ベトナム戦争を語ってください

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1名無し三等兵
戦争に至るまでの経緯、状況、国際関係等を語れりつくせりMAX!!
この戦争を知らない若者はけっこういると思います。
2名無し三等兵:2001/05/01(火) 04:46
ちょっと待てくれ・・・
今、資料をほじくり返しているから・・・
これはいい機会かもしれないage
3まずは出だしから:2001/05/01(火) 04:47
ホーチミンは親米派だよ
4名無し三等兵:2001/05/01(火) 04:49
ランボー!国へ帰ろう!
5名無し三等兵:2001/05/01(火) 04:55
1が大局的なお題だったからなあ・・・
どの辺りからいけばいいかな?トンキン湾?
6名無し三等兵:2001/05/01(火) 04:56
Q34号作戦などどうでしょう
7名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:06
イイ(・∀・)ネ!
8名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:08
いわゆる第一次インドシナ戦争(べ対仏)からでしょう。

あとどうでもいいがナム戦スレッドって2〜3あった気がするんだけど。
9名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:11
>8
既に倉庫行きのような気が・・・
10名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:12
ベトナムでの韓国軍〜まさに鬼畜

1965年 12月22日, 韓国軍作戦兵力 2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に500余発
もの大砲を撃ち込んだ後、“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”と
いうスローガンの下、 捜索掃討作戦を繰広げた. 彼らはこの村で12歳以下の22人の子供,
22人の女性, 3名の妊産婦, 70歳以上 6名の老人を含む, 50余名を超える良民を虐殺した.

このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して, 韓国軍等
の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やして
ブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した. 生存者の韓国軍に関する証言で共通
な点は, 無差別機関銃乱射, 大量殺戮, 妊産婦, 女性に対する強姦殺害, 家屋への放火など
だ. 生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した
類型が現れる.
11名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:13
-住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグル
ープにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する.

-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃や
す.

-子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む.

-女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す.

-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる.

韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされ
ていた. 老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった. 恐らく、村人を安心
させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.
12名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:15
チョンのことはいいから。
実際に世界史に与えた影響において語り合いましょう
13名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:16
1962〜3年頃にはもう米特殊部隊員が軍事顧問の名目で
現地兵を訓練してたんでしょ。
14名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:16
http://mentai.2ch.net/korea/kako/956/956858978.html
韓国軍はベトナムでなにをした・・・スレッド
15名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:17
16名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:18
ああ, 震撼の韓国軍!
http://www.altasia.org/monsoon3/hangyore99256.htm

その後‘ベトナムの怨みの霊を記憶しなさい’
http://www.altasia.org/monsoon3/hangyore99278.htm

兄さんの重荷を減らしてください 韓国とベトナムの読者の手紙
http://www.altasia.org/monsoon3/hangyore99282.htm

ベトナムの熱い感動!
http://www.altasia.org/monsoon3/hangyore99287.htm

キム・ギテ 予備役大佐 インタビュー
http://www.altasia.org/monsoon3/hangyore00305_1.htm

勲章を捨てた父
http://www.altasia.org/monsoon3/hangyore00312.htm

枯葉剤戦友会新聞社に乱入
http://japanese.joins.com/Article.asp?inputdate=20000627&inputtime=202629&contcode=200
17名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:19
>>14
韓国軍ネタは止めませんか?
どうせ連中、たいしたコトして無いし、スレが荒れますから。
ローリングサンダー&ラインバッカー作戦のねた、キボン!
18名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:22
アメリカが乗り出したのは南ベが赤くなったらドミノ理論とやらで、
近辺諸国までバタバタ赤くなっちまうのでヤバいから、と言う事で良いんでしょーか。
19名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:23
>>18
JFKの目立ちたがりが一番の原因だったのでは?極論スマン
20参考文献ハルバースタイム・シーハン・開高健:2001/05/01(火) 05:32
ベルリン危機のあと、自由世界のボスとして、どこかで共産主義に対して
強くでなきゃいけないという政府当局の意向が、たまたま1961年ごろから
ありました。

その結果が、南ベトナムへの軍事顧問団の派遣です。
でもJFKが偉いのは、62年夏ごろから、ベトナム問題は経費ばかり食う
泥沼とみてたらしいですね。

えー、「だからJFKは軍産複合体に暗殺された」って与太話ではなく、
1962年から、63年だか、64年のアプバクの戦闘(南ベトナム軍が大敗した作戦)
にかけて、ジョンソン大統領もふくめた共通の認識です。

ただ、だれも<反共主義>の国是から、真っ向から
「ベトナム介入反対」と唱えられず、ずるずる軍事介入を拡大しました。
21名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:34
仏植民地の奪還
22名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:35
だいたい最盛期で54万8000人の大軍派遣したとかいうけど、
実戦部隊はその1割の、5万人で、
のこりは倉庫付き軍曹とかパブリックリレーション専門伍長とかばかりでしょう。

