1 :
ヨーク:
明治37年日露戦争・・・・
今の日本は日露戦争をあまり語らないし、知らなさ過ぎる!
白人列強国家が覇道に突き進んでいた時代、世界の片隅の小国が
巨大な白人国家を屈服させ日本の存在を世界に知らしめた事件!
軍事的にもこの戦争から近代戦がはじまる、基準戦艦・装甲巡洋艦
駆逐艦・水雷艇・潜水艇・工兵・大砲・歩兵銃・機関銃・近代海戦
要塞戦・上陸作戦・補給の問題・港閉塞作戦・渡河作戦・戦略構想
騎兵運用・坑道戦術・ポーツマス条約・国際関係・人物伝・地政学
その他、突込みどころ満載である!
さて、試しにこのスレだけのローカルルールを決めておきたいと思う
(青臭い軍ヲタ厨房にはむりかな?)
1・一行返レス禁止、最低3行(約90字)書け!
2・発展的自作自演は良しとする!
3・煽りは良しとする!
4・連続コピペは不許可!
4・日本と2ちゃんを愛する人だけ書込みを許可する!
5・このスレが100以下に下がったら軍事板住民はスレ題に合った
内容の書込み(最低3行、約90字)をしてさり気なく上げる!
('∀`)
このスレッドはマターリと2ちゃんが終わるまでパート2、パート3・・・
2 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:04
>>1 先生、質問!日露戦争は経済的格差、軍事力格差がかなり差があったと聞きます。
果たして、その格差とは、太平洋戦争時の日米格差に比べてどのような物だったので
しょうか?
似たような格差で日本はロシアになんとか、勝てたのでしょうか?
とりあえず、太平洋戦争時の中国、イギリスは抜きにしてお願いします。
3 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:08
ロシアは国土は広くても国民生活経済が悪すぎ。
4 :
名無し一等兵:2001/04/21(土) 21:13
>>3 馬鹿者が!ローカルルールに早速触れとるぞ!!
あ、オレモナー
5 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:13
国土が広いだけで、広さゆえに経済力は貧弱そのもの。
一見先進国に見えても、封建制の撤廃は日本とあまり時期変わらず
外資頼みの底の浅い国力。
結局日露戦争は二流国同士のおままごと戦争に過ぎない。
6 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:17
代理
戦争
でし
ょう。
7 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:20
日露戦争の勝利 = 大東亜戦争突入の遠因
8 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:21
日露戦争は簡単には語れない戦争である。20世紀の悲劇はここから
始まったと言える。総力戦、塹壕戦、19世紀の価値観が否定された
戦争です。ロシア革命の資金源もここから…
9 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:27
経済的にも軍事力的にも日本はあの戦争中にパンク寸前だった。
個々の戦闘面に関してはロシアの司令官の判断ミス(もう一押しすれば、
というところで撤退とか)が大きいような気がする。
結局日本は外交力で勝ったと思う。現在とのギャップがひどすぎるよ・・・。
それとロジェストウェンスキーは最低。
がいしゅつです。終了。
やりたいなら「パートU」とでもすべし。
11 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:33
>>5 まともに戦おうとすればロシアは一流国以上に恐ろしいぞ、
いろんな意味で。ナポレオンとヒトラーが味わっとるけど。
サギまがいのことでだまさんかぎりな。
12 :
名無し三等兵:2001/04/21(土) 21:37
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( ´Д`)// < 先生!フィンランド人も参加していいですか?
/ スオミ/ \___________________
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おまえら俺を無視するんじゃなかったのか?放置しる!(w
>2さん返レスありがとう(あとは無視)
>2の質問はいきなり本質を突く質問だね、その答えはこのスレッドの
800辺りかパート2もしくはパート3あたりで講義することにしよう
(10日に1レスを目指します、これで倉庫入りしないよーん)
さて、まずは戦力の骨幹・歩兵の友・小銃です。鉄砲(種子島銃・火縄銃)
が我が国に伝来したのは、天文十二年1543年種子島に漂着した異国人
によってもたらされた、そして翌1544年には模造品を完成させている
当時の日本は世界の最先端技術を習得する社会情勢・民の素養があった・・
・・・・・だんだんめんどうくさくなってきたので・・・・飛ばします!
日露戦争当時の小銃(30年式小銃)
明治30年(1897年)ミリオタの間では超有名人・有坂成章大佐が
開発した、当時としては画期的な6.5mm弾(他国は7.62mm)
を使用、6.5mm弾にもかかわらず世界水準に十分到達していた、
・・・・眠い・・・寝る! 腐れチンカス野郎ども!おやすみ
名前入れ忘れにつきヨーク会破門!
ウヒャヒャヒャヒャ
16 :
ヨーク:2001/04/21(土) 23:54
全くここのスレッドは厨房が多いな
1が馬鹿だと、厨房を呼ぶのか?
ウヒャヒャヒャヒャ
17 :
騎兵か・・・:2001/04/22(日) 01:28
日本史板の乃木将軍スレが潜って、もうあそこ、みるとこないなあ。
とりあえず、映画「203高地」age
・・・司馬遼太郎「坂の上の雲」史観(ようするに伊地知がぜんぶ悪い)に一見、従ってるようだけど、
乃木に第1次、第2次の総攻撃をうながすのは丹波閣下こと児玉源太郎(満州軍総司令部ですな)
という描写があって、よかった。
個人的には、乃木さんは制服にこったり、遊郭遊びの挙句、プロイセンで
「プロイセンの軍人魂と武士道は似たりとみつけたり」
と精神論にはしったり、実務家というよりは高等遊民くさいと思う。
明治天皇の前で、例の戦況報告のとき自刃を願い出たってのだって、みようによっちゃあ、
「ひとりよがり」
だよなあ。
仲代達矢は好きだけど(笑)
18 :
名無し昭和帝:2001/04/22(日) 01:30
乃木は良いオヤヂであったぞよ
19 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 01:48
>>11 日本は詐欺まがいのことを行ったって事?
