日本兵が投降する時の心理状態

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1ほんわか名無しさん
今山本七平の『私の中の日本軍』(文春文庫、1983年)という本を
読んでいるのですが、横井さんと小野田さんがゴッチャになって
よく解らなくなってしまったのです。そこで投降する時の両者の
シチュエーションや心理状況の違いなど、解説していただきたく。
後世の我々にとっては、日本兵は最後の一兵まで戦い降伏を潔しと
しなかったと言うイメージがありますが、其れが何処まで幻想なのか
検証の程よろしく。
2名無し三等兵:2001/01/20(土) 23:58
リンドバーグ(大西洋単独横断のパイロット)の日記によると
かなりの数の日本兵が捕虜虐殺の犠牲になったらしい。(つまり結構降伏してた)
しかしそれも記録では日本軍の玉砕による戦死って事になっている。
3名無し三等兵:2001/01/21(日) 00:17
元陸軍一等兵でミンドロ島で捕虜となった大岡昇平は
小野田少尉に対してかなり痛烈な批判をしていました。

彼の代表作である「俘虜紀」には捕虜となった日本兵の心理状態が
鋭く描写されてます。
4海大最強:2001/01/21(日) 00:23
>1
もっともだな。あの人の本は妄想はいってる所あるから理解に苦しむよな。
おまえは、中々のリアリストの様だな。
>3
俘虜記はイマイチだったな。つ−か、大岡昇平は愚作製造マニア!
5名無し三等兵:2001/01/21(日) 00:56
「もの食う人々」に現地人の人肉食いながら戦後二年間ジャングルに篭り続けた日本兵の話出てたけどマジかい?
6名無し三等兵:2001/01/21(日) 07:04
>>3
俘虜記に小野田少尉に対する批判ってあったか?
7名無し三等兵:2001/01/21(日) 07:58

殺人・強盗・婦女暴行・・・等の犯罪を犯すのと同じ様な気分では
ないかえ?

ほとんどの人間は苦痛・後ろめたさを感じたが、中には、快感を
感じる者もいただろうよ
8名無し三等兵:2001/01/22(月) 01:23
前線で指揮官の指示なしに降伏されても、捕虜の扱いをしなくてもいい
(つまり自営業氏の漫画でよく出てくるように射殺しても良い)と言うのは
マジ?
9名無し三等兵:2001/01/22(月) 02:43
小野田って山賊やってて仲間がやられちゃって一人になったから降伏したんでしょ?
犯罪者じゃん。
10名無し三等兵:2001/01/22(月) 02:49
狂信的な犯罪者は氏ね。日本の恥だよまったく。
11名無し三等兵:2001/01/22(月) 02:58
>9・10
低脳低俗な煽りだ、無学習・非成長のヤカラ。
もっと、ひねった煽りを考えてみな。
12名無し:2001/01/22(月) 05:21
生きて帰ってはいけないように刷り込まれていたからね。
13名無し三等兵:2001/01/23(火) 00:21
>現地人殺して、犯罪じゃん。
 後方かく乱。残置兵の義務だとおもぞ。
14名無し三等兵:2001/01/23(火) 00:33
小野田氏は命令を守っただけ。
たしか当時の上官が現地まで行って任務解除の呼びかけをしたので
出て来たんじゃなかったっけ?
15名無し三等兵:2001/01/23(火) 01:03
会田雄次氏の「アーロン収容所」が名著だよ、欧米人が東洋人をどう
思っているかよくわかるよ。
16乱入:2001/01/23(火) 01:06
ステレス迷彩って、どこまで開発進んでるのよ!
17名無し三等兵:2001/01/23(火) 02:00
>現地人殺して、犯罪じゃん。
 後方かく乱。残置兵の義務だとおもぞ。
18伊-400:2001/01/23(火) 02:10
アーロン収容所を読んで、ニュース見ると、愛とか、福祉とか、人権
平和、差別反対なんて全ての左翼用語吹き飛ぶ。読む価値あり。
19名無し三等兵:2001/01/23(火) 02:12
>>17
山賊って泥棒なんだが(強盗)。
旧日本軍はそれが義務だったのか?
20名無し三等兵:2001/01/23(火) 02:30
>>3
具体的にどういう批判だったのですか?
また、もし其れを読める本などあったら紹介して欲しいのですが。
21名無し三等兵:2001/01/26(金) 12:07
小野田少尉に殺された現地人(ゲリラとかじゃなく民間人)て結局何人なの?
本人は「ドンコーを100人殺した」とか吹いてたらしいけど?
22>17:2001/01/26(金) 12:58
重大な誤認識だアホ。
23:2001/01/28(日) 00:38
>>20
鈍亀レスで大変申し訳ないですが、
私が大岡昇平の小野田少尉批判を読んだのは
「証言その時々」(『折々』だったかも知れません)という
終戦から彼が亡くなるまでの間に、
主に戦争や時事ニュースについての発言が
日付別に収録されているエッセー集です。
出版社は筑摩書房だったと思います。
私は数年前に図書館で借りて読んだのですが、
なんでも小野田少尉と最後まで行動を共にして結局生きて帰れなかった兵士が、
面識こそないものの大岡と同じ部隊に所属して出征した兵士だったようで、
ルパング島の日本兵の記事が出る度に、
国に彼らを救出するように呼びかける文章を寄稿しています。
で、結局生きて帰ったのは小野田少尉一人だったので、
『結局死ぬのは兵隊ばかり』とか
『少尉より下士官たちが強硬だったと言うが、それが彼の思う壺じゃないのか』とか、
『彼を救出した謎の青年は、密かに国が派遣したスパイじゃないのか』などなど
かなりひねくれた発言をしています。
24名無し三等兵:2001/01/28(日) 00:46
小野田さんはプレデターと戦いつづけてました。
25名無し三等兵:2001/01/28(日) 01:21
>23

あれは、大岡が晩年に狂ったとしか言い様のない悪文だね。
あの頃はすでに、かの名著「レイテ戦記」とそれ以前の戦争文学の
白眉を書く大岡ではなく、つまらぬとりまきに乗せられた
老害の権威主義に陥っていた。

大岡はある時期以降ダメになった。
2620:2001/01/29(月) 02:56
>>3
ご丁寧にありがとう御座います。俘虜記は読んでいたのですが、小野田少尉批判の
その文章の存在は知りませんでした。探してみます。

所で1が触れている本の中で、百人斬りの二少尉の話が出てきますよね。
確かあの本が書かれたのは結構昔だったと記憶してるのですが、その後二少尉の
名誉回復はなされたのでしょうか?どなたかご存知じゃありません?
万一まだ百人斬りの汚名を着たままだったとしても、戦犯の名誉回復ってのは
映画プライドなんかが上映されたことからも解るように、そろそろタブー視
しなくてもいい時代になっていると思うのですが。
27名無し三等兵:2001/01/29(月) 13:30
一般のタブー視は弱まってるけど、政府、マスコミ、教育はまだ
タブーなので(心情的にも政治的にも)名誉回復の実現は難しいでしょう。