とても正規軍十万人(実戦部隊)の北ベトナムには勝てません
23名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:35
開高健ファンとしては刮目の論だ。
よろしければ続きを。
24名無し4等兵:2001/05/01(火) 05:39
国連軍のノリがイマイチだったのはなぜでしょう。
湾岸イラクみたいな“どう見たって許せんだろ”みたいな感じじゃなかったから?
25名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:55
>>23
お。開高ファンがいらっしゃいましたか。こりゃ嬉しいです。

軍事版なので、こりゃそういう展開になるだろうなと予測はつくのですが、
ベトナム戦争はたとえば「ハノイの飛行禁止空域を爆撃できたら勝てた」とか
「ホーチミンルートの聖域をつぶせたら勝てた」という軍事的なものじゃなくて、
政治的な、むしろ農地改革をやったほうが勝ち、という中国革命と同様の戦争だったと
ハルバースタイム、シーハン、そして開高健は、なんと1964年の段階で予測しています。

上記3名の60年代の著作について共通して言えることは、
「アメリカは無駄な戦争をしている。南ベトナム政府の腐敗をとめ、農地改革をやらないかぎり
農民は北や解放戦線にはしり、農村出身の国軍兵士は、北ベトナムとは戦わぬだろう」
と見取っていることです。
これは、彼ら3人が、べつに天才だからというわけでなく、
当時、サイゴンにいた人たちの共通の認識らしいですね。

ベトナム戦争は軍事的に、のちの湾岸戦争の航空打撃力につながる
レーザー爆弾(ラインバッカー2かな?)やら、自営業さんの18番である
CIDG?(民間不正規戦)などの柔軟戦略やら、技術的におもしろいのですが、

まず一点、農地改革をやって貧しい農民を味方につけられなかった、というところで
あの戦争の南ベトナム崩壊は避けようがなかったというのは、間違い無いでしょう。
26名無し三等兵:2001/05/01(火) 05:59
J隊が参加すれば勝てた
27名無し三等兵:2001/05/01(火) 06:01
勝て馬専
28名無し三等兵:2001/05/01(火) 06:02
参加したよ。第1空挺が
2923:2001/05/01(火) 06:04
>>25
ありがとうございます。こちらもうれしいかぎりです。
秋本キャパとの対談や「ベトナム戦記」でベトナムを読んだ世代と
しては、当時のアメリカ(資本主義勢力)が何かを見誤っていたと
思わざるをえません。
あなたの意見には、拍手意外に答える術を持ちません。

うわ・・・
自分の書いたものを見直して思ったんですが、コレじゃ、私がブサヨク
だと思われてもしかたがないかな・・・ 勝手な書き込み、軍事板の皆さん、すみません
30名無し三等兵:2001/05/01(火) 06:12
えーとケンカを売ったのは誰で、買ったのは誰なんですか?
一覧表あるとわかりやすいです。
31名無し三等兵:2001/05/01(火) 06:15
キタベ&ミナミベ     アメコー
他人同士のケンカに横から入って負けたんです。
32ホーチミンは親米派:2001/05/01(火) 06:31
1945年-57年第一次インドシナ戦争
  ヴェトミンVSフランス植民地軍

1959年ジュネーブ和平会談
ハノイとサイゴンで南北統一選挙をやって南北統一政府をつくるはず・・・だった。
しかし反共の国是から、アメリカがウラで動き、

1961年 南ベトナム共和国建国(初代大統領ゴ・ジンジェム)
しかしこれを傀儡政権だと北ベトナム(共産党系)政府が反発。
同時に民族系の南ベトナム民族解放戦線が蜂起。
戦線布告なき、
1961〜1975第2次インドシナ戦争はじまる、です。

61年からアメリカの軍事顧問団が徐々にふえていき、秘密爆撃、Q34号作戦とつづき
64年トンキン湾事件で、いっきに軍事介入をはじめます。

あとの歴史は、もうご存知ですよね
33ホーチミンは親米派:2001/05/01(火) 06:34
ちなみにホーチミンって、1945年に進駐してきた米軍を解放軍と歓迎し
接触してるんですよね。

