独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
425名無し三等兵
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P217
 当時のドイツ人の大部分がこの絶滅政策の規模についても、またその詳細についても、
明確な考えを持っていなかったしまた持ちえなかったことは、確実だと言える。
しかしながら、東部で起きたことは西部や南部における戦争の出来事となんら
類似点もないという一般的感情は拡まっていた。そのために、ヨーロッパの
大西洋岸や地中海の敵軍より強い恐怖心が生じたのだ。
 一九四五年初頭以降のドイツ人の集団闘争の本質的な、そしておそらく最も
本質的な特徴とすら言えるものは、復讐に対する不安だったに違いない。
この不安は根深く、西側連合諸国よりもソ連に大してずっと広まっていたのだ
―ありとあらゆるうわさの寄せあつめ、中途半端な情報、そして禁止されている
のに傍受した「敵の放送局」から得た情報。そうしたすき間からもれた情報が、
今や影響力を発揮したのだった。