
も早く離れたい。こんな人間はまったく軍人の風上にも置けず、此の世からまっさつ
(抹殺)すべきである。にくまれ子世にはばかるとはよく言ったものだと思ふ。・・・・・・
262 :
バロン:01/11/15 00:01 ID:yte9gHYR
ワシ、見たよ。日本兵。硫黄島で・・・夜ワシに姓名申告してきた。『菊地』っていっとった。
怖くて逃げた。次の日日本兵が出てきた付近を捜索したら、遺骨が・・・『菊地』って名前が
彫られた水筒と一緒に・・・マジコワでした。もういや
263 :
おやぢ:01/11/15 01:05 ID:IpQ33Owk
俺も行ったよ、硫黄島。
あそこじゃあ、齢( とし )喰った応召兵とか年端もゆかない少年兵とかも多くってサ、金歯だの鉄縁の眼鏡が土の中から出てくるのさ。
それに成長期に死んだ人の大腿骨には成長線ってゆー特徴があるから、若い人の遺骨は見れば判るんよ。
陶器でできた手榴弾や地雷が出てきてナ、その時の俺たちは"一輪ざし"とか"湯たんぽ"とか冗談めかして呼んでたけど、もちろん気持ちはそんなんじゃなかったさ。
壕の中から炭化した竹槍の束が出てきた事もあった、腹立たしいほど情けなかったね。負ける戦さは金輪際したくないって心に誓ったもんさ。
都合4回も行ったけど、遂に幽霊サンには出会わなかった。
しかし、魂魄の"魄"っつーか残っていた死者の魂のエネルギーを濃厚に感じた事はある、南波止場北方の海岸段丘で見つかったばかりの壕の中での経験さ...
ただし朝鮮人労務者が壕の掘削に動員されたって話は聞いた事がない、それって松本大本営に関する噂の勘違いじゃないかなぁ?
あぼーん
265 :
名無し三等兵:01/11/15 01:15 ID:5w5x5/rH
硫黄島じゃなくてすみませんが。
以前沖縄の海軍司令部跡に入ったとき一緒に居た
女の子が急に座り込んで「こわい、気持ち悪い!」
と言って前に進めなくなりました。ちょっと見てみると
そこはかつて指揮所があったところで自決の爆弾痕が
壁じゅうにありました。壁の半分は赤く、そこまで水が
あったころの惨状がうかがえました。
266 :
名無し三等兵:01/11/15 01:23 ID:AwJVsGdd
硫黄島守備隊の抵抗が激しかったのは、小なりとはいえ「帝都の一部」だったからでしょ。
267 :
おやぢ:01/11/15 01:23 ID:IpQ33Owk
>>263 PS.>"魄"
同じ班の人たちが別の用で現場を離れ、俺1人が留守番してた。
で、好奇心から開口したばかりの壕に潜り込んだんだ、トーチ1本持ってサ。
緩い傾斜を、累々たる遺骨を踏み越えて奥の天井が高くなってる場所まで降りていった。
俺1人しか居ないはずなのに、壕の中に大勢の人が居るよーな気配がする。
もっとゾッとしたのは、そこに居る気配がするんだけど、
その人たちの何〜んにも見ないでボ〜ッとただ突っ立っているだけのよーな、意思を失ってしまった存在感だけの気配なんだよな。
これこそが死者の気配だって、その時に判った。
268 :
おやぢ:01/11/15 01:43 ID:IpQ33Owk
>>266 >帝都の一部
そりゃまァ現在じゃ行政上は中央区の管轄みたいですんで、「帝都の一部」には違いないでしょ。
とはいえ"硫黄島防衛"の目的は、
1]マリアナ諸島方面からの本土空襲を邀撃する航空基地の確保であり、
可能になり次第、硫黄島周辺の制空権と制海権を奪還して邀撃戦闘機を再配備したいって考えは持っていたでしょう。
2]しかし現実的には恒久的に守り抜ける見通しなんて立たなかったので、