28名無しさん@ゲレンデいっぱい。:2001/01/29(月) 15:49
>26

本多勝一先生の仕業です。
彼がこの事件(でっちあげ)を朝日新聞を通して世に浸透させました。
本多先生は多分今も右翼の皆さんに見張られた快適な暮らしを
家族みんなで味わっていると思います。
29>28:2001/01/29(月) 17:23
>本多先生は多分今も右翼の皆さんに見張られた快適な暮らしを
>家族みんなで味わっていると思います。

もしそうだとしたらそれはそれで問題だね。本多の口を塞ぐことは
結局他の人間の口も塞ぐことに通じるんだから。

30ごっぐ:2001/01/29(月) 23:33
>>28
戦時中に報道してたのは『東京日日新聞』だよ。本多勝一が言い始めたヨタじゃない。
それと100人斬り自体は事実だろ? 日本刀でそんなにいっぺんに何人も切れないから
嘘だ、と短絡して言う人は多いけど、白兵戦の最中に斬ったんじゃなくって、降伏した奴を
並ばせておいて突いたり斬ったりしてたと当事者の野田少尉が言ってたそうだぞ。
これなら日本刀じゃなくても包丁でもいけるさ。
31名無し三等兵:2001/01/29(月) 23:46
>30
>降伏した奴を 並ばせておいて突いたり斬ったりしてたと
>当事者の野田少尉が言ってたそうだぞ

なんだけどさ、こういうことじゃないかな?

あれは完全なヨタ話。でもそれで「英雄」になった野田少尉は
ヨタといえない。当時は沢山いた実戦経験者から見れば、
真っ赤な嘘なのはバレバレ。
そういう人に「本当かよ?」と聞かれても
「百人斬り」を否定できない野田少尉の逃げ口上じゃないかな。

もう一人の方(名前忘れた)は、奥さんに
「ありゃ全部嘘だ」と語ったそうだよ。

今から見ると非常識だけどね。引っ込みがつかなくなると
とんでもないことを言う人は今もいるからね。

32ごっぐ:2001/01/30(火) 00:24
>>31
その解釈も成り立つけど、仮定の数が増えるし、
>当時は沢山いた実戦経験者から見れば、
>真っ赤な嘘なのはバレバレ。
白兵戦でってのはそうでも、捕虜を殺すのは技術的に不可能って訳じゃ
ないから、『なかった事』の証明にはちょっと弱い。
向井少尉のほうの発言は、さすがに奥さん相手には自慢する気になれずに
嘘をついたのかもしれない。

とはいえこっちも証拠はないな。水掛け論だ。
当の新聞記者の文が'71年11月の『丸』に載ってるそうだが、誰か持って
ないかな。
33MM:2001/01/30(火) 00:35
日本刀による「100人切り」は、無理です。日本刀はすぐ錆びるので人を
切ったことがあるか、無いかくらいは判る。刃こぼれや、曲がりなども起き
るし、一本の刀で不可能です。
34名無し三等兵:2001/01/30(火) 00:44
>一本の刀で不可能です。

ほかの人から刀借りれば出来ないことではないよね。
35ごっぐ:2001/01/30(火) 00:49
>>33
『群がる敵を激戦の最中ばたばたと切り倒し』的なのは当然不可能だわな。
映画の『七人の侍』だって、換えの刀をいっぱい用意してた。

例の『競争』の時は時間も結構掛けてたし、刀一本でやったかどうかも
実の所はわからんからねえ。


36MM:2001/01/30(火) 01:19
少尉は多分一人も斬らなかったんじゃないかと思う。日本刀は錆びやすく素手で触った
だけでも錆が浮くほど。まして人を斬れば。少尉が持っていったのは、先祖伝来の刀。
一人でも斬った刀は、専門の研ぎ師がいないと、手入れすることは無理です。素人に
扱える物ではありません。
37名無し三等兵:2001/01/30(火) 01:25
人から借りた刀でやったんじゃないの?自分のは使わなかったんだよ、
きっと。てか、戦地に素人が扱えないような刀を持ってく方が却って
おかしくないか?
38zeke:2001/01/30(火) 01:28
胸が悪くなりそうな話なんだけど、少し聞きたい。

そも、日本軍の処刑方法は何だったんだろう。
銃殺、斬殺、刺殺。銃殺は軍刑としてのそれだし、
100人斬り云々は斬殺。が、戦記(史書系)を読む限りでは、
銃剣による背後から首筋への刺殺が多いような気がするのだけど。
39ごっぐ:2001/01/30(火) 01:50
>>36
軍刀だってあったんだし、基本的な手入れは帝国陸軍士官なら別に
出来ても不思議じゃないでしょう。
錆以外にも目釘が緩むとか何とか手入れはややこしいから。

あなたは少尉を弁護するつもりで
『手入れも出来ない刀を戦地に持っていった人だ』
と侮辱している事にならないかな?
40名無し三等兵:2001/01/30(火) 01:53
>>38
刺殺は軍刑ではないと思う。斬殺(斬首)も専ら将校の試し斬りの
部分が多いと思う。(捕虜を介錯した人が戦争犯罪人として訴えられた
話を聞いたことがある)正規に裁判を行った上での処刑なら、銃殺か
絞首刑じゃないかな。

銃剣による刺殺や、日本刀による斬殺は裁判に掛けていない者を処分
(処刑ではない)する時の方法ではないのかな。
41名無し三等兵:2001/01/30(火) 01:59

宮本武蔵ですら右往左往していたのに本当に戦場でバカスカ人を斬れる
ものかね?
42ごっぐ:2001/01/30(火) 02:01
だから戦闘の最中には斬ってないって。
43名無し三等兵:2001/01/30(火) 02:16
軍刀だって刀身はちゃんとした日本刀。制作要目のなかに、

