1 :
名無し三等兵:
今日見た泣いた
2 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 03:12
続き しかし日本はよくかったなぁ
3 :
出征前夜によくあったかもしれない風景:2000/11/04(土) 03:16
ヤクザに百姓にオカマに豆腐屋。
兵隊の描写が上手い戦争映画は
良いという見本。
4 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 03:28
愛は死にますか~
5 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 03:34
盾があればなぁ
6 :
そういえば、:2000/11/04(土) 03:35
兵隊を描写できないと、
鮭になっちゃうよ(笑
7 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 03:57
どうゆう意味 わからん6
荒巻鮭。
9 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 05:07
あおい輝彦ーーーーーーーーーーーーーーーーー
10 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 05:27
ただ、突撃を繰り返すのみ。
11 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 12:19
実際のとこ 兵隊は森鴎外の馬鹿な給食のため、ビタミン不足で脚気に罹り、ふらふらしながら突撃を強要されたそうだ。
アメリカの観戦武官は、「恐怖心を紛らわすために酒によっている」と思ったそうだ。
12 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/04(土) 14:16
三船敏郎の明治天皇がハマリ役だな。
乃木の解任拒否と第7師団の増派の裁可のシーンと
最後の御前にての報告シーンで
泣き崩れる乃木を慰めるシーンは今でも涙した。
「乃木を変えてはならん。(中略)それは今まで乃木と共に辛酸
を舐めた将兵の苦労を蔑ろにする事になる。」
13 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/04(土) 14:23
>12
同感いい映画だ。
14 :
名無し三等兵@満州軍:2000/11/04(土) 14:44
あの映画を見ていた俺は、ゲームの日露戦争でも第3軍を旅順に攻めこませた
事は無い。
15 :
>12:2000/11/04(土) 14:47
そのため、さらに戦死者が増えた。
乃木の名誉を守るために払った代償は大きい。
ただ、天秤にかけると、名もない沢山の兵の命より乃木の方が重たかった
と言うことだな。
今後もそうだよ。無名兵士諸君!!
16 :
酔剣:2000/11/04(土) 14:48
遮蔽物のない要塞を、夜襲するのに、
何故、目立つ“白だすき”をさせるのだ????
『白だすき決死隊』を考え出した、乃木・伊地知は殺人鬼とかわらん。
おのれの「文学的悲壮感」に酔って、貴重な兵力を無駄に消耗した。
それを個人的感傷でかばった明治大帝の判断も、大きな疑問、その為に
あの人命軽視の「突撃主義」が、乃木ともども批判されなくなった。
後の、大東亜戦争での悲劇の遠因がここにある。
17 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/04(土) 15:33
>>15 あれは本当は作戦中の司令官の変更は
いかんと言って、原則を持ち出した話らしいぞ。
要は、長州閥をひいきした山縣へのあてつけだな。
後司令官変更は、日本の敗勢を世界に知らせ、外債募集や
講和条件の際に不利になるからやらなかったと考えるのが
無難。結局旅順陥落と後の奉天会戦の勝利で山縣の乃木登用
は間違い無かったという事になり、元老山縣の勢力が伸張する事に
なったのは無念の一句。
18 :
スミルノフ中将:2000/11/04(土) 15:51
旅順要塞防塞司令長官の立場から言わせてもらうと、
乃木クンはハッキリと厨房だね。
でも映画で部下のゴンドラチェンコは出てたのに
俺の出番がなかったのは納得いかねえぞ。
19 :
フォーク少将:2000/11/04(土) 16:00
なんでやねん。同志スミルノフ。
西方面軍司令のオイラは乃木殿は名将だと思いまっせ。
チミは単にステッセル司令に比べて自分の知名度が低いことを
嫉妬してるだけっしょ。
20 :
スミルノフ中将:2000/11/04(土) 16:02
ややや、やまましい!!!!、こっこの能無しが!
自分だって映画じゃ用なしだろうゴルァ。
第一、同志...って、我らは大ロジア帝国の軍人だろうが
21 :
新沼ハトポッポ:2000/11/04(土) 16:07
東鶏宝山要塞一番乗りナリよ~~
♪ポッポッポー。ハトッポッポー
ちなみにカミさんはバトミントンの女王ナリよ~
22 :
閑話休題:2000/11/04(土) 16:12
ビートたけしが一兵卒で出演するはずだったが、
カメラの前で「コマネチ」を繰り返したので
監督に大島から放り出されたって話もある。
23 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 16:30
無謀、無茶、死地、そんなのに兵隊を最後まで従わせた
人望、これが将軍の資質でしょう。
例えば長島監督、こういう人こそ将軍にふさわしい。
作戦、戦術、そんなのは参謀のお仕事。
24 :
j:2000/11/04(土) 16:42
吉村昭の「海の史劇」は 乃木将軍の無能ぶりが書かれています。
東郷元帥との対比としては 面白いですよ。
25 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 17:17
>新沼ハトポッポさん
東鶏宝山ではなく、東鶏冠山では?
一昨年、旅順に行き東鶏冠山北堡塁やニ百三高地に登ってきました。
映画では岩山でしたが、現在は植林された松が生い茂っていて、想像していたイメージと
異なりました。
天気が悪く、二百三高地の山頂から旅順港が見えなかったのが残念。
26 :
名無しさんの野望:2000/11/04(土) 20:20
一将功ナリテ万骨枯ル
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/04(土) 20:26
目ん玉えぐりはちょっと・・・。
28 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 21:00
TV版と映画版は別物なのだろうか。
29 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 23:26
TV版?
30 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 23:35
俺も子供の頃TV版見たことあるよ。
毎週1時間放映されてたっけ。
夜襲で火達磨になった日本兵など、映画版より
印象が強かったような気がする…
31 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 23:39
美しい日本
美しいロシア
32 :
名無し三等兵:2000/11/04(土) 23:41
>>25さん
それは残念でしたね。私も以前行きましたが、旅順港は見られました。
港に停泊している船が見えたときは、涙が出そうになりました。
私は25さんより、少し前に行ったのですが、白玉山は25さんが行っ
たときは見られましたか?
それと映画203高地は八丈島でもロケをしたような気もします。
>>27さん
どうも目ん玉えぐりは実話のようですよ。
「イワンにお力を」といったかどうかは不明だけど。
「明治天皇と日露大戦争」や「明治天皇と乃木将軍」もよろしく。
33 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 00:17
>22
ツービートの二人ともきちんと出てたような気がするのですが
それにしても映画版じゃなくてTV版をもう一度観れないかなぁ?
もう20年来の願いだ
34 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/05(日) 00:51
「明治天皇と日露大戦争」
これ見たい。しかし、入手方法を知らない
何かいいソースありませんか
俺、ビデオあるよ。
36 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 02:18
>>34 最近DVDになったとか。
ボクもビデオの方は持っているけど、こっちも欲しいな。
37 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 04:36
撃てーーーーーーーーーーー
38 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 04:47
乃木も東郷も軍神として祀られ、日本軍の鏡となった。
それ以降、陸軍は突撃、海軍は艦隊決戦。
自衛隊はそこから脱却したんだろうな。
39 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/05(日) 12:59
「児玉じゃ、そこから旅順港は見えるか。」
「見えます、ロシア艦隊の各艦一望のもとです。」
感動のシーンだな
40 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 14:45
「めっ、飯だー」がトラウマになってます。
41 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/05(日) 14:53
>40
赤飯が食べられなくなった(藁
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 16:09
日露戦争って司馬遼太郎の「殉死」でしか知らないのですが、
乃木があそこまで偉くなれたのが不思議です。
43 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 16:41
これもまた、DVDにして出して欲しい。
映画と同時にやっていたロケ隊がシウマイほおばる崎陽軒のCMもつけてくれ
44 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 17:30
>>23 シゲヲ、、、
兵站が一番重要ということは理解しているようですね。
でも私はシゲヲ将軍指揮下の兵にはなりたくないです。
>>32 ロケ地は伊豆大島だったような(実は自信なし)
45 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 21:03
皆さん,司馬良太郎の「坂の上の雲」は読まれていますか?
名作ですので,未読ならぜひ読んでいただきたいです。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 22:21
200Xの大河ドラマは「殉死」!
もちろん主演は仲代達矢。
先生御存命中にぜひ。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 22:36
>5 さん
すごい亀レスですが、盾は有りましたよ。
劇中で機銃の弾を跳ね返していましたが
そんな事可能なのですかねぇ
あと、あのオモチャの兵隊みたいな軍服がまた良いですね。
「敵は幾万~」が、私が軍歌に興味を持った最初でした。
48 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 22:40
「坂の上の雲」は名作だが、あれを読んだだけで
日露戦争を語ろうとすると、とんでもないことになる。
49 :
49:2000/11/05(日) 23:00
乃木保助役の永島敏行が機銃掃射で
戦死したシーン
ノリダーにやられたジョッカーの怪人(石橋貴明)
を連想してしまった…
>>39さん
激しく同意!!
これに並ぶのは新沼のニ竜山一番乗りのシーンです
50 :
名無し三等兵:2000/11/05(日) 23:36
歴代乃木閣下(映画)
凄く昔 目玉の松ちゃん
「明治天皇と日露大戦争」ほか新東宝系 林幹
「日本海大海戦」 笠智衆
そして「203高地」 仲代達矢
他にいたかな?
51 :
39:2000/11/05(日) 23:49
>>49 おお同士よ
新沼の砲台の上で日の丸を振るシーン。
叫びもよかったが、妙にきちっとしていて
何か軍人らしく・・・感動した。
52 :
名無し3等兵:2000/11/05(日) 23:54
しかし、EDで生き残った豆腐屋とやくざが
また市井に戻っているのは泣けた。あれだけの激戦くぐり抜けた
勇士達がまた娑婆に戻って必死で生きていく姿を見て
当時の日本人たちの凄さを見たような気がした。
53 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 00:26
>>42 1・・・山縣公爵(陸軍のトップ)と同郷(長州閥)
2・・・明治天皇のお気に入り。
3・・・第一師団(東京)を指揮したので知名度抜群。
4・・・政府の情報操作(主に外債募集の為)によって
『水帥営』物語が全世界に広められた。
etc...etc...etc
だが、彼の軍事的手腕は出世には糸屑ほどの影響も及ぼさなかった、とさ。
>>44 ロケ地は大島三原山で間違いないです。
>>45.48
司馬リョーは、えらい乃木のこと嫌ってますよね。
なんか気の毒になるくらい悪口のオンパレードで、、、
まあ、「好きになれっ」てのが無理な話ではありますけど。。
54 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 00:29
前線視察中の乃木に、
「どうせわしらは消耗品だから」
見たいなことを言って絶句させたのは誰だったかな?
ヤクザだったかな。
55 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 00:32
同じ戦場で跡継ぎ2人の息子兄弟を亡くしているから、乃木を誹謗するのは国民感情として出来なかったのでしょう。
56 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 00:49
でも当時の新聞でも『一将功なって万骨枯る』とか書かれてたはずだぞ。
57 :
ロボット三等兵:2000/11/06(月) 01:20
203高地が陥っこちた後、
「先生もう直ぐ帰ってくるきに、これは消しとこか」って言って、
黒板を消すシーン【
>>31参照】で、
画面に向って「消すなボケ~~」と叫んだ俺.....。
にしても夏目雅子はキレイじゃのぉ。
58 :
集成歩兵1連隊:2000/11/06(月) 02:41
自己保身に長けた伊地知を丹波(児玉)が叱るシーン最高。
丹波すげー迫力。
伊「ロシア軍と我が軍はちがいましゅ!!
陛下の赤子たる同胞を味方の砲弾で殺せましぇん!!」
タンバ「今まで陛下の赤子を無駄に殺してきたンは誰じゃ。」
「貴様らじゃないんか!!」
しかしロシア軍人役の毛党俳優連中は、
果てしなく大根だった・・・。
その点のみ残念。
59 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 02:55
上富良野の演習場にあるのは517高地だったっけ?
関係なくてスマン
60 :
名無し消耗品:2000/11/06(月) 03:04
203高地陥落の場面もすごい。
どこの陣地かは忘れたが
死闘を生き残ったのは敵味方併せて十数人だけ。
そのわずか十数人で山頂を争うのは凄惨だ。
生き残った3人だけで
「とったー!!」
と絞り出すような声で叫びながら
ビリビリの連隊旗をかかげる光景には
感動した。
タイタニックなんかメじゃない。
すり鉢山の海兵隊なんかよりずっと心打たれる光景だ。
61 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 06:05
中学生の時、よく金沢弁の真似をしました
「やるがかや~~?」とか
永島敏行はTV版二百三高地で中国東北部に行ってなかったかなぁ?
(別の映画のロケかな?)
62 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 06:08
>54
そのとおり ヤクザです
確か乃木にタバコに火を付けてもらうシーンだったかな?
63 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 06:42
主人公の軍服が内地にいるときと、戦地でちょっと違うのに気付いた人は
通です
>>63 軍服がカーキ色になったものね
昔は判らなくて、本を買ったら装備変更と書いてあった。
65 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 18:04
>>23さん
遅レスだが、確かに長島監督が何も言わずに黙ってコーチの言う事を聞いていればねぇ。
何か、伊地知と乃木が合体したみたいで・・・救いがなぁ(溜め息)。
>>60さん
激しく同意、あの戦闘シーンは震えた。最後に生き残った3人が旗を振るシーンには
泣けました。しかし、第1時総攻撃のあのコンクリートの堀に兵士が落ちていくシーン
口惜しかった。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/06(月) 21:11
>53さま
42です。
丁寧な解説、ありがとうございます。
特に4には驚きました。
乃木の心中たるや如何なものだったか。
英雄は作られるものなのですね。
67 :
名無し三等兵:2000/11/06(月) 23:44
「児玉ぁ、わしは木石じゃないぞ。」
「乃木ぃ~、ワシはお前の心中を察しておる暇は無い。わしが考えておるのはな
日本が勝つ事。それだけじゃ。」
キレタ乃木を叱りつける児玉、お互いの苦衷が見えていいシーンだと思う。
68 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 00:01
白襷隊が「海ゆかば」のBGMのなか、皇居に向かって敬礼を
しているのって、あの映画だっけ?
69 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 01:33
兵藤二十八の最近の著作で欧州の最新式要塞である旅順をあれだけの兵力で短期間
で落とした割には損害は少なく、これは軍事史上の偉業であり乃木は名将だという
見方も示されていたが、その辺どう?
