太平洋戦争ってやっちゃ駄目だった?

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1名無し三等兵
「日本は戦争なんかして馬鹿だ。悪だ。」
と戦後、ボロボロに叩かれているが、本当に駄目だったのか。

あのタイミング以外に戦争をするタイミングがあったのか?
外交努力で回避できたのか?
回避したとして、領土を失い弱小国として生き残っていても良かったのか?

賛成派も反対派も話を聞かせてください。
2名無し三等兵:2001/04/14(土) 12:53
駄目だった。
ちなみに終了していいですか?
3名無し三等兵:2001/04/14(土) 12:55
日・米どちらも市場として中国を狙っていたから、強力な国際組織が
無い当時では、いづれ戦う事になっていただろう。
しかし、日軍は戦線広げすぎ。只でさえ脆弱な補給線が伸びきった・・・。
しかし戦線を縮小すれば米物量軍が押し寄せる・・・。

ウムム・・・。
4名無し三等兵:2001/04/14(土) 12:59
……>>1よ、ほれ「ハルノートを受諾してたらどうなった?」
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=985791679
そこに書いてあった参考になるログ
「太平洋戦争負けたのはこいつのせい」も読んでおけ。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=986464957
で聞きたいことのログが無いか質問しいてみてくれ。
5名無し三等兵:2001/04/14(土) 13:00
俺は賛成だね。

大陸から撤退して、アメリカの圧力に屈するよりは民族の誇りを見せれたと思う。
どうせ戦争しなくても、クーデターなりが起きて開戦していたと思うし。

戦争をしたかったのはアメリカだろ?
ルーズベルトの言動を見てれば一目瞭然。
6>5:2001/04/14(土) 13:05
やれやれだぜ。
7ふみ:2001/04/14(土) 13:15
どんな戦争もやっちゃだめです。
でも戦争をやるからには勝たねばなりません。
しかし帝国はその努力を怠りました。
帝国が世間様を舐めていたことはちょっと本を調べればわかります。
ならば負けて当然、罵倒も当然。
無条件降伏も領土割譲も押し付け憲法も当たり前、負けたんですから。

それが不満なら…次の機会を狙いましょう(笑)
8国難:2001/04/14(土) 13:16
戦争をせざるを得ないように巧みに追いつめられた。
今の日本の姿と何故かだぶる
9名無し三等兵:2001/04/14(土) 13:24
謀略史観(負け犬史観でも可)と戯れているようではまた負けるぞ。
戦争で勝ちたいならそーいう皇国太郎的考えは捨てろや。
10名無し三等兵:2001/04/14(土) 13:29
>8

日本は自ら自分達を追い込んでいった感があるな。
しかし、それすらもアメリカの謀略かもしれん。
いや、俺がこう思うのすらも戦後のアメリカの謀略かもしれん。
謀略は続く・・・
11名無し三等兵:2001/04/14(土) 13:34
>>8
いいから「太平洋戦争負けたのはこいつのせい」を読んでおけ
http://mentai.2ch.net/army/kako/967/967752802.html
12名無し三等兵:2001/04/14(土) 14:11
大日本帝国は物量戦で負けたのだ!!
http://yasai.2ch.net/army/kako/973/973475719.html

を読めばいかに愚かな戦を挑んだかが分かるよ。根性
だろうが技術だろうがいかなる理由があっても100%
勝てないし講和すら無理だってのはわかりきっていたはず。
つまるところは軍部の面子の為だけに突っ走ってしまった
という感じ。
13名無し三等兵:2001/04/14(土) 14:31
中国軍には連戦連勝。
14名無し三等兵:2001/04/14(土) 14:34
>>13
 でも制圧できなかった。資源を得る拠点を築くどころか兵力と
資源をいたずらに浪費してたから戦に勝って戦争に負けた
ってところだね
15名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/04/14(土) 15:06
中国は外から攻めるよりも大躍進運動や文化大革命で内部から崩壊させた方が効果的。
16名無し三等兵:2001/04/14(土) 15:07
ま、そのうち内部分裂して自壊するでしょう(楽天的すぎるかなあ)
17名無し三等水兵:2001/04/14(土) 15:12
対中はなんとしてでも戦争状態に陥ることを避けてほしかったが。
対米はいずれやらなければならなかったのだろうなぁ。
18名無し三等兵:2001/04/14(土) 15:20
今の生活もアメリカに占領されなければなかったんだから、いいんじゃない??
19名無し三等兵:2001/04/14(土) 15:20
日本が対米開戦やらなきゃ、ノルマンディ上陸作戦もなかったかなぁ
20名無し三等兵:2001/04/14(土) 15:24
日本人が世界中で今勝ち取っている「リスペクト」はあの戦争のおかげ

