1 :
名無し:
確か、第2時世界大戦ってドイツとソ連がポーランドを占領・分割
したのがきっかけだよね。
つまり、ソ連は最初は枢軸国と言っても過言じゃ無い訳だ。
ヒトラーは、イギリスとの交戦もケリが付いてないのに。
貴重な150もの師団を投入してなんでソ連に攻め込んだの?
なんか、勝てる戦を無理に負けに持ち込んだみたいだけど。
2 :
名無したん:2001/02/13(火) 00:07
ねた?
ちょっとつまんないですよ〜。
3 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 00:31
いろいろあったんだよ
4 :
>1:2001/02/13(火) 00:42
たるい。
まずはなんで対英戦が「勝てる戦」だったのかを説明
してくれ。
5 :
名無しくん、、、好きです。。。:2001/02/13(火) 00:43
米ちゃんの足を踏んだのが運の尽き
6 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 01:07
対仏戦の終盤にヒトラーが上滑りな停止命令を出してなかったら、駐留英軍30万人の
ダンケルク撤退はなかったって話からだろ?<−勝てる戦
勝てる戦なら負けるわけないだろ(藁
8 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 01:11
イギリス上陸作戦「ゼーレーヴェ」は、当の空軍・陸軍内部でも
詳細すら検討されてないペーパー作戦でした。以上。
>5
アメ公の尻尾踏んだのは同盟の義理を果たしたって奴じゃ...
10 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 02:32
>9
日本が先に攻撃した場合には同調する義務はなかったはず。タブン。
ドイツが宣戦しなくてもアメリカが宣戦したでしょうね。
ヒトラーからすれば「ドッチミチ戦端が開かれるなら」ってところでしょうか
11 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 07:11
まだ言ってんのか。軍事以外にも外交や歴史も勉強しようね。
パウル・カレルだけじゃだめだよ。
頑張ろう!お兄さんも応援しているよ。
12 :
ベンゼン太郎:2001/02/13(火) 07:13
ユダヤ人の背後からのひと突きで負けたのだ。
13 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 09:27
フィンランド冬戦争での侵攻ソ連軍の意外な負けっぷりを見て、
ヒトラーは「ソ連は弱い」「ソ連打倒は正義だ」と見なしたようで。
まあこれも侵攻直前にあった理由としてはそうだが他にもいろいろある。
何よりもずっと前からその著書「我が闘争」に書かれている通り、
ソ連打倒を第三帝国の第一目標にしていたことが大きい。
なお対米宣戦布告はUボート戦もあるがハッタリ的要素も強いだろう。
14 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 09:36
>1
あまりにも外交音痴過ぎて疲れるのだが…
ドイツは英仏と戦争する考えは無かった。どちらかと言うと友好的でいた
かったのです。(彼らに対する領土要求はないですから)ソ連とはいずれ
戦争する予定で、ポーランド戦でソ連との衝突を避けるために不可侵条約
を結んだだけです。予定を狂わしたのは英仏が宣戦布告した事、英国の政
権がチャーチルに替わり、強硬姿勢になった事です。この状況を打破する
のともはや避けられないソ連との軍事衝突を先手打ったのがバルバロッサ
作戦です。が、イタリアがバルカン攻勢に出て対ソ戦を一ヶ月遅らす結果
になったのです。これが命取りでした。
15 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 10:01
ドイツのポーランド侵攻は、領土拡張・スラブ人奴隷化以外の何だったろう。
16 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 10:23
厨房な質問でスマソが、ドイツとソ連がポーランドに侵攻したとき、
なぜに英仏はドイツ(のみ)に参戦したのだろう。
相次ぐ膨張政策についにぶちきれたというのが一般的なイメージだ
けど、チャーチル(チェンバレンも)は反共のカタマリなので当初
ナチスドイツよりもソ連を仮想敵としていたはず。
ソ連の膨張政策(冬戦争、バルト進駐、ポーランド)がかなりエグイ
当時の状況でナチスを反共の尖兵するという英国の当初の思惑を
放棄した理由がわからん。
17 :
そりゃ:2001/02/13(火) 10:37
ドイツは近いからな。
18 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 10:40
>ドイツは英仏と戦争する考えは無かった。
本当だろうか。その裏付けは?
19 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 12:51
>>18 あの時点では,そうだろうね
英仏(特に英)を相手にするにしては海軍力の整備が整っていなかった
稼働状態にあったUボートの数は英独の協定によって制限された上限を
かなり下回っていたんじゃないかな?
