独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

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834名無し三等兵
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 嵐の強まる様子は九月十八日のクライペの日記にはっきり描かれている。
その日はそうでなくてもヒトラーはひどい頭痛で一睡もできず、機嫌の悪い
日だった。「総統の会議の間に」とクライペは書いている、「オランダに
空輸上陸があったとの新たな知らせが入る。総統は怒り出し、空軍の無能
をののしり散らし、敵を迎え打つために戦闘機が何回オランダに出撃したか、
いま直ぐ知りたいという。私は航空団“ライヒ”に電話し、天候のせいで
今日はほとんど出撃しなかったのを知る。総統は私のこの旨の報告を最も
辛辣な批評に対する言い訳と受け取り、「空軍全体が無能、臆病で苦境に
ある私を見殺しにする。数多くの空軍部隊がライン川を渡って退却して
いるとの新しい報告を受けている」という。

(参考)http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/996244714/564