もし、元寇で神風が吹かなかったなら。

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1名無し8等兵
弘安の役で、モンゴル軍14万に神風が吹かなかったなら、日本はどうなっていたでしょうか?
2鎌倉幕府顧問:2001/07/12(木) 00:05
その時モンゴルの属国となって、
今ごろは台湾状態になってるでしょう。
3名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:08
九州で歴史的合戦があったでしょうな
4名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:09
神風特攻隊が存在しない。
5あしゅら:2001/07/12(木) 00:09
当時の日本の武士たちでは敗北してたかな?

無知なので誰か教えてください
6名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:12
その50年後にモンゴル帝国は崩壊してなかった。?
7名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:15
>>5
糧秣の調達に難渋し、鎌倉武士(だけじゃなくて農村の武装農民もだろうけど)
のゲリラ戦に疲れ九州の確保も覚束ないでしょう。

ほとんど皆殺しで一部生き残りが九州のどっかに生き残って集落を作り今まで
続いていたかもね。
運が良ければ馬の名産地になれたかも知れない      かな?
8名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:17
われわれが元の末裔になるだけ。
9名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:18
勝ちますよ。
カミカゼなんかなくても、鎌倉はともかく、京都まで進出できたかも謎。

恐らく摂津河内の低湿地あたりで、大規模な包囲殲滅戦があったのでは?
10名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:19
末裔は花火職人。
11名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:19
どうも日本軍が包囲殲滅されそうだな。
12ロンメル太郎:2001/07/12(木) 00:19
どっちにしろ、日本防衛は成功していたと思います。
土塁まで築かれた山国で、機動力を生かせない軽装騎兵が
地の利を得た重装歩兵(侍)に上陸を阻まれていたところに
台風が押し寄せて勝負を決定付けた…というのが真実では?

仮に神風が吹かなかったとしたら、
純粋な武力によって夷を打ち払った幕府の威信はますます高まる一方で
武士たちへの論功行賞もまた重くなり、鎌倉幕府の台所事情は悪化…
と、まぁここから先は日本史板向けの話題かと。
13名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:19
幕府軍は大宰府で決戦するつもりだった様ですな
14名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:20
この間のNHKの「その時歴史は動いた」を見たら、
二回目の時のモンゴル軍は上陸すら無理だったらしいな。
15名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:21
弘安の役って何回目?
16名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:25
>>12
軽装騎兵ったって日本に来るときは歩兵だよ。
172回目:2001/07/12(木) 00:27
18マンシュタイン:2001/07/12(木) 00:27
九州は中国領土の一部となり、現在、日中間の火種となっている可能性がある。
19名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:28
「文永の合戦で手並みの程はみつ。勝つべしとも思えず」
誰か現代語訳して。
20名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:39
やはり祖国防衛戦は守る側が有利だよ。
21名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:39
>>19
この間ので敵の手の内はみたから今度はこっちのもんだ

ってとこじゃないの?
22標定射:2001/07/12(木) 00:42
完全に鎌倉武士団の勝利は動かない。

元・高麗連合軍は、基本的に陸上軍。揺れる船上は絶対に避けたいはず。
しかるに、来寇軍は『船上に待機』し続け壊滅した。
これは、日本武士団の戦闘力が極めて強く、
陸上での夜襲、あるいは糧秣船・軍船の焼き討ちを恐れたためと思われる。
まず、元・高麗軍に勝ち目はなかった。

>>12
16氏に同意、多数の馬を搭載して玄界灘を横断できたとは思えず。
23マンシュタイン:2001/07/12(木) 00:46
ひとたび橋頭堡を築けば、日本軍に勝ち目はない。
24名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:47
「みつ」の「つ」は過去完了を表す。
「べし」は可能を表す。
25ロンメル太郎:2001/07/12(木) 00:54
>>16
そういや、例の
有名な「てつはう」を散らしている元寇の図でも
モンゴル軍は徒歩でしたな。忘れていました。

騎兵が馬から降りてちゃ勝てる道理がない…。
26名無し三等兵:2001/07/12(木) 00:58
1は今月の歴群マガジンを読んだな(w
27名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:04
神風が吹かなかったって説があるって聞いたんだけど・・・。
28名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:21
>>27
確か元軍側が撤退した頃に追い打ちがかかる

って漢字だったと思うよ。
29名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:23
>>26
今日の「その時歴史は動いた」でやってたよ。

>>27
一回目は威嚇の為上陸はしたけど次の日には退却。
二回目は台風で全滅。って言ってた。
30名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:26
弘安の役の時は時期的に台風はおかしいって話は
前からあったよな。
31名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:32
17のリンク先見ると、2回目は鎌倉軍は優位に戦いを進めたようだ。そこへ追い討ちを掛けるように暴風が蒙古軍を襲った。
ぼろぼろの蒙古軍を、鎌倉軍が掃討戦か。
32名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:32

