ノモンハンの戦い

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無し三等兵
ノモンハン事件は最終的に日本陸軍の敗退で停戦となりました。
とはいえ失った傀儡国家「満州国」の領土は雀の涙ほどです。
四ヶ月間を通じて航空戦・戦車戦・塹壕戦・白兵戦それぞれの
戦況はどんなものだったのでしょうか。とりあえず僕はこの本を推します。

「ノモンハン4」(アルヴィン・D・クックス 朝日文庫)P304より引用
日本軍中型戦車のディーゼルエンジンは信頼性の高い新考案であり、
脆弱な九十五式軽戦車もその高速力が買われ、中国やマレー半島など、
基本的に対抗する敵のいない作戦には使用価値があった。しかし、
いずれの形式の日本軍戦車も、たとえばソ連軍がノモンハン事件で
使用した形式の優秀な改良型であるT三十四型戦車といった、
第二次大戦中に連合国が開発した重量も大きく、火力や装甲にも
はるかに優れた戦車に対抗できるものではなかった。
2名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:10
「戦は負けと思った方が負けである」と、この作戦を指揮した辻政信参謀は回顧している。
例え雀の涙ほどでも「敵に譲った」のは事実で、彼もそれに甘んじて左遷されておる。
ところで辻政信ってどこに消えたんだろ、戦後東南アジアで行方不明だもんな。
3名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:14
>1

T34?T26じゃなくて?
4名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:18
>>1
その本を読むのは即刻お止めなさい。
引用文を読んだだけでも厨房戦記本である事が分かる。
5名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:20
出版社が怪しい。
6名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:21
>>3
T-26の発展型のT-34って意味だと思うよ。

>>4
変な文章だが、これは著者よりも翻訳者の訳のぎこちなさが原因だろう。
ただし、どっちにしろ翻訳がダメダメな洋書はやめた方がいい。>>1
76:2001/02/09(金) 17:23
(6を少し訂正)
ただし「外国人からみたノモンハン」って視点で読むにはいいかもしれないな。
ただこれ一冊をバイブルにするのはやめて欲しいが。
8名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:27
米重戦車T26パーシングは第二次大戦では欧州戦終結間際ごく少数が使われただけです。
「第二次大戦中に連合国が開発した重量も大きく、火力や装甲にもはるかに優れた戦車」
といったら主力戦車として各地で多く使われたT34またはM4シャーマンと考えるべきです。
9名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:30
サンケイブックスの第二次大戦シリーズ、米軍ものには
凄いのが多い、「42年も半ばを過ぎると米軍パイロットは邪悪なゼロに
対抗できると感じ出していた」みたいなふう
10名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:33
>「42年も半ばを過ぎると米軍パイロットは邪悪なゼロに対抗できると感じ出していた」

その通りだと思いますよ。42年も半ばのミッドウェー海戦の大勝利でこそ米海軍は自信を回復できたんだから。
11名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:37
いや、割といい本よ。これ。
丹念に日本側の関係者を回って取材してる。辻とかはアレだけど。
主に日本側サイドから見たものを中心としている本だけど、
正直、これ以上にまとまったノモンハンの「戦史」の資料がない。
原書はスタンフォード大出版局。岩崎俊夫訳、秦郁彦監修。
12名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:40
>>10いや視点がおもっきり米軍側っつうこと。
13名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:41
>T-26の発展型のT-34って意味だと思うよ。

V2ディーゼルエンジン装備のBTー7最終型でしょう。
14名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:53
BTでも結構怖い、対抗法は確か火炎瓶「チビ弾」(BTがひっくり返って
TBになるから)
15名無し三等兵:2001/02/09(金) 17:59
それは初期型だけ〜。(金網付きとディーゼル装備はねえ)
16名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:00
日本兵は強かった。
近年公開されたソ連の文書によると、
ソ連軍は日本軍に比して数倍の人的損害を受け、将兵に重苦しい空気が蔓延したそうだ。

17名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:03
両軍が投入した戦車は、ともに装甲が薄く、
双方の歩兵部隊に多大な損害を受けている。
日本の戦車がソ連軍のそれに比べて、特に弱かったということはない。
18名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:06
>>16
・・・・・・でなけりゃ停戦に応じるわけ無いよな、独ソ不可侵条約もあるのに。
19名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:19
7月3日時点(23師団越河攻撃初日)で、
河の西側で日本23師団を迎え撃ったのは、
歩兵約1万3千人、装甲車300両弱、戦車200両弱、のソ連軍部隊であったが、
(某戦記を読むと戦車装甲車1000両以上を目撃した。との記述があるが、これはトラックを誤認した??)
ソ連装甲部隊は、歩兵の随伴なしに突撃してきたため、23師団の対戦車砲、火炎瓶で300両近い車両を失っている。
しかし、火炎瓶がつきたので、23師団は東岸へ撤退。
20名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:24
>>18
違うって。
独ソ不可侵条約結ばれたんでこりゃやばいって日本が急遽停戦に動いたのよ。
21名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:32
日本第23師団を迎え撃った戦車部隊の主力は、
ソ連第11戦車旅団だと思われるが、その戦車がBT5だった。
この日の戦闘で、第11戦車旅団は、ほとんどの装備戦車を失い。
事変の後に、BT7戦車を更新装備している。
当時のソ連の戦車は、それほど弱かった。
戦記物によっては、日本の戦車の弱さをことさら強調する向きもあるが、
ソ連軍戦車部隊は、攻撃方法、戦車の質ともに、
当時の日本軍に劣っていた。
22名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:34
18の投稿者です。日本がこの期に急遽停戦に動いたというのはおっしゃる通りですが、
ソ連側「も」停戦協定を受け入れてそれ以上攻めて来なかったと僕は言いたかったのです。
23名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:37
当時のソ連軍の野戦能力と、日本軍野戦能力を比較して、
ソ連軍が勝っているのは、陣地の構築方法と、野砲の質ぐらいなもの。
特に、ソ連軍の攻撃能力は、お話にならないお粗末なものだった。
当時の日本軍の野戦能力は、
ソ連軍に比べて圧倒的に強かった。
24名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:39
もし、ジューコフが、ノモンハンだけに飽きたらず、
満州に進攻してきたら、
関東軍によって、手痛い打撃を受けすごすごと引き返す羽目になっただろう。
25名無し三等兵:2001/02/10(土) 01:43
日ソ航空戦は停戦協定成立の前日までやってたそうですが、その戦局は?
26名無し三等兵:2001/02/10(土) 01:58
一時期は若干優勢(数的には10対1と聞くが、全体の数が違いすぎる)に
なったらしいが、日本側は航空優勢をまったく生かせず爆撃機は日本軍陣地
を爆撃したのみだったとか。
27名無し三等兵:2001/02/10(土) 02:25
妄想+既出だけど、日本兵にドイツ軍、連合軍の装備を与えたら無敵
だろうね。。。
28名無し三等兵:2001/02/10(土) 03:05
東北・九州兵最強

