論争 皇軍が撃墜したB-29は何機だったか

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1名無し三等兵
中国−ビルマ−インドとマリアナ基地からの作戦全般を通じて第20空軍は、あらゆる原因によるものを含め、
B-29爆撃機485機、戦闘機212機を失った。この間、戦死または行方不明となった搭乗員は合計3041名に達し、
攻撃行動中の戦傷者は332名。他方、B-29爆撃機延べ33047機、戦闘機延べ6276機が日本爆撃に出撃した。
損害率は、B29は1.5%、戦闘機は3.4%であるが,B29搭乗員の死傷率は1%にも達しなかった。
(戦後刊行された『アメリカ戦略爆撃調査団報告第66号』「B29部隊の対日戦略爆撃作戦(第20航空軍)」
;本土空襲の記録引用)
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/b29.html

正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、
米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。展示説明板には、
ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して
任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアの
チャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって
再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html
2名無し三等兵:2014/08/06(水) 21:39:16.15 ID:+umSHY8y
MILITARY      HOSTILE               NON-HOSTILE
ACTION       DEATHS      WOUNDED    DEATHS              
World War II
(1941-45)
Total          293,1216       670,846       115,185
European Theater  185,179        498,948       66,805
Pacific Theater    107,903        171,898       48,380
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf

(第二次世界大戦中、アメリカ軍は日本侵略をした場合に生じるであろう死傷者数を推定して
約50万ものパープルハート章を製造した。このパープルハート章は戦後65年たっても尽きるこ
となく2003年当時で残っているパープルハート章の総数は12万ほどだった)
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6347441.html

日本に対する活動に関する現在の状況が、ノルマンディーに対して提案された作戦に
関連してあった状況とちょうど同一であると、GENERAL MARSHALLは指摘しました。
それから自分の見解の表すものとして、参謀共同で大統領に発表する用意をした
メモのダイジェストを、以下のように読み上げました。
GENERAL MARSHALL pointed out that the present situation with respect to
operations against Japan was practically identical with the situation
which had existed in connection with the operations proposed against Normandy.
He then read, as an expression of his views, the following digest of a memorandum
prepared by the joint Chiefs of Staff for presentation to the President (J.C.S. 1388):
http://www.endusmilitarism.org/WH_meeting_of_061845.html

但し後知恵で言えば、戦略爆撃調査団が述べているように、鈴木貫太郎内閣は常に終戦を求めており、
原爆やソ連参戦抜きでも年末までには降参したかもしれない。
けれどもその場合は「ソ連を仲介しての和平」ということになり、米国としては許容できない降伏条件となる。

ソ連抜きでのポツダム宣言は「黙殺」だったことを忘れてはならない。
3名無し三等兵:2014/08/06(水) 21:41:16.27 ID:+umSHY8y
議事録には次のようなイーカーの言葉が引用されている。
「日本にたいし航空兵力のみの使用を主張する者はきわめて重大な事実を見過ごしています。それはつまり、
航空機のみが敵と対決するときは、航空兵の死傷者数は決して低下しないという事実です。現在の航空兵の
死傷者数は一度の任務につきおよそ二パーセントであり、一月当たりでは約三〇パーセントです」
イーカーは続けた。「時期を逸すれば、敵が有利になるだけです」
「日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌」(T・アレン&N・ボーマー著)
"GENERAL EAKER said that he agreed completely with the statements made by General Marshall
in his digest of the memorandum prepared for the President. He had just received a cable in which General
Arnold also <page 559> expressed complete agreement. He stated that any blockade of Honshu was completely
dependent upon airdromes on Kyushu; that the air plan contemplated employment of 40 groups
of heavy bombers against Japan and that these could not be deployed without the use of airfields on Kyushu.
He said that those who advocated the use against Japan of air power alone overlooked the very impressive
fact that air casualties are always much heavier when the air faces the enemy alone and that these casualties never
fail to drop as soon as the ground forces come in. Present air casualties are averaging 2 percent per mission,
about 30 percent per month. He wished to point out and to emphasize that delay favored only the enemy
and he urged that there be no delay.
http://www.endusmilitarism.org/casualty_projections_Giangreco.html

