1 :
名無し三等兵:
私の母方の祖父がフィリピンのパリクパパン島で戦死しました。
どのような局面でのどのような戦闘だったのでしょうか?
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて頂きたいと思っております。
戦後母子家庭だった母は、経済的な面で高校へ進学できず
大阪に集団就職でやってきて父とめぐり合い私が生まれました。
不謹慎な書き方ですが祖父の戦死が無ければ私はこの世に
いなかったと思います。
激戦だってのでしょうか?
死を覚悟せねばならない負け戦だったのでしょうか?
2 :
名無し三等兵:2001/04/19(木) 02:05
すいません、フィリピンのバリクパパン、というのは正しいのでしょうか?
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/19(木) 02:06
あの初期の空挺作戦かな?
4 :
名無し三等兵:2001/04/19(木) 02:09
>1様
戦死した年代、地名等もう少し詳しく教えてください。
5 :
1です:2001/04/19(木) 02:30
早々のres誠にありがとうございます。
>>2 さん
>すいません、フィリピンのバリクパパン、というのは正しいのでしょうか?
私も急に心配になってネットで検索したらパリクパパンって言うのは
どうやら今はインドネシアみたいですね
祖母は10年前に亡くなりましたが、死ぬ2年ほど前にようやくの思いで
パリクパパン(島だったと思います)に赴き、花を手向けてまいりました。
その頃は私も成人になっておりましたので聞き間違いは無いと思います。
確かにフィリピンのパリクパパン島での戦死だった聞いています。
>>3 さん
>あの初期の空挺作戦かな?
ちょっと情報量が少なすぎましたね。申し訳ありません。
祖父がどういう状況で死んでいったのか少しでも知りたいので
色々情報を集めてみます。
>>4 さん
>戦死した年代、地名等もう少し詳しく教えてください。
書き込みありがとうございます。
なにぶん今日はこんな時間ですので明日にでも母に聞いておきます。
6 :
名無し三等兵:2001/04/19(木) 04:22
あげ
7 :
1です:2001/04/19(木) 14:12
>>6 さん
ageてくれてありがとうございます。
先ほど母に電話して少し話を聞きました。
没年は昭和19年6月25日。
軍から戦死を知らせるハガキと名前の入った位牌が届いたそうです。
タイミングは分かりませんがキンシ(?)勲章を頂き
祖母はずっと遺族年金を貰っていたそうです。
祖父は輸送船の機関士をしていたそうです。
パリクパパン島と上で書きましたが、それは誤りで
輸送船が撃沈され戦死したそうです。
母があまり語りたくなさそうだったので詳しく聞けませんでしたが
パリクパパンという海域かもしれません。
近くの島に慰霊塔が立っており、祖母はそこに訪れたそうです
8 :
パリクパパン:2001/04/19(木) 15:07
と言ったらインドネシアのボルネオ島の東岸、セレベス島に面した所ですが。
フィリッピンではないですね・・・
9 :
名無し三等兵:2001/04/20(金) 01:17
バリクリバンじゃない?
