1 :
名無し三等兵 :
2014/02/18(火) 18:10:43.15 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 18:13:31.50 ID:???
南京大虐殺の定義 虐殺の定義 他の都市戦との比較検証 この辺がはっきりしてないと議論は無意味
3 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 18:20:23.04 ID:???
あと稚拙な否定論ぶちまけてスレ荒らすだけのネトウヨは出入り禁止にするべき
4 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 18:42:02.59 ID:???
>>3 みたいな「虐殺否定派」否定派がなぜ叩かれているのか、自覚ないんだな
5 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 18:48:34.09 ID:???
>>2 > 南京大虐殺の定義
ほとんどが日本軍の南京城入城後の軍民の虐殺だろ
笠原の数を増やしたいための拡大解釈は論外だろw
> 虐殺の定義
客観的に判断出来るのは国際法に照らし合わせて違法殺害なのかどうか
軍事的必要性内の戦死等なんでもかんでも虐殺にするのは論外
> 他の都市戦との比較検証
死者数で言えば南京戦より多い都市戦は多数あるなw
特に便衣兵等の民間人偽装兵士のいた戦場と比較するは有意義だな
6 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 18:57:19.68 ID:???
>>5 否定派にとっては日本軍による虐殺はないはずなんだから、地理的範囲が広くなっても虐殺は増えないはずでしょ
でも内心では、日本軍が広範囲で虐殺をしていたと認めてるって事か
南京攻略戦参加部隊による行為であれば、やはり南京事件に含めるべきだと思うけど
7 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 19:00:27.58 ID:???
南京大虐殺と喧伝されるのに 戦勝国のソ連ですら、ドイツに対してスターリングラード大虐殺とか非難しない事実 南京の件だけで議論重ねること事態が、中華の思う壺
8 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 19:06:32.14 ID:???
>>6 ほらまた虐殺の定義があいまいだw
定義をはっきりさせた上で
日本軍のそれが特筆されるとする理由を、論理的に説明してくれないとね
9 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 19:09:43.28 ID:???
>>1 >軍事面での記録等を列挙して、「南京大虐殺」を検証していくスレです。
出てくるのが軍事面と全く無関係な、敵性外国人の口から出まかせな話を列記しただけのシロモノである件について。
10 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 19:22:17.83 ID:???
軍事面での記録からは今のところひとつも いわゆる「南京大虐殺」の証拠は発見されてないよね まあ極東軍事裁判ですら存在を否定したんだから、当たり前だがw
11 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 20:13:13.64 ID:+y4xWqTD
30万人は上海から南京戦までに撃破された中国兵の数(戦死者、行方不明者)で この数を南京で虐殺された人数にすり替えたんだな。
12 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 20:14:35.59 ID:???
殺害数が500人のソンミ村虐殺でも歴史に残る事件なのだから、数万規模の南京は立派な大虐殺 パリでのドイツ軍もベルリンでのソ連軍も、こんな大虐殺はしていない 否定派はどこの戦場でもあり得る事と言いながら、どこの戦場も数万規模の虐殺なんてない なんだか否定派は必死だけど、個人の信仰告白とかいらないので
13 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 20:15:16.57 ID:By63PBPO
>>6 君の言う意味で「虐殺」という言葉を使うなら
むしろ古今東西で「虐殺」の無かった戦場を検証したほうが
よほど貴重で有意義な学術的示唆が得られるとおもうんだけど
学者ってのは馬鹿なのかね
14 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 20:19:16.32 ID:???
>>11 は南京軍事法廷で、どのように虐殺数30万人と認定されたか理解してる?
理解してるなら、上海〜南京間の戦死者がすり替えられた、なんて言わないはずだけど
15 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 20:21:00.16 ID:???
>>12 民間人犠牲者数
レニングラード包囲戦 670,000以上
日本本土空襲 330,000
原爆投下 310,000
スターリングラード攻防戦 40,000
バトルオブブリテン 27,000
さて虐殺の定義は?w
16 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 20:38:12.16 ID:???
蒋介石がやらかした「2.28事件」に届かないものを大虐殺呼ばれはないわ
17 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 21:03:20.49 ID:+y4xWqTD
黄河決壊事件で100万人もの自国民を殺した中国軍には敵いません。
18 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 21:03:28.62 ID:???
>>12 「軍事目標への巻添えによる犠牲者」と「市民の殺害そのものを目的とした犠牲者」は全く性質が異なる。
そして日本軍は「市民の殺害そのものを目的」とはしていなわけで。
それぐらいは理解出来るよな。
19 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 21:15:10.60 ID:???
>>14 地味な調査の積み重ねじゃなくて、杜撰なでっち上げで穴埋め式に30万を作り上げたんだから
すり替えで何ら問題ないでしょ
20 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 21:43:32.46 ID:???
なんか否定派は南京から目をそらそうと必死だな だいたいレニングラードの犠牲者は大部分が餓死で、あとは砲爆撃 南京は砲爆撃による軍事行動の犠牲者は、虐殺にカウントしていない 軍事行動とは別に、直接銃殺されたり銃剣や軍刀で殺害されたものだ とりあえず南京スレなんだから、他は考えずに南京に集中しとけ
21 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 21:47:08.68 ID:???
民間人虐殺の人数がダンチなのに何ほざいてるんだこいつ?
22 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 21:51:37.85 ID:???
否定派はどこの戦場でもあり得る事と言いながら、どこの戦場も数万規模の虐殺なんてない ↓ (フルボッコ食らう) ↓ とりあえず南京スレなんだから、他は考えずに南京に集中しとけ 何だコイツw
23 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 21:59:14.02 ID:???
>>20 >軍事行動とは別に、直接銃殺されたり銃剣や軍刀で殺害されたものだ
スレの目的を正面から否定していますねw
つ
>>1 >軍事面での記録等を列挙して、「南京大虐殺」を検証していくスレです。
24 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 22:02:05.08 ID:???
中国側の主張では、集団殺害28件19万人、個別殺害858件15万人で計34万人 死体は7万人が長江に流され、3万人が焼却され、その他5万人を含む計15万人分が日本軍により処理される 他に15〜19万人分の遺体が、埋葬団体その他に埋葬される 重複もあるだろうとの事で、30万人以上という言い方をしている
25 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 22:11:49.47 ID:???
まあ南京事件についての日本側の研究は、兵士2〜3万人と民間人1万5千人〜2万8千人でほぼ決着がつくだろう 兵士は戦闘詳報から、民間人はスマイス調査からの数字
26 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 22:32:46.04 ID:???
>>25 埋葬記録からみても南京戦での死者は3、4万程度だな
で問題なのは日本軍による違法殺害はどれぐらいあるかってこと
27 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 22:55:23.57 ID:???
埋葬記録は、特務機関の記録だと3万ちょっとで丸山氏の見立てでは1万人前後 ここから戦死者を除いた数が不法殺害の上限になるだろうね あと、揚子江の話しだが、南京の海抜は9m程度と日本と比較にならないほど河に勾配がない 仮に遺体を流したら下流の中洲や河原が遺体だらけになるのにそれがないって事は、 河にはほとんど流していなということですね
28 :
名無し三等兵 :2014/02/18(火) 23:10:55.62 ID:???
>>26 軍事面での記録等を確認する限り、少なくとも虐殺と呼べるほどの規模ではそんなものはほとんど存在しない
中国軍の損失は3万6千人。
南京衛戍司令長官部参謀処第一科長・譚道平氏
『南京衛戍戦史話』(東南文化出版、1946年刊)
〈戦闘兵 4万9000、雑兵 3万 2000、合計8万1000〉
「損失36000人、保存44500人」
29 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 00:11:54.67 ID:???
譚道平の回想は、いつの時点での損失と生存者なのか、よくわからないのよね 戦闘による戦死が3万6千なのか、日本側による捕虜・敗残兵処刑も含めての損失なのか なにより4万4千人も脱出に成功できたとは思えない 南京防衛軍の推測は、14〜15個師と軍直で8〜11万余 日本側発表の敵遺棄死体5万3874(12/27)や、遺棄死体8万4000捕虜1万0500(12/29)は盛ってるとしても 蒋介石秘録だと戦死6千なので、残り3万が虐殺とも考えられるが
30 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 00:26:14.50 ID:???
秦郁彦氏の犠牲者数推定方法は以下の通りだが、@〜E等の疑問点・問題点がある。 スマイス調査(修正)による一般人の死者2.3万、捕らわれてから殺害された兵士3.0万を基数としたい。 /秦郁彦氏「南京事件」P214 @一般人の死者2.3万 → ※下記「スマイス調査(修正)」参照 A兵士3.0万 → 表5 とらわれて殺害された中国兵の推計(単位:万人)/「南京事件」P210 →B、Cを考慮して、軍人犠牲者は3.0〜4.4万人とするべき B幕府山事件の犠牲者数 → 0.8〜1.5万程度の幅を持たせるべき C兵第38連隊(第16師団麾下)が12月14日に捕えた7200人の捕虜が入ってない → 0〜0.7万人を加算するべき しかし不法殺害としての割引は、一般人に対してのみ適用(2分の1か3分の1)すべきだと考える。/「南京事件」P214 2.3万 ×1/2(1/3)=1.15万(0.7666万)→ 約1.2万(約0.8万) D不法殺害としての割引を、2分の1〜3分の1にしている理由については言及がない つまり 3.0万+1.2万(8千)=3.8〜4.2万という数字 /「南京事件」P214 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
31 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 00:27:34.58 ID:???
※ 秦郁彦氏の「スマイス調査(修正)」 「スマイス調査(修正)による一般人の死者2.3万」の根拠 「農業調査」については、具体的には、次のようになる。 <スマイス報告> 死因 暴行 26,870人 (住民千人あたり25人) 病死 4,080人 (住民千人あたり3.8人) 合計 30,950人 (住民千人あたり28.8人) 板倉正明氏の「30万虐殺説虚構の証明 (続)南京大虐殺の数字的研究」(「ゼンボウ」S59年10月号)より、 板倉氏は「スマイス調査」における「1000人あたりの病死者数」が少ないことに着目し、「病死」の一部まで「暴行」 として報告されているのではないか、という疑問を提出している。 板倉氏は、バック教授の「中国における土地利用」の調査結果により、「病死」は「住民千人あたり7.4人」が正常値である、 とする。 秦氏の「スマイス調査(修正)」の根拠は、どうやらこれと考えられる。 よって 修正「暴行」死者数=30,950人×(28.8人−7.4人)/28.8人=22,998人 → 約23,000人 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Eこれは「農業調査」のみの数字であり、「市部調査」による「6,600人」がカウントされていない。
32 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 00:46:46.80 ID:???
>>29 南京衛戍司令長官部参謀処第一科長の譚道平氏の著書に「保存44500人」と書かれているんだが。
「4万4千人も脱出に成功できたとは《思えない》」
などというお前の思い込みには何の意味も価値もない。
「南京衛戍司令長官部参謀処第一科長」の記した軍事面での記録を否定するなら、せめてお前の勝手な思い込みや妄想以外の根拠を持ってこい。
つ
>>1 >軍事面での記録等を列挙して、「南京大虐殺」を検証していくスレです。
33 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 00:53:34.28 ID:???
>>27 まず紅卍会の埋葬は4月以降までかけて、計4万3110体
特務機関の3万は3/15までの埋葬数、見積もりも2月末までが埋葬5000体で、以後1日600〜800体がMAXだったのだから、3/15時点で5000+1万2000で1万7000体が限界だろうという見積もり
あと埋葬団体は崇善堂はともかく、紅卍会の他に南京衛生隊その他市民ボランティアなど複数ある
日本側でガソリンかけて焼却したり、塹壕前で処刑して埋めた死体など、埋葬記録だけでは死者の下限しかわからない
あと下関で処刑された死体は多数あり、渡河中の戦死者含め長江の死体は少なくない
それは村瀬守保の写真を見てもわかるし、工兵隊で竹竿使って流してる井出純二の写真もある
34 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 00:55:37.46 ID:???
>>29 秦郁彦「当初は10万、落城時は3.5万〜5万」
笠原十九司の《推定》w「約4万人が南京を脱出」
『南京事件』P208 秦郁彦 中公新書
当時の日本軍は前者を約十万(佐々木倒一回想録、飯沼日記など)と推定していたが、中国側や外国人居住者は約五万と見ていたようである。
日本軍が戦場で入手した張群思少佐のメモも五万と記していた。
五万と十万では二倍の開きがあるが、あるいは台湾の公刊戦史が記すように「当初は10万、落城時は3.5万〜5万」とするのが実体に近いかもしれない。
『南京事件』P223〜226 笠原十九司 岩波新書
わたしは、総数15万人の防衛軍のうち、約4万人が南京を脱出して再結集し、約2万人が戦闘中に死傷、約1万人が撤退中に逃亡ないし行方不明になり、残り8万人が捕虜・投降兵・敗残兵の状態で虐殺されたと推定する。
35 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 00:55:52.88 ID:???
井出純二軍曹・飛行第8大隊付(整備) さて、現場は歩哨も憲兵もいなくて立入り自由、写真撮影さえ可能で、いま考えると、なんとも不思議な話で、残虐シーンを次々にカメラに収めたが、数枚を除いてほとんど紛失してしまったのは残念である。 (12月)29日以降、明けて正月5日ごろまでの間に、少なくも3、4回は現場へ出かけたと思う。 鉄橋の手前で、収容所から運ばれてきたらしい20人ばかりの中国人捕虜がトラックから降ろされ、江岸へ連行されて行く。 さていよいよ処刑が始まった。 日本刀もあれば下士官用のダンベラを振りかざす者もいるが、捕虜はおとなしく坐りこんでいる。 それを次々に斬って、水面にけり落しているのだが、ダンベラは粗末な新刀だから斬れ味は悪い。 一撃で首をはねることができるのはかなりの名人で、二度、三度と斬りおろしてやっと首が落ちるのが大多数だが、念入りにやるのも面倒くさいのか、一撃して半死半生のままの捕虜をけり落していた。 傍まで行くと、40歳前後のヒゲの応召兵が「戦友○○のカタキ討ちだ。思い知れ」と大声で怒鳴りながらダンベラをふるっている。 その後もう一度同じような処刑風景を見たが、十数人の捕虜を乗せた舟を揚子江の中流まで漕ぎ出して捕虜を突き落し、舟の上から機銃で射ち殺しているところだった。 その前後、江岸にたまった死体を工兵隊らしい連中が、舟の上からサオとカギを使って流しているのを目撃して、カメラに収めた。
36 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 01:11:17.49 ID:???
>>33 村瀬写真を見てもわかるように、河に流しても海まで流れきれずに河原に打ち上げられるんですよ
37 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 01:16:16.34 ID:???
>>32 >>34 前スレで否定派は、根拠もなく〜と思うだの、ガセ認定だのしてたのに逆ギレかい
南京防衛軍の兵力だけでも、台湾の公刊戦史「当初は10万、落城時は3.5万〜5万」など、複数説がある
宗希濂・第78軍軍長兼第36師師長「南守城戦」
(当初の7万人前後に加えて)3個軍の実戦兵力計約4万人前後を新たに増加し、南京防衛の総兵力は約11万余人になった
譚道平も「回憶一九三七年唐生智衛い南京之戦」で、12月8日時点
「ここにいたり、南京防衛に参加した部隊はすでに10万人ほどに達した。」と書いてる
秦郁彦は脱出成功5600人生存捕虜1万0500、板倉由明は脱出成功1万4000生存捕虜5000を主張
つまり生存者を1万5000〜2万と考えてる
それに譚道平の回想が、いつの時点の数字か書いてないんだから、確定できないでしょ
たぶん南京陥落時点の数字だと思うよ
38 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 01:17:54.28 ID:???
>>35 井出純二氏「私が目撃した南京の惨劇」より
「私の南京入りは十三日の首都陥落から二週間以上遅れた十二月二十九日だから、それ以前のことは全く知らない。」
39 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 01:31:36.38 ID:???
>>37 「〜思う」などというのは軍事面での記録等を列挙する事ではないな。
>1を確認する事さえできないのか。
つ
>>1 >軍事面での記録等を列挙して、「南京大虐殺」を検証していくスレです。
40 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 01:58:38.01 ID:???
>>35 井出純二
「収容所から運ばれてきたらしい二十人ばかりの中国人」
「二十、三十歳代の男が主で、坊主刈りが多いので、便衣兵かなあと眺めていた」
「その後もう一度同じような処刑風景を見た」
人数は20人ほど、20、30代の男、坊主刈りで便衣兵と判断された連中。
日本軍は12月24日から良民証を発給している。
それによって摘出された連中が殺されただけ。
それを2回目撃したとすると殺害人数はわずか40名程度。
便衣兵と判断された連中がたった40名程度死んだら虐殺かw
41 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 02:15:09.92 ID:???
ラーベ日記(2月15日) いちばんショックを受けたのは、紅卍字会が埋葬していない死体があと3万もあるということだ。 今まで毎日200人も埋葬してきたのに。そのほとんどは下関にある。 (埋葬記録では、2月15日時点での紅卍字会の埋葬は約1万7000体)
42 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 02:20:24.06 ID:???
>>40 虐殺かどうかの認定に、人数は関係ないけど
それに目撃は、虐殺の部分的なものでしかない
敗残兵掃討は第一次7000、第二次2000なんだから
43 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 02:45:11.35 ID:???
>>41 仮に60日目一杯200人埋葬したとしても合計1万2000人
ラーベの情報源の数字が如何にいい加減か理解出来ましたか?
残り3万が実際に数えた数字である根拠はありませんね
44 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 02:50:05.55 ID:???
>>42 ではファルージャやアフガンやガザ地区では虐殺はなかったとでも?
「戦場で敵兵を殺したら虐殺」というのと同程度の低レベルな話ですねw
45 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 14:26:13.20 ID:IGauDomc
戦闘が有った後に死体が有るのは当然だから 死体の数が幾つ有ろうと虐殺の証拠にはならない 虐殺は妄想としか考えられんな。
46 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 22:07:13.38 ID:3odLFSps
「南京」の問題は、虐殺があったかどうかではない。 数の問題でもない。 「南京」は、「日本=加害者、中国=被害者」として (日本軍を悪者にする)ためのプロパガンダ。 アメリカは、原爆、東京大空襲虐殺を正当化するために、 「日本軍=悪者」というイメージが必要。 「通州事件」が世に出れば、「日本=犠牲者、中国=加害者」となり、 日本軍のイメージが一気に好転してしまう。 中国人は、故意に、「通州事件」を葬り去ろうとしている。 事実、Wikipediaの英語Tungchow Mutiny(通州事件)では、日本人大量 虐殺の部分が記載されるたびに、何者かによって消されてしまう。 「通州事件」を世にさらせば、中国、アメリカの主張は壊滅する。 中国は、「南京」の虐殺の有無、数の多少の議論に持ち込み、「通州事件」を消し去る作戦である。 日本は、この議論に応じず、南京はある意味無視して、まずは「通州事件」を英語で発信するべき。 Wikipedia英語では虐殺部分が、なぜが消されてしまうので、他のところに。
47 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 23:06:27.72 ID:???
48 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 23:38:46.10 ID:???
だから早く虐殺の定義をはっきりさせろって言ってるのに…
49 :
名無し三等兵 :2014/02/19(水) 23:42:09.71 ID:???
>>48 東京大空襲よりひどい奴でいいよ
10万人の無差別民間人虐殺
50 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 00:14:16.26 ID:???
だから国際法に基づいて違法殺害であったかだろ 否定〜中虐殺派はほぼ同じ認識だな。大虐殺派は数を増やしたいために死者=虐殺って感じだけどw でその中虐殺派の捕虜殺害違法論も東京裁判ですら違法認定されない行為だし日本政府も被害者として認定してない 国際法の素人の説でしかない 結局南京戦での違法殺害・虐殺の根拠はほとんどないのが現状だね
51 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 00:55:48.43 ID:???
中間派の拠り所となっている立氏の見解だが、「国際慣習法違反だ」と書いてあるため 却って権威が「所謂便衣兵処刑を不法とする成文法は存在しない」ことを認めている そして肝心の「国際慣習法違反」だが、戦勝国の不法行為が不問とされたり 東部戦線の独ソ合わせて50万の殺害が問題にされなかったことで 「国際慣習法」として成立していなかったのは明らかですね
52 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 10:48:44.37 ID:???
譚道平による各師別の兵力は 第2軍団(41、48師)18,000 第66軍(159,160師)7,000 第83軍(154,156師)5,500 第74軍(51、58師)6,000+7,000 第36師7,000 第87師6,500 第88師7,000 教導総隊11,000 103、112師憲兵、軍直部隊6000 となり、12個師と憲兵2個団及び軍直で、合わせて戦闘員49,000と雑兵(後方支援)32,000の計81,000となる 中国の師は2旅からなるが、教導総隊のみ3旅で軍官学校生徒も含む 36師87師88師は、ドイツ式装備と訓練を受けた蒋介石直属の精鋭部隊 本来南京防衛軍は14個師その他のはずだが、まだ到着していない部隊もあったようだ 上海戦で消耗した部隊が多いのだが、一応補充もあり、防衛軍の40%は装備も貧弱な間に合わせの新兵だ 1師あたり平均7000名で、戦闘員4000名と後方支援3000名、うち2000名が新兵という部隊が多く、消耗してる部隊は1師2000名とかになる
53 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 11:09:01.47 ID:???
「補充」といっても当時の中国は強制連行してたよね 民間人が縄にしばられて兵隊として強制連行されていく写真も残ってる このように「兵士」にされた人やその家族は民間人だと答えるだろうな スマイスの「民間人」の被害調査の中にこういう人たちが多くいたと指摘してる人は そういう事情があるからだろうな
54 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 11:29:17.94 ID:???
>>53 『拉夫』というやつですね。
戦場近辺で市民を誘拐し銃をいきなり持たせて兵士に仕立て上げる中国軍の伝統。
男とあれば誰彼構わずに有無を言わさずしょっぴいて「無差別」に徴兵していたというやつですね。
まあ軍隊に所属した以上軍人ですので、元が市民だろうと軍人が戦場で死亡するのは当然かと。
55 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 13:18:34.76 ID:???
拉致は人夫の徴発でしょ 逆に陣地構築に参加した民間人人夫まで、敗残兵扱いされて掃討される始末 師のうち戦闘員はともかく、後方支援の雑兵・民夫・民工は、日本で言えば輜重や通信と軍属ってとこか 日本軍でも船員や料理人・洗濯夫を軍属にしたり、土木技術者や労働者などを陣地構築や飛行場設営に動員しているが 軍属の民間人を、戦闘という扱いで殺害するのはどうなんだろう
56 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 13:27:40.98 ID:???
拉致じゃねえ、拉夫だ訂正 南京防衛軍は当初、教導総隊・36師・88師と憲兵2個団のみで、増援は12月にならないと到着しない部隊もあり、攻略戦開始時に未着の部隊もあり、外郭陣地も未完成だった 「抗日戦史」による兵力配備は、 ・水西門、中華門、武定門、雨花台−88師 ・玄武門、紅山、幕府山、ゆう江門−36師 ・光華門、中山門、太平門、天保城−教導総隊(一部が烏龍山要塞) ・定准門、漢中門、清涼山−憲兵主力 外郭地帯(板橋鎮、淳化鎮、湯山、竜漂の陣地)−第2軍団、第74軍、第83軍(6個師) 増援部隊−66軍、71軍、74軍、83軍、103師、112師 概ね南京城北部を36師、東部を教導総隊、南部を88師、西部を憲兵の配置で、その他外郭陣地と、増援の為に南京へ向かう途中
57 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 13:28:20.09 ID:???
「後方支援」といえば戦場のはるかうしろのほうというイメージだが、 実際は一番立場が弱い、それら強制連行された人々が塹壕の中に鎖を足でしばりつけられて 日本と戦わされ多くが戦死したというのが南京戦場の実態ではないか
58 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 13:35:27.37 ID:???
教導総隊は紫金山で第16師団と戦闘、88師は第6・第114師団と雨花台で戦闘し、その後城内へ撤退して、城門付近の戦闘に移る 逃げ遅れた中国兵は付近部落で抵抗するが、掃討されて南部の中華門付近では1350人程が捕虜になったとか 長江対岸の浦口に侵攻して、退路を絶った国崎支隊の戦闘詳報にも 松江で5286人(11月9〜10日) 北橋鎮で733人(11月12日) 湖州地区で650人(11月19〜24日) 浦ロで625人(12月12〜13日) 揚子江中の江興洲で2350人(12月14日) と1万人程度の捕虜の記録があるが、捕虜のその後の行方は知れず
59 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 14:00:23.46 ID:zOlbTtkC
>>55 当時、中国では戸籍が未整備だったので
兵卒は兵隊狩りで一般市民を捕まえて強制的に軍に入隊させられ
其の為に戦意が低く、行軍しただけで逃亡兵が続出したり
陣地に兵士を鎖で繋ぐとかトーチカに外から鍵を懸ける
督戦隊が後方から監視する等が普通に行われていた
兵力装備で勝る中国軍は機動戦が出来ず、戦力では劣勢な日本軍の浸透作戦に敗れた。
60 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 14:16:35.82 ID:???
>>55 日本でも軍属が大量に戦犯法廷にかけられて処刑されたものも少なくない
日本軍はダメでアメリカは良いなんて理屈はありえませんね
61 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 16:11:53.93 ID:???
後方支援の雑兵は、輸送補給や伝令で、戦闘には参加してないんだけど 戦闘兵でさえ武器が充足せず、小銃の代わりにモーゼル拳銃とか、新兵は靴もなく裸足だったり あと戦犯裁判にかけられた軍属って、どういう容疑で? 因みに洗濯夫とか従軍僧などの軍属は、当然軍服を来ていないけど、捕まれば捕虜資格を持つ
62 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 16:16:49.07 ID:???
否定派の敗残兵掃討に関する主張って、軍服を脱いだゲリラだから国際法違反で処刑した説と、敗残兵掃討は戦闘だから戦死扱い説があるから、紛らわしい
63 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 16:30:24.17 ID:???
>>61 「捕虜資格を持つ」という事は「交戦資格を持つ」という事なので武装の有無、戦闘参加の有無に関係なく攻撃の対象なんだけど。
「敵対武装勢力の構成員」であれば、靴もなく裸足の新兵だろうと、武装せず軍服も着ていない洗濯夫だろうが、従軍僧などの軍属だろうが、問答無用で大砲を撃ち込もうが、無差別に機関銃を掃射しようが何も問題ありませんが。
64 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 16:43:39.56 ID:???
>>61 捕まれば捕虜資格を持つかもしれませんが、日本軍がそれを認めてやる必要はどこにもありませんが。
自分の意思で白旗を揚げた連中でさえ受け入れる義務はありません(ハーグ陸戦条約 第32条、第33条)。
まして他者(日本軍)によって逃亡という戦闘行為を中断させられた連中は、投降の意思表示(白旗)を行っていません。
いくら捕虜資格を持っていようと「投降しなかった」のだから攻撃が続行されて当然です。
65 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 17:03:14.63 ID:???
虐殺の定義は「無差別の民間人大量殺害」でやって貰わないとな 「日本軍最大の汚点」が捕虜の処刑じゃ格好付かないでしょうが
66 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 18:57:33.14 ID:???
国際法云々になると不毛な話になるので、このスレでは何人殺害されたか、捕虜は何人いたか、その捕虜はどうなったか、などの事実確認にとどめた方が良さそうだな 国際法は専門家に任せればいい あとハーグ陸戦規則第23条では、禁止事項として 特別ノ条約ヲ以テ定メタル禁止ノ外、特ニ禁止スルモノ左ノ如シ。 ロ 敵国又ハ敵軍ニ属スル者ヲ背信ノ行為ヲ以テ殺傷スルコト ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト としている 捕虜以前に投降時の殺傷も、助命すると騙して殺害する背信行為も禁止されている
67 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 19:21:12.27 ID:???
まあ結局のところ、世間や世界がどう見るかなんだけどね 捕虜をたくさん殺しました、民間人もたくさん殺しました 30万人ではないけど、恐らく数万単位になります 敗残兵掃討は戦闘行為です、半分近くは民間人だったかもしれませんが でも30万人ではないし、無差別虐殺でもなく、できる限り努力しました 中国は嘘つきで日本は無罪です、なんて主張しても誰も耳を貸さないだろう 30万人でなく3万人だったとして、それで何か変わるのか
68 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 19:33:54.83 ID:???
あとは、敗残兵は武器を持たず、捕まえてから後ろ手に縛って拘束し、抵抗できる状態ではないですが、降伏せずに逃げていた連中なので、殺害しても戦闘行為で合法です この主張を世界が認めてくれるか
69 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 19:44:08.78 ID:???
>>66 南京で支那兵が「降ヲ乞ヘル」行為を行った事を証明してください。
また『「降ヲ乞ヘル敵」は必ず助命しなければならない』という理由はありません。
信夫淳平著『戦時国際法提要』〔1943年〕
又事実最後まで頑強に抵抗する敵に対しては勿論のこと、会々その中に若干の乞降者ありとしても、一々之を識別して助命の斟酌を之に加ふるなどは、
戦場の実情が之を許すまい。
例へば敵が塹壕に拠りて頑強に抵抗し、我方之を撃破すべくそこに突入し、或は手榴弾を投し、或は銃剣にて敵を縦横に斬捲くる際にありては、敵の兵
器を捨て降を乞ふ者と否とを識別するの余裕ある筈は無い。
最後の瞬間に於て乞降着の助命に気を取られたり、俘虜として収容することに力を殺いだのでは、急ぎ抵抗者に止めを刺すに機を逸し、作戦上の迅速な
る奏効を狂はすことにもなるから、獅子猛進の突撃兵としてそれを顧慮などの遑なく、必然壕内の敵兵を十把一束的に殺傷するは勢の到底避け難き所で、
それは作戦上の絶対必要が命ずるのであるから、之を違法視するは当らない。
70 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 20:01:58.65 ID:???
>>67 イラク戦争の民間人犠牲者数は約80,000-87,000人だそうですが。
米軍は「敗残兵掃討は戦闘行為で、最新兵器を使い目標を選別し、民間人の犠牲者を抑え、無差別虐殺でもなく、できる限り努力しました」と言ってるようですが。
世間や世界の見方は関係ないようですが。
このスレの目的は世間や世界の見方を変える事ではないでしょうにw
つ
>>1 >軍事面での記録等を列挙して、「南京大虐殺」を検証していくスレです。
まあその結果、「世間や世界に対し正しい情報を発信している」という側面はありますがw
71 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 20:53:11.09 ID:???
>>69 >南京で支那兵が「降ヲ乞ヘル」行為を行った事を証明してください。
有名な佐々木到一日記でも
「午後2時頃概して掃討を終って背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進和平門に至る。
その後俘虜続々投降し来り数千に達す。激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。」
と上官が制止してるのに、兵が勝手に投降兵を殺害してる
幕府山事件でも、山田旅団長の日記で
12月14日
「他師団に砲台をとらるるを恐れ、午前4時半出発、幕府山砲台に向う、明けて砲台の付近に到れば投降兵莫大にして始末に困る。」
と投降してきてる
72 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 20:55:36.55 ID:???
>>66 ハーグを適用出来るのは義務を守った者だけなので便衣化兵は適用外だね
さらにいうと両国第三国が認めた戦争ではなく事変なのでハーグは適用されるわけではないんだよね
日本は準用すると言っているけどね
あと公に捕虜は取らない方針も取ると明言すると戦争になってしまうからね
>>67 変わるだろw
海外の認識は数十万の軍民無差別虐殺であり大半が民間人の虐殺で非難されてるのに
事実は正当な軍事目的で民間人目的の虐殺もなく違法殺害と言えるものはほとんどありませんでした
なんだからなw
>>68 すでに東京裁判で認めてるじゃないですかw
73 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 21:03:05.80 ID:???
あと、必ずしも〜しなくてもいいってのは、全くする必要はないって意味ではないと理解してる? それはあくまでやむを得ない状況の場合のみ、例外的な事例の場合だ 現場の気分で今日はそういう気分じゃないから受け入れない、なんて主張は通らない 助命しないのであれば、それが真にやむを得ない状況であると証明しないと それにその場で殺害するならまだしも、一旦捕らえて武装解除や身体検査して、拘束した状態なら、それは戦闘行為でなく捕虜でしょ
74 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 21:04:02.49 ID:???
>>71 上官が制止してるし、>69の信夫淳平の言うケースに当てはまる。
>69
>又事実最後まで頑強に抵抗する敵に対しては勿論のこと、会々その中に若干の乞降者ありとしても、一々之を識別して助命の斟酌を之に加ふるなどは、
戦場の実情が之を許すまい。
幕府山事件は投降者の有無に関係なく、反抗した捕虜の鎮圧であって日本軍にも戦死者が出ていますよ。
「処刑」で何で戦死者が出るんですかね。
75 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 21:11:21.03 ID:???
>>73 そういう法的根拠ができたのは1949年のジュネーブ条約からですが。
1937年の南京戦当時は捕虜にする判断は指揮官の自由裁量ですが。
『南京事件と戦時国際法』 佐藤和男
一九二九年捕虜条約をさらに大幅に改善し拡大した一九四九年のジュネーブ第三条約(捕虜の待遇に関する条約)の第五条は、「本条約は、第四条に掲げる者〔捕虜の待遇を受ける資格のある者〕に対し、
それらの者が 敵の権力内に陥った時から最終的に解放され、且つ送還される時までの間、適用する」、「 交戦行為を行って敢の手中に陥った者が第四条に掲げる部類の一に属するか否かについて疑いが
生じた場合には、その者は、その地位が権限のある裁判所によって決定されるまでの間、本条約の保護を享有する」と規定している。
足立純夫『現代戦争法規論』
1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていたが、1949年条約はその考え方を根本的に修正し、敵要員を捕獲した瞬間から
最終的にそれらの者が解放送還されるまでの間、捕虜の待遇を与えるよう、その始終期を判然と定めた(第5条第1項)。
76 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 21:17:14.03 ID:???
>>68 南京の比較対象は、大戦で起こった都市での戦闘。 東京、広島、長崎、マニラ、ロンドン、ベルリン、レニングラード・・・・
何れも民間人無差別大量殺害がつきものだから、兵士の殺害は本来問題となっていませんね
南京では無差別の民間人大量殺害が認められないから、無理やり論点をずらして捕虜の殺害を論点にしているとしか思えません
「世界が納得するか」という視点なら、最低限ゲルニカ超えかどうかあたりで線引するべきだね
77 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 22:03:09.90 ID:???
>>64 いや、それアホが誤解しているだけだぞ?
第三三条[軍使を受ける義務] 軍使ヲ差向ケラレタル部隊長ハ、必スシモ之ヲ受クルノ義務ナキモノトス。
部隊長ハ、軍使カ軍状ヲ探知スル為其ノ使命ヲ利用スルヲ防クニ必要ナル一切ノ手段ヲ執ル事ヲ得。
濫用アリタル場合ニ於テハ、部隊長ハ、一時軍使ヲ抑留スルコトヲ得。
要するに軍使といいつつ単なる偵察行為をやるような場合は拒否できるって話で
ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト
は明らかに禁止行為だ。
78 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 22:04:54.85 ID:???
>>69 その文章を見てわかるとおり、
>獅子猛進の突撃兵としてそれを顧慮などの遑なく
という話であって、南京の虐殺と言われるものは戦闘中のそればっかりなんか?
むしろそれはまったく無視されているようなw
79 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 23:13:38.88 ID:???
>>77 >ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト
これを文言のまま適用すると、散々銃弾を撃ちまくって味方を殺した兵隊でも
銃弾が尽きて降参したら反撃することも禁止される
そんな理由なのか戦争の中では死文化された規則だよね
80 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 23:26:47.17 ID:???
81 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 23:32:16.83 ID:???
というか自軍の兵士にそういう戦い方をしてもらいたいから 何の利益ももたらさない報復殺人しないよう、 上層部としたらもっとも丁重に扱いたがる捕虜ですよ? 死文化どころか現代ですら生きている状況ですけど
82 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 23:35:50.01 ID:???
>>77 降伏する場合は休戦交渉の使者として白旗が使用され、その白旗を拒否できるなら降伏の意思を相手に伝える事は出来ません。
兵器や自衛手段の有無と白旗は無関係です。
兵器や自衛手段を有していても白旗を揚げる場合もあれば、兵器や自衛手段を有していなくても白旗を揚げない場合もあります。
兵器を捨てようが、自衛手段が尽きようが、降を乞へようが、相手が受け入れる義務はありません。
占守島では第91師団がソ連軍へ白旗を掲げた軍使を派遣していますが射殺されています。
83 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 23:44:03.62 ID:???
>>81 第二次大戦で、当時どの国も守らなかった死文化された規則を振りかざして日本軍を糾弾ですかw
よほど日本が嫌いなようで
84 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 23:44:37.67 ID:???
>>77 国際法学者の見解
佐藤和男『南京事件と戦時国際法』
次に、ハーグ陸戦規則第二十三条(ハ)は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞へル敵ヲ殺傷スルコト」を禁止し、同条 (ニ)は「助命セサルコトヲ宣言スルコト」を禁止している。
しかし、激烈な死闘が展開される戦場では、これらの規則は必ずしも常に厳守されるとは限らない。
『オッペンハイム国際法論』第二巻の第三版一九二一年)は「戦闘に伴う憤怒の惰が個々の戦士にこれらの規則を忘却、無視させることが多い」と嘆いているが、このまったく同一
の言葉が、同書の第四版(一九二六年)にも、さらには弟六版(一九四〇年)にも、第七版(一九五二年)にさえも繰り返されている。
学説上では、助命を拒否できる若干の場合のあることが広く認められている。(P314)
第一は、敵軍が降伏の合図として白旗を掲げた後で戦闘行為を続けるような場合である。一般に、交戦法規は交戦国相互の信頼に基づいて成立しているので、相手方の信頼を
利用してそれを裏切ることは、「背信行為」として禁止されている。具体的には、休戦や降伏をよそおって相手方を突然に攻撃すること、戦闘員が民間人の服装をして攻撃すること、
赤十字記章や軍使旗を不正に使用すること、などがその代表的な ものである。(P314-P315)
なお、優勢に敵軍を攻撃している軍隊に対して、敵軍が降伏の意思を示すペき白旗を掲げた場合、攻撃軍の指揮官は、 白旗が真に敵指揮官の降伏意思を示すものであると確
信できるまでは、攻撃を続行することが法的に許されており、攻撃を停止しなければならない義務はなく、戦場における自己の安全の確保のために交戦者の主体的判断が尊重さ
れる事例となっている。
85 :
名無し三等兵 :2014/02/20(木) 23:59:56.20 ID:???
>>81 「敵の手中に陥った者」と「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)は全くの別物ですけど。
『南京事件と戦時国際法』 佐藤和男
一九四九年捕虜条約は、一九二〇〜三〇年代の捕虜に関する国際法規に比較して飛躍的に進歩した内容を示していて、もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、
少なくとも右の第五条に見られる 「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは限らないことを示唆している 点におい
て、注目に 値しよう。
86 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:23:04.95 ID:???
>>82 ,84,85
佐藤和男ですかw
まあいいですけど
>学説上では、助命を拒否できる”若干の場合のある”ことが広く認められている。
自己論破ですかw
白旗掲げているのに攻撃してくるよう場合は裏切りだから助命を拒否できますよって話ですよね、これ。
南京ってそうでしたっけ?
>「敵の手中に陥った者」と「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)は全くの別物ですけど。
いやまた自己論破ですか?
>少なくとも右の第五条に見られる 「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは”限らないことを示唆している” 点において、
もっともこの場合、どういうのが別なのか彼は述べていないので
何をさして別というのかよくわかりませんが。
下手をすると手中に陥りながら権力内にない反乱行為を起こした者という可能性すらあります。
彼の南京問題に関する指摘の問題点は、そういうこともあるという指摘をしておきながら
南京ではそうであったという論証がかけている点なんですがね。
簡単にいうと殺人のすべてが違法ではなく正当防衛もあるよという指摘はするけど
この場合は正当防衛だという論証があんましされてないんだよね。
>>83 はい? どの国でも守らなかった例があると守らなかったとはまったく違いますけど?
87 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:28:44.55 ID:???
ちなみに南京での具体例でいうと 相手が白旗掲げて降伏の意志を示したのに 問答無用で攻撃を続行したという例があります。 ”戦場における自己の安全の確保のために交戦者の主体的判断”といえば聞こえがいいですけど、 白旗が真に敵指揮官の降伏意思を示すものであると確信するための行動を一切行わなければ、 まんま国際法違反の虐殺に他なりません。 というか国家がそんな馬鹿なこと認めるわけ無いんだよね。 白旗あげてるならさっさと認めて武装解除させたほうが得なんだから。 要するに佐藤がいってるのは特殊な例外を拡大解釈して存在するよといってるだけで、 実際の南京とは関係ないことを述べているに過ぎません。
88 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:33:40.13 ID:???
>>86 戦勝国で守られなかった例で、起訴すらされていないのが問題ですね
89 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:35:33.50 ID:???
>>86 南京は司令官が逃亡してますので統一された降伏は不可能でしたが。
信夫淳平著『戦時国際法提要』〔1943年〕
大部分が白旗を挙ぐるも、小部分とはいへ尚ほ抵抗する敵兵ある限りは、乞降の意思の不統制に由る責は我方之を負ふべき筋合でないとして、
その白旗に我方亦敢て顧念するの要なしと解したい。
この見解聊か酷に失するの嫌あらんが、苟も一人にても抵抗者ある限りは、我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。
90 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:39:14.76 ID:???
>>87 (3)田岡良一著『国際法V』〔1973年〕
・・・・例えばハーグ陸戦条規第二三条(二)号「no quarter」を宣言することの禁止(投降者不助命を宣言することの禁止)は、何人も知るように「軍事的必要条項」を含んでいない。
しかるにウェストレークの戦時国際法によれば、
「この規定が実行不能な場合として一般に承認されているのは、戦闘の継続中に起る場合である。このとき投降者を収容するために軍を停め、敵軍を切断し突撃することを中止
すれば、勝利の達成は妨害せられ、時として危うくされるであろう。のみならず戦闘の継続中には、捕虜をして再び敵軍に復帰せしめないように拘束することが実行不可能な場合が多い」。
91 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:40:26.26 ID:???
戦時国際法論』立作太郎著 1931年 凡そ戦時重罪人は、軍事裁判所又は其の他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。 然れども全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法上禁ぜらるる所と認めなければならぬ。 国際慣習法を出しているのは、成文法であるハーグ法やジュネーヴ法違反じゃないことを間接的に認めていますね
92 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:42:07.45 ID:???
>>87 オレ様理論で国際法学者の見解を否定できるつもりなのかw
足立純夫著『現代戦争法規論』〔1979年〕
陸戦規則第23条は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト」を禁止し、一旦敵人員が降伏の意思を示した以上は、軍事上の必要性をもってするも、
この禁止規則を無視することは許されず、敵人員の降伏の時をもって実力行使を停止すべき明確な一線をここに設けている。
この規定に拘らず、敵部隊が降伏記号たる白旗を掲げた場合には、事態により敵に対する射撃を中止する必要はなく、また、敵部隊の指揮官が麾下部隊に全面降伏を命
じた後において、その命令に反して射撃を中止しない敵人員がいる場合には、それに対し引続き攻撃を加えることができる。
93 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:45:37.40 ID:???
>>91 「戦時重罪人」を「処罰」する場合の話であって、「戦闘」を継続する場合は関係ありませんね。
さらに必要なのは「審問」であって「裁判」ではないという事ですね。
94 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:50:23.24 ID:???
