【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】7 [転載禁止]©2ch.net

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1名無し三等兵
インパール作戦は
@牟田口中将が 皆の反対を押し切って強引に強行した
A補給を無視した卑劣な作戦で
B勝算が全く無く、やる意義も無い作戦だった
と宣伝流布されてきた。

しかし詳しく検証すれば、これらの批判は全ていい加減な大嘘。
政治的作為と利権にからんだ文芸春秋社などの商売目当てのエセ保守勢力である
半藤一利ら主導による、悪意と捏造と曲解による大嘘ばかり。
これらは東京裁判史観と陸軍悪玉論を定着させ責任転嫁したい
戦後の権力者に迎合し、地位と名誉と利権を得ようとする
商売作家が創作したプロパガンダ小説の作り話しでしかない。

バカ作家、エセ保守、平和ボケ団塊左翼らがいい加減に流布してきた大嘘の近代史は、
全てを再検証し見直す必要がある。

日本を大敗させたアホの戦犯は、独断でハワイ奇襲を強行し
アメリカを本気で怒らせ、全面参戦を決意させた史上最悪の愚将・山本五十六である。
山本が主導した太平洋戦線の作戦全てこそが、
インパール作戦より全ての面で遥かに愚劣、補給も勝算も考えない
無茶苦茶な作戦で、展望のない無駄な戦いであった。

インパール作戦こそが開戦前に国が決定した 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
に示された大東亜戦争の本来の国家方針に従った国運をかけた大儀ある重大な作戦であり、
牟田口の指揮は、その通りやれば作戦は難なく成功しており、無謀な作戦だったとは言えない。
2名無し三等兵:2015/03/01(日) 22:04:32.18 ID:agMgerYR
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・シェラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
3名無し三等兵:2015/03/01(日) 22:05:39.13 ID:agMgerYR
★インパール作戦では補給計画が杜撰で、多数の餓死者がでた。
という話はまったくの大嘘(当時の日本軍では最も堅実な作戦計画とさえ言える)

まずインパール作戦で餓死者が多数出たなんて話は、全くの大嘘で根拠なし。そんな証言も記録も一切無い。
補給計画に関して問題となったのは、3個師団のうちの31師団に関してだけ
他の方面は道路も整備された進行経路であり補給はトラックを使ってそれなりに実施されている。

この31師団は北からインパールの背後へ回り込み敵の補給路を遮断する迂回部隊で
この部隊だけは、インパールを確保するまでは基本的に補給は無い。(佐藤視団長もそんなことは百も承知だったはず)
携行物資と敵から確保した物資、独自の駄馬部隊による補給で戦うという前提で強行されたが、これは別に無謀ではない。
戦略上妥当な計画であり、現実に予定した作戦期間中(4月いっぱい+α 最大2ヶ月程度)は
全く物資に関しては問題は出ていない。
(作戦期間が当初の予定を大幅に延長された経緯は南方軍の判断で牟田口の判断ではない)
31師団(佐藤師団)は5月末に勝手に抗命撤退し撤退経路の各集積所から勝手に
食料を略奪しながら撤退したため 31師団は飢えに苦しんだ事実は無い。

しかし問題となったのは、作戦中止が決定したあと佐藤師団が撤退した後を進んだ15師団の松村連隊である。
抗命部隊の佐藤師団が、撤退経路のすべての食料を食べつくしたため
松村連隊は食料が全く得られず、2ヶ月に及ぶ飢餓に苦しむ悲惨な撤退となってしまった。

インパール作戦で飢餓に苦しむ白骨街道の話は、この話が事実のすべてであり
他では飢餓に苦しむ状況は一切起きていない。松村連隊だけで起きた話。
しかも松村連隊の生存者は口をそろえて悪いのは抗命撤退した佐藤師団だと、明確に主張している
(公式連隊史「二つの河の戦い」)

しかしインパール作戦で一般に流布されている話は、こうした事実を全く伝えず、隠蔽、歪曲、感情論によって
事実と全く違うデタラメが創作され宣伝されてきた。
4名無し三等兵:2015/03/01(日) 23:36:45.61 ID:Mp3ngFG+
>>1-3
頑なに前スレを貼らないのは宗教的な理由か何かですか?
5名無し三等兵:2015/03/02(月) 01:59:56.24 ID:gne1K7R0
         .  -── ..、
       , ´   ´  ̄ ̄`丶、
      /             ヽ
      .′  ....        .:.:;
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    __ .!.: .:  _ィェェュ   斤zz‐ ミ !
   「 ヽ .: .   ー ´ .:. `; `'ー'= !
    い .:. :     ,.::;  i    i }
     し. :.: .     ー = '     リ
     `i .:.`,   ,,..ィィィ笠ik,,   .
      ',.:.ヽ    ´二~~ニ`  .′
     ,ハ`ヽ          ,.′
     /.:.:`ヽ`ヾ、 ``゙゙゙゙゙゙゙´イ
 __,.. イ.:.:.:.:.:.:.:.\ `¨二二´ノ.;:.:.``ヽ、
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牟田口廉也
6名無し三等兵:2015/03/02(月) 03:33:29.25 ID:qv4ACdqj
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
7名無し三等兵:2015/03/02(月) 19:18:33.41 ID:w++NBtjH
>それじゃ敵の後方補給路はがら空きで
>正面で一時的に優位に立てても、直ぐに敵は形勢を立てなおし
>こっちが不利になるのは明白だが?
戦力分散と逐次投入の区別がつかない基地外のいうことはまたひと味違うな。
後で不利になるので全期間において不利になるように牟田口が作戦を立ててくれたのかねw
相手のほうが戦力に優越していることはさけようのない事実なので
一時期でも優勢な期間を作り出して
最低限でも国境付近の敵から勝利をもぎ取るほうがいいってだけのはなしだ。
それで立て直して攻めてきてくれる、わざわざ味方の補給の届くところで
アラカンを越えの負担まで犯して有利な状況で戦えるなら
半分大砲おいていってようやく一回だけ戦闘できるインパールで戦うのとどっちが優れているのか
説明の必要がどこかにあるのかい?

つかそもそも敵が形成を立て直す前に三週間で終わらせる作戦だったんじゃないのかねw
8名無し三等兵:2015/03/02(月) 20:07:01.10 ID:ylDaLWpi
>>7
>つかそもそも敵が形成を立て直す前に三週間で終わらせる作戦だったんじゃないのかねw


どう考えても、3週間でインパール攻略なんか軽く終わってるわ。
作戦開始が2ヶ月も遅れて兵力がそろわないまま作戦開始して(雨季が迫っているので)
柳田師団長のあのていたらく。
日本は予定の三分の一も力を出せなかった。

であるにもかかわらず、連合軍の関係者の見解では
インパールはガタガタの状態で、あと一息で日本軍はインパール攻略を
成功していたという見解をしめしている。
これは複数の連合軍関係者の一致した見解。

4月には無様にもあんな程度の攻撃しか出来なかったのに
それでも連合軍はガタガタになって、窮地に追いつめられていたとは。
なんと言う話だ。
9名無し三等兵:2015/03/02(月) 20:12:49.38 ID:ylDaLWpi
■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)

「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。

一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
10名無し三等兵:2015/03/02(月) 20:14:28.25 ID:ylDaLWpi
日本のバカ作家、インチキ評論家ら
アホが私見で何をほざこうが
このような連合軍の一次資料は、
永遠に消し去ることは出来ないw
11名無し三等兵:2015/03/02(月) 20:27:39.72 ID:bj4cPXpU
牟多口ってそんなに無能じゃないんだ
友達が連合軍の切り札とか言ってたけど
12名無し三等兵:2015/03/02(月) 21:08:38.43 ID:w++NBtjH
>>8
いやだからさ、三週間で終わらせる作戦を
わざわざインパールから100キロも先のコヒマで増援を食い止める
すなわちそれだけ食い止める時間を長くする意味があるのかねということなんだが?
コヒマで一週間食い止めねばならんのと、山中の一本道にあるカンクラトンピあたりで
インパールに直接圧力をかけつつ2,3日食い止めるのとどっちが優れているか説明が必要なのかね?
早く始めようが遅く始めようが関係無いこといってるんだが理解すら及ばないのか?

>インパールはガタガタの状態で、あと一息で日本軍はインパール攻略を
9を見てもインパールがガタガタだとかいうこといってないなw
ディマプールに防備がないからガタガタどころか有力なインパールの戦力をまわせって話だろw
日本語すら読めないらしい。
13名無し三等兵:2015/03/03(火) 00:04:30.56 ID:djzEwLif
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。
14名無し三等兵:2015/03/03(火) 00:31:17.25 ID:vqFyjl6w
>>12
コヒマを1個師団で攻略することに意味がある。
もしこれが1個連隊だったら、英軍はコヒマ放棄を考えなかった。
インパールの英軍の精神的打撃も大きい。

そしてコヒマを迅速に確保できれば、大量の武器弾薬と車輌が確保できる。
インパールを攻めるにしても、これらを利用したほうが迅速に出来る。
15名無し三等兵:2015/03/03(火) 00:36:03.94 ID:vqFyjl6w
ただしディマプールを攻めるかインパールを攻めるか
混乱て時間をロスしたことは確か。
しかしこれは十分取り返せた。

この混乱の原因は河辺が牟田口の考えを事前に聞いていながら
その時はそれを静止しなかった河辺の優柔不断が原因であり
牟田口の責任ではない。
16名無し三等兵:2015/03/03(火) 00:42:06.08 ID:TWhHYpMX
>>14
いつ英軍がコヒマ放棄なんか考えたんですかねw
そういう嘘をつかないと即座に161旅団を派遣して救援が間に合った事実を無視しないと
牟田口の無能がばれるからですなw
英軍の精神的打撃とやらは補給の通じた一個師団が送られてきたと考えたからで
実際に戦闘を始めたら火力が極めて少ないことに気づいていたはずですがね。
なにせ撃てる弾自体が少ないのでw

>>15
>この混乱の原因は河辺が牟田口の考えを事前に聞いていながら
いつ牟田口がディマプール進撃を河辺にいったんですかね

なあ、口からでまかせばっかりでなにか楽しい?
17名無し三等兵:2015/03/03(火) 00:45:50.52 ID:vqFyjl6w
>>12
>早く始めようが遅く始めようが関係無いこといってるんだが理解すら及ばないのか?


ウインゲートの空挺侵攻の前に作戦開始してりゃ
全然状況が変わるんだが?

まず航空師団が全力でインパール作戦を支援できた。

15軍司令部も迅速に前線に移動してインパール作戦だけに
集中できたし、追加部隊も投入できた。

柳田がバカな考えを起こす動機もなくなるわけだから、
指揮もまともに出来たはず。
18名無し三等兵:2015/03/03(火) 00:48:26.77 ID:vqFyjl6w
>>16
コヒマ救援に向かった161旅団は
途中で反転し、ディマプール方面へ引き返してるが?
19名無し三等兵:2015/03/03(火) 00:51:24.33 ID:vqFyjl6w
>>16
河辺が牟田口のディマプール攻撃の考えを
事前に聞かされていて、その時反対しなかった話は
超有名な話だが?
そんな事すら知らんのか?

P278
20名無し三等兵:2015/03/03(火) 01:03:18.04 ID:vqFyjl6w
この話は読売新聞の従軍記者による記録だが
こんな重要な話が日本側の書籍では一切紹介されてない。
アーサー・スウインソンの書籍で、その事実が判明している。
21名無し三等兵:2015/03/03(火) 01:48:01.97 ID:PexJVU9x
戦後、連合軍に逮捕拘禁されながらイギリス軍の勝利に貢献したとして不起訴。
イギリスの軍事専門家からは無能のひと言。作戦失敗の責任が牟田口でなく、
抗命した師団長にあると考える者がいれば、それは牟田口並みの無能者に違い
あるまい。
22名無し三等兵:2015/03/03(火) 02:11:44.75 ID:vqFyjl6w
>>21
英国で最も評価の高い司令官とされる
スリム中将の佐藤評がこれだが?


■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』から引用 大田嘉弘『インパール作戦』P275

日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。

彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、
彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する
攻撃に投じた。

私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
23名無し三等兵:2015/03/03(火) 02:35:04.16 ID:PexJVU9x
>>22
スリムはアホだろう。ディマプールを占領することに戦略的意味はない。
コヒマですら攻勢限界線を超えているのにその先に進めるはずもない。
そもそも、インパールへの補給は航空輸送だけで賄えたのだからコヒマ
を攻略した31師団は最初から遊軍になっていたわけだ。アキャブでの
失敗から何も学ばず、補給路を断つことのみで勝てると信じて同じ失敗
を繰り返しただけだ。
24名無し三等兵:2015/03/03(火) 02:39:48.70 ID:vqFyjl6w
>>23
インパールとコヒマを確保してしまえば
そこが策源地になるから
補給では日本軍が優位に転ずる
25名無し三等兵:2015/03/03(火) 02:53:44.13 ID:PexJVU9x
>>24
31師団はコヒマを確保していたが、そこは策源地になったか?
インパールへの補給は人力でしか行えなかったぞ。連日の空襲の中を
兵隊が山砲の砲弾を2発背嚢に入れて運んだんだぞ。補給で優位に転
ずる要素など微塵も無い。
26名無し三等兵:2015/03/03(火) 03:00:52.43 ID:vqFyjl6w
>>25
2ヶ月以上にもわたって
M4シャーマンまで投入してきた英軍の精鋭師団を
突破させなかったじゃないか。
コヒマで大量の物資を確保できたおかげだ。

本来ならばとっくにインパールを確保して
そこを策源拠点として逆襲してしかるべき。
27名無し三等兵:2015/03/03(火) 03:14:39.92 ID:vqFyjl6w
米軍はニューギニアで飛び石作戦をやってたが
まあそれに近いな。
これをやられると相当な精神的ダメージを食らう。
28名無し三等兵:2015/03/03(火) 03:26:31.26 ID:PexJVU9x
>>26
コヒマで大量の物資を確保できたなら、なぜ31師団は補給を求めたのか。
なぜ、補給が無いことを理由にコヒマを捨てて後退したのか。
M4シャーマンじゃなくてM3リーだな。対戦車兵装がアンパン爆弾しか
ない日本軍にとってはどっちでも同じだが。そもそも、インパールが策源
地たり得るという考えはどこから来ているのか?現在でこそ人口26万人
の都市だが、当時は人口数万人の城塞都市だぞ?
29名無し三等兵:2015/03/03(火) 04:51:56.38 ID:alGQCd28
日本軍の補給が上手く行っても、火力が全然違うから作戦成功は無いよ。
歩兵同士の火力は英軍に近いレベルだが、迫撃砲・野砲・戦車・航空機と
なるともう悲惨なレベルでしかない。
30名無し三等兵:2015/03/03(火) 11:37:38.65 ID:TWhHYpMX
>>18
はあ、コヒマの陣地に先頭部隊を送り込んで救援し、
本隊は2Dと共同攻撃をとるために移動しただけで
コヒマ放棄を決定したことになるのか・・・
英軍の31師団への激烈な攻撃はコヒマへの連絡路を通じさせるために行われたのではないのかw

>>19
インパールも落ちないうちから補給すら受けさせずにディマプール突進って牟田口がいったのかね?
・・・というかだな、牟田口すら含めた日本側の想定で
インパール作戦がそもそもディマプールに対する圧迫により
インパールを放棄させ無血開城を迫る作戦だったことは一度もないのだが?
31名無し三等兵:2015/03/03(火) 21:55:15.56 ID:ApY1kZP9
インパール作戦はこのようなことがやれていればよかったのだが、諜報何かやってたのかな?
  ↓
マレー作戦「日本、完璧な諜報」と英秘密文書が分析。
第二次大戦で「東洋のジブラルタル」といわれたシンガポールが日本軍によって陥落して73年。
チャーチル英首相が「英国史上最悪の降伏」と嘆いた作戦の背景に、「第五列」など「完璧な
諜報活動」があったと、英国側が分析、評価していたことが英国立公文書館所蔵の秘密文書
で判明した。事前に地理や軍事力の情報を収集し、植民地支配から現地人を独立させるため、
支援して協力させていた。戦前の日本のインテリジェンス(諜報)能力が高かったことが改めて浮
き彫りとなった。
ttp://www.sankei.com/world/news/150301/wor1503010009-n1.html
32名無し三等兵:2015/03/03(火) 22:47:26.45 ID:3xVzPUq3
>>31
アーサー・スウィンソン「コヒマ」に書かれている。

