[転載禁止] 何でナチスドイツ軍って過大評価されてきたの?©2ch.net
1 :
名無し三等兵:
単にソ連が嫌いだからナチス支持ってだけ。「独ソ不可侵条約」の背景もそれだった。
ナチスドイツを倒したのは圧倒的にソ連であり、かつ日本降伏も原爆ではなくソ連参戦。
世界の現代政治は、「歴史の終わり」が始まったと言われる、25年前に生じた。
その著者であるアメリカの政治学者フランシス・フクヤマ氏でさえ、当時の見方の誤りを認め、
辛辣な隠喩はかなり前からやめている。しかしながらこの描写こそが、ソ連と社会主義圏の終焉後、
アメリカや西側の先進国の行動を定めていたのである。実践面でこれは、すべての参加者にとっ
て受け入れ可能な解決策を模索するという従来方式の外交が、すでに必要なくなったことを意味した。
合意された解決策ではなく、対ソ連で証明された西側の政治的、歴史的、倫理的、経済的、
その他で正当な価値観と観点にもとづいた、”正しい”解決策があるからだ。
http://jp.rbth.com/opinion/2014/09/04/50043.html ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。ヨーロッパ諸国の多くの歴史教科書では、第二次世界大戦としてこの2つの
戦いが同等に扱われている。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html 有名なフランシス・フクヤマの著作「歴史の終わり」は、実は単なる反ソ連のプロパガンダ本だった。冷戦終結後も、
こうした西側のプロパガンダが一方的に流され、日本の政財界にも誤ったロシア認識が刷り込まれることになった。
2 :
名無し三等兵:2014/10/26(日) 14:29:32.46 ID:zy/z3sW3
ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、
ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、
回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。
1941年6月22日に行われたドイツの攻撃に関しては、回答者のおよそ半分が、ソ連指導部にとって
予期しないものだったとの考えを表している。
ロシアでは、第二次世界大戦開戦日の6月22日、「記憶と悲しみの日」が制定されている。全ロシア世論
研究センターはこの日を前に、第二次世界大戦参戦国の国民に対するロシア人の現在の見方について調査した。
調査の結果、好感度が最も高かったのは、共に39パーセントを獲得したイタリア人とフランス人だった。
続いて日本人、英国人、ドイツ人、フィンランド人となっている。最も好感度が低かったのは、ポーランド人と米国人だった。
http://japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/ 英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、ソ連の参戦であったと指摘した
ことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」
の著者である英国の歴史家ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは
4日間でやってのけた。」と書いたとき、
http://japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/
3 :
名無し三等兵:2014/10/26(日) 22:17:35.61 ID:VPIzEShS
独ソ戦はまさにライバル同士の死闘という感じだったが
日米戦は(緒戦を除いて)もう一方的な虐殺
喩えるならプロ野球選手と高校球児くらい差があった
4 :
名無し三等兵:2014/10/26(日) 22:19:34.58 ID:kVObvCO9
ナチス信者かな
5 :
名無し三等兵:2014/10/27(月) 01:58:24.78 ID:EIINLQkF
>>3 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁 文・古是三春>
6 :
名無し三等兵:2014/10/27(月) 02:25:05.79 ID:vHWHO1is
英国の親独派は長い間、ナチスにさらに多くの軍を東部戦線に集結させるべくヒットラーと
休戦をしようとしたと疑われた。 1941年、独ソが互いを全滅させているのを見て、