「皇国古来の太刀又は打刀の身、若しくは皇国独特の鍛錬法に拠れる
新身を用いること。洋鋼打延の物の如きは適当ならず」

とあるから、古い刀と取り扱いは大差なさそうだけど。
44名無し三等兵:2001/01/30(火) 02:53
>>8
ハーグ陸戦規定?で決められた降伏を行ってからでないと降伏と認められなかっ
たはず。正式な降伏をせずに両手を上げて出て行って撃ち殺されても撃ち殺され
た奴が悪いってことになったと思ったけど。
458:2001/01/30(火) 03:29
>>44
成程ねー。そう言えばプライベートライアンでも米兵が手を上げた独逸兵を
撃ってたよね。アメリカ映画で、米兵を完全な正義の存在として扱ってないので
新鮮に感じた。
46名無し:2001/01/30(火) 06:22
捕虜になったら、生きて故郷に帰ってはいけないと思わされていた。
「ハジ」だから。
47MM:2001/01/31(水) 01:10
>39
日常の手入れと、人を斬った場合の処置は別です。
>34@`37
少尉が戦後中国で処刑されたのは、戦時中新聞に「100人斬り」の記事が載ったから。
それを証拠として中国側は有罪確定としたのです。記事には、敵弾飛び交う中で敵兵を
斬った事や、敵兵を鉄カブトもろとも脳天から真っ二つにした話などが載っています。
先祖伝来の刀で。証拠の日本刀は中国で保管しているそうです。
しかし”記事の様な事はあり得ない”。それで一人の人間を死刑にする根拠は無くなり
ます。うわさ話や憶測を集めても、意味は有りません。
元々の新聞記事が空想ですから、それに更に憶測や空想を積み重ねても仕方有りません。
48ごっぐ:2001/02/01(木) 00:30
>>47
両少尉が日本刀の手入れを出来ないとするあなたの説に具体的な証拠はありますか?
専門の研ぎ師に手入れを頼まなければならない損傷というのは具体的にどういうものですか?
あなたの説に従うと日本刀は使い捨ての武器になってしまう。
たしかに刃こぼれなら普通の手入れだとダメでしょうし、刀身の曲がりもそうでしょうが、
普通に使って痛む所と言えば血や脂でさびたり切れ味が悪くなる、また目釘が折れたり
緩んだりして柄と刀身の固定が甘くなると言った所でしょうが、そのくらいは心得のある
人なら自分で手入れできる範囲だし、なにがあるのかな。

新聞記事が決定的な証拠となって死刑だというのは気の毒、これは一理あるでしょうし、
いわゆる戦犯の処刑についてこういう見せしめ的側面があったことまでは否定しませんが、
100人斬り競争についてはこの二人が特にニュースの種になったと言う事自体、全くの
作り話ではなかった事の証拠のようなものでしょう。気の毒さの度合いは低いと考えます。

そりゃ実際は捕虜を並べといて端から順番に銃剣で刺し殺しただけかもしれませんが、
それだってもしやってりゃじゅうぶん死刑相当です。新聞に書いてあったほどじゃないと
言ってもダメです。

49MM氏ではないけど:2001/02/01(木) 00:39
>あなたは少尉を弁護するつもりで
>『手入れも出来ない刀を戦地に持っていった人だ』
>と侮辱している事にならないかな?

軍刀は元々使うために持っていくんじゃありません。

>あなたの説に従うと日本刀は使い捨ての武器になってしまう。

その通りです。日本刀が「特別な存在」になったのは平和な江戸時代になってからの話。

>そりゃ実際は捕虜を並べといて端から順番に銃剣で刺し殺しただけかもしれませんが、

他人に「具体的な証拠」を求めておいて、自分がそれでは通用しないよ。
50ごっぐ:2001/02/01(木) 01:08
>>49順番に行きます。
・軍刀じゃないのを持ってってるんだよ。
・日本刀を絶対視するのも過度にクサすのもなんだけど、作るのにあんだけ
手間のかかる武器が使い捨てなら、鉄砲が出現する前に消えてなくなって
るんじゃないかな。
・『もしやってりゃ』って書いてるよ。真相はわからんと上のほうに書いてる。
51名無し三等兵:2001/02/01(木) 02:14
>50
・日本刀を絶対視するのも過度にクサすのもなんだけど、作るのにあんだけ
手間のかかる武器が使い捨てなら、鉄砲が出現する前に消えてなくなって
るんじゃないかな。

あのね、戦国時代の武士の戦での主要武器は槍だったのだよ。
古いものを良しとしてありがたがる奴もいるが、純粋に武器としての性能はどんなもんかねえ。
鍛え方によっては軍刀よりなまくらな刀もあると言うかそのほうが多い。
 (しかも、そんな刀には値段の高いものも多い。直胤とか)
そのほかのあのおっさんの行為についてはまるでしりませんがね。
521:2001/02/01(木) 03:08
なんだか話がずれてきてますが、面白いのでこれはこれでいいですね。

>>15
『アーロン収容所』ですね。確か中公新書でしたよね。今度見かけたら購入します。
情報ありがとう御座います。

>ごっぐさん
平凡社新書の『刀と首取り 戦国合戦異説』鈴木眞哉 著 は、お読みに
なられました?多分51さんはこの本に依拠して論旨を展開されてると思うので、
一読をお勧めします。余談ですがこの本、参考文献に>>1で挙げた『私の中の日本軍』
があります(藁
あと、『私の中の日本軍』で当時の新聞記事の引用部分を読む限りでは、並んだ
捕虜を斬ると言う描写は一寸見当たらないのですが、どちらから得た情報でしょうか。
参考文献かURLを教えていただければ幸いです。
53名無し三等兵:2001/02/01(木) 04:26
>並んだ 捕虜を斬ると言う描写は一寸見当たらないのですが、
>どちらから得た情報でしょうか

どこかは忘れたがネット上に存在していたのは確かだ。
俺も見た事がある。
54ごっぐ:2001/02/01(木) 23:52
>>52
>捕虜を斬ると言う描写は一寸見当たらないのですが、どちらから得た
ネット上でいろいろ見れたと思うが100人斬り関連で言えば、あなたが今読んでおられる
本を書いた山本七平氏の天敵である本多勝一氏の著作、『中国の旅』文庫版264ページに
ある。野田少尉発言の伝聞として、
「実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない。占領した敵の
塹壕に向かって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろ出て
こちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る。
百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ。」
との記述。

読み返して気付いたが、>>30でこちらが『突いたり斬ったり』と書いたのは間違いだった。
記述上は斬っただけ。他の記事の銃剣での捕虜刺殺と混じった。失礼。
55MM:2001/02/02(金) 01:43
>54
その「捕虜を斬った」と言う話は、月刊誌『中国』1971年12月号の記事で、志々目彰氏
(中央労済組織推進部)の証言です。政治絡みの話に、深入りするのもどうかと思う。
それと48>「ニュースの種になった」からと言って、事実である証拠にはならないんです。
56名無し三等兵:2001/02/02(金) 18:24
政治がらみででてくる記述をいくら読んでも刀剣のことはわからんよ。刀剣を知り
たければ政治ぬきで刀剣について書いてある本を読もう。現代でも(人間相手でな
い)試刀はあり、日本刀の能力はそこそこ実証済みだよ。

とりあえず鉄の性質として、硬ければもろく、ねばければ柔らかいというのは常識
だろう。だから、切れる刀はかけるし折れる。折れない刀は切れないし、曲がる。
質の違う鉄をまぜて克服するが、魔法の鉄が生まれるわけではない。なってない人
が振ればどんな名刀でも折れるか曲がるかするし、切れもしない。長々書くことは
しないがとにかくいろいろだから、あるエピソードが正しいとしても、別のものが
間違いということにはならない。
57ごっぐ:2001/02/03(土) 10:14
辛気臭いのでさげとこう。
>>55
左翼の人の証言はなんであれ一切信用しないという事であれば別にかまわないが。

自分が捕虜になることも認めなかった日本軍はある意味当然のように捕虜虐殺を行って
いただろうし、俺だって当時現地に行ってりゃやってたかもしれんよ。
この100人斬りの両少尉についても『ニュースの種になる事実はあった』と思うよ。
あなたとはちょっと書き方が違うけどね。

