大橋武夫
兵法ナポレオンを読んだ。
一・五倍になった
オーストリア軍をカッコよく各個撃破する
ガルダ湖畔の戦いを読んで、
私もこうありたいものだと
内心思っていたら、
その解説文で、このようなことを続けていけば
破綻するのは明白だと書いてあった。
¥2500もしたがそれなりの価値はあったと思う。
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http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=962485777&ls=50 20 名前: 竹田丹後守 投稿日: 2000/07/03(月) 00:22
余談になりますが、大橋武夫さんの本は俺も何冊か持っていますが、最近、日本
古戦史に関しては従来の定説を覆すほどの説得力を持った異説が続出してまして、
そっち関係については全然信用できなくなりました
例:桶狭間合戦で織田軍の迂回奇襲はなかった
第4次川中島合戦で上杉軍は妻女山に布陣していなかった
姉川合戦で徳川軍の迂回攻撃はなかった
長篠の合戦で鉄砲三段撃ちはなかった
いわゆる武田騎馬軍団などというものは存在していなかった
鉄砲の威力は喧伝されているほどではない
・・・・・・・・等々 <
私もそのような欠点はよく知っています。
しかしそれまでの意見をまとめた研究成果があればこそ
それに対する批判が成り立つのであり、
欠点はあっても価値はあります。
また今読み返してみれば、
意外と新しい発見があるかもしれない、と再度研究中です。
http://union-jp.net/home/ysngmilk.html 例えば大橋武夫 はよく孫子の意見として「兵は拙速を貴ぶ」という
引用をしていますが、
兵藤二十八も指摘しているとうりこの語は孫子にはないです。
原文は「兵は拙速を聞くも、未だ功久を睹ざるなり」。
100聞は1見に如かずという諺がある。
これは後段の「功久を睹ざるなり」に重点が置かれている
と思います。
私の思い浮かべる「拙速」の実例は
1943年に三式戦がラバウルに行こうとして
大半が海没したことがあげられます。
(三野正洋「日本軍小失敗の研究」・渡辺洋二「液冷戦闘機飛燕」参照)
つまり「拙速」とは「速くしようとして拙くなってしまった」
という意味ではないでしょうか?
しかも「聞く」(伝聞)に過ぎないもので、「そうかどうか詳しくは判らない」
というニュアンスで。
それに対し、「功久を睹ざるなり」は「睹」という直接見た上での判断で、
「絶対にありえない」というニュアンスが込められているのではないでしょうか?
大橋武夫は「兵は拙速を貴ぶ」の実例として北条氏が小田原評定で戦機を逸した
ことをあげています。
いろんな案がある中、何でもいいから一つを選んであれこれ迷うヒマに
長所を伸ばして短所を補う工夫をするべきだったと。