フィリピンの南東、もしくは南の大きな島の
一つの拠点かちいさな島かどっちか、
なんかの戦争ゲーで覚えてる。
10 :
名無し三等兵:2001/04/20(金) 01:19
>>1 昭和19年6月25日だと小澤機動部隊が壊滅したマリアナ沖海戦
(6月19日)が起きた直後です。
6月16日にはB29が北九州に来襲していますし、7月7には
サイパン守備隊が玉砕しています。
敗色濃厚といいますか、勝ち目のない戦いを延々と強いられている
時期です。
お爺様は輸送船の機関士をなさっていたということですが、
海軍の「輸送艦」であればともかく、商船であったりすると軍事関係の
アプローチでは特定は困難ではないかと思います。
ちなみに昭和19年6月は500総トン以上の商船が75隻失われ、
また、バリクパパンとマニラを結ぶ海上交通が放棄された月です。
加えて、私が調べたなかでは、昭和19年6月25日に沈没した
「輸送艦」「運送艦」は見当たりませんでした。
最後に金鵄(キンシ)勲章について
金鵄勲章は明治23年、紀元節の2月11日に制定されたもので、
その際次のような詔書が出されています。
「武功抜群ノ者ニ授与シ永ク天皇ノ威烈ヲ光ニシ以テ其忠勇ヲ奨励セントス」
軍人、軍属にのみ与えられ、功一級から功七級までありました。
昭和15年4月29日以降は生存者には与えられていないようです。
私が調べられるのはこれくらいです。
お爺様の詳細についてまた情報が入りましたら
是非書き込んでいただきたく思います。
11 :
通行人:2001/04/20(金) 08:16
12 :
名無し三等兵:2001/04/20(金) 19:36
>10
金鵄勲章って軍属ももらえたの?確か終戦時の乱発以外では不可能だったはず。
戦死軍属は別の勲章のはず。
あと、予備学生(予飛13期)の生存者の本で功七もらった人がいるって記述が
あったような気がするんですけど。
13 :
1です:2001/04/20(金) 23:38
今仕事を終えて帰ってきたところです。
皆さん書き込みありがとうございます。
14 :
1です:2001/04/20(金) 23:51
>>8 さん
>インドネシアのボルネオ島の東岸、セレベス島に面した所ですが。
>フィリッピンではないですね・・・
そうなんです。今回の件で一番の謎が戦死した正確な場所なんです。
一応、母・祖母ともフィリピンのパリクパパンと言ってるんですね。
軍から送られたというハガキを見れば詳しいことが分かると思うのですが
ハガキは鹿児島にある母の実家にあり、実家は今は無人なんです。
(私は大阪在住です)
>>9 さん
>バリクリバンじゃない? フィリピンの南東、もしくは南の大きな島の
>一つの拠点かちいさな島かどっちか、なんかの戦争ゲーで覚えてる。
そうなんですか、そう言う拠点があるのははじめて知りました。
その線も考慮に入れ色々調べていきたいと思います。
>>10 さん
>敗色濃厚といいますか、勝ち目のない戦いを延々と強いられている
>時期です。
そうでしたか、祖父はそのような厳しい状況におかれていたのですか。
貴重な情報ありがとうございます。
>加えて、私が調べたなかでは、昭和19年6月25日に沈没した
>「輸送艦」「運送艦」は見当たりませんでした。
わざわざ調べてくださり誠にありがとうございます。
>最後に金鵄(キンシ)勲章について
これは是非母に教えます。きっと喜ぶと思います。
>お爺様の詳細についてまた情報が入りましたら
>是非書き込んでいただきたく思います。
本当にありがとうございました。
15 :
1です:2001/04/21(土) 00:02
>>11 さん
>博学ですね。
私事で恐縮なんですが、これまで2ちゃんねるでは軍事板に来たことが無かったんです。
大学受験は地理+倫理社会だったので日本史、特に太平洋戦争に関する知識は殆ど在りません。
で日本史で私学の受験をした友人に聞くと
「私は分からないけど、軍事板にはモンスタークラスの博学な人が沢山いるよ」と教えられ
今回思い切ってスレッドを立てた次第です。
>>12 さん
>>10
>>金鵄勲章って軍属ももらえたの?
12さんもモンスタークラスですね。
祖父が貰ったという勲章について詳しく知りたいと思っております。
16 :
1です:2001/04/21(土) 00:17
皆さんのおかげでアプローチすべき個所を絞ることができましたんで
あとは自分で調べていこうと思います。
1)祖父が戦死した正確な場所
・パリクパパンではなくバリクリバンではないのか?
・バリクパパンとマニラを結ぶ海上ではないのか?
2)乗っていた船は軍船ではなく民間の商船だったのか?
・商船に載っていたのなら軍人ではなかったのか?
・なら、軍人で無い祖父に何故金鵄勲章を与えられたのか?