なんでアホの一つ覚えみたいに防塁のある博多から上陸しようとしたので
しょうか? 長崎や鹿児島・宮崎あたりから上陸してもいいと思うのですが
33名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:33
太宰府への最短距離だったからだと思う
34名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:33
あげんな、バカ。 あげんな、バカ。 あげんな、バカ。
35あしゅら:2001/07/12(木) 01:34
船が沢山あるなら幾つかに分けて
方面軍を決めて上陸しても良いような気が。。
36名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:35
分進合撃は難しい
37名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:37
仮に瀬戸内海までモンゴル軍が入ってきたとして、
海戦で幕府軍は勝てたのかな?
38名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:38
>32
前回 成功せてる。隠岐 対馬の後方兵站基地から近い。蒙古軍の船舶は粗製濫造であり外洋船でないはず。
防塁があると思わなかった。防塁は初回の後、施工した。
39名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:40
複雑な瀬戸内海の水先案内を出来る人間が元軍には居ないだろうからね。
かえって元軍水上部隊は苦戦、それどころか座礁したりバラバラになったりして
後のスペイン無敵艦隊並みに悲惨なことになったかも。
40名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:40
西日本の政経の中枢部である太宰府を含む北九州を制圧し、
その後腰を据えて兵站を整え東上する積もりだったと思う
いきなり畿内や鎌倉に上陸しても兵站が続かないと思われ
41名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:41
>>38
水城があったんじゃないの?
42名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:44
元は陸続きであって無敵なんだよ。
高麗の江華島?の亡命政権には長らく手を出せなかった。
元寇と同時期のベトナム侵攻も大失敗してる。
43名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:45
つか、侵攻軍の主力は半島出身の歩兵
44名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:47
やる気なかったのねん。
45名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:49
元寇となると必ず出てくる日蓮が
実はとても迷惑な存在ではなかったかと
思う私は仏敵でしょうか
46名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:51
確かに日蓮はウザイ。
4738:2001/07/12(木) 01:52
http://www1.linkclub.or.jp/~yukos/dazaifu/d0cgenko.htm
>41
これを見ると役に立ったと言い切れるか私には、判断つかない。
48名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:53
え、そんな事いわないでよ。うち日蓮宗の流れなんだから。お寺じゃないよ。
49名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:57
>>42
ジャングルの中じゃ羊連れて歩く訳にもいかないだろうし騎馬の機動力
も役に立たずか。漢人を大勢動員しても今度は兵站が大問題。
ベトナムは無理だなー。日本も山がちの地形ばっかりで羊を何万頭も
連れて歩くのは無理そうだねぇ。14万人を食わせて時々合戦させるだけ
の物資を継続的に高麗あるいは大陸から運ぶにはどんだけの船が必要に
なるんだろう?朝鮮討ち入りの時兵站線は崩壊してなかったのに結局
撤退してるし同じ様な展開になるのかな。
50名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:58
>>47
元軍は水城を見て追撃を止めたと聞いたことがある
実戦での地形障害としての有効性に疑問があるのは同意
51名無し三等兵:2001/07/12(木) 01:59
>>48
でも大河ドラマ見てると日蓮がなんか電波受信してる様にしか見えない(w
奥田英二って日蓮嫌いなのか?とか思うくらい。
52名無し三等兵:2001/07/12(木) 02:04
>なんでアホの一つ覚えみたいに防塁のある博多から上陸しようとしたので >
>しょうか? 長崎や鹿児島・宮崎あたりから上陸してもいいと思うのですが

