海上交通線・通商破壊と海上護衛を語る5

このエントリーをはてなブックマークに追加
358名無し三等兵
美濃部少佐のノウハウがあれば、海上護衛が史実以上に上手く行く、だろうが、
その一方で、マリアナ決戦の一航艦に彼のノウハウが生かされていたらどうなったか、という点にも興味がある。
源田の取り計らいで、44年2月25日に、301空戦闘316飛行隊長に着任したが、
源田の同期の淵田、このとき一航艦の作戦参謀だったが、一航艦の航空乙(丙)参謀あたりに着任していれば、
マリアナ決戦まで3ヶ月の時間の猶予がある。

源田が「目の前の米軍の猛威」だけを考慮して、作戦正面に美濃部を送った心境は理解できる(自分も興味あるわけだから)。
が、原油が不足して、昭和17年秋以降、連合艦隊の作戦行動がかなり制限された、
例えば、燃料がロクにないから、昭和17年秋に大和や長門がガ島砲撃に参加できなかった、ことも事実なのだ。
こんな状態が続けば、航空機燃料の在庫も危なく、パイロットの練度が低下するだろう、と予想することは、
大本営の参謀である源田だったら、ちょっと調べれば気付くだろう。
石油が無ければ、飛行機もフネもただの鉄、であるわけで、燃料が国内で自給できた石炭時代に戦争してるわけじゃないだろうに、
と溜息をつきたくなるところである。

日本に87オクタン以上のガソリンが満足に入ってこなくなった昭和15年8月に、
海軍航空本部がボトリオコッカスなど、オイルを精製する藻の研究を本格的に着手してたら、どうだったかな?
戦争中には間に合わないにせよ、現代の日本がバイオオイルの一流国になっていたかもね(笑)
山の中にある沼や田んぼなどに油が浮いているのを見て、そこにいる藻類が作りだした油なのだ、と気づけば、研究着手のキッカケになる。