ベトナム戦争

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1ボー・グエン・ザップ
ベトナム戦争全般に関して語ろう。
2名無し三等兵:2001/01/01(月) 20:28
グェン・バン・チュー大統領ってまだ生きてるの?
台湾にいるって事は10年前くらいに聞いた事ある。
今何処で何やってんの?
3いわゆる米軍の敗因については:2001/01/01(月) 23:23
1964年のアプバクの戦いについて調べ、南側の敗因をまとめよ。
そして、それを75年までの戦争全般に敷衍せよ。

参考文献
デビッド・ハルバースタイム「ベスト&ブライテスト」(アサヒ文庫)
ニール・シーハン「輝ける嘘」(毎日新聞社)
4名無し三等兵:2001/01/01(月) 23:28
敗因の1つ

ヘリコプター:攻めていって、戦闘終わって夜に引き上げて
、翌日には前線元通り。

5☆民主日本共和国 総統☆:2001/01/01(月) 23:33
米軍は歩兵を歩かせずにヘリポーン作戦ばかりした…
結果 土地を稼ぐことが出来ずに占領地がない。ゲリラに逃げられる。

ヘリがゲリラの襲撃を恐れて 水田を潰していたから 農民がゲリラに走った。
6名無し三等兵:2001/01/01(月) 23:34
マクナマラがいけない。
7名無し三等兵:2001/01/01(月) 23:50
 ハイフォンや中国国境付近で物資が運びこまれるのを傍観し、
ホーチミントレイルに至るころにようやく叩こうとしてたから。
元から叩かなきゃ駄目でしょ。やる気がないならやらない。やる
なら全力投球で一気に片付ける。一気にけりをつけられるのは
72年のクリスマス攻勢が証明しているのだから米軍はやろうと
思えばできた。というか、政治家がアホだったみたいだけど。
 新兵器のテスト場だからさっさとけりをつけると困るってのも
あったんだろうね。負けても平気という余裕さがあったところを
みると戦う必要のない無駄な戦争だったね。おかげで経済は
ボロボロ。よくもとんでもないROEを考えたもんだ。
8名無し三等兵:2001/01/01(月) 23:52
>7

開戦時はロシアのSAMサイトに攻撃できんかったらしいの。
9名無し三等兵:2001/01/02(火) 01:05
>元から叩かなきゃ駄目でしょ。やる気がないならやらない。やる
>なら全力投球で一気に片付ける。
不用意に中ソを刺激して、WW-IIIの口火を切りたくなかったんだろ。
当時は米ソの交流なんて、殆ど無かったんだから、相手が何を画策
してるか判らなくて、過大評価/過剰反応してたんだよ。ソ連関係者
が居そうな場所の攻撃を控えていたのもその一つ。