敵が爆撃機の不時着場や護衛戦闘機の発着基地として利用できる時期を可能な限り遅らせる事が目的になった訳です。
俺は暗い話をしたけど(←そりゃそーだ、壕内の話なんだから(ワラ)、硫黄島って明るくて,冬でも暖かくて過ごしやすい島なんですよ。
時々鯨も近寄ってきてサ、俺も尻尾や潮吹きを拝んだ事がある。
269 :
名無し三等兵:01/11/15 19:12 ID:EtY8WGs+
age
270 :
おやぢ:01/11/15 23:46 ID:IpQ33Owk
C-1で運ばれて硫黄島のエプロンに初めて降りたった時、靴底を通して舗装の熱さを感じた。見上げれば、いっそ暗く見えるまでに蒼く晴れわたった空。滑走路を這って吹き付ける熱風。銀ねむ( タガンタガン )の梢の向こうには、水平線まで只の1隻も船がいない太平洋。
バナナとパイナップル(←ガイシュツ )は俺も見た事ある、けど間引きor摘芯や施肥してない野生状態なので、食える程には大きくならない。パインなんて左右の副芯を取ってないから、飾り物になる位のサイズだった。
俺はオレンジを見た事がなかったが( タブンどこかに生えてたんだろーけど )、熟す前の青いパパイヤはお浸しで食わせてもらった。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~You-ai/index.htm でも紹介されてたけど、硫黄島には地熱サウナがあってネ。自衛隊の宿舎内だったら、救難飛行隊の格納庫の真下に地熱抜きのトンネルが格子状に掘られていてサ、その中がサウナだった。
んで、そのトンネルの内部で"イオージマ・ナンバン"っつー赤唐辛子の1種を乾燥してたっけ。これって石垣島特産の"ピーヤーシ"に似てて、本土の唐辛子よりも小粒なんだ。
鮫がいるからって海は遊泳禁止になってたが、沈船海岸で泳いだ事がある。直ぐさま深くなってるんだが、底の砂地に足に触れた固い物があったんで拾ってみると、小さな珊瑚の欠片だった。
もっともプールと呼ばれてる場所はあってネ、これって摺鉢山の南側の磯にある潮溜まりなんだ。その辺りは、隊員たちに人気の釣り場の1つでもあった。
摺鉢山って云えば、野生の山羊の群がいたっけ。後、動物って云えば、ゴミ捨て場に巣くう巨大ドブねずみと野生化した猫。猫は硫黄島のマスコット・キャラになってたよナ。
ビールは本土の住んでる場合の2〜3倍は入った、だもんで酒代がカサむ( 笑 )。海自の食堂の飯が一寸っとプアだったのが寂しかったけど、補給をハイ・コストな空輸に頼ってたから文句は云えない。
昼飯に渡されたフード・パックには、白地に水色で「機内食」「厚木航空隊」って刷ってある紙をかかっててサ、それ見る度につい空を眺め、「上から見た太平洋ってどんな風かなぁ?」って思ったもんだ。
隊員の間で流行ってたモノ、釣り,ガジュマルの盆栽,ランニング( 走破距離に応じて八丈島コースとか稚内コースとか色々あった( 笑 )。それにアクリルを固めて置物つくってた隊員さんもいたな、砂時計とかちっちゃなサソリとか入れてネ。
俺が行ってた頃は、ロラン( GPSなんて無い時代でネ、1種の電波灯台 )を維持管理するため、米コースト・ガードが島の北端に陣取っていた。隊員とは極めて友好的な関係で、毎週末にサッカーの試合をしていたよなぁ。
随分昔の話なんだけど、ホ〜ントいい島だった、何年も過ごすのはキツイと思うが。
271 :
フェチ:01/11/16 00:27 ID:bnnps7Jy
>100
伏龍はもう少し後では?