70 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 01:49
さすが、兵藤二十八、見るところが違う。
司馬などとえらい違いだ。
71 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 01:57
関係ないけど「サドンデス」と聞いて
あおいの「~んとでーす!!」と
連想してしまいます。
72 :
>69:2000/11/07(火) 02:50
兵は捨てゴマってことだね。
73 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 03:28
>69
ウム、強く同意。
乃木にはもう少し高い評価があってしかるべきだ。
あのように凄惨な状況下でも
指揮下の部隊の戦闘意欲を維持させたのは
偉業だと思う。
督戦隊も銃殺隊も無かったのに・・・。
1次大戦のフランス軍とは大きな差があるな。
キューブリックの「突撃」を観て
つくづく思ったぞ。
74 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 03:32
>>69 旅順要塞の能力評価だな。確かにロシアにとっては衝撃だったろう。
しかし、当時の日本の国力からするとあの要塞につぎ込んだ兵力と
時間は惜しいものがあった。だから評価されないのだろう。海外の
乃木の評価を知りたいものだ。
>>65 伊地知と乃木の合体、きっつー
もし、王監督が助言に来たらなんていうのだろう。興味深い話だが
>>66 明治天皇崩御後、乃木夫妻の自決にはやはり旅順の損害の責任を取ると
遺書に書いてます。彼が作られた英雄にも関わらず敬愛されたのは
そういう責任感に感じる所があったからでしょう。
個人的にはあれだけの猛攻を成さしめたのはやはり当時の日本軍いや
日本人の士気の高さ、忠誠心があったからだと思います。
普通、攻城戦で攻撃側が9割も戦死するまで攻撃するか。その前に兵士が
逃げ出すぞ。
75 :
酔剣:2000/11/07(火) 05:20
>69・70
旅順が欧州の最新式要塞であるかどうかは疑問だが、どちらにせよ、
乃木司令部が陥落させたのではなく、海軍要塞砲を野戦重砲として
利用させるようにした、海軍と児玉の手柄。
乃木は、ただ貴重な後続兵力を「すりつぶしていた」だけの愚将。
あのままだと、日本海海戦も史実通りにはいかず、明治日本は死んでた。
>74
>旅順の損害の責任を取ると遺書に書いてます。・・責任感に感じる所が・・
もし乃木に責任感があれば、西南戦争の敗走時の「軍旗紛失事件」の時でも、
水師営会談後でも、日露戦争凱旋の後でも“切腹”は出来た、少なくとも
戦後、軍人教育に関係したり、学習院の学長に就任したりすべきではなかった。
明治大帝に庇護されているのを良いことに、ひとり栄華を極め、説教をたれ、
大帝の意にそむき、崩御の際に「殉死」する。(中世の遺習じゃ)
乃木の目には、近代国家も、国民も、近代的軍隊もない。むろん、将軍としての
責任も自覚も無い、単に、明治大帝の従僕・忠臣であったにすぎない。
乃木自身の無責任さと、それを軍紳に祭り上げた時代の無責任さにより、
あの人命軽視の「唯一突撃主義」が、乃木ともども批判できなくなり、
あの大東亜戦争での、精神主義偏重の悲劇、その遠因になった。
『名将』なんてとんでもない、国・陸軍を誤らせた『宿悪』の一人、と言うべき。
76 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 10:14
ていうかここは「映画」ニ百三高地のスレじゃなかったのか?
77 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 10:24
さだスレ!
78 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 11:14
こんな壮大な映画を撮れる時代、まだ邦画は元気だったんだなぁ。
79 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 12:39
最後に見たのは何年前かなあ。ほとんどうろおぼえになってるな。
憶えているのは「歯がいたいんじゃ」と顔をしかめる丹波哲朗と
ラストの「防人の歌」。
新沼が生き残ったかどうかも憶えていない・・・
借りてこよう。
悲惨な軍隊ものの映画というと、これと「八甲田山」を思い出すんだよなあ。
天は我々を見放した・・・と。
80 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 17:21
「八甲田山」 シナノ企画=喪家
81 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 19:37
「防人の詩」って、TV版と映画版どっちで使われてたの?
82 :
異邦人さん:2000/11/07(火) 20:10
マッカ-さ-は、大尉時代
日本に来た時、乃木将軍と会見し
いたく感動したらしい。
83 :
異邦人さん:2000/11/07(火) 20:12
ニミッツも東郷平八郎の大ファン。
戦後、東郷神社に多額の寄付までしている。
84 :
名無し三等兵:2000/11/07(火) 23:46
>>79 あの入れ歯のエピソードって実話らしいですよ。
85 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 00:51
最近の邦画元気ないぞ
203高地のような戦争スペクタクルを作る力は無いのか?
86 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 01:03
今だとフルCG
87 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 01:05
プライドごときでサヨクが騒ぐようじゃ無理無理 >85
88 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 01:05
>64
ちょっと違うんですよ(^^;
主人公(・・・って言ってしまっていいのか)(葵輝彦)の内地での軍服は肋骨?
(なんて言う?)がついているのですが、戦地ではそれが取れて学生服みたいな
軍服になっています
89 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 01:13
>85
「君を忘れない」のキムタクに腰が抜けた。
「聞けわだつみの声」(リメイク版)は無惨を越えた出来だった。
もう邦画の戦争映画はダメかもしれん。
ところで「帽ふれ」の映画化はどうなったんだ?
90 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 03:14
91 :
ロボット三等兵:2000/11/08(水) 09:46
>>89 >「映画・君を忘れない」
茶髪でロン毛の特攻隊員でしたね>キムタク。
バウバウ松村君が整備士役。
(松村君が悪いのではなく配役を決めた人間が悪いんですが)
でもってバリバリの将校役の唐沢寿明が反戦を口にするし、
キムタクは気に入らない上官に「うぜー」とか言うし、
右左に関係無く「日本人の一人」として、
この映画をあの悲惨な戦争を経験された方
誰一人の目にも触れて欲しくないです。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/08(水) 10:14
93 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 14:45
「二百三高地はお化け屋敷だ・・・二度と生きて出られない・・・」
94 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 18:28
>>93 映画本編では「旅順要塞はお化け屋敷だ・・・」です。
95 :
山田甲八:2000/11/08(水) 19:46
泣けるシーン
①♪ゆーう空晴れてー秋風吹きー…小学校の教室でオルガンを弾いていた夏目雅子が突然立ちあがって黒板に美しい日本美しいロ…と書いたところであおい輝彦のことを思いだし、涙が溢れて運動場まで駆け下りて号泣するシーン。
②乃木が復命書を読み終えて、アドリブで口上するシーン。『而して作戦16ヶ月間、わが将卒の常に炯擲と健闘し、忠勇義烈、死を見ること記するがごとく…(ここで凄惨なシーンの回顧)剣にたおれ、弾にたおるる者みな、陛下の万歳を歓呼し、きん然と瞑目したるは、臣これを復奏せんと欲するもあたわず。しかるにかくのごとき忠勇の将卒をもってして、旅順の攻城には半歳の長日月を要し、多大の犠牲を生じたるは、臣が、臣が終生の遺憾にして…』と泣き崩れて(昭憲皇后=松尾嘉代も泣いて)明治天皇が歩み出て宥めるシーン。
96 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 20:01
>バウバウ松村君が整備士役。
あれ?あいつパイロットじゃなかったっけ??
97 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 20:30
なんか撮影のときコックピットに体が入らなくて
苦労したとかいう話を聞いたことがある<松村
98 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 21:14
最近の邦画で良い出来の戦争映画といったら
「ガメラ」シリーズしか…
99 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 21:22
「わだつみ」はスターリングラードにかなわん。日本にも
良い戦争映画あるけど、最近の・・・ってことです。
100 :
名無し三等兵:2000/11/08(水) 21:48
>>95 激しく同意
後、個人的な疑問だが、夏目雅子が米川の子供を引き取るとき
警官に籍を入れてないといわれて、これが証拠ですと見せたもの
あれはなんでしょうか?
101 :
民間人:2000/11/08(水) 22:00
>98
ガメラもOK。
だがあと一歩の観です。
地下鉄構内での群体レギオンVS普通科小隊のシーンがあれば
もっと面白かっただろうに。
エイリアン2みたいになれば面白そうなのに
102 :
名無しさん:2000/11/08(水) 22:47
>>93-94
>「二百三高地はお化け屋敷だ・・・」
これって何故かロシア兵が、日本語で言ってたような気がします(w
>>33 ビートたけしはTV版です。ビートきよしとともに補充兵役で出てきます。
カメラの前の「コマネチ」は、たけしのネタです。
103 :
司馬遼をいぢめないで:2000/11/09(木) 00:08
>45@`48@`53
あの戦争を経験した筈の帝国陸軍がなにを考えてでっちあげたのか判らない、
空冷ディーゼルエンジン付きのブリキ製の乗り物に乗せられた学徒兵としては
しょうがないと思う。
(遅レスでスマソ/このスレのような議論をするなという意味では断じてない。)
104 :
名無し三等兵:2000/11/09(木) 00:50
>95
よくその長広舌を覚えていますな(イヤミとかじゃなくて本当に素晴らしい(笑))
映画板の情報によると、203高地リメイク企画があるらしい。
乃木・児玉役は未定(当然だ)。
だがあおい輝彦演じた中隊長役は反町、
その嫁さんは広末にすべくと交渉中とのこと。
乃木の息子は中居正広
いったいどおなるんだろう。
そんなのイヤァァァァァァァァァ!!
107 :
名無し三等兵:2000/11/09(木) 21:32
>105
保助「机の上にあったものはお父様の形見として頂戴いたしました」
乃木あての抗議レター(自刃用短刀添付)をしまい込んだ乃木保助中尉のセリフ。
これを中居がやるのか?
108 :
名無し三等兵:2000/11/09(木) 21:41
>107
うぁ最悪・・・
何テイクでOK出るんだろうね?(w
109 :
名無し三等兵:2000/11/09(木) 23:13
>>88 あおいが戦地で着ている軍服は明治38年制戦時略衣というものだと思われます。
>>102 顔を大やけど(?)した日本兵のような気がします。
「誰も生きては出られない(帰れない?)」と言った後、撃ち殺されてしまうのでは?
映画はこのシーンで前半が終わりでしたよね。
また映画にもあるエピソードで親が出生した後に残った子供をお巡りさんが引き取るという
のは「浪曲・動員令」にも出てきます。
最後に名和宏演じた白襷隊の隊長中村少将が好きです。
110 :
>105:2000/11/09(木) 23:20
無事、生還し、故郷に帰って平和をしみじみと味あう役がいいな
111 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 01:05
>>109 「軍人に対する侮辱である。」といって中村少将に逆らった将校が好きです。
112 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 01:20
>>111 結局中村少将は取り消さなかったンだっけ?
「皇居を遙拝するッーッ」
の号令でごまかされたような気がします。
>105
乃木の息子は遊んだ女に中絶を強要する卑劣漢だった
(今日の東スポ)
114 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 02:47
なるほど中居が適役かもしれん。
115 :
仲居?:2000/11/10(金) 10:50
どこの旅館の方ですか???
116 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 11:14
機雷を持ちこんで、ごろごろ爆弾にしてたのをみて、風雲たけし城を連想してしまった。
117 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 11:20
118 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 12:23
結局、なんだかんだ言って銃剣突撃で大勝利~~~~って、
後のヤツらが勘違いして
40年後にトンコロ食ったって訳だ。
119 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 19:34
>100
夏目雅子がおまわりさんに見せたのは婚約指輪だったような気がします。
ちなみにあの映画で、例のあおい輝彦小隊の古参兵の役で仮面の忍者赤影の『青影』がでてました。ハトポッポ新沼や、やくざ佐藤充、染物屋長谷川明男たちのほうが実戦では強く、彼等が新兵のときに虐めた古参兵のほうが実戦では少々だらしなかったあるいは早々に戦死したみたいな印象があります。
120 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 20:21
>>119 あれは士官下士官の戦死率の高さを象徴しているのでは
ダイナマイトもって敵堡塁に突っ込んで撃たれた村井軍曹
なんかは先頭に立ってたし。
そういえば、第9師団の大内連隊長って何処で死んだのですか?
121 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 20:21
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/10(金) 23:11
質問です!
劇中、第一回総攻撃で、あおい輝彦が所属する部隊の中隊長?が、
拳銃を握り締めて「なんとか中隊、かかれぃ!」と
威勢の良い号令をかけるシーンがあったかと思いますが、
あの髭面の中隊長は、
「太陽に吼えろ」や「西部警察」などに出演してた『刈谷俊介』さんでしょうか?
・・・・・なんか似てると思ったので。
123 :
民間人:2000/11/10(金) 23:34
昨晩睡眠時間を削ってあらためて203高地を見直した。
(嫁にせがんで誕生日にビデオを買ってもらった!!)
出だしの銃殺シーンにまず涙ぐんでしまった。
やっぱりセリフがいいねえ。
「懐中にある200ルーブルを貴国の赤十字社に寄付する」
「胸(頭かな?)を狙え、苦しませずに死なすことが
ロシア軍人の節度だ」
それに
「大日本帝国ばんざーい!!」
「テーッ!!」
ばばーん
タイトル「203高地」
ナレーション「20世紀初頭、まだ貧しいアジアは
列強の植民地支配の餌食になっていた・・・」
チャーラーラ、ラーララー♪
いやあ、涙腺緩みっぱなし・・・・
124 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 23:45
>>122 残念ながら、他の人です。
あの中隊長、いい味だしてますよね。
125 :
名無し三等兵:2000/11/10(金) 23:49
>122@`124
あの中隊長何だかヘンで私も好きです。
負傷するときも、ヘンな感じにひっくり返っていました。
「できることなら俺の代わりに米川を返したい」
とまるでシーツを噛むように告白するシーンは
とっても可愛い・
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/10(金) 23:51
>>124 別人でしたか。。。う~む。
リキの入った演技ブリが石原軍団ぽかったもんで。。。
127 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 01:01
>>123 泣けるシーンに激しく同意
個人的には金子を説得する伊藤博文にも感動した。
「金子、アメリカに行ってくれ、アメリカに。」
「閣下。」
「金子君、ワシと一緒に命を賭けてくれ。」
昔の千円札でしか知らなかったがこういう人だったのか・・・感動。
128 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 01:19
>127
金子外交官役は(非情のライセンスの)故・天地茂でした。太平洋戦争のときと違って、開戦時から和平のことを考えて行動した明治のおじさんたちの思慮には感銘するばかりです。
129 :
1:2000/11/11(土) 02:16
いやー話がこんなに盛り上がるとわなんかうれしい
話は飛びますが日清戦争の映画ってありんすか?
130 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 02:17
TV版ってどんなでしたの
131 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 02:24
あの凍って死んでしまった人よく西部警察で犯人役よくやっていたなぁ
あとやくざの人も 新沼謙治の津軽恋女だっけ?あの曲好きです
最後に一言 死ぬなや
132 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 02:38
みんな生きてるの 主な主演者
133 :
民間人:2000/11/11(土) 02:58
>127@`128
「金子君~」のシーンも良いなあ。
あんな会話ができるなんて、
伊藤も金子も責任感ありますよねー。
有言実行だし。
ところで児玉はどうですか?