英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、ソ連の参戦であったと指摘した
ことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」
の著者である英国の歴史家ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは
4日間でやってのけた。」と書いたとき、
http://japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/
4名無し三等兵:2014/08/06(水) 22:14:10.87 ID:mED1yXu5
仲間を殺した敵たった1人に壮絶な報復 
https://www.youtube.com/watch?v=Cwffmsf2gO8
5名無し三等兵:2014/08/07(木) 12:12:22.89 ID:+r8u4D9o
>>3
何言ってんだかw
その4日間は、アメリカの4年間があったから出来たって話じゃん
馬鹿だなそいつw

しかも4年じゃない、本当は3年9カ月だし
6名無し三等兵:2014/08/07(木) 18:58:21.46 ID:rk2DhJo9
>>5
中国の8年間は?
7名無し三等兵:2014/08/07(木) 23:45:42.04 ID:26W6U4/h
80機くらいだと思った。ただ撃破とか含めると300機に及ぶらしい。
8名無し三等兵:2014/08/08(金) 01:46:11.50 ID:vIE39KO8
ところで太平洋戦線でアメリカは27,000機もの航空機を失ったって知ってるか?
欧州戦では未生還機に修理不能損傷機(damaged beyond repair)を加えても18,000機なのに対し。

事故機や地上破壊を除いても、皇軍は米軍機を8700機を撃墜している!

Aggregate United States plane losses during the course of the
Pacific war, not including training losses in the United States,
were approximately 27,000 planes. Of these losses 8,700 were
on combat missions; the remainder were training, ferrying and
other noncombat losses. Of the combat losses over 60 percent
were to antiaircraft fire.
http://www.anesi.com/ussbs01.htm

In the attack by Allied air power, almost 2,700,000 tons of bombs
were dropped, more than 1,440,000 bomber sorties and 2,680,000
fighter sorties were flown. The number of combat planes reached a
peak of some 28,000 and at the maximum 1,300,000 men were in
combat commands. The number of men lost in air action was 79,265
Americans and 79,281 British. [Note: All RAF statistics are
preliminary or tentative.] More than 18,000 American and 22,000
British planes were lost or damaged beyond repair.
http://www.anesi.com/ussbs02.htm
9名無し三等兵:2014/08/08(金) 01:59:28.63 ID:t2tmMP0W
未帰還率は25%だった様な
10名無し三等兵:2014/08/12(火) 16:02:33.43 ID:0ZVD25YE
撃墜なんて書いてないようだが・・
11名無し三等兵:2014/08/13(水) 14:20:02.21 ID:TibRPrzn
ばーちゃんが昔落ちたBー29を見に行って来たって言ってた
12名無し三等兵:2014/08/16(土) 01:54:34.15 ID:JyxyXJIy
 「初期故障」を十分に解決しきっていないままにアーノルドの「大博打」で
量産が決定され実戦投入された機体だからな。往復5千キロの洋上飛行を強いら
れた割には、損失は少なかった。迎撃する側の能力の低さが幸いしたようなものだ。
ドイツ相手だったら、ひどいことになっていたはず。図体がでかすぎて滑走路の整備
から始めないといけなかったので、欧州での使用をあきらめた。
13名無し三等兵:2014/08/16(土) 08:51:20.58 ID:HTl55QEc
>>12
>迎撃する側の能力の低さが幸いしたようなものだ。ドイツ相手だったら、ひどいことになっていたはず。

 一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の
開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか
を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、
という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への
非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた
「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた
にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない
ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が
生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった
に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、
この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、
いかなる理由もなかったのである。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216
14名無し三等兵:2014/08/16(土) 09:05:16.94 ID:HTl55QEc
>>12
>ドイツ相手だったら、ひどいことになっていたはず。

1945年1月12日から始まるソヴィエト赤軍の「ヴィスワ=オーデル攻勢」を知っていれば、こんな妄言は出ない。

軍事歴史家アール・ジームキ(Earl Ziemke)は以下のように進撃を解説した。
25日、ジューコフ配下の主力はポーゼンを通過、ベルリン東40マイルのオーデル川で真西へキュストリン方面へ進撃した。
ソビエト赤軍の進撃は巨大な除雪機械のように見えた。そして、ワルシャワからポーゼン、そしてベルリンへと狙いを定めていた。
ドイツA軍集団の全部隊が点と刃の間に挟まれ、オーデル川の対岸へ押し戻されていた。ドイツの右側にはヒトラーが数日前
に編成したヴァイクセル軍集団と呼ばれる基幹軍集団以外、何も存在しなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AF%3D%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E6%94%BB%E5%8B%A2