インパール作戦の準備に関しては、31Dの進行ルートに対し、
仁科正中尉率いる陸軍中野学校の選抜きの諜報員が
完璧な密偵調査を行い、
だから31Dは素早い進行ができたのだと。

そりゃそうだろ。
作戦を主導する15軍参謀の藤原岩市(元F機関)は
その筋のスペシャリストだから。
33名無し三等兵:2015/03/03(火) 23:07:52.51 ID:3xVzPUq3
>>31
ていうか、そもそもその「日本、完璧な諜報」とは
藤原岩市のF機関のことで
インパール作戦を主導したのも牟田口というよりは、藤原だと言われている。

だからどうしてもチャンドラボースの意向が先行し、
(チャンドラボースは作戦中止に猛抗議)
それは政府の強い意向でもあるため
だから作戦中止の決断が遅れたとも言われている。
34名無し三等兵:2015/03/03(火) 23:12:59.36 ID:YzcdTANG
ただし、コヒマまでだからそこから先の進撃速度をそれまでと同等とした見積もりをしてた土足はアホ。
35名無し三等兵:2015/03/03(火) 23:35:12.90 ID:3xVzPUq3
アーサー・スウィンソン「コヒマ」はこのように
31Dの素早いコヒマ到達を、偶然ではなく
日本軍がキッチリと下準備をしていた結果だと記している。

しかしこんな話、この外国の書籍で始めて知る話で
日本の書籍では、補給を全く考えていなかっただの
やれ牛が道なき道を進行できなくて全部脱落しただの
ひたすら否定的な羅列だが
しかしこの書籍では31Dの進行経路は、すべてジープ路だと記されており
31Dは難なく進行できていた事になっている。
36名無し三等兵:2015/03/03(火) 23:47:38.79 ID:GZXrkw9W
で、31師団が何台ジープを保有していたかが問題になるな。

敵航空優勢下でどの程度、難なく運行できるのかもな。
37名無し三等兵:2015/03/03(火) 23:55:32.68 ID:YzcdTANG
欧州なら、ジープなんて道がなくても走破できるのが売りの車両でして。
わざわざジープ路と書くのは(トラックだと困るぞ、牛も微妙)っていう意味だw

後、この>>35、コヒマまでの佐藤の行動に遅延がなかったとの御墨付きなるぞw
従って、それ以上のスケジュールの繰り上げはムッチーには不可能w
38名無し三等兵:2015/03/04(水) 00:46:19.05 ID:4XJ4L/Cs
車両はチンドウィン川を渡河できないのでハシケが必要になるが、15軍はなぜ
ハシケを持っていかなかったんだろうか。車両は空から狙われるので最初から諦
めてたか。もしくは、短期決戦でカタがつくと思っていたか。
39名無し三等兵:2015/03/04(水) 02:05:08.08 ID:TdkQp7rM
>>37
31D主力が3月中にコヒマ近くまで進行したのは
ゼッサミでロスしたとは言え、まあよい。
問題はその後の数日間だ。

英軍はコヒマを見捨てて、3月31日に161旅団をニチェガードまで
後退させた。
よって4月3日にはコヒマを簡単に確保できていたはずだが
佐藤師団主力はまったく動かなかったため
この数日間で、日本軍は定的的な勝機を逃している。
40名無し三等兵:2015/03/04(水) 02:12:08.97 ID:TdkQp7rM
しかし批判派は、真面目な書き込みが一つも無い。
このように、ふざけた書き込みしかない。

まあ連合軍でも色々と議論はあって意見は対立するだろうが
ここまでふざけた遊び半分の書き込みしかないなんて
日本だけだと思う。
日本人の大多数は過去を真剣に検証するという能力と意志が
著しく劣っているんだろうな。
実に残念。
41名無し三等兵:2015/03/04(水) 02:21:40.67 ID:TdkQp7rM
中学生が惨殺されようが
ジャーナリストが首切られようが
2ちゃんの掲示板では、それを茶化して
楽しんでるやつしかいない現状だから
まあ、当然といえば当然だなwww
42名無し三等兵:2015/03/04(水) 02:34:30.90 ID:TdkQp7rM
日本の掲示板は、みんなで人を叩いて楽しむ。
これしかないのが現状。
であるから、おれもやるw
43名無し三等兵:2015/03/04(水) 02:43:11.81 ID:dIYdAXl/
3日にコヒマを取っても、無傷の旅団相手に防衛戦が控えてるじゃん。
インパールもディマプールにも行けない事に変わりない。
特にインパールだとコヒマをすぐに奪還されるんで退路を失ってしまうじゃないか。

ボンクラ軍団長様がインパールを落とすのだけが31Dの生き残る道って酷すぎ。
44名無し三等兵:2015/03/04(水) 07:21:34.94 ID:dIYdAXl/
後方遮断され、そのまま後方から撃たれる史実より酷い有り様では、本当にインパールに駆けつけたら31Dのインパールに対する補給に対する圧力は消し飛んでしまう。

当然インパールも落ちないのでそのまま消化されるだけですからw
45名無し三等兵:2015/03/04(水) 09:39:17.33 ID:+MHqtI9H
>>39
いや、その状態でコヒマをとってどうするんだ?
二週間も過重装備での登山をこなして疲労したまますぐに戦闘突入、
んで手に入るのが三叉路陣地程度ですぐまた161旅団+2Dと戦闘。

土足や牟田口は3000メートル級の山道を60キロの装備で上り下りしても
なんら疲労もなくすぐに戦ったり陣地構築できたりするとかいう
ふざけた遊び半分のこといってるんですかね?
46名無し三等兵:2015/03/04(水) 20:27:25.30 ID:TdkQp7rM
コヒマの状況は1日で大きく変化するわけで
1日でも早ければ早いほど、楽にに戦わずして攻略できるわけで
本来ならば3月中に取れてたが、4月3日ならば敵を瞬殺できていた。

そして当面2週間程度は敵は161旅団だけだから
こんなもの1個連隊で阻止すれば十分。
大量の物資も確保できているわけだしな。

そして1個連隊はコヒマで確保した車輌を使って
インパールへ急行し
もう1個連隊は状況を見て予備として配備。

これで33Dが史実とは異なりインパールを急襲し
15師団も本来の兵力で攻撃してれば
インパールは数日で確保できてただろ。
第四軍団の参謀もそう言ってるわけで
インパール攻略なんか、やれて当たり前の
難しい作戦でもなんでもない。
47名無し三等兵:2015/03/04(水) 20:32:45.61 ID:TdkQp7rM
たかが1ヶ月程度でかたがつく奇襲作戦で
時間との戦いで、早ければ早いほど
楽に作戦終了できるのに
こんな短期決戦で、補給がどうだとか
言ってる時点でやる気の無い証拠だわな。
48名無し三等兵:2015/03/04(水) 20:41:39.97 ID:X+9B5LWo
>>46
無傷の旅団を負傷や戦死者続出の一個連隊で瞬殺ってw

大戦初期ならいざ知らず、
二個師団率いて二個大隊を突破できずに二個連隊を戦闘不能に追い込んだムッチーのスレでそんな事できる訳が無いじゃんw
もっと現実見ようよw
49名無し三等兵:2015/03/04(水) 20:58:49.22 ID:X+9B5LWo
>>46
佐藤の行動に非が無かった事は連合軍側が「素早い侵攻」と認めていることで証明済み。
ムッチーが居た南方の師団がインパールの防備が固まる前に突っ込めなかったのは、そりゃムッチーの采配のダメさ加減の結果に過ぎない。
50名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:04:10.39 ID:TdkQp7rM
>>48
現実はこうだが?

「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。

宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加し、カングラトンビに転じていた方が望ましかった、
と考えておられることも小職は存じております。
彼は良い点をついております。

貴殿は四月の段階で、あと一個連隊(特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊) を有していたら、
貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。
しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。」

インパールの第四軍団参謀(アーサー・パーカー中佐)

大田嘉弘『インパール作戦』P287
51名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:10:46.15 ID:TdkQp7rM
>>48
>無傷の旅団を負傷や戦死者続出の一個連隊で瞬殺ってw

4月3日に61旅団はコヒマからニチェガードに後退していて
コヒマにはまともな兵力は居ないんだが?
52名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:19:09.86 ID:4XJ4L/Cs
>>46
すばらしい。華麗、且つ完璧な作戦だ。勝利は疑いない。
コヒマで敵のトラック200台を奪って(ついでにドライバーも)背後から
急襲する。華麗すぎて眼が眩みそうだ。

現実にはアキャブの二の舞だろうがな。
53名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:30:15.81 ID:TdkQp7rM
>>49
33Dは3月中に軽くインパールへ突入できていたにも関わらず
またそのように再三督促していたにも関わらず
33Dは前進しないのだから仕方ないじゃないか。
これでは15軍は打つ手無し。

柳田のようなどんなに無能でも親補職である師団長は
即座に更迭は出来ないため、こんな事態では15軍に責任は無い。
54名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:33:02.64 ID:9/lhg9Ry
>>50
どの道路を通っていくんだ?ニチュガード峠には161旅団の2個大隊が
守備を固めているんだが?

>宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加し、
>カングラトンビに転じていた方が望ましかった、

裸の歩兵で攻撃しても15師団の二の舞なのがわからないかねぇw
55名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:40:06.27 ID:TdkQp7rM
>>54
日本軍第三一師団長佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。彼の頑固な頭はコヒマを取る
という一つの考えで一杯であった。
全然コヒマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチュガードのウォーレン旅団の東方まで道路によって前進した彼は、
4月5日までに彼の師団の主力を持って鉄道を攻撃できた。
しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、彼の部隊が来着したとき彼はこれを
コヒマの小さな町の連続する攻撃に投じた。

スリム中将『敗北から勝利へ』
56名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:40:08.19 ID:X+9B5LWo
>>53
更迭出来ないなら、ムッチーが前線で直卒すればよかったのです。
手榴弾の届くような距離で指揮する軍団長を見捨てる程、帝国陸軍の兵隊は薄情じゃないですよw
57名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:45:06.09 ID:TdkQp7rM
>>56
>更迭出来ないなら、ムッチーが前線で直卒すればよかったのです

それが出来てれば状況は大きく変わっただろうな。
しかし実際にはビルマ方面軍からウインゲート旅団を攻撃する
部隊の指揮を押し付けられて、15軍司令部は
肝心な時に前線へ進めない事態に陥っている。
58名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:45:16.30 ID:9/lhg9Ry
>>55
河辺から「行くな」と言われたことは大田本にも書いてあるだろ
59名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:47:25.69 ID:TdkQp7rM
>>56
しかしおまえ、もう少し真面目な書き込みをしたらどうだ?
なぜそのような、常にざけた態度でしか書き込みが出来ないんだ?
精神が異常なのか?w
60名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:49:23.63 ID:TdkQp7rM
>>58
行けたか行けなかったかの話じゃないか。
なぜ論点を変える?
61名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:53:27.95 ID:TdkQp7rM
英印軍の1個旅団の規模は、日本の1個連隊に相当する規模でしかない。
コヒマ、ディマプールを防衛する正規の兵力が
わずか1個連隊しか無かったのは、英軍の大失態。
この大失態は、突く価値は大いにある
62名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:55:24.42 ID:9/lhg9Ry
>>60
行けたか行けないかの話だというならニチュガード峠を防備している
2個大隊をどうにかしないとな。
63名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:57:22.12 ID:TdkQp7rM
コヒマでは日本側は9個大隊
英印軍はわずか3個大隊。
しかし佐藤はこれを全く有効に使わなかった。
64名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:57:51.78 ID:X+9B5LWo
>>57
つまり、ウィンゲートが後方に現れた時点でインパール作戦は終了ってだけですな。
一番戦域を前に出したがってたムッチーが前線に出ないのに、反対してた連中が前に出る訳が無い。

インパールを押さえる事が最重要目標で物資の入手法も兼ねる、ってのが作戦続行の言い分なら、
ウィンゲートみたいな軽武装部隊なんかラングーンに電話して後詰めの部隊に掃除させてりゃいいのです。
65名無し三等兵:2015/03/04(水) 21:58:12.16 ID:TdkQp7rM
>>62
だからこっちは9個大隊だが?
66名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:00:10.06 ID:9/lhg9Ry
>>63
有効に使うってどういう風にだ?3個連隊並列で日露戦争みたいに戦う気か?
67名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:01:16.36 ID:9/lhg9Ry
>>65
で、その9個大隊をどうつかうんだ?機関銃に突撃するなら無意味だぞ。
68名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:02:06.89 ID:TdkQp7rM
>>66
そんなもの迷うべくも無く
余ってる兵力全部をインパールへ急派すべきだろが
69名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:04:03.21 ID:9/lhg9Ry
>>68
インパールに行ったところで15師団の二の舞だろうが。

なにか装備に違いがあるのか?

砲兵火力でも充実しているのか?
70名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:05:21.03 ID:TdkQp7rM
>>69
現実はこうだが?

「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。

宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加し、カングラトンビに転じていた方が望ましかった、
と考えておられることも小職は存じております。
彼は良い点をついております。

貴殿は四月の段階で、あと一個連隊(特に宮崎ないし田中程度の人物の指揮下にある連隊) を有していたら、
貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。
しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。」

インパールの第四軍団参謀(アーサー・パーカー中佐)

大田嘉弘『インパール作戦』P287
71名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:07:18.34 ID:9/lhg9Ry
>>70
バーカーの妄想は現実ではない。

なんの根拠も無い。
72名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:09:55.37 ID:X+9B5LWo
そりゃディマプールは後ろだし、インパールが日本軍に落ちるから
「撤退」には違いないが…

一週間もしないうちに31Dを戦車で轢いてインパールに戻ってくるぞ。
そして、今度はインパールがムッチーの檻に変わるだけ。
インパールから無線で援軍呼んだら誰が来てくれるんです?
73名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:12:13.71 ID:TdkQp7rM
>>71
現実にインパールにいた第四軍団参謀だが?
なんの根拠もない妄想はおまえの方
74名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:12:46.76 ID:X+9B5LWo
>>70
この場合、日本軍用語でなくても「転進」って言うのが正しいですねw
75名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:14:57.54 ID:9/lhg9Ry
>>73
なんの根拠もない発言は妄想だろ?

根拠があるなら弾薬量でも示せ。
76名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:15:08.98 ID:TdkQp7rM
>>72
英第二師団はコヒマを突破できなかったが?
地形から言って英軍はインパール奪還は不可能。
道が1本しかないからなw
77名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:18:01.12 ID:TdkQp7rM
>>75
ほんでおまえの発言には
何か根拠があるのか?
第四軍団参謀の証言に匹敵する根拠持って来い
78名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:21:09.89 ID:+MHqtI9H
>>46
いやだからもううんざりするんだが
コヒマなんか行かずにインパール付近で増援を遮断したらだめなのっていってる俺に対して
一個師団あればコヒマを落とせるとかふざけたいい加減なこといわれても困るんだよ。
へえ、そりゃよかったね、そんなところ落としてなにかいいことがあるのか?といわれれば満足かね?

こっちは利点として遮断も可能でインパール攻撃に烈が参加できることを示した。
お前の牟田口案にはどういう利点があるんだい?