伊藤にむかって
「閣下にも死んでいただきます。」
のセリフは迫力がありました。
134 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 03:43
>133
あのシーンでは
「陛下にも帯刀、戦場にて陣頭指揮を執って頂く事になるかもしれません。」
も忘れてはいけない。そこまで言った児玉の勇気に感動。
「それでも、今たたねば~。」
切羽詰った状況と覚悟にひたすら涙でした
135 :
民間人:2000/11/11(土) 04:46
>134
そおっ!それですっ!!
134さんはよく分かっておられる!!
その後は
「国軍は二度と立つことができない」といった意の政府ですよね。
やっぱ児玉はいいですね。
また児玉の覚悟にみずからの覚悟も決める伊藤もグッドです。
途方もなく大きい責任を引き受ける勇気、
命を賭けて任務を果たす責任感、
明治のリーダー達にはつくづく感服。
彼らに比すれば、
現代の政治家・官僚連中の矮小さがあらためて実感できます。
なお前述のシーンに続く
御前会議と会議前の明治帝と伊藤の会話シーンも大好きです。
誰か良いセリフを覚えていませんか?
136 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 04:55
そっかなぁ?
出来の悪いチープなデザインだぞ、ありゃ。
137 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 05:00
明治帝と伊藤との会話で伊藤が
「このまま小康を求めて為す所無ければ、日を追って外敵の浸圧を
受けることになり。わが国の存立もまた危殆に陥る恐れ有り。この際、忠勇なる
皇国の世子、奮然、立って戦う他に国威を維持する道は御座いません。」
ですかね。
後、御前会議で伊藤が
「数十年前の書生に帰ってご奉公申し上げるつもりでおります。」
のセリフの後、眼に涙を浮かべて陛下を見ているシーンに伊藤の苦衷
を見たような気がする。
138 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 05:34
>>137 後、追加。
そのセリフを言った後の伊藤を見て頷き
「決議通りで良い。」
と開戦の詔勅を認めた間の数秒に
明治帝と伊藤の間に去来したものを考えると泣ける。
流石、明治帝に一番信頼された元老伊藤を
あの映画はよく表現してる。俳優に脱帽です。
139 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 14:04
日本史板のMの
「ロシア側には領土的野心は無く戦争を起こす気も無かった。
あれは大陸の利権を得るために日本の資本家と政府が仕組んだ侵略戦争である。」
という妄想はどこから出てくるのだろう?
140 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 14:12
>139
歴史書を天地逆様に読むとそう読めるんじゃないの。
141 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 14:27
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/11(土) 16:27
ここ読んで
又、見たくなった
もうTUTAYAで何回借りた事やら・・・・
143 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 20:36
>>139 Mはここのスレには来て欲しくないな
散々下らんサヨの戯言で荒らしそうだ(藁
144 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 20:40
>134
あのシーンは感動に同意
あの時代の日本人
胆座ってる
145 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 20:55
>141
結局あれなんなの?
146 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 22:04
>142
俺も、年に3回ぐらい借りてみてます。
そして毎回泣く
147 :
名無し三等兵:2000/11/11(土) 23:31
>>141 >>145 遺髪じゃないのかな。あおいの。
ロシアサイドの大月ウルフの芝居だけが浮いている・・・。
148 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 01:21
白襷隊あげ
149 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 01:57
150 :
コックニー:2000/11/12(日) 02:53
旅順要塞攻略戦で、乃木第3軍が戦死1万4000、戦傷3万6000、戦病3万を
出した事で乃木の指揮官としての資質を否定するのが一般的だけど、
10年後の第一次欧州大戦で、フランスのヴェルダン要塞攻防戦では、
まる4年の間、英独双方攻勢の度に10万前後の兵士を死なせておきながら
とうとう支配者が変わっていない事を考えると、とにもかくにも
機関銃で防御されたヨーロッパスタイルの要塞を陥落させた事自体が
すごい事のように思えて成らない。
「雷艇571」
北洋水師の信号表を手に入れるため
帝国海軍は捕獲した敵水雷艇を使って、偽計作戦を行った。
下士水兵は皆頭を弁髪にするなど、完全な偽装をほどこした上
「雷艇571」は黄海へと旅だった・・・。
152 :
コックニー:2000/11/12(日) 03:01
>
>>129 新東宝の「明治天皇と日清戦争」があります。
153 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 03:04
>150
基本的に同意
しかし、当時の甘い認識の下では
非難されるし。当時の日本軍で最大じゃないのか
その損害は、まあ当時の日本の人間たちからすれば
厳しい評価なのだろう
154 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 04:12
死ぬなや 絶対に死ぬなや
155 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 04:31
兼平、かねひら~~あああ~~
156 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 09:46
>>129 >>152 「天皇・皇后と日清戦争」じゃなかったかな。
それと新東宝の明治モノをつなげて撮り足し部分をくわえた「明治天皇御一代記」
というものあります。こちらは大蔵映画ですが、ビデオ化もされました。
玄武門、一番乗りは、若山富三郎でした。
>150
ある程度は正しいが、乃木の指揮官としての資質は(カリスマ性を除けば)
ドキュソな伊地知にドキュソな作戦をやりたい放題と言うのが批判されて
いると思う。
それに孤立した要塞と第一次大戦の前線要塞を比べてはいけない。203高地
を取られて港湾施設及び在泊艦船に砲撃を食らうに至って、要塞の意味無し
と見て降伏したのであって、正面から陥落させたとは言いづらい。
特に大きい伊地知のミスとして
1)金山であれだけの損害を出しながら、それより遙かに強大な旅順へ無策
で突撃を繰り返した。
2)当初、海軍が艦砲の提供を申し出たところ「火力は足りている」と断った。
(砲弾が不足していたのは事実だが、旅順攻略自体、海軍の強い要請を
受けてしぶしぶだったので、その点で思うところがあったのではないか?)
3)満州軍から目標を203高地に変更するよう指示があったにも関わらず、旅順
に固執し損害を増やした。
逆に功績としては・・・
1)旅順で自殺的な突撃を繰り返し、ついには陥落させた事から、「乃木の第三軍は命
知らずの最精鋭部隊」とロシア軍に思われていた。その為、危険な場面もあった奉
天会戦に第三軍が到着したとたんクロパトキンは恐慌に陥り、ロシア軍の全面退却
を誘発した。
(実際は当初からの兵は殆ど旅順で死傷しており、動員されたばかりの未熟な兵が
殆どだったのだが。)
まあ第一次欧州大戦フランス軍のドキュソなドクトリンよりはマシだと思いますけどね。
(後退するのは非常な不名誉で、常に攻勢を続けることこそが勝利への最短距離である)
158 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 14:09
>>138 セリフは無いけどあの沈黙のシーンはいいよね。
伊藤の悲哀と決意の顔とそれを明治帝が受け止めて頷くシーン。
当時、世界最強のロシアに挑むという選択をしなくてはいけない
普通外国の映画じゃ意気旺盛に描かれるけど、ある意味悲痛なシーンに
感動しました。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/12(日) 14:44
かんかん虫はやりたくねーよね
あんまり やってブリキ艦どころか
ペンキ艦だよ ペンキ落としたら
穴があいてたって聞いたことがあるが
まさかね
160 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 18:52
>>111 中村少将にくってかかる俳優は千葉真一の実弟です。
当時は矢吹二郎だっかな・・・?
161 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 20:00
>>160 ってことは、仮面ライダーに出てきた滝和也?
162 :
名無し三等兵:2000/11/12(日) 22:13
>>161 そういうことになりますね。
千葉治郎と名乗っていた時期もありますね。パンフが今、手元になくて正確に
かけなくて、すみません。
東映だから青影や滝をはじめいろいろ出てますね。
28サンチ砲のところにはキャプテンウルトラこと中田博久。乃木軍の参謀には
一つ目タイタンの浜田晃とかね。
それと前に書いてある「天皇・皇后と日清戦争」のビデオタイトルは
「明治大帝と日清戦争」です。ビデオで探す人はこの名前でどうぞ。
163 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 00:20
二百三高地より
http://shiba-008.virtualave.net/source/049.jpg豆腐屋 shiba-008.virtualave.net/source/050.jpg豆腐屋2
shiba-008.virtualave.net/source/051.jpg乃木
shiba-008.virtualave.net/source/052.jpg米川
shiba-008.virtualave.net/source/053.jpg
shiba-008.virtualave.net/source/054.jpg戦闘
shiba-008.virtualave.net/source/055.jpe戦闘2
shiba-008.virtualave.net/source/056.jpg戦闘3
164 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 00:22
165 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 00:23
164<懐かしい
166 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 00:27
新沼謙治
167 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 00:31
おーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
168 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 00:34
懐かしい 映画みよ
169 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 00:36
サンキュ
170 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 01:49
171 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 02:53
mm
172 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 06:54
173 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 07:39
画像サンキュー
174 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 07:55
もう映画はええ
TV版を観たいんや
175 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 08:20
この映画って公開当時、右翼的だって非難されたらしいですけど
どのメディアでどのように言われてたのでしょうか?
176 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 18:03
>>175 今作ったらもっと右翼的って言われますよ。このご時世。
類似系統だったら「大日本帝国」はどうでしょう。
連合国は悪の権化のような描写ですよ。
177 :
名無し三等兵:2000/11/13(月) 22:10
新東宝の「皇室と戦争とわが民族」もよろしく。
178 :
名無し三等兵:2000/11/14(火) 00:12
170ありがとう
179 :
名無し三等兵:2000/11/14(火) 02:57
盗聴班、常時”監視”か
プライベートまで筒抜けに
「モーニング娘。」のメンバーが、人気の裏で悲痛な叫びをあげていた。石川の個人電話をストーカーが盗聴し、プライバシーを”丸裸”にしていたというのだ。
所属事務所アップフロントエージェンシーはこの日、マスコミ各社に「石川梨華が被害にあったことは事実だと思われます」とコメントを発表。事態を重くみて「この件は現在、弁護士を通じて警察と相談させてもらっております。よって、詳しいコメントは差し控えさせて頂きますのでご了承ください」と近日中にも被害届を提出する方針を明らかにした。
発端はきょう14日発売の雑誌「週刊女性」の報道。同誌の取材班が盗聴グループと接触し、存在が明らかになった。ストーカーたちから得た情報を事務所側に知らせたところ、石川の個人情報が漏えいしていた事実がほぼ特定された。
石川は以前からプライベート時の行動を雑誌に撮影され、報じられたことがあった。私生活上の行動スケジュールが、こうした盗聴班によって”監視”されてきた可能性もある。
「モーニング娘。」のストーカー被害は昨年末ごろにも発生。メンバーの住むマンションや所属事務所など周囲に不審な車両が頻繁に出没して、盗撮行為が繰り返された。盗撮メンバーは雑誌のカメラマンや記者とは異なっていたため、メンバーたちが警視庁に相談し、警官が周辺パトロールを強化する事態にまで発展していた。
この1年後、今度は盗撮から盗聴にエスカレート。「モーニング娘。」も10人組に拡大し、メンバーには12歳の中1生もいるだけに冗談では済まされない事態といえる
180 :
名無し三等兵:2000/11/15(水) 00:53
PCを現在ほど気にしなくて良かった当時の作品みたいに、
陰湿な「政治的配慮」を振り切った優れた娯楽戦争映画が
日本で作られることはもう無いのかねぇ…。
181 :
名無し三等兵:2000/11/15(水) 03:45
そうそう
182 :
名無しさん@ぽみゅ:2000/11/15(水) 22:05
>>180 でも、アレは冷戦真っ只中だから出来たものだといえるな。
今なら多分もっとへなちょこのができると思う。
ビート武にやらせてみるか((笑)
183 :
名無し三等兵:2000/11/16(木) 00:45
nm@`.
184 :
名無し三等兵:2000/11/16(木) 01:30
あいわ~し~に~ま~すか~?ってTV版?
185 :
名無し三等兵:2000/11/16(木) 02:04
私の大切な ふるさともみんな 逝ってしまいますか?
>>184 うんにゃ、映画版の主題歌。さだまさし『防人の歌』。
186 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/16(木) 02:51
この映画って原作あるんですか?
もしくは映画にあわせて作った本とか。
とても見たくなってしまいました。
187 :
名無し三等兵:2000/11/16(木) 06:02
さだまさしは主題歌のヒットで瀬戸内海の小島を買い取って邸宅に改造したのです。
映画公開の時代で4億くらいしたそうな。
188 :
名無し三等兵:2000/11/16(木) 18:25
>>186 「激闘!203高地」という本には「映画原作」とうたわれていましたが、
ちょっとあやしい。
189 :
名無し三等兵:2000/11/16(木) 19:41
>188
司馬遼の「坂の上の雲」が原作じゃなかったっけ?
190 :
名無し三等兵:2000/11/16(木) 20:07
>187
その家はどうなってるのでしょう?
去年あたりに聞いた話では長野県に御住まいのようですが(笑
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/17(金) 18:43
この映画のDVDの発売予定ってないんでしょうか???
192 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/18(土) 00:13
nihonnjinnnikanndouage
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 00:24
僕は203高地を見て泣きっぱなしでした
初めに子供が父親から放され、お寺に置いて
いかれるシーンからダメでした
最後の乃木のシーンでは
途中から涙がこぼれつづけました
良い映画だったと思います
194 :
>193:2000/11/18(土) 10:57
あんた、オレと同じシーンで泣いたね。いいひとだね。
>>190 住みにくかったんじゃないの?
当時は結構話題になったよ。
無人島買って住んだってさ。
知らないからって笑ってもなぁ。
>知らないからって笑ってもなぁ。
さだまさしを笑ったんだろ。
思いつきで無人島に住んでみて、飽きて止めちゃったところをさ。
>>190 >>196 あ、そうなのか。
てっきり手前の投稿が嘲笑されたのかと思ったよ。
不愉快な発言、ごめんなさいね。
198 :
名無し三等兵:2000/11/18(土) 17:13
テレビ版は、たしか上映してた時期の水曜9時にTBSでやってたよね。
キャスティングは全く別物で、内容は映画版に沿った上に、
補完ストーリーを組み込んだものだった。戦闘シーンは、映画版の使い回し。
当然テレビ版の方が内容的には濃いものになってる。
テレビ版を映画にして欲しいとさえおもったが、上映すると5~6時間になるなぁ。
乃木将軍は田村高廣が演じてた。実際の乃木将軍の写真と比較したうえ、
さらに仲代と田村の人間的雰囲気からいえば、仲代乃木より田村乃木の方が、
より乃木将軍に近いものと感ずるがどうか。
ちなみに、一回だけ再放送したことがある(深夜)。
当時はビデオが家に無かったので、音声のみ録音していた。
また、再放送してくれんかなー。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 21:35
>194
俺は子供は居ないけど
親の告ごうで夜逃げの経験有り
子供を置いていく父親の顔見て
涙が止まりませんでした
最後の乃木閣下の口上うぃも見て
もうダメでした
嫁の前ではみれない映画ですね(笑)
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 23:49
さだまさしの
こーんなに 静かな ゆーきーのー降ーるー夜はー♪
って歌が、しみじみしててよかったなぁ。
>>200 「聖なる夜」だったけ?
