「紫電改」vs「疾風」最高傑作はどっちだ?

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1asd
僕は「紫電改」に1票。
f6fやf4uと互角に戦ったというのは凄い
2名無しさん:2000/06/12(月) 18:47
疾風じゃズラが飛ばされそうでヤ。
3名無しさん:2000/06/12(月) 18:59
坂井三郎曰く、
「紫電改が最高だなんて、とんでもない。戦後の知らない人は、紫電、紫電改って
なんか名前がいいでしょ、すごい戦闘機だと思っている。 源田実の部隊でそれを
使ったもんだから、源田の宣伝で連戦連勝したようなこといっているけれど、
沖縄戦のころは、私自身、源田の部隊にいましたからね。陸軍の戦闘機はどんどん
沖縄に行っているのに、行動力ないから途中までしか行けないんですよ。
使い物にならない。四式戦に比べたら問題にならない駄作です。」
4名無しさん:2000/06/12(月) 19:04
坂井さんは紫電改っていうか、源田実が嫌いだったらしい。
5名無しさん:2000/06/12(月) 19:23
性能低下する前の、初期生産型の疾風が最高じゃないかな。
6名無しさん:2000/06/12(月) 19:23
私は美しさから言って疾風派だが、実績ではもちろん紫電改だと思う。
(熟練パイロットを大戦隊で集中使用した面も大きい。)

ただ設計面はやはり疾風が上だと思う。最高速度を出す条件はほぼ同じ
だと思うが(戦闘重量は大差なく、疾風の方が1割強主翼が小さいがプロペラも20センチ短い
ので・・・)明らかに疾風の方が優速である。
7>4:2000/06/12(月) 19:27
『零戦の真実』で源田実も山本五十六も戦闘機無用論の推進者で
日本海軍戦闘機隊を弱体化させたと批判していますね。
8名無しさん:2000/06/12(月) 19:35
同じく坂井三郎曰く、
「源田部隊が始まった時に、私は、その時の副長からぜひ来てくれということで、
呼ばれていったんです。現場は、もう惨憺たる状況。紫電改の操縦法と紫電の
空戦法を指導してくれと。差しつかえるから、ほんとのことはあまりいえませんけれどね。
惨憺たるものでした。源田が指揮すると、ばったばったとやられていく。冗談じゃない、
あんなに戦死者・犠牲者の出た部隊はないんですよ。聞いていたのとまったく違う場合が、
軍に関する限り、あまりにも多すぎる。」

坂井氏の源田批判も、ここまでくると確かに私怨らしきものを感じますね。
9名無しさん:2000/06/12(月) 19:39
四式戦闘機  疾風
エンジン 中島四式 ハ−45 2000hp(海軍名 誉)
全幅 11.30m
全長 9.74m
最大速度 624km/h
航続距離 2500km
武装 12.7mm*2 20mm*2

局地戦闘機  紫電改
エンジン 中島 誉 21型 1990hp
全幅 11.99m
全長 9.364m
最大速度 596km/h
航続距離 1715km
武装 20mm機銃*4

カタログデータだけ見れば疾風の方が上っぽいと思うが、
個人的には紫電改の方が好き。
10名無しさん:2000/06/12(月) 19:43
誉エンジン好調であった疾風出現初期、22戦隊や85戦隊が
P51と互角に戦ったことは事実であり、ホンダF1のひな型を
見るものであった、と某評論家が言っていた。
紫電改じゃやはりワンランク下のグラマンでしょう。
11はっきり言って:2000/06/12(月) 19:53
(どちらもエンジン好調と仮定した場合)旋回性で紫電改、
上昇力でほぼ互角、速度・加速・ロール・降下・安定とも
疾風が上じゃないかな?(確たる根拠はありませんので、詳しい
方のご意見お待ちしてます。)

防弾面では自動消化装置も備えた紫電改の方が一枚上だと思います。
12ココのスレッドには:2000/06/12(月) 21:12
「Warbirds」から紛れ込んだ奴がおるっ!