272 :
名無し三等兵:01/11/16 04:25 ID:8Q1uMNkO
>270
ある意味日本に残された最後の楽園ってやつですね。
しかしそうなった理由を考えるとやっぱり鬱だ・・・
273 :
名無し三等兵:01/11/17 15:43 ID:y4aIV3Af
age
274 :
名無し三等兵:01/11/18 19:43 ID:QyUydYWp
>>270 「イオージマ・ナンバン」
あれ、辛すぎ。小学校の時に幹部の子供からもらって給食のカレーに混ぜて食べ
たら辛過ぎてひどいめにあった。
275 :
名無し三等兵:01/11/20 20:46 ID:EYdujHCY
硫黄島に限らず、まだ遺骨が散らばっている地がいくつもあるんだよね。
ボランティア募集とかを政府がやってくれれば行くんだけど。
くだらんODAを削ってでもやってほしい。
旅費・食費のみ政府もちのボランティア。
276 :
名無し三等兵:01/11/20 21:11 ID:txsSTxYy
だから前から言ってたんだよ。
米海兵隊なんざ硫黄島で皆殺しに、しとけば良かったんだって。
それでも、だいぶやっつけたんだけどね。
どうやら、やっつけ足りなかったみたいだな。
277 :
名無し三等兵:01/11/20 21:26 ID:NOb3WEDj
空母機動部隊なんて当時の日本の国力で扱えるシロモノじゃない。
97式中戦車と38式歩兵銃が当時の日本にはふさわしい。
無理をしないでそれだけで戦ったほうがよっぽどが有効だ。
1944年以降で頼りになるのは神風特攻と陸軍だけだ。
>>277 ただ単なる誤爆のような気が・・・(^^;
280 :
名無し三等兵:01/11/23 16:58 ID:fBeQb5Bh
age
281 :
名無し三等兵:01/11/25 22:47
>>275 同意します。
余談ですが欧米の人は遺骨にはそれほどこだわらないようですね。
282 :
名無し三等兵:01/11/25 23:04
283 :
名無し三等兵:01/11/25 23:06
「いおうとう」か「いおうじま」 どっちが正解?
285 :
名無し三等兵:01/11/25 23:38
イオージマとかスリバチはもう退役したんだっけかな
「硫黄島の決戦」を読んでるけど、この本は勉強になる。
日本人を殺しまくるようなゲームを発売する日本版発売もとは、逝ってよし。
>>282 >決死の覚悟で臨んでくる日本軍は胴体や手足に銃弾を浴びせても、ひるまず突進してきます!
>彼らを仕留めるには頭部を狙い、即死させることです!
>「硫黄島」では、銃弾を与えた(受けた)個所によって、与えられる(受ける)ダメージ量が変化します。
おいおい日本兵はバイオのゾンビか(w
289 :
名無し三等兵:01/11/27 00:15
ところで硫黄島の戦いに参加した日本軍部隊は、どんなものがあるんですかね?
>>282 >立てこもる日本軍に火炎放射!
>右に見える仲間は小屋から出てくる日本軍を射撃する
WARシムならばともかく、シューティングゲームとは、マジムカツク。
鬼畜米英にとっては、日本人は射撃の的に過ぎないのか(怒
>>282 つまりは、「ポスタル」の硫黄島版ってコトなのかね?肉食人種のセンスは理解できん。
つかゲームの事はそっちのスレでやれよ。
いちいち噛み付くなって。こういうゲームが作られる事によって、アメリカ人が
硫黄島に対してどういう意識を持っているのか解るんだから。
>>293 ValuSoftぐらいでアメリカ人の硫黄島に対する意識がわかるのか?
ドイツでウルフェンシュタイン3Dが発売されたようなもんか。
リアルな硫黄島戦はシューティングゲームなんぞにはならんとおもう。
どういう形にせよ、こういう商品が発売される事が勝側の余裕だと思われ。
たいした事は無いと思うが、リアリティを看板にしているから、部隊の配置や
呼称は現実から引用しているかも。もしそうなら資料的な価値もあるかもしれない。
どっちにしても俺は絶対買わないけどな。
300ゲット!
301 :
名無し三等兵:01/12/01 00:36
47ミリ速射砲弾がM4の主砲砲口に飛び込んで撃破!ってエピソードは
硫黄島戦でのこと、であってたかな?
302 :
名無し三等兵:01/12/01 00:42
303 :
名無し三等兵:01/12/03 20:16
age
>301
37ミリならレイテ島なんだけどね。
硫黄島か、スレ違いかもしれないが、その点は厨房だとおもって我慢してくれ。
タラワの戦闘に詳しい本はないか?
あれも鬼畜米兵にシンガポールにあったイギリスの大砲で大損害を与えたという皮肉な
戦闘だよな。俺からするといい気味なのだが。
関係ないようなのでsage
sage
307 :
名無し三等兵:01/12/15 08:38
age
>>伊-400
日記は終わり?