>>76
一本道無敵論はどうでもいいわw
その伝でいけば各道がたがいに連携できるところにないインパールは
一本道だらけで攻略不可能だw
79名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:22:19.54 ID:9/lhg9Ry
>>77
根拠は15師団の攻撃失敗という事実がある。
砲兵火力の支援なしで歩兵だけが突撃しても成功しないという
厳然たる事実がな。

で英軍の弾薬量は?
80名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:23:19.59 ID:X+9B5LWo
>>76
でも日本軍はインパールを半包囲して、それにコヒマからの部隊を足そうとしてた訳でw

良いんですよ、無理に攻め落とさなくたって日本軍はインパールに物資を送れないんだから。
スリムはインパールの外で弁当食ってるだけで二個師団を餓死させられる。
多少必要な時間が延びただけで。
81名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:35:36.85 ID:9/lhg9Ry
一本道無敵論=インパール攻略不可能論になるなw
82名無し三等兵:2015/03/04(水) 22:40:25.19 ID:X+9B5LWo
ムッチーほどのド低能でも、自分の食う分にまで影響が及ぶとさすがにまずいと気付くが
幸いなことに退路は開けてある。
(いや、変にバンザイアタックとか考えられるとウザいし〜、逃げる背中を全力でぶん殴る準備は出来ているし)

後は史実よりも悲惨な退却戦しか残ってないのです。
(何しろ31Dは>>72のディマプールで余計に戦力を失ってるし、南側の二個師団も無駄に帰り道を延長したからな)
83名無し三等兵:2015/03/05(木) 00:32:04.14 ID:IPFGLJB8
☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html

☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆
84名無し三等兵:2015/03/05(木) 03:49:32.82 ID:RgDOJAT/
アメリカのプロパガンダ用に金受け取って作られた政党が
アメリカにとって都合の良い内容に日本の憲法を書き換える
バカな話だ
85名無し三等兵:2015/03/05(木) 20:43:36.32 ID:/4Wdf6RU
>>78
>お前の牟田口案にはどういう利点があるんだい?


@連合軍がディマプール死守を第一優先とし
インパール防衛をあきらめる。

Aコヒマで大量の物資が確保でき
インパールを攻めるにも、インパール攻略後に
最前線として拠点とするにも
コヒマ攻略は不可欠。
インドに与える政治的な影響も大きい。

というか、そもそもインパール攻略なんか
31Dを使わずとも難なく出来ると演習の結果でも出ており
現実にもそれは可能だったわけで
たかがインパール攻略に31Dを向ける必要は無い。
予定通り普通にやってりゃ、そういう展開だが?
86名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:17:36.48 ID:/4Wdf6RU
>>79
おまえの見解なんぞ、根拠にはならんw
第四軍団参謀に匹敵する
しかるべき人物の見解持って来い
87名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:28:41.79 ID:/4Wdf6RU
しかも第四軍団だけではなく
米軍の参謀も同様の見解を示している。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
88名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:33:12.86 ID:CHhLh+Rq
>>87
それは「三月下旬にそう思いました」というだけだろ。
なにせ日本軍の実態を知らないんだからな。
89名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:34:53.11 ID:kqTHvnih
>>85
おまえの見解なんぞ、根拠にはならんw
コヒマが落ちなかったのをみないことにしたようなお前のはなw
だいたい、インパールの無血占領なのか撃滅による占領が目的なのかはっきりさせろよw

>というか、そもそもインパール攻略なんか
>31Dを使わずとも難なく出来ると演習の結果でも出ており
演習の結果がまったく間違っていただけの話。
空に3発撃ったら降伏する約束のある演習なのかねw
3個師団を2個師団でどうにかしようというのがまちがってる。
90名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:38:11.49 ID:kqTHvnih
つーか2個師団で落ちる作戦なら3個師団でかかればもっと早くおちる。
そしたら増援到着前に落とせるし、あとはお前の大好きな一本道で
増援を撃滅してやればいい。
んで、追撃でもなんでも好きにやってコヒマを落とせばもっとよい。

まあ、インパールに通じる道は相互支援が可能な地形ではない一本道ばっかりだから
一本道無敵論からしたら絶対に落ちないがなw
牟田口はきっと一本道無敵論を知らなかったんだろうw
91名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:41:26.70 ID:/4Wdf6RU
>>89
あんたバカ?
スチルウェル中佐は戦後に来日して
インパール作戦を徹底調査をした上での発言だが?
92名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:46:33.71 ID:/4Wdf6RU
>>89
演習(18年6月ラングーン)は
ビルマ方面軍主催で南方軍、大本営参謀も立ち会っている。
その演習で15軍案でインパール攻略は出来ると
ビルマ方面軍が裁定している。
93名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:48:29.80 ID:/4Wdf6RU
>>90
おまえもうちょっと真面目に書き込みしろ
なんだそのふざけた態度は?
94名無し三等兵:2015/03/05(木) 21:54:34.62 ID:/4Wdf6RU
連合軍側ではインパール作戦を
予定通り日本軍を撃退した
なんていう見解を示している資料は一つも見たことが無い。

危ういところを、日本側の師団長の意味不明な停滞によって
助かって、態勢を立て直すことが出来て勝てたと
みなが一致して、そういう見解を示している。
95名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:00:47.39 ID:/4Wdf6RU
アホが何をほざこうが
今後の検証では嫌でも連合軍の一次資料は
避けては通れない。

それらがみんな、佐藤はバカだと明確に指摘している。
事実は隠せないw
96名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:10:43.36 ID:CHhLh+Rq
>>82
土足は図上演習の意味を理解していないだろw
97名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:11:34.69 ID:/4Wdf6RU
>>96
反論があるなら反論書いたらどうだ?
98名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:12:48.36 ID:kqTHvnih
>>91
ディマプールは作戦地域に含まれていないと河辺に一喝されて
撤回したことさえ知らない徹底調査かw

おまえもうちょっと真面目に書き込みしろ
なんだそのふざけた態度は?

>>93
ふざけてるのはお前だよ。

>>92
なるほど、牟田口が想定以上の無能だったということですね。
その演習の結果、牟田口が要請した補給部隊の数はどれだけ充足されました?
想定の2割しかこないのにそのまま作戦をやらかすってどんだけ無能なんです?
99名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:15:34.08 ID:/4Wdf6RU
>>98
>想定の2割しかこないのにそのまま作戦をやらかすってどんだけ無能なんです?


その話が事実なら、その証拠を出してもらおう。
2割とは何に対する2割なのか
具体的に詳細に示してもらおうじゃないか。
100名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:18:20.39 ID:kqTHvnih
>連合軍側ではインパール作戦を
予定通り日本軍を撃退した
なんていう見解を示している資料は一つも見たことが無い。

何年もやってきて基本的な多数説すら見たことのないふざけた書き込みを今頃やらかして
平気でいるお前はどれだけふざけているんだ?
こんなの基本書であるスリムの回想記Defeat Into Victory (Cassell, 1956), pp. 291 -292.にのってるくらいのしろものなんだが・・・
大田本はこの程度のものさえ無視せんとせいりつしないのかねw
101名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:20:47.86 ID:/4Wdf6RU
>>100
中身が無いじゃないかw
引用文はどうした?
102名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:20:51.67 ID:aDUcTdEQ
インパールを落としてもムッチーの墓がインパールに立つだけなのは、
連合軍の言い分通りにインパールからスリムが退いた後の説明を>>72>>80>>82がしたとおり。
103名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:22:19.34 ID:/4Wdf6RU
>>102
なんらかの資料なり書籍なりを示してくれ
おまえの見解なんぞ、聞きたくないw
104名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:32:47.96 ID:/4Wdf6RU
たとえばこのような

■アーサー・スウィンソン大尉の見解 『コヒマ』

 牟田口は三日間でディマプールに達することが出来ると計算したが、
河辺方面軍司令官が軍命令を中止させたので全ては終わった。
牟田口は自分の白昼夢に合わせて作戦命令を拡張解釈したが、
河辺は厳密に解釈したのである。

 しかし、牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
しかし好機は去った。

中略

 佐藤が1個連隊をディマプールにむけ、基地と鉄道線を破壊していたら、事実はもっとうまく運ばれていた。
河辺方面軍司令官はなぜ引き返せと命令したのであろうか、
スリムは「日本の将軍たちのの用兵、戦路における基本的な欠陥は、体をぶつける事、
勇気を示す事とは違う種類の士気において欠けるところがあった。
その作戦計画が仮に誤まっていた場合に、これを直ちに立て直す心構えが全く無かった」
と言ったが、これは真理を衝いている。

牟田口は緒戦に不思議なほど順調に進撃していた。
ディマプールへ侵攻してはならぬと命令したのは、河辺の精神的硬直性である。
 東京指令書は「作戦区域をインパール付近及び北東インドに限定」しており、
河辺は歴戦の将としては、奇とすべき単細胞的解釈を行ったのである。

大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277
105名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:33:09.40 ID:CHhLh+Rq
ビルマ方面軍参謀 金富与志二中佐の著者に対する回想

 戦後英軍参謀のバーカー中佐が、日本軍がディマプールに突進したならば、
英軍はひとたまりもなかったと述べているが私はそうは思わない。第15軍に
それだけの力はなかった。 
 第一線中隊長の中にはディマプールへ行けと言われれば行けた。もし行った
ら情勢は変わっていたと思うという人がいたことは知っている。
 戦後英軍との終戦処理の会議の席上で英高級将校が日本軍が先に退ったの
で、英軍は助かったという話は聞いた。しかし、彼我の航空勢力の圧倒的な
戦力の隔絶から判断して、まず成功しない。そこへ戦車が出てくると、
第15軍は対戦車資材がほとんど無く、対処し得ないという欠点があった。
一場の夢に終わったろう。

太田嘉弘「インパール作戦」P284
106名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:38:14.54 ID:/4Wdf6RU
>>105
その朝鮮人の参謀の証言は信用できないw
107名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:42:41.81 ID:aDUcTdEQ
そこから先の話をしてるんですがw
インパールは落とした設定だから。

カレー屋のオヤジをインパールに立たせたって、飯も砲弾も湧いて来ないぞ。
スリムはインパールの周りの弾の届かない所で弁当食ってるだけでも、
勝手にムッチー一行は餓死するか住民の食い物奪って追い出されるかしかないw
108名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:47:14.91 ID:/4Wdf6RU
>>107
インパール攻略後の話なんかしてないんだが?

インパール作戦は成功してしかるべき作戦だったことは
認めたわけだな?
109名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:50:35.90 ID:kqTHvnih
>>101
実物で確認できないのに捏造呼ばわりする可哀想な人に
引用する意味ってあるんですか?
ふざけた書き込みしてないでさっさと確認しに行けよ
大田本にはその程度のことさえ載ってないのか?
ちなみにお前が現物をだせとよくいわれるのは
そもそも日本語理解が怪しいので実物を確認する前にお前さんの間違いが指摘できるからって気づいてないの?
110名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:51:20.03 ID:aDUcTdEQ
インパール(で玉砕する)作戦だったの?w
111名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:55:25.36 ID:aDUcTdEQ
インパールで玉砕する作戦よりはウ号の方がましだねーw
違うっていうならインパールとった後の補給なり行動指針なりをどうぞw
112名無し三等兵:2015/03/05(木) 22:58:59.04 ID:kqTHvnih
>>99
>その話が事実なら、その証拠を出してもらおう。
すまん、一つ聞きたいんだが・・・何年もインパールを語ってきて
15軍に割り当てられた補給部隊の数をいまさら教えてもらわないとわからないとでも言うつもりなのか?
戦史叢書にも載ってる当たり前の事実なんだが・・・
113名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:04:35.35 ID:CHhLh+Rq
>>108
作戦時の3師団の火力では無理だろう。
114名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:10:24.87 ID:/4Wdf6RU
批判派は
何一つ証拠が出せてないw
115名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:12:29.61 ID:/4Wdf6RU
批判派は一貫した理路整然とした書き込みが
まったく出来ない。
まあバカだからしょうがない。
誹謗中傷しか出来ないバカはかわいそうw
116名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:14:16.55 ID:/4Wdf6RU
インパール作戦は、計画通りやっていれば
難なく成功していた。
無謀でもなんでもない。
もうこの事実は動かしようが無い。
117名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:18:04.96 ID:CHhLh+Rq
砲兵火力の不足は大田本にも書いてあることだ。
118名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:21:04.58 ID:/4Wdf6RU
>>117
火力だの補給だの、たかが軍ヲタのぶんざいが
なんの根拠も無く適当にいい加減なこと書くなボケ
119名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:23:15.66 ID:/4Wdf6RU
しかしなんでこんな低レベルの書き込みしかないんだ?
ちゃんとしたこと書けるコテハンとかいないのか?w
120名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:32:06.93 ID:/4Wdf6RU
本気で批判する勇気のある人物が
もしこの軍事板にいるのならば
コテハンで出てきてもらいたい。
そして一貫して書き込みをしてもらいたい。
その場合、こちらもコテハンで応じる。

どっちがバカか
これなら一目瞭然だから、ぜひそれでやりたい。

やれるやついるか?w
軍事板の口だけのヘタレ諸君w
121名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:32:45.72 ID:kqTHvnih
>>119
安心しろ、他の人からみれば
低レベルで一貫した理路整然とした書き込みが
まったく出来ない誹謗中傷しか出来ないバカはお前のほうだ。
なにせ、しきりに引用する一個連隊があればというアーサーの言葉すら
どこにいつ一個連隊を投入すれば勝てたのかという代物だからなw

>批判派は
>何一つ証拠が出せてないw
ごめん、確かに図書館にすらいけない引きこもり相手に証拠は出せないわw
確認するのが怖いだけだといいね!
単なる無能だとか障害すら疑いたくなるようなのが原因じゃなくてw
122名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:33:06.37 ID:CHhLh+Rq
>>118
機関銃も砲も半分で弾薬は1門辺り100発と書いてあるが?
123名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:33:53.66 ID:kqTHvnih
>>120
なあに、コテハンを使わずとも呪文を唱えるだけの
可哀想なお前の姿をみればみんなわかるから問題ないよ
124名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:34:15.47 ID:/4Wdf6RU
>>121
そんじゃおまえ、トリップ付きのコテハンで以後書いてくれ。
こっちもそれでやる。

どうだ?
125名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:35:42.26 ID:/4Wdf6RU
>>123
おまえHmanだろ?
コテハンでやり合う勇気が無いのか?w
126名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:46:06.52 ID:kqTHvnih
>>124-1258
自分自身ですら理解できてないので呪文にしかならない
ふざけた書き込みしかできないので
コテハンにしか価値を見いだせない人ですかw

増援阻止が目的なのでコヒマを落とす必要がない、
その兵力をインパールへ回すべきだという
史実で2個師団を使っても3個師団が守るインパールを落とせなかった点を
より有利にすることさえ理解できない人が
コテハン云々で威張られてもなあw
いやまあ、低レベルで一貫した理路整然とした書き込みが
まったく出来ない誹謗中傷しか出来ないバカがごねてるだけなんだろうな。
まともに議論ができないものかね。
127名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:49:20.59 ID:kqTHvnih
つーか、いまごろ補給部隊が要求の2割しかこなかったことの
ソースを求めているような寝言が理路整然?
おまえ、いくらなんでも基礎知識が不足しすぎてるよ。
もっとも部隊不足が事実でないなら、
15軍の無能と怠慢は佐藤の指摘したレベルの騒ぎじゃないがなw
128名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:49:49.20 ID:dHb9fxhR
宮崎支隊がサンジャク攻略戦で1周間も足止め食らって15Dの山砲の支援を受けて
やっと攻略したように圧倒的に砲戦力が劣ってるって認識しないとね。
129名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:50:00.59 ID:/4Wdf6RU
>>126
ではコテハンでやり合わないか?
なぜ頑なに拒否する?
130名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:54:10.95 ID:/4Wdf6RU
>>127
コテハンで継続してやり合わなきゃ
第三者にはサッパリわからないわけで
誰が見ても、どっちがバカか明確にするには
やはりコテハンで本気でやらなくては勝負がつかない。

怖いのか?www
131名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:57:41.12 ID:/4Wdf6RU
名無しならばいくらでもいい加減なことが書けるし
書き込みに対する責任も一切負う必要も無い。
だから楽だが、コテハンならそうは行かないぞ。

やり合う自信と勇気のある人間は居ないのか?www
132名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:57:45.79 ID:CHhLh+Rq
15師団の1個大隊は機関銃2、大隊砲1、弾薬不明、連隊砲1(弾薬200)、速射砲1(弾薬300)
31師団の1個大隊は機関銃12、大隊砲6(弾薬200)、連隊砲5(弾薬300)、速射砲2(弾薬300)

と一回戦闘したら無くなる数でしかない。 
       
133名無し三等兵:2015/03/05(木) 23:58:14.36 ID:kqTHvnih
>>129
お前と違って肩書きじゃなくて言ってる内容で判断できるからだな。
その程度のことができないから呪文を唱えるだけのお仕事しかできないんだぞ。

>>130
おいおい、第三者がお前ほど無能だと思っちゃいけないぞ?
演習では2個師団で落ちたのだから現実もそうなるべきだなんて
馬鹿なことを思うような第三者がいるとでも思うのかねw

>怖いのか?www
発言内容ではなくコテハンを使う使わないだけでしか判断できない無能相手になにが怖いんですかな?w
134名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:00:34.99 ID:aDzVHTXK
>>133
怖くないならトリップ付きコテハンで書き込んだらどうだ?
こっちもそれでやる。

なぜ拒否する理由があるんだ?
負けるのが怖いの?www
135名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:00:40.22 ID:VLQ2rZPl
図上演習において失敗という結果は出ない。
図上演習は司令部が各部隊の動きを見て、調整の細部を詰めるものであって、
図上演習で成功したから確実ということは無い。
136名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:01:40.77 ID:paAOHC8J
んでさ〜一つ聞きたいんだけど
コヒマに一個師団必要とか、前提の演習が現実の想定と異なり
補給部隊が致命的に不足していたという議論から逃げ出して
全く関係の無いコテハンの使用云々に話をそらす。

議論からすぐに逃げ出してしまうのは怖いんですかwwww
137名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:03:10.23 ID:VLQ2rZPl
だいたいあと1個連隊投入すればインパールが取れるなら
最初から3個師団で攻撃する案のほうが有力ということになる。
138名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:03:22.08 ID:paAOHC8J
>>134
日本語が理解できてますか〜〜〜?
怖い怖くないじゃなくて
発言内容で理解できるのでコテハンを使う必要性がないっていってるんですよ〜
なんとかして補給部隊不足というインパール作戦を語る上での常識から逃げ出すのは
負けるのが怖いの?www
139名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:04:24.54 ID:aDzVHTXK
>>136
だからその議論をやるにしても
途中で逃げられては、こっちもバカを見る。

どちらも責任を持ってやるには
どうしてもコテハンでやり合うしかない。

なぜ拒否する?

