1 :
ブラッドレー中将 :
「プライベートライアン」で描かれていたDデイのオマハビーチの攻防は
凄惨そのもので思わずのけぞってしまいました。
南方の日本軍も相当過酷な戦いに直面したようですが、最も過酷な戦場と
いうとどの戦いを連想しますか?
2 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 02:06
イオウジマ
3 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 02:15
日本軍の中国辺りの上陸作戦がオマハどころじゃなかったと聞く。
4 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 02:15
ノモンハン
5 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 02:18
バンザイクリフ@サイパン島
6 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 02:22
中国軍による、朝鮮戦争における人海戦術。
日本の万歳突撃にならった、それを大規模にした人命無視
非人道的戦術。
7 :
西竹一中佐 :2000/09/14(木) 02:24
〜_ __ ∧ ∧ 大日本帝国バンザ・・・
⊂⊂⌒ ⊃( ゚д゚)っ
〜_ __ ∧ ∧ ガク...
⊂⊂⌒ ⊃(- -)っ
8 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 03:30
ベトナム戦争におけるゲリラ戦。
ベトコンのトラップってえげつなくて
すっげー痛そう。
米兵にとって間違い無く過酷な戦場だったのでは?
9 :
>7 :2000/09/14(木) 03:36
バロン西!
米軍の通訳が洞窟に向かって「バロンニシ、デテキテクダサイ」とかスピーカーで
呼びかけてる映像を見たときには泣けましたナ。
10 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 03:40
旅順に1票
11 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 03:41
日本をみならった、つながりで。
中国軍は「この陣地を死守せよ」と命令しながら兵を
鎖で陣地に繋いだそうな。
12 :
>7@`9 :2000/09/14(木) 03:42
バロン西って?西竹?
このエピソードの詳細キボーん。(ぜひ・・・。)
13 :
補足 :2000/09/14(木) 03:46
日本では鎖は必要なかった。
14 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 04:17
>12
西竹一
昭和7年のロス五輪の馬術競技で優勝した本物の(?)男爵。
その後、騎兵中佐として硫黄島の戦いに参加し戦死。
城山三郎「硫黄島に死す」を一読あれ。
15 :
>14 :2000/09/14(木) 05:02
thank you
16 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 10:15
ジャワの極楽ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア
17 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 10:52
最近文庫が出たので、パウル・カレルの「独ソ戦史 バルバロッサ作戦」を
読んでいるんですが、悲惨なまでの寒さが伝わってくるような描写が多いです。
騎兵小隊が、人馬ともに小休止の状態のまま、全員立ったまま凍死してたりとか・・・
18 :
日本一のぬいぐるみ師 :2000/09/14(木) 12:30
・インパール作戦。
司令官が究極のアホだと部下は死ぬほど苦労する実例。
・フィリピン戦(攻略戦じゃないよ、米軍が上陸した方ね)
台湾沖航空戦の誤報を真に受けた陸軍が攻勢に出て更に最悪に。
各地で米軍やゲリラにやられまくる。人肉食いとかかなり悲惨だったらしい。
19 :
>18 :2000/09/14(木) 12:43
インパール作戦は最近の研究で事情(牟田口だけが悪者説)が大部変わってきたようだが・・・。
悲惨な戦場であったことには違いないが。
で、お題にはスターリングラートを。ここも人肉食いとか酷かったらしいぞ。
20 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 14:45
凍死、餓死、食人・・・。
軍人として戦闘で死ねる戦場はまだマシってことなんですかねぇ。
21 :
>14 :2000/09/14(木) 15:15
硫黄島で西氏が戦死したのは知ってるんだけど、米軍が投降を呼びかけたのは
しらなかった。なんで彼が硫黄島守備隊に属してることを米軍が知りえたのでしょう?