309 :
ヘルウイング:01/12/19 15:40
<余談ですが欧米の人は遺骨にはそれほどこだわらないようですね。
宗教的に審判の日に墓場から蘇らなくちゃいけないから土葬すんですね。
死者に選挙権は無いですが遺族にはあるのでアフターケア大事
朝鮮戦争で撤退時に後送できない遺体を埋めて奪還した時(1年以上とかザラ)
掘り返すとグチャグチャの腐乱死体の出来あがりですが、それでもどこの誰か
特定して遺族に送らなくてはいけないので、骨を一体一体鑑定するための施設
が日本に設けられたそうです(「骨は語る」より)腐敗がたいしたこと無い場合は
復元処理を施す。あとは映画でよくあるように星条旗かけたりして埋めます
中島飛行長の指示はなっちゃいねえ。
311 :
伊-400:01/12/21 03:10
>308
この日記、戦場に残された日記 勝見 明 プレジデント社
に書かれてあるの転載しただけだから
続き書きましょうか?
age
>312了解
1月23日・・・・・・隊長は聖酒の傳達式に今朝早く聯隊本部に出かけたので、
全体に隊内は静かである。彼が居ると、隊内は暴風が起ってゐる様で、実に不愉快
極まる次第なり。彼を想像するだに頭が痛くなる。・・・・・・
上陸後も「妻の寫真を切り抜き、腕時計のケースに納め、毎日見る事にした」
と書いている。
(昭和十八年)四月六日の晩に別れたのが最後 と記述ある
3月13日(昭和十九年)妻より便りが一通来た。開封をして見ると、寫真が
二枚有り、それを見た時に思はず胸がどきんとして、鼓動と激しさを感じた。
なぜか、それは余りにも其の姿が若返ってゐるからである。まるで、娘の様な
感じがして、何んだか、おそろしい様な感じさえした。そして、何回となく
其の寫真を繰返し繰返し、これをながめた。
食糧事情が悪化する中で、病後の体の体力を回復しようと求めるのか、
隊長批判と並んで食べ物の話も繰り返し出てくる。
「昨夜の寝られぬ原因は、色々と食べた物の事を次から次へと連想しては
生つばきを飲み飲み・・・・」
「殊にトンカツ。あの揚げ立ての味は何んとしても忘れる事が出来ない」
「まったく食ふ事より他に何んの楽しみもない。銭を使う所とてなく、
隊のめしを食ふことだけで、実に口淋しい」等々。
1月23日(昭和二十年)・・・・・・まったく色気と云ふものがなくなり、
女なんて云ふ事を考へた事もない。専ら食ひ気にばかり気を取られる。少しは
家内の夢でも見たいと思ふが、どうしても見る事が出来ない。・・・・・・
1月27日・・・・・・昨夜は珍らしく妻の夢を見た。それも妻は何にか僕に
不服を感じてふくれ顔をして居る顔だ。ほんの瞬間的であり、すぐに消えて
しまったので残念なり・・・・・・。
1月29日・・・・・・硫黄島に三月上陸以来、もう一年になんなんとして
居る。早いものだ。此の間、随分、危険な事も有り、又、精神的労苦と云ふ
ものは一通りではなかった。此の精神的労苦も現在の指揮統制のやり方が下手
であり、人権方面に於いて零の人物で有るため、余計なる気苦労をしなくては
ならず、まったく無駄な精神的労苦が多いので、考へれば甚だ馬鹿らしい事と
思ふ。今少しの辛抱であると我慢をしてゐるのである。・・・・・・
1月29日(昭和二十年)・・・・・・酒井上ト兵は一昨日の船にて内還となれり。
彼も永い事病気をして居り・・・・・・このま丶本島に居たならば待ってゐるの
は死のみである。・・・・・・(彼の)母親は物やさし相な人で・・・・・・
私に宜敷く頼むと云ったが、彼の発病以来何にもしてやる事が出来なかった。
・・・・・・(彼は)人懐しい人物で、母から手紙などがくると、よく私に
見せたものである。私も彼を非常によく可愛がった。
1月29日(昭和二十年)・・・・・別に大した用事もない関係か、無精に
本が読み度くてならぬ。精神方面の修養をもっと積みたいが、そう云ふ本とて