>負けても平気という余裕さがあったところを
>みると戦う必要のない無駄な戦争だったね。
結果的にそうなんだけどさ、当時は本気でドミノ現象を信じてたわけ
だから。

なんか、典型的な結果太郎になってないか?
10無人格兵器:2001/01/02(火) 01:58

 米軍の基本ドクトリン、軍に対する政府のコントロールの原則など
 いろいろな意味でベトナムから米軍は学んだし、有効に活用した

  日本は第二次大戦から戦訓を学ぶことも、活用することも
 できていない。逆に戦争はないことにしてしまった

  戦死者は無駄死にしたことになった
11ボー・グエン・ザップ:2001/01/02(火) 18:34
アメリカ軍、敗北の要因
1,南ベトナム政府軍の士気、練度の低さ
2,陸路、海路による中国、ソ連の膨大な量の援助物資輸送
3,2に挙げた援助物資の輸送ルート遮断の徹底不足。または失敗。
  ホーチミンルートを最後まで完全に破壊することができなかった。
4,南ベトナム政府の腐敗、頻繁に起こるクーデターによる不安定化
  民衆の支持を得られなかったこと
5,ゲリラと一般住民の差別化を最後まではかることができなかった。
6,アメリカ国内の戦争への反対運動の激化、戦争推進の支持を得られなかった。
  これによってアメリカ軍そのものの士気の低下が免れなかった。
7,1967年に於いて南ベトナム及びアメリカはベトナム戦争に対する勝利を
  確信していた、しかし68年におけるテト攻勢によりアメリカ政府は
  ベトナム戦争に勝利することは不可能であるという結論に達せざるを得なくなってしまった。
  これにより、アメリカ政府はグアムドクトリンを発案しベトナム化を決定
  南ベトナム政府を無視した形でアメリカ軍の撤退を開始する。
12ボー・グエン・ザップ:2001/01/02(火) 18:36
8,北ベトナム正規軍、解放戦線の士気の高さ。
  中国ソ連から供与された最新鋭の兵器で武装され
  アメリカ軍とも対等に戦いあえた。
13botha:2001/01/02(火) 19:11
解放戦線の赤青に金の星の旗はカッコ良かった。
今の二等兵の旗よりずっといい。
14名無し三等兵:2001/01/02(火) 19:25
ジョンソンとマクナマラのマイクロマネージメント。爆装を完了
して出撃する為にタキシング中のF−105の編隊長をマクナマラ
が電話で呼び出し兵装を替えさせたのはあまりに有名。
15名無し三等兵:2001/01/02(火) 19:34
飛行経路まで一々指定してたね。毎回同じ経路だったけど。
16名無し三等兵:2001/01/02(火) 20:36
>7
72年のクリスマス攻勢ってどんなのですか?
概要を教えてほしいです。
ラインバッカーあるいは同IIあたり?
17名無し三等兵:2001/01/02(火) 21:10
>>16
 ラインバッカー2です。民間の非軍事設備を除いてハイフォン、
ハノイを含む全ての目標を徹底的に攻撃、終いにはSAMが
なくなるほどだったというやつです。

>>9
 国際法的には宣戦布告がなされてないからただの「紛争」であり、
その為に当事国の領内にある目標を叩けなかったというならまさに
「やらない方がよかった」戦争ですね。兵士の片手を背中に縛り
つけるようなROEを決めてる時点で既に戦う価値がないです。
18名無し三等兵:2001/01/02(火) 22:37
当時の北ベトナム軍の詳細きぼーん
199 > 7=17:2001/01/03(水) 00:44
その17の書き込みの中でも大きな矛盾が含まれてるのに気付かない
かなあ。自分自身で、正式な戦争でない紛争であるから、行動に
縛りがあったと言っておきながら、ラインバッカー2では徹底的な攻撃
に出たって言ってるわけです。ラインバッカー2の時点でも、貴方の
言う紛争であったのは変わりが無いので、そういう言葉の定義が作戦
行動を制限していたわけでは無いのですよ。

なぜベトナムに介入せざるを得なかったか?については、多くの本で、
トルーマン〜ジョンソンまでの思想&行動を束縛していた、ドミノ
理論とマッカーシズムというキーワードで示唆してるハズなんだけど。
現代の冷戦終結後の価値観で考えれば、「やらない方がよかった」
無駄な戦争という考えも出てくるとは思いますけどね。
20名無しにゃ〜ん:2001/01/03(水) 01:20
ところで、ベトナム戦争には、朴政権下の韓国も軍隊を送っていたそう
で(のべ40万人)、なんか虐殺行為も色々とやっていたそうですが、
なんか概要をわかる文献とかないですか?
21名無し三等兵:2001/01/03(水) 01:30
>>19
>正式な戦争でない紛争であるから
とはどこにも書いてない。ある「なら」と仮定してるんだけ。

 ちなみにケネディー大統領はベトナムからの軍事顧問団の引き
上げを決定していた。南の政治の体質が変わらない限りはいくら
軍事的努力をしても無意味なことが分かっていたからだ。別に
結果論でも「冷戦終結後の価値観」でもないけど。
22名無し三等兵:2001/01/03(水) 01:36
>>20
青龍師団ね。全とかんが師団長で、廬てうが後任だったっけ。
今はなき同朋社のナム本に載ってたよ。
担当エリアは狭かったが、鉄壁の支配を敷いた。とか。

