実は旧日本軍の工業力は劣ってはいなかった

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546名無し三等兵
朝鮮上空でMiG-15とB-29が昼間対決した期間は短い。WW2のような全力防空戦を
想像すると見間違う。1951年2月末から4月中旬までと、51年10月の半ばだけで
実質2ヶ月強ぐらいしかない。
4月に最初の損害が出るとB-29は38度線以南の近接支援任務に引き下げられた。
F-86セイバーの登場を待って10月に再びミグ回廊内の航空撃滅戦に投入されたが、
Black Tuesday と呼ばれた大損害の後、ストラテメイヤー将軍はミグ回廊内のB-29
昼間出撃を終了させ、これ以降ミグ迎撃エリアでは夜間爆撃専門となる。
http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Air_Force_In_South_Korea#MiG-15s_versus_B-29s
http://b-29s-over-korea.com/Black-Tuesday-Over-Namsi/BlackTuesdayOverNamsi.html
547名無し三等兵:2014/02/27(木) 08:15:25.80 ID:???
>>545
その数字は間違っているなあ。山本か誰か知らんが元記事がデタラメなんだな。
http://25.media.tumblr.com/98ff73e83926c7aa19ca839a8c71bcf8/tumblr_n1mkizV2hI1r6adugo1_1280.jpg
↑ミグが100機ということはないし、58機(56という数字も)のミグが89機のF-86とF-84の
護衛スクリーンを突破しているのには触れないのか?
B-29の被害も、損傷なく嘉手納まで帰り着いたのは1機だけ、3機が墜落し、後は金浦に
緊急着陸するなどして、1951-10-23に8機のB-29がLOSSしたと国防総省のサイトには
記録されている↓から、下に陸地がなければ全滅級の被害じゃないか?
http://www.dtic.mil/dpmo/korea/reports/air/