22 :
ジーク :2000/09/14(木) 15:38
ここはポピュラーに・・・。
ガダルカナル島の攻防・・・ですな。
まあ、ここでは日本軍が相当病気と飢餓に苦しんで、当時の日本では「飢餓島」ともあだ名されたらしい。
23 :
名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 16:06
ノモンハンは最近の双方の資料を突き合わせると、損害は日ソほぼ同程度らしいが
日本の一方的敗北になったのはやはり補給力の差と、おきまりの兵力の逐次投入
のためか・・・・。哀れ。
やっぱり最も過酷な陸・海・空一体の戦場は沖縄でしょう。
24 :
名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 16:14
フィリピンの市街戦。
壮絶だったと思うが、映画化されないものだろうか・・・。
25 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 17:29
>23
戦力に開きがありすぎた。
戦車の数とか言うのでなく、頭数そのもの。
参加兵力の差ということです。
初めから「勝つ」「殲滅する」という気で始めなかった。
向こうはその気で来た。
26 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 17:37
畳の上にて死ぬことは、武士のなすべき道ならず
むくろを馬蹄にかけられつ、身を野ざらしになしてこそ
これもののふの死といわめ…
絶えて果敢(はか)なく失する身の 屍は積んで山をなし
その血は流れて川をなす 死地に入るのも君のため
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜きつれて 死する覚悟で進むべし…
帝国陸海軍は明治以来、こうした精神を旨とした。
今更悲惨過酷というのでは、成仏できない。
27 :
zeke :2000/09/14(木) 17:47
パグラチオン作戦時の東部戦線。
ノルマンディーの影に隠れて目立たないが、
クルスク戦で力尽きたドイツの悲惨な様が垣間見える。
後退につぐ後退、敗北につぐ敗北。もう死屍累々。
28 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 19:29
餓島の異名を持つガダルカナルも、相当悲惨だと思うぞ。
29 :
名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 19:41
ガダルカナルは大変だったろうね。
まず、一木支隊の(ほぼ)全滅に始まり、かわぐちしたいも壊滅的な打撃を加えられ、
やっと第二師団の上陸。ここからが「餓島」の始まりか。
兵士に間で行われた生命判断
立つことの出来る人間は寿命30日間
身体を起こして座れる人間は三週間
寝たきりで起きられない人間は一週間
寝たまま小便をする人間は三日間
ものを言わなくなった人間は二日間
またたきしなくなった人間は明日・・・
この生命判断は、ほぼ当たったとか・・・・・恐るべきかな「餓島」
30 :
Under World :2000/09/14(木) 20:07
東部戦線での人肉食の話は聞いた事があります。
あと、ひかりごけか・・・
想像を絶する極限の中で修羅場の上の修羅場を生き抜く為にはむりも
ありませんね。
ただ、文革はケースが違う。
31 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 20:43
第1次大戦の西部戦線の塹壕戦もキツかったそうな。
新兵器マシンガンが登場して・・・。
32 :
名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 21:40
インパールかなあ?
後続の部隊は会敵もせずただ歩き続けた所もあったそうで。
33 :
Under World :2000/09/14(木) 21:41
水虫が悪化して切断とか・・・
34 :
>31 :2000/09/14(木) 21:53
機関銃と塹壕戦は南北戦争、日露戦争で予見できたはずだが、「将軍は過去の戦訓しか学ばない」のたとえ通りの結果に。
西部戦線はインフルエンザでも大損害を受けてるね。
35 :
直言者>32 :2000/09/14(木) 21:58
「白骨街道」ってやつですね・・・
36 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 23:11
>34
脚気で死者が続出した日露戦争での我が帝國陸軍の立場は?