23ぴぃちゃん:2001/01/03(水) 02:11
カンボジア兵は敵の肝臓食ったってホント?
24名無し三等兵:2001/01/03(水) 03:36
韓国軍は西側で派兵されたなかでも士気軒昂で精強を誇ってたらしいな。
師団も通常編成よりも増強してたようだし。
25名無し三等兵:2001/01/03(水) 17:40
当時 国防長官 ロバート・マクナマラ氏
「我々は共産主義勢力を恐れていました。 北ベトナムのホーチミン政権は、
世界を支配しようとする中国とソビエトの手先だと信じ込んでしまったのです。」
「共産主義勢力は南ベトナムを陥れ、そこを足がかりに東南アジア全体を手に入れようとしている。
我々はそれを食い止めなければならないと考えました。
ソビエトのフルシチョフは民族解放運動によって西側諸国を葬り去ると宣言しました。
キューバのカストロは、西側諸国を滅亡させる日を心待ちにしていた。
ですから、南ベトナムの解放戦線は、民族運動ではなくソビエトと中国の野望を達成する為に動いている。
我々は当時、そう信じきっていたのです。」
26名無し三等兵:2001/01/03(水) 18:14
>25
だから?
27名無し三等兵:2001/01/03(水) 18:47
当時 国防長官 ロバート・マクナマラ氏
「我々は共産主義の拡大さえ食い止められればよかったのです。しかしあなた方は、
アメリカが北ベトナムのハノイ政府そのものを滅ぼそうとしていると、取り違えたのではないのですか?
だからこそ、アメリカと戦わなければならない、考えたのではありませんか?
それはまったくの間違いです。北ベトナムを滅ぼそうとなどとは考えてもいませんでした。
我々は、確かにベトナムの目的を誤解していました。しかし、あなた方もアメリカの目的を誤解してたのです。」
28名無し三等兵:2001/01/03(水) 18:51
当時 外務省アメリカ対策局長 チャン・クワン・コ氏
「民族の自決と独立、あらゆる民族に対して保証されるべきものだと私は思ってます。ところがアメリカは
南ベトナムに軍事介入しました。独立を願う1つの国家、1つの民族を二つに分断することが果たして許されますか?
そのうえ、国土の半分を爆撃によって石器時代に戻し、残りの半分を植民地にする。そんなことが正しいといえますか?
ベトナムは小さくて貧しい国でした、ですから我々には、戦争をするもしないもなかったのです。
戦争をしなければ、独立と自由の権利を勝ち取ることはできませんでした。
ベトナムはですね、独立を果たす為にわざわざ戦争などしたくはなかった、アメリカが来たから戦争が起こったんです。
マクナマラさんは、ベトナムにも間違いがあったと、今、言われましたね。しかし、いいですか?
間違ったのはアメリカだけです。」
29名無し三等兵:2001/01/03(水) 18:53
 第二次大戦以降、ベトナムを制する者は米国を
敵にまわした。
 仏印進駐の日本は負けてベトナム共産党は勝った。

 その違いは中ソの援助があるかないかの違い。
30名無し三等兵:2001/01/03(水) 19:06
当時 国務次官 ニコラス・カッツエンバーグ氏
「アメリカは世界中で反植民地主義を訴え、それを達成してきました。アメリカが植民地主義に反対していたことは、
誰の目にも明らかじゃないですか。我々には、ベトナムを植民地にしようなどという考えは毛頭ありませんでした。」

当時 防空軍高射砲部隊長 グエン・ディン・ウォック氏
「そうおっしゃるなら、これだけは言わせていただきたい。なぜアメリカは、ゴ・ディン・ジエム政権を
支援しつづけたのですか? アメリカの言いなりになる政府が欲しかったからでしょう。
だからあれだけ腐りきっていたサイゴンの政府を支援していたのでしょう。
あなた方は、戦略村を作って農民を檻の中へ閉じ込めた、これが植民地主義以外の何だと言うんですか。
戦略村は鉄条網で囲まれいて、自由に出入りすることも許されなかったのですよ。そんなことに我慢できるわけがない。
いったい民族の自由はどこにあるというのですか」
31名無し三等兵:2001/01/03(水) 19:08
>23
美人の肝臓なら食ってみたいな。
おれって鬼畜。
32名無し三等兵:2001/01/03(水) 19:09
当時 外務省アメリカ対策局 ダオ・フイ・ゴク氏
「私たちが望んでいたものは、独立と自由、そして国家の統一でした。それらはベトナム民族の共通の願望でした。
私たちは、この戦いは受けてたたなければならないと思ったのです。
アメリカは、そうしたベトナム人の気持ちを顧ず、私たちのことを共産主義の手先だ、つまり、
冷戦というゲームの尖兵だと、一方的に決め付けたのです。」