これ↑、おれの考えではなく作家の山田風太郎がいってる言葉だ
一理あると思う
21名無し三等兵:2001/04/14(土) 16:00
戦争「だけ」ではないぞ。
ちょんまげの時代からたった70年で五大国になった。
そしてその地位から一度は滑り落ちつつも
40年というわずかな時間で前をもしのぐ大国に復活した。

この二度の「爆発力」がすごいんであって、
無策の結果をリスペクトされてるわけじゃねーぞ。
22名無し三等兵:2001/04/14(土) 16:03
>21
いや、特攻などという、理屈の通らぬ戦術の大量採用によって
それまで舐めていた日本人を見なおしたんだそうだ>山田風太郎説
23無名四等兵:2001/04/14(土) 16:04
>>21
んで、ただいま滑り落ち中。
24名無し三等兵:2001/04/14(土) 16:06
「現在の日本があるのは戦争のおかげ」というのは一理あるけど
結果を知らなかった当時の人にしてみれば所詮は結果論。という
ことで、このスレでは当時知りえた知識のみに限定して議論をして
みては?
25無名四等兵:2001/04/14(土) 16:09
あとね、大切なことは仮に日本に戦争をする気がなくても
アメリカは日本と戦争をやりたがってた、って事。
理由は大まかに言って二つあって
1)対ドイツ戦に参戦したかった。
2)日本とアメリカが戦争をしても絶対勝つ自信があった。
ってこと。だからハル・ノートなんていう日本には到底飲めない
条件を突きつけて、石油を止めて締め上げたワケ。
これとほぼ同じ手を使ったのが湾岸戦争。
26名無し三等兵:2001/04/14(土) 16:24
馬鹿だね。大日本帝国はアメリカの戦略にマンマと嵌ったんだよ。
戦争しなかったら中国と100年戦争だね。
27名無し三等兵:2001/04/14(土) 16:29
「マンマと嵌った」の使い方間違ってないか?
28太平洋戦争:2001/04/14(土) 16:47
いいじゃないか。

最後には世界中を敵にして、完璧に負けた。
「無条件降伏」だぜ。
サバサバしてかえって気持ちがいい・・・
29名無し三等兵:2001/04/14(土) 16:51
日米戦争を回避できる方法を考えてみる。

すると、アメリカの言いなりになって大陸の利権を失うか、自棄になってソ連と戦ってみる。

どちらにせよ国は保てんな
30名無し三等兵:2001/04/14(土) 16:53
回避する方法がなかったなら、日本の望むタイミングで仕掛けたのは悪くないかもな。