今では道路も整備されているし、少し前でさえ荒れた陸路でも自動車を
使えましたからどこにでも上陸できそうです。
当時は馬ですが、道は狭く、あってなきがごとし。
大軍(1万2万でも)を一箇所に上陸させてもあとはひしめきあって動きが
取れない状態になります。
宮崎の青島海岸など上陸できると想像しがちですが、まずそこまで進む海路
というものがそうカンタンではない。
舟で九州をぐるりと回っているうちに、武士団は
かれらの到達地点に戦力を集められます。
だいたい、最初の元寇のときは不意打ちに近かったから武士団の数は現地に
即座に集められなかった。
分散していた武士を集中すれば容易に撃退できたのです。事実、応援部隊が
当時西方から集結しつつあったと聞きます。
実際は当時の舟のノロイ沿岸航行では内陸の交通手段自由にあつかえる日本側の
戦力集中においつけない。
船上生活を持久できるほどの海洋技術もありませんでした。
したがって「タタラ浜辺」しか彼らの上陸する地点はなかったのです。
それが彼らにとっても最上の策でした。
遅かれはやかれ結果は同じ。彼らに勝ち目はなかったのです。
台風はもっと悲惨な彼らの末路を止めてくれた、彼らにとっても神風
だったのです。
53名無し三等兵:2001/07/12(木) 02:08
元寇は対中国戦の支作戦みたいなもんだったから、
大陸貿易の中枢である北九州さえ抑えれば良かったと思われ
5448:2001/07/12(木) 02:09
>51
電波て・・?  まあ、あの時代で考えれば新興宗教だから仕方ないのかもしれない。
脚本家、演出家、監督に掛かれば悪人も善人になる。
55名無し三等兵:2001/07/12(木) 02:10
最後の二文が意味不明だがな
56名無し三等兵:2001/07/12(木) 02:11
>>48
学会員は逝ってヨシ!
57標定射:2001/07/12(木) 02:12
>>32
>なんでアホの一つ覚えみたいに博多から上陸しようとしたのでしょうか?

来寇軍支隊は、長崎県平戸や山口県西海岸に襲来上陸している。

博多湾にこだわったのは、太宰府に近いということと、それ以外に、
以後の兵站根拠地としての整備された博多湾が欲しかった、それに
博多湾を非占領のまま放置すると、兵站連絡線である壱岐・対馬が脅かされ、
退路が保持できない、・・・からだと思われる。
58名無し三等兵:2001/07/12(木) 02:15
>57
蒙古は大宰府が、行政都市である事を知ってたんだろうか?
59名無し三等兵:2001/07/12(木) 02:16
橋頭堡を築いても、そこにどこから兵隊を送り込むかが問題です。
当時すでに鎌倉日本は高麗よりも多くの人口を抱え、兵隊供給
能力そのもので凌駕していましたから、高麗だけでは限界があります。
あとは朝鮮経由で中国から送り込むしかありませんが、ご存知の通り、
当時の宋人に軍事を訓練させ大軍を編成するのは至難。
できても烏合の衆でしょう。
南からの舟の輸送は弘安の役が語っていますが、莫大な出費と
準備が必要であり事実上あれが限界であったでしょう。
結局モンゴルの精鋭を繰り出すしかありませんが、もともと数が少ない
上、戦のやり方も違う。かえってそれを使うと本陣が空洞化し、
日本遠征が元の命取りにさえないかねない。
人、物、いずれをとっても無理でした。
日本よりも軍事で劣っていたベトナム、インドネシアでさえ、
上陸はしたものの戦いを続けられず撃退されているくらいですから。
60名無し三等兵:2001/07/12(木) 02:34
>>58
知らないわけはないだろ。民間での貿易は行われてたし、
国家としても何度も使者を派遣しているくらいなのだから。
この時代にクラウゼヴィッツもないものだと思うが、
敵主力野戦軍の殲滅(鎮西奉行)と首都の陥落(ただし九州地方の)を
意図してたのは確かだ。その成否はともかく。
61名無し三等兵:2001/07/12(木) 02:55
つまり、攻勢限界点ってことか。
62888get:2001/07/12(木) 06:00
そのとき、どこからともなく「ウラー」との声が・・・・。

