独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

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623名無し三等兵
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=07047444 P28
一九四四年六月六日のノルマンディー上陸作戦いらい、連合軍のヤーボ
(戦闘爆撃機)に叩かれ続けたドイツ地上軍をその脅威から救うべく、
「ラインの護り」作戦とリンクして実施された一大航空攻勢が、
一九四五年一月一日のボーデンプラッテ(基地地盤)作戦であった。
 一五個航空団三三〜三六個飛行隊の約八七〇機の昼間単発機を主軸と
した合計約九〇〇から一〇〇〇機は、午前九時過ぎに各飛行場を飛び立ち、
ベルギー、オランダ、フランスの計十八か所の米英連合軍飛行場を
一斉に強襲した。
 ベルツ少将の第二戦闘機軍団の全力をあげて敢行されたこの攻勢は、
時間にしてわずか一時間程度の電撃のような一撃だったが、連合軍機
三〇〇〜四〇〇機(資料によって違いがある)を破壊する戦果をあげた。
 しかし、連合軍の被害のほとんどが、飛行場に止められていた機体
のみで、パイロットの多くが生き残ったのに比べ、なけなしの戦力を
投入したドイツ空軍は、中佐・大佐級の航空団司令三名、飛行隊長九名
をはじめ、ベテラン搭乗員五九名など、パイロット二一四名と航空機
二九三機を失うという、当時のドイツ空軍にとって致命的ともいえる
損失をこうむってしまった。
 すでに弱体著しかったドイツ空軍にはもはやこの損害を補充する力はなく、
「ボーデンプラッテ」が最後の航空攻勢となった。

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