 この一月十二日のヒトラーの主要作戦会議のニュースは、コーネフ元帥の強力な歩兵と機甲部隊がパラノフ橋頭堡を
封じ込めているドイツ軍三個師団 を蹴散らし、すでに西に一〇マイル前進し、この押し寄せる敵軍を阻むものはなかった。
ドイツの機甲師団はずたずたとなり、壊滅したのだった。 そして今度は三五〇の砲列からの二時間にわたる弾幕放火のあとで、
戦車と歩兵の新たな洪水が東プロイセンに対する第二の攻勢が、 今度は南側面から開始された。この方面の攻勢の
ゼロ時間が分かって いたので、ドイツ軍は集結するロシア軍部隊と砲兵隊に砲弾の雨を降らせ、一時的にはロコソフスキー
元帥の部隊をたじろかせた。だが敵戦車二四五輌をすでに叩き潰したのに、一五日には全東部戦線が激戦中で、
敵が戦略的中央突破に成功したのは明らかだった。南ポーランドのキエルツェは陥ちた。ワルシャワはまだドイツ軍の
手にあったが、北と南で迂回された。クールラントと東プロイセン軍があんなにうまく敵を寄せつけなかっただけに、
この突然の崩壊に 仰天したヒトラーは、最も信頼する副官のひとりのフォン・ベロー大佐に 「もう希望はない」、
ドイツを救えるのはいまや奇跡のみであるといった。
<デイヴィッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」>
15名無し三等兵:2014/08/16(土) 09:14:25.79 ID:K6y0oQYv
>>13
>>14
馬鹿?

ドイツ軍があまりにも強力なため、米英は大損害を被り、ソ連に泣き付いたんだが。
ソヴィエト赤軍の「ヴィスワ=オーデル攻勢」が無かったら、米英が受けた損害は計り知れない。
16名無し三等兵:2014/08/16(土) 09:22:06.28 ID:K6y0oQYv
その当時、ソヴィエト赤軍の戦闘能力は鬼神のようなもので、米英では手に負えないドイツ軍を、
空と陸とで徹底的に粉砕した。米英は1945年でもドイツに苦戦し、勝ったためしが無かった。
17名無し三等兵:2014/08/16(土) 09:29:34.64 ID:K6y0oQYv
戦争が長引けば、米英航空隊はドイツ軍の88ミリ高射砲で戦死者続出だったが、
ソヴィエト赤軍のベルリン総攻撃により戦争が終わり、米英航空隊は命拾いした。
あの強力なドイツ防空網を突破できた軍隊は、世界広しと言えどソヴィエト赤軍だけ。
ドイツ空軍は高射砲部隊だけで百万を数え、これを撃破しえるのはソヴィエト赤軍の地上攻勢のみ。
18名無し三等兵:2014/08/16(土) 18:23:06.80 ID:zHDT9Kvc
>>17
>>16
>>15
wwww
ナチの退却が早すぎて追いつけなかっただけだろw
ナチほど看板倒れの軍はいない。
あまりにもナチ兵があっさり降伏するから捕虜収容所が満杯になって、
捕虜に手厚いはずの米英の収容所ですら、過収容で何十万も死者が出たほど
19名無し三等兵:2014/08/18(月) 09:11:31.65 ID:519yolyB
>>15-17はアレだから放っておけ
20名無し三等兵:2014/08/25(月) 01:50:41.65 ID:wWsXqNSj
>>1
B-29はすぐに夜間爆撃に切り替えたから、戦闘機による被害はそれ以前の短期間のものよ。
中共軍には夜間戦闘機は無かったから、昼間戦闘機のMig-15じゃ大体のとこまで地上管制からの
誘導で到達はできても、快適が困難。

