【無茶口】インパール作戦【切腹詐欺】

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10名無し三等兵
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。