なく、文庫類を読んでゐる。帰ったなら、今度は経済学を勉強し、もっと世の
中の事を研究し、智識を広めなくてはならぬ。・・・・・・これからは寸暇
をおしみて読書し、人格、識見の向上を計らねばならぬ。出世をする人は
皆な読書を非常によくやるものだ。本年は三十七才。・・・・・・未だ基礎
すら出来て居らず、これでは人生の落伍者になるばかり。四十才迄には何
んとか其の基礎を築き上げなくてはならぬ。・・・・・・
過去を省みると今迄は余りすべて總て積極的な所がなく、凡々と過して来た
事をくいてゐる。今からでも遅くはない。必ずや希望の彼岸に達して見せる。
別の記述で、自分の万年筆のペン先をいくらとがらせても太く書けてしまうのを気にし、
そういう自分の性格を「一寸神経質なところがあって遺憾である」と自省している。
隊長のことを「気にすまいと」と思っても「気にせざるを得ない」。
323 :
伊-400:02/01/01 05:36
>>305 タラワ島の戦いなら
秘蔵写真で知る近代日本の戦歴14
玉砕の戦場孤島の死闘-アッツ・キスカからタラワ・クェゼリン・
ペリリュー 三ヶ野大典 フットワーク出版社 1980円
ISBN4ー87689ー142ー7 C0021
ってのがあります。
2月5日・・・・・・隊長が軍曹に曹長(注・高野さんのこと)を早く激務休
(注・激務だけ休ませる)にしろと云ってゐる相だ。何にか魂膽があるらしく
思はれ、彼一流のやり方である。自分としては体も本調子ではなく、今少し
休養したいのであるが、彼は早く仕事をさせたくて仕方がないのだ。否、
むしろ仕事をさせたいより、休んで居る事を極端に嫌ってゐる事がよく解る。
練兵休患者の食事を半食にしろと云ふ位の人間であるから、其の心持ちたるや
、察するに余りあり、血あり、涙アル人間ならば、到底こんな言辞を吐く事
は出来ないと思ふ。考へるだに癪にさわる。・・・・・・
2月7日・・・・・・愈々明日より事務室に出る事になった。肝臓の痛みは
未だ完全に取れたとは云へぬが、隊長がやかましく、何時迄も休む事が出来ず、
仕事をする事にしたのだ。午后、道路上にて隊長に会ふと、何時迄寝てゐるのか
と頭からどなり付ける。又、馬鹿がどなったと腹の虫をおさへ付けたが、癪に
障る事一通りならず!ブチのめしてやり度い程だ。
患者と云ふと目の敵にし、如何にも無駄めし食ひの人間の如き扱をする。
世間にこんな人間が有ろうか。彼が地方に居る時に近所付合などは何んな風
であったろうかと想像して見たくなる。
今少しの辛抱と之れ迄我慢をして来たのである。実に憂ウツな部隊此の上なし。
明朗なる所は少しもなく、ただ自分本位に總べてを處理すると云ふ野郎だ。
人間とは思へぬ。鬼畜に等しい。物欲、色欲にかけては此の上なしの人間
、世にもこんな人間が居ると思ふと実に情けなく思はれる。・・・・・・
2月5日(昭和二十年)来月は女の節句であるが、我が子の節句をまだ一度も
してやらぬが、来月の節句にも東京の土を踏めるか何うかわ、今の所疑問で
ある。子供も発育盛りで随分大きくなり、生まれた当時の俤もない様に成長
してゐるだろう。そして私と初めて会った時に、お父さんとしてすぐになつくか
何うか。子供も一寸、テレル事と思ふ。早く会ってやり度いものだ。そして、
精一杯可愛がってやりたい。
2月7日・・・・・・午前三時半頃、小便しに起き・・・・・・未だ時刻も
早いので、床に入り漸(暫)しまどろんでゐる中に、母がはるばる硫黄島迄
面会に来てくれ、然かも、両手には納豆と甘い物をたくさん持って来て僕を
喜ばしてくれた。
母は至って元気な顔をして居り、出発前よりも若くなった様に見えた。そして
、その品物を受取り、これからゆるりと語り合ふとしてゐる中に目が覚めて
しまった。母の夢など暫く見た事がないのに珍らしい事が有るものだが、
