1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2013/05/24(金) 17:51:34.96 ID:???
3 :
名無し三等兵:2013/05/24(金) 17:54:29.86 ID:???
ここが噂に聞く「酔って民家に不法侵入」のスレか
4 :
名無し三等兵:2013/05/24(金) 18:03:07.33 ID:???
日本の話題とずれるがイタリアでロープウェーを戦闘機が切断してしまって
数十人の死者が出た事件って、保障終わってたんだっけ?
5 :
名無し三等兵:2013/05/24(金) 18:21:34.70 ID:???
6 :
名無し三等兵:2013/05/24(金) 18:25:22.69 ID:???
>>5 そっちのほうが重複スレだろ。
まぁいいや隔離スレから出てくんなよ坊主。
7 :
名無し三等兵:2013/05/24(金) 18:31:00.60 ID:???
8 :
名無し三等兵:2013/05/24(金) 18:32:13.23 ID:???
>>5 そっちじゃ「酔って民家に不法侵入」を語れないだろ
ニワカはどっか行ってろ
9 :
名無し三等兵:2013/05/24(金) 18:35:21.84 ID:???
でていけ米軍!が基調のスレは正直書込みにくかった。
10 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 11:58:46.22 ID:???
1957年(昭和32年)1月30日、群馬県相馬が原の米軍演習場内の立ち入り禁止の場所に、薬きょうを拾いに
きていた農婦の坂井なか(46歳)が、小銃弾に当たって死亡した。
一緒にいた日本人農夫の証言で、米兵に「ママさん、だいじょうぶ!」と呼び寄せられ、約10メートルの距離から
狙撃されたことが判明した。
その米兵は、この日、立哨だった米軍第1騎士団第8連隊のウィリアム・S・ジラード(当時21歳)3等特技兵であった。
事件現場は1920年(大正9年)に旧陸軍演習場となり、戦後米軍に接収された土地だったが、鉄くずの薬きょうを
拾って生活の足しにしている基地周辺の人々の貧しさや、日本人をスズメ程度にしか考えていない米兵の
心理など多くの問題を提起した。
5月18日、検察はジラードを傷害致死罪で起訴。これに対して、アメリカ本国では、在郷軍人会やジラードの
親族を中心に、「身柄を日本側に引き渡すな!」の一大合唱が湧き起こった。
ジラードの兄は、米連邦地裁に人身保護を求める訴訟を起こした。
6月18日、米連邦地裁は、ジラードの身柄を日本への引渡しを禁ずる判決を下した。
11 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 12:13:58.66 ID:???
1922年に締結された「空戦に関する法規」(ハーグ条約)は、「陸上軍隊の作戦行動の直近地域でない都市、町村、
住宅又は建物の爆撃は、禁止する」と定めている。
アメリカ陸軍航空隊の将軍たちは、ヨーロッパ戦線では無抵抗の一般市民を殺戮することへの道義的嫌悪感から
「無差別爆撃」を避け、精密目標をねらう「選択的爆撃」にこだわり続けた。
だが、この原則は対日攻撃には適用されなかった。
日本には無差別に爆撃を加えてよいと彼らは考えていたのである
(ロナルド・シェイファー『アメリカの日本空襲にモラルはあったか』草思杜)。
12 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 14:50:53.41 ID:???
>>10-11 あのなここは軍板なわけだから、
そういうソースなし連投は巣に帰ってやれや。
13 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 20:23:38.69 ID:???
>>11の最後の↓みたいなのはソースには含まないの?
(ロナルド・シェイファー『アメリカの日本空襲にモラルはあったか』草思杜)
>>10についても気になったんで適当にググったら↓のサイトが出てきた
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/zirado.htm >>10のソースは以下の本だな
『犯罪の昭和史 2』(作品社/1984)
『20世紀にっぽん殺人事典』(社会思想社/福田洋/2001)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)
あと
>>1に同意
『絶えないアメリカ兵レイプ! 沖縄を取り戻せ!』
↑こういうスレタイは政治的に偏向し過ぎてる気がするから良くないと思う
14 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 20:35:13.10 ID:???
15 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 20:48:41.79 ID:???
ないときのほうが多いだろう。
たまに付けたのを鬼の首でもとったように言われてもな。
16 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 20:49:38.04 ID:???
とにかく語り合うスレで、反米コピペ連投はやめれ。巣でやれ、
17 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 21:35:27.23 ID:???
何でこう意味のないコピペばっか連投するかねぇ。
18 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 21:37:22.32 ID:???
19 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 21:48:07.60 ID:???
>>18 やはりそれを嬉々として出してきたが、
母数が少なすぎて統計的比較としては全く意味がないということが理解できるか?
一般のねらーの振りして描きこもうとしても無理だぜ。
20 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 21:54:56.77 ID:???
アブグレイブ刑務所の惨劇
イラン郊外にあるアブグレイブ刑務所では、以前からアメリカ兵によるイラク女性(女性囚人)へのレイプが
恒常的に行われていたことが噂されていた。
もちろん、アメリカ軍は否定しているのだが、そのレイプの動画や写真が多数あるといわれており、
一部が少しずつインターネットに漏れ始めている。
これは反米感情を催すニュースになるので、報道規制の強い日本ではまったく報道されることはない。
そもそもイラク女性がアブグレイブ刑務所でレイプされ続けているという噂があったことすら、ほとんどの人は
知らないだろう。
実際にはイラクでは多くの女性が因縁のような理由で投獄され、性的被害を受けていると言われている。
たとえば、指名手配されているイラク人の家族の女性が、人質のような形で逮捕されているという。
問題のレイプ事件は、2004年5月にイギリスのガーディアン紙によってリークされた。
アブグレイブ刑務所でのスキャンダルは、デジカメで撮られた大量の写真が流出したことによって問題になったが、
女性のレイプ事件はデジカメではなくメモによって発覚している。
女性は投獄され、兵士たちの前で全裸を余儀なくされ、強姦され、女性の何人かは妊娠していたとも言われている。
21 :
名無し三等兵:2013/05/25(土) 22:11:55.78 ID:???
>>20 だからそういうのをここではやめろっつの。
まともな議論なり語り合いができないだろ。
22 :
名無し三等兵:2013/05/26(日) 19:11:08.26 ID:???
23 :
名無し三等兵:2013/05/26(日) 19:31:57.72 ID:???
24 :
名無し三等兵:2013/05/26(日) 20:29:33.38 ID:???
ダンピールの悲劇
1943年3月3日第八十一号作戦中の日本軍の輸送船8隻、駆逐艦4隻は、B-25の反跳爆撃により沈没した。
その後、武器を持たない丸腰で海面上を漂流する、もはや遭難者であり非戦闘員となった日本兵達を、
米豪軍の攻撃隊は何度も反復し機銃掃射して虐殺した。
日本海軍は、戦えなくなった者は敵の兵であろうと、一人残らず救助せよと命令を出したが、米軍の指揮官は
かまわず虐殺せよとの命令を出した。
機銃の弾が切れると、基地に戻って弾薬を補給し、漂流者の上空へ戻ってきては、また泳いでいる日本兵を
捜して機銃掃射を浴びせた。
そして弾が尽きるとまた、補充しては機銃掃射を繰り返して、連合軍のパイロットたちは、野蛮にも
虐殺行為を楽しんだのである。
25 :
名無し三等兵:2013/05/26(日) 20:48:49.53 ID:???
アフガンイラクでアメ兵も士気落ちて統率利かない状態らしいからね
26 :
名無し三等兵:2013/05/26(日) 22:11:22.75 ID:???
>>20や
>>24のコピペを連続して貼ってる人は自重するか
或いはソース貼ってちゃんと議論してくれ
ソースがなきゃ
>>24の文章もどこまで本当か分かったもんじゃないし
第一
>>24は大戦中の米軍だから今の在日米軍じゃなくてスレ違いとも言える
何が何でも米国と米軍を悪者にしたいだけにしか見えない
>>1にもあるようにプロパガンダや思想の煽り合いは無益過ぎる
日米同盟は中立に検証してデメリットよりメリットが多いから成立してる訳で
一部の米兵が犯罪やったからってその他全員を日本から追い出す必要は無いし
軍事的に依存してるからって治外法権じみた事例を見過ごして良い事にもならないんだからな
27 :
名無し三等兵:2013/05/26(日) 23:22:27.83 ID:???
飛行機が人を轢く”という前代未聞のゴードン事件
私が住んでいるひたちなか市阿字ヶ浦町のすぐ後背地は、旧陸軍水戸飛行場が敗戦によって米軍に接収され、
73年まで米軍の射爆撃場となっていました。そのため、ひたちなか市史には記載されていない死傷事故を含めて
数多くの事件や大事故が起こっている。その一つが私にとって忘れられないゴードン事件です。
1957年8月2日、超低空飛行の米軍機が県道を自転車で通行中の母子を飛行機の車輪で轢き殺傷しました。
(この時の操縦士の名がゴードン)。小学生だった私は海水浴場から家に帰る途中で、大勢の大人たちが
「飛行機が人を轢いた」と言いながら慌てたように走っていくのを見て、赤いふんどしのまま大人たちに付いて
行きました。現場に行ってみると、家の畑の隣のさつまいも畑が飛行機の車輪でなぎ倒され、被害者の体が
ばらばらに散らばり、警察か消防の人が長火箸で肉片を拾っていました。息子さんはその時は重症ながら
生きていましたが、あたり一面さつまいもの葉が真っ赤な血で染まり直視できないほどでした。
いまもその時の光景が目に焼きついています。
この事件を米軍側は異常気流による不可抗力的事故と主張したが、地元の市議会は操縦者のゴードン中尉
(当時27歳)のいたずらによるものと断定、茨城県警は水戸地検に書類送検しました。ところが公務中の過失として
不起訴処分となっています。死亡者への補償額は43万円余でした。
28 :
名無し三等兵:2013/05/27(月) 10:55:23.23 ID:???