夏目雅子さんが米川の子供2人の寝ている側で
手紙をしたためるシーンだよね?
202 :
名無し三等兵:2000/11/20(月) 22:26
>193@`194@`199
俺も最初見た時から泣いた。無邪気に手を振る子供がいじらしくて・・・。
乃木の口上については、皇后が涙を拭き、明治帝が立ち上がって
乃木を姿勢正しく(あれは中々の演出と思う)慰めるシーンに涙が溢れ出た。
203 :
名無し三等兵:2000/11/21(火) 23:09
映画に出ていたあの28サンチ攻城臼砲はひょっとしてホンモノですか? ←なわけないよね
いや、日露戦争の写真に載ってるのと結構そっくりなので、映画の小道具として作った割
にはかなりキッチリ作ってるなぁ、と思ったもんですから。
同監督の「大日本帝国」の戦車ももう少しなんとかならなかったのかなぁ。(苦笑)
204 :
名無し三等兵:2000/11/21(火) 23:13
>203
今、両方とも那須のドキュン博物艦にあります。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/22(水) 06:37
203取られた……
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/23(木) 16:27
旅順攻略中は家に石を投げ込み、
203高地を落とした後、手のひらを返した様に神様扱いする
群集の歓呼の中で、息子2人を失い一人呆然とする乃木の妻の
姿が印象的でした。
本当、日本人の琴線に触れる映画でした・・・
DVDが出たら買います。絶対。
207 :
名無し三等兵:2000/11/23(木) 18:16
>>206 明治期は、まだ軍が国民の上に君臨してなかったってことですよね。
ウラジオ艦隊をとりのがしてばかりの、第二艦隊(?)の司令長官宅にも、
「露探艦隊(ロシアのスパイ艦隊)」とかいわれて、医師を投げ込まれたとか……
昭和期には、考えられないことですね。
やはり明治期の方が、軍・国民の関係が健全だったってことでしょうか。
208 :
名無し三等兵:2000/11/23(木) 18:33
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/23(木) 18:39
まあ、まあ、細かいところは「突っ込み」しないで。
それが、日本人の美徳です。
210 :
名無し三等兵:2000/11/23(木) 20:46
丹波哲郎はいい俳優だよなぁ、と改めて思った。迫力が全然違う。
「陛下の赤子を今日まで無駄に殺してきたのは誰じゃ。貴様達じゃないんか。
戦(いくさ)は気合じゃぞ、尻込みする前に実行せいっ。」
かっこ良過ぎ。
二百三高地陥落の報を受けて司令部に戻る途中にずっこけるのはご愛嬌だが。(笑)
211 :
名無し中隊長:2000/11/23(木) 21:24
>>209 突っ込めー、突っ込めー¦¦
(ズキューン)…ぐふっ……
212 :
名無しさん@どーでもいいことだが。:2000/11/23(木) 22:17
>>210 激しく同意。
後、乃木を叱るシーンも迫力有りと思う。
「お前の気持ちを斟酌している暇はわしには無い。
わしが考えてるのは、「この戦争に勝つこと」ただそれだけじゃ.」
213 :
名無しさんこうち:2000/11/23(木) 23:48
>>210 「わしゃの、お、あたまおかしゅうて。なんにもわからん、」
の後何て言うてはるんですか?人生がどうたら・・・
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 22:03
しかし、本当に良い映画だよ
明日、レンタル行ってこよ
215 :
司馬遼批判:2000/11/24(金) 22:34
>司馬リョーは、えらい乃木のこと嫌ってますよね。
>なんか気の毒になるくらい悪口のオンパレードで、、、
>まあ、「好きになれっ」てのが無理な話ではありますけど。。
司馬遼については、彼の軍隊経験を批判してみる必要がある。
印象では長州関係、広島、山口などの軍へ冷淡な印象がある。
旧軍は陸海軍だけでなく陸軍内部でも郷土部隊同士のライバル心、
角逐があった。
大阪の部隊だった司馬遼が見た広島、山口の部隊への悪印象が
あったのではないか、と邪推する。
広島山口方面の部隊は、又も負けた第八聯隊のイメージを固着させて
いたからか、大阪方面の部隊を蔑視する傾向にあった気がする。
ことに広島という地は近代になって陸軍の本山のような地位にあったが、
司馬遼の文の中で、この点に関する評価を示したものが見当たらない。
乃木への反発の深層を探る必要がある。
(司馬の影響があまりに大きいからね)
216 :
名無し三等兵:2000/11/24(金) 22:54
>>215 司馬遼太郎って大阪の部隊に配属されたんだっけ?
217 :
名無し三等兵:2000/11/25(土) 00:16
「クロクナイミーサンハイチバン」
もう5年も見ていないのに、いまだに覚えている俺・・・
218 :
あ:2000/11/25(土) 00:33
生きちょる!生きちょるもんがおるぞ~!
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 00:48
「あぁ~~っ・・・」
あの時の露助は憎かった。
死馬遼太郎についての批判は未だに左翼系以外の
大手出版物ではやりづらいものがある。何せ朝日から産経、
NHKから文春ときわめて広い範囲の批判封殺圏を持つ
一大論壇ボスだったからな。
結果として批判的検討がなされずに「国民作家」とやらの
権威を帯びた事実誤認がまかり通ることになる。
だからあんたのやってることは貴重だ、頑張ってくれ
>>215 個人的には「大阪人ゆえの薩長嫌い」という理由よりも、
メカ音痴の勘違い戦車将校的ルサンチマンによるバイアスが
死馬の旧軍=乃木批判の根幹をなしていると思う。
スレ本来の主旨からはあんまり関係無い話題なのでsage。
221 :
は:2000/11/25(土) 21:18
総攻撃ば、続行します!
222 :
名無し三等兵:2000/11/26(日) 00:31
223 :
な:2000/11/26(日) 16:53
ナンマンダブ、ナンマンダブ…
224 :
た:2000/11/26(日) 16:56
兵士「弾がありません!」「ありません!」
隊長「突撃~!」
…ってオイ
225 :
名無し三等兵:2000/11/26(日) 18:31
乃木式の軍人精神で救えがですかぁ!!
226 :
伊地知参謀長:2000/11/26(日) 22:09
オイらが欲しいのは大砲の弾じゃ¦
つまらん意見ば持ってくるより、
砲弾ば持ってこい¦¦
227 :
の:2000/11/26(日) 23:53
乃木式とはなんだぁ~!閣下も見ておられるのだぞ!
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/27(月) 00:06
>225
乃木式・・・すばらしいネーミングです。
229 :
名無し三等兵:2000/11/27(月) 00:08
戦場の悲惨さはプライベ_トライアンよか伝わってきます。
230 :
名無し三等兵:2000/11/27(月) 00:15
日本軍の28サンチ砲もロシア軍の砲も射撃時に砲身が後退してないんですけど
あれってやっぱおかしいんですよね?
231 :
で:2000/11/27(月) 01:15
でけんもんはでけんと言うとるんじゃ!
232 :
児玉総参謀長:2000/11/27(月) 12:40
お前は第3軍の参謀長じゃないんか、作戦の責任を取る
参謀長がそんな事でいいのか?
233 :
伊地知は大山の親戚です:2000/11/27(月) 14:03
伊地知(配役:七人の侍の稲葉義男)「くっ…!」
児玉「話にならん! 乃木はどこにおる?」
参謀「前線の視察に出ておられます」
児玉「だからどこにおるのかと聞いておるんじゃ」
参謀「それが…」
児玉「貴様等軍司令官の居場所もわからんのか!」(怒ってスタスタと出口のほうへ歩く)
参謀(追いかけて)「閣下! 軍司令官のご子息、保輔さんが昨日…」
児玉「…」
234 :
こ~ゆ~のもあったであろう:2000/11/27(月) 14:45
陛下の赤子 「知ってるか?司令官の息子、全滅だとよ?」
陛下の赤子2「それがどうしたよ?」
陛下の赤子 「どうしたよってお前・・・」
陛下の赤子2「今度突撃命令きたら死ぬのは俺達だぞ?あんな
ボンクラ司令官の息子の事なんか放っとけ!」
陛下の赤子 「・・・・・・」
235 :
名無し三等兵:2000/11/27(月) 16:53
旅順の前哨戦である南山の戦いも結構第2軍の奥司令官が突撃を強行して
犠牲者多かったんだよね(4000人くらい)・・・・・・・
236 :
名無し三等兵:2000/11/27(月) 22:29
児玉:(ばきっと殻のまま栗を噛んで):は、歯ぁ、悪うしてのう…
乃木:(無言でちびちび殻をむく)
黒溝台の戦いでは、せっかく八甲田の雪中行軍を生き延びた31連隊の福島大尉(映画では徳島大尉、高倉健)や5連隊の倉石大尉(映画では倉田大尉、加山雄三)も戦死してます。過酷な時代ですね。
237 :
名無し三等兵:2000/11/27(月) 22:44
豆腐屋の一家がよかった。クズ親父にマイナスかあちゃん、結核兄貴に
芸者姉、とどめに出征前をにして一家挙げての大喧嘩。あのたくましさも
うなずけるナリよ。
238 :
名無し三等兵:2000/11/28(火) 00:59
冒頭のニコライ2世の「日本人は猿」発言や、捕虜にしたロシア将校の
人種的な煽りとか、いかに勃興まもない当時の日本が、黄禍論に毒された
西洋から差別意識を持って見られていたかを演出してる様がいい。
239 :
名無し三等兵:2000/11/28(火) 02:23
主人公のあおい輝彦扮する小賀少尉(←中尉?)が増援部隊を求めるために伝令
を出したシーンで、その伝令の兵士が任務途中に死にかけのロシア兵に水をあげ
ようとしたらその露助に拳銃で撃たれたシーンが印象的でした。
佐藤允(ヤクザ二等兵)は‘和製チャールズ・ブロンソン’。
240 :
名無し三等兵:2000/11/28(火) 04:57
>>236 確かあの時第8師団は夜襲かけて機関銃に向かって突撃して大被害出しながら
敵の陣地占領したんだよね
241 :
名無し三等兵:2000/11/28(火) 05:16
キヤノン式八百長実力主義
242 :
名無し三等兵:2000/11/28(火) 22:55
♪教えて~くだ~さい~
上の方でも違う方が質問されてますけどこの映画のDVDは発売されてるんでしょうか?
243 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 00:21
東宝系の映画はなかなかDVD化されませんね。なんでも著作権がらみとか・・
アニメが出始めてますので今後に期待したいです。出来ればノーカットで♪
たしかヤクザが機関銃分捕って突っ込んでいくとことかあったような気がするな。
244 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 06:10
>>243 ただ、使い方を知らなくて結局放棄。。(^O^)
245 :
七連隊史:2000/11/29(水) 15:38
8月18日 夜 前進開始
8月19日 龍眼北方角面堡(クロパトキン堡塁)攻撃 36連隊ほとんど全滅して失敗
8月20日23時 一戸堡塁の前面電流鉄条網を一部破壊
8月21日 3時 盤龍山東堡塁前面電流鉄条網を破壊
第2大隊一戸堡塁を攻撃するも屈し、生存者敵前300Mで散兵壕急造
第1大隊東堡塁に突撃、数名が堡塁胸しょう下に達する。
第1中隊及び第3中隊工兵隊残余70余名堡塁東北の地隙に残存。
第3大隊第2次突撃敵前100Mに達する。
5時 第2大隊一戸堡塁に第2次突撃するもほとんど全滅
大内連隊長総予備を率い東堡塁に第3次突撃するもほとんど全滅。連隊長戦死
歩兵35連隊第1大隊第2大隊、第4次突撃するもほとんど全滅。
歩兵35連隊連隊長第3大隊以下第5次突撃するもほとんど全滅。
夜 後備歩兵9連隊一戸堡塁に夜襲を敢行するもほとんど全滅。
246 :
七連隊史:2000/11/29(水) 15:41
8月22日 8時 地隙の第3中隊長粥川、第1中隊長小寺、工兵第3中隊長杉山協議
姫野工兵軍曹以下6名爆破作業
11時 盤龍山東堡塁西北角を奪取し軍旗を起てる。小寺ら残兵10数名を指揮し確保
35連隊生存者も突撃 。東堡塁西南角を奪取し軍旗を起てる。
歩7連隊・歩35連隊・歩19連隊第3大隊・後備歩第8連隊等生存者200名、東堡塁に達する。
11時30分 露軍なお堡塁の一部に残存 露軍予備大挙反撃。
歩7連隊11中隊残余30名到着するも弾薬なく石を投げて交戦。折下歩35連隊長戦死
一戸第6旅団長東堡塁に到着。負傷兵に弾薬を収集させて運ばせる。逐次増援到着。
17時 浜口大尉以下歩19連隊二個中隊到着。盤龍山西堡塁を奪取。
歩7連隊の残余小寺大尉以下将校2名、下士7名、兵卒62名。
防御工事中小寺大尉負傷。田中大尉が指揮(田中中隊)
8月23日 3時 露軍偵察急襲を撃退
247 :
七連隊史:2000/11/29(水) 15:48
8月24日 歩7連隊、田中中隊を除く残兵を以て集成3個中隊とする。
2時30分 第11師団と連携。虎頭山に急行。
5時30分 盤龍山に突撃、稜線を越え望台直下に達するも後続続かず
撤退。望台砲台西北麓に集合。
16時 盤龍山第1堡塁を攻撃するも成功せず。
戦死 将校18・下士卒 608、負傷 将校19・下士卒1386、
残兵 将校 6・下士卒 285
多くの将兵の遺体収容は38年1月3日以降であった。
倒れていた屍体はみな干しかれて、
カラカラな骸骨が帽子をかぶっていた。
248 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 16:51
>多くの将兵の遺体収容は38年1月3日以降であった。
>倒れていた屍体はみな干しかれて、
>カラカラな骸骨が帽子をかぶっていた。
映画では金平伍長など、第一次総攻撃後遺体が収容されて簡素なお墓もできていましたが、あれはごく一部の人たちだったんですか?
249 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 16:55
このとき、しばし両軍が一息ついていたとき。
露軍の兵が日本の陣地に来て武勇談などで両軍とも談笑して、
それが終わると元の自軍のとこへ戻り、
戦闘が再開するとそれらのことは忘れて戦闘に専念したとか。
嘘のような話ですが。どうでしょう。
250 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 19:38
>249
聞いたことあるエピソードだけど、
言葉通じたんですかねえ、露語と和語。
あるいは、参謀クラスのエリートだけの話でしょうか?