まあ、確かにそうでもないと国力から考えて勝負にならないよな
しかし、昔の日本にはそんなに凄い策士がいたのかね
20 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 01:50
>19
取り合えず司馬ぐらい読め
21 :
陛下にそうおっしゃられたは:2001/04/22(日) 01:53
臣としても、そううかうかしたことはいえんですなぁ(笑)
いや、あの泣き顔と朴訥さにはたしかに、人物的に惹かれますけどさ。
ちなみに旅順要塞のニ龍山/東鶏冠山正面突撃、および203高地突撃
って、やはり中隊単位で一列横隊(波状)突撃だったのかな?
例の30年式歩兵銃だったら、最終段階で、分隊ごとに散兵して、遮蔽物つかった
射撃戦とかやりそうだけど。
遮蔽物のないつるつるだったのかなあ
よく
22 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 02:06
それがあの時代の日本兵。まぁつい最近まで受験戦線でも同じ醜態が
みられたのぅ(藁
23 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 02:33
PHP文庫最新刊「旅順 日露決戦の分水嶺」なる本が出ている。
これを読む限り、情報戦において日本軍は完敗です。
久方ぶりにトンデモ歴史小説を読んで胃が痛い。
24 :
19:2001/04/22(日) 02:57
>>20 だって、あれどうせフィクションでしょ
児玉源太郎があまりにも超人過ぎるよ
25 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 03:00
>19
君はフィクションの意味がわかってるんだろうね?君の理屈でいくと世の中
フィクションだらけになるんじゃないのかい?厨房。
26 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 03:07
>21
地雷原があり、一列横隊は無理。
戦闘工兵が開削した、突撃口から突進、機関銃に狙われた。
銃線の関係から、散開突撃したほうが犠牲は少なかっただろう。
27 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 03:27
露が、開戦の際に日本が行った先制攻撃に対して非難した時
小村寿太郎が言った
「我々は、その非難に対し反論に値する価値を見出せない」
って言う言葉はかっこよすぎ。
当時の帝国主義時代の華やかさに萌えつつ
現代日本の情けなさに萎え
28 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 03:30
ダッテ、ベイサンニマケテバクゲキキモジュンコウミサイルモクウボモナイモン(byモリ
29 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 09:56
まだまだこのスレッドは先が長い・・少しずつ細部まで徹底的に考察したい
しかしやはり洗脳された羊・腐れ軍ヲタ厨房は底の浅いことしかいえんな
極東の弱小国家日本の明治を思うと涙が出る・・・ご先祖様一人一人に感謝
さて、軍の基本装備・歩兵銃をもう少し掘り下げてみたいと思う
30年式歩兵銃はゲベール88(装弾クリップのボルトアクション方式)
の模造でほとんど同一といっていい、これをもとに38歩兵銃が開発される
また銃先端には40センチの30年式銃剣が日本ではじめて装着された。
6.5mm弾の採用は我が国の実情(資源の節約・日本人の体格に合わせ少反動化)
を考えてのことであったが結果としてはからずも小口径化で世界に先駆ける
30 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 10:02
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( ´Д`)// < 先生! 203高地って映画、レンタル屋にありませんでした。
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/ /|関白 /
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掘り下げもなにも、こんないまさらすぎること書き連ねて何がしたいんだか。
正直に最初の二行だけでやめておけばよかったのにねえ。
『アリサカ』は、旧日本陸軍の歩兵ライフルである30年式歩兵銃を開発した有坂成章大佐の名前です。
30年式歩兵銃はその後の陸軍歩兵ライフル(38式、99式)の原型となったライフルであることから、
アメリカでは旧日本軍のライフルを”アリサカ・ライフル”と総称するようになったと聞きます。
小口径化:小さいことはいいことか?
軍隊におけるライフル弾薬は、無煙火薬の登場以来小口径化に向かった。そして、20世紀初めまでには、
ヨーロッパの主要国とアメリカ、ソ連が7〜8mm近辺、ヨーロッパの一部の国と日本が6.5mmという形で落ち着いた。
一般的に、同一スペースでは小口径弾の方が大口径弾より大量の弾数を確保できる利点がある。が、
ヨーロッパの主要国がそれを知りながら小口径弾に走らなかったのは、大口径によるストッピング・パワーや
遠射撃性能を重視したことの他、大口径弾の方が曳光弾や焼夷弾、炸裂弾等の特殊弾薬を作りやすいという理由もあった。
第2次大戦以降、アサルト・ライフルが普及すると、従来のような大口径大型弾薬は不向きとなり、1960〜70年代にかけて新たな小口径化の動きが始まった。これには、技術の進歩で小口径でも特殊弾薬が作りやすくなったことや、歩兵ライフルでは曳光弾以外の特殊弾薬があまり必要とされなくなったこと、さらに『敵兵を死亡させるより負傷させた方が、移送等のためにかえって人員を割く形となり、結果的に敵部隊の能力を低下させる』という用兵思想の普及が理由として挙げられる。その結果、現在では西側が5.56mm、東側が5.45mmを基軸とするライフル体系が完成している。恐らく、当分の間この体系は変化することはないだろう。
旧陸軍の6.5mmX50弾は、30年式歩兵銃の弾薬として開発されましたが、
陸軍は最初6mm弾の実用化を狙っていたと聞きます。当時の軍事界では、
口径6mmが高初速・低進弾道・低反動を実現する理想的小銃弾とされていたそうで、
貧乏陸軍としてはおおいに興味を引かれたことでしょう。
6mm弾の実用化には、国産無煙火薬の性能に対する不安の他、”馬に対する打倒力”
が充分かという懸念(当時の陸軍はロシア軍騎兵を警戒していた)もあったそうです。
陸軍は6mm、6.5mm、7mmの3種の口径をテストし、6.5mmと決定したそうです。
これには、海外で6mmを採用している国がないことと、
日本人と体格の近いイタリアが6.5mmを採用していたことも考慮に入っていたようです。
36 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 15:35
いいスレになってきたね、すばらしいコピペありがとう
さて、30年式小銃の弱点をあげておきたい
連続射撃時に遊底のくぼみとの結合部分にガタがきやすいことだ、
その他いろいろ機構的に弱い部分が多々あった
これは、当時の日本の機械工作力不足のあらわれである、
だが、この30年式歩兵銃を踏み台にして名歩兵銃38式が生まれるのである。
37 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 15:38
30年式ってチューブ式弾倉じゃなかったっけ?