37 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 00:25
>31
そういえば、第一次世界大戦で余りにも砲撃とか激しいから、トラウマのような・・・
心的外傷っていうのかな、アルファベット4文字くらいで、何って言ったか忘れたけど、
そういった症状が出て、研究が始まったらしいね。
Nスペ「映像の世紀」かなんかで、兵士がガタガタ震えていた映像があった。
あれを見ると、やっぱ平和はいいな〜って思ってしまう。
38 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/15(金) 00:33
>37
今でも、第二次大戦の時のトラウマで精神病院に入院してる人
日本にもいるよ。
39 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/15(金) 00:45
>37
こんな事を言って楽しんでいられるのも
平和のおかげということですね
40 :
ベンゼン中尉 :2000/09/15(金) 00:50
SBK関連の仕事はどれも1944年の東部戦線を連想させる。
いつしか飲まれてしまい、跡形さえ残らない。
41 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/15(金) 02:00
>37
PTSD(外傷後ストレス障害)です。
代表的な症状は
1.強い恐怖感や無力感を何度も再体験する。
2.外傷体験を思いだすような状況や場所を避けるようになり、
社会的に孤立がちになる。
3.過覚醒になり、睡眠が妨げられたり、過剰な警戒心でいつも
ピリピリした心理身体状態になる。
4.このため、社会的・職業的機能が障害される。
なんてとこ。はっきりとした対策が取られるようになったのは
ベトナム帰還兵が問題になった頃だと思ってたんですが、一次大戦でも
あったんですね。
42 :
名無しさん@2等兵 :2000/09/15(金) 02:21
ベルファスト。
SASの皆さんご苦労様です。
43 :
PTSD :2000/09/15(金) 02:57
研究が一気に進んだのが、ベトナムだったんでしょうね。
全ての戦争、それこそチャンバラの時代から、PTSDは
あったのかも。
話少し変わるけれど、邦画「黒い雨」の中で、戦車に地雷抱いて体当たり
する訓練を受け続けた元兵士が、車が村通るたびに飛び出していく
シーンがあったなあ。
彼が絡むラストは、かなり感動した……。
44 :
名無しさん@2等兵 :2000/09/15(金) 04:47
私はジョン・モナー、栄光ある英国SAS軍曹だ。
辛く長かった6ヶ月のベルファスト駐留任務を終え
運の良い事に私の誕生日を妻と娘と3人でささやかに
迎えることが出来ている。
「パパー、小包が届いてるよ。」
娘が差し出したのはロンドンのデパートの包装紙で包まれた小さい小包
差出人はブレア、ベルファスト時代の上官だ。
色々助けてもらった上官の顔を思い浮かべながら
小包の封を開ける。大きさの割りに少し重い。
封を開けると木の箱が出てきた。なんだろう・・
誕生日で私は浮かれていた。もう少し注意すべきであった・・・
木の蓋を開けると目に飛び込んできたもの
{IRAより愛を込めて}
次の瞬間、私と妻と娘は光と爆音に包まれた。
北アイルランド紛争怖いですねぇ〜
45 :
北ボルネオ :2000/09/15(金) 08:22
当初,日本軍の兵力2万.
上層部より移動命令が出て、ジャングル内を徒歩で移動。
移動後の兵力、約1万。
という話が、豊田譲「北ボルネオ・死の転進」という本に。
死んでも死にきれねえな、これは。
46 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/15(金) 13:03
ニューギニアでは大河を渡る途中に鰐に食われた日本兵がいたそうです。
47 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 13:41
最後のベルリン防衛戦もとんでもなかったみたいですね。
圧倒的物量の赤軍相手は嫌すぎる。
>21
又聞きなんですけど、当時の馬術障害競技は五輪の閉会式直前に行われていて、
ちょうど現在の男子マラソンに相当する人気種目の1つだったようです。
そんな競技の金メダリストであるバロン西の知名度は両軍ともに高かった
と思われるので、捕虜からの情報収集とかから情報を得たのかも?
@`――、 @`――、
/ ヽ |
| _.ム ノ
\/ ̄  ̄ ̄\
/ @`-―――-ヽ
/ / / \ |
| / @`(・) (・) |
| | __ ● __ |
| | =__= | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ヽ /__// < 近代戦における最も過酷な戦場
/| \ /\ \__________
49 :
直言者>44 :2000/09/15(金) 14:21
ベトナム戦争でも全く同じ事が・・・あるアメリカ兵
が同僚とサイゴンの市街を散歩中に少年の靴磨きを見
つけ、同僚が靴を磨いてもらおうとその靴磨きに靴を
渡した瞬間・・・・大爆発、後に残ったのは同僚の片
足OR靴だけでそれをもってその兵士は放心状態
50 :
>44 のひと :2000/09/15(金) 16:07
硫黄島のブービートラップには日本兵の死体に爆薬を
仕掛けるというのがあったそうです。
(米兵が死体を蹴っ飛ばしたりすると爆発)
話は変わりますが...
北海・援ソ船団の対Uボート戦、対急降下爆撃戦なども
悲惨だったようですが...
「チルビッツ」怖さに護送船団が遁走した船団もあった
と聞きますです。
51 :
50です :2000/09/15(金) 16:09
×護送船団
○護送艦隊
で、意味、通じますか?