3)軍人、軍属の違い
このスレッドをきっかけに祖父が亡くなったのは今の私と同じ年であることが
分かりました。これを機に私も戦史の勉強を始めたいと思っております。
短期間にこれだけの的確な情報を得られたことを非常に感謝しております。
特に10さんのご尽力には感謝しております。
皆さん本当にありがとうございました。
ええスレだ…
大人のスレだね。
19 :
10:2001/04/21(土) 02:49
20 :
にちゃんねるが:2001/04/21(土) 03:05
人の役にたつなんて・・・(涙)
21 :
12:2001/04/21(土) 05:42
>10
私も詳しくは知らないのですが一応こういう話を小耳にはさんだ面のですから、
>1
当時はスルー海に面した一帯を現地のイスラム教徒は「スルー帝国」と称していたり、
カリマンタンから南の一帯を一つの国のように見なしていたようで、旧軍の記述でも
混乱しています。スルー帝国の王様の子孫が未だに比のサンボアンガに住んでいたり、
サンボアンガからインドネシアよりのイスラム教徒はパスポート無しで両国間を行き
来し交易しているくらいですから。この際、国名は無視して地名にしぼって調査した
ほうが良いのではないでしょうか。
22 :
1です:2001/04/21(土) 23:04
ちょっとでも情報を得ようと思い先ほど父の携帯に電話して
色々聞いてみましたがやはり母と同じような情報しか得ることができませんでした。
遺骨が送られてきたのを聞いたことがあると言っていましたが、
中身は土しか入っていなかったそうです。
余談ですが、さっき聞いた話なんですが
父方の祖父は軍の徴用で呉の軍事工場で働いていたそうです。
呉といっても本当は光市にある秘密工場(?)で特殊潜航艇を
作っていたそうです。
「特殊潜航艇って何?」と聞くと回天と教えてくれました。
その工場は米軍の攻撃が強烈だったらしく、生き残れたのは幸運だった
と言っていたそうです。
申し訳ありません、resは明日必ず付けます
>>1 お役には立てないのにレスつけるのも恐縮なのですが、私の伯父も
戦死(沖縄戦)しており、なんというか、親近感を覚えます。
その伯父にとって妹である母でさえ記憶していない、身内ですが、
やはり最期などの様子は気にかかるものですね。
御祖父様の御魂安らからんことをお祈りいたします。
24 :
ふうふう:2001/04/21(土) 23:39
いいですね、ちょっと泣けましたよ。普段は絶対泣いたりしないんですけど
もう、皆良い人ばかりですね、なんかあったら自分もお役にたちたいです
いいですよね?
25 :
>1:2001/04/22(日) 00:11
応援あげ
26 :
名無し三等兵:2001/04/22(日) 10:24
弱いと言われた日本戦車部隊もサラクサク峠では零距離射撃でかなりの戦果をあげ、
一ヶ月で米三十五師団を不能にさせ、第三十八師団との交代を余儀なくされた。
27 :
名無しです!:2001/04/22(日) 11:08
●金鵄勲章について
叙勲対象者は軍人・軍属の戦場で特別功績のあったものになっています。
但し、軍属に対し如何程授与されたかはわかりませんが。
金鵄勲章の受賞は軍人にとって名誉で実益が高いものです。
将官クラスの功一級で900円/年、兵卒クラスの功7級でも65円/年の年金が
死ぬまでもらえるのですから、当時の一般庶民の所得水準からいってもかなり
の高額所得ですね。国民栄誉賞なんかより良いですね(笑)
ただ満州事変以降、受賞者の数が激増して高額の年金が国家財政を圧迫した為、
昭和15年以降、年金の支給を中止して一時金(国債)払いに、加えて生存者に
は授与しない形式になりました。乱発はされましたが、日中戦争以降の受賞者
が81万人で、全体の戦死者約230万人としても全体の35%しかもらえていない
計算です。これを多いと見るか少ないと見るか微妙なところですね。
日清戦争で京城(ソウル)の城門によじ登り、内側から門扉
を開けて友軍を勝利に導いた兵卒は、金鵄勲章の年金で生涯働かずにすんだと
いう話を小学生向けの戦記本で読んだ記憶があります。
28 :
1です:2001/04/23(月) 00:03
>>20 さん
>にちゃんねるが人の役にたつなんて・・・(涙)
ええ、幸いなことにこのスレッドには親切な方々が集まってくれたみたいですね。
ありがたく思ってます。
>>12,21 さん
>この際、国名は無視して地名にしぼって調査したほうが良いのではないでしょうか。
おっしゃるように、大切な肉親の死ですから、祖母・母の言う
パリクパパンという地名については間違っていないと思います。
何度もご助言ありがとうございます。
それにしてもよくご存知ですね。あまりの博学さに驚いてしまいます。
>>23 さん
>やはり最期などの様子は気にかかるものですね。
祖父の戦死は知っていましたが、その死に様がずっと気になっておりました。
当時8歳だった母を筆頭に3人の幼い子を残していったことがさぞ無念だったと思います。
祖父は商船に乗っていたようですが、よく潜水艦に狙い撃ちされたそうです。
そんな状況で働いていたとは.........
