[武士騎士] 古代中世総合16 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
1 :
名無し三等兵:
軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
ソースの書籍を提示されたら否定せずにググったり、資料を借りたり、買いましょう。
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
950を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
970過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2 以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士騎士] 古代中世総合15 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1378997784/
2 :
名無し三等兵:2013/11/11(月) 15:11:07.29 ID:???
3 :
名無し三等兵:2013/11/11(月) 15:11:40.35 ID:???
4 :
名無し三等兵:2013/11/11(月) 15:13:14.99 ID:???
5 :
名無し三等兵:2013/11/18(月) 17:34:43.27 ID:???
忍者は特殊部隊みたいな感じで合戦に参加するんだな
http://www.human.mie-u.ac.jp/kenkyu/ken-prj/iga/kouza/k20121124.html 例えば、天文10年(1541)に京都府笠置町の笠置城での合戦の記録には「今朝伊賀衆笠置城忍ヒ入テ少々坊舎放火」とあり、
密かに忍び入り火を放つ、忍者を髣髴とさせる様子が記されています。また、天正8年(1580)に奈良県の五條市内の城を攻撃した際には、
「夜中に伊賀衆忍び入候処、南より水堀を越え」とあります。さらに天正10年(1582)、織田信雄に従軍して名張市の滝野城攻撃に参加した
小川新九郎という武士の記録に、「内々伊賀の者ハ、しのひ(忍)夜うち(夜討ち)上手ニ候へは」とあります。この記述から、
戦国時代の終わりごろには、夜襲や密かに侵入することが伊賀衆の得意な戦法として広く知れ渡っていたことがわかります。
6 :
名無し三等兵:2013/11/18(月) 22:19:31.34 ID:???
散々既出で荒れたのを蒸し返すとは良くやるな
そういう集団がいたから忍者のイメージがあとからできたんだろ低脳
7 :
名無し三等兵:2013/11/18(月) 22:24:00.60 ID:???
いきなり喧嘩腰で嵐認定とか
はっきり言ってお前が荒らしたんだろ
8 :
名無し三等兵:2013/11/18(月) 23:20:14.35 ID:???
>>5-7 一人の自演であってるのかな?話題広げたいならもう少しネタ続けろよ
9 :
名無し三等兵:2013/11/19(火) 00:06:13.93 ID:???
つーかおまえら名を名乗ってからレスしろや
10 :
名無し三等兵:2013/11/19(火) 00:06:42.51 ID:???
やーやー我こそは
11 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 16:54:05.27 ID:???
忍たま乱太郎って、何気に当時の忍者の戦術や装備、戦法が
事細かに記してあって結構面白かったりする。
作者は電通社員だそうだが、何かにつけ社内にその方面のヲタがいて、
その人達の知識で何とかなってると何かのインタビューに書いてたな。
12 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 18:46:37.81 ID:???
研究者じゃなくてヲタ知識を参考にって言ってる時点で信頼性の欠如を示してるなw
13 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 19:08:01.86 ID:???
研究者じゃないと信頼性が欠如するといっても、
アメリカのように元軍人か軍事系の学位を持っていないと「専門家」を
名乗れないのと違い、日本の軍事研究者もたいていオタみたいなもんだよ。
14 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 19:17:51.17 ID:???
マンガやアニメ程度ならヲタ知識のパッチワークで十分じゃない
15 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 21:41:41.06 ID:???
日本の戦国時代に擲弾兵みたくてつはうの様な物をなげる部隊とかはあるのだろうか。
投石というか投弾兵の話はあるじゃない
16 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 21:48:31.89 ID:???
書籍名は忘れたけど、中西立太の絵で小さい投石器でてつはうのようなものを投げてる描写があったな
室町時代
17 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 21:52:37.00 ID:???
>>15 てつはうというか、
投石器(手持ちの)で、素焼きのツボに火薬をいれたものを
投げたりとか、そういうのはやってたらしい。
その投げ方とか戦いかたにもちゃんと名称があるんだが、失念してしまった。
投石器は鉢巻とかで代用もできたそうだ。
18 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 21:57:23.71 ID:???
19 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 22:42:07.90 ID:???
それ石ころだと思うが…
20 :
名無し三等兵:2013/11/21(木) 23:05:32.67 ID:???
>>19 あーごめん、自分の中で投石と、爆薬を投げるほうって二つの話を
しているつもりになっていて、
投石のほうの話に集中してしまった。
爆薬のほうにも何か名前があった。失念してしまったので後で調べてくるよ。
21 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 00:02:15.65 ID:???
焙烙玉のことか?
22 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 00:12:02.26 ID:???
村上水軍が木津川の戦いで織田方の船を焼き討ちしたのは焙烙火矢だったな
爆発の威力を期待するというより船を燃やす焼夷弾だが
笹間先生の本に竹のバネを使った船に据えつけてある投擲器で飛ばしたなんて話もあるが
「合武三嶋舟戦要法」だかが出典だったかな
23 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 07:37:48.96 ID:???
銃に比べれば火薬の無駄遣いだよなあ
24 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 07:52:45.62 ID:???
船にダメージをあたえるには、
銃だけよりも焼夷弾も使った方が効果的。
25 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 09:13:28.07 ID:???
逆に火消し役も載せていたくらいだしね
信長の鉄甲船も焙烙火矢対策という説
26 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 14:42:29.48 ID:???
つか火をつけるのが目的ならてつはうとは違うし
爆発物である火薬使うか?
27 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 15:48:17.85 ID:???
煙硝・硫黄・炭・樟脳・松脂などの粉末を焙烙玉の「焼薬」として用いたようだ
28 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 19:02:40.47 ID:???
水軍には水軍のルールがあるらしいな。
片舷の味方が不利になっても、反対側の連中は助けにいかないらしい。
バランスが悪くなって転覆すると困るから、
配置を固守するそうだ。どこで読んだかは忘れたが……。
29 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 23:06:29.91 ID:???
どんな小舟だよ・・・
30 :
名無し三等兵:2013/11/22(金) 23:08:26.59 ID:???
瀬戸内海や伊勢湾で使用されていた舟の大きさなら片側に寄ったら転覆するぞ
31 :
名無し三等兵:2013/11/23(土) 19:19:36.59 ID:???
関船とかでも乗員偏るとやばいかな
32 :
名無し三等兵:2013/11/23(土) 19:23:13.88 ID:???
斬り込みかけるのも怖いなそれ
33 :
名無し三等兵:2013/11/23(土) 19:34:38.53 ID:???
34 :
名無し三等兵:2013/11/23(土) 20:41:21.14 ID:???
>>28 忍たま乱太郎で山で戦ってんのに助けにいかないってのがあったな
35 :
名無し三等兵:2013/11/23(土) 21:42:50.11 ID:???
武田が駿河に出てから水軍組織したけどあれは今川旧臣にやらせたとかだったか
そういう連中は陸の戦には積極動員はしなさそう
36 :
名無し三等兵:2013/11/24(日) 18:12:05.22 ID:???
>>33 鉄のバンパー的なものがついていて、
矢倉で衝撃を吸収しつつ敵に体当たりしたってのがなかなか面白いな。
37 :
名無し三等兵:2013/11/24(日) 22:17:59.62 ID:???
矢倉で衝撃を吸収って仕組みがよくわからん
38 :
名無し三等兵:2013/11/24(日) 22:27:31.20 ID:???
船体ではなく、櫓のピラーに曲げ応力がかかる形で衝撃が処理されるんだろ
車でもそんな感じ
39 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 17:29:19.21 ID:???
なんだかんだで和船にも平らなキール的なものはあった、
という話も最近でてきてるよね。
40 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 17:33:34.45 ID:???
>>39 最近っていうか、造船関係者の間では何十年も前からの定説
歴史小説家が、安易にいい加減な資料を孫引きしていただけ
41 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 17:44:10.86 ID:???
そのおかげで「衝突に弱い和船」みたいな説が流布してるのは迷惑極まりないな。
どっかの誰かのせいで「日本には全く騎馬隊がいなかった」とか言ってる奴もいるし。
42 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 17:45:59.69 ID:???
日本の馬はポニーサイズは見事なキャッチフレーズ
嘘は無いしw
43 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 17:51:51.35 ID:???
ポニーといっても体高だけの話だから、
重量が重い奴もいるだろ。
それにアラビア馬みたいなのを運用してたとこ以外の国で、
どれだけの国がポニー以外の馬に乗ってたって話でもある。
ちなみにローマ騎兵が乗ってた馬も小さい。
よく石像なんかをみると今にも脚がつきそうな感じ。
44 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 18:11:35.70 ID:???
アラブやバルブの中にも148センチ以下のポニーに分類される個体もいるしなあ
河曲馬とか山丹馬とか蒙古馬以外に中国の名馬に分類される馬種も基本的にポニー
混血が進んだ種は大型化したがね
45 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 18:13:37.32 ID:???
イメージ的にポニー上限は115センチくらいだな
147はでかすぎる
46 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 18:38:31.66 ID:???
ポニーのくせに重量がやったら重い品種とかいるからね。
47 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 18:40:20.70 ID:???
48 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 18:42:36.33 ID:???
ただ、実際問題として充分に馬格の大きな日本馬がどれほどいたかわからんし、
去勢してなければ蹄鉄も付けてない軍馬にどれだけの働きが出来たかは慎重に考えないとなあ
49 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 18:44:06.53 ID:???
50 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 19:02:01.09 ID:???
51 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 19:35:49.82 ID:???
コブの上に座るから騎手はかなり高い位置に居るのか
52 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 20:09:00.74 ID:???
ポニーサイズってシェトランドポニーを連想させるのが味噌だよなあ
53 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 20:25:24.91 ID:jVsixS81
望月の草競馬にちょうど4尺ほどの暴れ馬がいた。片キン。和種よりは細いがより筋肉質な感じ。
オーナーの扱いが下手だった。「危ない馬通ります」とかいうわりに一本引き手。二本で二人引きしろ。一人で引くにしても二本かけろ。・・・を知らないみたい。
パドックで暴れて騎手落として、鞍も回っちゃった。落とした騎手を蹴ろうとしていたが下手で当たらなかった。
鞍を付け直すのに苦労して、別の所属のひとに助けを頼んだ。
馬が暴れたら、助けを頼まれた人はどがっと蹴った。
馬はだいぶおとなしくなった。
4尺の馬ってのはこんな感じ。
5尺の馬が同様に気むずかしかったら、とても同じようには扱えない。
幾何学的相似と仮定しても、体重は64対125と倍も違う。
実際には見た目似た感じだと大きい馬は骨太なんで、2.5倍かそれ以上も違う。
54 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 21:19:29.92 ID:???
だいたい甲冑武者を乗せた馬が走れなかったら早馬なんて言葉も生まれないだろ。
55 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 21:26:32.11 ID:???
早馬などいたはずはない。昔の日本の馬は蹄鉄を履いていなかったので早く走れなかった。
使い武者は馬から降りて戦場を歩いていた。流鏑馬で馬を走らせるようになったのは近代になってから。
三方ヶ原の家康は馬から降りて走って逃げて、徒歩で走りながらクソをした。
56 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 21:52:58.76 ID:???
春日権現験記絵見る限り馬上薙刀なんかも実際に使われてたようだけど
どんな風に戦ったんだろう?
一撃離脱?
57 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:08:56.06 ID:???
>>55 その根拠は?
鎌倉時代にしろ騎馬戦をしていたのは確実だが?
大鎧のほうが当世具足より重いのだが。
58 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:18:08.09 ID:???
皮肉にしか見えないんだが
59 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:26:51.96 ID:???
60 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:30:09.72 ID:???
今回は流れ的にも皮肉だけど、2chてどっちサイドなのか(本気なのか馬鹿にしてるのか)判断付かなくて困ること多いよな
61 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:30:20.53 ID:???
器用なもんだなぁ
両手で槍とか薙刀とか戦場でやりたくねえw
62 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:33:20.05 ID:???
日本の鐙はスリッパ上になっているから、
足裏全体で体重を支えることが可能で、比較的楽……らしいが本当なのだろうかw
63 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:36:00.45 ID:???
そういえば横に広がるから弓を撃つ時も踏ん張りやすいとか読んだことあるわ
64 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:36:45.48 ID:???
65 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:37:29.91 ID:???
そのへんは騎乗が日常な遊牧民系と違って完全戦闘専用ってのもあるのかな
66 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:39:07.50 ID:???
67 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:40:50.36 ID:???
68 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:44:59.42 ID:???
>>66 山のように出てきた素晴らしい検索結果をどうしようか
この怒りを食らうがいい
69 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 22:49:34.94 ID:???
70 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 23:12:13.38 ID:???
>>66 コサック騎兵がサーベルで草を斬ってる映像を見たことがあるけど似たような感じだな
71 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 23:22:52.92 ID:???
72 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 23:39:32.43 ID:???
>>59 薙刀の両手遣いとかちゃんとできるんだな
ただ槍はちょっと短いと思う
でも戦国時代の軍役状にあるような二間の持ち槍では映えるような演武は難しいか
73 :
名無し三等兵:2013/11/25(月) 23:45:50.72 ID:???
>>72 構えて突撃するだけになるんかね。
二間もあると。
74 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 08:53:57.87 ID:???
それでマキワラを突いて終わりだと観客は満足しないなw
かと言って3メートル60もある槍では写真でやってるような取り回し方はできないだろうしね
75 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 13:26:10.78 ID:???
腕力で振り回すんじゃなくて自走砲みたいに馬ごと旋回するんだろ。
ザコは寄騎同心が蹴散らす。
76 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 13:29:46.10 ID:???
槍術関係の伝書見てもそういうのはまだ見たことないな
突くときは自分で突くのではなく馬を走らせる勢いで突くってのはあるけど
77 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 13:45:50.52 ID:???
馬上槍は槍術ではない。馬術だ。騎馬打毬みたいなものだ。
78 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 15:21:57.44 ID:???
>>77 馬上の刀槍は剣術や槍術を行う流派の「外の物」に載ってるよ
伝書見たことないの?
79 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 15:29:35.24 ID:???
逆に馬術の伝書にも馬上槍とか載ってんの?
具体的にはどんなこと書いてあるんだろ?
80 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 16:04:58.39 ID:???
>>55 大陸を席巻したモンゴル馬も蹄鉄を履いてないけどなにか
81 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 16:08:14.76 ID:???
サイズも日本在来馬と同等のポニーだしな
もしかしたらモンゴル騎兵なんて幻想だったのでは?
82 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 16:09:00.52 ID:???
皮肉にノリツッコミ
83 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 17:34:29.45 ID:???
こうしてみると馬の大きさと軍隊の強さってあまり関係ないな。
人間の大きさと軍隊の強さがあまり関係ないようなもんかねぇ……。
84 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 19:11:46.89 ID:???
85 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 19:20:02.30 ID:???
長篠の騎馬武者突撃にしても、あれは柵内にいる鉄砲足軽や鉄砲武者への突撃ではなく、
柵外から柵内に逃げ込もうとする鉄砲足軽や鉄砲武者に対する追撃の騎馬武者突撃と考えるべきだろう。
備の機能的にも、鉄砲足軽・弓足軽・長柄足軽が敵の鉄砲・弓・長柄を崩したら徒武者や騎馬武者の突撃だ。
馬防柵や切岸にも味方が柵内に逃げこむための切れ目がたくさんあった。
86 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 19:30:21.77 ID:???
土屋昌続は第二馬防柵を突破して第三柵で絶叫して戦死。
大久保兄弟は山県の家臣と白兵戦。
武田信豊は佐久間信盛軍を柵内に追い込む。
真田兄弟は第一柵を突破するが壊滅。
原昌胤は石川数正軍を後退させる。
という感じにある程度織田徳川軍は退却しているから、そこに武田軍が連続騎馬武者突撃をしかけても不自然ではない。
87 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 19:33:32.34 ID:???
それに勝頼は三方ヶ原では、自ら横槍騎馬武者突撃で家康旗本隊を壊滅させている。
家康軍を軽視してもおかしくなはい。
88 :
名無し三等兵:2013/11/26(火) 21:33:55.41 ID:s0sJXjcO
89 :
名無し三等兵:2013/11/27(水) 09:39:44.71 ID:???
実際はプロ野球選手みたいな奴らが相馬の甲冑競馬みたいに甲冑つけて真槍で持って規則に動く訳だからな。
しかも突撃してくるのは鉄砲・弓・長柄でこっちの隊形崩した後。
90 :
名無し三等兵:2013/11/29(金) 00:44:01.39 ID:???
>>88 それそのものはほとんど素人の演武だろう……。
91 :
名無し三等兵:2013/11/29(金) 07:07:33.61 ID:???
いや、プロなんてもう居ないし伝統芸能として受け継いでるだけも良しと
92 :
名無し三等兵:2013/11/30(土) 00:37:35.90 ID:???
>>86 長篠の戦いって調べれば調べるほど兵力差あるのに野戦で真っ向勝負かけた
武田軍が結局数にすり潰されてる戦いで鉄砲どこーってなる
93 :
名無し三等兵:2013/11/30(土) 01:47:26.06 ID:???
>>92 織田徳川全軍で総数1500丁しかないしな
しかも500丁は長篠城解囲の別働隊が持って行って主力は実数1000丁程度
落城寸前の長篠城を別動の酒井隊の合流で解囲されて今度は織田徳川軍本隊と挟撃される体勢になって、
包囲殲滅の危機でおとなしく諦めて帰ればいいところを引くに引けずに突撃して案の定ボコられた、って戦いだからな
94 :
名無し三等兵:2013/11/30(土) 01:54:02.50 ID:???
長篠城ごときをさくっと落とせなかったのが悪い
95 :
名無し三等兵:2013/11/30(土) 01:56:30.47 ID:???
後詰め決戦だろ
96 :
名無し三等兵:2013/11/30(土) 08:08:18.24 ID:???
調べるほどってw
どうせ人が出した本をチェックするたび自分が本の受け売りで言うことが変わってるだけだろw
97 :
名無し三等兵:2013/11/30(土) 09:32:52.29 ID:???
そこで鳥居スネエモンですよ。
98 :
名無し三等兵:2013/11/30(土) 09:33:13.64 ID:???
一から遺跡掘りに行ったりしなければそんなもんだろ
99 :
名無し三等兵:2013/11/30(土) 14:12:43.76 ID:???
長篠の頃の織田軍の鉄砲装備率はだいたい6%というから
3万5千人だと鉄砲は2100丁という計算になるけどな、長篠城に500回したとしても1600丁
のこる計算になるよ
6%なんて何処から出た数字だよw
三段撃ち云々はわからんが、無謀な突撃ってことなら鉄砲でアウトレンジされる場面が他の戦より多々見られたんだろう。
それで鉄砲の印象が強く残って後の三段撃ち云々に飛躍、繋がったと。
個人的な推測だよ
3段撃ちの骨子はフルの斉射しないって事よ
敵が1分で200m進めるとする
火縄銃の装填に30秒かかるとすると2回しか斉射できない計算
有効射程ギリギリの200mで撃って二発目は100m、次はもう時間切れ
こんな事バカでもすぐに分かる事
ちょいと考えれば隊を三つに分けて時差をつけて撃とうと思いつく
絶え間なく撃たれるとなれば敵の足も止まる
ラスト・オブ・モヒカンという映画(18世紀半ばの北米大陸でのイギリスとフランスの植民地争奪戦を描いた作品)
で、主人公が銃(単発式)を数人の弾込め役に弾を込めさせて取っ替えひっかえして
休みなくうち続けるというシーンがあったな、主人公一人が射主で数丁の銃を数人が弾込めして
主人公に渡して主人公は撃ち終わるとすぐに弾込め役に渡して弾込め役はすかさず
弾込めのすんだ銃を渡すというの、長篠も似たようなことやってたかも
火薬の歴史のP131に明朝の鉄砲使ってる絵が乗ってるんだが
三列に分かれてるんだよね
テキトーに言うが元ネタこれだろ
出典がさっぱりわからんが
長篠の世界初の三段撃ち云々って、陸軍参謀本部編の与太話辺りが火の元何じゃないの?
西洋に対抗して、後知恵で我が国にもこんな戦史が有りますよ的な。
桶狭間の迂回戦術説も同じ匂いがするのたけど、どうなのだろう。
三段撃ちは元は信長記だとさ
まああの時代信用できるレベルのなんてあるのかね
関ヶ原でケチついたのは知らんけど
鉄砲の打ち方とかミクロなとこまで突っ込んだ話がそもそもないしな
>>104 そもそも中国の弩とかも、
三列に並んで、反転行進射撃はしないが、
弩をつがえてどんどん前の射手に渡す、という戦術はあった。
>>107 そうなんだ
まああの国はこういった訓練した動きによる集団戦が大好きみたいだからな
反転行進射撃自体は西欧でもよくやってたし、
弩の三列とかもあるのなら、信長が鉄砲三段撃ちを思いついても不思議じゃないんだけどな。
もっとも確実にやった、確実にやってない、はちょっと判断できないけどな。
ああ信長記で元ネタにしたのが中国からの書物でないかなぁという話な
マウリッツの反転更新射撃とか三列じゃ足りなくね?