って思えてくるが。
3142式:2001/04/14(土) 17:59
世界から尊敬されているのは「日本人」であって「日本国」ではない。
「日本人」の優秀さは誰もが認めるが…
32名無し三等兵:2001/04/14(土) 19:58
今の日本人はもう駄目なんだろうな・・・
33ZU:2001/04/14(土) 20:02
>>32
 いやいや、いつの時代でもダメな人間のほうが多いと、相場は決まっています。
 昭和のときだって、明治のときだって、江戸のときだって、ダメ人間のほうが
多数派だったはずです。だからこそ、まれにみるような「美談」が残っている
のでしょう。
 美談は、多すぎると語るべき価値がなくなりますからね。
34名無し三等兵:2001/04/14(土) 20:10
鉄山さえ生きておればのう…
35名無し三等兵:2001/04/14(土) 20:14
どうにもならんよ。
36名無し三等兵:2001/04/14(土) 20:29
>>33
2ch見てると良く解る。(w
37hatake:2001/04/14(土) 20:36
・・・とりあえず、確かな事がある、多くの人が死ななくていいのに死んでいった・・・。
38hatake:2001/04/14(土) 20:42
アメリカの言いなり、論なんですが、今でも十分言いなりな気がします。
独立国然としていたかったら、ダメだったかもしれない。
というか、日本の終わりだというのは如何なものか。実際に攻められたエチオピアはやってられない様な
気がします。
39名無し陸軍大将:2001/04/14(土) 21:33
旧帝国の立場で考えれば大東亜戦争は失敗だったといえる。
なにしろ事実上国家体制が崩壊したわけだから。
戦争を回避してしかも権益を維持拡大する方法もあったはず。
ソ連と資本主義諸国がいずれ対立せざるを得ないことを見越して
いれば、いったんは米国に譲歩して、反共の波に乗ることも
できただろうし、大東亜共栄圏の下に東南アジア諸国を真に
独立させて領土でなく影響力を拡大することもできたはず。
またモンロー主義の米議会勢力をうまく利用して米を開戦させない
方法もあったはず。
よく開戦してもやり方次第では勝てた(講和)という人いるけど、
絶対負けていたと思う。西海岸艦砲射撃してもアメリカは絶対に
折れなかったはず。かえって原爆5個ぐらい落とされてたと思う。
しかしまあ我々の立場から見れば戦争をしてくれて良かったと思う。
日本が開戦しなければ米は参戦してないからナチスが拡大しただろうし、
日本も旧体制は滅びずに、徴兵制や人権制約も多く残っていただろう。
良かったのは皇族華族軍人寄生地主ぐらいだろう。まあうちは地主で
陸軍将校の家だったんだけどね(藁
40名無し三等兵:2001/04/14(土) 21:35
日英同盟大事にしてたら幾らかマシだった
ってのはダメですか?
41名無し新任少尉:2001/04/14(土) 21:46
大日本帝国としては失敗だったんだろうが、
日本としては良かったんじゃないかな。
やらんかったら、アジア舐めまくりだろう、アメ公は。
42名無し新任少尉:2001/04/14(土) 21:48
39に激しく同意が抜けちった。
43大人の名無しさん:2001/04/14(土) 21:49
大日本帝国は滅ぶべくして滅んだ。
と言っては言い過ぎでしょうか?
大日本帝国と米国の戦争を人類の最終戦争にするための
大戦だったと捉えるべきと思いますが?
勝ってたらソ連と戦争して負けたでせう。
44名無し三等兵:2001/04/14(土) 21:53
>>40
反抗期に入ったのでダメになりました。
(ちょっと不良だった兄貴の真似したら更正した兄貴にしばかれました)
45名無し三等兵:2001/04/14(土) 21:54
いくら考えても太平洋戦争の是非、昭和16年の時点でどうすべき
だったのかは自分の中で考えがまとまらない。
ただ、そこに至るまでの道程でいわゆる中国一撃論は完全な
間違いであったと思うし、日中戦争は完全な失敗だったと思う。
46名無し三等兵:2001/04/14(土) 22:16
俺は「隣り合う国は戦争になるの法則」を発見した。
その法則からいってアメリカのハワイ併合の時点で
日米戦は不可避だ。
47無名四等兵:2001/04/14(土) 22:20
>>46
うむ、大発見だ。ついでに世の中には
「隣り合ってない国でも戦争は起きるの法則」
というのもあるぞ。
48名無し三等兵:2001/04/14(土) 22:21
とりあえず、スレのタイトルの「太平洋」を「大東亜」に変えて欲しい
49名無し三等兵:2001/04/14(土) 22:21
その手のジンクスなら色々あるな。
「バカは電柱にぶつかっても法則と結びつける」

隣り合って戦争起こさなかった例はいくらでもあります、小学校
から出直し準備よろしい?
50名無し陸軍大将:2001/04/14(土) 22:35
>名無し新任少尉
やって負けたから舐められてるんじゃないか?
やらなかったら嫌われていても舐められはしなかった。
(まあ人種的偏見は最初からあるけどね)
ハワイ沖の事件や今の沖縄の地図を見よ。
51名無し三等兵:2001/04/14(土) 22:38
バカをバカと言うのは板が荒れる元だからやめなさい。
52名無し新任少尉:2001/04/14(土) 22:48
>>50
やらずに大陸から完全撤兵、次は台湾、朝鮮、沖縄・・・。
こんなことになりそうな気がするが。
53名無し三等兵:2001/04/14(土) 23:04
アメリカとの権益のぶつかりあいは大陸に関してだから、
大陸からの全面撤兵は要求されても台湾や朝鮮はどうだか。