>>26 まったく同意。
結局ちゃんとしたソースなり検証可能性があれば
まともに語り合うなり、米軍に是正を求める内容だったりがはなせるかもしれんのに、
何がなんでも米軍=悪という宣伝をしたいだけに見えるのよね。
というかまぁ、そうなんだろうけど。
29 :
名無し三等兵:2013/05/28(火) 01:02:03.72 ID:???
アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行
沖縄本島には千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。
わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。
―――――――
以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家)
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
―――
一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。
とくに沖縄戦がそうだった。
クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。
地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、
やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、
何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、
丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、
「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」
と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。
女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、
手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。
30 :
名無し三等兵:2013/05/28(火) 01:24:49.65 ID:kG1wXRWB
WW2の沖縄戦では米軍上陸後に1万件近く、終戦後に米軍が日本本土に進駐して最初のわずか10日間で
神奈川県下だけで1336件(8月30日には1日に315件)もの米国兵による日本人女性への強姦が発生した事もあり
防波堤的に彼らの相手をさせる為に設置、だがそれでも全く追いつかず
進駐軍GHQの命令で大幅に増設された日本人売春婦、「特殊慰安施設協会」。通称「RAA」
この件についての言及を待っていました。素晴らしい。橋下頑張れ。
発情し珍棒を勃起させながら長い列を成していた当時の若い米国兵達。その様子について残されている赤裸々な証拠写真と各資料他。
米国の政府広報や議会にメディア、日本国内の中韓ロビーなメディアと自称・女性の人権を重んじる政治家と文化人コメンテーターは
橋下のこの言及について逃げずに取り上げ反論しなさい。仮にスルーするのなら、あんたらの正体とはそういう事。
単に人権でオナニーするのが大好きな、人前で人権をネタにシコりつつ絶頂してる醜態を晒してるのにすぎん。
いわゆる反日や日本sageが目的ではなく本気で女性の人権を考えているのなら、この問題を無視・誤魔化すのは出来ない筈。
進駐軍GHQによる言論統制により、米国兵の酷い行状も犯罪も数千件の殺人事件さえも批判は一切タブーで揉み消し。
そんな姦獣レベルの連中が蔓延りやりたい放題の下、泣き寝入りせざるを得ないケースが非常に多かった中で
発覚・判明している事例のみで累計・軽く3万件を越える米国兵による日本人女性への強姦、実際にはこの数倍。
あんたらは、これは"SEX SLAVE"ではないから無問題だよとでも言うんだろうがね。
因みにRAAが設置されていた期間中の日本人女性への強姦は1日平均40件
1946年3月末に廃止されて以降は1日平均330件と8倍以上に増加。根絶は不可にせよ
今に生きる口先良識派が何と言おうが当時、強姦防止に慰安婦効果があった事は数字からも明白。
欧州戦線では14000件、ドイツ人女性へは11040件もの強姦実績を誇るWW2の英雄・米国兵。日米関係ではなく
人権や人道から橋下の発言を批判するのなら、先ずは人間の負の本質を歴史から逃げず正しく認識してからだわ。
博愛に陶酔ばかりせず、その辺のリアルな処も宜しく。人権オナニストな偽善者の皆さん。
31 :
名無し三等兵:2013/05/28(火) 05:35:19.56 ID:???
>>29-30 反米コピペ連投太郎おはよう。
とりあえずお前はソースを貼れ。
32 :
名無し三等兵:2013/05/30(木) 00:33:30.82 ID:???
1927年(昭和2年)に、スピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独
無着陸飛行に初めて成功したチャールズ・リンドバーグが、その従軍日誌
「リンドバーグ第二次世界大戦日記」で、米軍兵士の日本軍将兵の遺体への
目に余る冒涜の目撃談を著わし、その実態を告発していることも有名である。
遺体に小便を掛けることや、遺体を的にしての射撃、頭蓋骨をボール代わりに
してサッカーをするなどは序の口で、ペニスを切り取って、口に咥えさせる、
耳や鼻を切り取って、ネックレスにする、帰還する時に持ち帰る為に耳や鼻を
乾燥させる、ゴールドラッシュと嘯きながら、金歯を抜き取る、砲弾が着弾
して出来た穴に遺体を放り込んでおいて、その場を残飯などの廃棄物の集積所
にするなど、獣にも劣る蛮行が日常化していたのである。
33 :
名無し三等兵:2013/05/30(木) 00:42:27.51 ID:???
「対話」という単語が理解できん糞左翼は何とかならんのかね。
34 :
名無し三等兵:2013/05/30(木) 02:28:37.70 ID:???
Hman Los688 Miwa.SS 岩見 その他の
wikiに寄生しているアホどもに告ぐ
不正な手段で偏向、中傷編集した
牟田口、東条、冨永、辻、松岡、岡、石川、その他多数wの編集を
直ちに公正に復旧せよ
さもなくば、その報復として徹底して
山本五十六 及び 半藤一利を
2ちゃんで叩きまくるwww
35 :
名無し三等兵:2013/05/30(木) 21:16:57.21 ID:???
これほどまでの遺体への冒涜は、日本人に対する人種差別的感情が無ければ、
為し得なかったことであったろう。
ヨーロッパ戦線での激戦場でも、独軍兵士の遺体の切り取りが流行したなど
聞いたことが無い。
1952年に、米国の移民と国籍に関する事項を定めた法律である移民国籍法は、
ネバダ州選出の上院議員パトリック・マッカランとペンシルベニア州選出の
下院議員フランシス・ウォルター、二人の策定の下、制定された法律で、
マッカラン=ウォルター法とも言われるが、この人種差別主義者のフランシス・
ウォルターは、太平洋戦線で戦死した日本軍兵士の肘から手首に掛けての骨、
前腕骨で作つたペーパーナイフを嬉々として、フランクリン・D・ルーズベルト
大統領の贈呈した人物でもある。
日本を巧妙な謀略で対米戦争へと誘い込んだ、卑劣な人種差別主義者であった
ルーズベルト大統領は、そのペーパーナイフを愛用していた。
36 :
名無し三等兵:2013/05/30(木) 22:04:06.77 ID:???
37 :
名無し三等兵:2013/05/31(金) 21:54:11.30 ID:???
ルーズベルト大統領の息子である、ジェームズ・ルーズベルト海兵隊大尉は
カールソン中佐指揮下の部隊に配属されていた。
1942年(昭和17年)8月17日の早朝、そのカールソン隊は、西太平洋の
ギルバート諸島マキン島の日本軍前哨陣地を攻撃し、守備隊を全滅させたが、
彼らは戦死した日本軍兵士の遺体を切り刻み、男根と睾丸とを日本軍兵士の
口中に詰め込むなどの蛮行を働き、20年後に遺体を陵辱した様子を記録した
写真が公表されると共に、その冒涜の有り様がテレビ番組で語られたという。
38 :
名無し三等兵:2013/06/02(日) 17:45:38.52 ID:???
まったくまあ、これだけ論破されつくされたヨタ話を必死になって
39 :
名無し三等兵:2013/06/02(日) 21:34:18.19 ID:???
日本兵士殺害に関する将軍の話一 数週間前のことだが、最前線のさる技術科軍曹が、もう2年以上も
太平洋地域で、戦闘部隊と行を共にしながら、ついぞ実戦に参加した経験がなく、帰国する前にせめて一人だけでも
日本兵を殺したいと不平を漏らした。
軍曹は敵の地域内に進入する偵察任務に誘われた。軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、
偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。…「しかし、俺はこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」
「ちえっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた
途端に、日本兵の頭部に腕が巻き付き、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。
40 :
名無し三等兵:2013/06/02(日) 22:19:50.69 ID:???
なんでこう必死なんだ?
41 :
名無し三等兵:2013/06/03(月) 21:38:20.92 ID:???
1944年6月26日月曜日
8時38分、第三滑走路からP38で離陸し、ニューギニアの密林を越えてボランデイアヘという直線コースの
針路をとる。天気良好。小屋の壁の一つに、絹地の日本国旗が三枚かかげてあった。
日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品(スーベニア)として10ポンド(33ドル)の値打があると、
ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は250ポンドなら譲ってもよいと言った。
●談たまたま捕虜のこと、
日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と、将校の
一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」
「*****では2千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった100か200だった。
残りの連中にはちょっとした出来事があった。
もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」
「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる
42 :
名無し三等兵:2013/06/04(火) 06:22:14.84 ID:???
どうでもいいけど軍板なんだからソースはれ。
43 :
名無し三等兵:2013/06/04(火) 16:41:57.90 ID:???
リンドバーグの日記は、小説を書くために聞き集めたネタ帳だったことは明らかになってるけどな
44 :
名無し三等兵:2013/06/04(火) 16:49:28.19 ID:???
45 :
名無し三等兵:2013/06/04(火) 21:56:29.76 ID:???
1944年六月二十八日水曜日
第475飛行連隊の将校連と夕食、夜を共に過す。話題は今夜もまた、戦争や捕虜、記念品のことに及ぶ。
わが将兵の態度に深い衝撃を覚えた。敵兵の死や勇気に対しても、また一般的な人間生活の品位に対しても、
敬意を払うという心を持ち合わせておらぬ。…略奪したり、ある議論の最中に私は意見を述べた。
日本兵が何をしでかそうと、われわれがもし拷問を以て彼を死に至らしめれば、われわれは得るところが何一つ無いし、
また文明の代表者と主張することさえ出来ないと。「ま、なかには奴らの歯をもぎとる兵もいますよ。
しかし、大抵はまず奴らを殺してからそれをやっていますね」と、将校の一人が言い訳がましく言った。
46 :
名無し三等兵:2013/06/04(火) 21:58:26.92 ID:???
>>45 ソース。
それともソースもない根拠ないデマを仲間内で信じてるの?
宗教だな。
47 :
名無し三等兵:2013/06/05(水) 01:32:48.80 ID:???
いったいどういう奴がドヤ顔で貼ってるんだろうな。
48 :
名無し三等兵:2013/06/05(水) 19:02:47.70 ID:???