>>87 捕まえた敵兵に反撃された例や、武装解除したはずなのに武器を隠し持っていた例がありますが。
「証言による『南京戦史』8」より、六車政次郎氏の証言
『・・・・大隊は15日頃、城内の宿舎を割り当てられ、17日頃城内に移駐したよしであるが、私が原隊復帰後に、城外掃蕩に任じていた小隊長から、次のような話を聞いた。
「1ヶ小隊で中山門東方紫金山中の警備を担当したが、激戦により小隊は約三十名に減少していた。夜半、東方の山中から敗残兵数百名が、日本軍が居るのに気付かず、南京に向かって来たのを捕えた。
しかし、我々の人数が少なく、もし少人数と判れば危ないので、銃を取りあげ凹地に集結させ、外側の兵のみを電線で縛って逃げないようにした。
ところが、日本軍が少人数とあなどったのか、手榴弾を投げつけてきて暴れだし、収拾がつかなくなったので、軽機・小銃で弾丸のある限り射った。小隊長も、、手向かってくる敵を斬りまくり刀が折れた」』
「証言による『南京戦史』9」より、島田勝巳氏(歩兵第三十三連隊第二機関銃中隊長)の遺稿
「中国兵は、小銃を捨てても、懐中に手榴弾や拳銃を隠し持っている者が、かなりいた。紛戦状態の戦場に身を置く戦闘者の心理を振り返ってみると「敵を殺さなければ次の瞬間、こちらが殺される」
という切実な論理に従って行動したのが偽らざる実態である。」
95 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:52:29.49 ID:???
96 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:52:42.25 ID:???
>第二次大戦で、当時どの国も守らなかった死文化された規則を振りかざして日本軍を糾弾ですかw 死文化してたのは日本軍だけだったようですねw 柴田賢次郎『樹海』 彼等はかうして日本軍に投降しをはると、瞬間喜々とした表情で安堵の色をあらはす。 刀折れ矢は尽きた、吾々の仕事は終了せり、と、彼らは先づ自分自身の安全であったことを祝福するのである。皇軍の将兵には、まことに不可解な彼等の態度である。 「戦争は生命を賭けたスポーツだ」と或る米人捕虜が笑って言った言葉が、脳裡から消えない。 抵抗するだけ抵抗して、いけなくなれば手をあげる。さうして自分の戦争は終了せりと宣言する。これはバタアンの米比軍将兵全体の考へであった。 まことに危険な憎悪すべき思想だ。(P171) どっちもどっちな独ソの捕虜ならともかく死文化されていたというなら 例えばほとんどの装備を失うまで戦い続けたファレーズ包囲戦における5万人の捕虜は 皆殺しにされたんですよね?w なにせ連合軍の損害は死傷者併せて20万だっていいますし。
97 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 00:56:18.76 ID:???
>>96 リンドバーグはご存じない?
法に沿った行動をとった事例があることじゃなくて、法を破っても不問とされた事例があることが問題なんですよ
98 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 01:02:23.23 ID:???
>>90 投降者不助命を宣言することの禁止と降伏者の虐殺がなにか関係あるんですか?
そもそも日本軍は投降者不助命を宣言したんじゃなく、
無宣告で実行しているはずですが。
>>92 ?? 俺様てきみのことか?
>この規定に拘らず、敵部隊が降伏記号たる白旗を掲げた場合には、事態により敵に対する射撃を中止する必要はなく、また、敵部隊の指揮官が麾下部隊に全面降伏を命
>じた後において、その命令に反して射撃を中止しない敵人員がいる場合には、それに対し引続き攻撃を加えることができる。
このことをいってますけど? 命令に従って射撃を停止しているのに攻撃することは許されませんって話だわな。
日本の虐殺とやらは戦闘を継続している相手についてのことをいってたのかいなw
そんな人がいるなら教えてくれや。どのレスなんだい?
>捕まえた敵兵に反撃された例や、武装解除したはずなのに武器を隠し持っていた例がありますが。
そうだね、隠し持っていたり反撃してきたなら射殺しても問題ないね。
隠し持っていたり反撃してくるだろうから調べもせずに殺すのは非合法だね。
というか、これ、小銃を捨てさせただけでまともに武装解除といった取り調べもしないで殺したから虐殺って話でしょ。
99 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 01:03:39.15 ID:???
>>97 うん知ってるよ。
リンドバーグがそういう話を聞いたという話だよねw
さすがに誰がいつやったのかもわからない話で
法を破っても不問とされた事例があるってのは無理でしょ。
>>99 リンドバーグの告発があってもアメリカ政府は動いていないし死文化されていたと見て間違いないでしょ
不法行為が問題とされていたのなら、彼がいつ何処で従軍していたのか判っているんだから調べる努力ぐらいするものだ
>>98 では南京で捕虜になったものはいないとでも?
支那軍は南京防衛司令官唐生智が逃亡し、組織的に降伏が不可能になった為、部隊ごとに攻撃、逃亡、降伏を行い日本軍はそれに対応しただけです。
降伏が受け入れられ捕虜になった者もいれば、降伏が受け入れられなかった者もいるというだけの話でしかありません。
>>92 おっ、ちょうどいい機会だから聞くよ。
佐藤和男氏の『南京事件と戦時国際法』には、佐藤氏の手抜きというか、論拠が全く書かれていない。
いきなり結論が出てくる。これでは、佐藤氏の願望を述べてるだけと言われても仕方がない。
「詳述は割愛」「本稿では詳述する余地がない」とか誤魔化しているので、南京戦の検証を全くやって
いないのはバレている。
だから、佐藤氏は論文を書けなかった、論文を書くつもりはなかった、当初から論文もどきを書いて素人を
煙に巻いただけ、とも言える。
そこで、佐藤氏に代わって論拠を述べてもらいましょうか。 保存するので、詳細にお願いしますよ。
>>98 >というか、これ、小銃を捨てさせただけでまともに武装解除といった取り調べもしないで殺したから虐殺って話でしょ。
武器を隠し持っている時点で武装解除に従っていませんので問答無用で射殺されて当然ですが。
>>100 リンドバーグは告発なんかしてないが?
日記に書かれたものでその公開は死後、1970年とかの話だぞ?
だからそういう話をきいたという話だっていったのになにをいってるんだ?
告発者wも死んでいるのに、
終戦後25年もたってから調べる努力をする国があったら教えてくれないかね。
日本軍の民間人虐殺とかは当時の日本の軍法に照らしても非合法行為だが、
戦後誰か一人でも日本政府の手によって処罰されたかね?
何十年もたってからさ。
>>104 その言い訳が通用するなら、そもそも南京大虐殺は全く問題じゃなくなるだろw
当時責任があった立場の人間は全て死んだから終わりだ
大体リンドバーグの件は、彼以外に当時の上官が知らないはずがないだろ
知っていて放置したのは明らかだ
>>103 >武器を隠し持っている時点で武装解除に従っていませんので問答無用で射殺されて当然ですが。
はい? 隠し持っている奴を殺したのは問題としてませんよ?
まともに調べてもないので武器を使用するまでわからないことですから、
使用したのでやむを得ず射殺したのは是であるといってますしねえ。
”別の場所で”武器を隠している奴がいたから
まともに調べもせずにこいつも隠しているだろうと殺したから問題と言っているのがわかります?
ま、要するにもってようがもってまいが調べようともしないだけの話です。
>>105 ごめん、その論点のずらし方の意味がわからない。
>大体リンドバーグの件は、彼以外に当時の上官が知らないはずがないだろ
>知っていて放置したのは明らかだ
だからリンドバーグがそういう話をきいたということを日記に書いただけで、
誰も告発なんかしておりません。
はっきり言えば噂話を書き留めたレベルだってことなんですよ。
これで憲兵なりを動かせると言えば・・・
君が警察に人殺しをしという日記をみつけた、場所はわからないってと持ち込んで
相手にされると思います?
>>107 事件は一件二件じゃないから、厳密に不法行為だと徹底されていれば憲兵に通報するはずだよね?
事件当時死文化されていた証拠ですよ
>>102 検証も何も南京戦では「日本軍と支那軍の間では休戦協定は結ばれていない」。
これが結論ですが。
休戦が成立していない以上、いつ、どこを攻撃しても問題ありません。
論拠はこれだけで充分です。
唐生智は日本軍に降伏していないし、それどころか徹底抗戦を命じている。
司令官は不在で、統一された指揮下での降伏は不可能、それどころか部隊ごとに抗戦。
交戦相手を殲滅するのは当然ですが。
>>106 >まともに調べもせずにこいつも隠しているだろうと殺したから問題と言っているのがわかります?
別に問題になりませんが。
一人でも抵抗する限り攻撃を中止する理由はありません。
抵抗の有無に限らず「乞降の意思の不統制」に該当する場合、自軍の兵士の安全を犠牲にする必要はありません。
つ>89
>信夫淳平著『戦時国際法提要』〔1943年〕
>
>大部分が白旗を挙ぐるも、小部分とはいへ尚ほ抵抗する敵兵ある限りは、乞降の意思の不統制に由る責は我方之を負ふべき筋合でないとして、
>その白旗に我方亦敢て顧念するの要なしと解したい。
>この見解聊か酷に失するの嫌あらんが、苟も一人にても抵抗者ある限りは、我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。
>>109 それでは、私の質問に対する回答になっていない。
佐藤和男氏の『南京事件と戦時国際法』の、結論に至る論拠は何だ?
ということ。やはり答えられないですね。休戦協定なんて関係ありません。
>>111 関係ありますよ。
日本軍と支那軍の間で休戦が成立していれば相手への攻撃は休戦協定違反になります。
しかし、日本軍と支那軍の間では休戦協定は成立していませんので攻撃を中止する理由がありません。
漠然と「佐藤和男氏の『南京事件と戦時国際法』の、結論に至る論拠」と聞かれても答えようがありません。
質問するなら「○○頁の△△という結論に至る論拠」というように具体的に提示してください。
その程度は理解出来ますよね?
やっぱりスレが泥沼になってる あとさあ、他国もやってるからとか言ってたのがいるけど それって交通違反で免停されたり、万引きで捕まった奴が「他の奴もやってる」って、逆ギレするようなもんでしょ だから何?それで免停や万引きがなかった事になるの?って感じで 他の奴もやってるてのは、免罪符にならないんだがなあ
>>109 の理屈で言うと、太平洋戦争で日本軍が降伏したり休戦を求めた部隊はないから、米英は日本兵を殺し放題
投降や捕虜を受け入れる義務はないから、皆殺しでおkて事になるな
>>113 それは対象者の大半が規則を守っている万引きなどでは成立するが、誰も守っていない1km/h程度の速度超過では成立しないだろ
僅かな速度超過は死文化していて警察が見つけても捕まえることはない
他国のほとんどが守っていない規則を基準に不法だと糾弾するのは単なる嫌がらせだ
>>114 「休戦」の意味を理解できてます?
もう少し軍事の基本的な知識を身に付けた方がいいですよw
>>108 >事件は一件二件じゃないから、厳密に不法行為だと徹底されていれば憲兵に通報するはずだよね?
だからお前の言ってる意味が本当にわからないんだが?
まず、リンドバーグは現場をみたわけでもなければ、そういう噂話を聞いたに過ぎないので
お前さんはどうやって”事件は一件二件じゃないから”とわかったんだい?
>他国のほとんどが守っていない規則を基準に不法だと糾弾するのは単なる嫌がらせだ
成立するよ? 殺人が普通に行われるようなルワンダとか無政府地帯で虐殺すれば糾弾されないとでも思ってるの?
なにせどっちも不法行為だ。
そんでここは南京検証スレだから南京は不法だと糾弾?するのは当然でしょ。
>>111 横だけど佐藤と南京の奴ならこれだと思うぞ
その二は、戦闘中に集団で捕えられた敵兵の処断である。同じように戦闘中に捕えられながらも釈放された支那兵が多数いたことを見れば(前出『南京戦史』第五表を参照)、
日本軍の側に捕えた敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図が無かったことは明白である。具体的な 熾烈な戦闘状況を調べてみると(本稿では詳述する余地がない)、
日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した場合のあったことが知られる。
『オッペンハイム 国際法論』第二巻が、多数の敵兵を捕えたために自軍の安全が危殆に瀕する場合には、捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよいと断言した一九二一年は
、第一次世界大戦の後、一九二九年捕虜条約の前であって、その当時の戦時国際法の状況は、一九三七年の日支間に適用されるペき戦時 国際法の状況から決して甚だしく遠いものではないことを想起すべきであろう。
つか、元レス1,2個たどると「○○頁の△△という結論に至る論拠」というように具体的なこれしかないんだがw
佐藤和男って、自分の主張の根拠について、肝心な部分のはずなのに 「本稿では詳述する余裕がない」とか、「知られている」とか、結局根拠を書いてないのよね 肝心な部分なのに省略してどうすんだと
日本軍に緊迫した「軍事的必要」が存在した「場合のあったことが知られる。」って表現は、 なかった場合もあるって事でしょ 具体的にどういう場合が「あった場合」に相当するのか示さないとか それと日本軍が南京で実際に捕虜を解放した例って、そんなに多くないと思うんだけど 単に部隊によりけりな事をもって、日本軍全体がそうであるかのように言う
そう思うなら計画的絶滅作戦(ホロコースト?)があったことを証明すればいいんじゃね? 実際は処断、釈放、収容等、対応が分かれてることが確認できるから 佐藤氏の言うとおりそんなものなかったことは明白だけど
>>116 じゃあ軍事的基礎知識のあるあなたが、具体例を示してくださいな
>牛島司令官や雨宮24師団長は最後の1兵まで敢闘せよ、いやしくも敵の捕虜にはなるなと指導された如く、指揮官は不降伏主義の建前を崩されなかった。
>然し、米陸軍公式戦史によると日本人の6月20日(戦闘終盤)現在の捕虜は軍人2480人だが、その後は米軍の熱心な呼びかけに応じて毎日1000人内外の投降者が出ている。
>1944年11月、日本兵の死者100名につき捕虜の比率は1だったが、2ヵ月後には 60:1になり、その3ヶ月後には 30:1と捕虜の比率が高まった。
>1945年7月までに日本兵の死者7名につき捕虜1名の比率となった。
>1945年初頭、フィリピン戦で捕まった捕虜の46%は、連合軍のプロパガンダ・リーフレットに影響されて投降した。
みたいに、日本軍も指揮官は徹底抗戦を求めたけど、末端の兵士は個別に投降してる
>>121 こちらが捕虜解放を部隊によりけりな事で、日本軍全体ではないと書いた事への反論が、
「対応が分かれてる事が確認できる」って返しは、反論になってない上に、こちらの主張と同じじゃない
>敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図が無かったことは明白である 佐藤氏とは反対に、あんたはこれが日本軍全体であったと思ってるんだろ? それを証明すればいいんじゃね?
>>124 誰かここまでにそのような計画があるといった、
あるいはそう誤解できるようなレスがあったらおしえてくれないか?
それを阻止すべき日本軍全体で阻止しようとする行動が極めて少なかったのは事実ですが。
というか・・・佐藤氏こそ自分の主張した国際法の例外規定であることを認識した 日本軍全体による行動であることを証明すべきじゃないのか、これ。 ほとんどすべての現場の指揮官の判断に丸投げって・・・ しかも30名という小隊レベルの現場指揮官にまでw 師団長とかなにをやってたんだって話だよな、佐藤氏の理屈なら。
127 :
名無し三等兵 :2014/02/21(金) 13:34:46.72 ID:19QNhc9D
>>114 実際に太平洋戦争では日本兵の捕虜は少なく米英は日本兵を殺し放題に近い状態だったようだ。
佐藤和男の主張を読むと、法の適否の前提となる歴史認識が、「わが国の幾多の研究者の積年の努力によって、大虐殺論はほぼ完全に否認される状況」とか その歴史認識を担ってるのが、鈴木明・田中正明・東中野修道・板倉由明って、随分と偏ってる 一応南京戦史は参考にしてるみたいだけど、前提となる歴史認識が間違ってたら、法の適否以前の問題じゃないか あと松井石根の「陸軍次官通牒」や「南京城攻略要領」を出して、日本軍は国際法を遵守する並々ならぬ決意って 攻略要領なんて何一つ実現してないんだけど、松井個人の決意があっても実行されなきゃ何の意味もない しかも「国際法を遵守する並々ならぬ決意」に反して、佐藤が主張してる事って、「こういう場合は違反してもいい」とか国際法の抜け道の説明で、とても遵守する決意があるように見えません
あと「南京城攻略要領」にある、「安全区への立入禁止」は日本軍に対して立入禁止と注意してる事なのに それを以て敗残兵が立入禁止区域に侵入したから、反逆行為で軍律違反とか言ってるのはなんなの 安全区委員会が管理する安全区に侵入したら、日本軍への反逆行為になるなんて理屈、初めて聞いたわ
>>130 中国軍が自分で勝手に設定した非武装地帯を安全区委員会が「自分達が管理している」と言ってただけ。
実際には武装した中国兵が入り込み、委員会も十分な武装解除をせず、それどころかラーベは将校を匿ったりした。
その為安全区は日本軍から認められなかった。
安全区が「非武装地帯」だった場合、中国兵が侵入したら戦時重罪の軍律違反だと言っているだけ。
論点ぐらい理解してください。
>>118 それは「国際法学者の佐藤和男がそのように判断した」ということですね。
他の国際法学者から否定されているならともかく、国際法学者の専門家である佐藤和男の判断に論拠を求める理由が理解できません。
「立作太郎や信夫淳平の判断に論拠を求める」なんて話は聞いた事が無いんだけど。
ただいちゃもんを付けたいだけですね。
>>117 リンドバーグの書き記した事件はリンドバーグ以外誰も知らなかったんですか?
彼以外にも告発できる者は幾らでもいましたね。でも、全ての人が問題無いと判断したんですよ
下
一般的な速度超過の事例がNGで、ルワンダの極めて特殊な事例が当てはまる理由を書いてもらえませんか?
どう見てもアンタのいちゃもんです
>>112 これなら答えられますね。期待してるよw
>多人数が軍律審判の実施を不可能とし(軍事的必要)― 軍事史研究家の原剛氏は、多数の便衣兵の集団を審判することは
>「現実として能力的に不可能であった」と認めている―
原剛氏の論文では、「予想もしない大量の捕虜・便衣兵が発生してこれに対応できなかった点は斟酌すべき面もあるが、
だからといってこれが合法であったとは言い難い」と述べている。また原氏は、南京占領時の日本軍は危機に瀕しては
いなかったのであり軍事的必要論は適用できない、とも書いている。
このように軍事史専門家の意見と全く逆の結論を出すなら、その結論に至った過程を詳述し論拠を明らかにする必要が
ある。佐藤氏に代わって述べてください。
>熾烈な戦闘状況を調べてみると(本稿では詳述する余地がない)、日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が
>存在した場合のあったことが知られる
「本稿では詳述する余地がない」と肝心のところを省くようでは、ただの結論ありきで説得力はない。
佐藤氏に代わって「熾烈な戦闘状況」を記録を基に詳述して、緊迫した「軍事的必要」が存在したことを証明をしてください。
>>134 で、日本軍全体に敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図があったことの証明は?
>>131 全然違う。南京の安全区は上海の安全区をヒントに発案されたもの
11月17日にベイツ・ スマイス・ミルズの3人が、アメリカ大使館のウィリヤ・ペックに難民区の計画を説明し、アメリカ大使館を通して中国当局と日本当局への交渉仲介を依頼
中国当局は承認したが、日本当局は承認せず、アメリカ大使館の圧力で渋々攻撃目標にはしないとしただけ
匿ったとか関係なく、日本は当初から安全区を承認していないのに、その承認していない安全区に侵入したら反逆行為て主張は矛盾してる
それと佐藤の主張通り本当に安全区が立入禁止なら、そこへ侵入した日本兵も全員処刑すべきだと思うがね
>>132 歴史学者だって自分の主張には根拠を示している
歴史学者という権威だけで、無条件に主張が通るなんて事はなく、それは法学者でも同じ
>>135 日本軍による絶滅計画がないとどうなるの?
そんな極論を出されても、絶滅計画がなくても実際に殺害してるんだから、何の意味もない
>>136 は日本軍が承認していない「非武装地帯」に侵入する事が、なんで戦時重罪になるんだって意味ね、念の為
日本軍自身の認識は、「敗残兵の掃討」であって戦闘の継続という感覚 軍律違反だの戦時重罪人だのは全く意識していない 便衣兵(ゲリラ)という感覚さえない、単に正規軍兵士が軍服を脱いで隠れているから、中国兵は残さず掃討するというだけ 便衣兵だの軍律違反だの戦時重罪だのいう主張は、いずれも日本軍自身の認識とは違う戦後の後付けに過ぎない
>>137 結局自分で言ってる事を証明できないということだね
根拠もだせないやつが根拠を示せとかよく言えたものだ
>>134 >だからといってこれが合法であったとは言い難い
不法となる根拠法が存在しないのは、原氏が論拠にしている立氏が「国際慣習法違反」と指摘していることからも明らかですね
国際慣習法の成立自体も怪しいんですが
>>141 それについては軍事的必要性について詳述しようとしない佐藤氏がいえるようなことではないですがw
してないので絶対とはいわないが、
彼の言ってるのは基本的に軍事的に必要だったと言えばすべて合法ってレベルの気がするなあ。
>>136 >で、日本軍全体に敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図があったことの証明は?
で、日本軍全体に捕虜を保護する計画的な意図があったことの証明はまだ?
わら人形理論を振りかざすのはうざいし、いい加減、そういうことしないとごまかせないって理解したほうがいいよ?
有名なソンミ村虐殺も米軍全体に敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図がありませんでしたな。
で、なに?って話ですがw
>>128 ではお答えしましょう。
そのような意図で発言したことはありませんから、
あなたの言いがかり、よくいって誤解に過ぎません。
そして私以外の発言者にも同じことを何度もいっているようですから、
あなたは言語関連の障害を負っているだけですので
ここで繰り返すよりは病院に行って医師に相談することをオススメいたします。
そうでもなければあなたの疑問が解決することはないでしょう。
>>140 出たよ、自分は都合悪いと答えず、他人にばかり答えさせようとするパターン
>>137 は俺だけど、俺は実際に釈放されたケースは多くないとしか言っていない
絶滅計画があったなんて、誰も言ってないけど
たぶん佐藤和男は38連隊の捕虜7200人も、釈放されたと信じてるんだろうなあ
他人の言っていない事には反論して、それ以外の言われてる事には反論しない(できない)のね
こっちは答えたんだから、今度はそっちが答える番だよ
↑きみ人格障害?
否定派が反論できずにいってもないことをいってるとして答えを求めるすばらしい姿に 南京の実像が見えてくるような気がしますなあ。 君が見ているのは反論できない悔しさで 誰も言ってない君が反論できる安易な幻想でしかないよw その幻想は医者にかかることでしか治せないから こんなところで否定派を背中から打ちまくってないではやく病院にいったほうがいい
単に発言者が複数いるだけなんだけど、話をそらしてごまかそうとせずに、質問されてる事に答えたら?
同じ時間帯に登場して自作自演とな 頭沸いてるな
ああ、結局答えられないから、そうやってごまかすしかできないんだね
>>141 はい、やはり結論ありきでした。
佐藤和男氏を盲信してる人が、彼の主張する説について全く答えることができないのは何故か?
溺れる者は藁をも掴むと言うが、掴んだ藁がい○ち○臭いことを書く法学者だったとはね。
まだ存命らしいから、本人にきちんと聞いてきたら?w
ごまかすも何も俺はまったく質問されてないが? あほが沸いてたから面白いなと
>>142 立氏の話が不都合だからって、いきなり戦数論に論点ずらしかよw
原氏を出したのは君なんだから責任をもって答えてくれないかな
>日本軍全体に敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図があったことの証明は? 何だ? この藁人形叩きは。何の意味があるんだ?
>>154 人違いだ。IDがないから、誰が誰やら分からんな、ここは。
「日本軍の側に捕えた敵兵を組織的に絶滅させる計画的な意図が無かったことは明白である」 はは、分かった。質問された側が答えられないので出した、苦肉の策の質問返しね。いつもの。
国際法を理解してない奴が多いな
国際戦時法は慣習法であり、みんながやっているから成り立っているんだよ
逆にみんながやっていない事は成り立たないわけね
それも承認調印した国家間通しでしか通用しないし
一方が守らなければ復仇も認められてるし、法を破る軍事的必要も否定されていない
国際戦争は相互主義であり日本軍を非難するなら中国側は国際法を順守してたかということ
で中国軍はどうだったかというと捕虜は殺しまくるし便衣作戦は行うし上海で民間人は殺しまくるし
国際法を守る気すらない軍だったわけだw
大体南京戦の原因(上海事変)も混乱(便衣化中国兵)も中国側が国際法を守らないのが原因なわけだ
虐殺派は中国側の責任は問わないけど日本側の責任は追及するよなw 反日目的だからなんだろうけどw
>>113 相互主義の戦時慣習法と国が仕切る絶対的な国内法と比較するのは全くの的外れでしかない
>>117 ルワンダの民族内紛ような民族問題と国家間戦争と比較するのもこれもまた全くの的外れ
だから他もやってたとか言っても、日本の評価が改善される訳でも、日本がやった事がなかった事になる訳でもないっての
>>157 んで、それは南京大虐殺 検証スレになにか関係ある話なのかね?
関係あるとしたら日本は方針として戦時報復としてそういう行動をとったわけかいw
>ルワンダの民族内紛ような民族問題と国家間戦争と比較するのもこれもまた全くの的外れ ルワンダが嫌なら国際法違反の場ならどこでもいいですがw ルワンダ並みにどっちも法律違反って結論はなんもかわりませんし。 的外れな反論ですなあ。
>>138 安全区の掃討の結果、摘出されたのは『敗残兵』ですよ。
戦時重罪で処罰された記録でもありますか?
日本軍は安全区を承認していないのだから通常の戦場と同じように対応したという事ですね。
さらに日本軍が安全区を承認していた場合は戦時重罪の適用も可能という事でしかありません。
歩七戦闘詳報
自 十二月十三日 至十二月二十四日
南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊
二、刺射殺数(敗残兵) 六、六七〇
>>158 国同士がニュートラルな立場で結ぶ多国間条約は基本相互主義なのは常識でしょうが
仮に守るべき国と守らなくていい国があるとしたら、守らされる国は批准も加入もしないだろ
佐藤説を一所懸命否定したい虐殺派の心情は分かるけどw 東京裁判ですら違法認定しなかった事実はどう反論するの?日本政府も被害者として認定してないしw 便衣兵捕虜殺害違法論は国際法の素人しか主張してない現実はどう思ってるのかな?w 大体捕虜殺害にしても(幕府山は反乱だけど)、ほとんどが入城進軍中のことだろ、 占領過程であり便衣兵問題や南京の占領治安や貧民の面倒等が優先されるんだから 自軍の戦力を割いてまで捕虜の保護解放を優先してまでやる義務はないわけで 軍事的必要があった状況であるとも言える訳だ
>>158 相手の軍が国際法を順守してた、してないで評価は全然違いますがw
善人、悪人を殺す事もあなたの評価は一緒なのですか?頭大丈夫ですか?w
>>159 慣習法であり他の事例と比較する重要性がある事が分からない虐殺派がいるから説明してるんですよw
戦時報復も理由の一因となりますねw
>>160 民族紛争と国家紛争と一緒に比較してるアホさ加減に気付きましたか?w
>>161 はあ、またかよ
今度は戦時重罪で処罰された記録を証明しろとでも言い出すのかね
>>130-131 の流れを完全スルーとは恐れ入った
こっちは佐藤和男の主張が矛盾していて、おかしいと言ってるんだけど
佐藤和男の主張
>各国軍隊は、軍律を制定して、戦争犯罪を処罰の対象として規定し、軍律違反者たる戦争犯罪人を、軍の審判機関(軍律法廷)を通じて処罰するのが慣例であった
>その一は、「安全区」に遁入・潜伏して、便衣(民間人の平服)に変装した支那兵の摘出・処断である
>日本軍当局は、この安全区を正規の中立地帯として公式に承認することはしなかったが、軍隊の立入禁止区域の設定という趣旨は諒として
>出入を禁止されている区域である安全区に逃げ込むことは、軍律審判の対象たるに値する戦争犯罪行為(対敵有害行為)を構成すると認められ、
と安全区に敗残兵が侵入するのは、戦争犯罪行為だとか言っちゃってる
しかも立入禁止の根拠が、日本軍向けの注意事項である「南京城攻略要領」だ
日本軍は安全区を承認していないはずなのに、そこへ敗残兵が侵入すると「戦争犯罪行為」だと言い出す
いろいろ言ってる事がおかしい
「戦時重罪で処罰された記録」とか言うなら、佐藤和男に求めてくれ
佐藤和男の『南京事件と戦時国際法』は学術論文だと言っていたコテハンの馬鹿がいたなw
矛盾点・疑問点を指摘して質問しても、誰もまともに答えられずに誤魔化して逃げ去っている。
それでも、
>>163 のように嘯いてふてぶてしい態度の馬鹿が今だにいる。
>>165 はあ?軍律というものを理解してます?
軍律の対象は《帝国臣民以外の人民》ですよ。
支那兵は対象外です。
ただし便衣を着用した支那兵は捕虜資格を失いますので「対敵有害行為を行った《帝国臣民以外の人民》」と見なされるだけです。
中方軍令第一号
中支那方面軍軍律左記の通定む
昭和十二年十二月一日
中支那方面軍司令官 松井石根
中支那方面軍軍律
第一条 本軍律は帝国軍作戦地域内に在る帝国臣民以外の人民に之を適用す<但し中華民国軍隊又は之に準ず軍部隊に属する者に対しては陸戦の法規及慣例に干する条約の規定を準用す>
第二条 左記に掲ぐる行為を為したる者は軍罰に処す
一、帝国軍に対する反逆行為
二、間諜行為
三、前二号の外帝国軍の安寧を害し又は其の軍事行動を妨害する行為
第三条 前条の行為の教唆若は幇助又は予備、陰謀若は未遂も又之を罰す 但し情状に因り罰を減軽又は免除することを得
第四条 前二条の行為を為し未だ発覚せざる前自首したる者は其の罰を減軽又は免除す
>>167 なにその的外れな返しは
こっちの主張内容理解してる?
>>165 実際に「立入禁止区域に侵入した敗残兵が反逆行為で軍律違反に問われた例」が存在するならともかく、
「敗残兵」として摘出された記録はあっても、「戦時重罪犯」として処罰された記録はない。
現実に「戦時重罪犯として処罰された記録」が存在しないのに何が言いたいんだ?
佐藤和男が言ってるのは安全区が成立していた場合の仮定の話。
その程度も理解できないなんて呆れるわ。
>>166 学術論文絶対ダー!の虐殺派のお馬鹿さんですか?w
歴史学会の南京事件の学術論文は歴史学者じゃない原、板倉氏の数千〜2万の捕虜殺害説くらいしかなくて
それ以上の被害の歴史学者の秦、笠原氏説を主張出来なくなってしまって壮大に自爆してしまったという・・・w
大体私は佐藤説は一学説だと思ってますがこれだけを根拠にしてませんよw
東京裁判ですら違法認定しなかった事実はどう反論するの?日本政府も被害者として認定してないしw
便衣兵捕虜殺害違法論は国際法の素人しか主張してない現実はどう思ってるのかな?w
結局最も重要な東京裁判や日本政府見解に反論が出来ないからって
ただの一学説に過ぎない佐藤説をdisって鬱憤を晴らすことしか出来ない哀れな虐殺派の姿ですねw
ところで南京大虐殺なるものがあったっていう物的証拠を誰も提示しようとしないのは何でなの?
あった派の話を聞いてると、捕虜の処分が南京大虐殺ということなのかな?
だって、あった派が喚く民間人虐殺事件は「夏事件」だけで、人数にして11人だけだからね 11人で大虐殺ってサッカーの話ですかw
ここは軍事板であって法律板ではないんだがなあ
>>164 >慣習法であり他の事例と比較する重要性がある事が分からない虐殺派がいるから説明してるんですよw
>戦時報復も理由の一因となりますねw
つまり関係の無いことですね。
そういう慣習法はあるけど南京では使われなかったので
はっきりいえばわかって無くても問題ありません。
だから聞いたんですよ、南京で日本軍は戦時報復を宣言して捕虜を殺したのか、と。
こっちのいってることがわかってますか、あなた?
>民族紛争と国家紛争と一緒に比較してるアホさ加減に気付きましたか?w
うん、君がなんとかして揚げ足だけをとりたいのはよくわかったよ。
そのレスで撤回しているので、はあそうですか以外の感想があるとでも?
>>163 >自軍の戦力を割いてまで捕虜の保護解放を優先してまでやる義務はないわけで
国際法の素人がいうことですね。
>佐藤説を一所懸命否定したい虐殺派の心情は分かるけどw
>軍事的必要があった状況であるとも言える訳だ
佐藤説を一生懸命肯定したい君の心情もわかるけど、
肝心の佐藤がそこのところの論証から逃げているので
それはまさに国際法の素人の主張ですよ。
・・・つかもしかして東京裁判について
なにも読んだこともないんじゃないかってレベルの話してるのに気づいてない??
>>163 >南京の占領治安や貧民の面倒等が優先されるんだから
>自軍の戦力を割いてまで捕虜の保護解放を優先してまでやる義務はない
それって日本軍の無能無策ぶりを示してるだけなんだけど
南京陥落で捕虜が出る事も、占領統治の必要も容易に予測できるのに、捕虜の収容後送も軍政計画も何の準備もしていない
占領後迅速に軍政に移った北京とは大違いで、住民の給養も安全区の管理も国際委員会任せ
自治委員会の発足が1月からで、半月も政治的空白状態
そんなのを「軍事的必要性」とは言わない、ただの怠慢だ
既に12/13に南京は陥落し、勝敗には直結しない無抵抗な敗残兵掃討のみ
自軍が緊迫した危機的状況にある訳でもない
自軍の兵士も満足に食わせられないのに貧民の面倒ねえ 逆に町中で徴発・略奪してたけど
当時の日本軍師団は4単位制で、城内に入城したのは各師団1個連隊だから、残り3個連隊ずつは手が空いてるはずだけど 結局のところ、捕虜を食わせるだけの、食糧の余裕がないというのが最大の要因
>>179 俺もそう思ってたけど、南京落として50万石の米を得た記録がある。
単純計算で50万人が1年食える量だ。
それを実際に食うことになってまずいと文句をいう手記もね。
まあ、こもっていた兵士の数やもともといた住人の数からして
著しく多いとはいえないが、食糧不足だから捕虜を食わせられないというのは無理。
捕虜の処刑された日からみて、次の攻撃のために移動しなくならなければならなかったので
どうしたらいいのか方面軍からの指示すらなく、現場で適当に処理した感があふれてる。
こんなものを軍事的必要性とはいわん。
>>172 前スレでは民間人の拉致殺害も扱ってるが
ただ捕虜や敗残兵の話は、日本軍の戦闘詳報や陣中日記など比較的記録が多く、人数や状況なども確認しやすく、検証しやすいから
>>170 >学術論文絶対ダー!の虐殺派のお馬鹿さんですか?w
未だに否定論の論文を出せない捏造改竄派の馬鹿に「お馬鹿さん」呼ばわりされる筋合いはないw
論文なんていらないっていう、トンデモの屁理屈はやめてくれよ。
現状に異議を唱える方に立証責任があるから、否定するには論文が必要だ。ただし、これは国内向けだけ。
日本は「この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています」としているから。
>大体私は佐藤説は一学説だと思ってますが
馬鹿。「佐藤説は一学説」だって寝ぼけた戯言を言うなよ。学説の意味が分かってるのか?
>東京裁判ですら違法認定しなかった事実はどう反論するの?
違法でなかったら、松井石根はなぜ有罪判定されて死刑になったんだ? 明確に答えてもらおうか。冤罪か?w
>>170 >便衣兵捕虜殺害違法論は国際法の素人しか主張してない現実はどう思ってるのかな?w
馬鹿。なぜ今更国際法学者が違法だと主張する必要があるんだ? 東京裁判で違法認定されてサンフランシスコ
平和条約に調印しているのを知らないのか?
それに「便衣兵」と書いてるが、南京に便衣兵がいたのか? いたというのなら、便衣兵がいて日本軍と
交戦したという記録を出してくれ。
>結局最も重要な東京裁判や日本政府見解に反論が出来ないからって
それは、お前等否定派の妄想だろう。東京裁判や日本政府見解は、南京事件があったことを肯定している。
そこまでお前は頭がおかしくなっているのか? 狂ってるな。
東京裁判君は関わると面倒くさいから、あまりいじらない方がいいよ ずっと同じコピペを貼るだけだから
そこで日本軍占領直後の南京の食糧事情について 第1号文書(12月14日) 「国際委員会は当面、住民に食を与える米と小麦粉を貯蔵し、地区内の民警の管理に当たっております。 以下のことを委員会の手で行なうことを要請いたします。 3.地区内において米の販売と無料食堂の営業を続行することを許可されたい a われわれは市内の他の場所に米の倉庫を幾つかもっているので、貯蔵庫を確保するためにトラックを自由に通行させて頂きたい」 この最初の要求については12/15に特務機関長から回答があったので後述 第5号文書(12月16日) 「今朝、国際委員会のメンバーは、これらの一般市民に給食するためトラックで日本側歩哨線を突破するのに、必死の努力をしました。 昨日、当委員会の外国人メンバーは、私用の車を日本兵により何度も徴発されるところでした。」
第14号文書(12月27日) 「12月1日に前南京市長馬氏が、安全区内の住民の保護に関する責任を当国際委員会に委託したさい、氏は米3万担、小麦粉1万袋を、市民の食糧用として当委員会に譲渡しました。 12月1日から12月11日の間に、当委員会は1万担の米と1,000袋の小麦粉を安全区内に何とか運び込むことができました。 残りについては、戦闘が終結した後すみやかに確保できればと思っています。 12月14日付の手紙で、当委員会は市内の他の場所に貯蔵米を持っており、それを確保するためにトラックの自由通行許可が欲しいと注意を喚起しました。 12月15日正午の回答として、貴軍特務機関長は既に移送した1万担の米は自由に使用してよいこと、他の倉庫に関してはその場所を調査し警備にあたる旨を述べたのでした。 今日に至るまで、われわれは市の他の場所へトラックを運行させて貯蔵米を確保する許可を得ておりません。」 南京市長から難民の為に委託された米3万担のうち、既に安全区に運び込んだ1万担のみ使用可能で、まだ他の地域にあった残り2万担は手に入らず それを取りに行く為のトラックの通行許可も出なかった
14号文書続き 「中国軍は10万担の米(当方の3万担とは別に)を南京郊外に保管しておりましたが、その大部分は南京占領の際貴軍の手中に落ちました。 それで、20万市民を養うために、前記2万担の米を我々が確保することを、許していただけるようお願い致します。 地区内の各家庭の手持ちの米は急速に減少しつつある一方、当方の米の配給に対する需要は急速に増加しています。 もし我々が全住民を養わねばならないとすれば、当方の予備食料は一週間ともたないでしょう。」 つまり日本軍は中国軍が備蓄していた10万担を確保したのだから、既に食糧は充分なはずで、市長から委託された残り2万担を難民区が確保する許可を要請している 因みにラーベは後に、「安全区の約25万人の難民に対して1日に2000担の米(あるいは一日に1600袋)が必要」と言ってるので、2万担でも難民の10日分程度
第22号文書(1月17日) 「以下のような要請を行いましたが、その件につきいまだに何の回答も得ておりません。 (1)1月14日、米と石炭の売買価格での配給が再開されるのはいつになるか知らせてほしいこと。 自治委員会の手を経て米を販売するという取り決めが失敗してから、明日で1週間になるが、それ以来、正規の配給は行なわれていない状況です。 (2)1月13日、当方が上海商業銀行から買い付けた米と麦を運搬するために必要な通行書を与えてほしいこと。 (3)1月15日、上海から600トンの食糧を船で運ぶのに必要な通行許可書を与えてほしいこと。」 1月に発足した傀儡自治委員会が、南京の食糧管理を行う事になるが、自治委員会は難民区の配給米まで売却してしまったり、安全区委員会には食糧を売り惜しみする始末 日本軍は難民への食糧供給に全く無頓着で、逆にトラックの妨害など嫌がらせをする始末 日本軍の略奪暴行で治安も悪く、避難民は無料食堂へ行く事もままならない
第28号文書(1月27日) 「前南京政府が当委員会に支給した食糧の引き渡しを早くから要請しましたし、後には救援事業のための食糧買入れの申し出をしました。 しかし、後者の申し出は当局によって拒絶されました。 そうこうするうちに、市内では余分な米はごくわずかしか手に入らなくなりました。 そこで、各人手持ちの米の貯えも尽きつつあるし、当委員会の食糧も底をついてきましたので、 当方は最初の要求、つまり前南京政府によって当委員会に支給された食糧全部を引き渡して下さることを改めて主張せねばならないと思います。 12月2日に我々は米15,000袋の支給証、更に同5日に米5,009袋分の支給証をそれぞれ受理しました。 我々は、このうち8,476袋だけ運び入れる事ができ、別に下関収容所の難民に600袋割り当てました。 つまり全部で9,076袋(11,345担)の米を受け取りました。 しかし、2つの支給証の合計は2万袋になっていますので、日本軍が12月13日に南京市を占領した時まだ当委員会に引き渡されていなかった10,933袋の米だけはまだ要求することができるわけなのです。 当方が支給証の書類を持つ小麦粉1万袋の方は全然受け取っておりません。 我々は1000袋の小麦粉を運び入れましたが、それは亜細亜火油公司から手配されて大東製粉公司から贈られた、まったくの別個のものでした。 米 支給証発行分20,009袋 実際受理した分9076袋 12月13日の前にも後にも入手できなかった分10,933袋 小麦粉 支給証発行分10,000袋 受理した分なし 12月13日の前にも後にも入手できなかった分10,000袋」
結局自治委員会から食糧を得られず、代わりに上海で購入した食糧も移送許可が出ないので、国際委員会は最初の要求である、南京市長から委託された米と小麦粉の受け取りを改めて要求する これらの交渉経過を見るに、国際委員会がいなかったら確実に餓死者が続出していただろう 日本軍は危うく25万人の難民を餓死させるところだった
>>177 >既に12/13に南京は陥落し、勝敗には直結しない無抵抗な敗残兵掃討のみ
>自軍が緊迫した危機的状況にある訳でもない
勝敗が決まって敗残兵が全員一斉に無抵抗になったなら危機的状況にないと言えるかもな。
投降とは「抵抗しないという意思表示」のなのに、「無抵抗だが投降しない」というのはどういう理屈だ。
日本軍が所謂便衣兵以外の捕虜をやたら処刑したことにしたいようだが 確実なのは幕府山事件のうち1000人程度だけだよね 幕府山はもう少し多い可能性もあるけど、確実なのはこのライン
>>191 捕虜を受け入れない理由として「軍事的必要性」を出しているから、陥落後は危機的状況にもなく、勝敗にも直結しないから、軍事的必要性など存在しないと主張したんだけど
>>192 日本軍が何人の捕虜を得て、そのうち何人の捕虜が生存したと思ってるんだ
幕府山事件もそのうちやるつもりだが、殺害は12/16〜17の二晩に渡り、1000人どころじゃない
南京戦史でさえ3000人説だぞ
南京戦史での捕虜処断数は1万6000名 通常は捕らえてからの殺害数2〜3万名(うち敗残兵掃討9000名)なんだけど 確実なのは1000名とか何を言ってるの 捕虜以前の投降時の殺害も入れたら更に増えるよ
>>193 .194
1000人を確実に上回るというなら、厳密に証明できるんだね!
ぜひ聞いてみたいものです
>>191 >「無抵抗だが投降しない」というのはどういう理屈だ
投降すれば殺害されるという噂が伝わっていたんだろうね。だから慌てて便衣に着替えた。
>>192 >確実なのは幕府山事件のうち1000人程度だけだよね
1000人程度という数字は、一体どこから出て来たんだ?
>>196 両角氏の数字が幕府残事件諸説の下限だからですね
他に鉄板の事件ってありました?
>>197 内容の極めて怪しい両角業作の手記が根拠ね。両角氏の創作が疑われているのに。
1000人程度の根拠はこの部分かな?
