1 :
伊-400:
チェチェン戦争の情報は余りに少なく、新聞でも雑誌でも断片的な記事
ばかりなので、時間かかっても調べて書き込んでみたい。
2 :
伊-400:2001/05/10(木) 23:17
チェチェンゲリラは、現在南部山岳地帯に拠点を移し、何ヶ月単位でなく
何年単位でゲリラ戦術挑んでいる。その戦術は深夜にロシア軍陣地に
近づき地雷を埋設し続け、ロシア軍の兵士を少しずつ減らす戦術らしい。
3 :
名無し三等兵:2001/05/10(木) 23:19
首切り画像はもう見た?ゲリラを一室に閉じ込めて、軍犬を放ったりしているらしいね。
4 :
名無し三等兵:2001/05/10(木) 23:20
チェチェンとロシアが喧嘩を始めたその原因から書いてくださいな。
5 :
名無し三等兵:2001/05/10(木) 23:22
ドゥダエフ大統領の戦死の詳細もキボンヌ。
6 :
伊-400:2001/05/10(木) 23:23
>3
まだ見てません。板立てたのは、余りにチェチェンの情報少なく不満あった為です。
さっそくレス書き込みありがとうございます。
7 :
名無し三等兵:2001/05/10(木) 23:30
この板のどっかに首切りのスレあり
8 :
名無し三等兵:2001/05/10(木) 23:44
悪いが、チェチェンについては英語サイトしか信用できるものはない。
そのかわりに、その気で探ればたくさんの実戦データを集めることが
できる。ロシアの英語サイト、チェチェン側の英語サイト、そして
アメリカが収集した戦時データサイトなどがある。
まず最初にチェチェン側の広報サイトを見るといいかも知れない。
http://amina.com/war/ これはアジ用のサイトだが、しかしすべてが虚偽なわけでもない。
ここを見てから、ロシア、アメリカのサイトと周り、イギリスの
サイトでチェックし直すとある程度バランスの取れた俯瞰図が
得られるだろう。
そして例によってこの紛争の背後にはイスラム原理主義ゲリラが
存在する。グルジア共和国は現在も戦い続けているし、上海ファイブ
( "Shanghai Five" で英語のサーチエンジンを探すといい)
も要するに対イスラム原理主義同盟だ。
9 :
名無し三等兵:2001/05/10(木) 23:50
BRDM3一億台で踏み潰しちまえ
10 :
伊-400:2001/05/11(金) 00:29
>8
解かりました。国内諦めて、海外サイト歩いて勉強します。
チェチェン紛争には、極東ロシアからは海軍歩兵第106と165の2個連隊が動員され、
同紛争中最大の激戦地である首都グローズヌイの市街戦に投入されました。
中ロ国境の部隊からも抽出が相次いでいるようです。
12 :
伊-400:2001/05/11(金) 02:55
チェチェン公式サイト?は写真見てますが、如何せん私、英語読めないほうで
翻訳ソフトの使い方すらできない、パソコン、ド素人です。(T_T
最近パソコンの打ち込み早くなったと自分で喜んでいるレベル。
アドバイス貰ってもすぐに生かせない自分の低能さに8さん御免なさい。
素人なりに書く難しさ痛感しながら、コツコツ書く予定です。
13 :
名無し三等兵:2001/05/11(金) 09:03
>>10 ロシアのサイトが切れてるんで、とりあえずアメリカのサイト。
http://www.mis.nps.navy.mil/nsa/fel.html URL見ておわかりの通り、米軍サイトです。インターネット環境で
英語使えないのは、すげぇもったいないですから、とりあえず
インターネット用翻訳ソフトだけでも入れましょうよ。
ロシアのサイトには戦車、兵員輸送車の被弾箇所リストや
戦闘遭遇状況の統計とか、実に豊富なデータがあったのですが・・・
14 :
名無し三等兵:2001/05/11(金) 09:59
15 :
名無し三等兵:2001/05/11(金) 16:28