関西はショボ
29名無し三等兵:2001/02/10(土) 03:33
当時のソビエト軍は、将校の多くが粛正されて まともな将校が
少ないという特大のハンデがあった。
バルバロッサの当時でさえ、その影響から立ち直れていなかった
のだから、ノモンハン事変の頃はその影響がピークにあったこと
は、各種文献から個々の例を引くまでもなく明白。
30名無し三等兵:2001/02/10(土) 03:50
当時の陸相・畑が最終的に判定した日本軍の損害
・戦死・・・・8@`000人「以上」
・戦傷 病・・10@`000人「以上」
(明らかにこれを上回るであろうことは戦後に畑が述べて
いる 35@`000前後が妥当か)

ソ連軍の損害(1991年ロシア発表)
・戦死 行方不明・・・5@`500人
・戦傷 病・・・・・ 15@`000人
(ソ連時代の「死傷者10@`000人」からはかなり上方修正
されているが、やはり35@`000人程度が妥当かも)
31名無し三等兵:2001/02/10(土) 04:26
(日本軍としては)優良装備・練度も十分な第5、第14師団を前面に出し、
さらに速射砲22個中隊、重砲2個連隊その他を追加派遣し本気で巻き返そうと
する動きがあったのだが・・・。
「増強部隊には新式兵器が多く砲弾も今までより、1日
5〜10倍使えそうで今度こそ!、と思っていた」という記事を見た。

小室直樹氏なども、(古すぎるが)「ソビエト帝国の崩壊」の中で、報復に燃える
関東軍主力との決戦を避けるため主張した国境線から先には進撃しなかった、という
様に書いていたが・・・。
32名無し三等兵:2001/02/10(土) 04:33
宮崎繁三郎率いる第16連隊が150両もの戦車を投入したソ蒙軍を
奇跡的に破り、このハンダガヤ方面でのノモンハン最後の戦闘が唯一の
実質的勝利で、この地域だけが国境線確保で日本側主張が受け入れられた
との本を見たことがあります。
33名無し三等兵:2001/02/11(日) 23:20
反戦映画「戦争と人間」ではノモンハンの決戦がなんか一方的に日本軍がやられてる
(蹂躪されてる)シーンばかりだったような感じだった。
34名無し三等兵:2001/02/11(日) 23:25
戦争と人間で印象深いシーン
「これは紛争ではなく局地単位の戦争だ。それならなんで正面に
精鋭の第7師団を使わん?。ソ連の増援部隊が来るまでに関東軍の
最精鋭部隊で粉砕してしまう方が得策だと思うんだがね」
満州の財閥の社長が辻政信に意見してた。
35名無し三等兵:2001/02/11(日) 23:27
>>33
それは、意図的にそのように演出したからです。
 さらによく見ると山本圭が何度も死んでます。
36名無し連:2001/02/12(月) 06:15
あの映画って確かソ連の全面協力のもとで撮ったんだよな。タンク貸してもらうとか。
37名無し三等兵:2001/02/12(月) 09:13
age
38名無し三等兵:2001/02/12(月) 10:14
日本軍が強い訳ないじゃん、あんな貧弱軍隊
39名無し三等兵:2001/02/12(月) 12:28
>38
氏ねや。
40名無し三等兵:2001/02/12(月) 12:33
「ノモンハン4」(アルヴィン・D・クックス 朝日文庫)にも過去のゴルバチョフ演説にもあるが、
独ソ不可侵条約締結のソ連側要因としてはノモンハンその他の対日戦略が大きくからんでるよね。
41名無し三等兵:2001/02/12(月) 12:38
>38
戦力ほぼ同条件の占守島でソ連側の方が圧倒的損害が多かったぞ。
42あほか?:2001/02/12(月) 12:39
辻 「今すぐ自決せぃ!」
連隊長 「イヤイヤ〜ン!」
43名無し三等兵:2001/02/12(月) 12:43
>>41
攻撃と防御の一般論を理解してます?
44名無し三等兵:2001/02/12(月) 12:48
今、PANZER誌でノモンハン機甲戦を連載してますね。
筆者は戦後一般に流れている日本軍惨敗説とは異なる視点で書いて
いるので一読してみたら。

ただ、ここの皇軍太郎共の「日本側は強かった説」はちょとなぁ。


45皇軍太郎:2001/02/12(月) 15:10
強いか弱いかってのは、比較論でしか語れないんだ。
日本軍野戦能力は、ソ連軍のそれよりも、勝ってた。
46名無し三等兵:2001/02/12(月) 15:17
要は「現場最優秀・トップバカ」
47名無し三等兵:2001/02/12(月) 15:20
>>46
今の大企業や官庁と一緒
48名無し三等兵:2001/02/12(月) 15:24
装備の優れたソビエトロシア。戦意旺盛な日本。
勝負そのものは互角に近かったそうだが、下がった方が負けって考えると、
やはり日本の負けですね。
でもなんでシベリア方面に出兵するのか全然わからないんですけど。
ご存知の方います?
49名無し三等兵:2001/02/12(月) 15:29
>>47
それをどうにかしたいがために軍事オタになった、てのは動機が不純かな?
50皇軍太郎:2001/02/12(月) 15:49
>>48
確かに、日本軍はノモンハンで負けた。
それは
日本軍の野戦能力が劣っていたからか??
否!否!否!ちがーう!
歩兵4倍、戦車、砲、航空機10倍の敵と勝負すれば、
誰だって負けるわい。
悪いのは、敵の規模を誤認し、1個師団プラスアルファの戦力で勝負させた、
関東軍司令部じゃああ!
51名無し三等兵:2001/02/12(月) 15:55
何故にマクロ的な視点でしか軍隊を見れない語れないのか、皇軍太郎は?
52名無し三等兵:2001/02/12(月) 15:59
>>51
つまり50の様な連中は当時の陸軍トップ連中と一緒なのさ。
53名無し三等兵:2001/02/12(月) 16:07
>>46.>>47
「現場最優秀・トップバカ」っていったい
日本人って歳をとれば馬鹿になって行くのか?
「シンキロウ」見てれば理解はできるけど。
日本軍、カッコワルイ
55名無し三等兵:2001/02/12(月) 16:33
>53
森ちゃんは昔からアノのりだろ。
大卒でアレっちゅーのはやっぱ裏から入ったのかね?
56名無し三等兵:2001/02/12(月) 17:09
>>53
やっぱ、点取り虫・秀才信仰がガンだろ。
57名無し三等兵:2001/02/12(月) 17:30
>悪いのは、敵の規模を誤認し、1個師団プラスアルファの戦力で勝負させた、