1944年8月6日日曜日
明りのいくらか貧弱なテント内で空箱や簡易ベッドの端に腰掛けたまま、日本人捕虜の問題を語し合った。
でもよい相手を捕虜に出来るいつ如何なる時でも投降を受け容れないのは間違いだ、投降を受け入れればわれわれ
の進撃は一段と速くなり、多くのアメリカ人の生命が救われるであろう。
とにかく投降した場合は必ず殺されると考えるようになれば、彼らは当然踏みとどまり、最後の一兵まで戦い抜くだろう
-そして機会があるごとに捕虜にしたアメリカ軍将校を殺すであろう、と。
大多数の将校は私の意見に同意したが(さほど熱烈に同意したわけではないが)、しかし、わが方の歩兵部隊は
そのように考えてはおらぬようだと言った。「たとえば第42連隊だ。連中は捕虜を取らないことにしている。
兵どもはそれを自慢にしているのだ」
「将校連は尋問するために捕虜を欲しがる。ところが、捕虜1名に付きシドニーヘ2週間の休暇を与えるという
お触れを出さない限り、捕虜が一人も手に入らない。お触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入るのだ」
「しかし、いざ休暇の懸賞を取り消すと、捕虜は一人も入って来なくなる。兵どもはただ、一人もつかまらなかったよ
とうそぶくだけなんだ」
49 :
名無し三等兵:2013/06/05(水) 23:30:56.98 ID:bnyO4ADS!
既に論破されつくされているヨタ話を必死になって
罪人の子がつけあがるなよ
50 :
名無し三等兵:2013/06/06(木) 23:11:31.38 ID:???
(七月一三日)
「我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、
それらの行為が大方から大目に見られているのである。
われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。
ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由が
いよいよ無くなるように思う」
(七月二一日)
「安全でかなり贅沢な将校クラブに座しながら、これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の
言に耳を傾けねばならないのである。
彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する
畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」
(七月二一日)
「私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。
あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ 飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。
ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない。
なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも
明らかだから」
51 :
名無し三等兵:2013/06/07(金) 13:34:33.87 ID:TsLl86n4!
英語版ウィキを読めばわかることだが、太平洋戦争中はリンドバーグは民間人であり、
戦闘に参加するどころか戦場を見物することさえできなかった
小説家を志していた彼は、アフターファイブに近所の酒場で米兵にお酒をおごり、
仮想戦記のネタとなる面白そうなホラ話を収集していた
52 :
名無し三等兵:2013/06/07(金) 13:47:25.47 ID:???
>>51 なるほど。
それをさも事実かのように流布している反米太郎は
とんでもない奴だな。
53 :
名無し三等兵:2013/06/07(金) 17:41:24.39 ID:???
54 :
名無し三等兵:2013/06/07(金) 18:11:10.54 ID:???
>>51 リンドバーグは移送パイロットを勤め戦地に赴いている
そもそも彼の記した残虐行為はどれも戦闘中ではなく
戦闘後の有り様や捕虜の扱い
55 :
名無し三等兵:2013/06/07(金) 22:07:48.74 ID:???
(七月二一日)
「われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、さらった土をかぶせて
やったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性に
もっと敬愛の心を抱けたに相違ない。
ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。『これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ』と」
(七月二四日)
「山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、
わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。
わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、残飯や廃物を放り込む
ところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる」
56 :
名無し三等兵:2013/06/07(金) 23:21:50.78 ID:???
>>53-54 パイロットがどれだけ実際の戦場を見聞きできると
思ってるんだね?
57 :
名無し三等兵:2013/06/08(土) 19:22:20.84 ID:???
チャールズ・リンドバーグは、1927(昭和2)年に、大西洋横断の単独無着陸飛行に史上初めて成功した人である。
彼は第二次世界大戦中、空軍の顧問として太平洋各地を回ったが、そのときの日記の中に再三にわたって
書かれているのは「アメリカ軍は日本兵を捕虜にしない」ということへの嘆きである。
この日記にはアメリカ軍の日本兵捕虜に対する目を覆わんばかりの残虐行為が赤裸々に描かれている。
「わが軍の兵士たちは日本兵の捕虜や投降しようとしているものを射殺することを何とも思っていない。
彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱い、それらの行為がほとんどみんなから大目に見られている」
ニューギニアでは2000人ほどの日本兵捕虜に機関銃が乱射された。
「ジャップの病院を占領したときには、病院に生存者を一人も残さなかった」。
捕虜として投降してきた者は即座に射殺、そのため日本人同胞は投降もままならず、ジャングルの中で飢えに
苦しみぬいて死んでいった。日本人の死体は切り刻まれた。
金歯を抜き取る者、面白半分に耳や鼻を切り取り、乾燥させて本国に持ち帰る者、大たい骨を持ち帰り、
それでペンホルダーやペーパーナイフを作る者さえいた。
リンドバーグは「わが国民が拷問で敵を殺し、その遺体を爆弾穴に投げ込んで、その上に生ゴミを投げ捨てるほどに
堕落しているとは、吐き気をもよおす」と同胞達の日本兵に対する虐待を嘆いている。
58 :
名無し三等兵:2013/06/08(土) 20:16:19.31 ID:???
ああまた糞右翼がリンドバーグ(笑)のオタ話間に受けてるわけねw
59 :
名無し三等兵:2013/06/09(日) 03:19:53.45 ID:???
>>58 日本語が理解できないレベルの酷い表現だが、
「糞左翼」が「リンドバーグの」「ヨタ話」を真に受けてるなら理解できる。
高校出てるかお前。
60 :
名無し三等兵:2013/06/09(日) 11:17:53.55 ID:???
元陸軍大尉、田中徳裕 『我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』
三方から追い込まれた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。
婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。(略)
婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。
ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴……。
米軍は虐待しません、命が大切です。
早く出てきなさい……。
あの投降勧告は一体なんだったのか。
常夏の大空をこがさんばかりに燃え上る焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる>
残虐な行為は凄絶をきわめた。
火から逃がれ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。
かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴(け)り飛ばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ
投げこんでいる。
(略)
無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた
61 :
名無し三等兵:2013/06/09(日) 15:46:10.25 ID:???
>>60 著作によって自分の階級が違ったりする人の奴か。
徳裕という名前も違うんじゃなかったかね。
62 :
名無し三等兵:2013/06/10(月) 23:58:21.05 ID:???
アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行
沖縄本島には千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。
わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。
―――――――
以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家)
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
―――
一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。
とくに沖縄戦がそうだった。
クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。
地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、
やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、
何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、
丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、
「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」
と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。
女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、
手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。
63 :
名無し三等兵:2013/06/12(水) 18:13:30.90 ID:???
>>62 原文を貼るように。
うさんくさくて信用できないな。
64 :
名無し三等兵:2013/06/12(水) 23:12:55.64 ID:???
硫黄島警備隊司令の任にあった和智恒蔵海軍大佐は戦後、硫黄島守備隊戦死者の遺骨収集の為に奔走し、
未だGHQの占領下に在った日本政府と米国政府に掛け合い、幾多の困難を経て、硫黄島に渡り、
玉砕した将兵の遺骨収集を実現させた。
その彼が現地で目にしたものは、「収集した遺骨の内、1000体分に頭蓋骨が見当たらない」という異様な惨状で
あったのだ。
上坂冬子著「硫黄島いまだ玉砕せず」に依れば、彼は硫黄島駐屯のヤングス空軍少佐と、グアム島駐屯の
コリンズ海軍大佐に、頭蓋骨の数が足りないことを告げ、米軍当局の釈明を求めて抗議をしたが、
「そのことは承知しているが、現段階では声高に糾弾せず、当方に任せて欲しい」との返答があったという。
また別の戦場のケースとして、戦後にマリアナ諸島から日本軍将兵の遺体が
送還された時、その約60%には頭蓋骨が無かったという記録もある。
これが何を意味するかと言えば、日本軍と戦った太平洋戦線の米軍兵士の間には、戦勝記念に
日本軍将兵の頭蓋骨を持ち帰るという猟奇的な習慣があったということである。
頭蓋骨のコレクションどころか、米軍兵士に依る日本軍将兵の遺体損壊という残虐な猟奇行為は
日常化していたのである。
65 :
名無し三等兵:2013/06/13(木) 04:16:17.34 ID:???
>>64 上坂冬子は保守論壇の人だけど、
どこの文章を具体的に論拠としてその後半を展開してるのか教えてくれる?
66 :
名無し三等兵:2013/06/13(木) 22:43:18.10 ID:???
1927年(昭和2年)に、スピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独
無着陸飛行に初めて成功したチャールズ・リンドバーグが、その従軍日誌
「リンドバーグ第二次世界大戦日記」で、米軍兵士の日本軍将兵の遺体への
目に余る冒涜の目撃談を著わし、その実態を告発していることも有名である。
遺体に小便を掛けることや、遺体を的にしての射撃、頭蓋骨をボール代わりに
してサッカーをするなどは序の口で、ペニスを切り取って、口に咥えさせる、
耳や鼻を切り取って、ネックレスにする、帰還する時に持ち帰る為に耳や鼻を
乾燥させる、ゴールドラッシュと嘯きながら、金歯を抜き取る、砲弾が着弾
して出来た穴に遺体を放り込んでおいて、その場を残飯などの廃棄物の集積所
にするなど、獣にも劣る蛮行が日常化していたのである。
67 :
名無し三等兵:2013/06/13(木) 22:51:32.02 ID:???
68 :
名無し三等兵:2013/06/14(金) 00:37:12.84 ID:???
69 :
名無し三等兵:2013/06/14(金) 13:58:59.86 ID:LX+0ogp+!