52 :
>50 :2000/09/15(金) 16:29
砲撃で半分砂に埋もれて動けない日本兵が死んだ振りをしながら
手榴弾を握って米兵が歩いてくるのを待ち伏せていたとか。
53 :
名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 17:43
>50
>「チルビッツ」怖さに護送船団が遁走した船団もあった
>と聞きますです。
PQ17船団
「ティルピッツ」出撃の報告(実は誤報)をうけて船団を散開させたところを
各個撃破されて壊滅した。
54 :
名無し三等兵 :2000/09/16(土) 23:46
東部ニューギニアってのもあるね。
第18軍では約97000名が上陸して生還者8800名余。
他南海支隊を始めとする陸軍部隊や海軍部隊を合計すると参加約20万名。
生還者は推して知るべし。嗚呼。
55 :
名無しさん@ルスキに氏を :2000/09/17(日) 01:06
レバノン、アメリカ海兵隊最悪の日なんかどうでしょう
56 :
名無し三等兵 :2000/09/17(日) 02:06
皆さん、広島長崎のゼロ地点をお忘れでは?
57 :
名無しさん@ルスキに氏を :2000/09/17(日) 02:29
56>
それを言ったら、東京大空襲の隅田川、夜のハンブルク市街地
など、またたくさんでてきますよ!
58 :
名無し三等兵 :2000/09/17(日) 02:40
バスラ郊外でケツにTOW喰らったブラッドレーの乗員も悲惨だ。
勝ち戦で犬死にするほど空しいものはない。
必殺フレンドリーファイヤー!
59 :
名無し三等兵 :2000/09/17(日) 02:51
>56
戦場じゃないじゃん。
非戦闘員が虐殺にあってるだけじゃん。
>57
非戦闘員に向って武器を向けるなど、史上最低のクソ野郎だな。
・・・まあ、日本もナンキンでかなりなことやってるから人のことは
言えないんだけどね。
そういえば、カーティス・ルメイはのちに日本から勲章貰った、って
聞いたけどそれホント?
60 :
名無し四二.一九五等兵 :2000/09/17(日) 03:19
>59
ホント。いらねえ日本人を丸焼きにして、くせえウサギ小屋を燃やして
くれた功績を称えて。
もちろん嘘だ。みんな気分を悪くするな。
航空自衛隊の設立と発展に役に立ったんだってさ。たしか。
今年死んだ俺のおばあちゃんが知ったら、怒り狂うだろうなあ。
彼女は母親と妹を東京の空襲でなくし、とにかくアメリカ嫌いだった。
相撲が好きだったが、曙は最後まで認めなかった。話がずれたな。
61 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2000/09/17(日) 07:04
スターリングラード、ヒトラーの無能な指揮でどれだけ多くの人が
死んだか解る
62 :
56 :2000/09/17(日) 09:05
>59
「戦場」を後方まで展開させた「悲惨な戦い」(著作権なぎらけんいち)であったことにはご異論ありますか?
63 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2000/09/17(日) 18:49
56>
それは理解できるが広島長崎を出すのは疑問
都市空襲はWW1からあったし。
今のゲリラやテロ組織には前線の概念が無い
それに戦場のスレで、原爆の話が出ると
政治的な意味合いを感じさせるから、個人的には嫌だ
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< つまんねぇー
( ) \__________
| | |
(__)_)
65 :
名無し三等兵 :2000/09/17(日) 22:05
>46
ビルマ戦線では、ナンとかって川で
日本軍の輸送船が定員オーバーでひっくり返って
800人が戦うことなくワニの餌になったそうです。
・・スゴイ光景でしょうね。ワニワニパニック。
66 :
名無し三等兵 :2000/09/18(月) 01:23
>65
すごい光景ですね。
くわしく教えてください。
定員オーバー800人というと小さな船でしょうが、
川幅、流速、など、どんな状態だったのでしょう?
67 :
名無し三等兵 :2000/09/18(月) 20:09
ワニに食われたのが牟田口や辻ならよかったのに
68 :
名無し陣笠 :2000/09/18(月) 21:16
>67
激しく同意!