ハリー・トゥルーマン元米国大統領の幸福だとする批評はよく覚えていた。
元々は1942年、そして1943年に約束されていた、連合国によるヒットラーへの第2戦線の
開始の遅れは特に痛いポイントだ。2年の長きに渡り、ソ連はナチスの全力の猛攻撃のほこさき
として独力で堪える事を強いられた。1つの恩恵が、中国へのさらなる進撃を優先しシベリアへ
攻撃する計画を放棄するという日本の決定だった。
第2戦線が1944年中頃に最終的にノルマンディーに到着した時、ソ連軍はベルリンへと進撃中だった。
ソ連軍が既に東欧に進撃していなかったら、ノルマンディーさえ起らなかったと信じる者もいる。
最終的な侮辱が、特に今後のドイツ管理計画を立てたヤルタであり、そこで戦争で疲弊し弱体化
していたソ連はやむを得ず、死に物狂いで獲得した勝利の果実の多くを諦めた。
実際、東欧の人々に対するその後のソ連の蛮行については、如何なる釈明も認める事はできない。
しかしソ連は、それらの民族の多くがヒットラーの攻撃を支援、または容認した事を指摘し、
繰り返されぬよう確実にする権利があると主張する事だけはできた。(この権利は、これらの民族が次々に
NATOに加盟しつつある事により、着実に浸食されている)。
1945年以降、隣接する南米諸国に覇権を拡大しようと様々に努力してきた米国には、こうした口実は無い。
翻訳:ヤルタでのソ連の譲歩
http://white.ap.teacup.com/nishitatsu1234/379.html
7 :
名無し三等兵:2014/10/27(月) 02:32:43.44 ID:vHWHO1is
賠償問題と産業解体
連合国はすでに、ポツダム会談で、ドイツからの賠償に関しては、総ての占領勢力はそれぞれの
占領地区からの生産物の収納によって満足すべきものである、という合意に達していた、とりわけ
アメリカ合衆国は、ドイツの"工業技術知識"に対して強い関心を抱いていた。たとえばロケット
技術者のヴェルナー・フォン・ブラウン(1912-1977年)などのような、およそ千人の技術者がアメリカ
合衆国に移され、米国内の種々のプロジェクトに携わることとなった。その際の技術の略奪を金額
に換算すれば10億ドルマルクに値すると見積もってよいだろう。その中には、極めて重要なドイツ
の特許のマイクロ・フィルムも含まれていた。
占領地区からもっとも長く搾取を続けたのはソヴィエト連邦であった。1948年始め、軍事物資生産面
で重要な産業のみならず、平和産業としても不可欠な企業が解体された。これに加えて、賠償を現在の
生産品から徴収すること、鉄道施設の解体も始まった。ソヴィエト連邦もまた、相当数のドイツ人研究者
を自国の業務に携わらせるためにソヴィエトへと連行したが、しかしもちろん、ドイツの産業生産能力
全体に干渉することも、イギリスが占領していたルール地方の原料を獲得することにも失敗した。
"ソヴィエト占領権力の後先を考えない収奪政策"は、直接的な戦争による影響以上に東側ソヴィエト
占領地区の経済能力を破壊したのであった。東側ソヴィエト占領地区の各人の負担は、単純に計算してみても、
西側地区のそれと比べて三倍の高さに上っていた。
<ドイツの歴史【現代史】 (世界の教科書シリーズ) ヴォルフガング イェーガー (著), クリスティーネ カイツ (著) >
敗戦直後、ソ連をはじめ連合国側は、ドイツの工場施設をはじめ海外資産、絵画や本まで、
あらゆるものを持っていった。英国などは、木まで伐採して持っていった。
全部で2千億マルクになる。ドルにして470億ドル、賠償予定額の倍以上だ。
いまさら賠償請求はないと思うが、これは万一の場合の、内部試算である。
(ドイツ大蔵省担当官)[6,p35]
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog118.html
8 :
名無し三等兵:2014/10/27(月) 02:37:36.74 ID:vHWHO1is
ロシア代表団「遅すぎ、少なすぎる」
合意について、ドイツのフィッシャー外相は「残念ながら多くの犠牲者には遅すぎた」と話した。大戦中、ドイツ外務省には、
ナチスがホロコーストの犠牲者から奪った金がためられていたとされる。ドイツは敗戦後、賠償金として600億ドルを支払った。
この額は今日の物価水準に換算すれば1000億ドルに相当する。
やせ衰えたナチスの強制収容所の犠牲者
しかし、東欧諸国の代表からは、今回の補償さえも少なすぎるという声が聞かれる。ロシア代表団のイワノフ氏は「だれも