ソ連はドイツとスペイン内戦などで対立してたから極東に大軍を持ってくる
ことは無かろうとの日本軍部の思惑とは裏腹に独ソ不可侵条約が結ばれてました。
また質的にもソ連軍は大幅な改善をしており、空軍はスペインから腕利きの搭乗員を派遣、
戦車も最新のV2ディーゼルエンジン搭載でしかも歩兵避け金網付きのものに変えてあります。
また指揮官もソ連側はあの有名なジューコフ将軍で、日本は無名の小松原中将です。
更にゾルゲルートを通じて日本軍の機密作戦計画はモスクワに筒抜けになってました。
58名無し三等兵:2001/02/14(水) 12:14
とりあえずあげ
59皇軍太郎:2001/02/14(水) 18:17
後半、ジューコフの反撃が始まると、なかなか戦車が倒せない。
対戦車砲の弾も、火炎瓶もつきてしまった。
そこで、
歩兵が砲塔によじ登って、戦車砲身をスコップで殴りつけた。
人間必死になると馬鹿力が出るもので、
砲身のゆがんだ戦車は、照準がきかなくなりすごすごと引き上げた(らしい)
ソ連軍将兵は、皇軍兵士の果敢な攻撃精神に圧倒されて、青くなったに違いない。
60名無し三等兵:2001/02/14(水) 19:23
日本人=世界的劣等民族
 常識ですね
61名無し三等兵:2001/02/14(水) 19:31
なんか日本軍て蟻みたいできしょい、人間じゃないみたい>>59
62皇軍太郎:2001/02/14(水) 19:31
日本人という民族は、いなーい
63皇軍太郎:2001/02/14(水) 19:33
蟻にたかられて、鬱になったのだ。
だから満州に攻めてこなかったのだ
64名無し三等兵:2001/02/14(水) 19:47
>62???
65名無し三等兵:2001/02/14(水) 19:51
>>59日本人がいつまで経ってもサル扱いされてた理由がわかったよ
66さらば、愛しき皇軍:2001/02/14(水) 20:05
>>59
で、何人死んだんだ!何人死んだといってる!
67名無し三等兵:2001/02/14(水) 20:10
>>59
あの、それどこの文献なんすか。それとスコップ殴打ごときでソ連の新鋭戦車が壊れるんですか?
>で、何人死んだんだ!何人死んだといってる!
小松原第二十三師団の損害は七割強ってとこです。
68名無し三等兵:2001/02/14(水) 20:20
2chウヨはウソツキが多いからな、これもウヨクの脳内妄想でしょ
実際の日本軍なんてダメダメだったんだから。
69名無し三等兵:2001/02/14(水) 20:32
日本軍にボロ負けしたおフランス軍と、それを見ていたホーチミン
日本軍に30対1でボロ負けした張学良軍
末期の日本軍に大陸打通作戦でボロ負けした中国国民党軍
ジェーコフに、兵の質だけなら世界最強と言わしめた日本軍
実質的に唯一米本土を攻撃した日本軍空港で民間人を射殺することしか出来ない「日本赤軍」

駄目駄目の日本軍って、日本赤軍(辻元清美の関係者)のことな(笑
70名無しさん:2001/02/14(水) 20:42
軍事板にも右翼がだいぶ侵食してきたなあ
ここもそろそろ潮時かな・・・
71えひめ丸:2001/02/14(水) 21:39
 竜ちゃん復帰で海保強化 漁船大量遭難のとき、「いず」と「みうら」
製作の時のように足の長い飛行機と船建造認める。
盛大に海保観閲式をやり、ゲストに呼んだコーストガードのハミルトンクラスの艦長に捜索ご苦労様の一言あるだろう。
72名無し三等兵:2001/02/14(水) 22:36
辻は終戦の際、戦犯追及から逃れるため、坊主姿に変装し
タイのバンコクから、逃亡した。その後日本に帰った後
参議院議員に当選。その後何故か再びタイに渡ったあと、
再び僧形になり、ラオス・カンボジア国境へ向かった
まま行方不明となった。
彼こそが「ビルマの竪琴」の水島上等兵のモデルである。
73皇軍太郎:2001/02/14(水) 22:39
>>70
潮時だな。
74あるびん・くっくす:2001/02/14(水) 22:46
スターリンは悪魔のようにひどい男でしたが、長期的な戦略を
立てるのは得意だったようです。彼はポーランドに侵攻するために
極東の心配事を取り除いておこうと、大兵力を投入したのです.常に
先のことを考えていたので、ノモンハンが終わるまでポーランドに
侵攻しなかったのです。

それに対し、日本軍の指導者達は、いつも目先のことしか考えていませ
んでした。中国と戦っているのにソ連といざこざが起きると、ただ
感情に走ってノモンハン事件を起こす。長期的展望が無いのでいつも
行き当たりばったりでした。きちんとした作戦もなくただ子供みたい
に戦って、その結果多くの兵士の命が犠牲にされたのです。
75皇軍太郎:2001/02/14(水) 22:51
>>66
何人死んだって?

以下、死傷率だ。このうち何人死んだかは不明。
歩兵第71連隊、93.5%
歩兵第72連隊、78.5%
歩兵第64連隊、69%
野砲兵第13連隊、50%
第7師団
歩兵第26連隊、91.4%
歩兵第28連隊、72.8%

ジューコフ軍に包囲されて弾が尽きかけたので、
一発逆転をねらって、第6軍司令部が防御から攻勢移転を命じたのがまずかったかな、
76皇軍太郎:2001/02/14(水) 22:53
ちなみに、
ほかの戦闘の死傷率は、
日露戦争の奉天会戦が30%弱
太平洋戦争のガダルカナル会戦が35%ぐらい
77名無し三等兵:2001/02/14(水) 23:03
ウヨのつもりはないが、一方的に、日本=悪の軍隊とか弱くて貧弱な軍隊とかという
イメージがあまりにも植え付けられたと思う。社会党や日教組の影響か?
大敗と言われたノモンハン戦でも(戦略的にはそうも言えるかもしれないが)
損害は日ソ同程度と主張したのは小室直樹氏が日本側では最初だったと思う。
今ではロシア側も認めていると思うが。
78皇軍太郎:2001/02/14(水) 23:04
事変の前に、
参謀本部から1個師団、中国方面軍から4個師団の派遣が関東軍に対して打診されている。
が、関東軍の参謀(名前は忘れた)が、
「これは、関東軍が始めた喧嘩だ」と言って断っている。
つまり、この事変は、日本vsソ連の国境紛争ではなく、
関東軍vsソ連の戦争だったのだ。

つまり、

日本が負けたんじゃなくて、関東軍が負けたの。


79名無し三等兵:2001/02/14(水) 23:42
>>66  で、何人死んだんだ!何人死んだといってる!