38 :
少佐:2001/04/22(日) 16:29
日本はロシアに勝ったのではなく、アメリカのロシアに
対する圧力のもと、賠償金を1円も取れずに講和したの
である。
日本に残ったのはアメリカからの多額の借金と戦争で家族
を失った家族であり、事実上は敗北だと言っていい。
笑佐はベンゼン以下だな(w
朝鮮、満州へのロシア進出阻止が戦争目的では無かったのか?
その目的は達成されたのではないのか?
賠償金を取れなければ不満って
日比谷焼き討ちをやった厨房国民と同じレベルだぞ。
40 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 19:27
講和できただけでも大したもんじゃないの
常に落としどころを考えながら戦争したって訳だよね
さすがは明治の元勲ズ、伊達ぢゃないわけだ。(それに比べて・・)
42 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 20:51
>>37 ちがうよ。
チューブ式弾倉は二十二年式。
43 :
そういえば:2001/04/23(月) 03:53
旅順艦隊は、戦後の調査では、やっぱ28サンチの榴弾砲ではなく、キングストン弁あけて
自沈ってほうが多かったみたいですね。
だからって伊地知さんの采配は間違ってなかったいうつもりは毛頭ありませんが。
ま戦史をうんぬんしてもはじまりません。
あたしも銃や大砲といった技術的なところ、もちっと知りたいです。
44 :
近接戦闘用の爆弾:2001/04/23(月) 03:56
機関銃陣地の粉砕に、躍進接近して手榴弾で破壊、って手が有効ですけど、
日本軍は203高地当時、まさか、ぜんぶ、歩兵の銃剣突撃でやったわけじゃないでしょうね?
第3回のときには、たべおわった牛缶(日露当時の唯一の正式携帯口糧?)に
火薬と導火線をつめて投げたいう話はききますが?
45 :
某学生:2001/04/23(月) 12:25
30式小銃と38式小銃は各部品の設計図面が無く、造兵廠のその道の名人が
部品を一丁づつ調整したしたという伝統工芸品のようなものだったとか、
標準精度や量産の面で問題がかなりあったとか?
そのため一丁づつかなりの癖があったとか・・・・・
46 :
某学生:2001/04/23(月) 12:27
旅順要塞に篭っていたロシア兵は野菜不足:ビタミン不足で
壊血病が多かったそうだ。後何ヶ月長かったら降伏してたそうだけど?
47 :
名無し三等兵:2001/04/26(木) 23:34
農奴アゲ
48 :
Mr.名無しさん:2001/04/26(木) 23:46
俺の曾じいちゃんが
村上艦隊所属だったんだけど
すごい肩身が狭かったって
みんなで泣きながら酒のんだって
49 :
名無し三等兵:2001/04/26(木) 23:47
>>46 降伏したとき日本の士官が倉庫開けたら満州大豆が山積みになってたって話があるよね。
ロシアの兵士がひとりでも「もやし」を知っていたら旅順はまだ耐えていたという……。
栄養学の本で読んだんだけど、元ネタはどこからだったんだろう?
50 :
名無し三等兵:2001/04/26(木) 23:58
大山は日本型将帥のモデルとされるに至った。
将帥たるモノ、作戦に関しては幕僚を信頼し、一任して口を出さず、意志決定の責任を負うだけという態度が
日本型将帥の理想とされるようになった。
しかし、大山がこのような態度をとることができたのは、児玉総参謀長あってこそであった。
参考文献・・・・・忘れた。
この部分読めば、辻政信にひっかきまわされた昭和陸軍の将帥も可哀想だったと思えてくる。
52 :
名無し三等兵:2001/04/28(土) 23:11
あげいん
53 :
名無し三等兵:2001/04/28(土) 23:40
>48
上村艦隊だろが・・
>50
それは作られた話、大山司令官は茫洋とした将師だったわけではない。
ただ必要以上に、作戦指揮に干渉しなかっただけだ。
例の伝説、
「今朝は、早くから大砲がうるそうごわすな、どこぞで戦でもごわしたか」は嘘、
実際は、参謀連に雷を落として、将軍が直接に命令をくだして、
突出部隊が包囲されていた戦局を、見事に収束させた
55 :
名無し三等兵:2001/04/28(土) 23:56
>>53 >実際は、参謀連に雷を落として、将軍が直接に命令をくだして、
突出部隊が包囲されていた戦局を、見事に収束させた
んなこたぁない。あの話は真実だよん。
56 :
名無し三等兵:2001/04/29(日) 00:27
>>53,
>>55 >「今朝は、早くから大砲がうるそうごわすな、どこぞで戦でもごわしたか」
標準語訳「(なんで俺を無視して勝手にやってんだよ!)敵の攻勢だろ?
主攻勢方面は何処だ!?」
嫌味を言ったのだという解釈か。そっちのがオモロイな。
58 :
たけぽん:2001/04/29(日) 03:24
>>2 まず、太平洋戦争時の日米の経済力の差は、
少なく見積もって、日1:米10、多く見積もって日1:米30と言われてますよね。
日露戦争のときは、日1:露100と聞いたことがあります。
なにぶん聞きかじりだか何だかのレベルで、信頼に値するソースも何もないので
大変申し訳ないのですが、一応何らかの目安にはなるのではないかと思い、カキコ致しました。
少しでも参考になれば幸いです。
上記の国力差について、ソースのある方、また、ソースが無くとも、
それは違うよ、と言う方がいらっしゃったら、レスをいただけないでしょうか?
私も少し気になりますので。
では。
59 :
名無し三等兵:2001/04/30(月) 03:15
厨房質問なんですが機関銃の効果はどんなもんだったんでしょうか?
映画の203高地をみてると機関銃がばばばばばってやるたびに
日本兵が一気に20人ぐらい死んでました。誇張もはいってると思うんですけど。
銃剣突撃のとき損害が大きかったのは、機関銃の威力大であったからなのですか?
それだけじゃないような気もするんで、どなたか教えて下さい。お願いします。
>>58 とりあえず両国の動員兵力とかを考えてみればどうでしょう?