戦闘技術読み返すのがめんどくさくて適当に言ってるが
>>110 あーどっちかというと、
装てん→発射までに時間がかかるけど携行可能な兵器を、
複数列を使うことで連続発射可能にするっていうアイディアって、
結構いろんなところにあるよねって話。
三段撃ちを天才的戦術と勘違いしてる人が多いけどもマズルローダー時代は
装填時間の空白を埋めるなんらかの工夫、対策をやるのは必然、常識
1000丁の火縄銃を持っていて1000丁の斉射やるならバカすぎる
敵が毎分200mのペースで突撃してきたらどうする?
長篠でも何らかの対策を考えたはず
整然とした三段撃ちをやった可能性もゼロではない
いかにも日本人が思いつきそうな戦術
>>111 「オレ様の妄想(orネット上のどっかで得たさまざまな情報とごっちゃ)だ文句あんのか?」
ていう口じゃね?
>>105 いや江戸時代のいい加減な軍記や講談が火元
それを史料批判なしに参謀本部がソースにして戦史編纂やって、ある意味公刊戦史に…
笑っちゃうのは、一次資料の信長公記の中には、織田軍主力の鉄砲装備数千丁ってなってるところを千の右上に三と数字が書き入れられてるのがあるらしい
どう見ても筆者の書き忘れとかじゃなくて、あとで持ち主が巷の主流に合わせるための書き足しw
>>115 敵味方で射撃戦を展開したり、攻撃側(突撃側)が実行するならグループ分けした射撃方は有効みたい。
斉射は攻撃(突撃)を阻止する側が実行すれば、かなり有効みたい、特に対騎兵突撃には。
成功失敗共に戦例も多いし。
18・19世紀だけどw
各個射撃やグループ射撃が正しく斉射は誤りみたいな風潮は18世紀後半位から既に見直されているし。
ライフル銃兵や猟兵を別にすれば。
有名処ではイギリスのウォルフ将軍とか。
火縄銃の時代は射撃時に火の粉が1m以上飛ぶから銃を密集させると危険で間隔おいて配置された
18・19世紀のフリントロック以降で火の粉問題がなくなり密集が可能になり銃剣も装備されるようになった
そういう前提条件が違うから戦術も変化するだけだ
後の時代で有効だからといって前の時代でも有効とは限らない
千丁は確定みたいになってるけど千丁ってのは信長公記以外の文献でも裏付けられてるのかね?
単に多数用意されたのを牛一が大雑把に「千丁」と表現しただけの可能性もありそうだからなあ
永禄年間と思われる(今川家が勢力として存在していた頃だと読み取れる)北条宗哲の
文書には権現山城を五百挺の鉄砲で守るということが述べられている
永禄の北条の一支城においてこれなんだから天正三年の織田徳川ともなれば
千挺千五百挺程度でなくもう少し数が出てるかもね
再装填に30秒もかかる時代は斜面や川、狭隘等で敵の足を鈍らせる布陣が重要
あるいは城塞要塞
もし平地で敵が突撃してきたら火縄銃ではどうにもできない
ギリギリまで引きつけて斉射、あとは抜刀して戦うか
むろんそれでも無いより有利
長篠の話なのに柵は無視か
鉄パイプとカエルの板使った柵だったらしいな>長篠
5月19日付けで家康から石川数正と鳥居元忠に柵を設置するよう指令が下されてるが(龍城神社文書)、
21日が決戦だからだいたい1日がかりで設置したような感じだろうかね
日曜朝の子ども向け科学番組の実験で、装填済の銃を打つだけで10秒近くかかってたな
高価なくせに発射まで随分時間がかかるからこんなものは使えん、と考えた勢力と
時間はかかるけど威力も射程もすごいと捉えた勢力ではその後の時代に明暗がクッキリと出ただろうな
足軽の叩き槍は知ってるけど武将も槍合わせのときに積極的に叩き槍を使ったりしたの?
なんか叩く方がメインだったとか主張してる人がいて
>>128 叩くというか個人戦闘の場合には振り回すもんだろ槍って
もちろん突きも多用するけど
突くんじゃねえ手繰り寄せるもんだ!
って誰かがいってた
>>120 他に具体的な数まで記述されてる一次資料はないみたいよ
酒井支隊に手持ちの鉄砲隊から回した数がきっちり500丁ってことになってるし、まあ切りの良い数字ではあるんじゃね
記述は「千挺ばかり」ってことになってるから、多分1000強1100未満はあったかと
逆に極端にいい加減な数字ではなさそう
あと同盟徳川側の装備数はノーカンみたいだから、それがかなり増えるな
ちなみに、武田の騎馬集中運用を伺わせる部分もある
「三番に西上野小幡一党、赤武者にて入れ替わり懸かり来る。
関東衆馬上の巧者にて、これ又馬入るべき行にて、押太鼓を打つて懸かり来る」
がまあ壕に伏せての鉄砲の反撃でまさに返り討ちw
ただし全体で五隊五回の波状攻撃のうち、それっぽいのはこれだけ
典厩信豊隊は黒武者なんて装備を統一してたみたいだが、これは騎馬隊では文章からはなさそう
>>129 槍術の技見ても振り回す感じではないなあ
薙刀はまさに軍記物表現のごとく水車に回したりもするけど
三河物語でも武田の重臣たちが「雨之足のごとくなる鉄砲にあたりて」とある
>雨之足のごとくなる鉄砲に
なら隊をいくつかに分けて時間差を付けていたと考えるのが自然
斉射-30秒の沈黙-斉射では雨のごとくとは表現しない
装填に30秒なら3組に分けて10秒の時差というのは誰でも思いつく
10秒間隔で整然と斉射できたとも考えにくい
初撃に10秒の時差をつけて後は各自撃ちまくれ、という事だったと思う
大量の鉄砲を生かすに当たって何らかの運用方法が考案されていたのはむしろ当然だよな
ただそれが今では伝わってもいないし文献上からもわからないというだけで
なかったというのとは違う。
>>128 雑兵物語を読むと、確かに槍は突くもんじゃなくて、みんなで
一斉に叩く、とは書いてある。
で、足軽の長槍の、相手をぶったたく部分を「太刀打ち」というんだと。
ただ、同じ雑兵物語の中で、「槍は突くときは、ただ突くんじゃなくて
繰り出すようにして云々」みたいな表現もあるので、
どっちがメインかどうかはわからん。
>>136 うん、それは槍足軽だよね
武将の持槍での槍合わせでの叩き槍は果たしてメインなのかという問いなので
三段撃ちは『甫庵信長記』の「3千丁の鉄砲を千丁づつ立ち替わり立ち替わり撃った」という記述が元で
その記述を見れば軍人ならほぼ同時代人のマウリッツの戦術を連想するの至極自然であり
参謀本部によって今に伝わる三段撃ちが定着した。
ところが甫庵信長記は1567念生まれの人が1610年位に書いた物で
ほぼ同時代史料として信憑性のあるものだと思われていたがその後の研究で唯の小説扱いになり
それを元にし、且つ一次史料の裏付けの無い三段撃ちの信憑性も低下した
では無かったかと言えば「無い」という資料も理屈も無いので「あったか無かったか分からない」が正解
ちなみに交代撃ち自体は本願寺合戦の史料などから見られ朝鮮征伐では日本軍の基本戦術の一つになっている
>>136 槍つっても叩く「長柄」と、突く「持ち鑓」は別物だで
三段撃ちを否定する例の鈴木藤本は「あったか無かったかわかんない」じゃ飯の種にならないから
みんなで一緒に撃ったら玉込めの達人が無意味になっちゃうじゃんとあほな理由をつけて補強している
そりゃひどい
熟練の放ち手だったら特別待遇してもらえる時代に
そんな画一的な扱いはせんわ
>>137 騎兵で叩き槍を行うのは馬同士の間隔考えると無理じゃないかな?
貫流が尾張の叩き槍との異名を取るとかいうけど
それってまずあの管槍で素早く繰り出して突く戦法があった上での叩きだろうしな
叩きメインなら管はいらんし
1000×3の三段斉射はありえんけど分割多段はそりゃあるだろう
マウリッツ式にせよ、込め人と射手の分業にせよ
3千挺はより信憑性の高い信長公記で千挺と否定されてるから1000×3は無いといって良い
333×3の三段でもありえん
そんな都合良く敵が動かんだろう
否定できるほどの根拠があるん?
マウリッツ「」
ローテーション組むことは何にでもあるから鉄砲に取り入れてもおかしくはない
たまたま武田勢の射程圏への侵入が全戦闘正面において同時なら333の斉射になる
>>138 朝鮮出兵とかだと種子島の装備率が格段に上がってるからなあ
長篠だと、織田の鉄砲が千丁で銃隊の奉行(指揮官)が五人、奉行一人あたりの配置は不明だけど均分で200程度
約2kmの戦線にこれでは火網薄すぎ
分散射撃とかしたらなおさらだな
火力を有効に使うためにこそ、第一射は集中斉射、以降は無統制に撃ちまくったと思うよ
攻勢を撃退して次波を迎え撃つときも、斉射→乱射って流れで
前装銃で野戦で統制のとれた射撃とか、第一射以降は頭でっかちの夢想でしかなかろ
>>152 徳川や織田緒将は自分の鉄砲隊を使っただろうから戦場全域を勘定に入れる必要はない
成立が早いとされ比較的信頼性が高い文献として扱われる「松平記」でも
徳川方が鉄砲を緒戦から重視していた感じが見られるな
「松平記」
・大久保次右衛門走来り、兄の大久保七郎右衛門に申けるは、今日の御合戦信長衆は加勢、
当手こそ本陣なれ、信長衆に戦を初られては此方の恥辱也。某進出て足軽をかけて見ん、
然者よき鉄砲の者我等に相添給へと已に出んとす、
・家康聞召申所尤也、いそぎ歩兵を以て敵とせり合を初むべしとて、日下部兵右衛門・成瀬吉衛門を以て
諸手の中より勝れたる兵をぬきぬき皆歩兵とし、鉄砲の上手を選び、
・大久保次右衛門・山県三郎兵衛とせり合を初、鉄砲を以て敵の戦陣を打崩し、三郎兵衛同心広瀬郷左衛門・
小菅五郎兵衛・三科伝右衛門と名乗て、大久保七郎右衛門・同次衛門・渡辺半次郎とせり合、散々に戦、
味方より鉄砲をしげく打懸られ、広瀬・三科手を負引、山県三郎兵衛も討死す、
鉄砲の上手はやはり選抜されて別枠で運用される、と
そりゃそうだろ
つまり鈴木・藤本がいうような玉込めの達人を無意味にしないことと
斉射というのは両立するんですね
そりゃ運用する時に一つの方法でしか運用しないなんてないからな
なんか話が講談的な三段撃ちが長篠であったのかと鉄砲の運用それ自体と
ごっちゃになってきてね
それはどんなに議論してもなかったとも言えないが
あったという証拠もないというレベルから出ないでしょ
鉄砲で多大な戦果があったことや雨あられの如く打ちかけたりを
同時代人の報告から見出せたり、活躍したことは間違いないということだね
>>138 よかったら本願寺合戦の交代撃ちに関して詳しく
>>159 誰も鉄砲が活躍しなかったなんて主張してるのはいないが何を言いたいんだ?
いや、
>>92>>93みたいに史料を無視して勝手な判断で過小評価してる人たちも現実にはいるんだよ
>>162 どっちも史料無視してるように見えないし過小評価かもわからんな
お前がお見込みで意味不明な噛みつきしてるだけじゃねーの
織田徳川全軍で総数1500丁しかない(キリッ
徳川方につけられた500丁以外に明らかに徳川勢自前の鉄砲隊がいるんですが
>>163 ああ、そのどちらかの人でしたか失礼しました
そうだよね織田徳川で総数1500丁しかないよね
実際のところ千丁も爺さんの記憶に頼ったところから出てきた数字でなんとも言えんのに
徳川方がカウントされてないのは明白だからなあ
はっきり言って同時代史料でもこの手の文献の数字は正確ではないのになんで
長篠の鉄砲は実数のように扱われるのか不思議でしょうがない
分割運用で射撃間隔を短くする工夫を否定してる人っていんの?
>>165 織田・徳川合わせてもせいぜい一万二千ぐらいのところでその八分の一が鉄砲って
無理ないか?まだ弓けっこうある時期だよな
>>166 そらま具体的な装備数が史料の信憑性はともかく出てるからだろw
全体の兵力や旗下の武将の兵数はともかく、装備の具体的な数が記されていてしかもそれが戦闘を決した例なんてそうそうないし
織田・徳川合わせてせいぜい12000って数字はどこから?
信長公記だと信長勢だけで「御人数三万ばかり」
武田の兵力がそんなもんだと言われてるな
しかしえらい伸びててワロス
日本の合戦は、
意外と参加数が明瞭ではないな。
あの時代ならどこもそんなもんだろ
>>172 中世以前の合戦なんて、どこの国でもそんなもんだ
確かに武田の人数の根拠もどうなってるんだろうか?
>>172 双方の数字がはっきりしてるほうがむしろ稀だと思う
武器の数なんてなおさらわからんよね
信長が京の細川藤孝に送った戦勝報告の書状だと「即時切崩数万人討果候」
フカシ半分だろうけど当時の人の数の認識なんて大雑把だからこういう数字も
流通してたんだろうと思う
同時代史料からすら正確な数字を割り出すことは難しい
甫庵信長記の該当箇所見てると交代撃ちを強調するかのように繰り返し書いてるんだよね
創作だとしてこの知識がどこから来たのかは気になる
慶長の後半頃の作だっけ?
俺は上で書いたけど明のパクリじゃないかなと思うが
実際、甫庵は儒者だからあちらの文献に触れる機会が多いのは間違いない
ただ唐の時代の文献あたりから見られる弩の装填と射撃の役割分担じゃなかったっけ?
そこから交代制の三段撃ちを考え出したとすればアレンジ能力が高そう
○ただ唐の時代の文献あたりから見られるのは弩の装填と射撃の役割分担じゃなかったっけ?
確か中華系のサイトのどこかで画像が見られたはずなんだよなあ
鉄砲の図もあるよ
>>104 出典はわからんのだが
中国の記述の多くはジョゼフ・ニーダムの「中国の科学と文明」
によってるらしいのでそこに載ってるかなぁと考えたまま絶賛放置w
甫庵信長記は創作が多く実証には使えないと言われるが
(最近否定された通説と言われるもののほとんどが甫庵信長記が元)
小説としては非常に面白く創作部分が全部甫庵オリジナルとすれば天才的だが
そうではなく元ネタがあって他の時代や他の所や他人の業を持ってきて貼り付ける
良くある手法を用いているように見える
三段撃ちの場合は甫庵信長記が書かれた時代では常識でもある繰撃ち斉射は
信長が始祖だよと信長持ち上げのために創作されたと見ている
本願寺にやられたのを武田にやり返した可能性も考えられるから
否定とまではいけないけど
>>181 多分「神器譜」だと思う
中華の元々の筒だけの鉄砲じゃなくて日本の種子島みたいな鳥銃のやつでしょ?
>>182 あとは雑賀や根来から出たフリーの鉄砲使いみたいな連中がウロウロしてた時代だから
ノウハウが流出してても不思議じゃないとは思う
>>183 まあ確かに鳥銃っぽい図ではある
ぐぐっても図がでてこねえな
wikipediaの火縄銃の項目に明の時代の三列の鉄砲陣形があるけどあれは「神器譜」の絵のタッチではないな
例によって出典不明なのが困りもの
デジタル化資料にあったけど五巻の3とかなんなんだ
パソコン越しに全部目を通すやる気ねえな…
絵の感じは違うが絵師も統一してないみたいだしなぁ
ただ五人の絵があってワロタ
銃ヲ放番更人五
だから「更に五人で紬を放つ」と読むんかね
>>186 ああ本に載ってるのもその絵だわ
ちっ俺だけの出費か
神器譜見ると鉄砲より倭刀みたいなの装備してるのが気になる
戚家軍みたいに盾持ちで倭刀使う戦術は結構普及してたのか
あと手持ちのから弩のを確認したが宋代の「武経総要」にある張弩・進弩・発弩は交代射撃で
役割分担ではないようだ
少なくとも神器譜は戦役後の本だろ?
間違えた
「更に五人で番え銃を放つ」か
なんだwikipediaにすでに全部書いてあるじゃねえか
>三段撃ち:長篠の戦いで織田軍が採用したという著名な配置。
>雑賀衆が遅くとも1568年(永禄11年)あたりまでにはすでに実戦で用いていたという説もある。この三段撃ちについても大議論がある。
>中国明末の崇禎11年(1638年)刊行の畢懋康『軍器図説』に収められた「輪流放銃図・輪流進銃図・輪流装銃図」には
>15人の人物が5人3列に並び、三段撃ちをしている図が描かれている。
>16世紀までの明の軍学書に同様の記載が見られないことから、
>文禄・慶長の役で日本軍と戦った明軍が日本の火縄銃を大量に鹵獲するとともに投降した日本人(降倭)から運用法を学び、
>楊応龍の乱平定などの実戦機会を経て、三段撃ち等の日本式火器使用法を取り入れていったのではないかとの見方もある[23]。
むしろ逆輸入論の話になってた
鳥銃に関しては戚継光が評価して活用していた以外は明は後進的だったしね
戚継光にしても蒙古騎兵に入ってこられたら倭刀で防ぐという具合で
ローテーション組んで間断なく弾を浴びせるという感じではないし
いくらなんでも重すぎ
というか表示できなかった
そりゃポールウエポンで先端にガチでデカイ斧つけたら
ドーピングしまくった怪物でもスイング糞遅くなるから
グリップの幅を見ると片手遣いが基本っぽい
やはり盾持って使う感じかね
うーむやっぱりどれも表示されん…
馬乗って使うよなあの国の大斧
まあ小説の中だけど
見えたわサンクス
下の隙間が拳一つ分だったとすると
日本刀ぐらいの長さしかなくないかこれ
先端の槍とかよくわからん武器だな
その先端部分と合わせて斧の後ろの部分をカギに見立てるとハルバードの片手版にも思えなくもない
盾持ちで有効な半身開いての刺突と、
盾持ち片手剣では打撃力が低くて有効じゃ無い振りをウエイトで補って
両方できるようした武器なんだろう
確かに見た目はハルバードだが、片手で鈎を使えるとは思えんな
斬撃よりも打撃が有効なケースも多いさ、となれば斧や大剣
むしろ日本が日本刀による斬撃ばかりなのがすごい
金砕棒とかもあるだろ。
まぁ日本刀が多いのは、日本刀が打撃にも優れてたってことでもあるんだろうが。
>>172 雑兵クラスの参加人数が不明なのは当然として、下手すると武将クラスでも、
本当に参戦していたのか不明なんて話も珍しくないくらいだ
まあ、そういうよく解らない部分を追求するのも、楽しみのひとつだと思う
結論を出すのは難しいが考えるのは楽しいよね
>日本刀が打撃にも優れてたってことでもあるんだろうが。
これは無いわ
日本刀は軽い
日本刀ってそもそもそう軽い部類の剣でもないでしょ。
サーベルとかロングソードとかと比べて特別軽いわけではないけどね
ガニー軍曹の番組でより鎧をへこませたのは日本刀のほうだが
あれは反りが影響してると思う
どっちかというと直剣のほうが構造的には強い打撃が期待できないし
>>207 カッコ悪いからだと思う
中世の武士達の美意識の高さと言うかこただわりは半端ないし
御先祖様がそんなん振り回してたらがっかりじゃん?
斧とか木こりかよwwwwうぇっwwwみたいな
だったら太平記には出さないだろ
金太郎について
十二類合戦だと鉞は狸軍の軍師格の鳶の武器か
どういう組み合わせなんだか
>>219 これ外したら自分の腕がおかしくなるか
自分の馬を切るか落馬するかろくなことないだろ
馬上というのがミソかもよ
振り回さなくても馬が突進してくれたら後は当てるだけ
>>212 >>214 比較論というより、絶対値として1kg〜1.5kgもあって、
打撃が一点に集中しやすい反りのある武器だから、まぁまぁ
打撃兵器としても使えるよねって話。
戦槌とかもおおよそ900g〜1.5kgくらいだろ確か。
それ以上の打撃効果を望むなら金砕棒使えばいいし。
>>221 うん
江戸時代の想像で描かれた大鉞だよね
室町頃の絵画史料だと小ぶりだし
>>219 てか赤松さんに長山くん斧掴まれちゃってるじゃんw
ダメじゃんw
馬上の片手武器で長柄の斧ってツライ気が
先端に重量があるから遠心力でダメージは期待できるけど、なにかと使いづらいよな
ファンタジーでドワーフが徒歩で振り回してると、近寄りたくない敵だけどw
大太刀くらいなら一撃離脱で使うと聞いてああそれならいけるかもって思うけど
この重量配分だと保持するのすら難しそうだわ
長山遠江守、この後俺より怪力な奴初めて見たって逃げちゃうしな
赤松弾正位の規格外の怪力だと大鉞でも馬上で問題なく使えるんだろう
鉞は工具としての役割を果たしたような話も聞くが、ここまで大きいと
兼用は無理だな
ただ鉞持った武士が工兵的に活躍したような具体的なエピソードとかは知らんけど
要は重量配分
極端な話、紐に鉄球くくりつけて振り回すだけでとてつもない打撃力を発揮する
打撃力欲しいならば先っぽを重くしろって事よ
仮に重さが同じでも刀と斧では打撃力はぜんぜん違う
>打撃力欲しいならば先っぽを重くしろって事よ
その点でいってもロングソードは打撃武器に向かない重量配分だな
西洋における打撃武器の割合が最も高い時期ってどれくらいの戦闘員が装備してるんだろう?