16 :
270:2001/05/11(金) 19:12
>>15さん
これはいい情報ですね。被弾損傷部位とその影響をよく調べていますね…。
印刷保存することにします。数値としての装甲ではなく実際の被弾から当該車両の
特徴を推測することができそうですね。
18 :
伊-400:2001/05/11(金) 20:03
>15
情報提供ありがとうございます。チェチェン情報どんな小さなものでも
集める作業始めます。
始めにチェチェンとロシア人との紛争はここ数年の問題ではなく、
何百年の民族対立が原因であり、
チェチェン・イングーシはかつて、オスマン・トルコ帝國の一部だった。
マスハドフ参謀総長(1995年当時)の証言によれば、
「300年、300年もチェチェン人はロシアと戦ってきた。父も祖父も命をかけ
ロシアと戦ってきたのです。チェチェン人は強盗だ、テロリストだ、マフィアだと
言われている。それはロシア人が周到に作り上げたイメージなのです。
戦争が、終結に近づいていると考えるなら、それは大きな間違いです。
ロシア兵が、一人残らず撤退し、我々の独立を認めたとき、やっと戦争は終わるのです。
力で征服できると考えるなら、その時から戦争は始まるのです。」
と発言あります。 チェチェン殺戮と不信の大地 制作オクトーバー・フィルム
1995年イギリス 1995年イタリア賞テレビドキュメンタリー部門受賞作品からの聞き書き。
こういう言葉が出るということは想像以上に重いと思う。
1942年ドイツ軍がバクーに進撃した時、ドイツに協力した事を口実にスターリンは、
強制移住作戦実施した。この作戦実行したのがベリヤだった。一方的に人民の敵にされ
当時チェチェン人50万人の内、47万人以上貨物列車に押し込まれ、シベリアに追放され
飢えと寒さで死んだ人は、貨物列車から投げ捨てられた。野犬の餌にされたと
このため、チェチェン人は四分の一死亡した。スターリン死んだ後、1957年やっとシベリアから
帰還許可され、チェチェンに帰れたが民族根絶やしされそうになった。
この事が、ロシアに対する消しがたい憎悪となっているそうです。
19 :
伊-400:2001/05/11(金) 22:56
ドゥダーエフ大統領に関する資料手元に無いので、すみません。
1999年10月の第二次の戦いから勤めて、BS1ニュースこまめに録画していたに
過ぎない初心者。ただテレビ画面に映ったものをいろいろ抽出し
情報引き出してみたい。
20 :
名無し三等兵:2001/05/11(金) 23:56
>>18 ご苦労様です。知識を増やすは誉むべきこと。
ただ、ご注意いただきたいのは、現場にいた当事者ですら
現実のわずか一部しか見えておらず、それをひとつの表現に
まとめるものは、いかに努力しても主観の限界を超えられない
ということです。
チェチェンから遠く離れた我々は、その距離を不利とも有利とも
とれます。真実というものには到達不可能としても、少しでも
それに近づこうと思えば、可能な限り異なる方向からの見解を集め、
それらをすべて真実として受け入れて、自分の中に融合させた像を
作り上げるしかないでしょう。
チェチェン紛争は100年前のコーカサス戦争と同じ展開をしたと
言えるが、しかし、その結果はまったく異なっている。なぜなら
我々は100年前の世界には生きていないからだ、というロシアの
従軍者の言葉を引用させていただきます。一般論は常に真実を
隠すものです。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/12(土) 00:16
>>21 見て後悔したよ。おら、平和な国の凡庸な市民でいいよ
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/12(土) 00:29
まーた、殺人動画ageとんのか!ゴルァ!