民族自決をかかげたウッドロウ・ウィルソン大頭領の母国だと思ってたみたいです。
フランス植民地主義からの解放を手助けしてくれるものと思ってたみたいですが・・・。

残念。
「どこの山出しのキチガイだ」
と鼻にもかけられなかったようですねえ。
34トソキソ湾ヨットクラブ:2001/05/01(火) 13:40
クラブ員募集! age
35乙V:2001/05/01(火) 13:43
現代戦争の転換点だね
36名無し:2001/05/01(火) 19:52
虎はこえーって話を聞きたい。
37週刊女性自信54年3月号:2001/05/01(火) 23:47
「清純フランス兵士衝撃告白!!
わたしはディエンビエンフーでパンテルを見た!」
38カストロも親米派:2001/05/01(火) 23:51
カストロもアメリカに行ったけど無視された。
アメリカってわざと敵作っていたようだね(笑)
39名無しさんの野望:2001/05/02(水) 00:10
アメリカって、トンキン湾に空母何隻も浮かべたり、何十万人の
兵隊をベトナムに送り込んだりしてる一方で、アポロ計画もやっ
てって、月に宇宙飛行士を送り込んだりしてんだよなあ。
贅沢というか余裕というか...
40名無し三等兵:2001/05/02(水) 00:14
>>39
そのくせ投票用紙に穴も満足に開けられない(笑)
41名無し三等兵:2001/05/02(水) 00:32
しかし腐ってもアメリカ。
あの景気が羨ましい。
日本はもう終わりだ。
クソ自意識過剰な陸軍のアホが。
引っ込み付かなくなったぐらいで
負けると分かってたくせに
戦争初めんなよ。
42名無し三等兵:2001/05/02(水) 00:50
>>39
そのかわりさすがに70年代は悲惨な経済になっちまいました。
もひとつおまけにアメリカのトラウマにもなっちまいました。
43名無し三等兵:2001/05/02(水) 04:21
このスレッドってマクロ的な話だけなの?メカ話は×?
44名無し三等兵:2001/05/02(水) 11:41
ナム戦といえば、第一騎兵師団だわな。
空中機動師団の草分け。
貴様にはワルキューレが聞こえるか!
最近は、単なる機甲師団になってしまったようで。
45名無し三等兵:2001/05/02(水) 12:36
>>43さん、深〜いヤツをお聞かせ下さい。

例 : 幻の4足歩行FAV(予定のみ)とか。<どこが深いねん!
46偽少佐:2001/05/02(水) 12:50
昔,戦車系の雑誌で60式自走無反動砲を持ち上げるあまりに
オントスをけなしてるアホ記事があったけど、あれはあれで
目的に合致してガッチリ役に立ってましたよね?
47少佐:2001/05/02(水) 13:23
おそらく戦争映像で一番情けないのはサイゴン陥落
だろう。
あれを見たアメリカ人が湾岸戦争に勝つまでトラウマ
になったのはよく解る。
48名無し三等兵:2001/05/02(水) 20:44
てぽうでぱーんてはじいたらてれびのおじさんがおこったのー
49名無し三等兵:2001/05/03(木) 02:52
>>48
南ベトナム側の秘密警察(だっけか?)の人がべトコンの捕虜を路上処刑したやつ?
50名無し三等兵:2001/05/03(木) 02:57
>>48
そいつ今アメリカでピザ屋やってるそうな。
51名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:02
撃ったのは国家警察のグエン・ゴク・ロアン署長だよね。
テト攻勢時、ベトコンは南の公職に就く人間を大量に虐殺したらしい。
あの処刑は個人的な復讐の意味を併せ持っていた気がする。
52名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:06
>>50
数年前、ガンで死んだよ。
53名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:07
サイゴン陥落のとき次々と空母にやってくるヘリ
を海に捨ててる写真見たときは笑った。
54裏月面移住計画者:2001/05/03(木) 03:08
>>51
自分の従兄弟を殺されてるんだよ。あの写真を撮ったカメラマンも、「写真はその瞬間しか語りません。前後の出来事に言及しないのです」と言ってるんだ
55名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:09
それ違う話だろ・・・。>54
56名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:11
>>54
それ初耳だな。そういう知識がなかったら誰でも虐殺だと思うね。
写真て怖いね。
5751:2001/05/03(木) 03:11
>>54
親類を殺されていたんですね。
ありがとう、勉強になります。
無事に月面移住できる事をお祈りしております。
58裏月面移住計画者:2001/05/03(木) 03:14
君達はベトコンが、ろくな装備も持たない百姓の集団だと思うかい?とんでもない。ヘリコプターも含め、米陸軍が持つ全ての物を持っていたんだ。
59名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:18
従兄弟じゃないよ。親友でしょ

タイムライフの『NAM』
60名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:18
( ・∀・) 知られざる事実だね。 すごいね。
61名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:19
>>58
ベトコンと北正規軍を混同…というか区別出来てないだろ?
62名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:20
( ・∀・)裏月面移住計画者さま、ベトコンって何の略ですか?
63名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:24
裏月面移住計画者の立てた「ベトナムで米軍は負けていなかった」
へgo!
64裏月面移住計画者:2001/05/03(木) 03:32
>>59
そうだった御免
>>61
そんな事ありません。それでは君は、南ベトナムには北ベトナム内務人民委員部が作り上げた秘密警察網があったのを知っているか?サイゴン政府に忠実な役人、軍人、民族主義者、教師といった人々を暗殺や誘拐の対象にしていた
>>62
ベトナムコミュニスツ、南ベトナム民族解放戦線
65名無し三等兵:2001/05/03(木) 03:36
裏月面移住計画者サン、ご自分のオタテになったスレにレスしてくださいよ
6661:2001/05/03(木) 03:58
>>64
>知っているか?
し、知らなかった!NLFがそんな凄い組織だったなんて!
てっきりボクは落とし穴掘ったり、不発弾から造った爆弾を
コーラと一緒に投げつけるパジャマ姿の農民の集まりだと思っていたよ。
まさか「カン・ラオ」を狙ったり、テト攻勢であんな事するなんて
夢にも思わなかったヨ!