一対百なんて、どこか致命的な勘違いしてるとしか思えない数字ですが。
61 :
名無し三等兵:2001/04/30(月) 14:45
>>59
1丁の機関銃で1個中隊(400人)の進撃が阻止され、1個小隊程度まで兵力が激減してしまったこともあったという。
逆に、秋山支隊は数丁の機関銃で、黒溝台の危機を乗り切ったという。
いずれにせよ、密集隊形で機関銃で挑んだ結果である。
62 :
黒鍬:2001/04/30(月) 17:52
>>59 兵の攻撃躍進は、伏せる、匍匐して小移動、ダッシュの繰り返しです。
ダッシュは約4秒間とされていますが、これは単発銃による照準から
撃発までの時間までの時間が基準となっているそうです。
敵が単発銃のみならばよいのでしょうが、継続的な射撃が可能な機関銃が
相手となると、このような4秒ダッシュでは助からなかったでしょう。
63 :
黒鍬:2001/04/30(月) 18:04
旅順戦で、機関銃が果たした役割は小さくないと思いますが、
個人的には、乃木第3軍が苦戦した理由は各陣地の相互支援と
障害と火力の連携にあったものと思います。
恐らく、周到に準備されたキルゾーンに誘致されたのが損害の
最大の原因でしょう。
>>63 キルゾ−ンつよりか、火力ポケットて逝った方がそれっぽいと思われ。
余計なツコミなのでsage
65 :
名無し三等兵:2001/04/30(月) 19:15
日露戦争になると、もはや大量殺戮の近代戦ですよねぇ。
日清戦争ぐらいまでなら、出征してもいいです。
あんまり死にそうもないし、面白そう♥
66 :
ZU:2001/04/30(月) 19:16
>>65 日清戦争の時の我が軍は防疫がダメダメだったから、病死するよ。
68 :
ZU:2001/04/30(月) 19:44
69 :
67:2001/04/30(月) 20:08
70 :
ZU:2001/04/30(月) 20:15
71 :
名無し三等兵:2001/04/30(月) 20:15
実際に旅順要塞にあった機関銃の数は10丁なかったはず。記憶が曖昧だが、6丁
くらいではなかったか?
>>65 三等水兵で徴兵されろ。奴隷以下の世界だ。
72 :
67:2001/04/30(月) 20:25
>>70 勝った(笑
それじゃ、いつものヤツいくか!
「勝利のポーズ ヤッター ヤッター ヤッターマーン!」
73 :
水みみず:2001/04/30(月) 20:37
なんでよ?
74 :
65:2001/04/30(月) 20:58
>>66 病死はやですねー。征露丸もってけば充分なんでしょうか?
>>71 陸軍の二等卒で充分ですよぅ。
泳ぎは達者じゃないもんで、水兵さんはちょとね……
75 :
名無し三等兵:2001/04/30(月) 21:08
>>71 旅順要塞
守兵:総員42000名
火砲:646門(要塞砲350、野砲67、海軍砲186、捕獲砲43)
海上正面に124、陸上正面に514、予備8
機関砲:62丁 海上正面5、陸上正面47、予備10
資料そのままだけど、こんな感じだと思います。
76 :
名無し三等兵:2001/04/30(月) 22:32
>>74 脚気に正露丸のんでも無駄。さっさと森鴎外を首にしろ。
77 :
名無し三等兵 :2001/04/30(月) 23:29
>21
歩兵35連隊と歩兵6連隊の、ロシア軍の望台砲台へ突撃している
写真があるけど、密集隊形で横隊みたいだよ(1列でなく数列)
散開・散兵戦術が一般的になるのは、第一次大戦以降じゃないのかな?
78 :
たけぽん:2001/05/01(火) 03:48
>>60 確かに1:100は無いだろうとは思いますが、
いくらシベリア鉄道があってもロシア帝国が総力戦を行なったとは思えませんので、
動員兵力はあまりあてにはならないのでは?
しかし、これが正しいなら、日本は、うまくロシアに全力を出させずに戦ったということになるんでしょうね。
動員兵力云々はまた後日調べておきますね。
79 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 09:49
77>塹壕から出た直後と思われる。
80 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 09:50
「日本海海戦は丁字戦で勝った」が定説になってるけど、海戦図を見る限りでは
同航戦にしか見えない。
まぁ、ロシア艦隊の頭を抑えようとしたら、日本艦隊の進路と同じ方向に逃げた
ので、必然的に同航戦になったしまったというところであろうか。(苦笑)
(ヤベッ、うつっちまった)
悩むな(笑)
82 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 10:02
>動員兵力
歴史群像シリーズ(24)「日露戦争」によると、
日本 :出兵 約90万人、内地 約10万人
ロシア:極東 約100万人、極東以外 約100万人
となっている。
「日本軍は最初、ロシア軍の極東への配備を全ロシア軍の3割ほどと
よんでいたらしいが、結果的には4〜5割まで極東に配備され、苦
戦の一因ともなった。」
とのこと。
83 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 12:06
奉天会戦で27万が戦ったらしいが、
残りの63万はどこへ?後方勤務?負傷者?
84 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 12:34
100万っつうのは総動員だろ?
兵はどんどん殺されるわけだから。
乃木に・・・(あっ、以下自粛)
85 :
>83:2001/05/01(火) 12:37
頼むからネタであってくれ。
86 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 12:39
87 :
乙V:2001/05/01(火) 12:39
100万人という数字は常に100万人が稼動してたわけではない、
それに100万人全員が戦闘員だったわけでもない、わかってるか?
それに陸軍・海軍とあったこともわすれているとおもうよ>83君。
88 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 12:48
敵前大回頭は史実だけど東郷の号令一下というのは嘘。
実際は会敵してどちらに変針するか右往左往してたところ、
偶然敵艦隊が自分達と同じ方向に変針して同航戦になった。
89 :
86:2001/05/01(火) 13:05
>88
ということは、東郷は強運の持ち主という
伝説だけは正しいと・・・
90 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 14:32
確か酒税法の税率は日露戦争時に跳ね上がって
そのまま高率で平成の世まできちゃったんだよね?
酒好きな漏れにはそこが痛いとこです。
91 :
71:2001/05/01(火) 17:05
>>75 ありゃ、そんなにあったのか。
映画の印象が強すぎて、逆に過小に記憶しちゃったかな・・・。
92 :
名無し三等兵:2001/05/01(火) 23:08
>>88 単縦陣を保ちながらの、号令一下でない艦隊運動って有り得るの?