25 :
名無し三等兵:2001/05/12(土) 07:58
チェチェン紛争の資料で興味深かったのは対空戦闘能力の欠如が
チェチェン側の敗北につながったという分析です。
チェチェンの武装は主に蜂起時に撤退する駐留ロシア軍に放棄させた武器なの
ですが、レーダー制御のSAMは使用方法がわからず持って行かせた〜残ったが
使えなかったうえに、歩兵用SAMは敵味方識別装置内蔵のため、ロシア機に
対してはまったく発射できなかったそうです。これがチェチェン紛争の流れを
大きく変え、アフガン紛争のようにならなかった、という分析です。
26 :
名無しさん@どっと混む:2001/05/12(土) 08:25
現在はどこの国がチェチェンを援助しているの?
補給はどうしているのだろう?
やはりイスラム国なのかな?直接イスラム国と隣接
はしていないみたいだけど・・・
27 :
伊-400:2001/05/12(土) 19:58
>26
チェチェンとグルジア国境5000m級のカフカス山脈が唯一の物資補給ルート
で、ロシア軍必死でヘリから空爆しているが、全然効果無いらしい。ロバや馬使っているらしい。
どこの国が援助しているのかは私もはっきり解かりません。調べます。
29 :
伊-400:2001/05/13(日) 04:18
>28
日本語で読めました。参考になります。20さんアドバイスありがとうございます。
少し文章、作成しました。
1994年12月のロシア軍第一次侵攻はなぜ失敗したのか? 自分なりの考察。
マイコフスキー旅団3500名首都攻防戦で全滅した。ロシア政府は、この事実を4ヶ月間隠していた。
マイコフスキー旅団の兵士の母親いわく、「入隊してたった5ヶ月で演習も1回しただけでした」
と証言してる。チェチェン殺戮と不信の大地からの聞き書き
制作コンバットフィルム アメリカ1999年 チェチェン戦い続ける人々 からの聞き書き
イリアス・アフマードフの証言
「ロシア軍は、攻撃の基本などまったく無視して、やみくもに突っ込んで来るんです。
機甲部隊同士の間隔が3キロから5キロも離れているなんて、お話にもなりませんよ。
みんな酔っ払っているんです。攻撃の初日に、何をすべきなのか、誰一人理解していなかったようでした」
この言葉裏付ける映像、チェチェン殺戮と不信の大地の中にある。
グローズヌィ市内走るBRDM2装甲偵察車の乗員、カメラに向かって上機嫌で酒瓶
揚げて飲んでいる映像ある。
このイリアス・アフマードフと同じ言葉、チェチェン殺戮と不信の大地の中で
チェチェン住民の弟殺された中年のおばさんが、同じ事言ってる。
「今でも攻撃して来るんだよ、ロケット弾や機関銃でね、あいつら酔っ払ってるんだ
兵隊なんかいらないよ、私は生きていたいだけさ、そして子供を育てたい、ほんとなら
弟だってここにいたはずなんだよ、私に会いに来るところだった、ずっと面倒みてきたのに
死ぬなんて」
どうもロシア軍は徴兵した訓練不足の部隊でも最前線に投入し、兵士の犠牲多かった。
ロシア兵士たちの銃撃観てると、やたらやみくもに撃って、狙って撃ってなくばら撒いている
こんな事も失敗の一因あるのではないのかと思う。
30 :
名無し三等兵:2001/05/13(日) 04:42
チェチェンの民族の伝統である血の掟に対する恐怖がロシア人にも浸透していて
その掟「メンツの為なら相手の一族郎党皆殺しも可」が
長いロシア支配の中でも生き続けロシア人を恐怖させ続けて来たのです。
このあたりはアレクサンドル・ソルジェニーツィンが詳しく書いていますが
民族としての結束はアフガン人にも勝るとも劣らないと言われております。