そんなとこをアメリカが取るまえに、アメリカが大日本帝国を引き継いで
スターリン・毛沢東枢軸との対決に入る気がするけどねえ。
54名無し陸軍大将:2001/04/14(土) 23:05
いやいや、当時の米では議会は孤立主義を唱えていたし
完全敗北せず軍事力を備えていれば他国も一目を置くもの。
簡単にそうはならないはず。
今のイラクや北朝鮮を見よ。
しかも、当時の米にとっては日本だけでなくソ連の方がもっと
脅威だったはず。少し譲歩すれば目は別のほうに向いていたはず。
まあ満州はとりあえず撤兵だっただろうが。
55名無し陸軍大将:2001/04/14(土) 23:11
まあそれができなかったのが当時の日本なんだけどね。
陸軍の主戦論とか煽られた国民感情が結局一歩の譲歩
も許さなかった。
56少佐:2001/04/14(土) 23:12
海上護衛戦という本を読むと、日本の石油と船でできた
作戦は、日本近海でひたすら待つだけの作戦だったらしい。
57名無し陸軍大将:2001/04/14(土) 23:14
>53
間に入った君のいうとおりだ。
58名無し三等兵:2001/04/14(土) 23:14
日露で流した血というのを別とすれば満州を押さえていたのはソ連対策
なわけだから、満州から引く条件として米軍に満州入りして貰い北方の
安全保障をして貰うという選択肢はなかったのだろうか。
美国にとってもおいしい条件だとは思うが。
59無名四等兵:2001/04/14(土) 23:16
>>54
うーんそれはどうかなあ。1941年の時点ではソ連よりナチスの方が
脅威だったと思うしね。
イラクはヘタにフセインを倒すとクルド人問題が再燃して国内に
一番クルド人抱えてるトルコが政情不安になるから敵対しても潰さないし
北朝鮮は国の形をなしてないからなあ。人道支援で飯食っとる国だぞ。
満州から撤兵していたら国内世論が黙ってなかったろうね。
「何故戦いもせずに屈する」という奴は必ず現れただろうし
日露戦争直後に暴動が起きたりしていたからね。
60名無し三等兵:2001/04/14(土) 23:19
日中戦争の陸軍死傷者は1日平均35名程度。
単純計算で1年で約1個師団分、15年戦争って逝うから約15個師団か。
日中戦争の泥沼から手を引く訳にはいかんかったんかのう。
6160:2001/04/14(土) 23:20
スマソ、その死傷者数は太平洋開戦直前までだった。
鬱ダ。
62名無し陸軍大将:2001/04/14(土) 23:37
>>59
まあ実際そうだったから開戦したんだが。
本当に避けようと思えば三国同盟反故にしてでも
戦に巻き込まれないようにする手はあった。
それに何度もいうが 当時の米では議会が消極的だったので
ヨーロッパ戦線にも参戦したかどうか。
丸く収まる可能性は十分にあったはず。
63名無し陸軍大将:2001/04/15(日) 00:10
>58
そうなればしめたもの。あとは米ソのノモンハン衝突で
戦線膠着、米が日本に出兵要請、という展開も見られたかも。
とにかく日米開戦は回避成功となったはずだ。
64無名四等兵:2001/04/15(日) 00:52
>>58
それは現代日本的な発想。当時ナチスが同胞の保護を名目に各地を併合
したのを思えば、その案は日本が飲めない。
そもそもアメリカは満州国の存在自体を認めていないし、満州は
米軍にとって遠すぎるしその割りに旨みがない。
65名無し新任少尉:2001/04/15(日) 01:06
三国同盟そのものが、日米・米独の戦争回避のための
ものと思うが。
しかし、予想に反して、アメリカが日本を更に追い込み
戦争となった。戦争を望んでいるのがアメリカ(大統領と企業)
である以上、わずかな譲歩では戦争は回避できなかったと愚考する。
議会と国民が戦争を望んでいなかったのは事実なのだろうが、
世論を動かす努力を、米政府は行っただろう。真珠湾がなくても、
日本が隠忍自重したとしても、戦争には追い込まれただろう。
最初の自分の発言とは、ちょっと論旨がズレてるがご容赦。