あと、偶然の同航戦?というのはどうしてそうなるの?
敵動静を見極めているうちに「もう8000mです!」っていう状況が
起きたんではないんですか?
93 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 02:11
海戦の勝因は、二隊の優速戦隊が活発に機動して常に敵のアタマを押さえ
遁走を防ぎきった事。その行動の発端がα運動、丁字戦法であったと思う。
94 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 12:37
だから頭を押さえようとして転舵をくりかえしてたら
いつのまにか同航戦になっちゃったってことでしょ?
95 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 12:39
最初の転舵の結果T字になったのは確かじゃないのか。
ロシア艦隊は返針しなかったからな。
その後戦闘が長時間に及んだから、ずっとT字では
いなかったのも確かだけど・・・
でも、その場で決めた話じゃなかったらしいけど。
あらかじめT字に持っていくとは決めていた。
96 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 16:17
「ツシマ」をやっと読了
これを読むと、要するに攻撃力(黒色火薬を使ってる!)防御力(木材を大量に積んでいる!)ともに
重大な欠陥を抱えた艦船に、ろくな訓練もしていない補充兵・新兵を乗せて(停泊中の標的にすら弾があたらない!)
近代戦を理解する能力に欠けた提督(駆逐艦の効果的使用法をまったく考えていない)が率いていた、と
東郷でなくても、勝てそうな気がする
97 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 16:31
>>96 日本海軍だって黄海海戦のころまではお寒い状況だった。
弾はあたらんし駆逐艦長たちは消極的だし。それを
東郷があわてて猛訓練して一流にしあげた。
「勝つ」だけなら東郷でなくてもできたかもしれない。
だが日本海海戦での日本海軍の目的は単なる勝利ではなく、
バルチック艦隊をウラジオストックに遁走させないこと。
つまり、阻止。戦艦一隻でも逃してしまえば、今度は
第一艦隊でウラジオを包囲せねばならない羽目になりかねん。
旅順に対してそうしたように。こいつは単に勝つより
難しいよ(全部沈める必要はなく、あくまでウラジオに
逃さなければよかったんだけど。だから何隻か実際に
やったように、中立国に逃げ込ませて武装解除させるのも
十分オッケー)。
となると、東郷だけでなく上村の功績も大であるということに
なるんだけどね。
98 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 16:36
99 :
乙V:2001/05/02(水) 16:51
検索しろ
100 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 19:24
日本海海戦の時、ロシア戦艦で日本戦艦と互角に戦える火力があった艦は
ボロジノ級だけ、他の戦艦は旧式艦(鎮遠よりまし)か、10インチ砲の戦艦
(オスラービア)だった。しかも、装備品の積みすぎ、石炭の過積載で喫水
が下がり、水線防御がおぼつかない艦が多かった。
しかも砲撃が未熟だし。
それでも極東に艦隊を送るとは、専制恐るべし。
日本は実戦経験も積んだ上、準備万端だから、少なくとも完敗はなかっただろう。
戦前の艦隊の整備(戦艦X6と装甲巡X6)も実によく計画されていたと思う。
ところで教えていただきたいのだが、6X6艦隊の整備に関して、西郷従道、
山本権兵衛にプランを提案した人がいるのでしょうか。山本は軍政畑のキャリア
だし、自分でプランを立てたにせよ、裏付けが欲しかったのではないか。
英国にせよ装甲巡洋艦(航続距離が長大で日本艦より巨大、火力はやや軽視)の
整備は日本より早くないと思われるのですが。
101 :
名無し:2001/05/02(水) 20:26
俺のばあちゃんの祖父ちゃんの叔父さんは日露戦争の時の第2軍司令官、奥安たかだった。
第1軍は黒木(薩摩)、第3軍は乃木(長州)、第4軍は野津(薩摩)、司令部は
薩長という薩長軍閥の中で唯一、小倉藩士の出。
藩閥外なのに西南戦争では熊本鎮台の大尉、日清戦争では第五師団長と出世できた
のは、その指揮能力が高かったと言われている。
日露戦争の主な大会戦、遼陽会戦、奉天会戦では、4軍中の最大軍団(4個師団
編成)として常に中央を任され、奮戦した。
「奥軍司令官は参謀が居なくても軍を動かせる」と言われた。
乃木と違って、全ての作戦立案に指導力を発揮したとある。
乃木ほど有名ではないが、日露戦争の陸戦の主力を指揮した人物です。
102 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 20:39
>>101 おお、しゅげー! 奥将軍の甥御さんのやしゃごさん。
>乃木ほど有名ではないが、日露戦争の陸戦の主力を指揮した人物です。
この板の住民なら乃木よりずっと高く評価しているのでご安心を。
>>102 つーか「乃木の子孫です」とは口が裂けても言えない場ですが……(w
104 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 21:14
バルチック艦隊って、別の言い方すればバルト海艦隊でしょう?
内海のようなところを縄張りとして考えていたのに、地球半周する
ような規模の外洋航海やらされて、あげくに敵国間近の水路不案内
の海峡で迎撃される……。悲惨だ。
105 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 21:27
黄海海戦って、あれか
敵の旗艦の艦橋に弾があたって司令部即死、そのまま旗艦は海を漂ったって話だっけ?
嘘のような話だな
106 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 22:38
運命の一弾。
ロシア艦隊旗艦の司令塔って、何かに憑かれてるんじゃないか?
ロジェントウエンスキーも、司令塔のスリットに命中した弾丸のために
破片食らって重傷だった。
107 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 23:17
>100
んー、よくバルチック艦隊は旧式戦艦が多かったと言われるけど
実は第3戦隊(一番戦果をあげたとも言われる)を除けば
そんなに古いわけではなかったんよ。
ニコライ1世を除けば一番古くても1896年竣工艦だし。
ちなみに富士は1897年完成。
それに、バルチック艦隊出航時の日本戦艦はわずか4隻。
ロシア人が完勝と思っていたとしても不思議じゃない。
雑多で整備不良で技量不足云々はその通りだけど。
108 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 23:20
勇猛で兵の信頼厚い名将がいきなり機雷で
旗艦もろとも戦死というのも・・・
109 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 23:32
日露戦争前後、大英帝国には大変世話になったのに、日本は恩を
仇で返してばかりですなあ…
せめてこういう場所でイギリスに感謝をせねば。
ありがとう、イギリス。
110 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 23:42
>>108 日本海軍だって、六戦艦のうち2隻がいきなり機雷で・・・・
111 :
ああ:2001/05/02(水) 23:45
それは言わないで〜!!!
