海上交通線・通商破壊と海上護衛を語る5

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322名無し三等兵
飛行時間200時間程度のパイロットに夜間洋上進撃できるよう、訓練する手法は、当時の日本海軍で実現された例はある。
芙蓉部隊に割り当てられた訓練用燃料は、一人当たり15時間/月であり、他基地に割り当てられた量と変わらない、という。
そんな環境の中でも、美濃部少佐は、
飛行時間200時間の零戦パイロットでも、皆、夜間洋上進撃可能なぐらいに鍛え上げた。
基地の立体模型を作って夜間の進入経路を覚えさせたり、図上演習を繰り返したり、薄暮・夜間飛行訓練時にキチンと見学させたり、
航法・通信・夜間の艦艇の見え方・攻撃方法などの戦術・飛行機の構造・機材等についての集中的講義だったり、
決して「特殊な」訓練というレベルの鍛え方ではない。

つまり、「夜間洋上進撃できないパイロットを量産」したことは、指導訓練の創意工夫が足りなかっただけ。
このケースに関しては、足りぬ足りぬは工夫が足りぬ、の好例。
美濃部少佐(航空機)や板倉中佐(潜水艦)が、第一海上護衛隊の参謀にいて、
対潜護衛をどうするか、真剣に議論していた環境があれば、と夢想したくなることはある。

日本海軍は、美濃部少佐のようなアイデアマンの発掘・人事抜擢がヘタクソだと思うし、
そういったベストプラクティス(例えば勝見中佐の爆撃回避とか)を早期に普遍化する体質をロクに持っていない。
これこそ、あんな形で敗戦を迎えた、日本海軍幹部が大いに反省すべき点だった、と思う。