[武士騎士] 古代中世総合15 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
1 :
名無し三等兵 :
2013/09/12(木) 23:56:24.92 ID:??? 軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
ソースの書籍を提示されたら否定せずにググったり、資料を借りたり、買いましょう。
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
950を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
970過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2 以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士騎士] 古代中世総合14 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1370345126/
2 :
名無し三等兵 :2013/09/12(木) 23:57:43.51 ID:???
3 :
名無し三等兵 :2013/09/12(木) 23:59:30.25 ID:???
4 :
名無し三等兵 :2013/09/13(金) 00:01:31.80 ID:???
5 :
名無し三等兵 :2013/09/13(金) 00:02:11.85 ID:???
6 :
名無し三等兵 :2013/09/13(金) 01:21:54.53 ID:???
今度も抜けてるな ↓ぐらい読む人のためにも書いてやれな 春日権現験記の見所は2巻p11〜13、4巻p9〜13、8巻p7〜8、19巻p4〜11あたり 年中行事絵巻はe国宝版で3巻P14〜15、5巻、11巻27〜28、12巻あたり?
7 :
名無し三等兵 :2013/09/13(金) 20:22:21.68 ID:???
8 :
名無し三等兵 :2013/09/13(金) 21:49:23.20 ID:JVGqYeZj
どこの国のどの年代の全身鎧かでも変わるだろう
9 :
名無し三等兵 :2013/09/13(金) 21:52:13.02 ID:???
リーズ大学の研究者グループが今回発表した内容は、全身を覆うプレートアーマーの 防御力ではなく、それを来た兵士の運動生理に関するもの。実験は甲冑を着た男性に ランニングマシーンの上で運動させ、酸素消費量を計測するというスポーツでは一般的な方法で行なわれました。 15世紀によく用いられたプレートアーマーは重さが30kgから50kgにもなりますが、この重さが 全身にかかるため腕や足が振りにくくなり、同じ重さの荷物を運ぶより2倍のカロリーを消費します。 また、肋骨にかかる重量によって深く息をすうのが難しくなるため、さらに疲労しやすいという結果も 実験によって明らかになりました。
10 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 08:51:01.11 ID:???
画像見る限りじゃバイザーも下ろしてないから 実際は実験以上に息苦しさがあったかもね
11 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 09:56:30.37 ID:???
とは言え、それだけのスタミナ消耗を覚悟してでも鎧が必要な状況があったのだろうね
12 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 09:56:34.78 ID:???
プレートアーマー着るような人はそれに適応するために年単位で訓練してるんじゃん?
13 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 10:05:01.74 ID:???
>>12 量産技術が向上すると下の身分でも板金鎧を着るようになるが
14 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 11:23:54.33 ID:???
あー、なんかステイタスだったのが普及品のおかげで底辺が持って粋がってるみたいな
15 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 12:24:06.35 ID:???
プレートアーマー着てるような人は捕虜にすれば身代金取れるから 戦場でうっかり死んじゃったりしたらみんなが困るんだよ 動く金庫みたいなもの
16 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 12:27:34.46 ID:???
>>15 つまり量産化が進んだ時代には下級兵士も動く金庫になったのかよ
17 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 13:40:14.64 ID:???
スイスの槍兵なんかみんな農民だが板金鎧着てるぞ。
18 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 13:44:37.69 ID:???
パイク最前列は例外なく胸甲を身につけてたようだが後列はみんなというほど着てたのかな?
19 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 14:01:27.00 ID:???
20 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 23:16:43.17 ID:???
刀はよほど硬い鋼でできていると信じている人が多いが、事実は逆で、一番硬い鋼を使 うのがカミソリ、小刀、鉋、その次が庖丁、鋏、次が鋸、鉈となり、鉈よりも軟らかい 鋼、炭素合有量○・六〜○・七%のものを用いるのが刀である。 軟らかい鋼を使っているのに何故よく切れるかと疑問を持つ人もあろうが、日本刀の切 味が優秀だというのは世界の刀剣類の中で最も秀れていると云う意味であって、カミソ リや庖丁の切味と比較しているのではない。鉈と同様、刀は本来満身の力でたたき切る ものなのである。 そうだったのか
21 :
名無し三等兵 :2013/09/14(土) 23:23:05.60 ID:???
それが誰の説かはわからんけど俺が「日本刀講座」で見たのだと刀の場合は「割る」と「切る」との中間だとか 書いてあったなあ 剃刀というよりは切れ味のいい鉈という感じかもしれんね
22 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 06:02:25.25 ID:???
斬首の刑をあたりまえにやれた事が日本刀の威力を証明している ヨーロッパで斬首は斧を使ってた、何度も叩き込んでやっと首を落とす あまりに見苦しいのでギロチンが発明される
23 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 07:57:50.07 ID:???
ま、日本刀でも下手くそは何度も叩き込んでやっと首を落とすんですけどね
24 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 09:45:19.92 ID:???
斧を使ったのは別に西洋剣が斬れないからってわけじゃない。 別に罪人斬るのは戦闘用の剣じゃなくて安い斧でもいいじゃんというくらいの理由。 別に殺すだけなら槍で刺しても火で焙っても木に吊るしてもいいわけだし。 ギロたんはただの変態。
25 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 09:50:02.43 ID:???
それでも日本刀の切れ味とそれを使った処刑は文禄〜慶長のあたりに日本に来た スペイン人にとっては驚くべきものだったみたいだな アビラ・ヒロン 『日本王国記』 ・繰り返して述べるが、彼らは非常に闘争的で、容易に鉄が切れるほど精錬された鋼鉄で作った残忍極まる鋭利な武器を使用する。 刀Catanas と称する新月刀(アルファンヘ)を用いるが、それは刃の部分が六パルモ前後、柄が一パルモ、必要に応じてはそれより以上で、 もしまた刃の部分がもっと長くなれば、柄もそれに応じなければならない。これを両手で持って上から下へあるいは横払いに打ち下して傷つけ、 うしろにころんだ時にはこれで身を防ぐし、場合場合に応じてこれを利用する。 ・こういう刀で二つの胴体を一刀で斬るのを私は目撃したが、この刀は残忍極まるものである。刑罰で誰かを殺すという時には、 初めやるのは首をひとはねで斬るのだが、それが皮膚、肉、神経、骨のある首というよりも軟らかい茎でできているかのようにおこなう。 これは刀で斬るのではなくて、手練で斬るのである。冷酷な死刑執行人はこれほど巧みであるが、しかし日本人は誰も彼も みなこのとおりだから日本人と言えば死刑執行人といったのと同じことである。首を斬ってしまうと、死体をとりあげ、人でなしの残酷さで、 これを細かい断片に切り、しばしばこれらの断片をもう一度縫い合わせ、無傷の部分を切っては彼らの稀有の刀の切れ味を試すのである。
26 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 10:30:17.64 ID:???
>>24 西洋剣は斬れなかったんだよ
日本刀の影響でフィクションの西洋剣は切れ味を増してしまったけど
あくまでもフィクション
27 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 10:32:46.34 ID:???
それは研ぎ方や刀剣の形状次第で変わるものだからなんとも ただ日本に来た来航者たちが日本刀の切れ味を口々に感嘆するあたり やはり水準は高かったんだろう
28 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 11:52:07.93 ID:???
>>17 スイスの槍兵は全身を覆うプレートアーマーなんて着てないだろ
29 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 11:54:36.11 ID:???
全身鎧じゃなくて板金鎧って書いてあるけどな
30 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 12:00:05.38 ID:???
>>29 もともと全身鎧が実戦的じゃないって話なんだけど
31 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 12:01:30.50 ID:???
元々の話からはもう離れてるのになぜか突然そっちに戻るんだな
32 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 12:10:51.75 ID:???
つまり全身鎧が実戦的かって話題で唐突に板金鎧のこと書き込んだ
>>13 がおかしい
33 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 12:51:18.03 ID:???
>>12 がプレートアーマー=板金鎧って単語使ってるからな
>>12 が一番悪いのと小学生以下の読解力しかない
>>28 がカスなのが悪い
34 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 13:10:44.50 ID:???
全身板金鎧は非実戦的だが半身板金鎧はスイスの槍兵も使ってるから実戦的ってことで解決だな。
35 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 14:44:00.70 ID:???
日本の鎧みたいに腰で重量を支える構造になってなかったのか
36 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 20:36:04.18 ID:???
>実戦的じゃない ではなくて 戦闘用ではない 貴族が息子を戦地に送るとき「死なせてたまるか」と着せた そういうクラスの貴族の息子は戦闘要員ではない
37 :
名無し三等兵 :2013/09/15(日) 21:33:25.39 ID:???
38 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 06:33:35.57 ID:???
貴族の息子は戦闘要員ではないとかおまえの単なる思い込みだろ。
39 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 08:19:15.29 ID:???
主力は雑兵
40 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 10:38:14.32 ID:???
主力が何かって話と貴族の子弟が戦闘員かそうでないかって話は別に関係ないが 雑兵だけが戦うわけでもない
41 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 11:18:47.06 ID:???
ハイハイw
42 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 11:23:38.62 ID:???
43 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 12:07:49.98 ID:???
馬乗ってるから馬 大鎧と同じで騎乗前提の設計なんだろ フットマンはチェインベストと盾で安定
44 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 12:09:26.69 ID:???
あらためて指摘しておくと、「重装甲兵<man-at-arms>」とは完全装備の兵士たち―騎士、従騎士、小ジェントリー層、 または高位の騎士の護衛を務めるサージェント―などを指す。 この時代の重装甲兵たちは頻繁に徒歩で戦った。あまり楯を使わなくなり、両手が自由になったために さまざまなポール・アーム(*長柄、棒状の武器)<pole arm>の使用が可能になった。
45 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 12:25:05.60 ID:???
思いつきでレスすると哀れな結果になるんだな
46 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 13:59:18.72 ID:???
重量を全身に逃がす()
47 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 19:30:18.83 ID:???
>>40 欧州中世の普段の戦争に雑兵に当たる身分は参加してるの?
基本的に貴族とその従卒で賄われてないか。ミリティアなんて
有力な都市以外で発達してるかな?祈る人・戦う人・働く人と
階級分化がどこでも徹底してるとは思わんけど
48 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 20:00:01.46 ID:???
49 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 20:07:49.58 ID:???
おお、安価がずれてた
50 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 22:03:46.86 ID:???
51 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 22:05:42.87 ID:???
52 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 22:06:36.27 ID:???
53 :
名無し三等兵 :2013/09/16(月) 22:07:54.29 ID:???
気のせいか。どこかに同じもん投下してないか
54 :
名無し三等兵 :2013/09/17(火) 17:47:54.99 ID:???
>>22-27 アラブの処刑動画でサーベル片手打ち一撃で簡単に首刎ねてたよ
55 :
名無し三等兵 :2013/09/17(火) 19:09:43.22 ID:???
現代の炭素鋼で作ったサーベルでな
56 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 07:11:47.34 ID:???
そんなの関係ないって(笑)
57 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 07:20:40.91 ID:???
ドイツは持ち帰ったサンプルから日本刀の秘密を解明できた そして量産技術も開発してしまう=ゾーリンゲン ゾーリンゲンの名声はその前から高かったが技術力の高さは伊達ではなかったわけだ 日本は日本刀を完成させたけど理屈は分かってなかった、製法論に終始 なんにせよ西洋が日本刀に驚愕した事実は事実 日本刀ほど斬れる刀剣を知らなかった
58 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 07:56:17.50 ID:???
材質や形状も大事だろうけど個人の技術的な物も大きいんじゃないのか? サーベルで首刎ねられる人なら日本刀でも出来るんじゃね?
59 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 15:29:20.39 ID:???
>>58 簡単に落とせるかは首の骨の間通せるかどうかが全てと思う
60 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 18:44:35.58 ID:???
ゾーリンゲンと日本刀なんかぜんぜん関係ないって(笑)
61 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 18:49:59.81 ID:???
関係あるのヘンケルスだろ
62 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 18:55:38.54 ID:???
>>57 ゾーリンゲンが日本刀の秘密を解明して量産したって話しの出典おね。
63 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 19:07:29.76 ID:???
>>62 横レスだが、昔読んだ梅干と日本刀って本に、そんなことが書いてあった
ついでに、タイガー戦車の装甲も日本刀の技術を応用したって書いてあった
タイガー戦車の装甲って、圧延鋼板だから、日本刀の鍛造技術は全く関係ないんだがなあ
というわけで、その程度の本なので、ゾーリンゲンについても推して知るべし
64 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 19:23:37.86 ID:???
ところで、中世日本の軍編制ってどうなってんの? 戦国とか西洋中世みたいに資料多くないしよくわからん
65 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 20:00:09.72 ID:???
中世なら寄子だろ
66 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 20:41:47.78 ID:???
寄親寄子とか備とか? 1万石の大名が最低限の備を編成できるとか
67 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 20:45:52.22 ID:???
>>66 備って戦国中後期だろ、それだと近世じゃね
と思ったら、戦国もある程度の時期までは中世に入るのか
68 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 21:44:05.47 ID:???
>>67 備は近世になるのか、難しいな
寄親寄子から備に変化したのは足軽が出現して率いる規模が大きくなったからかな?
でも元寇あたりでも六波羅探題から6万騎が進軍とかあるから、規模は関係ないのかね
69 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 22:24:15.72 ID:???
藤原氏攻撃の時ですでに万単位だろ 大規模動員自体は寄親寄子でもできるのでは
70 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 22:36:56.13 ID:???
>>63 鋼とは鉄と炭素の合金
ドイツが日本刀から得た情報は炭素含有量
日本は世界最古の製鉄法のタタラ製鉄を連綿と磨きつづけて理想の含有量に到達していた
71 :
名無し三等兵 :2013/09/18(水) 23:18:34.05 ID:???
だからソースを 話が続かない
72 :
名無し三等兵 :2013/09/19(木) 05:56:01.42 ID:???
>>70 どうやって日本刀の現物から炭素含有量を計測したの?
現物の解析では無く、宣教師辺りから製法の情報を得たの?
何れにしても出典を・・・
73 :
名無し三等兵 :2013/09/19(木) 05:59:20.81 ID:???
中世の軍制は備えのようなバランスとれた諸兵混合ではなくて、 ひたすらに寄り親・寄り騎、親戚縁者の騎馬武者と自衛のために弓やなぎなたで武装した奉公人の集成。 親戚縁者いない貧乏御家人だと騎馬武者と従者だけのドンキホーテ状態。まあどっかに寄るんだけど。 宇治川や一の谷みたいに足軽なしにいきなり騎馬武者が突撃。 従者である奉公人どもは組毎に集団戦の訓練とかは受けてないので槍ふすまとかはつくれず馬には弱い。 足軽大将もいない。
74 :
名無し三等兵 :2013/09/20(金) 13:26:22.04 ID:???
>>73 蒙古襲来絵詞では武装した奉公人も騎乗して思いっきり集団戦やってるが
75 :
名無し三等兵 :2013/09/21(土) 00:12:54.31 ID:???
>>73 親戚も縁者もいなければ誰が武装整えて訓練してくれるんだ?
76 :
名無し三等兵 :2013/09/21(土) 07:10:17.74 ID:???
いざ鎌倉の哀しい美談よ どんなに生活苦しくても馬と武具は売りませんでしたとさ それが武士の鏡と讃えられる
77 :
名無し三等兵 :2013/09/21(土) 18:50:00.02 ID:???
>>75 自分でやるに決まっているじゃないか。
そんなことを言い出したら士官学校の無い時代に士官は存在しえなくなるぞ。
78 :
名無し三等兵 :2013/09/21(土) 19:50:19.97 ID:???
>>77 共和政体ローマやイギリス海軍にしても一族の家業だよ
79 :
名無し三等兵 :2013/09/21(土) 19:50:41.75 ID:DIvMaXeG
80 :
名無し三等兵 :2013/09/21(土) 21:00:26.38 ID:???
領地的に馬いっぱい飼ってる家だと奉公人も乗馬できて実質兵力増える。 領地的に馬いっぱい飼えない家だと徒歩の奴がやたらと増える。 もう徒歩だけの奴でいいやって割り切ったら足軽組になった(笑)
81 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 02:28:52.47 ID:???
82 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 10:17:26.94 ID:l7O7shn3
戦国より前の軍隊について、よく 「騎馬武者一人一人が直属の歩兵数人を引き連れて戦ったので、組織的な騎兵戦闘など無かった」 とか言う人居るけど、そんな馬に乗ってる利点を全く殺すアホな戦い方常にするもんなの? それに上でも言われてるけど、元寇とか明らかに騎兵の集団戦闘やってるよね 明確な制度として確立された兵科分けが有ったとは思わんけど、 その場で同じような装備の奴どうしが数十人ずつ集まって戦うくらいの事はしてたんじゃね?
83 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 10:21:19.75 ID:???
ageちまった 失礼
84 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 10:31:00.39 ID:???
武功は個人賞
85 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 10:43:10.17 ID:???
「組織的」の捉え方次第 戦場では臨機応変にやっていただろうと思われるけど 動員単位としての武士−郎党を破壊する程じゃなかった
86 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 10:48:22.81 ID:???
>>9 全身にかかるから動きやすいって話はよく聞くが
その分調子乗ってるとすぐバテちゃうのね
87 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 11:15:42.77 ID:???
韓国のキムチが日本のものと勘違いされたように 韓国の伝統武士”サムラン”が日本の”サムライ”として間違って世界に広まった
88 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 11:20:17.24 ID:???
たとえば足利には秘技「馬イカダ」という集団技があって、 宇治川の橋と落とされたときでも、300騎が助け合って、1騎も流されずに一斉集団渡河できるわけだが、 こんなときには当然徒歩の従者は置き去りだろう。 宇治川先陣争いのときだって従者は置き去りだろうし、鵯越のときだってついてこれない奴は置き去りだろう。
89 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 12:01:40.99 ID:???
戦闘中に馬が渡れる流れなら徒歩の従者はもっと楽に渡れると思うんだが…
90 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 12:41:53.35 ID:???
人が渡れない激流だから馬筏を組んで渡ったんだが…
91 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 12:44:36.57 ID:???
人だけなら仮説橋掛けて終わりだろ
92 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 15:12:26.87 ID:???
畠山重忠の場合は、 重忠が丹党500騎を率い、馬筏を組んで真っ先に宇治川を押し渡ったが、 馬を射られて徒歩になってしまい、同じく馬を流された大串重親がつかまってきたため大力の重忠は重親を掴まえて対岸に放り投げ、 重親は徒歩立ちの一番乗りの名乗りを上げた。
93 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 15:14:41.93 ID:???
馬筏って何
94 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 15:18:38.96 ID:???
馬筏の失敗例 足利馬筏を見た平智盛の下知で2万8千余騎が宇治川を渡るが、伊賀・伊勢の官兵のなかには馬筏を流されたのが6百余騎にも及んだ。 さまざまな色の鎧が浮かんだり沈んだりする様はモミジの名所であった竜田川の風情だった。それを頼政の嫡男、伊勢守仲綱が次のように詠んだ。 伊勢武者はみなひをどしのよろひ着て宇治のあじろにかかりぬるかな
95 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 23:29:10.77 ID:???
騎兵、二万八千頭ってどっから連れてきたんだろう…一つの牧で何頭ぐらい飼育出来てたのかな?
96 :
名無し三等兵 :2013/09/22(日) 23:47:02.92 ID:???
軍記物の兵力は常に粉飾級に過大
97 :
名無し三等兵 :2013/09/23(月) 09:56:05.71 ID:???
軍記に多大な影響を与えた史記とかの軍勢もものすごいしな その時代からの感覚かは知らんが明代でも中国の人が大敗した相手の軍勢を 過大に申告したりしてるしね 柳成竜『懲録』 「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」 ・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、 ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、 その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと 衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、 敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。 ・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、 「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、 「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、 手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。 提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、 どうも口実のようであった。
98 :
名無し三等兵 :2013/09/23(月) 10:05:15.81 ID:???
どこの国でも勝敗にかかわらず敵の勢力過大に評価すると思う 手柄や敗北の責任に直結するんだから
99 :
名無し三等兵 :2013/09/23(月) 10:22:37.39 ID:???
中国の場合はあの広大な広さなら数十万規模が当たり前だったと言われても、日本人の目線で考えたら完全に信じてしまう 日本は数千〜数万だけど、国土の7割が山で平地は殆どなく数万同士で野戦があったのかすら疑問視してしまう 城攻めならわかるけど
戊辰戦争だと、お互い千名以下だったりするしね。
日本の地形ってのはいうほど特殊なのかな? イタリアや朝鮮とか大陸でも半島は山がちだよな その朝鮮半島も7割くらい山地だというし、そこでは 日本と明・朝鮮の万単位での激突が間違いなく行われていたわけで
朝鮮半島は日本に比べてなだらかな山地が多いという理屈もあるだろうけど 日本の山地だってすべてが急峻というわけでもない 半島の面積は本州より若干小さい程度だし3割が平地といったって それは日本の3割よりもかなり小さいわけで
人口考えるなら気候と植生みない何とも言えん
まずグーグルアースで地形を眺めてみる事オススメ 日本の古代からの都市を見て見るとわかるけど山に囲まれた盆地に発生してる 山が天然の障壁になって馬での侵攻は限られた隘路からしか行えない また騎馬で逃げる事もままならないから長距離打撃が物凄くやりにくい 逆の半島の地形みると山がなだらかで障壁にならない 中国の華北見てみ?真っ平らでどこからでも侵攻可能 ヒット&アウェイし放題 スパルタ兵が300人で10万のペルシャ軍を防いだのってどんな地形だったっけ?
お前は何を当たり前のこと長文で書いてんだ?ネット解禁されてはしゃいでる小学生か?
古代をいつに置くかちと分からんが 大規模な集落だと山中の盆地より 海に面した平野部の方が主じゃね
(´・ω・`)
>>105 尚州、忠州、漢城、開城、坡州(臨津江の戦い)、安辺、全州、高陽市徳陽区(碧蹄)、蔚山と
主要な戦場を見たところでそれぞれが山に囲まれてる盆地とか山裾にあるとかいうように
75%が山地だという朝鮮半島の地形の再確認でしかないけど
碧蹄なんかはそんな地形で数万同士のぶつかり合う野戦が確実に行われてんだけどね
なだらかってのは3000メートルに達する山がいくつもある日本ほど急峻ではないってだけなのに
これを大陸ってだけで華北と一緒にできるとか思ってるやつがいたら思考能力がないやつだわな
軍記物は数字の誇張が多いって話してるときに 300人で10万人をとか言われると腹が痛くなるww
駿府とか清洲とか岡崎とか周囲の地形はかなりまっ平らだけどな
平らったって湿地や森ではねぇ 日本は地形は平地でも荒野、草原ってイメージがない 大軍同士の戦いの為に広い場所=関ヶ原に出向く 戦場の収容能力って大事だよね
慶長・文禄の役で大軍がぶつかり合った地形でも普通に湿地や河川あった気がするけど
その関が原だって思いっきり山に囲まれた盆地じゃねえかよww
>>112 >日本は地形は平地でも荒野、草原ってイメージがない
ああ、つまりあんたは今まで勝手なイメージで語ってたわけね
道理で言ってることが事実と違うと思ったわ
7万が死んだと言われるカンネーの戦いの後、ローマでは戦死者がでなかった家はなかった とあるくらいだから軍記物のような数が死ぬわけない
なにがすごいってあの時代に主力軍が壊滅したのに体制が崩壊しなかったローマ 大目に見ても領域内の人口200万いかないよな。それなのにすぐに軍隊再建 できてんだよな
前に日本では長い槍を使えるような地形がないのでファランクスが発達しなかったとか 頑張ってた人がいたなあ
119 :
名無し三等兵 :2013/09/23(月) 19:19:33.92 ID:FUnMh4xX
戦国板のあちこちで見たマルチコピペか 業者がやってんだろうな
300人のスパルタだけ取り上げられて、他にも居た連中はおろか、300人以外のスパルタ人すら無視される悲劇 そして不利な状況でちまちませめてしっかり勝ったのに、雑魚扱いされるペルシャ
ちまちま攻めてどうにもならんから裏道使って勝っただろ
なんだかんだ言ってそのあとはギリシャを間接的にだけど掌握したのに内部抗争でおじゃんになった ペルシャ哀れw
毎回攻められるばっかりで逆襲できなかったアテナ等ギリシャ諸国の方があわれだと思うが
アジアに入植した植民市でさんざんおいたしといてそれは…
まあマケドニアが一気に征服しただろ。
征服後アレクサンドロスが色々ペルシアかぶれになったとかなんとか
モンゴルが結局中華かぶれしたりよくあること ギリシャはローマは我々の文化で征服したとか 倒錯したことを言ってたとか言ってないとか カトー当たりが危険視したんだっけ?うろ覚えすぎるわ
テルモピュライの前半戦ギリシャ側は敵前で背を向けて後退しペルシャ軍が追撃してきたら 向き返って攻撃した事になってるけど5mの槍と人一人覆える大きな盾持って密集しながら 本当にそんな事できるの?