66名無し三等兵:2001/04/15(日) 01:11
日独伊ソの4国協商でアメリカを牽制しようとしていた松岡外相としては、独ソ開戦が大誤算だろ?
67七誌:2001/04/15(日) 03:00
「複雑怪奇」だっけ?
今も昔も日本の外相って・・・
68名無し三等兵:2001/04/15(日) 03:04
そうだ。ドイツの勝手でソ連が米英についてしまったのが大きい。
それに付き合わず満州撤兵を選べるくらい、大人の選択が出来ればな。
政治戦略も軍事行動も範囲を決めないとメリットも生まれないということだ。
そして政治力があまりに弱かった。
69名無し三等兵:2001/04/15(日) 03:05
>>67
それは日本がノモンハンでソ連と戦っている最中に、日独伊3国同盟の交渉をしていた
ドイツが独ソ不可侵条約で手を握ったときの、平沼内閣退陣声明の文句。
70無名四等兵:2001/04/15(日) 03:07
つまり現代と変わらん、というオチがついたところで
本日の笑点ここまで〜。
71名無し三等兵:2001/04/15(日) 03:07
第2次世界大戦が始まったとき、ソ連はフィンランド侵略で国際連盟を除名された
枢軸国陣営の国だったのにね。
72名無し新任少尉:2001/04/15(日) 03:19
わずかではあったが、食料と燃料を輸出してくれてもいた。
(独逸に)
総統閣下のバカチンがー。
73無名四等兵:2001/04/15(日) 03:30
>>72
む。君は間違ってるぞ。そもそもナチス党は
共産主義打倒を掲げているのだ。
「あのボルシェビキの馬鹿どもを一掃する」名目で
オーストリアを併合したり軍事力をつけていたりしたのだ。
そもそも対フランス作戦もソ連に攻め込んでる隙にフランスに
背後を突かれない為に行ったのだよ。それに当時ソ連は百個を越える
師団を持っていてそのほぼ全力を対ドイツ戦に使えたし、
トルコがソ連の脅威にびびって「ソ連がドイツを攻める計画を立ててますよ」
なんてチクってたんだよ。
74名無し三等兵:2001/04/15(日) 03:35
ヒトラーは反ソ親英だったが、リッベントロップは親ソ反英だった。
それにヒトラーは、ソ連がルーマニアの油田地帯を併合したことにキレたんだよ。
75無名四等兵:2001/04/15(日) 03:37
>>74
あれ、油田地帯だったっけ?ルーマニアの一部だったけど・・・
76名無し新任少尉:2001/04/15(日) 03:53
総統の目的が、東方への領土的野心であることはわかるが・・。
せめて、英国となんらかの形で手打ちにして、それからにすべきであろう。
ヴィシーに仏のほぼ全土を返してもいいだろうし、相当な譲歩を行ってでも、
ロシア侵攻前に対英作戦を終了させるべきであった。
勝ちきるのがベストではあるが。
77名無し新任少尉:2001/04/15(日) 03:54
そういや、ここは太平洋戦争についてであったか。
脱線スマソ。
78もしかして、ここは・・・:2001/04/15(日) 03:55
大戦略スレですか
79名無し三等兵:2001/04/15(日) 03:59
日大の秦教授が、

「大本営は最初から対米戦に勝つとは考えておらず、独逸が英国を
落とし、皇軍の印度への進駐が可能になれば、アメリカが譲歩して
くれるかもしれない。講和に持ち込めるかも知れない、と思って
開戦した」

と言っておられた。史料も残っているらしい。
80名無し三等兵:2001/04/15(日) 04:06
戦わなかったらアジア諸国の独立ってどうなっていたかな?
一部は認められるだろうが、そうもいかない国も多かったろうに。

81名無し三等兵:2001/04/15(日) 04:36
魔性の歴史って本読むといいよ。
マクロ経営学から見た太平洋戦争だったかな?
日米の物量差がわかりやすくてね。
82Volks polizei:2001/04/15(日) 04:44
>74
リッペンドロップが親ソ反英だったなんて聞いた事ないが??