だれだ?
13名無しさん:2000/06/12(月) 22:29
戦後アメリカのテストでハイオク積んだ疾風の最高時速は689キロ
同じく紫電改は670キロを記録した。
でもP51は740キロだって。
14>13:2000/06/12(月) 22:36
それはD型でしょうか?ひょっとして間に合わなかったH型では?
私の読んだ本では高度6100メートルで疾風はP51Dより5キロ
優速(689キロ)だったとされていますが・・・。(ま、高々度では逆転する
でしょうけど・・・)
15名無しさん:2000/06/12(月) 22:41
とにかく戦後のテストで疾風はすばらしかったようですね。
上昇力はすべての連合軍機をしのぎ、運動性は連合軍側ナンバー1の
スピット9、14にも明らかに勝っていると判定されています。
16名無しさん:2000/06/12(月) 22:42
DとHではもう別の戦闘機だもんなあ。

6さんも書いているけど疾風は集中運用しなかったのが勿体無いですね。
17名無しさん:2000/06/13(火) 01:05
五式戦はどうよ。
18名無しさん:2000/06/13(火) 02:11
結局の所は空戦って数の勝負ですから集中運用した紫電改に
実績が残っていて疾風には残っていないだけでは.
機体設計そのものの優劣では疾風に軍配をあげますね.

>16 D 型 H 型
とりあえずエンジンが同じなだけでほとんど全面再設計に
近いですからね
19>12:2000/06/13(火) 02:17
warbirdsにいるBUNさんって凄まじいね。
20疾風ファン:2000/06/13(火) 07:53
たしか代永少佐という人が疾風の大量集中使用を上層部に訴えたんですが
受け入れられずに更迭されたそうです。
まったく官僚組織ですね。
疾風はエンジンさえ満足に動けば素晴らしい機体だったけれど、操縦はけっこう
むつかしく、その点でも未熟練者にもたやすく乗りこなせた五式戦のほうが
歓迎されたようです。
21名無しさん:2000/06/13(火) 09:01
>疾風ファン氏

47戦隊では抜群の稼動実績を誇ってましたよね。
誉は言われるほど酷くは無かったのかもと想像します。

それに他の部隊から見学者がよく来たようですが、それを全部体に波及
できなかったのもその硬直した組織ゆえだったのかもしれませんね。
高性能エンジンゆえそれなりのメンテナンスが必要なのは当たり前な事を
理解できなかったのかもしれません。
自動車運転がまだまだ特殊な才能だった日本に比べ、一般的だった
アメリカとでは、そういった面に関する意識も全く異なっていたのでは
ないでしょうか? 伝統的に後方を軽視しますし。
#ガソリン入れれば動く、程度の知識しかないとか。

現在の自衛隊でも新装備の導入には意欲的ですが、既存装備の
アップデートやメンテナンスにはさほど努力を払わない印象をもちます。
何にも変わっていないのかもしれません。

操縦の容易さでは二式戦が面白いようですね。
ベテランには扱いずらかったようですが、新人は容易に乗りこなしたようです。
加速も射撃時の安定性もよかったみたいですね。
22疾風に一票:2000/06/13(火) 09:26
戦闘機の老舗、中島の疾風に一票。
川西は次の陣風がなかなか良い出来だと思います(モックアップだけど・・・・)
川西の強風から紫電改の流れは同社にとって戦闘機の習作だったと思っている
私です。
(武装に関しては紫電改の99式2号銃の方が良いと思いますけど)
でもって、疾風の場合は機体の出来よりも運用条件が悪かったですね。

