ポールケネディ(英国人歴史学者)ってバカなの? [転載禁止]©2ch.net

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1名無し三等兵
 ドイツは3つの戦線で戦い、いっぽうソ連はドイツとだけ戦っていた。連合軍が北アフリカ
と地中海に進出したことにより、ドイツ国防軍最高司令部は、もっとも精強な師団をスター
リングラードの戦いから引き抜かざるをえなかった。そもそもドイツが全方面で強力な軍事力
を発揮するのは無理だったのだ。北アフリカに上陸した英米連合軍は、スターリングラード
の戦いにも影響を及ぼした。また、シチリア上陸も、クルスクの戦い(戦車戦)に影響を与えた。
 ソ連のつくった初期のT−34戦車は、欠陥の塊で、戦場では全く信頼できなかった。
T−34戦車が真価を発揮したといえるのは、1944年初めから半ばにかけてのこと。
<第二次世界大戦・影の主役 著者ポール・ケネディ 出版  日本経済新聞出版社>
http://www.fben.jp/bookcolumn/2014/01/post_3864.html


これって、突っ込みどころ満載なんだけどwww

The break-down of German and Italian losses against American,
British, and French forces in the war in Europe follows:
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html

▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html
2名無し三等兵:2015/02/23(月) 01:40:22.52 ID:YUdUX71x
1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

それからイギリスが受け取ったレンドリースは、大戦を通じてソ連の3倍にも及ぶ。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html
3名無し三等兵:2015/02/23(月) 04:35:01.25 ID:IeI8g3ig
単発でスレを立てちゃうバカよりマシかな
4名無し三等兵:2015/02/23(月) 10:49:38.27 ID:669J/+uZ
著名な作家や学者でも案外とんでもない歴史観の人がいるからなあ。
5名無し三等兵:2015/02/23(月) 17:35:30.87 ID:Vy+U8jGz
>>1
ある国がある国と戦う場合一方的に戦力を一方に指向できないのでドイツの西部戦線割合は東部戦線に微妙な影響を与えたが大勢に影響なかった
そりゃ本土決戦など末期になればその程度のリソースすら惜しいが少なからず東部戦線レベルには影響与える規模じゃなかった

国家がある国と対戦すると何故か戦力を単一方向に偏重できるという思考性は「陸戦力の防御割り当てが少ない島国特有の考えである」
常識的な内陸国家的発想からすれば西部戦線の割り当ては少ないし、東部戦線の戦力が1割増えても影響はあまりないだろう
6名無し三等兵:2015/02/23(月) 20:01:31.30 ID:CUdt7Q4K
>>2
>1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

2 ヒトラーの日本観
 他にもヒトラーが日本に対してあまり良い感情をいだいていない様子がうかがえる資料がほかにもあります。
ドイツ宣伝相で側近だったゲッペルスの日記には
「日本の勝利を感嘆かんたんする一方で、『白人』が東アジアでこうむった重大な損失をなげいていた」
ドイツの外交官ハッセルの遺稿いこう集には
「ヒトラーは日本軍の偉業(シンガポール陥落)に感心せず、もう一度あの黄色い奴等を追い返すために、
ドイツからイギリスに20個師団の援軍を送りたい気持ちだ」
http://ehatov1896-rekishi.doorblog.jp/archives/2161567.html 👀
7名無し三等兵:2015/02/23(月) 20:05:12.49 ID:CUdt7Q4K
>>5
> 国家がある国と対戦すると何故か戦力を単一方向に偏重できるという思考性は

 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
 ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁  文・古是三春>
8名無し三等兵
俺は島国特有ってブリテンやサクソンを指してんだぜ。