もし開戦に踏み切るつもりがあったなら,イギリスを干上がらせるに
足だけの潜水艦を準備してからの方が有利だ
日本みたいに,「今,開戦しなければ………」という状況ではなかった
と思う
20 :
名無し三等兵:2001/02/13(火) 13:29
ヒトラーは英仏に宣戦布告されて
相当びっくらこいてたそうな。
ナチ独は最初からユダヤ人・スラブ人の根絶を国家理念にしていたんだから。
(ライヒェナウやマンシュタイン、ハルダーもそのような命令をだしている)
こういう国は旧ソ連と同様一時は勝ってもそのうちに限界が来るってもんだ。
22 :
BJC:2001/02/13(火) 22:59
>21
え??ハルダーも?そうだったのか・・・・・・
ブラウヒッチュやルントシュテットなどは見て見ぬフリで「自分達がやらないのなら、
まあしかたない」にとどめた消極的容認だったけど、ハルダーもそんな感じだと思ってた。
23 :
BJC:2001/02/13(火) 23:00
あ、たぶんゲオルクハンゼンか誰かとの勘違いかも。
24 :
BJC:2001/02/13(火) 23:01
ブラウヒッチュもルントシュテットも、当初はカナーリスに同意して
抗議したらしいね。
25 :
名無し三等兵:2001/02/14(水) 00:04
前にも紹介されてたけど、マンシュタインやハルダーの絶滅指令はこの本が詳しいよ。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)
26 :
名無し:2001/02/14(水) 00:08
しかし、いくらスラブ人が嫌いでも。
ニ正面作戦をするほどの思考停止は頂けない。
イギリスとはマジでやりたくなかったみたいだね。
戦力的なことだけじゃなくて人種的にも
敵対したくなかったらしい。
28 :
好き好んで二正面作戦を:2001/02/14(水) 00:32
選んだわけじゃないでしょう。
ポーランド分割における思惑のズレやバルカンでの勢力競争とかで、
いやおうなく独ソは戦争にはいったのでしょう
欧州戦の転機はやはり1941年の冬でソ連がモスクワ防衛に成功したことだ。
ナチ独には大きな誤算。むろんそれだけでドイツ打倒になったわけでは無いが、
少なくともこれで二度とモスクワは狙われずソ連の対独抗戦継続は完全に保証された。
30 :
名無し三等兵:2001/02/14(水) 09:51
>29
それを言うなら14の人が言った方が正しいんじゃないかな
東部戦線での転機はクルスク戦で予備兵力を使い果たしたのがだと
思うけど・・・
モスクワなんて放棄して東方に拠点を移されたら意味ないし・・・
確かに攻略したというアドバンテージは大きいけど、それによって
得られる戦果は損害に比べて微小でしょう。
それよりレニングラード、コーカサス地方、バクーの攻略失敗により
ソ連の戦争継続を可能とした事が大きいんじゃないかな。
バクーの大油田はソ連の燃料の6割を供給していたし、レニングラードは
アルハンゲリスクに通じるし、コーカサスはボーキサイト炭田があるしね。
31 :
名無し三等兵:2001/02/14(水) 11:05
1943年半ば以降は既にアメリカの対ソレンドリースとドイツ本土爆撃が活発になっており、
この点国際的にソ連の抗戦継続能力が疑問視されていた1941年秋とは大きく違います。
32 :
名無し三等兵:2001/02/15(木) 07:15
ドイツと戦争したくて仕方なかったのは
ソ連より寧ろアメリカ(と言うよりルーズベルトかな?)だよ。
1940年前後のこの国と彼の言動調べりゃわかる。
イギリス追い込むとアメリカ出てくるのわかっていたんだろ。
ヒトラーも馬鹿じゃないな。だからUボートに
アメリカ商船の挑発我慢させてたじゃん。
でも、とうとう打っちゃったんだよな、魚雷。1941年9月かな。
喜んだろうなスターリンも。
外交で根回しして挑発して戦争して金稼ぐ。
なんか大航海時代の海賊といっしょじゃん。
今でもそうだけどね。
ダンケルク港で調子こいて、海に引きずり出されてみ、
ナポレオンみたいに海賊の餌食だよ。マハンの生徒どもが虎視眈々だぜ。
だから航空戦よ。戦術的には賢い選択だよ。
二正面作戦?英米ソから見ると挟撃戦だな。
アングロサクソンにはめられたな。
ヒトラーは内政では天才的だったが、外交はイマイチだったね。
33 :
名無し三等兵:2001/02/15(木) 07:51
アメリカとの戦争回避と言う観点からみれば
ドイツのダンケルクでの行動は寧ろ合理的とさえ言える。
とにかくヒトラーは対米戦は避けたかった。
逆にローズベルトはやりたくてしょうがなかつた。
ソ連が単独で抗戦出来なければ武器貸与はドイツ軍に捕獲されるだけで無意味。
モスクワさえ守ればあとは米国の対独参戦とレンドリース待ちで良かった。
35 :
混物:2001/02/22(木) 00:34
40年秋に戦力集中してさっさとマルタ島を占領。
続けてトランスヨルダン侵攻、イラク保護国化で油田を押さえつつソ連の南側面封鎖、
というのはどうですか?