戦死・行方不明8632人と、クックスの本にあった。
行方不明はその後いくらかは生存が確認されたようである。
80名無し三等兵:2001/02/14(水) 23:48
朝日新聞でもこのクックスの本はすごく信頼できるな。
81名無し三等兵:2001/02/14(水) 23:50
>77
小室じゃなくって、そんなことは、40年以上も前から分かっていたことさ。
それを、70年代以降、戦争本でしっかりと表現してこなかっただけ。

そうした戦史の退廃の局地が90年くらいで、ドキュメント太平洋戦争(NHK)
でピークに達したのだけど、さすがに、デタラメや妄想もネタバレに
なって最近では冷静な見方が復権されつつある。
82名無し三等兵:2001/02/15(木) 00:31
>弱くて貧弱な軍隊

僕は前から傀儡国家「満州国」がソ連と国境沿いで存在してたことを不思議に思ってた。
83名無し三等兵:2001/02/15(木) 19:09
38式とppsh41では、草原で出会い頭の撃ち合いは分が悪い
84名無し三等兵:2001/02/15(木) 23:34
>83
日本兵は手榴弾や擲弾筒を乱射して・撹乱させてソ連兵のマンダリンを奪った、との
手記をみたことがあります。
85名無し三等兵:2001/02/16(金) 12:15
>84
そうなんだ、面白い戦法もあるもんだねぇ
86名無し三等兵:2001/02/16(金) 12:37
例えば、「日本の97式はソ連のBTに歯が立たなかった」なんて記述を見かけたら
まずその本はデタラメ。だって97式の実戦参加は4両でしかも喪失はたった1両だから。
87名無し三等兵:2001/02/16(金) 13:30
BTシリーズはV2ディーゼル装備の最終型以外は短砲身榴弾で簡単に燃えた。
88名無し三等兵:2001/02/16(金) 13:55
>小室じゃなくって、そんなことは、40年以上も前から分かっていたことさ

いや、ソ連崩壊前は分からなかったと思うよ。今ならノモンハンで
ソ連のBTが火炎瓶や榴弾で簡単に燃えたと言っても今までに
明らかになったソ連製兵器の実績からして「さもあらん」だけどね。
89皇軍太郎:2001/02/16(金) 14:15
BTも89式も97式も弱い。
「弱い」というのは使用目的に対してのこと。

日ソともに、
戦車を敵陣地攻略の打撃力として使用している。
WW1で、タンクが塹壕を越えて敵陣地に浸透したのと同じ戦法だ。
だが、WW1にはなくてノモンハンには多数存在していたものがある。
対戦車砲
BTも89式も、対戦車砲の前では紙も同然。
だが、日ソの戦車だけが薄かったのではなく、この時期、世界的に砲が装甲に勝っていた。
90皇軍太郎:2001/02/16(金) 14:24
ドイツは、この数年後、戦車を使用し大勝利を納めているが、
戦車が対戦車砲に勝っていたからではなく、
「間隙を突き、迂回し、包囲する」電撃戦法を成功させたから。
89・97式に比して2号戦車が特に優れていることはない。
91名無し三等兵:2001/02/16(金) 14:27
>87
日本の戦車はBTを何両ぐらい撃破出来たの?
92名無し三等兵:2001/02/16(金) 16:35
>86
単に新鋭戦車を失わないよう、自重して運用しただけ。
93名無し三等兵:2001/02/16(金) 18:12
自虐史観の年寄りども逝ってよし!
よしりんマンセー!!!
94名無し三等兵:2001/02/16(金) 18:16
>単に新鋭戦車を失わないよう、自重して運用しただけ。

もしそうだとすれば、日本陸軍の指導部は至極賢明であった。
95皇軍太郎:2001/02/16(金) 19:26
89式vsBT5
ノモンハンでは戦車対戦車の戦いがほとんど発生しなかった。
だから、
「日本の戦車がソ連の戦車にこてんぱんにやられたから、ノモンハンは負けた」
というのは、正当な評価ではない。
96皇軍太郎:2001/02/16(金) 19:27
では、BT5と89式がクルスクのように戦ったら・・・
残念ながら、89式のぼろ負けだったろう。
装甲の厚さと信頼性では89式が勝るが、
BT、T26の45mm戦車砲に抗するには、89式は装甲(正面17mm)が薄すぎる。
この45mm戦車砲は優秀で、
ドイツの、初期の3号4号(正面装甲30mm)でも簡単にやられている。
97皇軍太郎:2001/02/16(金) 19:28
私感を排除するために、スペック比較を。
BT5高速軽戦車V12ガソリンエンジン
45mm戦車砲貫通力
対垂直装甲  距離500mで43mm。1000mで 35mm
正面装甲13mm  路外最大速度約30k
ソ連対戦車砲は、上記45mm戦車砲とほぼおなじ物を使用。

89式中戦車
57mmりゅう弾砲貫通力
てっこう弾使用時 距離1000mまで約15mm
(データが少ない。対装甲砲じゃないから)
正面側面装甲17mm  路外最大速度約20k

日本軍37mm対戦車砲は、距離750m以内ならBT5を撃破可能
98皇軍太郎:2001/02/16(金) 19:48
45mm対戦車砲が待ちかまえるソ連軍陣地に、
攻撃を仕掛けた第3戦車連隊(89式戦車メイン)は、
当然、ぼこぼこにされた。
だが、被弾戦車が相当な確率で生還している。
45mm対戦車砲が強すぎたために、戦車を貫通し、被害を与えることができなかったから。
この攻撃に、新鋭97式戦車4両も参加しており、4両とも45mmを喰らったが、
廃棄されたのは、ピアノ線が絡まって動けなくなった1両のみだ。
(この1両は、屑鉄になるまで集中砲火を浴びた。)
装甲が薄くて助かった、というのは英軍ソードフィッシュのようのものか?
99名無し:2001/02/16(金) 23:33
ノモンハン事件は@`ソ連の戦略的なねらいで発生した。すなわちドイツとの
戦いに備えて@`東の日本軍をけん制することであった。
だから日本はソ連の挑発を軽く考えていたが@`ソ連のジューコフは万全の構えで
攻撃してきた。
わずかな草地を争そったわけではないのだ。
これで日本陸軍はソ連陸軍の強大な武力を理解して北方へは出ることを
望まないようになった。
そして南へ向かってしまった。

戦闘そのものでは@`日本軍人は実に勇敢で@`ジューコフも賞賛している。
ただ戦略面に弱みがあったと思う。それは今も同じだ。

この事件を日本軍が画策したようにしたのは@`戦後の左翼の謀略だ。
100名無し三等兵:2001/02/17(土) 01:00
負けた負けたったって日本本土どころか満州国もやられてないもんね。
しかも壊滅させられたといってもそれは関東軍のそのまた一部。
これじゃ一般国民には伝わらんし、教訓にもならん。
101sage arasi:2001/02/17(土) 01:12
ノモンハンで近代戦の洗礼を受けた割には
その後の太平洋戦争でもち〜とも教訓が生かされてなかったね。
お・ば・か・な・陸・軍・さ・ん
102名無し三等兵:2001/02/17(土) 01:32
ドキュソ帝国陸海軍、一億総特攻・総玉砕で全員死んで詫びろ!
103船越:2001/02/17(土) 01:47
ハルヒンゴール!
ゴールゴールゴルゴルゴルx47
104名無し三等兵:2001/02/17(土) 01:53
日本軍は激弱だったこれはジューコフも認めている、終わり。
105名無し三等兵:2001/02/17(土) 02:04
ノモンハンでの損害が実しやかに噂にはなっていたようですが…
うちの祖父に聞いた話です。
106名無し三等兵:2001/02/17(土) 02:14
「常勝将軍」ジューコフ元帥か、相手が悪すぎたかもな。
107名無しさん@のもんはん:2001/02/17(土) 02:20
>一億総特攻・総玉砕で全員死んで詫びろ!
誰に?
108名無し三等兵:2001/02/17(土) 02:34
>「常勝将軍」ジューコフ元帥か、相手が悪すぎたかもな。