「我が銃火により倒れたる者は、翌朝私も見たのだが、僅少の数に止まっていた」
東京裁判の便衣兵に対する起訴内容は「民間人を兵士だと偽って処刑した」という言いがかりです 裏を返せば、兵士と偽ってなかったら問題無いということです つまり、検事でさえ便衣兵の処刑自体は問題無いと言っていますね
>>198 彼の手記を完全否定出来たものが居ないのだから下限として問題ないでしょ
それとも貴方が完全否定出来るのですか?
>>199 その底の抜けた理論もどきがどうかしたのか?
兵士を兵士として処刑したなら捕虜の権利を蹂躙しただけの話だ。
むしろ捕虜は民間人より多くの権利を有することを知るべきだな。
そもそも日本軍は南京で”便衣兵の処刑”なんてしたことないのだがw
>>200 おいおい、その程度だったら30万人説だって完全に否定されたわけじゃないがw
30万の根拠をどうぞ
>>201 便衣兵の処刑が不法だとするなら、便衣兵処刑を起訴すればいいだろ
民間人虐殺はこれと別に起訴しているんだから、態々便衣兵殺害を偽装する必要がない
所謂便衣兵処刑を有罪にするために検事は「民間人を兵士と偽って」という作り話をでっち上げたわけだ
それと両角証言には決定的な矛盾点がないから30万と一緒にするなよ
問題点は、人数を数えたわけじゃないから正確ではないことと
肯定派の願望からかけ離れていることぐらいだろ
根拠のない30万の夢をあきらめない肯定派の本性がみえたな
>>198 そうそう、聞き忘れたけど「内容の極めて怪しい両角業作の手記」の怪しい部分を書いてもらえないかな
人数はともかく「女性子供老人を開放した」と「火災で逃げた」は信ぴょう性高そうに見えるんだが
>>202 中国側のお好きなものをどうぞw
>>203 両角証言が戦後思い出して書かれた物で、
他の同時代の複数の手記・証言と決定的な矛盾点がありますがなにか?
>>206 はぁ?中国に30万の根拠などない だから親中派の研究家でも
否定せざるを得なくなったのが現状だろ
お前は30万を肯定できる根拠をもってるんだろ?それをだせよ
出せないなら適当な事ほざくな
>>207 ここまで日本語が通じないとびっくりだなあ。
201を読んでくれよ。
>>208 逃げてるなよお前が言ったことだ 出せないならほざくな
まともな根拠が出てこないのに「完全に否定されたわけじゃない」w
>>206 そういうぼやけたレスはいいから、具体的に誰のどの証言や手記と矛盾点があるのかな?
結局レッテル貼りだけして逃げる気なんだよね
>>209-211 小野賢二氏『虐殺か解放か 山田支隊捕虜約二万の行方』より
調査は困難だったが、それでも、証言数約二〇〇、陣中日記等二四冊、証言ビデオ一〇本、その他の資料を収集することができた。
この中に、゛自衛発砲説゛に添ったものは一つもなかった。調査結果の要旨は次のようになる。
山田支隊が一九三七年一二月一三日烏龍山、一四日幕府山両砲台付近で捕えた捕虜は一万四七七七名にのぼり、
その後の掃蕩戦でも捕虜を獲得、その総数は約一万七〇〇〇-一万八〇〇〇人にものぼった。捕虜は白旗を掲げ無抵抗で捕虜となった。
この膨大な捕虜は幕府山南側にあった国民党軍の兵舎二二棟に収容した。この時、非戦闘員の解放は行なわれなかった。
捕虜収容所は歩兵第六五連隊第一大隊 ( 第一中隊欠 ) が中心に警備した。
一六日の昼頃、捕虜収容所内に火災(ボヤ?)が発生したが、捕虜の逃亡もそれに対する銃撃もなかった。
その後、当時の『アサヒグラフ』に掲載された捕虜の写真が撮影された。この夜、軍命令により
長江岸の魚雷営で二〇〇〇-三〇〇〇人が虐殺(試験的に?)され、死体はその夜のうちに長江に流された。
残りの捕虜を一七日、上元門から約二キロ下流の大湾子で虐殺した ( 証言によると、魚雷営でも行なわれ、大湾子の虐殺には他部隊の機関銃隊が加わった可能性もある ) 。
この一七日の虐殺は大量の捕虜だったため、薄暗くなるころから開始された虐殺が一八日の朝がたまで続いた。そして、死体処理には一八、一九日の二日間かかった。
その他、歩兵第六五連隊第一中隊は烏龍山砲台を警備し、その付近で多数の敗残兵をその場で、あるいは捕虜とした後、銃殺した。
以上、この調査結果から゛自衛発砲説゛は作り話であることがわかった。
(『南京大虐殺否定論13のウソ』P142)
まあ要するに上記のように両角手記の内容ってのは大半が否定されているわけだ。 たぶん否定できないのは当時南京にいた両角って人(だけ)がこういうことをいってるってレベルだから その程度だったら30万人説だって完全に否定されたわけじゃないといってるんだ。 んで、30万人説はこの程度の物だって言ってる俺が30万人説の根拠を出せばいいのかい? だからその程度の言ってる人がいる程度のものなら中国側(だけ)の主張のお好きなのをどうぞといったわけだが、 いったい何をごまかしているというんだい? つか、お前ら、やっぱり日本語通じないから俺の言ったこと理解できていなかっただけだろw いやまあそもそも両角手記すら読んだことがなさそうな人たちばっかりだが
214 :
193 :2014/02/22(土) 19:49:13.07 ID:???
はあ、幕府山事件はそのうちやるつもりだと言ったのに、既に議論が始まっていたか まず捕虜数についてだが、山田旅団長1万4777人、両角連隊長1万5300、その他1万3500〜2万と幅があるが、 小野賢二いわく烏龍山・幕府山砲台以外でも掃討戦により1万7000〜1万8000、板倉由明は実数は1万程度と推測 捕獲時の捕虜については、12才位の少年兵から50才位の老兵まで、中に女が2名いたとか 栗原利一伍長は 「実際には捕虜の中には家族持ちの捕虜が200人位いて、その人達の奥さんや子供なども捕虜には含まれていた」と証言している しかし捕らえた1万4千人前後のうち、民間人を解放して8千になったという証言は、両角連隊長以外にはない
215 :
193 :2014/02/22(土) 20:03:43.95 ID:???
続き 両角説では、当初の1万5千余のうち、非戦闘員を釈放して約8千余、さらに半数が逃走して4千人が残り、支隊では釈放を企図したが、捕虜が反抗したため千人を射殺し、残り3千人は逃亡したと だが火災で半数が逃亡したという証言も他では見られない 両角説では火災は夜間になってるが、火災は正午頃という証言が多い 小野賢二本は連隊2200人のうち、200人から証言を得ている 殺害は12/16〜17の2晩に渡り、まず16日については宮本省吾少尉や遠藤高明の陣中日記のように、捕虜の3分の1の300〜7000名を殺害した(捕虜総数を1万7千〜2万としてる) 17日に残りの捕虜もほぼ全員殺害されたと なので幕府山事件について、笠原十九司などは約2万、秦郁彦は8千としてる だいたい16日に2000〜3000人、17日に6000人程度を殺害という感じか
>>215 >小野賢二本は連隊2200人のうち、200人から証言を得ている
当然「仮名」や「匿名」ではなく「実名」で証言しているんだよなw
どこの誰か一切不明な証言が200あろうが300あろうが無意味w
217 :
193 :2014/02/22(土) 20:16:17.61 ID:???
しかし自衛発砲説の山田旅団長や両角連隊長でさえ、軍から殺害命令が出ていた事は一致している 山田旅団長日記 12月15日 捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す 皆殺せとのことなり、各隊食糧なく困却す 12月16日 相田中佐を軍に派遣し、捕虜の仕末其他にて打合わせをなさしむ 現場の意図がどうあれ、軍では殺害する予定だったのは確かだ 両角手記については、南京戦史でさえ 「明らかに戦後書かれたもので、幕府山事件を意識しており、他の一次資料に裏付けされないと、参考資料としての価値しかない」としている 因みに山田旅団長や両角連隊長は、入城式に参加していたので、殺害現場は目撃していない 釈放意図の割に数千〜1万余の捕虜に対して、船も小舟が数隻程度しかなく、山田旅団長や両角連隊長が軍の殺害命令に抗してまで、釈放を実行しようとしたかも疑問が残る
>>219 それが証明されないと「両角手記が正しい」のではなく、「幕府山の捕虜殺害そのものが不可能になる」w
がんばって証明してくれw
>>217 12月15日に本間騎兵少尉が派遣された南京にいたのは第16師団です。
第16師団は第13師団に所属する山田支隊に命令する権限はありません。
第16師団は統帥権の侵害を行ったという主張ですか?
ちなみに湯水鎮の上海派遣軍司令部が城内へ移転したのは12月22日です。
秦郁彦「 南京事件」p328
南京事件関係年表
22日 上海派遣軍司令部(湯水鎮)、城内へ移転
222 :
193 :2014/02/22(土) 20:42:26.02 ID:???
17日の殺害についての栗原利一伍長の証言は、毎日新聞・本多勝一・板倉由明・阿羅健一など複数の聞き取りがある 南京戦史版 「多分17日と思うが、捕虜を舟で揚子江対岸に渡すということで、午後大隊全員で護送した。 4列縦隊で出発したが、途中で列を外れて小川の水を飲もうとして射殺された者もいた。 2時間くらいかかり、数キロ歩いた辺りで左手の川と道との間にやや低い平地があり、捕虜がすでに集められていた。 周囲には警戒の機関銃が据えられてあり、川には舟も2、3隻見えた。 うす暗くなったころ、突然集団の一角で「××少尉がやられた!」という声があがり、すぐ機関銃の射撃が始まった。 銃弾から逃れようとする捕虜たちは中央に人柱となっては崩れ、なっては崩れ落ちた。 その後、火をつけて熱さで動き出す生存者を銃剣でとどめをさし、朝3時ころまでの作業にクタクタに疲れて隊に帰った。」 釈放目的のはずなのに、途中小川の水を飲もうとしただけで射殺って しかも騒ぎの鎮圧だけでなく、火をつけて銃剣でトドメをさす必要があるのか
ぐぐったらアホなことが書いてあったなあ。 まあ、一応答えてやるか。 >逆に、移動開始までに1時間も2時間も必要だったとすれば栗原証言が完全に破綻するw 答え 当然一時間も2時間も必要だ。 15000人という人間を手を縛るという不自由な状態で4列縦隊を作らせれば そんなもん当たり前のようにかかる。 不自由のない帝国陸軍の規定でも1.3m間隔の行列を13500人で作ればそれだけで何キロもの長さになる。 要するに先頭が到着した頃ようやく最後尾が出発するような時間差があるわけで しかも5日間絶食させられたようなふらふらの人間が不自由な状態で行軍、 時々脱走兵を銃殺するような有様ではもっとかかってもおかしくない。 捕虜は4列のベルトコンベアで運ばれたとでもいうんだろうか? なにが物理法則に挑戦なんだろう??
>>223 追加。彼の設定だと女子供、老人も開放していないようだw
もちろんこれだけ多ければ病人だっているはずだよね
>>223 先頭が瞬間移動しない限り>218は不可能なんだがw
226 :
193 :2014/02/22(土) 21:07:10.21 ID:???
栗原証言は、当初捕獲時の捕虜が1万3500人というだけで、17日の殺害時は必ずしもその人数ではないんだけど 他の証言にあるように、16日に3分の1が殺害され、17日の殺害は残り3分の2と見るべきだと思うんだが なんだか当初の流れに関係なく、なんとか殺害をごまかそうと泥試合に持ち込もうとしてるな
>>226 他人と自分のレスの区別ぐらい付けような。
誤魔化さず証明してねw
つ>225
228 :
名無し三等兵 :2014/02/22(土) 21:13:20.60 ID:2IRmBzwE
南京大虐殺って中国人の民間人を無差別に虐殺しんじゃないの?
収拾がつかなくなるので、幕府山事件の結論として 捕虜が当初の1万5千から、途中4千まで減るような傾向は裏付けがない 連隊長らが釈放を意図したかは不明だが、少なくとも軍は殺害を指示していた 殺害数は諸説あるが、16日に捕虜の3分の1を殺害し、17日に残りも殺害され、結局捕虜のほぼ全員が殺害された という事で異論はないね? 反論したい場合は、個人の妄想ではなく、ちゃんと裏付けが必要だから
>午前中かかって形だけだが手を縛り、午後大隊全員で護送した。 という表現から普通に12時前後に先頭が出発し、 全員を収容した3,4時間後である>あたりが薄暗くなりかけたころから発砲でなにかおかしいことあるか?
あ〜、まさかとは思ったが先頭到着後全部つくまでに 3,4時間かかるから道中だとおもってるのか?w そりゃ、物理法則を超越するわ。 お前のあたまが。 常人が1時間かかる道を行列の最後尾が2時間かけて通過したとするな。 前の人間という障害物がある分速度が落ちるのは物理法則からして当然だ罠。 さて、行列の先頭はこの道のりをどれくらいの速度で移動できますか? 前の人間という障害物がない分、常人と同じ速度で移動しますね。 物理法則通りに。
>>231 自分が何を書き込んだのか理解しようなw
「先頭は5日間絶食させられ、ふらふらで、不自由な状態で行軍したが、常人と同じ速度で移動した」とでも?
つ>223
>要するに先頭が到着した頃ようやく最後尾が出発するような時間差があるわけで
>しかも5日間絶食させられたようなふらふらの人間が不自由な状態で行軍、
>時々脱走兵を銃殺するような有様ではもっとかかってもおかしくない。
幕府山事件での殺害自体を否定する証言が皆無なのに、いつまで無駄な事をやってるんだ 物理法則で無理とか言う前に、幕府山事件での殺害自体を否定する証言でも探してきたら? ないならそんな話は全くの無駄
>>233 幕府山は「反抗した捕虜の鎮圧」ですが。
日本兵が殺害された後、射撃が開始されています。
>222
>うす暗くなったころ、突然集団の一角で「××少尉がやられた!」という声があがり、すぐ機関銃の射撃が始まった。
戦史叢書も「警戒兵を襲ってきたため射殺した」となっていますが。
第十三師団において多数の捕虜が虐殺したと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約8千余を収容した。
ところが、その夜、半数が逃亡した。
警戒兵力、給養不足のため捕虜の処置に困った旅団長が、十七日夜、揚子江対岸に釈放しようとして江岸に移動させたところ、捕虜の間にパニックが起こり、警戒兵を襲ってきたため、危険にさらされた日本兵はこれに射撃を加えた。
これにより捕虜約1,000名が射殺され、他は逃亡し、日本軍も将校以下7名が戦死した。
(戦史叢書『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』)
捕虜や敗残兵に対しての犯罪的責任が認定されていないので、やる気が出ない
>>232 >「先頭は5日間絶食させられ、ふらふらで、不自由な状態で行軍したが、常人と同じ速度で移動した」とでも?
は?
一般的には、人の歩く速度は
大人の男性 時速4.8km(1分で80m)
大人の女性 時速4.2km(1分で70m)
子供 時速3.6km(1分で60m)
で、子供並みの速度で移動しても瞬間移動など使わずとも十分間に合いますが?
一番の進行阻害要因である前の人間というのがないんですから。
>>236 だから飢えと渇きのため小便を飲む兵までいた為「先頭は5日間絶食させられ」「ふらふらで」「後ろ手に縛られた」状態でしたが。
さらに、後ろ手に縛られ山道を移動するのですから通常より移動に時間がかかった事は間違いありません。
その状態で移動を開始すれば列の長さは伸び、時間はさらにかかります。
「本当はこうだった南京事件」 板倉由明 より
P137〜
1万人を4列縦隊にして前後の間隔を1mにすると2500mの長さになる。
これが歩き出すと少なくとも長さは2倍になり、しかも時間と共に列は長くなる。
悪路を4列縦隊で歩くのは、よほど統制がとれ、訓練をつんだ集団でなければ困難で
ある。
経験者によると、中に入った2列は埃と息苦しさ、精神的圧迫感で非常に疲れるという。
だから長距離・長時間の行軍では自然と2列縦隊になってしまう。
〜中略〜
青梅マラソンは例年参加者が約14000人。
奥多摩街道に横16列に並び前後1mとして875m、全員がスタート点を通過するのに
5分かかるが、すでに列は約1700m(先頭の時速20キロとして)、約2倍に伸びてい
るという。
〜中略〜
以上を総合すると、飢えと疲労でフラフラで連行される捕虜1万の列の長さは、2列と
してほぼ12キロ、定点で観測すれば、この捕虜が毎時2.5キロで歩けたとして、定点
の全員通過には5時間かかる。収容所と殺害現場の距離は4、5キロというから、先発
組が現場に到着してもまだ3分の2は収容所から出発できない。最後尾が到着するま
で先発組は5時間も吹きさらしの河原で待つことになり、路上には延々たる捕虜の列
が7時間も続く。
>>236 堯化門の捕虜7000人を3キロ程先の仙鶴門鎮へ移動、集結させるのに4時間かかっている。
この場合の平均速度は0.75km。
幕府山は距離4kmとするとこれに当てはめると集合まで5時間20分w
さらに人数は約2倍の13500+後ろ手に縛る+数珠繋ぎにすると………w
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page028.html 上海派遣軍独立砲兵第二大隊『戦闘詳報』
第9号付録(12月13日午前一時〜正午)
(四) 戦闘における状態
(略)
同夜午後7時頃、仙鶴門鎮西方に約2〜300の敵襲を受けたるも難なくこれを 撃退せり。
14日午後4時砲兵指揮官、内山少将、仙鶴門鎮に来られ 、敵襲後の状態を視察せらる。
これより先午後2時頃堯化門付近において、約7000名降伏し来り。午後6時歩兵第38連
隊の一中隊護衛の下に、仙鶴門鎮北側凹地に集結す。該俘虜の大部は13日早朝仙鶴門
鎮及び新庄付近を襲撃せるものにして、事後北方に退却し我が部隊各所に駐屯し有力なる
為ついに、企図を放棄し武器を捨て降伏し来れりものなり。
(注 捕虜確保は12月14日)
『南京戦史資料集』P650
全くいつまで続ける気なんだ
>>234 は殺害が2夜連続という事についてはどう思うんだ?
釈放しようとして2夜連続失敗?
前夜の教訓を生かさなかったのかとか
16日の殺害は、火事で逃げた事にしようなんて話にもなる
あと発砲に至る経緯は必ずしも明確ではない
逃げようとした捕虜への威嚇射撃がキッカケとか
転んだ捕虜を監視兵が殴って隊列が乱れてとか
>>239 その記録は戦史叢書とまでは言わないがまともな記録なんだろうな?
このスレの趣旨は理解しているよな。
つ
>>1 >軍事面での記録等を列挙して、「南京大虐殺」を検証していくスレです。
>>240 阿部輝郎(両角手記を保存していた人)の「南京の氷雨」と、小野賢二他の「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」からだよ
2夜連続殺害説は、「南京の氷雨」から始まる
殿を務めたとされる栗原氏が,先頭が着いてからの相対的な時間で考えるのはソレだけでおかしい 彼は何時先頭が着いたのか分からないはずなのにな 先頭が到着した時間など先頭の集団しか意識しないもので、こんなものが唐突に現れるのがおかしい くりはらは「先頭が〜」と第三者的に表現している以上、彼が先頭ではないのは鉄板だ おそらく最初は「先頭が出発してから3,4時間」だったものを、ホンカツが時間的矛盾を解消するために改変したってところだろ
つうか戦史叢書での幕府山の記述は、両角手記(しかも戦後の回想)ベースだから、あまり信用しない方がいい 自己弁護の手記と言われるのも当然だろう まだ実際に護送した責任者の、田山大隊長とかの証言の方が信用できる むしろ両角手記だけが、他の証言と比べて浮いてる部分が目立つ 民間人釈放や火事で逃げた、他の証言では数人乗りの小舟が数隻なのに、両角手記だけ数百人乗りの舟など 従来自衛発砲説だった研究者たちも、「南京の氷雨」や小野賢二本が出て以降は、捕虜はほぼ全員殺害されたになってる
>>243 では日本軍は解放目的だったとw
『南京の氷雨』
第1大隊長田山芳雄少佐証言
「 解放が目的でした。だが、私は万一の騒動発生を考え、機関銃8挺を準備させました。」
>>243 さらに解放目的だったという証言。
『 南京の氷雨』
箭内亨三郎准尉の証言
「実は捕虜を今夜解放するから、河川敷を整備しておくように、それに舟も捜しておくようにと、そんな命令を受けていたんですよ。解放の件は秘密だといわれていましたがね。
ノコギリやカマは、河川敷の木や枯れたススキを切り払っておくためだったんです」
「 実は逃がすための場所設定と考えていたので、かなり広い部分を刈り払ったのです。刈り払い、切り払いしたのですが、切り倒した柳の木や、雑木のさまざまを倒したまま
放ったらかしにして置いたんです。河川敷ですから、切り倒したといっても、それほど大きなものはありませんでしたがね。ところが、後でこれが大変なことになるのです 」
「 集結を終え、最初の捕虜たちから縛を解き始めました。その途端、どうしたのか銃声が・・・。突然の暴走というか、暴動は、この銃声をきっかけに始ったのです。彼ら捕虜
たちは次々に縛を脱し、巻脚絆などで軽くしばっていただけですから、その気になれば縛を脱することは簡単だったのです」
>>244-245 俺は2夜連続殺害説についてどう思うのか、と質問したんだがね
肝心な部分をスルーしないでくれよ
現場が解放目的でさえあれば、軍から殺害命令が出ていようと、実際には捕虜のほぼ全員を殺害していようと、満足なんだろうか 目的がどうあれ、それが実現していないなら、何の意味もないのに
最初から殺すつもりじゃないと、漏らさず全員殺すのは不可能だと思えない知性って・・・
>>246 小野の日記モドキからw
宮本省吾 陣中日記
十二月十四日
夜半又々衛生隊が二百余の捕虜を引率し来る、巡警二百余もあり隊長もあり相当訓練的にて人員をしらべる等、面白き事である、少佐とか参謀とか云ふ者もあり通訳より
「日本軍は皆に対し危害を与へず唯逃ぐる事暴れる様なる事あれば直ちに射殺する」
との事を通じ支那捕虜全員に対し言達せし為一般に平穏であった、唯水と食料の不足で、全く閉口した様である。
十二月十六日
食事中俄に火災起こり非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時大隊は最後の取るべき手段を決し、(以下略)
「日本軍は皆に対し危害を与へず唯逃ぐる事暴れる様なる事あれば直ちに射殺する」と警告していましたが、それにもかかわらず騒ぎが起こりました。
警告に従わなかったのだから「最後の取るべき手段」が選択されたという事ですね。
自業自得以外の何物でもありません。
16日は警告に従わなかった者が、17日は解放目的だったが反抗された為射殺されただけですが。
秦郁彦『南京事件 増補版』p316 「計画的殺害と見るか、両角連隊長の回想が強調するように 釈放の意図を誤認しての反抗から生じた突発的事故なのか、 見解は依然として割れている。概して大虐殺派は前者を、 マボロシ派と中間派は後者に傾いている(以下略)」 「両角連隊長の回想は信用できない!」とか このスレの状況そのまんま 「自衛発砲説」というワードを使う人は大虐殺派の人だと分かるね
>>237 その板倉の計算、致命的な欠陥があるぞ?
列の先頭から最後まで同じ速度で移動するという物理法則への挑戦がさw
たかが4,5キロ程度では平準がとれないので、
平均速度はまさにやってみないとわからないのでどうにもならんよ。
>>238 降伏してきた敵を武装解除や整理もせずに移動したんだw
>>252 リンク先を確認するぐらいの事はやろうな。
第16師団
歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
備考
1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが 14日午前8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時《武装を解除し》南京に護送せし者を示す。
『南京戦史資料集』P594
>>251 やってみた結果が「約7000人を移動するのに4時間かかった」という事なんだが。>238
5日間絶食させられたわけでも、ふらふらでも、後ろ手に縛られて不自由な状態でも、山道でもなかったんだが。
しかも人数は13500人の約半分。
4時間以上かかるのは間違いないな。
物理法則に喧嘩を売らない限り>218は不可能w
>>253 おう、そうか、そりゃすまんかった。
>>254 えーと、やってみないとわからないといったのは
例えば不自由な格好であるけば転んだり転ばなかったりするので、
やってみなけりゃわからないといったんですよ?
んで平準化するにはわずか数キロではとても不可能だと。
それこそ毎日何キロかってレベルでないと倍くらい時間差が出てもまったくふしぎじゃない。
それ以前に構成する人間も違えば通った地形も違うのにやってみたとかまったく意味がないんですが?
>>250 座談会『問題は「捕虜処断」をどう見るか』より
秦 ただ、本当に釈放するつもりだったら昼間やればよかった。
ぐあいの悪いことは大体夜やるものですからね。
東中野 まいったなあ(笑)。
秦 わざわざ問い合わせをしてしまったために、軍司令部から殺せという指示が出たわけですが、そんなことをしなくても逃がしてやりたかったら、不注意で逃げられてしまったということにすればよかった。
本当の事実経過に関しては、何しろ第十三師団の人達がみんな口をつぐんで言わないから困る。
釈放しようとしたのかもしれないけど、結果として多数の捕虜を殺してしまったんですね。
軍司令部は自分たちの命令通りに処理されたと思っていましたからね。長勇にしてもそう信じていた。
ですから、そのあたりの枝葉末節をあれこれ議論しても詮ないことだと感じます。
舟で逃がそうとしたということに関しても、舟の準備をした形跡はないし、広い揚子江の向こうから闇夜に鉄砲で中国兵が撃ってきたために捕虜が反乱したという説明も変な話ですよ。
殺されそうになっていたから彼らが反乱したと推定するのが無難でしょう。
釈放しようとしたのかもしれないけど、結果として多数の捕虜を殺してしまったんですね。 軍司令部は自分たちの命令通りに処理されたと思っていましたからね。長勇にしてもそう信じていた。 ですから、そのあたりの枝葉末節をあれこれ議論しても詮ないことだと感じます。 舟で逃がそうとしたということに関しても、舟の準備をした形跡はないし、広い揚子江の向こうから闇夜に鉄砲で中国兵が撃ってきたために捕虜が反乱したという説明も変な話ですよ。 殺されそうになっていたから彼らが反乱したと推定するのが無難でしょう。 東中野 しかし、両角連隊長その他のその他のそういう手記が残っているのに、それを信じないのですか。 秦 真実の部分もあるかもしれませんが、当事者の手記である以上、眉に唾しながら検分する必要はあります。 自己弁護の要素も入ってくるでしょう。舟にしても、当時、あるのは数人乗り程度の漁船が数隻ですよ。 そんなもので、どうやって四千人という捕虜を運べるんですか。日本海軍の船を頼んだ形跡もありません。 私は、単に揚子江岸に連行して、そこで殺す計画だったと見るべきだと思います。 死体も揚子江に流せばすむ。少なくとも、「殺せ」という命令があり、惨憺たる結果が生じたことを考えると、捕虜虐殺の責任は日本軍にあるというしかない。 (『諸君!』2001年2月号
秦郁彦 >ですから、そのあたりの枝葉末節をあれこれ議論しても詮ないことだと感じます。 >少なくとも、「殺せ」という命令があり、惨憺たる結果が生じたことを考えると、捕虜虐殺の責任は日本軍にあるというしかない。
>>256 しかし、照明もない夜間に機関銃撃っても殆ど殺せないだろうという自己矛盾w
殺すつもりなら夜やるわけがないだろうに
そうそう、照明もない夜間に機関銃撃っても殆ど殺せないのに ガダルカナルというより太平洋全線において夜襲した部隊が壊滅したなんて嘘だよね。 まあ、川の向こう側から夜間撃ったからあたらないのと、 こちら側から撃ったのもあたらないのをわざと混同させているんだろうがw
曳光弾も使えない三式重機関銃で夜襲かw 出来たら凄いな
>>261 そうそう、夜になっても捕虜を撃ち漏らさずに殲滅できるなら板倉さんの論は論破できるんだが
頑張って検証してみたらどうかな?
彼の論は夜になったら殲滅は無理だというのが大前提だ
264 :
名無し三等兵 :2014/02/23(日) 15:32:05.46 ID:4/cff+yu
当時の日本軍の機関銃は少し撃つと故障ばかりしてたからな
>>262 え? 捕虜殺害が夜襲と同じなの?
面制圧兵器なんだから決められた一定の角度でばらまかなかったの?
いちいち狙いをつけて射撃したのか?
>>265 問題は、ほぼ全員撃ち殺したと言いはっていることだと気付かないのかな?
一体どこまで日本軍人を超兵士するつもりなんだよ。 ひょっとして日本人より日本軍を神レベルの軍隊と思ってないか?
>>265 用意した機関銃は八つで銃弾は計8万弱
一人頭8発にも満たないのにどうやって面制圧するのやら
>>265 1時間射撃を続ければ銃弾の消費量がどのくらいなると思ってるんだ。
過熱した銃身も交換が必要だし、日本軍は無限の物資を持ってたと思ってないか。
>>259 計画的殺害だろうが釈放意図だろうが、そんなのは枝葉末節だと言ってる
結果として多数の捕虜が殺害され、軍司令部も殺害を指示していたのだから
いくら釈放意図だから〜と言っても、実際には釈放されずに殺害してるのだから、何の意味もない
何が起こったのか詳細の検証をすっとばすほうが意味がない 事故と計画的殺害では大違い
>>270 いや、最初の一行目では「秦 ただ、本当に釈放するつもりだったら昼間やればよかった。」と、明らかに計画殺害だと断定しているだろ
でも、6年後には自分を含む中間派は両角支持だと意見を変えている
ただ「そんなもので、どうやって四千人という捕虜を運べるんですか。」と言っているところからも分かる通り 事件のあらましとしては、2001年の時点でも両角氏の説明を受け入れているように取れるな
連隊長だけでなく、旅団長、大隊長、中隊長など幹部達が 解放目的だと言っているから裏づけがあることだな 大虐殺派のサイトでは、その下で事故処理にあたった 兵士達の日記の羅列はあっても、 これらがスルーされていることが多い
違う、自衛発砲説は両角だけの主張ではない 田山大隊長のような例(阿部輝郎本の多くは自衛発砲説だが、同時に捕虜のほぼ全員の殺害説でもある)もあるし 秦は両角説を疑ってるから、釈放するなら昼間とか舟の話を出している それに各証言ごとに状況がマチマチなのに、詳細を判明させるのは困難
スルーしている大虐殺派のゆうのHPやKKのHPは注意が必要
大体、何で開放してあげる立場の日本軍が船まで用意しなくちゃいけないんだよ 開放されたらそれ以降の足は自力で何とかするべきだわ 「船がない」は言いがかりとしか思えん
ところで65連隊は揚子江岸から中州への解放という話だけど、 笠原の本によれれば、その中州で数千の虐殺があったことになっていて 総数に加算されている。根拠は中州にいたという中国の兵士に笠原が直接インタビューした時に 「あとから聞いた話によれば」数千の虐殺があったということだけのようだ。 これを無批判に受け入れてるわけだけど、このことに関して裏付けや意見などある人いる?
中州での大規模な虐殺など他の研究者でとりあげている人みたことがない 笠原だけ浮いてる感じがしたんで
>>277 アホ、両角説が長江の中洲(草鞋洲)に捕虜を解放する主張なんだよ
だから中洲まで渡す舟が必要なの
あと虐殺現場は捕虜が長江を背に、日本兵が半円形に囲んでいる(栗原利一のスケッチ)
日本側の死傷者は流れ弾による同士討ちの可能性が高く、捕虜たちは逃げ場もない
中には混乱で圧死した捕虜もいるだろう、日本側は更にガソリンをかけて、生き残りも銃剣でトドメをさしている
ガソリンは航空機用燃料だろ そんな貴重なものを陸軍がおいそれと使えないわ。
「南京の氷雨」での第五中隊長角田栄一中尉の証言 火事があって、かなりの数の捕虜に逃げられた。 だが、このとき両角連隊長のところには「処分命令」がきていた。 しかし両角連隊長はあれこれ考え、一つのアイデアを思いついた。 「火事で逃げられたといえば、いいわけがつく。だから近くの海軍船着き場から逃がしてはどうか。」 私は両角連隊長に呼ばれ、意を含められたんだよ。結局、その夜に七百人ぐらい連れ出したんだ。いや、千人はいたかなあ。 あすは南京入城式、早ければ早いほどいい、というので夜になってしまったんだよ 昼のうちに堂々と解放したら、せっかくのアイデアも無になるよ。 江岸には友軍の目もあるし、殺せという命令を無視し、逆に解放するわけなのだからね 夜の道をずらりと並べて江岸へと連行していったが、案に相違して、捕虜の集団が騒然となってしまった。 万一の場合を考え、二挺の重機関銃を備えており、これを発射して鎮圧する結果となった。
しかし、いったん血が噴出すると、騒ぎは大きくなった。 兵たちは捕虜の集団に小銃を乱射し、血しぶきと叫び声と、そして断末魔のうめき声が江岸に満ちた。 修羅場といっていい状況がそこに現出した。 正式に準備したのは重機関銃二挺だが、ほかにも中国軍からの戦利品である機関銃も使ったような気がする、ともつけ加えていう。 連行のとき、捕虜の手は後ろに回して縛った。 途中でどんなことがあるかわからないというのでね。 で、船着き場で到着順に縛っていたのをほどき始めたところ、いきなり逃げ出したのがいる。 四、五人だったが、これを兵が追いかけ、おどかしのため小銃を発砲したんだよ。 これが不運にも、追いかけていた味方に命中してしまって。これが騒動の発端さ。 あとは猛り立つ捕虜の群れと、重機関銃の乱射と。地獄図絵というしかないね、思い出したくないね。 ああいう場での収拾はひどく難しく、なかなか射撃をとめられるもんじゃない。まして戦友がその場で死んだとなったら、結局は殺気だってしまってね 銃撃時間は「長い時間ではなかった」と角田中尉はいう。 月が出ていて、江岸の船着き場には無残な死体が散乱する姿を照らし出していた。五隻ほどの小船が、乗せる主を失って波の中に浮かんでいた。 「捕虜たちは横倒しになっており、あたりは血みどろになっていて、鬼気迫るばかりの情景だったなあ。みんな死んでしまったらしい。
あすは南京入城式という表現から、角田中尉の証言は12/16の殺害の件 栗原利一伍長証言の12/17の殺害とは別件なので注意
>>270 >結果として多数の捕虜が殺害され、軍司令部も殺害を指示していたのだから
>いくら釈放意図だから〜と言っても、実際には釈放されずに殺害してるのだから、何の意味もない
軍司令部が殺害を指示していた記録をお願いします。
もちろん出せますよね?
ちなみに湯水鎮の上海派遣軍司令部が城内へ移転したのは12月22日です。 >つ221
>>285 山田旅団長も両角連隊長も角田中尉も、みんな殺害指示が出ていたと言ってるけど
これを疑うなら、両角連隊長の自衛発砲説も疑うという事でいいんかいな?
まさか殺害指示だけは疑うけど、それ以外は信じるとか言わないよね
>>286 両角手記が無くても日本軍に戦死者が出ているので自衛発砲説は成り立ちますよ。
しかし、「軍司令部も殺害を指示していた」という主張には湯水鎮の上海派遣軍司令部からの記録が無ければ成り立ちません。
唯の口から出まかせでなければ根拠は提示できますよね。
>>270 >結果として多数の捕虜が殺害され、軍司令部も殺害を指示していたのだから
未だに小野とか栗原出す奴は日本が相当嫌いなやつなんだろうな 民間人の開放を認めていないくせに、女も子供も話しの中に出てこないのは何故だろうね?
>>275 それにしても「本当に釈放するつもりだったら昼間やればよかった」ってのは、お粗末な分析だな
この程度で第一人者って人材不足だろ
>>287 日本側に死傷者がいる事は、自衛発砲説について何の証明にもならないよ
角田証言では逃げた捕虜を追いかけて、味方の弾が当たっただけ
斉藤次郎証言では「捕虜銃殺に行った十二中隊の戦友が流弾に腹部を貫通され、死に近い断末魔のうめき声が身を切る様に聞い悲哀の情がみなぎる」
これも流れ弾による負傷で、単なる同士討ち
あと釈放の考えは、両角連隊長個人の独断だから、山田旅団長も知らない
それこそ戦後の証言以外に、何の裏付けもないけど
>>290 同士討ちの原因は捕虜が騒いだ為ですが。
捕虜が騒乱を起こさなければ威嚇射撃の必要も、結果として誤射もあり得なかったのですから。
「捕虜の反抗によって戦死者が出た」という事実によって自衛発砲説は成立します。
しかし、「軍司令部も殺害を指示していた」という主張には湯水鎮の上海派遣軍司令部からの記録が無ければ成り立ちません。
さっさと出しなさい。
後ろ手に縛られて、長江を背に逃げ場もない状態で、機関銃が据えられてる おまけに釈放意図など、捕虜に対してはもちろん、一部の幹部以外日本兵も知らない状態 道中で捕虜が小川の水を飲もうとしただけで射殺された証言もある 捕虜の行動の方が余程自衛の為の行動に見えるけど あと自衛発砲説と釈放説を混同してないか? 君の説明だと、仮に計画的殺害の為に連れ出した場合でも成立するじゃない 殺害する為に連行したが、捕虜の暴動が起きたって説明もできる
>>292 >道中で捕虜が小川の水を飲もうとしただけで射殺された証言もある
連行中に勝手な行動をして射殺されないと思う方がどうかしている。
というか射殺されて当然だな。
自衛発砲説だろうが釈放説だろうが「反抗した捕虜の鎮圧」という事実は変わらんよ。
しかし、殺害命令説には「軍司令部は殺害を指示していた」という記録が無ければ成り立たない。
山田旅団長の日記は、南京戦史版では 「捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す 皆殺せとのことなり」となってるが 鈴木明「南京虐殺のまぼろし」その他では、 「捕虜の始末のことで本間少尉を師団に派遣せしところ「始末せよ」との命を受く」と師団に問い合わせした事になっている 師団への問い合わせは12/15で、12/16には 「相田中佐を軍に派遣し、捕虜の仕末其他にて打合はせをなさしむ」 ここでは打ち合わせとだけあり、結論が出たかどうかは不明だが、現場の旅団長・連隊長ともに行動に出ている そして少なくとも現場の認識では、殺害指示が出ていた事になってる
それと例の長勇の「ヤッチマエ」発言は、幕府山事件についての可能性がある これは第6師団が下関で、民間人含む捕虜12〜13万人の処置を問い合わせした際の発言とされるが、当時第6師団がそんな大規模な捕虜をとった記録がない しかも第6師団は第10軍所属なので、上海派遣軍に問い合わせするのはおかしい 当時万単位の大量の捕虜は、山田支隊だけ(他は数百〜数千)なので、これは山田支隊からの問い合わせではないか
>>294 12月15日に本間騎兵少尉が派遣された南京にいたのは第16師団。
第16師団は第13師団に所属する山田支隊に命令する権限はない。つ>221
始末(仕末)とは、殺すことではない。
山田日記には、殺してしまうか生かしておくかの判断も始末と書かれてるし(14日)、死体を片付けることも仕末と書かれている(18日、19日)。
上海派遣軍の方針は第16師団への接収。
飯沼守日記
「十二月十五日、山田支隊ノ捕虜東部上元門附近に一万五、六千アリ、尚増加ノ見込ト。依テ取リ敢へズ16Dニ接収セシム」
>>295 それ入城式(17日)の翌日の話だから時系列的に無関係の話。
それともまた物理法則を無視してタイムマシンでも必要な説でも唱えますかw
>>294 上海派遣軍以外に山田支隊に命令できる部隊は第13師団。
第13師団司令部は殺害ではなく解放命令を出しているようだが。
板倉由明氏『南京事件 虐殺の責任論』より
一九八三年に筆者が聴取した、当時第十三師団作戦参謀・吉原矩中佐の証言によれば、鎮江で渡河準備中の師団司令部では、「崇明島」に送り込んで自活させるよう命じたという。
崇明島は揚子江河口の島だが、草鞋洲の記憶違いとすれば、正に「島流し」 ( 栗原スケッチの題 ) である。(P194-P195)
>>293 捕虜は人道を以て取り扱われるべきという、保護対象である捕虜を、隊列を乱しただけで射殺して当然とか、本気で言ってるのか?
捕虜はそれまで飲まず食わずだったんだろ?これだけでも捕虜虐待で、むしろ山田支隊幹部は処刑されるのが当然だと思うけど
自衛の為の正当防衛でさえない行為だぞ?
単に列に戻るように促せばいいだけの問題
>>299 東部戦線で捕虜が人道的に扱われていたのかw
301 :
名無し三等兵 :2014/02/24(月) 17:27:20.92 ID:pPV4lXTj
判明しているカティンの森事件など捕虜が殺された連合軍、枢軸国を問わず例は数知れず。
ドレスデンも酷い有様だったしな
>>278 についてレスなし?
数千規模といえば、最大の第7連隊の掃討や幕府山の規模にも匹敵するものだけど
誰も何もわからないのかな?
>>300-302 つまり日本軍が南京でやらかしたのは
ソ連軍なみのことだったとw
じゃあ虐殺でFAじゃん。
みんなやってるからわるくないんだもん!じゃなくて
やった奴はみんな悪いってのが一般常識だろうに
>>304 文革はどの国の虐殺より残虐な民間人虐殺事件だったよ。
つまり中国人は同族殺しという一番重い業を背負っているわけだ。
つか、本当に糾弾されるべきであるヒロシマ・ナガサキ東京のような民間人無差別殺害がなかったから 無理やり捕虜の処刑程度のことを、人類最悪の蛮行のごとく騙っているに過ぎない
南京虐殺があったかどうかを検証するスレでなに言ってるのこの子たち
南京虐殺とは捕虜の取り扱いの問題だったのかね。
南京で死んだ民間人や兵はソ連式突撃の犠牲者という説もあるな 督戦部隊の銃口によって殺されたものが殆どという奴 そういう説では捕虜うんぬんは関わって…くるのか?
>>307 ただの戦争を虐殺と言いはる人たちが問題だよね
>>308 しかも秦さんによると、裁判をやらなかったことだけが問題らしい
つまり行政手続きを故意に省略した罪
>>278 >>303 日にちがわからんと何とも言えんが、海軍による掃討か国崎支隊の話じゃないか?
幕府山事件とは状況が違うし、どちらかと言えば下関での佐々木旅団の話のように見えるが
>>304 その通り、やった奴は皆悪いでFAなのに
何故か日本以外が皆日本に石投げてくるという
キリストが無くぞw
なんか人類最悪の蛮行のごとくとか、日本以外が石を投げてくるとか、ずいぶんと被害妄想を持ってるんだな むしろナチスとかの方が余程糾弾されてると思うけど しかも捕虜の処刑程度とかいう口ぶりも、感覚がズレてる
>>314 原爆や東京大空襲、沖縄戦、黄河大決壊、通州事件、ドレスデン、ロンドン空襲、ベルリンの戦い・・・
大戦で虐殺とされる事件の代表は、ほぼ全てが民間人無差別殺戮なんだが何故日本軍だけ基準が違うんだ?
金が欲しいんだよ。分かれよジャップ
>>316 「ジャップ」とは何ですか?
どのような意図でそのような言葉を使いましたか?
だから南京事件スレなんだから、他に話題そらししてないで、南京に集中しろっての
>>176 > 国際法の素人がいうことですね。
あなたも国際法の素人ですよねw
> 佐藤説を一生懸命肯定したい君の心情もわかるけど、
私は一学説だとしか思ってませんがw
それよりも東京裁判や政府見解の方が重要と書いてますよw
> ・・・つかもしかして東京裁判について
> なにも読んだこともないんじゃないかってレベルの話してるのに気づいてない??
もしかして捕虜殺害が違法認定されちゃったと思い込んでる方ですか?