満足していない。みんなもっと多くの補償を望んでいる」と明言。ポーランドの対ドイツ補償担当のヤロビエッキ代表は「中欧、
東欧諸国は、第二次大戦で、最も大きな人的、物質的な被害をこうむったにもかかわらず、過去の補償のうち1%しか
受け取ってこなかった」と話した。
また、ウクライナの被害者団体のデミドフ代表は、ドイツと米国が無理やり、東側諸国に合意を受け入れさせたと批判する。
デミドフ代表は取材に対し、「連中はワシントンで、もしあなた方が望まなくても、我々は合意にサインすると言って、
合意を強引に受け入れさせたんだ」と話した。
http://www.asyura2.com/sora/bd8/msg/320.html
9 :
名無し三等兵:2014/10/27(月) 02:40:37.16 ID:vHWHO1is
笑える倭厨の妄想スレッドだな
ペーパークリップ作戦による米の独人ロケット、航空機、戦車各設計、化学、治金各工業
の技術専門家、化学、数学、物理の各科学者の誘致者は1000人を越える
米は独の特許34万、独の取得した国際特許20万を没収し自国のため、利用した
その書類は数十億ドルの価値があるといわれる
(IGファルベン社、フーハスト社のみだけでも2万の特許を米に没収された)
ソビエトはゴロドムリャ島に2万の独人ロケット技術者を拉致してロケット開発させた
航空機でもBMW003(ソビエト名RD20)を搭載したMiG9、IL16を開発
Jumo004(ソビエト名RD10)を搭載したYak15、Su9を開発
YaK17はFw-Entwurf1の、MiG15はTa183のコピーといって過言はない
米のベルX-5に至ってはMeP1101V1そのものである
一方、日本が連合国に誘致された科学者や技術者はただの一人もおらず
没収された特許もただの一つもない
唯一、没収されたのは民主主義国では実験できない細菌兵器の人体実験記録のみ
日本のチハを始め程度の低すぎる技術を見た米の調査団報告書の絞めくくりが日
本全体の技術レベルを如実に語ってくれる
「(日本の技術は)特に注目すべき技術的特徴は全く見当たらない」
10 :
名無し三等兵:2014/10/27(月) 22:19:04.41 ID:4cJC0yo/
>>1 ・世界初の量産型コンピュータを発案(アメリカの規制がなければナチに輸出された)
・世界初のロケットを大規模に量産(数千発)
・世界初の大規模な人口石油を量産
これが原因でこそ負けるんだが技術に関しては頭た上がらない
11 :
名無し三等兵:2014/10/28(火) 08:48:21.22 ID:GO/hKLTG
146 だつお ◆t0moyVbEXw 2014/10/06(月) 15:24:13.77 ID:RjFQoFfP
>>48 >中国人の脳内では、ナチスドイツ軍は強くてかっこよくて、戦後処理も素晴らしかったと思い込んでいるようだが、
>現実のドイツは東でも西でも散々に敗北した結果、土下座外交を強要されているだけのことだ。
「最強ドイツ軍」(少なくとも1941年中は、国際世論の大半はドイツ勝利と見てたはず)は、ソヴィエト赤軍に撃破された。
そしてソ連崩壊後20数年を経た今もソ連対独戦戦勝のモニュメントは健在。
ドイツ人「旧ソ連の巨大モニュメントが無い国は…羨ましいと思ったりする?」 【海外の反応】
http://www.all-nationz.com/archives/1008760089.html 反日欧米崇拝の中国人や韓国人は、ナチスドイツ軍が大好き。実は親日政権とされる汪精衛政権にしても、
ドイツの仲介が前提だった。反日欧米崇拝の中国人が、ドイツの仲介無しで日本と和平するはずはない。
何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
http://homepage3.nifty.com/tompei/Ph-Berlin.htm 将来ドイツへ行く予定があったら、ソ連対独戦戦勝記念碑の写真を撮りたい。今年の二月、
中国の習近平国家主席がホロコースト記念碑を訪れようとして拒否されたが、
来年の5月8日に対独戦勝記念碑に安倍首相が訪れるというわけにはいかないだろうか。
またわれわれ日本人が観光客としてソ連対独戦戦勝記念碑に押し寄せたら、ドイツ人はどう思うだろうか。
「かっこいいソ連戦車だなぁ、みんなで記念撮影しよう、はいチーズ!」
ドイツのネット住民の反応が知りたい。
12 :
名無し三等兵:2014/10/28(火) 08:49:38.78 ID:GO/hKLTG
13 :
名無し三等兵:2014/10/28(火) 09:17:25.59 ID:FKTPmGjO