251 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 19:50
>250
実際に日本将校とロシア将校が会話するとしたら
まあフランス語あたりで話すことになるだろうね。
252 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 20:08
>248
児玉は沢山の簡易の塔婆の多さをみて、新たにそれを見た新た補充部隊の士気が下がるからと言う理由で撤去させたそうです。
203高地を占領したとき、児玉と応対した現地小隊長「見えます!ロシア艦隊一望のうちです」と言った人は最近亡くなった東野英心さんだったような。
253 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 20:08
>248
児玉は沢山の簡易の塔婆の多さをみて、新たにそれを見た新た補充部隊の士気が下がるからと言う理由で撤去させたそうです。
203高地を占領したとき、児玉と応対した現地小隊長「見えます!ロシア艦隊一望のうちです」と言った人は最近亡くなった東野英心さんだったような。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/29(水) 21:51
「父ちゃん、艦隊丸見えで涙が出てくらぁ」
255 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 22:21
児玉源太郎は日露戦争の過労死だろうね。
256 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 22:26
乃木:児玉―!! ワシャ、ぼ、木石ではないぞー!
(投稿者注:いや、あなたは木石です)
児玉:乃木―!!! 貴様の苦痛を斟酌している暇はわしにはない!!!わしが考えていることはのぅ! ただこの戦争に勝つこと!!! それだけじゃ!!!!!
257 :
>255:2000/11/29(水) 22:29
日露間の戦争について作戦計画を戦前から作成していた参謀次長は
2人ともその作戦計画の困難さから日露戦争前に過労死してます。
258 :
名無し三等兵:2000/11/29(水) 22:31
川上操六、田村いよぞう ですか?
259 :
七連隊史:2000/11/29(水) 23:39
「午後一時よりお互いに休戦なり、其の間に味方の屍体を収容するのである。」とのことなりしが、果たして午後一時頃に至り、はたと小銃の音は止み砲声も止んだ。それはちょうど大水の引いたる如く大風の吹き止んだ如き心地がした。やがて三時頃となるやもう又シュと飛んで来る弾丸は崖に当って土を跳ねる。又、もとの修羅場に立ち帰ったのである。
第一線に立ちし人々の話を聞くに、午後一時となるや先ず味方の掃除隊が出て十一月二十六日以来晒らされし屍体を一人一人収容にかかると、敵方よりも壕を飛び出して半里以上前方の味方の屍体を味方の方へ運んでくれたそうで、やがて収容を終わるや日本より酒、ビール、缶詰めの肴をもって味方の将校と敵の将校とがお互いに握手を交わし、味方の将校は酒瓶の口をとり、缶を切って敵の労をねぎろうたということであった。
北田粂子編 北田喜代志著
「一兵卒の日露戦争従軍追憶記」1992.10 自費出版より
同様の遺体収容は多くの戦線で行われたようであるが、短時間であるため、収容が困難であったものと思考する。
260 :
名無し三等兵:2000/11/30(木) 01:23
261 :
名無し三等兵:2000/11/30(木) 20:57
上村艦隊右往左往
262 :
名無し三等兵:2000/11/30(木) 22:14
>245-247
寺島中隊はフィクションなんですね。
263 :
名無し三等兵:2000/12/01(金) 09:42
リメイクしてくれないかな?
264 :
名無し三等兵:2000/12/01(金) 18:33
>>263 リメイクはやめた方がいいと思う。
むしろ、前作の完全版を希望する。
265 :
名無し三等兵:2000/12/01(金) 18:57
高二のとき、彼女と一緒に見に行き、そして別れました。(面白くなかったって)
266 :
七連隊史:2000/12/01(金) 23:41
補充兵はダルニーに上陸して次の日の内に鞍子嶺を越える。ここには結構砲弾が飛んでくるらしく、児玉が塔婆をなくしたので危険地帯がわからず、志気の低下はわからんではないが、補充兵にも輜重隊にも損害をもたらしたらしい。どちらにしても補充兵は上陸して二三日中には最前線に達し、死傷者が出る。
267 :
名無し三等兵:2000/12/02(土) 13:12
>>264 激しく同意。小賀少尉役にキムタクとかがあてられた日にゃあ、、、(´Д`;)
それにあの豪華キャスティング(特に明治天皇や元老・将軍達)を超える
キャスティングはリメイクでは不可能だと思うんだけど、、、
268 :
名無し三等兵:2000/12/02(土) 21:28
モーニング娘が東鶏冠山前哨砲台陣地正面にタイムスリップ。
269 :
惣流 アスカ ラングレー:2000/12/02(土) 22:51
前線に出る前に 脚気で 5%死亡 補充兵
みんな森鴎外の面子のために死んだのです。
脚気は細菌が原因だと思い込んだ鴎外…
記憶力だけが奴って、自分の間違えを認めない馬鹿にもなる…
270 :
ミハエル・ハルトマン:2000/12/02(土) 23:42
脚気をナメタラあかんぞ…
日本人の病死 原因 第一位 だったこともある。
ビタミン取ったり 玄米やムギを食べれば大丈夫だったのに
白米ばっかり 戦地に送るから
味がない といって 戦死した兵士の血で赤飯だ
271 :
名無し三等兵:2000/12/02(土) 23:59
>>267 >それにあの豪華キャスティング
ギャラがバカになんないねー。故人も居るし……
272 :
名無し三等兵@日本からごみを一掃!:2000/12/03(日) 00:25
273 :
名無し三等兵:2000/12/03(日) 00:31
>>269 で、後に「脚気菌」を発見したって発表したのが石井四郎…
274 :
ミハエル・ハルトマン:2000/12/03(日) 00:44
そんな細菌 ありましたっけ 「脚気菌」
さすが731部隊・・・
275 :
七連隊史:2000/12/03(日) 04:13
毎回アラシ風のマジレスですまん。
ところで、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」については、かつてガッパになって読んだが、ちょいと調べて読み返すとなんじゃこりゃとなる。
まず、降伏勧告が6月16日だって、うそじゃろ8月16日やないか。まあ誤植か。と思って次に行くと第一次攻撃では、「小塁ひとつぬけなかった。」メチャクチャじゃぞ、こんなん信用できっか。という気になる。読み進むにつれて、次から次へと疑問点が出てくる。
旅順は、結局大本営の作戦指導に問題があることは明らか。だいたい戦略レベルの情報収集が全然できていない上に露軍も使っていた観測気球すら整備していない。こんだけしかない兵隊やるから早く落とせ、砲弾もないから突撃させろと言っといて、当然のことながら死傷者が多いので、第三軍司令部に責任を全部かっつけた。それに司馬遼がのっかって尾ひれをつけてコキおろす。要するに小説でしかないのに、余りにメジャーなんで統一見解になってしまった。映画二百三高地もそれに引きずられているのはしかたがないか。
だいたい、旅順を落とせんでも、最低限湾内の軍艦を沈める観測地点を確保しろとの大本営の命令は、ようやく10月15日になって出てる。それで11月の第三次総攻撃(第四次総攻撃)の途中から二百三高地攻撃に切り変えた。これについてはもっと早くてもよかったとは思うが、最初から湾内の軍艦を先に沈めろという命令をすれば足りとった訳で、司馬遼(映画では児玉)が伊地知幸介と乃木希典をボロクソに言うのは筋違いじゃないんか。(まあ一戸旅団長以下将士の多くは第三軍司令部に対してそう思っていたようだけれど。)考えると眠れん。
276 :
名無し三等兵:2000/12/04(月) 21:39
明日は二百三高地陥落記念日ですねage
277 :
名無し三等兵:2000/12/04(月) 21:58
リメイクには反対。今作ったらショボショボなのができるのは目に見えてる。
278 :
名無しさん:2000/12/05(火) 19:36
age!!
>>277 林家こぶ平が、「太鼓もち」役出演を快諾との噂もある。
俳優への転身を考えているそうだ。
>>275 第三軍司令部の度重なる弾薬追送要求が、
大本営と満州軍総司令部の心証を悪くしたことは間違いないな。
弾薬不足は、第三軍だけのではない。
「弾はどこも足りンのだ」
「足らン足らンと言ってるヒマがあったら、知恵を絞れ」
って怒っちゃったんだろおね。
伊地知の傲岸不遜な性格が災いしたのかもしれん。
旅順占領の件だけど
あれは軍事的というよりも
政治的な意味合いが強かったと思うぞ。
特に黄海海戦でロシア太平洋艦隊が半身不随になった段階で、
占領の軍事的意味合いは薄れたはずだ。
旅順占領で、日本優勢のイメージを外国に与えたかった
ってぐらいが真相じゃないかな?
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/05(火) 21:36
>>279 暗記したことを喋るのは割と上手いからな、こぶ平。「沈黙のコメンテーター」を続けるよりはいいかもしれん。
281 :
名無し三等兵:2000/12/05(火) 21:41
タマが足らないの軍隊は戦争をしちゃいけないとということ種
282 :
七連隊史:2000/12/06(水) 21:47
映画二百三高地が描くとおり、第一次攻撃では、小塁ひとつ抜くことが出来んかったのではなく盤龍山の東西二塁を抜き、それを基盤に稜線を越え後に旅順の生命を決する望台砲台にまで達していたのです。しかし、その時兵站には実際一発の砲弾もなく(輜重九連隊史)、残り一日分の砲弾は打っちゃいかんということで、
これを掩護することができなかった。
二百三高地では敵艦は撃沈したが旅順は落ちず、一月一日15時40分に望台砲台にまで達して野砲を引き上げると、50分後に降伏している。もしこの時砲弾があったら、旅順は四日にして落ちていた可能性があるのです。観戦武官だったマッカーサーが乃木をほめ讃えるのは当然です。
あわてて砲弾をクルップなんぞに注文し、その代金はアメさんやエゲレスから金集めをするんですから、ラーメン屋に二人目の客が来たので、最初の客のつけで小麦粉買いに走るようなもんです。
283 :
名無し三等兵:2000/12/07(木) 10:57
ちょっと話かわりますけど
下関の某小学校に行ってましたが、
そこの初代校長が乃木大将でした。
で、校歌は6番まであって、3番あたりに
乃木大将ってことばが校歌にでてました。
「のぎたーいしょーおー、はじーめーとーしー。」
ッテ感じ。
今思うとそういう校歌って大丈夫なんかなあ?
284 :
名無し三等兵:2000/12/07(木) 18:39
予備校の同級生で大山巌の一族がいた。関西大学に行った。
285 :
名無し三等兵:2000/12/08(金) 18:21
age
286 :
名無し三等兵:2000/12/08(金) 18:31
>>283 うちの校歌、作詞が谷川俊太郎だぞ。関係ないが(W
287 :
名無し三等兵:2000/12/08(金) 21:14
>>248 なんか休戦日にはプレゼント交換があったとか。
旅順が陥落したら、両軍兵士は喜びを爆発させて、
旅順の街に繰り出して飲み明かしたらしい。
このころの戦争って現代のサッカー代表戦に近いものがあったのかもね。
>>287 >このころの戦争って・・・・
呆れて物が言えん。ネタかな?
289 :
名無し三等兵:2000/12/08(金) 22:00
>288
第一次世界大戦前だからね、
騎士道だの武士道が存在できた最後の時代だな。
290 :
名無しさん:2000/12/09(土) 16:17
ビデオをもう一度見るべし!!
291 :
名無し三等兵:2000/12/09(土) 16:21
騎士道や武士道などという高貴な精神もなく、ただ勝てば良い、という
下品な戦争をはじめたのはアメリカ。
きゃつらは汚すぎだ。
ただ勝てばよい戦争ってのは騎士道武士道が全盛になる前から
存在する由緒正しい戦い方。
騎士道の優雅な戦いってのは貴族が殺し合いを嫌って「ルール」
作って下っ端にだけ殺し合いをさせる戦争ってことだよ。
総力戦への移行(中産階級の増大とも重なる)に従って消えるの
は当然。
日露戦争はそういう意味では「最後の未開国同士の戦い」とも
言えるな。
293 :
名無し三等兵:2000/12/09(土) 17:08
>騎士道の優雅な戦いってのは貴族が殺し合いを嫌って「ルール」
作って下っ端にだけ殺し合いをさせる戦争ってことだよ。
騎士達は指揮だけして自分たちは戦わなかったってこと?
全然知らなかった。戦う前には騎士は名を名乗って一騎打ちを
するもんだとばっかり思ってた。 鬱だ氏脳
294 :
名無し三等兵:2000/12/09(土) 17:21
295 :
ボナパルチスト:2000/12/09(土) 17:36
ナポレオンの出現した時代、戦争は一方が他方を包囲した
態勢になった段階で勝負がついたとみなされて、勝敗が決したそうな。
(まるで囲碁のようだ…)
ところが、ナポレオンは包囲されてもその約束事を守らず、
囲んでいた軍勢を「各個撃破」して相手をつぶしてしまったので、
敵将は「奴は戦争のやり方を全然知らない」と言ってくやしがったとか。
296 :
>293:2000/12/09(土) 17:54
一騎打ち自体はごく少ないです。
行うことがあってもたいていは名代が行います。
珍しいからこそ騎士物語などでのクライマックスシーンになる
わけですね。
実際に当事者同士の一騎打ちを行うこともありますが、落馬し
たら負け」とか「背中がついたら負け」「鎧の首元に刃を当て
られたら負けとかの色々なルールで「生死以前の勝ち負け」が
あります。
で、負けになると「貴人の扱い」で捕虜となり身代金と交換さ
れます。
追い打ちして殺したりすると「卑怯者」となります。
騎士道というのは間違いなく「騎士が生き残るためのルール」
であって「騎士が殺し合うためのルール」ではありませんよ。
297 :
名無し三等兵:2000/12/09(土) 22:54
さだまさしの歌に涙。。。
298 :
名無し三等兵:2000/12/09(土) 23:45
さだまさしの髪に涙。。。
299 :
山は死にますか名無し三等兵:2000/12/09(土) 23:50
美しい日本
300 :
河は死にますか名無し三等兵:2000/12/09(土) 23:52
乃木将軍をよくあれだけカッコ良く描けるな…
「プライド」と五十歩百歩。
301 :
愛はどうですか名無し三等兵:2000/12/10(日) 00:02
>>299 古賀が小学校の黒板に
「美しい国日本 美しい国ロシア」って書き込んだ。
その後、戦局が進むにつれ、その文字は消された。
そして、古賀が戦死した後、サチが再び、
「美しい日本 美しいロシア」と書き込んだのだった。
”国”を付けなかったところが印象深い。
302 :
逝ってしまいますか名無し三等兵:2000/12/10(日) 00:05
>>300 そうか? 俺はどっちかっつーたら無能な将軍ってイメージを
強くした映画に思えたけどなぁ。
303 :
七連隊史:2000/12/10(日) 07:35
日清戦争後の旅順占領については、乃木軍に略奪暴行虐殺の非行があったと国際報道され、三国干渉の理由ともなったので、日露戦の旅順接収は絶対に平和的でなければならなかったのです。略奪暴行は後退した清兵の仕業であって、戦利品を目当てで参加した、軍司令官の傭兵とも言うべき清軍兵士達にとっては、当然の所業だったのでしょう。ところがこれが日本軍の行為とされたのです。(これもどこかの大虐殺と同じく今も国際的に承認されているかどうか不明ですが)
このため日露戦の旅順降伏時には、軍の入城を行わず、各隊の兵士のうち少数名が、日本人捕虜の引き取りと戦利品の接収を目的に旅順市街地に派遣されただけでした。集合地がわからなかったり、ちょこっと旅順見物にと同行した日本兵の中には、ロシア兵のランチキ騒ぎにまぎれて飲み会参加し、ウオッカを壜ごともらって帰った豪のものが結構いたことは良く知られています。旅順陥落を契機として血の日曜日事件が起るように、ロシア兵にも厭戦気分が拡がっていたのかも知れません。
また、日本側も速成訓練の補充兵が主力となり、戦陣訓もなかった時代ですし、また、あまりの砲弾のなさに日本の日露戦争を英米の代理戦争と見る見方も将士の間にはありましたから、陥落後は若干の軍紀の乱れもあったのかも知れません。しかし、こうした自由な雰囲気が日露戦争には垣間見え、なにか救われる気になるのです。
304 :
名無し三等兵:2000/12/10(日) 08:46
>七連隊史さん
「あまりの砲弾のなさに」と「日本の日露戦争を英米の代理戦争と見る見方も将士の間にはありました」
の関係を教えて下さい。
ちょっと気になったので、すいません。
305 :
名無しさん:2000/12/10(日) 14:42
age
306 :
名無し三等兵:2000/12/10(日) 15:34
うちのとうちゃん 露助に殺されたがや!