それから疾風に実績が残ってないとの意見には反対。
トータルの実績では疾風が上、500機足らずでしかも1個航空隊しか
編成されなかった紫電改と3000機以上量産された疾風で、実績で
紫電改が上回るなどとは笑止!
23モナザイト:2000/06/13(火) 09:32
やっぱ震電だよ。
24名無しさん:2000/06/13(火) 09:43
>22
紫電改と比べて疾風の活躍は華が無いって感じはしますね。
これが実績で紫電改に劣るって世間に思われてしまう原因でしょうか。
紫電改の方は343空での活躍が戦後過大に宣伝されている様に思います。
(343空の戦果は公式には170機だったと思いますけど、これは紫電での
 戦果も含んでいるし、決して満足の行く戦果ではないと思います)
25名無しさん:2000/06/13(火) 09:58
急降下中に空中分解して原因不明ってのはいただけませんね>紫電改
26名無しさん:2000/06/13(火) 10:32
個人的には紫電改が好きですが、生産性を考慮するとやはり疾風でしょう。
(設計の経緯も時期も異なるわけですから、当然といえば当然かな)
27名無しさん:2000/06/13(火) 11:31
独創性で紫電改をかいます。逆に、疾風は全く特徴の無い
ところが凄い。

紫電改のセールスポイント
腕比変更:速度感能式、自動で切り替えます。
自動空戦フラップ:速度とGセンサーで制御します。
自動消火装置:も標準装備です。
どうですか、お客さん!


28名無しさん:2000/06/13(火) 11:39
>27
>>腕比変更:速度感能式、自動で切り替えます。
手元に資料がないのでうる憶えだけど・・・・自動でしたっけ?
(手動切り替えだったと思うのだけど)
>>自動消火装置:も標準装備です。
紫電改の頃なら別に珍しくもないです。
29名無しさん:2000/06/13(火) 12:02
長谷川から48で新しいのが出ます…。
30>27:2000/06/13(火) 12:25
>自動空戦フラップ
P−51でさえ手動で、アメ公が大分興味もってたみたいですね。
31やっぱ改より:2000/06/13(火) 13:10
紫電だよ。
32カイ・シデン:2000/06/13(火) 13:23
やっぱり軟弱者かぁ・・・
33名無しさん:2000/06/13(火) 13:28
>32
ガンダムさんいらっしゃ〜い
34太平(西)洋を血に染めて:2000/06/13(火) 13:55
ミハルぅ〜

それはさておき、自動空戦フラップは確か水銀スイッチを使用していて、
(文字通り)自動です。機密度は高く不時着時にはすぐ外して投棄できる
ようになっていたと思います。
35断然4式戦でしょう:2000/06/13(火) 20:15
坂井三郎氏は週間プレイボーイの人生相談で、大戦中の傑作機は