>>177 無能無策どころか出鱈目なのは中国側ですねw
南京の軍や政治の責任者がトンズラこいて万単位の民間人偽装兵が出るなどの混乱の原因は全て中国側ですw
近代戦で起こりえない事を無視しての一方的な日本軍批判は虐殺派の本性が見えますねw
>>182 > 未だに否定論の論文を出せない捏造改竄派の馬鹿に「お馬鹿さん」呼ばわりされる筋合いはないw
大体否定論の論文てなんですか?戦争で問題になるのは国際法に違反しているかどうかなので
南京戦での国際法違反の論文が国際法学会に提出されたのでしょうか?w
え?まさか歴史学会での国際法解釈を国際法の論文とか言ちゃってるのですか?w
> 論文なんていらないっていう、トンデモの屁理屈はやめてくれよ。
歴史学会に提出された南京事件の論文は数千〜2万の捕虜殺害論だけでしたねw
> 現状に異議を唱える方に立証責任があるから、否定するには論文が必要だ。ただし、これは国内向けだけ。
> 日本は「この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています」としているから。
東京裁判で捕虜殺害の違法認定はされてないのですから論文の南京事件の違法性はないということですねw
> 違法でなかったら、松井石根はなぜ有罪判定されて死刑になったんだ? 明確に答えてもらおうか。冤罪か?w
南京市民の保護責任の罪ですよw
>>183 > 馬鹿。なぜ今更国際法学者が違法だと主張する必要があるんだ? 東京裁判で違法認定されて
東京裁判で便衣兵捕虜殺害の違法認定はされてませんよw どうどうと嘘をつかないで下さいw
> それに「便衣兵」と書いてるが、南京に便衣兵がいたのか? いたというのなら、便衣兵がいて日本軍と交戦したという記録を出してくれ。
交戦しなきゃ便衣兵じゃないもんですかw 別に便衣化兵でも民間人偽装兵でもいいですよw
どのみち捕虜資格がないことに変わりありませんからw
> それは、お前等否定派の妄想だろう。東京裁判や日本政府見解は、南京事件があったことを肯定している。
> そこまでお前は頭がおかしくなっているのか? 狂ってるな。
東京裁判や日本政府見解も非戦闘員(南京市民)のみで戦闘員(捕虜)の違法被害認定はしてませんよw
この事を頑として認めたくない虐殺派の見苦しい呻き声ですねw
>>320 今頃になって亀レスなんて、いい加減にしろ! 今回だけのサービスだ。
>大体否定論の論文てなんですか?
南京事件がなかったことを主張する論文のこと。合法説も含む。
>戦争で問題になるのは国際法に違反しているかどうかなので
東京裁判で違法だとして有罪判定された。日本はその裁判を受諾している。異議があれば、ネットの掲示板で素人相手に難癖を
つけてないで、正式に公に訴え出ておくれ。
>南京戦での国際法違反の論文が国際法学会に提出されたのでしょうか?w
だから、そんな質問をするお前さんは馬鹿だと言ってるんだよ。反論したければ、それは自由だから「国際法違反ではなかった」
とかいう論文を書いてどこかの国際法学会に提出してみれば。
>東京裁判で捕虜殺害の違法認定はされてないのですから
訴因第55で有罪判定されている。つまり「審判の対象となる犯罪事実は訴因として記載された事実である」ということ。
南京事件否定派の議員の会が出した「南京の実相」には、「松井大将は俘虜及び一般人の殺害を止めなかった不作為の責任を
問われて有罪判決を受けた」とはっきり書いてある。
異議があれば、議員の会の「南京問題小委員会」まで問い合わせてくれ。運がよければ、発行に関わった佐藤和男先生
から、直々の回答があるかもしれないw
>>321 >東京裁判で便衣兵捕虜殺害の違法認定はされてませんよw どうどうと嘘をつかないで下さいw
お前さんは、無知で馬鹿なのか?、嘘つきなのか?、その両方か?
>交戦しなきゃ便衣兵じゃないもんですかw 別に便衣化兵でも民間人偽装兵でもいいですよw
便衣兵ではない。また「便衣化兵」なんて用語はないし、聞いたこともない。
「難民区の中に逃げこんでいたのは、軍服と武器を捨て、民間人の服を身につけた敗残兵だった」(南京事件論争と国際法
/吉田裕)
東中野修道先生も「便衣兵」はいなかったと正式に述べておられるよ。
東中野修道氏『南京の支那兵処刑は不当か』より (『月曜評論』平成12年3月号 P56)
「なお断っておくが安全地帯には民兵や義勇兵や便衣兵はいなかった。そこにいたのは、四条件を具備しない、
戦時重罪人とも言えない、支那軍正規兵であった」
>どのみち捕虜資格がないことに変わりありませんからw
「たとえ、南京に本来の意味での『便衣兵』が存在したとしても、その処刑には軍事裁判(軍律法廷)の手続きが必要
不可欠であり、裁判抜きの処刑は違法である」(南京事件論争と国際法/吉田裕)
>東京裁判や日本政府見解も非戦闘員(南京市民)のみで戦闘員(捕虜)の違法被害認定はしてませんよw
そう思うのはお前さんの自由だが、ネットの中で素人相手に難癖をつけてないで、正式に公に訴え出たらどうかね。
私は妄想狂とは相手をしたくないし、迷惑だから、もう勘弁してw
だから東京裁判君は構うと面倒くさいからスルー推奨だっての ここは軍事板であって法律板ではないから、法律については板違い
>>323 >便衣兵ではない。また「便衣化兵」なんて用語はないし、聞いたこともない。
>「難民区の中に逃げこんでいたのは、軍服と武器を捨て、民間人の服を身につけた敗残兵だった」(南京事件論争と国際法
>/吉田裕)
日本軍が摘出したのは「敗残兵」でしたね。
日本軍の戦闘詳報にも「便衣兵」とも「捕虜」とも書かれていません。
歩兵第七連隊『戦闘詳報』
自十二月十三日 至十二月二十四日
南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊
一、射耗弾 小銃 五,〇〇〇発
重機関銃 二、〇〇〇発
二、刺射殺数(敗残兵) 六、六七○
>「《たとえ》、南京に本来の意味での『便衣兵』が存在したとしても、その《処刑》には軍事裁判(軍律法廷)の手続きが必要
>不可欠であり、裁判抜きの《処刑》は違法である」(南京事件論争と国際法/吉田裕)
《たとえ〜しても》、仮定の場合の話ですね。
日本軍が行ったのは「掃討」という《戦闘》であって、《処刑》ではありません。
事実、戦闘詳報には「敗残兵」と記録されています。
それとも「便衣兵」と書かれた戦闘詳報でも存在するのですかw
>>325 だから「便衣兵」はいなかった、と書いてるのに。馬鹿w
>>322 > 南京事件がなかったことを主張する論文のこと。合法説も含む。
だから学会ガー!君によると南京事件は歴史学会に提出された論文で数千〜2万の捕虜殺害論なんでしょw
で東京裁判でも日本政府も違法被害者認定はされてないということですw
違法と言っているのは国際法の素人だけですw
> 東京裁判で違法だとして有罪判定された。日本はその裁判を受諾している。
ですから捕虜殺害は違法認定されてませんよw
> 訴因第55で有罪判定されている。
ですから最終判定で南京市民の保護責任のみで訴因第55が有罪判定なんですよw
> 南京事件否定派の議員の会が出した「南京の実相」には、「松井大将は俘虜及び一般人の殺害を止めなかった不作為の責任を問われて有罪判決を受けた」とはっきり書いてある。
東京裁判での最終判定が南京市民だけですからそんな会の解釈はどうでもいいですよw
第一日本政府見解の被害者は非戦闘員だけで捕虜は含まれていませんよw
結局東京裁判の勘違いの反論だけで明確に被害者は非戦闘員しか述べてない政府見解には反論出来ませんねw
>>323 > お前さんは、無知で馬鹿なのか?、嘘つきなのか?、その両方か?
君か無知で馬鹿なので真実を認識出来ないだけですねw
> 便衣兵ではない。また「便衣化兵」なんて用語はないし、聞いたこともない。
> 「難民区の中に逃げこんでいたのは、軍服と武器を捨て、民間人の服を身につけた敗残兵だった」(南京事件論争と国際法/吉田裕)
> 東中野修道先生も「便衣兵」はいなかったと正式に述べておられるよ。
状態がどうであったかが重要なんで別に用語なんてどうでもいいんですよw それに国際法の素人の論を出されてもw
それと民間人偽装兵に捕虜資格がない事に反論はないみたいですねw
結局は戦場で捕虜資格のない敗残兵が殺害されただけですねw
> そう思うのはお前さんの自由だが、ネットの中で素人相手に難癖をつけてないで、正式に公に訴え出たらどうかね。
君が勘違いしてるだけで東京裁判も日本政府も捕虜殺害の違法被害者認定はしてないので訴える必要もありませんよw
>>324 虐殺派の嘘や出鱈目が晒されますからね嫌がるのはよく分かりますw
>>322 板倉さんの論文を虐殺派の論文と言い張るなら、栗原証言や小野の本は出鱈目だとアンタ方も認めたと考えていいのかな?
>>326 だから便衣兵はいなかったんだろう?
便衣に着替えた支那兵は「敗残兵」として掃討され、「便衣兵」として《処刑》された者はいない。
日本軍の処置は何も問題なかったという証拠だな。
そして敗残兵掃討には捕虜をとった記録がなく、全て殺害している 正規兵と認めてるんだから、捕まえたら捕虜だろう 捕虜殺害は違法だというフリダシに戻るのだった まあ敗残兵掃討は、武器を所持していたり、隠匿していた場合のみ捕まえて、捕虜として拘留すれば良かったのに 武器を所持してないなら、脅威じゃないから市民と同じ 疑わしきは罰せずの原則だ でも否定派は、軍服着てる捕虜は解放説を主張するのに、軍服着てない兵は殺して当然だという
>疑わしきは罰せずの原則だ 戦場でこんな原則があるなんて初耳だw 何処の誰が言ったのか教えてもらえないかな?
>>332 >正規兵と認めてるんだから、捕まえたら捕虜だろう
そういう法的根拠ができたのは1949年のジュネーブ条約からですが。>75
日本軍は「便衣の正規兵」を「敗残兵」として掃討したという事ですね。
そもそも例え正規兵でも便衣になれば捕虜になれませんよ。
正規兵でも平服になったら捕虜になれないという根拠は何なんだい? 軍服を着ていない軍属でも捕虜になれるのに
>>335 投降じゃなくて捕縛しただけだし、捕まえたからといって捕虜にする国際法が存在しなかったから
選別をして釈放するか処刑するか上海に送るかを後から決めただけですね
捕まえる前に全員殺しても合法だったが、君はそっちが人道的だと言いたいのかな?
日本軍は無関係な人間をできるだけ殺さないように努力しただけですね
米軍はマニラで市民12万ごと艦砲射撃で殺しました
>>335 軍服を着ていない軍属でも自分の所属や氏名、階級等をきちんと証明できれば捕虜になれますよ。
便衣になった正規兵はそれをちゃんと証明したとでも?
具体的な根拠を提示してください。
証明できたとしても日本軍がそれを認めてやる必要はどこにもないというだけで。
その場合、休戦の交渉(白旗)に応じる必要もありませんので交戦中の敵兵に対して攻撃が続行されただけですね。
>例え正規兵でも便衣になれば捕虜になれませんよ。 に対して、「正規兵が平服になるとなぜ捕虜になれないのか?」 と質問したのに、なぜそれに答えずに、関係ない事をグダグダ並べたり、質問返ししてるんだ ごまかしてないで、聞かれてる事にちゃんと答えろよ
339 :
名無し三等兵 :2014/02/25(火) 12:02:58.60 ID:cl7KfwkO
正規兵でも平服になるとスパイと見なされ捕虜になれない 正規兵は軍服を着ていないと正規兵と見なされない。
>>338 ハーグ条約では正規兵などは戦闘服、階級章、部隊章などをつけないといけない。
ゲリラなどの組織的な部隊ならやっぱり戦闘服を身につけ、部隊章などをつけ、リーダーに率いられてなければならない。
それ以外はスパイなので問答無用で射殺されるのが条約できてからの国際社会。
まあ、一応裁判しろって書いてるけど 裁判するのは敵さんだし、死刑免れないよねぇ。普通は。 取引条件として生かされる例を除く。
>>340 それは交戦資格、しかも民兵や義勇兵のだ
先に軍服を着ていない軍属でも、捕虜になれると書いてあるだろうが
軍服着てないとスパイと見なされるとか、全く根拠がない
だいたい軍人ではない、民間人の間諜行為は捕らえて裁判するのであって、その場で射殺はない
俺が言ってるのは、「正規兵」が平服の時に捕虜になれないという根拠を聞いている
20〜30万人が虐殺されているのに証言者が少な過ぎるだろ 10万人の死体を綺麗に並べてもで3キロ四方になるんだろ 異様な光景だし目撃者が多数いるはずなのにね 民間人を大虐殺する理由も無いしヤッパ嘘だろ
>>343 は証言がどれくらいあると思ってるんだろうか
それでも東京裁判の判定も、日本政府見解でも捕虜についてはスルーされてると
>>345 しかも所謂便衣兵処刑を「民間人を兵士だと偽って処刑した」と事実をねじ曲げて起訴した
判事どころか検事まで所謂便衣兵処刑じゃ有罪にできないと認識していた証拠だな
>>342 捕虜になれないじゃなくて拒否出来るだけですね
交戦者資格を持っていない上に投降もしていない敗残兵ですから
当時南京に便衣兵なんていないし、東京裁判に便衣兵が出てこないのは当たり前と、何度も言われてるのに 便衣兵がいたなんてのは、戦後の後付けだ
いわれている20万、30万の大虐殺は民間人がメインだな 兵士の処遇だけ話しててもあまり意味ない
>>347 つまり日本軍は交戦者資格のない相手に、戦闘をしかけたという主張か
>>350 >交戦者資格のない相手
上海戦で所謂便衣兵との交戦はあったんだよな
何か問題になってたっけ?
中国の主張する意味での南京大虐殺は、そもそも東京裁判時点で否定されてるのに このスレで言う南京大虐殺ってのは、どんな定義で議論されてるの?
それって1932年の第一次上海事変じゃないの 信夫淳平の「上海戦と国際法」では、便衣兵が狙撃しようとしている現行犯であれば、射殺して構わないけど そうでなければ捕らえて戦時重罪人として裁判にかけると
便衣兵で勘違いしてる人が多いけどさ 軍服ないしそれとわかる服装をしないで、「武装している、もしくは戦闘行為に加わっている」のが便衣兵だぞ 南京では武器は捕虜とは別の場所の場所で見つかってるし、便衣兵との交戦記録も見つかってない だから便衣兵もいなかったという話なんだ
>>350 だからどうしたの? 交戦者資格喪失者を攻撃できないとしたら、敵軍がわざと交戦者資格を放棄したら反撃不能になるだろ
>>342 交戦相手次第ですね。
捕虜にはなれるけど交戦相手が捕虜と認めてくれるかどうかですね。
平服で「自分は正規兵だ」なんて言えば交戦法規違反の現行犯ですから。
大勢の兵士が軍服を脱ぎ捨てて民間人の中にまぎれこんだ戦場ってほかにあるの?
>>355 それは投降だから捕虜にしなきゃだめだよ
>>358 投降じゃなくて捕縛だろ?誰が白旗揚げたんだよ
>>354 根本的に理解していないみたいだけど、交戦中の敵兵は投降や降伏を相手に認めてもらって初めて捕虜になれる。
「投降や降伏を必ず受け入れなければいけない」なんて国際法は存在しない。
正規兵の場合でさえこうなのに、捕虜資格を考慮されない交戦資格喪失者は言うまでもない。
話がややこしくなってるな
まず南京には便衣兵=ゲリラ、平服のまま戦闘行為をした中国兵はいない
単に軍服を脱いだだけで、戦闘行為はしていないからだ
この状態では捕虜資格はある、そして平服のまま戦闘行為をした訳ではないから、もちろん交戦法規違反ではない
だから
>>356 は間違いだし、単に「南京には便衣兵はいない」という主張に対して、的はずれな反論をしている
>>360 もおかしい
休戦していない戦場に、 降伏していない兵士が平服で潜伏してる状況は 相手の軍にとっては怖すぎるな
>>361 彼らは兵士の身分のママ平服に着替えて潜伏したんだから敵対行為を継続していたに過ぎないですね
彼らが日本軍に攻撃しないと誰が保証してくれたのですか?
平服のまま、実際に武器を持って戦闘行為をした場合には、交戦法規の問題が絡むが 攻撃もせずに、単に潜伏とか逃げ回る事を戦闘行為とは言わないよ 投降とか捕虜とかは一旦抜きにして、まずは「南京には便衣兵=ゲリラは存在しない」ただ「軍服を脱いだ正規兵がいる」だけ そして「軍服を脱いでも捕虜資格はある(交戦資格とは別)」という共通認識がないと、話がおかしくなってくる
だったら市内で戦闘を継続すればいいわけなんだが、あいにく日本軍はとくに戦闘も行わず、 無抵抗の成年男子を民間人も区別せず手当たり次第に大量に身柄を拘束したから、 その後の処遇が問題にされてしまってるんだが
>>364 投降せずに捕虜になれるわかないだろ
所謂便衣兵は投降していない
367 :
名無し三等兵 :2014/02/25(火) 16:59:46.04 ID:cl7KfwkO
戦闘も終結していないのに捕まえた敵正規兵を必ず捕虜にしなけれいけない なんて義務は無い。 捕虜資格なんてナンセンス!
一般市民ごと潜伏してる兵士を探し出して拘束(後選別)するよりも、 戦闘を継続して怪しい者を見つけ次第殺せば良かったという主張?
>>362 >>363 それなら脅威となる武器を捜索して、武装解除すればいいじゃない
武器さえなければ別に脅威ではなくなるのだから
>>369 武装解除ってことは、潜伏してる兵士が武装してるってことか
>>369 いや、仮に蒋介石が重慶で軍備を整えてリターンマッチを挑んだとする
その時城内にいる所謂便衣兵が隠し持った武器を使って内部から攻撃というシナリオもありうる
所謂便衣兵は存在しているだけで脅威なんだよ
何も起こらなかったのは、日本軍が所謂便衣兵掃討作戦を完遂した結果とも考えられるわけで
結果だけを見て判断するのはどうかしている
>>366-367 は何を言ってるんだ?
「投降とか捕虜とかは一旦抜きにして」と書いてあるのに、「投降もしてないのに捕虜になれる訳ない」とか訳わからん反論してるし
どこに「必ず捕虜にしないければならない」なんて書いてあるんだ?
単に「捕虜資格はある」と書いてあるだけだろ
なに勝手に飛躍して、的はずれな事言ってるんだ
>>370 も飛躍してる
脅威と感じるのなら、その脅威となる武器を捜索して脅威をなくせばいいと言ってる
もちろん相手が武装していなければ、武装解除する必要もないし、日本軍にとって脅威でもない
>>372 投降とか捕虜を抜きにして語るほうがどうかしている
法的根拠を何処に求めるんだ?
捕虜を抜きにして捕虜資格を語るバカってなんだろうねw
書いていない事、言っていない事に反論してるから、的はずれと言われる まあ読解力のないバカはスルーだな
>>371 否定派は捕虜を解放した場合もあったと主張してるのに?
リターンマッチの可能性を考えたら、解放するのはまずいじゃない
捕虜を解放するのなら、別に敗残兵を放置してもいいじゃない
抵抗してくるなら、その時相手をすればいいだけで
武器を隠し持っていないかだけ徹底的に捜索して、武器を没収すれば、それほど脅威にならないでしょ
>>376 その屁理屈じゃ所謂便衣兵は依然として危険なままだろ
開放するべきだという主張としては失格だな
>>355 >だからどうしたの? 交戦者資格喪失者を攻撃できないとしたら、敵軍がわざと交戦者資格を放棄したら反撃不能になるだろ
だからどうしたの?
反撃不能も何も平服に着替えようと武器を捨てているんだから反撃する必要がないじゃん。
石でもなげてくるってのか?
その場合は民間人であっても敵対行為で反撃できる。
所謂便衣兵って何だ? 便衣兵容疑者のことか? 便衣兵容疑者を捕獲したら、とりあえず保護するだけ。 その後、敗残兵だと判明すれば、捕虜としてそのまま保護する。 一般人だと判明すれば、機会を見て解放すればいいだけ。
まあ、理解力のない馬鹿な否定派(なかったことにしたい派)を相手にするのは、 徒労に終わるだけで全く無駄な行為だとよく分かる。まだ猿を相手にしていた方が 余程ましだ。
>>378 交戦者資格喪失は非武装という保証にはなりません
ってことで、敵兵が交戦者資格を放棄して重武装で攻撃してきても
アンタの屁理屈だと反撃不能で部隊全滅だねw
20万、30万虐殺などなかった事をあったことにしたい派 VS 20万、30万虐殺などなかったからなかったと言ってる派 だろ
>>382 それは南京となにか関係のあることなのかね?
そもそも私服だろうが民間人だろうが、
重武装で攻撃してくる敵対行為を行ってくる相手に反撃するのは問題ない。
交戦資格もないのに交戦行為を行うっているんだからな。
>敵兵が交戦者資格を放棄して
という前提が間違っている。
>>344 :名無し三等兵:2014/02/25(火) 13:52:10.82 ID:???
>>343 は証言がどれくらいあると思ってるんだろうか
↑
仮に1人1殺としても20〜30万人の当事者が日本兵にいたことになる
証言している者が1万人でもいるか?
せいぜい数十人だろ?
嫌な想い出なので語りたくない人が多かったとしても少な過ぎるだろ
このスレってなぜか言ってない事に反論したり、現実になかった事(平服で戦闘行為)を前提に語ったり 妄想癖の人が多いんだね あとこのスレでは30万人説なんて誰も主張してないよ 当時南京で何があったのかという、事実の検証をしてるだけ
>>384 南京の所謂便衣兵が武装を解除したことを保証してくれる人は誰も居ません
ってことで、南京でも状況は何ら変わりませんね
証言がほしいなら 「証言・南京大虐殺」(青木書店) 南京市文史資料研究会[編] 加々美光行・姫田光義[訳] 『この事実を…』―「南京大虐殺」生存者証言集 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館 (編集), 加藤 実 (翻訳)とか 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち―第十三師団山田支隊兵士の陣中日記 小野 賢二 (編集), 本多 勝一 (編集), 藤原 彰 (編集) とか、たくさんあるけど 「この事実を…」は中国側の証言が647編、「皇軍兵士たち」は幕府山事件の証言だけで200ある その他「証言による南京戦史」とか、いろいろあるよ?
>>387 はい?
南京では武器を持ってるかどうかを調べる最低限のチェックさえ行っていない
平服の人間を便意兵だっていって殺したっていうのかい?
どんだけ便意兵の摘出がいいかげんだったっていいたいんだw
南京でそれが行われたって言うんなら、そりゃ虐殺にほかならないだろw
南京処刑された便意兵はその摘出を”安全区から”日本軍が連れ出して
ひとりひとり調べてますので便意平とされた人間が武装を解除していたことは
日本軍が保証してくれてます。
そもそも、平服になったら殺していいって話と関係ありませんな。
ようやく理解できたってことでよろしいんですか?
何があったか、何がなかったかの検証をするべきだろうね 20万、30万があったことにされてるのが現実なんだから 何がなかったかについて沈黙するのが大虐殺派の典型パターン
20万、30万があったといってきたのが大虐殺派
それほどウンコの話をしたいのか 何回「便意」って書いているんだw
うんこの話はやめてくれ。 うんこ@おぇ〜w のバカがこのスレにまた来たらどうするんだ?
>>364 >攻撃もせずに、単に潜伏とか逃げ回る事を戦闘行為とは言わないよ
逃げ回る敵兵を追跡する為に兵力を使用しますので戦闘行為です。
潜伏した敵兵を選別する為に兵力を使用しますので戦闘行為です。
投降という「敵対する意思はないという意思表示」を拒否して潜伏したり逃げ回っているのですから完全に戦闘行為です。
>そして「軍服を脱いでも捕虜資格はある(交戦資格とは別)」という共通認識がないと、話がおかしくなってくる
捕虜資格と交戦資格は不可分の関係なので「軍服を脱いだ正規兵」の捕虜資格を認めないのが世界の共通認識です。
中間派の秦が陥落した今、常識派は2万以下で それ以上は極左活動家だけになっちまったな
>>394 そういう人はきちんと軍律裁判にかけて処刑しましょうねって話だな
そもそも処刑されたとき、逃げ回っていませんしw
>>396 その理屈だと、敵兵の眼前で便衣に着替え始めたら攻撃を中止して裁判を行わなければならなくなりますが。
つまり敵に攻撃されそうになったら便衣に着替えれば攻撃は中止される事になりますが。
そんな理屈が通用するはずがないでしょうw
どこの世界の話ですか?
>>397 あのう、どの理屈の話ですか?
南京で日本兵の眼前でいきなりストリップを始めた人でもいたんでしょうか?
軍人が便衣で戦闘行為を行っていたという罪で処刑するなら、
きちんと裁判にかけて民間人でないことを確定させてからやりましょうねって理屈ですよ?
>>394 は何を言ってるんだ?
>逃げ回る敵兵を追跡する為に兵力を使用しますので戦闘行為です。
>潜伏した敵兵を選別する為に兵力を使用しますので戦闘行為です。
追跡するのも選別するのも日本軍だろ
それに追跡や選別が戦闘行為って
>投降という「敵対する意思はないという意思表示」を拒否して潜伏したり逃げ回っているのですから完全に戦闘行為です。
戦闘行為ってのは、武器を持って攻撃してくる事だろうに
>捕虜資格と交戦資格は不可分の関係なので「軍服を脱いだ正規兵」の捕虜資格を認めないのが世界の共通認識です。
なんで不可分なのかもわからない
世界の共通認識って事は、「軍服を脱いだ正規兵には捕虜資格がない」という根拠を出せるんだよね?
軍服を着ていない軍属でも捕虜資格がある、という例を散々示したのに
というかあなたさっきから、 南京とは関係ないことをしきりにとりだして その理屈間違ってるといいたててますが、 せめて南京の場合でこういう状況だったので合法だったという話をしてくださいよ。 スレ違いもいい加減にしろってこった
ま、投降しても幕府山のように殺害命令を出されて、 結局万単位で殺しちゃうんだから日本側が敵対行為をとってる!とかいう筋合いじゃねえわなあw
その幕府山事件は不法行為認定されてるのかね
>>400 法というのはいかなる状況でも法自体に制限がない限り等しく適用されるんですよ
だから貴方が言うことを違法行為だとすると、同時に違法行為になるはずの事象を挙げているに過ぎない
貴方の中の世界のように、法は貴方の都合など考えてくれませんからね
>>399 >軍服を着ていない軍属でも捕虜資格がある、という例を散々示したのに
軍属は交戦者ではありません。
軍人は戦闘を主任務としますが、軍属の主任務は戦闘ではありません。
戦闘を主任務とする軍人(交戦者)に認められるのが捕虜資格であって、軍隊に追従して行動する軍属にはオマケで捕虜資格が認められているにすぎません。
平服の着用は
ハーグ4条件
(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、
に違反しますので「交戦者」としては認められません。
軍属は軍人(交戦者)に従属し、戦闘の主体ではないから、いわば「交戦者の付属品」として平服が認められているのですよ。
『上海戦と国際法』 信夫淳平博士(※国際法学者) 1932年
現交戦法規の上に於て認めらるゝ交戦者は、
第一には正規兵、
第二には民兵(Militia)及び義勇兵団(Volunteer Corps) にして
(一)部下のために責任を負ふ者その頭に立ち、
(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、
(三)公然兵器を携帯し、
(四)その動作に付戦争の法規慣例を遵守する
といふ四条件を具備するもの (正規兵も是等の条件を具備すべきは勿論である。)
>>400 軍属は「非戦闘員」。
軍人は「戦闘員」。
「非戦闘員」の捕虜資格適用条件を「戦闘員」に当てはめようなんてハーグ条約の否定でしかない。
陸戦の法規慣例に関する条約 第三条
交戦当事者の兵力は戦闘員及非戦闘員を以て之を編成することを得
敵に捕はれたる場合に於ては二者均しく俘虜の取扱を受くるの権利を有す
【非戦闘員】(※大辞林 第三版の解説から引用)
1 国際法上,戦争において敵対行為に参加する資格を持たない者。これらの者を攻撃目標としてはなら
ない。文民。一般市民。
2 軍隊組織の中で戦闘以外の任務(医療・衛生,宗教,経理,郵便,通信及び法務など)に従事する者。
>>398 >軍人が便衣で戦闘行為を行っていたという罪で処刑するなら、
>きちんと裁判にかけて民間人でないことを確定させてからやりましょうねって理屈ですよ?
日本軍がやったのは「降伏していない軍人に対して攻撃を続行した」という事ですよ。
「便衣で戦闘行為を行っていたという罪で処刑された例」が存在しない限りその理屈は成り立ちませんが?
>>398 >軍人が便衣で戦闘行為を行っていたという罪で処刑するなら、
でもこれ自体仮定の話で、
実際には軍服を脱いで潜伏してた敗残兵を捕らえて処刑しただけだな
『国際法新版』 田岡良一著 小川芳彦改訂(※国際法学者) 第三節 害敵手段の制限、 第一項 交戦資格、 一 概説 交戦資格は、本項三に述べる例外を除き原則として交戦国の正規兵力の構成員のみに属する。 また交戦資格のある軍人でも、その資格を表示する制服を脱ぎ、私人に変装して右の害敵手段に従事する時は、敵交戦国の手に捕えられた場合には戦時犯罪人となり、捕虜の待遇を受けることは出来ないのである。
便衣兵の現行犯。 ここでも日本軍の認識は最初から最後まで「敗残兵」。 増田六助伍長 第16師団 歩兵第20連隊 明くれば十四日、今日は国際委員会の設置している難民区へ掃蕩に行くのである。 昨日まで必死で抵抗していた数万の敗残兵は、八方より包囲されて唯一人も逃げていない。 結局この難民区へ逃げ込んでいるのだ。 今日こそ虱潰しに、草の根分けても探し出し、亡き戦友の恨みを晴らしてやろうと意気込んで配置に付いた。 各小隊分かれて、それぞれ複雑な支那屋敷を一々捜して男は全部取り調べた。 その中にある大きな建物の中に数百名の敗残兵が軍服を脱いで便服と着替えつつあるところを第二小隊の連絡係前原伍長等が見つけた。 それというので飛び込んでみると、なんのそのそうそうたる敗残兵だ。 傍らに小銃、拳銃。青竜刀など兵器が山ほど積んであるではないか。
>>404-405 と
>>408 は、
>>399 に対して何の反論にもなってないんだけど
・そこには逃走や潜伏が戦闘行為と書いてあるんですか?
・捕虜資格と交戦資格が不可分と言っていたのに、証明されていません
非戦闘員でも捕虜資格があるのだから、不可分ではありません
・「平服の正規兵」に捕虜資格がない事が証明されていません
そこにあるのは、平服のまま「戦闘行為をした場合」には、戦時重罪人として捕虜資格を喪失するだけです
戦闘行為をせずに、ただ平服でいるだけでは、捕虜資格を喪失しません
世界の共通認識とか言ってたのに、ガセだったんですか?
因みに
>>408 の本では、「右の害敵手段」について、具体的にどういう行為が書いてあるの?
>394の 「『軍服を脱いだ正規兵』の捕虜資格を認めないのが世界の共通認識です」 というのは、やっぱりガセですか。
>>410 アホw 戦闘行為じゃなくて害敵手段だw 勝手に脳内変換させるなよw
市民に紛れ込み攻撃を受けず兵力を温存する策略的手段だなw
世界大百科事典 第2版の解説
がいてきしゅだん【害敵手段】
広義には,交戦国が戦争目的達成のため敵に対して行使する暴力的または【 策略的手段 】・方法の総称であり,
狭義にはその中心を占める兵器を指す。交戦国は原則としてみずから有する害敵手段を総合的に行使しうるが,
国際条約や慣習規則による制限には従わなければならない。
このことは,1907年〈陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則〉(ハーグ陸戦規則)で
〈交戦者ハ害敵手段ノ選択ニ付,無制限ノ権利ヲ有スルモノニ非ス〉(22条)として明文化され,
1949年のジュネーブ諸条約に対する1977年の第一追加議定書でも確認されている(35条)。
>>410 軍服とか平服の前に、降伏せずに捕虜になれるとは初耳です
何処の誰が唱えているのか教えて貰えないでしょうか?
それとも口から出任せですかw
>>411 ホレ、しっかり読んで理解しろw
『国際法新版』 田岡良一著 小川芳彦改訂(※国際法学者)
交戦国が敵国に向かって行使する諸般の手段は、敵国の屈服を早め、敵国政府に、自国の提出する条件を受け入れて和を結ぶ決意をさせる目的に集中される。
この目的を達するために、
(一)敵国の軍事力を破壊するだけでなく、
(二)戦争の筋肉(sinews of war)と呼ばれる敵国の経済力を弱めることも必要である。
第一の手段を行使するに当たっても敵国の一般人民を巻きぞえにすることがあるが、第二の手段は敵国民の私有財産の破壊没収、および敵国と中立国との通商の遮断を内容とするものであって、
敵国民および中立国民に甚大な損害を与えることになる。
しかしこれらの手段も、敵の戦争継続の経済的源水を破壊し、または敵国民の間に敗北主義をかもし出すことにより、敵国の屈服を早める効果があるから、戦争の実際において常に行使される。
本書ではこれらすべての手段を「害敵手段」と呼ぶ。
学者の中には、「害敵手段」という語を、敵国兵力に対する加害手段のみを指すものとして狭義に使用する人も多いが、本書のような広義の用法も許されるであろう。
この害敵手段は交戦国が正規に任命した軍人によって原則行われる。
交戦国の国民であると中立国の国民であるとを問わず、また自己の発意によると交戦国政府あるいは軍人の命令によるとを問わず、私人が、敵国陸海空軍兵力に対する攻撃、敵国領土の占領、敵国領土
内または敵軍の占領地帯内に存在する建物および工作物の破壊、これにの地帯内における軍事情報の収集、敵船舶および敵航空機の拿捕、敵国を利する行為に従事する中立船舶および中立航空機の
拿捕等の各種の行為に従事するときは、敵交戦国の手に捕えられた場合には、戦時犯罪人として処罰される。
これらの行為に従事して、しかも敵に捕えられたとき戦時犯罪人としての取扱を受けず、捕虜の待遇を受ける者を、交戦資格ある者という。
交戦資格は、本項三に述べる例外を除き原則として交戦国の正規兵力の構成員のみに属する。
また交戦資格のある軍人でも、その資格を表示する制服を脱ぎ、私人に変装して右の害敵手段に従事する時は、敵交戦国の手に捕えられた場合には戦時犯罪人となり、捕虜の待遇を受けることは出来ないのである。
>>412 どうぞご自分のトンデモ論で国際法学者の見解を否定してみてくださいw
『戦時国際法論』 立作太郎博士(※国際法学者) 1931年
正規の兵力に属する者も、不正規兵中、民兵又は義勇兵団に必要とする後述の四条件を備へざることを得るものではない。
正規の兵力たるときは、是等の条件は、当然之を具備するものと思惟せらるるのである。正規の兵力に属する者が、是等の条件を欠くときは、
交戦者たるの特権を失ふに至るのである。
『国際法基礎講座』 筒井若水著(※国際法学者)
陸戦の法規慣例に関する条約の付属規則(ハーグ陸戦規則−以下ハーグ規則と略称)は第一条に適
法な交戦資格として四つの条件をあげ、
(1)責任ある指揮者のある集団であること
(2)それとわかる標章・服装を着用していること
(3)公然兵器を携行すること
(4)戦争法を守ること
を求める。捕らえられた場合、捕虜としての待遇を受ける資格のあるものは、こうした条件をみたしつつ交戦に従事していた戦闘員であり、それ以外のものは、
戦争犯罪人として、適法に処罰される(多くの場合死刑)。
>>412 『上海戦と国際法』 信夫淳平博士(※国際法学者) 1932年
現交戦法規の上に於て認めらるゝ交戦者は、
第一には正規兵、
第二には民兵(Militia)及び義勇兵団(Volunteer Corps)
にして
(一)部下のために責任を負ふ者その頭に立ち、
(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、
(三)公然兵器を携帯し、
(四)その動作に付戦争の法規慣例を遵守する
といふ四条件を具備するもの (正規兵も是等の条件を具備すべきは勿論である。)
ちなみに【四条件を満たした正規軍兵士】でも、【何らかの犯罪を犯した場合は捕虜資格を失う】とされています。
『戦時国際法論』 立作太郎博士(※国際法学者) 1931年
一国の兵力に属する戦闘員又は非戦闘員が敵に捕へられたる場合には、(戦時犯罪又は其他犯罪を
犯したる場合に非ざれば)俘虜の取扱を受くるの権利を有すべきことは、今日に於て明確に認めらるる所である。
>>413-417 なんか反論できなくなったからって火病起こしたんかいな
そんなんいくら貼っても無駄なのに
そこにあるのは、単に「交戦者たるの特権を失ふに至る」という事
平服のまま「交戦に従事していた」場合は、捕虜資格を喪失して戦時重罪人になるという事
正規兵が平服になっただけで捕虜資格を喪失するなんて、どこにも書いてませんが
やっぱりガセ認定って事で決まりだね
>>418 やっぱり理解できていなかったかw
狭義では「交戦」とは、「正規に任命した軍人によって行われる敵国兵力に対する加害手段」で「害敵手段」のひとつでしかない。
>415
>本書ではこれらすべての手段を「害敵手段」と呼ぶ。
> 学者の中には、「害敵手段」という語を、敵国兵力に対する加害手段のみを指すものとして狭義に使用する人も多いが、本書のような広義の用法も許されるであろう。
> この害敵手段は交戦国が正規に任命した軍人によって原則行われる。
>>418 >正規兵が平服になっただけで捕虜資格を喪失するなんて、どこにも書いてませんが
正規兵が《交戦中》の話をしているんだが。
自分に都合よく話を勝手に作り替えるなよ。
最初は非戦闘員の軍属の捕虜資格>335
それから「戦闘行為」に話を逸らし、>364
それからさらに、《交戦中でない》正規兵へと話を逸らす>399
詭弁もここまで行けば大したもんだw
まあ、ただ単に捕虜資格というものを理解できていないだけだろうがw
>>420 >また交戦資格のある軍人でも〜戦時犯罪人となり、捕虜の待遇を受けることは出来ないのである
つまり、四条件違反は戦時重罪(戦争犯罪)を構成するから、その処罰には軍事裁判(軍律法廷)の
手続きが必要不可欠である、ということかね。しかし実際には裁判は行われなかったと。
>>418 なんだこの詭弁はw
話の発端は南京戦の戦場で平服に着替え民間人に偽装してる兵士だぞw
敵の前で平服でいることは市民になりすまして攻撃を受けないようにする策略的行為であり害敵手段だw
それを平服になっただけに摩り替えるのは誤魔化しでしかないなw
じゃあ南京戦の戦場で平服に着替え民間人に偽装してる兵士に
捕虜資格はあるのかないのか2択で答えてみろよw
前提条件が間違ってるな まず南京陥落後に城内で交戦があったという記録を出してもらわないと、 交戦中に降伏を認めなかったという言い訳は成立しない 実際そんな記録はどこにもなく、単に非武装で平服の人間を拘束しただけだから、 拘束した人間のその後の処遇が問題になってる
>>421 > 南京安全区委員会文書 「第三十七号文書」
> (1)われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、
南京安全区委員会にはこう見られてるぞw
東京裁判でも民間人偽装兵捕虜殺害は違法認定されませんでしたねw
>>424 陥落の3ヵ月後に出された文書だから単に軍政下の治安維持の問題を述べてると思われる
>>426 違法な処刑は認知してないし抗議もしてないよなw
>>424 あっそう。私は >418 ではないが。
>われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、これがあまりにも非能率的で
>残虐なやり方でおこなわれていることは確かである。そのうえ、このようなやり方は、われわれが日本大使館員たち
>と個人的に話し合ったさいに何回も言ったような問題をひきおこすのである。(省略)
この処刑が、合法的な死刑執行かどうかは実は分からない。引用部分は、もしそうなら、という仮定の前文で、主文は
「そうだとしても・・・」池の中での射殺は困るという抗議で、処刑を合法と認めたものではない。
それで、軍律裁判がなかったことに対する反論はなしね。はい、わかりましたw お疲れさん。
>>428 南京安全区委員会文書のどこに
この処刑が、合法的な死刑執行かどうかは実は分からない。
と書かれているんですか?
>>423 >まず南京陥落後に城内で交戦があったという記録を出してもらわないと、
交戦中の敵軍が降伏しないで城内に移動してるんだろうが。
交戦は継続中だ。
理解力の問題なのか読解力の問題なのか、話が噛み合ってないな
>>420 俺は
>>334 が言う
「そもそも例え正規兵でも便衣になれば捕虜になれません」に対して、
>>335 からずっーと、「正規兵は平服になっただけでは捕虜資格しない」と主張し、
>>334 が「平服になっただけで捕虜になれない」と主張するなら根拠を示せと言ってきたつもりだけど、話を逸らした事など一度もない
なのに未だにこちらの言いたい事さえ理解できていないのか?
>>421 も何度言わせるんだ
四条件を備えずに、「交戦に従事していた戦闘員」は捕虜資格を喪失するが、南京で軍服を脱いだ中国兵達は、交戦に従事していない
だから捕虜資格は喪失していないと何度同じ事を言わせる?
>>428 その文書の続き
つまり、安全区内の池で人を殺すことは池の水をだいなしにするし、そのため、地区内の人々にたいする
給水量が大幅に減少するのである。このように乾燥が続いており、水道の復旧が遅れているさいに、これ
はきわめて重大なことである。市による水の配給は非常に手間どっている。
大きな問題は処刑じゃなくて、池の水だったようでw
>>431 > 南京で軍服を脱いだ中国兵達は、交戦に従事していない
> だから捕虜資格は喪失していないと何度同じ事を言わせる?
交戦ではなく害敵手段ですよw 勝手に脳内変換しないで下さいw
敵の前で平服でいることは市民になりすまして攻撃を受けないようにする
策略的行為であり害敵手段を行っていますw
あった派は20万、30万論者の学者のシンパばかり
>>434 アホ、これは板倉由明による東中野への批判だ、よく読め
単に「国際委員会文書」を洞の資料集から引用しただけで、洞は関係ない
>>436 南京安全区委員会が
この処刑が、合法的な死刑執行かどうかは実は分からない。
という根拠は?
>>436 あ、引用部分はラーベが書いたところだけなのね。それはそれとして合法でも違法でも池で処刑やられるのは困るわけで、
「もし合法だったとしても」が何処にも繋がりませんね。つまり主張は言いがかりですわw
>>433 自分で引用した
>>415 をよく読んでみろ
これのどこに、「敵の前で平服でいること」が害敵手段であると書いてあるんだ?
書いてあるのは、私人が
「敵国陸海空軍兵力に対する攻撃」
「敵国領土の占領、敵国占領地帯内に存在する建物および工作物の破壊」
「軍事情報の収集、敵(中立国も)船舶および敵航空機の拿捕」等の各種の行為」に従事するときは、戦時犯罪人になるという事
害敵手段については、「敵国の軍事力を破壊」と「敵国の経済力を弱めること」が書いてあるだけ
どこにも「ただ平服でいること」が害敵手段に該当するなんて書いてないけど?
>>436 日本軍に抗議もしていた南京安全区委員会が合法的と認識していたのに
合法的な死刑執行かどうかは実は分からない。
とは根拠のないただのいちゃもんという事ですか?