307 :
だ:2000/12/10(日) 16:05
だけど小賀先生が消さんどいてくれって、そういうてたがや
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 21:28
オマエの姉ちゃん、妾奉公にいったがや
309 :
七連隊史:2000/12/11(月) 06:02
おっと拙速でした。
>あまりの砲弾のなさに日本の日露戦争を英米の代理戦争と見る見方も将士の間にはありましたから
は撤回です。英米の代理戦争については、ある兵士の従軍日誌のまとめに記してあったと思いましたが、編者が記したのかもしれません。
ところで、砲兵九連隊が一月二日までに使用した弾薬は榴弾7@`540発・榴散弾(攻城戦には不向き)23@`250発。少なくないように見えますが、これを36門で150日で割ると1門あたり1日に5.7発にすぎず、「こげな花火のようなもん」なのです。まあ、それ以外でもデータだけ見ると、一体全体どうやって戦争できたのか、児玉のいう気合のほか勝因が見あたらないのです。
それで、全く自分の感想が入ってしまいました。
もうひとつ訂正です。乃木軍は一月十三日に旅順入場式をしています。(輜重九連隊史)ただし各隊選抜の中隊が参加したと記されています。ただし一月七日から七連隊の移動が始っていますから、多くの兵は旅順市街地に入ることはなかったようです。
310 :
名無し三等兵:2000/12/12(火) 23:08
先生はなぁ、これでも予備少尉やぞ!
311 :
名無し三等兵:2000/12/12(火) 23:19
312 :
名無し三等兵:2000/12/13(水) 19:18
age
313 :
七連隊史:2000/12/14(木) 00:34
午後二時に至り、突撃隊は手に手に皆爆薬筒を提げて望台の絶頂目がけ我々の運びし土袋の前方へ出て、やがて「散れ!」の号令の下に散開して突進した。
今まで左程でもなかったと思った小銃弾は雨やあられの如く来る。左手よりの砲弾は我々の我々の方向へ飛んで来る。突撃隊は絶頂に近づくと轟然破裂する地雷火は一つまた二つ、土煙りは濛々として何やら見えぬ中を彼の手榴弾を投げ合う様は丁度秋の日の天気変わりの時のとんぼの飛ぶが如く。右手より一隊の敵は増援に来る。それに向うて一ヶ小隊は俄然方向転換をしてこれに当らんと、鉄条網を飛び越して前進せんとする。そうした兵はくもの巣にかゝりし蝉の如くそのままそこでやられる。
北田粂子編 北田喜代志著
「一兵卒の日露戦争従軍追憶記」1992.10 自費出版より
314 :
七連隊史:2000/12/14(木) 00:38
勇敢なる二、三の兵は壕内へ飛び込む。置くれじと我も我もと飛び込む。一兵は堡塁の上に立ちて国旗を打ち振って万歳を叫ぶ。スハ行けとばかり我々は土袋を背負うて絶頂めがけて駆け上がる。今国旗を振るひし兵は転々と転がり落ちる。又其の国旗を取って駆け上がる。早や国旗は三、四りゅうも打ち振られるを見る。
自分らは足も折れよとばかり土袋を絶頂に運び上げる。敵弾の来る方向へ積み重ねる。敵の砲弾と小銃弾は実に物凄い程来る。背中の土袋を何度となく敵の弾丸が貫通する。是が身体にあたればそれきりじゃがと思う。土袋を背負うたまま転ぶ人、倒れる人が次々に現れる。私のちょっと前の一人は転ろりと倒れた。見れば同一幕舎で起臥を一緒にしてきた第一分隊の田中という男である。やがて砲弾は一兵の足をさらっていった。又の一弾は室井某の腕をもぎ取った。
同上 資料
315 :
七連隊史:2000/12/14(木) 00:55
映画「二百三高地」はまちがいなく前記資料を一部参考にしていると見ているのです。
北田一等卒は大正時代末から昭和10年代にかけて毎年近くの小学校に呼ばれて日露戦争の話をしており、これをまとめて昭和14年に原稿を作成した。その前半部分は戦後清書されているので、どこかに発表されていたのかもしれません。娘さん(つまりおばあちゃん)がなんとか世に出したいと孫のワープロを借りて一字づつ打って、そのまま製本して没後54年目にして自費出版したのです。
なお、映画では北田(一等卒?)は戦死しています。
316 :
名無し三等兵:2000/12/14(木) 09:40
>313
「一兵卒の日露戦争従軍追憶記」ゼヒ読みたい!
どうやったら手に入るの?
あるいはどっかの図書館においてあるとか?
しかし、どうしてこんな興味深い本が自費出版なのかな~?
どこかの出版社が版元になればいいのに。
まったく日本のマスコミの目は節穴じゃ~!
317 :
さだまさし:2000/12/14(木) 11:27
おしえて~ください~
此の世に逝きとし逝ける者の
全ての命に限りがあるのならば~
海は~し~にぃ~ますか
山は~し~にぃ~ますか
私の大切なふるさと~もみな
逝って~~~~~
しまいますかぁ~~~~~
318 :
名無し三等兵:2000/12/14(木) 16:54
パチパパチパチ、感動。
日露戦争の時って、あんなふうに斬撃やったの?
刺突だけのような気がするんだけど...
320 :
名無し三等兵:2000/12/14(木) 17:39
319>旅順だけでなく奉天でも塹壕掘ったぞ
321 :
名無し三等兵:2000/12/14(木) 23:26
明治 日本 義理人情 忠孝・・・・といった事象・概念等を(当時小学生の)私に
植え付けてくれた映画でした
322 :
天は"我々"を見放したぁっ!!!:2000/12/16(土) 03:37
31連隊の雪中行軍隊だ。露営の必要があるので設営指揮官にお会いしたい。
323 :
七連隊史:2000/12/16(土) 05:27
>316
前記の本は石川県内の主要図書館には寄贈されています。もし、お近くの県立図書館が石川県立図書館と協定を結んでいれば、取り寄せができるかもしれません。東京の人は国会図書館で見ることができます。
第九師団関係では「石川県羽咋郡 志賀町将士の記録」に旅順の様相が載っています。また、同じ平成2年に「騎兵隊兵士 日露戦争 従軍日誌」老田孝作著 老田剛編(非売品)が自費出版されていますが、秋山支隊に属しており、歩兵にくらべて損害が驚くほど少なく、内容や雰囲気が大きく違います。
ところで、他の図書館にもこうした出版物がありましたら教えて下さい。
324 :
七連隊史:2000/12/16(土) 05:38
日露戦争は、新聞や博文館のグラフ雑誌・映画・絵葉書などで、戦闘経過がここまで必要あるのかというくらいに細かく報道された最初の戦争です。また、海外の観戦武官や報道の写真もあるのでしょう。写真にはこと欠かないので、多くの出版社はそちらに飛びついています。ただ、そうした資料は損害についてはそれなりに伏せられたので、いったい実際はどのようなものだったのかさっぱりわかりません。
軍隊は日誌をつけることになっていたようですから、もっと記録があってもよいと思いますが、第九師団は旅順の第一次総攻撃と第三次(第四次)総攻撃、奉天会戦の計三回全滅状態となっています。他の師団も五十歩百歩で、歩兵や工兵で、全戦争期間中全く無傷に過ごせたものはほとんど存在しないと思われます。配属当日のうちに戦死もしくは負傷後退するものも少なくないようです。そのため断片的な内容が多く、まとめられないうちに消滅してしまった記録がほとんどと思われます。
325 :
七連隊史:2000/12/16(土) 05:48
もうひとつ識字率の問題もあります。
日露戦争前の就学率は男児で50%以下、女児では20%以下で、卒業するものはさらに少数でした。町でも3年の簡易科がいいところで、中山間地ではもっと低かったのです。それが、日露戦争前後の国家主義の高まりの中で突然100%近くに跳ね上がるのです。この時期をとらえて義務教育年限が尋常4年から尋常6年に延長されたため、日本中の小学校はこの時代にほとんど建て替えられます。
326 :
七連隊史:2000/12/16(土) 06:18
私等は敵前に面した塹壕に二、三メートル位に一人づゝ立たされて、敵塁めがけて射撃するのである。
右手の方は、二龍山で嶺より深く直角に切り割ってあって、如何なる構造にしてあるやら、やや遠くより見てもぞっとするような形態をしている。右手は続いてA高地にH高地と堡塁は連なって前下の支那囲廓の塹壕よりは敵の打ち出す小銃、機関銃の音は耳を破らんばかりであって探海灯は遠くをふり照らし、光弾は間もしきりもなく打ち揚げられて昼のような物凄さを見せ、迫撃砲の音は、かいま時を隔てゝ轟然たるその音響に、敵のものとも味方のものとも知れぬが天地も其のために覆るかとも思われ、赤く光り、又青く光り時には紫の光りさえ現われその凄惨な光景は、こゝに戒衣を纏い来て居る者のみの知ることである。
北田粂子編 北田喜代志著
「一兵卒の日露戦争従軍追憶記」1992.10 自費出版より
327 :
名無し三等兵:2000/12/19(火) 01:00
まかーきー(黄色い猿)age
328 :
319:2000/12/19(火) 13:15
329 :
名無し三等兵:2000/12/19(火) 16:51
昨日見てたら、特殊撮影が”爆発王”中野昭慶だったことを今、発見した。
納得。
330 :
名無し三等兵:2000/12/19(火) 17:16
ヘ~イ ヤポンスキー!
331 :
@`@`:2000/12/20(水) 03:21
さっき、偶然ラジオ聞いてたら、ダパンプの番組も終了すると言ってた。
でも、日曜日の24:30だったかな?に移動するらしい、それと
関東のみの放送になると言ってました。
これが、ダイバーにも同じ事を言えるのかは分かりませんが、
終了ではなく、移動という事かもしれない可能性も高くなりました。どこの枠になるかは、分からないですが、関東のみになる可能性もあるのか?自分は聞けるけど、深夜枠になるのはな~
332 :
名無し三等兵:2000/12/20(水) 10:34
333 :
名無し三等兵:2000/12/20(水) 11:53
>>332 そりゃアニメでしょう。
中野昭慶はS46以降のゴジラ映画の特撮(特技)監督。
彼が関わる映画は何でも爆発する事で有名。
「ノストラダムスの大予言」では太陽の紫外線で石油タンクが大爆発。
別名「火薬馬鹿」
334 :
天は"我々"を見放したぁっ!!!:2000/12/20(水) 22:21
♪酒はぁのーめぇのーめ うー寒い!!
やったぁ!
ヘイヤポンスキー、褒美に缶詰もやろう!
危ない、手榴弾だ!
パン! うー
ダダダダダダつ
ばかー 何するがや!
牛若―、牛若―!!
335 :
長 勇・中将は「豪放磊落」:2000/12/21(木) 13:24
28サンチ攻城臼砲って、「戦争博物館」の入り口にあるね。
デカかったなあ・・・。一緒に戦車も置いてあった。
「二百三高地」は日本戦争映画の頂点に立つ作品でしょう。
ただ、児玉役だった丹波哲郎が「大日本帝国」で東条役をやっていたのは
因縁を感じます。(笑)
個人的には「沖縄決戦」も好きです。(丹波と仲代が対立する参謀コンビで出演)
自虐的じゃなくちゃんと戦記物だったところは好感が持てた。
もっと突撃シーンが見たかった気もするけど、贅沢かな(笑)
336 :
名無し三等兵:2000/12/23(土) 11:08
あげちゃう・・・
337 :
名無し三等兵:2000/12/25(月) 00:45
ageょぅょ
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/25(月) 00:50
>>333 なるほど、それが某宇宙家族の村にいた中ちゃんか。
339 :
名無し@A級戦犯:2000/12/25(月) 01:05
以前、映画「HANABI」で賞をとった某監督が、エキストラと
して同作品に出たとき、その時の監督がむかついて撤退シーンでコ
マネチしながら走ったら、カットされずにそのまま上映されてたっ
て言ってたけど、また彼固有の嘘でしょうか?
340 :
中隊長殿:2000/12/25(月) 21:26
乃木が正面突撃させたのは、大本営が命令したからでしょ?
乃木は正攻法で攻めようとしてたらしいし。
だから乃木は悪くない
>>333 「コミック版新旭日の艦隊(ワラ」にでてたな、しょーちゃん。
原作はともかくマンガの方は結構スキだったりする。脳天気で。
342 :
名無し三等兵:2000/12/26(火) 02:20
今晩、私も借りてきて見ました。
本当、涙しました・・・
これは小堀桂一郎「靖国神社と日本人」PHP新書(1998)より抜粋した
靖国神社の戦役・事変別合祀殉難者数です
戊辰戦争 7751柱
西南戦争 6971柱
日清戦争 1万3619柱
台湾征討 1130柱
北清事変 1256柱
日露戦争 8万8429柱
第一次世界大戦 4850柱
済南事変 185柱
満州事変 1万7174柱
支那事変 19万1074柱
大東亜戦争 213万2699柱
「明治期の国民的経験に限定して言えば、日露戦争での大事業での犠牲が是亦桁外れに大きく、
やはり日本国民にとって未曾有の悲痛な経験だったことが読みとれるのである。(本文より抜粋)」
343 :
名無し三等兵:2000/12/26(火) 14:50
隠れる場所もほとんどない斜面を駆け上がって、
しかも上から機関銃を打ちまくられて、
これじゃ、敵のところにたどり着くまでに全滅するって。
飛行機があれば
よかったでちゅね
>344
ガンダムがあればもっとよかったでちゅね!