出発以来二年余り、両親も随分と年を寄られた事と思ふ。考へると今迄は
余り孝養を盡してゐない。今度帰ったならば、老い先き短い両親を喜ばして
上げねばならぬ。両親もこれ迄余りこれで安心と云ふ生活も出来なかった。
家庭の事情も色々有ったが、幼少の事より振り返って見るに、長男、次男
と早く死別したので、両親も非常な不孝な目に会ってゐる。其の事は自分
は子供の時からよく解って居り、両親の面倒を見ねばならぬと云ふ風に
考へて来たのである。
現在は両親と妻子が我が家に居るが、随分と心細く思ってゐる事だろう。
私の帰りをキット待ちあぐんでゐる。早く帰って其の喜ぶ顔を見たいものだ。
朝食後、壕外に出て見ると、防空壕周辺には無数の爆弾が落下し、樹木は
飛び散り、悲惨な有様を呈してゐる。いつまで続く此の爆撃はー。・・・・・・
あげ
329 :
名無し三等兵:02/01/07 03:27
330 :
名無し三等兵:02/01/07 06:59
死傷者が米軍のほうが多いと聞いて、勘違いしちゃうけど
死者は日本軍の方がおおいんだよね〜
331 :
名無し三等兵:02/01/07 23:29
擂鉢山に旗立てた(有名なほうね)6人の海兵隊員のその後だけど
3人はその後硫黄島で戦死、1人は往年のヒーローとして積極的に式典に参加してたが
後年酒を覚えて失職を繰り返し79年失意のうちに死亡。もう1人はインディアンで
プレッシャーから酒のトラブルを繰り返し55年、野外で泥酔して凍死。
最後の一人は一市民として平穏に生き94年死亡。
96年8月号の○より。まともに人生送れた奴一人しかいないね。
>>330 戦争というのは敵を殺すよりもむしろ生かしておいて
相手に消耗を強いる方が良いのです。
そういった意味でも先人の方々はよくやったと思います。
2月8日 大詔奉戴日 聯隊長の精神訓話は病気のため中止となり、中隊長
(注・隊長のこと)が訓話をす。例の通り、きまり文句の事ばかりで、これと
云ふて、感銘を与へてくれる様な事は一言もなく、結論は自己擁護の事で
ある。毎度の事で又かと思ふのみ。・・・・・・
2月11日 紀元節 ・・・・・他の中隊は休養をしてゐるが、我が中隊
のみは作業続行である。隊長は兵十名を連れて聯本(注・連隊本部)の作業
に出かけた。自己の成績を認められんと、そんな時には余計に仕事をさせる
隊長だ。・・・・・・
2月21日・・・・・・硫黄島の激戦も内地に報道されてゐるので、皆なは
如何に心配してゐるか。覚悟は既に決めてゐる。三十七才を最後として潔く
敵中に突進する迄である。功子(注・娘の名前)の大きくなった顔を一目見たい
と思ってゐたが、(二年前の)四月六日の晩に別れたのが最後であった。
あの頃よりは大分可愛くなり、今でも笑顔が目の前に浮んで来てならぬ。
あとは万事、妻よ、宜敷く頼む。別に新らたまって云ふ事もないが、お前にも
随分と苦労をかけた事を済まぬと思ってゐる。之も君国のためだ。
両親と子供を頼む。国分寺(注・両親の家)の方にも色々と世話になり放しですが、
お前が其の分孝養を盡してくれ。靖国神社でお前達の来るのを待ってゐる。
神田の町が懐しい。
2月27日・・・・・・午后、疲労のタメウトウトしてゐる中に故郷の夢を
見た。母と姉、国分寺の人達が皆な元気で働いてゐる姿、そして、その中に
妻も居たが、一言も口をきかずに目がさめてしまった。・・・・・・
オレの婆さんの弟。
歩兵第百四十五連隊(静11963)第二大隊所属。
硫黄島にて戦死。
戦死公報にはそれだけしか書いておらず、昔婆さんの頼みで調べてみたこと
がある。すると千鳥飛行場周辺での防御戦中に戦死したことが判った。
もともと第百四十五連隊は、米軍占領下のサイパン島に逆上陸をかけるため
精強な南九州の兵を中心に編成された部隊。
横浜で配船待ち中に命令を変更され、小笠原兵団の中核戦力として硫黄島に
転用されることになった。