ゆとり教育では不可能だがスパルタ教育を受ければ可能。
そもそもマケドニアじゃねえし5mの槍なんか使わねえだろ
まずはその5メートルの槍って認識を改める作業から始めてくれ
ウィキ見たら5m以上の長槍って書いてあった ファランクス組みながら向き変える時は槍立てながら盾は頭の上で水平にして回るの?
何のウィキだよww つか、そのファランクスはいつのだよ
テルモピュライって書いてあるでしょ
300人も10万人も全部事実だから5メートルの槍も事実だろうな
テルモピュライの戦いって言うとスリーハンドレッドしか思い浮かばないや・・ ムキムキスパルタマッチョメンvs変態黒人クセルクセス
古代ギリシア人の戦争には3m近い槍と書いてあるが なにに5m以上って書いてあるんだろう?
マケドニアのサリッサと混ざった?
下の方が出典としてヘロドトスの歴史があるけど箇所がずれてるしなぁ 書いた人に聞かないとわからんな
向き変えるうえでは槍の長さより差してる剣や盾が隣の人の体や槍に当たりそうな方が問題だと思うけど
>>142 そんなことが問題になってたらそもそもファランクス自体組めない
なんで組めないの?
テルモピュライの前半戦ギリシャ側は敵前で背を向けて後退しペルシャ軍が追撃してきたら 向き返って攻撃というのはいわゆる島津の釣り野伏せと同じスパルタの慣用戦法なのだ。 間合いが大事だがスパルタ兵は皆その間合いを熟知徹底しているので問題はない。 別に槍だって立てて移動すればいい話だ。
スパルタの慣用戦法とか初めて聞いたぞ 他の実例教えてくれ
そもそも連合軍なきがするけどな
テーバイ兵の扱いを見るに スパルタは同盟市の兵を容赦なく囮に使いそう(偏見) 「お前らちょっと偽装敗走してペルシャ軍釣ってこいよ」てな感じで
偽装どころか普通に敗走するなw
同盟市の兵を容赦なく囮に使おうと思ったら、 テバイのガチホモ密集肉弾集団に思いっきり踏み潰されたんだよな。
米軍はオーストラリア兵を使って化学兵器の人体実験やったし、かなり有名な話 米軍と同等の装備の検体が必要という事で 囮ならまだ許せるさ
ケルト人は犠牲担当ですってハンニバルが言ってた
勇猛さを尊ぶ民族はおだてれば自主的に肉壁になってくれるだろうしな
平均寿命30ぐらいだから戦場で死ぬのもさして気にならなかったらしい
幼児期の死亡率が高いから平均寿命が下がるだけで成人すれば4,50まで普通に生きるぞ
そこは「平均」のトリックだね
まあでも大きな病気一つやればそれで人生終了だったのも確かだし
戦えない民族は絶滅してる 今生き残っているのは勇猛果敢な民族の末裔 だから戦争は無くならない
うむ、全くだ。
160 :
名無し三等兵 :2013/10/03(木) 12:47:53.08 ID:LjYe5B4m
それをここに張る意味がわからんが警察にどんな問題があるの? 最低限の常識もない工芸家の責任じゃね
なげぇ槍持って走るのに、思い槍先を前にせずに普通は肩にかついでじゃね?〜と思う 真に重いと感じるならば捨てるだろ? 肩にかついでりゃ、反転、迎撃も容易いかな?と思うよ、普通に
しなりが強い長槍を担いだ態勢から簡単に迎撃できるもんなのかな?
長槍ってまず担いだ状態から相手の頭部に一斉に打ち下ろして 引いて挿す、近づいてきたら石突きで突いてつき離す 離したらまた打ち下ろしってシーケンスで操作するんじゃなかった?
パイクやサリッサでも叩き槍はやるもんなんだろうか?
さぁ・・
サリッサとゆうよりファランクスで叩き槍が出来たか?だよね
甲冑来て模擬戦やるスポーツでファランクス隊形の動画あったはずなんだが 見当たらないな。誰か分かる人いませんか
>>168 あれ、返信先間違えた?
まあ、読めば判るよね?
日本とは明らかに思想が違う使い方だよね
なんでそこで日本なんだ?日本において叩き槍が長柄の武器の使用法として 普遍的に存在したわけじゃねーだろ
雑兵物語見る限り槍足軽の普遍的な戦法のようだが
槍足軽ってたかだか半世紀なのにそれを普遍化するとは恐れ入る
日本の場合、長刀の時代長かったし 集団戦での長槍使用はワリと後代に発生した戦法だから 普遍的かって言われればまぁ苦しい
発端が
>>164 からの流れで
槍足軽との比較で何の問題が出てくるのだろうか?
>>164 の時点で槍足軽に限定なんてどう読めば出来るんだ?
長槍と書いたらパイク隊の可能性も十分に存在するぜ
>>164 だけどなぜか判らないけど日本の話だと思い込んでた・・
長槍で日本連想するのは別に間違っちゃいないけどな いうなれば狭義と広義があるわけで
テルモピュライの戦いのスパルタ兵は槍が折れると剣で、剣が折れると素手や歯で戦った。ってくだり インパール作戦で牟田口が訓示した弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。 腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。のもとかな
勇猛さを表現するための詩的表現を同一視するなよ
起こった戦闘の勇敢さを表現するのと、物資の欠乏を最初から精神論で補う主張を 混同してはいけない(戒め)
でも何かの間違いで勝ってたらヘロドトスを引用した名訓示なんて事になってた可能性も微レ存
映画の二百三高地のラストはまさに剣が折れて素手や歯で戦っていたな。 でも死にそうになったときに素手や歯で抵抗するのは日常の犯罪事件でも常識。
>>168 しかしいつも思うんだがファランクスの後列のやつって遊兵だよなw
負傷者がでたら前に詰めて交代なんてこの密集状態でとてもできるとは思えん
ファランクスの縦列の長さは衝突時の強さとかかわる
もう個別に槍持たずにみんなで破城槌みたいなでっかい丸太持って突っ込めよ
188 :
名無し三等兵 :2013/10/04(金) 13:18:04.29 ID:JNIdGLqT
槍は叩くか切るものだろう。 突くと折れたり、抜けなくなったりして使い物にならなくなるから補充の槍が必要だ。
槍に限らず武器なんて消耗品だろうに
>>189 パイクって叩くのにも斬るのにも向いてないね
槍騎兵は槍も剣もパイクも拳銃もぶら下げてるよ。
槍騎兵がパイクを使ってるとは知らなかった しかもぶら下げてるのか
そもそも槍って製造が簡単でいくらでも補充がきく武器じゃなかった? もちろん一品物もあるけど
そうそうB29撃墜用の竹槍とか
現場では無理だがな 2本持つってのが無理だから
中世の槍騎兵なら後方に補充用の槍を用意していて取りに戻るらしい
死んだ奴や怪我した奴の拾うのは簡単だけどな。 フランスでは小銃の先に短剣差し込んで槍にした元帥もいるし。
そうか、中世なら相手が鉄砲隊の場合もあるんだな。
201 :
名無し三等兵 :2013/10/04(金) 21:04:05.71 ID:xK1uswoH
銃は槍に強く槍は馬に強く馬は銃に強いというゲームみたいな3すくみが中世の終わりごろにはあった
>>201 かっこいいな。和訳で出てたら買うから邦題あったら教えてほしい
ポーランド語しかないだろう じーっと見ていたら数字の年号とウイーンとトルコとコサックは理解できたよ。
12,13世紀ごろの欧州だと伯爵クラスなら平時、動員かけてないときの手元の 兵力ってどのぐらいなんだろう。持ち回りの騎士7,8人プラス従卒ぐらいかな
特に相場はないんじゃない? 同じ〜伯でも家宰的宮中伯だったら手勢はそんないないだろうけど 辺境伯だったらそれなりの手勢がいるだろうし
後の侯爵なんだからそりゃそうだろうが、中世の騎士って 「辺境伯など同輩の中の第一人者」 程度にしか考えてないぞ。 家臣と呼ぶには、やや微妙な気もする。 何しろ12〜13世紀だろ? 鉄腕ゲッツなどの盗賊騎士より、まだ昔の話なんだから。
年間何日までで3日行程以上だと連続何日までとかの時代だからなぁ
80日ルールの時代か
何人主君を持っても問題ないから年間の軍役が気にならなきゃ最高で45人の主君持ちとか居たらしいから 日本も戦国時代とかは主君を替えるのは当たり前とかだけど一応主人は一人が原則だからなぁ
>>210 なんかもう複数登録のバイトみたいだな…
バッティングしたらど〜すんだそれ?w
金その他恩恵くれるほうに付きます(キリッ いやマジでw
それは名誉職みたいなもんだろ。特任教授とか名誉顧問みたいなもんだよ。 そもそも君主も複数の称号や爵位かけもちしてるの多いだからな。 イギリス国王もフランス貴族としてはフランス国王が主君のはずだし。
ちょっと誤解があると思うぞ かけもちって表現は誤解を招きかねん
>>211 契約時に時期指定やら優先順位決めてブッキングを予防したり、
断る方に補償支払ったりしてる
日本は正社員になれば終身雇用です
契約期間によっては次の日から敵になる
負けそうならとっとと辞めて勝ちそうな所へ転職
>>202 銃は馬の天敵なイメージがあったが違うんだな
よく考えてみると、長篠の戦いでも馬が全力発揮できない様に馬防柵とか作ってたな
>>219 創作を元に語らないでくれないか。機関銃でるまでは騎馬は銃・砲兵の隊列
崩すための切り込み役に使われてる。長篠は物量に勝る相手に正面から
野戦いどんで負けただけだろ。だから敗走時に名だたる武将が打ち取られてるわけで
まあ野戦のときの正確な兵力や兵種なんて正面眺めただけじゃわからんからな。 兵力多くても上手く連携とれない場合もあるし動かない奴とかもいるし。
>>220 長篠は、あるみ原での両軍の衝突に至るまでに長篠を包囲していた武田軍に対し織田の別働隊が長篠城の解囲に成功して、布陣していた織田軍主力とで挟撃の体勢になってたしね
こんどは武田側が追いつめられての解囲脱出戦でもあった
北は実質包囲できてなかったから、おとなしく軍を引いていればそれでなにごともなく帰れたんだけどね…
三千丁の鉄砲で交代射撃の新戦術なんてのは明らかに後代の創作だし、織田が鉄砲で勝ったのも事実だろうけどもう少し別の理解が必要ではありそう
結局、長篠で騎馬突撃はあったのか?
欧州でいうランスチャージはないと思う。それとも騎兵を騎射メインでなく 白兵戦で集団運用したってこと?それならどこの地域でもあるし甲斐の 駒は有名だったから長篠でも当然してるだろうね。 前スレで馬体は体当たりに使わないと意味不明な主張していた人いたなw
関東衆なら確実にやってる
wiki >騎馬戦闘が廃れた室町時代の頃から、内部に竹などで編んだカゴを入れることで >常にふくらんだ形状を維持した装飾具に変化し、指物の一種となった。 元々は馬で疾走し風で膨らませる武具だった >三千丁の鉄砲で交代射撃の新戦術なんてのは明らかに後代の創作だし 嫌でも自然と三段撃ちの体になる 全員が整然と発射、装填なんてありえないから
227 :
名無し三等兵 :2013/10/05(土) 20:25:01.80 ID:n8Qu6R6y
体当たりあった派が出ました
自然にばらけたら五月雨式に撃つことにならないか。三段なんてメリハリが付いた状態にならんだろ
馬を入れるとか馬にて乗りわけ、乗り崩しとかは軍忠状の類にも出てくる これも関東武者のだけど 『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』) ・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事 ・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・ 塚原ぬいの助そんし申候事、 ・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、 ・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、 大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
>>227 小笠原流で巻き藁に馬体ぶつける訓練法あったと記憶してるんだが俺の気のせいか?
231 :
名無し三等兵 :2013/10/05(土) 21:01:00.96 ID:1SWQSZgo
ぜひ動画で見たいぞよ
確かに見たい
233 :
名無し三等兵 :2013/10/05(土) 21:38:20.75 ID:n8Qu6R6y
訓練法の存在を全否定はしない。有効だったのか、上策だったのか、はまた別。 乗り分け乗り崩しもむろん否定しない。囓る馬が重用された例も知っている。 けど、体当たりとイコールなのかな? 馬の体の前方には、馬鎧等でもカバーしづらい、鼻、露出した操縦索、気管という弱点がある。 敢えて敵歩兵の手や武器にそうした弱点を晒すの? 騎兵側としては、長柄武器で歩兵を無力化するのが最善、歩兵が逃げる、逃げようとして転ぶ・背を向けるのが次善でしょ。 体当たりしうる間合いがヤでしょ。 特に馬の首の左を敵歩兵に晒し、左手で手綱掴まれたら最悪。 馬は敵歩兵を中心に左回転する、騎兵の右手の武器は使いにくい。歩兵の右手の武器は騎兵の左腹でも馬の首でも狙えちゃう。 馬の首の右側は騎兵の長柄武器が使いやすいわけで、体当たりは生じにくいよね。 乱戦の中やむなく体当たりになっちゃうかも、それに備えて訓練する、のは判るよ。 天霧とPT−109の衝突みたいなもの。天霧は回避を意図したようだけど、英駆逐艦なんかはUボートに突っかけた例もあったよね。 でもそれと、衝角戦前提の体当たりと混同するのはまずいよね。
結果として体当たりになったり馬蹄にかけられたりはあるだろうけどね
>>228 そこは創作
三段撃ち否定の根底には「整然とした斉射」という痛い勘違いが見え隠れするのが気になったから
整然とした斉射ができる練度なら三段撃ちも簡単だ
でかくて気性が荒い馬を欲しがるのは完全に体当たり前提だろう。 左手で手綱とかいっても完全な一対一ならともかく実際は寄親寄騎が寄り集まった複数同士がほとんどなんだから、 横や後ろの奴が叩き斬るとか踏みにじればいい。 右手の武器が使いにくいといっても使えないわけじゃない。名古屋大の古式馬術部でも全方位斬りを練習する。
気性が荒いと体当たりするもんなの? 蹴ったり噛み付いたりしやすいのはわかるけど
>>233 ,237
進行方向、歩兵がふさいだら下手によけるほうが危ないと思うな
体当たりして踏みつけできる訓練した方が兵器として馬利用する以上妥当かと
>>235 だからこそ太鼓たたいて合わせるんですよ
>>235 何を意味不明なことを?
長篠合戦で言えばまず鉄砲の数三千丁が後代の創作で過大だから
実際は千丁前後
配置はよくわからんけど、総長2km近くある広い戦線正面にある程度分散していたとしたら火力の密度もしれている
”「整然とした斉射」という痛い勘違い”なんて痛い幻見てるの君だけだろ
そもそもあの合戦のどこで鉄砲活躍したの?
まず発端の長篠城からして鉄砲のせいで外側の曲輪が使えないから(手前の丘から狙われる) 曲輪に堀を巡らせることになっちまったよ
信長公記見ると一拠点に次々押しかけては過半数が鉄砲でやられって感じだな 分散してるイメージはないが
>>238 馬が主力だった平安後期〜南北朝時代までは実戦でもよくこんな感じだったのかな?
平将門は馬上戦闘で敵を斬りやすくするために刀を湾曲させて、日本刀の起源を作ったとされてるしな
中国や西洋の方が日本より遥に馬での戦闘が多かったのに真っ直ぐな剣のままで発達しなかったのが不思議だね
伊勢神宮のとか秀郷の佩刀として伝わる毛抜形太刀はあるけど よく言われる将門が最初に湾刀作ったという逸話の出所ってどこだろう?
西洋は騎兵つったら槍だからじゃね 撲殺兵器が時代ってあるのかな
ロバートブルースが斧で槍との一騎打ちを制した逸話もあるし マシェジョスキ聖書にも剣や槍だけでなく斧の使用は多い 騎兵といったら○○ってほど簡単でもないだろ
システマされてない騎士の時代はようわからんな特に初期 好き勝手に得物えらんでたんだろうか ゲッツさんの話には槍が多い
馬上から対歩兵用だと長柄で 待機兵だと取り回し厳しいから 剣や斧と使い分けてる印象ある
槍でどつく→落馬→捕虜 騎士の場合そんな印象が 獅子心王のせいで殺意高く異教徒を殺すときは斧とかの印象ができてしまったw しかしよく考えるとイスラムは基本軽騎兵だから斧とかフレイルとかあえて使う理由がないな…
日本と違って刀に固執する必要はなかったんだな 日本より合理的で代わりに斧やメイスなどの鈍器系で頭を潰せばよかったわけか 西洋は槍は騎士などの正規兵しか持てず、斧は非正規兵などの農民のイメージが強いな 日本だと真逆で刀は武士などの正規兵で非正規兵の足軽は槍しか持てない
農民兵の主武器はどこの世界でもやりだけどなw
イメージで語られても困るわ
なぜ、馬上槍と歩兵槍と同列に語ってるんだ?
足軽って非正規兵なんですか?
>>255 ご自分のイメージだけで語っちゃう人みたいですから
名前を忘れてしまったがイスラムにも日本刀のような独自の曲刀があったよな それも馬上戦闘しやすいように作れられたのかどうかまでは謎だけど
サーベルことなら馬上戦闘用以外の何だと思ってるんだ?
>>253 からさお(フレイル)とか農業用の大鎌(ギサルメーだっけ?)とかフォークとか西洋はいろいろあるだろ
日本だと竹槍ぐらいしか思い浮かばない…
パイク兵も槍足軽も刀剣差してますけど
>>260 農具を武器に転用は日本でもしてるだろうが。でもってそれのどこが主武器なんだよ
フォークは槍の代替品だしな
>>256 戦国時代に特化したとはいえ、元々は予備役で良くても農民以上武士未満ってとこ
農民の延長でしかない
柄に関してならば竹柄の槍でも構わないから持ってきなさいってのは軍役状で見たことあるが 竹槍ってのが実際どれだけ使われていたのかね? 何しろ戦国の農村には本物の刀槍があったんだし
武田のやりってでっかいから竿みたいなもんじゃなかった?
>>262 じゃあ農民兵のデータくれよ
何を持って農民兵とするかもそれでわかるし
日本の農民の主武器は刀じゃねーの
農民兵はどの時代のどの地域を想定して話題にしてるんだよ まずそこから定義していかないと
>>261 西洋はわからないけど、日本は脇差と日本刀を持ってたのは身分の高いものしか装備してなかっただろ
身分の低い雑兵は鎧も貧弱だからせいぜい槍を引っさげることで精一杯
>>263 足軽には元々予備役とか農民の意味はないし
応仁の乱以降に活躍するようになったのは
悪党的野武士的な傭兵だけど
積極的に領民を動員するようになったのがむしろその戦国時代だろ
>西洋は槍は騎士などの正規兵しか持てず、斧は非正規兵などの農民のイメージが強いな
これに対応して
>>253 答えたつもり
>271 わからないくせに語ってたのかよ 適当なイメージで語るなよ
>>271 脇差は室町時代の農村なら農民の基本装備だけど。水争いや共有地争いで隣の村と争ってるよ
>>271 面白いこと言うな
足軽でも二本差しは基本だぞ
刀は蛤刃で斬れないらしいが、首切り用で脇差はよく切れるとか
美術価値もない消耗品だけど現存してるのかね
>>271 >西洋はわからないけど、日本は脇差と日本刀を持ってたのは身分の高いものしか装備してなかっただろ
だろとか言われても違うとしかいいようがないわ
戦国の農村って山仕事に脇差さしてってそれを隣村の住人に取られたので
領主に訴え出るとかそんな世界なんだが
長期滞在者が見聞きした範囲でこれだからな 逆に身分が高い人間しか刀をもてなかったなんてソースは何なの? フロイス『日本史』 ・日本では、今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者が、 ある年齢に達すると、大刀(エスパーダ)と小刀(アガダ)を帯びることになっており、 彼らはこれを刀と脇差と呼んでいる。彼らは、不断の果てしない戦争と反乱の 中に生きる者のように、種々の武器を所有することを、すこぶる重んじている。 ヴァリニャーノ 『東インド巡察記』 ・世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、 若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、 十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
戦国時代の農村は自分たちで砦築いて危急の時はそこに籠る能力あるぐらい 色々な技術持ってるんだよな
>>273 >西洋は槍は騎士などの正規兵しか持てず、斧は非正規兵などの農民のイメージが強いな
こんな何言ってんだかわからん妄言相手しないほうがいいだろ
正規兵とか非正規兵とか何を指しとるのか意味が分からん
大名に労役で砦の補修とかやらされてるからそのとき覚える 北条氏とか記録細かく残ってたはず 俺は持ってないけどw
むしろ西洋の方がカトリックの影響もあって職業軍人と農民の分離があります だからこそ急に徴集された農民はやりかよくてクロスボウしか使えないわけで もちろんそれすら与えられず農具持たされてってこともある
>>280 さっぱりソースも出さずイメージでしか語れない人だもんな
こういうときID非表示がイヤになるわ
>>281 相互扶助の労役か、金貰ってやるかは別として機会はいくらでもあるもんな
日本で身分が高いかどうかは名字があるかないかだな
>>279 どうだろうねえ
また数十年たつと覆る様な気もするが
要は白を見る視点がそういった農民の自治方面にすぎるのではないかという話も一方である
>>286 ぜんぜん違うよ。領主間で争いあって攻め込まれたときに農民がこもる防衛用の砦作っておいて
守り手が勝てばよし、攻め手が勝ったら貢物払って傘下に加わるって慣習だよ
ただ山で物見遊山してたわけじゃないんだな
>>287 農民が避難するだけならともかく
こもって戦う意味がよくわからん
慣習ってどの地方で例えばどの戦いだ?
高みの見物は農民の防衛手段だよ
>>289 籠って戦うんじゃなくて籠るの。攻め手がなんで農民に攻撃するんだよ
洛中から北条の領地からいくらでも例があるぞ
ああ守り手が勝てばよしって上の支配層の軍が勝てばよしってことか でもそれ砦作る必要あるのか?攻めてこないのに
その具体例を知っておきたい
洛中の方がちょっと資料名見つからんが北条の方は『北条記』、『小田原記』読め ざっとまとめてあるの見たければ >人類にとって戦いとは〈全5巻〉 >―歴博がいま「戦い」の意味を問いなおす― >第4巻 攻撃と防御の軌跡 >東洋書林 を読め
>>294 訂正
こっち
>人類にとって戦いとは〈全5巻〉
>―歴博がいま「戦い」の意味を問いなおす―
>
3巻 戦いと民衆
同時代史料じゃないのか ちなみに小田原北条記ならすぐ参照できるのでどのあたりかも教えてもらえれば
あ、もしかして小田原北条記じゃないのか 同じようなタイトルで内容が違う文献が結構多いしな
上杉の関東遠征のとこ
「信長公記」にも山に逃げ込んだ農民と手打ちが付かなかったから山狩りしちゃったって記述なかった?