>>439 >学者の中には、「害敵手段」という語を、敵国兵力に対する加害手段のみを指すものとして狭義に使用する人も多いが
>これらの行為に従事して、しかも敵に捕えられたとき戦時犯罪人としての取扱を受けず、捕虜の待遇を受ける者を、交戦資格ある者という。
所謂便衣兵は、元々中国側の兵士なんだから「敵国兵力に対する加害」を行っていたわけだから、「これらの行為に従事して」いたわけですね
服を着替えた瞬間にリセットされるわけ無いでしょ。彼らには兵隊として日本軍と戦っていた履歴が存在します
>>439 害敵手段を理解して下さいw
あなたは例題しか認めないんですか? それじゃテスト等で困りますよw
敵の前で平服でいることは市民になりすまして攻撃を受けないようにする策略的手段ですよw
世界大百科事典 第2版の解説
がいてきしゅだん【害敵手段】
広義には,交戦国が戦争目的達成のため敵に対して行使する暴力的または【 策略的手段 】・方法の総称であり,
狭義にはその中心を占める兵器を指す。交戦国は原則としてみずから有する害敵手段を総合的に行使しうるが,
国際条約や慣習規則による制限には従わなければならない。
このことは,1907年〈陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則〉(ハーグ陸戦規則)で
〈交戦者ハ害敵手段ノ選択ニ付,無制限ノ権利ヲ有スルモノニ非ス〉(22条)として明文化され,
1949年のジュネーブ諸条約に対する1977年の第一追加議定書でも確認されている(35条)。
デジタル大辞泉の解説
さく‐りゃく 【策略】
自分の目的を達成するために相手をおとしいれるはかりごと。計略。「―をめぐらす」
スレの趣旨である、軍事面での記録を列挙して、南京事件を検証するスレのはずなのに すっかり国際法の不毛な議論に変わってる 前半で幕府山事件を少しやっただけで、事実確認が置いてきぼり状態 ここは軍事板であって法律板ではないと言ってるのに
まあ検証と言っても、2chをはじめ素人のネットでの議論が、実際の「南京事件論争」に影響を与える事なんてないんだけどな 論壇で既に行われた議論の劣化版焼き直しをしているに過ぎない そして東中野ら否定派の現在の主流は、プロパガンダ説であって、国際法議論ではない 東中野は吉田裕に論破されて、国際法議論から撤退したからな
否定派の主流は昔から事実に基づけば20万、30万の大虐殺など起きていないということであって それは一貫して変わっていないし正しい ティンパーリらの巧みなプロパガンダや、国際法の議論は検証対象のひとつにすぎない
>>443 タイトル通りだと非戦闘員の被害だけになっちゃうねw
まあ言いたいことは分かるけど虐殺派の基本的な認識というかプロパガンダが酷すぎるからねw
>「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
>1.日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
>>444 > 実際の「南京事件論争」に影響を与える事なんてないんだけどな
虐殺派が便衣兵捕虜殺害を違法と主張しても東京裁判や政府見解は変えられないからなw
> 東中野は吉田裕に論破されて、国際法議論から撤退したからな
ここは笑うところかwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
南京論争の2大馬鹿、しかも国際法の素人のトンデモ論争だろwwwwwwwwwwwwww
>>439 「また交戦資格のある軍人でも、その資格を表示する制服を脱ぎ、私人に変装して右の害敵手段に従事する時は」
了解! 正規兵が平服になっただけで、右の害敵手段に従事していなければ、捕虜資格を喪失することは
ありませんね。
ただ、@を殺害したら虐殺、Aを軍律裁判無しに殺害したら虐殺、というだけのことか。
@正規兵→捕虜→保護する
A正規兵→戦時重罪なら→軍律裁判へ
>>442 こらっ! よくも騙してくれたな。軍律裁判があったことを証明できなかったくせに。
>(1)われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、
こんな関係のない撒き餌に引っかかって、誤魔化されることはない。
>>446 こらっ、 改竄派のバカ。すっこんでろ!
449 :
名無し三等兵 :2014/02/26(水) 08:54:31.25 ID:WutWXL7W
>>447 正規兵=害敵手段に従事するもの
故に、正規兵が平服になり、戦場にいれば捕虜資格を喪失することになる。
戦場で捕まって私は正規兵だが平服着てるから害敵手段に従事していないなんて言い訳通用しない
普通スパイか破壊工作員としか見られない。
>>421 「戦時重罪犯」として《処罰》する場合は軍事裁判(軍律法廷)の手続きが必要ですよ。
しかし「交戦中の敵兵」として攻撃を続行するのは何も問題ありません。
「交戦中の敵兵」が目の前で平服に着替えだしたら攻撃を中止して軍事裁判を開かなければならないとでも?
そんな事はありえません。
事実日本軍は「敗残兵」と判断しています。>409
そりゃ「戦場」という認識を拡大解釈すれば占領下の虐殺はすべて不慮の事故で済ませられるわな けど実際には占領した都市の治安維持は軍政上の問題であって、十分な憲兵や法務を用意せずに 侵攻作戦をすすめた日本軍にとっては起こるべくして起こった事故 また、捕虜殺害の理由も、捕虜に与える食料や輸送手段が十分でなかったことが原因であり、 敵国最大の都市を攻略した占領軍としては不用意なまでに準備不足だったのはあきらか 日本軍はその「有責事故」の責任を問われてると肯定派は考えてるんだよ
>>449 その場合は元レスのAに該当するじゃない。
要は論理矛盾起こしているんだよ、平服で戦闘継続→処刑可能ってのがさ
>>450 昨日も指摘したが、それは南京となにか関係のあることなの?
いつ南京で目の前で平服に着替えだしたのに射殺されたので虐殺という話がうまれたの?
>>453 便衣兵の現行犯を日本軍は「敗残兵」と判断してますよ>409
12月14日難民区での出来事ですよ。
これは南京とは関係ないとでも?
つか無抵抗の「敗残兵」を片っ端から処刑したってのもかなりみっともない話じゃね? 否定派はそれを主張していくってことでいいの?w
「自分は抵抗しない」という意思表示が投降なんですが。 敗残兵がいつ投降したんですかね。 敗残兵、つまり「降伏していない敵兵」を「攻撃」しただけですね。
>>454 だから敗残兵はいいけど、攻撃してくるでもなく摘出に従順に協力している敗残兵を
まだ交戦中とかいって処刑したらそりゃ虐殺呼ばわりされるのが当然だわw
無抵抗の人間をよく調べもせずにどんどん殺していけばさ。
それが攻撃だとかいって通用するんか?
軍事的必要性が皆無だな。
>>456 はて? 降伏しないと捕虜でないって理屈はどこから?
捕虜って捕まえて自国の権力内に収まった者のことをいうはずだが。
あーあと、409は結論として > 片っ端から引っぱり出して裸にして持ち物の検査をし、道路へ垂れ下っている電線でひっくくり数珠つなぎにした。 (以下仕返しに無抵抗の捕虜に暴行を加える表現続く) >夕闇せまるころ、六百人近くの敗残兵の大群を引き立て玄武門にいたり、その近くで一度に銃殺したのであった。 とありますから、その間降伏の意志の確認すらせずに殺してますから立派な国際法違反ですよw
>>457 捕まえた敵兵に反撃された例や、武装解除したはずなのに武器を隠し持っていた例がありますが。>94
こういう事をやってる連中のどこが従順なのかと。
「証言による『南京戦史』8」より、六車政次郎氏の証言
『・・・・大隊は15日頃、城内の宿舎を割り当てられ、17日頃城内に移駐したよしであるが、私が原隊復帰後に、城外掃蕩に任じていた小隊長から、次のような話を聞いた。
「1ヶ小隊で中山門東方紫金山中の警備を担当したが、激戦により小隊は約三十名に減少していた。夜半、東方の山中から敗残兵数百名が、日本軍が居るのに気付かず、南京に向かって来たのを捕えた。
しかし、我々の人数が少なく、もし少人数と判れば危ないので、銃を取りあげ凹地に集結させ、外側の兵のみを電線で縛って逃げないようにした。
ところが、日本軍が少人数とあなどったのか、手榴弾を投げつけてきて暴れだし、収拾がつかなくなったので、軽機・小銃で弾丸のある限り射った。小隊長も、、手向かってくる敵を斬りまくり刀が折れた」』
「証言による『南京戦史』9」より、島田勝巳氏(歩兵第三十三連隊第二機関銃中隊長)の遺稿
「中国兵は、小銃を捨てても、懐中に手榴弾や拳銃を隠し持っている者が、かなりいた。紛戦状態の戦場に身を置く戦闘者の心理を振り返ってみると「敵を殺さなければ次の瞬間、こちらが殺される」
という切実な論理に従って行動したのが偽らざる実態である。」
・降伏を認める義務はないから降伏はしてない ・降伏してない以上は殺してもかまわない いまの否定派の主張がこれなんだが、かなり無理言ってないか?w
>>457 「敵の手中に陥った者」と「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)は全くの別物ですけど。>85
>85
『南京事件と戦時国際法』 佐藤和男
一九四九年捕虜条約は、一九二〇〜三〇年代の捕虜に関する国際法規に比較して飛躍的に進歩した内容を示していて、もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、
少なくとも右の第五条に見られる 「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは限らないことを示唆している 点におい
て、注目に 値しよう。
>>459 だから虐殺の実数については議論の余地はあるんだって
確実に該当するのは城内に逃げ込んで民間人にまぎれてた敗残兵についてであって、
城外でまだ抵抗を継続していた勇気ある敵兵については除外してもかまわないんだよ
それでももっとも控えめな数字で数千人だから立派な虐殺だけどな
>>458 降伏の意思があるなら便衣に着替える必要はありませんよ。
464 :
名無し三等兵 :2014/02/26(水) 11:19:48.55 ID:WutWXL7W
>>459 捕まえた敵兵が突然反撃してくるとか戦場ではよくあること
管理が出来ずに仕方なく敵兵を殺害した例は普通にある
捕まえた中国兵の数が日本軍の数を上回っていたことが不幸だな。
>>462 >確実に該当するのは城内に逃げ込んで民間人にまぎれてた敗残兵
休戦前の戦場で敗残兵を殺すと虐殺なのか?
無抵抗の人間を大量に殺したらどんな状況だろうが虐殺だよ
幕府山では無抵抗じゃなかったよな?
結局南京では何人の中国兵を捕らえて、そのうち何人が生き残ったのか 12月末時点では、捕虜1万0500人と発表しているが もちろん実際にはもっと捕らえてるけど、12月末時点で残ったのは1万人ほどだった その後この1万人(たぶん南京刑務所に収容されてる)は生き残ったのだろうか
いったん捕虜としてとらえた敵兵が大量死したのに責任はないと? 戦史叢書の記述どおりの待遇だったとしたらそれだけで立派な戦争犯罪だぞ 10万の敵軍と戦うときは10万人捕虜にできるよう準備しておくのが近代的軍隊の常識だ
470 :
名無し三等兵 :2014/02/26(水) 13:17:09.90 ID:WutWXL7W
汪兆銘の南京政府軍にかなりの数が編入したはず。 劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将。彼は南京安全区に潜んでいたところを捕らえられ、しばらく苦力として雇われていたが、のちに汪兆銘の親日政府の軍の軍長となった(朝日版支那事変画報 1938.1.1刊) 以下、偕行社「南京戦史」より抜粋
471 :
名無し三等兵 :2014/02/26(水) 13:18:48.27 ID:WutWXL7W
大西一氏(上海派遣軍二課長)の証言 「私が南京特務機関長になったとき(13年2月)、第十軍の参謀がやってきて、司令部で捕虜を五,六名持っているので、これを引き受けてくれないか、というので引き受けました。 もし優秀な者が居れば、将来地方政権が出来たとき、治安部隊に使うことを考慮したからです。 そのなかで、「劉」という少将以下若干の者は、南京に維新政府が出来たとき、幹部に登用しました。劉少将は後日、日本流に言えば、教育総監のような地位に昇進しました。」 (注)この「劉」少将は劉啓雄少将であろう。汪精衛政府の要人『周仏海日記』に次のような記述がある。 「(昭和15年)11月15日 劉啓雄を接見する。黄埔軍官学校の第二期生。民国26年南京防御戦のとき旅長であったが、南京が落ちてから難民区に隠れていた。 〔汪政府成立後〕和平救国軍隊長となった。この人は能力がある。今後大いに用いるところがあるであろう。」
>>469 当時の中国側は日本軍20万に対してどのような準備をしてたの?
脳内で理想の戦争やってる人がいるなあ
>>472 防衛側にイニシアティブを求めてもしょうがないだろ
そもそも日本軍が南京城内に平服で逃げこんで何するつもりだ?
負ければ普通に撤退するだけの話
>>474 第二次上海事変を引き起こしたのは蒋介石側だろ
防衛側はむしろ日本軍だぞ
ホントお前らは中国側には何も求めないよな
国民党軍は近代的軍隊じゃないから(震え声)
>>474 こういう奴って中国側の国際法違反や日本兵民間人への虐殺は全く問題にしないが
日本側には完璧以上のもの求めて非難するよなw
本当に虐殺派ってのは反日目的だけの真のクズだよ!
479 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/02/26(水) 14:07:56.81 ID:UlpHlvGh
右翼・保守・極右・正論読者・産経新聞読者・サピオ読者・愛国者・ 国粋主義者・独裁主義者・復古主義者・歴史修正主義者・軍国主義者・ 民族主義者・武士気取り・国士気取り・通り魔予備軍・文学的変態・ 言論チンピラ・ネットチンピラ・台湾系右翼たちに質問します。 論破開始 【ネトウヨその傾向と対策#41】 南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
480 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/02/26(水) 14:08:49.07 ID:UlpHlvGh
>>478 >
>>474 > こういう奴って中国側の国際法違反や日本兵民間人への虐殺は全く問題にしないが
> 日本側には完璧以上のもの求めて非難するよなw
>
> 本当に虐殺派ってのは反日目的だけの真のクズだよ!
【ネトウヨその傾向と対策#120】
「宣伝と誇張を、できるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は、
日本軍がその占領した、ある地域の一般民衆、はたまた
戦時ふ虜(捕虜)に対し犯したものであるという証拠は
圧倒的である」
NHKスペシャル2007/8/14
パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判知られざる攻防〜 抜粋
【ネトウヨその傾向と対策#42】
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
>残虐行為は、日本軍がその占領した、ある地域の一般民衆、はたまた戦時ふ虜(捕虜)に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である 判定で松井の犯罪的責任が認定されたのは、 一般民衆の保護を怠ったことに対してのみでしたとさ
>>470-471 大西一の証言は、東京裁判向けのタテマエ論でしかないよ
しかも証言にあるのは、司令部にいた5〜6名とか若干という表現
「かなりの数」が編入されたなんて表現は出てこない
陸軍は基本、「支那事変では捕虜をとらない」という方針だったし
12月末時点で残っていた捕虜は、歩38連隊の捕虜7200名が中心だが、処刑説と上海で使役した説の両方がある
翌1月に参謀本部から来た稲田正純いわく、「上海で労役に使うつもりでいて、数日出張した留守に殺されてしまった」とか
483 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/02/26(水) 14:21:12.58 ID:UlpHlvGh
>>481 > 残虐行為は、日本軍がその占領した、ある地域の一般民衆、はたまた戦時ふ虜(捕虜)に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である
>
> 判定で松井の犯罪的責任が認定されたのは、
> 一般民衆の保護を怠ったことに対してのみでしたとさ
【ネトウヨその傾向と対策#53】
質問の答えになっていませんよ。「学者の名前」を答えてくださいな。ok
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
質問に答えたつもりはないが何かw
>>482 日本軍の所謂便衣兵処刑は割とオープンにやっていたのに、
捕虜の処刑は箝口令が敷かれて今に至っても誰も喋らない設定かw
論理的に無理がありすぎると思わないか?
486 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/02/26(水) 14:55:49.98 ID:UlpHlvGh
>>484 > 質問に答えたつもりはないが何かw
【ネトウヨその傾向と対策#45】
都合の悪い質問はスルーですか? 繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
>>461 >「敵の手中に陥った者」と「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)は全くの別物ですけど。
どっちも無抵抗なのに大量に殺したら虐殺呼ばわりされるのは当然でしょ。
だいたい交戦資格を持った捕虜でもない、戦時重罪でもないならただの敵国民=民間人だよw
>>463 無抵抗で捕まったのにかw
そして捕まったあとにもかw
だいたいだな、日本の軍律違反だ、お前のいってることは。 支那派遣軍が出した軍律 六、一定の軍服又は徽章を著せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者) 而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。 何となれば、殺伐なる戰地に於いては動も すれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることあるが爲である。 軍律の適用は峻嚴なるを以て、一面にては特に誤判無きを 期せねばならぬ。 而して其の裁判機關は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。 「敵の手中に陥った者」と「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)は全くの別物以前に、 これがふつうに守られていれば戦闘中とかいう言い訳すら通用しない。 虐殺者どもは単なる軍律違反の日本の犯罪者でしかない。
>>488 軍律違反者を必ず裁判にかけないといけないという軍律も存在しないよな
違反者が捕虜待遇を受ける権利がないのなら、拘束されようが依然として身分は敵兵だろ
>>463 無抵抗で捕まったのにかw
>>459 「証言による『南京戦史』8」より、六車政次郎氏の証言
『・・・・大隊は15日頃、城内の宿舎を割り当てられ、17日頃城内に移駐したよしであるが、私が原隊復帰後に、城外掃蕩に任じていた小隊長から、次のような話を聞いた。
「1ヶ小隊で中山門東方紫金山中の警備を担当したが、激戦により小隊は約三十名に減少していた。夜半、東方の山中から敗残兵数百名が、日本軍が居るのに気付かず、南京に向かって来たのを捕えた。
しかし、我々の人数が少なく、もし少人数と判れば危ないので、銃を取りあげ凹地に集結させ、外側の兵のみを電線で縛って逃げないようにした。
ところが、日本軍が少人数とあなどったのか、手榴弾を投げつけてきて暴れだし、収拾がつかなくなったので、軽機・小銃で弾丸のある限り射った。小隊長も、、手向かってくる敵を斬りまくり刀が折れた」』
中島師団長の「捕虜はせぬ方針」に関連して、関係者の証言をいくつか 児玉義雄(歩兵第38連隊副官) 聯隊の第一線が、南京城1、2キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな、処置せよ」と電話で伝えらた。 私は、これはとんでもないことだと、大きなショックをうけた。 師団長中島今朝吾中将は豪快な将軍で好ましいお人柄だと思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。 参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。 部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。 激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。 (「証言による『南京戦史』(5) =『偕行』1984年8月号)
沢田正久(独立攻城重砲兵第2大隊第1中隊、観測班長、砲兵中尉) 南京が陥落した12月13日、仙鶴門鎮付近で「首都防衛決死隊の夜襲」をうけ、かつ多数の投降捕虜を得たので、その状況を略述します。 やがて友軍増援部隊が到達し、敵は力尽き、白旗を掲げて正午頃投降してきました。 その行動は極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。 多くの敵兵は胸に「首都防衛決死隊」の布片を縫いつけていました。 俘虜の数は約1万(戦場のことですから、正確に数えておりませんが、約8千以上おったと記憶します)でしたが、早速、軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」と言ってきましたので拒否しましたら、「では中山門まで連れて来い」と命令されました。 「それも不可能」と断わったら、やっと、「歩兵4コ中隊を増援するから、一緒に中山門まで来い」ということになり、私も中山門近くまで同行しました。
宮本四郎(歩兵第16師団司令部副官) 私はその時、”1万の捕虜をどのように収容するか”を考えなければならなかった。 南京城内には刑務所があるだろうから、そこに入れるとしても食わせるものがない。我々自身がイカモノを食いつつ、その日を過ごしているのに如何ともなし難い。 しかし、人間は水さえ飲んでいれば10日や20日は保つというから、食飼のことは何とかなるだろう。参謀長に指示をうけようとしたが、参謀長は即座に「捕虜はつくらん」と言われたので、後方参謀に話した。
因みに上海派遣軍参謀・大西一大尉の証言は、自身が 「中島第16師団長もいろいろ言われていますが、どんな人ですか。」 「当時中島師団長は中将、私は大尉。 とても話をしたりするような間柄ではありません。 直接にはほとんど存じ上げていません」阿羅健一「南京事件 日本人48人の証言」 とか、偕行社からも「シロだシロだと言うばかりで、これでは中国側の30万人説に抗し得ない」と言われる始末
第16師団からは「支那兵の降伏を受け入れるな、処置せよ」と言われ、軍司令部からは「直ちに銃殺せよ」と言われ、参謀長は「捕虜はつくらん」と言う 現場が拒否して漸く仙鶴門鎮の捕虜7200名は南京刑務所に収容される事になる 当の中島師団長はと言えば、「この7、8千を処理するには相当大なる壕を要す」だの、各中隊に振り分けて処理だの、投降した後の捕虜も殺害する気満々
>>482 劉啓雄の件は、ちゃんと別のルートからの裏付けがあるのに、都合が悪いから出任せ認定ですかw
南京暴行報告分類表(国際委員会の報告) 期間 殺人 傷害 連行 強姦 掠奪その他 12月12〜12月18日 26件 9件 334件 (複数報告1件) 112件 (複数報告4件) 30件 12月19日〜1月10日 6件 11件 25件 (複数報告1件) 115件 (複数報告2件) 30件 1月11日〜2月7日 17件 24件 31件 (複数報告1件) 84件 (複数報告3件) 119件 合計 49件 44件 390件(複数3件) 361件(複数9件) 179件
>>496 現実にはちゃんと収容されたのに「殺害する気満々」てw
もしかしてちゃんと現実を認識出来ない病気かw
>>492 「処置せよ」という命令の結果、南京に護送されたとw
日本軍は投降兵を殺さずに受け入れた証拠ですねw
収容されたのが鉄板なのが悔しいんだろうなw
何を勘違いしているんだ?
>>468 からの流れで、日本軍が捕らえた捕虜の人数と、生き残った捕虜の人数を把握し、刑務所に収容された捕虜のその後を追おうとしてるんだが
それと現場が命令を拒否しなかったら、そのまま殺害される予定だったんだけど
部下が中島師団長を羽交い締めにして捕虜を収容所送りにするはずもなく、 師団長が部下の進言を受け入れる程度の常識人だったことは気にしないんだね よほど日本が憎いんだろうなw
相手が民間人だろうと捕虜だろうと死体が無い以上、虐殺なんて無い。
肯定派は何がしたいのかサッパリワカラン 自分の先祖を殺人鬼として貶めたいの? それともチョンコなの?
アホか、事実がどうだったか検証するのに、日本が憎いだの関係ない 何でもかんでも否定したって、何の説得力もないんだよ もう70年以上前の事なんだから、歴史の1事件として見ろよ
収容した事実を無視している人が「事実を検証」とかワロタw
便衣兵の扱い程度の議論にしかならない時点でスレタイがおかしい 戦時不法行為「南京の場合」とでもしないとね 誰一人中国の言ういわゆる「南京大虐殺」の話題に触れないのが笑えるw
>>507 もちろん実際に捕虜を殺害した例も多いけど
第16師団歩33連隊の戦闘詳報には、1937年12月10日から14日までに、「俘虜3082人(俘虜ハ処断ス)」となってるし
第114師団歩66連隊第1大隊の戦闘詳報では、中華門から光華門にかけての城壁南で約1500人の捕虜を殺害した事になっている
歩33連隊西田優上等兵の日記 11時30分入城、広場において我が小隊は敗残兵370名、兵器多数監視、敗残兵を身体検査として後手とし道路に坐らす。 我は敗残兵よりジャケツを取って着る。面白いことこのうへなし、自動車、オートバイ等も多数捕獲す。 各自乗りまはせり、8時頃小銃中隊に申し送り、昨夜の宿に帰る。 敗残兵は皆手榴弾にて一室に入れ殺す 第16師団経理部小原予備主計少尉 最前線の兵で凡そ310名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。 武器を取り上げ服装検査、その間に逃亡を計った奴3名は直ちに銃殺、間もなく1人づつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊200人ばかりで全部突き殺す 中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っ込む。 外に2千名が逃げていると話していた。 戦友の遺骨を胸にささげながら突き殺す兵がいた
>第114師団歩66連隊第1大隊の戦闘詳報では、中華門から光華門にかけての城壁南で約1500人の捕虜を殺害した事になっている 未だにこんなインチキ信じているんだw 日本が悪ければ何でも良いんだな
>>508 他人に頼らないで、自分で中国側の証言なりを持ってきて、検証すればいいじゃない
それとも自分は文句を言うのが専門だから、資料の持ち込みは他人任せなのか?
>>512 何故文句を言われているのか理解していますか?
民間人虐殺事件で一番有名なのが夏事件で総数11人w 肯定派の代表笠原活動家が主張する「民間人虐殺合計十数万」にしてはショボすぎだわ その夏事件ですらインチキ臭いんだよな
笠原は民間人虐殺十数万人なんて主張してないけど? 内訳は兵士は8万人と、民間人5〜6万人 何をデタラメ抜かしてるんだ
>>515 で、5,6万だと何か解決するのか?
半値にしても出鱈目には変わりない
中国の言う南京大虐殺を検証しようとすると「俺は言ってない!俺は言ってない!」と 妨害してくるやつが常駐してるよね このスレ
中国様に怒られることはしたくないんだろ
>>517 検証?30万人がどうとか言うだけで、全然細部まで触れようとしないし
たぶん
>>517 自身、なんで30万人なのかわかってないでしょ
中国側の証言も、夏一家の件しか知らないんじゃないか?
>>509 「馬匹」も俘虜になれるという奇妙奇天烈な記述の戦闘詳報がどうしましたw
第16師団 歩兵第30旅団
歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表
自昭和十二年十二月十日
至昭和十二年十二月十四日
[俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、馬匹52
[備考] 1、俘虜は処断す
2、兵器は集積せしも運搬し得す
3、敵の遺棄死体
一二月 十日 二二〇
一二月十一日 三七〇
一二月十二日 七四〇
一二月十三日 五、五〇〇
以上四日計 六、八三〇
それから第114師団歩66連隊第1大隊の戦闘詳報には触れない方がいいぞw
お前の為だやめておけw
>>519 ?
南京裁判、東京裁判に提出されたものや戦後の証言が根拠だろ
30万の根拠たりえてないけどな
秦郁彦『南京事件』p213参照
上のほうで話題になっている数千規模の幕府山にしても
中国側証言(魯甦、陳万禄)だとそこだけで10万以上とトンデモ状態だろ
10万以上がどこで日本軍のどの部隊に殺されたんだ?
どうせ「俺は言ってない 俺は主張してない」で中身の検証はしないで逃げるんだろ
>>519 君の30万に対する見解は?根拠等具体的に
他の戦場だと、戦争で兵隊が死ぬのは当たり前で虐殺認定は民間人無差別大量殺害だが 日本を悪者にしたい勢力が、無理やり兵隊を殺した程度のことを大騒ぎしているのが南京大虐殺 30万以前に、民間人限定だと1000人の虐殺すらあやふやだ。肯定派は「30万」なんか出されたら逃げるしかないもんな
>>526 えーと、30万を肯定している肯定派というのは日本ではなかなか見つけることができないのですがw
君がやってるのはパルでさえその証拠は圧倒的であるといわしめた
南京での虐殺を証拠付きで持ち出されたとき、
極めて否定しやすい30万人を持ち出すわら人形理論でしかありませんよw
連合軍は捕虜に対する戦争犯罪を重視して、約1000人がBC級戦犯として裁かれてるのに 他の戦場では兵士が死ぬのは当然だって? 飛行機が撃墜されて、搭乗員3名が捕虜となり殺害された件で、捕虜殺害の罪で42人が死刑判決をくらってたりするが カチンの森とかも、捕虜殺害がメインなんだけど 泰緬鉄道建設とかバターン死の行進とか、収容所での捕虜虐待とか、数え上げればキリがない 世間の虐殺事件が、民間人ばかりだと思っていたのか?
>>529 馬鹿かw 勝利者連合軍側の一方的なリンチでしかないだろw
連合軍は捕虜に対する戦争犯罪を重視したなら自らの犯罪を裁いたのかw
>>529 大戦で捕虜殺害が問題とされているのが、全て敗戦国をリンチにするための方便だとよく分かる事例ですねw
戦勝国は捕虜殺害程度じゃ何も批判されていない(後からソ連のせいだと判明したカチンを除けばね)
誰も捕虜虐殺など気にしていないんだよ
>>527 それじゃ民間人虐殺を1000人以上厳密に証明してよ
一つの事件に多角的な証言程度でいいからさ
>>527 だから何の肯定否定を争ってんだよw
定義を曖昧にしたまま、言葉だけを一人歩きさせるのは
シナチョンのプロパガンダの典型的なやり口じゃないか
民間人が巻き込まれたり捕虜の不法処分があった事も含めて、第二次大戦ではありふれた都市戦
てのが俺の南京事件(ですらないが)の定義だけど、違うなら君の定義は?
534 :
名無し三等兵 :2014/02/27(木) 09:49:54.52 ID:mRRuXZqk
第二次大戦では連合国側も捕虜の処刑とか平気でしてたけど 戦後、誰も罪を問われず調査すらされなかった、 かろうじてカティンの森事件が明るみになった程度 カティンの森事ではポーランド兵が犠牲者だっのでポーランド人が騒いで表沙汰になったが 被害者がドイツ兵や日本兵の場合は全く問題にされていない。
都市戦における民間人の犠牲者だって、独ソ戦は凄まじい人数で しかも記録や墓も多数残されてるのに 戦勝国ソ連は敗戦国ドイツに対して、各戦闘を大虐殺とは非難してないよね 南京事件とやらが大虐殺=massacreとレッテル貼りされ 今だに唯一追求や議論が続けられている理由がわけ分からんので 独ソ戦と比較して説明して欲しい
>>535 そらおめえ、独ソはあれでも一応欧州の先進国だから
占領したあとの処理、占領地の民間人と捕虜の数はきちんと記録する。
要するに追求しようにもしっかりとした資料が残ってるのでそれみりゃ終わりで議論の余地がない。
比較して南京と来たら占領前の記録はまだしも、
占領前後の資料ときたらなんと主力が”証言”だったり、切れ切れの戦闘詳報だったりする。
しっかりしたのを残しておけといいたくなるが、
ぶっちゃけ方面軍司令官から風紀の紊乱を訓示されるような軍隊になにを期待すると?
うほ、議論の余地ありまくりんぐwという自業自得のその1
んで、ドイツはナチスがみんな悪いんやということにしたので、
追求したらそれを繰り返すだけでいい。
そんなもん戦争のプロパなんで受け流せばいいのに、
シナチョンのプロパガンダの典型的なやり口じゃないか とか
被害者がドイツ兵や日本兵の場合は全く問題にされていない。 とか
みんな軍部が悪いんやを否定するから追求されるわけだ。
これが自業自得のその2
以上の理由で独ソ戦とは違い、今だに唯一追求や議論が続けられている。
あー、後定義だっけ。
意図しなかったにせよ支那方面軍がまきおこした捕虜虐殺とそれに巻き込まれた民間人の虐殺事件だな。
>ぶっちゃけ方面軍司令官から風紀の紊乱を訓示されるような軍隊になにを期待すると? ソ連と比較してこんなことをいうレイシストってなんだろうな 奴らがドイツ占領時に何をやったのか知らないふりされても・・・
>>536 話の順序入れ替えてミスリード狙う典型だなw
ソ連がドイツに対して東部戦線を虐殺と非難しない限り、ドイツはナチス云々の反論をする必要は無い
反対に日本は今だにシナチョンの反日プロパガンダの一環として追求を受けているからこそ
日本兵の行いや軍部の問題まで含めて反論を強要されている
非難される側の認識の問題じゃなくて、非難する側の行動の違いなんだがわかってんのかとw
日本側でBC級戦犯として裁かれた被告は5700人、うち有罪判決3413人、死刑判決は934人(または984人)、うち執行920人 ドイツの戦犯裁判は、アメリカ関連で被告1941名、うち死刑324名 イギリス関連で被告1085中死刑240名、フランス関連は被告2107名中死刑104名、ソ連による戦犯裁判は詳細不明(東ドイツで多くが有罪になったようだ) ポーランドでは1977年までに5358名が有罪を宣告され、その他ベルギー75名、デンマーク85名、ルクセンブルク87名、ノルウェー81名、オランダ240名が有罪 ナチス犯罪の場合、諸外国による戦犯裁判の他に、ドイツ・オーストリア国内での裁判もあり、ドイツでは1992年までに6488名がナチス犯罪で有罪 オーストリアでは1972年までに、1万3607名が有罪となり、うち43名が死刑(執行は30名) 日本も国内裁判で、徹底追求すれば良かったのに ドイツではナチス賛美はできないが、日本では日本軍賛美しても処罰されないしな
>>539 法の不遡及原則無視やら戦争を起こした罪wやら、当時の国際法廷ですら訴因に疑問が噴出した裁判を
国内法廷で繰り返すわけないだろアホ。戦勝国ですら茶番と理解した上で行ったわけで
ドイツは検証を法で禁じるとか、自由権すら無視した近代法ではあり得ない状態におかれちゃってるけど
まあそのうち爆発するだろうね。ドイツの若者頑張れとしか言えないが
ドイツの場合は戦犯裁判で全てが終わっている 日本の場合も戦後しばらくはそうだった、日中ともに戦後しばらく南京事件は忘れられた存在だったし 日中国交正常化もあった1970年代はそれほどでもなかったのだが、A級戦犯合祀後の靖国参拝や教科書裁判など、1982年頃から一気に噴出 特に侵略を進出にしたと誤報された教科書問題が注目されるが、南京事件はそれほど外交問題にはなっていない 日本国内での南京事件否定の動きが高まり、社会党の支援で南京虐殺記念館が設立される しかしそれ以外では、ほとんどが日本国内で日本人同士が南京で虐殺があったなかったを騒いでるに過ぎない 中国は政治家などに失言があったりすれば、抗議をするくらい
>>538 >反対に日本は今だにシナチョンの反日プロパガンダの一環として追求を受けているからこそ日本兵の行いや軍部の問題まで含めて反論を強要されている
また被害妄想かいな、南京事件論争史を理解してないな
誰も反論を強要なんてしてないし、中国は事件を否定された場合には抗議するだけ
南京事件は日中ともに、戦後しばらく忘れられていたし、本多勝一の「中国の旅」と鈴木明の「南京大虐殺のまぼろし」をキッカケに、日本人同士が争っているだけ
>>542 中国政府が南京事件の日を国家的記念日にしようとしてんのに、何寝ぼけたこと言ってんだか
しかも連中の主張する意味での「南京事件」とやらは、このスレですら肯定者はどうやらいないようでw
中共政府の正当性と批判逸らしのために喧伝したプロパガンダを
修復不能なまでに肥大化させてしまって居るのは、誰の目にも明らかなんだが
日本人同士が議論してるだけとは笑わせるw
論争のはじまりは、学者ではないジャーナリスト同士の話 内容も百人斬り競争はないとか、幕府山事件自衛発砲説とかで、南京での虐殺そのものを否定するものではなかった 家永教科書裁判と同じ頃、田中正明あたりから事件の否定が始まった 有名な人口20万人で30万人虐殺は不可能とかも田中正明で、虐殺を見なかったという証言を集めて、シロと判定しようとした しかし偕行社の「証言による南京戦史」により、クロの証言も出たので、シロの証言を集めても意味がなくなった 1990年代後半から東中野が現れ、中島師団長の「捕虜はせぬ方針」は処刑ではなく、解放を意味すると主張を始めた この主張は反論され、東中野自身も採用しなくなった 2000年代は捕虜の処刑は認めた上で、合法説により虐殺を否定しようとした しかし吉田裕に論破され、東中野は国際法議論から離脱 以後はプロパガンダ説を主張するようになり、現在に至る いずれも国内向けの議論で、中国と戦っているのではない 世界も「レイプオブナンキン」の出版まで、南京事件を知らなかったのが大半 これも中国系アメリカ人ジャーナリストの本でしかなく、中国の公式発表とは違う
>>543 広島では原爆資料館があり、毎年8/6には記念式典をやってるが、それも日本政府の正当性と批判逸らしの為のプロパガンダなのか?
犠牲者追悼はどの国でもよくあるけど
>>544 論争の始まりは東京裁判ですよ
そして否定されたのも東京裁判
その後何故か、何処にでもあった戦時不法行為を虐殺と言い換え
東京裁判で否定された組織的殺戮とのミスリードを狙うプロパガンダが出てきたわけで
定義無く、虐殺があったなかった論争続ける時点で中国の思う壺という
>>545 その記念式典でアメリカ批判をやってるかい?w
結局民間人大量虐殺はデマだったんだから、どうってことない事件だよな
>>544 などコップの中の戦争を見ているようで滑稽だ
大虐殺肯定派、否定派は 邪馬台国近畿派、九州派の論争に似てるw
>>546 東京裁判では南京における組織的殺戮だけだけなく
捕虜の組織的処刑も否決されてるよな
松井中将が、部下の管理不行き届きだけで死刑判決を受けた事に対して
キーナン検察官が激怒したのは有名な話
>>548 そうだね、中国各地アジア各地で殺害された犠牲者全体と比べれば、たいした事ないかもしれない
日本やドイツやソ連にとっては、ありふれた虐殺事件のひとつでしかない
単に日本軍は、各地で南京事件のような事をしていただけだ
毛沢東は日本軍は敵を全滅しないと批判していたがw
>>551 まあそのありふれた虐殺事件とやらですら
米ソほか戦勝国が行った民間人大虐殺と比べればかわいいもんだしな
戦後中国共産党政府が殺戮した数はさらにその上をいくがね
戦争犯罪とやらを裁く事の欺瞞はここに極まれりってこと
>>537 >ソ連と比較してこんなことをいうレイシストってなんだろうな
ソ連のなにと比較していってるんですかw
私は占領統治の細かさについて比較したのですがレイシスト?
南京を確保したあとの日本軍が占領統治に関して
人数把握すらまともにやろうともしなかったのは単なる事実ですし、
ドイツ占領時にそれをやったから犠牲者の数がわりとはっきりでてますな。
>>538 >反対に日本は今だにシナチョンの反日プロパガンダの一環として追求を受けているからこそ
>日本兵の行いや軍部の問題まで含めて反論を強要されている
反論なんかせずにみんな当時の軍部が悪かったんやといっておけば?
というか日中共同宣言とか国交回復のやりとりみれば日本政府はそう言っており、
南京問題で”日本政府が”抗議されたことなんて一度もありません。
問題にされているのはそうでないと主張する日本政府以外の立場の人たちです。
だいたい南京占領軍が聖なる軍隊で真っ白でもない限り意味ありませんよ。
日中関係の最初がこうであるのになにが順番が逆なのやら。
事実の検証より諸外国との比較や中国の話になると急に元気になるスレだな
他国の例を出しても、日本が免罪される訳でも、事件がなかった事になる訳でもないと散々言われてるのに なんで同じ事を繰り返すんだろう
>>556 他国に責める資格があるのかという話をしてるわけで
殺人犯が裁判長の殺人裁判はあり得ないだろがw
マルキストの公式論
「悪いのはごくごく一部 ほかは被害者」
「悪いのはA級戦犯 ほかは被害者」
>>554 >反論なんかせずにみんな当時の軍部が悪かったんやといっておけば?
>>554 「日本政府は抗議されてない」ワロタw
詭弁も行き過ぎるとギャグだよね
百田氏が中国外務省から抗議受けてたが
日本政府相手じゃないからノーカウントってかw
プロパガンダってのは外堀から埋めて行くものなんだが
そろそろ不毛な話はやめて、スレの趣旨である事実関係の検証に戻した方がいいと思うぞ ここは南京で実際に何があったのかを話し合うスレだろう
何があって、何がなかったのかを話し合うスレ そこ間違えないように
上海派遣軍司令部野戦郵便長 佐々木元勝の日記 12月16日 新局舎の前には、軍帽を被った支那兵(士官)が脚から腹のほうを焼かれ、まだ、燃えている。 壊れた煉瓦の上では、少し前殺されたらしい中老の死体が、口と鼻から血を出して倒れている。 麒麟門で敗残兵との一戦では、馬群の弾薬集積所で5名の兵が、武装解除した200人を後手に縛り、昼の1時頃から1人づつ銃剣で突刺した。 夕方頃、自分で通った時には200人は既に埋められ、一本の墓標が立てられてあった。 碼頭の局に行った運転手の兵等が、だいぶ遅くなってからドヤドヤ帰ってきたが、碼頭で2千名の俘虜を銃殺したという話。 手を縛り、河に追い込み銃で撃ち殺す。逃げようとするのは機関銃でやる。 3人4人づつ追い立て、刺しても斬ってもご自由というわけで、運転手の兵も十五名は撃ったという。「証言による南京戦史」
あとお前のポエムや大量コピペをするメモ張でもないから
第16師団歩20連隊 牧原信夫上等兵の日記 11月18日〕 ある中隊の上等兵が老人に荷物を持たせようとしたが、老人が持たないからといって橋から蹴倒して小銃で射殺しているのを目前で見て可哀想だった。 11月22日 道路上には支那兵の死体、民衆および婦人の死体が見づらい様子でのびていたのも可哀想である。 橋の付近に5、6個の支那軍の死体がやかれたり、あるいは首をはねられて倒れている。 話では砲兵隊の将校がためし切りをやったそうである。 11月26日 自分たちが休憩している場所に4名の敗残兵がぼやっと現れたので早速捕らえようとしたが、1名は残念ながら逃がし、あと3名は捕らえた。 兵隊達は早速2名をエンピや十字鍬で叩き殺し、1名は本部に連行、通訳が調べたのち銃殺した。 11月27日 支那人のメリケン粉を焼いて食う。 休憩中に家に隠れていた敗残兵をなぐり殺す。
適当にコピペしてるこいつのやりたいことは、「ほら日本軍は残虐だ」だけであって、 何があって何がなかったかの検証でもないんでもないんだよな よくいる大虐殺派のワンパターン行動ではあるけど
11月28日 午前11時、大隊長の命令により、下野班長以下6名は小銃を持ち、残敵の掃討に行く。 自分たちが前進するにつれ支那人の若い者が先を競って逃げていく。 何のために逃げるのかわからないが、逃げるものは怪しいと見て射殺する。 部落の12〜13家に付火するとたちまち火は全村を包み全く火の海である。老人が2〜3人いてかわいそうだったが命令だから仕方がない。 次ぎ、次ぎと3部落を全焼さす。 そのうえ5〜6名を射殺する。意気揚々とあがる。 11月29日 武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず全員銃殺す。 敵は無錫の戦で破れてより全く浮き足立って戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地に立てこもるのかわからないが、全く見えない。 12月1日 途中の部落を全部掃討し、また船にて逃げる2名の敗残兵を射殺し、あるいは火をつけて部落を焼き払って前進する。 呂城の部落に入ったおりすぐに徴発に一軒家に入ったところ3名の義勇兵らしきものを発見。 2名はクリークに蹴落とし、射殺する。 1名は大隊本部に連行し手渡す。 「京都師団関係資料集」より
>>563 >>565 どんな事例があったのかの確認もせずに、事実の検証ができるのか?
>>565 はいったいどういう方法で事実の検証をするつもりなんだ?
殺人事件の裁判だって、誰が誰を殺し、どんな状況だったかを探るもんだろ?
東京裁判、南京裁判、中国側の主張している、南京大虐殺と、 日本側資料や証言との比較検討
世界では東京裁判、南京裁判、中国がいう南京大虐殺があったことになっているだから、 それをしないと意味がない
>>554 >私は占領統治の細かさについて比較したのですがレイシスト?
占領統治無法地帯のソ連が細かい統治ですかw
ソ連の占領統治って最初に強姦ありきの野蛮人丸出しだっただろ
それが日本よりどう優れていたのか詳しく書いてみてくれ
あの基地外軍隊より日本が酷いなんていうのは反日レイシズム以外のなんだろうね?