当時 国防長官 ロバート・マクナマラ氏
「我々は決して、ベトナムの独立と統一に反対していたのではありません、それだけははっきりさせておきたい。
しかし、私は、あなた方にも落ち度があったといいたい。今日のようにあなた方は、あのころもっと説明すべきだった、
我々は、中国とソビエトの手先となって動くつもりはない、言うべきだったのです。」

ベトナム戦争は、マクナマラの戦争と呼ばれました。しかし実際に敵と対話したマクナマラ氏は、戦争をしたその目的についてさえ、
双方の認識が全く異なっていたことを知りました。
33名無し三等兵:2001/01/04(木) 04:22
22>
青龍じゃなくて白馬(天馬)だろ?
34名無し三等兵:2001/01/04(木) 04:44
>>33
そーいやそーだ。
海兵じゃなかった。
35名無し三等兵:2001/01/04(木) 04:48
ベトナム戦時の米陸軍レンジャー部隊は中隊単位で各部隊にばらまかれてましたけど
今みたいな連隊編成になったのはいつからですか。あとLRRPとレンジャーの関係が
今二つ解りません。単なる名称変更でしょうか。
36名無し三等兵:2001/01/04(木) 05:03
そーです。
37名無し三等兵:2001/01/04(木) 05:57
マクナマラは相変わらず言い訳ばかりだな。進歩の無い奴だな。
38名無し三等兵:2001/01/04(木) 13:34
>33
韓国軍は、完全充足の歩兵2個師団と1個海兵旅団を主力とする約5万名を派遣。
陸軍の猛虎、白馬 海兵の青龍が中心になっていた。
朝鮮戦争での実戦経験を持つ将校が指揮し、将兵は全員が志願と精強であった。
>35
中隊単位で各部隊にばら撒かれていたのでは無く、
各師団が独自に編成した長距離偵察チーム(LRRP)を
統一運用する目的で1969年に改編したのが75レンジャー歩兵連隊。
任務内容等変更は無く、同じ物。


39名無しにゃ〜ん:2001/01/04(木) 15:06
最近、ハンギョレ新聞とかに、当時のベトナム派遣韓国軍の虐殺行為についての
記事が載っているよ―だ。
40名無し三等兵:2001/01/04(木) 17:08
>>38
なるほど、1つの部隊を各師団旅団に分遣したんじゃなくて、
それぞれ独自に作られてたLRRP隊をまとめあげた物だったんですね。
どうもありがとうございました。
41素人:2001/01/04(木) 19:36
ベトナム戦争という言葉から連想する言葉
B−52、タイガーストライプ、ガンシップ、ウェストモーランド、M79、
第1騎兵師団、ランディ・カニンガム、ジャングルファティーグ、特殊部隊、
対地攻撃、F−4、カルロス・ハスコック、マイクフォース、ヘルメットカバー。
42名無し三等兵:2001/01/05(金) 01:58
ベトナムでやってた有名なラジオ番組があったよね。
映画にもなったやつ。
43名無し三等兵:2001/01/05(金) 02:08
>42
「グッドモーーニーーーーング!ヴィエトナァム!」
44名無しさんの野望:2001/01/05(金) 03:16
コルトM651ってモデルありますよね?
45名無し三等兵:2001/01/05(金) 03:24
バーンズモデルってのもあった気がする。
46名無し三等兵:2001/01/05(金) 03:25
それはM655。
47名無し三等兵:2001/01/05(金) 03:27
「エリアスモデル」の名前がないのは差別だ。>マルイ
48名無し三等兵:2001/01/05(金) 03:50
昔、エリアスの改造ファティーグを真似しようとして作るの失敗して一着つぶしました。
ところでエリアスって右肩に第1騎兵のパッチ付けてますが、第1騎兵で参戦して、
一度帰国してから第25歩兵として再びナムツアーに来たんでしょうかね。
それとも第1騎兵で朝鮮に参戦してるとか?設定年齢が解らないんでアレですが、
有り得なくはないですよね。
49名無し三等兵:2001/01/05(金) 05:19
なんか当時の歩兵部隊の現場レベルでは、ハク付け、カッコ付けの為に
部隊章や資格章などを適当にでっち上げて服に貼ってた様な事も
あった感じがしますがどうなんでしょう。
50名無し三等兵:2001/01/05(金) 20:43
エリアスは66年頃第一騎兵にいたという設定だと思ったよ
劇中で「昔イアン、ドランでこれと同じ手口でヤラれた」という台詞が有ったはず
ちなみに監督のオリバー.Sは第25師団のあと第一騎兵に転属しているぞ。
しかも第一騎兵の75歩兵.H中隊でLRRPの所属だ、でエリアス軍曹は当時の
上官がモデルで実在の人物、バーンズも実在し本当に顔に弾傷が有ったそうだ