だから日本陸軍なんて弱兵集団の中国軍だけを相手にしてりゃ良かったんだ。
これなら俺らホント世界最強だってうぬぼれたままだな。知らぬが仏やて。
109名無し三等兵:2001/02/17(土) 02:44
そう思わせるのが中国軍の役目
それをコテンパンにやっつけるのが米軍の役目
110名無し三等兵:2001/02/17(土) 02:46
臥薪嘗胆、三国干渉の故事に習うのは、何故できなかったのだ?>昭和15-16年の日本
111伊-400:2001/02/17(土) 03:03
>110
教育如何によって愚民にする事可能を証明した=陸軍士官学校=数学・理科
軽く見たのは高い授業料だった。
112名無し三等兵:2001/02/17(土) 14:07
あ〜あ・・・
まともな意見が・・・

ところでウヨが来たと言って顰蹙している人もいるけど、
「グルカ兵の戦闘能力って高いよね」っていうのがまともで
「帝国陸軍の兵士の戦闘能力って高かったみたいだね」っていうとウヨですか?
なんか「ウヨ」だの「皇国太郎」だのと片づけたがる発言からは
裏返しの
   「サヨ」や「自虐太郎」的心性が漂い出すのはなぜでしょう?

皇国太郎も自虐太郎も逝ってください・・・ クサイ・・・
113名無し三等兵:2001/02/17(土) 14:16
兵隊レベルで言えば最弱は寧ろ中国兵だな。ま、それも一枚岩では無いのだが。
114名無し三等兵:2001/02/17(土) 14:33
>なんか「ウヨ」だの「皇国太郎」だのと片づけたがる発言からは

勝手に決めんなや。
中立的意見言ってるようで「皇国太郎」援護の意見言ってる奴に言わ
れたかないね。(自虐?なにそれ?)
115名無し三等兵:2001/02/17(土) 14:50
「日本ネタはこうやって荒れる」の典型だね。(w
116名無し三等兵:2001/02/17(土) 15:10

>114
くさい。 逝ってください。
117名無し三等兵:2001/02/17(土) 15:17
くりかえしてききます。

日本軍が
変なちょっかいを出して
下手な戦い方をし
事後の反省もキチンと対策実施に結びつけず、
また不名誉をかくそうとして指揮官に自決者をごろごろ出したのは知っています。
(とは言え、「なんでわしが死ぬんや」と抵抗して生き残った人も居ますが)
しかし、
「グルカ兵の戦闘能力って高いよね」っていうのがまともだったらなんで
このすれで出てきた彼我の戦力・損害や逸話などを見て
「帝国陸軍の兵士の戦闘能力って高かったみたいだね」っていうとウヨなんですか?


118名無し三等兵:2001/02/17(土) 15:22
廃品戦車リサイクルセンターはここ→→→→→→→→→→→→→→→→中国
119名無し:2001/02/17(土) 15:24
イェス!!
120名無し:2001/02/17(土) 15:26

その当時の他国のロケットと比較してどうだったのでしょう?
121名無し三等兵:2001/02/17(土) 15:34
>>117
そうか、そりゃすまん。
ただ「皇国太郎」批判=「自虐太郎」という言い廻しは誤解を招き
かねないと思うぞ。
誰しも自分の国を批判して悦ぶ奴はいない。
122名無し三等兵:2001/02/17(土) 15:35
>>117
そりゃ、グルカ兵と大阪連隊なら、誰が見たって大阪連隊の負けだもんな。
何しろ、中国兵が捕虜になって、大阪相手だったらもう一度戦えるといった
くらいだし。
逆にいえば、日本軍にもスカは居る(というか関西はスカ)ってことだな。
123名無し三等兵:2001/02/17(土) 15:58
>122
そりゃ嘘だわ。
124終了太郎:2001/02/17(土) 16:26
>>115
そうだね
では、1つキマリ文句をば

>一億総特攻・総玉砕で全員死んで詫びろ!

在日、馬鹿サヨうぜぇ、早く死んでくれ
キムチクセェンダヨ、ボケ
125名無し三等兵:2001/02/17(土) 16:51
>>124
だからそーいう言い方はやめれ。(ハングル板に行けや)
126名無し三等兵:2001/02/17(土) 19:00
ノモンハンでは空戦においては日本軍の圧勝だったらしい
けど虚しい
127名無し三等兵:2001/02/17(土) 19:09
>126
それは初期だけ。末期はソビエトの増援で(何回も話題が出てるので省略)
128名無し三等兵:2001/02/17(土) 19:15
>127
その辺詳しく教えて、空戦の経過終始を。
129名無し三等兵:2001/02/18(日) 12:44
ノモンハン事変敗北は、それ自体のダメージは少なかったな。
でなけりゃ太平洋戦争開戦は不可能だ。
130名無し三等兵:2001/02/18(日) 12:53
>>129
少なかったとは良く言えるものだな。
「無かった事にしておこう」ってのが丁国陸軍の
態度だろう?
131名無し三等兵:2001/02/18(日) 13:03
ノモンハン事変で本当に帝国陸海軍が回復不能なまでのダメージを受けてたのなら、
そもそも太平洋戦争も有り得ないってば。それだけ回復の余力はあったってこと。
132基本的には:2001/02/18(日) 13:24
小さな局地戦だからね>ノモンハン。
戦争遂行計画そのものに影響を与えるほどの損害は出るはず
がない。>131

でも仮に回復不可能(あるいは回復にとてつもなく時間がか
かるような)ダメージを受けていたとしても対米戦はあった
と思うよ。
正直当時の日本首脳部にそのあたりの冷静な計算が出来て
いたかどうか。
中国戦線での出血を補うだけでもかなりの負担だったのが
当時の日本だからね。
確かにノモンハンでの損害は深刻とは言えないものだった
ろうけどその傍証として対米戦の火蓋を切れた、というの
を持ち出すのはお門違いだと思う。
これを言うとまた荒れそうだけど、対米戦は(少なくともあ
の時点に至っては)不可避だった、というのはあると思う(決
断自体が正しかったとは言いたくないが)
133Sads:2001/02/18(日) 15:31
124は相手にしないこと。
134名無し三等兵:2001/02/19(月) 00:27
>確かにノモンハンでの損害は深刻とは言えないものだったろうけどその傍証
>として対米戦の火蓋を切れた、というのを持ち出すのはお門違いだと思う。