1 P-51
2 疾風
3 零戦

と語ってた。陸軍の次々に新型機を開発していったその経緯は素晴らしいと。

2式戦も米軍によれば「インターセプターとしての性能は素晴らしい」
と絶賛されたらしい。5式戦もP-51と相性が良かったらしいし。

雷電も2式戦と比べるとヘボかったんじゃねーの?
36ベンゼン中尉:2000/06/13(火) 20:17
空戦性能では、紫電改の方が上です。日本最強戦闘機は紫電改。
ちなみに火器においても、20ミリ4門は強力。
37名無しさん:2000/06/13(火) 20:23
乗ったことも無いくせに、ずいぶんえらそうだな。
38名無しさん:2000/06/13(火) 21:03
>36
「空戦性能」とはなんぞや?
39名無しさん:2000/06/13(火) 21:21
疾風の方が空力学的にはるかに洗練されているのはどの評論家でも
認めていると思います。(特に機首から主翼付近の胴体まわりの
処理は顕著です。)
たしかに旋回性はふたまわりも紫電改のほうが上でしょうが、あとの
性能は全部疾風の方が上とみて良いのでは・・・
イイといわれる紫電改の運動性ですが急激な横滑りができないという
欠点がありました。旋回性は運動性の重要な要素ですが、それに加速、
ロールその他の要素も加味する必要があります。
スピットよりはるかに高翼面荷重のFW190が総合的な運動性で
スピットとほぼ互角とされていることでも明らかでしょう。
40>35:2000/06/13(火) 21:36
昭和17年頃、海軍陸軍対抗戦闘機性能競技会を行っています。
零戦21型と隼1型、鍾馗が出場していますが、あらゆる性能で零戦が勝っていたそうです。
41>40:2000/06/13(火) 21:52
(35さんじゃないけど)
昭和16年だったと思います。零戦が隼1型(495キロ)に勝つのは
当然でしょう。でも隼もV型になると火力を除けば零戦52型にまったく
匹敵した機体になりました。
鍾馗(1型)は未だ開発途上の機体でこの頃は534キロしか出ていません。
その後改修されて580キロという高性能を発揮しました。
42名無しさん:2000/06/13(火) 22:04
間違いなく鍾馗(2型)は昭和18年初期、世界のトップ3に入る
戦闘機でしょう。速度、上昇、加速、降下どれも優秀で、悪いといわれた
格闘性も大部分の外国機より良かったはず。(火力は貧弱だけど。)
飛燕より鍾馗を育てるべきだったと思う。
43>42:2000/06/13(火) 22:09
足が短い。
太平洋戦争ではつかいずらい。>キー44
44>42:2000/06/13(火) 23:48
キ−44を育てたものがキ44の3型で、無理があるので
再設計してキ84になりました。
つまり「疾風」とは「鍾馗を育てたもの」そのものです。
ただ、エンジンを「誉」でなくハ42(その時点ではハ104)
にしておけばあんなミジメな稼働率にはならなかったでしょうし、
半世紀も後になってからも紫電改と比べられるような
ことにはならなかったでしょう。


ところで、紫電改の空中戦での戦果が零戦53型と
変わらない(それどころかやや劣る)ことはご存知でしょうか
>紫電改信者の方々
ついでに言うと、「米戦闘機に大打撃を与えた」日の
米軍の戦闘記録には該当が無いことも……。
4528:2000/06/14(水) 01:10
>27
>>腕比変更:速度感能式、自動で切り替えます。
>>>手元に資料がないのでうる憶えだけど・・・・自動でしたっけ?
>>>(手動切り替えだったと思うのだけど)
ゴメン、調べたら自動空戦フラップと連動してて自動切り替えでした。
あなたが正しい。

46名無しさん:2000/06/14(水) 01:31
20ミリ砲は真っ直ぐ飛ばなくて難儀したって言っていたよ
米軍の12ミリ砲を沢山入れた砲がよかったらしい。
47名無しさん:2000/06/14(水) 06:19
でも、13ミリで米軍機を落とせるの?

48名無しさん:2000/06/14(水) 07:13
>47
坂井三郎氏はほとんどの敵は7.7ミリで喰った と、語ってた
49>44:2000/06/14(水) 07:52
疾風派ですが、紫電改のこの3月19日の空戦は第2時大戦ブックス
「グラマン戦闘機」(サンケイブックス、現在は廃刊)では、パラシュート
で脱出して捕虜になった米パイロットが19人もいたそうです。
これが事実ならば、少なくともその同数以上は被弾戦死と見るべきですから
52機撃墜発表はともかくとして40機ぐらいの戦果はあったのでは
と個人的には思いますが・・・。
50名無しさん:2000/06/14(水) 07:54
一式陸攻相手の米軍と、B17@`B29が相手の日本では同列に語れんと思うのだが。
51名無しさん:2000/06/14(水) 09:13
日独の戦闘機では20mmは最低限必須でしょう。
52>49:2000/06/14(水) 09:41
その日は陸海軍総出で迎撃したのであって、343空はあくまでも一部隊
に過ぎません。
ちなみにこの時の日本軍の総戦果報告243機に対し、米軍の喪失は60
機となってます。
なお米軍の総戦果報告(撃墜、地上撃破)は303機に対し、実際の日本軍
の損害は80機でまあどっちもどっちです。
53名無しさん:2000/06/14(水) 10:36
>52
あの日の343空の損害って何機でしたっけ?
(会社でこそこそとネットしてるんで手元に資料が無くて^^;)
有利な態勢で戦闘を始めた割には損害が多いと記憶しているんですが。
54>52:2000/06/14(水) 11:14
>52さん