346 :
分隊長:2000/12/26(火) 16:48
344、345
おまえら次の突撃で先頭な
いやでちゅ!
348 :
名無し三等兵:2000/12/26(火) 19:44
>344,345
白襷をプレゼントしよう(藁
349 :
地元金沢です:2000/12/26(火) 22:59
この映画は私が中学の時に上映されてました。
■小隊の人物に関して。
隣の中学に映画に出てくる「米川二等卒」のモデルのお孫さんが中学校の先生を
されていたそうです。
名前こそ勿論「米川」ではないそうですが、彼のおじいさんは旅順で戦死し、
孤児となった彼の父はお寺で育てられた、との事でした。
尚、他の方々にも実在のモデルがいらっしゃったのかは、判りません。
■旅順陥落
90年4月頃だったと思いますが、NHKスペシャルで、
旅順陥落の為、中国人の間諜を使って、旅順要塞内の将兵を、買収して、陥落を
遅らせた、という内容が放映されました。
終戦後、お金を払うという約束で、山縣のサインまでしてあったそうですが、
約束は履行されず、多数のロシア人元将兵は、日本を恨んだ、という内容だった
と記憶しています。
350 :
訂正:2000/12/26(火) 23:02
上は、「陥落を早くさせた(促進した)」の間違いです。
すみません。
351 :
名無し三等兵:2000/12/26(火) 23:07
>349
それ、最後のオチがただの詐欺事件だったじゃなかったけ?
352 :
349です:2000/12/27(水) 01:05
ジュネーブだったか、どこかで、そのロシア人元将校が、
大きな店を持つ為に、カフェで「約束のお金を持った日本人」がやって来るのを
待ったけど、結局来なかった。彼は「國の指導者が詐欺を働くのか!」と
叫んで終わった……と言った内容ではなかったか、と記憶してます。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/27(水) 19:47
昨日、久々に見た
涙が止まらなかった
佐藤大輔氏は嫌ってるようだが
なぜ何だろう?
354 :
名無し三等兵:2000/12/27(水) 19:51
うちの仏壇にある過去帖をみてたら、
ヒイ爺さん旅順二百三高地で戦死とありました。
355 :
名無し三等兵:2000/12/27(水) 19:57
>>353 1.白兵戦至上主義への転換点だから
2.乃木が嫌い。
356 :
名無し三等兵:2000/12/27(水) 20:00
欲しいのは大砲の弾じゃ!
357 :
名無し三等兵:2000/12/28(木) 00:19
あんぱん……食べたかったなあ……
358 :
名無し三等兵:2000/12/28(木) 01:36
こげな硬い飯、食えるかいな!
359 :
>100:2000/12/28(木) 02:09
遺爪では?
359さん、古い発言にレスする時は本文に
>>100としてください。
ご面倒でしょうが、お願いいたします。
361 :
名無し三等兵:2001/01/01(月) 04:35
本日は旅順要塞陥落記念日ですねage
(正確には降伏の文書を受け取った日らしいですが)
362 :
名無し三等兵:2001/01/01(月) 13:45
ぼたもち食べたい
363 :
名無し三等兵:2001/01/02(火) 12:00
新聞記者「閣下、降伏調印の模様を是非歴史的ニュース写真として撮影許可を得たいのですが?」
乃木司令官「ステッセル将軍はロシアへの忠誠と義務を果たしてこのたび不運にして降伏するのであり。
その模様を写真の取らせるのは武士として忍びない。この降伏調印の後に我らが友人となり
同等の立場になったところを写真に残すことは許可しよう。」
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/02(火) 22:50
今日、又も、見ました>203高地
涙が止まらなかった
僕は佐藤大輔のファンであるが
彼を罵倒するのは心から心外の念を禁じ得ない
乃木大将には色々な意見が出てると思うが
少なくとも彼を馬鹿にする心境がわからない
一つ言いたい事が有る、彼を馬鹿扱いするのは結構だが
彼の心境を馬鹿にするのは問題が有ると思う
365 :
名無し三等兵:2001/01/03(水) 10:49
>364
乃木希典は、なんの学習もせずに3度、4度と近代要塞に対しては丸腰同然の
将兵を銃剣突撃させ、数多の将兵を無駄死にさせた。
この事実をまず受け止めましょう。
佐藤大輔が問題にしているのは、「心境」とやらを免罪符にして、
敗戦と大損害の責任を不問にしてしまう日本人のメンタリティーだと
思いますよ。
366 :
名無し三等兵:2001/01/03(水) 10:57
乃木とロンメルを貶すのは軍オタのスノッブ精神の現れ
論目留はともかく、乃木は貶してよいでしょう?
368 :
七連隊史:2001/01/05(金) 03:18
乃木希典及び伊治地幸介の罪状
罪状その1
無能にして、稚拙な作戦を実行し、ベトンの要塞に白兵突撃させて、多数の将兵を無駄死させた。
弁護側意見
損害を無視しての、早期の攻略を命令されていた。
砲弾重砲など攻城資材が不足していた。このため強襲攻撃によらざる得なかった。
第1次総攻撃では、前しょう陣地を奪取し、制圧寸前まで侵攻した。
しかし、砲弾の絶対量が足りなかった。このため「全山まるなり屍体」となる惨状となった。
現役兵に対する要塞攻略の戦術訓練は行われていなかった。
第二補充兵に対する訓練もほとんど銃剣術訓練であった。
白兵突撃は乃木が開発したものではないし、旅順から始まったものでもない。
369 :
七連隊史:2001/01/05(金) 03:21
罪状その2
無能にして、稚拙な作戦を繰り返し実行した。
弁護側意見
大本営及び総司令部には近代要塞に対する理解が不足していた。
第三軍は戦術書を調べ直し、塹壕延伸、坑道掘削による正攻法を実行していた。
しかし、それを無視しての早期攻略を繰り返し命令されていた。
このため強襲攻撃による攻撃を繰り返えさざる得なかつた。
370 :
七連隊史:2001/01/05(金) 03:23
罪状その3
早期に旅順を占領できなかった。
弁護側意見
大本営及び総司令部は事前の戦略的な偵察が全く出来ていなかった。
第一次総攻撃時点の防城側の露軍戦力33@`700人に対し、攻城側の第三軍は50@`765人に過ぎず、
防御施設、武器、弾薬量、地形、戦闘準備など、兵員数を除くあらゆる面で圧倒的に露軍が有利であった。
大平洋艦隊艦船の放棄により、副砲、海軍水兵の配転があり、露軍戦力は随時補強されていた。
日本側の補充も損害の補填にすぎず、兵力比が大幅に改善されることはなかった。
旅順を陥落させたことのほうが奇跡に近い。
371 :
七連隊史:2001/01/05(金) 03:34
罪状その4
203高地を早期攻撃しなかつた。
弁護側意見
命令は旅順の奪取であった。
203高地を陥落させても旅順は落ちなかった。
9月19日に南山坡山を奪取した時点で、湾内の艦船は大部分観測できていた。
旅順艦隊主力艦の沈没はキングストン弁を開いての自沈であり、砲撃の効果は極めて疑問が残る。
また、児玉のおこなった砲座の集中と前進は、当時の戦術理論を超えていた。
児玉への賛辞と乃木への批判は結局のところ結果論にすぎない。
372 :
名無し三等兵:2001/01/06(土) 21:44
七連隊史さん、いつもご苦労様ですな。
ところで、昔、ボードゲームがはやってたころ、
二百三高地のゲームも売ってたような気がするが、
やったことがある人っているかな?
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/06(土) 22:50
「日露戦争」というタイトルのシミュレーションはあったな。
陸戦全般が舞台。
やった事はないが、タクティクスで紹介されていた。
374 :
名無し三等兵:2001/01/06(土) 23:38
>>372 >>373 「エポック社」から15年くらい前に出ていたゲーム「日露戦争」と
「ツクダオリジナル」から出ていた「203高地」ですね。
「日露戦争」は今でも持っていますよ。
日本は「満州軍」を主に扱うものでしたね。比較的簡単で良いゲームという
印象です。
375 :
名無し三等兵:2001/01/09(火) 04:06
近衛師団(東 京) 第1師団(東 京) 第2師団(仙 台) 第3師団(名古屋)
第4師団(大 阪) 第5師団(広 島) 第6師団(熊 本) 第7師団(旭 川)
第8師団(???) 第9師団(金 沢) 第10師団(姫 路) 第11師団(善通寺)
第12師団(久留米)
で、第8師団はどこにあって日露戦争当時は第何軍の所属だったのでしょうか?
376 :
軍好き:2001/01/09(火) 23:32
上の方、陸軍参謀本部と言う日露戦争の資料サイトがあるのでそこへ行ってみて下さい。
ヤフーで検索すれば出ます。
よねかわ~~~~
こ~~~んなに~~しず~~かな~~~ゆ~~~きの~~~ふ~~~る~~~よは~~~わた~~~しの~~~後忘れた
377 :
名無し三等兵:2001/01/10(水) 04:24
>>376 見てきました。弘前で第2軍でした。どうもありがとうございました。
378 :
名無し三等兵:2001/01/10(水) 13:13
弘前第8師団と言えば青森5連隊と弘前31連隊! (あと秋田17と山形32だったか)
ところで、参謀本部って”陸軍”参謀本部だっけ?
380 :
名無し三等兵:2001/01/10(水) 19:45
>>200 >さだまさしの
>こーんなに 静かな ゆーきーのー降ーるー夜はー♪
わーたーしのー こーこーろーだけー ふーるーさーとへかーえるー♪
「聖夜」ですね。
382 :
名無し三等兵:2001/01/11(木) 08:59
383 :
軍好き:2001/01/11(木) 18:44
「二百三高地」「海ゆかば」「日本海大海戦」今まで自分が観た日露戦争関連映画です。この他にまだあったら是非、ご紹介を。
「二百三高地」の二十八サンチ砲と「日本海大海戦」の二十八サンチ砲で「日本海大海戦」の方は砲身が後退していた。こちらの方が正しいのでしょうか?
あと「大日本帝国」の戦車かなり好い加減ですね・・・しかも真珠湾攻撃の映像は「トラトラトラ」の使いまわし・・・
まあいい映画でしたけど。
仲代達也の乃木大将より「日本海大海戦」の乃木大将の方が現物に似てるような気がする・・・
それと乃木大将の出てくる校歌はよくクソ日教組が騒ぎませんね・・・
あと日清戦争も
384 :
名無し三等兵:2001/01/13(土) 01:47
>>383 >「二百三高地」の二十八サンチ砲と「日本海大海戦」の二十八サンチ砲で「日本海大海戦」の方は砲身が後退していた。こちらの方が正しいのでしょうか?
たしか「坂の上の雲」に、砲撃後、後退した砲身が油圧式で復元する旨の説明があったと
記憶してますので、「日本海大海戦」の方が正しいでしょう。
385 :
名無し三等兵:2001/01/13(土) 21:15
映画では終始歩兵の攻撃方法は銃剣による突撃のみ、みたいに見えたけど、実際
には空缶利用の手製手榴弾とか花火の打ち上げ筒にヒントを得た簡易迫撃砲なども
使ってたらしいですね。最近出てた日露戦争モノのマンガを立ち読みして得た知識
なんですが。
>>383 「八甲田山」は日露戦争関連に入れてはダメですか?
386 :
名無し三等兵:2001/01/14(日) 16:35
カーキの軍服なぜ出てこない?
387 :
名無し三等兵:2001/01/14(日) 20:49
ウワサには聞いていたが初めて見た。
素晴らしいスレだ。ageさせてもらおう。
388 :
名無し:2001/01/14(日) 20:52
最近,古い戦争写真集を入手した.
旅順要塞を見て驚いた.近代的な巨大なビルだ.それに近代的な
重砲900門。とてつもない重防備だ.よく日本軍が攻略した.驚いた.
聞けば,ロシアは要塞設計と建設では,世界第一という.
独得の感覚と才能があるようだ.
若い方は,一応、横須賀の三笠艦の見学をしておいていただきたい.
だれもが偉大な日本人の血を感じるだろう。
389 :
石原 完爾:2001/01/14(日) 20:54
>381
サントラ盤「挽歌」はCDで出てないのかな。出てなかったらコアな
ファンのためにだしてくれないかな。
390 :
名無し三等兵:2001/01/15(月) 18:52
金沢第9師団といえば現役師団のはずなのに、映画ではもうぼちぼち予備役っぽい
おっさんばっかりの部隊に見えた。
391 :
名無し三等兵:2001/01/15(月) 19:31
392 :
名無し三等兵:2001/01/16(火) 00:12
>>391 細かい設定には疑問を抱く事もあるが
いい映画です。必死に国難の中
戦った人達に敬意と涙が出てきます。
393 :
名無し三等兵:2001/01/16(火) 14:42
>>388 三笠記念艦訪問に大いに同意
いくべきじゃ
394 :
名無し三等兵:2001/01/16(火) 14:50
>>385 細かいこと言ってスマンが
空缶って・・・当時、あったんか~?