戦後、ドイツの将軍たちが連帯して自分らは優秀だって本を書いて
リクルート活動したから。おしまい。
14 :
名無し三等兵:2014/10/28(火) 22:02:48.81 ID:GO/hKLTG
1 名前:だつお ◆t0moyVbEXw [] 投稿日:2014/10/28(火) 13:44:13.38 ID:5h7jFdKZ
ドイツ国防軍犯罪展を参考に、旧日本軍犯罪展を開く。鳩山由紀夫が主催で、本多勝一や吉見義明
などの反日日本人はもちろんのこと、クマワスラミやマイクホンダなどの反日外人も招待して、
全世界から旧日本軍の戦争犯罪と称するものを集めて展示し、インターネットでも写真公開する。
1995年からの『国防軍犯罪展』とそれを巡る対立−国防軍犯罪の歴史的確認、国防軍神話の克服プロセス−
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20050830VerbrechenderWehrmacht.htm 当該分野の第一線の専門家からなる学術委員会が組織され、問題になった写真だけでなく、
展示に使用されたすべての材料の検討に着手したのである。委員会はこれまで5回開催され、
ムジカル、ウングヴァリー両氏に加え、研究所の展示責任者も招き相互の意見聴取を行なったが、
作業は予定の3ヵ月を越え長期化することとなり、巡回展示の再開は2000 年後半が予定
されている。現在のところ新たな展示では、従来のものでは明確に区別されていなかった加害
者と共犯者、及び責任と国際法に関してはっきりと定義したうえで、当時の各々の行為が犯罪
か否かを判断・区別するとともに、展示に関する議論を扱うセクションを設けることが決定されている。
http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j3-2_3.pdf >展示に関する議論を扱うセクションを設けることが決定されている
但しこれまたドイツに見習うべく、「展示に関する議論を扱うセクションを設ける」。
展示そのものを妨害する言論弾圧は禁止だが、展示内容に関する批評は全て自由とする。
15 :
名無し三等兵:2014/10/28(火) 22:35:42.62 ID:GO/hKLTG
但し、米軍が欧州で大苦戦してるのに太平洋は片手間だったとか言う、かなりの誤解されてる人がここの知恵袋にも
一部いるみたいですので、そこの反論はしときたいと思います。
まず海軍ですが、ナチスのUボートや高性能な攻撃機や誘導爆弾がさも米海軍に大損害を与えたようなイメージがありますが、
それは大きな間違いで、ドイツ軍が第二次世界大戦中沈めた米海軍の軽巡洋艦以上の艦船は、護衛空母ブロックアイランドたった1隻、
駆逐艦にしても10隻程度に過ぎません。ドイツ海軍は通商破壊戦に特化した海軍であり、その象徴ともいえるUボートが大戦初期は、
旧式の英軍艦や丸腰の輸送艦相手に大暴れしました。
しかし、大戦中盤になると米軍や米軍の供与した護衛空母隊と対潜哨戒機隊と駆逐艦にいいようにカモられ1000隻以上も製造した
のにその832隻を撃沈されるという一方的虐殺を食らうことになります。
ドイツ軍の主な相手だった英海軍がいかに旧式で、日米海軍と比較にならないかは、ドイツ軍が歯が立たなかった新鋭戦艦
キングジョージ5世級のプリンスオブウェールズを、日本海軍がほぼ損失なしで撃沈してること、ドイツ軍がよってたかって一隻
も沈められなかった英海軍の重巡も日本軍はほぼ完封勝利で4隻も沈めてることを見れば明らかでしょう。Uボートやドイツ海軍
やドイツ空軍の対艦攻撃は旧式の英海軍相手だから通用したにすぎないのです。
それに対し日本海軍は米海軍に壊滅させられることになりますが、日本海軍も空母10隻撃沈(護衛空母も含む)やドイツ軍が
損傷すら殆ど与えてない重・軽巡洋艦も10隻撃沈しています。
駆逐艦に至っては、海戦・潜水艦・航空攻撃特攻による撃沈艦・スクラップ艦を合わせれば70隻以上損失させてるのですから、
米海軍にとってどちらが主戦場だったか常識的に考えれば判ることでしょう。
特に沖縄戦では、米海軍は日本軍の特攻攻撃に徹底的に苦戦し36隻沈没368隻撃破(内多数の廃艦あり)の史上空前の
損失を食らって、ニミッツら海軍首脳は一時期真面目に沖縄からの海軍の一時撤収も検討し、沖縄攻略の海軍司令だった
スプルアンスは海軍のあまりの損害に精神的におかしくなり司令を更迭されたのですから、ドイツ軍より遥かに米軍を追い詰めたと言えるでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10128100820