エジプト挟撃の形になればイタリアもそんなひどい敗北はしないで済むかもしれないし、
イラクに独軍が進駐していれば連合軍のイラン侵攻をむざむざ許すこともないはず。
また、こうして東地中海を制圧してしまえば41年にバルカンでもたもたする必要もないので、
41年に余裕を持って独ソ戦を始められる(英本土上陸は考えない)…
いや、これは甘いか?その体勢になればスターリンも警戒感を深めるかもしれない。
兵力も分散して足りなくなるし。
カフカスを封鎖しただけでは対ソ支援ルートを封じたとはとても言えないし。
カフカスからも侵攻(山岳越えで辛いけど)したらソ連軍も後ろに引いて守るだろうから、
史実のような大包囲が出来ずにロシアの奥地で大兵力を相手にする羽目になるかもしれないし。
しかしそれでも40年の中東侵攻は私にとっては魅力的なアイデアに見えるのですが、
皆さんどう思われます?(ひょっとしてガイシュツ?)
対ソ戦を至上命題としているのでこのスレの主旨とはずれているかもしれませんが。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/22(木) 04:22
気象予報があってればモスクワは落ちていたでしょう。
夏なら夏でクルスクじゃ新鋭パンター戦車燃えまくり!
38 :
名無し三等兵:2001/02/22(木) 10:38
>35
前提条件として、トルコがドイツ中東派遣軍の国内通過を認めることでしょう。
これなくして、シリア、エジプトの英軍の挟撃、イラン進駐時のインドの英印軍の
進撃を迎撃するのは不可能でしょう。
中東に軍集団規模の戦力を送り込めたら、ウェーベル、オーキンレック
アレキサンダーの誰が司令官でも、前線指揮官にモンゴメリーであろうとも
勝利は確実でしょう。
もっともリビア方面は攻勢に出る必要はないのでイタリア軍のみでいいでしょうから
ロンメルがこの時点で元帥になるチャンスはなくなるでしょうが・・・
後はトルコ、イラン、イラクを参戦させて中東から大部分の兵力を引き上げて
東部のソ連国境線に配置すれば、ソ連もトルコ参戦によって南方の
コーカサス、バクーを防衛するために大兵力を配置せざるを得ないでしょう。
無論バルカン半島はイタリア軍が警備すれば50万のドイツ軍兵力を
コーカサス方面から侵攻も可能になり、南方軍集団も史実より楽にロストフまで
進出ができるだろう・・・
39 :
メリカがしゃしゃり出てこなければ:2001/02/22(木) 10:55
日本が真珠湾を奇襲したのが悪い。
40 :
名無し三等兵:2001/02/22(木) 11:25
>16
英仏は対ソ戦の準備をしてました。正確に言いますと國際聯盟の決議で
対ソ戦の準備が進められていたのだが、その矢先にドイツがフランス
を攻撃して占領しちゃったので、この計画は頓挫しました。ヒトラー君
は英仏との和平チャンスを自ら潰しました。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/22(木) 11:37
仮想戦記物であるように
満州に英米資本を受け入れていれば
対ソ援助はなかっただろうね
いずれにしても植民地経済は第一次大戦後に
割の合わない経済政策になっていたわけだから
当時の日本に一番有利な方向は一定の軍事プレゼンスを
維持した上での大陸での経済開放だったと思うけどな
42 :
名無し三等兵:2001/02/22(木) 12:20
>41
全く持ってその通りでしょうな
けど、日本の政治家、財閥、軍人にそれだけの先見性があればの話・・・
43 :
名無し三等兵:2001/02/22(木) 12:55
>>42 もっともその点に関して言うなら、
そんな先見性をもった人間なんぞどの国にもいなかったが。
44 :
名無し三等兵:2001/02/22(木) 13:02
>>41 ただ、日露戦争後に小村寿太郎らが、米資本の導入を拒否したことは
その時点では正解だった筈なのね〜。
45 :
