ミグ25

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1名無しさん@そうだ選挙にいこう
ミグ25が日本の防空網をかいくぐって北海道に強行着陸した
当時の日本および世界の反応を教えて下さい。

ミグ25当時、ソ連の最新鋭機だったと聞きましたが・・・
そりゃあもう蜂の巣突付き回した時のような大騒ぎさね。
3連隊長の責任で実弾配ったんだっけ?:2000/07/10(月) 19:14
当時の百里の整備班の話だけど、アメリカの調査班は、きちんとミグに企画のあったモジュラージャック
と電子部品持参で、機体調査にのぞんだそうだ。
当時から、アメリカの対ソ情報収集能力は凄かったということだ。

ちなみにギャラクシーに乗って百里を去るさいの
「さよなら皆さん、ご迷惑をおかけしました」
という垂れ幕は、百里整備班の直筆。
4生き証人:2000/07/10(月) 19:15
読売新聞含めて当時の大新聞は一面トップ、テレビはどの局も現場生中継
で、オウムの地下鉄サリン事件を想像して下さい。
あれ並みの反応でした。
空自は真っ青になって現場司令官が辞職覚悟で実弾配った。
当時はソ連の領空侵犯アタリマエの冷戦真っ最中。
本気でヤバかったらしいね。

陸自と海自は寝てたけど。

で、CIAとかアメちゃん交えて徹底解剖したのだけど
最後まで緊張は続いたらしいね。
ソ連が特殊部隊を送り込んで奪還するとか
爆撃機で爆撃破壊するとか噂が飛び交った。

事実、ソ連もそれを本気で考慮するくらいの
国家最高機密最新鋭機だったんだよね。
6名無しさん:2000/07/10(月) 19:21
 今でいうならば、F−22が北朝鮮に亡命着陸してしまう
ようなものか?
7名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/10(月) 19:29
いや、せいぜいスーパーホーネットぐらい。
それから、海自も護衛艦を津軽海峡に出したし。
陸自も空港周辺に対空機関砲配備した。
日本は北朝鮮かよ…
イケだダイ作支配されたら否定できんな…
9北朝鮮に比べられると困るが(^^:;):2000/07/10(月) 20:11
当時、プエプロ号拿捕事件とか、コンステレーション旅客機を電子偵察機に改造した
大型機が撃墜されたりとか、70年代の日本海はほんと、緊迫してましたね。

さーて、気分も出来てきたとこだし、HARPOON2でもやるか(笑)
10真空管:2000/07/10(月) 23:35
世界をズッコケさせました
11名無しさん@1周年:2000/07/11(火) 00:21
>10
これもテストに好適だね^^;
MiG25と同世代の機体は西側も真空管を使ってるってば^^;

では次のテスト。
「スチールを多用した機体構造」を評価せよ。
12>10:2000/07/11(火) 00:21
当時は「技術的に遅れている証拠だ」と報道されましたが
核攻撃時に発生する強力な電磁パルスに対する対策だったと
今では解釈されています。
LSIはともかくIC程度でしたら当時のソ連でも
大量生産されていましたからね。
EMP対策としては当時のアメリカより進んでいて
Mig-25調査後にアメリカは大慌てで
大統領専用機を筆頭に対EMP対策を施したといわれています。

しかしアメリカでも核実験でホノルル大停電とか
EMP試験はしていたワケで
やはり対策とはいえ
ソ連は遅れていたといわざるを得ませんね。
13>11:2000/07/11(火) 00:28
テスト云々という書き込みをして
悦にいるのはが見苦しいと思います。
単なるアゲ足とりの軍事ヲタみたいですよ。
そういう投稿をなさる前に
ご自分でネタなり話題を提供されてはいかがでしょうか?


耐熱対策と金属加工技術の為では?
開発期間とコスト的な部分でも問題視されたと
当時の開発者が述懐しています。
冶金技術や合金開発では
世界に遅れてはいなかったので。

ヴァルキリーショックは相当だったのではないでしょうか?
14名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/11(火) 00:30
すごい騒ぎだったんですね。

ベレンコさんは今でもアメリカで健在だそうですが、詳しい消息を
ご存じの方いますか。
(何でも自伝の映画化企画を持ち込んで回ってるとか?)
15名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/11(火) 00:35
TVで見たんだけど
なんかセスナだかライトプレーンだかを売って回っている
セールスマンらしいぞ。
16名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/11(火) 00:52
当時は真空管や鉄製の機体云々、なんとかソ連の技術力の
評価を落とそうと躍起になっていた感じでしたね。

あと、その年(次の年かな)の入間の航空祭につれてって
もらって、パンフレット買ってもらったら、MIG25の
ページが切り取られていたのを覚えています。
「昨日までは在ったんだけどね、ごめんね」だって。

単位重量当りの強度はアルミ合金より鉄の方が強い、だから
鉄でつくった方が軽くできる、なんて話しを読んだ事があり
ました。(旧日本の設計者だったと思う)
で、世界の傑作機読んだら、相当剛性不足で苦しんでいた
ようで、なるほど納得、鉄は鉄で難しいか。
>>13
Mig25の機体評価に関しては「世界の傑作機」がちょうど出たばかりだから
あれを読んでみて(あの解説で十分だと思う)
まだ書店にある筈。

>>11
最近、見苦しい兵器オタがあちこちのスレッドに出没してるけど同一人物かな?、藁)
18名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/11(火) 10:18
>核攻撃時に発生する強力な電磁パルスに対する対策だったと
>今では解釈されています。