ありがとう、やっぱり違うやつか でも『続群書類従』収録のもあるなら図書館で読めるからありがたいわ
アマゾン見たけど小田原北条記しか売ってないな… 鎌倉幕府滅亡〜後北条氏滅亡まで記されてる限りもっと評価されていいのにな 主に軍事に関しては信長公記より貴重なこと書かれてるんだろ?
下一行からつまらん釣りと判断
>>292 普通に用心は必要だろうがw
当時の下級兵士が行き掛けの駄賃に乱暴狼藉するなんてごく当たり前だろ
侵攻地の周辺の村でウロウロしてたら労役に徴発されるよ
>>224 集団騎馬戦法が当時の日本にあったのか?
百年単位で馬使った戦しててなかったらそっちの方が驚き
馬筏は口取りのいない統率のとれた密集した騎馬の集団でないと成立しない戦法だよな。 ひよどり越えも馬で集団突撃するからレジェンドになるんだし。 「ここは馬では降りられません!」 「よし、馬から降りて崖を降りよう。」 じゃ伝説にならない。
多賀城から坂本まで約950キロを23日間で走破した北畠顕家軍も騎馬部隊だよね
たとえば寄親寄騎の他に後世には馬廻りというのもあるが、これも寄騎の派生で、 寄騎は寄親に寄っているから寄騎なわけで、馬廻りは大将と一緒にいるから馬廻り。 寄親が突撃すれば寄騎も突撃し、大将が突撃すれば馬廻りも突撃する。 つまり左手で手綱を取るような下っ端を殺るのが寄騎や馬廻りの役目。
後世には、だろ。 武士はもともと弓騎兵という兵科として成立したわけで 中世には集団騎馬戦法主体だった考えるのが自然。
騎兵団が馬から降りて掻盾を組む下馬戦闘ならぬ下馬弓射なんていう事例も 太平記 一十五巻 建武二年正月十六日合戦事 脇屋右衛門佐・堀口美濃守・大館左馬助・結城上野入道以下三千余騎にて向たりけるが、其中より逸物の射手六百余人を勝て、 馬より下し、小松の陰を木楯に取て、指攻引攻散々にぞ射させたりける 太平記 二十六巻 四条縄手合戦事付上山討死 佐々木佐渡判官入道は、二千余騎にて、伊駒の南の山に打上り、面に畳楯五百帖突並べ、足軽の射手八百人馬よりをろして、 打て上る敵あらば、馬の太腹射させて猶予する処あらば、真倒に懸落さんと、後ろに馬勢控へたり 明徳記 上巻 大内義弘の奮戦 五百余騎の兵共、一度にはらりと降り立て、楯を一面につきならべ、射手の兵二百余人左右の手さきにすすませて、 「中を破らるな、敵若馬にて破りて通らんとせば、馬を切りてはねさせよ、落ば押へて差しころせ」
ソースが太平記…
当代・後世の武士に広く読まれたということはそれなりにリアリティあると感じられたんだろ 戦闘描写にそこまで的外れなものないんじゃないの?
日本の中世の戦闘描写って軍記物しか書かれてなくね? お偉い学者さんたちも一番古いものでも当時から100年は経っている平家物語を採用しているし
ここで納得行く書き込みって何だ? ソースが妄想や後世じゃ駄目 ここは一級資料を原本で読めるような凄い人なの?
妄想がソースになるわけ無いだろ
>>307 乗り崩し
ただし騎歩かかわらず突撃の美称としても使われる
美称になるってことは騎馬突撃の実態があったからという解釈でいいんだよな
>>318 どの程度の書物読んだら納得できる?
揚げ足取りが凄まじいから
とりあえず国立歴史博物館の監修本は根拠として挙げちゃ駄目なんだってw
いやオレが許可する!
信長公記、多聞院日記、フロイスの日本史などリアルタイムで書かれたもんならおkかな
325 :
名無し三等兵 :2013/10/06(日) 19:23:09.98 ID:uoP1Kahr
>>324 私はOKだが
多聞院日記等での実際に見聞していない話は一切信用できないと別スレで反論されたな。
多聞院日記での長篠合戦は伝聞じゃないか、一切信用できないと。
実際に見聞きした経験者の一次資料でないとダメ、信用できないと言われると私では反論できない。
馬を入れとか馬にて乗り崩しってあれば確定
太平記だろうが甲陽軍鑑だろうが史料批判しながら使えるところは使うってのが今の主流になってきてるな 情報源が少ない時代や地域の場合、使わざるを得ない史料ってのもある
学者にしろ小説家にしろ飯の種だからなぁw 新しい事みつけないとやることがなくなってしまうから
そうやって批判だけしてる人は食えもしないし何の業績も残せないしな
いや、史料批判の研究者は食えるぞ つまんないと思うが やりすぎると不可知論に行って学者も糞もなくなるがw 一部世界史ではイスラムの史料は嘘ばっかりだから それ以外の(例えば西洋の)資料でイスラムの歴史を見直した方がいいんじゃないかという 話もあるとか
少なくとも太平記だからなあ、で思考停止するよりは題材とほぼ同時代に書かれた作品として 使える部分を探すほうが建設的だろうな
>>330 >一部世界史ではイスラムの史料は嘘ばっかりだから
批判対象は「集史」あたり?
日本の話じゃないのか? 今時日本じゃ太平記の批判やって食べてる人がいるとは思えないが むしろかなり昔に批判が出尽くしたからこそ使える点は使っていこうって流れが出てきてるわけで
334 :
名無し三等兵 :2013/10/06(日) 22:48:02.21 ID:zGUJdcw0
日本史の資料は主に貴族の日記がメインだったけど 最近は豪商とかの日記も参照されるようになってるからね
335 :
名無し三等兵 :2013/10/06(日) 23:01:25.92 ID:fwYu2OrC
資料史学だけでは総批判であれ取捨選択であれメタ批判になるし、かといって、 私は剣道一段ですから、とか全乗振4級ですから、的に半端に実験考古学的に言われても判断に困る。 なんだけれども、このセンでブラッシュアップしていく以外にないし、 当時の兵隊さんの平均技術レベルは剣道一段や全乗振4級ぐらいだった、ということもあり得るわけで・・・
史学を専攻した人いるの? ここ それとも畑違いで俺が良く知らないだけで 日本史はずいぶんと玉石混交なのか
大学なり院なりの専攻分野の研究が一般に広がるまでタイムラグあるしな 彼らは一般向けに積極的に発言してくれないし
>>337 関心のベクトルが違うしな
アカデミックな人たちは戦争なんて興味なくて大名の民政がどうとか当時の民衆生活がどうとか風俗がどうとか断片的な資料を頼りに病的につついてるが、
世間はもうそんなことどうでもよくて戦争にしか興味ないからw
作家なんかも含めて一般人は原資料当たる機会少ないから、明治にどんな資料参照したんだか俗説までてんこ盛りに盛り込んで作成された参謀本部作成の日本戦史なんかが未だに重宝されてたりするし
甲斐武田もそうなんだが、騎馬隊だけの部隊編成があったのか?ということだろうな。 騎馬隊だけの部隊があれば、正面からの騎馬突撃はあっただろうし、それよりも横槍があったはず。
そう簡単でもないかもしれん 騎馬隊だけで敵の城に強行軍 そのまま交渉して落城させるとか エリートと言うか特殊部隊まがいのことをしてた可能性もある模様 詳しくは 武田信玄勝頼の甲冑と刀剣に 該当箇所そんなにページあるわけじゃないけど
>>340 >>騎馬隊だけで敵の城に強行軍
それなんの意味が…
相手の準備が整う前に包囲して籠城断念させるとかそんな感じ?
じゃねい 心理的な効果を狙った一種の電撃戦かと 先方が来れば御詰めが来るとかどうとでもはったりはきくし 救援の知らせが出せなけりゃ籠城する意味もない この本の例だと実際自落してる
荷物減らしてやれば人間も付いて行ける
>>340 それは攻城戦の話。
野戦で騎馬隊はどうだったのか?
騎馬隊の横槍なんて鵯越以外は思い浮かばないんだが。
陸奥話記の清原参戦直後の戦いについてはこう書いてるな。 則以騎兵圍要害。以歩卒攻城柵。件柵東南帯深流之碧漂潭。西北負壁立之青巌。 歩騎共泥。然而兵士深江是則・大伴員季等。引率敢死者二十余人。 以劔鑿岸。杖鉾登巌。斬壊柵下乱入城内。合刀攻撃。城中擾乱。賊衆潰敗。宗任将八百余騎城外攻戦。
『信長公記』にわざわざ関東衆馬上の功老にてなんて書かれるくらいだから 織田陣営からは他の武田方は積極的な騎馬戦闘はしてるようには見えなかったんだと思うが
又七陣陣頭武道支要害處。宗任精兵三十余騎為遊兵襲来。武道迎戦殺傷殆盡。賊衆捨城迯(逃)走。則放火焼其柵了。 所射斃。賊徒六十余人。被疵迯者不知其員。官軍死者十三人。被疵者百五十人也。
えらい時代を下げたな
まあこれは単なる漢文的表現だとオモワレ
鎧を付けた武士を乗せて走れるような馬がいたのか?
逆に走れないような馬がいるのかと
未だに「ポニー」という言葉に騙されてる人いるの?
王ツ『汎海小録』 「兵杖には弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す。殊に精甲は往往黄金を以って之を為り、珠琲をめぐらした者甚々多し、」 元寇の際に元側は結束した騎兵とよく作られた鎧を着た武士を見たようだけど 「精甲」を着た武士は馬には乗らなかったってことですかね?
>>354 は皮肉のつもりなんだろうけど
wikipediaの
王ツ『秋澗先生大全文集』巻四十 汎海小録「兵仗有弓刀甲、而無戈矛、騎兵結束。殊精甲往往代黄金為之、絡珠琲者甚衆…」
出典がこの文だとしたら、書き下しにも訳文にもなってない、引用表記も違う
日本語理解できてないととられても仕方ないといえるかも
種牡馬の体高 ヴィクトワールピサ172 ディープインパクト164 ステイゴールド162 ヨハネスブルグ161 デュランダル159 ドリームジャーニー158 ノーザンダンサー157 チチカステンゴ155 ハイペリオン153 ポニー147
最も戦闘に適したサイズはどれよ? 史上最強モンゴル騎兵の使ってた馬くらいか
蒙古馬って小型種じゃなかった?
フランスドイツがイスラムのアラブ馬やトルコ系の馬に対して森林馬の大きさで勝負しようとしたのは、 遊牧民ほど馬の数をそろえられなかったこともある。 数が少ないからかえって一点豪華主義的な少数精鋭主義=騎士になる。
フランスドイツの馬の血統ってもろにアラブじゃ
種牡馬の体高 172 ヴィクトワールピサ 164 ディープインパクト 162 ステイゴールド 161 ヨハネスブルグ 159 デュランダル 158 ドリームジャーニー 157.5 盛岡南部藩38代利済の栗毛馬の国一、5尺2寸5分(南部馬の5尺超えはちょくちょくいたらしい) 157 ノーザンダンサー 155 チチカステンゴ 153 ハイペリオン 147 ポニー上限 142 イングランド王ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)布告、142センチ以下の雄のタネ残すな 129.5 新田義貞の鎌倉攻め戦死者とともに出土した128頭の平均、大きいもので140cm 112-133 グスタフアドルフの騎兵(スウエーデン軍装備目録) シェトランドポニー100センチ台、ポニーサイズマジックで連想するのはこれ
日本の馬が鎧武者を乗せて疾走したのは間違いないだろう。 問題は騎馬武者だけの集団戦法、騎兵の戦法があったのか?無かったのか?
逆に聞くが騎兵って集団運用しないとしたら偵察か伝令用だから鎧着せないよな
伝令は知らないが、馬に乗って偵察するのは誰なのか? 下っ端の郎党ではないと思うが。
>>367 偵察兵って騎兵でも歩兵でも軽装武装だと思うけれど、重武装で偵察なんて何やりたいんだ?
>集団運用しないとしたら偵察か伝令用だから鎧着せないよな 伝令の母衣武者も武装してるが
>集団運用しないときの馬の運用の話をしてるのに、なんで集団運用されてる時代の話持ってきてるの?
>>369 それ集団運用してる集団の話じゃん
伝令って駅の方だぞ
鎌倉木座遺跡で発掘された馬の四肢骨と推定体高 [骨] :[推定体高] .:[平均] 中手骨(38例):121〜139cm:130.9cm 中足骨(34例):109〜138cm:130.1cm 橈骨 (26例):117〜136cm:128.7cm 脛骨 (26例):109〜140cm:127.4cm 上腕骨( 3例):119〜139cm:128.5cm 大腿骨( 1例):128.1cm 林田重幸著「中世日本の馬について」「日本在来馬の系統に関する研究」
らくだ騎兵高くてTUEEE、低い馬は鞍上引きずり下ろされてやんのwww って画像ではあるが、らくだくらい高いと、訓練中に落らくだしただけで死にそうだな
こだわらんでも落馬でいいと思うぞ。大型の馬でも落馬死亡はあるからそれより高けりゃな
マムルークはらくだでの騎射もやったらしいがランスチャージもあるのかな?
幕末に洋式騎兵を育成した時は練兵場に砂を撒いて落馬のショックを弱め様としたと。
落馬で死んだもんで中止した訓練もあるそうだな だいぶお馬鹿というか医大遅れの訓練らしいがw
訓練くらいならいいけど、生活になっちゃう遊牧民が130センチ台に乗ってるのは最適な馬選んだ結果なのかもな
南部でも駄馬としてはむしろ小さい馬の方がよかったらしいが、 騎馬武者の乗馬としてはやはりでかい馬が高値で売れた。
>>380 130センチでもヨーロッパまで走れるんだろ。
そのくらいのほうが騎射はしやすいとかね
384 :
名無し三等兵 :2013/10/08(火) 17:43:38.97 ID:dV/9ttk5
前にも書いたが、乗り手が、キ高の上から向こうが見えるぐらいが実用上の上限。 それ以上になると乗り降りがたいへんになってくる。 台が欲しいとか、足をひねって甲を鐙に引っかけないと乗れないとか、荷物在ると乗れないとか、よじ登る時と乗り続ける時と鐙の長さを変えなきゃいけなくなるとか。 なので、乗り手の人種や時代によるが、大きくても140-150ぐらいがひとつの目安になる。 西洋の騎士でも、身長の記録が残りやすい上流階級は大きめだったろうけど、階段とか、ベッドとか、矢狭間なんかの大きさからすると、みんながみんな大きかったわけでもないだろうし。 下は運用依存が大きいが、120以下だと制限が極端に増える。いつも馬に注意してばかりになる。 いま、105cmのシェット系ポニーを調教しているけど、負荷65kgだと速歩以下で短時間、55kg以下でも駆歩はだせるけど短時間な感じ。 行軍や合戦ではいろいろ不自由が発生するだろう。 125-130cm(今の道産馬、木曽馬)あれば、負荷70kgで割と普通に運用できるはず。 馬具・鎧兜込みだと70kgには収まらないから、制限は生じるね。 替え馬使えればうんと楽になる。
ああ、いつもの長文電波が来た。ネットで俺の職業が〜だと言う奴は身元出せなきゃ主張の信頼性 かえって失わせるって理解できないんだろうな
人間と馬の長距離レースでちょくちょく人間が勝つのが気になる
>>385 本当に専門家なら実名でまとめてネットに公開して、こんなの見つけたと引っ張ってくれば済むのにねw
ツイッターアカウントでも出してもらえればフォローするかも
体高150cm以上の馬に乗れるような武士は身分的にも運動神経的にも普通の武士じゃない。
日本では体格のいい馬は軍馬に持ってかれちゃうから大きい馬が品種改良の結果として そろわなかったてのもあるかな
一番立派に育った牡馬は献上して繁殖から切り離しちゃうのは痛いな 朝鮮半島でも同じことあってモンゴル馬の血統が崩壊しちゃったし
相変わらず同じ話題でループしてるね。このスレって過去ログたどることもできない無能しかいないの?
394 :
名無し三等兵 :2013/10/08(火) 20:51:58.22 ID:dV/9ttk5
>>392 本来は、大きく育った牡の父ちゃんを残せば無問題。牝馬由来なら肌馬は残るからOK。
半島での経緯よしなに。いつごろ? 馬と隼・白隼を中華にねだられていたのは知っているが・・・
>>394 大型の馬を選択して繁殖集団から切り離してるのに、どこが無問題なんだ?
胡散臭さだけが増えていくなおいw
自称専門家様をいじめんなよ。あ、ツイッターなりブログなり楽しみにしてます
日本は馬のサイズを四尺+で言っていた(軍馬の規格?)ので最低四尺
五尺以上は例外
ttp://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/09/04/0404.html >木曽馬はスピードもスタミナもサラブレッドにはかないませんでした。しかし、木曽馬には、
>別に秘められた能力があるというのです。なんと木曽馬は最大傾斜角度30度以上の
>急な山道をグングン50mも登り、帰りも楽々下ってきました。
>一方サラブレッドは、ほとんど登れず、スタート地点からわずか5mでリタイア。
馬の大型化=平坦な道専用化なのは言われてみればその通り
戦場に必要なのはスポーツカーではなくジープ
398 :
名無し三等兵 :2013/10/09(水) 06:00:39.85 ID:OX/6tsGM
>>395 後代検定
>>397 「返り何キ」つまり「4尺マイナス何寸」もあったので、4尺は「最低」ではなく「基準」あるいは「標準」。
一晩考えて出た言葉が後代検定かよ。中世における実際の繁殖の不備をどうやって それで正すんだ?現在優良種がわかっても過去は変えられんだろに
いやだから将軍様の馬でも優良馬は南部家に下賜して放牧するって書いてるじゃん。
結局は南部家に預けるって南部ってもともと甲斐の牧管理していた一族で 奥州藤原氏の滅亡以後東北の牧管理するために送り込まれた一族だぞ そこに優秀な種馬が入ったら預けんのは当然だろ。ただ放し飼い・未去勢で 繁殖管理しないうえに、生まれた優秀な牡馬は軍馬にして繁殖から切り離すから 軍馬として品種改良ができないと言ってんだが
この話いったい何度めのループ?
鎧武者乗せて走れる馬もいることが判った。 騎馬武者もいることがわかった。 ところが 騎兵がいないのはナゼ?
将軍自慢の馬を預かってて、若いのにぽっくり死んだときって責任とかどうなるんだろう
>>403 それぞれの定義を書いてレポート用紙20枚以内に疑問点を書いて提出しなさい
騎兵がいない?律令時代からいるよ 突撃を主たる戦術とする重装騎兵が いないなら意味わかるが
408 :
名無し三等兵 :2013/10/09(水) 17:37:05.22 ID:OX/6tsGM
後代検定の意味を判ってるかな? 歴史の後知恵、という意味ではないよ。 この「代」は史学的な長期間ではなく、世代の「代」だよ。 親が存命なうちに、子供の成績によって、親を繁殖用に重用するかどうかを決める ことだよ。優秀な牡馬が切り離されても、その父が残ればいい、ワケ。 特に牡はたくさんの相手にかけられるから、父子のうちの子がいなくなるデメリットし小さいんだ。 走る馬と走る馬を出す父はかならずしも一致しない、種牡馬として大切なのは「走る馬を出す父」である性質のほう。 同じことで、大きな馬を召し上げられても、大きな子を出す性質を持った、当人はさほど大きくない父が残ればすむんだ。 少し遠回りになるが(当時は血縁度計算できないから直感的な理解だったはずだが)、叔父伯父兄弟でも考え方はかわらない。 個別繁殖管理はまた別の話だね。 他牡が未去勢、粗放的放牧という条件下では、大きな牡馬を残せばそいつが多くの牝を受胎させる、ということにはならないから。 人が軍馬として好む性質と、牝にモテる性質は一致しないからね。 他方、区画を分けて、種牡1+肌馬複数で管理するのであれば、その種馬が大きな個体か、大きな個体の父かはほぼ同じことですよ、ということ。
>>406 馬に乗っていれば騎兵、といってるんじゃないよな。
突撃しない騎兵なんてあるの?
弓騎兵全般
竜騎兵も 騎馬突撃する騎兵のほうがむしろ少数派だろ
>>411 >竜騎兵も
時代や国によって用兵が異なるから言い切るのは危険かと。
イギリス→18世紀以降は重騎兵としての性格が強くなる。
ユサールに対応する兵科として軽竜騎兵も創設される。
フランス→本来の乗馬歩兵としての性格を比較的残す。
戦役に初めから歩兵として従軍する徒歩竜騎兵連隊も暫定的に編成された。
お預かりした将軍の馬がポックリ死んだ例。 享保11年(1726)、8代将軍吉宗も南部藩に「春砂」というペルシャ馬を下賜。これは住谷野(三戸郡)に放たれました。 「春砂」は体高4尺9寸5分(148.5cm)もある種雄馬でしたが、盛りの9歳で死亡。 その死を惜しむ地元藩士らが馬頭観世尊として建立した「唐馬の碑」が、三戸町元木平の馬暦神社に残っています。唐馬の碑は昭和35年、青森県の史跡文化財に指定されました。 あとサラブレッドだって砲兵挽馬だって別にいきなり種雄馬にするわけじゃないだろ。 種雄馬にするのは現役引退してから。
>>408 後代検定なんてできるようになったのいつの時代だ。中世・近世にはそんな手法ないぞ
そもそも放し飼いで厳密な繁殖管理なんてしてない。それに加えて日本では
>>408 でも
書いてる様に去勢されない状況でどうやってどの牡が種馬になったのか判断できんだよ
415 :
名無し三等兵 :2013/10/09(水) 19:09:42.57 ID:rtA7U/JO
同じ兵科名に訳されてるだけで、元は違う意味だったり 兵科名はそのままで役割が変化したり ただ一般的にってのはあるだろ
古代・中世の日本の牧畜形態だと、モンゴルのように種馬+牝馬たくさん+去勢馬が群れの 単位になるのと異なって、種馬+少数の牝馬の小さな群れで積極的な品種改良しないから そこから体が大きい形質の牡馬を選択的に抜いていったら小型化の方に品種改良してるの と同義になると思うんだけど、どこかおかしいかな?
418 :
名無し三等兵 :2013/10/09(水) 19:30:12.69 ID:OX/6tsGM
>>414 「後代検定」が理論的に整理されたのは近代遺伝学以降だよ。
けれど、「後代検定に相当する行為」は近代遺伝学以前から普通に行われている。
アサガオやキンギョを考えみ。
牡牝を特定する繁殖管理は理想だけれど、必須ではない。
去勢しない馬をどれだけ自由にするか(肌馬と同じ区画に放すのか、別の区画なのか)といった間接的な管理でも品種改良は可能。
>どの牡が種馬になったのか判断
するのは必須ではないのよ。
去勢する→どこに放してもいい
去勢しない→別区画に放してね
むろん、どの時代の南部のどこどこでどういう管理をしていたかはしらない。が、私が言いたいのは
「大きい牡馬を抜かれたらダメ」ではないよ、ということなので。
時代は下るが、明治陸軍が種牡馬として入れた「豪州馬」は、個別繁殖管理はされてないでしょ。
>>418 一年で形質が観察できるうえに交配の系統が観察できるものとなにを混同してるんだ?