   ttp://www.geocities.com/Pentagon/5346/memorial.htm

上のリンクの68年5月29日がエリアスだよ、出典はオリバーストーンの自伝
49>
そりゃ〜無いよ、資格の詐称は軍隊じゃ重罪だよ
51名無し一等兵:2001/01/05(金) 21:13
へえ、オリバー・ストーンって75レンジャーだったんですか。スゲエ。
確かブロンズスターとパープルハート貰ってますよね。
5250です:2001/01/06(土) 00:46
チョッと訂正します
オリバー.ストーンは第一騎兵に68年の5月迄在籍と有りますので
第一騎兵師団第52歩兵F中隊の所属となります、同隊が75歩兵H中隊と成るのが
69年2月なので正確にはレンジャーではなくあくまでLRRP隊員ですね。
でも1StCav52/Fは正式に認可された師団LRRPなのでレンジャーと同じで
MACVリーコンドスクールも卒業しているだろうと思われます。
どっちにしろ凄いよね〜しかも25師団の時負傷しその時後方勤務に誘われたのを
蹴って任期延長して第一騎兵に転属したそうだ、やる気マンマンじゃん…
53名無し三等兵:2001/01/06(土) 01:09
おお、それじゃベトナム三部作に続いてチャーリー・モピックみたいなノリの
マニア向けナム戦リーコン物を一本撮ってもらいましょう。地味でハードなヤツ。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/06(土) 06:01
LRRP、この部隊はマジでやばかったらしい。
ロングレンジレコネッサンスパトロール
まあ、長距離偵察部隊ということだが実態は、とにかく敵兵を捜し出し殺し
敵施設を破壊することが目的の殺人マシーン部隊。
軍隊そのものが、そうだと言えばそうだが、その中でも精鋭かつ異質で
別名、ヘッドハンターズ(首狩り部隊)とも呼ばれていたらしい。
常人では恐怖と凄惨さ故に精神が崩壊してしまうような環境の中で
彼らは行動していた。
だから、そこにオリバーストーンが所属していたとなると
彼の独特な映画表現も理解できるね。
ナチュラルボーンキラーズなんかも換骨奪胎だけど、そのまま自分の戦争体験を
忠実に描いているような気がする。プラトーンよりも寧ろね。
彼が描くベトナム戦争は、どうしても彼のフィルターがかかっているような気がする。
だから、時代を置き換えて表現したほうがよりリアルな体験を描けるような気がする。
55名無し産等兵:2001/01/06(土) 10:20
所詮ヤンキーどもはベイビーキラーだ。
資本家にしてみりゃ作るそばからバンバン売れるのだから
笑いが止まらなかっただろうな。
56名無し三等兵:2001/01/06(土) 11:54
オリバーストーンといえば、麻薬の不法所持で刑務所にも入っています。
LRRP経験者でムショ帰り・・・そこらのチンピラなんざぁ、目じゃないっスね。
(スレと関係ないのでsage)
57名無し三等兵:2001/01/06(土) 21:01
ドラッグにはまる帰還兵、ステレオタイプやね〜
58名無し三等兵:2001/01/07(日) 21:36
せっかくのナム戦スレsageんでくれ〜
59名無し三等兵:2001/01/07(日) 23:34
ちょっと前に読んだ小説で、HALO降下は無開傘の速い落下速度によって
レーダーをすり抜けるのが目的とありましたがそうなんですか?
それまで私は単に高々度からの降下によって輸送機の目視や音の聞き取りを
困難にするのが目的と思っていたのですが。
60名無し三等兵:2001/01/08(月) 04:49
そう だん です。
61名無し三等兵:2001/01/10(水) 04:24
ベトナム戦中に後期型リーフパターンのジャケットというのは使われてましたか?
62名無し三等兵:2001/01/10(水) 04:38