>65
そのまま渡河(チンドウィン河?)して白骨街道を往復してくるよりは
あっさり死んだ方が良かったかもよ。
69 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2000/09/19(火) 11:24
65>
相手が、英軍じゃなくて、ビルマの鰐というのが泣ける。
その為に、わざわざ本土から来たのか
まさに犬死だな・・・。
河越えても同じくだったかもしれんが
71 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/19(火) 20:16
インパールを知ると、ビルマという地名すらトラウマになりません?
72 :
名無し三等兵 :2000/09/19(火) 20:54
こんな話題を続けていると、そのうち「インパールの白骨街道は
なかった」なんて人が現れるのかな?
73 :
MMR :2000/09/19(火) 20:57
ぢつは太平洋戦争などなかった!
74 :
>72 :2000/09/19(火) 23:16
ぢつは大日本帝国も無かった!
スイマセンもう止めます!
75 :
65 :2000/09/20(水) 20:07
ああ、レスがついてる・・・ありがたいことだ。
>66他のみなさん
亀レス失敬。
実はですね、私がこの記事見たのは、10年ぐらい前の
ギネスブックなんですよ。たしか平凡社かどっか。
ギネスの事故・大惨事スレで。
まだフィリピンの三千人転覆(※現世界記録)の前だったんで、
海難・船舶系では結構上位にランクしてたと思います。
私も気になって色々調べたんですが、残念ながら詳細な記録は
見つかりませんでした。
揚子江では、大戦中死体をワンサカ放り込んだおかげで
ワニが異常発生して困ったなんて話もありましたね。
76 :
名無し三等兵 :2000/09/20(水) 20:38
鰐もやだけど、鮫もつらいね。海軍サン。
手足食いちぎられるだけでも天文学的痛さなのに
そっから塩水入ってくんだよ。
大和の甲板から落水して、いきなりパクパクやられて
しまった名も無き水兵。あと対馬丸の子供達とか・・
周りは見てるしかないってんだからね。
JAWSにも使われてたネタで、
「俺達ゃ、あの時極秘で原爆を運んでたんだ。
日本軍に雷撃されても救助なんか来やしねえ・・・。
へへ・・、あン時ゃ6分に一人が鮫の餌食になった・・・
鮫の、あの無表情な眼が、
獲物に食らいつく時ぁクルッとひっくり返るんだぜえ」
77 :
>76 :2000/09/20(水) 21:17
78 :
名無し@無駄口 :2000/09/21(木) 01:52
>>72 うーんありがち。
スパイ事件スレでも例の三佐の事を「実は二重スパイ」とか
「公安にはめられた」とか寝言逝ってる奴がいるしね〜。
なでもありだよな〜、最近は。
79 :
名無し三等兵 :2000/09/21(木) 01:55
牟田口も戦後はすっとぼけて
「作戦どおりやってればインパールは勝っていた」
とか寝言いったってはなしだしね・・・。
80 :
萩崎3佐ははめられた :2000/09/21(木) 02:34
>78
俺のことか?
公安の予算獲りに決まってるだろうが
ここを凄惨な戦場にしようか?
>80
チンピラ的台詞やね・・・かっこいー(w
82 :
名無し@武器商人 :2000/09/21(木) 04:57
80>
荒らしなので放置!皆様のご協力の程をお願いします。
>82
了解!電波は放置に限る。
84 :
寝軍平等兵 :2000/09/21(木) 11:08
俺の大伯父さんがインパール作戦に参加して白骨街道を往復してきたそうな。
部隊で生還したのは数十人だってさ。
ひどいもんだったらしい。
85 :
萩崎3佐ははめられた :2000/09/23(土) 00:58
「荒らし」と「電波」しか語彙が無いのか。こいつらは
きちんと反論してみろよ
86 :
>85 :2000/09/23(土) 01:03
おや?出張電波ですか?アッチコッチとお忙しいですね。
87 :
萩崎3佐ははめられた :2000/09/23(土) 01:28
やっぱり「電波」としか書けない(笑)
88 :
名無し三等兵 :2000/09/23(土) 01:38
電波=電波
89 :
トレンディ(寒)方程式 :2000/09/23(土) 01:51
「萩崎3佐ははめられた」=「電波」
90 :
アッホ― :2000/09/23(土) 02:27
金門島の戦い(中華民国と中華人民共和国との戦い、サイドワインダーの初の実戦投入)、聞く所によると金門島の浜辺は真っ赤に染まり、生きている者はいなかったそうだ。また、中華民国の虎戦車隊は、生きてる敵も怪我してる見方も見境無く轢き殺したらしい。あの小さい島を中共の手から守り抜いたのは本当にすごい事である。
91 :
日本一の無責任男 :2000/09/23(土) 02:29
いつから妄想癖が現れましたか?