なんとあそこにへんな前張りした者達がピンクローターをもって突撃してくるではないか。
「あれはオマムコ・・・」

そう一部の風俗嬢達がなにをとちくるったか戦場に表れたのだ。
63名無し三等兵:2001/07/12(木) 12:45
史上最大の作戦age
64名無し三等兵:2001/07/12(木) 13:16
弘安の役ではすでに山口に幕府軍3万が到着していたので
南宋の軍とあわせて上陸しても地の利と補給の観点からも
元側の敗戦は確実である。
65名無し三等兵:2001/07/13(金) 19:48
age
66名無し三等兵:2001/07/16(月) 04:57
元が滅亡しないで3度目、4度目をやってたら、どうなったかな?また、逆に、幕府が朝鮮半島に反撃しに行く計画があったみたいで、もし、実行されていたら、どうなっていたんだろう。
67名無し三等兵:2001/07/16(月) 08:44
>>66
>>53氏の言う通り、元の対日侵攻作戦のそもそもの目的とは当時大陸において依然大きな勢力を持っていた南宋に対する
政治的・経済的包囲網を完成させること、つまり支作戦だったのです。
支作戦に国運を賭けるような真似はしないでしょうし、大陸の平定が完了していない状況で3度目、4度目を仕掛ける事は
物理的にも難しいと思われます。
元の敵は日本だけではないのですから。
68名無し三等兵:2001/07/16(月) 22:03
じゃあ、幕府軍が朝鮮半島に反撃しに行ってたら?
69名無し三等兵:2001/07/17(火) 00:39
>>68
これもやっぱり上手くいかなくて追い返されただろうなぁ。
高麗人が元に蜂起する、というのも考えにくい。
70名無し三等兵:2001/07/17(火) 01:05
どさくさにまぎれて独立したあげく、自らの力で手に入れた勝利なのだと言い出す高麗人ハァハァ(;´Д`)
71名無し三等兵:2001/07/17(火) 01:22
>>70
あーっもう、すっげーやりそうだよ、あいつら!!
そのあげく「ウリヌンは5000年の歴史を誇る大国ニダ」ってか
氏ね、氏んでしまえ!
72名無し三等兵:2001/07/17(火) 10:47
いや、「高麗人から独立を奪った鎌倉幕府の戦争犯罪」の賠償を求められそうな・・・
モンゴルに焼かれた文化財も、どさくさまぎれに日本のせいにされそうな・・・
73名無し三等兵:2001/07/17(火) 15:38
江南軍は食糧の輸送・供給部隊であり、戦闘部隊の主力はモンゴル軍も若干加わっている東路軍であった。「蒙古襲来−その軍事史的研究−」ではそう言っている。
74名無し三等兵:2001/07/17(火) 15:51
その当時はそもそも馬を渡航させることは出来なかったはず。
騎馬無しのモンゴルでは勝てないでしょう。
75名無し三等兵:2001/07/17(火) 17:08
蒙古は戦中で疫病も流行っていた。
ビタミン不足か?
この調子じゃ日本占領は無理だ。

ジャワ、樺太、ベトナムも攻略に失敗してる。
蒙古だって無敵じゃないよ。
76名無し三等兵:2001/07/17(火) 17:11
つか、朝鮮と組んだ時点で敗北だけどな。
77名無し三等兵:2001/07/17(火) 17:25
>>76
ハイハイそういう煽りはよそでやってくれ
78_:2001/07/17(火) 18:04
47さんの文献見る限り、元軍の火力装備は幕府軍を
圧倒していたようだね。苦戦は免れないと思う。
79名無し三等兵:2001/07/17(火) 18:21
大陸への逆襲が実行されなくて本当に良かった・・・
動員力の違いからくる兵力差もさることながら、「軍隊」としての洗練度が違い過ぎる
80名無しさん:2001/07/18(水) 00:21
元のは「軍隊」っていえるだろうけど・・・
鎌倉のは「武士団」だからなあ。
世界史板にモンゴルとヨーロッパの騎士団の決戦の詳細があったよ。
モンゴロイドがコーカソイドに…ってやつ。
81名無し三等兵:2001/07/18(水) 09:35
苦戦はするが、鎌倉武士団の勝利は間違いないと思う。
むしろ、南北朝の時に元が攻めて来たら・・・・。
まあ、負けるね。国内が統一されていたというのがこんなにも
ありがたいものだったとは
82うーあーうーあー:2001/07/18(水) 10:31
> むしろ、南北朝の時に元が攻めて来たら・・・・。
聖上の御聖断による南北一統が早まるだけさ。
83名無し三等兵:2001/07/18(水) 11:40
半島からの派遣軍も、江南からのも
基本的には当時の通商路をなぞった感じの侵攻ルートですね。<博多行き

他のルートは大規模船団を送るには不慣れだったり、
技術的に困難だったりしたのではないかと。

>>67
フビライ汗はいちおう日本に対しての第3回遠征を企画はしてたようですよ。
でも、戦費調達とかもあって不穏になった旧南宋領で
農民反乱が勃発し、揃えかけていた対日用の戦備が
反乱鎮圧に転用されてごたごたしているうちに、
フビライ汗が天に召されてしまったというのが第3回がなかった
事情みたいです。
84名無し三等兵:2001/07/18(水) 12:04
なにげに良スレ
85名無し三等兵:2001/07/18(水) 14:56
>>83
当時は、沿岸航法だしね。
更に大軍となると、水や食料の補給も大変だしね。
海に慣れてない蒙古にとってはそれしかないような気がする。
86名無し三等兵:2001/07/18(水) 16:43
意外と半島にじゃなく、沿海州あたりに武士が逆襲していたら
良かった思う。
東北の武士は密輸していたから航海はそれほど難しくはないと思われる
87異邦人さん:2001/07/18(水) 18:12
>>72
実際、現在韓国ではそう教えてるよ。
88名無し三等兵
防腐剤投下