リンドバーグに関しては、すでに複数の伝記作家の詳細な調査を済ませている
その日記は小説家を目指していた彼が聞き集めたネタを書き記したものにしかすぎない
それは英語版ウィキを読めばわかること
その内容が架空戦記以外の何ものでもないことは、彼が一民間人であり従軍できる立場になかったことや、
日記の書かれた日付に会社の業務をこなしていたことからも明らかである
70 :
名無し三等兵:2013/06/14(金) 14:33:49.09 ID:LX+0ogp+!
ダンピールの悲劇
ハーグ陸戦条約によれば、漂流者を救助して捕虜とする場合は、漂流者が完全に武装解除して
無条件降伏することが必要不可欠とされている
そうでない場合は、たとえば武器を隠し持っていて降伏しようとしない場合は、「戦闘継続中」とされる
まさしくダンピールでの日本兵は後者であり、たとえ米軍が彼らを攻撃しても、虐殺行為には当たらない
71 :
名無し三等兵:2013/06/14(金) 14:47:23.38 ID:LX+0ogp+!
>ギルバート諸島マキン島
さも米軍による日本兵への遺体損壊があったかのように印象操作されているが、
こうした性器を対象とする遺体損壊は亜熱帯のジャングルでのみ見られ、都市部の戦闘では
決して観測されない
実はこれは現在も米国や中南米の牧場で見られる「キャトルミューティレーション」なのだ
そもそもなぜ現場が「マキン島の戦い」なのであろうか?
それはこの戦いが珍しく米軍の負け戦、戦術的にはかろうじて勝利したといえ、
戦略的には失敗した作戦だからだ
72 :
名無し三等兵:2013/06/14(金) 14:51:27.65 ID:LX+0ogp+!
まあ戦いの詳細は語らないが、勝ち戦を続けている他の地域では日本兵の遺体はすみやかに
仮埋葬されてしまう、この処置は米兵の健康を守るために衛生上必要な行為だからだ
しかしマキン島の戦いでは、米軍は日本兵の遺体を始末する余裕もなく逃走してしまった
その後の放置された遺体が、ジャングルの肉食獣に食い荒らされてしまったのである
73 :
名無し三等兵:2013/06/14(金) 15:02:09.13 ID:LX+0ogp+!
>>30 これも出来の悪いプロパガンダの一つとしか言い様がありませんね
1336件だの315件だのと、いかにも信憑性があるかのように記述されているが、
いったい誰がカウントしたのか?そんな人は誰もいませんw
なぜならば、当時の強姦は(まあ今もそうだが)親告罪であり、立ち小便と同じ軽犯罪扱いであって、
発生してもいちいち調書にとったりとか、そんなツマラナイ記録を残したりしないからだ
これは警察白書を読めばわかることだがなw
戦前から昭和30年ちょい前までは、「強姦事件発生の記録は残していない」のだ、
強姦が重罪とされるようになったのは戦後教育のおかげであり、それにはGHQの日本教育係の
涙ぐましい努力のおかげなのだ
74 :
名無し三等兵:2013/06/14(金) 21:10:35.39 ID:???
これほどまでの遺体への冒涜は、日本人に対する人種差別的感情が無ければ、
為し得なかったことであったろう。
ヨーロッパ戦線での激戦場でも、独軍兵士の遺体の切り取りが流行したなど
聞いたことが無い。
1952年に、米国の移民と国籍に関する事項を定めた法律である移民国籍法は、
ネバダ州選出の上院議員パトリック・マッカランとペンシルベニア州選出の
下院議員フランシス・ウォルター、二人の策定の下、制定された法律で、
マッカラン=ウォルター法とも言われるが、この人種差別主義者のフランシス・
ウォルターは、太平洋戦線で戦死した日本軍兵士の肘から手首に掛けての骨、
前腕骨で作つたペーパーナイフを嬉々として、フランクリン・D・ルーズベルト
大統領の贈呈した人物でもある。
日本を巧妙な謀略で対米戦争へと誘い込んだ、卑劣な人種差別主義者であった
ルーズベルト大統領は、そのペーパーナイフを愛用していた。
75 :
名無し三等兵:2013/06/15(土) 03:33:01.42 ID:???
>>73 ろくすっぽソースもない以上、
どっちにしても信憑性はゼロよな。
76 :
名無し三等兵:2013/06/15(土) 08:39:09.20 ID:???
風俗活用しろ→米兵は正義の軍、侮辱するな!謝罪しろ!→橋下謝罪
だが在日基地で日本女性を性的暴行、隠蔽と言われても仕方がないレベルで処理
建前だけで日本を侮辱して何重に犯罪をやっているんだ?
77 :
名無し三等兵:2013/06/15(土) 16:50:55.55 ID:???
どうやったら米軍基地に日本女性を連れ込んで暴行できるんだよ、アホか?
日本人にすら護れなかった日本を護ってくださったアメリカ様を貶めようとするも、
論破されまくって火病、言い草も支離滅裂になってしまったかw
78 :
名無し三等兵:2013/06/15(土) 17:14:28.32 ID:???
79 :
名無し三等兵:2013/06/15(土) 18:23:53.06 ID:???
ルーズベルト大統領の息子である、ジェームズ・ルーズベルト海兵隊大尉は
カールソン中佐指揮下の部隊に配属されていた。
1942年(昭和17年)8月17日の早朝、そのカールソン隊は、西太平洋の
ギルバート諸島マキン島の日本軍前哨陣地を攻撃し、守備隊を全滅させたが、
彼らは戦死した日本軍兵士の遺体を切り刻み、男根と睾丸とを日本軍兵士の
口中に詰め込むなどの蛮行を働き、20年後に遺体を陵辱した様子を記録した
写真が公表されると共に、その冒涜の有り様がテレビ番組で語られたという。
80 :
名無し三等兵:2013/06/16(日) 14:27:57.27 ID:???
まだそんなこと言ってんのか、だったらその公表されたとかいう写真を出せ、つうのw
まあじっさいウヨサヨ問わず血眼になって探したけれども見つけられず、
結局は正義の味方のアメリカ様を貶めようとする不埒な日本人のでっち上げたデマ、
ということで結論が出ているがなw
81 :
名無し三等兵:2013/06/16(日) 18:32:01.09 ID:???
チャールズ・A・リンドバーグ著 『リンドバーグ第二次大戦日記』
1944年6月21日水曜日
日本兵士殺害に関する将軍の話一 数週間前のことだが、最前線のさる技術科軍曹が、もう2年以上も
太平洋地域で、戦闘部隊と行を共にしながら、ついぞ実戦に参加した経験がなく、帰国する前にせめて一人だけでも
日本兵を殺したいと不平を漏らした。
軍曹は敵の地域内に進入する偵察任務に誘われた。軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、
偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。…「しかし、俺はこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」
「ちえっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた
途端に、日本兵の頭部に腕が巻き付き、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。
82 :
名無し三等兵:2013/06/17(月) 00:59:27.52 ID:???
>>80 アメリカが完全に正義だの何だのって考え方もどうかと思うが、
日本人活動家の存在は問題だわな。
83 :
名無し三等兵:2013/06/17(月) 17:49:08.41 ID:???
リンドバーグに関しては、複数の伝記作家が詳細な調査を行っており、
彼の太平洋戦争中の活動も細かく記録に残っています
それについては英語版ウィキを読めばわかること
彼が戦争中は一民間人であり、銃後で非戦闘員としてコンサルタント会社の社員だったこととか
もちろんジャングル戦には参加はおろか見学すらできる立場ではなかった
小説家を目指していた彼はアフターファイブに酒場で米兵に酒をおごって、
仮想戦記のネタを集めては、シコシコ日記に書いたりしてました
ところで、なぜ英語版ウィキなのかというと、
普通ならば伝記をもとにしている英語版を素直に翻訳すればよいのに、
それではリンドバーグの日記が仮想戦記であるとバレバレになるのが困るのか、
日本語版のネトウヨ編集者は彼の日記の内容を真実として記事を書いているからです
というわけで、久しぶりに日本語版リンドバーグの項目を見てみたら、
以前と違ってかなり編集されてしまったようですねwかなり英語版に近くなっているw
さすがにリンドバーグが「軍事顧問」だったとか「陸軍将校」だったとかいう記事は消えたねw
そりゃないだろ、というツッコミがはいったせいかな?w
それでも捨て台詞のように「米軍の虐殺行為を目撃している」とかなんて書いてますけどね、
それも「どこで見たんですか?」と聞いたらすぐに嘘がバレてしまうんですけどw
84 :
名無し三等兵:2013/06/17(月) 22:53:45.03 ID:???
1944年6月26日月曜日
8時38分、第三滑走路からP38で離陸し、ニューギニアの密林を越えてボランデイアヘという直線コースの
針路をとる。天気良好。小屋の壁の一つに、絹地の日本国旗が三枚かかげてあった。
日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品(スーベニア)として10ポンド(33ドル)の値打があると、
ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は250ポンドなら譲ってもよいと言った。
●談たまたま捕虜のこと、
日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と、将校の
一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」
「*****では2千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった100か200だった。
残りの連中にはちょっとした出来事があった。
もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」
「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる
85 :
名無し三等兵:2013/06/18(火) 11:13:41.59 ID:???
86 :
名無し三等兵:2013/06/18(火) 22:58:59.05 ID:???
1944年六月二十八日水曜日
第475飛行連隊の将校連と夕食、夜を共に過す。話題は今夜もまた、戦争や捕虜、記念品のことに及ぶ。
わが将兵の態度に深い衝撃を覚えた。敵兵の死や勇気に対しても、また一般的な人間生活の品位に対しても、
敬意を払うという心を持ち合わせておらぬ。…略奪したり、ある議論の最中に私は意見を述べた。
日本兵が何をしでかそうと、われわれがもし拷問を以て彼を死に至らしめれば、われわれは得るところが何一つ無いし、
また文明の代表者と主張することさえ出来ないと。「ま、なかには奴らの歯をもぎとる兵もいますよ。
しかし、大抵はまず奴らを殺してからそれをやっていますね」と、将校の一人が言い訳がましく言った。
87 :
名無し三等兵:2013/06/19(水) 18:49:16.68 ID:???