92 :
>90 :2000/09/23(土) 19:33
その向かいの福健州の海岸近くに住んでいた中国人から聞いたが
20年前には台湾からの威嚇射撃が時々あって、海岸を歩くのは禁止だったそうな。
93 :
映画パトリオットについて :2000/09/24(日) 15:25
昨日見てきました.アメリカが独立戦争を闘った当時の戦法が
描かれてましたが衝撃的に単純でした.
(1)アメリカ軍とイギリス軍が広野で向かい合う.お互いライフル
をもって隊列を組み、太鼓とともに近づいていく.
(2)適当な距離(映画では30メートルくらいに見えた)まで
近づいたら両軍停止.号令とともに一斉射撃.両軍の最前列に居る
やつがバタバタと倒れる.
(3)もう1回くらい斉射をする.またバタバタ倒れる.
(4)突撃命令.乱闘.
世界史板で教示してもらったとこによると
南北戦争の時も独立戦争のときと同じ戦法らしいです.というかギリシャの
歩兵の密集隊形戦法も基本的に同じだったらしいです.
要するに圧力をかけて、戦列の崩れた方が負ける.
でもまだ解せないとこがあるので軍事素人から質問させて下さい.
質問:
(1)そもそもなぜ『平原での決戦』というものがあるんでしょう?
ゲリラ戦とか消耗戦で延々とやっていけないものでしょうか.
(2)決戦するにしてもなぜわざわざあんな前から順番に死んでいく、
みたいなやり方なんでしょう?ローマ時代や戦国時代にも柵とか塀を作って
防護してたのに、パトリオットの決戦ではヘルメットも被らず、弾の交換する
時も突っ立ってやってます.なんの工夫も無いです.
あんな戦争よくやったものだと思います.
94 :
>93 :2000/09/25(月) 15:12
93への回答
回答できるやつだけお答えします。
(2)について
一つは指揮官の量と把握が出来ない事。突撃にしても防御にしても
指揮官の声が届く範囲内で行うのが常でした.それゆえ密集する
さらに文盲率の高い当時の一般的に将校の育成は貴族や富豪等限られた人しか
出来ません.国民国家ができていない当時の一般人の愛国心や忠誠心は
かなり怪しいものだった。
立って撃つことに付いては立って撃った方が装填の手間がかからず発射速度が
速いのと今と比較して射程の短い当時の武器では,相手の歩兵突撃を警戒しなければ
ならなかった事情からです。伏せてた時に相手が切りかかってきたら防げないでしょ。
平原
95 :
名無し三等兵 :2000/09/25(月) 16:45
>93
バリーリンドンでも似たよーなシーンあったよ。
>93
(2)から言うと、まず
>お互いライフルをもって隊列を組み、
とあるが、正確にはライフルじゃないよ。
銃身の内側に溝が切ってあって、それによって弾が回転して安定した
弾道を得られるのがライフル銃。独立戦争当時にはまだ実用化されてなかった。
当時の銃は内側が平滑で、まっすぐ飛ぶ距離も極端に短く、30mも離れれば
狙って当てれる代物じゃない。
それに加え94さんの言ってる事もあり、密集する必要があった。
それでも命中率は密集隊列同士で1000発に1発とかだったらしい。
映画じゃバタバタ倒れてるけど、あれはあくまでも映画ね(藁
個人的には白兵戦もかなり怪しいと思ってる。
あと、柵や塹壕は中世からあったよ。伏せ撃ちや膝撃ちも独立戦争以前から
ユーロでは行われてたし。独立戦争ではどうかは良くわからない。
(1)については、
会戦をして勝てば、相手の戦闘力を無くして戦争に決着を付けれるから、かな。
勿論、戦力に劣っているとか、相手を会戦に引きずり出す為やその他で
ゲリラ戦を行う事はある。独立戦争も、独立側はゲリラ戦が多かった、
という印象が多いんだけどどうなんだろう?