・・・混同していない事の証明にはなってはいないと思うのだが。
67名無し三等兵:2001/05/04(金) 17:43
age
68裏月面移住計画者:2001/05/04(金) 19:50
手元に本があれば数字を上げて説明出来るんだけどなー。図書館に返しちまった。君達だって、時々資料を見ながら書いてんでしょ?細かい年代とか、兵器の正確な名称とか覚えてません。概念は知ってるつもりなんだけど
69ジュピター:2001/05/04(金) 20:35
>>68
マイクロソフトの百科事典とかを使ってみては?
70ジュピター:2001/05/04(金) 20:38
私の学校の先生は、アメリカは小さなベトナムを苛めた悪い国だって言ってました。皆さんもそう思いますか
71名無し三等兵:2001/05/04(金) 20:51
私の学校の先生は、アメリカがベトナムで負けた原因について、力強くおっしゃいました。
「それは正義がなかったからだ!」
…まあ、ある意味間違ってはいないのですが…。
72名無し三等兵:2001/05/04(金) 20:56
>70
ベトナム戦争は西側自由主義対、国際共産主義の戦い。あなたならどちらが正義
だと思いますか?歴史を学べばわかることですね?

まあ、とは言ってもそんなに単純じゃないんだけどね。
それにしても其の先生は認識があますぎ。教職にあるまじき発言だな。
其の先生って何学校の何を教えている先生ですか?
73ジュピター=裏月面:2001/05/04(金) 20:59
>>71
>>72
やったーーーーーーーーーひっかかった!!
74名無し三等兵:2001/05/04(金) 21:00
>>72
でもどういう意味で語っていたか知らないけど、
国民を説得できるだけの正義が無かったからっていうのはあながち外れてるとも思わないけど。
75名無し三等兵:2001/05/04(金) 21:22
ハノイの共産主義者が、南の民族主義者や反植民地感情を
利用した戦争。アメリカもゴなんかの様な腐った政治家を
傀儡にしたのが間違い。後、ホー・チ・ミンが、後10年ぐ
らい長生きしたら、戦後の混乱もあれほどでは無かったと
思う。
76名無し三等兵:2001/05/04(金) 23:14
すいません、超超厨房です。
ベトナム戦争からはずれるかもしれませんがインドシナ戦争の時、日本が去った後、
植民地を取り返すためにフランスが戻ってきたんですよね。
当時、フランスの行動を侵略とは言わないんですか?
フランスの一般の国民も支持していたんですか。
その他の連合軍はフランスの行動に対して「おいおい、おまえさん…」とかなんとか
忠告しなかったんですかね。ある本では、インドシナ戦争の時、アメリカがフランス軍に
武器を供給して、ベト軍には中国、ソ連が武器を供給してたとありました。
中国は、太平洋戦争中に捕獲したアメリカ軍の武器を供給したとか。
そうすると、攻撃力としては五分五分だったわけですかね。
77名無し三等兵:2001/05/04(金) 23:18
最後の1行が意味不明なんだが
武器の供給元と攻撃力は全く無関係だと思われ
78マジレスは主義に反するのだが:2001/05/04(金) 23:32
>>76
あーあのな、それは侵略じゃなくって「旧領回復」なんだな
自分で書いてるだろ?植民地を取り戻すためってそれは侵略じゃないだろ(左翼の文脈ではすでに侵略だがな)

それからだなフランス軍が負けたのは武器の問題じゃないからな
武器が問題で戦争に負けたってのは都合の思考停止のいい言い訳だからな

それとな、「攻撃力」ってなんだ(笑
79うんこベトナム:2001/05/04(金) 23:35
>>78
「攻撃力」
対義
「防御力」
80名無し三等兵:2001/05/04(金) 23:44
荒れるからいやなんだが・・・・
取りあえず
歴史だけさらっと流すなら
http://webclub.kcom.ne.jp/ma/kat5u/mishimanet/top2.html
三島先生のところは変な取り巻きがいていやなんだが・・・・
あとは
http://www.vwam.com/vets/hisintro.html
http://members.aol.com/Hey8Ball/A-Vietnam-War-index.html
http://www.lbjlib.utexas.edu/shwv/imagetop.html
http://www.angel.ne.jp/~nisikori/nam/vwar.html