でもヌンチャクでボールをジャストミートしても飛ばないわけだし、瞬間的な衝撃が大きくとも
持続時間が短くて力積が小さいからヒモ鉄球と棒に鉄球では打撃が質的には違うよな
どっちが甲冑には有効だろうか?
ヌンチャクでも飛ぶことは飛ぶぞ
そういうことやってるバカな人がいてテレビでもやってるw
ttp://www.youtube.com/watch?v=FBtf-vYK390 まあこれどう見てもヌンチャク軽いけどなw
というかモーニングスターとかの武器だと外したとき自分に当たるだろ
ついでに西洋が大好きな密集組めないしないな
威力うんぬん以前に使いにくかろう
歩兵用なら長柄にすれば自分には当たらないけど、フレイルみたいな
>>234 ヌンチャク見直したわ
確かに組織立った戦闘はやりにくいし装備統一した部隊が
その手の殻竿効果を利用した武器を手にしたって話はあまり聞かないな
ゴーデンダックも中世の集団戦術が未熟な時代だから活躍できたような感じだし
そういや中国とか朝鮮だと騎兵が馬上で長柄のフレイル使ったみたいだな
いつの時代よ
>>237 どうやら自分が見たのは武芸図譜通志の絵っぽい
となると明はともかく朝鮮は文禄慶長の役時には多分投入できてないんだろうな
なにしろ接近戦の技術がほとんどなかったというんだし
>>207 現存している斧は3点しかないが元々武具から来たわけでなく修験者の携帯品「入峰の斧」から伝世したもの・・・らしい
また、斧に関わらず室町以前の薙刀や長巻も当時の姿ままで現存している遺品は数える程しかなく殆どが直されている
確か長巻に関しては2、3振りしかなったような・・・
>>238 応永の外冦だっけ?
李氏朝鮮軍が対馬勢にさんざんに撫で斬られたの。
元寇のときも、「海から見た日本の防衛」によると、
主力の側衛として上陸した高麗兵2000が騎馬武者200の襲撃にあって壊滅しているそうな。
なんで接近戦の技術がほとんどなかったんだろう……。
フロイスが克明に記述した「日本とヨーロッパの風習の対照」
●我々は二十歳の男でもほとんど剣を帯びない。日本では十二、三歳の少年も刀と脇差を帯びる。
●我々は人を殺すことは恐ろしいことであるが、牛や鶏や犬を殺すことは恐ろしくない。日本人は、動物を殺すのを見ると肝を潰す。が、人殺しはありふれたことである。
当時の日本人は幼少のときから人を切り刻んで喜んでた修羅の国だし
フランスとかも決闘やりまくるから帯刀禁止令とか出したろ
拳銃に変わって結局決闘やってるけど
>>241 おまえ毎回それ出してくるけどなんのテキストのどこに書いてあるんだよ
それともガセか
横からだけど、
>>241の内容は一応典拠があるぞ
書名は
>>241が出すべきだと思うから伏せるが
岩波の某本なら上は66頁、下は178頁だな
>>243 俺も確認したがまず下の人殺しのは14章にあるな
帯刀に関するのはどこだろ?
ああ、上のは3章だね
ヴァリニャーノの同じような記述はここ
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg564.html 世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。
そのため、若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。
そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば
人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が
実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪われているものと思われる。
全部引いてくれててないのが残念、ってのは贅沢だね
こんなのまであるのかってのも置いてる
昔の奴の翻訳とか現代言訳とかは著作権的にはどうなってるのだろう?
>>250 基本的には著作権者の死後50年で消滅
原文の著者が何百年も前に死んだ人でも、邦訳・現代語訳した人の著作権は生きている場合があるので、
勝手に公開できない場合もある
>日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。
ひどい勘違いだね
日本人は使命を果たす為ならば何も恐れない、正義と信じれば何も恐れない
無用な殺生は小動物一匹殺すにも罪悪感を感じてしまう
だが使命となれば何人でも斬り殺す
主君が親を斬れと命じたら親も斬れる、それが日本人
要するに武士道とは「人の為に生きよ」なのよ
自分で自分は捨てられる、それを覚悟と言う
著者書名を明らかにした上で、適切な引用ならOK
直近の例でいくと、
>>241は訳者・書名が明らかにしていないからアウト気味
>>247は必要な部分だけ抜粋してるだけだからセーフじゃないかな
フロイスの日欧文化比較って意外と知られてないもんなのかね
読んだことある人間には書式ですぐわかるが
適当にこいてるだけにしか思えんが
武士道なら山本博文がいろいろ書いてるから参考にして当たるがいいよ
前に武士道という言葉は明治以降にできたものという説を書いている人もいたな
つまり甲陽軍鑑も葉隠もみんな明治以降の成立でしかないのよ
>>247 海外に派遣されるような超エリートの分析力は半端ないな
こんだけたくみに人の心を読み取る連中が布教活動してたら秀吉もそりゃ警戒するわ
過去に武士がどう生きたのか、それを知り武士道というのが生まれた
明治以前に武士道は無かったって?
武士はずっと居たんだよ
実は武士限定ではない
立派な日本人は斯くあるべし
ちょっとでも日本を褒めるとまた自虐史観君の総攻撃かなw
絶対に日本を褒めてはいけません、日本は悪い国です
>>260は明治の人なんだよ
四民平等だー誰でも偉くなれるぞー
ってなったが、西洋のエリートなんて平民には分からないし、知らない
だから平民の規範、目標になったのが従来の支配者である武士
結果
>>260とか
>>253みたいな話が出てくる
これまた変わったのが居ついたもんだ
雄雄しくもある戦国人の実態を恥ずべきもののようにとらえてる人のほうが
よほど情けない
まあ、南京大虐殺とやらに関連して日本刀は数人で使い物にならなくなるとか
実態以下に貶める評価を吹聴してまわる愛国者氏なんかもいるみたいだしな
考えてみればこのおかしな流れは彼の
>>243から始まってるのか
このバカっぷりじゃ日欧文化比較なんかまともに知るはずないし
彼が知識不足の頭で勝手に理想化した武士のイメージからあまりに遠いものを書かれちゃ
怒りたくもなるよネ
かつて武士たちの強さを考えず、神国だから神風で
日本は守られましたなんて言ってた人たちも愛国心からだろうし、
愛国者様たちにとっては強く野蛮な武士像というのは
歓迎できないものなのかな
七度主君を変えねば武士とはいえぬ
武士が野蛮でも残酷でもなかったら平安末期からあんだけ長く内乱続いたわけねーだろw
>>269 武力を権力基盤の前提とする軍事貴族の勃興を自虐史観と考えること自体
に偏見が出てるぞw騒ぐ奴が一番、自国の文化に自信もててないってw
>>268は中二病君だよ
大人は汚いと言ってみたいだけw
武士道とは?
日本人が考えるカッコいい日本人
あるいは
過去に実在したカッコいい日本人のまとめ
結論は人の為に生き己れは捨てられる自己犠牲の美学と己れを捨てられる覚悟
どうやって自分だけ生き残るか、なんてのは一片もない
どうやってカッコよく生きるかを論じている
電波触って居付かせんなよ
多い誤解=どうやってカッコよく死ぬか
そうじゃないんだよ
カッコよく生きるためには死も厭わない、死ぬ瞬間までキッチリ生きろ
覚悟とは生きる事を諦める事ではない、まして死にたがる事ではない
死ぬ瞬間まで必死に戦え、どうせ死ぬと諦めるのはクズだ
土鍋とか定期的に色々な電波が来るなあ
土鍋じゃなくて
米海兵隊はキスカで日本軍捕虜を虐殺した!
昔そう騒いでた人じゃないかな
>>274 土鍋じゃないのはわかってるよ
電波野郎が色々来襲するスレだなってだけで
キスカ島で???さすがにそれは悪趣味な冗談だろ。でたらめであることが最初から全員に
分かってること前提の
アンカー間違えたわ
>>275の人へのレスね
つか、そんな米軍がどうのなんて騒ぐ人も来てたのか
279 :
275:2013/12/04(水) 23:16:43.63 ID:???
上杉謙信の小田城攻略時の人身売買市なんかも武士道君は
かっこよく美しく解釈してくれそうだね
格安だったから比較的美化しやすいな
必死だねw
武士道はすべての武士が心得ているものと思い込んでるらしい
カッコいい武士を見繕ってまとめたのが武士道だ
こういう立派な武士になりなさい、あるいは武士の理想像なんだから
美化もクソも無いんだよ
勘違いしすぎ
そうだな
謙信なんて立派な武士じゃないよな
綺麗事好きで戦争弱い武士とかかっこ悪いぞ
朝倉宗滴のが正しいわ
実際そんな武士は戦国時代必要とされなかったし
そんなもん理想像でもなんでもないわな
藤堂高虎みたいに主変えた連中や塙団右衛門みたいに夜襲で名前書いた小札まくような奴は
スタンドプレーで見苦しくて、武士道君には受け入れられないんだろうなw
江戸期の儒学朱子学的な観念的な武士しか駄目でw
理想像じゃなくて想像上の武士だな
武士の仕事は宗滴さんの言うとおりまずは勝つことよ
んでとにかく家名を存続させましょう
難しいけどね
>>287 それならそれでいいよw
日本人の考えた理想の武士=武士道
にしても必死に腐すのはなんなんだろうね、まるで日本を恨んでいるかのようだ
それとも大人は汚いと言いたがる中二病?
少しでも日本を褒めると群がってきやがる
現実からかけ離れた想像上の武士を褒めたって日本を褒めたことにはならんよ
それこそコリエイトと同レベルになってしまうわ
蛮族のように荒々しく見えようが西洋からの来航者から世界中で最も戦争に熱中していると評され
近隣の国々から強さを恐れられた戦国人たちの姿がそんなに武士道君には許せないのかねえ
武士道は江戸時代の学問であって武士の実態を表す理念じゃないのよね
明治に入ってからが本番だが、もう武士の時代終わってるし
清廉潔白・品行方正を重んじる武士って、それこそ江戸期の、下手すると新渡戸稲造以降の武士道論じゃないべか?
中世に既存支配体系へ対抗した悪党や戦国の世の野武士的な武士にも
太平の世の観念的な武士道どちらにも魅力があるってここの奴が言っているだけなのに
自分の認めた理想の武士像しか認めないバカ
>>289がいるから叩かれてるだけ
書名でてるのに読もうともしてないみたいだからなぁ
人を殺すのがありふれたものであるってのは、
原書の前段を読めば
日本人は自力救済の権利であり義務を行使している(けどフロイスらにはそれが分らない)
ってのが分るはずなんだけどな
朝倉宗滴の武士道というか武者とは〜と、葉隠以降の武士道でどっちが素晴らしいかは知らんが
とりあえずフロイスやら倭寇やらで出てくる武士を表してるのは宗滴の方だろ
彼の頭の中にはまず「想像の武士道」があって、それに合致しない
「現実に提唱された武士道」・「戦国時代の武士の実像」は一切認めないようだし
こうなるともう宗教だから、ここや日本史板などで扱える話じゃない
というか葉隠も新渡戸稲造の武士道も知らんってレベルだろ
フィクションに出てくる武士道がソースで
妄想は訂正不可能な観念のことを指すってのが彼を見てるとよくわかる
最初自分の信じる武士像に合致しない記述にそんなものはガセだとつっかかったが、
実際の戦国時代の文献に記載されてるのが確定してもそれを受け入れようともしないで
相変わらず都合のいい妄想武士道を信じ込んでいるみたいだし
こういうのがいるから昔の大河が小手森城の政宗の撫で斬りやったのに
今じゃスイーツ(笑)大河とかになるんだろうなー
「綺麗なものしか愛せない」ってやつだな、暗部を含めて認めたうえで好きになる事が出来ない
>>300 誰もそんな事言ってないでしょ
武士の理想像をまとめたのが武士道、それだけ
反論したい為にどんどん妄想膨らませてるよね
この精神構造は中国、韓国の反日と同じだ
>>301 >武士の理想像をまとめたのが武士道
これに異を唱える人は居ないと思うよ。
問題は、理想像が声高に叫ばれている時は、現状が理想像から程遠い時でも有るって事。
>>301 お前が言ってるよ、現実の武士像を汚いもののように否定する形でね
つか、いちいち朝鮮だの中国を絡ませてくるやつほどあいつらにメンタリティが似てるよな
フロイスの日欧文化比較も知らないような無知なアホが
朝鮮中国憎さのマスターベーションに武士道を利用してるだけじゃん
もうさわんな。
放って置けば消える触るといつまでも居る
>>302 現実の武士像と理想の武士像は違うからね
理想の武士像が武士道、何か否定した?
鉄砲足軽なんかは行軍するときは自分で鉄砲を担ぐみたいだけど
槍足軽も自分の槍は自分で担いで行軍するのかな?
槍の前の方持って引きずるらしいぞ
後ろの奴に踏まれたら大変だと思うが
穂先が手元にある分安全は安全だな
そんな感じなのか
つか、やっぱ自分の武器は自分でかつぐもんなんだね
身分によっては槍持ちがつくがな
槍といえば三間柄を始めたのは信長なんて話があるけど
軍役状見る限り信玄時代から三間の長槍を使っている武田なんかも
信長から影響受けたってこと?
何度目だよそれ…
>>312 何度目か知らんけど結論はどう出てるの?
議論があったんなら過去ログ見に行くけど
未だかつて回答などない
ろくな議論もない
信長が最初に考案したってのはだいたいソース無し
信長公記も発明したではなくて三間半に槍を揃えさせたとかでしょ
室町初期〜中期くらいは薙刀と同程度の柄だったと見ていいのかな?
戦国時代でさえよくわからんのにそれ以前の時代なんてとてもとても
槍の穂先は残っても、柄は残らんからな
刀剣類だと奉納したものが外装の拵えごと残ってたりすることもあるけど
槍薙刀だと厳しいかな
高級な持ち槍なら残ってるんじゃないか
徳川美術館にはいつも最初の正面に高級そうな槍がある
大名行列用じゃねえかなぁと思って別に調べてもないがw
戦国以前では厳しかろうかと
太平記の大物武将が大太刀や大薙刀、金撮棒を使っても大槍とかは使ってないし、
ある時代までは奉納するようなランクの武器でもなかったと思う
>>311 尾張がリーチが長い方がいいだろと三間半を使い始めたってだけで
尾張初かもしれんが日本初とかは別問題
×尾張が
○信長が
ちなみにその後の織田関係だと三間鑓までしか出てこないらしいから
三間半はやっぱり長すぎたのかもしれず
槍なんか戦災で焼けて穂だけになったりしたり
弓も金属じゃないからなかなか残ってない
蜻蛉切は三間柄なんだっけ?
なんか三河物語だかに家康が三間柄を使わせるのを好んでいたようなことが
書いてあった気がしたが、忠勝以外にも三間柄を使う武将が結構いたんだろうか?
それともそれはさすがに長槍のことで、忠勝は例外?
蜻蛉切は三間半と思っていた。
忠勝の膂力から三間半の長槍を余裕をもって振り回し
敵味方から驚嘆されると共に自らは無傷を謳われたというのを昔、雑誌記事で読んだから。
あれは大間違いだったのか。
柄は現存してないからな
してたらしてたで誰のものか本当に使ったのかもめるんだがw
距離をとって戦うから身体に傷一つ負わなかった?
でもそんな得物を使いこなす必要がある時点で常人には無理
身体の大きさは普通だったみたいだが
蜻蛉切 全長23尺2寸余=3.87間
(穂1尺4寸、茎1尺8寸、柄2丈余(晩年1丈7尺余))
日本号 全長10尺6分余
(穂2尺6寸1分5厘、茎1尺6分5厘)
御手杵 全長12尺7寸弱
(穂4尺6寸、茎2尺5寸)
wikipediaの記事より
蜻蛉切は三間半はあったようだな
本多忠勝って身長いくつだったんだ
ちょっと細かい訂正
×蜻蛉切は三間半はあったようだな
○蜻蛉切は(全長で)三間半(の槍と同じ位)はあったようだな
蜻蛉切のトンボが切れたシチュエーションってどんな感じなんだろ
槍持ちが立てて持ってたとしたら5、6メートルの高さにある穂先にトンボが止まったのをみんなが見上げてて
「あ、切れた」って感じなのかな?
たぶん人の為に生きるというのが武士道の極意
武士道とは(己れが)死ぬ事とみつけたり
誰かを守るためなら手を汚す事も躊躇しない、死すら躊躇しない
それをどこで何人殺したら汚いとかガキのような事を言う
あまりに薄っぺら
支配階級に都合の良い忠義推奨してるだけ
武士道にしろ騎士道にしろ現実はそうじゃないからこそこうするべきだとなるんだ
触ってここに居付かせんなよ。スルーしろ
槍の話続けたいけどわからんちんちん
逸話集の類を見ると三間柄を振り回してとかあるけどさすがに誇張だよね
伊賀越えにも忠勝は蜻蛉切を携えて従ったわけだが槍持ちの人も大変だな
分解して携行してたんじゃねーの
そして時は流れ朝鮮出兵時の加藤清正直臣軍には槍足軽隊がいなかったと
>>341 トンボ切は実は単なる武者槍で、
戦場で使ってたのは三間半槍とか?
三間槍は江戸時代のがいくらか残存してるが、めちゃくちゃたるむから突くのすら無理臭い
我々が槍と聞いてイメージする物とはまったく別の武器やね
家康に仕えた大久保彦左衛門の三河物語に家康は三間柄より短いのをお嫌いになったとかあるので、三河の武将が
使ってたのは本当っぽい
二間の槍すら長すぎて折ったのもいたらしいのにその1.5倍を使いこなせとはハードルが高いな
4メートルの物干し竿を移動するときに戯れに槍っぽく持ってみたが
扱いにくそうだと思った
6メートル越えてあれよりしなる感じか
明治維新のときにあった槍の戦闘では叩き合ったとあるが
あんなしなるものでは突きようがないだろうね
三間長柄は25度くらいで構えてやっと穂先が持ち手の高さに来る程度にたるんでた
持ち槍はそもそも長柄とは柄の素材が違うんじゃないか
叩きが有効だからという必要性以上にしなるから突くより叩くほうがやりやすいってことか
>>349 確かにそのしなりすぎる柄と剛槍のイメージはかけ離れすぎてるね
出典不明で申し訳ないが実戦用の柄は太いほうがいいってのは何かで見たな
一人の敵を大勢で取り囲んで戦うんだよ
そうなると長い方がいい
要するに捕物の様相になる
刀だと一対三くらいが限度
槍なら一対十くらいはいける
長すぎる槍は味方が隙をカバーしてくれるシチュエーションでもないと
かえって不利だと思うが
>>354 西洋型の密集隊形とるしかないけど
当時の日本人は一糸乱れぬ全体集団行動が苦手だったてことだからどんな姿の槍部隊になってたか興味あるわな
雑兵物語だと敵を追い崩した有利な状況でも一町以上は追いかけるなというが、指示をしっかりしておかないと
それ以上追いかけていってしまうし、逆に一町の範囲なら積極的に追いかけて首取ったりもしてたんだろうか?
