【震電改】日本航空機開発史改竄編【流星艦戦】

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395名無し三等兵
特攻機改造された白菊は、25番×2、330L増槽×1を抱いて、乗員2名で特攻した。
ということは、両翼の下に330L増槽×2を抱く改造を行えば、本来の5名搭乗はできる、ことを意味する。
白菊は、巡航175km/h×6.57時間(480L)だと思う。73L/hあたりか?
燃費2割悪化と想定して、330L増槽×2であれば、13時間は飛行できそうだ。
片道4時間程度の偵察・対潜哨戒ミッションには充分対応できるだろう。

さて、昭和16年12月の時点、内戦部隊・鈴鹿航空隊の「定数」は、機上練習機144機+艦攻36機だ。
「訓練生の夜間航法訓練を兼ねて」、夜間対潜哨戒すら連日実施できるような態勢が組めると、
南方からのシーレーン防衛、も少しまともに行えた可能性が出てくる。
5人乗りの白菊だから、操縦員1+教官偵察員1+練習生3だろう。艦攻は教官のみで編成するか?
鈴鹿を本隊に、各地に派遣隊を、機練12機+艦攻3機をセットで送り出すのだろう。
 (例)シンガポール、ボルネオ島・クチン、ブルネイ、タラカン、パラワン島、マニラ、ルソン島北部、
 台中、嘉手納、鹿屋、大村(計11分遣隊)
この配置だったら、主要な原油輸入航路を、ほぼカバーでき、かつこの11箇所に、
敵潜水艦の交信を四六時中ワッチする専任の通信隊・分遣隊を配備できれば、よりまともになるだろう。
白菊そのものは、機構上どこにも無理がない機体だから、
開発する意欲さえあれば昭和16-17年に量産できるし、練習航空隊を活用すればスタッフもソコソコいる。