日本刀での捕虜殺傷という点についても、すぐ錆びるからダメだとか痛みやすいから無理だとか、
日本刀という武器の殺傷能力自体を否定するような論法で否定せんでもいいと思うんだが。
58MM:2001/02/04(日) 00:56
>57
「捕虜を斬った」話は志々目彰氏 が小学生当時に聞いたと言う話です。本多勝一氏が
取材した訳ではなく、単に>55の記事をコピーして著書に載せただけです。>54でその
著書を紹介されても・・・。仮に本多氏に直接当たったとしても何も判りません。

戦時中「100人斬り」を書いた記者は、ただ短い時間少尉と話をして、それを記事に
しただけです。

>32 当の新聞記者の文が'71年11月の『丸』に載ってるそうだが、誰か持って
その『丸』での記者は戦闘も虐殺も目撃していない。東京裁判で少尉の無実を証言する
予定でした。しかし書類の不備と言うことで却下。

こうした議論はしたく無かったので、日本刀の事を指摘しました。政治絡みの話になる
と、かなりやっかい。特に中国方面が泥沼なのは、何も半世紀前の帝国陸軍にとってだ
けでは有りません。素人が「日本軍はある意味当然のように捕虜虐殺を行っていただろう」
などと憶測したり、中途半端な知識で深入したりせず、本職の研究者に任せるべきです。
59ごっぐ:2001/02/06(火) 00:39
>>58
だからあなたは、
『左翼の人が小学生当時に聞いた話を左翼の機関紙に載せて、それをこれまた左翼の
本多勝一が転載しただけの証言だから全然信用しない。』
と宣言し、刀剣の専門家でないにも関わらず日本刀の殺傷能力自体に疑義を投げかける事で、
『野田少尉は百人どころか一人も斬ってはいない』
という飛躍した結論を述べているだけではないですか。

あなたは日本兵の軍刀による捕虜殺害事例の一切を、野田、向井の両少尉をかばうために
『日本刀ではそんな事は不可能だ』
という理由付けで否定している事になります。
こうした議論の進め方こそが、あなた自身のある政治的立場を疑わせるに十分な物では
ないでしょうか。
60MM:2001/02/06(火) 23:18
>59
普通ある話しの元々を知りたい場合は、根本の資料を探す物です。コピー文では無く。
それと『中国』の記事の内容については、何も『宣言』していません。
次に?
始めー> 「日本刀の殺傷能力自体に疑義」ー> 「少尉は斬っていない」ー> 次
次 ー> 「少尉をかばう」ー> 『日本刀ではそんな事は不可能だ』ー> 始めに戻る。

論理がループしていて意味が判りません。それに「日本刀の殺傷能力自体」についての
疑問ではなく、その後の問題。
政治的な立場は知りませんが、もし仮にごっぐさんが「100人斬り」の疑いをかけら
れた場合は、『日本刀ではそんな事は不可能だ』と主張してかばいますよ。

東京裁判では記事を書いた当の新聞記者でさえ、証言することが許可されなかった。
証拠など無かったのに、処刑されたのです。 48>「気の毒さの度合いは低い 」
冤罪で死刑になった場合、「気の毒さの度合い」の高い/低いなどという物は有りません。
それとやたらに実名を書くのはやめてもらえませんか?。御遺族の方の気持ちを考えて。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/07(水) 22:52
>100人斬り競争についてはこの二人が特にニュースの種になったと言う事自体、全くの
>作り話ではなかった事の証拠のようなものでしょう。

>この100人斬りの両少尉についても『ニュースの種になる事実はあった』と思うよ。

ここは一つ昭和20年8月14日の朝日新聞読んで見るといい。
僅か4人の日本兵がフィリピンで米軍に切り込んで何十人も斬ったという記事が載ってる。
勿論、事実どころか、この「ニュースの種となる事実」すら存在しない。
全くの架空の話でしかない。
要するに「この二人が特にニュースの種」になったのは、単に記事が元になって処刑された
ことと、それが後々になって大きく報道された、即ち「後世の話」というわけだ。
当時は同じような「武勲伝」はそれこそ毎日のように報道されていたんだよ。
62ごっぐ:2001/02/07(水) 23:32
>>60
かみ合わないですねえ。
>それと『中国』の記事の内容については、何も『宣言』していません。
「宣言」はオーバーだったので「信用しないという態度を表した」くらいにします。
『中国の旅』が『中国』の記事を引用時に歪曲してはいないと思いますので、孫引きの
記事に付いて、という事になりますが。

>論理がループしていて意味が判りません。
同じ事を単に順番を変えて書いただけです。論理がループしている訳ではありません。
あなたは『日本刀では百人斬りはできない』と主張していますね?
その理由を日本刀の耐久能力不足において説明しましたね?
一人でも斬ったら再起不能になるような言い方でしたね?
どう痛むからという具体的な症状は、錆び以外には言及していませんでしたね?
結局の所、何が問題になるから『一人斬ったら再起不能』なんですか?

>それに「日本刀の殺傷能力自体」についての疑問ではなく、その後の問題。
なるほど。それならば>>36での
>一人も斬っていないんじゃないかな
の根拠はどこにあるのですか? 『証拠の刀』を鑑定でもしましたか?
何人までなら手入れ無しで斬れるんですか?

>もし仮にごっぐさんが「100人斬り」の疑いをかけら
>れた場合は、『日本刀ではそんな事は不可能だ』と主張して
お気持ちはありがたいが、捕虜を100人並べて斬っていい、刀は複数使っていいという
条件なら、真向唐竹割りとか強引に袈裟斬りとか考えさえしなければ、さしたる困難も
なく100人殺せるでしょう。上を向かせて喉を横切りでじゅうぶんです。時々刀も拭いて。
自分でもなんかやってしまいそうなので弁護は要りません。

>冤罪で死刑になった場合、「気の毒さの度合い」の高い/低いなどという物は有りません。
繰り返しになりますが私は全くの冤罪とまでは思っていません。

>それとやたらに実名を書くのはやめてもらえませんか?。御遺族の方の気持ちを考えて。
やたらに書いたというつもりはありませんがこれは一応了解。今後区別して語る必要があれば
イニシャルにします。
ご遺族は『100人斬り』という言葉自体聞きたくないでしょうから無意味だとは思いますが。
63ごっぐ:2001/02/07(水) 23:52
>>61
白兵戦で斬りまくったなんてもちろんあり得ないね。
昭和20年8月なら捕虜を並べて斬るのもないだろうね。
でも元の話の、日本軍が攻勢だった時期にはあり得たと思うよ。
確かに時期は限定する必要があるな。ご指摘どうも。
64名無し三等兵:2001/02/08(木) 01:00
百人斬ったかどうかと言う数の問題ではないのでは?
宣伝された数だけ本当に斬ったということはなく、
実数はもっと少ないのではないだろうか。
(ただし、一人も斬っていないとは言わない。)
何だか南京虐殺の犠牲者数の論争と似ているような。