16 :
名無し三等兵:2014/10/28(火) 22:40:34.37 ID:GO/hKLTG
一九四四年秋に戦われたレイテでの激戦ゆえに、アメリカ軍はルソン
島上陸作戦や硫黄島、および沖縄の攻略を、時期を遅らせて実施せざる
をえなかった。案の定、そうした上陸作戦はアメリカに多大な損害を強
いるものとなった。硫黄島戦では、太平洋戦争始まって以来、初めて、
ひとつの戦いにおけるアメリカ軍の戦死傷者数が日本軍の戦死者数を上
回った。また沖縄戦は、第二次世界大戦中、アメリカ海軍がもっとも数多
くの戦死傷者を出した戦いとなったし、アメリカ陸軍も沖縄戦で、太平
洋戦争中、最大の損害を被った。イギリス軍の損害もまた大きかった。
チャーチルがドイツ分割占領に対する考えを、突然、変更したのも、夥
しい血が流されたこうした作戦のさなかであった。チャーチルはソ連に
ドイツの中央部を分け与えるように線引きされたローズベルトの占領計
画案を以前は拒否していたにもかかわらず、今度は自分の計画を変更し
て、強引に仮協定に調印した。
太平洋の戦いとヨーロッパの戦い
ノース・カロライナ大学教授 ゲルハルト・L・ワインバーグ
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/199803/08.pdf
17 :
名無し三等兵:2014/11/01(土) 11:44:47.17 ID:YlOxarTp
304 自分:だつお ◆t0moyVbEXw [] 投稿日:2014/09/17(水) 18:28:08.63 ID:4S5sF12I [2/3]
>ドイツ軍があらゆる戦線で連戦連敗している時期にも、日本軍は大陸打通作戦で快進撃だった
もしドイツ陸軍が、日本陸軍に代わって大陸打通作戦を発動していたらどうなりますか?
ドイツ陸軍だったら、大陸打通作戦なんてケチなものではなく、大陸消滅作戦になってましたか?
南京大虐殺とか性奴隷とか、日本軍は占領地の至るところで住民を苦しめたそうですが、
どうせなら中国人を「劣等人種」としてホロコーストしておけばよかったと思います。何しろ中国人絶滅収容所
が戦後もそのまま残ってしまうのだから、言い訳のしようがなくなり、侵略戦争の反省もしっかりしたものになり、
日中関係はずっと良くなってたはずです。それからもしできれば虐殺した中国人を潰して航空燃料を精製
すればよかったと思います。文句があるなら米軍はオーバーロード作戦を中止にして、中国戦線に派兵したらいいでしょう。
キングタイガーならもっと進軍できましたか? もっと大勢の中国人を殺戮できましたか?
四式戦疾風ではなくMe262が出撃してたら、シェンノートの在支14空軍は壊滅してましたか?
ウルツブルグレーダーと88ミリ高射砲があれば、防空は万全でしたか?
今からでもドイツ語を勉強してドイツ留学して、髪の毛染めてドイツ人になりすまし、こういう発言をしてみたい
と思ってます。「たかが中国チンピラゴロツキの3500万なんて取るに足らん。97式中戦車チハなんて、
あんなへっぽこな戦車モドキ、工業水準低いわー。わがドイツ軍のキングタイガー戦車だったら、
3500万どころか5億人皆殺しにして、中国に中国人は一人も居なくなってたはずだ!」
おい、なんとかいえよ、おい!
18 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2014/11/02(日) 07:33:16.61 ID:FOy1xark
1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑い
がないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
Unknown Warをグーグルで検索いただければ、ウイキペディアの項目が見つかる。シリーズは、
まだYouTubeでも見られるだろう。うつけものワシントンが繰り返した愚行の、ソ連アフガニスタン
侵略時には放送中止にされた。ワシントンにとっては、いかなる真実を提示するよりも、
ロシアを悪魔化することがずっと重要なので、Unknown Warの中で明らかにされた真実は、
アメリカTVから削除された。後に、ドキュメンタリーは、ヒストリー・チャンネルに再登場した。
http://ginga-uchuu.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c8c5.html
19 :
名無し三等兵:2014/11/03(月) 23:49:16.17 ID:AbmciJVm
だつおー!