さらに日本では
>去勢する→どこに放してもいい
>去勢しない→別区画に放して
なんて管理してないで半野生状態の放し飼い
ついでに言えば豪州馬はそれこそ種馬以外は去勢されてるんだから
形質管理できてるじゃないか
南部藩は民牧に優秀なタネ馬を与えることで、藩の経済発展を目指しました。 この種牡馬は南部藩から下賜されるもので、「下され馬」と呼ばれました。 貸し下げには順位があって、いい母馬が多くいる民牧が優先されました。 「いい母馬が多くいる民牧」としては七戸と五戸組が常にトップを争い、 以下三戸、福岡、沼宮内、野辺地、田名部と続きます。 里馬に対する藩の制約は非常に厳しいものでした。民間所有の里馬は一頭残らず「馬改め」を受け、 馬籍簿に登録を義務づけられます。それを怠ったり許可なく移動、売買した者は、持ち馬をすべて没収したうえ所払いなどの重科に処せられました。
>>420 どのHPからコピペしてきたかは知ってるがそれを書くならちゃんと18世紀も終わり
江戸時代も半ばを過ぎてからと書こうな。古代でも中世でもねーよ
アドレス貼ってくれよそっちみるからw まあ江戸以前と勘違いする奴はいないと思うが 南部藩て幕末には御多分に漏れず破綻状態だったような
南部藩が掫駒(せりごま)制度を定めたのは寛文年間だから18世紀ではぜんぜんない。 適当でいいかげんな奴だな(笑)
426 :
名無し三等兵 :2013/10/09(水) 20:16:51.47 ID:OX/6tsGM
>>419 だとすると、
「大きな馬が抜かれる」ことは無問題で、
「半野生状態の放し飼い」が問題、ということ?
どっちが焦点なのさ。同じ人かどうか知らないけどサ。
「大型の馬を選択して繁殖集団から切り離」すことは無問題、でいいの?
豪州馬の去勢って徹底してる? 産まれた若駒を駆り集めでもれなくチェックできてる?
競走馬の登録条件って牡牝確定だっけ、交配日も必須だっけ?
もし前者で、種馬以外去勢が確実なら、豪州サラ雑も競馬に出せるはずだけど、現実にはだめ。
馬も2年あれば大きさは判るよ。
「交配の系統が観察できる」は、雌雄を特定できると解してよいのかな?
キンギョやアサガオはそんなに厳密に交配管理さていたのかな?
そこそこラフでも品種改良はできるんだけど・・・いまでいう群管理ベースで、大格馬の父優遇ぐらいでも。
それと、区割りはしていなかったのかなあ?
外周に柵はなかったの? 周辺の農地が自衛していたの?
外周に柵があったのに中は区分けしていなかったの?
豪州の放牧は時と場合によってはほんとに柵なしの荒野おっぱなしだが、昔の日本もそうだったの?
間に相当な幅のバッファとしての牧草地等がないと、里に近づいてこられて困りそうだけど。
上記のサイトには、 臨時に駆りだされる作業もありました。たいていの場合は、牧柵や土塁の補修作業でした。 これが、馬が行方不明になった場合は厄介でした。 普段は馬見名子(牧童)や御野馬係百姓といった地元の下級役人が牧野を巡回して、頭数を調べたり、ケガをした馬を収容したりしています。 その際、もし馬の頭数が足りなくなっていれば大変です。近隣から農民が呼び出され、牧内をくまなく捜索させました。 最大規模の木崎野(上北郡)には、宝暦年間(1751〜)で三沢村に28軒の農家があったほかは根井(百石町)に5軒、谷地頭に一軒という程度しか人が住んでいません。 そのため六戸や五戸方面からも動員され、何日も泊りがけの捜索になったと言います。 狩猟牧畜ではなく徹底した管理牧畜だったようだな。
430 :
名無し三等兵 :2013/10/10(木) 15:54:50.56 ID:/nVN77ny
いやいや面白い。 馬一疋一日一坪ニして百八十坪 十二丁位の地江、弐百疋位 一頭当たり一町歩の標準にくらべてはるかに高密度(16倍! だれか検算して) に対して 三四丁四方一疋の積り そんなにうまくはいかないよね。 弐歳以上牝馬五七十疋より百疋程の牧江牡馬一匹の割合ヲ以て放し来り候。 繁殖管理はできていたみたい。 寿命、発情年齢、毎年か隔年かしだいだけど、発情するのは最大で70頭ぐらい? 和種の放牧なら牡一頭で受胎率維持できるのかな? 三四月草萠え候頃見合せ、牧江馬共相放し 厩ヲ大き目ニして牡馬ハ合同ニ入れ置き いくら飼い桶は分けるとしても良い度胸。 こうしてみると、大格軍馬が出現しなかった、数が揃わなかったのは管理問題ではなさそう。 国内の遺伝子プールの問題はむろんあるだろうけど、だとしたら、明治以前にも輸入を試みた例が多くあって良い気もする。 小格の駄馬から大格の乗馬を品種的に分離させるだけの需要がなかったから、というのも大きいのではないか。 馬耕も盛んでなく、馬車も使わない(日本の地形や気候では使いづらい)となれば。
>>431 100石取りだとよっぽどの大藩じゃなきゃ上士格だしねえ
150石といえばまぁ年収は70〜80両ぐらいだろ。徒の侍に中間何人か下男に女中は雇わないといけないからなぁ 普通なら馬は厳しいんじゃないの?他の藩じゃ
一応50石前後から騎乗は許されるみたいよ 戦国時代はこんなもんだったのかね
しかし石高と騎馬武者数が少ないのはやっぱり領地内の牧場数によるのかな?
石高と騎馬武者数が比例しないのは、だった
でかい藩(大名)は大身持ちが出るからだろ
数千石の家老とか
>>435 もしこれで騎馬隊作ったら誰が足軽とかの指揮をするんだ
40石までいるし(陪臣のようだが)中級クラス以上全員だろこれ
つか十二備ってすげえな…総動員数何人を想定してんだろ
大阪攻めの夏か冬かどっちかが確か1万石当たり250人の軍役だったはず、短期決戦とか領内で戦うならもう少し 多く動員するんじゃね?
甲斐の武田で、総数で何騎ぐらいだった?
441 :
名無し三等兵 :2013/10/10(木) 20:44:09.18 ID:/nVN77ny
150石→100石→300石の変遷はあっても、まあざっくり100家。乗馬需要家。 藩公認で藩外に売るのが年による変動あっても概略年100頭、1000家分、合わせて1100家分ぐらい。輸出が10倍は大きいが・・・? 農家需要は9万頭ぐらい?
>>429 には農民は勝手にやってる
というか
>藩が官営する牧場の飼育馬の外に、民間に育成された牡(ぼ)馬の優秀馬は、上馬(じょうめ)と称して藩有していたのであるが、
>諸士の平侍以上のもので、軍馬を飼養すること、あるいは乗馬として良馬を買入れたこと等は、
>これまた領内の産馬熱を昂揚させたものであろう。
大量に馬使いたくても燃料(餌)の補給が間に合わないよ
干し草だから大丈夫じゃね むしろ代金の方が大変なのでは
戦になくてはならない軍馬は、酷使されるために消耗が激しく、奈良時代以前から大豆や米などの栄養価の高い飼料を与えられてきました。 馬糧の量は、騎馬で一日一頭あたり三升、駄馬でも二升という消費量になるため、兵士たちよりはるかに上等な食事を食べていた事になります。 通常、馬糧に利用する大豆は、煮豆したものを日干し、ワラを編んだ豆俵にして運んでいました。しかし、緊急事態が起きた場合は、煮豆を日干しする時間がとれず、 豆が煮上がった所で煮汁を捨て、煮豆を俵にそのまま詰める事もしばし行われていたのです。俵のワラに付着していた納豆菌は、その熱い熱によって覚醒し、煮豆が適度に冷えた頃を見計らうように猛烈に繁殖し始めます。 多くの場合、馬糧の豆俵は積み重ねて運ぶため、中の熱はなかなか下がらず、煮豆は一日〜二日で糸引き納豆へ変化します。 ある時、八幡太郎義家は、馬糧の豆俵を兵士たちが捨てているのを目撃します。兵士たちは、糸引き納豆に変化した煮豆を、腐っているものと思い、捨てていました。 八幡太郎義家は、捨てられた糸引き納豆を拾い上げて口にした所、充分食べられる食料である事に気がつきました。この時より、八幡太郎義家は、糸引き納豆を兵糧に採用することにしたのです。
_人人人人人人人人人_ > ま る で お と ぎ 話 <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^YY^Y^Y ̄
>>444 その干し草を輸送する馬が必要で
その馬用の干し草も必要になる
図説盛岡四百年の軍役一覧だと、 2500石は18騎、2000石は14騎、1500石は13騎、1000石は9騎、 800石7騎、500石4騎、300石2騎、150石1騎、100石は徒歩3人。
別に騎馬隊=無補給遠距離行軍というわけではないよな。 補給所である城と城の間を迅速に移動できるだけでも敵にとっては脅威。 北畠顕家軍にしても途中全部が敵地というわけではないし。
南部騎馬軍団の威力!とかは、 実際には三戸〜盛岡〜花巻〜遠野の支城の間を素早く移動して援護し合えることと、 格闘になったときに馬が大きいこと、家臣が馬に精通してること。
>>438 足軽の指揮は侍が取るが各隊あわせて3名だけだし
>>444 結構な量の大豆か米糠もまぜんといけんよ
455 :
名無し三等兵 :2013/10/11(金) 17:31:14.92 ID:SWGmRQ/K
1858年の軍役
456 :
名無し三等兵 :2013/10/11(金) 22:35:21.26 ID:qgl81yMb
騎馬武者一人に相当な土地がいるからなマジで 生産力が上がってた戦国時代はともかく 奈良時代はどうしてたんだろと思うぞ 弓兵主力の歩兵軍団だったとおもうけど
>>444 草だけは一日中食いつづけて餓死しないカツカツ
とても使役の役には立たないのが馬
高カロリーな餌食わせるとそれなりに働く
一日中は誇張
日本人の身長を考えると日本の馬も飯が悪かったのではと思わないでもない
サラブレッドの脚の長さは凄いな
体重400kgの馬が一日に必要とするカロリーは13500kcal これを草だけで摂るんだから食っても食っても間に合わないよ 馬に限らず草食獣は寝てる時間以外は食い続ける 人は馬に草より高カロリーな飼料を食わせる知恵があった
モンゴルの放牧の紹介で6〜8時間くらいでおkってのが張られてたような
そういうもの食わせてでかくしたんじゃないかと言ったんだが ムサキウマゴヤシとか 400kgってでかくねえか
464 :
名無し三等兵 :2013/10/12(土) 09:23:51.25 ID:IK0xwApy
マメ科とイネ科でちがうし、おなじ科でも種類あるし、同じ種でも場所によるし、おなじ場所でも一番か二番か、どこまで育ったかで違うし、 栄養価高くてもマメ科多ければお腹壊すし、一番の出穂したもののほうがカロリー・蛋白ともに豊かだが二番の若い草のほうが嗜好性は高いし・・・ なので、いい時期たとえばナーダムの前とか、には、草だけでも摂食時間を制限して絞ることもあるけど、悪い時期には数時間では足りない、寝る時以外食い続けでも痩せていく、こともある。 馬は大きさの割には代謝が早くて短期間の絶食でも弱るので。
マジで哺乳類って効率悪いよね・・ 爬虫類なんか1/10の食事で生きていける 温度変化で活動レベル変わっちゃうけど
以前の現代のモンゴル放牧ブログ
266 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/24(月) 20:04:05.92 ID:???
モンゴルでは今でも補助飼料とかはあまりやらないらしい。
http://ameblo.jp/mongolnomad0/entry-11179379810.html 267 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/24(月) 20:11:33.32 ID:???
草ならただだもんな
理由があって大きくしなきゃそりゃそうだろう
268 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/24(月) 20:14:39.97 ID:???
粗食に耐えるって意味でもモウコウマは扱いやすいんだろうね。
269 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/24(月) 20:31:02.38 ID:???
そこら辺に生えてる草喰わす方針だと飯に6〜8時間かかるんか
270 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/24(月) 21:06:32.24 ID:???
武将の覚書か何かで飼い葉について語ってるのとかあった気がしたが
ぱっと思い出せん。
271 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/24(月) 23:45:16.77 ID:???
馬にとって草は消化効率が悪く食っても食ってもなお足りない
草だけだと食う寝る移動するのループで働かせる時間がない
272 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/24(月) 23:51:03.31 ID:???
8時間放牧でおkなら仕事内容によるな
つーかさ、むしろ上級武士のための高級軍馬は全体の中では少数で、馬を飼う一番の理由のは運搬、駄馬だったんぜ。 それも砂金や砂鉄、銀や銅、塩を運ぶための。 南部では武士のために無理に馬を飼うというより、もともと平時から馬がいっぱいいるから馬に乗って戦う。
あと馬って草食ってる時間は長いけど睡眠時間は短い。平均一日三時間で十分。 草だけだと食う寝る移動するのループで働かせる時間がないというのは大ウソ。
慶長の役のときの島津軍は1万2433人で軍馬272頭。 飼料大豆は5ヶ月分1日2升で616石を準備。 1020石の将士が96騎を指揮。
軍馬が何を含んでるか知らんがなんにしても桁が一つ足りないんじゃないかというレベルだな
海を渡るのが大変だからその程度に留めたのでは? 地元で戦った対秀吉戦の時の数字が欲しい。
まあ272騎でも一備え平均20騎弱として10個備えは編成できるんだよ。 その5ヶ月分の飼料大豆の量がだいたい600石。
替え馬もなしでなおさら何をする気だよ
おおかた
>>435 を基準にしたんだろうが島津が一緒という根拠でも何かあるのか
>飼料大豆は5ヶ月分1日2升で616石を準備 人なら何人分になる?
475 :
名無し三等兵 :2013/10/12(土) 20:57:50.77 ID:IK0xwApy
エライ人を馬に乗せています、というだけで実際の戦力としては・・・遠くが見える分指揮が有利なのと、馬がうろちょろするのと相殺ぐらいかね。 輿や脚立でなく馬なのは文化的なものか。 歩兵を体当たりでなぎ倒すとか、乗り手が斬りつけにくい馬首左にいる歩兵は横の騎兵が攻撃するんだ、みたいなことは難しそう。 駄馬に輸送効率向上と、駄馬が余分な飼料を必要とする効率悪化のパランスは比較的少ない変数で時代を超えて一般化できそうな気がするんだが、行われているだろうか? ブラック・バック作戦みたいに。
そもそも織田豊臣時代の騎馬武者の戦い方は?
既に騎馬戦の時代は終わってる 数で勝負の時代
20騎1セットなんだから歩兵を体当たりでなぎ倒すとか、乗り手が斬りつけにくい馬首左にいる歩兵は横の騎兵が攻撃するんだ、みたいなことは簡単だろ。 歩兵なんか最初から襲撃目標じゃないんだよ。乗馬襲撃の目標はあくまで敵の大将。 河越夜戦の北条氏康、桶狭間の信長、川中島の謙信、三方が原の信玄、大阪の陣の幸村、 あれが騎馬武者の戦い方。 また家康みたいにいざというときは逃げて逃げて逃げまくるのも騎馬武者の戦い方。
だいたい備の騎馬武者が正面突撃するのは、鉄砲・弓・長柄槍で敵の陣形を崩してから突撃するのが原則。 足軽を蹂躙することがあってもそれは単に大将を攻撃するのに邪魔だからでそれが目的ではない。 持ち槍の徒歩武者も同じ。馬印が倒れる倒れないが問題になるのもそのため。 家康だって義元が死んだら信長と戦う理由ない。
また電波飛ばした人がきましたねえ オクスリちゃんと飲んでね
日本の騎馬戦は少数による奇襲、撹乱 黒沢の映画のような騎馬戦は無い 戦術は土着の物 日本は日本の騎馬戦やってる 大陸の壮大な騎馬戦とはまるで違う
スゲー電波きた
いくら書き込んでもいいけどIDくらいは出してて欲しいな
484 :
名無し三等兵 :2013/10/13(日) 14:08:42.59 ID:mVUZ3/iV
ageでID表示進行?
土鍋が帰ってきた?
486 :
名無し三等兵 :2013/10/13(日) 21:13:52.52 ID:M8B8VKDK
>>478 >20騎1セット
あおりとかでなく聞きたいんだけど、そうだったの?
平均20-30人の徒歩の部下を伴った家長が20人集まって一備だった、のではなくて。
だいたい10人20人一組で、組頭の号令で一斉に動作する長柄槍というのは、 ペナルティキックのときの壁みたいなもので、敵の移動を制約するには便利だが、 敵の武将を追い詰めてとどめを刺すには非常に不便な編成だ。 敵がバラバラに逃げたからといって、長柄組の編成を解いて各個に追撃というわけにはいかない。 そもそも長柄槍は一対一で戦うには不便で10人、20人で使って始めて効果を発揮する。
489 :
名無し三等兵 :2013/10/14(月) 07:58:30.91 ID:BTdvYPOu
もう少し聞きたいんだが
>>448 名無し三等兵 [sage] 2013/10/11(金) 13:30:36.09 ID:??? Be:
図説盛岡四百年の軍役一覧だと、
2500石は18騎、2000石は14騎、1500石は13騎、1000石は9騎、
800石7騎、500石4騎、300石2騎、150石1騎、100石は徒歩3人。
は、150石以上は騎馬武者「だけ」出すの? 表記の騎馬武者+表記していないお徒も出すの?
もし後者なら、一家で騎馬隊を揃えられる大身以外は、家中の者を他家の家中の者の指揮下に預けて家長は騎馬隊に編入されるわけ?
陪臣が他家の陪臣を指揮するのって不思議な気が。
家臣である各家の家長同士も、上下関係強弱関係はあっても、主従関係ではないよね。
騎馬隊に編入される各家長も他家の長の指揮されるの?
主君の家老、息子、弟ぐらいなら代理主君として立てうるのは判るけど、
>>まあ272騎でも一備え平均20騎弱として10個備えは編成できるんだよ。
の例だと、序列10番までもが主君代理として指揮したことになりそうだけど、収まりがついたのかな?
>>20騎1セットなんだから歩兵を体当たりでなぎ倒すとか、乗り手が斬りつけにくい馬首左にいる歩兵は横の騎兵が攻撃するんだ、みたいなことは
日頃からの連携訓練を要するが、各地に分散していた各家の家長を集めて訓練、なんてできていたの?
軍役は2500石の場合は18騎で、持槍1人、甲持1人、具足持2人、弓1人、 鉄砲3人、床机持1人、馬口取2人、雨衣箱持1人、沓管持1人、長士2人、手あき4人点 小荷駄物持夫6人、合計45人 150石の場合は1騎で他に持槍1人、甲持1人、具足持1人。 50石の場合は家長でも持槍1人。
家長といっても身分の序列ははっきりしている。 家長といっても50石の持ち槍が2500石の家長の命令を拒否したりはできない。 各地に分散している家長は戦国時代なら支城、江戸時代なら城か代官所に所属している。 当番勤務や防御の配置も決まっている。行進の順序も備ごとに決まっている。 南部でいえば九戸政実は命令拒否して大包囲戦になったが、八戸は臣従した。
493 :
名無し三等兵 :2013/10/14(月) 15:22:33.64 ID:BTdvYPOu
>>490 d。
>>491 名目上の序列は把握。けど、それでうまくいったのかいささか腑に落ちない。
スムーズな指揮権委譲を意識してテザインされた近代国家の軍隊であっても、所属方面が異なると命令できないとか、参謀や兵科以外の将校は上位者でも命令権ないとか、
なのに強行したとか、古参下士官が新品少尉を指揮せざるを得なかったとかそれができずに悲惨なことになったとか、いろいろありますな。
江戸期であれば家長は「藩主の臣」意識は高まったろうけど、時の経緯につれて溜まった過去のアレコレとか。
戦国期であれば、大名への帰属意識が希薄(現時点の力関係で従っているが、臣従はしていないゾ、みたい)な面などあったろう。
いずれにしても、形式上の序列と、家格、石高、実勢力、家長の年齢や押し出し、家長の騎馬武者としてのあるいは侍としての力など、とうぜんながらきれいに一致するはずもない。
その寄せ集めで連携機動が可能だったのだろうか?
>>50石の持ち槍が2500石の家長の命令を拒否したりはできない。
こんなに簡単にいったのだろうか? もともとは臣従関係ではなく、同輩同士の優劣関係に過ぎないわけで、命令する権利の裏付けとしての「殿の代理」は必須ではなかったの?
逆らって処罰されたケースもあるだろうけど、うまく機能しなかったケースもあるのではないかなあと。
ましてや、陪臣同士は制度上の関係がなく、形式的な序列さえ存在しないこともあったように思うんだけれど。
それは全くその通りで、それで命拾いしたのが伊達政宗。 人取橋の戦いで佐竹・芦名・岩城・相馬連合軍3万は7000の伊達軍を攻撃して、政宗も鎧に5発被弾して討ちとられる寸前だったが、 いきなり佐竹の武将が家臣に殺されて、3万の大軍は勝利目前で解散した。 摺上原でも佐竹からの養子の芦名の殿が暴走して、家臣もメチャクチャになって大勢溺れ死んだ。
武田軍の備も信玄のときは機能したが、勝頼のときは機能しなかった。 武田の家臣が信玄に従ったのも帰属意識というよりは信玄を中心にして甲斐を守るという目的意識だろう。
本陣備のような精鋭の騎馬武者隊は地縁血縁老臣とかで固めるのは当然で、 氏素性のよくわからない忠誠度の低そうな連中で編成した備はもちろん囮や弾除けに使う。
また適当な…
弾除けや囮に使われた備のわかりやすい例がやっぱり佐竹で、 関が原で西軍についたため、大阪の陣では威力偵察に使われ、 後藤又兵衛にボコボコにされた。
どうも軍板に粘着している香具師が1人いて信者とアンチの自作自演をあちこちのスレで書きまくっているようだ。
もしかして噂の菅沼遼太か?
誰だよ?