あんまりいいページないなぁスマソ
本も変な左翼がかったのかミリオタなやつがほとんどだからなぁ・・・
81名無し三等兵:2001/05/05(土) 00:49
>>74
御意に。アメリカがひとつになれる「正義」としては、余りにもお粗末過ぎた。
>>75
「映像の世紀」で、ゴ側の大統領夫人かなんかが、南ベトナム政府の仏教徒弾圧
に抗議した僧侶の焼身自殺を見て「バーベキューができただけじゃない〜。バカ
じゃない?」みたいな発言があった。アメリカ側もとんだ貧乏籤引いたねーって
感じ。
82名無し三等兵:2001/05/05(土) 01:02
>>76
>その他の連合軍はフランスの行動に対して「おいおい、おまえさん…」とかなんとか
>忠告しなかったんですかね。
その他の連合国も同じことしてたんじゃなかったっけか?
83裏月面移住計画者:2001/05/05(土) 01:03
>>81
NHK=サヨ
84裏月面移住計画者:2001/05/05(土) 01:06
「ノー・モア・・・・」読んで下さいよマジで。価値観ひっくり返るから
85名無し三等兵:2001/05/05(土) 01:20
価値観までひっくり返るのか?!
86裏月面移住計画者:2001/05/05(土) 01:28
読むまで(一ヶ月程前)、私はあなた方と九割がた同意見でした
87名無し三等兵:2001/05/05(土) 01:33
ワンモアヒロシマ
88悟空:2001/05/05(土) 01:37
ベトナム戦争は簡単には語れないくらいに深い
89裏月面移住計画者:2001/05/05(土) 01:41
本題からそれますが、昨日の朝がたに現れた「ミリ屋哲」って、本当に基地内だったんじゃないでしょうか
90名無し三等兵:2001/05/05(土) 01:46
>>81
>「バーベキューができただけじゃない〜。バカ じゃない?」みたいな発言

件の大統領夫人、「アメリカに抗議するのにアメリカから輸入したガソリンか
ぶってるなんて馬鹿じゃない?」とも発言。

個人的には「パンがなければケーキをたべればいいじゃない」に次ぐ迷言だと
思ってます。
91名無し三等兵:2001/05/05(土) 01:47
>>悟空
omae mimizu daro?
92裏月面移住計画者:2001/05/05(土) 01:49
>>90
ゴ・ディン・ニュー夫人
訂正
93名無し三等兵:2001/05/05(土) 08:33
そのノーモア・ベトナムって本どこに置いてるんだ。
もの凄い厚そうだな。
94名無し三等兵:2001/05/05(土) 11:01
あくまで一方から書かれた本。それでひっくり返る価値観とは?
95名無し三等兵:2001/05/05(土) 11:09
>>89
あなたが自分の住所氏名晒してくれたら本当のこと教えてやるよ(藁
96声の出演:名無しさん:2001/05/05(土) 11:34
>ベトナム戦争は西側自由主義対、国際共産主義の戦い。あなたならどちらが正義
だと思いますか?歴史を学べばわかることですね?