当時の日本経済は、日中戦争やノモンハン事変で損害を受けても、
「対米戦の火蓋を切れた」くらいの「回復力」はあったってことさ。
135皇軍太郎:2001/02/19(月) 10:39
>皇国太郎も自虐太郎も逝ってください・・・ クサイ・・・

くさくない。
わたくし皇軍太郎は、「日本軍は強かった」とは一言も言っておりませんです。はい
136名無し三等兵:2001/02/19(月) 10:43
>>135
勘違いです。(第日本帝国は物量戦に(以下略)参照)
137名無し三等兵:2001/02/19(月) 10:47
どんな負け惜しみほざいても「結果」にはグウの音の出ないのサ。
「失われた勝利」も「こうすべきであった」も単なる後知恵に過ぎない。
138名無し三等兵:2001/02/19(月) 12:02
それにしても陸軍きっての英傑辻参謀(笑)は、
ノモンハンでの失敗(兵力の逐次投入)に懲りたかと思いきや
マレー半島でも、フィリピンでも、ガダルカナルでも
同じことをしてますね〜。
139117:2001/02/19(月) 20:40
>>121
どうも。
でも気付かれざる自虐というか、
なんだか敗亡の民めいた臭いがあちこちで・・・

余談ですが、 「あの戦争はやらなきゃならなかった。  しかし負けて良かった」
とある音楽家が言ったそうな。 小澤征璽なんかの師匠である斉藤秀雄ですが・・・
やっぱり無理してたのかなあ、大日本帝国・・・

140>139:2001/02/19(月) 20:55
それを聞いて15年戦争の発端を開いた張本人石原完爾を血縁にもつ
小澤征璽はどう思ったんだろうね。
141名無し三等兵:2001/02/19(月) 21:08
>>139
頼むから「大日本帝国は無理してた」と思ってくれい。
ああ、満州事変さえ無ければなあ。(でも朝鮮問題があるか)
142名無し三等兵:2001/02/20(火) 10:05
ジューコフは日本軍の装備に対してたった一つだけ羨ましがっていますね。
それは携帯蚊帳。
ノモンハンはハエが多く、卵を生んでから数分でウジになるやっかいな奴なので、
両軍とも手を焼いたそうです。

後、海軍航空隊はどうしていたかと調べたら、
陸軍航空隊がやられて行くのを喜んで見物していたそうな。
この緊張感のなさは何なんだ。
143名無し三等兵:2001/02/20(火) 10:21
>>139
ただ反省を自虐ととられる事が多い気もする。

144名無し三等兵:2001/02/20(火) 14:28
age
145名無し三等兵:2001/02/20(火) 16:15
>当時の日本経済は、日中戦争やノモンハン事変で損害を受けても、
>「対米戦の火蓋を切れた」くらいの「回復力」はあったってことさ。

ものは言いようだな。そういうのは「懲りない奴ら」って言った方が・・・・
146名無しさん:2001/02/20(火) 17:16
ノモンハンに関する参考文献きぼーん。
147名無し三等兵:2001/02/20(火) 18:22
>146
「ノモンハンの夏」 著者:半藤一利  文芸春秋社 \1@`619
比較的新しい本なので手に入りやすく、入門に適すと思います。
司馬遼太郎がノモンハンの小説を書こうとしたが、「これを書いたら死んでしまう」と断念したので、
その意思を継いで書かれた本のようです。
司馬文学の愛好者からはけなされているようですが、褒める人も多いです。


「静かなノモンハン」 著者:伊藤桂一 講談社  吉川英治文学賞
現在手元になく、読んだのもかなり前なので詳細は忘れました。
ただ良著には違いありません。

後、ノモンハンに限定した一般書籍ではありませんが、
軍事系の機関誌も参考になります。

148名無し三等兵:2001/02/20(火) 18:45
>146
このスレの1を見てごらん(藁)

149146:2001/02/20(火) 18:57
>148
「(藁)」って意味がわかんないんだけど。参考文献は1が紹介した
一冊で十分だと思ってるの?でもそのすぐ後のレスで信用性が疑われてる
よね。その根拠になった本も知りたいんだけど。

150147:2001/02/20(火) 19:31
>>149
>でもそのすぐ後のレスで信用性が疑われてるよね。
>その根拠になった本も知りたいんだけど。

あの本に対して良い評価を下していない人達で理由を述べている人は少ないので、
出きれば自分で読んで評価したほうが良いと思うけど。
同じ著者の別刊行物、
「もう一つのノモンハン・張鼓峯事件──一九三八年日ソ局地戦争の解剖」
著者:アルヴィン・D・クックス 岩崎俊夫、岩崎博一、秦郁彦  原書房 ¥5@`800円
と言う本もある所から、一定の見識のある人物であることが解ります。
それに1が、T-34を少々書き間違えたくらいで、
あの引用文からそんなに可笑しな所は感じられないのですが。
151ばばぼん♪:2001/02/20(火) 19:41
>146
簡単な「通史」としてだと、147さんのあげた「ノモンハンの夏」が一番入りやすい。
「静かなノモンハン」はどちらかというと「体験記」に近いです。
確か、3人の兵士の手記みたいな感じの内容だったと記憶しております
(今、会社なんで手元にない)。講談社文庫に入ってるよ。

ただ、詳細に書かれたヤツだと朝日文庫「ノモンハン」全4巻が一番てっとり早いかなぁ。
ちょっと全体の流れが把握しづらいのと、長い(p.400程度の文庫本×4冊)のが欠点(笑)。

ソ連崩壊後のロシア側資料の研究や翻訳も日本側資料とすりあわせが済めばいいのが出ると思うけど。
あと、手記に近いものならば、いろんな人が書いてるよ。
152皇軍太郎:2001/02/20(火) 19:56
>>150
何か間違ってる?