どっちにしろ
アメリカ政府はヨーロッパの戦争に参加したかった
→でも国内は反戦ムード
→なんとか日本に戦争を仕掛けさせたい
→無理難題を日本につきつける
→(もしハルノートが日本に受けいれられても、第二、第三のハルノート
が必ずつきつけられたはず。しまいにゃ沖縄を琉球として独立させろとか。
そこまでいかなくても日本は軍部の力が強いのでいずれ「こんなの受け入れ
られない!」とさじを投げることは分かってたはず。)
→日米英開戦、晴れてアメリカは連合国の仲間入り。

ルーズベルトの思惑どうりにまんまとはめられた、と・・・。

日本ははなから米国占領なんて考えてなかったはず。せいぜい日露
戦争のときみたいに有利な条件で講和してアジアでの権益を米英に
認めさせさえすれば十分だったはず。でもアメリカは講和したかな?
よほど欧州戦線がドイツ有利になってない限り講和しなかったろうな。

ドイツがイギリスとの戦争を41年までにけりをつけといたら
(アメリカが欧州戦線への足がかりが無くなるから)歴史が変わった
かもねぇ〜
83名無し三等兵:2001/04/15(日) 04:46
マクロ経済学、ですな。

しかし、ここも大戦略スレですな
84名無し三等兵:2001/04/15(日) 04:47
>82

つまりあれはアメリカの思惑通りで不可避だったと?
85Volks polizei:2001/04/15(日) 05:12
>84
アメリカが他に参戦の口実を見つければ日米開戦は無かったかも。
でもあの状況じゃそれは難しかったんじゃ?

というわけで私は不可避だったと思います。
86名無し新任少尉:2001/04/15(日) 05:19
リッペントロップは、ソ連に対しては、協調路線であった。
これは彼の日記などでわかる。
反共ではあるが、外交のプロとして、ソ連との友好(一時的にしろ)
を望んでいたようだ。
また、独逸も、日本も、軍事的協力の可能性の乏しい同盟は、
ブラフとしての効果以外はないことを、知っていたはずである。
ヒトラーは腹心に対し、友好国としてイタリアのみ
を名指ししていたというし、独ソ不可侵条約締結時は、
日本との関係が最悪なものになることも考えていた。
日本もまた、ワシントンでの交渉がうまく行けば、
枢軸同盟は自然消滅させていただろう。
ともかく、様々な思惑の中、
リッペントロップは、三国同盟によりアメリカを牽制し、
ソ連がここに加わることにより、対英戦を有利にしよう
と考えていた。
ヒトラーすら、ソ連を対英戦線に加える、といった発言を
したこともあり、対ソ戦は、揺れる心の中での決断であった
ことがうかがえる。(少なくとも時期については)
『防共協定から三国同盟まで』がネタもとです。
87名無し三等兵:2001/04/15(日) 06:02
>82
そーゆー意味では、真珠湾攻撃のような「卑怯な奇襲」で
アメリカ世論が一気に戦争に傾いた、ってのでホワイトハウスはウハウハ
だったでしょうなぁー。

その後の日本の快進撃は計算違いだったと思うけど。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/15(日) 06:21
ま、あとからなら何とでも言えるわな。
愚かなところもあったろうがそこそこやったんじゃないの。
原爆までもらっちゃったけど、
簡単には負けね−ぞぐらいは示せたと前向きにかんがえたいね。
反省も必要だけどね。
先人の行為に敬意を抱きたい感が先に立つ。甘いかな?
89名無し三等兵:2001/04/15(日) 07:21
甘いとは思わないが、
ほとんど同様の発言が全肯定の論旨でもしばしば使われるので
どうしても眉にツバをつけてしまうわけですな。