負けるのが怖いの?www
140名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:06:44.76 ID:paAOHC8J
まあそもそも補給の続かないインパールで戦闘する作戦をそのままやらかすほうが無能なんですけどね。
補給部隊が足りないとわかってる時点で
ミンタンミで本格戦闘を覚悟してまずそこに補給物資を蓄積して
負担を減少させるべきなのに牟田口が無理に強行したのが失敗の原因。

コテハン使うまでもなく、議論から逃げ出してコテハンコテハンと喚きだしたお前は
とっくに負けてるわけだがなぜいまさら負けるのが怖くなるんだい?w
もうちょっと理路整然と話してくださいよw
141名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:06:50.96 ID:aDzVHTXK
批判派はコテハンで責任を負う書き込みは
出来ないそうだw
書き込みに責任を負いたくないのだとwww
142名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:08:03.97 ID:paAOHC8J
>>141
反論できなくなって自説に責任をとるでもなく
しばらくしたらしれっと同じことを言い出すお前が
どう書き込みに責任をとってるんだ?
2ちゃんのコテハン使うことと書き込みに責任をもつことはべつなのかねw
143名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:09:29.13 ID:paAOHC8J
>>141
んで、根拠をだせとかいった書き込みにお前責任とるの?
要するに自分はインパールの補給部隊がどのようであったのか知らないので
根拠を教えてくださいっていえるのいえないの?
144名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:10:13.97 ID:aDzVHTXK
>>140
そのおまえの書き込みに対して
仮におれが反論しても、
名無しのおまえは、再反論をせず逃げることが出来る。
名無しではそれができるから
らちが明かない

是非、コテハンでの責任を負う形での本気の批判を要求する。
145名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:12:44.62 ID:aDzVHTXK
>>142
ではコテハンで
本気で議論をやりあおうじゃないか。

負けるのが怖くて出来ないの?w
146名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:17:09.67 ID:aDzVHTXK
コテハンでやりあうと
どちらがバカかが明確になるから
批判派は怖くて
できないそうですwww
147名無し三等兵:2015/03/06(金) 00:25:39.51 ID:aDzVHTXK
まあ過去に他の板でもコテハンでやり合った奴もいたが
そいつらは途中で逃げて、二度と出てこられなかったw
148名無し三等兵:2015/03/06(金) 05:02:17.47 ID:Hvl+eILf
それ名無しちゃんで言っても説得力0だし、
途中で逃げた土足が二度三度出てきては逃げてるので、コテハンの意味は失われたw
149名無し三等兵:2015/03/06(金) 12:02:18.16 ID:paAOHC8J
馬鹿馬鹿しいふざけたことだったので相手するつもりはなかったが
一応反論してやるわ
>@連合軍がディマプール死守を第一優先とし
>インパール防衛をあきらめる。
史実をみろ糞バカ。
火力の半減した師団では宮崎の指揮でも三叉路陣地すらおとせないのを無視して
インパール防衛をあきらめるもくそもないもんだ。

>Aコヒマで大量の物資が確保でき
土足と牟田口が無能すぎてどうにもなりませんw
敵の物資を確保できても運ぶ輜重部隊もないのにどうやって役立てるんだよw
手持ちの物資だけで全力で戦えるのは1回か2回だ。
そもそも物資を米一粒送れないところに最前線を設けてなにか意味があるのか?

2個師団で落とせる演習については史実から見て
火力を半減しても落とせるという牟田口の想定が間違っていた以外の見解が成立する余地があるのかね?
150名無し三等兵:2015/03/06(金) 19:02:07.56 ID:6rMWbgGk
なんで東条はインパール作戦を認可したの?
賛成してたのは南方軍だけで、陸軍省と参謀本部は反対だったよね?
151名無し三等兵:2015/03/06(金) 21:17:24.93 ID:VLQ2rZPl
>>150
現場が「できる」と言ったからだよ。
いろいろと念を押してもいるが。
152名無し三等兵:2015/03/06(金) 21:19:53.24 ID:7+JyaoGH
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
153名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:15:03.39 ID:6rMWbgGk
>151
現場ってどっからどこまでを言うんだ
牟田口とビルマ方面軍と南方軍のどれ?
154名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:21:50.22 ID:VLQ2rZPl
>>153
当然、牟田口だよ。牟田口が「出来ない」と言えばできないだろう。
ビルマ方面軍にしろ南方軍にしろ中間司令部に過ぎないよ。
牟田口が出来るというから乗っかっただけ。
155名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:31:56.75 ID:aDzVHTXK
★インパール作戦失敗の原因の真実

ビルマ方面軍主催で南方軍、参謀本部の参謀が立ち会いのもと
ラングーンで行われた図上演習において
現実に行われた15軍の作戦計画で、インパール攻略は出来るという裁定を
ビルマ方面軍が下している。
しかしこの演習と現実の作戦では
南方軍の稲田参謀副長の妨害によって、違いが起きている。

それは15師団の集結が間に合わず、兵力が大幅に減少した状態だったこと。
しかし雨季の関係で、これ以上(2ヶ月)作戦開始を遅らせるわけには行かず、
準備半ばで作戦は開始されてしまった。

そしてこの作戦開始2ヶ月の遅れにより
インパール作戦がウインゲート空挺の侵攻と重なってしまい
15軍司令部はその対応までもを命じられてしまい、その指揮で
インパール作戦に集中できず、司令部の前進も直ぐにできなかった。

さらに航空師団の全兵力がウインゲート空挺の攻撃に向けられてしまい
航空隊がインパール作戦の重要な支援をまったく出来なかった。
航空師団は南方軍の配下で、これはどうすることも出来ない。
南方軍がそちらを優先してしまったため。

そして決定的なのは、ウインゲート空挺をまず始末すべきだと
統帥を無視した柳田師団長の勝手な見解で
インパール作戦を事実上放棄し、抗命してまったく進行をしなかった。
これが決定的な敗因となった。
親補職である師団長は即座に解任できないという
日本の組織の欠陥が露呈している。
156名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:37:00.25 ID:aDzVHTXK
これもテンプレに使うかなw

ふざけたアホのデタラメの書き込みに反応しても
時間の無駄だからwww
157名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:37:46.57 ID:6rMWbgGk
>>154
なんで牟田口が決定権持ってんの?
158名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:40:36.70 ID:aDzVHTXK
日本側にこれだけのマイナス要素があり
4月の攻撃は、日本が本来出来る力の三分の一程度でしかなかった。

であるにも関わらす、連合軍の評価はこのようなもの。
もし4月の段階で本来の力を発揮できていたら
どうだったかは明らかだわな。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
159名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:42:59.76 ID:aDzVHTXK
■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)

「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。
宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加し、カングラトンビに転じていた方が望ましかった、
と考えておられることも小職は存じております。彼は良い点をついております。
貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、
貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。
しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。」


大田嘉弘『インパール作戦』P287
160名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:52:15.91 ID:aDzVHTXK
>>150
>なんで東条はインパール作戦を認可したの?
賛成してたのは南方軍だけで、陸軍省と参謀本部は反対だったよね?

それはやれる作戦だし、価値のある作戦だから。
少なくとも、海軍が主導する太平洋戦線のバカ作戦よりも
はるかに勝算も価値もある。
161名無し三等兵:2015/03/06(金) 22:56:45.22 ID:aDzVHTXK
インパール作戦に反対した人物は表面的にはいない。

しかし裏では多くの妨害があったと考えられる。
それは対米戦線にすべてを投入すべきだという
対米主戦派の連中で、こっちの方がはるかに多数勢力で
バカ海軍とアホマスコミの扇動によって、そいつらが
インパール作戦を水面下で妨害していたと考えられる。
本当に重要な作戦がどちらか、多くの人間が見誤った事実がある。
162名無し三等兵:2015/03/06(金) 23:21:15.18 ID:7+JyaoGH
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・シェラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
163名無し三等兵:2015/03/07(土) 00:17:21.95 ID:HJJp3ZtL
>>157
決定権は無いが意見具申はできる。
164名無し三等兵:2015/03/07(土) 01:09:15.63 ID:rdM3qas+
■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。

これを生かせないのが愚将ムッチーと天才ナポレオンとの差。
ナポレオンはそういう決定的な所には自分で行くんじゃ。皇帝になってもな。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

これ、土足が前に引用した時は「米軍に実在しない役職名」の中佐の証言だったんじゃね?w
そして、撤退許可も出ない程にマウントバッテンには奇襲効果が無かった、以上。

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

この頃の日本軍はよく「撤退」を「転進」と公表してたが、こここそがまさに「転進」である。
31Dより派遣された連隊は第4軍団とストップフォードの率いる戦車に踏まれて一週間で消滅する。
その後で改めてインパールに帰ればいいのだ。 その時ムッチーに勝機は完全にない。
165名無し三等兵:2015/03/07(土) 09:52:59.85 ID:+2tNKWrY
参謀本部参謀次長直属第20班(戦争指導斑)の戦争指導事務補佐の任にあった人が
戦後、インパール作戦について次のように回想している。

そもそもこの作戦は現地で昨年9月頃立案し、強く中央に意見具申して来ていたものが、
いろいろの経緯を経て、ようやく実施されるに至ったのであった。大本営では、最初この
作戦の実施を危ぶんだ。この作戦は(1)わが航空兵力が劣勢である。(2)補給が難しい。
(3)防衛地域が広くなるから兵力増加の必要が起こる。などの難点があった。
当時の第一部長綾部少将は、そのため現地に出張し、中部ビルマのメイミョウで、最も強硬
だった第15軍司令官牟田口中将とも会見して、中央は本作戦に不同意の意図を伝えたの
であった。ところが昨年11月綾部少将が南方軍参謀副長に転出するや、寺内大将の命を受
け1月はじめ中央に出張してインパール作戦認可方を申し出た。幕僚でやむを得ないとはいう
ものの、第一部長までした人が苦しいお使いであった。すったもんだの末実行することに定めら
れたのである。中央も南方総軍もビルマ方面軍も共に牟田口中将の剣幕に引きずられた形で
あった。ところが、いざ作戦となってみると、現地の偵察が少しもしてない。現地指揮官が出来
るというからやるというくらいの心許ない作戦の発足であった。だいたいこの牟田口将軍は、シン
ガポールの攻略作戦に第18師団長として武勲を立ててからは、ますますその自信を強めたの
であろう。第15軍司令官になるや、印度進攻作戦を主張し、主として補給の点からこれに反
対した参謀長小畑信良少将はすぐ満州に転出せしめられた。インパール作戦が後に意の如く
進展しないので、いろいろな事情もあったろうがこの作戦間に3人の師団長(山内第15、柳田
第33、佐藤第31師団長)を全部交代し、その果て佐藤中将は軍法会議に、山内中将は
悶々の末ビルマで病死する始末となった。その結果インパール作戦は完全に失敗し、恐ろしい
悲惨事を生んだのであった。
166名無し三等兵:2015/03/07(土) 11:30:41.68 ID:HJJp3ZtL
英軍の歩兵旅団
 歩兵大隊X3 2または3インチ迫撃砲X24門
 重火器大隊 機関銃×36丁 4.2インチ迫撃砲X4門
 師団砲兵X72門

日本軍第15師団(インパール作戦時)
 連隊 連隊砲X1門
  歩兵大隊X3 機関銃X2 大隊砲X1
 師団砲兵×10門

日本軍第31師団インパール作戦時)
 連隊 連隊砲X1門
  歩兵大隊X3 機関銃X4 大隊砲X2
 師団砲兵×17門

英軍は機関銃や迫撃砲の火力で日本軍の何倍なんだ?!
というくらいの火力の差!!

師団砲兵を加えるとどうしようもない格差!!
日本軍は砲兵弾薬が乏しいので、1門あたりの携行砲弾も150−200発
1回本格的に戦闘したら弾切れ!!

一方英軍は1個中隊8門で1日3000発発射という恐ろしい火力。
本当にどうしようもないのだ。
167名無し三等兵:2015/03/07(土) 12:16:41.12 ID:gUpAIdOn
>>166
★33師団の兵力(山本支隊を含む)

歩兵11個大隊

火力

山砲兵第33連隊 30門
野戦重砲兵第3連隊 12門
野戦重砲兵第18連隊 16門
独立速射砲第14大隊 12門
野砲兵第54連隊第1中隊 4門

合計74門

戦車第14連隊 軽戦車 52輌

その他
シンゲルで確保した大型トラック100両
168名無し三等兵:2015/03/07(土) 12:22:41.10 ID:HJJp3ZtL
>>167
33師団は1つしかない。
169名無し三等兵:2015/03/07(土) 12:23:41.30 ID:gUpAIdOn
インド第17師団(1個旅団欠)

歩兵2個旅団(合計 6個大隊)

砲 形式上48門?
170名無し三等兵:2015/03/07(土) 13:07:18.90 ID:JkL1X8BK
>>167,169
そうやってビルマにおいていった砲や
1943年の編制とか時空をねじ曲げないと
牟田口が擁護できないという証明して楽しい?