>>356 足軽鉄砲隊とかはしっかり密集して射撃してるわけだが。
また縦列の話に戻るか
また火縄銃で密集隊形は無理云々が始まるのね・・・
火縄銃の話で案外見落とされるのが煙
今の銃は無煙火薬使ってるけども
>>361 火縄銃に限らす黒色火薬時代の発砲煙は凄かったらしいね。
以前読んだワーテルローの戦史には、この時代の雲状になった発砲煙は戦況や敵の兵力を読み誤る原因にさえなったと。
黒色火薬時代を扱ったミニチュアSLGでは、一定以上の歩兵や火砲が発砲した後には発砲煙が発生し、それ越しには照準線を設定出来ないルールになっていたなぁ
しかも、ダイスで決められた風向きや風速に従い移動w
大陸の勝字銃筒とかも音と煙は凄かったそうな
こないだ福岡行った時に日本号みてきたんだが
細工が精巧でかっこよすぎるというかファンタジーちっくで逆に嘘臭く見えてしまった。
あんな美麗なのをのをほんとに戦場に担いで行ったのかなあ。
火縄銃も数百丁斉射したら煙で見えなくなると思うよ
どこまで考えていたは分からないけども自然に三段撃ちになるような
弾込めの空白時間を埋めるための時差斉射、煙が引くまでの待ち時間
むしろ三段撃ちは無かったとする方が不自然
三段ではなかったとか、統率はしてないとか、そういう枝葉は無しで
五行目を枝葉と言いきるのは軍隊に対する侮辱じゃねいかな
二段かもしれないし五段かもしれないとかアホ言い出すやつへの防衛線だよ
ともかく全部で斉射というのはあまりに愚作
敵が動けないならそれでいいけども
というか理屈がさっぱりわからん
三段撃ちで連射したら煙晴れる暇がないじゃん
煙で見えなくなるならその間に弾込めするという理屈の方が自然だと思うが
>>366 蜻蛉切のほうだが甲子夜話に今知られてるのとは別に
本多家に傷ついて刃こぼれでボロボロの蜻蛉切が伝わってるよなんてのがあった
その真偽は知らんがね
>>370 列毎の射撃では発砲煙の晴れる暇は無いですよね。
そういった件を含めて小隊射撃システムにシフトして行った訳だし。
1世紀後にですがw
斉射が愚策ってのは極論過ぎかと。
グループ分け(列でも小部隊でも)の射撃が良いか斉射が良いかは戦況に寄るかと。
突撃の阻止射撃(特に対騎兵)では斉射の方が向いていると言われていますし戦例もそれなりに。
>>372 そこは博打よ
ギリギリまで引きつけて斉射の一発勝負
一発撃って次の瞬間は白兵戦かもしれない
武士って騎士に数名の家来の徒歩がついて参戦してたなら兵科ごとに
戦列組んだりしないの?
武士なのか騎士なのか何の話をしたいのか
そもそもいつの時代の話なのか
江戸時代の記録には騎士と表記され、これは徒士との比較語であるって書いてあったので
騎馬武者に徒歩の郎党が何人かついてるんですよね?
記録読んだんなら解答も載ってるだろうに
武田家が騎馬武者1人に対して、徒歩2、足軽6だとか
他にも200石の軍役で騎馬武者1に口取、槍持、侍、鎧持、小荷駄の5人とか
禄高とか軍役とかでイロイロ変わる
んで、軍役連れて集まった寄子は兵科毎に分解されて寄親の元で再編成。
各兵科で備を構築したら出陣
>>380は明らかにおかしいけどな
各兵科で備え立ててどうすんだよ
寄親寄子も意味がおかしいと思われ
>>382 言葉が足りなさ過ぎた
軍役に従って人数を集める、
槍なら槍、鉄砲なら鉄砲といった各兵科毎に再編成されて組を作って、
それら兵科毎の組(槍組、弓組、鉄砲組、騎馬隊等)を集めて備を立てるでおk?
有力武将が寄親、
地元豪族が寄子、
大名の家臣である寄子を寄親に加勢させるのが寄騎
だいたいあってると思うけど
んー
兵科に合わせて編成して備え立てると
結局寄子はバラバラにならざるを得ない
そうすると寄親、寄子制とは呼べないだろうから、兵科別かどっちかという話になる
まあ
>>379でも指摘されてることなんだが
>>383 で、正解
寄親寄騎制で集められた集団をその集団内で再編してるだけなので寄親寄騎制で間違ってない
槍持ちや馬の口取り等、主人の槍合わせに従う郎党中間もいたわけだから
すべてバラバラで再編ってことにもならんと思う
騎馬武者や徒歩武者の武具を運搬する従者は当然そのまま
じゃないと、槍も鎧も草履すらも自分1人で運搬しなきゃいけなくなるので不便すぎる。
再編成されるのは長柄、弓、鉄砲等の足軽兵科だけ。
騎乗の者は槍奉行とか長柄大将等に任じられてその指揮をする
個人的にどの年代から備が広まったのかが気になる。
足軽が出現して動員人数が増えてからなんだろうけど、
備というシステムを誰かが考案したのか、自然と変化していったのか
>>387 槍脇の鉄砲とかは軍役の鉄砲足軽とは別枠で用意して自分に付けてた感じかな
持筒を撃たせた可能性もあるが
>>387 備え自体は郎党から自然に変化していったものじゃない?
細川澄元像を見ると騎乗して薙刀だか長巻だかを持ってるけど、
この時代はまだ武将の持ち道具は槍に限るという感じではなかったのかな
>>390 応仁の乱以後30年くらいは馬上の武士の武器は太刀と薙刀がメインだったみたい
ソースが手元に無いんでちゃんと答えてはあげられないけど
今よりも情報伝達が遅い時代の事だし、鉄砲の様な劇的な変化はまだ無い時代の話だしね
まだまだ南北朝の延長みたいな時代か
先ず日本の戦場で足軽はファランクスの様な動きをしないんじゃないかな
訓練の要らない弓矢の延長で槍に変わったんじゃない?
弓矢や薙刀、長巻も技術が要る
複数人が横に並んで長い棒を武器として扱おうとすると、
取れる行動は、突く、振り下ろす、柄を地面に固定して構える位で、
左右に仲間が居る以上どうしても横には振れなくなる。
薙刀は字の通り薙ぎ払う行動がメインの長柄武器。(当然、突きや振り下ろし等も可能)
集団で扱うのを前提とすると、払いに必要な刃のついた穂先は不要になる。
その結果、突くことをメインに据えた穂先を持った槍の方が理にかなってくるので、槍に移り変わった。
長い槍は敵の動きを拘束する、列を成した足軽の集団戦法に使用され、
短い槍は隊列へと切りかかり、乱戦に持ち込む決戦兵科である徒歩、騎乗武者が主に使用
と言ってみる
>>393 ファランクスのような方陣は陣形を組むのにも、
戦場を機動するのにも時間がかかる。
軽快なローマ歩兵にさんざんやられたじゃない。
日本のように軽快に襲撃してくる敵が多い環境では、
ファランクスのような動きをするのは向いてないだろ。
備の動きがどうあるべきかについては議論の余地があるが。
>>395 ファランクスは方陣じゃないしその後の戦いでハンニバルの率いた兵って少なくともカルタゴ兵は
ファランクスだぞ。ついでに言えばローマ帝国も普通にファランクス整備してるし
スイス盟約者団はどんな感じでハルバードでの集団戦を行っていたのやら
和弓の威力も凄まじいものがある
イングランドのロングボウ以上の威力があったっぽいし
鎧の作りも矢に対してどうするかが主眼に置かれているし
骨格が変形するほどの訓練を和弓が必要としたって話は聞かないから
ロングボウほど威力があったかどうかはちと疑問
威力と骨格は別問題じゃないのかな?
変形するほどの訓練を絶えず課せられていたというだけで
最強のトルコ弓を引くのに骨格が変形した話は聞かないが
ただ大陸のほうで猛威を振るった刀に比べると弓矢の評判は乏しいので
どれほど強いのかはわからんけどね
同じ弓同じ人間がやっても重い矢使えば威力は上がる
小柄な日本人が世界最大の弓を使っていた英知、テクノロジー、そして撃ち手の技量
また日本を自慢したくなるねぇ
小柄で非力だったが故に一工夫必要だった
>>400 明軍に対しては鉄砲をあらかた打ち込んで隊列崩した後に、走り込んで乱戦に持ち込んで、日本刀で切り込みまくった結果じゃないの?
ファランクス相手にローマがピルムとグラディウスを使った戦法の様に
中世だとそこまで体格の差なかった気がする
>>403 どっちにしろ射程とトレードオフだろ矢尻の重さなんて
鎧は矢は防げても銃弾は防げない
日本の合戦は置盾も良く使うし、走り込んで斬り合うのが普通だったような気もする
いや上の遠動画じゃないが鎧は矢も防ぐぞ
為朝さんみたいなのは知らない
>>405 無いね
単純に知恵と経験のみで工夫されて来た結果なだけだと思う
日本に弩が伝わっても残らなかったのは弩が必要なかったからだし
410 :
名無し三等兵:2013/12/15(日) 21:32:14.84 ID:ZNOvMIyq
平家でも「鎧よければ裏かかず」というようにいい鎧だから貫通しないという場面もある
真光故実で最近馬狙うようになってきたというのも理由は騎馬武者本人へ射掛けても
必殺ではなくなったからだし
作品の舞台である平安後期か、あるいは物語が書かれた鎌倉中期あたりから甲冑の改良が進んだと思われる
>>408 鎧で銃弾を防ぐのは無理だよ
矢は防げる
勿論状況次第だけど
鎌倉あたりの合戦は武士が馬で突撃しながら弓矢で相手を撃ってたんだよね
当然それを防ぐ為の技術が必要だった
置き盾も鎧もそこを防ぐ事から始まった技術だし
イングランド長弓関連の再現実験だと、板金でもスパスパ抜いてるのもあれば
戦場跡から鏃発掘したらコストの関係から焼き入れされて無くて
板金に対して硬さで負けてしまって弾かれるってのもあった
>>412 お前鉄砲の試し打ちされた鎧とか知らねえの?
騎射三物みたいなのが平安時代や鎌倉時代では実際の戦場で行われてた訳でしょ?
>>414 あれはデモンストレーション用に火薬減らしてるらしいが
>>414 そういうのは火薬の量減らして撃ってるよ
後、当時の銃弾は鉛だから、鉄砲が当たると弾が潰れて殺傷能力が増す
火薬の量を減らしたんじゃないかというのは後世の推理だぞ
凹みの大きさから何をどうしたか推定できないんだろうか
あと銃弾にも鉄ある
と思ったが当時の銃弾で実物ってあるんかね?
戊辰戦争で先祖伝来の鎧を着たら弾だけじゃなく鎧が砕けたものが
体内にはいるからなお悪いみたいな話があったね
>>399 それは君が聞いてないだけでは?
例えば為朝とかは腕の長さが違ったというぞ。
>>419 幕末歩兵隊にあったな
鎧じゃなくて篭手かすね当てのはず
>>420 で、伝説や風聞以外に違ったという根拠あるの?イングランドのヨーマンはごろごろ骨格の証拠があるんだが
で、トルコ弓の射手は骨格が変形したんでしょうか?
極端な例がヨーマン達であって、小さい頃から弓を習熟した人達は骨格が変わるでしょ
>>425 なら、日本や遊牧民で骨格が変形した例あげられるよな
よくわからんがとりあえずヨーマンの証拠くれ
さすがに骨格変形自体を疑う気にはなれんが
それは鍛錬の結果であって威力とはまた別の話だと思ってる
和弓と洋弓では弓の引き方も違う
骨格が変わるからって理由で旧国鉄の人達は枕木を30代以下の人達には持たせなかったし
トルコ弓がどう引くかちょっと調べてみるよ
国鉄ってそんなことしてたのか、凄いな
>>426 弓道経験者を調べれば良いでしょ?
遊牧民に関してか
モンゴル騎兵とかから調べればわかるかもね
小さい頃からの修練は骨格に出るよ
これは間違いない
現在は過去から引き出される
ただ逆引きすると結果だけ出てしまって経緯が不明瞭になるんだよね
>>429 和弓って弓弦を引くと同時に弓自体も押すから、洋弓と違って右腕だけを酷使しないんだよな
>>432 なんで本そのものを教えてくれないんだよw
一般人でも利き手が長いのは普通だが(左右同じの方が少数派)、3cm違ったら整体行けって聞いた
営業かもしれんがw
テニス選手も左右で腕の長さ違うよな
利き手ばかりすごい酷使するから
ごめん書き忘れた。レビューの右側上半分に軽く書いてある。あとは買って読もう
その地域その地域で最も効果が高くて材料も手に入り易い
これが武器の基本だから
人間一人一人で武器を作ってる時代だし
今テキトーに比べたら右が1cm弱長いかな
効果的なら直ぐに取り入れるよ
同じ人間同士で目に見える範囲でしか戦争出来なかったし、今より人間の替えもきかない時代だし
効果的でなおかつ取り入れられればな
しょうがないのでペルシアはギリシア歩兵を傭兵として取り入れた
常備軍持てる余裕のある国なんて少ないし
遊牧民が強力な騎兵だったのは小さい頃から馬に乗れて弓矢を扱えたからだし
そもそも人数が少ない限定戦争の時代
モンゴルなんかは凄まじいよね
中央アジアを根本的に変えてしまった
骨格変形をものすごい過酷な修練の結果と勘違いしてるんだよ
例えば中高部活テニスやってれば手の長さが左右で違うのは珍しくない
骨の新陳代謝は3年で全とっかえのペース
もっと言えばだ
誰もが骨格は生まれつき決まってるもんではなく変形した結果が今の貴方の骨格
平均的骨格は平均的な生活してきた結果にすぎない
学生時代にスポーツやってたヤツはたいてい骨格からそのスポーツ体型になってる
>>445 同じ分野の道具を使っていて片方で骨格変形がおきるなら
そちらの方が訓練に労力使うって推定できるんじゃないの?
同種の武器でより訓練に労力食うってことは取り回しが難しいと
背中の曲がった婆さんはいつからああなったのだろうとふと考えてしまった
上にあるように同じ分野といっても引き方も違うわけでなあ
とりあえず、為朝については、
身長七尺(約210cm)、左手が右手より四寸(約12cm)長い、
という話らしい。
多少盛られてるとは思うけどな。
和弓の使用者の骨格変形について、まともな研究がないだけで、
テニス程度で骨格が変形するなら十分ありえる話ではある。
>>446 骨格の変形で奴隷だったか市民だったかは見分け付くし
例によって左巻きはグロく「骨が変形するほど過酷な労働」と主張w
たぶんオリンピック選手やプロスポーツ選手もみんな奴隷以上に過酷な労働と判定されると思うよ
骨は固いから変形しないという幼稚な思い込み、でも実際は3年で全とっかえ
3年以上古い骨は一かけらも無い
骨折したって数週間〜数ヶ月でくっついちゃう
骨折しなくたって同じペースで新陳代謝してる
>>450 カロリー消費量は選手たちの方が圧倒的に多いだろw
そういや昔の武者は米を何合も食いまくってカロリー確保してたようだな。
>>451 骨折してるときの方が骨の代謝速度落ちるよ
スレ違いだけど骨が入れ替わる期間調べるとバラバラだな
恐らく全部推定値なんだろう
尾張出身
源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、前田利家、柴田勝家、丹羽長秀、佐々成政、
加藤清正、福島正則、蜂須賀小六、山内一豊、浅野長政、池田輝政、堀尾吉晴など
三河出身
足利氏、徳川家康、本多正信、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政など
すべて愛知県民だ
源氏の武家政権はすべて愛知ケンミンが作ったんだよ
愛知県はお寺の数、城・城跡・武家屋敷の数が全国1位
エライのは皆余所へ行って地元には誰も残らなかったってオチ?
石の上にも三年、千日の稽古を鍛とし=骨の入れ替わりのサイクル
だってさ
3年鍛えれば骨格から変えられる
オッサンはもう無理ねw
鎌倉幕府はすぐ北条にのっとられてるじゃん。
仮冒源氏の徳川入れて、なぜか足利氏外して
源氏の武家政権はすべて愛知県民(キリッ
>>460 >三河出身
>足利氏、徳川家康、本多正信、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政など
はて?
どう見てもスルー推奨
どうでもいいけど足利氏って三河出身か?
足利氏は文字通り、現在の栃木県足利市が由来だし、
先祖は河内源氏だから大阪府だし
まあ、この手の電波さんは無視するのが吉
465 :
463:2013/12/16(月) 23:27:28.93 ID:???
>>464 だよな
足利義兼母は熱田大宮司の家系だけど
こんなんで三河(熱田なら尾張だけど)出身とは言わないし
ID出ないから一連の流れが電波なのか正解なのか分かりにくくて混乱した
教えてくれてサンクス
こないだ初めてビスポークというものを頼んできたんだけど
腕の長さは言うに及ばず肩の盛り方やら右の方が勝ってるってのがよくわかった。
完成品吊るしてるとすごい違和感。
骨が変形するまでやるなんて可哀想と言ってるバカの骨格も変形した結果なのにねw
ヒキコモリの骨格を学者が見れば
この個体の骨格は極めて運動量が少ない結果こんなに変形してしまった
おそらく非常に狭い場所に長期間閉じ込められたのだろう
ほとんど歩いていなかったのは間違いない
となる
要するに誰であろうと生活がそのまま骨格に反映してしまう
火縄銃が戦闘の主力にならなかったな
発射速度と威力が無かった,発射速度の速い弓と威力が変わらなかったんだろう
日本刀は剣や槍より素人でも使いやすいのでは?
見てきたように 火縄銃が戦闘の主力にならなかったな
思いつき 発射速度と威力が無かった,発射速度の速い弓と威力が変わらなかったんだろう
疑問文 日本刀は剣や槍より素人でも使いやすいのでは?
火縄銃については書いているよな
剣と槍に付いては付く技術が難しい上にあったように叩くなら素人農民でも出来る
日本刀みたいに切るのは日常的に木や竹でやっているからやりやすいってことw
火縄銃より大砲の方が威力を発揮しているだろw
発射速度が遅く威力も小さい火縄銃が主力になったなんて見て来たように言うか?
主力にならないのに揃えまくった戦国大名ってアホだなww
金の無駄wwww
>>473 発射速度はともかく、
威力が小さいなんてどこの誰が書いたorそういう事実があるのか具体的に?
まさにそう
小銃が威力を発したのは幕末の元込め銃+銃剣
>>475 自分で調べて下さい
親切なほうではないので
じゃあ火縄銃は主力だったってことでいいや
まあ適当にwww
信じる道を生きてくださいww
良かったね
日本の武士はアホすぎって結論出たな
>>481 在日が何の用だww
ナポレンオンはロシア遠征で負けだけど
大砲を機動的に使って勝ち続けたんだけどな
天才468によって過去16スレに渡って常識と思われていた事柄がひっくりかえった
468天才すぎる
わあすごいすごーい
兵器は運用次第だ
それくらい分かるだろうな
では火縄銃のメリットとデメリットをその時代の他の兵器と比較して述べてみよ
とりあえず天才468はコテ頼む
>>477 >>481 日本語が読めないようだが、一応親切に教えておいてやると、
火縄銃を大量に装備した豊臣秀吉軍に徹頭徹尾戦場では撃破されまくってたよね。
明軍もおまけの朝鮮軍も。
大体分かるだろうww
分からないなら池沼だな
しかし面白いな定説信仰者ってww
>>489 定説を覆したいなら納得に足る根拠を示さないと。
>自分で調べて下さい
>親切なほうではないので
これでは妄想だよ。
火縄銃の弾のサイズって何匁が主流だったん
30ミリの鉛で初速360程度だろ
有効射程37メートル程度
近接のオモチャみたいなもんだろ
言ってみれば現在の単発ピストルみたいなもんだろう
有効射程37mってどこから出てきた数字なんだ
黒色火薬でも400m台には乗るだろう
そんな威力で明国,朝鮮を追っ払ったって言う幻想の持ち主もいるからな
戦争は武器も当然大事だが戦力,戦略,戦術如何だろうww
有効って書いただろ
殺傷能力の事だ
400mだったら現代のアサルトライフル前後だろ
ごめん、400mは秒速400m台
ピストルが初速360m/minみたいだからそんなもんか
500 :
名無し三等兵:2013/12/17(火) 20:29:05.11 ID:gYWWVjf3
プロ野球選手には時速160キロで飛んでくるデットボールをかわす人間がいる。
またプロ野球のバッターがバットを振る速度は速くても時速160キロ程度だ。
このデーターから言えば、三国志などに出てくる武勇伝はあながち嘘とは言えない。
時速160キロのデットボールをかわせる人間なら理論上は弓矢もかわせるし、
敵の長刀のスイングをかわすことも可能になる。
弓矢をかわす運動神経や動体視力があるうえに、さらに鎧や盾があるならば弓矢で死傷する
確率は下がっただろう。
古代中世に火縄銃はまだ無いぞ。
10匁玉とかはまんまスラグ弾だな
160km以上でデッドボールまがいなんてあるんだろうか
>>500 そりゃ1対1で射るところから見てれば距離次第で躱せるだろうけど
そんな条件設定でやれるのは完全に曲芸師の見世物だろう
>>505 中世までは日本でも西洋でも、その曲芸師のようなことができる戦士が珍重されていたわけだろ。
一応近代戦であるナポレオンのワーテルロー会戦でも両軍が接近して混戦になると
曲芸師のような剣術を持った人間が活躍する余地があったわけだし。
3段攻撃と言っても初段,2段は馬止め3段目で兵士殺しだったかも知れん
まあ3段攻撃を機関銃みたいな解釈は辞めた方がいいかも
>>497 ミスしてるかもしれんがちょっと計算してみた
30mmの鉛弾ということは体積は約14cm^3、鉛の比重は11.34だから11として弾丸重量は154g
それをもし秒速360mで飛ばしたとするとその運動エネルギーはおおむね10000J
.45ACPで500J強だから拳銃弾とは比較にならんし、有効射程37メートルということもないと思うが
というかそもそも30mmって40〜50匁だから大鉄砲クラスだろ
>>507 長篠の戦は中世ではなく、近世の戦いだが、三段撃ちというのは明治時代になってから創作された話では
ないかという説もある。
仮に三段撃ちが創作だとすれば、織田軍はクソ長い槍を地面に固定して槍ぶすまを築く戦法で武田勝頼の
騎馬隊を撃退したことになる
火縄銃が戦国の世を大きく変えたという話は、もしかすると幻想かも知れないのよね。
どうしてかと言うと有効射程がピストル程度で、なおかつ運用数も少なかったのだから、はたしてそれで
歴史を変えるほどの兵器足りえたかは疑問。
ではなにが戦国時代の日本の歴史を変えたかと言えば、戦国大名の強運や権謀術数などでは無いかな?