やれやれ、その時期のリンドバーグはコンサルティング会社の社員として、チームで行動していたというのに
リンドバーグが虐殺行為を目撃したっつうのなら、他の社員も目撃してたってことになるわな?
もちろんそんなことはあるわけないのだ、馬鹿らしいとしか言い様が無いがなw
ちなみに英語版ウィキによれば、リンドバーグの日記の日本語版においては、
ドイツの敗戦後に彼がアウシュビッツでのホロコーストの有様を見学したときの感想が、
なぜか意図的に削除されているという
そりゃそうだろうね、そこではまるっきり客観的ではない心情を吐露したかのような文章が
細々と書き綴られている、「やったのはナチスではない、ソ連軍の仕業だ!」と
証拠さえ無視してひたすらナチスドイツを擁護する文章が、ねw
まあ個人の日記なんだから、客観的である必要はまったく無いけどね、そもそも仮想戦記なんだしw
でもその部分があると、リンドバーグがナチスドイツと同盟国の日本軍に必要以上に肩入れしてたと、
読者にはよーくわかるようになっているんだよねw
なんで馬鹿ウヨ出版社はその部分を削除したのかなあ?(棒
88 :
名無し三等兵:2013/06/19(水) 23:37:00.11 ID:???
1944年8月6日日曜日
明りのいくらか貧弱なテント内で空箱や簡易ベッドの端に腰掛けたまま、日本人捕虜の問題を語し合った。
でもよい相手を捕虜に出来るいつ如何なる時でも投降を受け容れないのは間違いだ、投降を受け入れればわれわれ
の進撃は一段と速くなり、多くのアメリカ人の生命が救われるであろう。
とにかく投降した場合は必ず殺されると考えるようになれば、彼らは当然踏みとどまり、最後の一兵まで戦い抜くだろう
-そして機会があるごとに捕虜にしたアメリカ軍将校を殺すであろう、と。
大多数の将校は私の意見に同意したが(さほど熱烈に同意したわけではないが)、しかし、わが方の歩兵部隊は
そのように考えてはおらぬようだと言った。「たとえば第42連隊だ。連中は捕虜を取らないことにしている。
兵どもはそれを自慢にしているのだ」
「将校連は尋問するために捕虜を欲しがる。ところが、捕虜1名に付きシドニーヘ2週間の休暇を与えるという
お触れを出さない限り、捕虜が一人も手に入らない。お触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入るのだ」
「しかし、いざ休暇の懸賞を取り消すと、捕虜は一人も入って来なくなる。兵どもはただ、一人もつかまらなかったよ
とうそぶくだけなんだ」
89 :
名無し三等兵:2013/06/20(木) 00:13:38.01 ID:???
>>87 右翼ではなくて左翼出版社では?
利用してるのも左翼だしな。
90 :
名無し三等兵:2013/06/21(金) 00:11:12.03 ID:???
(七月一三日)
「我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、
それらの行為が大方から大目に見られているのである。
われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。
ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由が
いよいよ無くなるように思う」
(七月二一日)
「安全でかなり贅沢な将校クラブに座しながら、これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の
言に耳を傾けねばならないのである。
彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する
畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」
(七月二一日)
「私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。
あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ 飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。
ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない。
なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも
明らかだから」
91 :
名無し三等兵:2013/06/21(金) 02:21:28.06 ID:???
92 :
名無し三等兵:2013/06/22(土) 00:25:27.99 ID:???
(七月二一日)
「われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、さらった土をかぶせて
やったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性に
もっと敬愛の心を抱けたに相違ない。
ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。『これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ』と」
(七月二四日)
「山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、
わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。
わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、残飯や廃物を放り込む
ところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる」
93 :
名無し三等兵:2013/06/22(土) 08:29:46.44 ID:???
94 :
名無し三等兵:2013/06/22(土) 14:42:36.05 ID:???
ハーグ陸戦条約
第二款 戦闘
第一章 害敵手段、攻囲、砲撃
第23条:特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り。
1.毒、または毒を施した兵器の使用。
2.敵の国民、または軍に属する者を裏切って殺傷すること。
3.兵器を捨て、または自衛手段が尽きて降伏を乞う敵兵を殺傷すること。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
4.助命しないことを宣言すること。
95 :
名無し三等兵:2013/06/22(土) 14:44:23.73 ID:???
96 :
名無し三等兵:2013/06/22(土) 17:50:53.51 ID:???
>>94 おやおや、とうとうダンピールの攻撃は条約違反ではなかった、と認めたわけですかw
日本兵は一兵卒たりとも、降伏を乞食するなんてしてませんからw
ちなみに歴史研究家の秦郁彦先生は太平洋戦争中の日本兵捕虜たち多数に対して聞き書きをしてるが、
戦争終結後に部隊ごと武装解除して降伏するといった状況ではなくて、
戦闘中に捕虜になってしまった日本兵はみな口を揃えて
「捕虜になるつもりはなかった、気絶していて気がついたら捕らえられていた」と断言していますねw
97 :
名無し三等兵:2013/06/23(日) 12:12:17.21 ID:???
チャールズ・リンドバーグは、1927(昭和2)年に、大西洋横断の単独無着陸飛行に史上初めて成功した人である。
彼は第二次世界大戦中、空軍の顧問として太平洋各地を回ったが、そのときの日記の中に再三にわたって
書かれているのは「アメリカ軍は日本兵を捕虜にしない」ということへの嘆きである。
この日記にはアメリカ軍の日本兵捕虜に対する目を覆わんばかりの残虐行為が赤裸々に描かれている。
「わが軍の兵士たちは日本兵の捕虜や投降しようとしているものを射殺することを何とも思っていない。
彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱い、それらの行為がほとんどみんなから大目に見られている」
ニューギニアでは2000人ほどの日本兵捕虜に機関銃が乱射された。
「ジャップの病院を占領したときには、病院に生存者を一人も残さなかった」。
捕虜として投降してきた者は即座に射殺、そのため日本人同胞は投降もままならず、ジャングルの中で飢えに
苦しみぬいて死んでいった。日本人の死体は切り刻まれた。
金歯を抜き取る者、面白半分に耳や鼻を切り取り、乾燥させて本国に持ち帰る者、大たい骨を持ち帰り、
それでペンホルダーやペーパーナイフを作る者さえいた。
リンドバーグは「わが国民が拷問で敵を殺し、その遺体を爆弾穴に投げ込んで、その上に生ゴミを投げ捨てるほどに
堕落しているとは、吐き気をもよおす」と同胞達の日本兵に対する虐待を嘆いている。
98 :
名無し三等兵:2013/06/23(日) 22:55:41.47 ID:???
99 :
名無し三等兵:2013/06/24(月) 23:47:39.15 ID:???
元陸軍大尉、田中徳裕 『我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』
三方から追い込まれた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。
婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。(略)
婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。
ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴……。
米軍は虐待しません、命が大切です。
早く出てきなさい……。
あの投降勧告は一体なんだったのか。
常夏の大空をこがさんばかりに燃え上る焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる>
残虐な行為は凄絶をきわめた。
火から逃がれ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。
かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴(け)り飛ばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ
投げこんでいる。
(略)
無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた
>>99 つまりリンドバーグ、田中徳裕(大尉なのか少尉なのかすら不明)、
共産党の文章しかソースはないってこったな?
米兵の犯罪は大半が不起訴になっているという、おどろくべき実態がある。
〇七年一〇月には、やはり米海兵隊岩国基地所属の海兵隊員四人が広島市内で若い女性をら致し、
強姦事件をひきおこして逮捕されている。この事件では、日本の警察は対米屈従の態度をとり、広島県警は
身柄を拘束しないまま集団強姦、強盗などの容疑で広島地検に書類送検し、広島地検は不起訴処分にしている。
〇六年一月に、北谷町にあるキャンプ瑞慶覧内で日本人タクシー運転手が強盗にあう事件がおきた。
米兵三人がタクシー強盗をたくらみ、タクシーを基地内によびだしてナイフを突きつけて約五〇〇〇円と
五jをうばった。この事件では二〇代の二人の上等兵が犯人としてつかまり、懲役三年と同二年六カ月の
判決をうけたが、顔をかくすためにフード付きの上着やナイフをあたえたいま一人の共犯の米兵は、
名前も階級もわからないまま「すでに除隊し、本国に帰国している」として裁判にもかけられていない。
日本側は二人の被告の身柄引き渡しをもとめたが、米軍側は「日米地位協定」の「基地内に身柄がある場合は
公訴されるまで拘束できない」を盾に引き渡しを拒否した。
アメリカ側がみとめないかぎり犯罪米兵の身柄は拘束できないのである。まさに、日本の国家権力のうえにアメリカ帝国主義がたっているということである。
屈辱的な「日米地位協定」で、米兵が「公務中」である場合は米兵の犯罪があきらかでも日本は逮捕権も裁判権も
第一義的に行使できないというように、主権をうばわれている。
「公務中」でなくても、犯罪米兵が米軍基地ににげこめば日本側は手をだせない。
そればかりではない。「地位協定」で日本側に第一次裁判権がみとめられている場合でも、日本側はその権利の
行使を放棄している。日本政府は、一九五三年に「重要な案件以外日本側は裁判権を放棄する」という密約を
アメリカ側とむすんでいたことがあきらかになっている。
元海上自衛隊海将補平間洋一著『日露戦争が変えた世界史』(芙蓉書房出版)より
グレン・グレーの『戦士たち』には、日本兵を一人放ち、その兵士が身の安全を求めて狂ったように逃げ回るのを
標的として射撃を楽しんだというはなしが紹介されている。
兵士たちは、逃げ回る日本への様子の滑稽さに、あまり笑いすぎて日本兵に的を絞ることができなかった。
しかし、ついに弾が命中すると小隊全体の雰囲気は大いに盛りあがり、数日間はそれを肴にした話題や冗談が
続いたと書かれている。
一九四三年三月にラバウルからニューギニアのラエに向かった日本の輸送船八隻と駆逐艦四隻を撃沈すると、
米豪軍の航空機はいかだや救命ボートに乗っていた3000名近くの遭難者を機銃掃射した。
『タイム』誌(一九四三年三月一五日号)は、「低空飛行の戦闘機が生き残りのジャップでいっぱいの救命ボートを
血の海に変えた。ジャップに浴びせられたこの残忍さは、かつて彼らがしばしば示したものである。
今回の攻撃の結果、岸にたどり着くことができたジャップはほとんどゼロに近かった」と報じた。
また高級紙の『アトランティック・マンスリー』誌(一九四六年二月号)でさえ、「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、
病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を死体と
ともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置物を作るとか、他の骨でペーパーナイフを作るとかした」
との記事を掲載している。
そこには、標的の日本兵がすぐ死ぬことがないように火炎放射器の炎を調節したとも書かれていた。
>>103 リンドバーグ、田中徳裕、それくらいが延々とループしてんな。
元海上自衛隊海将補平間洋一著『日露戦争が変えた世界史』(芙蓉書房出版)より
英国人記者のラッセル・スパーは『戦艦大和の運命』で、海面に浮かんでいる大和の乗員を機銃掃射した
米軍機の行為を、「米国人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに気が咎めなかった。
米国の高官連中は公然と日本人を殺すことはシラミを殺すより悪いことではないと明言していた。」と書いている。
新庄哲夫訳『リンドバーグ第二次大戦日記』下巻(新潮社)より
同校の士官は第一波が上陸に成功してから間もなく到着したのだが、海兵隊は日本軍の投稿をめったに
受け付けなかったそうである。激戦であった。わが方も将兵の損害が甚大であった。
敵を悉く殺し、捕虜にしないというのが一般的な空気だった。
捕虜をとった場合でも、一列に並べ、英語を話せる者はいないかと質問する。
英語を話せる者は尋問を受けるために連行され、あとの連中は「ひとりも捕虜にされなかった」という
>>105 リンドバーグ、田中徳裕、平間洋一以外のソースはないってことね。
>>107 はて?