71〜72年頃には支給されてたので使われてたでしょう。
63名無し三等兵:2001/01/10(水) 04:52
そうですか。ありがとうございました。
64名無し三等兵:2001/01/10(水) 21:10
後期型というのは茶系のリーフパターンの事とおもいますが
茶系と緑系のリーフパターンは69年度に同時採用です
茶系が高地用、緑系が低地用として採用されました。
ココできおつけなければ成らないのは茶系はVN戦後も使用されているので
ジャケットの胸ポケットが水平、トラウザースのカーゴポケットがセンターに
プリーツが入った物は戦後型ですナム戦型はトロピカルユーティリティと同型の
斜めの胸ポケットで3本のマチが入ったカーゴポケットの物です。
まあラベルのDSAコードを見れば一目瞭然ですけどね。
65名無し三等兵:2001/01/10(水) 22:08
一般的に「『DSA-100-68・・・』は68年製」といわれていますが
例えば68でも製造自体は前年、つまり67年という事も多々見うけられますので
○○年度契約分(?)と解釈するのがよいのかと・・・・。
一概に「DSAの年号が製造年」とは言えません、←これは確かです。
6664:2001/01/10(水) 23:05
わ〜いレスが付いた!
>例えば68でも製造自体は前年、つまり67年という事も多々見うけられますので
○○年度契約分(?)と解釈するのがよいのかと・・・・。
そうですね、その辺がイマイチはっきりしないのですが。
私はDSA68だと68年度予算発注分で支給は69年以降と解釈しています
ま、ERDL迷彩服の場合たぶん75年以降に形が変わったと思うので
60年代から72年位迄はOKかと...
余談ですがDLA82のグリーンのERDLが存在するのを知っていましたか?
勿論水平ポケットでプリーツのカーゴポケットです、初めて見たとき
Pトムの変なレプリカだと思っちゃいました。
67名無し三等兵:2001/01/10(水) 23:20
 兵器、戦術の格好の試験場だったね。だから簡単に終結させたく
なかったんだろうけどミイラとりがミイラになったという感じ。
M−16、レーザー誘導爆弾、各種の特殊部隊及び航空機、ACP、
ヘリボーン、ハンターキラー、ワイルドウィーゼル、ECM、
その他多数。
 あまりに代価が大き過ぎたのは予想外だったのか?
68名無し三等兵:2001/01/12(金) 11:16

F−105 萌え
69なら海軍を代表して:2001/01/12(金) 11:19

A-6 Intruder 萌え
70名無し三等兵:2001/01/12(金) 12:15

ホーチミン萌え〜
71包皮:2001/01/12(金) 18:50
>64

マロも1本プリーツのカーゴポッケのグリーンERDL
のパンツ見た事あるでおじゃる。
DLAは見なかったでおじゃるが・・・

72名無し三等兵:2001/01/15(月) 04:03
あげ
73名無し三等兵:2001/01/15(月) 07:11
ハンターキラー?北ベトナム潜水艦使った?>67
74名無し三等兵:2001/01/15(月) 20:01
ベトナム、カンボジア国民にとっては、北ベトナムが負けた方が結果的には
よかったような気がする今日このごろ...
75名無し三等兵:2001/01/15(月) 20:07
ベトナムがなかったらアメリカ軍の装備体系ってどうなっただろうね?
76名無し三等兵:2001/01/16(火) 07:31
67じゃないけど
ハンターキラーってLRRPをより攻撃的にしたものでは?
77兵站太郎:2001/01/16(火) 10:27
>>74
湾岸戦争の頃になってM−16のジャミング問題が発見され
大騒ぎとか? (w
78名無し三等兵:2001/01/16(火) 13:25
ベトナムのカンボシア侵攻無しだと、ポルポトが....
カンボジアの人、ベトナムに少しも感謝してないの?