俺さ、おまえアホやと思うねん。だけどいつまでも元気でいて欲しいなあ。
これからもがんばってね。お元気で。軍板にお前みたいなのがいたっていいじゃないか。
お互い歳だから健康診断はさぼらずに。
20 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2014/11/04(火) 00:21:37.18 ID:FHDGxJDc
>Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑い
>がないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
>“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
>ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
ドイツ軍のモスクワ攻撃は1941年12月が最後で、それ以降はモスクワが狙われることは無くなった。
日本からは何度も何度も対ソ戦中止の申し入れが来ていたのに、ドイツはまったく聞く耳を持たなかった。
そもそも1942年夏のころ、北アフリカのドイツ軍はわずか3個師団、対する東部戦線は171個師団。
ナチスドイツ軍賛美論の何が馬鹿げているかというと、ナチスドイツの戦争は「ソ連絶滅戦争」だということ。
つまりナチスドイツ軍の勝利に期待するなんてのは、劣等スラブ人種が皆殺しにされれば良いと言ってるのと同じ。
そんな発想は狂っているし、またできるはずのないことだった。ナチスがソ連を倒してソ連に代わって核開発して、
ソ連に代わって宇宙飛行していたらだなんて、そんなのは冷戦時代のヨーロッパ人が作り出した空想の産物でしかない。
だが強いてそのようなことを考えるのなら、ドイツはどうしたらあの狂ったようなソ連絶滅戦争を中止できたかだろう。
>ワシントンにとっては、いかなる真実を提示するよりも、ロシアを悪魔化することがずっと重要なので、
日本近海で横暴なことをやってる国は圧倒的に中国で、その次が韓国。ロシアは北方4島を占領してる他は何もしていない。
それからドイツは今でもロシアに頭が上がらず、ベルリンにはソ連の対独戦勝記念碑が健在。ロシア制裁にドイツも加わったが、
ロシアからの反撃でドイツの産業界は困り果てている。しかも今や欧米の関心はイスラム国に向けられ、ロシア制裁も下火。
ロシア人は温厚なのだ。
21 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2014/11/04(火) 00:26:52.55 ID:FHDGxJDc
>ナチスドイツ軍の勝利に期待するなんてのは、劣等スラブ人種が皆殺しにされれば良いと言ってるのと同じ。
日本の側からすると、ナチスドイツ軍の勝利=ソ連絶滅は、何のメリットも無い。
あんな気が狂ったような絶滅戦争は一刻も早く止めてもらって、共に米英に対抗しようと申し入れたいところだ。
当時の記録を調べれば、日本は何度も何度も独ソ和平を持ちかけている。
独ソ和平なら米英だってドイツに手出しは出来なくなってたはずなのに、惜しいことをしたもんだ。
22 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2014/11/04(火) 00:34:49.03 ID:FHDGxJDc
>ナチスドイツ軍の勝利に期待するなんてのは、劣等スラブ人種が皆殺しにされれば良いと言ってるのと同じ。
日本の戦争が「侵略戦争」だったとも言われているが、対するドイツの戦争は「絶滅戦争」。
ドイツの戦争が「ソ連絶滅戦争」だったことを知らずに、ドイツが勝てば良かったと、まだ無知なこと言ってる人がいる。
23 :
名無し三等兵:2014/11/04(火) 01:05:58.57 ID:ySOYfdWV
>>22 黙れキチガイ
日本は南進ではなく、北進を採用すべきであった。
そうすればアメリカを全面参戦させて、日本があのような大敗することは無く
ソ連・共産制力を巨大化させることも防げたわボケ。
24 :
名無し三等兵:2014/11/04(火) 21:55:16.44 ID:C0XvFXRo
でも北進するとしたら海軍なにやるの?
