★インパール作戦での災いは佐藤師団長の敵前逃亡が要因
インパール作戦での損害の大部分は撤退時だったと言われている
そしてその殆どが、15師団の松村連隊であった。
負傷兵は置き去りにされ、飢餓に苦しむ最悪の撤退状況となった。
松村連隊以外ではこのような悲惨な状況は起きていない。
その松村連隊の公式連隊記録で当事者らが声を大にして主張しているのが、
驚くべき話だが、そうなった責任は佐藤師団にあるという事で、その佐藤を美化した
高木 俊朗「抗命―インパール 2」を部外者による創作だと批判ししている。
『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』
「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、
推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」
「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、
戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」
「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して
新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、
「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめた
ものが少なく無い異常さがあった。」
「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。
しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の
当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」