犬を拷問して殺したほうがうまいみたいにやってた
シナチョンのほうがはるかに問題になっていたはずだが?
昭和二十年(1945年)四月七日沖縄への海上特攻に赴いた戦艦大和をはじめ巡洋艦矢矧(やはぎ)など二隻、
駆逐艦三隻が敵(アメリカ)の空襲を受けて沈没しました。
「現場の海面で浮遊物につかまり漂流中の無抵抗な乗組員に対して、空母を飛び立ったアメリカ軍戦闘機の群が
執拗に来襲しては情け容赦もなく機関銃を撃ちまくり殺戮した。」
(矢矧の原艦長の証言)
「この悲惨な状況をあざ笑うかのように、アメリカ軍機は何時間にもわたって、無抵抗の漂流者に執拗な機銃掃射を
加え続けた。」(著書、「伊藤整一」、大和と運命を共にした第二艦隊司令長官)
同様な残虐行為はニューギニア近海でもおこなわれました。昭和18年3月3日に起きたビスマルク海戦(空襲)の
結果、陸軍の兵士を乗せた輸送船八隻と駆逐艦四隻が敵機の攻撃により沈められましたが、沈没した日本の
艦船からボートや筏で逃れ、浮遊物につかまり漂流中の千名の兵士達に対して、アメリカとオーストラリア軍の
飛行機が低空から機銃掃射をおこない、機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に戻り弾を補給し、
映画撮影のカメラマンまで乗せて何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。
(容赦なき戦い、ジョン・ダワー著)
>>109 で、それのさらなるソースは?
お得意の「証言」だけだね。
それに戦場で落とした相手を「救い出すと騎士道精神としてたたえられる」ことは
あるが、相手の戦力回復をさせないためには徹底的に相手将兵を
叩いておくのは当然だと思うが?
マキン島へ救援に赴いた私(谷浦中尉)は、戦場で妙なことに気が付いた。どういうものか仰向けになった屍体が
十五〜六あり、しかもすべて下腹部を露出している。死後一週間経っていたため原形は完全に崩れていて、
顔の穴という穴はすべて蛆で真っ白である。 どうしてこんな格好をしているのだろう。
被弾して苦痛のあまり無意識にズボンをずり下げたのか?。アメリカ兵といえばキリスト教徒であり、日本人以上に
文明人とみなされ、しかも選りすぐった精兵とこの種の蛮行を結びつけることなど、遺体収容作業に当たった
誰一人として思いつく者はいなかった。
戦後五十年経って意外な事実を知り、愕然とした。それはマキン襲撃の際に行われた海兵隊の蛮行を物語る、
翻訳された出版物を読んだからである。
(マキン、タラワの戦い、独立陸戦隊、中隊長谷浦英夫著)
1927年(昭和二年)にチャールズ・リンドバーグはニューヨークからパリへ、史上初の大西洋横断、単独無着陸飛行に
成功した。彼は1944年(昭和十九年)にニューギニアの米軍基地で陸軍将校として四ヶ月過ごしたが、その体験を
日記に記して後に「第二次大戦日記上巻、下巻」として出版した。
それによると彼は戦場で見たものにショックをうけた。それは兵士が嬉々として敵を殺したからではなく、米兵が
日本兵に対して抱く露骨な人種蔑視の念と、それに基づく残虐行為を目のあたりにしての苦悩であった。
そこでは士官も兵士も日本人に対する人種差別、蔑視から自分達と同じ人間とは考えず、人間以下の単なる
動物としか見ていなかった。
六月二十六日の彼の日記には日本兵捕虜の虐殺、およびパラシュート降下中の日本航空兵の射殺について
述べている。降伏し捕らえられた二千数百人という日本兵捕虜のうち、捕虜収容施設に引き渡されたのは
僅か百人か二百人に過ぎなかった。残りの者たちは殺害されたが、事故に遭ったと報告された。
八月三十日にリンドバーグは、中部太平洋ギルバート諸島にあるタラワ環礁を訪ねた。そこでは日米の激戦が
行われ米軍も甚大な死傷者が出たのだが、日記には、捕虜になった数少ない日本兵を一列に並べ、
尋問に英語で答えられる者だけを残し、あとは全て殺させた海軍士官のことが出てくる。
ある仲間のパイロットから直接聞いた話によれば、後ろ手に縛られた日本人捕虜達を輸送機に乗せて収容施設の
ある地域に輸送する際に、彼等を飛行中に突き落とす行為がおこなわれた。そして報告書には捕虜全員が
自分から飛び降りたと記録された。
昭和十九年(1944年)五月二十四日にブーゲンビル島ラバウル基地にあった第八海軍病院が、米軍機による
攻撃を受けて、患者、看護婦、医師ら千四百名が死傷した。
病院の屋根には国際法の定めに従い、上空からよく見えるように赤十字の標識を大きく塗装していたにもかかわらず、
それを無視して病院の建物に対して爆撃や銃撃を加えるという国際法違反の非人道的攻撃をおこなった。
ネタ切れかね?
内容がループしてんぞ。
「絶えない」とか言い出すならもっとネタがあっても
いいと思うんだが、どうやら犯罪の事実自体が少ないようだな。
ソースがないものでもそんだけしかないんだから。
もっとがんばってねつ造しないと中国様みたいになれないぞw
116 :
名無し三等兵:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN ID:fjdO5sZJ!
>>113 2千人以上もの日本兵捕虜が出る戦い、って何て言う戦闘だったんだよ?
勇敢な日本兵は最後の一兵卒に至るまで戦い抜きました
したがって日本兵の捕虜なんているわけありません
そもそもリンドバーグが陸軍将校だったという軍の記録は存在しないのだが
日本兵を自分達と同じ人間とは見なさない連合国兵士による、死体や死にかけた日本兵から金歯、耳、骨、頭皮、
頭蓋骨などを収集し、戦果の証とする堕落した行為が広く行われていたことも、米国民の間で戦時中から
よく知られていた。
日本軍との戦いを前にして武勇自慢をし合う若い兵士達の会話を、ジャーナリストのリチャード・トレガキスが
記録している。「ジャップは金歯をたくさん入れているそうだが、それを頂いてネックレスでも作るかな」と一人が言う。
「おれは奴らの耳を持って帰るよ」ともう一人が宣言する。「塩漬けにしてな」。(ガダルカナル日記、1942年)
戦後出版された水兵の日記の1944年(昭和十九年)七月の記述に、すでに十七個の金歯を集めた海兵隊員がいて、
その最後の金歯はサイパンで負傷してまだ手を動かしている日本兵の頬を、ナイフで切り裂きほじくり出して取った
ものだ、と事もなげに述べられている。(容赦なき戦争、ジョン・ダワー著)
太平洋の激戦地ペリリュー島および沖縄で、日本兵の死体から 手を切り取って戦果のトロフィーとする、金歯をあさる、
死体の空いた口を目がけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、「みじめな生活から、解放してやっただけ
だ」 と気にも留めない海兵隊員の様子を目撃した。(E・スレッジ、生物学者、1981年に出版の回想録)
>>117 だからさーそういう怪しい文章を切り貼りして、
どこの誰がそんなもんで憤慨したりしてるの?
フィリピンのラグナラ州カランバには日本兵を収容するルソン第一捕虜収容所があったが、ここはフィリピンにおける
最大規模の収容所であった。
米軍の発表によれば収容された捕虜のうち、戦争が既に終了した昭和二十年(1945年)末までに、栄養失調で
死亡した日本兵捕虜は一万二千人にものぼった。
もし日本側の捕虜収容所がこのような米兵の大量死を起こしていたら、原因や経過はどうであれ、B C 級戦犯裁判に
掛けられて多数の責任者、兵隊が絞首刑になったことは間違いない。
しかしここの米軍責任者は誰も罪を問われなかった。
>>120 まぁそういうのならこのスレ向きだろうが、
酒酔い運転なんてそんなとりたててフィーチャリングするものか?