そういえばエリツィン時代に失敗したチェチェン侵攻時の
軍事情報にチェチェンの攻撃で撃破された戦車から突き出た
焼死したロシア兵の写真が今でも生々しく思い出されます。
今回の侵攻作戦は前回の失敗を踏まえた上で行ったのに
現在もチェチェン人を屈服させられないのですから
その凄惨さは推して知るべきかと。
31 :
名無し三等兵:2001/05/13(日) 11:06
別の分析では、
ロシアは前回の侵攻時の教訓や体験をまったく
忘れていたために、大きな犠牲を出した。
最終的にロシアは勝ち、ロシア兵たちは大きな誇りを感じているが、
同時に一部の無能な指揮官たちや、前線を訪れずモスクワで
きれい事の戦勝パレードを行っただけのイェリチン大統領に
対する反感が全軍に拡がった。
チェチェン解放時もその内容は無法地帯であり、麻薬取引
密出入国、密輸入の巣窟と化しており、世界的迷惑として
問題となっていた。
現在では武装山賊が散在する形となっており、イスラム原理
主義者が統合を図ったものの、そのようなレベルですらなく
失敗した。
となっています。これもまた極端な見方だと思いますが、
もっと多くのまったく違う方向のソースから情報を得ないと
主観に流されて正しい俯瞰図が得られなくなりますよ。
とっくにご存じのこととは思いますが、念のために。
32 :
名無し:2001/05/13(日) 12:49
ロシア軍の病巣はかなり深刻だとの情報がありますね…。給与遅配および給料品の不足、
指揮官の低能力とやるきのなさ、指揮伝達のおそまつさ…。抗命と形式的実行に終始する
下士官兵、装備の操作手順を遵守しないための事故と新兵に対する不正内部懲罰…。
旧ソ連軍(赤軍)の面影など皆目見当らない厳しい状況だとおもいます。
33 :
名無し三等兵:2001/05/13(日) 13:57
なにより金がないためにろくな演習がなされていないことが
原因です。
そのために統合した動きができないこと、指揮官も一部を
除いては保身に汲々とし、積極的な動きを取らないこと
(これはむしろ旧赤軍の旧弊かも知れません)などが
指摘されていますね。グロズヌイ突入時も、4方向から
同時攻撃するはずが、2方向の指揮官が高みの見物を
決め込んだため、先頭切って突入した部隊に攻撃が
集中し、多大な損害が出たとか。その指揮官たちは
後に解任されていますが。
34 :
伊-400:2001/05/13(日) 16:20
>30 31 32 33
書き込みありがとうございます。31さんの指摘どおりロシア側の情報では
イスラム原理主義のグループがチェチェンに入っていると報道あります。
ワッハード派とか言うイスラム急進グループ。第一次と第二次の間に休戦成立し、
1997年にチェチェンで
選挙あり、マスハドフが大統領に就任したが派閥争い激しい為か、犯罪に関わっている国家安全保障局?とか
彼に従わないラドゥエフ?が、テロ活動続けロシア政府激怒して第二次侵攻になった
と、なんか内部複雑すぎて外からはよく解からない。私だけでは解かる範囲を書くのが精一杯。博学の方がたの
情報に感謝です。
35 :
名無し三等兵:2001/05/13(日) 16:22
宗教入った相手には触らぬが仏。
36 :
伊-400:2001/05/13(日) 23:13
1999年10月のロシア軍の第二次侵攻を考察する予定。
ロシア軍側、チェチェン側の戦闘経過や戦術などを書いていきたい。
ビデオ再生、巻き戻し、考察作業中。
現在のロシアそのものの情勢の方が
よっぽど得体が知れず恐ろしいけど
為になる意見が多くて感謝。
38 :
名無し三等兵:2001/05/14(月) 17:24
>>36 おおっ!
