野戦憲兵(ドイツSS)って・・・

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1エルビス コステロ
野戦憲兵って印象が薄いですが、役立たずだったのかそうではなかった
のか、殺戮に荷担したのかわかりません。
ってことで書き込んでください。
2ミルヒ:2000/08/21(月) 23:21
俺もコルゲット着用していることくらいしか知らぬ。
3自営業:2000/08/22(火) 13:56
タイトルの意味が不鮮明ですが、陸軍にも、海軍にも武装SSにも
同じ組織(陸軍なら陸軍の)の制服を着た野戦憲兵がいます。

殺戮とはどういう意味か分りませんが、交通管制から捕虜の取り調べや
占領後背地の治安維持などです。

ドイツ陸軍野戦憲兵は大隊編制が基本で、各野戦憲兵小隊が各師団司令部付きとして
配属されます。装甲師団では野戦憲兵小隊は二個だったかな?

野戦憲兵でも白兵戦記章や戦車撃破記章を付けてますので、リア・マザー・ファッカアー
ではないようです。
4名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/08/22(火) 14:25

自営業さん、ありがとうございます。
秩序警察なのかSD、ゲシュタポやクリポなのか不明で興味が湧いたのですが、
その割にはあまり語られずにいたので、フランス占領地の秘密戦場警察や
特別行動隊と区別がつかなかったのです。

殺戮の件はベルリン陥落直前の督戦隊の事です。武装SS装備したゲシュタポ
などの一般SS移動軍事法廷の他に、野戦憲兵の服装の軍事法廷があったような・・
と言うことです。

白兵戦記章・・彼等もただの警察ではないのですね。秩序警察からなるSS警察師団に
いた人と思っていました。
無関係ながら、SS警察師団には、政治犯やユダヤ人スラヴ人に対する殺戮や非人道行為が
まかり通る収容所勤務に耐えられなくなった人もいて、階級章や襟章なしで参加したと聞いたことが
あります。

ミルヒさん、僕も同じでした。
5自営業:2000/08/22(火) 17:10
野戦憲兵は1939年にOKHの指令で、民間警察と交通警察と
軍の下士官から選抜されて基礎は作られたとあります。

その後は、軍内部の警察学校が作られ(野戦憲兵教育)たようです。
それ以上は勘弁。
6某所よりのコピペ:2000/08/22(火) 17:27
“Chain Dogs:The German Army Military Police of World War U”
Robert E.Witter@`Pictorial Histories Pub.Co.
ISBN 0-929521-86-2(Volume Two;ISBN 1-57510-0134)

 著者はベトナム戦争に従軍したアメリカ人で、学校や市民団体のために“Reenactment”を行う非営利団体である、軍事史教育協会に参加している。日本では考えられないコンセプトの団体であるが、このことはこの本の性格を説明する上で重要である。この本には軍装、書類、編成、主要部隊一覧といった、憲兵隊の様子を総合的にイメージするための情報が、広く浅く収められている。第2巻はいくつかの元ドイツ憲兵の体験談と、より包括的な部隊リストにあてられており、こちらだけ買っても活用しづらいであろう。

 第一次大戦後、ドイツは陸軍の定員を厳しく制限されたので、憲兵隊(Feldgendarmerie)は警察の一部とされた。同じように、警察の中の準軍事組織として治安警察(Orpo)が作られた。ヒトラー政権下で憲兵隊は再び国防軍に属することになり、治安警察は警察の(つまりヒムラーの)指揮下に残ったが、後方地域や占領地域が広がるにつれて、治安警察から憲兵隊にかなりの人員が移された。特に、特定の師団に属さず後方地域の治安任務に就く軍直轄憲兵大隊については、ほとんどが治安警察からの移籍者を中心に編成された。
 師団の憲兵隊は“Trupp”であり、小隊とも中隊ともつかない位置づけであったが、指揮官は少尉または中尉であった。Buchnerの扱った1940年の歩兵師団では、憲兵隊は指揮官も含めて37名で、乗用車7台、オートバイ6台、サイドカー2台、トラック1台を持っていた。Witterの挙げた同種の部隊の例では総数は33名で、装備は不明だが、次のような構成になっている。

指揮官
・乗車士官(Vehicle Officer)
・憲兵:14名(下士官)
・運転手:15名(下士官7名、兵8名)
・運転助手、トラック運転手:各兵1名

 軍の権威を代表する性格上、下士官の割合がきわめて高い。そして歩兵師団の中では、全体が自動車やオートバイで移動できる数少ない部隊である。このことは憲兵たちにとって不幸な結果をもたらした。師団の前進時に、憲兵隊は先遣隊のそのまた前の偵察を命じられることが多く、軽武装にもかかわらずしばしば戦闘に巻き込まれたのである。

 軍直轄憲兵大隊は普通、三個憲兵中隊から成っていた。中隊は三個小隊に分かれていて、やはり半数近くが「運転手」で、残りは下士官であった。

 このほか、軍直轄の憲兵隊が多数存在した。これらは師団憲兵隊に似た規模であったが、自転車の割合が高い「駐在さん」であった。

 開戦当初から、交通整理は憲兵隊の重要任務であった。このために二個中隊編成の交通整理大隊がいくつか編成されたが、1942年に相次いで解隊させられ、既存の憲兵大隊に併合されたり、憲兵大隊として再編されたりした。
7エルビス コステロ:2000/08/22(火) 21:28
や!すごい!
詳しい内容をありがとうございます。
確かに交通整理の写真のみ見た事があります。
8名無しさん@そうだ選挙にいこう
アインザッツグリュッペンとは違うんだね。