裁判での判決で死刑になったわけだけど、仮に百人斬ったとしても
内容はどうだったのだろう。戦闘で九十九人を正当に斬ったとしても、
一人捕虜を不当に殺したとなれば死刑は免れないと思うんだけど。
65名無し三等兵:2001/02/08(木) 06:12
たしか百人切りって刀の名前が指定されてなかったっけ
その刀でどれだけ敵兵を切れるかを競ってたという話だったと思うが。
1度も落ちず、機種改変もしなかったエースが愛機で
どれだけ落したかを誇るようなものか。
66名無し三等兵:2001/02/08(木) 07:01
日本刀で研ぎ直し無しで切れるのは、どう頑張っても7人位。
包丁で無理に大型魚とか猪さばいたらわかる。
百人ちゅーのはありえんよ。
67奈良県だけど:2001/02/08(木) 09:32
高校の現代社会で習いましたそれ >百人斬り
社会のセンセが嬉しそうに話してたのを覚えてる
68異邦人さん:2001/02/08(木) 11:31
>>67
ウチの高校は生物のセンセが嬉しそうに話してたよ。
遺伝子の話から始まって、731部隊ネタ・旧軍批判へと。
1ヶ月くらいその話だけし、テストに出題までした!

当時は「小林よしのり」が薬害エイズのキャンペーンをやっていて、
「彼は素晴らしい行動派の人物だ」とか「君たちも厚生省を包囲しろ」とか言ってたな。
今頃どこで何を言いふらしているんだか…
69名無し三等兵:2001/02/08(木) 20:59
しかしここの日本刀議論読んでると大して使い物にもならない武器を
標準装備にさせてた日本軍が更にドキュソに見えてくる・・・
70名無し三等兵:2001/02/09(金) 00:10
もちろん実戦用じゃなくてサーベルみたいな飾りだろう。
南方などでは弾薬が無いから突撃に使われただけで。
71MM:2001/02/09(金) 00:23
>62
確かに話しが、かみ合っていません。まず月刊誌「中国」の記事については、何の態度
も表明していません。
ある文章を切り取り、別の文章に切り張りすると、時に全く違った印象を与える事が有
ります。中身を全然いじらなくても。だからコピー文では判らない場合があるのです。

「捕虜を100人並べて斬って・・・」「自分でもなんかやってしまいそう・・・」
これは空想に妄想。出来れば事実を。

「時々刀も拭いて」
ステンレス包丁ではないので、この手入れ方法ではだめです。

この話は予想通り?泥沼。ある記事や証言のどれを信じるか/信じないか?。と言った
事になっています。それは各個人によって判断が別れるので、結論は出ない。
日本刀の事については、自分で勉強してください。説明しても、それを信じるかどうか?
と言った事になるでしょう。勉強に当たっては、中国側などの政治絡みの資料でない、
一般的な物を参考にして下さい。 35>時代劇は参考になりません。念のため。
7256:2001/02/09(金) 02:57
>>66
 その辺のきめつけがなあ・・・。言うことはわかるよ。その通りだと思うよ。
きんきんに研いだ包丁は、素人が使うとすぐにかける。まっすぐ入れないと横の
力に鋼のもろさが出るからだ。しかし無理に力を入れなければどうだろう。

 戦場の刀はなまくらぐらいでいいとされる。戦場で刀をまっすぐ振れるわけが
ないからだ。実戦で使われることを想定していた鎌倉古刀は切れずにすぐ曲がる。
名刀らしくないが、これで合理的だ。戦場で刀を使っていないとしたカキコもあ
ったが、それは戦国時代の話。

 しかし戦場で使わないなら事情は変わってくる。首斬り程度なら、刀と腕の組
み合わせによっては難事ではないだろう。もちろん組み合わせが外れれば全然切
れなくても不思議ではない。100人斬りの真偽については知らん。しかし日本刀
の切れ味を根拠に否定するのはやめれ。

>>71
あなたが目的に応じて話を切り替えていることがよくわかりました。最初は根拠
として持ち出したことが、今は信じるか信じないかですね。実験できませんから
別にそれでもいいです。しかし刀は一回一回使うたびに拭くべきです。
73ほえほえ:2001/02/09(金) 03:08
1>
山本は俺的に電波君

河野仁 (玉砕)の軍隊、(生還)の軍隊 講談社
あたり読んだら
74名無し三等兵:2001/02/09(金) 12:45
投稿した日本の将校が米軍の爆撃機に乗り込んで
日本軍基地まで編隊を誘導する有名な写真があるじゃないですか。

僕が見た写真には
『彼は軍に対する激しい憎悪を抱いており、
我々(米軍)に対して進んで協力してくれた』
とのキャプションがついていましたが、

無知(捕虜になった場合の心得を知らないこと)による対米協力ならまだしも、
進んで同じ日本国民を殺すために協力する心理はちょっと理解不能です。

根っからのスパイ。ならば分かるのですが。
75名無し三等兵:2001/02/09(金) 12:52
>>74
その写真、合成だってきいたぞ
76名無し三等兵:2001/02/09(金) 13:40
>>72-56
レスありがとう。
一応日本刀の知識はあるので、無理だろな〜と思ったのだ。
実際ナイフで傷害やったこともあるが、人間の脂はしつこいし骨は硬いよ。
刺殺(ぼんの窪とか突いて)で効率的にやれば100人いけるかもね。
首を切るイメージだったわしが厨房じゃ。
77名無し三等兵:2001/02/09(金) 16:25
ナイフってどのくらいの刃渡り?
78名無し三等兵:2001/02/09(金) 16:40
75サンチです。
79MM:2001/02/09(金) 17:24
71>への追加
1.30>「戦時中に報道してたのは『東京日日新聞』だよ」
・・・記事の内容「 戦闘中の白兵戦で、・敵兵を鉄カブトごと唐竹割り」
 ーーー> 「不可能です。」/断定

2.捕虜の虐殺。
 ーーー> 「一人も斬らなかったんじゃないかと思う。」/推測

3.62>「捕虜を100人並べて斬って・・・上を向かせて喉を横切りで・・」
 ーーー> 「・・・?」/不明

「100人斬り」の定義が変わって来るので、それによって話しも変わって
来ます。元々「東京新聞」の記事で、少尉たちは処刑されたわけです。
それを色々変えると結局記事と何の関係もない話しになります。つまり死刑
になったのは、新聞に出た有名人だからと。
上の条件1.では不可能と断定できますが、定義が変わってくると、あやふや
になって来ます。確かに刀の性質だけで、「一人も殺害しなかった」とするの
は、無理そうです。
「信用する/信用しない」とは、>54の記事について、>62@`59@`57で繰り返し
指摘されたので。仮に記事を”信用する”と答えた場合、「なぜか?、根拠は?」
と問われても、答えられません。根拠が無いからです。”信用しない”と答えて
も同じ。”わからない”が答えです。だから記事の内容について、一言も触れて
いません。ただしそれを、日本刀の事にまで広げたのは、行き過ぎでした。