だから対日戦より損害が少ないのは別におかしくない。
F-86の護衛で被害が減ったなんてのは、もはや何を言ってるのかわからない。
資料はともかく、お前さんが数字だけ見て分析や周辺状況の確認を何もしてないってのは理解してほしい。
21名無し三等兵:2014/08/25(月) 19:21:24.53 ID:N7uCDQI2
終戦二年後の大阪の航空写真を見ると、絨毯爆撃のようで肝心な建物は結構残ってるもんだなって思った。接収予定だったのか?
22名無し三等兵:2014/08/26(火) 10:25:00.34 ID:2KRL1eOo
B-29はもっぱら焼夷弾攻撃だから鉄筋の建物は残るよ
それだけの話じゃん?
23名無し三等兵:2014/09/01(月) 19:55:30.10 ID:q3dswSYG
鉄筋の建物だからといって
周りが火の海になれば無事にすむわけではないだろうに。
通常爆弾投下による爆発痕も相当ある。
24名無し三等兵:2014/09/02(火) 08:40:51.15 ID:U3raREmH
お前は>>21からの流れを組んでそう書いてるのか?
アホなのか?
25名無し三等兵:2014/09/03(水) 05:48:17.23 ID:K/DV+Yvw
安心しろ、お前以上のアホは存在せん。
26名無し三等兵:2014/09/03(水) 09:58:26.08 ID:hlf26zax
流れ読めてなかったんだなw
27名無し三等兵:2014/09/12(金) 16:27:52.67 ID:dqJKyPS0
かの博学な英国歴史家ポールケネディ博士は、日本よりもドイツが強敵だったと述べている。
28名無し三等兵:2014/09/12(金) 17:12:54.34 ID:8/ewh9HV
マジレスすると485機
29名無し三等兵:2014/09/12(金) 17:13:43.25 ID:LRRF3VYs
テスト
30名無し三等兵:2014/09/13(土) 07:38:46.30 ID:wn4hFuR8
>>27
ドイツは英国の目と鼻の先にあるし、国力自体はドイツの方が上なんだから当たり前だろ。
明らかに文脈読めてないレスだなw
31名無し三等兵:2014/09/13(土) 13:40:24.21 ID:ZgYTa1m8
ばあちゃんが堕ちたB-29を見に行ったって言ってた
32名無し三等兵:2014/09/14(日) 09:01:37.50 ID:9Mzn/VK0
東京上空で被弾したままサイパンまで帰るわけだから
途中で海に落ちるのは故障が原因か被弾が原因か判別つかないところだ
33名無し三等兵:2014/09/15(月) 07:19:36.94 ID:qs3wh2AB
オスプレイの「B-29 Superfortress Units of the Korean War」には、21,000ソーティーでの損害数は34機。
そのうち戦闘機によるものが16機、対空砲によるものが4機、その他の理由が14機。1000ソーティーあたりの損害率は1未満、って書いてあるんだよね。
念のために書いておくと、朝鮮戦争が行われたのは1950年6月から1953年7月ね。
あ、付け加えておくと、アメリカ軍の「損害」には、帰っては来たものの壊れて使い物にならなくなったのも入ってるんだって。
だから、『これには「帰還はしたけど損傷が酷くて廃棄」というのはカウントされていない。 』(軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ)- B-29)っていうのは誤りだよ。
「対日戦では無敵、朝鮮戦争では損害が続出」っていうのが正しいなら、対日戦での損害の方が少なくて、朝鮮戦争での損害の方が多くないとおかしいよね。
実際の数字が示す結果はどうかな?
上でも引用したWikipediaには『基地までの距離が短いことやF-86などの強力な護衛戦闘機があったこと 』が損害の少ない理由だって書いてあるけど、
それをいうなら横田から軍事境界線までの1,143kmと硫黄島(不時着場だけどね)から東京までの1,224kmの約80kmの違いでそこまで損害に差が
出るモンなの?とか、P-51などの強力な護衛戦闘機があった対日戦は?ってコトになるよね。
「対日戦での教訓があったから、それを生かして朝鮮戦争では損害を低く抑えることができた」って考える方が事実に合ってるような気がするけどねー。
http://ameblo.jp/amo-un-pomodoro/entry-11115324361.html
34名無し三等兵:2014/09/18(木) 02:04:15.74 ID:HjYU+Zpz
 MiG-15が朝鮮半島で初めて米戦闘機との戦いを経験したのは1950年11月であり、間もなくこれらの新型ソ連戦闘機
を装備した航空隊は、北朝鮮軍の中でも最も効果的な戦闘部隊と見なされるようになった。全体としてMiG-15は、
アメリカのセイバーと比べると機関砲の発射速度やレーダー照準、そして一番の問題としては搭乗員の練度で劣っており、
攻撃を受けると脆かったのだが、その一方で上昇力や上昇速度、高高度での旋回性能といった要素ではライバルを
凌駕していたし、装備していた強力な37ミリ機関砲は、少なくとも効果的な護衛戦術が確立される以前であれば、
高空を飛行する米B-29爆撃機の編隊を数秒で蹂躙することができた。ヤル川より北の飛行場から出撃していた
中国人搭乗員とソ連の教官たちは、急降下から一撃を加え、最初の攻撃を終えた後は反転して、ミグの優れた上昇速度
を活かしながら敵の追撃を振り切るという戦法を採用していた。ミグの搭乗員は極力空中戦を避けようとし、もしも追い
つかれた場合には尾翼やエンジンを撃たせておいて、自身は射出座席による脱出を試みるのが常であったという。
回避機動が好まれなかったのは、操縦席への命中弾を許す可能性があったからである。より洗練された戦術としては
囮集団の使用が挙げられるし、1952年以降になると、ヤル川以南でF-86をインターセプトするため80もしくは100機もの
戦闘機を出撃させ、高度ごとに分かれた編隊を組ませるようになった。これは、1943年春に初めてクバンで使われた戦術
の応用である。戦争の最終段階において、中国空軍はソ連から供与されたミグ4000機のうち2000機を朝鮮半島に展開
させていた。被撃墜数は850機、また1000機以上が損傷や事故、故障により失われている。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/statiya5.2.html
35名無し三等兵:2014/09/18(木) 07:33:28.51 ID:Gtt9UpZ3
>>33
P-51が護衛につくようになったの⇒硫黄島陥落後
それまでは丸裸で爆撃
忘れてるのか、知らないのか、故意に無視してるのか