牟田口をかばうには嘘をつかないとできないってさ・・・お前が一番牟田口を非難しているなw
171名無し三等兵:2015/03/07(土) 13:18:19.51 ID:oYWn05gz
日本軍の場合、砲弾輸送能力が厳しい。

砲兵の威力は砲数×砲弾の数。

100門の砲を持っていても、10発の弾しかなったら、10門しか撃てない。
砲が10門しかないのといっしょになる。
172名無し三等兵:2015/03/07(土) 13:39:14.58 ID:gUpAIdOn
>>170
何がどうウソなんだ?
何も具体的な指摘が無いが?
173名無し三等兵:2015/03/07(土) 13:52:14.74 ID:HJJp3ZtL
>>169
形式上とは?
師団砲兵は旅団に所属しているわけではないが?
174名無し三等兵:2015/03/07(土) 13:53:14.55 ID:HJJp3ZtL
どのみち日本軍の携行弾薬数が致命的でどうにもならない。
175名無し三等兵:2015/03/07(土) 13:53:58.84 ID:rdM3qas+
>>172
「1943年の編成」でこの板の常連(つまり土足にも)十分具体的ですが、
その後の経緯も描いた方が中立の人が読む分には親切だよね〜

せっかく手元にあった大砲を置いて行く所まで書いて困るのはムッチーや土足の方だろうがw
176名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:03:44.88 ID:HJJp3ZtL
日本軍の連隊は
大隊X3
機関銃X8丁 大隊砲X2門
連隊砲X4門

が定数だが15、31師団は携行数を減らした。
もっと重要なのは砲弾の携行も少なかったことだ。
たった1度の戦闘で砲弾が不足する。
177名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:17:24.59 ID:LlJTmR7L
インド師団はマニプール河の谷底で
縦列で立ち往生している車輌群で
日本はシンゲルとトイトムの高地から
これを挟撃できる絶好の態勢にあったわけで
火力を使うにしても補給の面でも
日本側が断然有利な形勢。
178名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:20:50.65 ID:fNyHeekr
ついに日中戦争を本気で検証し
山本五十六こそが日本を亡国へ導いた主犯だとする
禁断の書籍wが出版される


『海軍の日中戦争 − アジア太平洋戦争への「自滅のシナリオ」』
笠原十九司

つまり、海軍こそ、<全面的な>日中戦争を、

<自分の意志>で、起こした。

そして、

これが日本の亡国への道になった。

http://blogs.yahoo.co.jp/satoatusi2006/39450123.html
179名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:24:33.05 ID:HJJp3ZtL
>>177
そのとき追及できたのは10カノンが2門。
携行してきた砲弾が20発。
どうにもならん。
180名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:39:58.69 ID:rdM3qas+
ダメだ〜全弾命中でも話になんね〜
(空砲三発*6回分で準備してきたとしかw)
181名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:40:28.48 ID:fNyHeekr
>>179
その証拠は?
おまえの空想の話か?
182名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:43:25.10 ID:fNyHeekr
まあこの態勢ならば日本は砲なんぞ使うより
側面から強襲したほうがはるかに早い。
なにせ敵は殆どが非戦闘員の無防備の縦列なのだから。
183名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:49:17.27 ID:fNyHeekr
★インパール作戦に参加した33師団の兵力(山本支隊を含む)

歩兵11個大隊

火力
山砲兵第33連隊 30門
野戦重砲兵第3連隊 12門
野戦重砲兵第18連隊 16門
独立速射砲第14大隊 12門
野砲兵第54連隊第1中隊 4門

合計74門

戦車第14連隊 軽戦車 52輌

その他
シンゲルで確保した大型トラック100両




★対するインド第17師団(1個旅団欠)

歩兵2個旅団(合計 6個大隊)

砲 形式上48門?
184名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:52:45.67 ID:HJJp3ZtL
>>181
10センチカノン2門は不破の戦史叢書「インパール作戦」
携行弾薬20発は吉川の陸戦史集「インパール作戦」上
に書いてあるな。
185名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:53:17.29 ID:HJJp3ZtL
>>183
携行弾薬数は?
186名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:08:33.63 ID:fNyHeekr
>>184
トンザン付近の作間連隊は

野戦重砲兵第3連隊所属 4門
野戦重砲兵第18連隊所属 8門
山砲兵第33連隊所属 10門?

これだけ使えたとなている。

P182
187名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:13:06.05 ID:LLi9Z1CC
>>186
きいてるのは、シンゲル、トイトムにいる日本軍の砲火力だけど。
だれもトンザンの砲火力を聞いてないぞ。
188名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:18:04.46 ID:fNyHeekr
>>187
トンザン付近もトイトム付近も同じだが??
トンザン〜トイトムはたぶん2Kmくらいだが?
189名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:22:12.22 ID:fNyHeekr
地図で確認したが
トンザン集落〜トイトム峠は
直線距離で1Km程度
190名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:29:37.53 ID:LLi9Z1CC
>>189
じゃあ其の地図を出せ。
191名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:35:43.34 ID:fNyHeekr
192名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:37:49.82 ID:fNyHeekr
ちなみにトイトム峠はここ

https://www.google.co.jp/maps/place/23%C2%B037'08.0%22N+93%C2%B041'15.3%22E/@23.618877,93.687584,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x0:0x0!5m1!1e4
193名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:44:03.19 ID:JkL1X8BK
作間連隊の随伴砲兵は山砲兵第33連隊第1大隊だけだぞ?
いんちきな本を読んでるんだなあ
194名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:49:40.63 ID:E8KmlKhU
>>193
陸戦史集からの引用文なんだが?


それを要約すると
トンザン付近の作間連隊は

野戦重砲兵第3連隊所属 4門
野戦重砲兵第18連隊所属 8門
山砲兵第33連隊所属 10門?

これだけ使えたとなている。

P182
195名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:52:27.66 ID:LLi9Z1CC
>>192
直線距離で5kmは離れてるし、そのうえ、さんがくだから、見通しは全く期待できないけど。
画面に左下のスケールくらい確認しろよ。
196名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:52:38.55 ID:JkL1X8BK
>>194
それ、単にあったというだけで
斉藤大隊がトイトムに持ち込んだという話じゃないよね。
197名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:54:24.88 ID:JkL1X8BK
一応根拠としてトイトムの時点で
野戦重砲連隊の砲はまったく損耗していない。
つまり激戦があって壊滅に近い打撃を受けて撤退したなら
一番おいて行かれやすい重砲が被害をうけなかったってのはありえないんで。
198名無し三等兵:2015/03/07(土) 15:58:58.83 ID:LLi9Z1CC
>>196
というか、砲が部隊に追随してなく、山砲でさえ、到着が翌日以降とかいう話が
ザラなんだけど。
199名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:01:43.77 ID:E8KmlKhU
>>196
トンザン、トイトム付近の戦いでは
師団司令部が適切な指揮をしていれば
大隊砲、連隊砲、師団砲をあわせて
これだけの砲がを投入できたと陸戦史集に記されている。
200名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:03:16.50 ID:E8KmlKhU
>>195
どこが5kmもあるんだ?
トンザン集落〜トイトム峠は
どう見ても直線距離で1Kmていど。

https://www.google.co.jp/maps/place/23%C2%B037'08.0%22N+93%C2%B041'15.3%22E/@23.618877,93.687584,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x0:0x0!5m1!1e4
201名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:10:27.84 ID:HJJp3ZtL
>>199
野戦重はは軍の指揮下なんだが?
202名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:10:57.78 ID:HJJp3ZtL
>>199
で、肝心の弾薬は?
203名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:11:20.95 ID:JkL1X8BK
>>199
15日の夜明けに戦闘開始してその夜には夜襲が失敗して戦闘が終了してしまったのに
適切な指揮もくそもないもんだ。
山中を移動しているので砲の到着が遅れていただけの話で、
移動途中で戦闘が終わってるじゃないか。
それとも陥落寸前の激戦地に大砲送り込んですててこいってかw
いやまあ、土足さんが日本語を読めてないだけの可能性も高いですがw

だいたい指揮でいうなら牟田口が彼らに敵の戦力を吸引する陽動の役目与えてしまったのに
敵がひとまとまりで後退してきたのがまず作戦とあわなくなった。
んで、牟田口が適切な指揮をしたかといえば、
口先で撃滅しろと言う以外何一つ手を打たなかったのはどうなるのかね?
3/14に退路遮断の報告を受けておきながら、トイトムシンゲルの兵力をまとめさせる許可も出さず、
前動の両方確保命令をそのまま、突破されてようやく次の指令を出す始末。
つまり兵力をばらばらにつかわされる足の引っ張りしかしてない。
指揮が適切も何も作戦が陽動のままなんだから適切に行動できるはずもねえわw

ああ、もちろん牟田口の無能と怠慢を無視して適切な指揮をしなかったというならそのとおりですがねw
204名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:12:51.62 ID:E8KmlKhU
作間連隊はインド17師団が到着する前に
守衛程度しかいないトイトム峠とトンザン集落を
間違いなく確保している。

ところがインド17師団が進んでくると
作間連隊は西方の師団司令部のほうへ逃げてしまった。

そして作間は師団司令部に
敵はトイトム峠をすでに通過して、いませんでしたと
大嘘の報告をした。
205名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:15:58.14 ID:JkL1X8BK
>>204
お前の妄想はどうでもいい。
だいたいその通りだとしてもなんら問題はない。
一個大隊が一個師団と正面から殴り合いしたらかっていたとか
ふざけたことばっかりいってないで真面目な書き込みをしたらどうだ?
206名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:16:25.59 ID:HJJp3ZtL
>>204
ウソというより誤報だな。
ウソは藤原の「統制前進」のほうだな。
207名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:17:37.97 ID:HJJp3ZtL
まぁ結局、南から押し上げる「方面軍案」がまだマシだったということだな。
208名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:20:46.93 ID:JkL1X8BK
一応聞いておいてやるが17Dが43年度の2個旅団編制のままだったとか、
半数以上が非戦闘員だったとかまだ寝言が正しいとおもってんのか?
きちんと部隊名までのってる英文WIKIをみせてやったろw
後者については・・・おまえ、まさか17Dが自動車化師団だったことを知らずに
トラックは非戦闘員とかいってるんじゃないんだろうな?
209名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:22:18.20 ID:HJJp3ZtL
>>208
土足は 後方勤務要員=非戦闘員 にカウントするからなぁw
210名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:31:17.88 ID:1WKrAfvM
>>208
英文wiki見ても英語が判らない土足には「猫に小判」w

中学生レベルの知識もないバカだからなw
地図を見ても「地図を読めない」のは直ぐ上でググるマップ貼り付けて勝ったつもりに
なっているので証明済みw

アーサー・スウィンソンの「地の文」が出た後に長尾訳貼り付けて勝ったつもりに
なっているのを見れば、

・一次資料と二次資料以下の区別が出来ない
(土足はその辺の「噂」と当人が書いたのとどちらが重要なのか区別が出来ない)
・中学生レベルの英文も読めないから未だに大田本の孫引きや長尾訳のバカコピペに
 価値が有ると思っているw
・英文が理解出来ないので証言の原文が引用できない
(何しろ書かれている意味が判らないレベルw)

という事が判るw

さながら歩くバカの見本市w
211名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:51:21.76 ID:E8KmlKhU
>>208
17インド師団は当事、48旅団と63旅団の2個旅団編成だが?
インパールに戻ってら一時的に
32旅団が加わったとなっている。

http://en.wikipedia.org/wiki/17th_Infantry_Division_(India)
212名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:51:53.51 ID:HJJp3ZtL
トイトムの誤報とは「トイトム高地に敵影見ず」であって
見えないのだから見ずとしか報告できないだろう。
「敵影見ずしかし要るかもしれない」ではそれこそウソだ。
213名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:52:53.87 ID:HJJp3ZtL
>>211
どのみち日本軍の火力ではどうしようもないがな。
214名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:54:06.77 ID:E8KmlKhU
>>210
トンザン集落〜トイトム峠は
どこが5kmもあるんだ?
どう見ても直線距離で1Kmていどだが?

https://www.google.co.jp/maps/place/23%C2%B037'08.0%22N+93%C2%B041'15.3%22E/@23.618877,93.687584,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x0:0x0!5m1!1e4

どのような見かたをすれば5kmになるのか
説明してもらいたい。
215名無し三等兵:2015/03/07(土) 16:55:34.33 ID:E8KmlKhU
>>213
てめー嘘を書いておきながら
ID変えてそれで済ます気か?
216:2015/03/07(土) 17:09:34.91 ID:HJJp3ZtL
>>215
はいはい。コエハンね。つけるからw
217:2015/03/07(土) 17:22:54.12 ID:HJJp3ZtL
どのみち砲弾が少ないからどうしようもない。
218名無し三等兵:2015/03/07(土) 17:50:10.48 ID:LAl9Fi8d
60kg装備で3000m級を登山とか、昔の人はすごいね。自分は10キロ装備で近所の800m級低山がやっとだわ。
60kgは丹沢の鍋割山壮の草野氏の最近のポッカ重量。往年は100s担いでたみたいだけど。
219:2015/03/07(土) 17:56:06.65 ID:HJJp3ZtL
でもそのすごい人達も参謀やら軍司令官にとっては
出世ための道具にすぎなかった。
使い捨ての道具だ。
220名無し三等兵:2015/03/07(土) 18:17:09.66 ID:ygRqEHpV
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
221名無し三等兵:2015/03/07(土) 18:49:18.39 ID:JkL1X8BK
>>2111
Order of Battle, as of May 1, 1944[edit]
General Officer Commanding – Major General David Tennent Cowan
Commander, Royal Artillery – Brigadier the Baron de Robeck
17 Division HQ and Signals
48th Indian Infantry Brigade – (Brigadier Ronald Thomas Cameron)
9th Battalion, Border Regiment
2nd Battalion, 5th Gurkha Rifles
1st Battalion, 7th Gurkha Rifles
63rd Indian Infantry Brigade – (Brigadier Arthur Edward Cumming )
1st Battalion, 3rd Gurkha Rifles
1st Battalion, 4th Gurkha Rifles
1st Battalion, 10th Gurkha Rifles
Divisional Units
1st Battalion, West Yorkshire Regiment (attached)
4th Battalion, 12th Frontier Force Regiment (Divisional reconnaissance unit)
7th Battalion, 10th Baluch Regiment (Divisional defence / machine gun unit)
129th Field Regiment RA
21st Mountain Regiment IA
29th Mountain Regiment IA
82nd Light Anti-aircraft / Anti-tank Regiment RA
60th Field Company IE
70th Field Company IE
Tehri Garhwal Field Company
414th Field Park Company IE

お前は中学生レベルの英語が読めればすぐにわかる
史実とは異なるそういう嘘をしれっとついてなにがしたいんだ?
222名無し三等兵:2015/03/07(土) 19:07:20.06 ID:B/7VE/5d
結局
司令官、幹部クラスの将校は、無能そろいで
下士官、兵士は、最強てことか
223名無し三等兵:2015/03/07(土) 19:13:54.94 ID:JkL1X8BK
ttp://www.ordersofbattle.com/Units/UnitSubordinates?UniX=6003
ほれ、17Dの部隊の出入りがひとまとめになったページだ。
これをみればわかるとおり、旅団は確かに2個だけだが
師団司令部直属に3個大隊持ってるのが通常編制だ。
23Dや20Dは3個旅団に加えて同じように直属大隊を複数備えているので
単にこの時の英印軍の標準的な編制にすぎない。
これを日本軍風に2個旅団と表現するとそれしかいないように見えるだけの話を
いつまでひっぱるつもりなんだ?

つか本当に理解できないのこの程度のことが?
224名無し三等兵:2015/03/07(土) 20:43:25.10 ID:E8KmlKhU
>>223
なにが言いたいのか意味不明
いつ、何が、どうしたと、
具体的かつ明確に書けボケが
225名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:03:37.92 ID:E8KmlKhU
1943[edit]

For the campaigning season of 1943, the division was reorganised as a "Light" formation,
with two brigades only (48th and 63rd), supported by mountain artillery, and with mules and jeeps only for transport.
It disputed the mountainous and jungle-covered region around Tiddim, with mixed success.
The division was at the end of a long and precarious supply line, and the "light" establishment was
found to be inadequate in some respects. Some heavier equipment and transport was restored.


1943年の17インド師団は
たったの2個の旅団だけの
小さい軽師編成でしたwww


http://en.wikipedia.org/wiki/17th_Infantry_Division_(India)
226名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:23:01.71 ID:JkL1X8BK
>>224
いつ、何が、どうしたと、
具体的かつ明確に書いてあるリンクを出したのに
文盲がみると書いてないことになるのか・・・

義務教育レベルの英語が理解できる人がみれば
お前がふざけた不真面目な書き込みしかしてないのがよくわかるな。
>1943年の17インド師団は
>たったの2個の旅団だけの
>小さい軽師編成でしたwww
笑うしかねえw
227名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:31:29.28 ID:JkL1X8BK
1943年の17インド師団は
”日本軍の3単位師団と同じ9個大隊からなる”
たったの2個の旅団だけの
小さい軽師編成でしたwww

って223の戦闘序列をみればわかるのだが
いつ、何が、どうしたと書いてあることが読めないとわからないんだなあ。
悪いけど嘲笑を禁じ得ないよ、君のふざけたいい加減な書き込みには。
228名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:41:05.60 ID:E8KmlKhU
>>227
>”日本軍の3単位師団と同じ9個大隊からなる”

どこにそんな事が書いてあるのか?
具体的に示したらどうだ?
229名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:44:05.37 ID:E8KmlKhU
このバカはいつも苦しくなると
詭弁とあやふやな説明となり
英軍やリンクを張って
勝った勝ったと勝利宣言する典型的なバカ
230名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:45:46.40 ID:E8KmlKhU
それからトンザン〜トイトムが
5kmあると書いたバカも逃亡している。
そんなやつらばかりwww
231名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:50:54.30 ID:E8KmlKhU
当事の日本軍としては十分な装備と補給があった
万全な2個連隊を要する師団が
たかだがグルカ兵の軽師団に有利な体制で惨敗するとか
こんな話はありえんわな。
この程度の敵に負けるようでは
世界に勝てる相手はいなくなってしまう。
232名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:53:38.68 ID:JkL1X8BK
>>228
>どこにそんな事が書いてあるのか?
>具体的に示したらどうだ?
??
きっちり書いてあるじゃん。
大隊の項目をみれば43年時点ですら旅団の他に3個大隊が配属されている。
それを44年4/1でまとめてあるのがお前が引用したWIKIにも書いてあるし
いったい、なにをいってるんだ?