それは2月16、17日の関東上空の大空戦のはずですよ。
この時は未だ紫電改は初陣を飾っていません。
渡辺洋二氏著「本土防空戦」を参照願います。
もし図書館・古本屋等で「グラマン戦闘機」があればそちらも
参照下さい。

なお2月16、17日の空戦で米軍の損害は1説には88機とも
いわれており大戦末期にしてはよく健闘した戦いだったようです。
55名無しさん:2000/06/14(水) 11:26
「零戦燃ゆ」によれば、
出撃54機、未帰還12機。
戦果報告は、F6F、F4Uを48機、SB2Cを4機の計52機。
米側損害は、F6Fが数機、F4Uが6機、SB2Cが数機、被弾機多数。
「数機」ってのが曖昧ですが。
56>54:2000/06/14(水) 12:07
52より
すいません。勘違いでした。お詫びします。
57名無しさん:2000/06/14(水) 12:08
グラマンの場合は行方不明機として処理してしまい敵機による損失と
しないことが結構ある、聞いたことがありますが・・・
5849、54:2000/06/14(水) 12:11
>52さん
ご丁寧にありがとうございます。
59疾風ファン:2000/06/14(水) 12:44
碇氏著「紫電改」ではこの日(3月19日)の米軍の無電は
「旗艦のグラマン戦闘機隊は全滅せり。日本海軍に新型戦闘機あらわる」
と通信隊が傍受したとのことだけど事実なんだろうか??・・・。
60名無しさん:2000/06/14(水) 16:59

姿形は疾風が好き。
紫電改も好きなのだが、主翼の後ろ側の胴体との接合方式がいまいち。
61名無しさん:2000/06/14(水) 21:18
戦争の勝ち負けは兎も角、陸海軍が航空機開発を統合してれば、もう
ちっとマシなモンつくれたような気もするが・・・
日本機がショボいとか言ってんじゃなくて、資材や頭脳の面で考えてね。
62>61:2000/06/14(水) 22:09
同感。何人かの著述家が大戦末期は(着水装置など)死重がなく
生産性から考えても疾風1機種にすべきだったと書いています。
63名無しさん:2000/06/14(水) 22:13
なんか陣風はかっこいい戦闘機になりそうで、是非熟成させてほしかった。
疾風の次の日本を代表する戦闘機になったのでは・・・
(烈風より強そう。)
64名無しさん:2000/06/14(水) 23:53
そもそも陸軍機と海軍機って艦上戦闘機以外でどう違うの?
海上航行の為に何か付いていたのかな?
65名無しさん:2000/06/15(木) 07:50
陣風って未完成だけどどのくらいの性能だせそうだったの?
66名無しさん:2000/06/15(木) 11:06
>63
でも「陣風」が戦力化する頃は世はジェット時代に入ってしまうのですよ(悲しい)
67>66:2000/06/15(木) 11:32
まあ、そう言いいなさんなって。
仮に戦争が続いても2、3年はジエット・レシプロ併用期があったと思うよ。
戦後疾風も中国(国民党)空軍に引き渡され好評だったらしいし、
P51も朝鮮戦争(1950年)でも活躍してます。
68>67:2000/06/15(木) 11:53
でも、併用しようにも併用するジェットの方が・・・「火龍」がモノになるんかいな?
(エンジン次第だけど・・・)
しかしP-80相手はちと辛いなあ、ついでに戦争が続いた場合(あり得ないけど)
P-51HやP-47NやF8Fを凌ぐ恐竜的進化のレシプロ戦闘機が続々登場するから、余計に
影が薄いっす。
69名無しさん:2000/06/15(木) 13:05
震電もすぐにジエットエンジンに換装することを想定して
造ったようだ、と書いた人もいました。
70名無しさん:2000/06/15(木) 18:41
戦中日本がジェット機を開発してたころは、まだ技術的にも資源的にも
ちゃんとした(実戦に耐えうるってこと)モノは作れなかったと思うな。
例えば、エンジンのタービンブレード部分の強度不足とかね。それで耐用
時間が短くて、回転数もあんまし上がんなかった。
71名無しさん:2000/06/15(木) 19:02
川崎のはタービンブレードが溶接だったのでそこから折損したのでしたっけ。
Jumoは植え込みだったとか。
まあ片手間に開発してたものにしては上出来だと思います。
我が国の"えらいひと"は下から上がってきた物は軽視するくせに、
他所(この場合はドイツ)が作ると途端に手のひらを返す傾向がある。
72名無しさん:2000/06/15(木) 19:17
>71
ブレードを溶接しないのはイギリスのホイットルの発明です。
(クリスマスツリーの秘密って奴)
日本(空技廠)のジェット開発は取り組みは長いんだけど(TRシリーズね)
暗中模索の間違った方向からドイツからサンプル見せられて(写真と構造図
だけ)正しい方向に進んでからの開発速度はまさに驚異的でしたね。