名無し三等兵:2001/02/22(木) 13:18
対米宣戦はUボート戦もあったとは云え、ハッタリ的要素も強いだろう。
46 :
名無し三等兵:2001/02/22(木) 13:43
当時なら、それは先見性というより夢想もしくは妄想だね。
>大陸の経済解放
第一そんなルールは当時無かった。
47 :
41:2001/02/22(木) 18:31
>>46 確かにそのとおり
ゆえに仮想戦記もののネタになるわけだな
ハル・ノートに切れて,日本が対米宣戦布告>
訓練通りに西太平洋上で,日米艦隊の大決戦!>
暗号を読まれている日本軍は,米艦隊に手痛い敗北>
敗戦ムード漂う中,対米協調路線派が台頭,政権交代>
中国からの全面撤退,満州国解体(国連信託領として米国管理)
ただし日本の在満資産は保護,当然ながら三国同盟解消
を条件に講和>と,シナリオが進めば
>>41の云う世界に
なっていたかも?
で,その後ソ満国境で在満米軍とソ連軍の衝突!
日本は戦うアメリカ軍の兵站を支えて好景気………
50 :
名無し三等兵:2001/02/22(木) 22:45
>>48 中国、とくに満州は譲れないから戦争おっぱじめた。
アメ公ールーズベルトは正義と秩序のために戦争するほど
善人ではないので、むしのいい講和の可能性はないでしょうな。
情報筒抜け、資源無し、補給貧弱。
持たざる枢軸国は負けるべくして負けましたとさ。
イタ公は論外。
51 :
名無し三等兵:2001/02/23(金) 12:14
もしも、ヒトラーが逡巡せずにモククワ進撃を下令し、
首尾よく陥落したとして、果してソ連は降伏したでしょうか?
ヒトラーの失敗はむしろ占領地区の民意を無視した事になるような気がするのですが?
ウクライナを始め、ロシアの人民はスターリンの恐怖政治に辟易してたはず。
日本がお題目として唱えた「大東亜共栄圏」のような政策を取れば
スターリン政権は内部から崩壊したのでは?
あっ、それでは「生活圏」を唱えたヒトラーの公約違反になる。
ドイツ本国での支持を失うね・・・・・・駄目だこりゃ。
52 :
hatake:2001/02/23(金) 12:30
理由もなく素晴らしい戦闘機を作り続けるハインケルを冷遇したのが
痛かったと思います。
あと、ロンドンに固執しすぎるのもよくないと、、、。
4発爆撃じゃなくて急降下爆撃機を重視したのもほどほどにしておけば
よかったのに、、、。
後、貴重な輸送手段をユダヤ人輸送に当てていたらしいし。
ただの貨車と言えどもったいない。
まあ、思想が狂ってたから負けて良かったんじゃないでしょうか。
ユダヤ人虐殺は南京、原爆とともに戦争の汚点。やってはいけないコトを
やってしまっている。
、、、自滅に近いものがあるのではないでしょうか、ドイツは。
日本もノモンハンとかあったとは言え、ソビエト連邦をドイツと協力して
せめていたとしたら、、、。
結局アメリカがでて来ると思うので、勝てないとは思われますが、、、。
イタリアはタラントで艦隊をやられたのと、やっぱりムッソ君が
やばかったのでは。
53 :
名無し三等兵:2001/02/23(金) 12:38
さんざ言われている事だけど、モスクワを攻略してもスターリン政権はびくともしなかったでしょうね。
ウラルに篭られて余計に手が出し辛くなるでしょうし。
ヒトラーは、反共の旗印だけを掲げていれば世界中の支持を得ることもそんなに難しくなかったかも。
第二次大戦前は共産国とその勢力はペストかそれ以上の嫌われ方をしていたから、
英米さえ敵に回さずに限定的ソ連進攻に留めていれば、「反共の英雄ヒトラー」も夢ではありません。
後、ユダヤ組織と資金回収能力得る為にユダヤ保護を推進すればアメリカの資本が得られて完璧。
でもこれ、ヒトラーには無理なことばっかりなんだよね。
だめだこりゃ。
54 :
hatake:2001/02/23(金) 12:42
ヒトラー氏がユダヤ人を忌み嫌ったのは幼いときいじめられたから
というのは本当なんでしょうか、、、?