敬意を抱くべき部分とけして見習ってはならない部分はきっちり分けるべきか、と。
90名無し陸軍大将:2001/04/15(日) 12:55
勝つかもしれない、譲歩するかもしれない、
「かもしれない」で、国体や人命をはじめ国家のすべてに
リスクを背負わせたところが愚かだった。
それを可能にしたのが、軍部の主戦論と煽られた国民感情
だった。
91名無し三等兵:2001/04/15(日) 13:06
”太平洋戦争”だけ切り出して議論するからおかしくなる。
満州事変まで遡って関東軍の暴走、軍中央の無策、無定見まで考えて
見ればやはり下手な戦争だったといえる。(政経軍のバランスが悪い)
92名無し二等兵:2001/04/15(日) 13:37
実際、不可避だったのか?
93名無し三等兵:2001/04/15(日) 13:52
日中戦争が無ければねえ。
(満州事変⇒熱河侵攻⇒国際連盟脱退のコンボが特に痛かった)
94ZU:2001/04/15(日) 13:57
 「石原さんだって、手柄を立てて出世したんだ!俺だって!」
という馬鹿が日中戦争を起こしました。
95名無し三等兵:2001/04/15(日) 14:01
「やめろ、辻ーン!!」
96無名四等兵:2001/04/15(日) 14:11
今の政治家(アーンド官僚)と昭和のエリート軍人(陸海問わず)が
ダブって見える。
97名無し新任少尉:2001/04/15(日) 14:17
>>95
ガンダムスレ、沈んでるな、そういえば。
辻ーン にはオレも笑った。

アメリカって、世界一戦争してる国だしなー。
なんだかんだ言って、太平洋地域に自分以外の
強国の存在は、許さないっしょ。
98ZU:2001/04/15(日) 14:19
>>97
 ああ、そういう意味だったのか(大笑
 このスレにガンダムファンがいてよかった(笑
99名無し二等兵:2001/04/15(日) 20:39
アメリカの思惑に乗せられた時点で回避不可って所か?
100名無し三等兵:2001/04/15(日) 20:42
>94
石原は昭和7年に関東軍参謀を解任され、昭和14年には予備役
へ逝ったが…
101名無し新任少尉:2001/04/15(日) 20:47
やったおかげて、ワシラは楽しい。
過去を楽しめる国家になったことを、
英霊は苦虫噛みつつ喜んでいるだろう。
102>100:2001/04/15(日) 20:49
石原としては満州国を建国後、持論の最終戦争論通りの展開を目指して戦争
はせず国力増強をしたかったが下克上に目覚めた関東軍参謀どもが暴走。
それをいさめようとしたが結局本流から外れて予備役となった。