>>114 医師だの看護婦だのは有資格者なんだから、当然記録が残っているはず、氏名リストが出せるはずだが?
まあ劣化コピーを貼り付けるだけのお前さんには無理だろうねw
ちゃんと記録が残っているから、その時の海軍病院には医師も看護婦もいなかった、とわかるわけだがw
昭和18年も終わりに近づくころにはラバウル航空隊の損耗も激しくなって、
地上戦を覚悟した軍部はかろうじて制空権と制海権を確保できているうちに、
ラバウルの非戦闘員を本土に引き上げさせてる
医師や看護婦たちの乗った最後の引き上げ船が出航するのが、昭和19年3月末ですから
我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実 田中 徳祐著 立風書房
投降呼呼び掛けの放送とはうらはらな、人道上許し難い残虐な行為をしだした。日本軍はバナデル飛行場を
見下ろせる洞窟にいて、その距離1キロ位先で展開された。そこへ、三方から追われた数百の住民が逃げ込み、
捕らわれた。幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ、婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理矢理
トラックに積み込まれた。そして無理矢理積み込まれた順にトラックは走り出した。
婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫していた。
その声がマッピ山にこだまし、次つぎとトラックは走り出し、彼女たちの声は遠ざかっていた。
なんたることをするのだ、小銃だけではどうすることもできず、此方の位置もしれてしまう。この悲劇を
ただ見守るしかなかった。(この婦女子はその後一人として生還しなかつた)
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供老人の悲鳴があがった。ガソリンがまかれ、
火がつけられた。飛び出してくる老人子供達。その悲鳴。「米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい」の
投降勧告の意味は。幼い子供が泣き叫び、絶叫する、
「おい、もう我慢ならん。撃て」
吉田軍曹が一発撃った、何の効果もなく、敵はもはや無関心。
残酷な行為は壮絶をきわめた。火から逃れ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、
又火のなかへ付き返す。死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴り飛したり、銃で突きとばしては火の海へ
投げ込んでいる。
二人の兵隊が滑走路際にいた、泣いている赤ん坊をみつけ、両足をもって、真二つに引き裂いて火の中へ投げ込んだ。
「ギャッ」という悲鳴。人間が蛙のようにまたさきにされ殺されてゆく。
彼らは、その行為を平然としてやり、大声で笑い得意げになっていた。日本軍は手を出せず、ただ合掌し霊を
とむらうほかなかつた。
アメリカ人ジョージ・ファイファーが書いた『天王山』(早川書房)によると沖縄本島の本部半島の運天界隈で
本島上陸の20日後にはもう既に兵士の強姦事件防止のため海兵隊長公認の「売春宿」が設置されていた。
「キャット・ハウス」と呼ばれたその売春宿では13歳くらいの女の子まで三十セントで米兵の相手をさせられていた。
(「天王山」(上)258ページ)
さらに同じくアメリカ人のヘレン・ミアーズが書いた『アメリカの鏡・日本』にも沖縄戦で壕から出てくる住民を米兵が
焼き殺す残酷な記述があり、GHQによりその日本語訳版の出版が禁じられるというおまけまで付いた。
沖縄人が書いた米軍賛美の『鉄の暴風』が米軍の推薦を受け、
その一方アメリカ人が米軍の残虐性を記述した『アメリカの鏡・日本』がGHGの発禁処分になった。
反米太郎夏休みにでもいってんのか?
一般的には、日米戦争は、日本の真珠湾攻撃から始まったことになっている。
「日本は、卑怯なだまし討ちをした」みたいな。
しかし、国民党のバックにはアメリカが居て資金援助、武器援助、軍人まで送っていた。
日米戦争は、すでに始まっていた。
国民党に協力していたアメリカの退役軍人は、その後、正規軍に編入され、
退役中の期間も恩給の対象になっている。
これでは、「アメリカ政府の意向で活動していました、退役はインチキです」
と言っているようなもので、アメリカ政府が真珠湾攻撃の前の日本攻撃を認めたことになる。
リンドバーグ第二次大戦参戦記
両手を挙げて投降しようとする先頭の日本兵を撃ち殺しさえすればよかった
「ジャップの投降は信用できない。手榴弾を投げつけるからね。即座に撃ち殺してしまう手しかないよ」
わが海兵隊が、ミッドウェーの砂浜に寸鉄を帯びないで泳ぎつこうとする日本軍の生存者を撃ち殺した話。
ホランディア飛行場で、わが軍が日本軍の捕虜に機銃掃射を浴びせた話。
ニューギニアの山越えに南へ飛ぶ輸送機の上から、オーストラリア人が日本軍の捕虜を突き落した話
「オーストラリア軍は捕虜がハラキリを演じたとか”抵抗”したからと報告してるんだ」
『スーベニア用としてこぎれいにするため』日本兵の生首を蟻塚に埋めたという話
『奴らは本当に獣以下だ。どいつもこいつも皆殺しにすべきだ』。
耳にタコができるほど南太平洋のアメリカ軍将校から聞かされた台詞(せりふ)だ!
131 :
名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:oU4qB/3Y!
>>128 どうしてアメリカ様が友好国の中国さまに援助することが悪いことになるんでしょうか
それがいけないという国際法でもあれば出してくださいな、まあ無理でしょうけどw
仮にそこから「戦争が始まった」と主張しようとしても(かなりムズいですけどw)
最初に仕掛けたのは、悪の枢軸国日本のやらかした謀略「柳条湖事件」が発端
これはまさしく「卑劣かつ卑怯な騙し討ち」にほかなりません
やはり悪いのは日本という「残酷な日本軍のテーゼ」は変えられませんねw
132 :
名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:oU4qB/3Y!
>>130 >寸鉄を帯びないで泳ぎつこうとする日本軍の生存者
日本人という生き物は、幼少の頃から公教育で柔道剣道茶道といった殺人技術を学んでいるので、
たとえ素手であろうとも、武器を振りかざしているのに等しいのです
133 :
名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:oU4qB/3Y!
>>130 >ジャップの投降は信用できない
捕虜になる振りをして攻撃を仕掛けてくる日本兵の卑怯な騙し討ちには定評がありましたからね
有名なものでは、ガダルカナルで白旗を上げた振りをして、米軍が受け入れ準備を整えているうちに
小銃の射程圏内まで接近してくると、いきなり攻撃を仕掛けてきました
そのため油断した重機関銃兵は無力化され、米軍は大損害を被ってしまいました
戦友の死体に成り済まして攻撃を仕掛けてくることは、当たり前にありました
特に敵軍といえども生存者を救出しようと使命感に駆られた衛生兵たちが狙われました
いくら日本人というものが恩を仇で返すことを何とも思っていないとはいえ、恥ずかしくはないのでしょうか?
大東亜戦争沖縄戦では住民が戦火に晒され、集団自決するなどの惨事がおきました。「米軍に投降すれば助かった」
「鬼畜米英などのスローガンはウソだった」などという声を聞いたことがありますが、よく戦闘終了後に米軍と沖縄の
子供が映った写真など見ますね。米軍は親切だったのでしょうか。
投降した人は戦闘員と非戦闘員にわけられ、それぞれの捕虜収容所に送られました。収容所は一定地域に
有刺鉄線を張っただけで、テントやバラックを建て、砂の地面に寝る生活でした。そこでは伝染病が蔓延し、
昭和21年(1946年)にはマラリア患者が17万人にものぼり、死者は毎年1,000人を超え、本島北部の住民は
戦死者よりもマラリアによる死者のほうが多いくらいでした。
食事も軍用携帯食糧で、収容所によっては食糧飢饉になって草の根やネズミまで食べつくし、栄養失調で
次々死んでいった収容所もあります。
135 :
名無し三等兵:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:oU4qB/3Y!
時の首相田中義一は世界侵略を目指す日本の外交方針を上奏文として奏上いたしました
昭和天皇は「朕に支那は取れるか?」と尋ねられました
その問に田中首相は「支那といわず世界をお取りなされませ、
陛下の後ろには世界最強の軍隊が控えております」と答えました
昭和天皇は「うむ、支那を征服せんと欲せば、まず満蒙を征せざるべからず、
世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず、
「これすなわち明治大帝の遺策なり!」と勅旨を出されたのでした
>>132 >茶道といった殺人技術
茶道は違うだろうwwww
>>136 「へうげもの」を観たことないんですか?