軍事板でも、 ニュース極東板の「【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】152次資料」や 日本近代史の「☆★☆★☆南京大虐殺を語ろうR☆★☆★☆」 と、あまり変わらん状態になってるな。二つのスレは最近過疎状態に陥っている。
>>562 >麒麟門で敗残兵との一戦では、馬群の弾薬集積所で5名の兵が、武装解除した200人を後手に縛り、昼の1時頃から1人づつ銃剣で突刺した。
>夕方頃、自分で通った時には200人は既に埋められ、一本の墓標が立てられてあった。
半日やそこらで、5人の兵隊で200人を刺し殺して遺体を埋めちまうのかw
これほどわかりやすい作り話でも反日くんは日本が悪ければ事実扱いなんだな
>>567 どんな方法で何人殺されたかよりも
どんな目的で誰の命令のもとに殺されたのかを
説明出来る資料を出して来いって話
ありふれた都市戦だったのか、中国の言う未曾有の組織的民間人虐殺だったのか
それを検証するのが先だろ
>>567 事実の検証の邪魔にしかならない作り話を貼ってご機嫌じゃないかw
今日も日本人の悪口が言えて満足かい?
>>572 >>562 の事例は、
>>510 で引用した小原予備主計少尉(第十六師団経理部)の証言と同一事件だと言われている
小原立一日記
12月14日
「最前線の兵7名で凡そ310名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。
色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴3名は直ちに銃殺、間もなく1人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊200人ばかりで全部突き殺す
中に女1名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。
外に2千名が逃げていると話していた」
牧原信夫日記(歩20連隊第3機関銃中隊・上等兵)でも
12月14日
「午前7時起床す。午前8時半、一分隊は12中隊に協力、馬群の掃討に行く。
残敵が食うに食が無い為ふらふらと出て来たそうで直ちに自動車にて出発す。
而し到着した時には小銃中隊にて310名位の敵の武装解除をやり待って居たとの事、早速行って全部銃殺して帰って来た」
続き これらの証言を照合すると、殺害は歩20連隊の第12中隊と第3機関銃中隊によって、12/14に行われた事件であるとわかる 掃討の最中に5〜7名の兵が310名の捕虜をとり、うち200〜300名が殺害されたと それを佐々木元勝郵便局長が、12/16に話を聞いて16日までには墓標が立っていたと
>>575 物理的に不可能なことをどうやって実行するの?
作り話が事実のように書いてある日記が複数あるってことは
それらに書いてあることすべてを嘘だと疑うべきかもね
>>549 で、肯定派は「金剛山(クムガンサン)の麓」と主張している訳で、、、
>>559 詭弁も何も日本政府の立場がみんな軍部が悪いで戦後一貫しとるがな。
百田の例でいえば軍部が悪かったといってるのかねw
そしたらノーカウントになるのはおかしいが?
君のは屁理屈にすらなっておらん。
>>570 >ソ連の占領統治って最初に強姦ありきの野蛮人丸出しだっただろ
あの〜、ソ連の占領統治が住民把握も行わない無法地帯のような
”甘い”統治だったと思っているんですか?
ソ連軍は占領した土地を自分たちの都合のいいように統治せず、
国家になんの利益をもたらしもしない兵士の娯楽のために提供したとでもおもってるのかw
つかお前さん、占領直後の悪行が厳しい占領統治を混同してなにがしたいんだ?
>>579 何を言いたいのかが伝わってこない文章だな
>>579 日本軍が住民を把握していないんじゃなくて、お前らが期待する人数じゃないから把握していないと言っているだけだろ
普通に20万程度の民衆がいて食料を配給したと記録されているのに言いがかりだ
それお最初のレスに「訓令」を混ぜているくせに、今更「占領直後の悪行が厳しい占領統治を混同してなにがしたいんだ?」
とは酷い言い訳だなw
>>579 >詭弁も何も日本政府の立場がみんな軍部が悪いで戦後一貫しとるがな。
しれっと嘘混ぜるなよ
2005/10/25の小泉内閣閣議による政府答弁書
◇(極東軍事裁判やその他の連合国戦争犯罪法廷が科した)刑は、わが国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない。
◇ABC各級の「戦犯」は、国内では戦争犯罪人とはいえない。
まあ戦後の公民権回復や恩給受給の時点で
軍部含めた戦犯の前科は消滅してるので
日本政府の立場は早い戦後早い時期から戦争犯罪とやらを認めていない。閣議決定なんだから国内向けだろって詭弁は無しね
>>581 えーと20万という数字はどこから?
安全区だけでそれくらいいますけど?
仮にそうだとすると安全区の人間は区を主催している連中にすらどのくらいいるか正確な数を把握していませんが?
>>582 つ”国内では”
言うまでもないことですが日本政府の言葉通り、国際的には戦争犯罪人ですね。
んで、俺は誰に向けて軍部が悪いといえといったっけ?
>>583 20万人分の無料食堂が何故パンクしなかったのか答えろ
ああ、もうちょっとわかりやすく言えば 国内では戦争犯罪人とはいえないとかいっても東京裁判を受諾しているので国際的に戦争犯罪人ってこった。 平成17年6月2日参議院外交防衛委員会答弁より 裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、 それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、 そのすべてが含まれているというふうに考えております。 したがって、私どもといたしましては、我が国は、この受諾ということによりまして、 その個々の事実認識等につきまして積極的にこれを肯定、あるいは積極的に評価するという立場に立つかどうかということは別にいたしまして、 少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはないというのが ”従来から一貫して申し上げている”ことでございます。 しれっと嘘をつくなよってお前さんの自己紹介?
>>584 しったことかぼけ
お前の前にある機械は妄想を打ち込むことしかできないものなのか
>>586 住民代表が20万だと言っているのに、それをなかったコトにして日本軍が調べないといけないとされる国際法探して来い
お前は日本だけに不当な義務を課して、それが履行されていないと出鱈目こねているだけだろ
>>586 で、インチキ証言を貼りまくった釈明は諦めたのね
5人で200人を刺し殺して全部埋めるのに
午後1時から夕方には終わるって全員サイヤ人ですかw
>>585 馬鹿だねぇw
サンフランシスコ講和条約11条の論争なんて今だに結論出てないのに
しれっと根拠として出してくるあたりが笑える
しかも南京事件を主張している中国は、サンフランシスコ講和条約に呼ばれてもいないし調印すらしていないわけで
少なくとも中国に対して、日本政府は戦犯判決を認めていない事になるんだがいいのか?w
590 :
562 :2014/02/27(木) 16:55:37.26 ID:???
591 :
562 :2014/02/27(木) 17:03:47.43 ID:???
俺は事実の検証がしたいだけなので、公式見解がどうだのと不毛な話に参加する気はないんでね で、何がインチキだって? それと否定派はなかった事の証明は、悪魔の証明だから不可能だと主張してなかったか? 日中ともに資料も証言も断片的で不完全だから、結局わかるのは事件の断片のみで、完全な解明は不可能だぞ? 例えば幕府山事件の中国側の生存者はいないので、日本側の資料からだけでしかわからない 同様に夏淑琴や李秀英のように、中国側の証言でしかわからない事件もある 日本側による裏付けがないからといって、それがなかったとは言い切れない状態だ
なぜ「証言」しないのか 「南京事件」の実態を調べる時大きな壁になるのが、「加害証言」を世に出す困難さです。 この点は多くの研究者が共通して語る「常識」なのですが、掲示板等ではこれを理解せず、明らかに事実に反する「タテマエ証言」だけをタテに「日本軍の軍紀は正しかった」と主張する方が存在します。 まずは各研究者の記述から、「聞き取り調査」の困難さに触れた部分を紹介します。 笠原十九司氏『南京虐殺の記憶と歴史学』より しかし現実には大きな障害があるのは、前述した兵士に南京虐殺の記憶を語らせない旧日本軍の特質と構造が現在でも機能しているからである。 いずれも本人あるいは家族が、公刊すれば予想される戦友会、旧軍関係者、南京大虐殺否定論者さらには右翼団体等から、脅迫まがいの圧力や嫌がらせがあるのを恐れて、公開や出版に反対された。 公刊した場合「面倒なことが起こる」「厄介なことになる」「騒がれることになる」「まわりに迷惑がおよぶ」という拒絶の理由が、日本社会に厳然として存在する南京虐殺の記憶を「忘却」させるための構造を物語っている。 南京虐殺の記憶を公刊したり、証言した場合、部隊の「身内の恥」を世間に漏らした、部隊仲間の逸脱行為を「内部告発」したとして、旧軍兵士たちの精神的な共同体である戦友会から排除され、村八分的な制裁を受けることが、公開、公刊を拒絶させる最大の要因として厳存した。
秦郁彦氏 『南京事件』より 秦の経験では将校は概して口が堅く、報道・外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの状況を語ったり日記やメモを提供したりするのは、応召の兵士が多かった。 その兵士たちも郷土の戦友会組織に属し、口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。 板倉由明氏『南京事件 虐殺の責任論』より 南京戦には限らないが、参戦者から情報を集める際に厚い壁を感じる「部隊」がある。 その多くが、将校会や戦友会が「厚いカーテン」を下ろして情報を秘匿し、会員に圧力を加え、甚だしきは「妨害」をする。 筆者もその堅いガードには全く歯が立たず、平林貞治氏のように旧聯隊のスポークスマン的存在の人か、箝口令を憚りながら漏出する情報の断片を分析・総合せねばならなかった。
>>590 物理的に可能だという証拠じゃないから依然として不可能犯罪には変わらない
寧ろ嘘つきの数が増えただけだなw
アレを証明するには、物理原則が76年前の中国では今と違っていたことを証明しないと無理だな
>>591 >日本側による裏付けがないからといって、それがなかったとは言い切れない状態だ
一般的に「なかったと言い切れない」程度だと「9割方無かった」ということですが、それでいいですねw
では実際に加害証言をするとどうなるのか。 1987年7月6日、京都府峰山町にて元20聯隊兵士3名(増田六助氏、東史郎氏、上羽武一郎氏)が共同記者会見を行い、それぞれ自分の陣中資料を提出しました。 「隠された聯隊史」より 元20聯隊関係兵士による記者会見は、大きな反響をまき起こした。 と同時に、記者会見にのぞんだ元兵士宅めがけて、奔流のようにいやがらせ電話、脅迫状が殺到した。 あらかじめ予想されてはいたが、それはすさまじいものであった。 受話器を取ると「おんどれら、軍人恩給もろてるやろ。国に仇をなすようなことを、しくさって恩給を国に返せ!」。 耳元にがんがんひびく大声で怒声をあびせ、5〜10分間をしゃべり続け、悪口雑言のかぎりをつくして一方的にがちゃんと電話を切る。
「あんた方は日本人ですか。それとも支那人(中共人)ですか。あんた方日本人を売る売国奴の犬ですよ」 「としの70歳にもなって、もっと考えて死にぎわを迎えよ!!バカヤロウ!!それでもお前は日本人か!!日本中の笑い者で、死にやがれ!!」 「英霊を冒涜した罪は万死にあたいする。死ね!」などその数はざっと50通。 幕府山事件の証言をした栗原利一伍長の場合も 「恥知らずめ、おぼえておけ。軍人恩給と警察官の恩給を返して死ね」「貴様は日本人のクズだ!!」「思慮の浅い目立ちたがり屋か老人ボケ」 もちろん、証言者を勇気づける手紙も何通かあった。「事実を述べられたこと(教えて下さったこと)の勇気をすばらしいと思います」 栗原氏の息子さんである「核心」さんによれば、「結論から言うと、父の証言に関しては、毎日新聞の記者の方へのインタビューと本多勝一氏へのインタビューだけが任意でなされたものです。 両記事のあとは脅迫手紙や脅迫電話が相次ぎ、また戦友や上官の方からも証言を取り消すようにとか、矮小化するようにとかの干渉が長い間なされています。 ですから、それ以降の父の証言と称する内容に関しては、全く任意性はなく、信憑性に欠けるものです」とのことです。
●以下の証言者・記者・作家の発言及び記述は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。 ・ 東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い ・ 中山重夫…段列兵の立場で虐殺目撃談を語ったがそもそも現場に居合わせるのは不可能だったことが判明 ・ 富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明 ・ 舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するという カッコつけかました仮想戦記な内容であっさり× ・ 曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を 調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された ・ 田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。 後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状 ・ 太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる) により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった ・ 富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」 と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読 するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた ・ 上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」で しかもそんな命令が出たという史料は一切無し こんな奴らの名前を出す勇者が存在するとはw
元警察官が証言を思い立ったきっかけは、「南京大虐殺、中国側が立証 犠牲者は30余万人」の記事。 「殺したのには殺した。それは事実だけど、中国側が言う30万人、40万人なんて数じゃない。 どんなに多くても10万人以下だ。中国側の根拠や資料をうのみにするわけにはいかない。 事実をはっきりさせるには、日本の側も、やったことははっきりと認めなきゃいけない。 いつまでも殺していないとか自衛のためだなんて言っているのはおかしい。 ウソを子孫に伝えるわけにはいかない。あれにかかわったものは、私も含め、もう年だ。 今のうちに本当のことを言っておかねば」 中傷者たちは、証言者の語ることが事実かどうかなどには全く関心を持たず、ただ、「日本の過去の悪行について発言した」というだけで、証言者たちを攻撃対象にしています。 普通の生活を営む市民の方であれば、このような攻撃により生活が破壊されることを覚悟してまで「実名証言」を行なおうという気には、とてもなれないでしょう。 「実名証言でない」ことを批判する心無い方々には、ぜひ、以上のような状況を認識していただきたいものです。
>>598 おまえさんは、こちらが言いたい事を理解してないな
加害証言をすると、どのようなリスクがあるかについて述べている
このようなリスクがある為に、実際に経験しても語られずに、埋もれている証言や資料がたくさんあるという事だ
更に戦友会から証言の訂正や矯小化、箝口令などが出ていたりする
それに対して、証言の信憑性とか言い出しても、何の反論にもなってないぞ
中国側証言に対して、本当は裏付けとなる資料や証言があっても、それが世に出てくるとは限らないと言っている
601 :
名無し三等兵 :2014/02/27(木) 18:04:32.52 ID:4H9D2kdr
個人証言は捏造含めていくらでも出てくるけど 中国の主張する組織的民間人虐殺の証明はひとつも出てこないねw 東京裁判で訴因54として立件された事からも分かるように 軍部の組織犯罪である事の証明は、南京で起こった出来事が 何処でも起こっていた単なる都市戦の犠牲なのか、虐殺を目的とした組織的な戦争犯罪なのかの試金石なわけで そこがはっきりしない限り、黙々と貼られるシナのプロパガンダに失笑するスレに過ぎないという
>>600 嘘つきが叩かれるのは当然の話しですが何か?
加害証言じゃなくて偽加害証言を出すリスクが有るのは当然でしょ
>>598 これだけワラワラと捏造証言が出てるのに
証言の信憑性とかどの口が言うかって話だよw
捏造証言があると言うことは、背後に捏造する理由があるという証明でもあり
その背後がある以上、出てくる証言とやらは全て信憑性に疑問を持たれて当然だわw
東史郎のケースにしろ、栗原利一のケースにしろ、23連隊の写真と日記にしろ 大虐殺があったことにしたいメディアが偏って報道したから問題が起きたんだろ 『南京戦史』でも栗原スケッチの時の報道のされかたの問題を書いてたな その辺を書かずに実名報道するとどうなるかとか書いてあるゆうのサイトは偏りすぎて まともに参考にできるHPではない
その記述を無批判に信じ込んでここに貼り付けてるやつも大虐殺派脳で バイアスがかかりすぎてまともじゃない
>>601 中国が主張すると言いながら、東京裁判を出す意味がわからない
松井石根は訴因55の、「俘虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反」で有罪となったが、どこに組織的と書いてあるんだ?
南京軍事法廷の判決は、「谷壽夫(第6師団長)は作戦期間中、兵と共同してほしいままに捕虜および非戦闘員を虐殺し、強姦、略奪、財産の破壊をおこなったことにより死刑に処す。」というもの
事件については、「中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの箇所を合計すると、捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単燿亭など19万人余りに達する。
このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが15万体余りある。
被害者総数は30万人以上に達する。」
と集団殺害と個別殺害に分けて、合わせて30万人としているが
>>604 ここで引用している「隠された聯隊史」を書いた下里正樹って、森村に悪魔の飽食を書かせて主犯格なんだよな
奴が偽証拠を森村に渡した影の著作者なのは割と知られている話だ
ゆうのところは事情にくわしくない素人だましのサイトだな
>>607 だから組織犯罪として立件されたのは訴因54、そしてそれは否決
その通り松井中将の罪状は訴因55(管理責任)のみ認めるもの
明白な組織的民間人殺戮であった原爆投下や本土空襲に比肩する戦争犯罪として
南京大虐殺とやらをでっち上げて見たものの証拠が見つからずに、否定されたということ
虐殺あった派=イチャモンで日本軍を貶したい
>>607 捕虜の殺害が訴因55で起訴されていたとしたら、松井大将は一体何の容疑で訴因54で起訴されたのかな?
松井大将は16日には公務復帰しているわけで、それ以降の捕虜処刑の責任が及ぶのに直接的な責任はないとされた
どう見ても捕虜の処刑は合法だと判定されたんだよ
>>612 松井石根は訴因54の、「1931年9月18日以降における戦争法規慣例違反の命令・授権・許可」では無罪となったが
訴因55の「1931年9月18日以降における戦争法規慣例違反の防止義務の無視」で有罪となった
つまり松井は命令はしていないが、防止しようとはしなかったと判定された
これらは松井個人に対する判定なので、南京事件で捕虜殺害が合法認定された事にはならない
単に命令したのは松井ではないと認定されただけ
>>612 訴因55はあくまで管理責任なので
捕虜の殺害があったとしても、それは部下が独断で行ったことになる
部下の犯罪で上司が死刑になるのかと、検察官が激怒したのは前述のとおり
ちなみに松井中将の判決文読む限り、捕虜が処分されたことさえ否決されている
>>613 >単に命令したのは松井ではないと認定されただけ
これが妄想じゃないという根拠が何処にもないんだよね
松井大将が16日以降は全軍を動かせる立場だったのは事実だが
>>615 そこからまた悪魔の証明ループに入るわけだw
単純な話、南京方面軍の責任者であった松井中将の命令を証明するものが出てくればいいだけのこと
これまで一切発見されてないがね
>>614 君らの主張でも、複数の師団が捕虜の処刑に関わったとされるんだから
師団長が責任者だと認める根拠はあまりにも薄弱だね
ホント底が浅いいいわけだわ
>>617 捕虜処分の有る無しなんて本来は戦場比較論の中で検証されるべきもの
中華民国の捏造を引き継いで
現在においてもプロパガンダを継続する中共の態度が
そもそもこんなスレの立つ原因なんだから
まずはそのプロパガンダを否定するところから始めないと、何ら有意義な検証にはならんよ
>>613 > 南京事件で捕虜殺害が合法認定された事にはならない
だから違法認定されてないでしょw
捕虜殺害が違法なら南京市民と一緒に捕虜保護責任を問われてるだろw
ほんと見苦しいわなw
まあこれを認めてしまうと南京戦での違法殺害の人数が皆無になっちゃうからなw
これからも虐殺派の無様な姿を晒して世間の信用をなくしていってくれw
民間人虐殺の立案者、命令者そして実行者まではっきり記録されてしまってる原爆投下や本土空襲なんてやっちまったもんだから 東京裁判当時、戦勝国側が必死だったのはわかるよな でもそこは文明国、どっかの半島国家や大陸国家と違って 証言や証拠を捏造してまで冤罪を被せることはできなかったわけで パール判事だけでなく、アメリカ人の検察官や弁論人が怒りを持って判決に抗議してるのは ある意味救われるわ
20万、30万の大虐殺を前提にそれを阻止しなかった責任だといわれても、 その前提となる20万、30万大虐殺が起きてなかったらまったく話は変わってくるな
>>615-617 と特に
>>619 、おまえさんは南京事件の時系列をちゃんと理解してるのか?
捕虜の殺害や城内の敗残兵掃討は、いつ行われたと思ってるんだ?
城内掃討は12/14〜16だろ?捕虜の殺害もだいたいその期間
東京裁判の判決では、松井は12/17の入城式の日に南京入りして、5日か7日滞在したとしてる
だから例えば、南京陥落の12/13から2〜3日で殺害されたとされる、1万2000人には松井石根は関与していない事になる
捕虜の殺害が違法認定されていないのではなく、松井個人がそれに関与したとは認定されなかっただけだと言っただろう?
BC級戦犯裁判では普通に捕虜殺害が違法認定されて、1000人近くが死刑になってるんだから
>>587 なにをいっているんだお前は?
安全区は翌年2月までしか存在していない。
ところが日本軍はその時点ですら住民の確認を怠っているんだよ。
>>606 じゃあ、きちんと批判すればいいじゃないw
ここは検証スレじゃないのか?
無批判でねつ造とか言ってる奴と同じだぞ、それじゃ。
だいたい南京軍事法廷の谷寿夫への判決で 作戦期間中、兵と共同してほしいままに「捕虜および非戦闘員を虐殺」し、強姦、略奪、財産の破壊をおこなったことにより死刑に処す と既に指摘してるのに、華麗にスルーしてるし
>>589 えーと、それは南京で起こったこととなにか関係あるんでしょうか?
結論が出てないか知らんが、政府の主張に関してはあげているとおり。
少なくとも政府内で昭和27年以来一貫した結論が出てるなw
だいたい遺族の困窮に配慮した恩給のための言い回しを
しれっと悪くないことにしてどうするよw
>>623 で、「住民調査をしないと問題だ」という根拠となる国際法は何ですか?
不法行為じゃないのなら文句を言われることでもないよな
南京攻略戦直前(1937年(昭和12年)12月初め)の南京城内では毎日、 漢奸狩りで捕えられ銃殺される者は数知れず、電柱や街角に鮮血を帯びた晒し首が 目につかない場所はなかった[22]。 南京攻略戦後には、日本軍に好意を持つものは 漢奸として処分されることを示したポスターが南京市内いたるところで確認された[1]。 漢奸wikiより このノートみると上で話題になってる「ゆう」が記述に噛み付いてるなw wikiも大虐殺派がいろいろ活動してるのがわかるな
>>629 日本語理解できますか?
国際法違反云々なんて一言もいってません。
きちんとどういうことがあったか戦場で把握できる唯一の勢力が
その責任を果たそうともしなかったので、
すなわち日本軍ですらなにがあったのかわからない状態なので突っ込まれているといってるんだよ。
>>622 16日には公務復帰してるんだから被ってるだろw
判決で「かれは自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限をももっていた」と明言されてるとおり
総責任者としての保護義務の無視による責任だぞw
どこぞの会社で死亡事故があっても社長がその日は休暇だったので管理保護の責任はありませんとか言うのかwww
ほんと虐殺派は常識がないよなwww
>>631 GHQは到着直後に日本の国勢調査でもしたんですか?
日本人は飢餓に苦しんでいたから南京と事情は変わらいよね?
というか・・・戦闘になった都市で人員把握すら行わないという ソ連すらも真っ青な占領統治放棄が国際法違反でないから文句をつけられないとかw 私権の尊重とか占領地の法律の尊重とかいった 国際法上の義務を誰がいるのかもわからないのにどうやってやるんだろ? 確かに調査せよという法律はないけどさw
>>633 してないとでも思ったのか?
占領統治をするのに間接統治だから日本政府に最初に求める資料だろ。
南京ではそういうことをやって人口把握に努めたという資料がないんだよw
戦闘で散逸したというなら一番最初にやらなきゃいけないことだ。
でないと軍政そのものがなにもできやしない。
あんまり馬鹿なこといわないでくださいよ。
人員把握してないとしたら、日本軍はどうやって南京市民に食糧を配給してたんだろう?
>>635 >してないとでも思ったのか?
はい、この通りです
第6回国勢調査
1947年10月01日
5月に施行された統計法に基づき臨時の国勢調査が実施された。日本の総人口は7810万1473人、東京都の人口は500万7771人だった。
国勢調査は1902年の「国勢調査に関する法律」に基づき、20年10月1日に第1回の調査が実施された。その後10年ごとに大規模調査が、
中間の5年目に簡易調査が行われてきた。しかし、45年の国勢調査は敗戦の混乱で中止された。
>しかし、45年の国勢調査は敗戦の混乱で中止された。
>しかし、45年の国勢調査は敗戦の混乱で中止された。
>しかし、45年の国勢調査は敗戦の混乱で中止された。
http://showa.mainichi.jp/news/1947/10/6-65ce.html 国勢調査をしたのは終戦から2年経った後だってw
占領3ヶ月で調査していなくても問題ないだろ
>>637 なあ、お前本当に馬鹿なんだろ?
役所がほぼ完全に生きている日本では戸籍を出させればほぼ把握できる。
でも、それじゃあ不足だから臨時に国勢調査をやらせたって話じゃないか。
というか・・・国勢調査?
なあ、お前本当に馬鹿なんだろ?
誰もそのレベルの全数調査をすべきだなんて一言もいってないんだが・・・
10年に一度の調査で軍政どころか普通の政治ができちゃう代物だぞ、それ。
>>638 「してないとでも思ったのか?」と大見得きった直後に、今更国勢調査不要論ですかw
みっともないッたらありゃしない
で、南京市側が20万だと言っているんだから日本側が態々調査する義務もないだろ
お前の言った国勢調査不要論が、そのまま日本軍が調査しなくて良かった理由になる
ああ、また不毛な議論が始まってる その議論をして、南京で何があったかの事実検証ができるのかね? 南京スレなんだから、他は考えずに南京に集中したらどうだ
日本軍は南京を占領したのに住民調査すらしない屑だ ↓ へえ、GHQは占領直後に国勢調査したの? ↓ してないと思ったのか ↓ 国勢調査は占領した2年後に実施だね ↓ オマエ馬鹿だろ、国勢調査なんて要らないわ どうつながるのかさっぱり 日本人には理解できない論理ですねw
>>630 のwiki記事は
南京大虐殺は実は「漢奸狩り」- 真実が知りたい、真実を知って欲しい -
の丸写し
せめて、劉傑「漢奸裁判―対日協力者を襲った運命」 (中公新書)とか、
益井康一「漢奸裁判史 新版1946-1948」あたりを参考に書いてほしいもんだ
しかし中国側のプロパガンダだの、証言は疑うべきと言いながら、日本側のプロパガンダとか、こういうのはすんなり受け入れるんだな
>>641 えーと住民調査=国勢調査になってるのがそもそもつながってないので
日本人には理解できないことをいってるのはお前さんだって理解してもらえないかねえ。
>>643 日本軍が占領したのは南京市で、アメリカが占領したのは日本国なんだから調査形式が変わるのは当然
てか「してないと思ったのか?」と、GHQが世論調査をやっているかのようにレスした時点でお前の負け
で、南京の人口を把握してないで日本軍はどうやって20万人分の食糧配給をしたんだ? 敗残兵を探すために怪しい者を片っ端から連行した一方で、市民と認められた者に良民証を交付したりしてたのは、 南京市民の人口把握するためでもあったんじゃないのか?
646 :
名無し三等兵 :2014/02/28(金) 00:46:18.85 ID:ydFA6unm
マギーフィルムのNO,5〜12(非公開) 松井などへの東京裁判での尋問(冒頭部分以外非公開) これらが表に出れば肯定派が不利になると思われる
>>645 安全区に食糧を供給したのは、日本軍ではなく、国際委員会なんだけど
以前説明したはずなんだけどな
国際委員会がいなかったら、南京市民はみんな餓死してるだろうって
日本軍は占領統治に何の準備もしてなかったし、自軍を食わせるのも現地調達頼みだったんだから、市民を食わせる余裕はないよ
>>647 >敗残兵を探すために怪しい者を片っ端から連行した一方で、市民と認められた者に良民証を交付したりしてたのは、
>南京市民の人口把握するためでもあったんじゃないのか?
こっちについては?
参考資料
>>185-191 (因みに「1担」は50kg)
日本軍は中国軍が備蓄していた10万担の米(25万人の50日分)を得られたので、補給がなくても食いつなげた
1月になって傀儡自治委員会ができると、その接収米を市場で売却した
安全区にいた25万人の1日分は2000担
日本軍は安全区の難民への食糧供給に全く無頓着(それどころか妨害や嫌がらせまでしてる)で、国際委員会がいなければ、確実に餓死者が続出していただろう
650 :
647 :2014/02/28(金) 01:22:01.98 ID:???
>>648 そっち方面の議論は、俺とは別の人だ
俺は事実検証とコピペ担当だから、不毛な議論には参加しない
その安全区委員会に食料を提供していたのが日本軍 一方で民間人を大量虐殺し、一方で民間人のために食料を提供の矛盾は 民間人大虐殺否定の根拠としてのひとつだな
中国側の主張の詳細コピペよろしく
>>651 日本軍が安全区委員会に食糧を供給していたという根拠は?
>>649 米軍は日本政府が人口を把握していたから急いで調査しなかったことと
日本軍が南京市側で人口を把握していたから急いで調査しなかったことは同じだよね?
何故日本軍だけが非常識だと決めつけたのか釈明してほしい
そういう質問は
>>643 に言え
>>649 の俺に言うな
あんたの議論相手は俺とは別人だと何回言わせる
>>649 国際委員会の所有する食料は1万担の米と1,000袋の小麦粉。
>186
>12月1日から12月11日の間に、当委員会は1万担の米と1,000袋の小麦粉を安全区内に何とか運び込むことができました。
国際委員会の食料が無くなったのは1月27日。
>189
>第28号文書(1月27日)
>そこで、各人手持ちの米の貯えも尽きつつあるし、当委員会の食糧も底をついてきましたので、
>当方は最初の要求、つまり前南京政府によって当委員会に支給された食糧全部を引き渡して下さることを改めて主張せねばならないと思います。
1万担の米と1,000袋の小麦粉で46日間w
約25万人の難民に対して2万担でも難民の10日分程度なのだから、1万担ならわずか5日程度のはず。
それが10倍近い46日間も底をつかなかったというありえない現実w
逆に言えば国際委員会が供給できた食料はわずか2万人程度w
>187
>「安全区の約25万人の難民に対して1日に2000担の米(あるいは一日に1600袋)が必要」と言ってるので、2万担でも難民の10日分程度。
国際委員会があらかじめ最初から10万担の米を用意していたか、改めて10万担の米を用意したか、約25万人の難民の消費量は10分の1だったかw
このどれかだなw
「委員会がいなければ、確実に餓死者が続出していただろう」なんてのは唯の妄想だな。
物理的に1万担の米では約25万人の難民のわずか5日程度にしかならないのだからw
>>656 調べたところ1担は日本の1俵に準ずる単位で中国では50kgぐらい。
ってことで1担は50kg÷0.15kg=333.33合程度となります
2000担×333.33÷250,000=2.666合
一日2000担は、一人あたり2.66合
25万人に対して一日2000担は妥当な数字でした
で、
>>651 の日本軍が国際委員会に食糧を提供したという根拠は?
自治委員会発足後にそこからいくらか購入したのは読みとれるけど
>>642 >>627 の1938年2月の映像にも漢奸狩りの実際のポスターがでてくるのが確認できるな
当時の南京の話をしているのであってそのときとは関係ない1946−1948の本を見て
具体的に何が参考になるの?
漢奸狩りなどまったく行われていないという反論でもするつもりなのか?
日本が来る前の南京に殺伐とした空気が流れていたことが分かる 中国人が中国人に殺される状況 中国の兵隊も強制連行された人々が加わっているし、 陣地作りにかりだされた民間人も志願とかではなく強制だったんだろうな
秦郁彦の「昭和史の謎を追う」か「現代史の争点」だったか忘れたが、 南京で60歳の老人の父親が兵隊として連れて行かれそうになった話が書かれていた。 そんな人でも無理やり連れて行かれるんだから青壮年男子の大半は 中国の兵隊に参加させられていたんだろう 南京といえば、日本の虐殺がどうのこうのばかりで、 中国側の悲惨な実態に関する証言や研究はほとんどされていないな
日本でも国家総動員で、徴兵や徴用工など、本人の意志に関係なく動員されてるんだけど それも殺伐として悲惨な状況て事だね
漢奸狩り 8月下旬、蒋介石は自軍が日本軍の前に敗走を重ねる原因を「日本軍に通じる漢奸」の存在によるものとして陳立夫を責任者として取締りの強化を指示し、 「ソビエト連邦のゲーペーウー(GPU)による殺戮政治の如き」漢奸狩りを開始した[86]。上海南市老西門広場では、毎日数十人が漢奸として処刑され、 総数は4,000名に達し、中には政府官吏も300名以上含まれていた[87]。罪状は井戸、茶壷や食糧に毒を混入するように買収されたということや毒を所持で、 警察官によって裏切り者に対する警告のために処刑された者の首が晒しものとされた。戒厳令下であるため裁判は必要とされず、 宣告を受けたものは直ちに公開処刑された[88]。 [86]は The New York Times, August 27, 1937。『読売新聞』1937年8月29日付第二夕刊。『読売新聞』1937年8月30日付号外。『東京朝日新聞』1937年8月29日付朝刊。『東京日日新聞』1937年8月29日付号外。『読売新聞』1937年9月14日 [87]は『読売新聞』1937年9月15日 [88]は^ The New York Times, August 30, 1937記事 日中戦争wikiより 8月の上海 この体質が12月の南京に引き継がれてる
>>662 日本の赤紙も強制という意味では同じだろうね
しかし当時の南京の中国軍は次元がはるかに違う
民間人が強制的に拉致され縛られてつれていかれる、
トーチカに鎖でしばられて日本と戦わされた事実がある
簡単に同列にはできないだろうな
南京事件で民間人の死者はこのぐらいだとか言われるわりに、
それに関わってくるこれらの実態はまだ十分に検証、研究されていないといえるね
戦後、南京、東京裁判のために中国の調査委員会が作られ、南京市民に聞き取りに行った際に 何も語りたがらなかったり、日本兵によるなんからの事件を否定するような人もいるだとか、 なぜか日本軍の報復を恐れてるとか調査報告に書かれていたとおもうが、 南京市民が何か話すことによるリアクションを恐れていたのは漢奸狩りなど含めた中国軍に対して だった可能性もあるな
この漢奸狩りが、戦後の国共内戦で蒋介石が追い込まれた一因とも言われているね そりゃこんな軍隊に協力するくらいなら毛沢東に付くというやつが増えるのも道理 しかし肝心の毛沢東がアレだったとはね
>>663 治安維持法とかで特高や憲兵に捕まるようなもんか
戦後に溥儀・汪兆銘・川島芳子・徳王・李香蘭などが、対日協力者=漢奸と言われたけど
結局溥儀や徳王は特赦になってるし、獄中で何人か死んでるが、死刑になったのはそんなに多くないんじゃないか
というか、南京事件を実は漢奸狩りとか言っちゃうトンデモサイトの丸写しだからなあ
まあ街にポスターが貼ってあったのは事実だと思うよ
>>660 戦争して更には日本軍が南京にせまり、8月から連日空襲もあり、攻略戦の最中には砲爆撃もありと
ある意味殺伐としてるのは当然だが
12/17発12/18のニューヨークタイムズ、ダーディンの記事でも
中国当局の瓦解と中国軍の崩壊により、南京の大勢の中国人は、日本軍の登場とともにうちたてられる秩序と組織に応える用意ができていた。
日本軍が南京城内の支配を掌撞した時、これからは恐怖の爆撃も止み、中国軍の混乱による脅威も除かれるであろうとする安堵の空気が一般市民の間に広まった。
ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。
大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。
と南京陥落と日本軍占領によって、市民は一瞬安堵したけど、2日もするとその期待は裏切られて恐怖の都市と化してる
日本軍が来る前の南京の中国人が中国人に殺される状況の話をしてるところに、 その論点をごまかしたい、日本が悪いという論点にすりかえたいという大虐殺派の気持ちは伝わった
日本軍占領後に恐怖の都市と化したわりには、 その後人口が20万人から増えてるとしてる資料があるのは何でだろうな
砲弾一発で100人以上死傷のダーディンかw 東史郎の次はインチキ記者
672 :
名無し三等兵 :2014/02/28(金) 14:25:42.49 ID:vNaAcK23
ニューヨークタイムズは戦争時に誤報が多い 戦場は危険なので取材もせずに思い込みでセンセーショナルな記事を書く記者が多いようだ。 「大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。」 ニュースソースが無く取材した形跡がない。
むしろ
>>672 の根拠を聞きたいけどな
で、
>>663 の元ネタは取材した痕跡があるのか?そっちが誤報でない根拠は?
>>670 いまだに南京の人口が増えたとか言ってる人がいるんだね
散々語り尽くされた事なのに
実際は廃墟から避難してきて、安全区の人口が増えただけなんだけど
676 :
名無し三等兵 :2014/02/28(金) 14:56:54.60 ID:vNaAcK23
>>674 へえ、虐殺やっていた日本軍が統治した安全区に廃墟から避難してきたんだw
常識がある人間なら南京市からできるだけ離れるものだよな
と言うか、廃墟から安全区に避難してきたのが第一陣で、春以降も順調に増えていったのは無視なんだね
春になっても日本軍が統治していたのに変わりないのにな
>>675 南京じゃなければ、中国軍が上海で虐殺やっても問題ないんだw
>>674 >実際は廃墟から避難してきて、安全区の人口が増えただけなんだけど
>>668 のように
>大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行など
が横行してたなら、そのまま廃墟に潜んでた方がまだ安全なんじゃないのか?
>>677 戦前の南京市の人口は100万人(城区85万人・郷区15万人)、脱出する余裕のある富裕層は遠くへ逃げられるが、南京に残ってるのは脱出する余裕がない貧民層が多いんだけど
あと南京の人口は、1938年10月末になっても32万9488人(南京市自治委員会調べ)なんだけど
むしろ治安がいいなら、日本軍の占領直後に100万人市民が南京に帰ってきてもいいんじゃないの?
軍服を脱いで難民区に隠れた兵士で摘発されていない分もある 20万ー25万もっと低い見積もりもあるし増えた減ったといってもだいたいこのぐらいで 変わってないというのが実態ではないか ただ単に日本軍の登録数を見ておもってたよりも多いだけで。 言われている数十万規模の一般人大虐殺など起きていないのが人口論からわかる
いやだからさ、虐殺があったら減らないとおかしいだろ 少なくとも大量虐殺しているなら人口は減る
南京の人口議論は、最初のスレで散々やったんだがな 結論としては陥落時の正確な人口が不明なので、増えた減ったなども不明 南京陥落前の11/23時点で、既に南京市長が難民は20万人程度になると予想し、その予測が引き継がれただけ しかも安全区に避難する難民の予測なので、安全区以外の人口は全く不明 1/14時点の住民登録も、兵民分離の結果が市民16万人で、それには子供や年寄りを含まないから、たぶん人口は25〜30万人だろうと推測しただけ 人口は流動するし、南京市の陥落時の正確な人口がわからなければ、増えたとも減ったとも言えない
それと東京裁判での虐殺の内訳は、南京から脱出避難途中の市民5万7000人を含んでいたりするので、南京市の人口だけでどうこう言えなかったりする 因みに南京事件は、12月中旬〜翌年2月中旬までの2ヶ月間なので、それ以降に人口が増えても何の証明にもならない
1人まで正確な人口の話ではなく、だいたいの人口の話だな わざとハードルをあげて いわれている一般市民大虐殺などなかったという人口からの反論を封じたい大虐殺派としての気持ちは伝わる
南京の一般人が一番多く集まってたのが安全区でしょ そこで数十万規模の一般人大虐殺が起きてないならどこで起きたの?というのも人口論のひとつだよ
中国側の主張では、陥落時の人口50万人とかで30万人と主張してるから 俺自身は30万人説ではないが、人口については安全区以外の城内5万+郷区5万としても、陥落時に30万人 中国軍10万人と合わせて40万人にはなると思ってる スマイス調査でも、市街地より農村部の方が死者が多かったりする
根拠がないことをいわれても
中国は60万、70万だね 大虐殺派の笠原が40,50万と言ってるから40万ってだけなんだろ
>安全区以外の城内5万+郷区5万 これの根拠がないな 安全区以外の城内を掃討した日本軍が数万規模の一般市民などまったく見てないではないか ちなみに家の中でだれかを見たというような日記などのごく一部の例外をもってきたことろで 何も反論にならないよ
いずれにしろじゃあどこで一般市民数万、数十万規模の大虐殺が起きたんだ?という 否定派の人口論からの問いには何も答えてないな
>>688 >中国軍10万人と合わせて40万人にはなると思ってる
ここで問題としているのは陥落直後の人口なわけで、
それで中国軍が10万とすると「所謂便衣兵10万人説」がw
ソース持ってきてほしいな
中国にしろ笠原にしろ30万(あるいは30万に配慮した数字)を前提に数合わせをしてるだけだから それをそのまま信じたらいけないんじゃないの
笠原説では 「日中全面戦争勃発前の南京城区の人口は100万人以上であったが、日本海軍機の連日の空襲のために同区の人口は激減していき、37年11月初旬には50万近くになっていた(スマイス「南京における戦争被害」)。 同11月23日、南京市政府(馬超俊市長)が国民政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡には、「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。 将来は、およそ20万人と予想される難民のための食料送付が必要である」 「その後、南京城区から安全と思われた近郊農村に避難していった市民も多かったが、 いっぽうでは、南京防衛軍の「清野作戦」の犠牲になった城壁付近の膨大な農民が難民となって城内に避難してきたし、日本軍の南京進撃に追われた広大な江南地域の都市、県城からの難民も移動してきた。 て事で南京市の人口を40〜50万人、南京防衛軍を15万人としている これに近郊4県半の人口108万人を加えると、人口は170万人くらいになると
>>627 からの漢奸狩りの話題とあわせて
ミニーボートリン日記
P38 12月7日
「城内にはいろいろな噂が飛び交っている。何千人という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、
五時までに立ち退くように警察から命令されており、それにしたがわなければ家は焼き払われ、スパイとみなされるというのであった。」
ミニーボートリン日記
P40 12月8日
「中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。
軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。」
中華門付近や城内南東部で漢奸、反逆者、スパイとみなされ銃殺された人はどの程度いたのだろうか
これらの民間人の死体もまだ南京にきていない日本軍による虐殺体として処理されたとおもわれる
>>691 そもそも否定派では、安全区の人口が5万人増えたという認識なんでしょ?