処刑前の少尉の遺書です。
>我は天地神明に誓ひ 捕虜住民を殺害せることは全然なし
> 南京虐殺等の罪は全然ありません 死は天命なりと思ひ 日本
> 男子として立派に中国の土になります 然れども 魂は大八州
> に帰ります
>
>  我が死をもつて中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り 日華親
> 善東洋平和の因となれば捨石となり幸ひです
>
>  中国の奮闘を祈る 日本の敢闘を祈る 天皇陛下万歳 日本
> 万歳 中国万歳 死して護国の鬼となります

証言を信じるか、信じないか、それともわからないかは、各個人の判断です。
80ごっぐ:2001/02/10(土) 01:03
>>79
見せしめの死刑だという側面のあった事はこちらも最初から否定してませんでしたが。
日本刀の話題も引っ込むようなので概ね了解です。
ただ>>71での
>まず月刊誌「中国」の記事については、何の態度
>も表明していません。
については、あなたは>>55
>政治絡みの話に、深入りするのもどうかと思う。
として、純粋な証言として扱うには疑わしいという感想を述べているととれますし、
>ある文章を切り取り、別の文章に切り張りすると、時に全く違った印象を与える事が有
>ります。中身を全然いじらなくても。だからコピー文では判らない場合があるのです。
これはつまり引用者である本多氏や私を信用していないと言ってるも同然なのですが、
そういうつもりがないというならこれも了解です。

>各個人の判断です。
とはいえ議論自体が無駄だったわけではないと思います。お相手どうも。

81ごっぐ:2001/02/10(土) 01:16
>>73
ついでだ。電波な山本氏について笑いたければ朝日文庫の『にせユダヤ人と日本人』が
お薦め。既読だったらごめん。
82名無し三等兵:2001/02/11(日) 21:11
死して虜囚の辱めを受けず
83名無し三等兵:2001/02/12(月) 01:55
なんかスレのタイトルと内容変わってない。
84話それてごめん:2001/02/12(月) 02:19
>>81
聖書の研究者だかが書いたやつ?あの本はすごいよね。(笑)
公の出版物であそこまで人をバカにして大丈夫?てぐらい。
まあ実際バカにされるようなことを山本が書いてるんだけど
本多勝一のイデオロギー的な批判が生ぬるいと思えるぐらい
徹底的だよね。
85名無し三等兵:2001/02/12(月) 02:42
「実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない。占領した敵の
塹壕に向かって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろ出て
こちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る。
百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ。」

MM氏はこの証言に対する抗弁が全く出来ないんだよ。
だから「サヨクだからうんぬん」といかにも胡散臭い印象をロマーに与えようと
逃げをうっているんだよ。
86名無し三等兵:2001/02/12(月) 02:55
「ニセユダヤ人...」もなかなかの本です。
ああいうエキセントリックなものを信用するのは
まずいね。
87名無し三等兵:2001/02/12(月) 03:39
本多氏と「ニセユダヤ〜」の著者の山本批判ってのは、どうも
「イザヤ・ベンダサン」を騙って「日本人論」を書いたことに集中しているね
しかし、山本七平の実戦経験や、そこから出てくる
「日本人の考え方」(「空気」とか「あたりまえ」)について
本多氏も浅海氏もほとんど語ってないとおもうな。

彼らは「山本はユダヤ人を騙った」しか、言うことがないかのようだ
何故だろう?

それから、百人斬りを「報道(捏造)」した特派員って「浅海」というんだけど
これ「ニセユダヤ〜」の著者となんか関係あるのかな?
あったら笑うけど。

あとねえ
「電波」とか人を決め付ける人は自分も「電波」にならぬよう
御自戒された方がよろしいかと思います。
88ほえほえ:2001/02/12(月) 04:05
>44
おいおい、日本語訳でもいいから「ハーグ条約」読み。(正式名は違うし、ハーグ条約と呼ばれるも
のも幾つか有るが誤解はないと思うのでハーグ条約)
国際法関係の本じゃなくても南京大虐殺の賛否両論の本読んでも分かる。(但し、本に書いてあるこ
とは嘘やデマも含まれる事を知っており、疑問に思ったら引用元の本や史料をあさることを厭わない。あとは高校生程度の頭)
で、捕虜の待遇に関しては普通ハーグ条約よりジュネーブ条約なんだけどなんで「ハーグ!ハーグ!」って騒ぐ人がジュネー
ブにあまり触れないのか考えてみ。
89ほえほえ:2001/02/12(月) 10:23
>87
はいはい坊や。
>「日本人の考え方」(「空気」とか「あたりまえ」)について
>本多氏も浅海氏もほとんど語ってないとおもうな。
「おもうな」だね?
>彼らは「山本はユダヤ人を騙った」しか、言うことがないかのようだ
>何故だろう?
で「ないかのようだ」だね?
それは君の読解力がたりないか単に山本批判の本を読んでいないだけ。
で普通著者名を騙った山本はどうした?
たしかに山本の全ての著作を俺はよんでないけど、普通そういうことして開き直る奴は信用されない。
山本の論理の幼稚さなど、山本の本だけでわからんなら批判本と一緒に読め。
あくまで高校生程度の読解力と論理性で分かる。

90名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/12(月) 10:47
>塹壕に向かって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろ出て
>こちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る。

オイオイ。「並ばせておいて片っぱしから斬る」なんて出来ねえよ。
自分が斬られると思ったら逃げ回ったり、死にものぐるいで反撃して
くるだろうに。
結局「武勇伝」と同様のホラ話ってことだ。
91名無し三等兵:2001/02/12(月) 18:17
>>90
 そうでもない。恬淡として死におもむくのも男の有り方だ。死に物狂いで暴れる
のは気力がいる。縛られて囲まれて、生きのびるチャンスありと信じるのは難しい。
痴漢に暴力をふるわれて、身がすくんで声が出せなかったという女は多い。兵隊に
ひっぱられた男にもそんなのが多かろうと思うがどうかね。
 中国以外でいろいろ本を読みなさい。おとなしいものさ。
92名無し三等兵:2001/02/25(日) 06:06
age
93名無しさん@お腹いっぱい:2001/03/01(木) 22:46
 色々と議論が盛んなようだが、いずれにしてもこのテーマで考えておく事は無駄にならないと、思う。
 将来、ゴチゴチの愛国思想に固まった中国兵や北朝鮮兵に、降伏勧告をする日がくるかもしれないのだから。
94>91:2001/03/01(木) 22:54
>縛られて囲まれて、生きのびるチャンスありと信じるのは難しい。

普通、そんな状況だったら「並ばせておいて」とは言わない。
95名無し三等兵:2001/03/02(金) 00:55
>93
想像したくない…。
96kotarou:2001/03/02(金) 16:23
中国大陸で、戦った、老人に聞いた話では、
数人までは、捕虜を弾薬運びとかに使ってよいのだが、
それ以上になると、本隊に連行しなければならないのに、
如何言う訳か、その制限の人数以上に成らなかったと言う。
97名無し三等兵:2001/03/03(土) 01:24
>89ほえほえ氏