79名無し三等兵:2001/01/16(火) 23:44
>>74
多くのF-111がイラク上空で行方不明とかね(ゲラ
80名無し三等兵:2001/01/17(水) 00:24
>78
カンボジア人のベトナム人嫌いは半端じゃない。
マレー・インドネシアで中国人が嫌われ、アラビアでインド人が嫌われ、
南部アフリカでそのアラビア人が嫌われるのと同じ構造。
(植民地の)圧政支配者の代理人となり、虎の威を借りて搾取に励み、
その経済的利益を独占したと思われているから。
つーより、現地人より商才に長けていて支配者に重用されていた。ってわけ。
81酔剣:2001/01/17(水) 23:53
カンボジアもベトナムも、今最大の脅威は中国だろう(タイ・インドも同様だが)、
最近、ミャンマーに中国が急接近している・・・、
いまさらインドシナ半島内の好き嫌い感情じゃあるまい。
米国とベトナムが関係修復に動いているのも、この、中国の影に影響されているわけ。
冗談抜きで、またぞろインドシナ半島は不穏な風が吹きかけてきている。
82名無し三等兵:2001/01/23(火) 03:51
ナムあげ。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/05(月) 10:38
映像の20世紀で、カメラの前でベトコンを撃ち殺した人がいるじゃん。
頭に拳銃をぶっ放して、頭から血が噴水みたいにピューって出てるやつ。
あのリボルバーってなんてモデル?
84名無し三等兵:2001/02/05(月) 10:51
>83
M49ボディーガード
M36の改良型でポケットからだすときに
トリガーが引っかからないようにしたもの
85名無し三等兵:2001/02/05(月) 10:54
>>83
凄まじい処刑を目の当たりにして銃のモデルをきくところが凄い。
胸を張って軍事板の住民を名乗ってくれ。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/05(月) 10:59
>84
早速レスくれて、ありがとう。
>85
(^_^; アハハ…
8785:2001/02/06(火) 20:14
>>83
 ごめん。ちゃかしてるだけだから気にしないでね。実は笑って
しまったし。

 それはさておき、米空軍を退役して歴史家になられた方がコストの
面からベトナム戦争を分析してコメントされていた。要約してみると
標的となる北ベトナムはソ連・中国から供与された無料のトラックに
2千ドル程度の補給物資をのせて移動中。攻撃する側の米軍は1千万
ドル以上の飛行機に1発5千ドルのクラスター爆弾を数発搭載、空中
給油機、レーダー妨害機、空中管制機等に支援され、数億ドルをかけて
電子的に地上を移動する北ベトナム軍を探知する「イグローホワイト」
とかいうシステムを使用。「これでは敵攻撃すればするほど自分で自分
の首を絞めているようなものだ」とおっしゃっていた。これに人件費
が加わるからたちが悪い。標的となる北の兵士の価格はほとんど0。
対する米軍はパイロットを1人養成するのにも数百万ドルである。
アイゼンハウワー、ケネディーと続いた「強いアメリカ」が経済的に
没落した最大の原因はベトナム戦争の戦費であるというから、戦場
では講和を結んだ両国だが、米軍にとっては建国以来最大の敗北で
ある。一方北ベトナムも以降国際的に取り残されいるところを見ると
これもまた負けたのだろう。アメリカ並みの暮らしをすることが全て
ではないのだろうが。 長文失礼。
88名無し三等兵:2001/02/06(火) 20:44
ベトナム戦争のせいで、カプリコンワン(火星有人飛行)の実現が半世紀も遅れた
89名無し三等兵 :2001/02/06(火) 20:57
ベトコンは人間の盲点に入る技を身に付けていたってほんとですか?
90名無し三等兵:2001/02/06(火) 21:10
>89
格闘術の事?日本陸軍/国民党/中共由来の銃剣格闘術かも
うちのじいちゃん(元陸軍准尉)によれば、国民党軍は
日本陸軍の銃剣術をアレンジして、アッパーカットの要領で
敵の顎を突き刺す技を開発してたらしい
まさに一瞬視界から消えて、次の瞬間アゴがイモ刺し…
91名無し三等兵:2001/02/07(水) 05:17
ティム・オブライエンって人の小説面白いよ。
この人も実際に戦争に行った人みたいで色々マニアックな事も書いてあったり
でオススメです。
92名無し三等兵:2001/02/07(水) 20:49
>>91
「本当の戦争の話をしよう」ですか?(後何冊かでてたような)
これ読むと、ベトナムのジャングルがまさに「生き物」の如き
描写がなされてますね。
個人的には、恋人を追って(?)ベトナムへ来た女の子が
そのまんまアッチ側へ逝ってしまう話が好きです(笑