>しかし、
>いずれの形式の日本軍戦車も、たとえばソ連軍がノモンハン事件で
>使用した形式の優秀な改良型であるT三十四型戦車といった、
>第二次大戦中に連合国が開発した重量も大きく、火力や装甲にも
>はるかに優れた戦車に対抗できるものではなかった。

この部分は、ノモンハン以降、日本軍は戦車の開発を怠った。
と、クック教授は言いたいんですよ。
訳が悪いと言えば悪いけど、
ノモンハンで、どんな戦闘が行われたかを知りたいのであれば、
クック教授の本が一番おすすめです。
「ノモンハンの夏」も「静かなノモンハン」も、日本軍がどのように戦ったのか詳しく書いてますが、
肝心の、敵の規模と敵の戦略についての記載がないので、
ノモンハン事変という軍事衝突を解説した書とはいえない。
153名無し三等兵:2001/02/20(火) 19:57
反省します 反省します 反省します 反省します 反省します 反省します
   反省します 反省します 反省します 反省します 反省します 反省します
反省します 反省します 反省します 反省します 反省します 反省します
   反省します 反省します 反省します 反省します 反省します 反省します
反省します 反省します 反省します 反省します 反省します 反省します
   反省します 反省します 反省します 反省します 反省します 反省します
反省します 反省します 反省します 反省します 反省します 反省します
   反省します 反省します 反省します 反省します 反省します 反省します

先生、あと何回書いたらいいんでしょう(ノヘ;)シクシク..
154>152:2001/02/20(火) 20:44
人の文章を曲解しない。
155146:2001/02/20(火) 21:18
>150@`151@`152
ありがとう。さっそく読んでみる。
156名無し三等兵:2001/02/20(火) 23:20
結局は補給力によって敗れたと言うべきなのかな?。
BT戦車を速射砲で距離800〜1000で次々と撃破したが弾丸がなくなって撤退した
という手記が印象的だった。
157名無し三等兵:2001/02/20(火) 23:55
今週号のPanzer誌によれば、ソ連側は貴重な車両を駆り集めて補給にあてたそうな。
辻政信がその著書に「敵があのような大部隊を集結させてくるとは思わなかった」
と回想しているように、ソ連はスペイン内戦を初めドイツと対立関係にあるのだから、
極東にはそれ程の兵力をあてることは出来ないはずだと考えていた人も多かった。
日本人の多くはまさかソ連がドイツと不可侵条約を結んでいようとは思って無かった。
このへんは「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い 2」(児島襄 文芸春秋)が詳しい。
158名無し三等兵:2001/02/21(水) 00:19
週刊PANZER(藁 のノモンハン事変解説は面白いが、信憑性はどうなんだろう。
大作家先生より上だといいのだが。
159147:2001/02/21(水) 10:27
>>152
>何か間違ってる?

間違っているなんて一言も書いてないけど……。
クックス教授のことを批判なんてしてないよ、俺。

補足:深い理解には資料は欠かせないけど(軍事系の機関誌を推したのもその為)
   いきなりバトルオーダーの羅列から入るような資料を読むより、
   小説関係から入った方がよいと思うんだよ。
   雰囲気を掴めば、5/21に小松原師団長が機動部隊の投入を決定した理由とかも
   よく分かるようになると思ってさ。
160皇軍太郎:2001/02/21(水) 13:22
>>147
ごめんなしゃい。
クック教授が、間違ってるなんて書いてなかったですね。
161147:2001/02/21(水) 14:48
>>160
誤解がとけてよかった。

この戦争は、不謹慎な言い方をするなら非常に興味あるものです。
二大国の国境線が2重に存在しお互いに越境して相手を粉砕したと思い、
やがて少数の騎兵の進入により事態は進展し始める。

鎧袖一触に蹴散らせると思っている日本軍と縦深陣地で待ち構えるソ連軍。
数日の大規模な航空戦の後、日本軍の奇襲により全てが始まる。
まさに「終わりの始まり」と言った感があります。

結局ノモンハンは……と、簡単に結論付けるような問題ではありませんが、
両軍に数多の拙い点があり、双方共に無視できない損害を被ったのは皆さんの書いている通りです。
ただ、ソ連軍(ジューコフ)はその失敗を教訓として活かした様に見えるのに対して、
日本軍は、激戦を生き抜いた一騎当千とも言える兵の金言を無視し尽し、
何も改革をしなかった所か、下士官は内地に還されずに散り散りにされ、
幹部は「戻ってくるな」とばかりに遠方へ赴任となった。
こんな軍隊の何処を改革すれば良いんだ。

162名無し三等兵:2001/02/21(水) 18:09
クックスの本にもあるように、日本陸軍はソ連軍の大攻勢に際して殆ど準備が無かった。
敢闘精神の強調ばかりで飛行機も戦車も砲台も携帯火器も後方支援も貧弱なままだった。
ああ来ると分かってりゃあ日本もピアノ線を張って敵戦車の進軍阻止も可能だったろうが。
163名無し三等兵:2001/02/21(水) 19:38
戦闘参加は関東軍の一部に過ぎず、戦訓は伝わりにくかった。
また戦闘指揮も「統帥権」の問題上一部の人間だけが仕切っており、
彼らが沈黙してしまうとそれっきりうやむやのままであった。
164名無し三等兵:2001/02/22(木) 15:42
とにかく肉弾戦法への道を
歩ませた発端をつくった戦いなので
あまり良い印象をもたない
165>164:2001/02/22(木) 17:33
確かに肉弾戦は「一銭五厘」対「十万円台」の戦いだからコスト・パフォーマンス
は良い様に見える。
だがまかり間違うと「国家不信度」が飛躍的に向上するので先の判る奴はやらない
もんなんだけどね・・・(見ろよ、今の状況を)
166名無し:2001/02/22(木) 23:20
ノモンハン事件は、スターリンが西部戦線に集中するため、わざと日本軍を挑発して
戦闘起こし、徹底的にたたいて日本軍を恐れさせ、北上させないようにした挑発事件だ。
だからあれほどの機甲部隊と、航空機を終結させたのだ。
日本軍は馬鹿正直に対応して、大損害を出した。ソ連も日本軍と同じ位の損害を
出している。

事実日本陸軍は以後北上する事はなかった。スターリンの作戦があたったのだ。

それにしても日本人は読みが浅い。マッチのように反応するのではなく、
誰が得をするか、だれが仕組んでいるのか常に考える癖が必要だ。

合掌
167名無し三等兵:2001/02/22(木) 23:28
満州事変以来、一部の軍人だけが独断専行してしまう所謂「統帥権問題」が、
帝国陸海軍最大の組織的欠陥であった。ノモンハンの敗戦もその延長上。
この「統帥権問題」を引きずったままでは、教訓が汲み取れるわけが無い。
168腸チフスメアリー:2001/02/23(金) 00:37
うちのじっちゃんの葬式の時、遺品の写真からわかったんだけど、
ノモンハン行ってたらしいんだよね。
軍馬と一緒の写真の裏に書いてあった。
もっと、いろんな話を聞いておけばよかった・・・。
169名無し三等兵:2001/02/27(火) 07:43
ソ連陸軍は実力世界第二位だからな、日本にも欧米諸国にもロスケは手強い相手。
170ロボット三等兵:2001/02/27(火) 16:56
>>128

既出と思いますが。
1.戦闘機を I-15 から I-16 に変更。
2.装備数を増加。パイロットも増加。交代制を取って
 パイロットに休暇を与えるようにした。
3.防弾鋼板の装備。7.7ミリでは効果が薄くなった。12.7ミリが
 必要との意見が日本陸軍にもあった。