う〜む、そう来るか。

>批判本と一緒に読め

そいつはお断りします。本多とか浅見の文章を読むのはイヤなんですねえ。
彼等は「時代の正義」の虎の威を借りた狐ですもの。
彼等の視点には、彼等が野田少尉のように戦場に立ったらどうなるかという
自省とか、想像力といったものが皆無だから。

安全な場所(時代)から、非難だけすることは、簡単ですわな。
本多が戦場に立たされることは、決して無いしね。
まあ、本多ならむしろ「百人斬り特派員」になるんじゃないかな?
(「南京大虐殺特派員」「北ベトナム絶賛特派員」みたいな)
中国・ベトナム・カンボジアと彼の一連のルポは、本多にそういう素質があることを
如実に示していると思います。
(偽ユダヤ人より、そっちの方がよっぽど不愉快)

山本七平のスタンスは、かつて戦場に立った者として、
「その時、どう行動したか」
「どうあるべきだったのか」
だよ。戦後もずっと考えてたんだと思う。

初めて読んだのは高校の時だけど、何度読んでも感動が薄れることはない。
その後実社会に出ても、思い出されるのは山本七平の文章なんだよね(主に日本軍3部作)
山本七平が指摘した「日本軍という人の集団の問題点」は、今もそのまま我々の前にあるんだよ。

だから、おりに触れ思い出す。そのたびに感動あらたなり。

本多の他を「口汚く攻撃するだけの文章」なぞ、全く思い出せないな。
(不愉快な単語だけは覚えてるな「ドバカ」とかね)

本多の文章には「時代の正義であることに酔っている愚かしさ」しか感じられんのですわ。
読解力うんぬん以前の問題だな。ああいう文章を読むことに感性が耐えられない。
浅見について言えば、高校時代、「よく知ってるねえ、だから?どうしたの?」
としか思えなかったので、読む気が失せました。ある意味本多以下。
延々と注釈つける(揚げ足とる)根気には感心しましたけどね。

浅見の本は「日本人とユダヤ人」が無ければ、何の存在意義もない。
大体ああいう本は「自分で批判する能力がない」奴が読むもんだ。
(そして陰湿に自分の能力で批判したつもりになるト)
そんな本読むくらいなら「日本人とユダヤ人」を自分で批判的に読みなおす方が
マシというもんだ。(それが読解力というもんでない?)

だから、お断りします。(時間のムダだよ)

キミから見て、読解力が厨房で結構ですね。

自省とか想像力、自分で考える能力、を欠いた「読解力」などなんの役にもたたないと思うんで

98名無し三等兵:2001/03/04(日) 06:10
age
99名無し投降兵:2001/03/04(日) 08:53
「あいされんだー!」
100>97:2001/03/04(日) 14:20
激しく同意!
101名無し三等兵:2001/03/04(日) 15:26
>>99
激しく同意!
102名無し三等兵:2001/03/04(日) 19:38
>>97
激しく同意。 山本さんの日本人論なんかはなんだか胡散臭い、
が、例の日本軍三部作は別物だ。

ところでここでは一度も出てないみたいだね、以下のこと。

1)そもそも、例の百人斬りの記事は、
  ただ漫然と中国兵を斬ったのではなく
  「人斬り競争というゲーム」であったとされていたこと。
 (私見だが、中華民国の法廷に引っ張り出されたのも
  「ゲームだと?!ふざけるな!」ということではないかと思う。)
 (更に私見だが、「百人斬競争」なので
  捕虜を並べて云々じゃそもそも競争として
  わざわざ成り立たせようという興味や情熱が
  競技者や、競争をすることを設定した者に湧くだろうか?
  これだけで「いや、実は捕虜の首の数を競ったんだ、という説は
  あまり説得力がないような気がするが・・・)
 
2)100人斬(というか、人斬り競争)の主人公とされた二人の下級将校は
  片方は大隊だか連隊だかの副官でいつも部隊長の傍に控えて補佐、
  片方は歩兵砲の小隊長で、砲兵はご存知のように近接戦闘はほとんど行わない。
 (近接戦闘になる、ということは砲兵部隊にとっては絶体絶命の事態。
 これは山本氏の本に活写されていたね。さすがもと砲兵隊の少尉だ)

 したがって人斬競争なんかに血道を上げている暇はほとんどないってこと。

以上2点で、私はおなかいっぱいだが。


10397:2001/03/06(火) 01:26
>102
たしか、中華民国側としては
あれは「戦闘行為」としては有り得ない。よって、百人斬ったことが事実なら
その百人は「投降兵」「民間人」だったはず。
よって・・・、ということだったはずなんで、
「百人斬り」が事実かどうかが争われました。

で、記事書いた「浅海特派員」に証言を依頼したところ
「あれは向井、野田両少尉に聞いた事実です」といいやがったんで
二人の死刑が確定したはずです。

その「浅海特派員」は戦後あっさり転向して、日中友好に尽力したそうで
じつにおめでたい。

ただ、「戦闘行為」としての百人斬りはありえないけど、「非戦闘員殺し」なら有り得るわけです。
で、結局の真実はわからないわけで、最後は「浅海特派員のヨタ記事」或いは「中国の旅」と
「両少尉の人間性」のどちらを信じますか?

ということになるわけで、私個人としては、人間性の方を信じたい。
そう思うわけです。
104名無し三等兵:2001/03/06(火) 17:17
age
105名無し三等兵:2001/03/06(火) 22:25
>>103
97殿、事実関係が本当なら、もっともです@`と思う内容です。
でもちょっとつむじ曲がりをいわせてください。


#証拠?の新聞記事はありえないことを書いているが
#きっと百人殺しているに違いないから引っ張る、
しかしそれだと件の新聞記事をねたに二人の軍人を引っ張る材料になるのでしょうか?
ではちょっといくら強引な裁判でも?な感じが・・・

それに浅海が書いたのは「百人斬競争」の話であって
仮に浅海の証言が二人の処刑に何か寄与するところがあったとしたら、
ありえない話が真実だから証拠になる、という奇怪なことのような・・・

というか、そもそも
ベンダサンの「日本教について」とか、山本さんの「私の中の日本軍」(←だったっけ?)
と本勝のケンカってなんだったのよ、という感じがしたんですよ・・・
あの論争って言うのは
本勝が中共からありがたく拝聴した「百人斬競争」について「中国の旅」という新聞記事を書いて、それに「そんな馬鹿話ありか」ってベンダサン&山本が書いて始まった、
とのように記憶していますが・・・
だから、「私の中の日本軍」では
そもそも戦闘行為中に百人斬競争なんてことがありうるのか、という面、を描き、
「日本教について」では
浅海の記事や本勝の中共から聞いた話は実在の百人斬競争というものが
現実にあったものを描写したといえるだけの合理的な一貫性があるのかどうか、
というか、彼らの書いたものをもとに「現実」が構成されうるかどうか、
(「私の中の日本軍」にも本勝・浅海記事の中のゲームのルールがよく考えると
 とても勝ち負けが決まりようがない変なルールであることを論証してたりしますね)
を書いて、
両面から、つまり軍隊や戦闘というもののありようから言っても、
論理というものからいっても、全く浅海や本勝のいう「事実」は到底ありえない、
ということになっていたような気がしたのですが・・・・