電波すぎる…何を言っているのかさっぱりわからないw
関ヶ原の頃には持ってないと戦争にならないくらいの武器が幻想ってお前の脳内が幻想すぎるな
古墳時代なんていうと「民主主義や人権を頭から無視する君主が多くの人々を弾圧した悲惨な時代だ」
という見方を無意識にする人が多い。
左翼はとくにそうだ。
しかし古墳時代は権力を持つ君主が権力を使って治水事業などを進めて農業を発展させ、
それがなければ奈良時代や平安時代が成立しなかったことも事実だろ。
そもそも小銃は大砲からで来たんで仰角を大分取っていたと思う
よく知らんが黒色火薬を使った鉄砲はその程度が限界でしょう
>>512 では関が原の戦いは火縄銃だけで決まったのか?
そりゃ違うだろう。
当時の記録でも現代の再現でもそんなことやらないけどな
妄想しか言えないならお帰りください
l三`ー 、_;:;:;:;:;:;:j;:;:;:;:;:;:_;:;:;_;:?-三三三三三l
l三 r=ミ''‐--‐';二,_ ̄ ,三三三彡彡l_ この感じ・・・・
lミ′  ̄ ー-'" '=ミニ彡彡/‐、ヽ
l;l ,_-‐ 、 __,,.. - 、 彡彡彳、.// 土鍋か・・・・
_______∧,、_? `之ヽ、, i l´ _,ィ辷ァ-、、 彡彡'r ノ/_ ______
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄'`'` ̄ 1  ̄フ/l l::. ヽこ~ ̄ 彡彳~´/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ´ :l .l:::. 彡ィ-‐'′
ゝ、 / :. :r-、 彡′
/ ィ:ヘ `ヽ:__,ィ='´ 彡;ヽ、
_,,..-‐'7 /:::::::ヽ _: :_ ヽ ィ´.}::ヽ ヽ、
_,-‐'´ { ヽ:::::::::ヘ `'ー===ー-- ' /ノ /::::::ヘ, ヽー、
>>516 では君は長篠の戦の三段撃ちが明治時代になってから創作された捏造話だという説に
反論ができるか?
織田信長の軍隊の主力は槍を持った槍部隊だ。
これは戦国時代においては、まだ鉄砲が決定的な兵器足り得なかったことの証拠になる。
機関銃が少なかった日本軍は散開しての三段うちか
納得はできるな(横から失礼)
戦国時代に近代兵器が役に立つかという問題は映画戦国自衛隊が描いている。
自動小銃の弾が尽きた自衛官が泣き喚きながら足軽の槍で刺されて死ぬシーンなどを見れば
近代的補給システムが無かった時代には近代兵器が成立しないことはわかるはずだ。
土鍋タイムか
長篠では織田・徳川軍は連吾川の後ろに三重の柵を設置し、1000丁以上の火縄銃を準備して迎撃した。
しかしそんなことは勝頼はもちろん知らない。わかってるのは徳川軍を主力とした人数不詳の織田・徳川連合軍が包囲された長篠城を救出に来たということだけだ。
勝頼には織田軍の人数や装備は不明だ。主力は当然徳川軍だと思ってる。三方ヶ原での織田軍は佐久間信盛以下のせいぜい数千人だった。信長が来てることも勝頼は知らない。
徳川軍の兵力はせいぜい5000人で大量の火縄銃はない。織田軍の人数は不明。武田軍は1万以上。
大量の火縄銃を持たない5000人+αに対して1万人で反復突撃するのは必ずしも無謀ではない。
>>506 >ワーテルロー会戦でも両軍が接近して混戦になると曲芸師のような剣術を持った人間が活躍する余地があったわけだし
ワーテルローでの具体的な戦例を教えて欲しい。
フランス軽歩兵第1連隊カラビニエ中隊のルグロ中尉は斧を手にし附属工兵と共にウーグモン館に突入。
斧を手にしたまま戦死したが戦いぶりの詳細は不明なので活躍したのか否か・・・
斧は障害物除去用だったみたいだし。
>>523 有視界である当時の戦場で勝頼が知らないということがあるか?
双眼鏡を使わなくても、肉眼で敵陣が見える距離で戦っていたのだが?
>>524 ネイ元帥は有名だろう。
ネイ元帥は元帥なのに馬に乗って最前列で敵のライフル隊に突撃した曲芸師のような元帥だ。
ネイ元帥はそんな無茶な戦法なのにワーテルローでは戦死してないからね。
しかし実際はその+αが信長が指揮する1000丁以上の火縄銃を装備し、三重の柵を準備する数万人だった。
もし勝頼の想定通り、織田徳川軍が大量の火縄銃を持たない1万人以下なら武田軍は勝利しただろう。
また火縄銃を持たない数万人だったらもっと多くの武田の武将が死なずに脱出できたかもしれない。
ナポレオン軍は当時もっとも近代化された軍隊だが、それでも19世紀初頭のレベルではまだ
ネイ元帥のような武将を必要としたわけよ。
そうじゃなかったらナポレオンもネイを元帥にしてない。
>>526 でも、結局戦死したじゃん・・・
まあ、戦死しない軍人は馬鹿だとか言い切ってたような人だから、本望ではあるんだろうが
戦場で革命が起きたのは多数の機動可能な大砲だろう
小銃ごときでは弓矢と変わらないぞ
>>529 いやネイ元帥は戦闘では戦死してはいないよ。
ナポレオンが失脚したあとに裁判で有罪にされて処刑された。
弓矢はしょせん人間の腕力を変換したもので、どれだけ怪物でも200Jも行かない
>>530 城の城壁を破壊できる大砲が登場して歴史が変わったんだよな。
ミシェル・ネイは銃殺刑だろうが、適当言ってるな・・・
そもそも勝頼や武田の武将は突撃するまで柵が三重であることも気がつかなかった。
数万人が横一列に整列するわけじゃないし、三重の柵にそれぞれ兵を配置すれば武田から見えるのはせいぜい一列目だけだ。
そもそも普通の備えにしても足軽・持ち槍・騎馬武者・小荷駄・・と横何列で行列組むわけで、後ろの方は前からはぜんぜん見えない。
運動会やイベント会場のようなものだ。
うん,城壁を無意味にした
>>534 裁判で有罪にされて処刑されたと書いてるだろ
大砲が無ければ百年戦争が百五十年戦争とかになってたかもな
レコンキスタも遅れて大航海時代も先送りになる
>>533 そうでもない
というのは守備型の方が当然でかい大砲据えることができるから
>>535 肉眼で見える距離で柵に気づかないということがあるか?
>>539 ただ当時の大砲は命中率が悪いから城壁を大砲で攻撃する側が有利になる。
城壁は的がでかいからだ。
反対に城側から敵の大砲を砲撃するのは点を狙うことになるから命中率が悪い時代には至難の業となる。
武田軍から柵は見えていたが、柵に足軽が密集して配置されていれば当然その後ろは見えない。
もし柵が一列の柵なら、それを突破すればあとは包囲して蹂躙できる。しかし実際は柵は三重だった。
>>541 大量によってくるのを水平射撃で釘とかぶっ飛ばすから関係ない
だから要塞の高さが低くなった
高い城壁からぶっ放しても効果がないし、スペースもとれんからな
>>526 死んでいないのと活躍(剣技で)したのは別の話では?
因みにネイ元帥はワーテルローで剣を折っているけど、イギリス軍の大砲の砲身を剣で打った時に折れた。
イギリスのライフル隊は戦列歩兵1個旅団につき1個中隊が派遣されていた。
ネイ元帥は、たかだか1個中隊相手に突撃たのかな?
ネイは誤解される事が多いけど突撃一本の軍人では無いよ。
逆に守備が得意な軍人。
行列ってのは同じ高さで見れば後ろが何列かはわからないんだよ。
長篠は謎が多いな
古代から中世にかけて歴史を変えた兵器=馬や城壁
近世から近代にかけて歴史を変えた兵器=大砲、外洋航海可能な大型帆船、鉄道
現代を変えた兵器=飛行機、戦車、ペニシリン、核兵器、自動小銃、人工衛星、コンピューター
>>545 馬に乗れば視界は高くなるし、木に登ったり、即席でやぐらを築いて見たらわかるだろ?
>>546 戦国時代そのものに謎が多い。
武将の多くがホモだったというし、現代の常識ではわかりかねる部分が多いと思う。
原始人でも昔は馬鹿の代名詞のように言われていたが、発掘された原始人の頭蓋骨を調べると現代人より
脳の容積が大きいものも発見されている。
すると、もしかすると原始人は現代人より知性があった可能性もある。
歴史ってのは、まだまだ謎が深い
勝頼は織田徳川連合軍は5000人+α=1万人以下・柵は一列と思い込んでるんだから、
やぐらなんか必要ないだろ。それに連吾川の向こうの織田軍の本陣は弾正山、徳川軍の本陣は高松山にある。
山の向こうはどうしたって見えない。別に砂漠みたいな不毛の平地じゃないんだから。
勝頼は徳川なぞほっといて連続攻撃すれば良かったんだが
鉄砲有る無しに連続攻撃したら勝てただろう
躊躇して相手に準備期間を与えたのでは?
>>552 いきなりバッタリ出会って会戦になったらともかく、会戦まで時間があった場合は
忍者が活躍した時代なんだし、視力が5,0ぐらいある忍者が走って行って山の上から偵察して
報告したんじゃないの?
敵陣をまったく探らず、「じゃそろそろ始めようか」と始めたとは考えにくいが?
織田軍団が敗走したら徳川はしれっと領地に帰ったはずww
>>552 >勝頼は織田徳川連合軍は5000人+α=1万人以下・柵は一列と思い込んでるんだから、
妄想乙としか言いようがない
>>553 考えられる可能性としては武田勝頼軍は長篠城への攻撃で疲弊しきっており、織田徳川軍と戦う前から
ボロボロ状態だったという可能性だ。
一応突撃はしたものの、ボロボロ状態だけに押し込む力が無く、包囲されて逃げれなくなることを恐れた武田勝頼は
三十六計逃げるにしかずで早々に退散したとかさ。
明智光秀は逃げてる最中に百姓に襲われて死んだと言われるが、逃げるにも力は必要であり、
逃げるだけの余力を残して逃げないと逃走中に百姓に襲われて死ぬという悲惨な末路をたどる。
大阪冬の陣でも徳川家康は長期戦になったら不利だと考えて撤退してるからね。
なるほど織田軍を打ち破ったとしても徳川に送り狼のように教われる事を恐れたのか?
済みません「襲われる」のミス
>>559 戦国時代は百姓も竹やりや火縄銃で武装していたのだから、武田勝頼が織田徳川軍を打ち破っても
ボロボロ状態で疲弊しまくった状態で自分の城まで帰ろうとしたら、帰還する最中に百姓や盗賊に襲われる危険性もあったのでは?
城まで100キロの距離を歩いて帰ると仮定する。
無傷で体力が無いと歩いて100キロの距離を帰るのは無理である。
さらに手持ちの食料の問題もある。
地元に防衛軍をおいていたら(上杉とまだ戦争状態にあったか?)
侵略軍として東海地方を占領したでしょう
その為の戦争でしょう
武田軍は東海を占領してから京へ昇る戦略だったんでしょ?
戦略を語るのはレスチだったかww
あくまで軍板だね
繰り出しみたいな全身しながら火縄銃撃って近づく戦術もある
スクラム組んで前進して敵戦列を蹂躙した方が勝ちってパターンが野戦でしょ?
火縄銃の連射速度って一発20秒前後
一発当たれば戦列の兵隊一人は間違い無く戦闘不能に出来る時代だったのになぁ
あくまで一発当たればな
こう書くと研究者が命中率に付いて解説するはず
おそらく0.3くらいだろうと思うがww
どの距離の命中率がいくつでも大して意味はねえよ
銃の命中率が上がれば交戦距離が遠くなるだけのことだ
>>568 そう思うか?劇的に高まれば同じ距離で弓矢や投石機と入れ替わるんだぜ
気がついたときにはすでに遅いわw
撃つ状況次第で大分変わるしなぁ
損耗率3割で全滅判定だし
>>569 ?銃の命中率が劇的に高まれば弓矢や投石が出てくる幕(距離)なんて存在しなくなるんだが
伸びてると思えばやはり土鍋なり
>>573 何言ってるか全くわからん
何が初見だと何が対応不可なの?
先ず戦闘距離だろう
例えば現代で言えばミサイルの飛行距離で想像できない?
576 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 00:17:55.68 ID:4RBHCFvY
>>518 お前まさか甫庵信長記すら読んでなかったわけ?
爆撃機でもいいよ
要は今までの技術で対応できないってこと
>>577 意味わからん
何で例えで言うの?普通に説明しろよ
何が初見だと何が対応不可なの?
いつの戦闘距離で何が新技術で何が今まで技術なのさ
ちょっと野戦での合戦の流れを考えて見た
布陣完了→合図と共に射撃開始→歩兵前進→敵前列と交戦→後方の敵の後列に射撃→歩兵が相手の戦列を崩して前進
この流れじゃ無いの?
>>578 めんど臭いな
見た事も無い「飛行機」に爆撃されたらビックリするだろう
そんなもんだ
>>578 なんだよ少しは分かりやしように解説してやったのに
他の国の人?
誰が何を言いたいのかわけわからん
レス番でいいからコテ名乗れよ
メンドクサイカラサヨナラデイイダロ
何が分からないのか具体的に言ってみな
過去のレスを見ると分からんばかりじゃん
もしかして平和すぎて戦闘自体が分からんのか?
違う、誰が何を言ってるのかわからんって話よ
>>581 だから飛行機に該当するのはなんなんだよ…
誰が言っているか知りたいなら聞けばいい
というか大体分かるだろう!ゆとりか(怒)
爆撃機は俺が言ったww
要は・・・説明めんどくさい
2chで出てくる例え話の99%は元より分かりづらくなる
つうか専門家のスレッドだろ
素人が舞い込んで分からない無いなんて文句言うのはそもそもふざけすぎだろ
(人の事は言えないがww)
まあ説明できないのを適当にごまかして煙に巻いてるだけだからな
自分はバカですと言ってるのと一緒
初見じゃ対応出来ない革新的な何かの話なんだろうけど、元のレスどれ?
真面目に考えると鉄砲の性能(射手の腕前も含めて)がほぼ一緒ならどの距離で撃ち合っても被害は鉄砲の数に比例するから
鉄砲が少ない方は突撃するか下がるかどっちかしかないわな
戦国時代後半は案外そんなのばっかりだったのかもしれない
要は,長篠の戦いで火縄銃が「三段打」で決定的な勝利要因になったか
それとも弓矢と変わらない戦闘力であったかの議論だな
火縄銃は個数が少ない上に発射速度がたりない
弓矢は多数で発射速度が速いで,どっちが有利だったか?運用の有利さか後世のでっち上げか
どっち?ってところだろう
エネルギーでみたら20倍くらい違うからな
>>597 要はってどこの何をどうまとめたんだよw
20倍が遠距離では当たらない事は分かりきった話だろ
火縄銃の数と発射速度,命中力,飛翔力の短さのが無視されても困るなww
考え笑みみろよ
当時は弓矢と比較して近接戦闘なら弓と日本刀が有利に決まっているだろう
>>599 議論をまとめてみただけだが
他にいるか?
水軍の話でもするか?
先ず主要艦は真っ先に撃沈だろ
土鍋が来るとスレが伸びるな
>>528 ネイ元帥云々じゃなく、当時の元帥や将官は前線指揮官だよ。
マスケットの射程内で指揮してなんぼの世界。
騎兵指揮官なんか突撃の正否に関係無く戦死しまくるし・・・
610 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 12:25:40.61 ID:iEq088QO
>>608 19世紀まではフランス軍も敵のマスケット銃や大砲に馬で突っ込むのが主流だし、
そうした時代にはネイ元帥のような英雄が不可欠だ
すげえ、ここまで日本語が通じない奴がいるとは
三段撃ちは嘘である。
19世紀のナポレオン軍やプロイセン軍でもやってない戦法をどうして
16世紀の愛知県でできると言うんだよ。
16世紀の長篠は森林であった可能性もあるわけで、長篠の戦そのものが無かった可能性もある。
>>613 >19世紀のナポレオン軍やプロイセン軍でもやってない戦法
確かにやっていませんね。
横列毎の射撃は18世紀前半で廃れましたから。
>>615 え?アメリカ独立戦争って18世紀前半なんだ
>>617 >主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
長篠の時点でスレチって理解してる?そもそもこのスレの射程は戦国前期までだろ
NHKの大河ドラマでは戦国時代の合戦シーンをきれいに草刈をした広場で撮影する。
しかし16世紀は草がボーボーに生えているだろ。
草ボーボーだから日本刀で草を刈りながら進んだはずだ。
すると日本刀は草を刈るために進化した草刈鎌のような道具だったという新説が浮かび上がる。
誰か反論できるか?
ベトナム戦争の米軍でも草を刈る蛮刀は必需品だった
古代の日本の戦では相撲や踊りで勝敗が決まったという逸話もあるぞ
弥生時代の日本の戦はパプアニューギニアの土人に近いのでは?
南方土人系は土地にしがみつく生き方してないからまた違うだろう
>>623 弥生人は稲作に適した土地を求めて旅したので定住性は無かったのでは?
なんか流れが決まってるなぁ
火縄銃の話題
↓
対比で海外の前装銃の話題
↓
スレ違いで終了
もう少ししたら馬や騎兵突撃の話題になるんだろうなぁ
あらかた話題でちゃってるからるーぷになんのもしょうがねえw
>>625 騎兵突撃は中世においては一撃必殺ではあるが、騎兵の側の損害も大きい。
モンゴル軍のように飼育している馬の数が多いか、西洋騎士のように鎧でガチガチに
固めて損害を減らすかじゃないと継続性が無い
馬がいっぱいいたって肝心の騎兵が死んでしまったら継続性もクソもないが
その理屈ならな
欧州騎士の突撃で騎兵の損害が多い?戦闘で死ななかったからこそ
捕虜にした貴族連れ歩く余裕なくて虐殺してんのに
日本は古くから長弓が普及しており、それで騎兵突撃が主流になれなかったのでは?
長弓なら三段撃ちも物理的には可能だから
>>628 モンゴル人は誰もが馬に乗れるから騎兵の代わりがいくらでもいた
剣・日本刀の話とか、弓・アーチェリーの話とか、
ファランクス・レギオン・長柄組の話とかもあっただろう。
もっともどれも馬と無関係ではない。やっぱり馬は重要だな。
>>629 バイクで突っ込むようなもんだから衝突死や転落死も多かったはずだよ。
仮に本当に1000丁有ったとして1000人横一列に並べたら1km
長すぎるから3列くらいにしようぜ、と考える
3列で一斉斉射は無理だ<--ここが火器の素人には分からない
最前列が撃ったら伏せる、二列目が撃って伏せる、三列目が撃つ
自然と3段撃ちになる
1000丁を前提に考えると3段撃ちが無かったと考える方が不自然
>>634 鉄砲を三段に構えていたら、それが目視で見えるのだから武田軍は側面に回りこんだはずだ
大阪夏の陣の天王寺口の戦いとか見ると、家康は本陣の馬印も倒されて騎馬で逃げまくった。
長篠の戦いも武田側としてはこういう展開を狙ったものだと思われる。
火縄銃の吹く火炎と煙見ると伏せるだけでは無理かもしれない
撃ったら下がる、撃ったら下がる
有効射程100mの銃で1kmの布陣は絶対にありえない
敵が1km横に並んで突撃してくるわけがない、端の銃は無力
敵に火力を集中させるなら一辺が100mの正三角形になる
柵があったけど、これは敵の突進を誘導するためだったかもしれない
正三角形の中に誘導する
三段撃ち否定論は基本的な所が欠落してるように思う
1000丁あったならの話だけども、本当に1000丁もあったら三段撃ちは必然になる
肯定論は三段撃ちを持ち上げすぎてる
天才的戦術ではなく単なる必然、誰が考えても必然的に三段撃ちになる
>>639 三段撃ちが必然なら戊辰戦争でも行われたはずだが記録はない
ちなみにその戊辰戦争当時の火縄銃の記録ってのはどんなものがありますの?