この話を知ったとき、妙に悲しい気持ちになったのを覚えているなぁ・・・。
339 :
名無し三等兵:02/01/10 07:30
ベトナム戦争を経験したベトナムの将軍が
硫黄島の米軍死傷者数を聞いて
「なぜ、アメリカはそれだけの損害を食らって
撤退しなかったのか。」
と驚いたらしいね。
テト攻勢ごときで驚いて撤退したへなちょこ米軍
のイメージが強いのでしょうね
340 :
名無し三等兵:02/01/10 20:22
341 :
名無し三等兵:02/01/11 18:09
>>340 >
>>339 > でもテト攻勢はすぐ鎮圧されたでしょ。
>
「でも」の意味がわからねえよ
342 :
名無し三等兵:02/01/11 18:50
>>339 上層部は硫黄島は、すぐに占領できると高をくくっており
尚且つアイスバーグ作戦の準備のため十分な兵力を送らなかった為
硫黄島はアメリカにしては珍しく軽視し過ぎたね
343 :
名無し三等兵:02/01/11 19:01
日本軍がガ島ではまったのと同じだね。(規模はまったく違うけど)
簡単に占領できる→軽微な事前爆撃と艦砲射撃
いざ上陸→とんでもない十字砲火
焦って追加爆撃と予備兵団の催促→知らぬ上官は進め進めと言うばかり
結局3日で占領が1ヶ月近くもかかってしまい、死傷者は日本軍を上回る。
こんなことなら沖縄戦を1ヶ月延ばしてでも、
十分な戦力を硫黄島に注ぐべきだった。
3月8日 総反撃決行日。18・00、防空壕を出発の予定。正に決死の行動なり。
目標は舟見台よりパイプ山なり。中隊長以下生存者全員之れに参加。敵陣地を
爆サイせんと意気軒昂。20時、先遣隊を先頭に自己小隊30名を引きつれ砲撃
照明弾の中を弾根つたいに敵陣地に接近す。・・・・・・
少し頭を出すと、すぐに機関銃の掃射を受ける。目的地のパイプ山へは到底
行く事が出来ない。敵第一線の鉄条網附近は相当警戒厳重にして、先遣隊の
鈴木伍長以下六名は悉く此の線に於て戦死す。我小隊も此の附近迄進出した
ものの、身動き出来ず・・・・・・夜明の三時頃引上げ初め、我陣地に帰着
せり。
此の時、既に指揮班も帰着して居り、中隊長の行動は途中より不明となり、
夜明け迄待てど帰らず、おそらく戦死されたものと推定す。
3月11日 午前二時頃、突然戦死したと思はれた中隊長が帰ってきた。パイプ
山迄行って来たと豪語して居り、部下がそれに続かぬとて怒り抜いて居るが、
彼も亦、パイプ山迄は行く事が出来ず、途中で引き返して来たにも係わらず、
目的を達したといばり抜いて居る。実際、あきれた人間だ。隊長と一緒に行動
したものは、悉く戦死又は傷ついてしまひ、隊長丈けは無事に帰ってきたの
である。・・・・・・
4月10日 午后一時壕内自室にて。我が八号陣地の上には敵陣地が出来、
盛んに発射してゐるのか頭上でガンガンと鳴ってゐる。・・・・・・我が
防空壕より外に出る事は不可能となれり。水の無いのが何により苦痛なり。
雨よ降れ、敵陣地が流れる程降れ、神かけて祈る。・・・・・・
壕内も奥に這入ると汗と患者の臭気でむせ返る様だ。患者も少量の水の配給
に相当苦痛を感じてゐる。小林茂二等はその為、四、五日前に手榴弾を以って
自決せり。・・・・・・
思へば過去は懐しい。そして、楽しい事が多かった。それに引き替へ、
現実は穴の中に閉じ込められたま丶で、最后の突撃を待つのみなり。
水と煙草を腹一杯に吸ひ度い。今の慾望はそれのみ。
4月12日 防空壕附近の(敵の)道路構築作業の音が頭にひびき、寝むる事が
出来ず、神経衰弱になり相だ。
4月13日 午后一時五十分頃、空襲警報発令のサイレン聞ゆるも友軍機の
姿を見る事が出来ず、残念なり。
日記はここで終わり、空白のページが続く。
>伊-400殿
お疲れ様でした。
いいお話をありがとうございました。
この日記は、戦死した兵から回収されたものなのですか?