オイラには、ソビエト会系北ベトナム組VS
アメリカ連合系南ベトナム一家の抗争という風に見てますが・……

どんな大義名分を掲げていようとも、ヤクザ同士の抗争に正義なんて有りません。
97名無し三等兵:2001/05/05(土) 11:42
まさしくその通り、ていうか代理戦争てのは世界の常識。
98名無し三等兵:2001/05/05(土) 11:45
ベトナム戦争が何故続いたかって?
「JFK」でドナルド・サザーランドがケビン・コスナーに言ってただろ。
99名無し三等兵:2001/05/05(土) 11:49
ああ、でも「歴史を学べばわかること」ではあるな確かに。
現状では勝者は西側自由主義なんだから「勝者の歴史」で正
義が語られるという認識の元では正義はいずれの側にあるか
明らかだ(笑
100名無し三等兵:2001/05/05(土) 11:50
>99
同感
101名無し三等兵:2001/05/05(土) 12:37
三野の本を読んだだけで知ったフリをする。
102名無し三等兵:2001/05/05(土) 16:09
age
103名無し三等兵:2001/05/08(火) 00:14
age
104名無し三等兵:2001/05/10(木) 06:24
age
105ベトナム戦といえば:2001/05/10(木) 06:35
スコシタイガー。
106ベトナム戦といえば:2001/05/10(木) 06:39
老け顔のウェストモーランド。
107ベトナム戦といえば:2001/05/10(木) 06:40
M16
108厨房的に:2001/05/10(木) 06:50
M60マシーンガンが最高!フルメタルジャケットが最高!動くやつはベトコンだー。
109名無し三等兵:2001/05/16(水) 22:57
ベトナム戦争といえばF-4
110名無し三等兵:2001/05/19(土) 12:21
ファントム萌え〜
111ベトナム戦争と言えば:2001/05/21(月) 01:48
ジャングルファティーグ
112名無し三等兵:2001/06/02(土) 01:50
ベトナム戦争といえばNAVY SEALS
113名無し三等兵:2001/06/09(土) 15:47
 もし戦争というものが人間の心の中から始まるのであれば、ヴェトナム戦争は、ホー・チ・ミンの心の中から始まったのである。
三十年間に渡り、彼はヴェトナムを統一して自らの全体主義的支配の下に置くという目標を、容赦なく追い続けてきた。
彼の果てることなき夢は、何百万のヴェトナム人にとって、終わることなき悪夢であった。
彼は1946年3月6日の合意で、フランスが彼の手にヴェトナムを渡してくれることを期待していた。
また、1954年のジュネーブ会議のテーブルで、ソ連と共産中国が、ヴェトナムを彼にプレゼントしてくれるのではないか、とも思っていた。
さらに、ジェム大統領の短い統治の後、南ヴェトナムが自ら崩壊して、彼の手中に転がり込んでくることも期待した。
おそらく、いんちきな再統一選挙を通じて、南ヴェトナムを勝ち取ることすら望んだに違いない。
 1959年、これら全ての望みが消え去った後、ハノイは戦争へと突入した。
114>113:2001/06/09(土) 15:56
最近の見方は違うんだけどなァ
ホーチミンは共産主義者にあるまじき親米主義者として有名で
ソ連がなんとか引き摺り下ろそうと狙っていた人物
ホーチミンはアメリカと協調路線を取って、米ソの中間を行く
真の非同盟路線を進もうとしたんだけど、アメリカ政府は彼の真意を
汲み取れず、共産党政府=ソ連の傀儡と扱って、どんどん戦争以外の
選択肢を消し去る結果となった
この当たり、マクナマラ回想録に反省を込めて詳しく書かれている
「当時、アメリカが取るべきだった唯一の正しい路線は、ホーチミンを
全力で支援することだった」とね
115名無し三等兵:2001/06/09(土) 16:14
>>114
彼の行動は、実際のところ、自分をヴェトナムで優勢にし、権力の座に近づけるための、こざかしい計略に過ぎなかったのである。
ホーは、第二次大戦中には、ヴェトナムの人々に、ほとんど知られていなかったと言ってよい。
戦後の権力闘争に勝つためには、まず外国勢力の支援を勝ち取らなければならないことを、彼は知っていた。
それは、合衆国でも、中国でも、フランスでもよかったのである。
情報を提供したり、お世辞を言ったりして、彼は、なんとかヴェトナムにいる数人のアメリカ人情報将校に取り入ろうとした。
彼の作戦は功を奏した。
彼らは、ホーにアメリカの武器を供給し、それは、終戦直後にハノイでホーが権力を握る際に役立つこととなった。
彼らはまた、合衆国がヴェトミンを支援することを求めたメモを、ワシントンに浴びせもしたのである。
116名無し三等兵:2001/06/09(土) 16:24
ホーは、ヴェトナムの民族主義グループ全てと事実上同盟を結んだが、決して、共通の利益を彼自身の利益に優先させるようなことはしなかった。
ホーが民族主義者と協力したのは、そうすることによって、彼自身の野望が一歩でも前進する時に限られていた。
利害が一致しなくなると、ホーは、民族主義者たちを打ち砕いた。
1925年、彼はヴェトナムで最も傑出した民族主義者のファン・ボイ・チャウを、フランス秘密警察に密告した。
共産主義者による歴史では、ファンが自分から罠に落ちていった、と書いてある。
決して、ホー自身が十万ペソと引き換えに罠を仕掛けた、とは書いていないのである。
その当時、ホーは自分の裏切りを正当化するため、ファンは民族主義者であって共産主義者でなく、将来自分のライバルとなるから、と述べた。
117名無し三等兵:2001/06/09(土) 16:39
戦後、占領軍のイギリス、合衆国、中国はすぐヴェトナムを離れ、フランスが戻って来た。
民族主義者グループがフランスとの協力を拒む中で、共産主義ヴェトミンは協力の道を選んだ。
「私は、フランス及びフランス軍を愛している。
 本当に、お帰りなさい。
 皆さんは英雄です。」
ホーとフランスは、一緒になって民族主義グループの何百人もの指導者と何千人ものメンバーを大虐殺した。
フランスは、ヴェトミンに対し、武器や兵員の援助をしたばかりでなく、作戦の際の援護射撃までしてやるほどだった。
1946年7月、フランスの武装部隊が周囲を非常線で囲む中、ホーの軍勢は、残った民族主義者グループの本部に殺到した。
残り少なくなっていた反対勢力の指導者たちは、ほとんど逮捕され、後に殺された。
1946年11月に、フランスとヴェトミンが敵対するようになると、ホーは当然ながら、唯一の強力な反仏勢力の指導者となった。
彼は他の連中をほとんど殺してしまっていたのである。
118名無し三等兵:2001/06/09(土) 16:55
ホー・チ・ミンの残虐な政策の背後には、単純な動機が存在していた。
彼は、北ヴェトナムにおいては、共産主義の下で暮らす以外の選択肢はないのだということを、明白な形で示したかったのである。
しかし、選択肢は存在したのである。
南ヴェトナムにおいては、ゴ・ジン・ジェムは、アメリカの基準からは不十分ながらも、実質的に自由な国家を建設していた。
ホーとは異なり、かれは正統派の民族主義者であった。
彼は、帝都ユエの名家の出であり、フランス植民地主義に対して猛烈に抵抗したことで有名になった。
敬虔なカトリック教徒でもあり、合衆国のメリーノール神学校に二年間留学した。
1933年、彼は、国家統治にあたり国民議会を設けることをはじめとする改革をフランス側が飲むことを条件に、中央ヴェトナム安南の内務大臣に就任した。
三ヶ月しても、フランス側が何一つ条件を満たさなかったので、彼は怒って辞任した。
彼は、日本の占領政府の役職にも就いた。
戦後はフランスの傀儡元首、皇帝バオ・ダイが、繰り返し彼の助力を懇願した。
119名無し三等兵:2001/06/09(土) 17:34
>>118