信長はテルシオみたいな陣で戦闘してたんじゃないの?
備えとテルシオの比率は凄く似てないか?
日本の侍は竜騎兵的な役割りっぽいし
飛び道具が弓矢だった頃は、矢を鎧で受けながら馬で突撃して太刀や薙刀振り回して相手の戦列を崩す役割りだったけど、火縄銃が普及してからそういうのから変化していったんじゃ無いの?
「鉄砲隊が横並びでは端が無駄になる」と書いている御仁がいるが、端は敵が側面に回りこむのを防ぐための防御用である。
少なくとも20世紀の1914年の第一次大戦までは西洋でも横に長い陣形が主流である。
第一次大戦では両軍がひらすら横に陣を伸ばし、地中海から北海までのクソ長い野戦陣地が築かれたのは有名だ。
その理由は機関銃や大砲があっても、敵に側面に回りこまれたら不利になるからだ。
>>644 騎兵に関して誤解があるのは、騎兵とは馬に乗っている兵士よりも、走る馬のほうが兵器であるという点だ。
全速力で走ってくる馬に体当たりされたら、人間は鎧を着ていても全身打撲や内臓破裂になるからね。
馬に踏まれても大怪我するしね
包囲殲滅が軍事の基本だし、どんな陣形も最終的には相手の陣を取り囲むように動く
>>646 中世に鉄砲なんて無いんだけども、鉄砲の話が出てくるのは近代社会の必然だろう。
「弓矢や槍で戦っていた中世は遅れている、鉄砲が近代の幕開けを築いたんだ」と言わないと
近代人としてのプライドが許さないのだろう
この体当たり君はニセモノだな
前に賛同者のいなかった逆の立場のヤツが腹いせに成りすましたか
>>645 ならV字に布陣すればいい事、それで半分は使える
それ以前に有効射程100mの先込め銃を千丁使う話をしている
ごまかすなよ
何か言いたいことはあるのかもしれないがいちいち飛躍しすぎててついていけない
>>647 その騎兵も元々は戦車から始まるしね
考えてみると古代ギリシャからあんまり戦術って変化無いね
馬鹿げた妄想だが
仮に1000丁の火縄銃が横一列1kmに並んだとする
敵が中央に突撃してきたら有効なのは200丁くらいだ、残り800丁は射程外
火砲はまず集中を考える、密度なんだよ、重要なのは
>>651 側面から包囲されるし、同士討ちの危険すらある
どうせV字に陣形組むなら楔形に成りそうだな
657 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 15:26:57.67 ID:D33kvIsw
誰がバカかわからなくなるからIDだせよ
658 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 15:29:54.90 ID:bmJI6bWQ
左巻きにぐるぐる戦場が動くんだろーな
人間右利き多いし
>>651 あと本当に千丁の火縄銃があったかどうかも謎だ。
豊臣秀吉が関白になって作った歴史などは徹頭徹尾、豊臣秀吉に都合のいい捏造が大半だし、
江戸時代の歴史も徳川家に都合のいい話だしな。
織田軍が使用した銃の数はせいぜい50丁だったということも、ありえる。
ただ50丁でも発射時の音が大きいので命中率はゼロに近くても武田軍の馬が
混乱して暴れて乗っていた武者を振り落とし、武田騎馬隊は逃げたということもありうるじゃないの
>>658 逆じゃない、右回り。
左足前で左に回るのは難しそうだが。
馬が暴れだしたら、人間の力では制御できないからな
「鉄砲が近代の夜明けを生んだ」なんていう話は史実から言えば嘘だ。
日本は鉄砲が伝来しても19世紀中ごろまでは封建体制だし、西洋も20世紀の前半までは
ドイツ帝国のように皇帝が政治を行っている国があった。
こうした歴史を見れば民主化、近代化と鉄砲は無関係とも言える
663 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 15:42:07.15 ID:D33kvIsw
連投規制糞緩いからうざいな…
664 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 15:48:23.67 ID:bmJI6bWQ
近代戦でも鉄砲が何の役にも立たない戦いはあるわけよ。
有名な日露戦争の旅順攻略戦がそうだ。
旅順攻略戦の日本軍は大砲で敵の要塞に穴を開け、その穴に突入して剣で
白兵戦をしたのだから、極論すると鉄砲が無くても成り立つ攻略戦だった。
>>663 いや「火縄銃を手にした農民は騎士よりも有利に立った」なんて意見を見たら腹が立つのよ。
戦いには機動力や経済力の問題もあるし、命中率の悪い単発銃で走る馬を狙撃するのが、どれほど困難かわかってない。
667 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 15:54:35.14 ID:91BTHkaU
>>663 土鍋は文体に特徴あって電波なことしか言わんから分かりやすいじゃないか
このスレ定期的に小学生の想像する戦場みたいな展開で加速するな
ソース要らずなのが受けるのか、文句言いつつ参加者多い
>>668 オタなんて語れる契機、鵜の目鷹の目で探してるのが多いからだろ
だから電波と気づいても必死に触っちゃうw
明治時代の日本が三段撃ちを宣伝したのは、韓国のウリナリ起源説と同じだろ?
韓国は西洋文明は韓国で生まれたと言い張るが、それと同じコンプレックス心理だよ。
「ナポレオンが生まれる、はるか前の16世紀の日本に三段撃ちという近代戦をやった人物がいたのだ」
と嘘を言い張ることで歪んだ虚栄心を満たしたのだ
ウリナリ起源とは?
バラエティー番組のこと?
>>670 江戸時代の逸話がどうやって西洋コンプレックスに結びつくんだ?
そこで出てくる名前がナポレオンなのがまさしく小学生
三段撃ちは、クルクル入れ替わって慌しいから、低い命中率がさらに下がると思う
『甫庵信長記』だと教えられて明治の人が考えたではなく宣伝したに修正したか
感心感心
ナポレオンの三段撃ちwwwww
>>672 江戸時代の小説はアホ相手に面白ければ何でもありというフィクションで書かれたものだろ?
里見八犬伝みたいなものだよ
通称土鍋だけど、実際時代劇スレで日本は昭和になっても鉄が無くて土鍋だったの人とは別人だよね?
>>673 ナポレオン=小学生という図式はおかしい。
なんか三段撃ち君のせいでナポレオンって字面だけで笑えて来たわwww
鹿鳴館を知っているだろ?
明治時代の日本人はコンプレックスが凄まじいので鹿鳴館を作って西洋人相手に
「我が日本は古来から、このような西洋建築を世界に先駆けて作っていたんです」と嘘を付いていた。
三段撃ちはそうした時代のコンプレックスを慰めたんだよ。
三段撃ち君は自分の妄想をソースにしてしまう人なのか
この話題で出てくる西洋側の名詞がナポレオン、ネイ、ワーテルローなのが凄いw
話がズレすぎ
鉄砲以前の話をしようぜ
三段撃ち君は自分でスレ立ててそこで思う存分暴れればいいのに
三段撃ちがもの凄い画期的発明と思ってるからこそ出てくる理論だなw
>>666 悪魔の数字・・・
は置いておくとして、
集団戦で狙撃の必要は無いかと。
集団が集団に向かって撃つだけ。
マッチロクやフリントロックの時代では一般兵に標的射撃訓練なんて殆んど無かったし。
プロシア軍に到っては1806年以降のグナイゼナウの軍制改革で、やっと一般兵への標的射撃訓練が始まった位だから。
狙撃は一部のシャープシューター(アメリカの民兵も射撃の腕前だけならこの括り)が担っていた時期が長かったかと。
>>683 中世の西洋の騎士が乗っていた馬は鎧で重たい騎士を支えるための大型馬で、
体重は1トンぐらいある馬だ。
さらにその馬も鎧を付けていたのだから、ガンダムに近い。
ガンダムが槍持って走るイメージだ
その半分もねーよwwww
そしてモンゴルポニーに敗れた
ネタが無いのに盛り上げるためにわざと馬鹿の振りしてくれてるんだろこいつ
ありがとな
だけど燃料としては低品質なんだよな
ソースねえからなー
うんこーとか書いてるのとかわらん
平将門は騎馬隊を率いていたと言われるが、平将門の時代の関東平野は泥沼の湿地帯である。
湿地で騎兵が役立つとは思えない。
泥に埋まるからだ。
すると平将門の騎馬隊はフィクションであり、実際には泥の上を滑るサーフボートのようなもので
泥の上を移動したと新説を唱えたい。
ムツゴロウの漁で使うようなサーフボードだ。
もうちょっと高品質な燃料を頼むよ
うんこー
せめて律令時代の牧の位置確認してから…
698 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 16:48:28.41 ID:bmJI6bWQ
>>689 ペルシュロンなら1t超えるよ
物凄く大きい馬だ
三段撃ち否定論の妄想している正解が1000丁のうち200丁しか使えない馬鹿げたもんになってる
1000丁を横一列に並べるなんてありえないんだわ
>>698 そこまで大きいのは19世紀になってからな
ペルシュロンの改良も騎士の時代終わってから
極力多くの銃を有効にして短時間に集中砲火を浴びせると考えるのはあたりまえだろ
1000丁のうち200丁しか有効射程内に無いなんてマヌケな事はやらない
>>701 今のように大型化したの大革命の後だからね。その前でも16ハンドほどあって大柄の部類だけど
705 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 17:17:11.21 ID:bmJI6bWQ
>>705 それは馬の用途・体格を示すもので品種じゃないぞ。
デストリアと分類される中にペルシュロンの系譜も含まれてたと言う方が
707 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 17:34:15.02 ID:bmJI6bWQ
>>706 馬は遺伝子汚染が酷すぎて、何がなんだかわかんなくなっちゃったよw
デストリアもデステアーも同じだと思ってた
もう少し調べてみるよ
>>707 どっちもDestrierをカタカナに直したものだと思う
709 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 17:49:47.18 ID:bmJI6bWQ
>>708 種で書いてたり馬格で書いたりマチマチなんだ
信頼出来る出版物で調べたい
明日雨みたいだからそこらへんから探してみたいしね
710 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 17:50:57.30 ID:D33kvIsw
本の山から馬の世界史をたまたま見つけたぜ
まあ今は中公文庫でててるんだが
13世紀から15世紀のヨーロッパは体高が170-180cmとか
でかすぎねえ?
>>710 ヘンリー8世の時代でもそこまで達してないからでかすぎるね
イギリスは…実は長弓以外すべてしょぼいのではないだろうか
のちに海洋国家になるけど
長弓もかなり伝説化された兵科に思えるが
かといって別にイギリスを過小評価したいのではなく、戦術を含む総合面では
強国であったとは思う
要塞以外は別にしょぼくないよ
中世でもノルマン王家が狂うまでは大陸でブイブイ言わせてたしな
要塞だけは300年くらい時代遅れ
717 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 18:16:22.56 ID:bmJI6bWQ
馬に乗って武器持つと丁度歩く人間の顔あたりに武器が届くのも良くわかったし
これは怖いよ
大変だ
718 :
名無し三等兵:2013/12/18(水) 18:46:17.84 ID:bmJI6bWQ
ハルバードもグレイブも馬に乗れない人間が馬に乗った相手と戦うための武器なんだなってのも良くわかったし
今月の歴群で薔薇戦争特集してるけど、ヘンリー6世面白すぎだな。
>>710 馬の世界史、面白そうなんで尼でポチろうとしたら11月発売なのに未だ取り扱い無しに?
書店に寄って来ればよかった・・・
>>713 問題は産業革命付近になるまで、
イギリス兵は陸上ではあまり数の動員ができないことだな。
タウトンも天下分け目というにはちょっと両軍少ないように見える
犠牲者の割合はすさまじいが
100年戦争の英軍も半分くらい反オルレアンのフランス人だしな。
そもそも国王からして半分フランス人だし。
薔薇戦争のヘンリー7世もフランスに支援されてたし。
バノックバーンの戦いでロバート・ブルースとの一騎打ちに敗れたイングランド側の貴族も
フランス系の名前だな
>>723 そもそも100年戦争時代だとまだイギリス人(イングランドか?)って自覚ないだろ
726 :
名無し三等兵:2013/12/19(木) 20:20:46.52 ID:cNaOaOWL
ハンニバルが使用したアフリカ象などは古代中世においては最強レベルの白兵戦兵器だろう。
弓矢を撃ちまくってもアフリカ象を即死させることはできないし、死ぬまで暴れる。
アフリカ象に分厚い皮の鎧を着せていたら、弓矢で殺すことも難しい。
ただ寒さに弱く、餌も大量に必要とするのでハンニバルがアルプスを越えて運んでいる最中に
死にまくったとのことだ。
銃そのものは13世紀には発明されていたという説はあるが、
当時の銃はライフリングが無いため命中率が低く、弾込めも困難であるため
合戦においては「自殺兵器」になる。
命中率が悪い弾を一発撃ったあとは、弾込めでマゴマゴしている間に走ってきた敵の歩兵
に槍で突き殺されるか、敵の騎兵に踏み潰されただろう。
鉄砲が活躍するのは、中世のあとの近世からだ。
近世でも、大量の馬車や大型帆船などを使って十分な補給をしないと鉄砲を使った戦術は
弾切れによって継続性が無かった。
>>727 最後まで上げてろよ。NGしやすいように
素人は「いやーしかしですね、大航海時代に白人が黒人やインディアンに対して
有利に立てたのは鉄砲があったからでしょうよ」と言うだろう。
これだから素人は困る。
帆船で大西洋を横断してアメリカ大陸に補給をしていた時代にはヨーロッパから補給の船が到着するまで
早くても「3か月」かかるのだ。
なにしろ帆船は風任せだからだ。
嵐などで補給船が遭難でもしたら「補給ゼロ」である。
「では帆船による補給が困難であった時代にどうやってスペイン人はアメリカ大陸を侵略したのですか」と素人は聞くことだろう。
それはスペイン人が持ち込んだ伝染病にインディアンが免疫が無かったから、伝染病でインディアン側が弱体化したからだ。
また大航海時代のスペイン人は当時の銃の命中率がお粗末で、弾の補給も期待できないから
「剣と鎧と馬を重視」していたのである。
初期のインディアンは馬を持って無かったので馬でインディアンよりも早く移動し、
鉄の鎧と洗練された西洋剣術で撃破していった。
インディアンは鉄の武器を持っておらず、石斧や棍棒だったからね。
…土鍋が中途半端にまともなこと言ってるだと…
だから天気が荒れてんのか
「火薬兵器」そのものは少なくとも中世の時代には中国やヨーロッパで使われだしている。
すでに中世には火炎放射器は使用されており、当時では火炎放射器も最強レベルの兵器だ。
「火炎瓶」と聞くとノモンハンや学生運動を連想する人も多いだろうが、
火炎瓶も中世においては局地的に使用されている。
中世のレベルなら大勢の人間が走って行って火炎瓶を一斉に投げる戦術は
かなり強力である。
鉄の鎧を着た騎士も火炎瓶を食らえば蒸し焼きになる。
大量に火炎瓶を投げて炎の壁を築けば敵の騎兵も止めれたはずだ。
いいからID出しとけよ
南米に関する「銃・鉄・菌」は銃を過大評価しすぎ
むしろ馬だろw
中世における最強の防御兵器は何か?
それは「山の上に築かれた城壁を持つ城」である。
山の上ではローマ軍やモンゴル軍がよく使った「投石器」で石を投げても届かないし、
犠牲覚悟で接近してロープやはしごで城壁をよじ登るしか無い。
城壁の上から石を落とされる状態ではしごで城壁を登るのは死亡率が凄まじく高かっただろう。
中世における「最強を超えた超最強の防御兵器」も書いておこう。
それは日本のように「僻地で海に囲まれ、台風が来る島国」である。
いわゆる「天然の要塞」であり、これはフビライハンも大航海時代のスペイン人
も攻略できなかった。
>>735 その頃の元は変に余裕があって包囲戦をよくやっただろ
要するに敵の餓死待ちだ
たまに黒死病などの死体を投石機で投げ込んだりする
古代から中世にかけての海戦はあまり面白くない。
それは「衝角による体当たり」が最強の戦法であり、衝角で体当たりされてきたら
なすすべも無く沈没するしか無かったからである。
「角で突っ込むだけ、たったそれだけ」という海戦は牛のようなものだ。
>>737 城を作るほうも馬鹿では無いわけで「包囲できない地形」を選んで城を作っていたりする。
包囲できない地形とは第二次大戦の独ソ戦のレニングラードのように背後に海や湖などがあり、
包囲が困難な地形だ。
毛沢東がゲリラ戦で篭城した山なども、「面積が日本列島ぐらいある巨大山脈の類」なので包囲が物理的に困難だった。
逆に簡単に包囲される地形に城を築くこともあったが、これは「捨て駒」であり、
そこに敵を引き付けて「時間稼ぎ」をしたり、敵を疲労させるのが狙いだ。
中世においては「宗教」も最強レベルの兵器と言える。
中世のイスラム軍団も強かったわけだからね。
イスラム軍団の強さの秘訣がすべて宗教とは言わないが、「宗教的狂信」が強さを支えたのは事実だろう。
現代でもカルト宗教を狂信して集団自殺したカルト教団もあるわけで、
「教祖様のおっしゃる通りに突撃して死んだら来世は天国に行ける」と狂信していたら、
そりゃ中世のレベルではかなり強い。
今では中国に弾圧されているチベットも中世においてはチベット密教を狂信し、
なおかつ野蛮性や山岳民族特有のスタミナでけっこう強い国だったと言われるからね。
まずは後漢末から上げろよw
レニングラードの例はまずいわww
ヒットラーの戦略ミスだろ
補給線を叩いていたら落ちたのは確実
毛沢東は兵力分散更衣かでのゲリラ戦争だろ
ガリア戦記も頼むわ
?
投石も中世においては強力な兵器のひとつである。
弓矢の矢と違って調達が楽だからだ。
地面の石を拾えば、それでいい。
プロ野球のピッチャー並の名手もいたであろうし、木材、鉄の歯車、家畜の筋や毛髪
などを組み合わせて作った投石器を使えば、大きな石や火薬の入った樽も飛ばせた。
ただ敵側が投石器を警戒して堅牢で分厚い城壁を築いていた場合は投石器で岩や火薬の入った樽を
投げても破壊は困難である。(可能であった場合も時間をかなり消費する)
?
投石紐ってわざわざ陶器焼いて弾作って投げてたような…
古代エジプトのピラミッドを見たらわかるように、すでに紀元前において巨石をブロック状に加工して
精密に積み上げる建築技術はあった。
古代ローマもレンガやセメントを利用して、かなり堅牢な城壁を築いている。
そうした城壁を攻城戦においてロープやはしごで上らされた末端兵士は地獄だっただろう。
今日のような大砲が無い時代には、たとえ「土の壁」でも手ごわい。
土の壁でも厚みがあれば弓矢を防ぐからだ。
槍
ガリア戦記
その出だしは、前書きも導入部分もなく、いきなり次の一句からはじまる。
「ガリアはそのすべてをふくめて、3つに分かれる。
第一は、ベルギー人のすむ地方、
第二は、アキテーヌ人のすむ地方、
第三は、彼らの呼び方ならばケルト、われわれの呼び名ならば、ガリア人が住む地方である」
「三国志のドラマでは関羽が長刀だけで突撃しますが、ありゃどうなんですかね?検証してください」という意見もあるだろう。
まず関羽は白人、ないし白人とのハーフだった可能性はある。(今でもウイグル自治区に白人がいる)
さらに幼少時からイノシシの肉や川魚などを食いまくっていた。
これなら関羽の体格が立派でも納得は行くだろう。
さらに関羽が突撃するさいには、敵の弓矢を防ぐために大きな木製の盾を持ったお供が付いたと仮説したい。
これなら関羽を弓矢で殺すのは無理だ。
盾を持った10人のお供と一緒に関羽が敵陣に突入し、そこで関羽が長刀を振り回すならば
敵陣はかく乱されただろう。
また出産時の女性には瞬間握力が500キロに達する女性もいるそうだから、
関羽はなんらかの方法で常時握力500キロを出せたと仮説したい。(針による活性化、麻薬、鍛錬などによってだ)
関羽がなんらかの方法で常時握力500キロのゴリラ並だとしたら、100キロの重さがある長刀を軽々と振り回せる。
現役時代の王貞治がバットを振るスイングスピード時速170キロよりも速かったかも知れない。
まさに人間兵器である。
さらに握力500キロの関羽は城壁もロープなしでよじ登れる。
だがそうなると呂布は600kgだった可能性がある
そして項羽は1トン
水滸伝には虎を素手で倒す男が登場する。
これも創作の疑いは強いが、全て嘘とは言い切れない。
出産時の女性に瞬間握力500キロに達する女性がいるということは、
男ならさらに瞬間握力が上昇し「瞬間握力1トン」で死に物狂いで虎の首をへし折った
ということは理論上はあり得る。
>>751 関羽が使っていたのは60kg弱の大薙刀だろ
握力500kgもいらないよ
現実的に身体能力は今現在のオリンピック選手未満でお願いします
>>753 現代の医学で検証されている科学的データーから考えて、
「三国志や水滸伝の武勇伝は全てが嘘とは言い切れない」が本当なんだな。
もちろん嘘かも知れないが、絶対にありえないとは断言できない。
>>756 それはおかしい。
なぜならオリンピックは「のんびりスポーツをできる環境にある人間」しか出れないからだ。
しかし、「スポーツをする余裕の無い山岳民族」のなかには肺活量が凄まじくて、
現代のマラソン記録を軽く抜く奴がいるかも知れないのだ。
人類は退化している
>>757 間違えた,関羽=ネアンデルタール人説な
考えて欲しい。
世界中の人類の先祖は遺伝調査によると、アフリカで生まれたという。
では弓矢すら発明されてなかった時代のアフリカにいた我々の先祖はフルチン状態でどうやって
ライオンやジャッカルから身を守ったのか?