>詭弁とあやふやな説明
えーと、英語名称すら読めない人がなにをいってるんでしょうか?
233名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:53:43.25 ID:E8KmlKhU
まあ柳田のような無能が師団を指揮してたら
戦国時代の敵と戦っても
惨敗するだろうなwww
234名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:55:07.34 ID:E8KmlKhU
>>232
だからいつどこでどの部隊が加わったんだ?
なぜ具体的に書かない?
235名無し三等兵:2015/03/07(土) 21:58:54.64 ID:E8KmlKhU
まあ柳田師団は
いつどんな状況で、どんな敵と戦っても
常に大敗するのはわかたから
もう言い訳は書かなくてよい。
聞きたくも無いw
236名無し三等兵:2015/03/07(土) 22:02:37.02 ID:E8KmlKhU
★33師団の兵力(山本支隊を含む)
太平洋戦争で投入された日本軍の師団としては、最強の兵力を有する師団


歩兵11個大隊
(3個連隊+増強部隊)

火力

山砲兵第33連隊 30門
野戦重砲兵第3連隊 12門
野戦重砲兵第18連隊 16門
独立速射砲第14大隊 12門
野砲兵第54連隊第1中隊 4門

合計74門

戦車第14連隊 軽戦車 52輌(M3を含む)

その他
シンゲルで確保した大型トラック100輌等
237名無し三等兵:2015/03/07(土) 22:14:03.32 ID:JkL1X8BK
>>234
だから”いつどこでどの部隊が加わった”か書いてあるだろ。
お前はなにを言ってるんだ?
何月何日どの旅団・大隊・中隊が指揮下にはいったかってのがさ。

>>236
だからいつどこでどの砲があったんだ?
なぜ具体的に書かない? w
238名無し三等兵:2015/03/07(土) 22:22:12.58 ID:JkL1X8BK
もういいや、中学生でも読める具体的に書いてある英語資料すら読めないのに
詭弁だのあやふやだのw
挙げ句の果てにそこにいない部隊を含めての詭弁で
最強の兵力とかあやふやなこと言ってるバカはどうしようもないな。

ちなみにWIKIを見ると
印20D 3個連隊+司令部直属4個大隊=歩兵13個大隊
印23D 3個連隊+司令部直属5個大隊=歩兵14個大隊
軍直轄砲兵とかはまた別。
17D撃滅してもまだ敵のほうが大隊の数が多いなw
やっぱコヒマに一個師団やるのは無謀だわ
どんな演習をやったのやら
239名無し三等兵:2015/03/07(土) 22:52:52.69 ID:ygRqEHpV
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・シェラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
240名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:16:58.38 ID:E8KmlKhU
>>238
その兵力は柳田のバカが1ヶ月も停滞していて
その間に連合軍が1ヶ月かけて
空輸して増強した結果の5月の兵力だろ。
241名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:20:09.31 ID:c2Skoh3G
そんな弱小部隊に合流されたから負けたってw
ムッチーの能無しを強調したいのですかw

ま、仮にそちらの言うとおりの火力を持ち込めたとしても、ここで砲弾を使っちゃうとインパールで余計に辛くなりますよw補充が来ないと。
242名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:21:52.35 ID:HJJp3ZtL
>>236
つまり南側から攻め上げる方面軍案がマシだということだなw
243名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:22:29.70 ID:LAl9Fi8d
小田原から北アルプスくらいまでの距離を徒歩で進撃して、3か月足らずで成功するはずがない。
244名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:23:05.99 ID:HJJp3ZtL
>>240
大田本でも10日なのに1ヶ月に膨れ上がったかw
245名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:27:28.77 ID:E8KmlKhU
>241
武器も車輌も有り余ってる状態だが?

■笹原連隊はシンゲルの敵集積所を確保し 膨大な物資を捕獲

●『実戦インパール作戦 「弓師団」笹原聯隊の死闘』
第三大隊は十四日、一〇五マイル西側高地に進出、十六日夜、白兵突撃をもって三二九九高地西側、
「突角陣地」の敵を撃破して、同地付近の一大軍需品集積所を占領確保し、次いで、
その東方高地稜線を占領して南方トンザン方面の敵と対峙した。
この間、敵の物資集積所では車輛一千台以上、糧秣は一ヶ師団の二ヶ月分以上を押収した。

大隊はつづいて軍需品集積所に突入、これを制圧した。十七日午前五時であった。
敵の捕虜は白人兵四十、インド兵、グルカ兵三百六十名を得た。
軍需資材に至っては自動車千二百余輛、馬匹、弾薬、砲、糧秣、通信機材、衛生材料等、莫大な戦果であった。


33師団第二大隊の榎本主計の手記

「集積所に突入したが、唯こんな位置に、これほどの膨大な
物資の集積があるのには驚いてしまった。
幕舎の数はおよそ数百棟に及び、肉類、乳製品、缶詰類の天幕
だけでも二十張りくらいあった。

トラック、ジープは視界の及ぶ限り千台以上を数え、二五ガロン
入りのガソリン缶の野積みが、幅二五メートル、長さ二百メートルの
三段積で六列も続き・・・

この一個師団を半年以上も養えるかと思えるほどの物資の確保を
どのようにすべきか、思案の末、・・・」

大田 嘉弘『インパール作戦 』 P16
246名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:30:59.29 ID:HJJp3ZtL
>>245
土足よ、その物資を仕分けして分配し、搬送するには歩兵連隊が総出をあげる必要があるな。
247名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:32:18.76 ID:E8KmlKhU
>>244
柳田師団は一気に進撃すれば3月中にインパールへ
突入できていた。

しかし現実には、ビシェンプールで5月になって
ようやく本格的な攻撃を開始するというバカな話。

柳田のバカの停滞によって
攻撃が1ヶ月以上遅い
248名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:33:08.53 ID:c2Skoh3G
場末の弱小部隊でさえそんなに抱えてたんだね〜二個旅団が食うと、まあ一ヶ月は持つでしょうなw

つまrインパールにも最低一ヶ月分の物資が積んであると見るべき証拠。
249名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:36:17.86 ID:E8KmlKhU
>>248
どこが弱小師団なんだ?

★33師団の兵力(山本支隊を含む)
太平洋戦争で投入された日本軍の師団としては、最強の兵力を有する師団


歩兵11個大隊
(3個連隊+増強部隊)

火力

山砲兵第33連隊 30門
野戦重砲兵第3連隊 12門
野戦重砲兵第18連隊 16門
独立速射砲第14大隊 12門
野砲兵第54連隊第1中隊 4門

合計74門

戦車第14連隊 軽戦車 52輌(M3を含む)

その他
シンゲルで確保した大型トラック100輌等
250名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:37:46.10 ID:HJJp3ZtL
>>247
一気に進撃って英軍制空権下をパレードでもするのか?
251名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:38:00.57 ID:E8KmlKhU
>>248
それらの敵物資が全部、かるく確保できていたわけで
インパール作戦は、やればやるほど補給が楽になる戦いだろ。
252名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:38:51.15 ID:HJJp3ZtL
>>247
つまり南側から攻める方面軍案のほうがマシなんだな?
253名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:40:02.20 ID:E8KmlKhU
>>250
マレー作戦でやってるじゃないか。
本来の予定通りの時期にやってりゃ
日本側も相当の航空支援が出来ていた。
254名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:42:00.13 ID:HJJp3ZtL
>>253
マレー作戦の時は18師団収録は鉄道輸送じゃないか。
デタラメを言うな。
255名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:42:45.20 ID:E8KmlKhU
>>252
同時に多方向から攻めるから
敵は混乱して
侵攻が優位に出来るんだが?
256名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:43:24.42 ID:HJJp3ZtL
もっと言うとマレー作戦時は制空権があるので
パレード進軍も可能だったがな。
257名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:43:59.00 ID:HJJp3ZtL
>>255
だが砲兵火力は南側が優勢なんだろ?
258名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:45:55.71 ID:E8KmlKhU
>>256
インパール作戦は進軍は夜間だが?
259名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:46:32.65 ID:HJJp3ZtL
>>258
では昼間は寝ててもいいんだな?
260名無し三等兵:2015/03/07(土) 23:51:11.80 ID:HJJp3ZtL
柳田中将が統制前進だと責められるなら、
ビルマ作戦時の牟田口もインド17師団を逃がした
統制前進を責められるべきだな。
261名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:06:56.86 ID:VukV5J54
>>251
だったらインド17師団は放置でエエヤン。
無理して追い剥ぎの真似をしたって、取れる物資はインパールまでの片道分の燃料と飯にトラックが少々。
その代わりに柳田は少なくとも一個大隊の監視役と何より捕虜に食わせる飯がどこから届くんですかと
262名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:10:14.44 ID:VukV5J54
ムッチーは柳田に感謝すべきだな。
もし17師団を捕虜にしてたら捕虜虐待で戦犯付いてたのは明らか。
263名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:12:09.54 ID:LbXC3zh4
>>262
死刑確実だったよ。
264名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:14:02.16 ID:27LWPBC7
>>261
翌日には空襲で燃やされてるし、その後は、撤退時にほとんど処分されて物資が手に入ってないんですよコレが。
265名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:17:47.10 ID:LbXC3zh4
土足は物資はあれば手に入ると簡単に考えているが
実際はどこに何があるのか分からない。
膨大であればある程分からない。
それを捜索し仕分けして分配しなければならない。
10日でも足りない。
266名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:18:45.28 ID:lbAV6JG7
>>255
連携できない一本道をそれぞれ相手より少ない兵力で2つ3つ攻め込んだところで
豊富な予備兵力をもつ英軍がどう混乱するんだね?
というか史実で17Dの撤退遅れ以外ほとんど混乱してないことをどう説明するつもりなんだ?
267名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:30:20.23 ID:+U7bv1ak
>>264
どこにも空襲で燃やされたなんて話は無いが何が根拠だ?
>241
武器も車輌も有り余ってる状態だが?

■笹原連隊はシンゲルの敵集積所を確保し 膨大な物資を捕獲

●『実戦インパール作戦 「弓師団」笹原聯隊の死闘』
第三大隊は十四日、一〇五マイル西側高地に進出、十六日夜、白兵突撃をもって三二九九高地西側、
「突角陣地」の敵を撃破して、同地付近の一大軍需品集積所を占領確保し、次いで、
その東方高地稜線を占領して南方トンザン方面の敵と対峙した。
この間、敵の物資集積所では車輛一千台以上、糧秣は一ヶ師団の二ヶ月分以上を押収した。

大隊はつづいて軍需品集積所に突入、これを制圧した。十七日午前五時であった。
敵の捕虜は白人兵四十、インド兵、グルカ兵三百六十名を得た。
軍需資材に至っては自動車千二百余輛、馬匹、弾薬、砲、糧秣、通信機材、衛生材料等、莫大な戦果であった。


33師団第二大隊の榎本主計の手記

「集積所に突入したが、唯こんな位置に、これほどの膨大な
物資の集積があるのには驚いてしまった。
幕舎の数はおよそ数百棟に及び、肉類、乳製品、缶詰類の天幕
だけでも二十張りくらいあった。

トラック、ジープは視界の及ぶ限り千台以上を数え、二五ガロン
入りのガソリン缶の野積みが、幅二五メートル、長さ二百メートルの
三段積で六列も続き・・・

この一個師団を半年以上も養えるかと思えるほどの物資の確保を
どのようにすべきか、思案の末、・・・」
大田 嘉弘『インパール作戦 』 P166
268名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:33:19.62 ID:+U7bv1ak
>>266
これで混乱してないなんて言えるのかよ?

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。
宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加し、カングラトンビに転じていた方が望ましかった、
と考えておられることも小職は存じております。彼は良い点をついております。
貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、
貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。
しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。」

大田嘉弘『インパール作戦』P287
269名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:37:40.90 ID:+U7bv1ak
それより何よりこれに期待。おれが宣伝するw

ついに日中戦争を本気で検証し
山本五十六こそが日本を亡国へ導いた主犯だとする
禁断の書籍wが出版される


『海軍の日中戦争 − アジア太平洋戦争への「自滅のシナリオ」』
笠原十九司

つまり、海軍こそ、<全面的な>日中戦争を、

<自分の意志>で、起こした。

そして、

これが日本の亡国への道になった。

http://blogs.yahoo.co.jp/satoatusi2006/39450123.html
270名無し三等兵:2015/03/08(日) 00:45:08.77 ID:+U7bv1ak
しかしなんでおれが左翼系学者を支援しなくてはならないかだがw
まあ左翼だろうがなんだろうが
真実と正論を主張するものは支持される。
271名無し三等兵:2015/03/08(日) 04:17:00.58 ID:bdLwd2KO
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
272名無し三等兵:2015/03/08(日) 07:25:09.36 ID:Aj9l121E
>>269
やっぱり土足閣下でしたか、あちこちに書きまくってらっしゃるのは。
あのAAもこのAAも書き込んでらっしゃる御努力には、呆れるだけでございます。
273名無し三等兵:2015/03/08(日) 07:49:48.85 ID:Aj9l121E
読んでもいないのにWWW
274名無し三等兵:2015/03/08(日) 09:53:41.51 ID:LbXC3zh4
>>268
混乱しているのは一部の幹部だけで
師団長以下兵士に同様は無いのだから何の問題もない。
275名無し三等兵:2015/03/08(日) 10:20:40.92 ID:lbAV6JG7
>>266
結局インパール放棄もコヒマ放棄もしなかった程度の混乱になにか意味があるのかね?
南方軍案で17Dが3個師団で撃滅されてたらもっと混乱したかもよw

まあ一番いいのは17Dの後退を見た後、ミンタンミ山系の陣地化を推進して
なるべく補給の届くところで敵を迎え撃つことだろうな。
補給の届かない一本道より補給の届く山岳陣地のほうが優れてることに説明が必要なレベルの生き物にはわからんだろうが。
どうしてもインパールがほしいなら、この時点で牟田口が褌一丁でおもむいて、
おもむろに切腹でもすればいい。
その意図がまったくわからず英軍は混乱するぞおw
なに、コヒマ放棄もインパール放棄も決定しない程度の混乱が必要だってんだから
この程度で必要十分だわw 土足が必要だって言う混乱なんてそんなもん
276名無し三等兵:2015/03/08(日) 10:41:03.86 ID:+U7bv1ak
>>275
だからその案はビルマ方面軍作戦参謀が
自身で否定していると、何度言わせる?