>御祖父様の御魂安らからんことをお祈りいたします。
ありがとうございます。今は枕崎にあるお墓の中で
祖母と一緒に私達を見守ってくれていると思います。
>>24 さん
>皆良い人ばかりですね
本当にそう思っております。質・量ともに予想以上の好結果に驚いています。
>なんかあったら自分もお役にたちたいです。いいですよね?
そのお気持ちだけで充分です。たんなる「教えて君」である私の立てたスレッドに
resが付くだけで本当に嬉しいんです。
29 :
名無し三等兵:2001/04/23(月) 00:07
すいません、一言・・・
山口県徳山市に回天記念館という施設がります。
駅前の地下道から連絡船乗り場へ行けます。
回天についてはそこへお行きになると良いと思います。
30 :
1です:2001/04/23(月) 00:19
>>25 さん
>応援あげ
ありがとうございます。自分の中でこのスレッドはいったん
>>16で終わっていたつもりなんですが
追加情報、また応援が多く嬉しく思っております。
と言いますかここ2日間はちょっと恐縮気味です(笑)。
>>26 さん
せっかく書き込みを頂いたのですが私は戦史に疎く、
ご助言の内容がちょっと謎です。申し訳ありません。
>>27 さん
>金鵄勲章の受賞は軍人にとって名誉で実益が高いものです。
確かにおっしゃる通りです。おかげで母達は生活できました。
実は
>>19(10)さんに教えていただいたサイトに行って色々調べたのですが
金鵄勲章を受賞された方々の階級を見てちょっと疑問が沸いていたところでした。
「なぜ、機関士だった祖父に金鵄勲章が?」と。
>81万人
この具体的な数値で納得できました。ありがとうございます。
31 :
1です:2001/04/23(月) 00:34
resの順序がバラバラになりすみません
>>17 さん
>ええスレだ…
17さんを含めres付けて下さった皆さんが良い人だったからだと思ってます。
恵まれてますね>私
>>18 さん
>大人のスレだね。
本当にその通りで、おかげで助かっています。
偶然なんですが、父母と電話で話した時両方ともが
「自分にとって、戦後は終わらない」みたいな内容のことを言ってました。
経験者にとってはそうなんだろうなと妙に納得してしまいました。
その子供である私も中身はともかく年齢的にはいい大人になっています。
>>19(10)さん
なんどもお調べ頂きありがとうございます。
>金鵄勲章についてGoogleで検索をかけましたが、
さっそく行ってまいりました。
功一級〜功五級までの方々を見てちょっと引いてしまいましたが(笑)。
32 :
1です:2001/04/23(月) 00:52
>>19(10)さん 続き
>なんと言いますか、過ぎたお言葉を頂き恐縮しております。
>精緻な調査は他の方に期待するとしても私なりに分かったことが
>あれば書き込んでいきたいと思いますのでよろしくお願いします。
いえ、とんでもございません。こちらこそなんとお礼の言葉を申し上げたらいいのか
わからない次第であります。
今日は一日パチスロを打っていたんですが、このスレッドでの皆さんの親切さに感銘したせいか
「ひょっとした凄い確率であの人が書き込みしてくれたのかもしれない」
と思い、困ってる人の目押しばかりしていました(笑)。
>>29 さん
>山口県徳山市に回天記念館という施設がります。
情報ありがとうございます。機会があれば是非訪れます。
祖父は20年以上も前に亡くなりましたが、当時小学生だった私に回天ではなく、
人間魚雷(不適切・不謹慎な言葉だったら申し訳ありません)と言ってました。
大好きだった祖父が葛藤の中で作っていた回天を一目見たいものです。
33 :
名無し三等兵:2001/04/23(月) 02:26
民間徴用船舶の喪失年月日と喪失箇所、喪失状況を調べるのには
戦史叢書の海上護衛戦がいいんじゃないの。
これは大学図書館に行けば書庫にあるはず。
郵船であれば、日本郵船戦時戦史。こちらは船員一人一人の死傷状況も載っている。
バリクパパンはボルネオ島南東部にあるから、恐らくマカッサル海峡で潜水艦によって
撃沈されたものと思われるんだが。
34 :