1/14委員会第19号文書で安全区の人口を25〜30万人と推測し、その増えた分は廃墟に隠れていた人達であると
ニューヨークタイムズのダーディンの記事でも、12/18の記事で「一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は5万人以上を数えるものと思われる」とあるから、安全区以外の城内人口を5万人と推測した
城外の郷区は戦前の人口が15万人だが、これが減ったのか、または市街地から郷区へ避難した人達によって増えたのかは、全くの不明だ
だから仮に郷区の人口を5万人としたけど、もっと多い可能性も充分にある
笠原が書いてることって12月13日の陥落時の人口が4,50万だという説明になってないね
>>697 それに見合う遺体もないのに強弁されてもねw
>>697 どちらも日本軍が掃討した地域、激戦した地域だけど
数万、数十万の一般人などに遭遇していないよ
「外国人が言ったから」のみで、裏づけのない数字を採用できる感覚が理解できない
それ系は検証スレでは通じないんじゃないか
南京市政府書簡 11月23日
『調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である』
アメリカ大使館報告(参照)
39D南京の状況1937年11月27日
3 市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと。
『南京事件資料集』アメリカ関係資料編P90
これは両方とも、南京市長が情報源ですから話は簡単です。南京市の人口は11月23日以降減少しているというのが、
当時の南京市政府の見解ということになります。11月27日に30万〜40万ですから、一週間後の12月4日にはさらに減少していると考えなければなりません。
(笠原教授の推計では増加していることになる)
結 論
笠原教授の推計「40〜50万」は、当時の資料と合致しない推測といえます。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page016.html
外国報道に見る人口
1937/12/19 NYタイムズ(ダーディン)
「・・・その結果、10万を越す非戦闘員たちは通過するひっきりなしの砲弾による恐怖にも かかわらず、
日本軍の市内への入城までは比較的安全に過ごすことができた。
○それ弾損害を与える
日本軍の砲弾が新街口近くの一角に落ち、100人以上の死傷者を出した。 それ弾による死者はほかにも100人はいるものと思われる。
一方、安全区という聖域を見出せずに自宅に待機していた民間人は5万以上 を数えるものと思われるが・・・」
南京陥落の時点で『安全区に10万以上』というのがダーディンの見解と考えてよいでしょう。
「日本軍の砲弾が新街口近くの一角に落ちた」のは「12月11日」これは各種史料で確認できますが、
当HPにおいては「アメリカ大使館報告」に該当報告があります。(ラーベ日記にも記載あり)。
すると、「自宅に待機していた民間人は5万以上」というのは12月11日現在の予測と考えてよいでしょう。
13日の陥落までには、多数が安全区に避難したと考えられますから、この報道を根拠にして、安全区以外に数万人が存在したと主張するのはちょっと苦しいといえます。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page004.html
『南京事件資料集』アメリカ関係資料編は、笠原も関わってるよね 1937年11月27日の減った数字だと自説に都合が悪いからわざわざ11月23日の数字を もってきたのかね それすら12月13日時点での話でもないし。 中国が言う「100万のうち70万が残ったから30万虐殺だ」と似たような時系列を 無視した論法だな
>へえ、虐殺やっていた日本軍が統治した安全区 などというものは実在しないのだがw
>>700 否定派は幕府山事件で両角説を採用するんでしょ?1万5000人のうち半数が民間人で解放したっていう主張だけど
あと安全区とは別に、下関には少なくとも数千人の難民がいる(発電所職員もそこにいた)
>>701 日本軍の進撃や清野作戦に合わせて、12月には江南地域から避難民がきたり、増える要素もあるよ
>>702 同じ12/19の記事なのに、安全区の人口は陥落時(13日)で、安全区以外の5万人は砲撃時の11日時点のものって、どういう理屈よ
安全区の人口は、確か12/17時点で10万人だったか(ダーディンの南京脱出は12/15)
安全区への避難が始まるのは、清野作戦で南門付近が焼かれる12/7〜8くらい
最初は数千人規模だったみたいだが
安全区の人口は南京が陥落して、敗残兵掃討や略奪強姦が始まった頃から急激に増えていく
>>705 関係ない話をするんじゃなくて
>安全区以外の城内5万+郷区5万
これの根拠は?
>>697 でおわりなの?
日本軍が数万、十万単位の民間人などまったくみていないことについては?
>>706 最初に陥落時の人口は不明、特に郷区は全く不明と書いたはずだが
個人的な推測に根拠をもとめらても困るし
逆に日本軍が安全区以外で数万規模の住民を見ていないという主張は、どこからきてるんだ?
特に城内はともかく、市街地のような人口密集地ではない、元々数十〜数百人規模の部落が点在するだけの郷区(農村部)では、数万規模にまとめて出会う方がおかしいと思うが
あと引用されてるサイトでは、12/10前後の安全区は10万人前後となってるが、それが最終的に25万人になる
その増えた15万人はどこから来たと
>>706 は思ってるんだ?
また
>>706 自身は、陥落時の南京の人口をどの程度と見積もっているのか?
人にばかり質問するのでなく、自分の考えも答えてほしい
根拠となる人口が不明なのに「虐殺があったはず」と思い込むのは何で?
>>708 何を言ってるんだ?なんで虐殺の根拠が人口になるんだ
普通は証言とか埋葬記録とか、そういうもんが虐殺の根拠だろうに
>>702 F・T・ダーディンからの聞き書き
南京陥落後、城内ではわずか20万になったとありますが、という質問に対して
もっと多くの人が南京に留まっていたと思います。
ベイツ博士やルイス・スマイスや他の人たちの報告をご覧になりましたか。それらの報告の方が数については正確だと思います。
20万人というのは難民区内に集まった難民の数でしょう。
他にも市内には大勢の人が残っていました。戸締まりをして、みな家に籠もっていました。
私はわずか3日間しかいなかったので、正確な情報は得られませんでしたが、
車で市内を回った時、家の中から中国人が出てくるのを見掛けましたし、通りを歩いている中国人も何人か見ました。
ですから、皆がみな安全区に入ったのではありません。
もちろん、安全区の外は危険でしたが、中国人たちは、まさか虐殺が待ち構えていようとは考えていませんでした。
何とかなるだろうと、家を出なかったのです。 彼らは日本軍の占領がどういうものか経験がありませんでしたし、日本軍はラジオを使って市民に、家にいれば危害は加えない、なにも怖がることはないと放送していました。 従って虐殺なんて夢想だにしていなかったのでしょう。 (1940年発行の「最新南京市街詳図」を見せて)城内の南部のこの地域は人口密集地ですが、残留していた市民も多かったのですね。 はい、住民はずいぶん城内に残っていました。 脱出した者も多かったようですが、残った者も沢山いました。 その地域には日本軍の占領後行ってみましたが、死体がたくさん転がっていました。 日本軍の砲弾が激しく撃ち込まれたところです。砲弾によって多くの人々が殺されました。 被害を受けなかった家には人がまだ住んでいました。 日本軍がこの地域を占領してからもたくさんの中国人が殺されました。 日本兵に銃殺されたのです。
という訳で、ダーディンが見た南京市街地の様子は、12/13〜15の出来事
つまり陥落直後の時点で、まだ安全区以外に多くの市民が残っていたと証言している
>>702 で言われてる
「13日の陥落までには、多数が安全区に避難したと考えられますから、この報道を根拠にして、安全区以外に数万人が存在したと主張するのはちょっと苦しいといえます。」は検討違い
秦郁彦の見解 問題は、難民区以外の市内にどのくらいの市民がいたかです。 「全員が難民区に逃げ込んでいたから、空っぽのはずだ」という議論がありますが、私はそうは思わない。 例えば神戸の大地震の時に思ったのですが、避難住宅を用意しても、壊れた自分の家がいいからと動かない人は少なからずいた。 南京は日本軍の砲爆撃をほとんど受けていませんから、家はあまり壊れていない。 したがって、自分の家に留まっていた人はかなりいただろうと思います。 「南京虐殺研究の最前線」
>>712 そりゃ安全区以外に5万は居たって記事を書いたんだから、
「安全区以外に人はいたのか?」と尋ねられたら「居た」と答えただけでしょ
世界に向けて嘘を報道したやつなんだから、今更嘘をついたからって特別驚くことじゃない
>>709 虐殺の根拠がまさか裏づけがない証言や水増し埋葬記録じゃないよな
>>714 世界に向けて嘘を報道って、何を根拠に何を嘘だと言ってるんだ
日本人の証言でも、「住民は家の奥の方に隠れてるようだ」とか、陥落直後の城内南部で住民がウロウロしてるの見かけた、とかあるけど
もちろん寿司詰め状態な安全区と違って、「見かける」程度ではあるが
>>716 砲弾一発で100人死傷の糞記事書いたペテン師だろ
日本軍の砲弾はB-29の焼夷弾の何十倍の威力があったんだよ
やつしか見ていない安全区外の民集などなんの信ぴょう性もない
>>717 ああ、やっぱり砲撃の件か、まだ引きずってたんだな
おまえさんは攻略戦で、砲弾を1発しか撃ち込まないと考えてるのか?
実際は「今日の午前、市の南部および光華門の内側に、砲弾が激しく撃ち込まれていたが、午後になるとさらに町中に向かって撃ち込まれるようになった。」という状態で
そのうち神学院と中学校に1発ずつ、ラーベ日記では死者は各13名の計26名
他に福昌飯店(ホテル)に2発、死者50名と言われてるが
まあ安全区以外にも住民がいるなら、それ弾でなくても死者は出るだろうし
>>718 「日本軍の砲弾が新街口近くの一角に落ち」・・・何発も落ちたら「一角」じゃなくて「一帯」だろ
君は都合がわるいからといって日本語を改竄するのかね?
間違えた、
>>718 を訂正する
少なくとも福昌飯店に2発と、中学校に1発のそれ弾が確認できる
ラーベ日記では福昌飯店で死者13名負傷13名、中学校でも13名の計26名
他の外国人の記録では、福昌飯店で50名とか、場所は不明だが砲撃で死者40名とか、数字がマチマチな状態
結局どれが正確なのかわからんが、安全区以外での砲撃による死者も合わせれば、100人くらいになるんじゃないか
>>718 ボストン・マラソンのテロは、爆弾2つで300人弱死傷だ
何で日本軍が攻めてきている状況でボストン・マラソン並みにほとがごった返しているんだよ
しかも日本軍のは爆弾じゃなくて砲弾だから、爆発力などたかが知れている
ラーベの被害報告もおそらく大幅な水増しだろうね
>>720 やつは「新街口近くの一角」の一発分で100人死傷と?を付いている
「それ弾による死者はほかにも100人はいるものと思われる。」と、他の砲弾は別勘定だ
記事では1発なんて書いてないけど 因みにフィッチの手紙では 「12月10日難民は急激に増加し、金陵女子文理学院、陸軍大学およびその他の学校はすべて難民で充満したので私達はやむをえず収容所を最高法院、法学院、華僑招待所等にまで拡張し管理することとした。 紫金山の日本軍砲兵観測気球が隠見した。 銃砲は絶えず南門に轟き、砲弾は次々と城内に落下した。 2日目の早朝には難民区の南端にも数個の砲弾が落下し、福昌飯店の付近では40人の死者が出た。」 と書いてあり、安全区南端へのそれ弾は数発で、福昌飯店の死者は40名となってる
>>723 にほんごをよむちからをみがきましょうw
他のそれ弾は別勘定になっているだろ
てか、砲弾にどれほどの殺傷力があると思っているの?イスラムの自爆テロの自動車爆弾だって繁華街で4,50人程度が限界だぞ
自動車爆弾と直径数センチの砲弾の火薬。しかも70年以上まえの火薬にどれほど期待しているの?
>>723 戦場からかなり離れた安全区南端にもそれ弾が数発落ちるぐらいだから、
当然安全区以外の城内には数十、数百の逸れ弾が落ちているのに人的被害が0ですかw
安全区以外の城内に民間人が殆ど居なかった証ですね
726 :
名無し三等兵 :2014/03/01(土) 07:42:16.11 ID:pLrHDxg+
なぜ30万人もの民間人を含む虐殺が必要だったのか?w理由がわからないw
>>726 数万人、数千人だって虐殺する理由はないよ
敗残兵を殺すと虐殺と主張するのがいるけど、それが虐殺行為と扱われるなら判定で無視されてるわけがない
虐殺はなかった。
>>707 占領後3日しかいなかったダーディンにしても、城内を掃討した日本軍にしても
安全区以外ではわずかに見かけた程度でしょ それがこちらが言ってるごく一部の例外だよ
それをもってして一気に5万とかいうから話がおかしくなる
>日本軍が安全区以外で数万規模の住民を見ていないという主張は、どこからきてるんだ?
その場所を区画別にわけてくまなく捜索した日本側の日記、戦後の証言などに
数万、数十万にもなるような住民をそこで見たなどという話はまったくでてこないよ
そもそもそんな「いない証明」ではなく、そこに「いたという証明」のほうをすべきでしょ
いたと言ってるのはそっちなんだから
>>681 で12月13日からそれ以後20−25万程度で変わってないと
こちらは書いてるよ 軍服を脱いで逃げ込んだ兵士の分は増えてるだろうけど
自分で貼ってないURLや否定派は何と言ってるとか、振られてもな
結局
>>706 は人に質問するだけで、自分は答えないパターンか?
それと虐殺をする理由がないと思いたいらしいが、そんなのは虐殺がなかった根拠にならない
敗残兵掃討の際に民間人が誤認殺害されたり、略奪や強姦を拒否して殺害されたりなど
原因はいろいろあるのに
国際委員会によるビラを使った安全区への非難呼びかけが12/8、 日本の攻撃開始が12/10午後1時。 何万枚刷ったのか知りませんが当時使われた手段からみて、 この時点で安全区に20万人が移動できていたとはとても思えないですね。 むしろ場内に残っていた人間の大半が安全区にいなかったとみていいかと思いますよ。
そんなに残っているなら、そこを掃討した日本軍がみるはずだよね それがないって言ってる
>>732 ここまでにいくつかそういう証言を見たはずですがなかったことにしたのですか?
一度もみたことない 安全区以外の城内を掃討した日本軍が5万にもなるような住人がいたという証言
>>733 >そういう証言
から何がどの程度になると推計してるんだ?
>>734-735 住人がまったくいなかったという証言はないわけですねw
そもそも日本軍が住人把握をまったくやってないだけですよ。
話をすりかえてるね
ないものをあったかのように言って「なかったことにしたい」と言ったばかりじゃないの
つーかまともに調査しなきゃ住民数なんか把握できるわけない それとも日本軍が行ったら住民全員が外に出て数えやすいよう整列してくれるのか? 逆に普通は建物のなかに隠れて出てこないだろ
南京城の広さは山手線くらい 戦前はそこに100万人が暮らしていた 12/10前後の安全区に10万人なら、少なくとも安全区以外の城内には10〜15万人はいた事になる 12/9には城門は閉められ、少なくとも敗残兵掃討が終わり入城式があった12/17までは、城外との通行はできないはずだ 安全区は12/17頃には20万人近くになるみたいだが
漢奸狩りや清野作戦からの点からも、軍による立ち退きを強制され、 従わなかったら銃殺されるというような状況で、 留まった家庭が多い しかも数万レベルとかおかしいな
清野作戦は城壁の外が対象 ヴォートリン日記でも 12月10日 市街周辺各所で、殆ど一日中火災。夜は西の空が真っ赤。城壁のすぐ外側の貧しい人々の家が焼かれた。 とか 12月6日 中華軍が村人を連れ出した後、「清野作戦」で村を焼き払っている。 農民達は城内連行か、浦口経由で北方に追いやられている。明孝陵への街路樹は伐採済みとか。 12月7日 警察から、5時までに立退かないと家を焼払いスパイとみなす、と言われた何千人もが南門から安全区に流入。 12月8日 夜、初めての避難民受入。 南門付近や市南東部の人達が殆ど。 といった感じで、城壁周辺の貧民街や南門付近や、市南東部の住民が安全区に来ている 逆に言えば、それ以外の城内の住民はまだ安全区に来ていない
>>739 だから日本軍は占領地をまともに調査しようとしなかったと何度もいっているんだが。
だから5万?いるかいないかなんてのは統治者の日本軍以外誰にもわからんし、
その日本軍が調査してない時点で知ってる奴は皆無。
それが大前提だろ?
というか、山手線内レベルの広大な土地に5万いるって証言してる奴がいないのは
物理的に当然なのにそういう証言がないからいなかったとかw
数万、数十万の民間人が安全区以外にいたという根拠が何もないことは 確認できたから終了かな
なんで否定派はいつも郷区(農村部)をスルーするんだろ なぜか城内しかも安全区しか見ないのよね
見た感じまさに安全区外の地域の話題をずっとしてるようだが
>>746 山手線の広さの城内のうち、城内の8分の1に過ぎない面積3.8kmの1区画が安全区
南京城に下関と浦口の長江対岸2区を加えたのが、城区(市街地)で、郷区は南京城外の農村部
上新河区・孝陵区・陵園区・燕子磯区があって、上新河は城西の長江沿い上河鎮や新河鎮がある所
燕子磯区は幕府山などがある地域
これらの郷区も「南京市」に含まれる
>>743 敗残兵が居ないか調べなかったという主張なんだ
今度は君の都合でマヌケな日本軍だねw
1937年当時の南京市(南京行政区)であるのが、城内6区+2区+3区で市部だという 認識だけど間違っている?単純に質問
>>750 がどういう意味で「市部」と言ってるのかわからない
「南京市」という意味ならその通り、城区+郷区で南京市になるが
スマイス調査での「市部調査」は城区=市街地のみが対象で、郷区の数字は農村調査の江寧県でまとめてある
外国人にしろ日本軍にしろ、厳密な意味で「南京」とか「南京市」という単語を使っていない事が多い
外国人の日記や手紙でも、「南京」や「南京市」は南京市のうちの「市街地(特に城内)」という意味で使われている
>>751 そこら辺含めても、埋葬した遺体はほとんどが成年男子だったから虐殺はありえないよね
範囲を広げたら虐殺が可能なんてただの妄想にすぎない
753 :
名無し三等兵 :2014/03/01(土) 15:03:05.06 ID:pLrHDxg+
あと南京行政区という意味なら、南京市以外に近郊6県を含む範囲になる 近郊県は、江寧県・句容県・りっ水県・江浦県・六合県・高淳県で、郷区ともまた別物 近郊県は主に農村部だが、人口は6県合わせて南京市とは別に130万人くらい スマイス調査では、このうち4県半が調査対象で人口108万人 当然だけど日本軍は、南京城や南京市以外に近郊県にも侵攻・駐屯あるいは南京への通過点として関わってる 南京城内まで侵入したのは、20万の日本軍の一部(7万人)に過ぎないし、そのうち安全区の掃討は歩7連隊など更に一部になる
>>753 笠原一味はスマイス調査をタテに「日本軍は南京城区じゃなくてそれ以外で虐殺しまくった」と主張しているけど
味方のはずのダーディンに「日本軍に従軍していたが、道中の軍はとても紳士的だった」と全否定されたよね
もちろん南京市 南京行政区として使ってるよ スマイス調査は城壁に隣接した城外地域も含まれてなかったか? 農村といわれると違和感があるな 自分も外国人の資料(主に資料集)にでてきたものを見て南京市、南京行政区を11区と認識してきたから そこが違うのはおかしいね
>>754 それは違うね
南京市が南京の行政単位としてならともかく、
当時の近郊6県が南京の行政単位だという資料のほうこそみたことがないな
スマイス調査にもでてこない
>>757 俺は
>>750 が南京市や南京行政区について質問していたから、一般論として近郊県の説明をしたんだけど
スマイス調査は戦災に対する救済調査で、近郊県も戦災を受けていたから調査した
笠原も日本軍が近郊県にもいたから、事件の範囲に含めた
ただそれだけ、重要なのは当時行政区だったかどうかでなく、当時そこに日本軍がいたかどうかでしょ
まあ、日本軍の公式発表である敵の遺棄死体8万4千ってのがすでにして異常だがなw 約9万の中国人が逃亡も降伏もせず玉砕まで戦い続けるんだぜw
それと必ずしもスマイス調査時点の居住地と殺害場所は一致しない ヴォートリン日記でも、上海などの江南地域や句容県などの近郊県から、城内に避難してきたり 当然逆に南京城内から近郊農村に避難した人もいる だからスマイス調査での近郊県死者は、必ずしも近郊県で殺害されたとは限らない
そもそも中国軍が殺していないという証拠が全く無い。
>>755 ダーディンは日本軍ではなく、上海から南京へと撤退する中国軍に従軍していたんだけど
>>758 戦後に現地で聞き取り調査をした国民党が、裁判から近郊6県の被害を外したのは重要じゃないの?
近郊6県で日本軍が殆ど虐殺していないことは国民党が保証しています
大体小さな農村で100人単位の虐殺があったら、日時と被害と事件のあらましぐらいは当然残っていないとおかしいのに 南京近郊でそんな事件の形跡など皆無ですね。仮に1万人の被害者がいるなら100人虐殺が100箇所でないといけないにもかかわらず まあ国民党も全くの無から事件をでっちあげるのは断念したのかな?
>>764 前段と後段に何の関係が?
まあ南京攻略軍は上海からずっと進撃して、南京の後も各地へ転戦してるから、どこで区切るか難しいけど
そもそも中国側は、南京に限らず中国全土での日本軍の侵略と暴行を問題にしてるから
地域に含まない事が、犯罪のない証拠なんて事にはならないな
>>765 いったい誰が記録を付けるんだ?
安全区には国際委員会その他がいるから、記録に残りやすいけど
因みに近郊6県のうち、スマイス調査の対象になる4県半だけで面積6,315ku、群馬県くらいの広さになるな
東京都の3倍、南京城の160倍の面積
県城以外の農村なんて、隣家が数百m離れてたりするだろうし
>>766 笠原一味によると、民間人虐殺の殆どは南京城の外で起こったらしいが、
ほとんどの民間人虐殺を無視する国民党政府って一体なんだろうねw
大体事件を起こしたとされる主体が南京城陥落に関わっているのに、そっちを無視するのは異常だ
それと中国人は全員文盲で更に唖なんですか?事件を残す手段は外人しか持っていないとでも思っているの?
ま、有りもしない農村での民間人大量殺戮の証拠を探して証明したらいい
頑張れw
笠原は別に事件のほとんどが城外で起きた、なんて言ってないと思うけど? まあスマイス調査では、市部より農村部で死者が多い事になってるが 農村部の農民が、南京城内に避難してたりするから、一概には言えんし あと断片的になら、日本側の兵士の陣中日記や中国側の証言にも農村部は出てくるでしょ
>>768 その南京市部の4.5倍も民間人が虐殺されたという農村では、100人200人殺されたって記録が見つからないのは笑えるw
他の地域もあったというのは、南京城内外では20万、30万が成り立たないと 察知した大虐殺派達が中国に配慮するために作り出した事件拡大論だね 単なるすり替えだから基本付き合わないほうがいい
>>769 はいったいどんな記録を読んだ上で見つからないと言ってるんだ?
>>771 「ある」と主張する方が根拠となる記録を出す必要がありますが?
出してみたらどうだ。
>>771 見たいな事を言ってから記録や証拠が提示されたためしがない
774 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/03/01(土) 23:41:20.69 ID:RVM/y71I
>>772 >
>>771 > 「ある」と主張する方が根拠となる記録を出す必要がありますが?
> 出してみたらどうだ。
【ネトウヨその傾向と対策#204】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「証拠出して見ろwwwww証拠無いから出せないんだろwwwww」
d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
ここに沢山ありますよ。ok
南京戦史編集委員会 「南京戦史」 (偕行社)←現在入手極めて困難
→「南京戦史」「南京戦史資料集」「南京戦史資料集U」
南京事件調査研究会 「南京事件資料集」全2巻 (青木書店)
→第1巻「アメリカ関連資料編」 第2巻「中国関係資料編」
洞富雄編 「南京大残虐事件資料集」全2巻 (青木書店)
→第1巻「極東国際軍事裁判関係資料編」第2巻「英文資料編」
防衛庁防衛研修所戦史室著 「戦史叢書」全102巻(朝雲新聞社)
「第86巻 支那事変陸軍作戦〈1〉―昭和十三年一月まで―」
「第89巻 支那事変陸軍作戦〈2〉―昭和十四年九月まで―」
井口和起、木坂順一郎、下里正樹編 「南京事件・京都師団関係資料集」 (青木書店)
【ネトウヨその傾向と対策#42】
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
775 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/03/01(土) 23:42:26.34 ID:RVM/y71I
>>773 >
>>771 見たいな事を言ってから記録や証拠が提示されたためしがない
【ネトウヨその傾向と対策#153】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「南京大虐殺の物証(死体)は全く出ていないぃぃぃ!」
d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
南京大屠殺記念館は死体が埋まっている場所に立っており、埋まったままの姿を展示してい
ます。歴史修正主義者の言う「○○がないのはおかしい」は、大概その○○が実際にはあり
ます。ok
>>772 や
>>773 みたいな反応をするって事は、結局何も記録を読んでない、ハッタリだって事だな
俺は
>>769 がどんな記録を読んだのか聞いたのに、その答えが証拠出せって…
では実際に出した、
>>774 に記載された資料集をすべて論駁して、まとめて発表してみろ、といっても受けて立つ否定派が
果たしているかどうか? 今までこれに応じた者を見たことがないし、今後もないだろう。
「なかった」という証明が出来ないのなら、証明できない、証明する気はない、証明することは諦めた、と判断されても
仕方がない。また詭弁を弄して逃げ回るのか? 多分予想通りだろうねw
信憑性の薄い証言ぐらいはあっても、鉄板の事件がないから論点ずらしかw 日本で数十人以上のの空襲被害なんかがあった町なら、被害者名簿は勿論 事のあらましを市のHPに載せるなんてあたりまえだが、笠原の言う5,6万の 半数程度はそのようなものがないとねぇ
>>777 「なかった」という証明は悪魔の証明でしかない。
普通必要なのは「あった」という証明。
証明する気はない、証明することは諦めた、と判断されても仕方がないのは「あった」と証明できない側。
じゃあとりあえず、
>>564 と
>>566 で引用した、第16師団歩20連隊第3機関銃中隊の牧原信夫日記について、否定派からコメントもらおうかな
16師団は上海から蘇州〜無錫と来て、常州の武進に入ったあたり
11月28日
午前11時、大隊長の命令により、下野班長以下6名は小銃を持ち、残敵の掃討に行く。
自分たちが前進するにつれ支那人の若い者が先を競って逃げていく。
何のために逃げるのかわからないが、逃げるものは怪しいと見て射殺する。
部落の12〜13家に付火するとたちまち火は全村を包み全く火の海である。老人が2〜3人いてかわいそうだったが命令だから仕方がない。
次ぎ、次ぎと3部落を全焼さす。
そのうえ5〜6名を射殺する。意気揚々とあがる。
11月29日
武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず全員銃殺す。
敵は無錫の戦で破れてより全く浮き足立って戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地に立てこもるのかわからないが、全く見えない。
12月1日
途中の部落を全部掃討し、また船にて逃げる2名の敗残兵を射殺し、あるいは火をつけて部落を焼き払って前進する。
呂城の部落に入ったおりすぐに徴発に一軒家に入ったところ3名の義勇兵らしきものを発見。
2名はクリークに蹴落とし、射殺する。
1名は大隊本部に連行し手渡す。
出典は「京都師団関係資料集」ね
部落の掃討とか焼き払ったりしてるみたいだけど
>>780 日記がある、で安心しちゃダメですよ。ちゃんと裏付けを示さないと。
言われている南京大虐殺30万は12月13日の占領以後の話
>>774 の資料集はむしろ言われている南京大虐殺30万の反論資料になりえてるものだろ
「受けて立つ否定派が〜」とか何いってるんだか
いわれている20万、30万の南京大虐殺などなかったと言い続けてきた否定派が、 20万、30万を否定できる資料集を論駁しろと言ってるあほがいるなという感想だけしかない
デジタル大辞泉の解説 ぶってき‐しょうこ 【物的証拠】 裁判で、検証物・文書など、物の存在・形態・状況が証拠資料とされるもの。 出典:小学館
>>780 南京が陥落したのは12月13日なんだけど。
「南京事件の期間は11月から」という主張ですか?
788 :
名無し三等兵 :2014/03/02(日) 11:51:08.13 ID:0JtRaDZT
証拠とか・・・ ユニコーン証明ってやつがある。 ユニコーンがいるとか論争があるときに、いないことを証明するには 世界中の地域や動物を調べるので大変な労力がかかるが、ユニコーン を一頭でいいから連れてくると簡単に論争を解決できる。 で、虐殺を見たとか慰安婦だったとかそういう奴を連れてくるんだけ ども馬の頭にダンボールで作った角くっつけて、触らないで〜見るだ け、見るだけですよ〜ってやってるんだよ。
789 :
名無し三等兵 :2014/03/02(日) 11:53:26.14 ID:0JtRaDZT
そもそも、歴史論争ほどバカげたことはない。 あるのは客観的な事実だが、歴史論争する奴はそれを評価しようとする ものだから主観がはいり不毛な論議が繰り返される。
790 :
名無し三等兵 :2014/03/02(日) 11:58:21.43 ID:0JtRaDZT
安重根だったか、あれが伊藤博文を殺したという事実はあって それは客観的事実だ。 しかし、それを暗殺といったり英雄的行動とかというと、それ はもう読書感想文と一緒だ正しいとか間違ってるとかそういう 話じゃないのにいつまでもあほな不毛な論議を延々続けてる。
>>781-786 おまえさん達は、少し前の話の流れも覚えてないのか?
事の発端は
>>765 が
>大体小さな農村で100人単位の虐殺があったら、日時と被害と事件のあらましぐらいは当然残っていないとおかしいのに
>南京近郊でそんな事件の形跡など皆無ですね
から始まり、
>>769 でも農村での記録が見つからないと言う
ここで言われているのは、「農村部での事件の記録」が皆無だと言うから、その「記録」を出したのであって
記録を出したら、急に「裏付け証拠を出せ」だの、20〜30万人がどうだのとトンチンカンな事を言い始める
まずは農村部での殺害の記録が皆無だという、そちらの主張を訂正すべきではないのかね?
だいたい何でいきなり、20〜30万人とか関係ない話が出てきてるんだか
言われている南京大虐殺は12月13日の占領以後の話だから このスレでなんの話題が過去に出て、誰が何を言ったかなど関係ないな 20万、30万の大虐殺などなかったという事は、 東京裁判から現在まで否定派が一貫して言っているで急にでも、突然でもなんでもないぞ 自分も同じ考え出しこれからもずっと言い続けるつもりだから その大虐殺があったというなら反論すればいいんでは?放置してたら否定派の数は増える一方だぞ
>>791 事実なら、平頂山に匹敵する大事件なのに「武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃討し、老若男女をとわず全員銃殺す。」
の一行しか残っていない。清々しいほどの捏造ですねw
>>779 やはり予想通りのことを書いてきたか。これは「悪魔の証明」ではない。
それに「あった」ことを、有力な根拠もないのに「なかった」と言ってる側に証明責任がある。
日頃、証拠を出せと言ってるから、 >774 に挙げた資料・証拠をすべて反駁してみろ。できるものなら。
>>784 日本には現在「南京大虐殺30万」なんて主張している学者・研究者がいるのか?
30万は中国の公式見解だろうが。
>「受けて立つ否定派が〜」とか何いってるんだか
証拠とされるものを論駁しろと言ってるんだから、要求された方は「受けて立つ」ことになるだろう。
それとも、日本に来たばかりで、まだ日本語がよく分からないのか?
>>785 >いわれている20万、30万の南京大虐殺などなかったと言い続けてきた否定派が、
バカ。「20万、30万」どころか、「なかった」と言ってきたくせに、インチキなことを言うな。
それとも、何処かのバカのように「なかったとは言ってないよ。戦争だからほんの少しはあった」とか
言って曖昧にして誤魔化すのか。それより、早く論駁しろ。
>>792 日本の研究者もこのスレの住民も、誰も中国の30万人説が正しいなどとは主張していないけど
笠原の十数万も近郊県含めた数字だから、南京市限定ならだいぶ少なくなるし、東京裁判の内訳とも違う
仮に南京で10万人虐殺と主張したら、それは20万人とか30万人ではないから、否定派になるのか?
それなら日本の研究者は全て否定派という事になるな
まあ妥当な線では、戦闘詳報から兵士2〜3万人、スマイス調査から民間人1万5千人程度が南京市での殺害の基本数字になるから
20〜30万人を否定したいだけなら、お好きにどうぞ
こちらは虐殺が皆無だと主張したい輩を攻撃してるだけだから
というように、否定派(正確には、なかったことにしたい派)という輩は、予想通り詭弁を弄して 話題を反らし、誤魔化そうと必死になっている。 また、実際出された資料は完全に無視して触れようとせず、訳のわからん言い逃れに終始している。 これが否定派という輩の正体。
>>796 否定派はいわれている20万、30万の南京大虐殺などなかったと言い続けている
世界で言われている南京大虐殺は、戦後の裁判でいわれた20万、30万であり、
中国が今も言っている30万も同じ 否定派が一貫してなかったといっているのはそれな
否定派の定義を自分が攻撃しやすように勝手に変えるほうこそインチキだな
学問レベルでは20万、30万の大虐殺があったと言ってきた学者、研究者が敗北してるだろ 見苦しいな
何度でも言うが
>>774 の資料は言われている20万、30万の南京大虐殺などなかった事の
証明にしかならないぞ
>>797 >こちらは虐殺が皆無だと主張したい輩を攻撃してるだけだから
それがね、最近の否定派は言い方が巧妙になって、「なかった、0だとは言ってないよ。戦争だから少しは
あっただろう」というような、言い逃れの為の逃げ道を用意した主張をするようになってきた。
これは虐殺少数説とは全然違う。 虐殺少数説は規模は小さいが「南京事件はあった」という主張。
>>797 世界で言われている南京大虐殺は、戦後の裁判でいわれた20万、30万であり、
中国が今も言っている30万も同じ それを東京裁判の時点から否定してきたのが否定派な
逆にそれがあったといってきたのが肯定派、大虐殺派
学問レベルでは20万、30万の大虐殺説を言ってきた学者、研究者は敗北した
これが南京論争史の事実だよ
結局事実を無視して自分達が攻撃しやすい否定派像を作ってそれを攻撃してるだけじゃないか いわゆる藁人形たたき あほくさ
>>797 >スマイス調査から民間人1万5千人程度
まさかw 怪しげな証言だけで民間人虐殺認定とか科学を否定しているだろ
>>799 あっそう。あんたは虐殺少数説をとっている、ということだな。それなら私とたいして変わらんな。
>否定派はいわれている20万、30万の南京大虐殺などなかったと言い続けている
だから詭弁だと言ってるんだ。「20万、30万」どころか「なかった」と言ってきたくせに。
ちなみに、東中野・渡部は「なかった、ほとんどなかった」という主張だ。
それとも、否定派にも色々いるから主張も色々、一枚岩ではないと言いたいのか?
30万を出して「藁人形たたき」しているのは、そちら。あほくさ。
>>804 >あっそう。あんたは虐殺少数説をとっている、ということだな
ほら得意の藁人形たたきはじまった
>>799 のどこにそんな事書いてあるんだ?言ってみ
一方で否定派がずっとなかったといっている、20万、30万の南京大虐殺は、
戦後の裁判で言われ、中国がいい、日本の大虐殺もいい、教科書にものせられ、現在でも
世界で言われている 藁人形ではなまったくない 見苦しい鸚鵡返しはやめれば?
>>799 >>801 こそ自分勝手な「否定派」定義をしてるじゃないか
だいたい「大虐殺派」ができるのは1984年に、南京事件調査会ができてから
それと日本で20万30万を主張して敗北した学者って、誰の事を言ってるんだ?
>>804 にはそっくりそのまま返す
自分が攻撃しやすい30万人説を叩いてるだけだな
あと30万人説を否定したいなら、代わりになる数字を出さないと
このスレの否定派はいったい何人だと主張したいんだね?
見苦しい鸚鵡返しモード突入
>>805 否定派は「20万、30万の南京大虐殺などなかったと言い続けている」のなら、それでいいんじゃないの。
0でもない、20万以上でもない、というのなら、その間ということ。違うのか?
それとも、30万を否定できれば南京事件全体を否定できるとかいう、いつもの手法か?
否定派は、何人だと尋ねられても、答えたくないので答えない。
>>808 既成事実化されてる20万、30万が間違いなら再検証が必要ということだろ
それがあった事を大前提に靖国参拝批判や慰安婦問題と絡めて批判されているのが現実だよな
大虐殺派は別問題にすりかえて逃げるしかできない
日中歴史共同研究の日本側論文に、日本側の研究では20万人〜2万人という数字が 挙げられている。まだ研究途中だが、まず中国を日本の研究の範囲内に近づけるように 時間をかけて粘り強く説得する必要がある。
>>806 中間派の秦ですら、少虐殺派の板倉、原氏の2万に合流しているんだから
4万以上は敗北したと考えるべきじゃないの?
>>788 その論法はペテンみたいなもんだぞ
実際の日本はすでに有罪を認めて罪に服した前科者みたいなものなんだから、
冤罪を晴らしたいなら新たなる事実を提出して訴える必要がある
従軍慰安婦問題のように後から刑罰の追加を要求されてるなら不当と騒ぐのもいいが、
すでに確定している判決について不服を言うなら証拠は日本が出さなきゃならない
>>812 最大20万で沢山の説があると言っているだけだろ
日本語勉強しろよ
なお、説があることと事実虚偽の関係は全くありません
「大虐殺」って、具体的に何人以上だ? 「大虐殺派」って、このスレにいるのか? 逆に、30万を否定できたら、南京事件はなかった、否定できる、と思っている バカはいる。つまり、藁人形叩きの詭弁。
>>814 東京裁判などは科学に基づいたものじゃないので、歴史学的にはノーカウントだぞ
お前の言い分は科学への冒涜だ
>>815 >なお、説があることと事実虚偽の関係は全くありません
こういうのを、誤魔化しとか詭弁とかいうのではないか?
もっと、日本語を勉強しなさい。
政治レベルの話だろ 戦後の裁判により20万、30万があったことにされているだけ それと歴史的事実はまったく別だが、それを同じだとしたのが日本の大虐殺派の歴史学者や研究者 その意思は今でも受け継がれているよ いわゆる東京裁判史観
>>816 既成事実化されている20万、30万の南京大虐殺が事実ではない(なかった)ならば
再検証が必要だといっている否定派はいるな バカは君のほうのようだ
>>817 南京事件がなかったというのも、科学に基づいたものじゃない。ただの難癖。
お前の言い分こそ、科学への冒涜だ。
>>816 秦の4万と笠原の12万の間に目立った説はないから、その間が大虐殺派の開始点じゃないの?
秦は明確に大虐殺派でもまぼろし派じゃないという主張で中間派を名乗っているからな
ここだと、幕府山1万以上は大虐殺派という傾向がある
>>821 再検証を否定するのが科学なのかw
半島売春婦の件とそっくりだな
>>821 「南京事件がなかった」
↓
「既成事実化されている20万、30万の南京事件(南京大虐殺)が事実ではない(なかった)」
ならどうなる?これも難癖か?冒涜か?
>>820 再検証が必要だが、南京事件はなかったと言っている否定派には関係ないこと。
やはり、バカはおまえさんだ。
>>821 >南京事件がなかったというの「も」
さすがに自分たちが科学を冒涜しているのは認めるんだなw
反論できない奴の常套句「お前だってそうだろう」を発動しちゃお終いだ
>>825 >再検証が必要だが、南京事件はなかったと言っている否定派には関係ないこと。
関係大有りだろうが
お前はもっともらしいことを書いてごましてるだけだな
>>826 さすが、否定派。些細なことにも反応してすぐに難癖をつける。
「科学を冒涜している」のは、なかったと主張している否定派だけ。
再検証も否定派には関係のないこと。蚊帳の外。残念でしたw
>>825 例えば上の方にある「牧原信夫日記」なんだが、なんの裏付けもないただの証言を信用するのは科学じゃないよ
少なくとも虐殺された側の記録がどの程度の確度なのか検討する必要があるが、それが見つからないよね
町一つを殲滅して記録が残ろないッて言うなら捏造確定です
>>828 東京裁判が科学というなら、10万の民間人虐殺をお前は主張するってことだよね
あんたらの基数を民間人虐殺10万に固定して、ソレを否定出来たらこっちの勝ちになるという宣言だなw
>>827 関係ありませんがw 関係あると言いたいのなら、「南京事件はなかった」とかいう主張の
論文を書いて何処かの学会に出して認めてもらい、正式な歴史学者・研究家の仲間に入れて
もらえば。間違いなく無理だけどw
「既成事実化されている20万、30万の南京事件(南京大虐殺)が事実ではない(なかった) ならば再検証が必要だ」と言ってる(言ってきた)のは否定派だけだが、 「それを言っている否定派は再検証に関係ない」の意味がわからないわ
日本では、「既成事実化されている20万、30万の南京事件(南京大虐殺)が事実としてあったと 言ってる(言ってきた)」のがいわゆる大虐殺派の歴史学者・研究家だね その人たちこそ再検証には関係ないようにみえるが
>>831 ええと、学会に学術論文を提出した肯定派の学者とは具体的に誰で、何時何処に出したのか書いてくれないかな?
俺はそんな人は一人も知りませんが
たとえば南京事件に関するあらゆる資料をできるだけ集めて、英訳してアメリカの研究者に 提供し再検証、再検討してもらう これに賛同できる人いる? 否定派はほとんど賛成するとおもうよ
>>817 全連合国に喧嘩売って戦争やり直したいというならどうぞその主張を貫いてください
政治判断と歴史的事実を区別できてない人が一名
>830 >東京裁判が科学というなら、10万の民間人虐殺をお前は主張するってことだよね 「10万の民間人虐殺」って何だ? 民間人虐殺10万人なんて主張したことはないぞ。 それをいうなら、最近「東京裁判で捕虜敗残兵殺害は違法認定しなかった」と言ってる、お前らの方だろう。 「東京裁判で捕虜敗残兵殺害は違法認定しなかった」というのなら、お前らは「東京裁判の判決を支持している。 南京事件の犠牲者数は市民10万人以上だ」と、お前らは主張していることになる。それでもいいのか?
>>838 お前の主張は「東京裁判は科学に基づくものだから、否定する側が証拠を持ってこい」だよな
何で自分が科学に基づくと言っている東京裁判の判定の数字を否定するの?
否定派側は東京裁判は単なるリンチだと認識しているから、東京裁判の民間人虐殺10万人は科学的に証明されていない
言いがかりの数字だといえるが、アンタ方はどんな根拠で10万を否定できるの?
>>834 「南京事件はあった」という論文のことを言ってるのなら、今さらそんな論文は
無意味でいらない。東京裁判で「あった」ことは認定されているから。
20万、30万が既成事実とされている今の現状(それが歴史的事実かどうかに関係なく)を 維持したいのが大虐殺派 それらは事実ではないから再検証するべきというのが否定派 こういうまとめがしっくりくるな
>>840 ええと、つまり肯定派の主張は東京裁判の判定が全てだから、アレが否定できたらお前らの負けってことなのか?
>>839 私は元々「東京裁判は科学に基づくものだから」なんて主張してないぞ。>817 が「科学に基いたものじゃない」と
言いだしたんだろう?
>817 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 15:08:18.83 ID:???
>東京裁判などは科学に基づいたものじゃないので、歴史学的にはノーカウントだぞ
>お前の言い分は科学への冒涜だ
>アンタ方はどんな根拠で10万を否定できるの?
市民10万と言っているのは、お前らだろう? 「言いがかりの数字」と言うのなら先の主張と矛盾するなあ。
否定派「東京裁判で捕虜敗残兵殺害は違法認定しなかった」→つまり犠牲者数は市民10万以上という主張。
ちゃんと説明してくれよ。
>>842 誰がそんなことを言った? それでは、試しにお前が東京裁判を否定してみたらどうだ?
そんなことより、戯言はもういらないから、>774 の資料集をすべて論駁して、南京事件がなかったことを証明しろ。
845 :
名無し三等兵 :2014/03/02(日) 16:35:08.19 ID:0JtRaDZT
裁判とか科学じゃないからね・・・
いつも同じ結果が出るとか反証できるとかそういうものが科学だと思う
、逆に言うと弁証法で反証できないというのは論理的でないと言えると
誰かが言ってたな。
>>822 そういえば秦の意見は30万でも3万でも3人でも虐殺は虐殺で人数で
はないだろうという立場だったね。
846 :
名無し三等兵 :2014/03/02(日) 16:39:05.59 ID:Sj/HY5gV
東京裁判は単なる戦勝国による敗戦国を悪者に仕立てる為のショーにすぎない 事実に基づいたものではない。
>>844 君のいう「南京事件」とは?