不破作戦主任参謀(ビルマ方面軍)の回想録

「進出線をミンタミ山系の線、またはタム以西及びチン高地の要線に制限しても、
インパールの敵根拠地を眼前に控えていれば、敵の作戦準備状況から見て
反撃を受けるのは必至である。
むしろ当初からインパールを作戦目的とすべきであるとの結論に達した。」

大田嘉弘『インパール作戦』 P64〜 66
277名無し三等兵:2015/03/08(日) 10:51:28.75 ID:+U7bv1ak
>>275
>まあ一番いいのは17Dの後退を見た後、ミンタンミ山系の陣地化を推進して
>なるべく補給の届くところで敵を迎え撃つことだろうな。

柳田は現実にそういった行動をした。
たかが1カ月程度で攻略できると図演でも結論が出ている短期作戦で
そんなチンタラ補給を待ちながら戦うとか
そんなんじゃ確実に作戦は失敗すると、だれでも予想できる話だわな。
柳田は最初からそのつもりだろうが。
278名無し三等兵:2015/03/08(日) 11:19:05.72 ID:LbXC3zh4
>>277
図上演習というのは司令部間の統制や調整を見るためのものであって
作戦の成否を占うものではない。
あくまで インパール攻略=第4軍団撃破 するという想定でしかない。

>柳田は最初からそのつもりだろうが。

師団は師団長だけで動くものでもない。
279名無し三等兵:2015/03/08(日) 11:30:53.86 ID:lbAV6JG7
>>276
>自身で否定していると、何度言わせる?
そらお前がその意見もこっちの意見も読めていないからだな。
その意見のどこに補給の届かないインパールで戦うべきだなんて書いてある?
つーかそもそもそれをやって失敗したんだから、
やらない代案を出したのに否定にもなってない否定を出してどうするw

>たかが1カ月程度で攻略できると図演でも結論が出ている短期作戦で
図演では補給部隊が2割しか無く火力が半分で砲弾もまともにもってないって図演だったのかねw
それは編制通りの砲兵と山本支隊までいれて有利とか現実と関係の無い
ふざけた不真面目な書き込みしてるお前がいちばんよく知ってるはずだがw
戦力的にもインパールを攻撃するのがたったの10個大隊という
攻撃側3倍どころか17Dを除いても防衛側が3倍の戦力比で
”たかが1カ月程度で攻略できると図演”なんてものがまともなわけなかろうに
280名無し三等兵:2015/03/08(日) 11:34:09.82 ID:lbAV6JG7
あと柳田の弓はインパールの敵戦力をひきつける陽動が役目じゃなかったのかねw

>そんなチンタラ補給を待ちながら戦うとか
>そんなんじゃ確実に作戦は失敗すると、だれでも予想できる話だわな。
だとすると自分で物資を持って補給部隊と同じ速度しかだせないジンギスカン作戦とか言う
チンタラ補給をもちながら戦うとか
そんなんじゃ確実に作戦は失敗すると、だれでも予想できる話だわな。
まあ、牟田口には予想できなかったらしいが、3師団長は予想し事実失敗しているなw
どんだけ無能なんだ牟田口w
281名無し三等兵:2015/03/08(日) 11:50:13.52 ID:+U7bv1ak
>>279
おいバカ左翼
では柳田師団の進行停止や15師団の兵力減少、航空師団の支援不参加等で、
4月の段階で想定した3分の1程度の攻撃しか出来なかったにもかかわらず
英軍がインパール撤退まで考える事態に追い込まれていた事実を
どう説明できるんだ?

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。
宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加し、カングラトンビに転じていた方が望ましかった、
と考えておられることも小職は存じております。彼は良い点をついております。
貴殿は四月の段階で、あと一個連隊-特に宮崎ないし田中程度人物の指揮下にある連隊- を有していたら、
貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。
しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。」

大田嘉弘『インパール作戦』P287
282名無し三等兵:2015/03/08(日) 11:55:13.43 ID:+U7bv1ak
インパールの第四軍団参謀は
4月に日本軍があと1個連隊をインパール攻撃に向けられていたら
インパールは落ちていたと述べている。
日本の図上演習の結果と一致している。
ちゃんとやってりゃ、インパール作戦は成功していたのは確実。
283名無し三等兵:2015/03/08(日) 11:56:46.01 ID:bdLwd2KO
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・シェラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
284名無し三等兵:2015/03/08(日) 11:59:04.03 ID:lbAV6JG7
>>282
ああ、土足さんがいつもわめく
いつどこでどのようにがまったく抜けており
自分自身でもどうつかうのか説明すらできない
すなわち土足さんのいつもの呪文と化したあれですね
具体性はまったくなく要するにそう言っている人がいるけど
土足さんにすら意味がわかんないしろもの

はい、論破終了
285名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:02:28.88 ID:+U7bv1ak
>>284
おまえのようなバカ左翼は
反戦平和、憲法を守る原理教板
にでも行った方がいいwww
286名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:07:54.54 ID:lbAV6JG7
>>285
いえいえ、呪文を唱えると成功するインパール作戦を主張する君が
宗教板にいくべきですよ。
英語資料となると見ないふりで英軍を語るレベルなんですから
287名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:08:06.82 ID:+U7bv1ak
だいたい補給の届くところで戦えとか
それは海軍に言ってもらいたい。

しかしインパール作戦を批判してる連中は
山本五十六を教祖とする海軍万歳派の奴ら。
ふざけた奴らだなw
288名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:09:57.79 ID:+U7bv1ak
>>286
第四軍団参謀の生の声が呪文に聞こえるのは
それはおまえが精神異常だからだろw
289名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:15:18.93 ID:lbAV6JG7
>>288
んで、その生の声とやらにいつどこでどのように一個連隊を使えば落ちるか
君にはわかるんですかあ?
自分自身で意味のわからないことさえわかってない君の精神状態ってなんですかねw

>>287
海軍だって燃料の届かない所、航続距離の外へ船は出しませんよw
片道特攻でもしないかぎりね。
インパール作戦って片道特攻のつもりだったんですかw
まあ、お前のいうとおりだとしても牟田口は海軍並みだっただけって話しにしかなりませんがね。
290名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:17:24.58 ID:+U7bv1ak
それより何よりこれに期待。おれが宣伝するw

ついに日中戦争を本気で検証し
山本五十六の私利私欲と野心の暴走こそが日本を亡国へ導いた主犯だとする
真実を暴露した禁断の書籍wが出版されるw


『海軍の日中戦争 − アジア太平洋戦争への「自滅のシナリオ」』
笠原十九司

つまり、海軍こそ、<全面的な>日中戦争を、

<自分の意志>で、起こした。

そして、

これが日本の亡国への道になった。

http://blogs.yahoo.co.jp/satoatusi2006/39450123.html
291名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:23:26.98 ID:+U7bv1ak
>>289
>んで、その生の声とやらにいつどこでどのように一個連隊を使えば落ちるか
>君にはわかるんですかあ?

4月にカングラトンビと書いてあるじゃないか。
おまえメクラか?w
要するに北側だろ。
4月の松村連隊の攻撃だけで、インパールの北側は
突破される寸前のギリギリの状態で、あと一歩だった。
292名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:31:13.89 ID:+U7bv1ak
>>286
>海軍だって燃料の届かない所、航続距離の外へ船は出しませんよw

それじゃ東部ニューギニアへ出した16万の兵力はなんなんだ?
海軍の要請で派兵してるんだが
海軍が補給船の護衛を断って制海権を失い
補給が尽きて16万人飢死した責任は海軍だが?
293名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:37:59.55 ID:27LWPBC7
>>292
戦闘の結果、制海権を失って孤立した話と、はなかっから補給を送らなかったインパール都の近藤は筋違い。
294名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:39:05.00 ID:+U7bv1ak
山本五十六のせいでラバウルでは1年で航空機を1万機消耗し
当然、それらのパイロットも消失させている。
これは飛行師団50個を消滅させたに等しい。

ではそれで何らかの戦果があったのかといえば何も無い。
ビルマには航空師団は1個しかないというのに(しかも旧型機)、
なんという無駄な消費だろうか?

これで山本五十六が批判もされず賛美され
牟田口は批判される理由を説明してくれwww
295名無し三等兵:2015/03/08(日) 12:58:24.82 ID:LbXC3zh4
>>282
ラングーン兵棋の想定では英第4軍団はインパール盆地で防御するのではなく
反撃してくるという想定だったはずだが?

>4月に日本軍があと1個連隊をインパール攻撃に向けられていたら
>インパールは落ちていたと述べている。

つまり、最初から3個師団でインパールを攻めあげる方面軍案のほうが
マシはことを認めるわけだな。
296名無し三等兵:2015/03/08(日) 13:17:37.66 ID:+U7bv1ak
>>295
方面軍の案は南からだけ、2個師団だけで攻めて
1個師団を予備としている。
これは連合軍の想定そのまんまで
敵の想定した通りの作戦をやって上手く行くわけがない。

史実ではインパールの北が突破されそうな事態になって
第四軍団はあせる結果になっており
方面軍の作戦ではインパール攻略はまったく無理で
そんなんではやる意味が無い。
297名無し三等兵:2015/03/08(日) 13:52:00.77 ID:LbXC3zh4
>>296
要するにコヒマに1個師団投入したのは間違いなわけだな。
298名無し三等兵:2015/03/08(日) 14:42:01.90 ID:+U7bv1ak
>>297
連合軍側の見解では
正しかったと判定が出ている。
299名無し三等兵:2015/03/08(日) 14:57:40.00 ID:CsbTi/4q
指揮官の優劣じゃどうにもならない程の戦力差だったし。
どう動いても日本軍の敗北は時間の問題。
300名無し三等兵:2015/03/08(日) 14:59:57.22 ID:LbXC3zh4
>>298
あと1個連隊あればとかいうのはウソか?
301名無し三等兵:2015/03/08(日) 16:08:48.86 ID:VukV5J54
北側に戦力を割いたのが正しい読みなのは、実際には発生しなかったインパール無血開城の場合。
連合軍側の証言では、北の戦力が後一個連隊足りなかったなw

予備兵力はあくまでも予備であって、使いたいときに使える位置に置かなければ意味がない。
具体的に言えば南方側から攻める日にはインパールの北側に布陣してムッチーのその日の気分次第で逆に北側から戦端を開けるくらいにしないと、
連合軍の補給や増援が届いてしまい、スリムに土下座させるのは無理。
302名無し三等兵:2015/03/08(日) 16:14:00.28 ID:VukV5J54
コヒマから数日後にくるボロボロの31Dが予備兵力に認められるなら、
ディマプールの後方にいたストップフォード達も第4軍の予備兵力として機能するわけだがw
303名無し三等兵:2015/03/08(日) 16:38:25.54 ID:lbAV6JG7
>>291
えーと、4月にカングラトンビを一個連隊で攻めると
どうやってインパールが落ちるんですか?
その段階で10個連隊しかインパールに取りかかってないわけですが
これに弓の5個連隊足しても18個連隊。
23Dと20Dのほうがまだ戦力が多いんですがw

つか本当に一個連隊の使い道は”4月にカングラトンビ”でよろしいんですね?
無血でインパール平原に乱入したとしてもたった一個連隊でなにをするのか知りませんが
304名無し三等兵:2015/03/08(日) 16:41:33.62 ID:lbAV6JG7
>>292
>それじゃ東部ニューギニアへ出した16万の兵力はなんなんだ?
輸送計画はきちんとあったのに輸送する船が妨害されておくれなかったのと
輸送するつもりがはなからなくて送ったと嘘だけ送ってたのを一緒にしてどうするねw
比較にすらならんよ。

つーか、インパールを直接攻撃する兵力が不足していたという指摘でしょ、その発言。
305名無し三等兵:2015/03/08(日) 21:28:24.49 ID:+U7bv1ak
>>303
だからこれが答えだ
どこの馬の骨か知らないたかが左翼軍ヲタ風情のおまえなんぞとはわけが違う。


■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)

「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。
宮崎将軍が、コヒマに一部を残し、主力を持ってインパール攻撃に参加し、
カングラトンビに転じていた方が望ましかった、と考えておられることも小職は存じております。彼は良い点をついております。
貴殿は四月の段階で、あと一個連隊(特に宮崎ないし田中程度の人物の指揮下にある連隊)を有していたら、
貴殿はインパール攻略に成功していたでしょう。
しかしながら、やはり最良でかつ安価な成功は、一個連隊がディマプール に突入する事により達成されたでありましょう。」

大田嘉弘『インパール作戦』P287
306名無し三等兵:2015/03/08(日) 21:30:18.35 ID:LbXC3zh4
>>305
つまり、コヒマに1個師団も投入したのは間違いなわけだな。
最初からインパールに投入すればよかったわけだ。
307名無し三等兵:2015/03/08(日) 21:44:00.84 ID:+U7bv1ak
>>306
そんな必要は無い。
予定通りの兵力で予定通りの時期にやってりゃ
2個師団でインパール攻略は難なく出来ている。
308名無し三等兵:2015/03/08(日) 21:52:43.57 ID:lbAV6JG7
>>305
答えになってないなあ。
一個連隊がコヒマ方面からきたら、インパールの英軍は君の大好きな一本道に
奇をてらっただけの牟田口の作戦まがいにより日本の兵力が少ないため
生まれた豊富な予備兵力で対処できるっていってるんだよ。
んで、そのどこの馬の骨か知らないたかが左翼軍ヲタ風情に
アーサーがどう正しいのかまったくいえないお前はどうなってるんだ?

>>307
はい? 17Dの撤退が遅れて後方から追撃するはずの笹原連隊が
トンザンで斉藤大隊単独で閉塞させてしまった時点で
予定がすでに崩れているんですが?
309名無し三等兵:2015/03/08(日) 21:53:44.91 ID:VukV5J54
参謀の意見でしか無く、指揮官がそう思っていた証拠にもならない。
後、太田の翻訳は信用ならないので原文必須。

その上で、インパール占拠後の補給の見通しが立たない以上、
ナポレオンにとってのモスクワ程度の意味しかないw
310名無し三等兵:2015/03/08(日) 22:48:19.38 ID:bdLwd2KO
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・シェラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
311名無し三等兵:2015/03/09(月) 06:13:10.54 ID:CN8npG/f
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
312名無し三等兵:2015/03/09(月) 10:40:49.46 ID:XJ2AK1TG
牟田口第十五軍司令官は、芸者遊びの時のみ果断の人だった。弱音は吐かぬが信念の方は無く、「顔色で察して貰わないと」言うべきことも伝えられないグズだった
物量・兵員数の劣る我が軍で英印軍を一時的にせよ叩くのに成功したことは、これ全て将兵の辛苦の成果でありムッチーには一片の功も無い事を我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の戦理に基づく進言も聞き入れず、無知、無謀、無責任により、帝国陸軍の名を永遠に汚した。
よく兵站を無視したと批判されるが全くその通りである。
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
などと言う愚か者が居るが、一番発奮せねばならない人物はメイミョーで酒色に耽っていたのだから、例え戦理に適った戦いであっても危うい物である。
これは彼が典型的帝国陸軍軍人だったからでは、なく「たまたま軍服を着てただけの人間の屑だったから」であり、このことを持って軍を批判するのは誤りである。
あくまで非はムッチー個人の物である。

終戦後、牟田口司令官はっ従軍した将兵からあらゆる批判を受けることになった。当然である。
しかし如何せん、平和な時代の弊風により、土足、太田などという人間の屑が牟田口配下の者や他の軍関係者の名を貶めるようになってしまった。
誠に嘆かわしい限りである。
313名無し三等兵:2015/03/09(月) 19:00:06.38 ID:sLR8aJcA
>どこにも空襲で燃やされたなんて話は無いが何が根拠だ?
大田本にはその程度のことも載ってないのか!?
よくもまあそんな欠陥本読んだだけでインパール作戦を語れるものだなあ

いやまあ土足の考える英軍は土足の能力を超えることはないので
敵の手に落ちた位置を知り尽くしている自軍の物資を
有り余る空軍を持ちながら完全に放置する無能でしかないのだろうがw
そもそもそれがなくともシンゲルは解放してしまっているので
捕獲した!(手に入れたとはいっていない)って話にしかならんがなw
314名無し三等兵:2015/03/10(火) 03:09:54.38 ID:MK2jkYlv
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・シェラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
315名無し三等兵:2015/03/10(火) 09:24:34.82 ID:A7IYdnIP
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
316名無し三等兵:2015/03/10(火) 12:03:29.37 ID:IojaMU9K
日本会議がインパール作戦についてとんでもない発言やったぞ。
317名無し三等兵:2015/03/10(火) 21:20:31.23 ID:Nyf6ngqq
未見だが日本会議だから大体想像がつくなw
しかし日本会議は安倍ちゃんのバックで
教科書選定とかに強い影響力を持ってる
から、歴史教科書が土足ばりのトンデモ
理論で書かれる事になるのかw
318名無し三等兵:2015/03/10(火) 22:21:29.16 ID:ACh3CKDI
まぁなんだな。彼らにとって平民なんてゴミみたいなもんで、
どれだけ犬死にさせようがなんとも感じないんだろう。
使い捨ての道具にすぎないのだ。
319名無し三等兵:2015/03/10(火) 22:49:25.94 ID:Vahp7AgP
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
320名無し三等兵:2015/03/10(火) 23:48:15.03 ID:Oob0iGBh
しかし、しきりに繰り返されるこのコピペ、実際には牟田口批判だろw
食糧・弾薬が少なければ発憤以前に実力を発揮できないということさえ理解できない無能っていう