朝鮮戦争では韓国国内の飛行場や、
九州・中国地方のより韓国に近い日本の飛行場も利用可能だったことも忘れてるのか、
故意に無視してるのか。

結局朝鮮戦争では、さっさと昼間爆撃任務から外されたという事実は動かないし。
36名無し三等兵:2014/09/18(木) 10:11:25.55 ID:PknmzPfh
B29の損害なんて殆どが高射砲だからマスタングの影響なんざちょっとだぞ
37名無し三等兵:2014/09/18(木) 20:05:10.88 ID:4OgdFIQL
うそこけ、ゼロ戦でB29迎撃するためには降下速度かせがにゃならんから
上空を辛うじて漂ってる機体を蹴散らすには戦闘機が有効。
初期の早期警戒システム搭載したB29が戦闘機を誘導して有効活用だ
38名無し三等兵:2014/09/19(金) 13:26:07.63 ID:DvzcjAXO
B-29が護衛機連れてる高度は6000m位の筈です
39名無し三等兵:2014/09/20(土) 12:08:53.84 ID:YT55aoaz
>>33
さんざん既出だが、南市の惨劇で多数のF-86も含むジェット戦闘機の護衛が
ついた状況で全滅状態になったから、危険な空域での昼間爆撃からひっこめ
られることになったという順序だね。
40名無し三等兵:2014/09/20(土) 12:58:17.51 ID:UiT1wPck
>>36
ゼロ戦の脅威はなくなるし、高射砲潰すのにもP-51は役に立つだろ
41名無し三等兵:2014/09/20(土) 13:39:47.49 ID:w9whJ4A5
>>39
でも朝鮮戦争で死んだ搭乗員なんて事故いれても1000人くらいなんでしょ
42名無し三等兵:2014/09/27(土) 21:04:20.00 ID:z/QC4VuY
>>41
朝鮮戦争のアメリカ空軍は、延べ 720,980機の出撃で、人員損害は1,841人。