503 :
名無し三等兵 :2013/10/15(火) 15:42:08.31 ID:ISEw/IyT
ある一家・一族でひと備構成できる場合の冷遇はなんとなくわかった。 寄せ集めないとひと備にならない場合の連携はどうしてたの? たとえば、性能が違う飛行機・腕もクセも多様なパイロットを寄せ集めて編隊空戦ができるのはマンガの話で、実際には相当な合同訓練が要るよね。 忠誠心ゆえでなく自家生残のために臣従・服従している連中だとバディ意識なんか期待できないだろう。 どうやって「備としての」統制をしたいたのかな。
だから忠誠心ゆえでなく自家生残のために臣従・服従している連中なバディ意識なんか期待できない連中、 大坂夏の陣で言えば家康にとっての伊達政宗や片桐且元のような連中は逃げられないような位置に配置して、 後ろに松平や本多、井伊のような譜代の備を置く。 後ろから鉄砲突きつけられればバカでも生きるために必死で戦うだろう。 もちろんこういう奴らに相互協力なんか求めない。ただ的になって敵の矢玉を減らしてもらえばいい。 全く戦力として期待できない家の奴らはもちろん取り潰して領地召し上げて武装解除する。 伊達政宗だって死に装束で小田原に参陣して何とか取り潰しを免れた。
外様大名には、大大名がいたからな 安芸一国と備後の半分を治めた広島藩50万石の浅野家 周防・長門2国を治めた長州藩の毛利氏 加賀、能登、越中の三国を治めた加賀百万石の前田氏 陸奥国を治めた仙台藩60万石の伊達家 薩摩・大隅・日向の三カ国と琉球を属国とした薩摩藩70万石の島津家 徳川御三家筆頭の尾張が62万石 譜代大名の筆頭の彦根藩が32万石だから 外様の有力大名の石高は凄いものだ
朝鮮での加藤清正軍は、『高麗国出陣武者備定』を見ると、 部将クラスの武士150人、寄騎578人、鉄砲衆(鉄炮衆)1820人、弓256人、忍10人の直臣に加え、陪臣、下僕、浪人衆合わせて9790人の計12604人。 大坂冬の陣のときの伊達政宗軍は、 騎馬武者660、鉄砲3430、槍1210、弓100、徒武者・従者1万2600人、計1万8000人。
武田の騎馬隊というが、当時の日本の馬はポニー程度のサイズしかなかった 騎馬隊の姿を想像しても、いまいち、格好よくないな 小さな馬が甲冑姿の武者を乗せた姿は、馬も可愛そうに
近代以前の日本の軍事に興味を持った人が
一時的にポニーガー説に影響されるのはもはや通過儀礼だな
>>456 古代の日本の軍隊って歩騎問わずめっちゃ弓重視だよね
エリート兵士や指揮官になる条件が優秀な弓兵であることだったり
あの弓兵への愛はどこから来るんだろう
660騎や武田騎馬隊も、結局、運用のシステムが無かった、ということだな
いつもの www.sasakijo.com/note/tenka3.html >前述したように、戦国武将はたいがい、伝令部隊としての母衣衆をそばに >置いていた。信長の場合であれば、赤母衣衆と黒母衣衆の2部隊があった。 >これは、「家」とは完全に別個に、総司令官のもとに組織された騎馬武者中心の部隊である >(伝令が任務だから、部隊にクツワ取りは所属していても、足軽はいなかったろう)。 >つまり、戦国時代には独立した騎馬武者部隊は存在しなかった、という主張は >そもそも成立しないのだ。
>『信長公記』巻14にこういう記述がある。信長の天正9年の都での馬揃え >(軍事パレード)のあとの、騎馬用兵を公卿たちに披露したときの記事だ。 >(現代語訳は佐々木) >「最初は十五騎ひと組として、ひと組ずつ馬場に入れたけれども、 >広い場所なので、次は三組四組づつひとつにして、 >入れ違い入れ違いで隙間なく馬を動かして、べつの馬にぶち当たらぬように >馬場の中を縦横無尽に乗り回した…」 >これは、騎馬の指揮官クラスだけを集めたという話ではないだろう。 >独立した騎馬武者部隊として、信長の指揮のもとに動いている部隊の、 >馬術の披露の場面、と読める。
>>509 軍団兵には弓騎兵の独立兵科を窺える条項があるねい
軍防令第二 隊伍條 凡兵士。各為隊伍便弓馬者。為騎兵隊余為步兵隊主帥以上。當色統領。不得參雜。
軍防令第二 隊伍條 兵士はおのおの隊伍を作ること(5人で伍、50人で隊)。弓馬が得意な人は騎兵隊とすること。それ以外を歩兵隊とすること。主帥以上(校尉・旅帥・隊正)は、種別(騎兵/歩兵)ごとに統率すること。両者を混成してはならない。
ポニー問題には
>>363 をテンプレ化すればいいんじゃないか?
516 :
名無し三等兵 :2013/10/16(水) 07:08:56.69 ID:0/RIM1Ny
>>504 そうではなくて、「ひとつの備の中での統制」について疑問なの。
「大身たくさんの中に小身2、3家混ぜた備」にすれば備の中でのにらみはきくけど、敵に対しては不利になる。
「小身でまとめてひとつの備」としたら、にらみをきかせる担当者不在になる。
>>507 勝頼時代の武田の軍役を見るともう長柄の代わりに鉄砲でいいよとかやってるんだけど
清正はもう完全に長柄を鉄砲に変えちゃったってことなのか?
陪臣あたりに長柄がいるのかもしれないが、いずれにしてもその鉄砲の割合は高いなあ
>>511 510だがその書き込みに意味があるの?
660騎の運用のシステムは確立していた。 片倉小十郎が新規召抱えの雑賀衆生き残り、鈴木重朝に編成させた「騎馬鉄砲隊」だ。 後藤基次はこの騎馬武者鉄砲隊にやられたのだ。
>>518 1万2600人の中に長柄足軽も含まれてるんだろ
>>520 >660騎の運用のシステムは確立していた
660騎全員が1人の騎馬隊長の指揮で運動したと?
有名な岩付衆軍令状だと500騎で指揮官(奉行)7人だったな
525 :
名無し三等兵 :2013/10/17(木) 09:02:12.76 ID:YfelpqbR
だとすると、ニワカ備は、連携機動は難しかったのかな? ひとつには訓練不足、いまひとつには功名争いで。
昨日の歴史ヒストリアで上杉謙信はあえて野戦兵力を8000人以上に増やさなかったとかやっていたが、 車懸りという謎の連携機動を使うためにニワカ備は編成しなかったのかもな。 上杉軍なんか実際8000人が謙信という1人の天才騎馬武者の指揮で運動できたのかもしれん。 はさみうちのために迂回させるとか退却のときの殿なんていうのはニワカ備には無理。 酒井忠次とか本多忠勝レベルでないと。この点、オールニワカ備の石田三成は憐れだった。
謙信すごいね女の子なのにw
>>524 523は自分の知識を見せびらかせたいだけだよ。
上の方にもトンチンカンな書き込みがいっぱい載ってますよ。
興味ないから似たような自分の興味ある話題に変えようと発言するが流されるレスがこのスレの5割
なんか変なのにいつかれたな 収まるまで寄り付かん方がよさげ
最近ナポレオンに興味をもっていろいろ調べてたが、 あの頃でもローマ風の鎧きた、胸甲騎兵や重槍騎兵みたいなのが騎兵の主力だったんだな、 竜騎兵といいナポレオンの頃は銃や大砲が主力の時代なのに騎兵だけは古代ローマ帝国みたいなデザイン の鎧きてるのがなんともいえないな、しかもあの胸甲騎兵の鎧の胴体部分は 当時のマスケット銃を貫通させない位頑丈だというね
532 :
名無し三等兵 :2013/10/17(木) 19:09:13.72 ID:umTmPOkl
ろーますごいですね?
あれは思い切り復古調ですがな。
フリュギア式兜ってなんで色々な時代で人気なんだろう?
かっこいいから
>>531 ナポレオン軍の胸甲騎兵の胸甲は16世紀頃から各国の騎兵や槍兵が使用していた物とほぼ同じデザインの実用品です。
あのローマ風の兜は18世紀中頃フランスのサックス元帥が義勇竜騎兵連隊を創設した時に初めてフランス軍に採用されました。
サックス元帥はローマ軍団を参考に軍制改革をしようとした程のローマ軍信奉者でした。
兜も胸甲も対刃物用でマスケットの弾を防ぎ切るのは難しいかと・・・距離にもよるでしょうが。
>>536 いや、胸甲は対小銃防御だよ、マスケット銃の弾なら食い止められる
そうでなければ、あんな重いものをわざわざ装備する意味がない
しかし19世紀の大砲と小銃が主力の時代に、 ローマ風の鎧兜に曲刀と槍を装備した騎兵が突撃をかます、 たまりませんな、自分も読んでたナポレオン関係の書籍では、 胸甲騎兵の胴体部分は厚さが3センチあり、当時の小銃を跳ね返すとあったけどな、 まあ分厚いのは弾の当たりやすい胴体の前部分だけというからね
539 :
名無し三等兵 :2013/10/17(木) 23:57:57.46 ID:umTmPOkl
球形弾で弾体もやわいからパワーのわりに止めやすくはある
540 :
名無し三等兵 :2013/10/18(金) 00:05:30.06 ID:r0CGM9Ca
一部分だけとは言え厚さ3センチの鋼板ってかなりの重さの気がするが 胸甲全体だと何キロになるのか
重さか厚さかどっちかが間違ってるな
>>542 それもしかしたら砲弾かもな
武器甲冑図鑑に砲弾で穴が開いた遺物が残ってるとか書いてあった
3cmが間違ってるんじゃないか?そりゃ鋼鉄であっても圧延鋼板とかじゃないからアレだけど 3cmなんて抜けないだろ、、マスケットじゃ 精々数ミリだろ、厚さは。cm単位だと戦車の装甲並みになるぞ
>>542 騎馬カラビニエの胸甲ですね。
マスケットでは無く、4ポンドクラスか重キャニスターの穴かな?
捲れ方が3cmの金属板に見えないけど・・・
胸甲の重さや厚さって書籍に見当たらない。
>>545 九十五式軽戦車の最大厚が12mmだからなぁ
材質が違うとは言え
30mmもあったら97式中戦車の正面装甲よりも厚くなります。 幾ら日本の戦車は紙装甲と悪口を言われるとはいえ 30mmも騎兵の装甲があったとは思えないのですが。
いくらマスケット銃でも5ミリ程度の胸甲では防げないだろう 1センチはあったと思うけどな、伊達政宗の鎧も当時の火繩銃を弾く鎧だというけどな、 一応大砲や小銃がメインの時代なんだからある程度の耐弾性はあったと思うよ、
なんというか3センチのソース無いままに各自の考察を出されてもなあとしかいいようがない
ちなみにドイツのパンター戦車は対戦車小銃の前に あっさり装甲を貫通されて破壊された戦訓が数多あるとか。 ちなみにパンター戦車の砲塔正面の装甲厚は110mmの傾斜付。 それでも20世紀の対戦車小銃での至近距離の狙撃の前では貫通を免れなかったという。 時代が違うとはいえ、小銃の貫通力恐るべし。
パンターは装甲厚が部位によってかなり違うことをあえてスルーしてるの?
別に14・5mm対戦車小銃弾が豹戦車の砲塔正面を貫通したわけじゃないだろ。
それに対戦車ライフルはマスケットなんかと比べ物にならんくらいの砲口初速な上に弾自体がタングステンだの 使ってるから比較にならんだろ マスケットにいたっては鉛じゃねーか。100mや200m位から撃たれたら貫通しない程度で十分だろ、騎兵用なら 連射できない銃相手なら騎兵だとそこまで近寄れば相手が次を撃つ前に突撃するのが仕事なんだから
たとえばパンターが正面から機銃で抜かれたなんてどんなケースがあるのよ?
ショットガンのスラグ弾の貫徹性能ってどんなもんかな
側面は抜けたらしいからシュルツェン装備とかあったけど
正面は抜けんだろw
>>554 ヨーロッパは知らんけど日本だと鉄もあるよ
ただいかんせん弾が球形何でものすごい勢いで減速するとか
ヨーロッパの実験だと136mも離れたら無効だろうとか何か書いてあった
>>551 これ見たら110mm抜けるとしか読めんなw
具体的なケースを知りたいんだよね 自分から言い出したんだからスレ違いの質問ってのはナシだよ
確かカリウスの本にも虎の装甲にもかなり深くまで食い込んでくるとソ連の対戦車ライフルの事は書いてあったな ただ主にバイザーやハッチ付近を狙って撃ってきたらしいけど 車体下部でも抜けんだろうなぁ。30ミリクラスの機銃を航空機が撃ってようやく車体の上部や場合によっては車体後部が抜ける位なのに
M-42対戦車砲(45mm)でも正面は無理で側面狙ってたと記憶
ここじゃ戦車の話はないとは言え軍板なんだからこの手のウソ情報には突っ込みが入るに決まってるのにな
やっぱww2になると数字データがいくらでもあるから突っ込み速いな
564 :
名無し三等兵 :2013/10/18(金) 20:56:26.66 ID:fZYaMm8D
>>556 ライフルと違って鉛弾が多いんじゃなかったか。猟用だから被甲なし。
弾体重量があるから藪越し向きでパンチはあるが、遠射と貫通力はライフルに及ばす。
詳細は猟誌のバックナンバーをあさるのが早そう。
サボ付きなら劣化ウランだろうがタングステンだろうが技術的には可能だろうが。
相変わらずフランス軍の胸甲の厚さや重さは書籍に無かったけれど・・・
騎馬カラビニエの胸甲は鉄の表面に薄い真鍮が貼って有り、アクセントとして鉄の部分を周りに25mm幅で残して残して有ると。
>>542 の銀色っぽく写っている部分がそれだけど、ここの幅が25mmなら、胸甲の厚さが30mmも有る様には見えないね。
ソースは、
Napoleon's Army 1790ー1815
lucien Rousselot
から、Carabiniersの章
3mmの間違いじゃないのか?
大砲やマスケット銃の時代にローマ風の鎧兜に槍と曲刀という装備は実にいいよ、 今風に例えれば、21世紀の時代にナチス武装親衛隊の迷彩着てMP40と柄着き手榴弾を装備してる ようなもんだろ、映画のワーテルローなんかみてると 胸甲騎兵格好いいよな、イギリス軍の方陣に槍と曲刀で突撃するのはよかった
いや、役に立たない武器を格好重視で持ち出してるわけじゃないから そのたとえはまったくの的外れだが
そういえば、なんでポテトマッシャー型手榴弾はすたれたんだろ?
初質で聞け でかくて重いんだよ
胸甲騎兵は曲刀じゃなくて直剣だから全く的外れだな。 ポテトマッシャー型手榴弾はロシア中国東欧北鮮べトナムインド他で現役だからその質問も的外れ。 ナチス武装親衛隊の迷彩は現用迷彩服の原型だし、米軍の現用ヘルメットは帝政ドイツ軍のシュタールヘルムが原型。 陸上自衛隊では今でもグリースガン使ってる。M2機関銃も変らない。
>>573 ナポレオン時代のフランス胸甲騎兵は曲刀と槍だろ、
昔の画とか映画とかみてもサーベルみたいにまっすぐなのじゃなくてまるみをもたせた剣を使ってるぞ
まあなんにせよ、大砲とマスケット銃の時代に槍と剣というレトロ装備は実に潔くて好きだよ、
ナポレオン時代の絵をみる限り直刀と言うにはちょっと無理があるね サーベルがまっすぐって言われると少し首をかしげたくなるけど あと、大砲とマスケット時代ならまだまだ槍と剣しっかりと現役だから とくに騎兵では次の弾撃たれる前に勇気をもって突撃しろって 30年ほど後の南北戦争で時代遅れに
槍は南北戦争中に全部倉庫送りになったらしいけどサーベルは主流とは言えなくなっても しぶとく20世紀まで留まり続けた感じだね
胸甲騎兵の剣を知らないのもどうかと思うが知ってりゃ玄人なのかw 俺も玄人になっちまうなww
>>579 使われてはいないんだな
しかし目によくないサイトだわ
チカチカする
>>574 フランス胸甲騎兵の刀は、
下士官兵卒:直刀
将校(1809年まで):直刀
将校(1809年から):曲刀(反りは浅い)
槍は使用していません。
何故か映画では槍を持たされる事が多いですが。
だいたいフランスで槍を持ってる騎兵は槍騎兵、ランシエで胸甲騎兵ではない。 何から何まで間違ってる。
>>581 >>582 なんと胸甲騎兵は槍を装備してなかったのか、映画とか漫画とかでは
ローマ風の鎧兜に槍というのがインプットされてたけど、なら映画とかの方が考証とか間違えてんのかな
映画とかで胸甲騎兵が槍を構えて突撃するの格好いいなと思ってたけど、実際はなかったのね
>>531 一行目からあれな感じだが、全然調べられてないなw
いい加減映画とか漫画に頼るのは卒業しよう
で、厚みは3センチなのか?
587 :
名無し三等兵 :2013/10/19(土) 19:04:36.80 ID:Yvy1K6Kt
WW2英国ではパイクも現役だったような
あれはホームガードですら時代錯誤と即処分された
すげえなw
考えてみれば相手は非甲冑兵士だから当たりさえすれば通用はするんだよな やろうとする人が少なかったってだけでw
腰のクレイモアって当時もう指向性地雷なんてあったっけ?って考えこんでしまった… まさか本家クレイモアだったとはw
WW2なのでスレ違いではあるが ジャック・チャーチル 船坂弘 ヘイヘ ルーデル チャールズ・ケリー あたりの逸話を読むとニンゲンのデタラメに頭が下がるw
そうかそうか、板違いとかわかってる所であげる低脳は帰ってよいぞ 伝令兵士の逸話でも上げてればいいのに
いや、さすがにその連中は「板違い」じゃねえだろww
こいつははずかしいw
>>574 あの時代の騎兵はメイン拳銃でサブが軍刀じゃないの?
当たり前だが、IDが無いと誰が誰だか分からんな
ナポレオンの時代は槍騎兵もサーベル持った騎兵も主力ですがな
>>598 刀や槍がメインですよ。
ナポレオン軍ではピストルは旧王政時代や外国製をかき集めても定数(騎兵各自2丁)を満たせなかった位で・・・
黒色火薬時代だからな。
・歩兵が糞長いパイク持たなくなったから突撃しやすい ・かわりに歩兵の射撃火力が増大してるから、歩兵と撃ち合うのは馬鹿らしいというか不可能 ってとこかね 騎兵同士の戦闘だとピストルあると便利そうだが
乗馬歩兵の竜騎兵はメインが騎銃。 胸甲騎兵はメインが直剣。 槍騎兵はメインが槍。 騎兵同士の戦闘だと馬の体重とスピードが武器。
糞短いやん
当時のマスケット銃なんて単発だから十分騎兵の出番があるからなぁ マスケット銃に銃剣付けたら大人の身長位にはなるから手槍みたいになるからねぇ それを密集して槍衾引けば馬が怖がる効果も期待できるから
>>607 サリッサでも持たせればリーチで勝てるなw
実際にはサーベルのほうが流行ったような気がするが
充実し洗練された大砲運用されるようになってからは 騎兵も歩兵も取り回しの悪くて硬直しがちな糞長い槍に戻るのはしんどいかな
>>605 竜騎兵は歩兵用マスケット銃か工兵や砲兵用の少し短めのマスケット銃だったはず。
騎兵銃は弾丸がピストルと共用の為、マスケット銃より口径が小さくなる(フランス軍)。
因みにフランス軍でカービンと言うと短めのライフル銃の事に。
テルシオって方向転換するだけでも大変だな 全員が銃兵なら全員がその場で振り向けば部隊としての正面も変わるが テルシオだと前列後列入れ替わった形になって、それだけじゃ意味が無いから 上の方でファランクスが話題になってたが、武器揃えてないから融通効かなさがその比じゃない
>>598 メインとサブってのはどういう基準で決まるんだろ?
胸甲騎兵は槍を装備しなかったとの書き込みがあるけど、 剣よりも槍の方が有利に思えるし、騎兵同士の戦いでも槍の方が有利に思えるんだが、 胸甲騎兵の場合はわざわざ思い鎧を装備するのも、白兵戦主体だからこそだろうし、 後方各欄みたいなことは軽騎兵の仕事だろうし
騎兵同士の戦いだとピストルの撃ち合いになるんじゃないの
槍は突撃の時だけは剣より有効だけど、それ以外では微妙なのですよ 特に騎兵の槍はランスか短槍かだし、ウーラン騎兵も短槍だったかと思うけど 槍って敵兵の頭上へ振り下ろせないし、振り回しても有効な攻撃にならないじゃん? サーベルなら頭上から振り下ろせるし、振り回すだけで有効な攻撃になる それに、槍は片手は扱いづらいから、馬上じゃ上手く扱えない。短槍でさえ難しい 片手で使えるほど短い槍だったら、それもう剣で良いじゃん、という感じになる 騎兵同士の戦いになると、やっぱり槍じゃ扱いづらい ランスなんかそもそも馬上で振るえる武器じゃないしね。大太刀を更に騎馬突撃 専用にしたような武器だよあれは。馬の突進力と共に使うための武器であって 白兵戦ではほぼ使えない
617 :
名無し三等兵 :2013/10/22(火) 13:45:55.15 ID:w26J9RRb
着剣したライフルをランスのようには使えないものか?
そろそろ突っ込んでいいかな?なんで近世に完全に首突っ込んだ時代話題にしてんだ?
刀槍の話題だからそれは構わんと思う
というか、中世の騎馬でも白兵戦では槍は微妙だったのは変わらんし ロングソードとかメイスが多いね。あとは曲刀とか 槍は白兵戦だとあんまり使われないね まあ、中には5mの槍を振り回してたキチガイもいたみたいだが 本多忠勝って馬上でも蜻蛉切使ったのかねぇ
槍は振り回すものじゃないし普通に騎槍は大抵の国で使われてるし
>>622 そう、振り回す物じゃないからこそ、白兵戦、より正確に言えば突撃時以外の
白兵戦では、あまり有効な武器とは言い難かった
突撃が本領だからランスは一般的だったけど、そういう戦闘の時にはランスは
あまり用いられなかった、というお話
その上で、近世では槍壁も無くなったしマスケットの一斉射の前に突入するべく
速度重視になって来たので、あまり強力な突撃力は不要になりサーベルの方が
主流になって来た、という感じかな
まあウーラン騎兵とかも結構残ってたし、突撃力を求めるならやっぱり槍の方が
近世でも効果的だったみたいね
乱戦になれば槍と同時に携帯できる刀剣を使えばいいだけの話だろそれは
そうだよ 別に俺は「中世でも槍騎兵はオワコンのネタ兵種」と言ってる訳じゃないし 単に「突撃時以外の白兵戦では槍はそんなに有効じゃなかったから剣などを使う 場合が多く、近世に入るとわざわざ槍を用いてまで突撃力に拘る理由が減ったから サーベルだけの騎兵が主流になった」と言ってるだけよ
その突撃時ってのが白兵戦においては最も重要な局面の一つなんだが
ランス騎兵「歩兵がキチガイみたいな長槍持つから俺も仕方なく・・・」 パイク歩兵「騎兵がアホみたいな長槍持つから俺も仕方なく・・・」
>>627 もともとはランスが長くて対抗できないから歩兵が長槍持つようになったんだろ
騎士の敵は騎士かな
>>623 細身の槍は騎乗から歩兵に対処するために使われてると思うが
剣だとリーチが厳しいぞ
>>631 そりゃあ、馬上で短槍を使う兵種や場合もあったけど、歩兵の対処を目的にしてる
とは考え辛いんじゃないかな
ロングソードでも80cm以上はあった訳で、それを超えるとなると1m超だからね
片手では扱いにくいでしょ。熟達した騎士や武士なら可能だけど、一般的かと言われると
難しいんじゃない?
16世紀末から17世紀に掛けて、ポーランドのフサリアの装備していたランスは約5m。 ナポレオン戦争当時のポーランド槍騎兵の装備していたランスは2.75m。 取り回しを考えてか短くなっていますね。 もとっとも、ナポレオン戦争当時のポーランド槍騎兵はフサリアの末裔と言うよりは、タタールのウーラン(ランスよりもスピアに近い長さの物を使用)の末裔に近いらしいですが。 ランスは騎兵同士の戦闘でも接触の瞬間はサーベルよりも有利でした。 間合いが短くなる乱戦では不利になりがちでしたが・・・ ナポレオン戦争当時のポーランド槍騎兵はランスの弱点を克服する為に接触の瞬間には、1列目はランス装備の兵、2列目はサーベルのみでランス未装備の兵となる様に機動しました。 モスクワ遠征でランス装備のコサックに悩まされたナポレオンは遠征終了後に、ランスを装備しコサックと同様な散兵戦を行う新しい騎兵科 eclaireurs de la Garde(親衛隊斥候兵)3個連隊を新設しました。 ナポレオン戦争後にイギリスが槍騎兵連隊を新設したり、フランス軍では他兵科の騎兵もランスを装備したり、何だかんだでランスは19世紀半ばでも使える武器だったのでは?
>>634 この絵だけでは、乱戦にも槍を積極的に用いたのかは分からんから、何とも言いようがない
対歩兵用の突撃のためにランスが長くなって行ったのは事実だが、この絵に描かれている
槍が重視したが故の長さなのか、乱戦でも十分使える長さなのかは判断しかねるかな
>>635 イングランドの盾の壁を崩すときに乱戦にも積極的に槍使ってないって
14,15見てそういいはるのはさすがに無理があると思う
>>636 14.15は騎兵突撃時の姿のようだけど
ロングソードを使ってる騎兵も見えるし、乱戦に槍を積極的に使ったのかは
よく分からないんじゃないかな
16は乱戦だけど、馬は駆け足の形を取ってるし、これじゃ判断出来ないかと
逆手持ちで上から構えるの好き
まあアレだよ 逆に槍が足を止めての乱戦、白兵戦にも十分に耐え、むしろ剣より有利なぐらいだったら 中世の騎兵がロングソードも持って行った理由とか、胸甲騎兵がの装備がサーベル主流に なった理由とかが無くなってしまうし、それはそれで矛盾しちゃう訳だから
>>639 中世でも時代ごとに武器の用途の変遷あるしね
例えば十字軍の初期、下馬騎士が活躍する時には
どちらでも取り回しが効く短い槍が好まれたけれど
歩兵の長槍隊が発達した後は長い槍と剣装備に
変わったし
十字軍時代の騎槍ってどれくらいの長さなんだろう?