つーかいつ”あえて食糧・弾薬を少なめに携行させた”んだよw
近代の戦闘部隊は補給部隊の支援を受けることで通常2〜3日分の食糧と弾薬を持つだけで
疲労を少なくし軽装による運動力を発揮することで戦闘力と機動性を高めているのだが、
ジンギスカン作戦ときたら戦闘部隊をわざわざ2週間分の物資をもたせて
ちんたらしている補給部隊どころか補給機材がないぶんそれ以下の機動性に仕立て上げる無能っぷりw
321名無し三等兵:2015/03/11(水) 01:05:35.11 ID:XWGqQytb
軽装にすれば機動性は高まるというのは正しいが、ごく短期間だけの話。
中長期にわたって機動性を維持するには、莫大な物資と燃料が必要。

また戦闘力は機動性を上げるごとに低下していくもの。
だって、戦闘力の根本である火力は、砲と砲弾の輸送力に依存しているから。
砲も砲弾も「クソ重たい」もので、歩兵の強行軍についていけない。
歩兵が突っ込んでも、砲がついてこれなければ戦闘力は激減する。
これはドイツ軍の戦車であっても同じ。

ただし、戦車を代用砲兵として扱えるほど数的余裕があるなら、火力支援を戦車に任せるという方法もある。
これがM4を大量配備した米軍。
322名無し三等兵:2015/03/11(水) 01:53:43.36 ID:j3P/zRAw
批判してるうやつは、論破されるたびに
論点をすり替えている。

補給を軽視した→火力が足りない→攻勢を分散させた

これを繰り返している
323名無し三等兵:2015/03/11(水) 02:04:31.71 ID:j3P/zRAw
日本会議のブログだが検索で上位に来るから
相当に左翼から注目されてるようだな。
左翼が必死に火消しをしている。

インパール作戦に関して、ごく当然の評価をしている。
しかしこのブログ主は、山本五十六を賛美し
第二次上海事変以降の日中戦争と真珠湾奇襲を
都合の悪い事実を無視し
日本側の行為は正当だと主張している。
これには全く同感できない。
というかデタラメもいいとこ。

いずれにしても注目されればされるほどよい。
このスレも目に触れる機会が増える
最初のテンプレだけ、見てくれればよいw
324名無し三等兵:2015/03/11(水) 05:04:53.71 ID:hCKWqcYo
間違いを指摘されるとスルーしてコピペをはじめる
すると話はリセットされて自分が正しいことになる

ああ、恥ずかしい勘違い
話をループさせているのは、指摘された間違いを認識できない奴だけだというのに
325名無し三等兵:2015/03/11(水) 07:39:28.11 ID:8zwfnmNP
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・シェラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
326名無し三等兵:2015/03/11(水) 12:31:04.18 ID:XNJ9lYm0
牟田口第十五軍司令官は、芸者遊びの時のみ果断の人だった。弱音は吐かぬが信念の方は無く、「顔色で察して貰わないと」言うべきことも伝えられないグズだった
物量・兵員数の劣る我が軍で英印軍を一時的にせよ叩くのに成功したことは、これ全て将兵の辛苦の成果でありムッチーには一片の功も無い事を我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の戦理に基づく進言も聞き入れず、無知、無謀、無責任により、帝国陸軍の名を永遠に汚した。
よく兵站を無視したと批判されるが全くその通りである。
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
などと言う愚か者が居るが、一番発奮せねばならない人物はメイミョーで酒色に耽っていたのだから、例え戦理に適った戦いであっても危うい物である。
これは彼が典型的帝国陸軍軍人だったからでは、なく「たまたま軍服を着てただけの人間の屑だったから」であり、このことを持って軍を批判するのは誤りである。
あくまで非はムッチー個人の物である。

終戦後、牟田口司令官はっ従軍した将兵からあらゆる批判を受けることになった。当然である。
しかし如何せん、平和な時代の弊風により、土足、太田などという人間の屑が牟田口配下の者や他の軍関係者の名を貶めるようになってしまった。
誠に嘆かわしい限りである。
327名無し三等兵:2015/03/11(水) 21:26:26.53 ID:hB35KTGO
土足氏に論破されては逃げる猿が何を言っても無駄無駄w
328名無し三等兵:2015/03/11(水) 22:03:15.55 ID:o1H4xkCD
>>325
161旅団の存在を忘れているんだろう
329名無し三等兵:2015/03/11(水) 22:26:26.29 ID:ogn4X2iV
>>327
すごいな。
論破されて逃げ出した土足をみないことにしたのかw
330名無し三等兵:2015/03/11(水) 23:02:49.11 ID:rV1wNXzb
NHKアーカイブスで、「ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 〜ビルマ・インパール〜」を
公開してるぞ。コレ見れば、土足の嘘がまるわかり。
URL張れないので、検索してみてくれ。
331名無し三等兵:2015/03/11(水) 23:10:24.00 ID:o1H4xkCD
軍事知識の全く無い土足がこれまた軍事知識のない作家に騙されている
だけなんだけどねw
332名無し三等兵:2015/03/11(水) 23:13:23.19 ID:j3P/zRAw
>>329
いつおれが論破されたんだ?
333名無し三等兵:2015/03/11(水) 23:48:07.12 ID:ogn4X2iV
>>332
予定通りやっていれば落ちていたとの主張に
>>307でトンザンという初手から予定が狂ってることを指摘されて
なにひとつ反論がないのにコピペを繰り返すのはどういうことですかねw

ああ、都合の悪いことはみないことにするので論破されてないということですか?
何年にもわたって繰り返されてきたその芸はそんなことでもしなければ
牟田口をかばうことができないという最大の牟田口批判であり論破された証拠でもありますなw
334名無し三等兵:2015/03/11(水) 23:56:20.81 ID:ogn4X2iV
というより軍事作戦が互いに錯誤を犯さざるをえないもので
より間違いの少ない方、間違いを修正したほうが勝つという
いくつか資料をみれば理解できず、
予定通りの兵力で予定通りの時期にやってりゃ落ちてたとか言うほどのバカは
そもそも論破されていることさえ気づかないってことか。
バカは論破できないっていうなら、なるほどその通りだw

しかしすさまじい牟田口批判だなあ
予定通りの兵力で予定通りの時期やらなかったのに
なんら修正することなくもとの予定通りの作戦をやらかしたら、そら失敗するわw
無謀どころの話じゃねえw
まあそもそも半個師団で1個師団を撃滅可能な演習(w)なら
そら予定通りにいくなら勝てるわw
小学生が考えても負けるのは戦力半分のほうだが
やる気があれば勝てたとかバカにしか通用しない話
335名無し三等兵:2015/03/12(木) 06:12:08.85 ID:Tq5s5N3M
と論破されてることに気が付かない猿が吠えてますw
336名無し三等兵:2015/03/12(木) 07:57:46.36 ID:xXckykqL
論破もなにも土足は念仏を唱え続けているだけw

史実を見ればインパール作戦は成功の芽すらない。
337政治委員 ◆Q9R23mjYhw :2015/03/12(木) 22:12:40.13 ID:BiHGnl8f
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-5431.html?utm_source=feedburner&utm_medium=twitter&utm_campaign=Feed%3A+prideOfJapan+%28%E8%8D%89%E8%8E%BD%E5%B4%9B%E8%B5%B7%E3%83%BCPRIDE+OF+JAPAN%29
これが1944年-インパール作戦が始まる
by 日本会議地方議員連盟
クソカルト日本会議のインパール作戦への評価です。
338名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:31:55.71 ID:udbJp92l
>>333
あんたバカ?
それは良い方に想定が狂っているわけで
これは作戦の成功が想定以上により安易になる
とうい要素でしかない。
339名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:39:04.13 ID:sv2SonKp
牟田口は大砲の砲弾を持っていかないというブラフで勝負したが
それが失敗したというそれだけの話にすぎない。
340名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:39:25.30 ID:udbJp92l
>>334
インパール作戦が失敗した要因は
現地の師団長が無能のバカで、
肝心なときにチンタラしていたからであり
それが無ければ日本は勝てたと
これは英軍の関係者らの一致した見解。

おまえなんぞのたかが軍ヲタのぶんざいの私見とは
わけが違うわボケw
341名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:40:40.78 ID:udbJp92l
批判してるうやつは、論破されるたびに
論点をすり替えている。

補給を軽視した→火力が足りない→攻勢を分散させた→元へ戻る

これを永遠と繰り返している
342名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:41:54.01 ID:sv2SonKp
大砲の弾薬が僅少なのに指揮もなにもないもんだ。

また統制前進は藤原のウソであって、実際は迅速に前進している。
343名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:46:01.38 ID:udbJp92l
>>342
インド17師団を追撃すれば3月中にインパールへ突入できていたんだが?
それがなんで5月にビシェンプール攻撃なんだ?
1ヶ月以上も時を失っている。
この間に英軍は体勢をを立て直している。
344名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:47:27.72 ID:sv2SonKp
>>343
ビルマ作戦時でも牟田口はインド17師団を逃がしているんだが?

自分が出来ないことを部下に要求するのか
345名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:49:45.29 ID:udbJp92l
>>344
逃す理由があるのか?
なぜ追撃しない?
346名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:54:10.33 ID:sv2SonKp
>>345
牟田口は何故逃がした?
347名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:54:51.93 ID:udbJp92l
一刻を争う作戦で1日で戦況が激変する状況で
作間連隊なんかトンザン付近で、小麦があるのにわざわざ米を取りに行かせて
それを待つだけの理由で数日間も停滞している。
作間はまったくやる気が無い。
348名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:55:50.58 ID:sv2SonKp
牟田口は圧倒的航空戦力、戦車第一連隊を配属されながら
インド17師団を逃がしている。
349名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:58:02.97 ID:udbJp92l
>>348
ビルマ攻略という目的を達成している。
350名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:59:41.44 ID:sv2SonKp
>>349
牟田口がインド17師団を逃がしたのは統制前進だ
351名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:00:06.03 ID:4OJ4VaJ+
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352名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:01:46.52 ID:Tq5s5N3M
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
353名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:02:05.87 ID:udbJp92l
>>350
そんな話はしてないんだが?
柳田師団の話だが?
バカは反論できなくなると論点を変えるw
354名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:03:19.84 ID:udbJp92l
>>352
おまえは論破されると、ID変えてそれを貼る
バカにもほどがあるw
355名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:07:52.23 ID:sv2SonKp
牟田口は圧倒的戦力がありながらインド17師団を逃がしている。
これは統制前進だ。
356名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:20:19.88 ID:udbJp92l
>>355
おい知障w
ちゃんと反論しろw
357名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:21:52.38 ID:sv2SonKp
牟田口は上官の飯田司令官に反感をもっていた。
だから圧倒的戦力を保有しながらインド17師団をわざと
逃がした。統制前進なのである。これにより英軍を包囲殲滅する作戦を失敗させたのだ。
358名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:28:54.30 ID:udbJp92l
>>357
だからなんだ?
359名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:31:06.64 ID:sv2SonKp
牟田口がチンタラしていがらインド17師団が逃げた
360名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:37:04.73 ID:udbJp92l
牟田口を批判してる奴なんて
所詮はこんなもん。
このようにいざとなるとまるきり議論が出来ない
ふざけたバカしかいない

そして敵が居ないときに
敵は逃げたとかほざいているw
361名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:39:42.33 ID:sv2SonKp
柳田中将と違い圧倒的戦力がありながらインド17師団を逃がしている
牟田口が部下にどうこう言う資格がない。
362名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:52:05.17 ID:DtBpwx7x
>>338
>それは良い方に想定が狂っているわけで
どうよい方に想定が狂ってるんだ?
2個大隊で追い上げる話が
1個大隊づつぶつける羽目になったのがよい方?

>>340
反論になってないよ。
>これは英軍の関係者らの一致した見解。
おや、当初の予定通りにやってれば落ちていたという主張を補強するのに、
当初の予定にないディマプールをやってたら落ちないという英軍の見解を用いてどうするのかね?
おい知障w
ちゃんと反論しろw
予定の作戦を戦力の足りないまま予定通りにやったら失敗するって
小学生でもわかることの反論をよ

>>341
>論点をすり替えている。
一つ前のレスで論点のすり替えをやっておいてなにをいってるのかなあw


>インド17師団を追撃すれば3月中にインパールへ突入できていたんだが?
弓に与えられた作戦目的はインパール方面の敵の誘引だから
インパールに突入したら本末転倒なんだが、
牟田口のたてた作戦が間違ってるっていいたいのかねw
363名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:55:30.40 ID:DtBpwx7x
牟田口を擁護してる奴なんて
所詮はこんなもん。
このようにいざとなるとまるきり議論が出来ない
ふざけたバカしかいない

インパールは演習どおりやれば2個師団で落とせた

戦力が演習のどおりじゃないんだから落ちない
それを無理にやらせた牟田口が無能

(ディマプール突進でインパールが落ちたという)英軍の一致した見解
364名無し三等兵:2015/03/12(木) 23:58:40.93 ID:DtBpwx7x
>>347
ああ、意味不明の玉砕電報という捏造をした藤原参謀のデタラメですかw
実際には退路解放の3日後という最短時間で笹原連隊は追撃を開始しているのは
戦史叢書にも載ってるレベルの話なんだが
大田本はそういうデタラメを正気で載せているのかね?
365名無し三等兵:2015/03/13(金) 00:03:11.81 ID:YMuhITRH
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・シェラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
366名無し三等兵:2015/03/13(金) 00:33:58.29 ID:YMuhITRH
英軍幹部が撤退してたと断言してるのに、
聞こえないふりのバカ佐藤w
367名無し三等兵:2015/03/13(金) 00:42:36.58 ID:mz0ke2V6
>>366
英軍幹部が”ディマプールに突進してたら”撤退してたと断言してるのに、
2個師団でインパールを落とせたと
聞こえないふりのバカ土足w

結局予定通りの作戦ではインパールは落ちなかったという証明を
自分自身で繰り返しているので論破終了
368名無し三等兵:2015/03/13(金) 04:57:13.72 ID:8KqOLZob
>>366
英軍幹部が日本語でしゃべるか馬鹿w
土足お得意の捏造だろ

原文出してみろよw
369名無し三等兵:2015/03/13(金) 05:14:44.05 ID:TeErvXvy
馬鹿馬鹿しいw
食糧も弾薬もねえんだからディマプールに進撃なんざ
出来るわけねえだろうがwwwww
出来たらやってるがなw
コヒマ占領が限界だったんだから撤退するに決まっている
それを理解できない牟田口および牟田口と同レベルの擁護者が
あまりにも愚かすぎる
370名無し三等兵:2015/03/13(金) 06:20:42.93 ID:YMuhITRH
反動本には書いてないのかw
371名無し三等兵
テロだからと黙っていたら戦前と同じ状況に 古賀茂明
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裁判所は、いまや「権力の番人」 時の政権が最高裁と組んで言論弾圧 瀬木比呂志(明大法科大学院教授)
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日本の大新聞は権力者の側に立って国民を見下ろしている マーティン・ファクラー
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自民党から「通告書」で恫喝を受けた 「権力者は風刺が図星だから腹が立つわけ」 マッド・アマノ(パロディー作家)
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朝日バッシングは日本社会が歪み、変質する中で起きた歴史的事件 青木理
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イスラム国事件 安倍は中東を理解していない 「トルコ政府は人質交換のシナリオも用意していた 内藤正典(同志社大大学院教授)
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「東京大空襲」の記憶 早乙女勝元(東京大空襲・戦災資料センター館長)
メディアの大罪 山本武利
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アメリカが日本人を計画的に大量殺戮