During the war, FEAF units flew 720,980 sorties and delivered 476,000 tons of ordnance.
For these numbers FEAF estimated it had killed nearly 150,000 North Korean and Chinese
troops and claimed the destruction of more than 975 aircraft, 800 bridges, 1,100 tanks,
800 locomotives, 9,000 railroad cars, 70,000 motor vehicles, and 80,000 buildings.
This damage was inflicted at the cost of 1,841 men killed, wounded and missing,
and 750 aircraft destroyed by the enemy.
http://www.state.nj.us/military//korea/factsheets/air_f_fs.html
43名無し三等兵:2014/09/28(日) 21:31:08.44 ID:FyoL3qMR
朝鮮戦争で迎撃する共産軍のMiG-15にバタバタ墜とされたという記述を
山本(筆者)は百回くらい読んだが、調べてみるとトンでもない。
朝鮮戦争の3年間でのべ21000機の出撃中、失われたのは34機。
しかも多数機で出撃した時の損害はゼロに近く、やられたのは
少数機で出撃して多数のMiGに袋だたきにあった時のみ。更に
一度に複数機、墜とされたのはわずかに2回。それもたったの2機と3機。
3機の時は8機のB-29が何と100機のMiGに襲われているのである。(中略)
朝鮮戦争でB-29は共産軍のMiG-15にバタバタ墜とされた?
そんなことを言う奴は共産主義ありがたさの余り目がくらんでいるのであろう。
(以上、スケールアヴィエーション誌08年9月号)
44名無し三等兵:2014/10/18(土) 16:46:20.73 ID:g+RVNfwo
45名無し三等兵:2014/10/19(日) 21:07:22.82 ID:YOb+KIhs
ここ読んでたら、戦争てのは残酷な集計を正視する神経が必要なんやね。
官兵衛でもないけどさ。戦争ってのは、冷徹な計算抜きで考えたらイカンことやね。
46名無し三等兵:2014/10/21(火) 10:19:39.18 ID:6fHhrKoR
小説の三国志とか坂本竜馬とか見て歴史だと信じちゃう馬鹿が多いからな
47名無し三等兵:2014/11/15(土) 11:41:03.77 ID:Rd2s+qiO
当時、国務省内の対韓国政策のコンセンサスは以下のようなものであった。「南朝鮮はわが方に
とって何の戦略的価値もなく、たとえあったにしてもそれは、戦略的債務でしかなく……したがって、
われわれが朝鮮に引き留まっていなければならない政治的理由はまったくない」。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/34960/8/Honbun-5124_05.pdf

仁川上陸作戦は、9 月 15 日上陸という目標達成のため、仁川に集中すべき大量の武器装備類の短期間での集積、
搭載が極めて重要であった。それらの多くは Operation Rollup、Operation Rebuild を通じて日本の産業基盤を
使って WWII の余剰資材を修理、再生して得られたものであった。
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/201403/08.pdf

○福井(勇)委員 前回私が佐々木説明員に説明を聞きました場合に、 外国から終戦後入つた機種は、
兵器製造用のマザー・マシンとしてわずか に百二十一台しかないようであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0342/00704100342001a.html

「日本本土に侵入すれば、日本軍の大部隊をアジアと中国大陸に釘づけにできた場合でも、
少なくとも五〇万人の米国人の死傷を見こまなければならない。したがってソ連の対日参戦は
われわれにとって非常に重大なことであった」(『トルーマン回顧録』)
http://nekotomo.at.webry.info/201211/article_2.html

イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が
もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。しかし、
ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254

ブッシュ大統領のヤルタ批判演説
http://www.geocities.jp/taratooi2545/page016.html
ニクソン「韓国戦争は日本に関する戦争」
http://oboega-01.blog.jp/archives/1005535024.html