いわれている「20万、30万の南京大虐殺(南京事件)」と違うならば、
どこがどう違うのか詳細に書いて
否定派がいう「南京大虐殺(南京事件)」ははっきりしている 戦後の裁判で言われた20万、30万の事件
>>843 、844
>>828 で「「科学を冒涜している」のは、なかったと主張している否定派だけ。」って書いてあるよな
つまり肯定派は東京裁判が科学に基づくものだと言っているんだよ
>>844 東京裁判の否定って「20万都市で10万虐殺して25万生き残ったw」だけで十分だろ
あんなに根拠薄弱なものを持ちだしてドヤ顔するアンタの知性って・・・
>>794 「虐殺に該当する」と判断するのはそちらなのだから、まずはそちらが>774 に挙げた資料・証拠の中で虐殺に該当するものをすべて抜き出してもらおうか。
話はそれからだ。
所詮、抜き出すどころか「あった」と証明出来ないで逃亡だろうがw
ああ、またどうでもいい不毛な議論を始めてるし 今度は肯定派と否定派の定義かよ んなもんはどうでもいい ここは記録を読みながら事実関係を検証していくスレだ 記録も読まず検証もせずに、結論だけ先に出てるとかおかしいだろうに 先入観は捨てて、事実関係の検証に集中したらどうだ
検証すべきなのは、この三つ ・捕虜殺害はあったのかどうか ・民間人殺害は(以下同文) ・そしてそれは正当化できるものなのか 定義論や中国との政治問題を持ち出して話をそらすのはいつも否定厨だろ
自分が以前何を主張してたのか分からなくなってるw
捕虜殺害については、幕府山事件など数字の差はあっても、殺害があった事自体を否定する研究者はいないな 否定派でさえ、合法かどうかを主張するだけで、殺害自体は否定していない
「否定派の定義はどうでもいい」といいながら自分は率先して「否定派は〜」 とか使うやつがもっともらしく検証とか言ってるからな
大虐殺派がやりたい検証とやらはいかに日本軍がわるいことをしたか それを 拾い上げて批判したいだけであって、問題となっている南京大虐殺の検証ではないな 言われている20万、30万の南京大虐殺とはどんな根拠によったものか、 そしてその場所にいた日本軍はどのような行動をしたかで 何があったのかの検証をすべきだろ
大虐殺派以外の研究者は何があって何がなかったのかの検証を比較検討しながらやっている 一方で、いかに日本軍がひどいことをしたかというような視点で 日本批判なら無批判に受け入れるというようなやり方で、 ここにいるコピペ君がやってるようなことをしているのが大虐殺派の学者 全然ちがうんだよね 目的が違うとこうもかわるのかと
>>853 「捕虜殺害も民間人殺害も一切無かった戦争」というのを出してもらおうか。
アフガニスタンかな?
イラクかな?
ガザ地区かな?
歴史上実現不可能だった出来事を日本軍にだけ要求するのは異常だと認識しろよ。
>>857-858 なにその偏見
単に記録にはこういう事例があると紹介してるだけなのに
いつどこでどんな事があったかを確認せずに、どうやって事実関係の検証ができるんだ?
しかも日本批判とか関係ないし、日本軍の体質批判はあるかもしれんが(現地調達主義とか)
>>857 こそ30万人という数字にとらわれ過ぎてないか
まあ不満があるなら文句を言うだけでなく、自分なりの検証の仕方を実践してみればいいじゃない
偏見でもなんでもないよ 基本つまみぐいだよね ゆうのサイトみたいな偏った大虐殺派のHPに 影響されすぎてバランス感覚失ってるんじゃない?
862 :
名無し三等兵 :2014/03/02(日) 21:36:27.54 ID:0JtRaDZT
>>853 >・そしてそれは正当化できるものなのか
ここが不毛な論争の始まりだね、正当化ってのはできるものじゃなくて、
するものだろう・・・
D・カーネギーが書いてたけど極悪非道の大量殺人者でさえ、なぜ自分
がそのようなことをすることになったかを実にうまく説明するってね。
>>855 一部の活動家を除くと、幕府山は両角証言をベースに違法か合法かの論争になっているようだね
そりゃ1万人を河に流したりたりガソリンで焼いたりする荒唐無稽な栗原以下の証言は無視されて当然
>>862 おまえみたいなクズが自分をどう正当化しようが勝手だが、
嘘を平気で正当化するような国には住みたくないだろ
国家の暴力は国内に対しても平等にふるまわれるんだぞ
>>851 餌を与えても、予想通り詭弁と屁理屈で逃げ回って逃亡。さらに捨て台詞の勝利宣言もどきは笑える。
どうせ、やる気もない、出来もしないのなら、いちいち出てくるな。馬鹿は馬鹿らしく大人しくしてろ。
867 :
名無し三等兵 :2014/03/02(日) 22:32:15.33 ID:0JtRaDZT
>>864 クズとかいうようなやつが暴力とか・・・w
で、正当化してんのはおまえも含めたすべての人間がみんなそうだって
ことを言ってるんだよ。
自らあらためて証明するな・・・
極東板でも歴史板でも、まともな議論や検証なんてできなかったんだから、 軍事板でもやっぱり無理。できるはずがない。
嘘つきにクズなんて言われたくない。嘘つきには。
では無かった、ということで。
国を極悪非道の大悪人と同じ扱いしても平気なのに、自分がクズ呼ばわりされると ファビョルとはどこの民族ですか?
>>866 「あった」と主張している側が根拠を全く提示できず、自分と相手の立場を入れ替えて妄想を垂れ流して自爆とw
傍で見ている分には無能さを露呈していて実に笑えるなw
今まで「あった」根拠を提示できた肯定派は存在しないw
所詮お前もそいつらと同じゴミクズのひとりだなw
>>872 お前がゴミクズだ。さっさと >774 を論駁してみろ。
出来もしないのなら、偉そうなことを言うな。妄想馬鹿w
>>872 嘘つきのクズとは、お前のことだったのかw おまけに人間のクズw
なんで罵り合いになってるんだか 全く不毛で何の価値もない で、スレに不満のある人は自分なりの検証の仕方を実践してみてくれと言ったんだが、誰か自分がやるというのはいないのか?
>>774 >南京戦史編集委員会 「南京戦史」 (偕行社)←現在入手極めて困難
その「南京戦史」より
「我々編集陣としては南京戦ならびに「南京事件」についても、その真実の究明について、
今日の時点に於いて期待し得る最善の成果を得たものと信じている。
その結果として、20万、30万という数字が全く真実性に欠けている事を証明し得たと確信している。
(略)
そして「南京事件イコール20万、30万の大虐殺」という誤った認識が、歴史上の事実として
いまや定着しつつある事態に対処するため、重要な参考資料として座右にお備え頂ければ
幸いです。」
大虐殺派が「南京事件イコール20万、30万の大虐殺」の証拠だとして貼ったはずが、
逆に内容で論駁されててどうする
どういう内容かも知らずに貼ってるんだろうな
日本を大敗させたアホの山本五十六 ■小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』 「大東亜戦争の初め、東条首相は真珠湾攻撃を知らなかった。 これは東条のみでなく、陸軍全体が知らなかった。 誰もが驚くような話である。 何故かと言えば、日本軍の共同体の構造がそのようになっていたからだ。」 ■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』 「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。 政府はこのことを知らされていない。 略 国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、 そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、 最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」 ■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』 「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。 このことは海軍軍令部総長も知らない。 もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」 略 腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。 しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、 結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。 我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。 ■茂木弘道『史実を世界に発信する会』 その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。 略 山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、 山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。 結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。
>>774 南京戦史を持ち出した時点で虐殺を否定しているのですが。
南京戦史は犠牲者を「戦死者」「準戦死者」「不法行為」に分類しています。
摘出された便衣兵は「戦死者」扱い、個別に投降したが殺された者、巻き添えを食った一般市民は「準戦死者」扱いであって国際法違反(すなわち虐殺)ではありません。
南京戦史から判断できるのは「戦死者」と「準戦死者」のみ。
南京戦史によれば『犠牲者は「戦死者」と「準戦死者」である』という事になります。
ttp://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking11.pdf 「戦死者」
@南京防衛線で戦死した者
A退却、逃亡の際、射撃を受けて死亡した者
B敗残兵狩りで射殺された者
C便衣兵で摘出され処刑された者
「準戦死者」
@個別に投降したが、殺された者
A戦場に残留して中国軍に協力したため、あるいは巻き添えを食って死亡した一般市民
B便衣兵狩りのそば杖をくって死亡した者
「不法行為」
@集団投降捕虜、個別投降捕虜で収容後、殺された者
A無抵抗、善良な市民で殺された者
>>876 話の流れを見ると、どこにも
>大虐殺派が「南京事件イコール20万、30万の大虐殺」の証拠
なんて言葉は出てこないけど
誰も言っていない事に反論してどうするんだ?
話の流れは
>>769 の
>農村では、100人200人殺されたって記録が見つからない
から始まって、
>いったいどんな記録を読んだ上で見つからないと言ってるんだ?
>あると言った方が証拠を出せ
>証拠はここにある
という流れで出てきたのが、南京戦史その他資料だろうに
読解力がないのか、わざとやってるのか、人の話を聞かないタイプだな
koeiは大虐殺派の有名なコピペ荒らし
>>879 結局怪しい証言しかなくて、ちゃんとした虐殺の記録が依然として出てこないんだが
アンタ出してくれないかな?
>>882 どういうのが怪しい証言で、どういうのがちゃんとした記録なのか、基準は何なんだ?
裏付けが必要という事であれば、どうなると裏付けがある事になるんだ?
>>883 少なくとも物理法則に反していなくて、事件が多角的に検証できる資料が残っていることだね
町一つを殲滅したはずなのに証言者の言葉ひとつしか無いとか論外
885 :
名無し三等兵 :2014/03/03(月) 19:36:06.31 ID:vq7NNKIQ
というか、謙虚になるほどというようなものが双方にないんだから どうにもならない。 挙句の果てに人格批判を始めるからどうにもならない。 不毛というのが正解だ。
>>884 は南京大虐殺についてどう考えてるのか聞きたいな
889 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/03/03(月) 22:17:18.12 ID:vUfPxDaO
>>777 > では実際に出した、
>>774 に記載された資料集をすべて論駁して、まとめて発表してみろ、といっても受けて立つ否定派が
> 果たしているかどうか? 今までこれに応じた者を見たことがないし、今後もないだろう。
> 「なかった」という証明が出来ないのなら、証明できない、証明する気はない、証明することは諦めた、と判断されても
> 仕方がない。また詭弁を弄して逃げ回るのか? 多分予想通りだろうねw
【ネトウヨその傾向と対策#120】
「宣伝と誇張を、できるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は、
日本軍がその占領した、ある地域の一般民衆、はたまた
戦時ふ虜(捕虜)に対し犯したものであるという証拠は
圧倒的である」
NHKスペシャル2007/8/14
パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判知られざる攻防〜 抜粋
↓
南京大虐殺
日中戦争さなかの1937年(昭和12)12月から翌年1月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、極東軍事裁判では二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C6%EE%B5%FE%C2%E7%B5%D4%BB%A6&kind=jn&mode=0&jn.x=39&jn.y=8 三省堂提供「大辞林 第二版」より
はい論破
890 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/03/03(月) 22:19:39.83 ID:vUfPxDaO
891 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/03/03(月) 22:21:28.60 ID:vUfPxDaO
>>784 >
>>774 の資料集はむしろ言われている南京大虐殺30万の反論資料になりえてるものだろ
> 「受けて立つ否定派が〜」とか何いってるんだか
【ネトウヨその傾向と対策#148】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「虐殺数30万人説には信憑性が無い!」
d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
東京裁判で南京大虐殺の被害者は20万人以上ということで判決が出ており、その判決を日
本は受け入れています、つまり日本国は南京大虐殺を事実として公式に認めています。そ
の東京裁判の判決で認定された被害者数と中国が自国内で認定してる被害者数の開きがあ
るからと言って南京大虐殺は無かったと言うのは歴史修正主義者の苦しい言い訳に過ぎず、
国際社会では通用しません。ok
>>794 >
>>779 > やはり予想通りのことを書いてきたか。これは「悪魔の証明」ではない。
> それに「あった」ことを、有力な根拠もないのに「なかった」と言ってる側に証明責任がある。
> 日頃、証拠を出せと言ってるから、 >774 に挙げた資料・証拠をすべて反駁してみろ。できるものなら。
【ネトウヨその傾向と対策#120】
「宣伝と誇張を、できるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は、
日本軍がその占領した、ある地域の一般民衆、はたまた
戦時ふ虜(捕虜)に対し犯したものであるという証拠は
圧倒的である」
NHKスペシャル2007/8/14
パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判知られざる攻防〜 抜粋
892 :
d(・∀・)y一~~イケメン学者 :2014/03/03(月) 22:23:19.28 ID:vUfPxDaO
>>881 > koeiは大虐殺派の有名なコピペ荒らし
コピペしてるんじゃなくて質問してるんです。ok
【ネトウヨその傾向と対策#42】
繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
893 :
名無し三等兵 :2014/03/03(月) 23:29:46.18 ID:bMj8asD0
バカチョンが騒いでるなw 捏造写真を引用した笠井など肯定派はブサ面だらけ(~o~)
894 :
名無し三等兵 :2014/03/03(月) 23:38:14.97 ID:bMj8asD0
>NHKスペシャル2007/8/14 >パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判知られざる攻防〜 抜粋 ↑ 捏造偏向番組により訴えられ、高裁で負けたNHKスペシャルを引用wwww
肯定派も、ちゃんとした民間人虐殺の記録がないことを認めざるをえないようで 1件100人としても、3万人なら300件は事件がないとおかしいのに、この体たらくだからな
否定派は楽でいいよな 何も資料とか読んでなくても、事件について何も知識がなくても、とりあえず相手の出した物を否定してればいいだけなんだから 証明は相手に押しつければいい、自分はただ批判し否定するだけでいい でもたぶん、このスレの住民の主張て、否定派が1万人説で肯定派が4万人説て感じの、実は大して変わらない主張なんじゃないかと思う
南京で戦闘が行われた事を否定している否定派はいない。 しかし肯定派がやっているのは唯の戦闘を虐殺だと喚いているだけ。 正確には戦闘詳報に「敗残兵」と書かれているのを無視して「実は捕虜だった」「実は市民だった」とか勝手に捏造しているだけ。 日本軍の記録を勝手に「捕虜」とか「市民」とかに脳内変換して捏造すればいくらでも「虐殺」をでっち上げられるな。
虐殺の資料がないことを否定派のせいにされてもなぁw 資料がないのは事件がなかったからだと論理的に考えれば分かるはずなのに馬鹿なのか?
>>896 >否定派が1万人説で肯定派が4万人説て感じの、実は大して変わらない主張なんじゃないかと思う
数が似通っていたとしても、それが合法か違法かで大きな開きがあるのでは
奴らが主張する、幕府山、第一大隊、所謂便衣兵、中島隊だけで4万超えるのに、奴らの説が4万はありえないわ その他スマイスの農村部の3万と(証拠はないけど)南京安全区以外に居た民間人虐殺w・・・肯定派は最低でも10万を優に超える主張だろ
いわゆるまぼろし派、中間派の研究者の規模が似通っているのはよくしられるが 両者は合法、不法で議論が分かれているだけ ネットによくいる大虐殺派(10万、20万、30万論者)は、 その対立に目をつけ中間派を装ってまぼろし派を攻撃してるだけ
「いわゆる南京事件」は、掃討戦及び便衣兵の処刑など全て合法 死者に戦闘行為に巻き込まれた民間人が含まれていたのは気の毒だが
だいたい、
>>780 に転載してきた「牧原信夫日記」など典型的な懺悔屋の捏造日記なのに
この程度のでっち上げすら認めようとしない肯定派は、もはやカルトだな
「南京事件イコール20万、30万の大虐殺」・・・、ははあ。 20万、30万を否定出来れば、南京事件も否定出来ると。おまけに「悪魔の証明」を使って 責任転嫁か。いまだに姑息な手段を使ってるのか。進歩がないな。テロ活動をやった何処かの 宗教団体と同じ、カルトだね。治らんな、何とかにつける薬はないし。
このHPがたぶん出所か。 >いわゆる、南京大虐殺否定論の「東京裁判でっちあげ説」というのは、東京裁判において初めて >「30万虐殺が主張された」(でっち上げられた)という意味の主張です。 >30万人に含まれる、『市民だけで20数万人以上が虐殺された』というのは東京裁判で作られた >虚構であるというのが否定論の主張です。 東京裁判で30万虐殺が主張された? 市民だけで20数万人以上が虐殺された? どこからこんなデタラメが出てきたんだ?
>>905 そんなことを喚いても、30万虐殺が南京軍事法廷でいきなり登場した事実は覆らないよねw
907 :
名無し三等兵 :2014/03/04(火) 19:51:49.79 ID:IgV8UhB2
いままでは3人でも3万人でも30万人でも虐殺されたのであれば
数の大小は関係ないという秦の主張を支持してたが、
>>902 がいうように巻き込まれたという論点が出たら少し揺らいでく
るかもと思った。
残虐行為があったら虐殺かもしれないけど・・・
909 :
名無し三等兵 :2014/03/04(火) 20:16:04.43 ID:PGno5gvp
戦争で敵兵を殺すことが虐殺なのだろうか?
便衣兵の処刑は裁判抜きでやってんだから違法だよ いかなる形であれ捕虜を処刑するときには裁判が必要 日本軍はそれをやってないので「便衣兵だから虐殺のうちに入らない」とゆー説は成り立たない
東京裁判では、捕虜の処刑は無罪だったね 今はたしかに不法行為だけど、当時はどうってこと無いことだった
>>910 >便衣兵の処刑は裁判抜きでやってんだから違法だよ
違法であるなら、なんで東京裁判の判定で捕虜や便衣兵殺害がスルーされたのか解説してくれ
何年も前に散々やっただろう 新しい材料もないのにまたやるとかネット初心者かよ
否定派が言ってる事は 「いまでも20万、30万の大虐殺があったことにされているが事実ではないから再検証が必要だ」 大きな枠で言えばこれにつきる 余計な事はいらない あったことにされているか されてないかまずこの点に反論があるか知りたい所だな
>>913 ネット初心者は皆否定派なのか?肯定派のネット初心者がいるかもしれないだろ
古参なら初心者にも分かりやすく説明してやってくれ
916 :
名無し三等兵 :2014/03/04(火) 21:15:42.68 ID:PGno5gvp
結論は南京大虐殺は日本兵が中国兵を殺した事件
917 :
名無し三等兵 :2014/03/04(火) 21:16:31.22 ID:IgV8UhB2
便衣兵か・・・ 何のことかわからなかったぞw ウィキでしらべたらゲリラのことみたいだね。 一般的にはゲリラは軍人とはみない、共産軍はゲリラ戦術を得意として いた。 ゲリラが軍服を着用せずに民間人をよそうのは、民間人に紛れ自国民も 巻き込む卑劣な手段だからだろう。 思いがけずここのウィキで秦の名前が出てきたが、 >便衣兵の疑いがあるというだけで「まねごとだけでも」裁判をやらずに 処刑してしまったのは理解に苦しむ・・・ こういう秦のさばけている所が個人的好きだ。
>>917 そうそう、秦の考える日本軍の罪とは処刑したことじゃなくて裁判の真似事をしなかったことだけ
つまり虐殺事件じゃなくて行政手続きの不備に関する問題だ
担当者の訓告あたりが妥当な処分だね
>>906 >東京裁判において初めて
よく見ろ。「東京裁判」
>>919 確かに東京裁判と南京軍事法廷を混同しているようだが、本筋の「南京30万は戦後作られた」という論は動かしがたいと言っているんだよ
否定論の主張を肯定派が勝手に決めて批判してるだけじゃん わらにん
922 :
名無し三等兵 :2014/03/04(火) 21:49:59.36 ID:IgV8UhB2
秦とかバランス感覚最高だと思うけど・・・ この人をもってしても極右という人がいるんだからどうしょうもないね。 勘定を抜きにして歴史を語れる人ばかりでないから歴史論争は不毛だよ。
日本ではスタンスを支持する人も多い秦の記述ですら 海外では「歴史修正主義者の試み(revisionist's attempt)」といわれてるのが現実
924 :
名無し三等兵 :2014/03/04(火) 22:08:57.47 ID:PGno5gvp
未だに戦勝国の捏造が罷り通り事実を検証しようとすると歴史修正主義者と批判されるのが現実なんだよなorz
中共の広げた大風呂敷を秦は肯定した上で被害者数を縮小していくんだから 歴史修正主義者そのものではないか。
926 :
名無し三等兵 :2014/03/04(火) 23:38:40.17 ID:vU4wjasr
戦争で殺した人数だけ手柄になる。もちろん殺害対象は兵士とは限らない。 農民であれ商人であれ殺害する。 大阪夏の陣でも同じく江戸時代よりずっと前から行われてきた。 帰還中に村を襲撃し、生首をもいで腐らせ、それを身分の高い武将の首だと偽って申告した。 戦時中ではヤンキーと同様に「根性試」の意味で殺害を繰り返した。 平和だのと唱える兵士がいれば裏切者とみなして暴行して殺す。
>>926 大阪夏の陣だけに有った特殊な事件を一般化する暴挙に出るのかよ
祖国に帰れ
>>591 とりあえず証言全部の死者を足してみてくれよ。
死んでた死人を試し切りかなんかしたのも入れていいからさ。
それでもそれが全部本当とは限らないぞ、
俺、記憶の中では
>>591 に150万貸したから返してもらわないと。
最大数をまず証言から出して、それぞれについて真偽を調べないなら、まず
>>591 が俺に150万を返済してからな。
中国側の証言だけでも集団殺害28件19万人、個別殺害858件15万人だ
つまり中国側の証言だけで886件になるし、日本側の証言も数百件はある
だから
>>896 で否定派は資料読まなくて済むから楽だなと言った
証言がないのではなく、それを探して(2000件はある証言を)読んでまとめる作業が面倒くさい
それと
>>896 で不満のある人は、自分なりの検証を実践してみたらどうかと書いたが、誰も名乗りでないんだな
特に30万人説を否定したいとずっと言ってる人
検証をやりたいなら、遠慮せずに自分のやり方でやってみればいいじゃない
すべての否定派とやらをひとまとめにしてるようだが、まずお前の言う否定派とは?
否定派否定派というが、自分が資料を読んでないことを告白してるようだが お前の定義のひとつである「資料を読まない人=否定派」ならお前も否定派に入るのか
中国軍兵士に対する虐殺については、笠原の計算では8万、秦の計算では3万、南京戦史では処断1万6千になる それぞれの数字から幕府山事件の殺害数を見ると、笠原は2万、秦は8000、南京戦史は3000で計算している その他秦は捕らえてからの殺害だが、笠原は投降時の殺害数千の他、撤退中の敵を長江で殲滅したのも数に入れてる 個人的な感想としては、撤退中の敵への攻撃は戦闘行為で虐殺ではないが、投降時の殺害はケースによるけど概ね虐殺と思っている ただし捕らえてからの殺害と違って、投降時の殺害は戦闘詳報などに分けて記載されないので、どれが戦死でどれが投降時の殺害なのか、詳しい数字がわからない 佐々木到一日記にある、「俘虜続々投降し来る…数千」という数字くらいだ 捕虜殺害の数字は戦闘詳報から、概ね2万か3万になるが、これは城内の敗残兵掃討計9000人を入れるか入れないかの違い
東京裁判の資料にでてくる魯甦が一人で5万7千人が殺されたのを数えたと言う 証言について触れ、日本側で対応する65連隊と比較し、その荒唐無稽さが このスレですでに書かれている。20万、30万の根拠となるそれら証言ひとつとっても 戦後の裁判でいわれた南京大虐殺派成り立たない こういうのをスルーして資料を読まないと連呼する理由は?印象操作がしたいだけ?
コピペでごまかすな
>>930 俺の定義はシンプルだよ
虐殺をなかった、あるいは否定したがる(なるべく少なくしたがる)のが否定派で、虐殺はあったと認めるのが肯定派
だから例え数千であっても虐殺を認めるなら肯定派と見るし、認めようとしないなら否定派と見ている
20万人や30万人とかの数で分けるのでなく、検証に対する姿勢を基準にしてる
例を挙げると大虐殺派や中間派はもちろん、畝本正巳や原剛でさえ肯定派と見るし、東中野や田中正明などを否定派と見てる
>>935 国際法の合法、不法議論の話のみなら別の場所でそれだけしてれば?
事実の検証ではなく、認めろ認めないとか低レベルなところに逃げ込んでるんだな
お前が定義だと資料を読まないのが否定派らしいが、 東中野、田中は資料をベースに著書を書いてるから肯定派か? もはやいい加減な印象操作しかできないようだな
>>935 なるほどな
注文が多くてすまないが
>>2 にあるように、
「虐殺」とは何なのかも定義してくれ
肯定論者によれば、南京に限らず、軍服を脱いで、兵士かどうかわからないように撤退する敵軍に対しては、それを掃討する自軍は、 その一人一人に軍事裁判をかけなければ攻撃を加えられないという結論になります
中国人の学者と思考がそっくり、「認めろ 事件の検証はそれからだ」 これな
koueiきたらどうすんの?
時間がたちすぎて実数を出すのは不可能なんだから、
>>935 の基本姿勢は正しいだろ
国際法の合法、不法議論の話のみをするのが否定派という意味ではあってる
>>942 そういうこと言い出したらそもそも南京大虐殺云々はすでに歴史じゃなくて「政治的」な方面にいってるんだから
実際にどうだったかを議論することすら何の意味もないだろ
犠牲者数を調べるのは歴史家の仕事であって、有罪か無罪かを決めるだけなら 日本軍の管理責任に不備があったかないかを証明するだけでよい
>>941 暇な人以外はあぼーんしてる
もしコピペでスレが埋まっても、次スレが立てば問題ない
有罪無罪かを決めるのならすでに戦後裁判など色んな方面で終了している
>>943 政治的な問題としては、肯定派はあくまでも国内問題として話してるのがほとんどだけど、
否定派は特定国に対する外交問題として話そうとするからかみ合うわけがない
大虐殺派の定義によれば「南京大虐殺」の中には殺人だけでなく、略奪、強姦等も含まれる 東中野、田中含めあらゆる否定派で、少数の略奪、強姦等が起こった事を否定している人はいない 大虐殺派の定義によればすべての否定派は肯定派になる
大虐殺否定している人の中で当時の南京で「ただの一つもその手の行為が無かった」なんていっている人なんていない ちょっとでもあったということすら否定するのが否定派というのなら、この世に否定派というものは存在しないことになる
コピペ君は否定派とはそういうものだという風にしたいらしいね
あらゆる不法行為が1件もなかったかなんて分かるはずない それこそ神のみぞ知る そんなレベルの話してる否定派はいない しかし肯定派はその藁人形を延々と叩いてるだけ
今更だけどなんでわざわざ軍板で立てたんだ?
散々レッテル貼り、印象操作しといて「不毛だ」と逃げるんだろうな
>>938 虐殺の定義は、基本的には不法殺害という事になるが、究極的には世間一般の人が見てそれをどう思うかでもあるな
例えば民間人が砲爆撃に巻き込まれて死亡したら虐殺になるかどうか
東京大空襲や原爆を虐殺と見るなら、これも虐殺になるけど、研究者の間では南京事件の犠牲者には含まれない
俺は捕虜の殺害は虐殺と見るし、捕虜になる前の投降時の殺害も虐殺と見てる(そこは秦と違う)
敗残兵掃討については微妙、戦闘行為と見る事もできるが、関係ない民間人が含まれるなら、(少なくとも民間人殺害の分は)は虐殺だろうな
俺は別に南京事件を、他の戦争犯罪とは違う特殊な事件とは思ってない
基本的には他のBC級戦争犯罪と同じに見ている
BC級裁判では撃墜された敵パイロットを数人殺害しただけでも、戦犯として死刑判決になっている
「戦後の裁判で言われた20万、30万の大虐殺が歴史事実ではない」と言った瞬間に 肯定派は「なるべく少なくしたがる」と脳内で読み替えてしまうんだな というこは20万、30万肯定論かと聞くととそんな事言ってないとの一点張り 戦後の裁判で言われた20万、30万の大虐殺が事実かどうかではなく、 それに検証、反論すること自体が許せないのかね
>>956 いや、そんな脳内二しか存在しない思い込みを語られてもw
読み替えるとか言う前に、
肯定派で30万を主張する人がこのスレにいないのは
単なる事実でしょうに。
誰も主張してない根拠のないことを肯定しているというだけで
やたらと証明してみろとわめいている人はいますがw
958 :
935 :2014/03/05(水) 12:27:03.68 ID:???
>>956 そんな事は全然思ってないよ
十数万人説の大虐殺派でさえ、中国側の30万人説は誇張であり得ない数字と言ってるし
俺自身も数万人規模と思ってるから、君の定義だと俺も否定派になるし、そもそも日本側に肯定派は1人もいない事になるな
>日本側に肯定派は1人もいない事になるな 日本の肯定派の歴史学者「中国の言う30万、34万が実数だとおもわれる」 史学会会長「南京の犠牲者100万」 いないいない詐欺?
>>955 >究極的には世間一般の人が見てそれをどう思うかでもあるな
すると、BC級に認定された分は当然除くが、
捕虜や便衣兵処分のような「違法ではない虐殺、犯罪的責任を認定されなかった虐殺」を批判してるということになるな
肯定派が戦後の裁判でいわれた20万、30万を積極的に肯定するか否かではないよ 戦後の裁判でいわれた20万、30万が事実ではないという否定派の検証、反論そのものが 許せない、させなくないとおもってるんじゃないの? これはほとんどの否定派の基本スタンスだよね 「なるべく少なくしたがる」という言葉からそう考えてるんじゃないかと思える
>>961 いやだからさ、そんなことを主張していない人に検証、反論をせよとかいってないで
さっさと自分でやったらどうなんだい?
まあ、誰もいってないのでよほど変なものでないかぎり
(もはやお笑いぐさにしかならない東中野レベルの人口とかいいださんでくれよ)
うんまあそうだねで終わるのは見えているが、
検証、反論すること自体が許せないとかいうまえにさ。
30万の根拠を出せという検証反論を丸投げするやつはいても
30万はありえないという検証をした人はほとんどおらんぞ?
虐殺の定義なんて他の戦場見たら一目瞭然だろ WWU時の虐殺は「民間人無差別大量殺戮」だ 兵隊殺して虐殺と喚くのは活動家だよ
失礼、962は勘違いだった。許されたし
>>960 >>963 捕虜にしろ投降兵にしろ、殺害すれば普通に違法認定されるっての
カチンの森だって捕虜殺害だろうに、なに勝手に民間人に限定してるんだ
捕虜は殺害どころか虐待や過度の労働でも違法認定されてるぞ(泰緬鉄道建設その他収容所での虐待)
>>959 は具体的にいつのどこの誰の言葉を言ってるんだ?
大虐殺派の代表的な笠原にしろ、日中歴史共同研究にしろ、そんな事は言ってないないが
>>966 『南京事件』(新人物往来社、1972年) 大虐殺派の代表的な歴史学者 洞富雄(南京事件調査研究会会長)
「30万人、34万人という数字が実数にちかいといえなくもなさそうである」
『現代用語の基礎知識』(1996年版) 樺山紘一(当時、東京大学教授)南京大虐殺の項目に「一説によれば百万」
これらを初めて見たか 知っていたか
知っていたならスルー、隠した理由は何か
日本の大虐殺派が安易に戦後の裁判、中国がいうような大虐殺があったとしてきたのは事実だぞ
「それは昔の話で修正した」系のレスをするつもりなら、以前はどこが間違っていてどのような検証を経て
一気に数十万単位で修正することになったのか 著書や文章を引用してくれ 自分はみたことがない
あと「なるべく少なくしたがる」のが否定派らしいが、これら大虐殺派も「なるべく少なくしたがる」否定派の研究者になるのか?
>>965 敗戦国をリンチにするための方便がどうしたの?君らの話だと裁判すれば処刑は構わないらしいが、
軍事法廷で裁判の有無が争われたことがあるか?
それらのリンチは法じゃなくて感情で犯罪認定したに過ぎない
>>965 >捕虜は殺害どころか虐待や過度の労働でも違法認定されてるぞ(泰緬鉄道建設その他収容所での虐待)
シベリア抑留は何時になったら不法認定されるんだ?それら軍事裁判が、法によるものじゃなくて連合国の
リンチだという証明でしか無い
大虐殺派のkoueiが数千、数万回以上張り続けているコピペの一部 >しかし、洞は『決定版・南京大虐殺』(八二年)で二〇万を下らない数といい、 >『南京大虐殺の証明』(八六年)で少数説の誤りを指摘した。実証の厳密さからも >洞・藤原などの主張には説得力があり、論争はほぼ決着がついた。 >(三省堂『戦後史大事典』より) この記述をしたのが誰なのか知りたい 情報求む 「戦後史大事典1945‐2004」 出版社: 三省堂; 増補新版 (2005/06) >各分野を代表する専門家560名が執筆
戦勝国、敗戦国言い出したらそもそも負けたのが悪いんだからな だいたい捕虜虐殺の原因とされる食料、輸送力不足が戦争の敗因そのものでもある 貧乏なくせにめいっぱい背伸びして手を伸ばしすぎたから、無理が多く出たってことなんだよ そのうち負けたことまでなかったことにしそうで怖いな
>>971 戦争の勝った負けたで科学を否定するオカルトさんですか?
>>971 結局、南京事件とは民間人ではなく捕虜の殺害だとw
戦争で軍人が死ぬ事のどこが虐殺なのかとw
>>972 なかったことにしたい人が、偉そうに「科学」ですか?w
>>973 >結局、南京事件とは民間人ではなく捕虜の殺害だとw
出ました!! また得意の曲解ですか?w
>>974 南京大虐殺云々はすでに政治的な話になってるんだから見解は当然だろ
むしろ政治見解をだして悦に浸る阿呆が嗤える
それなら最初からこんなスレ意味なんてないわな
>>974 >非戦闘員の殺害または略奪行為などがあった
非戦闘員だから兵隊は関係ないですねw
まあ、5人10人は殺されただろうから否定はできないよ
「敗戦国は黙れ」がバカチョンの科学w 奴ら何時誰に勝ったんだろうか?1000年以上負けっぱなしのはずなんだが
980 :
名無し三等兵 :2014/03/05(水) 20:34:23.33 ID:8v+RGW4u
>>947 >否定派は特定国に対する外交問題として話そうとする
それも有るが、教育上も大変問題だと認識してるよ。授業で日本軍は南京で物凄く残酷な方法で南京市民を片っ端から殺した
なんて聞かされて日本人をやめたくなったという生徒が居たり、南京で戦った祖父と孫の関係が壊れてしまったなんて事も
有った様だしね。この中にも本多勝一の『中国の旅』を左翼教師に読まされた人が居るんじゃないか。
何故にそんな事をして日本人の子供の心を傷付けるんだという話だよね。
それに南京大虐殺なんてものが事実として定着してしまったら、過去、現在、未来の全ての日本人が犯罪国家の国民という烙印を
押されてしまう事になる。当然その中には自分も含まれる。冗談じゃないよね。汚名を晴らそうとするのは自然の感情じゃないか。
だから逆に大虐殺派がそういう事に平気で居られるのが不思議なんだよな。
>>976 では民間人が虐殺された具体的な記録をどうぞw
982 :
名無し三等兵 :2014/03/05(水) 22:04:10.42 ID:yvmtbs2i
まぁだいたいそれぞれが我田引水の資料並べててもね。 ホント歴史論争は不毛だ。 いまみたいに映像とか写真が手軽に残せる時代より前のことはもう 論じてはいけないんじゃないかな。 マジ水掛け論だよ、この件でも争いがないのは南京で戦闘があった ってことぐらいなんじゃないのかな。 その戦闘を評価しだしたら主観が入って感想文になってしまう。 間違ってるかどうだとかもうナンセンスでしょう・・・
983 :
名無し三等兵 :2014/03/05(水) 22:11:08.21 ID:yvmtbs2i
あ、感想文に対してね・・・
>>877 いつまでその作家先生3馬鹿トリオの恥をさらしてるんですか?
かわいそうなことするもんじゃない。
特にひどいのが西村眞吾先生だな。
ホントに、先生といわれるほのバカはない、とは良く云ったものだ。
この方が元国会議員だというのが悲しい日本だ。
生き恥を晒すなどというかわいそうなことはもうやめなさい。
>>981 「ある軍法務官の日記 小川関次郎」より
陣中日記
昭和12年12月26日
(略)
○松岡憲兵大尉午後六時頃来部打合せ、某少佐事件に対し同大尉は曰く 上官を脅迫し強姦し掠奪物を内地に送り
暴行数度に及ぶが如き幹部の者を不問に付するが如きは不公平なり 若し隊長に於て適当の処置を為さざる場合には
自分は今後兵の事件を検挙せざるべしと
○地××××、殺人、強姦、脅迫事件を受理し勾留訊問を為す 又 吉×××(少尉)岡××(少尉)殺人事件に
付き勾留訊問を為す
愈明二十七日正午に杭州に向け出発の命あり 吉×××事件は十二月十七日金山に於て支那人間に稍々不穏の挙動
ある如きことを聞き直ちに部下数十名を引率し支那人部落に至り射殺斬殺を為したる事実にして その間上官に十分
連絡せざるのみならず一つの好奇心より支那人を殺害せんとの念に基くものと認めらる
同隊は前線の戦闘には加はらず従つて支那人を殺さんとの一種独特の観念に駆られたるとも認むべく戦場にては斯かる
念を生ずるもの少なからず又支那人に対する人格尊重薄きによるものの如し
(「ある軍法務官の日記」みすず書房 P129〜P130)
>>981 「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」より
<被告事件の受理>
三、左記被告事件軍兵站憲兵隊より捜査報告を受け法務局へ事件受理報告を為す
被告人 第十軍後備歩兵第四大隊第四中隊
後備役陸軍歩兵少尉 吉□□□
(略)
以上殺人
(略)
以上殺人幇助
犯罪事実の概要
(一)岡□主計少尉は野戦衣糧廠金山支部に勤務中の処、自己の宿舎附近に多数の支那人雑居し或は不穏の言動を為し
或は官品を窃取する等の様子ありたるより、不安に駆られ同所警備隊長吉□少尉に対し其の事情を訴ふる処あり
(二)依て吉□少尉は昭和十二年十二月十五日、部下の兵二十六名を指揮して右支那人二十六名を捕へ之を同所憲兵隊
に連行せんとしたる途次、逃走を企ふる者ありたるにより右支那人を鏖殺せんとの意を生じ
(イ)内□伍長をして右支那人二名を、小□上等兵をして三名を夫々斬殺せしめ
(ロ)高□伍長、金□、菅□、金□、石□、志□、各上等兵、鈴□、菊□、茂□、岡□、斉□、大□、鵜□、仁□、
山□各一等兵、七□□□□、長□□□、大□各二等兵(合計二十名)をして右支那人二十一名を射殺せしめ
(三)渡□伍長、前□、石□、椎□各一等兵、上□通訳は現場に在りて右支那人の捕縛又は見張を為し、以て右殺人を
幇助したるものなり
(「続・現代史資料6 軍事警察 憲兵と軍法会議」みすず書房 P67〜P68)
>>985 で?それが10万人も20万人も民間人が殺害された証拠だとでも?
>>986 つまり南京大虐殺とは支那人二十一名が射殺された事だとw
随分スケールの小さい話ですねw
日本軍が意図して組織的に行ったものではなく、単なる兵士個人の犯罪だという証明ですねw
戦争で兵隊が死ぬのも、民間人が死ぬのも当たり前の事だよなあ。 「民間人の死者ゼロの戦争」というものが存在すれば別だが。
>>987 、
>>988 いつもの難癖かw バカバカしい。
↓
>981
>では民間人が虐殺された《具体的な記録》をどうぞw
否定派という人は、一種の知的障害ですから、難癖をつけたら論破したと思い込むくせが あります。仕方がないですよ、馬鹿のすることだから。
>>990 最初のリクエスト通りの「民衆虐殺100人200人単位」ってのは、相変わらず見つからないのねw
代表的事件がこの程度で、しかも憲兵がさばいたとなると、1,000人虐殺証明すらはるか地平線の彼方だね
仮に前述の牧原某が記したような、市民を敵兵として掃討する作戦が有ったとしたら この程度の事件をソレに紛れ込ますことはたやすいわけで この軍法会議で間接的に「住民掃討作戦はなかった」ことが証明されただけですね
>>990 で?兵士の個人的犯罪の記録を持ってきて何がやりたいのですか?
しかも「日本軍が組織的、計画的に実行したのではない」という証明にしかなっていませんね。
さらに「憲兵隊に連行しようとして逃走を図ったので射殺した」というだけで虐殺でも何でもありませんが。
兵士個人の犯行である事の肯定。
日本軍による組織的犯行の否定。
杜撰な選別は軍法会議の対象。
肯定派の論拠はこれでほとんど否定されますねw
湯山での村民虐殺 湯山は南京城から東へ約30キロにあります。昔から温泉で有名な所です。 民国時代、湯山にあった陸軍砲兵学校は大変有名でした。俗に「湯山砲校」と称されていました。 12月初め、日本軍は句容を攻撃しました。砲声がますます近づき、湯山の村民たちはこぞって家を捨て、避難をはじめました。 ある者は山に逃げ込み、ある者は洞窟に隠れ、他の地域に避難していきました。この逃避行は1938年4月下旬まで続きました。 日本軍の湯山での暴虐は、主にこの避難時期に発生しています。おおよそ3つの段階に分かれます。 1937年12月5日、第16師団が句容を攻略し、続いて湯山を攻撃します。これが第一段階です。 12月13日、南京陥落後、南京から東に脱出した広東部隊を捜索する為に、第16師団は繰り返し掃討を行いました。これが第二段階です。 1938年1月22日、第16師団が南京を離れ、続いて別の部隊が引き継ぎます。 春節前後に一連の虐殺が行われます。これが第三段階です。
日本軍の湯山での虐殺は、小規模なものから集団虐殺もありました。 同一地点で数度にわたって、数人から数十人の虐殺が行われ、湯山では少なくとも47の集団虐殺が行われています。 以下4例だけ紹介します。 第一例:姚家辺の虐殺 12月7日の午後、第16師団(歩兵第33連隊)はあたりで強姦を行った後、村に隠れていた人々を根こそぎ縛り上げ、槽坊(醸造所)に監禁した後、30余人をことごとく焼き殺しました。 第二例:于右任別荘一帯での虐殺 12月8日、湯山が陥落します。日本軍は至る所で敗残兵の捜索を行いました。 于右任別荘付近でも15人の村民が殺されるという惨案が生じています。
第三例:王後村の虐殺 12月9日、日本軍は青龍山を守備する部隊に対し猛烈な攻撃を行い、無辜の平民に対する虐殺も最高潮に達しました。 一日の内に10数件を超える集団虐殺を起こしました。 12月9日午後、二人の日本兵が王後村に捜索のためにやって来ました。若者を見つけ次第、祠に連れ込み、銃剣で刺し殺しました。 一人殺しては再び捜索に出るといった具合です。 ここでの虐殺は2時間ほど続き、24人が殺されています。 第四例:後巷の虐殺 12月12日の夜、(国民党の)広東部隊の一隊が命によって太平門から東に向かって包囲を突破することになりました。 12月14日、日本軍第9師団人見連隊(歩兵第19連隊)が湯山の後巷で掃討を開始しました。人を見れば殺しました。 湯山には潘巧英さんのような幸存者が今でも数十人残っています。
物的証拠皆無なのが笑えるw やってる事が代わり映えしないというかw 敗残兵の残忍さ さらに湯山の南の句容の状況を、大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る。 「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやって来て、主人(農夫)を竈(かまど)の上につりあげ火焙(ひあぶ)りにしたが、それが丁度憲兵隊に使ってゐるコックの実家なので直ぐ報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。 ‥‥奴等の残忍性にはあきれます。農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないゾと脅して行くので、農民はブルブルふるえて仕事も手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんで、イスをすすめ、お茶を出して歓待してくれます」 このように、敗残兵は毎晩城門の近くにやってきては発砲しているという、佐野博伍長の話も紹介されている。南京が陥落しても敗残兵の出没は続いた。 中国軍の掠奪を考えなければならないのである。 また中島今朝吾(けさご)第十六師団長の陣中日記が記すように、南京陥落前に中国軍が掠奪に走って「家屋モ徹底的ニ引キマワシテアル」ため日本軍のはいったときは「何モノモナク」という状態であった。 従って、一般的に言って、南京占領後、笠原十九司『南京事件』の言うような、「数万の軍隊による食料物資の略奪が城内でおこなわれる」ということはなかった。」 東中野修道(編著),1937南京攻略戦の真実,229-230
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