たしかにあの男には無理な注文。兵器開発でも思い入れ強すぎて失敗
したみたいだし、、、。
55 :
名無し三等兵:2001/02/23(金) 13:00
>>52 >ユダヤ人虐殺は南京、原爆とともに戦争の汚点。
おいおい、南京についてはよく調べてからものをいえよ。
戦争ではおこっても不思議ではない話、程度の規模と内容みたいだぞ。
当時蒋介石も毛沢東も日本たたきのネタにわざわざ取り上げないほどのね。
(当時蒋介石は国際連盟に日本非難の声明や発議を度々出していた。
現に南京攻略に先立つ爆撃で市民に被害が出ると早速そうしたときくが
南京大虐殺とやらについてはなにもいっていないというし、
当時の共産党の軍事報告書では南京陥落については、
国民党軍の落ち度については書いてあっても大虐殺とやらについては
言及がないそうだぞ。 )
まあ、過去スレやら、ネット検索やらでもう少し調べてから
「ホロコースト並」なのかどうか判断してくれや。
(ところでよくもまあさらりと「わたしはホロコーストと同様のことをやった民族の末裔です」
といってのけられるなあ・・・おれなんかこわくてとてもいえないよ)
本筋とは関係なんでsage
>>55サン
あなたの気持ちはよ〜わかっとる!。よ〜わかっとる(笑)が、
それを言い出すと少し荒れてしまうのでどうか堪えておくんなせい。
やっぱユダヤ虐待がまずかった。
でもユダヤ虐待を公約しなければ
ヒトラーは政権を取る事すら叶わなかった。
だめだこりゃ〜
57 :
名無し三等兵:2001/02/23(金) 14:37
あのような非道なことをやる国は一時は軍事的にかっても最後は滅ぶ、旧ソ連と同じ。
58 :
名無し三等兵:2001/02/24(土) 00:31
対英戦は英国単独なら屈服させられたろうが、米国のレンドリースが天敵。
その意味でば「バトルオブブリテン」で英国が屈しなかった時点で、
対英戦勝利の可能性は無く、対ソ戦にかけるしか無かったと言える。
59 :
名無し三等兵:2001/02/24(土) 00:40
>>58 制海権を英国が握っている以上対英本土戦は絵餅でしかないよ。
レンドリースがなければ英国がより苦しんだのは確かだけどね。
とにかく英国人は宣伝が巧みで、勝てる戦争でも
「我々はこんなに苦しんでいる。だけどそれを覆した」と良く言うんだよ。
>制海権を英国が握っている以上
だったら何で米海軍参戦前は英国商戦はUボートにやられてばかりだったの?
61 :
名無し三等兵:2001/02/24(土) 00:45
>>59 宣伝が巧みなのは認めるが、さらに言うと
「自分たちが打ち負かした相手の力」は高く評価して見せるのも
彼等の習性だね。
「そんな強い相手を倒したんだぜ、へへ」ってわけで。
米軍が疾風や紫電改を高性能だと誉めるのも、同じ理由で
割り引いて聞いた方が安全。
勝てる戦というのは1942年まで。
その主目標をモスクワにおき、早期攻勢をかけていれば、幾らか変わった歴史になっていたかも知れない。
彼のルーマニア油田地帯の占領は失敗であり、アフリカ遠征もするべきではなかった。やはり、スターリングラードは天王山だった。
63 :
名無し三等兵:2001/02/24(土) 01:27
>>60 戦争だからね、一時的に不利になることは良くあること。
日本だってアメリカを一時的とは言えアジアから駆逐して太平洋艦隊に大打撃を与えたでしょ。
ドイツが英国に上陸するには河川用ハシケまで徴用しないと出来ないレベルだったから、
英海軍が健在なうちは実現できなかったろうね。
>62
・・・・ベンゼン中尉って厨房なんですか?