民族主義者で名家の出で敬虔なカトリックか。救いようがないな。
120名無し三等兵:2001/06/09(土) 18:03
1954年には、南ヴェトナムに政府と呼べるものはなく、単に無秩序と混乱のみが存在していた。
フランスびいきでジェムには敵意を抱いているような人々が、軍事と官僚機構を握っていた。
ビン・スエンの盗賊一味が、サイゴンの警察機構を裏から操っており、しかも、ジェムにあからさまに反抗していた。
二つの武装宗教集団、カオ・ダイとホア・ハオや、地方の少数民族は、始終反乱を起こしていた。
北へ移動する前に、ヴェトミンは、政府転覆のための強力な地下組織を残していったのである。
我々の基準からすれば、ジェムはやり過ぎたともいえる。
彼はしばしば、批判的な新聞を抑圧したり、ライバルを迫害したりする時、その権力を独裁的に用いた。
1956年に、私がこの点について質問したところ、彼は、共産主義者の暴力と武装反乱に対処するためには、平時のような統治の仕方では結局共産主義に負けてしまうのだ、と指摘して、自分の行動を弁護した。
「我々は今、戦争をしているのです。戦時には戦時のやり方で行くことが必要なのです」
と、彼は語った。
1955年、ジェムは全国的に共産主義者とそのシンパに対する粛清を行い、何万人もの国民を厳しいイデオロギー再教育キャンプへと送り込んだ。
多くの者は共産主義地下組織のメンバーであり、そういった組織の三分の二は根絶された。
ヴェトミンへの攻撃が完了すると、南ヴェトナムにおける抑圧は、東アジアの水準からすれば最小の部類に入る。
1960年には三百人ほどの政治犯がいたが、ビルマやインドネシアでは、その数は何万人にも上っていたのである。
121名無し三等兵:2001/06/09(土) 18:18
暴力が、民族解放戦線の成功のための鍵であった。
ロン・アンでは、息子を南ヴェトナム軍から離れさせろという説得に応じなかった男が、家に帰ろうとしたところを共産主義者に背中から撃ち殺された。
1967年にカイ・ベ村を奪うと、共産主義者は地元の民兵の妻や子供たちを四十人も殺した。
同じく1967年、ダグ・ソンでは、火炎放射器で村の藁作りの家を一つ一つ焼き、二百五十二人もの市民を殺したが、その三分の二は女子供であった。
彼らは、村人が市場に物を持っていくためにしか使わないような道路にも地雷を埋め、人で賑わう広場や学校に手榴弾を投げ込み、またサイゴンやダナンやその他の主要都市に、百二十二ミリロケット砲を無差別に撃ち込んだ。
この、頻繁に起こるテロにより、毎年南ヴェトナム人が何千人も死んだのである。
122名無し三等兵:2001/06/09(土) 18:27
民族解放戦線はまた、戦線に抵抗し、反共勢力を指導する恐れのある者に対して、組織的な暗殺や誘拐を行った。
北ヴェトナムの治安省が統括する秘密警察が、南ヴェトナム全土に潜んでいたのである。
共産側は、目標のリストを作ると特別チームを送り込み、誘拐したり殺したりした。
1957年から1973年までの間に、彼らは36、725人の南ヴェトナム国民を暗殺し、58、499人を誘拐した。
誘拐された者の中には、洗脳されて帰って来た者もいたが、多くは二度と姿を現さなかった。
123名無し三等兵:2001/06/09(土) 18:33
こうして裏切り者のレッテルを貼られた者には、厳しい運命が待っていた。
共産側が、サイゴン政府に協力していた村長のいる村を制圧したことがあった。
ゲリラは、村長及びその家族も含め、村民を全て外に並べた。
何が起こるのかと皆が見つめる中、彼らは村長の妻の腹を裂き、泣き叫ぶ子供達の手足を切断した。
続いて村長を去勢した。
この恐ろしい処刑を見た後では、誰も中央政府に協力しようとはしなかった。
124名無し三等兵:2001/06/09(土) 18:42
こんな事件は掃いて捨てるほどあった。
1966年2月、合衆国軍はビン・ディン省にある海辺の村の解放を命じられた。
南ヴェトナム政府のために働いていた若い女性が、農民に抵抗してはいけないと説くと、共産側は彼女を捕らえ、椰子の木に縛り付けて村民を周りに集めた。
二人の男が彼女を押さえ、リーダーが刀を二度突き刺して、彼女の下腹をズタズタにした。
内臓がこぼれ、地に落ちた。
「人民の裏切り者に死を」
彼は黄色い紙片を読んだ。
「我々の解放闘争の大義を裏切る者は、同じ目にあうだろう」