25 :
名無し三等兵:2014/11/19(水) 20:14:04.52 ID:MtuRoMHy
覇権への変質
アメリカは150年のあいだ、西半球で有利な環境に甘えてきた。大陸の広さ、
孤立した環境、手強い脅威の不在、さらには友好関係にあるイギリスが幅を利かせる
大洋の壁に守られ、代価のない安全保障を享受していた。アメリカは、大西洋と太平洋
を泳ぎ回るクジラのような存在だったのだ。アメリカ人にとっての第2次大戦は、
太平洋で幕開けしたものであり、1944年6月のノルマンディー上陸作戦までは、
太平洋が戦争の主たる場だった(優先順位が1番目ではなくても、である)。連合国、
とりわけソ連が、戦の鉾先をナチスドイツに向けているなかで、アメリカは太平洋での戦いを
有利に運び、日本単独による占領を受けた戦後東アジアの国際関係の再編全体の土台を組織した。
<アメリカ西漸史―“明白なる運命”とその未来 [単行本] ブルース カミングス (著),>
一九五五年三月二十三日、マッカーサーはヤルタ会談で、自分の見解が求められなかったと非難し、
もしそのとき求められていれば、「あの戦争の末期にソ連を太平洋戦争に持ち込むことに最も強く反対の勧告を
したであろう」と述べた。ところが一九四五年二月の段階では彼はこれと正反対の印象を三人の人物に与えている。
ジョージ・リンカーン准将は、マッカーサーと話し合った後、「全般計画について、マッカーサー将軍は、アメリカ軍が
日本本土をたたく前に、最大数の日本の師団を、アジア大陸で作戦させてこれを釘づけにしておくことが絶対必要である」
と述べたと言っている。 ポール・L・フリーマン・ジュニア大佐は「彼はソ連軍があらかじめ満州で作戦に参加しないかぎり、
アメリカ軍が日本本土に侵入してはならないと強く主張した」と記録している。新海軍長官のジェームズ・V・フォレスタルは、
その日記の中に「マッカーサーはアメリカ軍は日本本土ー関東平野ーで使用するため、これを温存して置かなければ
ならないと言い、満州で日ソが激戦を交えるという保証がないかぎり、これはできないと言った」と書いている。
<ジョン・トーランド「大日本帝国の興亡5」 >
26 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2014/11/19(水) 20:18:18.05 ID:MtuRoMHy
>1944年6月のノルマンディー上陸作戦までは、太平洋が戦争の主たる場だった(優先順位が1番目ではなくても、である)。
強大なるナチスドイツの大軍をほぼ独力で引き受け、これを敗退せしめたソヴィエト赤軍と比べれば、
太平洋戦争なんてドイツの格下でしかない日本と遊んでただけの米軍の活躍はたいしたこと無いな。
しかも日本陸軍主力は太平洋戦争ではなく日中戦争で、1944年の大陸打通作戦は連戦連勝進撃3000キロ。
朝鮮戦争で中国チンピラゴロツキも撃破できなかった米軍が
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1390281875/ 朝鮮戦争で中国チンピラゴロツキも撃破できなかった米軍が、どうして日本本土上陸で皇軍を撃破できるのか教えてくれよ。
教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ !
27 :
名無し三等兵:2014/11/19(水) 21:54:54.87 ID:ykoBY/Wi
28 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2014/11/26(水) 23:47:28.19 ID:lNpsykB7
29 :
名無し三等兵:2014/12/04(木) 00:46:04.69 ID:UwlaD9ox
30 :
名無し三等兵:2014/12/06(土) 01:27:10.97 ID:o7c4L7ar
73 だつお ◆t0moyVbEXw 2014/12/05(金) 18:03:27.45 ID:Ku08E6V3
今月の「歴史群像」によれば、1941年12月のモスクワ攻防戦での赤軍主力は、騎兵だったとのことだ。戦車機甲部隊は数が揃わず、
しかもT-34のような新型は少なく、戦車といえばT-26などの軽戦車が主だったと。パウルカレルは「ヒトラーの死守命令がドイツ軍
の崩壊を食い止めた」というが、実は赤軍が息切れしただけで、軽戦車と騎兵隊の「機械化騎兵集団」ではそんな程度だったと。
31 :
名無し三等兵:2015/01/01(木) 10:16:18.60 ID:LsEXK2dr
1944-5年西部戦線の戦車戦に関し、アメリカ軍による研究がある(注3)。Hardisonは、比較的戦車戦の多かった
第3機甲師団と第4機甲師団の戦闘データから98戦例を抽出して分析した(注4)。これによれば、アメリカ軍が攻撃側
でドイツ軍が防御側に立った場合の損害率は、米22.8%で独33.3%である。これが反対に、ドイツが攻撃側に回った場合には、
独60.1%で米6.8%と、ドイツ側の高い損害率を示している。シャーマンとパンターの戦闘にかぎった場合でも、数字はほとんど変わらない。
http://hikasuke333.blog113.fc2.com/blog-entry-327.html
32 :