タペストリ眺めてて気が付いたんだがこの時代のノルマンに弓騎兵いるんだ 17の二段目。着てる鎧も一人だけ鱗模様じゃないのは分業されてるってこと?
乱戦でも槍のほうが強いなんて言ってる人はこのスレにいるんだろうか?
武器は自前準備と思うけど、はーいランスの人こっち集合とかやってんのかな
売り込む傭兵ならそんな感じで、軍役に付く貴族は上から〜の武装揃えて来いとなるんじゃないかな ランスが持てるってことは馬と鎧持ちだから傭兵でも貴族層に位置しそうだけど
傭兵ならローマ時代からある程度地域ごとに兵種が決まってるしそもそも個人の傭兵じゃなくて 傭兵団単位で募集するほうが主力だろうから雇い主から槍兵幾ら弓兵幾らを揃える契約でしょ
ノルマン人はビザンツにちょっかい出したりしてるから あの地域の弓騎兵をスカウトしてきている可能性も
>>633 火器の発達で鎧がどんどん軽量化していったからサーベルで足りるようになったのもあるんじゃないの
槍の刃って穂先のことか?
>>652 いや、そうでしょう。
でも、乱戦云々なら穂先の形状より長さの方だと思うんだけどな。
薙刀は乱戦でも普通に強いと思うが…
槍といっても木を削ったものや竹にやじりをつけただけの安物ならいざしらず、 ちゃんとした作りの頑丈な槍なら簡単におれないから振り回してぶったたくという使い方もできる、 戦国時代の日本でも長槍を一斉に上から叩きつけるというやり方もしてたらしいし、
槍なのになんで鏃?
なんで乱戦の話なのに長槍が 長槍はまさに乱戦には弱い槍の代表格なのに
>>655 最後の行の槍は一番やすもんの雑兵に持たせるもんだぞ…
「らしい」って雑兵物語すらまともに見てないのかよこの人
雑兵の槍なんてスパスパ斬れたよ ソースは文禄・慶長の役 西洋じゃそこまで極端な話は聞かないが、ツヴァイハンダーの斬り込みがパイク兵の 脅威になっていたらしいな
脅威というか隊形崩すために切りこまないといけないけれどとても危険だから 問題行動起こした兵に生き残ったら罰免除でやらせるもんだった気が…
ともかく、かなり有効な戦術ではあったんだろう じゃなきゃ古代みたく投槍や弓矢などで崩すか、槍衾同士での正面衝突が基本になり ツヴァイハンダーで斬り込むなんて戦術は最初から採用されなかっただろうからな
>>660 青竜刀でぶったぎったんか?
つかそれはソースと言わんだろうw
>>663 いや、逆だ
日本刀、まあ太刀だと思うが、それで明軍の長槍隊の槍衾に突撃して槍を根元から
スパスパ斬って正面から打ち破った例がかなりあるようだ
当時の明軍側の資料にそういう記述がある
当時の記録なんだから、ソースにはなるんじゃね
>>664 あるなら出典示そうぜということよ
倭刀とか作ってるしなあ
日明貿易とか大量に刀輸入してたのによくわからん奴らだ
加藤清正が居合の抜刀隊を作ったってのは本当かしらん
>>665 倭刀に関しては、倭寇に対応していた時に日本刀の有用性に気付いて取り入れたのだそうだ
それと、芸術品としても人気があったようだが、これは鎌倉時代から続いてるな
明軍はあくまで属国であった朝鮮を救援するために侵攻してきた日本軍への対処をした
だけなので、別によく分からんという事は無いんじゃないか
むしろ向こうからすれば「非公式とはいえ貿易関係はあったし、冊封を改めて受けて
くれれば朝貢貿易もしてやるのに侵攻して来るとはよく分からん連中だ」とか思って
そうじゃないかね
なんか倭寇と文禄慶長の役のときを混同する人は多いな
信頼できる同時代人のソースで槍が切り折られたというのだと池田屋事件のときに 近藤周平と島田魁の槍が切り折られたというのは近藤勇の書簡と永倉新八の覚書からはわかる 島田は槍を切り折られてすぐに刀でその賊を倒したので特に力量に優れた相手というわけではなかったようだ
>>666 いや、長年輸入してたくせに実際に戦わないと脅威だということに気づかなかったとか
鈍い奴らだということ
そういえば倭寇も当然使ってたろうに
16世紀に戦争技術著しく発達してるから初期倭寇のノリで日本を考えてたら そうでもないだろ。それに中国からしてみたら交易相手が武力持ってきて有利な条件 求めて騒ぐのは日常だなんでそれへの対処に地方の軍整備して反乱の危険高めるか 交易関係で譲歩するかどっち選べってなったら後者選ぶよな
まだ誤解の余地があるのか 長年輸入してたくせに実際に戦わないと日本刀が脅威だということに気づかなかったとか 鈍い奴らだということ
>>671 日本刀持って交易求めてきてる相手に対処する時に軍の整備か交易条件整備するか
どっちを取るかは政府の政策によるものだから君の結論は出せないって言ってんだが
そもそも偽つ用の武器で脅威じゃないものって何があるんだ?
長柄槍は組がしらの号令で一斉に振り上げ振り下ろしたり、突いたりするものだから、 長柄槍で乱戦で個々に戦う訓練はしない。 足軽大将や組頭死んだらものすごい統率力ある足軽が偶然混じってたとかじゃない限り槍ぶすまは機能しない。 しかしそういう奴に長柄槍を持たせるのは戦力の無駄使い。
話は変わるけど、中世の海戦ってイマイチイメージ沸かないわ 個人的に、ガレー船での衝角と移乗を主体にした古代のイメージと、戦列艦を 並べて撃ち合ってた近世のイメージの中間に空白があるんだよな 中世ってあんまり海戦のイメージ自体が無いし レパント海戦ぐらいか?
しばらく前にスペイン艦隊がイギリスに敗れたのは戦訓が地中海で得たものでイギリス沿岸に 適用できるものでなかったトかどうのこうのと話があった記憶ある
バリスタというかスコーピオンみたいな大型投射兵器でボルトを打ち込んだりするとかは どれだけあったんだろうか? あれって一回の発射に結構手間かかるだろうし
677 :
名無し三等兵 :2013/10/26(土) 20:35:27.40 ID:kZsZpiZN
>>675 私なりの理解なので突っ込みお願い。
スペインの無敵艦隊は結局のところ、地中海の戦訓から編制されたもので、北海の戦訓が考慮されていなかった。
具体的にいうと地中海だと荒天に襲われても艦隊の一時的な寄港地というか、荒天を避ける停泊地は確保できたけど、
北海だと確保はできない。更に無敵艦隊の指揮官はイギリス艦隊との海戦前にスペイン陸軍が確保していた南部ネーデルラントに
寄港するか、それが無理で損害を受けても南部ネーデルラントで艦隊を再編制した上での英本土上陸を望んでいたが、
南部ネーデルラントを確保していたアルバ公は速やかなる英本土上陸を希望し、無敵艦隊の要望を拒否した。
こういった要因が、無敵艦隊の敗北になったと読んだな。
地中海限定無敵艦隊だったわけだな 興味深い話
百年戦争の三大海戦とかもあるな。
バイキング船は海も川も浅瀬も行けて襲撃向きの船だったそうだけど 海戦も強かったのかな?
681 :
名無し三等兵 :2013/10/27(日) 10:37:11.33 ID:PK1sTHrK
あしがる
スペイン船の大砲は、陸上砲をそのまま船に載せた物で、二輪に砲架が付いたタイプ。 更に問題なのは、砲身が長すぎて、艦内へ、充分に収納出来ない物が多かったこと。 時には危険を冒し、船外へ出て索杖などを操作しないと、再装填できない物すらあった。 これは、最初の一撃さえ撃てたら、後は接舷斬り込みを志向していた為だと言われている。 事実として、予備の弾薬は少なかったのが確認されてるし、そもそも発砲しなかった物も多かった。 これも、接舷斬り込みに向いた、大口径だが短射程の大砲が多かったためだと、言われてている。 また巨大だが鈍重な艦には、艦隊に追従出来ない船もあり、出来た艦にしても、機動性に欠けていた。 これも重い大口径砲を積んだ為だが、外洋では浸水の危険があり、下層にあるこうした重砲の砲問は、 閉じられたままで使えなかった。
なおイギリスは、ナポレオン時代も海軍国としての名を馳せるが、フランスとて決して弱くは無かった。 これは、ルイ十六世の時代から、海軍増強策が進められていた為で、革命がなければ、更に健闘したはず。 ナポレオン戦争に置いても、海戦の勝敗はともかく、個々の艦は全滅に近くなるまで敢闘した船が多い。
まあアメリカが独立できたのはフランス海軍のおかげだからな。
復古調の鎧なのか古めかしいな
ル・モンドの西南戦争のやつでしょ モデルやってくれる旧武士が一杯居ただろうから これはこれで貴重な史料
中央にいる佩楯を腰に巻いてるおっさんはなんなんだ
トム・クルーズだろ。
690 :
名無し三等兵 :2013/10/28(月) 16:54:28.13 ID:viKp+zBY
あの時代支那では武器としてでなく金属素材として大量に日本刀を輸入してたって読んだことある
確かこれに書いてあったな 環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ 安田喜憲,湯浅赳男共著 洋泉社 2001.5 新書y 中国木を伐りすぎという話
さすがに今の時代それを言う人は少なくなったな 信じてる人はまだいるのかもしれんが
日本刀は輸入鉄でできてるとか言われたかと思えば今度は鉄素材として輸出されたとか 日本刀の中の人も大変だわ
南蛮鉄のことか?
舶載鉄と言って
戚継光『紀効新書・長刀解』 日本人には遠くからの鳥銃が有効である。 だが日本人は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる 兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。 その勢いを止められない。 日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。 われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。 ↓ 鉄素材として日本刀を輸入 本当なら斜め上過ぎるな
どっちにしろそんなに輸入してないだろ
>>696 刀輸入してたのはもっと昔からのわけだが
南蛮にかぎらず中国からも輸入等で大量に仕入れてるよね
朝鮮なんかだと文禄慶長の役の100年以上昔にどんなに下級品であっても倭刀は大事な武器ですとか 報告が残ってるしなあ 朝鮮と中国では事情が違うとはいえわざわざ鉄素材として輸入するかなあ 「李朝実録」 1487年 5月 15日 “軍器寺藏倭刀雖下品, 甚鋭利, 實軍國重器, 輕易和賣未便。” 「軍器寺に保管してある倭刀はどんなに下級品でもとても鋭利だから、真に軍国の重器なのに、簡単に売ってしまうのは不都合です」
武備志には「日本の刀は剛利で中国のものは及ばない」なんて書かれてる 品質が違うみたいだな
戚継光にしてもそうだけど、刀だけでなく日本刀術も輸入してましたね こうやって倭寇がデモンストレーションやったから 「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。 弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。 本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる」 揮刀如神 「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。 そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」 単刀法選/1621年(程宗猷) 「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。 しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」 広東新語・語器/1630〜95年(屈大均)
>>701 結局その報告無視したんだろ
だから100年後に戦争になって同じこと繰り返して言うんだ
>>703 毎度思うんだがどこからコピペしてるんだ
確かに 日本刀と騎馬に関しては同じようなコピペを見るな
しかし軍器寺って国の武器庫だよな そこにあるものをなぜ売るんだろう? というかどこに売るのか?
半島や大陸なら伝統だろ。官品を役人が横流しするのは。鉄くず扱いで売り飛ばすとか 民間の武器を欲しがる裏社会とかそこらじゃね?
高く売った倭寇が二束三文の安値で買い戻してたりな
横流しなら建白者の犯人をどうこう、という文があるはずだし 横流しじゃなくて、 (下品や、実に重器って表現から見るに)不要のものとしての払下げじゃないの 朝鮮史よく知らないけど
ああ、払下げて代金一部着服 実質横流しという意味か
自分の父祖の地の伝統に詳しい奴がいて助かるな 普通の日本人は興味無いし調べないから。
逆にそういうのこそ変に半島とか意識しすぎじゃないかと思うがなあ
そういうご宗旨だから仕方ない
向こうは一応、女真族や蒙古の襲来が何度もあった訳で、常に異民族との紛争は続いていたから 平和だったからそういう意識が低かったなんて事も無いと思うんだがなぁ 中国ぐらいデカければ中央がそういうのを地方の些事みたいな意識で捉えて、堕落してしまう パターンもあり得るけどさ
>>716 マジかよ
ところで甲冑ってさあ・・・日本のと西洋のと、どっちが実戦的なのかねぇ
中世だと胴巻とかチェインメイルとかが主流になっちゃうけど、例外的に
当世具足と板金鎧も含めて
当世具足を木製だと思ってる外人も多いんだが、あれって何でだろうな
日本の夏の暑さも湿気も全身防御という発想の全身板金鎧なら全部防ぎきれるからな 西洋の鎧が合理的で実戦的
た・・・確かに! 有効射程外からの銃弾なら防げるほど、被命中率の高い部分や急所部分を集中的に 防御して軽量さと防御を両立するよりも、鈍重化を許容してでもボウガンが刺さる 程度の薄い装甲を全身くまなく施す方が合理的で実戦的だな・・・!
西洋の全身鎧は全身防御するから湿気も入ってこないし 直射日光も全身防御で完全に防ぎきるからな
入って来る湿気を防ぐってことは、発汗した湿気も出て行かないのでは? これは辛い
真面目な話、俺は欧州の鎧が胸甲に代表されるように日本と同じ集中防御式に なって行った所から見ても、日本の鎧の方が先進的で強いんじゃないかと思って いるんだが、一般人はむしろ逆の印象を受けるみたいなんだよね ここのみんなの意見を聞きたい
それぞれがそれぞれの風土や運用法にあったように進化したとしか
そこなんだが あの全身防御方式ってのは、欧州の風土や運用法に合ってたのか? 傭兵などは部分鎧も多かったようだし、実質的な急所・被命中箇所の防護力を 下げてまで全身鎧を採用し続けた理由は何だろうか? 日本みたいな方式でも良かったんじゃないの
どっちも実戦的で合理的ってことでいいだろ。
鎧は基本的に糞高いからな 全身おおうタイプの西洋の鎧なんてごく一部の時代の超金持ちしか使えなかったんじゃね 洋の東西を問わず高い鎧は美術品にもなるしな
スイスは歩兵にも鉄板甲冑着せているが、 スイスは金持ちと言えば金持ちなんだよな。銀行の国だし。 寒くて冬の仕事がないだけで。
>>727 金がないから傭兵だろ
つか自弁なのか傭兵の装備って、雇い主払いじゃね?
対弓防御だと漆を交えた複合装甲化がめっちゃ有効って話が定期的に出てる
集中防御式って欧州の一部だけじゃね? つーかそれぞれの定義は? 全身を鉄板で覆っていてもそれが仮に小札式だったら集中防御式なの? わけがわからないよ
言いたいことは非常によくわかるが それはそれとしてそんなラメラーアーマーーあったっけ 中国にあったような気もするけど ついでにわけがわからないよって言いたかっただけだろw
日本の甲冑のばあい、下につける服自体もソフトアーマーの意味合いがあるんでないのか?
それはどこでも同じ
スイス歩兵は後に傭兵になったが最初は自衛のための対ハプスブルグ騎士用武装。 初期は雇われてから武装したのではなく、最初から武装した状態で雇われてた。
盟約者団だからね 都市ごとの武器割り当てとかあった
>>732 例えば当世具足の場合、可動域への装甲は下に着る服がある程度で、かなり簡略化
されているし、腕や足はスケイル式であったり、などプレートアーマーに比べて
要所を守るだけの簡単な物になっている
代わりに、頭部から肩部、胴体、腰回り、大腿部などはプレートやラメラーを
複合してかなり丈夫に作っており、銃弾を弾いた実績もある
対して、欧州のプレートアーマーは可動域もプレートで固めているし、手足も
全体をプレートで覆っている代わりに、頭部〜大腿部などはある程度厚みを
持たせるなどしている程度で、ボウガンでも貫通が可能だったりする
それぞれに箇所にこれだけ防護力の差があるので、こうした差異を指して俺は
「集中防御方式」と「全身防御方式」に分類している
まあ広義的には「主要箇所と他で防護力に大きな差がある方式」が「集中防御方式」
という事になるだろうな
だから全身を固めるプレートアーマーでもそれぞれの箇所で大きな差があれば集中
防御になるし、逆に当世具足や大鎧などでも、それぞれの箇所の防護力に大差が
無ければ全身防御方式になる
その上で、同時期に日本に輸入された南蛮胴が、胴だけであるにも関わらず重量があり
銃弾を弾くための工夫が施されていた事も考えると、方向性として、当時の西洋でも
日本のような集中防御的な思想に傾きつつあった様だし、全身を板金で固めるという
方式は西洋でも崩れていたように思えるんだが
プレートアーマーちゅう欧州でも特殊な位置づけの鎧を持ってきてってめんどくさいからやめた
14世紀の欧州の士官・兵の軍装…つか装備ってどんな感じなの? まだプレートメイルとかヘビーレザーとかの中世然な感じ? 鎧着けず軍服ぽいのは何時頃からですか?
14世紀は百年戦争真っ最中で中世オブ中世。 三十年戦争あたりが傭兵オブ傭兵時代で、ダルタニアンやテュレンヌの時代が過渡期。 クロムウェルまだ甲冑着てるし、鉄騎隊も微妙。やっぱり銃士隊やスウェーデン竜騎兵あたりがはしりなのかな。
ボウガンとか書いてる時点でなんか説得力がガクッと下がるよね
先に聞くけどここで 「中世軍vs近・現代小兵器」な質問いい?
>>740 縫製済みの統一軍服の支給はルイ14世からと言われていますね。
30年戦争の頃にも統一軍服は有ったけれど、支給されたボタンや生地を自分で仕立てるやり方が主流。
パイクマンは3/4アーマー着けてたし。
>>745 ボウガンの矢が刺さったのは事実だが
一応、曲射した普通の弓矢でも貫通したようだな
ようだなって何の話? 根拠は?
ボウガンボウガンうるさいのは商標持ってる株式会社ボウガンの回し者かよ?
>>748 これなら内側に着込めば十分防げそうだな
というかこれだけ雨あられと食らったらそれこそフルアーマーじゃないどっかむき出しのところに刺さるわ
1.5ミリってことは御貸し具足と同レベルの厚さだな そりゃ頼もしい
中世ヨーロッパの武術に例として鎧の厚さが残ってるけど ほとんど1.5mm以下だぞ 確実に厚いのは兜ぐらい あと一応VB硬度ものってる
新紀元社の本wwww
とはいえ、プレートアーマーだし1.6mmがせいぜいだろう 2mm以上となると、どうしても胸甲であるとかになるようだし、1.5mm以上は 相当な高級品だ
上の方で話題になってた3センチ厚はどうなった?
チハたんの前面装甲の話か?3センチじゃなくて25mmだぞ
それは胸甲の話だし、ちょっと調べたけど3cmってのは胸甲でも見当たらなかった まあググっただけで専門書を見たとかではないけども 3cmって胸甲だとしても重すぎるんじゃないかな・・・ 胸甲だけでも50kg超えるんじゃない?いや、俺は理系じゃないから知らないけど 1.5mmあるか無いかのフリューテッドアーマーが全体で15kg以上はあったようだし 3cmって30mmだぜ?ケタ違いじゃん
ちょっとググッた程度で見かけたのは、5、6mmの胸甲はあったってのは見かけた 当世具足だと、伊達の胴は4mmあったそうだ まあ有力大名クラスの鎧だから、2mm前後が平均なのかな これがプレートアーマーだとやっぱり1.5mm前後なんじゃないかな 2mm以上ってのはプレートアーマーだとちょっと見なかった
話題が逸れていたので書かなかったけれど、YouTubeでフランス軍胸甲の動画が有るよ。 アドレス貼れなかったので検索で・・・ Antique 19th century French Cavalry Cuirassier Armor Cuirass to Sword リベットの数が少ないのでナポレオン時代では無く、1825年式胸甲かな? スケールを当てているシーンでは断面が3mm程度に読めるね。 リムの部分だから本体はもう少し薄くなるかと。 動画のタイトルでは対サーベル用の装備として紹介されているね。 因みに書籍では重さも厚さも載っている物は無かった。 帝政期の年式による外見的な細かい差は殆んどの書籍に載っていたけれど・・・
760 :
名無し三等兵 :2013/10/31(木) 16:58:49.75 ID:zKZ192tZ
3センチは案の定単位間違いか 昔ポンドとキロを読み違えたのか知らんが闘牛士の剣が 3キロあるとか頑張ってたのも見たことあるな
この実験だと平均厚1.4ミリの御貸し具足がまったく鉄砲相手に歯が立ってない
西洋の高級な板金鎧だと同じ厚みでも畝がついていたり材質が上等だったりだから
条件は同じではないにしても鎧の様式は変わらざるを得なかったしな
http://www.japaneseweapons.com/hinawajyu/iryoku/index.htm >この胴はお貸し具足とよばれる、士族以下の兵卒に貸し出されたもので、一般の鎧よりは簡略に作られているが、
鉄板の厚さはほとんど変わ らない本物である。鉄板の厚さは平均1.4ミリで、鉄板に布を張り漆を厚く塗ってあるので、
ずっと厚く見える。重量は胴のみで約4.5キログラ ム、
> この実験は結論から言うと、火縄銃の前には鎧は無力であることが証明できた。 秋も深まったある日、
実験は米国前装銃協会のサイロス・スミス氏の協力を得て、ニュージャージー州のロックバレー射撃場の
前装銃射場に おいて実施した。50メーターの距離に日本から持ち運んだ具足の胴の部分を置いて、
一匁五分筒を用いて射撃した。
>第一発目は胸を狙った。「ドスーン」という音がして胴が揺れる、命中はしたが、残念ながら、
胴のやや下の部分、この胴が七段になっている が、下から二段めに当たった。
この玉はいとも簡単に鉄板を貫通して、後ろの鉄板を打ち抜いている。しかも、玉の入った穴の大きさは
20ミリかける20ミリの大きなもので、 とても口径約10ミリの銃から発射されたものが開けたとは思えない
寸法である。
>次弾は胴の腹を狙う。これは狙いどうり胴の七段めの真ん中に命中する。今度はもっと大きな20ミリかける
30ミリの穴が開き、後ろにも13ミ リの穴を開ける。やはり玉は幾つかに胴の中で分かれ、もう一つ凹みができている。
胴の中に人間の身体があっても、同じ様な結果であった ろう。従ってこの弾痕を見る限りどんな処置をしようとも、
この間にある肉体が助かる余地はまったく無いと言ってよいだろう。
763 :
名無し三等兵 :2013/10/31(木) 20:06:59.34 ID:Tn/esDdT
伊達正宗の甲冑である「黒漆五枚胴具足」の胴部の厚さは4mm厚。
それ漆含みでないの?
胸甲意識してんのかな? 独自ルートで欧州との交流あったわけだし でもそれでも兜や小具足類もあわせて22キロ程度の重さだったはず
>>764 一定の防弾性があったとかいう話だから、漆含みって事は無いと思うけどな
漆にそんな防弾性があったってんならまた別だろうけど
↑ 一人で次から次へ延々と書き込んでいるようだが仕事しなくていいのか?