こんなこと信じてるの日本人以外にいるの?
19名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/11(火) 10:36
MIG-25は実は傑作機です 特に設計とエンジンが エンジンの燃費は、西側以上
だったし、F14やF15はMIG-25をかなり意識した形状をしているし。
20>10:2000/07/11(火) 10:37
>LSIはともかくIC程度でしたら当時のソ連でも
>大量生産されていましたからね。
 当時ってのは、ミグ25が設計された1960年代前半のこと?
それだったら明らかな考証ミス。
もしミグ25が亡命した1976年当時のことだったら、
兵器の開発と生産についてもっと勉強した方がいいよ。
21>16:2000/07/11(火) 10:39
単位重量当たりの強度が高い鋼を使うと、板厚が薄くなる。
すると強度を保てても、剛性が不足して、座屈などの問題が生じやすい。
ってことですね。
22べれんこ:2000/07/11(火) 10:40
23名無しさん@1周年:2000/07/11(火) 11:22
新聞の漫画だったと思うけど、日本人・アメリカ人の騒ぎを見たソ連の
軍人が”遅れてるね”と横にいる別のソ連軍人に話し、
その軍人の横にはミグ29とか書いてある戦闘機がありました。
けっこう笑えた。
カーチス・ルメイに勲章やるぐらいならベレンコ元中尉にも勲章やれば
いいのに、日本政府。
空自の発展に多大の貢献した一人だよ(笑)
どうせなら函館亡命事件25周年って事で彼を千歳基地にでも招待してF-15DJ
の後席にでも乗せて体験搭乗でもさせてやればいいのに。
(でもってかつて亡命した空路を辿るとかね)

自衛隊ってこういう粋なはからいと言うか洒落が下手なんだよねえ。
(本人が嫌がるかな)
25さるべーじゃー:2000/07/11(火) 12:28
KGBの影に脅えながらもベレンコは亡命から2年たった1978年ごろ、米空軍の依頼を受け、極秘裏に世界中の米軍基地を回る。CIAの厳重な警護を受けながら、各地でソ連軍の戦略やミグ戦闘機の性能、ロシア人の考え方について講演した。
「実はこの時、欧州や東南アジアにも行き、沖縄と東京に3日間滞在した」と初めて打ち明けた。もちろん当時は「ベレンコ」では無くフィンランド人になりすましていた。東京では、銀座を車で通過した。「思い出の地、北海道にも行きたい」と願い出たが、「とんでもない」と却下された。
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Ref.「ベレンコ中尉22年目の証言」
彼はよく暗殺されなかったと思う。
ただもう時効でしょう。
のんびり北海道旅行でもして欲しいですね。
27名無しさん:2000/07/11(火) 15:39
当時の函館湯ノ川温泉のストリップ小屋では
「ミロ69 ベレンコ中尉もデレンコ」
というコピーが踊っていたとかなんとか。
28名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/11(火) 15:53
ここに当時のMiG25の調査の様子がちょっと載ってました。
おもわず笑ってしまいます。恐るべし、アメリカ!(w
http://www.asahi-net.or.jp/~dh3k-hshr/
直通:http://www.asahi-net.or.jp/~dh3k-hshr/f104c.html
F104の 操縦法の話しだけど、ちょっと読んでみると(うふふ
29名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/11(火) 16:54
ベレンコ中尉は、出前の親子丼に感動したらしい。
ロシア軍の飯はまずいし党幹部しか料理店に行けないので、
奥さんが料理下手だったら、一生うまい飯は食えません。
実際、看護婦の妻とはうまくいってなかったらしくて、
それも亡命に至った主の理由の一つらしい
30あびき:2000/07/11(火) 17:33
いきなりシート被せて見れなくしてしまったし。
写真を撮っていた記者だかが、パイロットの中尉が下りてきたら
フィルム抜いて投げたとか?何でだ?日本国内なのに。
とにかくやたらソ連に気を使っていたみたいだった。
Mig25、解体したりせず、そのままソ連に返すべきだなんて意見が
朝日新聞に出てたりしとったしな。
31名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/13(木) 17:44
当時のハセガワの対応の早さにびっくりしましたね。
その時は、どうせ想像がかなり入ったトンデモキットだと
思っていたけど、結構正確そうですね。
今度みつけたら検証してみよっと。
32ジャック:2000/07/14(金) 12:26
すいません。
あの時、北海道にMIGが向かってるのを自衛隊(含米軍)は知ってたけど、高い情報収集力を隠す為と、気付かなかったふりして予算増やそうとしたってのは、
ありゃ、やっぱりネタだったんでしょうか?実弾配ったりって手の込んだ芝居...。
後に「レッドオクトーバーを追え」観た時に、こんな感じだったのかな?って思ったんですが。
ハンガーでライアンみたいなのが出迎えて、「待ってたよ。」とか...。
>3さんがおっしゃってた事もうなずけるような。
33>32:2000/07/14(金) 12:29
ネタに決まってるだろ。信じる奴いるのか?
34キルロイ:2000/07/14(金) 17:32
東京かどこかの不動産屋が資金出して映画化するって話があったなあ。
35CIA:2000/07/14(金) 19:42
>33
隠蔽工作順調
36吉澤のお母さんがスキっ!:2000/07/16(日) 11:51
アメちゃんはギャラクシーを貸す時、タダと言っていたのに
後になって半額分の請求書を廻して来たそうです。

※口約束はあてになりませんな〜
37名無しさん@そうだ選挙にいこう
>5
海自は起きていました
当時の第4護衛隊群と大湊地方総監部がC−5Aギャラクシー
空輸まで津軽海峡を護衛艦6隻駆潜艇4隻魚雷艇2隻掃海艇2
隻で7分割して警備にあたったそうです
函館空港から離陸したC−5Aを撃墜するソ連艇に備え実弾を
備えていたが、そのとき2隻のソ連艇が津軽海峡を函館に向か
て走行中、そのとき第4護衛隊群司令官が「戦闘用意」を令し
て最初で最後の実戦一歩手前になったそうです。