この話しは「ジェットエンジンに取り憑かれた男」前間孝則著に詳しいです。
73江畑謙介:2000/06/15(木) 21:12
戦時中の日本のジェットエンジンは資材調達の困難さにより、実用化されても耐久力に欠けると考えていいでしょう。
74名無しさん:2000/06/15(木) 21:42
耐久30時間程度でも特攻機使用を前提にこれで良しとしたそうですが・・・・ネ−20は
それに燃料も問題です、低質油で動くとは言え燃費はレシプロの倍以上です。

もう末期のどうにもならない状態の中で生まれた和製ジェットですね。
(せめてもう1年早ければ・・・・と思いますけど)
75名無しさん:2000/06/15(木) 22:15
Me262のエンジンの寿命は平均25〜35時間ぐらいだって。
タイフーンのネイピアも確か40時間位だった気がする。
そんなもんで実用にしてしまう、戦闘機ってすごい。

76名無しさん:2000/06/16(金) 00:14
どっちもだせーよ!
戦闘機といえば、ファイヤーフォックスにきまっとるやろ!
マッハ5、5ダゼ、ゼロセンなんかだめ。
ブーーーーーーン、ボン!撃墜!
目をさませ!戦争は、終わったんだ!
日本は、まけたんだ!
戦争はおわりだ!
大日本帝国は、敗北したんだ!
77ごっぐ:2000/06/16(金) 00:29
>76
ファイヤフォックスはF4ファントムのスクラップの翼を上下ひっくり返して
使ってる(らしい)ので、飛びあがったら即墜落。
それにロシア語はスパシーボしか知らん私には使えないので却下。
78>69:2000/06/16(金) 03:30
そういえば、関係無いけどハセガワが「ジェット化された震電」の
プラモ出してたよね。それも機体末端部をジェットノズルに変えた
だけ(!)で。
あれ見たときは「これはもはやスケールモデルじゃないよなあ」
とか思ったっけ。(僕は買ったけど)
79名無しさん:2000/06/16(金) 05:07
ロシア語で考えるんだ
80名無しさん:2000/06/16(金) 06:36
日本最初のジェットエンジンは、戦前に高々度戦闘機に積む排気タービンを開発中に
大きくなり過ぎたんでジェットエンジンとして使おう、という事になったと
元経団連会長だった土光敏夫さんが書いていた。
この人が日本初のジェットエンジンを作った時の主任技師だそうです。
81名無しさん
疾風と紫電改の話はどこへ?