>>760 大きさ比較できるようなものが写真に見当たらないのだが…
769 :
ボンクラ間社長 :2013/11/01(金) 14:17:57.28 ID:ocKmXpU0
>>762 だがそもそも当時の鉄砲は当たらない上に、弾が球形なので充分な貫通力を維持する射程距離が短い。
たとえばその50mであるとポーランドのフサリアはたった3−4秒で駆け抜けてしまうので、仮に1発当てても戦局に影響するような効果が出ない。
ポーランドのフサリア重騎兵が2世紀という無敗記録を持っている最大の理由はそれだろうと思う。
今度は100mから撃って欲しかったな 弾速の落ちた流れ弾対策に鎧は一定の需要があったんだろう
ネット小説だけど、主人公?がそういう実験を「参考にしかならない」って言ってたなあ。 実験に用いた火薬の質を疑問視してた。 硝石から作られた上に使用直前までプラスチック容器で密閉保管した火薬なら「そりゃ高威力だろうさ」 「土硝法で作られて油紙に包む程度で放置された当時の火薬と比べられるか」ってさ。 射手も「やる気も訓練も十分に積んだ熟練の射手じゃねえか」「当時そこまで訓練できるか1発いくらすると(ry」だって。 確かに一理あるよね。
どんな製法で作られても硝石結晶自体の濃度は変わらんぞ… 油紙だろうとプラスチックだろうと爆発力劣化するぐらいまでそもそも保管せんだろ
不純物が多いってことだろ? それに野戦で数日も移動すれば結構吸水するよ
>>771 当たらないとか全部主観でしかないのがなあ
777 :
名無し三等兵 :2013/11/04(月) 12:59:57.03 ID:MgomusTp
当時だと砂とか混ざってそうだよなw
778 :
名無し三等兵 :2013/11/04(月) 12:59:59.04 ID:rjMGBqMO
>>773 そのネット小説は参考にもならないってところじゃね?
兵力になるとなったら一発いくらだろうが訓練はしっかりやるよ 戦国後期の軍役状じゃ銃と一緒に熟練の放ち手も要求してる
上杉だと初めの数発で見極めて腕のいいやつだけ集中訓練らしい
稲富流とかが成立するのはその手のノウハウの問題かね
騎兵がーといったところで現実にはその騎兵の鎧が 銃に対抗するために変貌していったわけだからな
種子島伝来から10年ちょっとくらいで鉄砲名人橋本一巴みたいに 鉄砲の腕前で知られるような人間が出てきてるしなあ 軍役状だと長柄の代わりに鉄砲のようにもなってきてる
何かと思ったら競技の話か
火縄銃を過小評価しようとする側はあまりにデータ不足だな 貫通力が小さいってのは椎の実弾に比べてならわかるが それ以前の武器と比較した場合にまずどうなのか?
日本側の火縄銃は城壁の下からでもしばしば命中させる性能だったと朝鮮側 柳成竜『懲録』 ・城の上にいたわが軍が、勝字小砲でこれに応戦したが、倭の本陣は遠くにあり、 遊撃兵を出してきて交戦し、ばらばらに進み、代わる代わる出てくるので、 〔勝字小〕砲を発射しても命中しなかった。それに対し城を守るわが兵卒は しばしば賊(日本軍)の弾丸に当たって斃れた。
当時そこまで訓練できるかと言われても戦国大名の領内で ここでは銃で猟をするなという触れが出る程度には普及してたわけだしなあ
>有効射程距離100m、分間2発半ほど発射でき 敵が200m進む間に二発しか撃てない もし100mで撃てと号令出すアホな指揮官でない限り実質一発だ スコットランドのある戦場 銃を構えて陣形を取っている敵に対してバグパイプを戦闘に整然と行進していく 斉射、まだ遠いので当たらない また斉射、今度は何名か倒れるが行進はやめない 次の斉射の直後に突撃の号令、全員がダッシュで突撃 次弾は間に合わない 呆気なく勝敗は決まる
スコットランド???どの戦争だよ。ちなみに行進中にバグパイプは
銃剣の発明以前なら銃兵の護衛に槍兵がついてるし 発明以後なら白兵戦で銃兵が遅れをとることはなくなった どこの時代の話だろうね
ある戦場とかじゃなくて具体的に書けばいいのに 書けない事情でもあるの?
だいたい一分で全組が同じタイミングで打たなきゃならない決まりはないしなあ 速度君はゲームか何かみたいな融通の利かない人たちを頭に思い描いてるのかな?
別に銃と他の武器を組み合わせて戦ったっていいわけだしね なんでそうスペック比べみたいな発想になるんだろうか? ルイス・フロイス「日本史」 ・日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、 朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ハイランダーチャージの話でもしたかったんかな
強行突破することに騎兵の役割が移っていったのに
時代がスレちになるけれどジャコバイトの負けっぷり見る限り勇敢さのアピールになっても 有効性は低いと思うな
銃剣以降はむしろ重い槍兵が消えて突撃しやすくなって白兵戦復権
>弾が球形なので充分な貫通力を維持する射程距離が短い。 これは前の時代の武器に比べてそうだという主張なのかと思ったがデータが出ないところを見ると ただの勝手な思い込みか
で、結局どこかで火縄銃の誇張された欠点を聞かされて 不要論を思いついちゃった人ってことなのかね? そんな欠陥武器を日本人は戦乱の時代に何十万丁と作っちゃったんでしょうか?
>>773 のネット小説って何?
しかし今まで漫画を典拠にしてくるヤツは見たことあったがネット小説ってのは初めてだわ
火縄銃の命中率は分からないけれど、フリントロック式のスムースボアマスケットとライフルカービンの物なら。 1810年、プロシア軍がシャルンホルストの指示により行ったテストの内、160ヤード(約146m)先の人間大の標的に対して100発射撃した際の命中弾数。 スムースボアマスケット:21発 ライフルカービン(パッチ使用):49発 ライフルカービン(カートリッジ使用):26発 イメージよりは当たっているかと。 火縄銃やマッチロックマスケットの命中率の資料は・・・
>>771 精強フサリアの最大の理由は他兵科による支援では?
軽中騎兵による支援はもとより、質量共に充実した砲兵、数は少ないが優秀なドイツやハンガリー傭兵からなる歩兵。
しっかり緒兵科連合しています。
比率が歪ですがw
最大の栄光で有るウィーン郊外での突撃も、帝国軍がポーランド軍左側面に当たるオスマン軍を事前に掃討したからこそ実行出来たと。
ポーランド軍左側面を攻撃出来る位置に有ったオスマン軍砦をザクセン軍が陥落させてからフサリアによる突撃が実行されたりもしていますし。
スペック比べが好きな人は戦術を見ずに一つの兵科の手柄に帰したがるんだよね ゲーム脳に多い傾向
パンサーや自走砲を過大評価したヒットラーとW号戦車に固執したグデーリアンの違いだな。
マスケット銃使って洋上で相手の船員狙撃してるからとどくんじゃないの?
>>800 いや、最近出た火薬の本に載ってるよ
まあ見つかったら書くわ
つかまあデータなくても当然じゃね?
>>810 >つかまあデータなくても当然じゃね?
最近は実験も多いし別に当然とは思わないが
しかもデータがないことをさも事実であるかのように書くってのはカタリもいいところだろ
>>812 50mでも鎧に当たるかどうかって言ってるんだから100m先には当てられんだろうということ
>>811 いやそうじゃなくて弾が球形なら射程が短くなるのなんて実験するまでもなく当然じゃないかということ
むしろ疑義をはさむ根拠が何かあるのかと
>>814 球弾と椎の実弾では、弾丸重量が同じなら椎の実弾の方が飛距離が長くなる可能性が高いですが、同じ口径なら弾丸重量は椎の実弾の方が重くなります。
(ミニエー弾の様に内側の一部が抉られていた場合は分かりませんが)
スムースボアで椎の実弾を使用した場合は姿勢が安定しない為、斜めを向いたまま飛んだりする事さえ有りますし。
その場合は飛距離も望めません。
>>813 いざやってみたらその命中するかどうかという50メートルの距離でしっかり命中してるからねえ
>>814 俺は
>>800 で「前の時代の武器に比べて」どうかって書いてるだろ
球形とか椎の実がどうこうじゃなくて弓矢やクロスボウに比べて威力を維持できる射程が短いとか長いとかの
話を聞いてるんだわ
実戦用の弓矢だったら100メートルくらいの距離って精密に狙撃できるのかねえ? 通し矢みたいな鏃すら付けない特別仕様じゃなくてね
最終的には防ぐのに重い鉄楯が必要になってるのに鉄砲って貫通力が低いんでしょうかねえ
http://www.tsuyama-kanko.jp/tsuyamajou/m/mo_054.html > 鉄盾は幅11.5センチメートルに縦91センチメートルの細長い鉄板5枚をびょうで留めたもので、横幅44センチメートル、
縦91センチメートルあります。盾一つの重さは15キログラムですから一対で30キログラムにもなります。
この鉄盾にいったいどのような歴史が秘められているのでしょうか。
> このとき、攻め手は竹束を弾よけとして堀際に陣取っていました。そのため城内からの激しい銃撃を受けると十分には防ぎきれず、
多くの死傷者を出していました。そこで、鉄盾10張ずつが諸大名に授けられたと記録されています。
なにやら文盲が紛れ込んでるのか、わざと的外れな質問・絡みすることで反論待つ 情報乞食が棲みついてるのかさあどっちだ
敵対する側からすると弓矢とは射程も威力も比較にならんようだな 柳成竜『懲録』 ・倭奴は、攻戦に習熟し、武器が鋭利である。昔は鳥銃がなかったが、今はこれを持ち、 その遠くまで発射させる力と命中させる手際とは、弓矢に数倍する。われわれが、 もし平原広野で遭遇して、両陣相対して兵法通りに交戦したならば、これに敵対するのは 極めて困難であろう。だいたい、弓矢の技は百歩にすぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、 それも風のように雹のように飛んでくるから、とても対抗できない。 柳成竜『西刻W』 ・城や険を守り、塁を攻め、堅を破るのは大砲にあるが、交戦の利器は、やはり鳥銃である。 わが国が保有している勝字銃筒に比べて鳥銃の威力は五倍、弓矢に至っては、一○倍である。
そんな話はどうでもいい。
なんか鉄砲の優位性は当時からあったことを示す根拠はいっぱい出るけど そうでもなかったって根拠はねらーのカキコばっかですね これは勝負あったな
書籍からの打ち込みかな? 懲録は東洋文庫が有るけれど西刻Wは何だろう? 専門書とは思えない平易な文章だから原文から訳したのかな? 其れなりの労力を掛けているだろうに出典を書き込まないのは勿体無いよ。
歴史系のどっかの板かスレで誰かが打ち込んだのを、違う人物が時々に応じてコピペしてんじゃないかな。 ソース不明なんだからもうAAの類だとでも思ったほうがいいかもしれない。
書物は出版社と参照ページあげて要約なりしてほしいな
いやそもそもそんな勝負してないから。勝手に勝負を捏造するな。
ところでさあ・・・五列以上の縦列って遊兵じゃない? 例えば十列の縦列とか、五列陣を前後に並べた方が突撃にも強いだろうし 逆に突撃するにしても、ハンマーを振り下ろしてるのとは違う訳だから、実際には 衝撃力・突破力に寄与するのはだいたい三列あたりまでで、四列以降は敵と衝突する でもなく、足が止まるだけになると思うんだよね たまに漫画とかアニメとかで、やたら縦列が無駄に長い陣形が出てきたり、古代でも ファランクスは正方形に近いような無駄に縦列を敷いてる様に見える陣形を取ってたり するんだけどさ 実際どうだろうか? ナポレオンは戦列歩兵は三列をスタンダードにしてたけども まあ、縦列陣の突撃を上手く使ったりもしてるけどね。ナポレオンは
後ろで待ってる奴が前列疲れたり倒れたりで交代するんじゃなくて 最初から横から回り込んだ方が強そうな気はするな
しかしレウクトラの戦いみたいに50列に縦深増やして12列のスパルタ軍団を完璧に踏み潰した例もあるからな。 一種の飽和突撃なんだろうが・・・。
重方陣は方向転換できないから全方位に同じ防御力もたせてんだよ
>>832 もともと厚いのが好きだからなテバイ
カンナエでは失敗したけど縦厚くすると正面突破はあの時代の基本じゃね
>>833 全方向に防御力どころか、包囲攻撃受けたら敵兵の刃を受けるまでもなく中央の兵士が周囲に圧されて圧死したり
むしろ余計に脆くなってたようなんですがそれは・・・
無駄に厚くするぐらいなら、鈎形陣でも敷いた方が側面攻撃に強いじゃない
>>830 不断に戦い続けられるわけでないから、戦ってるうちに前衛が脱落して後衛
と入れ替わるのかな
五列までなら交代要員ってのも分かるんだけどねぇ 六列以上になったら、三列陣を横に二列並べた方が延翼にもなるし強力だろうと 思ってしまう訳だ そうすれば迂回包囲や側面支援も出来る訳だし
今の話題、古代の重装ファランクスのこと話してるんでいいんだよな? あくまでファランクスの役割は正面で相手方のファランクスの突撃 止めることなんだから長くなるのは当然。側面支援は別兵種の役割
そんなに縦好きなのテバイぐらいだろ マラトンとか中央薄くしても横に隊列伸ばしてるぞ
テバイは左翼だけ厚くして、中央や右翼は薄くしているからな。 鈎形陣ならぬ斜線陣なわけで。
入れ替わりにしても長物と盾持ちながら後列に下がるのは大変だろう ローマだと第一戦列のハスタティは体力のある若者がやったそうだが ファランクスでも組み方があるんだろうか?
あの時代はトコロテンだろ入れ替わりはしない
ファランクスの最前列に配置される新兵は壊滅状態?
新兵を最前列?それはないんじゃないか
新兵はまずは投石とか軽歩兵からスタートじゃなかった?
一応、最右翼を精鋭が担ったのは共通 右隣のホプロンをあてに出来ない右端は最も勇気を必要とされたから テーバイの斜線陣も、最右翼の敵最精鋭を受け止めて拘束・粉砕するのが目的なので、左翼をガチガチに強化してある
前列が最強だと後列暇だな
強い者同士が殴り合って消耗して欠けていくんだからその心配は無用じゃね
あと、分厚い縦深は、前列の士気喪失による逃亡阻止の意味もあるよ 基本、パートタイマーの市民兵しかいないギリシャでは、戦術指揮能力にも限界があり、 延翼しても指揮がおっつかない場合が多いというシャレにならん理由に加え 地形的に制限される戦場が良く選ばれる事もあり、戦列の幅は結局相手とほぼ同じになる
レウクトラで左翼を強化したのは 単純に相手の右翼が最精鋭だったってだけでなくて 敵陣営の頭脳にあたるスパルタ軍の部隊だったからってのもある
最精鋭が頭脳も兼ねるの古代なら当然じゃないの?そもそも古代において とりまとめ役が最も強力でないとあっという間に反乱が起きちゃう
まあ、最高列の持つ槍がファランクスの外に出ないくらいに厚いのは 意味がないってのは認める
実際に意味がなかったらそんな部隊運用誰もしないわけで 一度や二度のごく稀な事象でなく、ある程度普遍的に 存在したならそれなりの効果あるんだろ
3列のレギオンにファランクス負けてるし意味なかったんじゃないの
ピュドナの戦いは 柔軟性の低いファランクスの弱点に目をつけて 斜面に誘い込んで足並みをそろえさせなかったローマの作戦勝ち
レギオンと同戦術・同装備のケルト傭兵には勝ってるから一概には言えない そもそも重装歩兵同士の戦いに特化した陣形の有効性を語るときに レギオン出しても意味ないだろ。
テーバイは左翼最前列はガチムチのホモで固めてるからな。
スイス盟約者団も地域ごとの連帯意識で方陣の結束を高めたというか縛ったなんて話も聞く
つまりビビった奴の家族は一生後ろ指指されるんだよ。
死亡率どれくらいだったんかな
スイスの傭兵団は死亡率100パーセントだったらしい。 比喩でもなんでもなく。 一度、傭兵として売られたら、二度と故郷の土は踏めない。 それがスイスの傭兵にとって、傭兵隊を第2の故郷と思い定めることとなり それによってスイス傭兵の強さが生み出されていたとか。
帰郷禁じたら士気もくそもないんだが…
>>862 傭兵となったら、スイスでは帰郷がまず許されなかった。
「傭兵の連中が帰郷を希望するなら、その連中の首を打ち落としてしまえ。
奴らの群れの前では住民が安全でいられない」とスイス州議会の議員は公然と発言し、
スイスの住民の多くもそれを支持したらしい。
実際、ベトナム帰還兵とかの話からしてもむべなる話と思うな。
とりあえず、古代の無駄に長い縦列は、指揮官不足に根差した指揮統制の限界を 抱えた上で、動員兵数を戦力化するための妥協策という事で良いのかね まあ敷ける横列が同じ距離なら、正面衝突した時は厚い方が強いし
無駄に長いも何もマケドニアファランクスでも16*16の方陣じゃねえか。 対騎兵、重装歩兵に特化してたらおかしくもなんともねーよ。
>>861 よくわからんが成人男性が傭兵になった後に故郷に帰ってこないなら
どうやってスイスの軍事力維持すんの?
スイス軍糞弱いんだな 毎回全滅か
>>863 「裏切られて、売られて」
ただ、原文なので、私の誤訳だったら、すみません。
盟約者団のこともろくにわかってないっぽい
>>869 てか
>>863 が問題になるのって故郷に帰ってくる傭兵団がいることが
前提だよな。かえってきたのがトラブル起こして困るって
テバイは50列くらいにしたやたら分厚いファランクス組んでたというけれど いくら持久力は上がっても 包囲されやすくなるとは考えなかったのかな
一回きりの戦闘で行われた奇手を普遍化して考えるって馬鹿なのタヒぬの?
ん? レウクトラでは特に分厚い戦列を組んだけど それ以前からテバイは他のポリスに比べて縦深をもたせた戦列を組むのが常だったと 手元の書籍には書いてあるんだけど こっちが間違いでテバイも他のポリスと同じ程度の戦列しか組まないのが普通だったの?
書籍の名も出さずに奇妙なこと言ってるな。他にも奇妙なことと言えば レギオンの三列って縦に部隊を三つ並べたことなのに一つの部隊の 隊列が三列だと主張してる。12*10の編成なのに…
876 :
874 :2013/11/09(土) 21:31:12.50 ID:???
あ、書籍名は「古代ギリシア人の戦争 会戦辞典」ってやつね
市川定春を根拠にしてるトンデモ説じゃねーのかと思ってたら図星かよ…うわあ、いまでもいるんだ
武器事典が引用元当たっても内容見つからなかった苦い記憶が TRPGのネタ帳としては優秀なんですけどね
あのソースが検証できなくて害悪しかない新紀元社のクソ本かよ
ほほー この本トンデモだったのか 初めて知った
その本に限らずそのシリーズ全般ね
トンデモというか新紀元社は娯楽・雰囲気重視で史料あっても面白さ重視してる 学術書でもなんでもない娯楽本だから
なるほど 気をつけますわ
興味を持つ入口としてはよいシリーズなんだけどね。特にネット普及しなかった頃は ただ、市川定春さんに限らず著者の方たちお歳を召してプライドは高くなったけれど 調査・著述能力は反比例して…orz
議論のネタに使おうにもソースに関して巻末の参考文献に名前が並んでる程度だから 根拠として使えないんだよねえ 具体的にどの情報がどの文献に載ってるってことをはっきりさせてくれれば かなり評価が違うんだが それができない理由でもあるのかもしれないがw
886 :
名無し三等兵 :2013/11/10(日) 08:17:47.92 ID:Q2tYmX+m
>>865 いやおかしいだろ
16*4を四個の方が騎兵にも重装歩兵にも強いだろ
背側面に兵力を回す事も、後方に予備として置く事も出来るじゃないか
複数に分割して統制する術が無かったとかかね
職業軍人と呼べる存在に乏しい事から来る指揮官不足が原因の根幹みたいね
小分け部隊を統率できたらローマになれるわ
まあ指揮官少なくてもけっこう勝てたからそれでよかったのかもね。 ペルシャは全力疾走で蹂躙したし。ペロポンネソスはダルダルだけど。
>>887 人間四列なんて衝突の衝撃受け止めきれん上に交代兵がそもそもいないぞ
飛び道具も上方に槍そろえて防ぐこともできんし。
明石花火大会歩道橋事故とか見ても、密集した群集の力は普段からは想像できないものがあるからな。 オレも学生時代にアイドルグループのライブの場内係員のバイトやったけど、 長槍持ったヲタが50列に並んでで突っ込んできたら止める自信ないわ。
ファランクでは良くも悪くも後ろの列の奴には前の奴が見えないから恐怖が実感できないという利点もある。 前の奴が倒れて初めて前が見える。 前の奴が死んでも後ろや横の奴が逃げない限り前向いて戦うしかない。 まあレウクトラの同盟軍は丸ごと逃げたけど。
一度足が止まれば外周からなぶり殺しだけどそれできたのハンニバルぐらいだしな
そりゃ、最強国家の旗色悪くなったらなー スパルタはけして負けてなかったけれど 圧勝できて当然と名声持ってたのが そのマントルはがれたら…
>>892 テルシオは古代よりずっと投射武器が発達した頃に、四列〜六列で敵軍の突撃を
受け止めてるじゃないか
ハンマーを振り下ろすのと違うんだから、並べた縦列に比例して突破力が上がる
訳がないんだし、衝撃を受け止めきれないという根拠が見えない
衝撃を与えてるのはせいぜい三列目までで、しかも二列目三列目は一列目が突撃時の
衝撃で崩れた陣形の穴を縫うように進んで突撃するので、速度は遅くなり衝撃力は
一列目よりも概ね下がる
相手の陣形も一列目との衝突で崩れるから、二列目以降は衝撃を与えているという
よりは浸透しているという表現が近いが、浸透出来るのは三列目ぐらいまでだろう
それに、弓矢に関しても縦列を短くした方が被弾面積が減るし
差し引きしても大勢に影響無いだろ
テルシオパイクマンて相手の突撃を地面に固定した槍で迎え撃つもんだろ それでも六列必要なら、固定されてない陣形はもっと必要だろう 実際に効果あったからそっち方面に発達したってのを悪れて机上の空論 となえるのもいい加減にしたらw
>>898 テルシオの長柄武器が投射兵器よけることに使用された記述ないんだが
>>900 古代の弓・投石紐の性能が発達してないから後衛のファランクスが
前衛の頭上に槍そろえることで衝撃弱めたんだろ
ファランクスはホプリタイは楯持ってるからな。石や弓は楯で防ぐ。 槍で弓は防げない。
古代の歴史家にそう言ってくれ
テルシオは火縄銃というかマッチロック持ってるだろ
>>903 英語のペディアに日本語より細かく載ってるんでながし読みしたけれど
マケドニアファランクスの項には
In addition, the last 6-18 ranks of soldiers held their spears in the air over the front ranks,
making an effective barrier against missiles. This pike had to be held underhand,
as the shield would have obscured the soldier's vision
had it been held overhead.
とあるがギリシャ時代のドリーじゃむりじゃないか?
単純に水平撃ちしかしなかったんじゃねーの
>>899 テルシオはランス装備の重装騎兵にも対応してんだけど
ファランクスが対応している、並足で進軍してくる歩兵の
衝撃力とは比較にならん訳でな
てテルシオにしても、歩兵との戦闘時は地面に槍を常に
固定している訳ではなく、ファランクスの様に並足で進軍し
ながら敵歩兵を突き崩したりもする訳で
そういった例から見ても、四列では衝撃を相殺しきれないと
する主張には根拠に欠ける
進化の方向性にしても、純粋に突破力や突破力の相殺のための
進化であるとは限らないだろ
実際、レギオンは一戦列が縦列8人程度と、減っているんだしな
縦列を増していた理由が単純に突破力に関してのみの理由である
とは限らないのに、それを考慮せずに「突破力を増すため、あるいは
敵の突撃の衝撃を相殺するために縦列を16列に増した」と根拠も無く
前提とした上で「実際に16列になっている」事を「四列では対応出来
なかった証拠だ」と主張するのは、それこそ机上の空論とさえ呼べない
粗雑な主張じゃないのか?