朝鮮戦争で中国チンピラゴロツキも撃破できなかった米軍が、どうして日本本土上陸で皇軍を撃破できるのか教えてくれよ。

              教 え て く れ よ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ ぉ !
48名無し三等兵:2014/11/27(木) 19:02:38.60 ID:s1z4CeGv
戦力の編成と犠牲者に関する統計が、アメリカのこうした戦略的選択を反映してい
る。転出や部隊再建がなされたことを考慮に入れると、太平洋戦争において連合国が対
戦し、壊滅せしめた日本陸軍の師団の数はわずか 28 個にとどまり、その半数は、フィ
リピンに配備され戦ったものであった。連合国の地上部隊は、アメリカ陸軍 21 個師団
と6つの海兵師団、オーストラリアあるいはニュージーランド軍の7個師団からなるも
のであった。ビルマで戦い、インド、アフリカおよび英国の師団で編成された第十四軍
も、最終的には日本の 12 個師団と対峙し、その大半を破った。この他、日本軍は当時
アジア北部にはおよそ 50、本土に 50、そのほかフォルモサ島(台湾)に7、東南アジ
アに 12 の師団を派遣したが、1945 年 8 月のソビエト連邦の短い軍事行動を除き、連合
国は日本陸軍とは殆ど交戦していないと言える。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_05.pdf
49名無し三等兵:2014/12/09(火) 05:58:52.81 ID:If8Smx44
B29は高価すぎる機体で本土空襲初期の撃墜率を日本軍が維持できるならアメリカ戦略空軍は
壊滅の憂き目にあっただろうと歴史群像に書いてあったな。ちなみにドイツの本土防空体制に
比べれば日本のそれは貧弱の一語に尽きる
50名無し三等兵:2014/12/09(火) 09:48:28.01 ID:gfkZUQh9
そりゃ陸の上飛び続けて途中の飛行場全部から迎撃されるヨーロッパと
途中が海で爆撃地上空で迎撃してた日本じゃ条件が違うだろう
51名無し三等兵:2014/12/09(火) 10:08:03.74 ID:uNoLS1tx
そういうのを差し引いたって貧弱は貧弱だよw
52だつお ◆t0moyVbEXw :2014/12/09(火) 13:19:47.22 ID:KHMLK2oR
>>49
>ちなみにドイツの本土防空体制に比べれば日本のそれは貧弱の一語に尽きる

ああ。1943年10月の「シュバインフルト航空戦」ね。でも日本本土空襲は1945年以降だから、時系列が全然違う。

1945年日本の防空は、ドイツ軍と比べて糞すぎw
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/war/1407744077/

だいたい1945年以降のドイツ軍なんて、パウルカレルだって書いちゃいない。というか恥ずかしくて書けない。
そもそも戦略爆撃の効果なんて駄目押し程度で、ドイツの敗戦は赤軍によるものが殆ど。

「ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のおかげだ」「米英抜きならソ連は敗北してた」、
もしそんな主張が通せるくらいなら、米英はソ連の東欧支配を諦めさせることもできたはずだ。
だが現実はソ連はほぼ独力でナチスドイツの猛攻撃を退けたのであり、レンドリースと戦略爆撃は
駄目押し程度でしかなかった。さらに言えば米英はソ連に対日参戦を申し込む立場だった。
レンドリースも戦略爆撃も無くてもソ連は勝ったし、米英はソ連の対日参戦を不可欠としていた。
だからむしろ米英のほうが、対ソ連政策慎重でソ連の東欧支配を是認せざるを得なかったのだ。

米英が日本に対して「戦争に勝ったのは我々だ」と主張しようものなら、ソ連もまたヨーロッパに対して
「ソビエト連邦がファシズムから欧州を救った」と主張することができてしまう。
「ヨーロッパ人はみんなナチス野郎だった、そしてソ連はナチス野郎どもを独力で一網打尽に叩きのめした」
「米英だってヤルタ・ポツダム協定でソ連の東欧支配を認めた」、欧米人はグウの音も出ないww
53名無し三等兵:2014/12/09(火) 14:08:49.93 ID:uNoLS1tx
へぇー

西部戦線にもソ連軍が居て大活躍だったんだw
そんな事は歴史の教科書に書いてないんで知らなかったわー
54名無し三等兵:2014/12/09(火) 17:13:19.17 ID:NLPApsbf
コテハン馬鹿は相手にする必要なし
55だつお ◆t0moyVbEXw :2014/12/09(火) 21:10:44.07 ID:KHMLK2oR
>>53
>西部戦線にもソ連軍が居て大活躍だったんだw
>そんな事は歴史の教科書に書いてないんで知らなかったわー

太平洋戦線にも中国軍が居て大活躍だったんだw
そんな事は歴史の教科書に書いてないんで知らなかったわー

スターリングラード攻防戦にも日本軍が居て大活躍だったんだw
そんな事は歴史の教科書に書いてないんで知らなかったわー

北アフリカ戦線にも日本軍が居て大活躍だったんだw
そんな事は歴史の教科書に書いてないんで知らなかったわー

・・・・一体あんたは、そういう次元の話がしたいのか?