あと、ソ連は武器の改良にかけては相当優秀でした。
現場の意見が反映されている。設計も一見粗末なようだが
目的を果たす所だけはきちんと押さえている。
パイロットもスターリンの命令で3万人だったかの養成を
始めていました。日本はパイロットのマスプロに失敗しました。
兵器の改良が一番されなかったのは日本陸軍でしょう。
自動小銃も量産できなかった。ノモンハンは太平洋戦争の縮図みたいです。
171名無し:2001/02/28(水) 00:12
国力が違う。日本はがんばったが、当時の国力を見ると、
問題にならないよ。第一石油がないんだから。
いくら戦車作ってもすぐにエンストだ。
172名無し三等兵:2001/02/28(水) 00:29
ロスケの陸軍はやっぱ手強いよ、少なくともマレーの英陸軍よりかはずっと。
それに「国力」ちゅうたってあの国はいい戦車を作る為に毎年餓死者を出してる。
173>>170:2001/02/28(水) 17:48
粛清の功罪ってやつかな?
確かに将校の大規模粛清は赤軍組織をガタガタにしたが反面、若手の台頭が起きた。
ここらへんは独逸第三帝国と同じだわな。
174名無し三等兵:2001/02/28(水) 17:56
ロシアなんて今も昔もいつどこで反乱が起こってもおかしくないからな。
175ロボット三等兵:2001/02/28(水) 18:10
>>173

不思議なのは、あれだけ政治的にわけが分からなかった国が
軍事技術になるともの凄く合理的になるんですよ。
日本陸軍の2億倍くらい合理的。日本陸軍は政治的にも
軍事技術的にも不合理な面が多かった。兵隊を一番大事にしなかったのは
多分日本でしょう。
176>175:2001/02/28(水) 18:36
B−29スキーを作るくらいだからねえ。
それにしてもカチューシャの構造は凄まじく合理的で好きだなあ。
177名無し三等兵:2001/02/28(水) 18:44
ロシア人でも作れる兵器。これが味噌。
日本人は、器用だったのが災いした。
178ロボット三等兵:2001/02/28(水) 19:39
>>176
Tu-4の事ですね。でもB-29をコピーするのは大変ですよ。
本家でも45年3月に落ちついたくらいで。
179名無しさん:2001/03/01(木) 16:39
『戦争と人間』って、LDにはなっていないのかな?
180hatake:2001/03/01(木) 17:12
う〜〜ん、でも一概に日本人は器用と言えたのかな・・・?
昔は電化製品も少なかったし、戦車兵になって初めて靴を
履いたって奴も多かったらしいし。
ロシアもロシアだろうけれども・・・。
日本は資源も乏しかったけれども、作戦と
精神論が優先しちゃったようだし・・・。
181>180:2001/03/01(木) 17:45
でも中国はもっと凄かったみたいですね。(電気自体が理解出来なかったとか)
そーいうとこと戦争してれば驕りやら優越感はどうしても出て来ますね。
そーいう面では先進国と戦争してボロ負けしたのも良かったと・・・いえませんね。
1829月初めの非公式通達で:2001/03/01(木) 21:37
優良装備と言われた第5、14師団が前線に出て、さらに重砲2個連隊、速射砲
34個中隊、戦車182両等が出てきたらどんな展開になったであろうか
(やっぱ補給力で後退・・・かな。)
183名無し三等兵:2001/03/01(木) 22:01
PANZERの連載を読んでるが、日本軍はかなり善戦してるな、というのが
感想。読む前はソ連戦車のバカ強さに歯が立たずボコボコにされた、という
印象が強かった。敵戦車けっこう撃破してる。
三台がかりで一台を攻撃するとか。戦車兵の技量も日本の方が上だったみたいだ。
184名無しさん:2001/03/05(月) 13:34
>三台がかりで一台を攻撃するとか

圧倒的な数のソ連戦車群相手にそういうことは可能なの?
185名無し三等兵:2001/03/05(月) 13:40
>>184
BT戦車に対して一カ所に向けて三台が同時砲撃・・・って
記述があったはずだが・・・。ニュアンス違い、記憶違いだったら
スマソ。
186名無し三等兵:2001/03/07(水) 23:20
PANZERの連載、古是三春氏が執筆してるね。この人の記述分かりやすい。
じつはソ連もあれだけの数の車両をそろえるのは大変だったようだね。
ドイツとも不可侵条約結んでるし。一方日本はその場しのぎの対応をしてただけ。
これじゃ日本の最終的敗北は当然の帰結やな、ロスケには花を持たせてやるしかなかった。
187名無し三等兵:2001/03/07(水) 23:54
中途半端な火遊びをして負けたという感じでしょうか。
やるんだったら徹底して、精鋭第7師団を正面に、優良装備の第5、14師団を追加して
34個速射砲中隊、2個重砲連隊、戦車182両等の増援部隊を投入、補給も万全な形で・・・
と理想形を追ってしまう・・・
ただハンダガヤ方面で宮崎部隊が不敗を維持していたので、ついifを想像してしまいます。
188名無し三等兵:2001/03/08(木) 00:13
「徹底して」対ソ戦をやれなかったのは日華事変が継続中な事、
満州事変以来の統帥権問題による現地軍の独断専横体質、
独ソ不可侵条約による日本の外交的孤立が要因だったと思う。
189............:2001/03/08(木) 02:44
「最近の秘密指定解除によってソ連軍の死傷者数も公表されて
います。戦死6831人、行方不明1143人、戦傷15251人、
戦病701人、モンゴル軍の死傷者を加えると24492人」
圧倒的な戦力なのにこれだけの犠牲が出たのは日本軍が頑強に抵抗したせいでした
190............:2001/03/08(木) 02:46
日本側は
第23師団の死傷者は12230人、79%でした。
控え目な数字で実際はもっと多いらしい...
軍隊は50%の損害を受けると壊滅とされますが...
日露戦争の奉天会戦が28%
太平洋戦争のガダルカナル会戦が34%
前年の張鼓峯(ちょうこほう)事件の
歩兵部隊の死傷者は24.7%
各連隊別は...
歩兵第71連隊、93.5%
歩兵第72連隊、78.5%
歩兵第64連隊、69%
野砲兵第13連隊、50%
第7師団
歩兵第26連隊、91.4%
歩兵第28連隊、72.8%

191名無し:2001/03/08(木) 23:24
今までノモンハン事件というと日本軍が馬鹿だ,ちょんだといわれていましたが,
見直しが必要です。ソ連の文書で動機はソ連の意図的な挑発と判明しました。
日本軍が負けたのは,ソ連が総力でたたいたからです。局地戦どころでは
なかった。

ソ連は大陸軍国であり,日本は海軍国だった。
日本は陸の戦いでは分がなかったのでしょう。
ソ連の戦車では戦車兵は鎖で縛られ勝手に脱出できないようにして
あったという。

日本軍とは雲泥の差である。
192名無し三等兵:2001/03/08(木) 23:30
ソ連は自分の国が毎年餓死者続出なのに、国境沿いで「満州国」
が経済発展をされては共産党政権としては立場が無くなるってば。
193名無し三等兵
>>190
勝手に転載しちゃいかんよ(藁