ブルゴーニュ公ぶっ殺した頃のスイス槍兵はどれくらいの縦列だったん?
単純比較は出来ないとはいえ、機動隊の盾壁陣形って 2列前後ぐらいだよね それで数十列はありそうな暴徒化した市民を制圧してる
その例で考えるなら暴徒も盾と訓練受けて統率された行動とらんとな
>>907 で、その歩兵相手にした時はファランクス並みの重装隊形なのかよ
重装歩兵同士の正面からの衝突例にあげろよ
突破力のみに気を取られて交代要員の必要性がん無視してるし
ちなみにローマのレギオンは投げ槍と短剣が武器の中装歩兵で
ファランクスと正面から戦ったときは支えきれずにファランクスが追撃で
隊形崩したから白兵戦で勝てたこと都合よく無視してるな
中装歩兵ってのは初めて聞いたが何か基準があるの?
共和制後期のローマの鎧は革製で重装ファランクスに比べてはるかに軽快に動けるよ
そりゃギリシャ式のままじゃ一方的に山岳民やケルトに蹂躙されちゃうからなw
まあマケドニアファランクスは軽装でもまともに動けんだろあの槍じゃ 左右後ろとコの字型に完全に挟まれとる
槍足軽も鎧は軽装なんだよな 槍のせいで機動力低いけど
>>911 16世紀当時でマケドニアファランクスと同等の兵科となると、同じくパイク兵になる訳だが
当時の戦術にパイク兵対策として「縦列を増したパイク兵をぶつける」という戦術ではなく
ツヴァイハンダーなどの突撃によって突破浸透するという戦術が採用された事が根拠になるだろう
「戦術の発展の方向性」で見れば、縦列を増す戦術は有効ではなかったという事になるからな
少なくともツヴァイハンダーを突撃させた方がまだマシだったというのが、当時の戦場の結論だ
交代要員にしても、個々の穴を埋めるための要員であれば5列もあれば十分だろう
6列以降の兵士が3列目に立つほど損耗が激しいなら、それはその部隊だけで賄うレベルではなく
部隊そのものを交代させる方が有効であるように思えるがね
逆に聞くが、6列目が3列目に立つ必要があるほど交代しなきゃならなくなる戦況ではその部隊の
損耗率は何%になると考える?俺は低く見積もっても10%は損耗してる戦況かと思うんだが
それに、ファランクスが正面戦闘力でレギオンを破ったその戦いこそ、長すぎる縦列が無駄である
事の証明になってしまっている
つまり、正面戦闘力で劣る同数の敵にさえ、包囲されてしまえば敵の縦列が薄いにも関わらず当初の優勢から
逆転して一方的な敗北を喫する事になるという証明になる訳だ
まあ、これはファランクスそのものの機動力の欠如という問題点もあったが故の結果ではあるだろうけど
「同程度の士気と錬度を持った、それぞれが一人の指揮官に指揮される二つの部隊が、同じ幅の横列で決闘すれば
縦列の厚い方が有利である」事は俺も別に否定しないよ
その場合は単純に縦列が多い方が総兵力も多いって事になるしな
しかし、俺が言っているのはそういう事ではなく、同数の兵力である場合なら、縦列を増すよりも横列を伸ばして
延翼した方が効果的な戦術を取れる、という事なんだよ
それと、出来れば「4列では敵歩兵部隊の突撃による突破力を相殺出来ない」という根拠を示して欲しい
それ自体の根拠はまだ出されていないようだから
>>918 ファランクスが敵のファランクスと戦うために最適化されていった隊列だって
突っ込みどんだけ無視してんの。お前さっきから全然違うことこだわってるぞ
>>918 お前、何言ってるんだ?ファランクスは正面からぶつかり合って延々消耗戦やる
我慢比べとしてギリシャで発達していったことまるきり無視してるな
>交代要員にしても、個々の穴を埋めるための要員であれば5列もあれば十分だろう
>6列以降の兵士が3列目に立つほど損耗が激しいなら、それはその部隊だけで賄うレベルではなく
>部隊そのものを交代させる方が有効であるように思えるがね
他にも
>縦列を増すよりも横列を伸ばして延翼した方が効果的な戦術を取れる、という事なんだよ
中心突破されてあっという間に敗走じゃないか。番上の駒でなく人間が戦うんだぞ
そんな状況で士気保てるのがどんだけいるんだよ。そんな局面で連携取れるような練度
保ってるのはスパルタぐらいだぞ
ダウンロード10$? なんぞこれ
JSTORのことならおおざっぱに言うと過去の論文をPDF化したアーカイブ 史料も資料も出さずにくっちゃべるのが多いから
>>920 ファランクスは傭兵としてペルシャに大規模に雇われてるからファランクス同士の
戦闘以外でも十分、有用だったと推測できる
ツヴァイハンターが切りこんだパイクの対騎兵防御陣形とファランクスって まったく別もんなんだが基本固定されたパイク切り払うのに対し 能動的に狙ってくる複数の槍をどう切り込みたいで対処するんだろう
両手剣が膠着打開や決死隊的に切り込むようなパイク同士の戦いのときも対騎馬陣形取り続けてるの?
>>919-920 いや・・・我慢比べ、消耗戦をやる事自体がそもそも戦術として有効でないという話だろ
塹壕戦で延々睨み合うのが有効でないから、浸透戦術や機甲の発達があった訳で
そんな消耗戦をやるぐらいならさっさと包囲した方が強いという戦例こそがピュドナの戦い
であり、ハンニバルによる第二次ポエニ戦争の諸戦闘である訳で
>>926 挿絵見る限りそうだね
>>927 ピュドナの戦いの戦例で包囲してなんてないよ。隊列みだしたファランクスに対して
柔軟なレギオンが小部隊規模で白兵戦挑んだだけで
ついでにハンニバルのポエニ戦争はファランクスと戦ってないのにファランクスの有効性を
どうやって語るの。ちなみに側面付くファランクスで側面付く機動できたのはスパルタぐらい
なんだけど。ファランクスは包囲や浸透やるための部隊じゃないよ
紀元後のローマでも東方のペルシャと戦うときにマケドニア式のファランクス整備して 勝利あげてるから戦術うんぬんより兵種の相性が問題だと思う スパルタなんか同盟国、おとりに迂回攻撃得意だった訳で
>>920 「あっという間に敗走」の根拠も示してくれないと困るぞ
ファランクスと戦った訳ではないが、ガリアの「蛮族」は異国の指揮官に指揮されて
いるにも関わらず、必勝の信念で臨んだローマ軍団を、二倍の兵数差があるにも関わ
らず、見事に遅滞防御し、包囲完成まで防ぎ切り、殲滅戦を果たしたんだからな
如何にハンニバルが名将と言えど、故人の将器だけで説明できる結果でもないだろう
「あっという間に敗走」はしないのが普通だと見るべきだと思うよ
>>928 俺が言っているのはファランクスの有効性ではなく、縦列の意義だよ
ファランクスそのものがどんな部隊かなど、どうでも良い話だ
その上で、ピュドナの戦いは包囲された訳ではないにせよ、縦列の厚みが
有効に働かなかった戦例にはなるな
地形的な制約や武器の相性もあったにせよ、陣形が乱れただけで形成逆転
されるのでは「突撃・浸透を相殺するため」であるはずの縦列が、その通りに
機能していなかったという事だし
>>929 俺としてはファランクス自体を否定している訳ではない
多過ぎる縦列が無駄に思えるという話だ
>>930 ,931
縦列はファランクス同士の戦いにおいて問題になってんだぞ。ファランクス同士が
正面から戦った時の交代要員だってはっきり言ってるだろ。お前が言ってるのは
文化・風俗から切り離してこのスペックなら強いよなと主張してる机上の空論に
すぎない
いい加減
>>921 を読んでからやれよ。すべてとは言わんがお前(ら?)がこだわってる所そのものなんだけど
いかにもいかにも。 日本陸軍の浸透包囲戦術は八路軍の遊撃戦やウィンゲートの空挺円陣には勝てないから無駄とか行ってるようなもんだな。
>>931 ちなみに隊形保ててなければどんな軍でも一方的に蹂躙されるんだが
それは縦列だろうとなんだろうとかわりがない訳で。隊形が崩れた時点で
「突撃・浸透を相殺するため」であるはずの縦列が機能しなくなってると
理解できるよな
ガリアの「蛮族」ってあくまでローマの記述の視点からであの地域のケルト社会はどう見ても 蛮族とは程遠いよー 鉄器の受容もローマより早かったうえ、ギリシャ文化受容してドルイド僧形成してるのにorz
戦訓の蓄積による装備・戦術の変遷を無視 して後知恵でこれこれすればよかったと続く この話はいつまで続けんだ?いい加減、 ファランクスの長い縦列は無駄とでもスレ立てて 一人で論争続けてほしい。新紀元社ソースに 使ってるような子には無理だろうけどw
>>932 それが無駄だと言ってる
それに、俺は別に当時の文化・風俗・社会制度を無視している訳ではない
縦列を増やさざるを得なかったのは戦術的なもの以外の別の理由があったの
だろうとは考えていたし、その理由は市民兵を用いるが故の指揮官不足に
あったのだろうという話を上でやってただろ
逆に、そういう部分を無視して「縦列が四列程度では突破を防ぎきれないから」
という、純軍事的な理由であるという主張を受けたから、それに反論したに過ぎん
>>933 外国語は読めません(キリッ)
この議論眺めててテルシオって方陣じゃなかったかと確認したら
縦深20列から30列程度とあるんだが…
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA >戦闘時、テルシオは槍兵と銃兵を組み合わせて一つの大方陣を作った。まず槍兵に
>縦深20列から30列程度の方陣を組ませる。この槍方陣の四方を2列の銃兵が取り囲む。
>この時、正面には威力の高いマスケット銃兵を置く。さらに、四隅に縦深4列から6列程度の
>銃兵の小方陣を組む。
>これによって全方位に死角のない方陣が完成する。
変遷見てもマスケット銃と組み合わせる
オランダ
>テルシオよりも浅い縦深10列の槍兵方陣を組ませ、その両翼ないしは後方に、
>同じく縦深10列の銃兵方陣を配置するのである。
スウェーデン
>槍兵方陣の後方に銃兵方陣を置き、さらに後方に予備の銃兵方陣を置くというものである。3列目の銃兵は、いつでも両翼の支援に回ることが
>でき、より効率的な火力の発揮が可能となった。
長い盾列が無駄?
>>938 ファランクス同士の正面衝突なら「縦列が四列程度では突破を防ぎきれないから」と言ってるのに
なんでそれをマル無視してんだよ
>>933 ,939
情報乞食が議論のふりして突っ込みのネタだし待ってるのにかまうのはよせ
居付かれんぞ
>>935 隊列を保てない事が一方的な蹂躙に繋がる事を理解しているなら、縦列を無意味に増やす事が
それを助長する事も理解出来るはずだがな?
二個の部隊に分けて一方を予備として後方に置けば、前線部隊の隊列が崩れても対処出来るからな
一個の部隊の縦列を増やす方法では出来ない芸当だ。実際にレギオンはそういう戦術でもある
>>935 ファランクスに限らず密集陣形を崩す方法自体は、投射武器の多用、小部隊による挺身突撃、軽歩兵に
よる撹乱、迂回による背側面攻撃などの様々な物がある以上、陣形が崩れる事で縦列が無意味化すると
いう前提に立てば、やはり厚過ぎる縦列は無駄という話にもなる
戦術的な柔軟性を放棄しているに過ぎないという事になるのだからな
>>939 テルシオは六列だよ。方陣は四方向全てを正面として構える訳だからな
30/4は、およそ7だろ
30列としても一方向に7列という事だ
10列で考えれば、一方向に3列だな
>>942 >二個の部隊に分けて一方を予備として後方に置けば、前線部隊の隊列が崩れても対処出来るからな
>一個の部隊の縦列を増やす方法では出来ない芸当だ。実際にレギオンはそういう戦術でもある
どの戦闘で取ったのか詳しく。そんな例ないよ。予備隊と勘違いしてないか
>>928 ハンニバルのポエニ戦争はハンニバル軍がファランクスとケルトの構成。
カンナエの戦いでも両翼に縦深の深いファランクスでローマの突破防いでる間
にカルタゴ騎兵が側面付いて勝利してる。このとき中央がケルト兵で
そこだけ下がった状況だから後方突かれたローマは身動きとれずに
壊滅してる。
この戦いはローマ側が自軍の編成には向かない密度を増した隊列による
正面からの戦闘に持ち込んだのも大きな敗因だけどな。
>>944 それこそピュドナの戦いだろ
後方の部隊が結局は突破されたとはいえ、ファランクス一時的に受け止めたぞ
>>946 ピュドナの戦いにそんな例ないぞ。受け止めたのは同じ部隊の中の後列
ハスタティ、プリンキペス層が突破されてトリアリイが受け止めたんだよ
>>947 いやそれこそが「そんな例」じゃないか
第三列・第四列って「縦列の四列目」って意味じゃないし
まさか…ハスタティ、プリンキペス、トリアリイが何を意味するのか理解していないのか ごめん、君と話してもお互いに無駄だ。うん君の縦列が長いと無意味だは正しいから 頑張って主張して
>>948 言葉が足りないと思うので補足すると、「第一戦列」「第二戦列」「第三戦列」が
それぞれ錬度の違う別の部隊であるというのが「レギオン」であり、それぞれの戦列が
別個に縦列の厚みを持って独立していたんだろう
その上でトリアリイが受け止めたのを「後方の別部隊が受け止めた」と言うのは
間違っているのか?
>>949 いやあのさ、その三つ(散兵も入れて四つ)の部隊がそれぞれ交代しながら戦うのがレギオンな訳で
その三つの部隊はそれぞれ独立しているのであって、一つの陣形に単純な縦列の層として配置されていた
訳ではないんだけど?
一つの部隊の中で役割を練度に応じて分担してるのをそれぞれ別の部隊だと主張しちゃいかんだろw
>>952 錬度の別れた三〜四個の中隊が縦に並んで一個の大きな部隊を作ってるんだろ
その上で、それぞれの中隊を別の部隊だと主張するのがいかんのか?
古代のローマで中隊って言うとマニプルスのことなんだがまさしくこれが100〜150人で 中身の構成ハスタティ、プリンキペス、トリアリイ。最小規模の小隊(ケントゥリア) 2つで構成されるんだがこれも中身はハスタティ、プリンキペス、トリアリイで構成 ハスタティや他の兵種がそれぞれ独立して小隊や中隊作ってるわけじゃないよ
え・・・いやケントゥリア・マニプルスがそれぞれハスタティ・プリンキペス トリアリィの三つに分かれている筈だが ケントゥリアの中に三つの兵種があったわけではなくな
>>954 なんか大きな間違いしてるように見える。一軍団の構成要素と勘違いしてないか
>>942 で、ファランクスの縦列の長さが16列が適正でなく無意味に長いって主張はどこから導かれるの?
一小隊が縦列構成するんだけど初期の10人から16人になんで人数増えたの?
>>958 8列3部隊のレギオンは前方の部隊の陣形が崩れても後方が支えたが、16列1部隊のファランクスは
陣形が崩れた後、後方がそれを支えた訳ではなく、逆転されているという所から導かれるだろう
他にも、これはファランクス全盛の時代からそうだが、背側面への攻撃に対処していない
6列を四方向に並べたテルシオが対処しているのとは対照的にな
10列から16列に増えたのは、動員可能兵力が増えても割合としての指揮官の不足が変わらなかったが
故に、単純にファランクスの規模を増大させる事で「正当に」発達させたからではないかな?
本当の所は俺は知らん。だからこそ疑問を呈している訳だし
>>959 密集歩兵が密集できない地形で戦ったから各個撃破されたんであって縦列が長いから
負けたわけでないぞ。隊列組めない状況じゃファランクスの縦列が何列だろうと
一方的にローマレギオンに負けるよ。ちなみに練度の高いマケドニアやファランクスは
側面や後方から攻撃受けた時にそちら側に槍先展開できてる。
テルシオも四方から同時に攻撃受けることは想定してない。
>>959 ギリシャにおいて陸戦が強かったポリスはスパルタとテバイで
ポリスごとのファランクスの縦列の規模は8〜16だけど
テバイは普段から25列とか他のポリスに比べて極端な縦深
とってるのはなんで?
ちなみにスパルタは12列。同盟国おとりに迂回攻撃仕掛ける
のが大得意
>>960 ローマってファランクスじゃ勝てない相手の戦い方見習って編成進化させたから
ファランクスにとって本来は大敵のはずなんだよな。それでもファランクスの隊列
突破できない。ポエニ戦争時、散々ハンニバルにやられたね。
>>962 ファランクスの隊列に真っ向から正直に戦闘挑む必要ないだろ
>>960 「縦列が長いから負けた」というのは少し語弊があるな
「部隊を8列陣二個ではなく16列陣一個の部隊として硬直的に扱った」から負けた
というのが正しいように思う
実際、各個撃破を受けたといっても、マケドニア側もファランクスの密集陣形に
最後まで拘り続けた訳ではなく、槍を捨てて白兵戦に移行している
それでもレギオンのように柔軟な戦い方が出来ずに敗北したのは、8列陣二個ではなく
16列一個の部隊編成のままだったからだ
それと、テルシオは少なくとも二方向以上から攻撃を受ける事は想定していたはずだが
軍団兵の白兵戦主体の兵装に対して短剣じゃどうやっても絶望だけどなw
縦十六列なんて白兵戦状態になたtら維持できてるわけないだろ
>>961 知らんね。元々、疑問を呈しているのはこっちだしな
12列のスパルタに25列のテーバイが敗戦した例もあったのだから、少なくとも
縦列を増せばコンスタントに強化されるという訳でもない事は確かだろうな
25列を組めるだけの兵力がスパルタにあったら、その兵力で12列二個のファランクスを
組んで、同盟軍に頼らずとも敵の正面を抑えつつ側面攻撃して、過去の戦例通りに
テーバイにも勝ったんじゃない(適当)
なんだ。16列のファランクスは無駄だという前提があってもの言ってるのか それなら無駄じゃないから16列が最終的にディアドコイ国家の主流に なったという事実で終わり。あれこれ無駄だ無駄だと言っても事実は覆らんから
>>967 いや、市民兵主体のテバイはファランクスの縦深深めることで戦力を
増し、すべてが職業軍人のスパルタは比較的短い隊列で機動力
活かした戦法でそれぞれ強国になったと言ってるんだが
それも読みとれないって。お前の疑問にちゃんと答えてるだろ
練度の低い市民兵が主体なら重深陣とった方が強いって
>>968 最終的に主流になったかどうかなんて話したら、最終的に16列の戦闘陣形なんて
中世にはほぼ絶滅してる訳ですが・・・
それ以前にローマ軍がレギオンに移行してるし
>>970 ファランクスの戦術で何列が理想とされたかについて話してたんだと思ったが
何を言ってるんだ?ピュドナの戦いのファランクスの16列が無駄だという主張に対し
その当時のファランクスの編成は16列が理想とされてたから合理的だったと
推定してるんだけど。さらにその言い方ならテルシオの時点で槍兵のもみ合いに
また帰着してると言えるな
>>969 えーと・・・
「職業軍人が足りない事から来る指揮官不足という問題を抱えつつ強化するための
妥協策として縦列を増したのではないか」というのは、もうずっと上の方で既に
おそらく別の人に答えて貰っていたし、それで半ば納得してたんだけど
それを横から、指揮官云々ではなく単純に敵の突撃を支えきれないから縦列を増した
のだという主張が現れたので、あくまでそれに反論していたに過ぎないよ
職業軍人が多ければ縦列が短くても済むというのが一つの結論であるなら、俺としては
その説を特に攻撃するつもりはない
レギオンのように、部隊が細分化されていった変遷とも合致しているしな
>>972 極端に短い4列なんて意味不明な主張を始めたのはお前だろ
ファランクスは5列目までが前方に槍を構えて攻撃できる状況にしてんだぞ
そんなところに4列のファランクスなんて送り込んでどうするんだ?
交代兵もいないから一蹴されて終わりだろって突っ込みにくどくど
意味不明の噛みつきしてるのはなんなんだ?
>>971 悪いが、ファランクスの戦術そのものは当初の議論(?)の主旨ではない
もっと広汎な、縦列の意義に関しての話が主旨なんだ
だからカンネーの戦いも例に挙げたりしている訳でな
>>974 カンネーの戦いのカルタゴってファランクスだけど…
ケルト中央において両翼はカルタゴ兵で
正面からローマと戦ってるぞ
少なくとも、防御に関しちゃ縦深がないよりあった方が良いだろうに あまり広げ過ぎると柔軟性がなくなって、どこかに穴が空いた時に対処できなくなる ファランクスがレギオンに負けたのは単にローマの方が軍事制度に関しちゃ合理的だっただけだ そりゃ職業軍人多けりゃ勝つさ
ちなみにポエニ戦争においても大王以来のファランクスが敵正面抑えてる間に 優勢な騎兵で側面・後方突くって伝統的な戦法で戦ってるね
>>973 ファランクスが5列目まで槍を構えているというのは、ちょっと挿絵等を見ても
その様には見えないんだがな。特にそういう資料も見た事無いし
テルシオにしても、最前列がしゃがむ対騎兵用陣形でも、槍を出してるのは三列目
までだぞ
まして歩行しながら5列目までが槍を向けるというのは、ちょっと考え辛いんだが
よくわからんけど延々と延翼運動したいわけ? 日頃どうやって訓練すんの?
982 :
980 :2013/11/11(月) 15:10:34.82 ID:???
>>980 正直、場面毎にまちまちでよく分からんな
まあ、三列目まではコンスタントに槍を前面に展開出来ているようにも見えるな
投射武器や騎兵が未発達な時代だったし、10列前後なら意味もあったかも知れんね
4列では不安だというのも分からないではない
ピーター・コノリーの「ギリシャ軍の歴史」では、マケドニア・ファランクスは、 「攻撃をしかけるときには、前から4,5列目までの槍が最前列の前方に突き出されます。」 森谷公俊の「アレクサンドロス大王」では、 「密集隊形では前から4列目、さらに前後の間隔をつめた時は5列目の兵士までが槍を水平に構える。」 (文章は要約しました) 同書の図では楔形隊形の時には、先端部分は4列目まで、それ以外の部分(両翼?)は2列目までが水平に構えると図示されていますね。
>>985 アレクサンドロス大王16列楔形とか書いてあってワロス
>>972 その言い方は片手落ちじゃね?
結局、レギオはガリア人との交戦経験により中隊(マニプルス)戦術を捨てて、
大隊(コホルス)による戦列維持へと梶を切ったワケだから
「中隊ではガリア人の突破に対応しきれない」との理由で
なお、中隊(マニプルス)から大隊(コホルス)の変遷は、市民兵から職業軍人への変遷と期を一にしているので、指揮統率の不足ではない
あと、余談になるけど、カンナエでのハンニバルは、
中央で分厚い縦深を敷いたガリア歩兵に両翼のスペイン歩兵でタガを填め、
前に押し出しローマ軍団兵への肉壁として積極的に消耗させてる節が……
>>987 カンナエに関しては全くの事実だと思うが、冷血に判断すれば極めて妥当と考えざるを得ない。
ハンニバルにとってガリア兵とスペイン兵、どちらが重要で信用できるかと言えば文句なしにスペイン兵。
犠牲なしに勝利を得られない以上、ガリア兵を犠牲にするのはやむを得ない気が。
(人道的にどうか、と非難されれば頭を下げざるを得ませんが)
ガリア陛下らも妥当で問題ない戦術と考えられてたんじゃないかな 反旗翻すこともなくその後何年もつき従ってるんだから
まあ勇敢さを示しているわけでもあるからなぁ