ZUさんと乙Vさんは仲間ですか?
113 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 23:51
>>109 第一次大戦の時に協力していますよ。地中海の遠征艦隊、大活躍。
114 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 23:55
WWTもそうだけど、この時期、機雷って
戦艦の死因として結構ポピュラーなのかな。
115 :
名無し三等兵:2001/05/03(木) 00:04
つか、日本海海戦までは水雷じゃないと沈めらるのは困難と見られていたんじゃ?
116 :
名無し三等兵:2001/05/03(木) 00:35
でも、マカロフが生きてたらロシアには勝てなかったんじゃないのかな
下手すると日本海海戦の逆をやられていた可能性も
117 :
名無し三等兵:2001/05/03(木) 01:12
>>116マカロフが生きていたら……旅順艦隊は艦隊のまま存続したかもね。
そうなると、艦載砲は陸揚げされず、水兵陸戦隊も組織されずかな?
その場合、旅順の陸上要塞は強化・増員ままならず、より早期に陥落した
かもね。明治38年になる前にステッセルが城下の誓いをし、マカロフも
おつきあいする羽目になったかも。「もしも」の世界は難しいね。
118 :
名無し三等兵:2001/05/04(金) 21:50
乃木を伯爵に、伊地知を男爵にした論功行賞が、のちの十五年戦争の最大の敗因だと思う。
119 :
大人の名無しさん:2001/05/04(金) 21:57
>>114 あと良くあるのが、火薬の自然発火による自爆です。
120 :
名無し三等兵:2001/05/06(日) 08:46
age
121 :
名無し三等兵:2001/05/06(日) 10:42
>>117 マカロフの性格なら旅順艦隊を港の奥に閉じ込めておくような
展開にはならないでしょう。
ウラジオに脱出された日にゃあんた・・・・・
122 :
名無し三等兵:2001/05/06(日) 10:46
>>106 信管と爆薬の性能のおかげとゆーのは司馬史観にとりちゅかれてる?
>>122 信管と爆薬の性能のおかげなんてどこにかいてある?
つうか、炸薬と信管に敗因求めたのはロシア側って
書いて無かったか?坂の上の雲
>>122
125 :
名無し三等兵:2001/05/06(日) 23:10
>>122 歴史上の人物に、勝手に想像した台詞を語らせるような歴史小説
を造り上げる、そんな作家の史観なんざ知ったことか。
ロシア艦隊旗艦が、おしなべて不幸な目に遭っていたのは事実だよ。
その不幸を拡大したのは、やっぱり新兵器と努力だろうな。
126 :
名無し三等兵:2001/05/07(月) 02:43
まあだからこその小説だからな
127 :
117:2001/05/07(月) 03:03
>>121『ウラジオに脱出された日にゃあんた・・・・・ 』って言われたから受けるぞ。
そうか、そうですね。出てくる可能性が高いね。
旅順陥落のときにレトヴィザン艦長が海軍代表で開城交渉に来てるんで、それに
引かれて、マカロフ脱出のシナリオを考えなかったです。そうなると浦塩要塞でも
同じ事せにゃならなくなるのか?うわ不利だ。というかほとんど絶望的状況に思え
てくる。…………やっぱり「もしも」の世界は難しいな。
128 :
名無し三等兵:2001/05/07(月) 03:18
>>105 記念艦「三笠」行ってみればわかるけど、黄海海戦はメッタヤラの乱打戦で、
三笠も相当やられてる。右舷舷側は穴だらけ、後部主砲塔は大被害を食うし、
前部艦橋の操舵室にも直撃を受けて、操舵中の艦長が重傷を負ってるし。
『嘘のような話』みたいに運の良さが強調される海戦だけど、同じ様な事が
両方に起こっていたわけで、見栄えのする逸話に惑わされてはいけないよ。
129 :
参加するカモさん:2001/05/07(月) 03:32
走りながら射撃する突撃は旅順の日本軍が最初。
ヨーロッパでも突撃時に走ることは厳禁だった>>WWI緒戦まで
そりゃ、貴重な情報ですな
131 :
名無し三等兵:2001/05/16(水) 22:53
あげ?
132 :
名無し三等兵:2001/05/17(木) 20:39
あげいん
133 :
ZU:2001/05/17(木) 23:14
>>104 「バルト海艦隊」かぁ…
あれだけの大艦隊を、ロシアは何のためにあそこに蓄えていたんでしょうかね?
対ドイツ対策?それともイギリス?
いずれにせよ、欧州よりも対日が大事だという判断をロシアは何故したんでしょうね。
さっさと日本艦隊を潰して、凱旋するつもりだったんだろうか。
134 :
名無し三等兵:2001/05/18(金) 00:03
とりあえず、吉村昭著の「海の史劇」を読もう!
135 :
ZU:2001/05/18(金) 00:05
136 :
M:2001/05/19(土) 00:43
日露戦争美化派がよく持ち出す、
「あの時戦争していなかったら、シベリア鉄道が完成して」
ロシアは日本を圧倒して征服したというような
俗論は、成立しません。
当時のロシアに日本侵攻能力はないし、不凍港は外国軍艦
寄港自由港仁川で満足していました。
137 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 04:36
age
138 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 20:52
ウラジオ艦隊の通商破壊戦(後にドイツ海軍がやったことと同じ)について、教えてください。
日本海海戦や黄海海戦のことばかり話題になりやすく、あまり知られていないような。
139 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 21:05
旅順のロシア軍要塞跡(203高地とかも)を見学した人いなーい?
140 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 21:05
やはり乃木希助はヘタレなのであろうか?