石を投げるだけでライオンの群れに勝てるとは思えない。(ライオンには石をかわすだけの運動能力があるからだ)
その謎を解く鍵が前述の「出産時に瞬間最大握力500キロに達した女性がいた」である。
瞬間最大握力700キロぐらいでライオンを負傷させて、決死で突破口を開いたと思われる。
むろんライオンの爪や牙で人間側も瀕死の重傷を負ったであろうが。
妄想なら小学生でもできるんだが
こいつはなんとかならんのか…NGできんし…
握撃ッッ!!
>>763 人類の先祖が二足歩行に転換していった時期のアフリカに
ライオンがいると思ってる反知性に何を言っても無駄だ
同時期にライオンはいたはず(今より生息範囲は広かった)
だが二足歩行時には森林に猿人が住んでおり,遭遇する確率は低かったと思われる
樹上のヒョウに喰われた猿人はよくいたみたいだが
中世には麻薬取締りなんて無いのだから、突撃時には麻薬効果のあるスープを飲んだ
ということは、普通によくあったと思われる。
すると貧弱な兵士でも麻薬効果で恐怖や苦痛を忘れて、エクスタシー状態で死ぬまで戦うような
こともありえたはずだ。
いわゆる「背水の陣」も麻薬スープの効果によるものかも知れない
アサシンの東洋版ですかw
やるしかないなら人間はなんでもするからなぁ
死体何日も被って伏兵して襲い掛かったりなんて例はいくらでもある
江戸時代の山村なども、よくそんな環境で人間が生き延びて子孫を残せたと思うんだよ。
北極のエスキモーも昔は銃を持ってなかったわけで、よくあんな生活で生きれたものだ。
南米アマゾンの先住民もよくまあフリチン状態で生きてきたもんだと驚く。
つまり古代中世を現代の先進国の常識の枠内で考えたらいかんのだ。
俺なんかエスキモーの生活したら、1日で死ぬかも知れないし、我々の常識や感覚を
超えた世界がそこにあったわけだろ。
さわるからいつくんだろ。スルーしろよ
詳しくないが,事実ならそんな習慣があった記録が無いのが不思議
>>769 太平洋戦争の話でも日本兵はジャングル戦で感覚が動物のようになっていたから、周囲が腐乱死体だらけで
物凄い悪臭がしても、気にならず、平気でそこで寝ていたという話があるからね。
ハイエナみたいな感覚になっていたんだろう。
麻薬なんて無くても掛け声と檄で幾らでも突っ込んでたでしょ
ガリア戦記の中のガリアの部族も金の腕輪だけ付けて裸で暴れまわる部族とかも居たみたいだし
中世じゃなく、日中戦争の時代にタイムスリップしても俺は死ぬと思う。
戦死じゃなくて、餓死しそう
>>774 そのフリチンの原始的ゲルマン人は村の呪術師の催眠術や北欧神話などへの狂信からバーサーカーと化して
瞬間最大握力500キロを超えていた可能性もある。
それぐらいじゃないとフリチンでローマ軍と戦えたとは思えない。
さらにフリチンのゲルマン人は鹿やイノシシの肉なども豊富に食べて栄養があったんだろう。
大東亜戦争でも日本軍の6割が餓死
中世の傭兵団とかも居つけばまんま強盗団だったろう
>>777 生計のために出稼ぎに送り出した傭兵でも戻ってくると
治安悪くなるから帰還禁止しようとしたりな
鯨を銛で人間が突いて漁をしていた時代だ
生きるためなら人間なんでもする
妖術師なんてのも、それが催眠術だとすれば、ありえたわけよ。
幼児期から催眠術のトレーニングを積み、笛や太鼓で敵兵を催眠状態にして
モンスターや砂嵐に襲われる幻覚を見せたりとかさ。
今でも催眠商法なんてあるじゃない?(催眠術で高価な壷を買わせたりとか)
そういう能力があったから尊重されたと考えてもいいはずだ。
何の能力も無いけど尊重されていたとは思えない。
卑弥呼もそうした類じゃないかな?
>>779 そういうことができる人だけが生き残り、できない人は子供のうちに死んでいたんだと思う。
江戸時代の環境でも30歳まで生きるのは、よほどの強運と生命力が無いと難しいからね。
めんどくせえなぁ馬鹿は失せろよ
乳幼児死亡率が低いだけでそこ抜ければあとは普通に生きられるんだよバカか
>>782 そこ過ぎても普通に病気や餓死で死ぬわw
生きて生活するという価値が今よりも尊い世界だったんだなぁと
傭兵で足や腕が無くなっても保証も無いし
上智大学の鬼頭先生の調べによれば
明治末期の1万人以上の死因として,下痢,腸炎,脳膜炎,肺炎等23種をあげている
脳膜炎はどうか知らんが食い物関係が比較的多いのか?
それと江戸時代後期は小氷河期で餓死者も多いと考えられるらしい
>>785 富士山の爆発や地震もあった
食そのものも備蓄や保存出来る食料ばっかりだし、日本の植物を調べてもそれが食用になるかならないかが直ぐに分かる
速見先生の弟子の鬼頭先生だったか
まあ地方か都市化によっても違うしな
そもそもスレチだがw
不利な条件なぶんだけ普通に死にまくってるから別に昔の人が強靱なわけじゃないよ
どんだけ食で苦しんだのか調べれば調べるほどわかる
そんな中で軍隊の維持ってどんなだったんだろうかと考えるとねぇ
そんな中で100万とかの軍動かしてるからなw
>>788 凄く大事な事だと思うんだよね
兵站の維持ほど軍隊にとって大切なものは無い
兵站が維持出来なけばそのまま消えてしまうし
食料で苦しんだのは世界仲一緒だしどこの話だよ
100万とかいつのいつの時代の何の話だよ
消防かお前らは
55 名前:世界@名無史さん [sage] 投稿日:2010/01/17(日) 03:07:11 0
しかし500万とは凄すぎる。
一回の戦闘で動員した兵力としては世界記録だろうな。
58 名前:世界@名無史さん [sage] 投稿日:2010/01/17(日) 13:08:33 0
>>55 甘いな。
1277年3月に元軍がビルマのパガン朝に攻め込んだンガザウンジャンの戦い。
パガン軍は元史の記述によると兵数45万、象800、馬万匹。
対する元軍はビルマ側の記録だと騎兵600万、歩兵2000万。
モンゴルなんかも馬で軍団が維持と集団統制とれる限界まで広がってから土着の文化に広がって巨大な連邦国家みたいになったし
>>792 兵站の維持という側面から物事を考えないと
単純に戦術だけで云々とか、ピュロスの勝利じゃ駄目じゃん
折角人類の歴史の根幹に触れるのだから、生きた人間の感覚としての世界史に触れたい
昔のひとは軟弱な現代人と違って補給無しでも大丈夫だった
>>796 ダメでしょw
補給するためには現地の人達と同化するしかないぐらい選択肢は少ない
毎年戦争していた訳ではないから
屯田兵の発想があっても良かったのでは?
身分制度で採用されなかったのかな
799 :
名無し三等兵:2013/12/20(金) 13:33:20.72 ID:QCekGR1I
中世の西洋は野生の狼の群れが多かったはずで、銃の無かった時代には脅威である。
いや、当時は日本も野生の狼が多い。
つまり当時は弓や刀の腕があり、狼を撃退する力が無いと移動中に狼の群れに食い殺される。
噛まれただけでも傷口の消毒ができないと死ぬ確率が高い。
殺虫剤が無いからイナゴが大量発生すると作物は壊滅した。
殺虫剤が無い時代にはイナゴの群れが悪魔に見えたはずだ。
土鍋はしんで、どうぞ
17世紀のドイツの宗教戦争でも戦乱による荒廃で難民と化した人々を狼の群れが襲いまくっている
独ソ戦でも孤立して弾が尽きたドイツ兵は野生の狼やヒグマにやられた
アメリカ開拓時代でも食料の補給ができないから、白人はインディアンと同じ食生活を送っていたのだしね
室町幕府をひらいた足利尊氏は補給やサバイバルの達人でもあったということだな。
ここまで土鍋の自演
土鍋が俺だ
コンビニが無いと生きれない私は中世では戦力になりません。
現代のブラック企業にすら付いていけない私は中世なら自殺したかも
当時は多死多産戦略だから死にたければ死ね
それで中世社会には何の影響も無い
居酒屋ワタミでバイトして鬱病になった人が中世の十字軍の遠征に徴兵されたらどうなるんだよ
十字軍は騎兵以外は徒歩だからきつい
徒歩で砂漠を行くのは自殺に近い
階級社会を最初から刷り込まれてたらあんがい違和感ないかもね
中世の生産についても考えるべき。
プレス加工の大量生産ができないから、大勢の鍛冶屋が寝ずに矢じりや刀を製造し、城壁の建造に動員された百姓たちもボロボロになるまで建設作業をし、
女性や子供たちも必死で靴や服を手作りで作った。
鉄鉱石、砂金、石炭を掘る鉱山もツルハシでの手掘りゆえ、人間機関車のような労働が求められただろう。
中世は後方支援も地獄である
>>812 封建時代というのは祭りが多いのだよね。
江戸の街なんか1カ月に1回の割合で大きな祭りが開催されている。
古代ローマのパンとサーカスというか、過酷な社会構造ゆえに人々のストレスを発散させるイベントの
開催をしなければ反乱が起きて封建体制の維持は難しかったということだ。
日本人はコメ作りで忙しいが、モンゴル軍は遊牧民ゆえに食料調達が楽だった。
草原で放牧してる馬の乳を飲んだり、羊を食ったりの生活だから、目の前に肉が大量に存在した。
またモンゴル人の住居はテントだから、家を建てる苦労も日本に比べると無い。
こうした生活ゆえにモンゴル人には空き時間が生まれ、その空き時間を軍事力の強化に充てれた
ことがモンゴル帝国の強さを生み出した
北米のインディアンは白人が来る前から部族間抗争をしており、彼らなりに他部族に勝つための創意工夫をしていた。
まず有名なのがビーフジャーキーやペミカンといった保存食だ。
次にインディアンは強い子孫を残すため過酷な成人の儀式があった。
そこには勝つための凄まじい努力があったわけだが、なにゆえか白人が来るまでインディアンには
鉄の武器が作れなかった。
>目の前に肉が大量に存在した。
あんな痩せた土地でこれは無いわ
モンゴル人は無から馬を生む特殊能力があるとか思っちゃってるのかねえ
土鍋はどんだけモンゴルが過酷か知らないんでしょ
そもそも遊牧民族と農耕民族は交易という形で繋がってる
妄想の中のモンゴルだからなあ
技術も作る必要も無ければ作らないし、無ければ無いで代用するだけ
木の棒に鮫の刃や黒曜石を括り付けた剣や槍でも充分な世界だった
馬にしてもアメリカ・インディアンの馬は元々はスペインがもたらしたもの
元々鉄にしても隕鉄を得た人間達から始まった技術
太陽や月、星のみでしか規則性のある己の世界を図り得る手段が無かった世界の時代の話をしている自覚が無いと、当時の状況は読み取れない
握力500キロはちょっと面白かったけど、それ以降の話は全くキレが無いな
ごくごく稀に「火消し強盗」とか、イカした(死語)ワードを生み出すことがある
確か関羽は白人の血を引き
怒りまくったら握力500kgで大薙刀を振り回すってトンデモ説だったけ?
火盗改を素で間違えたと
日本刀大好きみたいだし、時代劇大好きなんだろーな土鍋
最悪板でやってくれ
>>828 なんというか赤鬼って感じの肌の色してんなw
ドーピングしたらそんな感じになるんじゃない?
831 :
名無し三等兵:2013/12/21(土) 03:18:01.33 ID:0a1vdqVC
名古屋は信長の野望だよ
信長の野望・創造
http://www.gamecity.ne.jp/souzou/ <尾張出身>
織田信長、豊臣秀吉、源頼朝、前田利家、柴田勝家、丹羽長秀、佐々成政、前田慶次、森蘭丸、お市の方
加藤清正、福島正則、蜂須賀小六、山内一豊、浅野長政、池田輝政、堀尾吉晴、北政所、芳春院、池田恒興
織田信秀、織田信忠、大政所、朝日姫、豊臣秀長、豊臣秀次、羽柴秀勝、織田信孝、織田信忠、織田信雄
佐久間盛政、浅野長政、大久保忠世、増田長盛、織田有楽斎、織田信行、織田信包、平手政秀、村井貞勝
松井友閑、太田牛一、前野長康、中村一氏など
<三河出身>
徳川家康、本多正信、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、足利氏、山本勘助、服部半蔵
鳥居元忠、小松姫、本多正純、於万の方、大久保忠隣、加藤嘉明、平岩親吉、茶屋四郎次郎など
すべて愛知県民だ。戦国武将や武士の故郷・尾張三河
源氏の武家政権、そして日本の主要都市のほぼすべてを愛知ケンミンが作った
愛知県は、お寺の数、城・城跡・武家屋敷の数が全国1位
NG登録めんどい
833 :
名無し三等兵:2013/12/21(土) 12:06:18.81 ID:hpaMGEOP
>>819 今のモンゴルと中世のモンゴルは違う。
中世のモンゴル人は草を求めて家畜とともにユーラシア大陸を縦横無尽に移動する。
インドや東欧にも行ってる。
常に草がある場所に移動するのだから、家畜も繁殖して乳製品や肉は豊富でした。
>>825 科学的にありえる話を書いている。
出産時に瞬間握力500キロを出した女性がいたことは証明されているのだ。
人類の先祖がアフリカで生まれたならば、隔世遺伝によって猿人、黒人、白人の遺伝子が
黄色人種に出ることはありうるのだ。
これなら関羽の片手の握力が1トンということもありえる。(両手で2トンだ)
関羽がそういうタイプで腕がゴリラ並なら重い長刀を高速回転できる。
長刀が頑丈ならば馬でも切り裂けるだろう。
原始時代は弱い幼児はすべて幼児の段階で死んだだろう。
弓矢すら発明されてなかった初期の原始時代にはただの石と腕力だけでサーベルタイガーやサイと戦ったのだ。
「そんなのありえねえよ」という条件で先祖は何十万年も暮らして子孫を残された。
すると過酷な原始時代の次の古代社会とは「北斗の拳みたいな奴しかいない世界だった可能性」が高い。
原始人は頭も賢かったはずだ。
馬鹿ではライオンに食い殺されて絶滅していただろう。
ただし頭が良いとは現代の官僚のようなものとは違う知性だ。
受験予備校とは真逆の方向にある知性とでも言おうかな。
それから原始人とその孫である古代人は視力や聴覚も動物並みだった可能性がある。
それから言っておく。
中世とはルネッサンス、マルチンルター、カルヴァン、啓蒙思想、マルクスなどはまだ無いし、
仮にそういうことを言う人間がいたら西洋でも火あぶりにされた。
つまり今日の常識は通用しない。
近代、現代ってのも、そんなに威張れるほどの文明じゃないと思うんだな。
歯科治療が進んだのはありがたいが、公害、恐慌もあるし、自殺も多い。
現代文明がスターリンや毛沢東を生んだのだし、「現代=狂人」という図式すら成り立つ
餃子の王将チェーンの社長は狂人で、それをピストルで撃ち殺した人間も狂人という
狂人の連鎖が現代文明の特徴である
だいたいな。
リーマンショックの後のアメリカ、中国、日本は紙幣を大量に印刷してばら撒くことでのみ
社会が維持されている。
つまり、それすら破綻したら「もう終わり」かも知れないのだ。
ニューヨークがただの廃墟の遺跡と化すやも知れぬ。
そうした現実を踏まえて、よく考えてくれよ
握力500キロの人間が土鍋で飯を炊く時代がくるわけだな
握力500kgなら骨から筋肉剥がれるか筋肉が切れるか骨が砕けるかだ
物理的な強度を無視するな
>>842 仮説で説明しよう。
1、過剰な握力で腕が裂けることを防ぐために、腕に荒縄や鎖を巻いて強度を増す。(追加装甲)
2、骨や煮干しのスープを飲んでたりしてカルシウムを補う
3、カンフーの気孔トレーニングで腕や肩が岩ぐらいの強度と化している(空手の瓦割りをさらに強化したような感じだ)
握力500kgの出典って何なんだろうね?
出産時の瞬間握力と同じ事を自在にやれるのが
>>828みたいな連中
リミッターを自分の意志で外せてしまう
ボディビルダーと本物の剛力の違い
三国志演義に影響されすぎじゃない?
古代での最大の戦い白村江の戦いに続く王朝後退だと思っているが?
王朝交代な
>>848 学者さんはどう解釈しているの?
惨敗した天智の近江京移転と天武の関係
850 :
名無し三等兵:2013/12/22(日) 11:49:12.55 ID:aZpU4H0e
>>846 アレキサンダー大王のファランクス戦術もそうとうな握力がないと長い槍を持つこともできない。
ファランクスをやるのは最低握力80キロが必要だ。
アレキサンダー大王の軍隊でも三国志演義レベルの握力が要求されている。
ローマ軍は片手で大きな盾を持つから握力90キロは必要
プロゴルファーとかメジャーの強打者でも大半はファランクス成れんわけだな
昔の人の身体能力は凄すぎる
オリンピックの記録が年々伸びているように、科学的トレーニングの発達した現代の方が、
筋力は上げられそうになるような気もするけどな
成長期の栄養状態だって、現代の先進国の方がいいはずだし
まあ、昔の職人の技術が未だに再現できなかったりするけどな
人類は退化してるからな
>>853 食事にかんしては、必ずしも進歩してない。
縄文貝塚を調べると縄文人はインスタントラーメン食ってる現代人より
いいもの食ってる。
>>854 その手の話はよく聞くけど、
「技術的には可能だが、コスト的に引き合わないのであえてやらない」ってのが多いから、
鵜呑みにしない方がいいぞ
>>857 オーパーツ系もだいたい時間と労働力掛けたら昔の条件でも再現できるのよね
マクドナルドの食事では壊血病になりえるからな
>>856 普通の食事ではありえない肉体が可能になったんだよ
コップ一杯のプロテイン相当の摂取するのにどれほど食わないとならない?
サプリメント1錠相当の栄養摂取するには何kgの野菜食わないとならない?
年々世界記録が更新される
天然ではありえない人体の製造技術が年々上がってる
>>854 オカルト本の主張を信じるなよ
あの手の本は、現代なら町工場でも作れるようなものを、平気で最新技術でも再現不可能とか書くぞ
>>860 はたして現代が飢餓から解放された世界かどうかは疑問だぞ。
たしかに一部の先進国だけ見ればそうだが、新興国の中国は餓えで暴動が頻発するほど底辺層に飢餓が蔓延しているし、
世界全体で考えたら今日でも人類の半分は餓えている。
「いや一部の先進国だけでも飢餓から解放されたら、それは格段の進歩なんだ」と言うならば、古代や中世でも世界全体で
考えたら一部の地域は食料が豊富だったのだから、飢餓からの解放は古代にもあったことになる。
>>863 有名どころが日本刀だな。工場でやっても職人と大して変わらない費用で需要が少ないから
手を出さないのに、匠の技が云々かんぬん。もしも本当に秘伝なら平安から室町にかけて
農村に一軒あってまともな農民なら最低一振り持ってますってレベルに普及しないよ
>>864 論点そらさないでね
重要なのは、現代のアスリートの方が、栄養面では古代の将兵よりも恵まれているんだから、
その気になれば同等以上の体力を得られるはずだってこと
現代歩兵の方が装備は重い
機械化歩兵がーって言うならWW1でも重い
>>862 縄文貝塚を調べると、毎日のように食ってた貝は特大サイズの現代ならかなり高級なハマグリやアサリだ。
魚貝だけではなく、肉、木の実、キノコ、山菜なども食いまくっており、糖尿病になるんじゃないかというぐらい豪華な食事だよ。
それだけに虫歯は多かったみたいだ
>>868 あげてるのの中に糖尿病の主因になるものねーぞ
結局、片手で楯を振り回し、相手の攻撃を防げなかったら死ぬって条件で訓練するから、
皆必死で鍛練するってことだろ
もし楯を構えてのチャンバラが五輪の正式競技になれば、
古代の兵士以上に自在に楯を操る選手が何人も出てくるだろうよ
>>866 現代アスリートは金持ちのスポンサーが付いて金を出してるんだから一種の貴族階級のようなものだ。
それと比較するなら、古代でも貴族的な人間と比較するべきでは?