そうらしい。戦争中、戦地で日本兵の日記を捕獲し、翻訳していたと
ドナルド・キーン氏の著作「百代の過客」(朝日新聞社刊)の序文で証言している。
情報戦を最重要視したアメリカ軍は、「ノウ・ユア・エニミー」(汝の敵を知れ)
が情報戦のスローガンだったから、日本軍の情報を収集、解読・分析に躍起に
なっていたから・・。
どんな文書でも捕獲し逐一翻訳したアメリカ軍はとんでもない強敵だったと思うよ
いまさらだけど・・・
352 :
名無し三等兵:02/01/18 20:02
良スレage
353 :
名無し三等兵:02/01/27 00:20
生き残り日本兵が飛行場に切り込んだって本当?
354 :
名無し三等兵:02/01/29 16:01
硫黄島でもそうだけど、戦闘死傷による米軍の損害は欧州より遥かに少ない。
火力でいえば太平洋戦なんてまるでお遊びのような小さなものだったろう。
けども太平洋の戦場は欧州と違い戦争が無くとも人の住める場所では無い。
フランスと硫黄島では、どちらがどれだけ住みよい場所であったろうか。
それだけに長引けば長引くほど日本のみならず米側にとってもつらいわけだ。
飛行場に切り込んだ日本兵ってのは、分からないし、
ただいま、私、ネタ切れです。精進します。
356 :
名無し三等兵:02/01/30 12:32
硫黄島って、今はどうなってるの?
357 :
名無し三等兵:02/01/30 12:36
358 :
名無し三等兵:02/01/30 12:37
「硫黄島の決戦」引っ張り出して熟読したところ、有りました。
飛行場に切り込んだ事例は、
2月19日南海岸の左側に上陸した第五海兵師団に対して100名以上の
日本兵が第一飛行場の南端の地帯で斬り込み襲撃したと
だが、アメリカ第27連隊の機関銃、小銃の弾丸、海兵第13連隊(砲兵連隊)
の弾幕で迎えられ阻止されたと、戦死、重傷以外の者はタコツボに戻ったと
2月22日中地区から西地区に退却していた歩兵第百四十五連隊第一大隊は、
二十名で組織し、西海岸沖を泳いで西揚陸場南方に「逆上陸し」附近に潜んで
いた友軍と一緒になって、千鳥飛行場北端の戦車、砲兵集結地を襲ったと
「相当の戦果を上げた」というが、公刊史には具体的な戦果の内容は記されていない。
この挺身斬込隊が生還できたかも不明。
2月24日元山飛行場第一、第二滑走路が交差する北側にあたるタンク岩近くで
独立歩兵第三百十一大隊と独立速射砲第十大隊第二中隊、同第三中隊兵力約1000名弱
と米軍戦車二個大隊、約二個連隊と衝突し守備隊が挺身攻撃を繰り返し一進一退
で最後は接近戦、白兵戦になり、タンク岩地域を米軍に占領されたと
2月28日元山飛行場正面にあった西戦車連隊第三中隊、午前中から総攻撃を開始し、
第一中隊もまた二両一組で突撃し最後は白兵戦となりこの日だけで第二十六戦車連隊
は八十名が戦死したと。
3月8日歩兵第百四十五連隊第三大隊
独立速射砲第八大隊
独立速射砲第十一大隊
工兵第二中隊
独立歩兵第三百九大隊
突撃中隊
野戦さくせい(?井)第二十一中隊
海軍部隊
独立歩兵第三百十大隊
独立機関銃第二大隊
混成第二旅団砲兵団主力
師団工兵隊主力
混成第二旅団司令部が、元山飛行場目指し薄暮に総攻撃かけたが
無数の照明弾打ち上げられ真昼の明るくされ夜襲完全に察知され米軍陣地前で
多くが倒されたと。突破、突進できたのは一部で元山飛行場に達しひと暴れして
再び玉名山の陣地に引き返したと
約八百名の内生き残ったのは百名前後。
3月25日夜半の兵団司令部の総攻撃は約400名
その内の一部が生き延びて元山飛行場、千鳥飛行場に達したが、一戦交えて
大部分が命を絶ったと
飛行場に切り込んだって事例を挙げてみた。
やはり、切り込みはたとえ夜襲でも戦果は上がらないと思う。
切り込める兵力あるならたとえ不利でも
粘って狙撃をしていたら良かったと思う。