名無し三等兵:2001/04/24(火) 16:41
あげ
35 :
1です:2001/04/25(水) 23:37
2日ほどネットができない環境でしたので
resが遅れたことをお詫びいたします。
>>33 さん
>戦史叢書の海上護衛戦
>日本郵船戦時戦史
33さんのおかげで殆ど回答が出たみたいですね。
あとは自分が動くだけ。
的確なアドバイスをありがとうございました。
>>34 さん
>あげ
あげ進行ありがとうございます。
でも皆さんのおかげでほぼ回答を得ることができたと思っています。
あとは私が動くだけ。
私事にもかかわらず、このスレッド育ててくださった皆さんに感謝しております
36 :
名無し三等兵:2001/04/27(金) 04:12
応援age
グスン。いい人たち。
37 :
名無し三等兵:2001/04/30(月) 20:44
どうなるのか、定期的にageてくれると嬉しいかも
38 :
アロエリーナ:2001/04/30(月) 20:55
Ψ < 早速あげるよ。うちのじいちゃんも南方で戦死した
□ そうだから。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/30(月) 20:59
俺のところは支那の兵隊を97式戦車で踏み潰した。
でも、1さんのお爺さんの無くなった状況が分ると
いいね。
こんなスレがあったのですね。ついホロリとさせられてしまったので微力ですが
お力になれないかと資料を紹介します。
船舶砲兵として従軍経験のある駒宮真七郎氏の一連の著作があります。
・『戦時輸送船団史』(出版共同社)
・『戦時輸送船団史U』(個人出版)
・『太平洋戦争被雷艦船史』(個人出版)
・『太平洋戦争輸送艦船史』(個人出版)
徴用船を中心に、喪失船舶について状況が判明しているものについて調べた労作
です。
船の名前が判れば、場合によっては情報をご提供できるかもしれません。
私の身内には、戦死者こそいませんが父の長兄は父島で、母方の祖父はジャワで
終戦を迎えています。彼らの場合は本当に運が良かっただけだと思います。
41 :
名無し三等兵:2001/05/02(水) 01:09
応援あげ
42 :
名無し三等兵:2001/05/08(火) 18:17
age
sage
44 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 04:37
age
45 :
名無し三等兵:2001/05/29(火) 06:06
なんと言っていいか、落書きみたいで皆さんに失礼かもしれないのですけど・・・。
私の祖父の義理の弟は、インパール作戦で亡くなりました。
祖父は、ずっとその最後を知りたくて、今でこそ弱ってしまいま
したが、何度も戦死したといわれる地をおたずれていました。
毎日、お経を上げて、先祖代代の墓の横に慰霊碑を作りました。
それを思い出すと、1さんの気持ちは祖父と同じなのではないかと思います。
うまく言えばいですけど・・・。
本当にお祖父様のことが少しでも判ればと思っています。
そして、便乗のような気もしますが・・・。
私の祖父のことも、もしよろしかったら教えていただいてもよろしいでしょうか?
本当に申し訳ないのですが。
詳しいことは、母に聞かないと分からないのですが、陸軍の少尉で軍旗を守る役?
だったそうです。
もっと詳しいことを聞いてくるつもりですが、もしわかることがあったらよろしくお願いします。
46 :
名無し三等兵:2001/05/30(水) 18:38
atsuage
47 :
名無し三等兵:2001/05/30(水) 19:04
age
48 :
名無し兵曹長:2001/05/30(水) 19:12
おじゃまします。
>金鵄勲章を受賞された方々の階級を見てちょっと疑問が沸いていたところでした。
>「なぜ、機関士だった祖父に金鵄勲章が?」と。
ちょっと考えてみたのですが・・・
@官営高等商船学校を卒業していれば、自動的に海軍予備士官に任用される。
一定の訓練を終えれば通常民間の船舶会社に就職し商船士官(船長・運転士
機関長等)として勤務します。なんらかの理由で軍属としてではなく予備士
官として戦死が認められたのではないか?