おい、なんとか言えよ、おい!
56名無し三等兵:2014/12/09(火) 21:44:01.58 ID:If8Smx44
>>55
もしドイツ軍が大陸打通作戦を発動していたら
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1399397494/
57名無し三等兵:2014/12/10(水) 20:11:05.03 ID:KhU2ahBM
>>51
>そういうのを差し引いたって貧弱は貧弱だよw

朝鮮戦争でB29はどれだけ飛んでどれだけ失われたのか。
58名無し三等兵:2014/12/11(木) 08:40:54.94 ID:8NFKye8z
B-29は飛んでたけど
B29なんてものは知らない。

プラモの部品番号か何か?
59名無し三等兵:2014/12/16(火) 14:48:03.76 ID:LHbhCk00
屠龍ってそんなに強かったの?
60名無し三等兵:2014/12/16(火) 15:31:47.54 ID:p/2HKRCs
高高度上昇能力はやはりエンジンか
61名無し三等兵:2014/12/31(水) 12:11:54.59 ID:QmFKty8l
USAAF bombers in the European War, 1942-45
Bomber Type Number of Sorties
Bomb Tonnage
US Aircraft Lost in combat
Enemy Aircraft Claimed Destroyed in Air*
B-17 291,508 640,036 4688 6659
B-24 226,775 452,508 3626 2617
B-26 129,943 169,382 911  402
B-25 63,177  84,980  380 193
A-20 39,492  31,856  265  11
A-26 11,567  18,054  67  7
Total 762,462 1,396,816 9937 9889

USAAF B-17 B-24 B-25 B-26 B-29
http://ww2guide.com/usab.shtml
62名無し三等兵:2015/02/20(金) 17:30:22.84 ID:6AJkxdDl
COMBINED SUMMARY OF 20TH AIR FORCE & 9TH GROUP OPERATIONS
     20TH AIR FORCE                 9TH BOMB GROUPC
     From June 5, 1944 on             From February 9, 1945 on
Missions          380                        75
Sorties        
Combat          31,387                       1843
Other           1,617                        169
Total           33,004                       2012
Bomb and
mine tonnage      171,060                      11,376
B-29 losses
Combat losses      494                   14 + 5 non-combat
Training losses in U.S.  260                          1
Air crew losses
Killed             576                26 + 1 ground crewman
Missing           2,406                  96 (12 repatriated)
Wounded or injured    433                         30
http://www.9thbombgroup.org/9thHistoryBook.pdf
63名無し三等兵:2015/02/28(土) 09:10:00.14 ID:2tqBJ0L6
皇軍房がどんなくっさいオナニーしたところで
西海岸の中国系アメリカ人は戦勝国民で
中国はうまく立ち回って常任理事国の核保有国で
だつおは敵国条項のある敗戦国のなかでも下層カーストのギークでしかない
64名無し三等兵:2015/03/02(月) 18:14:31.58 ID:iJ0tmFj8
東京大空襲は夜間空襲なんだが、月光は何機上がったの?
65名無し三等兵:2015/03/03(火) 12:48:58.75 ID:UHl0igJW
66だつお ◆t0moyVbEXw :2015/03/10(火) 04:08:43.21 ID:BdXGyLK8
>>53
>西部戦線にもソ連軍が居て大活躍だったんだw
>そんな事は歴史の教科書に書いてないんで知らなかったわー

貧しいロシアを攻撃して貧しいロシア人を殺戮して、ロシア人に殴り殺されたのが、そんなに悔しいか?

 一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の
開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか
を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、
という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への
非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた
「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた
にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない
ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が
生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった
に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、
この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、
いかなる理由もなかったのである。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216
67名無し三等兵
ここもお前のスレじゃないよ。