彼は竹の棒でその紙を刺すと、彼女のぱっくりと開いた傷口に突っ込んだ。
他の者への見せしめとして、彼女は死ぬまで放置された。
125名無し三等兵:2001/06/09(土) 19:02
ジェム大統領暗殺の支援という恥ずべき行為
126名無し三等兵:2001/06/09(土) 19:09
ケネディ政権にジェムを見捨てさせる決断をさせた事件が、1963年5月に起こった。
ダナンで公式祝賀行事があった際に、カトリック教徒がバチカンの旗を何十となく振ったことから、ジェム、彼自身カトリックである、は、国旗を宗教的な旗より下位に掲げることを禁じる法律を制定した。
その二ヵ月後には、仏陀の誕生日が迫っており、国中で祝賀行事が計画されていた。
ジェムは、仏教徒の多くは新しい法律を知らずに彼らの旗を掲げてしまうだろうと考え、法律の施行を延期した。
127名無し三等兵:2001/06/09(土) 19:14
ジェムの支持がユエに届いたのはあまりに遅く、「仏教徒の危機」として知られる事件が起こってしまった。
地方警察は、南ヴェトナム国旗よりも上に掲げられた仏教徒の旗を引きずり降ろした。
チク・チ・クァンは、仏教よりも政治に熱心なくらいの僧侶で、カトリックの大統領のあら捜しに懸命になっていたのだが、早速寺院で宗教儀式の合間に激烈な反政府演説を行った。
128名無し三等兵:2001/06/09(土) 19:17
6月11日、一人の僧侶がジェム政権への抗議のために、自らガソリンを被り、焼身自殺を行った。
翌日、炎の中で合掌する僧侶の恐ろしい写真が、ほとんど全てのアメリカの新聞の一面を飾った。
129名無し三等兵:2001/06/09(土) 19:22
僧侶の自殺は、慎重に計画され、アメリカのマスコミ向けに上演されたものであった。
仏教界の指導者たちは、自殺を前もって報道陣に知らせ、また、自殺の直後には、僧侶が書いたとされる既に印刷済みの反政府の文章を配ったのであった。
そういったことは何も報じられなかった。
写真だけが一人歩きし、多くのアメリカ人の心に「抑圧」の一語を焼き付けたのであった。
130名無し三等兵:2001/06/09(土) 19:30
宗教の抑圧というのは、全くの作り事だった。
ジェムは高官の選定に当たって、その信仰を問題としたことはなかった。
彼の内閣の18人の閣僚の内訳は、5人がカトリック、5人が儒教、あとの八人は仏教徒であった。
彼の任命した38人の知事について言えば、12人がカトリック、26人が儒教あるいは仏教であった。
19人の将軍は、カトリックが3人、16人は道教、儒教、仏教であった。
彼は仏教徒に対し、彼らの信仰上の理由から、兵役の義務まで免除したのである。
仏教上の礼拝をする者を逮捕したことはないし、ジェムが、宗教上の理由から仏教徒を抑圧していると信ずべき理由もなかった。
131名無し三等兵:2001/06/09(土) 19:38
この危機の背後には、宗教ではなく、政治に重きを置く者がいたのである。
野心的なヴェトナム人の中には、剃髪し、僧侶の衣装を身に着けて、自分たちの政治的ポジションを上昇させるために、危機を利用した者もいたのである。
彼らのリーダーはチ・クァンであり、彼らを操っていたのは、サイゴンのサ・ロイ寺院であった。
そこは信仰の場とはとても言えず、印刷機が終始宣伝ビラを吐き出していた。
幹部は、今日はどこでデモンストレーションを行うかを怒鳴り立てた。
印刷された旗を持って、使いの者が走り回った。
サ・ロイ寺院を覗いた者は誰でも、そこに礼拝の場ではなく、ジェム政権打倒のための政治運動本部を見たことだろう。
132名無し三等兵:2001/06/09(土) 19:47
8月21日、ジェムが、仏教徒の反乱の中心になっている寺院を急襲させたことで、危機は劇的にエスカレートした。
ジェムは、仏教徒を一人も逮捕しなかったし、公然と政府転覆を叫ぶグループを解散させたりもしなかった。
聖なる寺院で、急襲部隊が暴れたりもしなかったし、1人の死者も出なかった。
ただ単に、サ・ロイのような政治的拠点となっている寺院を確保しただけだった。
ジェムの急襲によって影響を受けたのは、南ヴェトナム全土の4、776の寺院のうち、わずか12ヶ所であった。
部隊は、槍、短剣、銃、爆弾製造のためのプラスチック火薬及び過激派仏教徒を民族解放戦線と結びつける文書を押収した。
133名無し三等兵
ただいま8チャンネルでランボー1放映中。