A乗務していた船は海軍徴用船で、機関士ではなく、正規の機関科将校として
配属・乗務していたのではないか?
以上、憶測の域をでませんが、ご参考まで。うろ覚えなので間違ってたらすみ
ません。
49 :
名無し三等兵:2001/05/30(水) 19:29
帝国陸海軍の敗勢が続く1944年秋のフィリピン・サラクサク峠の戦いで、
岩中戦車師団の玉砕により米軍三十五師団は死傷七千の損害を受けて新編
三十八師団と交代することになったそうです(小説太平洋戦争6 山岡荘八)。
50 :
名無し三等兵:2001/05/30(水) 21:50
1さん、23さん、45さんのお気持ちお察しいたします。
私の場合祖母の弟なのですが、やはりフィリピンで戦死しています。
祖母と特に仲が良かったという弟がどこで最期を迎えたのか、
ずっと知りたいと思っていました。フイリピンといってもいろいろ
ありますし、私も軍事板のみなさんの知識で、何とか所属部隊と最期
の地を特定できないものかと、実は思っていたんです。入営時期や場所
を始め断片的な情報があります。
そこで、ここに書き込んでもよろしいでしょうか?それとも別にスレを
立てた方がよいでしょうか?厚かましいですが、みなさんのご判断を
仰ぎたいと思います。
いいんじゃないですか?カキコんでも。
52 :
50です:2001/05/31(木) 00:31
>>51さん
ありがとうございます。
「好ましくない」というご指摘あれば迅速に別スレ立てますから、
すぐ言ってください。
私の祖母の弟(便宜上A兵長とします)は、
昭和15年現役で応召しました。北海道出身なのですが大阪で入営したそうです。
部隊は後に満州へ進出しました。A兵長はそこで怪我(腕なんですが戦傷ではないらしい)
をしたため内地に戻り(?)入院したそうです。元部隊に戻ったのか別の部隊に移った
のかは判りませんが、その後A兵長はフィリピンのある島へ上陸。そこで昭和20年の
1月(19年末の可能性も)に戦死しました。
A兵長はすらっとした長身で戦車か装甲車の乗員(長身で乗員というのは…)、
長身を生かして「見張りの仕事」をしていたのではないかとのこと。
部隊は遮蔽物のない平地で奇襲を受け、他の隊が駆けつけたときには全滅していた
そうです。ちなみに部隊が島に上陸した時(それともフィリピンに進出した時か?)、
入れ違いで撤退してくる部隊にの中に同郷の人(祖母は「近所の人」と言って
いました。本当ならすごい確率ですが)がいて、A兵長に「Aさん、もうここは
だめだよ。だから一緒に退がろう」と声をかけたそうです。
部隊が全滅したため、もちろん遺骨も還ってこなかったのですが、その割に変に詳細な
ところもあり、祖母の話には間違いもかなり含まれていると思います。
皆さんの推理で正しいと思われる情報を繋ぎあわせて、なんとかA兵長の所属部隊と
最期の場所を特定していただけないでしょうか?
誠に勝手なお願いですが、よろしくお願いいたします。
age
54 :
名無し三等兵:2001/05/31(木) 17:55
55 :
50です:
戦時徴用船に関する情報を偶然発見しました。
東京都千代田区麹町に「財団法人 日本殉職船員顕彰会」という団体がありまし
て、5月に横須賀市の観音崎公園にある「戦没船員の碑」において慰霊祭が行わ
れたようです。また、「戦没した船と海員の資料館」が神戸市にあるそうです。
もし1さんのお祖父様が、48さんご指摘のような予備士官ではなく徴用軍属
として乗っておられなのなら、これらの団体に手がかりがあるかもしれません。
詳細はここです。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/senin-his.htm