141 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 21:22
>>139 3年前の夏に行ったよ。
東鶏冠山北堡塁、水師営の会見場、203高地等々。
でも、天気が悪くて203高地の山頂から旅順港が見えなかった…(号泣)
142 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 21:27
「203を砕け!攻めて攻めて攻め抜く青春!戦いの丘を駆ける明治の賦(うた)。」
→確か映画「二百三高地」公開時のポスターにそう書いてあった。(当時我13歳)
夏目雅子懐しいね。(美しい国、日本。美しい国、ロシア。(涙))
143 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 21:45
144 :
名無し三等兵:2001/05/30(水) 08:49
>>140 乃木希助はヘタレではない。
ヘタレは乃木希典。
145 :
名無し三等兵:2001/05/30(水) 14:02
>>136 アホ発見!
ウラジオストックの意味知っているのか、この馬鹿は。
>>145 君より136の方が一枚上手に500カノッサ
147 :
名無し三等兵:2001/05/30(水) 14:10
ロシアが朝鮮半島に触手を伸ばしてきたことを知らんとはなぁ・・・。
これも戦後の左傾教育のせいなのか?
>>147 しかし136の言う事も一理ある。
日英同盟あるのに「日本」本土へ攻め入る馬鹿な真似をしたのかね。
そうなれば欧州でも戦争になる。
そこんとこどうよ。
日本に攻め入っても英国は動かんだろ?
>>136のMって、あのM?
言ってることは同じだし、日本語も相変わらず下手だけど、
それにしては改行も出来るようになってるし。
騙りなのかな。
>>152 あの「M」だとしたら、えらいひさしぶりだね。
>>151 君こそ分かってないな。フランスとロシア、さらにドイツがどういう関係だったか知ってる
のか?
そこで日本本国に攻め込めばどういう状況になるか、考えてみろよ。
>>154 何も起きない。
当時ロシアはフランスおよびドイツと親密。
だから? まさか、ロシアが勝ちまくったらフランスと
ドイツが参戦して日本に攻めてくるとでも?
いやまさか、フランスとドイツがイギリスに参戦する
とでも言うつもりじゃああるまいね? (藁藁藁
イギリスにとっての日露戦争というものを誤解してや
せんか、チミは(笑) フランスやドイツにとっての
日露戦争にもは甚だしい誤解があるように見受けられるな。
強いて言うなら、イギリスは日本に戦争を投げるよう
勧告するだろうな。そしてロシアと戦後の極東における
勢力圏の分割について水面下で交渉をはじめるだろう。
動きといえばそんな感じかな。
156 :
名無し三等兵:2001/05/30(水) 18:26
>>155 あのな、まだ日本の「領土」じゃなかった朝鮮半島での「日露戦争」
と、同盟相手国「日本」が「侵略」される「日露戦争」は全く意味
が違う。
なんの為の日英同盟かもう一度考えなさい。
>強いて言うなら、イギリスは日本に戦争を投げるよう
>勧告するだろうな。そしてロシアと戦後の極東における
>勢力圏の分割について水面下で交渉をはじめるだろう。
>動きといえばそんな感じかな。
あり得ません。
今気が付いたが、
>当時ロシアはフランスおよびドイツと親密。
って意味分かって使ってる?
露仏同盟って知ってるか?
>>156 だからさ(溜息) イギリスにとっての日露戦争ってものを
考えてみーって言ってるじゃん。
当時のイギリスにとって日本って何よ? たとえば大戦後の
英米のように、軍事的にも経済的にも不可分な、片方が
こければもう片方もこける可能性のあるパートナーかね?
イギリスにとって日本はロシアの南下を妨げるための
極東における駒に過ぎない。イギリスにとってロシアが極東で
南下するのって自前で兵を出すほどのことはないんだけど、
妨害するに越したことはない。だからちょうどロシアとの
対立が決定的になりつつあった日本と同盟し、支援する
ことにした。日本がうまくロシアに勝てばよし、負ければ
別の手を考えてロシアを妨害しよう。
こんなところだよ、現実は。ちゅーかこんな初歩的なこと
解説させんでくれや。
>あのな、まだ日本の「領土」じゃなかった朝鮮半島での「日露戦争」
>と、同盟相手国「日本」が「侵略」される「日露戦争」は全く意味
>が違う。
何がどう違うのかな。日本本土がロシアの直接侵攻を受けるのは、
そりゃ忠実な同盟国をひとつ失うってことでイギリスにはちと痛いが、
結局極東の小国がひとつ潰れるだけ。欧州における大勢には何の
影響もない。本当に痛いのはロシアが南下に成功してしまったこと。
イギリスは淡々と失点回復のための処理をやるだけ。ロシア相手にね。
日本を残すかさらに将来を見越して残すかは状況次第だな。
露仏同盟知ってるよ。ドイツが明らかにロシア
寄りだったのも知ってるね? そしてドイツと
フランスが反イギリスだったのもね。
問題は、フランスとドイツがどうがんばっても
欧州でイギリス一国に勝てないってことなんだよ。
だから日英同盟に意味がある。ドイツもフランスも
思うようにロシアを支援できなかった。ロシアが
負けつづけたから冷淡になっていったってのも
あるだろうけど。
で、
>>154に対する疑問が浮かぶというわけだ。
一体君は当時の欧州情勢と日露戦争の関係を
どう捉えてらっしゃるのかな?