「認めたくないものだな、若さゆえの(以下省略)
103名無し三等兵:2001/04/15(日) 20:50
二・二六事件前後が石原の陸軍内部での全盛期だよ。
その跡、参謀本部第一部長になっている。
104名無し三等兵:2001/04/15(日) 21:01
>102
石原は満州国建国時は既に更迭されて国内に戻ってます。
105田原総一郎:2001/04/15(日) 21:02
なぜ負けると解かった戦争したのか?
若者の意見を聞きたい
106名無し三等兵:2001/04/15(日) 21:09
>104
4年後には参謀本部へ栄転です。(しかも部長職)
これ見た現地参謀はどう思うでしょう?
107名無し三等兵:2001/04/15(日) 21:14
石原が永田鉄山の引きで参謀本部に行ったときは作戦課長。
そして石原の参謀本部登庁初日に永田は殺された。
108名無し三等兵:2001/04/15(日) 21:18
>107
すんません。昭和10年に作戦課長、昭和12年に作戦部長ね。
109名無し二等兵:2001/04/15(日) 21:50
勝てるとは思ってなかったろうがな。
それでも、大陸に利権を求めている時点で、戦わねばならなかったか。
110名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:02
日華事変長期化の浪費が無ければ、アメ公なんざ皇軍の敵では無かったはずだ。
111名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:07
>>110
それで煽ってるつもりかよ・・・(ヤレヤレ
112名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:19
日中戦争もやりながら太平洋戦争とは超グレイトだぜ帝國陸海軍!
113名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:26
地勢的に考えると大陸を戦うためにはアメリカの
アメリカと戦うためには大陸の国家の支援が必要なのに・・・
両方とやるか普通。
114名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:28
>>113 それこそが日本という国の「底力」だったのサ!
115名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:30
単独でやればアメリカより強かったかもよ。
116名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:32
>>114,>>115
なにもわざわざ不利な形でやらなくても(泣)
117名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:33
どんな不利な状況でもへこたれず闘い抜くのが勇者の証だ。
118名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:34
>>115
うん事は無い。
119名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:34
>>105
神国だからでそ
日本軍マンセー
鬼畜米英〜
120名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:38
さあいまこそ日中戦争と太平洋戦争を同時にやって「大東亜戦争」
を三年八ヶ月奮闘しえた帝國陸海軍の遺産を噛みしめよう。
121名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:40
>>117
ガオガイガーか?(笑)
122名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:41
大東亜戦争をやって良かった、あれこそが勇気の証であった。
123名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:44
「日中戦争が無ければ対米戦も負けるはず無かった」のなら、
日本は中国にこそ負けたんだという結論になるがそれでもよろしいか。
124名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:49
>>123
うまいこと言うねぇ(笑)
125満州なんか捨てても良し?:2001/04/20(金) 11:50
大陸の権益、大陸の権益がって何度も開戦の
理由に登場するけど
朝鮮・満州経営で大日本帝国は本当に利益を
得たのか?石油の出ない植民地が帝国の国力増進に
本当に役立ったのか?世界恐慌を凌げなかったことや
太平洋戦争をたったの4年も戦い抜けなかった点からみて
おれは怪しいと思うけど。
126名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:51
だからおれは「中国」と聞いただけでアレルギー反応を起こしてしまう。
127名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:58
>>125
よく気づいたね。
やはり満州国は赤字であった。とくに鉄道は中国が
対抗路線を引き始めたので利益があがらず。
政府の資金援助があった。
ちなみに英国もインド以外は赤字だそうだ。
128名無し三等兵:2001/04/20(金) 11:59
当時、農業生産のための土地を持てなかったり、雇用先のない失業者が
開拓の対象となって、余剰人口を養う吸収先となった。これは大きい。
経済構造が今とは違って、第2次・第3次産業がそれだけの雇用を生み出す
規模になっていなかったから。
129名無し三等兵:2001/04/20(金) 12:02
>>125
満州事変後、日本経済は(軍需景気が呼び水になって)
年平均6%以上の成長率を取り戻している。
もっともそれは都市部でのことで、農村は急激に崩壊していった。
凶作が続いたこと、働き手の出征、都市部への人口急激移動。


1938年をピークに経済成長は止まり、以後は縮小に転じる。
言い換えるならこの年、日本は中国に敗れたと言える。
以後は、それをシロウト(特に軍首脳部)の目にも判るように
しただけだ。
130名無し三等兵:2001/04/20(金) 12:02
>>128
そう、じつは雇用対策の公共投資なので、
赤字OKなのだ(笑)
131一飛曹:2001/04/20(金) 12:52
太平洋戦争じゃなくて大東亜戦争だろ
132名無し四等兵:2001/04/20(金) 13:00
89に深く同意
133名無し三等兵:2001/05/05(土) 15:56
age
134ななしのごんべ:2001/05/05(土) 20:29

>>131 太平洋戦争は海軍の名称・大東亜戦争は日本指導者の歴史上の名称。
また戦後史は太平洋戦争という名前で統一されている。
 どちらも正解なの・馬鹿しったかぶりをしている・・・。(合掌)

 ペリーが来航して以来日本はアメリカと激突する運命だった。
日本が何ゆえ狂気に向かったか・は色々あるね。
135ななしのごんべ:2001/05/05(土) 20:40
 >>128 満州における日本人口 80万人
当時の日本本土の人口6千万人。現在は満州にはそこまでの
価値がなかったとみる見方が圧倒的。
 幣原外務大臣の言ったことではあるが・彼は実務は無能というか
 満州にしがみつくしか無かったようなマスコミの
昔の意見に惑わされるのは間違いのもと。

 1930年の軍備拡張はルーズベルトやらヒトラーやらの
公共投資と同じだという意見には同意します。
 しかしあれで日本の軍部が独走しはじめるのが・・なんとも
日本的だなぁ・(笑)
136?:2001/05/06(日) 00:50
負け戦はやっちゃダメ!
137ななしのごんべ
 >>136 当時は世界5大国という看板を掲げていたからなぁ。
 判断できんかったんよ。
いまは経済大国第2位と技術大国日本という看板を掲げている。

 煽られてうぬぼれたらだめじゃな。 謙虚に生きなあかん。