2ちゃん初心なので・・・
65 :
名無し三等兵:2001/02/24(土) 01:44
>>64 「某研究者」と並ぶこの板の名物だ。
一時期は「無人格兵器」なんてのもいたが、某との戦いに
敗れて姿を消した。
66 :
夜に潜む光:2001/02/24(土) 14:47
スターリングラードに固執せず、最大戦力を持って早期にモスクワを占領していたら……
いや、やめよう。なにも言うまい。
67 :
>55:2001/02/24(土) 19:08
南京虐殺は東京裁判で屁理屈こねて中国が提示したシロモノ。
68 :
大佐:2001/02/24(土) 19:58
なぜヒトラーはソ連に戦いを挑んだのか、それはナチス
がソ連はユダヤ人が作った陰謀だと信じてたからです。
軍事的な観点で見たら開戦はするべきでなかったが、
ナチス結成当初から「ソ連を抹殺する」と叫んでいた
極右政党なのだから、攻めなければ政党が転覆するおそれ
があったんです。
これは日本の開戦も同じで、日本は神の国だと言ってたか
ら「国力が違うんで戦争に勝てない」とは死んでも言えず、
「神の奇跡がおきるのだ」と叫んで戦争をしなければ天皇
制が崩壊する恐れがあったんです。
・・・・・・・前の戦争でドイツは軍事的に優れた点を見せたけど、もともと諸侯国
であること、地続きの周辺国家群に囲まれた大陸中の一国であること
などから最後まで一致団結して戦うような求心力を発揮できなかった。
それが「後ろからの一突き」論の背景でありそれを克服して未曾有の国難を
切り抜ける為には非人間的とも言える「目的貫徹のための組織」に国家を
変える必要があった。
そのための国家民族(社会)主義であり、さまざまに自分を主張する国家の内部の
国家を粛清した。(ユダヤ社会、ユンカー、労働運動、国防軍、地方州の政府)
ヒトラーはその困難を乗り越えたのであり、成功させたのだが行きつく先は
地獄のようなヨーロッパの破壊だった。
この観点で見るとアメリカ=イギリスの世界経済支配の責任は大きいといえないだろうか?
もともとナチスの教義には異常な組織への忠誠と死の影が色濃く漂っている。
中世〜近代を経てドイツ地域を構成してきた人々はフランス王権、ロシア帝政などの
力の中心から外れながらも戦乱の時には傭兵、流通経済の中では加工工業品を提供
してきた歴史があった。
それがプロシア地域の工業革命の成功によって血筋的には傍系であるプロイセン王家が
一帯をまとめ上げ名門ハプスブルグ家と連立帝国を形成するにまで成り上がったので
ある。
しかし第一次大戦の敗北によってドイツ地域の人々に戦争責任の大半が押し付けられ
ベルサイユ条約などで奴隷のように縛り付けられたのである。
そもそも大戦の責任をドイツ経済圏に属していた(これ自体あいまいとも言える)
人々に全て取らせるなどとは無茶な話であり、貧乏くじを引かされたと言う面もある。
したがって未来に悲観したドイツ国民が極端なファシズムに流され「生存圏」という
概念にこだわったのも原因のあることである。
民族主義による国家の団結は一度ビスマルクが成功させており
ヒトラーのは再結成とも言える。
前の反省がユダヤ、共産主義排斥というスローガンに反映されている。
現実としてどうだったかは知らないが。
簡単にいうともともと寄せ集め国家であるので総力戦を戦うような集団に
するには強権的な政府が必要で、それがドイツ人の組織的という評価を生み出している。
第一次大戦ではそれを戦勝国に逆手に取られて「お前らが悪いんだから全部
お前らが賠償しろよな」って苛められたもんで、よけいドイツ人としての団結力
が強まった。
また、寄せ集め的勢力であるので支配の頂点にたったものは常に内部勢力を
潰そうと試みてきたって事ですね。
ワイマールが駄目だったってのは大借金国家だった、てのの他に「ドイツ民族」
としての意識が敗戦で吹っ飛んでみんな自分の地域に帰属してしまい中央議会
というものを重んじなかったからですね。
ここらへんイギリス型の議会政治は無理だったとも言えるし、イギリス、フランスが
ドイツの経済力を抑えて支配しようとしたという側面もあると思う。
イギリスが長い内乱と2つの革命(?)フランスが大革命と、ナポレオン戦争
をへて議会政治が成立したと同じように、ドイツはナチスの地獄を経て議会政治を
身につけていったともいえますね。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>終了<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<