97 :
名無し三等兵 :2000/09/25(月) 22:19
散兵で自由に射撃させた方が射撃の効率は良いんだけど、
何せ当たらない。17世紀までの根性の入ったスコットラン
ド高地人の氏族軍やら、ポーランド人槍騎兵やらが突撃して
くると蹴散らされるだけ。結局は有る程度の密集隊形で銃剣
の壁を作らないと、商売に成らない。
でも、やっぱり歩兵同士の戦いでは銃撃で少しでも相手の
戦力を削りたい。したがって2〜3列横隊、突撃はじっくり
歩いてというのが18世紀半ばの軍隊でした。アメリカ独立
戦争では、上の段の「当たらない」って問題が少しだけ解決
したんです。
アメリカの民兵はライフル(速射の必要が無い猟銃だから
)を持って散開隊形(訓練してないもので(^^;)で戦闘をし
て、ワシントンの率いる大陸正規軍を支援した訳です。
そして、この次のナポレオン戦争で、散兵、横隊、攻撃
縦隊を織り交ぜた戦術が完成したという感じです。横隊や縦
隊が使われなくなったのは、後装銃が開発された後で、日本
で言えば明治に入ってからになります。
98 :
>93 :2000/09/25(月) 22:21
今度彼女と見に行こうかと思うんですが面白かったですか?
教えてください。
>96
弾薬自体の質も悪くかなりの確率で不発があったとか聞きましたよ。
その銃はいわゆる「マスケット銃」といわれるものでしょうか?
あとゲリラ活動は主として両サイドの現地軍、及びインディアン部隊が行っていたようですよ。
国王側の本国軍、傭兵部隊(ヘッセン等)、大陸側のフランス軍等はゲリラ活動はしなかったようです。
とはいえ独立戦争当時に映画の題名のような愛国心の対象となるような「合衆国」という概念が存在していたかどうかは疑問ですよね。。
99 :
名無しさん@1周年 :2000/09/25(月) 22:39
そういえば騎馬隊(騎兵隊)がでてきてないのだがなんでかね。
100 :
93 :2000/09/26(火) 11:42
>ALL
だいぶよくわかりました.結局ある意味密集での決戦は(映画で見るほどには)
非効率ばかりでもない、ということですね.1000発に1発しか当たら
ないんなら、ああいうのもアリかも.声が届く範囲、って言うのも盲点でした.
この板はなんか流れていくのが早そうなのでレスないかと思ってたんですが...
ありがとうございます.
>98さん
ぼくの彼女は気分が悪い、といって途中でトイレ行きました.
主人公の家族関係への戦災が惨かったみたいです.
101 :
名無し三等兵 :2000/09/26(火) 21:39
戦闘で「戦死」できるのはまだマシなのかも。
どんな戦争でも(近代のね)戦死者の3割はたいがい移動中に
流行性の病気に感染して病死しちゃうってる。
102 :
98>93 :2000/09/27(水) 12:23
うーん、ちょっとデートには向かないですかね・・・。
レスどうも。
103 :
名無し三等兵 :2000/09/27(水) 16:30
各地を転戦した祖父によると、やはりインパールが最悪だったらしい。
祖父の部隊で生き残ったのはわずか4名。
ほとんどの死者が餓死と病死、渡河時の溺死だったという。
祖父は終戦後もそうとは知らずにジャングルをさまよい、マラリアに
罹って死にかけているところを英軍に見つかり九死に一生をえた。
未だにマラリアの後遺症で、たまに震えたりしている。
戦争の記憶も残ってるんだろうな。
祖父の戦友3名も存命なのは1名だけになった。
104 :
名無し三等兵 :2000/09/27(水) 17:15
やっぱり硫黄島なんじゃないですかね。
日本軍の犠牲者よりも、米軍の犠牲者の方が多かった
唯一の戦場ですよね。確か。
ちなみに、バロン西の映像は、ベルリンオリンピックの記録映画、
民族の祭典でちらっと見られます。馬が壕に飛び込むのを嫌がって、
失格になってました。
105 :
名無し@武器商人 :
ロシア東部戦線かな
凍てついた大地で凍傷で死ぬ兵士
戦場の過酷さは相当だし
TOTALの死者数も半端じゃない