>>159 それまで孤立主義を取っていた英国の同盟ですよ。あなた世界史には
お詳しくないようですが
>そりゃ忠実な同盟国をひとつ失うってことでイギリスにはちと痛いが
って他に同盟結んでる国はありませんよ。
>欧州における大勢には何の 影響もない。
あのね。アジアの植民地勢力図が一気に塗り変わる。英国はその
突出した海軍力を有効に使うはずです。
当時の英国艦隊から少数船を引き抜いてやるだけでいい。
露西亜の上陸は日本海軍だけでも実質不可能なのだから。
ちなみにね、この話は「日露戦争が日本防衛戦争であった説」
がデッチ上げじゃないか、という話から発展してます。
折れはそういう視点もあり得る、と思う。
スマン、つまりあの戦争は植民地獲得戦争だったって視点だ。
シバリョーばっか読んでいたが、成るほどそういう視点もあるんだな、と気が付いた。
どのみち露西亜に日本に上陸する国力は無い。英国にもフランス・ドイツ
が屈服させるのは不可能。
どうよ。
>つまりあの戦争は植民地獲得戦争だったって視点だ
「日本の」って文字が抜けてた。
>>161 おいおい、「光栄ある孤立」ってのは「欧州内で」どれか
一つの国に永続的に肩入れしないってのものだぞ。
それもたかだか80年程度のものだ(五国同盟の脱退から)。
ありゃウィーン体制が崩れかけてきたから欧州内での新たな
勢力均衡策として孤立を選択しただけだ。その後日露戦争まで
イギリスがいかなる戦争にも全く不干渉だったとでも
思っているのか? 年表読み直せよ。
イギリスが懸念するのはフランス・ドイツ・ロシアの欧州外に
おける植民地拡大、具体的に言えばフランスのアフリカ大陸
横断政策、ドイツの3B政策、そしてロシアの南下だ。
フランスとはファッショダ事件で手打ちしたから問題は残り
二国だ。このうち直接ロシアの意図を挫き、間接的にドイツも
妨害するのが日露のいくさってわけ。ロシアが必死こいて
極東に兵力を移動させて消耗すれば欧州にあるロシア軍は
減少し、対イギリスという視点からいうとイギリスはうれしい
ばかりでドイツは困るからな。しかもイギリスが汗をかかずに。
つまり、イギリスにとって日露戦争はあくまでいくつか進めている
対外政策のひとつであって、日本を救うために参戦して死ぬ気で
戦うつもりも意味もさらさらない程度の戦いだって言いたいん
だけど、わかってもらえんかなあ。
>どのみち露西亜に日本に上陸する国力は無い。英国にも
>フランス・ドイツが屈服させるのは不可能。
日本海軍が生き残っている限りね。この点に関しては同意する、
ていうかもともと俺はドイツ・フランスが日本に参戦してきたり
イギリスが直接参戦するなどありえないと言ってきている。
>>154が何を言いたいのかが気になるだけ。
追加。アジアの植民地地図が一気に塗りかわるとか言ってるけど、
ロシアが満州とって朝鮮半島奪って日本本土まで獲った(として)
イギリスにはうざいけど、致命傷にはならないんだよ。
地中海や中央アジア(インド方面)で南下されるのと比べれば
はるかに傷は浅い。地続きで中国本土に進出されかねないだろうって?
もしロシアがそれやろうとしたらイギリス阻止するさ、ドイツ・
フランスと組んででも。ロシア一国がそこまで有利になることは
ドイツやフランスにとっても絶対に受け入れられないからね。
外交関係の逆転なんてあっという間に起こるってことはわかるよね?
こういうのが前に書いた「失点回復のための処理」ってこと。
>>166 満州、朝鮮半島、日本がロシア領になれば、次は中国が狙われる。
逆の道を日本は辿ったけど。
そこを阻止する為の日英同盟なのだから、有能な助手と言っていい日本上陸
を黙って見てるはずがない。国内世論も日本救出で盛り上がるはず
地中海方面の南下や、中央アジア方面が「食い止められた」からこそロシアは
極東で活動してるのであって、そこを考えるべきでは?
中国は最後の巨大植民地で、イギリスは阿片戦争から始まる一連の戦いで
多くの利権を獲得していた事を忘れてないか?
>>167 おっしゃることはごもっともだけど、俺は日本が敗北して
満州と朝鮮がロシアの勢力圏になった場合、イギリスを含む
列強はそこまでは事後承認すると思うんだわ。勝者が得る当然の
果実として。敗北した日本には誰も鼻もひっかけんと思うよ。
現在日本が国際社会で得ている地位と当時のそれは比較に
ならんよ。経済的にも日本が消滅したって誰も困らんしね。
>地中海方面の南下や、中央アジア方面が「食い止められた」からこそ
露土戦争とサン・ステファノ条約は日露のいくさの20年以上前やで。
第一次バルカン戦争は日露戦争のたった6年後でしかない。もちろん
日露戦争の結果による欧州国際関係の変化ってのはあるけどね。
>>168 >露土戦争とサン・ステファノ条約は日露のいくさの20年以上前やで。
>第一次バルカン戦争は日露戦争のたった6年後でしかない。もちろん
>日露戦争の結果による欧州国際関係の変化ってのはあるけどね。
食い止められて極東進出は本当だって。
後、日本はおそらく莫大な借款をするだろうから、その点でも見捨てないという
気がする。アメリカだってそれが理由で第一次大戦に参戦したし。
勝てる戦争をしない理由もないしね。
勝者が得る当然の果実なんぞ、絶対に認めないだろうね。まぁ参戦しなくても、
必ず米英で干渉して日本を返還させたと思う。
アメリカにだって非常な脅威だから。
うーん、やっぱどうも祖国防衛と植民地獲得の両方の意味があったのか?
どっちかっていうと植民地が欲しかったんだろうか?食料の生命線として。
>>169 >食い止められて極東進出は本当だって。
それはそうなんだけど、直後にまたまた地中海に進出を図っている
ことから、地中海方面への南下も全く不可能じゃなかったってこと。
>後、日本はおそらく莫大な借款をするだろうから、その点でも見捨てないという
この点は日本有利だね。米英には史実でも莫大な借款をした。ただ
借款の成功は日本の軍事的勝利によって実現したもので、緒戦から
負けつづけていればあまり金集めができていなかった可能性があるのさ。
英米が国として買ったわけじゃないからね。
>勝てる戦争をしない理由もないしね。
あえてロシア・フランス・ドイツと決定的に対立することによる
リスクの方が目先の勝利より大きいさ。
>勝者が得る当然の果実なんぞ、絶対に認めないだろうね。
当時の戦争後の処理をざっと眺めてみな。敗者は悲惨で勝者は
ウハウハだよ。次の戦争でひっくりかえされるかもしれんけどな。
植民地なんて簡単にやりとりされるもの。
>アメリカにだって非常な脅威だから。
当時のアメリカはようやく中国進出が端緒についたころ。
欧州に対しては不干渉主義だったのは言うまでもないところ。
勝ったロシアと対立を望むかな?
>うーん、やっぱどうも祖国防衛と植民地獲得の両方の意味があったのか?
俺は祖国防衛のために攻撃を行ったのだと考えるけどね。満州から
ロシアの脅威を排除した後日本の外郭防衛陣地として確保するため
自らの勢力圏とした。「満州は生命線だ」とか叫んだころとは満州の
意味合いは全く違うと思う。
170は俺ね。ていうか疲れた。もう帰るわ・・・