10697:2001/03/07(水) 01:13
>105
確かに山本七平の見解としては、おっしゃるとおりですね。
別につむじ曲がっておられないと思いますよ。

あの裁判は確かに奇怪なんです(戦犯裁判はね〜)
うろ覚えですが、東京の予審(米軍の裁判?)では論外のヨタとして
問題にならなかったのに、南京に移送されてから雲行きが怪しくなったそうです

詳細は、鈴木明著「南京大虐殺のまぼろし」(文芸春秋)で読みました。

で、ですね103の補足
>〜「両少尉の人間性」のどちらを信じますか?
なんですが上記「南京大虐殺のまぼろし」によると

占領軍の呼びだしに対して、二人ともノコノコ出頭してるんですよね。
これは、本人達も「ヨタだから大丈夫」と思ってたからに違いないですよ。
後ろめたかったら、逃げるに決まってます。そんなもん
(なんでも、連絡に来た警官に逃げることまで示唆されたらしい)

私個人としては、このことが「百人斬り」など「まぼろし」だと思う根拠ですね。

107名無し三等兵:2001/03/07(水) 21:16
南京にいた師団あるいは連隊はどこの地域の連隊か教えていただけませんか。
お願いします
108105desu:2001/03/07(水) 21:19
97様、
「二人とものこのこ出頭」
そうですねえ、おっしゃるとおりです。
どちらの少尉だか忘れましたが、奥さんに「何、大丈夫さ」
と笑って出かけてそれっきりになってしまったという話、
なんとも悲しくなります。
109名無し三等兵 :2001/03/07(水) 21:43
帰国した野田少尉が故郷の小学校で講演した内容を、後輩の志々目彰氏が聞いたもの。
勇猛な白兵戦として報道された「百人斬り」の実態が、実は捕虜虐殺の据え物斬りであっ
たことが、本人の口から率直に語られている。
__________________________________________________________________________

郷土出身の勇士とか、百人斬り競争の勇士とか新聞が書いているのは私のことだ……
 実際に突撃していって白兵戦の中で斬ったのは四、五人しかいない……
 占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、
ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……
 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……
 二人で競争したのだが、あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない……」

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/data/nangjin/hyakunin/shijime.htm
110名無し三等兵:2001/03/07(水) 21:47
鈴木二郎 元東京日日新聞特派員 (第4報共同発信者)

そして記事にあるように、紫金山麓で二人の少尉に会ったんですよ。浅海さんと一緒になり、
結局、その場には向井少尉、野田少尉、浅海さん、ぼくの四人がいたことになりますな。あ
の紫金山はかなりの激戦でしたよ。その敵の抵抗もだんだん弱まって、頂上へと追い詰めら
れていったんですよ。最後に一種の毒ガスである“赤筒”でいぶり出された敵を掃討してい
た時ですよ、二人の少尉に会ったのは……。そこで、あの記事の次第を話してくれたんです。

本人たちから、“向って来るヤツだけ斬った。決して逃げる敵は斬らなかった”という話を
直接聞き、信頼して後方に送ったわけですよ。浅海さんとぼくの、どちらが直接執筆したか
は忘れました。そりゃまあ、今になってあの記事見ると、よくこういう記事送れたなあとは
思いますよ。まるで、ラグビーの試合のニュースみたいですから。ずいぶん興味本位な記事
には違いありませんね。やはり従軍記者の生活というか、戦場心理みたいなものを説明しな
いと、なかなかわかりませんでしょうねえ。従軍記者の役割は、戦況報告と、そして日本の
将兵たちがいかに勇ましく戦ったかを知らせることにあったんですよ。武勇伝的なものも含
めて、ぼくらは戦場で“見たまま”“聞いたまま”を記事にして送ったんです
111名無し三等兵:2001/03/07(水) 21:50
藤振寿カメラマン (第4報掲載写真撮影者)

とにかく十六師団が常州に入城したとき、私らは城門の近くに宿舎をとった。宿舎と
いっても野営みたいなものだが、社旗を立てた。そこに私がいた時、浅海さんが“撮
ってほしい写真がある”と飛び込んで来たんですね。私が“なんだ、どんな写真だ”
と聞くと、外にいた二人の将校を指して、“この二人が百人斬り競争をしているんだ。
一枚頼む”という。 “へえー”と思ったけど、おもしろい話なので、いわれるまま
撮った写真が“常州にて”というこの写真ですよ。写真は城門のそばで撮りました。
二人の将校がタバコを切らしている、と浅海さんがいうので、私は自分のリュックの
中から『ルビークイーン』という十本入りのタバコ一箱ずつをプレゼントした記憶も
あるな。 私が写真を撮っている前後、浅海さんは二人の話をメモにとっていた。だ
から、あの記事はあくまで聞いた話なんですよ。

 あの時、私がいだいた疑問は、百人斬りといったって、誰がその数を数えるのか、
ということだった。これは私が写真撮りながら聞いたのか、浅海さんが尋ねたのか
よくわからないけれど、確かどちらかが、“あんた方、斬った、斬ったというが、
誰がそれを勘定するのか”と聞きましたよ。そしたら、野田少尉は大隊副官、向井
少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。その当番兵
をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ、という話だった。 ――それなら話
はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/data/nangjin/hyakunin/houdou.htm
11297:2001/03/08(木) 01:54
>107
手元に資料があるんですが、ちょっとここに書き起こすと大変なので
名前を教えます。すいませんが図書館で探してみて下さい。

毎日新聞社「一億人の昭和史・日本の戦史3 日中戦争1第2次上海事変」
のP.146〜P.147に「上海派遣軍・中支那方面軍」の編成が載ってます。
(東北から九州まで日本全国津々浦々から引っ張ってます)
P.243とP.251に戦況地図があって、部隊配置も出てます。

>109〜111
なんかねえ?そりゃ彼らは「聞いた、聞いた、聞いたんだ」といえば済むだろうけどさ
一般に言われる新聞記者の理想像とはかけ離れてますナ。
まあ、そういう人達なんだろうけど
113名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/15(木) 23:53
沢山人を殺すのが名誉と勘違いしていた時代だからな。
114名無し三等兵:2001/03/24(土) 12:04
age
115名無し三等兵:2001/03/24(土) 12:10
>沢山人を殺すのが名誉と勘違いしていた時代だからな。

勘違いしてるのはアンタ(ワラ
116名無し三等兵:2001/03/24(土) 17:12
ageます
117名無し三等兵
悲劇を繰り返さぬように