名無し三等兵:2015/01/02(金) 18:40:45.91 ID:gfn7C24P
ナチスがいなけりゃロケットも人工衛星もなかったはず
つまり今こうしてインターネットが使えるのはナチスのおかげなんだよ
33 :
名無し三等兵:2015/01/02(金) 19:47:54.82 ID:cHoXA0Lo
34 :
名無し三等兵:2015/01/27(火) 18:19:12.88 ID:Ro8zIE+G
北進という方針に海軍は反対である
理由・・海軍のやることがなくなる
35 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2015/03/10(火) 14:46:12.87 ID:BdXGyLK8
>ソビエト連邦がファシズムから欧州を救った
ノルマンディ上陸作戦など無くても、また戦略爆撃などなくても、1943年夏のクルスク以降の
赤軍は連戦連勝快進撃。勝敗を決めたのは専ら独ソ戦であり、欧米の戦いは余興にすぎない。
現実があまりにぬるい戦いなので、ティーゲル戦車の脅威がと脚色をつけまくったりする。
そもそも米陸軍機甲部隊がドイツ陸軍とガチンコ勝負したのは、1944年末の「バルジの戦い」が最初で最後。
一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の
開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか
を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、
という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への
非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた
「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた
にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない
ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が
生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった
に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、
この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、
いかなる理由もなかったのである。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216
↑
「バルジの戦い」は、最初で最後の米独陸軍対決であったが、そのころの東部戦線の戦局はこんなもん。
36 :
名無し三等兵:2015/03/10(火) 17:56:50.14 ID:q1kcLJ8k
>ナチスがいなけりゃロケットも人工衛星もなかったはず
なに言ってんだおまえは
ゴダートとか知らんのか、カチューシャはロケットじゃないのか
37 :
名無し三等兵:2015/03/12(木) 07:09:51.22 ID:N47Yhstz
まあ多少遅れたかもな。
正直、アメリカはゴダードが生きてる時に正しく評価できなかった。
ドイツは宇宙旅行協会だったか、連中が事実上ゴダードの仕事を引き継いだんだよな
それがまたフォンブラウンによってアメリカに戻った感じ。
でもま、遅れても数年からせいぜい10年だろう。
38 :
名無し三等兵:2015/03/12(木) 17:36:39.94 ID:OMxGMdaI
1944-5年西部戦線の戦車戦に関し、アメリカ軍による研究がある(注3)。Hardisonは、比較的戦車戦の多かった
第3機甲師団と第4機甲師団の戦闘データから98戦例を抽出して分析した(注4)。これによれば、アメリカ軍が攻撃側
でドイツ軍が防御側に立った場合の損害率は、米22.8%で独33.3%である。これが反対に、ドイツが攻撃側に回っ
た場合には、独60.1%で米6.8%と、ドイツ側の高い損害率を示している。シャーマンとパンターの戦闘にかぎっ
た場合でも、数字はほとんど変わらない。
両軍が会敵するとき、平均して、アメリカ軍は兵器9.1を有し、ドイツ軍は兵器3.7を有し、約2.5対1となっていた。
シャーマンとパンターの関与する29戦例で見れば、シャーマンは1.2対1の数的優勢をもっていた。
86戦例のうち、6ケースでアメリカ軍側は全滅している。同じように、ドイツ軍では89例のうち41ケースで全滅した
(とアメリカ軍は記録している)。3以下の兵器を使用した側は、81例のうち37例で全滅させられている。そして、
3以上の兵器を使った91例の場合、全滅させられたのは10例に過ぎない。戦車戦は唐突に始まり、唐突に終わる。
数が少なすぎると全滅させられ、数が多いと敗北をさとるやすぐに後退し、全滅にいたることが少なくなるのである。
http://hikasuke333.blog113.fc2.com/blog-entry-327.html
39 :
名無し三等兵:
アメリカがチートレベルに強かっただけで、
ドイツも十分強い