あと、ベトナム側からの視点では、バオ・ニンの「戦争の悲しみ」かな?
以前「正論」誌において「日本語訳が(左っぽく)片寄ってる」なんて
批判出てましたが(笑
なんといっても北ベトナム兵から見た米海兵隊員の
「獲物を狙う虎のように狡猾で敏捷、しかも残酷」って
印象は、米兵の北ベトナム兵に対するそれとなんら変わらない
あたりが・・・。
93名無し三等兵:2001/02/07(水) 22:36
>>92
「ニュークリア・エイジ」とか「カチアートを追って」とかね。
私は勇気の話を読んで考えさせられたことがあります・・・。
作者違うけど「フルメタル・ジャケット」の続編って邦訳版でてるのかな?
あと「デビル50応答せず」とかの航空機物も好きです。
94名無し三等兵:2001/02/07(水) 22:58
91です。>92。
結構知ってる人がいてうれしいです。
「本当の〜」も読みました。恋人を想う中尉は(笑)
今読んでるのはティム・オブライエンの「僕が戦場で死んだら」
ってタイトルです。白水ブックスから出版されてるみたいです。
これも面白いです。短編集みたいな感じで読みやすいです。
後、「カチアートを追って」もなかなかです。
95名無し三等兵:2001/02/07(水) 23:09
 ベトナムの航空機ものではステファン・クーンツの「デビル500
応答せず」が非常によく訳されていて面白い。クーンツ氏自身が
A−6のパイロットとして参戦されていたのだからもっともな
ことではあるが。空軍のパイロットとして参戦されたマーク・
ベレント氏による作品は「ローリングサンダー」を読んだだけ
だが残念ながらうまく訳されておらず原作の良さが失われていた。
原作の「RollingThunder」「SteelTiger」「PhantomFlight」
「EagleStation」「StormFlight」はいずれも素晴らしいの一言に
尽きる。F-100、F−105、F−4等による空中戦や爆撃を
主に描いているのだが、辞書を片手に原作を読んでみるのも中々
いいものだ。
9692:2001/02/07(水) 23:12
>>93さん
>>94さん
・・・なるほど、今度本屋で探してみます。
ありがとうございます。
97アメミ〜19:2001/02/28(水) 10:07
黙秘権を行使します!ジュラ紀のシャウト、ガチョーン!!
98名無し三等兵:2001/03/19(月) 15:23
MAC−SOG上げ。
99名無し三等兵:2001/03/19(月) 16:16
どうでもいいけど、この間偶然「アメミ〜」って奴の
HPみつけてびっくりした。>>97と同一人物なのかな?
一応、軍事ネタのHPだったけど。
100名無し三等兵:2001/03/23(金) 15:09
この戦争で鮮人はなにをしたか?
はっきりさせよう、ベトナムに補償を!
101名無し三等兵
 貧している栄光のベトナム海軍に新しくセコハンの小艦艇をただで譲ってやんねのか?南沙諸島の牽制のためにも、
タランチュラ級かA69艦程度でも安いプレゼントだよ。