395 :
名無し三等兵:2001/01/16(火) 14:53
>>394負けずに細かいが
缶詰の製造開始は明治10年10月10日
北海道石狩でサケの缶詰製造が開始。
この時代にもいくらでも空缶はあるって。
396 :
394:2001/01/16(火) 14:57
397 :
名無し三等兵:2001/01/16(火) 17:09
ロスケが缶詰持っているのも
頷けるな
398 :
名無し三等兵:2001/01/16(火) 19:51
そもそも、缶詰を作らせたのは「ナポレオン」だそうです。
学研の学習まんが「発明・発見のひみつ」に載ってた。
399 :
名無しさん:2001/01/18(木) 00:13
又一つ賢くなったあげ
400 :
七連隊史:2001/01/18(木) 05:42
>>388 さんへ
わたしも昭和12年度の旅順写真帳というものを見ました。当時、旅順は巨大な戦跡博物館として整備されており、現在も一部は観光施設として残されているそうです。写真帳を見ると、203高地の内側にそびえて、全くの無傷の椅子山や大案子山の偉容は、凄いとしかいいようのないものです。しかもこんな要塞が防衛線内に数多く残されていたのですからロシア兵が頭にきてドンチャン会をしたのもわからないではありません。
要塞の一部を破壊した東鶏冠山北堡塁については内側の雰囲気はコンドラチェンコ最後のシーンや古賀中尉最後の戦闘シーンでモデルとされていますからまあわかるのですが、松樹山・二龍山の凄まじい破壊の跡を見るといったいいかなる戦争が行なわれたのか想像を絶します。写真帳では松樹山の地下で相互に行なわれた坑道爆裂戦について記されていました。ママエフの丘の物語りがここにもあったようです。
また、旅順要塞陥落祝賀行列の写真を機会があって見ることがありました。当時、戦勝のたびに提灯行列や作り物のパレード及び展示が出て、盛大な祝賀行事が行われました。明治38年1月3日正午には住民全てが路上に出て、鍋でも桶でも音の出る鳴物を鳴らしました。しかし、私が深く心に打たれたのは、人々の顔には歓喜の表情はほとんどなく、悲愴感が深くただよっていたことです。
401 :
七連隊史:2001/01/18(木) 05:46
>>375さんへ
つマんない話ですが、第12師団司令部は日露戦争時点では久留米ではなく小倉です。
ところで話は違いますが、当時の人口分布は現在とはかなり違います。特に首都圏でも東京周辺がそうです。明治37年段階には埼玉県にも千葉県にも一市もなく、神奈川県にも市は横浜だけです。しかも一万人以上の町も埼玉県では川越町と熊谷町だけ、千葉県では舟橋町・千葉町・佐倉町・佐原町、神奈川県では横須賀町・浦賀町・川崎町・小田原町だけです。現在人口38万の町田は村、60万の相模原も大野村以下の村地帯です。
しかし、それにしても第一師管区が巨大都市東京を抱えるばかりか、関東・長野・山梨と広大な地域をになっているのはちょっと疑問です。13師高田・14師宇都宮がいつでも編成できる体制があったのではないのかとも思うのですが。
402 :
名無し三等兵:2001/01/18(木) 05:54
中国行ったときに、旅順に入れるようになったばかりで,旅順口は見たものの、
203高地までいけんかった。まだ、現地に外国人が入れると周知徹底されてなかったみたいで
中国人向けのバスツアーに紛れて大連から行ったんだけど203高地までは行ってくれなかったんだよね。
旅順口入り口を見下ろす砲台には行ったので、閉塞された辺りはたぶん一望できたんだけど。
403 :
七連隊史:2001/01/18(木) 05:58
第九師管区の北陸三県と岐阜県には富山市・高岡市・金沢市・福井市・岐阜市と5市あります。
しかし、北陸は明治維新以降人口減少が続きます。石川県の幕末の約90万人(推定)が、日露戦争前には82万人、大正時代の第一回国勢調査で75万人、ようやく昭和30年で90万人、現在は118万人ですからいくらも増加していない。日本の人口については多分二三倍になっているでしょうからその停滞は著しいものがあるのです。
奉天会戦でも第三軍は最も危険な任務を与えられています。奉天でも地図上では華々しいが、氷ついた平原でむやみな突撃を繰り返し、第九師団は四方台・彰駅站・高力屯・造化屯・八家子などで旅順以上の大損害をくらって、ポンプのように血の河を作っていっています。北田二等兵が属した歩七第二大隊第六中隊は作戦開始時の175名が35名に減少しています。したがって、映画の最後の豆腐屋は幽霊かもしれません。
奉天での金沢の部隊の悲劇はそれだけではありません。
奉天会戦は東端の鴨緑江軍によって開始されましたが、11師も後備6旅も間に合わず、金沢の後備9旅単独で始められました。後備旅団というのは老兵を集めた部隊で本来占領地の守備を任務とするものです。装備も日清戦争レベルで、それが数倍の敵に向かって突撃するんですから、露軍も第三軍の一部と間違えて後退し、予定どおりレンネンカンプなんて銀河帝国軍みたいな最精鋭部隊を呼び込む始末となったのです。この後備旅団の損害もたいしたもので、戦死者の一覧表を見る限り、死亡率は七連隊よりかなり高いのです。
ほかに後備57連隊も北陸が中心ですが、なんといっていいのか日清戦争のOBと言ってもよい軍隊で、露軍の反撃で一瞬で壊滅状態となり、多数の戦死者を出しています。
日露戦争最大の敗者は金沢であったのではないのかとさえ思います。ある面で日露戦争は加賀百万石の滅亡の時といってもいいでしょう。日露戦後景気が悪くなって、「坂の上の雲」ではありませんが、残った優秀な人材はことごとく東京や大阪にいって、バカばっかりになり、金沢は英霊ばかりの神の国となり、後世どこかの国の首相がエリートという状態になってしまったのです。
>>398 ナポレオンの応募懸賞で採用になったのは瓶詰だったような。
瓶だと割れやすく移動携帯に不便なので、缶詰に改良したのは
イギリスの方だったはず。
茶々ですいません。
405 :
名無し三等兵:2001/01/28(日) 02:02
>>387 素晴らしいスレでしょ。私もageさせてもらう。
ただのあげあらしじゃん。
はっ、総攻撃ば続行します。
408 :
名無し曹長:2001/01/28(日) 15:04
>>213 その後は「貧すれば、鈍すじゃのう・・・」だと思う。
409 :
参謀:2001/01/29(月) 00:29
「生きちょる!生きちょるもんがおるぞぉ~!!」
よってage。
410 :
名無し三等兵:2001/01/29(月) 00:30
俺も瓶詰めだったと記憶している
411 :
戦争映画スレからおじゃま:2001/01/30(火) 17:32
1位203高地(TV版) 2位203高地(映画版) 3位プラトーン
203高地は映画版よりもTV版の方が良かった
”地獄の鬼となって焼かれていく兵士達を乃木式軍事精神で救えるとですかー!”
今でもこのシーンは泣けます
412 :
コックニー:2001/01/31(水) 02:12
日露戦争、ではなく第2次世界大戦後、なのですが・・・。
東宝が5月公開予定の映画「ムルデカ」
第2次世界大戦に敗北したインドネシア駐留日本兵が、進駐してきた
イギリス軍(オランダは本国をドイツに占領されていたため、
インドネシアを再占領するための兵力を送り込む余力が無く、
イギリスに代理占領を頼んでいた)相手にインドネシア独立のため
戦うという、新たな「8.15シリーズ」ともいえるこの作品、
絶対ドコぞからクレーム付きそうだな。
>>412 日本国内からね。
あの人達はインドネシアの英雄だが、日本では評価されていない。
裏切り者と捉える人も居る。
でも、この人達が居なかったらインドネシアの反日感情は
今よりキツイことは間違いない。
414 :
名無し三等兵:2001/01/31(水) 02:30
今村均ジャワ駐在司令官のジャワでの融和占領政策を顕彰しよ~!
415 :
コックニー:2001/01/31(水) 23:40
今村閣下の、ジャワ占領中のエピソードには、ここに書いたら「ネタだ」
と言われてしまう仰天エピソードが・・・
416 :
名無し三等兵:2001/02/01(木) 03:46
超超亀レスですが、
>>16の白襷隊の白襷は、夜間敵味方識別のためだったと
聞いたような気がしますが、何せ昔のことなもので・・・・・
でもやっぱ無謀。
映画の白襷隊訓示のシーンに少年兵らしき兵卒が写っていましたが、
未成年の志願兵が当時いたのでしょうか?
417 :
酔剣:2001/02/01(木) 06:42
>416
むろん、白襷決死隊の白襷は敵味方識別の為と言っていた、それが馬鹿。
もともと、夜間奇襲とは、闇に紛れて肉迫突撃し、むしろ、敵に同士討ちを
させるぐらいの混戦に持ち込むのが基本だろう。
それが・・・夜目にもくっきりと「白いバッテン印」(泣・泣)
地雷・鉄条網のため、突撃路は自ずから限定される、露軍機関銃手は
どんな思いで「目印付きの日本兵」を撃ち続けたのだろう。
今、日本史板「乃木さんてどんな人」のスレで、かなり書いているので
重複は避けるが、最終死傷者数は第三軍創立時の総兵力を超える、
無謀とか無能というより、兵士を人とは思っていない無感傷の老人。
場合によっては、日本軍全体を危うくしたかも知れなかった。
たんなる盲信者、少なくとも、近代国家の軍人ではない。
418 :
名無し三等兵:2001/02/01(木) 07:12
419 :
名無し三等兵:2001/02/01(木) 09:39
アジア諸国の対日感情が悪いとおもって疑わないのが多いねぇ・・
現実的に悪いのは半島と大陸くらいだよ・・・
420 :
名無し三等兵:2001/02/01(木) 09:53
その 半島と大陸が実はグローバルに嫌われてたりして・・
421 :
>:2001/02/01(木) 10:11
村山首相がマレーシアに行って、アジア諸国への謝罪を社会党的センス
行った時、マハティール首相から「そんなことはやめなさい」とたしな
められた。
「アジア諸国の反日感情」などというのはある一面であり、総てではな
いのだ。
反日日本人の政治宣伝で、アジアの総ての国が反日であるイメージがあ
るが、それはウソです。
(下士官)
支隊長閣下に申し上げる!
我ら支隊員は下士官・兵に至るまで皆、志願してこの決死行に参加したものである。
只今の訓示の中の「退却する者あらば斬捨てよ」とは、
軍人に対する侮辱であるものと存する!
取り消されたい!!
(中村少将)
皇居を遥拝する~っ!
捧げぇー、銃!
カポニエールは凄惨すぎる・・・。
424 :
名無し三等兵:2001/02/01(木) 21:32
だいぶん前に誰か言ってたけど、
TV版ってどうにかして見れないものか・・・
425 :
NRAの会員で~す!:2001/02/01(木) 21:44
要塞内のロシア軍も大変だったとか。
砲撃や度重なる日本軍の肉弾攻撃に守備兵の神経はボロボロ。
おまけに食料のビタミン不足で壊血病が発生してたんだって。
ちなみにビタミン不足は煮豆にしている大豆を発芽させて
大豆モヤシにしたら解決するよ。
426 :
名無し三等兵:2001/02/01(木) 22:15
既出でしたらもうしわけない。
この映画DVDってでてるんですか?
427 :
名無し三等兵:2001/02/02(金) 00:58
>>379 そうそう。海軍では「軍令部」といいました。
428 :
名無し三等兵:2001/02/04(日) 15:17
マキシム機関銃の発射音がピストル音に聞こえるのは、俺だけか?
429 :
名無し三等兵:2001/02/04(日) 17:26
>>395 さらに細かいことだが、日露戦争では日本の商人は、
石ころの入った缶詰を、軍に売り捌いて大もうけしたとか。
430 :
名無しさん:2001/02/08(木) 15:12
大日本帝国万歳挙げ
431 :
名無し三等兵:2001/02/08(木) 19:23
>>411 >>424 たしかにTV版の方がよかったね。っていうか、時間の都合上、映画で描ききれなかった部分まで
盛り込んでた感じ。ぜひ再放送して欲しい。
>>426 出てないようです。出たら即買いなんですがねー。
432 :
名無し三等兵:2001/02/08(木) 21:54
>>150 旅順要塞攻略戦で、乃木第3軍が戦死1万4000、戦傷3万6000、戦病3万を出した
日露の全損害比を比べてみると、いかに明治の日本軍が弱かったが分かる。
昭和時代のノモンハン事変の方がずっとずっとましな「負け戦」だな。
得利寺会戦、沙河会戦あたりは
ロシア軍の損害のほうが大きいですよね
>>432 戦争全体の死傷者数はたしか同じくらいじゃなかったかな?
総兵力が少ないぶん、死傷率は日本の方が高いですが。
434 :
名無し三等兵:2001/02/08(木) 22:46
ヨーロッパあたりの会戦の死傷率もみてくれ。
兵隊さんが並んで歩き、死傷者のほとんどは銃砲弾、前進退却は突撃で
を決めるがそこでは実損害がほとんど出ない。となれば、正面からやり
あってるかぎり死傷者数に差は出ない。出血に耐えることと突撃で狂う
ことが強さの意味なれば、勇者とはあえて弾の的になる男のこと! そ
ういう時代の戦争なのだ。日本は最後まで追撃戦にもちこめなかった。
435 :
名無し三等兵:2001/02/09(金) 12:51
この頃に毒ガス兵器があったら・・・・・・こわ~~
436 :
名無し三等兵:2001/02/09(金) 15:34
age
437 :
名無し三等兵:2001/02/09(金) 18:26
>>429 さらにさらに細かいことだが、昨年、その話を引用した朝日の天声人語氏が、
実はガセだったようですと後日謝った。
438 :
コックニー:2001/02/11(日) 01:22
≫435
旅順要塞攻略戦で「砒素ガス」使ってます。
これが第1次世界大戦の「イープルの戦い」よりも早い
世界最初の毒ガス使用例です。
439 :
かねこへびじ:2001/02/11(日) 04:50
相棒ぉーがよぉ、コマネチばっかりやっからカントクに怒られて
次やったら降ろすって言われたんだ。そしたら相棒もムキになって
突撃シーンで後ろ向き片手コマネチやっちゃってるんだ。
相棒ぉーがよぉー、「ヨシナサイ」ってゆったのによぉ。
めもれ~ぇ、コピれ~、
オレは203高地に逝ったことアルヨ。
203高地について聞きたいことアルカ?
なんでも聞いてヨ。
(怪しく聞こえるかもしれないが真面目に答えます。)
441 :
名無し三等兵:2001/02/12(月) 17:38
442 :
周冨揮:2001/02/13(火) 02:16
スマソ
天気の関係で旅順港は見えませんでした。
小説や映画と違って、現在の203高地は木が生い茂っていまして、山のどこからでも
港が見えるわけではありません。
203高地の頂上にちょっとした売店がありまして、そこの店員の話によるとちゃんと見えるそうですよ。
その店員は怪しい日本語を話します。まだいるのかな、あの中国人の兄ちゃん。
443 :
名無しさん:2001/02/13(火) 08:58
たけしはTV板では負傷して声が出せなくなった兵士の役だったはず。
相当アドリブでろくでもないことを言って監督の逆鱗に触れたのだろう。
444 :
名無し三等兵:2001/02/16(金) 02:12
今日初めて見ました。神州万歳!!
445 :
名無し三等兵:2001/02/16(金) 10:06
今の日本映画ったら極妻かホラーだもんなぁ・・・
446 :
名無し三等兵:2001/02/16(金) 13:11
>>100 古い内容のレスで申し訳ないが…。
箱の大きさと警官が敬礼したところをみると、勲章だろう。
447 :
名無し三等兵:2001/02/17(土) 01:14
448 :
名無し三等兵:2001/02/17(土) 01:32
感動はしたが・・・
ロシア側役者の大根ぶりはちょっと我慢ならん。
<トラトラトラ>的手法で両国の一線級俳優でやったら
見応えがあると思うが・・・
露助にすれば屈辱の歴史だから無理か。
449 :
ななし:2001/02/17(土) 02:17
協力にあの瀬島龍三の名前があったよ。
451 :
名無し三等兵:2001/02/18(日) 00:49
452 :
コックニー:
>>383 新東宝の「明治大帝と日露大戦争」があります(これと「明治大帝と日清戦争」
が作られ、それを編集したのが「明治大帝御一代記」)