古代ローマの貴族もかなりの食事をしていたぞ。
>>868 で、それだけの量の魚介類は、常時捕れていたのかな?
生産・流通・保存技術が進歩するまで「安定供給」は不可能だった
当時としては豊かな食生活をしてたからって
科学的知見に基づく鍛錬としての食餌じゃないよ
>>872 縄文時代の最盛期には毎日採れていたようである。
「そんなことは産業革命以前にありえない」と言いたいのだろうが、あったのだ。
それは人口が極端に少なく、なおかつ公害ゼロで獲物が豊富だったからだ
>>873 古代ローマのシーザー軍の歩兵の食事は記録が残っている。
肉と野菜のスープ、パン、チーズ、ワインなど、けっこうな食事だ。
それぐらいの食事を与えないと盾と剣を持って何時間も戦えないし、気を使っていたようだよ。
古代の彫刻とか壁画とか見てもイイ体止まりで筋肉の怪物ってのは無いね
戦争の食事というと、太平洋戦争の日本兵を連想する人が多いようだが、あれは世界史的に見ても異例である。
補給を頭から無視し、「歩兵なんかいくら死んでもいい」という発想でガダルカナル島まで攻め込むような戦いは世界史的にも異例である。
また鬼畜米英を叫びながら負けた途端にギブミーチョコレートを叫ぶのも異例と言える。
戦争をこうした異常な例だけで考えるべきではない
縄文時代とか一万年の歴史の中での出来事だし、日本列島に9つの文化があったような時代の話をここでするべきか疑問だ
あとな。
科学とか進歩とか言ってたら古代中世は語れない。
中世で一番科学が進んでいたと言われるのはイスラム圏かモンゴルであり、
そんな時代を科学だけでは語れない
アメリカ人でもジジイ世代と若者で身長全然違うのよね
飯の差で
>>879 モンゴルっていうか中国な
イスラム世界にしても古代ローマからの流れを継ぐし、ビザンチン帝国だってある
十字軍をやった中世というのを根本的に理解できない人が多いはずだ。
たとえば今の日本人は中世の西洋から見たら、すべて火あぶりや串刺しの対象だ。
「すべての人に人権はあり、誰もが幸せになりたい、豊かさがどうして悪いのか?」とか中世の西洋で
言っても問答無用で火あぶりにされる。
>>882 おい、中世の時点でその主張まじめに議論されてるぞ
>>882 そのレス自体が中世という時代を理解していませんと言っているようなものだよ
>>881 イスラム圏が先進国だった時代は今の日本人には理解しにくいと思う。
アラブ人はターバン巻いて「アラー」と叫ぶイメージしかないはずだ。
土鍋が一人で独自理論展開するも馬鹿にされたり皮肉られたりするだけで終わるスレ
十字軍って歴史の流れだと古代ローマ帝国のパレスチナの領土を取り戻そうって流れなんだよな
>>883 人権思想なんてのが生まれるのが18世紀のフランスだよ。
どうして鎌倉時代に「人権がさー」とか言うんだよ。
>>886 いやそうじゃない。
日頃「もうネットがね、ネット、今はネットでつながってるし、20世紀の昭和とは違うよ」と言うやつが
18世紀の啓蒙思想の枠を一歩も出れない「啓蒙思想チルドレン」であることを暴いてる英知のスレだ。
>>888 全ての人間が神の前では平等だという前提での人権なら、それこそイエスキリストなりブッダの思想なりから始まってる
紀元前からあるってw
>>888 近代人権論の理論的前提はギリシャ古典と初期キリスト教だぞ
お前、人権思想ってなんだか全く理解してないだろ
土鍋の啓蒙活動は説得力ゼロで馬鹿にされて終了
>>887 てか東ローマがイスラムに侵略されて風前の灯だから助けてあげましょってだけだろ
日本じゃ、先にイスラムの侵略があるのにその段階すっ飛ばして西欧の侵略が〜って吠えるアホばっかだが
文化の伝播が人間の生きる一世代と同じなんだ
30年で一つの世代が交代していくんだ
この差は現代ではなお顕著だよ
>>890 ブッダは「俺を土下座して拝まないと地獄に落とすぞ」と言っていた。
仏像を拝んだりするのは、この逸話から始まってるんだが、さらにブッダは「俺にお布施しないと地獄行きだ」
ともインド各地で語ったとされ、平等とかけ離れた世界だろう。
拝まないと死刑なんだから
>>895 仏陀自体は救済者の役割一切してないんだが…
たぶんこの方法で解脱できるからみんなもやってみないと誘ってるだけで
>>893 それに関してはどっちもどっちじゃない?
>>895 >ブッダは「俺を土下座して拝まないと地獄に落とすぞ」と言っていた。
>ブッダは「俺にお布施しないと地獄行きだ」ともインド各地で語ったとされ
なんて本に書いてあった?
ソースよろしく
>>891 奴隷制度があった古代ギリシャに人権はねーだろよ。
古代ギリシャの世界観を書いておくよ。
ゼウスの神=偉い
神の子ヘラクレス=偉い
そこらへんの民衆=馬鹿
オリエント自体が古代から先進文明だった訳で
>>900 奴隷や違う言葉を喋る人間達を同じ人間だと思ってませんでしたって話でしょ?
>>899 本もなにも、東南アジアのタイでも仏像にお菓子のお供えとかして拝むだろ。
>>903 あとは本来対等な関係でも債務や敗戦捕虜として奴隷になるってパターンも
「イスラム教の開祖マホメットは天馬に乗って天国を旅して見聞を広めた」
この話を「そんなアホな」と言う人は中世のイスラム圏(インドもイスラム圏にされていた)では死刑である。
感動の涙を流し、「天馬で天国を旅したなんて、素晴らしすぎます」とひれ伏さないと死刑である。
>>906 アホすぎる
そんな単純なものか
人間を舐めすぎだよ
小学校からやり直せ
「マホメットが天馬で天国を旅したとか、宮崎駿のアニメみたいなこと言ってたら科学も経済も崩壊しますよ」
と思う人もいるだろう。
しかし中世のイスラム圏は当時の西洋より科学も医学も上だし、当時の経済大国だ。
>>907 君は中世をアホだと言う。
では現代はアホではないのか?
黒子のバスケの作者を脅迫していた36歳のオタク親父なんか現代人がアホであることを証明しているはずだ。
>>909 お前がアホなんだよ
人間はそんなに単純なものじゃあ無い
古代人は凄すぎる
現代人は退化しすぎている
>>905 負ければ全てを失うって事が古代では当たり前だったからなぁ
今以上に厳しいね
>>910 君の「人間観」なんてものは黒子のバスケ脅迫犯程度のものだろ?
ではあの黒子のバスケ犯人の36歳のオタク男は複雑かと言えば単純だろ。
嫉妬に狂った猿でしかないんだから。
914 :
名無し三等兵:2013/12/22(日) 14:14:45.48 ID:Od1tOLG0
全員土鍋に見える
キチガイしかいなくなったか
915 :
名無し三等兵:2013/12/22(日) 14:16:39.35 ID:thhJ+mmd
そんなことはないさ。土鍋が踊ってる間は別なことしてればいい
>>893 東ローマ帝国が十字軍によって一旦滅ぼされた事も知らないのか。
黒子のバスケ脅迫犯人である36歳のオタク男がアパートの一室で
「うぎゃー!売れた漫画家は死ね!きちがい!」とか絶叫するのを想像したら
現代もアホだとわかるだろ
黒子のバスケ事件を見るとおり、現代人は知能が衰退している
珍しく延びてると思えば・・・
クリスマス連休?にシングルベルが錯乱しとるのか
>>904 拝むか拝まないか聞いてんじゃねえよ、話をすりかえるな
「俺を土下座して拝まないと地獄に落とすぞ」「俺にお布施しないと地獄行きだ」
このセリフのソースを出せって言ってんだよ
>>916 第4回十字軍ぐらい知っとるが
発端となった情勢とその後起こった事件とを一緒くたにすんなよ
>>898 どっちもどっちなのに一方を単純に悪者にしてしかも人種主義的偏見乗っけて批判するのってどうよ、ってだけだから
しかし土鍋のように自ら警鐘を鳴らせる現代人はやはりすごいのではないだろうか?
人権という言葉が生まれてそこで始めて人権が発生した<-よくあるバカの勘違い
人が人は他の動物とは何やら違うぞと気づいた瞬間に人権は生まれた
人はみんな同列なのかどうかという論争ではかなり揉めたけどな
最近の結論
どうやら人種は優劣には関係ないようだ、何処にでも屑はいる
屑にもせめて犬猫より上の身分を与えねばなるまい
基本的人権、耳障りはいいが人として最低限の権利って事だ
基本的人権以外は全て不平等だからな、勘違いするなよ
あと基本的人権を勝手に拡大解釈するな
>>924,925
自然権を認めるかどうかと、実定法を前提として人権を認める
のかどうかすらまだ決着ついてないぞ
平等思想は昔からある
平等の適用範囲が時代によって変わっていくだけで
土鍋を構ってるのはどの層?
暇人
>>926 だからぁ
そういうの以前から人権は存在してたんだよ
後になって何と呼びどう定義するかの話にすぎない
呼び方違って定義違ったらそれはまるっきり別物じゃねーかw
バカすぎるw
>>930 自然権というものが古代から議論されているけれど、それと人権は
必ずしも同義じゃないってだけ
古代では現状のつとめを果たせば
死後平等の扱いになるぞっという精神的な懐柔みたいなもんだろう
現世において貴族が何れに向かって俺たちと平等だなんていっていない
言ってみれば支配層の民衆,奴隷に現状を納得させる思想なんだろうかと思うが?
スレチなんで余所で布教させてください
そして触らないでください
宗教は含めても良かったんじゃない?
ただし戦争に繋がるものってあるけど浄土真宗なんてもろに戦争に繋がっているんだけどな
どうでもいいやw
布教の意味もわかってないマジ馬鹿だな
マジキチじゃなくて馬鹿
>>933 全く宗教を理解できてないよw
人を裁くには正義が必要だ
938 :
名無し三等兵:2013/12/22(日) 19:39:01.56 ID:st/yw//B
どんな戦争にも理由がある
虐殺にしろなんにしろ理由は絶対にある
無作為にただ己自身の快楽だけで軍隊同士は戦ったりしない
お前が馬鹿であることにも理由あるんかな
940 :
名無し三等兵:2013/12/22(日) 19:50:40.63 ID:st/yw//B
>>939 あるでしょ
馬鹿には馬鹿になった理由がある
>>937 宗教にそんなに幻想もっているなんて
日本人じゃないだろう
日本人の考える神とはまるで違うのよ
聖書、コーラン=六法全書と考えると近い
俺は人殺しは悪い事だと思う<-はぁ?
神が人殺しは悪い事だと言っている<-なら納得するよ
聖書には人は殺すなと書いてある、敵は皆殺しにせよとも書いてある
六法全書より使い勝手がいい
すげー
さすが天才土鍋だ
実にわかりやすい例えだー
そろそろ満足して死んでくれんかな
啓蒙したいなら専用スレ作ってやってくれよ
945 :
名無し三等兵:2013/12/23(月) 15:01:08.23 ID:JQe4tO7J
947 :
名無し三等兵:2013/12/24(火) 09:57:44.30 ID:MP1sV65K
>>924 それは歴史の捏造もいいところだ。
近代的人権が確立されていく過程ではフランス革命などの大虐殺が起きたのだし、
この歴史を見れば「地中海が古代からあったように人権も古代からあった」というのは歴史の捏造だ。
>>933 古代エジプトの宗教では死後裁判を受けて天国行きと地獄行きが決まるという話になっており、
ふつうの人間ではまず天国に行けない。(地獄行き)
つまり慰めにも何にもなってない。
アレキサンダー大王がファランクス戦術で使用した6メートルの槍の重さは定かではない。
釣竿のように細ければ軽いが、それではすぐ戦闘で折れるので当然太かっただろう。
すると槍の重さは最低50キロぐらいあることになる。
50キロの槍はふつうの人間では10分も水平に持てない。
古代の戦争は「末端の兵士一人一人が超人であることが前提」だったということだ。
紀元前202年におきた第二次ポエニ戦争の「ザマの戦い」を検証してみよう。
従来の定説ではハンニバルが突撃させた80頭のアフリカ象の突撃をローマ軍の歩兵が徒歩でかわし、白兵戦でローマ軍が勝ったことになっている。
しかし「80頭のアフリカ象の突撃を徒歩でかわせるか?」という疑問が湧く。
なぜなら現在のオリンピック記録の走者でも「象より足が遅い」からだ。
象の突撃を徒歩でかわすには「最低時速60キロ」で走らないといけないのだ。
ローマ軍の歩兵は時速60キロで走ったのか?
私はザマの戦いに関して新説を提起したい。
それは「ザマの戦いでローマ軍の兵士はアフリカ象と真正面から戦って勝った」という新説である。
象のスピードから考えて徒歩でかわすのは無理だから、ローマ兵士は象に踏み潰されながら集団で槍を刺しまくって
象を仕留めたのだろう。
さらにそのうえでローマ軍歩兵はカルタゴ兵に勝っているのだから
「古代ローマ軍も歩兵一人一人が超人だった」ということである。
太平洋戦争のインパール作戦を狂気と考える人は古代世界の覇者であるアレキサンダー大王を理解できないだろう。
なにしろアレキサンダー大王の軍隊はエジプトからインドまで歩いて攻め込んだのだ。
いわゆる戦後的な「憲法9条」だとか「命の尊さ」という発想ではアレキサンダー大王の狂気は理解できない。
連合赤軍のリンチ殺人を「吐き気をもよおす悪魔の所業」と思う人は中世を理解できない。
なぜなら中世ヨーロッパのキリスト教会は異端や魔女とみなした人間をリンチ殺人しまくったからだ。
「お前が神を信じていたら火あぶりにされても死なないはずだ!死ぬのは神を信じてないからだ!」
という凄い理屈で拷問が繰り返されたのだ。
まあ世界史なんて「受験でしかやってませんから」という奴はよく知らないのだろう。
「世界史なんて知らなくても生きていけますから」とか言うんだろう。
しかし16世紀にマルチンルターやカルヴァンが登場して「宗教改革」をやる前は
西洋でも「宗教に関して自由な見解を述べて論争することは一切許されない」のである。
マルチンルター以前の西洋キリスト教は「厳格」なのだ。
そこらへんの奴が宗教に関して述べることは「ルター、カルヴァン、マルクスの受け売り」なんだな。
新興宗教の創価学会、統一教会、幸福の科学などの教義も「ルター、カルヴァン、マルクスの受け売り」である。
これはどんだけ「ルター、カルヴァン、マルクス」が現代人の宗教や哲学に大きな足跡を残したかの証拠だ
「今はインターネットがあるから昭和はもう古い」と散々言われてきた。
しかし黒子のバスケ脅迫犯の36歳のオタク男を見よ!
ネットがあっても「昭和にもいた底辺そのもの」じゃないか。
人はそう簡単に歴史や宿命が逃げられないのだ。
黒子のバスケ脅迫犯の36歳オタク男は2ちゃんねるに「成功した漫画家は許せない!やつらのせいで俺はボロボロだ」
と恨みを書きまくっていたんだろ?
19世紀のマルクスや20世紀のヒトラーと同じじゃねえか。
60年代に学生運動やってた連中と同じじゃねえかよ。
ネットが普及しても現代人なんてその程度なんだよ。
土鍋はクリスマスイブに何やってんだ・・・
古代中世の戦争が兵士に超人であることを要求したならば、多くの戦乱で命が落とされたことは大損失だ。
もし戦乱が無かったら現代でも三国志の呂布みたいなのがゴロゴロしていただろうに
江戸時代ではなく戦後ニッポンでも70年代までは高齢者は今より少なく珍しかった。
戦後でも70年代までは多くの人は60代になる前に死亡していた。
そりゃそうで50年前の医学じゃ長生きできるほうがおかしい
黒子のバスケの犯人みたいなやつは生活保護与えてもルサンチマンが解消されないのだろうし困るよな
漫画家で成功するのはラクダが針の穴を通るより難しいと教えないと幻想が肥大化してああなるんだよ
自分に才能がないと気づくなら諦めも付くが、自分には才能があるが社会が悪いと考えるんだろうね
格差社会ではおたくも追い詰められてあいりん地区のチンピラや19世紀のロンドンの窃盗団みたくなっちゃうんだよ
貧しさが心も貧しくしたんだ
貧困と差別で追い詰められる人々の救済を考えないとまた似たような事件は起きると思う
見捨てられた底辺層は戦前に逆戻りして戦争やテロが救いに見えちゃうんだよ。
その先にあるのは放射能まみれの中世だ
漫画家で成功できないなら他のことで頑張るとか、切り替えが必要なのでは?
いや掃除夫のバイトぐらいしか無いから漫画家で成功することが唯一の希望になったんだろうに。
その夢が消えたときにプチヒトラーに変貌したんだろ
貧しい黒人がスポーツで成功したいという心理と同じだよ
ネットさえあれば誰でも成功できるという期待ばかり与えたから失望が大きいんだよ
西洋の甲冑は薄そうだから日本刀で切れないか?
古代の環境ではコンフォートゾーンが現代社会とは変わって超人になるという仮説はどうよ?
ネパールの人が酸素の薄い高地でも生きてるようなもの。
そうでもなきゃマケドニア軍の戦法は説明が付かない
古代は大気濃度が今とは違い、太陽光線も今とは違うから超人だったとか
恐竜時代じゃねえんだから
ガレー船漕いで地中海渡った人も超人としか思えない、何日間漕ぎ続けるのよ
知性も環境で左右されると思うんだ。
馬鹿でも東大の環境にいたら、すこしは賢くなるはず。
古代の環境では知性も伸びて、磁石なしでもすぐ方角が理解できる人間GPS機能が備わっていたんじゃない?
そうだな、俺もお前が今からそのパソコンを窓から投げ捨てた方が数倍賢くなれると思うぜ
二度とそのアホヅラ見なくて済むと思うとせいせいするよ
あーよかったよかった
>>977 近代の論理を切り捨てて剥き出しの中世を語れるのは彼だけだろ
そうだな、近代の論理を切り捨ててむき出しの妄想で中世を語るのは彼以外の例えば小学生の歴史好きのほうが数段上だな
>>975 交代制といつまでも漕ぐわけじゃない
帆もある
>>975 ガレー船徒刑囚の回想/岩波文庫
を読むと良いよ。
ルイ14世時代のガレー船の体験談だけど、漕ぎ手は普通の人(漁師や船乗り出身でさえ無かった)だよ。
>>983 先生!タイトルに偽りがありませんか!
それとも徒刑囚人は普通の人なのでしょうか
>>986 そうきたかw
身体能力は普通の人って事で。
因みに多くの徒刑囚の罪状は新教徒。
その意味では当時のフランス基準だと普通の人では無いかも・・・
海戦の描写は凄い物が有るし、内燃機以前の海軍下級兵士?の回想なんて珍しいし。
>>987 面白そうだな今度探してみよう
いつの本かわからんかったがアマゾンみたらアナパシスも教えてくれた
アマゾンも役人立つことがあるな
989 :
名無し三等兵:2013/12/25(水) 10:15:24.22 ID:SK+qsWrP
>>983 17世紀のフランスのふつうの人と現代の東京の普通の人は違うだろ。
生活環境も平均寿命もまるで違うのだから。
君の意見では極論すると豊臣秀吉もナポレオンも普通の人になるよ
>>987 戦前の普通の人は今日の基準では超人である。
弱いと幼児のうちに死ぬ環境だから、
さらに日中戦争では歩いて中国を横断し、機関銃に突撃してるのだから
超人かつ狂人だ。
16世紀に朝鮮出兵をした日本の武士も超人だろ。
当時最強だと思うよ。
物資輸送が帆船だから火薬や矢の補給は間に合わないし、それで歩いてピョンヤンまで行ってるんだから。
火縄銃があっても火薬が切れたら、ただの棒だからね。
そんな条件でよく明軍の騎兵を撃退し、李氏朝鮮の城を落としたのだから現代の特殊部隊でも真似ができないはずだ。
文禄慶長の役の武士は火薬と矢が尽きたら、石を投げてたんじゃねえの、戦国時代は投石専門の足軽もいたし
少女マンガやゲームの清潔な中世イメージが好きな人は彼の糞尿まみれの中世像に付いていけない(笑)
具体例の無い話を長々と・・・
電波投稿と言い、連投癖と言い
さすが末尾P、さすが土鍋
996
鉄鍋じゃ駄目なんでっか?
>>991 現代の特殊部隊員なら装備(最大で95kg程度)背負って歩けるのは1日100kmくらいかな
土鍋無双
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