期待してますよ。
焦らずゆっくり推敲なさって下さい(w
39 :
名無し三等兵:2001/05/15(火) 07:53
伊-400あげ
40 :
名無し三等兵:2001/05/15(火) 10:34
チェチェンに関してロシアは定石どおり包囲作戦をとっている。
10倍の戦力があれば包囲せよ>孫氏の兵法
41 :
名無し三等兵:2001/05/15(火) 12:07
>>34 「ワッハーブ派」な。
イスラム教過激派に関するロシア側の話は基本的には眉唾と思った方がいい。
いわゆる原理主義サイドからの見方はこちらなどを参照。
(こっちも相当眉唾もんだが)
ニュース記事のどれかからアーカイブに飛べる。
http://www.qoqaz.net/
42 :
名無し三等兵:2001/05/15(火) 22:08
age
43 :
伊-400:2001/05/17(木) 02:37
1999年10月ー2000年1月までの各国ニュース映像からの情報抽出。
RTR ZDF CNN ITN BBC ABC F2 テレビ映像参考。
グローズヌィ市街戦の考察。
ロシア軍は今回首都陥落させたが、前回と違ってロシア軍の進撃観ると
偵察兵多用し敵兵力確実に確認してから、慎重にゆっくり火力で圧倒し前進している。
チェチェン武装勢力が、発砲するとロシア軍は砲隊鏡や双眼鏡で観測している兵士が、発砲場所を有線電話・
無線機ですぐ各部隊に指示連絡して、自走砲・戦車・装甲車・迫撃砲・擲弾筒
砲撃集中させ、ロシア狙撃兵の銃撃も効果上げた。チェチェン武装勢力も塹壕や地下室に立て篭もり
砲撃・銃撃に耐えたが、前回よりハズレが少ないためかチェチェン側の犠牲者一万人出たらしい。
グローズヌィ市街戦でロシア軍突入する映像観てると、ロシア軍兵士は皆、チェチェン兵と
見分けがつくように目印として白い布切れを腕と足にに巻いて身に付けた。
よく訓練された内務省・法務省特殊部隊が、建物の間に入り込み1ブロックずつゆっくり前進、建物一つ一つ砲撃で潰し
ロシア軍指揮官、潰した地点、地図に一つ一つペンで記入し部隊間、連絡密にして
少しずつ中心部に近づいた、ロシアに協力するガンタミィーロフ部隊も道案内、偵察して効果あった。
>37 38 39 40 41 42さんレス感謝です。少し書きました。
44 :
名無し三等兵:2001/05/17(木) 04:34
昔新聞で見掛けたけど
第2次チェチェン紛争で首都グロズヌィ中心部にある大規模な駅を制圧する時に
ロシア軍はかなりてこずったそうで兵士数百人が戦死したとか
当時ロシア政府はこの事実を否定してたけど
CNNやBBCでも報道してたので本当だったのかも。
45 :
名無し三等兵:2001/05/18(金) 04:49
チェチェンやカフカスを19世紀から遡って見るのもいいが、
今山岳地帯で抵抗しているバサーエフとかハッターブといった連中は、むしろ
アフガニスタンに始まる戦闘的なイスラム原理主義者の流れを汲んでいるね。
戦っているのもチェチェン人ばかりじゃなく、アフガン戦争以来のアラブ人義勇兵
などがかなりいるはずだ。
チェチェンの独立を承認しているのも、タリバーン政権くらいしかなかったはず。
支援は、湾岸アラブ諸国>パキスタン>アフガン>中央アジア>
グルジア(ないしダゲスタン、オセチア、アブハジア)といったルートが怪しい。
アフガン以来の流れというのは、その後のソマリア、ボスニア、コソヴォ、
あるいはタジキスタンやカシミールだ。軍事的にもその辺をちょっと参考にすると良いかも。
市街戦はもともと彼らの得意とするところじゃない。
山岳地帯に潜伏して、敵の基地を夜襲したり、ヘリをスティンガーミサイルで
狙ったり、という現在の戦い方が、たぶん彼らの本領だね。
じゃ頑張って下さい。
46 :
名無し三等兵:
>>43 ありがとうございます。今回の分については、まだまだ
まとまった資料の公開が少なく、大変参考になりました。
従軍記事というのはリアルである替わりに必然的に視野が
狭いですが、ロシア軍が練度を上げているのは確かなようですね。
本当は、最初の侵攻前に練度を上げているべきだったのですが・・・
訓練で流される汗は実戦の流血を防ぐ、訓練で失われる1人の命は
実戦で100人を救う、とはよく言われる事ですが、実践できている
国は少ないでしょうね。
それが