千利休が屈強な武士を素手でバッタバッタと倒しまくっている
人呼んでこれ利休拳なり
収容所間の通行は制限され、夜間は外出禁止。外に出て射殺されたり、女性が強姦される事件が頻発しました。
収容所から開放され、自宅に復帰すると、米兵は女狩りを始めます。本島中部の農道を若い娘二人を伴った
母子が歩行中、米軍車両が近づき、黒人兵3名が車から降りて娘二人を拉致しようとし、母親が必死に抵抗するも
歯が立たず、騒ぎを聞きつけた村の男性数人がこん棒を持って阻止しようとしたところ、もう一人の黒人兵が拳銃を
地元男性に照準して威嚇し、娘を連れ去ってしまいました。
妻に暴行しようとした米兵に立ち向かった50代の男性が射殺されたり、17,18歳の女性3人が拉致され、
山の中に連れて行かれ、後に泣きながら帰ってきたり、野戦病院に入院していた少女を父親の目の前で強姦されたり、
こういう話は山ほどあります。
強姦された後、生きて帰ればまだいいほうで、死体となって発見された例も少なくありません。
1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。 中村病院は三白のトラックに分乗した米兵によって、
およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。
婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが
凌辱された
「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」
「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」
「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」
そして、「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」
>>141 ソースがないうえに「恐ろしい事件が……」っていうけどさ。
具体的にどこソースよ?北朝鮮の反米プロパガンダにそっくりだよ。
「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。
これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」
「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
トマス・ブレーミー将軍は、こう演説していた。
「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。
人間と猿の中間にあると言っていい。
文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。
日本人を根絶しなければならない!」
>>140 日本人にすら守れなかった日本を守ってくださったアメリカ様を貶めようと必死になるも完全論破され、
その上夏の暑さも加わって、もともと弱い脳みそが腐り果てて痴呆状態になったかw
こんなもんどこの図書館にも置いてある沖縄収容所の記録を一冊でも読めば、まったくの大嘘だとわかる
沖縄のジジババがこっそり教えてくれるように「あそこは天国」だし、
「怖いのは山から襲ってくる日本軍の残党」だ
岩国基地周辺では1955年から84年までの30年間に米兵がらみの殺人事件が11件。そのうち8件は「基地村の女性」が
殺害された事件だ。
下腹部にドライバーやハンマーを刺された死体で見つかった女性もいれば、乳房と性器を切除された死体が
遺棄されていた女性もいた。朝鮮戦争後の基地拡張で岩国基地に隣接した地区を中心に歓楽街が拡大し、
米兵の相手をする女性は1955年頃に2500人。米海兵隊岩国航空隊基地は62年に正式に発足、ベトナム戦争が
始まると米海兵隊で海外唯一の実践航空機部隊拠点としてフル稼働し、女性に対する性的搾取と性暴力が
常態化していた。ベトナム戦後、米兵犯罪はむしろ凶悪化し、相次いで女性が殺人、傷害、強姦の被害者となった。
だが、そんな事実は地元以外ではほとんど知られていない。殺人事件が起こったり強姦事件の告訴が行われた
ときにも、新聞報道は地元でしか行われず、全国的には伝えられてこなかった。
また日本の女性運動や平和運動のなかでも、岩国基地周辺で起こった女性に対する犯罪はほとんど関心を
もたれてこなかったようだ。
1955年に惨殺された永山由美子ちゃんの名前が沖縄の人々の心に刻印されているのとはちがい、日本「本土」では、
岩国の基地周辺で殺された8人の女性の名は人々の記憶にとどめられていない。
まして殺人にいたらない傷害事件・暴行事件はほとんど起こったことさえ気づかれていない。
時の首相田中義一は世界侵略を目指す日本の外交方針を上奏文として奏上いたしました
昭和天皇は「朕に支那は取れるか?」と尋ねられました
その問に田中首相は「支那といわず世界をお取りなされませ、
陛下の後ろには世界最強の軍隊が控えております」と答えました
昭和天皇は「うむ、支那を征服せんと欲せば、まず満蒙を征せざるべからず、
世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず、
「これすなわち明治大帝の遺策なり!」と勅旨を出されたのでした
これは天皇の侵略への共同謀議をしめす田中上奏文ですね。
>>141 ソースはデマサイトで有名なあの「博士の独り言」だと言えば、わかる人にはわかるがなw
記録していた人が「田中ユキ」さんですって、誰それ?w
この人は男か女かもわからず、被害者というわけでもないらしい、
他にも強姦の記録をしているようなので、見てるだけの「強姦ウォッチャー」らしいのだが
おそらく田中ユキというのはペンネームで、本名は「田中徳祐」というらしいのだが、
あの「サイパンの大量虐殺」を見てただけのw
それにしても「呼び笛の合図とともに」って決め言葉が抜けてんぞw
嘘をつくにしても、もうちっとマシなつき方ってもんがあるだろうにw
もちろん公式の記録にはこんな与太話、存在しないわけだがな
J・グレン・グレー(アメリカ軍の支配下にあった島で、仲間とはぐれた日本兵を一人放ち、身の安全を求めて狂った様に
逃げ回っている日本兵を標的として楽しんだという話をした)「隊の兵士達は、日本兵の様子の滑稽さに
あまり笑いすぎて、その不幸な男に的をしぼる事ができなかったくらいだった。
ついに弾が命中すると、この一件は小隊全体の雰囲気を大いに盛り上げ、それから数日間は、
それを肴にした話題や冗談が続いた。
復員兵はこの話を学生達にしながら、その敵軍兵士は動物に近い存在であった事を強調した。
アメリカ軍兵士の誰一人として、この兵士が恐れや願望という人間的感情を持っているかも知れないとは
思いもよらなかったという」
カニンガム大佐「われわれ軍人は遊び半分ではない。日曜学校のピクニックではないのだ。戦争をしているのであり、
それも国の総力を挙げた戦争をしている。アメリカ国民の生命を救い、苦難に満ちた戦争を早く終わらせ、
永続的な平和をもたらす為に戦っている。
何処にいようと、男だろうと女だろうと、できるだけ多数の敵を、できるだけ短期間に見つけ出して殺すのが、
我々の意図だ。我々の立場からは、日本には民間人はいない」
またソースがないデマ話か。
こんなんで米軍こわいわーとか言ってる神経が信じられん。
連合軍兵士は、宗教的人種差別から、日本人は人間ではなく「イエロー・モンキー」「害虫」「溝ネズミ」であるからとし、
絶対神が創造した聖なる大地から根絶すべきであると確信していた。
「唯一の良いジャップは、死んだジャップ」
ジョン・W・ダワー「『(撃墜された航空機からパラシュートで)降下中に攻撃を受けたジャップは数人であった。
しかし20ミリ砲で海上から撃たれた彼らが着水した時には一片の肉塊にすぎなかった』とある若い水兵が
43年後半の日記に記している。
撃った者たちは上官に軽くたしなめられたが、同時に射殺の腕を褒められもしたと、日記は綴っている。
ブーゲンビルで投降しようとして殺害された負傷者の場合のように、日本兵殺害の中には上官の命令下で行われたもの、
あるいは少なくとも上官が事後承認を与えたものがあった。たとえば日本の輸送船を沈め、その後1時間以上かけて
何百、何千という生き残りの日本兵を銃で撃ち殺したアメリカの潜水艦艦長は、この虐殺をその公式報告書に記録し、
しかも上官から公の賛辞を与えられている。……
連合国側の報道機関は軍部の検閲規則を忠実に順守……
アメリカ軍は、捕虜を取らないという方針のもとに日本軍の捕虜を多く虐殺した」
リンドバーグ「敵を悉く殺し、捕虜にはしないというのが一般的な空気だった。捕虜をとった場合でも、一列に並べ、
英語を話せる者はいないかと質問する。
英語を話せる者は尋問を受けるために連行され、あとの連中は『一人も捕虜にされなかった』という。……
武器も食糧もなく、降伏しようとする日本兵を容赦なく射殺する。我々は果たして本当に文明国家を
代表しているのだろうか」
タイム誌「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間である事を示す様な点は……
どこにもない」
ライフ誌「アメリカ人は、(戦争でドイツ人を殺す為には)ドイツ人を憎む事を学ばなければならないが、
……ジャップに対しては憎しみが自然に湧いてくる─これはかって、インディアン達と戦った時と同様に自然なものなのだ」
ウルリック・ストラウス「」日本軍の捕虜に対する軽侮の念は、アメリカをはじめとする連合国軍の兵士の投降を
受け入れがたいものにした。
その結果、太平洋戦域の戦闘は救いのない泥沼と化した。
それゆえに、欧米人は対日戦を対ナチス戦よりこ野蛮で無慈悲であると見なす様になった」
154 :
名無し三等兵:2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN ID:f9fx0u9L
米軍さっさと日本から出て行けや アホ!
迅速な進撃で勝利を得る為に、「日本軍兵士捕虜はなるべく取らない」、と言う事は連合軍では暗黙の了解事項となっていた。
その意味に於いて、日本軍の「玉砕」とは便利な言葉であった。
連合国軍には、日本軍とは違って、或り余るほどの大量な弾薬とガソリンがあった。
極東国際軍事裁判所(東京裁判)は、日本軍の捕虜虐待は戦争犯罪と認定し、連合軍による捕虜虐待は「報復の権利」で無罪とした。
・ ・ ・
連合国軍は、重傷の日本人兵士を助けて治療を施す事なく、生ゴミや汚物と一緒に穴に放り込んで埋めた。
連合国兵士は、日本人遺体を煮詰めて頭蓋骨を取り出して記念にし、その他の骨をペーパーナイフやペンホルダーにした。
さらに、死亡した日本人兵士はおろか負傷して動けない日本人兵士の口の中から、頬を切り開いて金歯をえぐり出して奪った。
戦地の連合軍国兵士は、戦死した日本人兵士から奪った頭皮や耳を記念として母国の家族に送った。
1995年9月4日午後8時ごろ、沖縄のキャンプ・ハンセンに駐留する20歳から22歳までの
アメリカ海兵隊員3名(黒人)が基地内で借りたレンタカーで、沖縄本島北部の商店街で
買い物をしていた12歳の女子小学生を拉致した。
小学生は粘着テープで顔を覆われ、手足を縛られた上で車に押し込まれた。
その後近くの海岸に連れて行かれた小学生は強姦され、負傷した。
また、被告人となった海兵隊員の家族は『人種差別によるでっち上げだ」と主張し来日した。
来日後も「沖縄だと陪審員に良く思われないから裁判が我々に不利になる。
だから裁判の場を九州に移せ』などと被告人の妻らが騒ぐ様子がメディアに流された。
159 :
名無し三等兵:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:mceFTlcQ!
>>149 「日本には民間人はいない」というのは事実だがな
日本政府は全世界に国民総皆兵を宣言して、女子供に至るまで竹槍で武闘訓練していたのだから
さらに公教育では柔道剣道茶道といった殺人技術を学ばさせていた
これではハーグ陸戦条約に照らしても、日本人がショッカーのような悪の枢軸国の戦闘員であることは、
否定できまいて
160 :
名無し三等兵:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:mceFTlcQ!
>>151 ジョン・ダワー先生の「容赦なき戦争」は両刃の剣なんだけど、ちゃんと最後まで読んだのか?
これは当時大流行りだった「比較文化人類学」にのっとった著作で、
趣旨に「日米の人種差別観」と唱っているように、本の半分は日本軍の虐殺行為で埋められている
たとえば日本軍は都市を攻略すると真っ先に教会を包囲して無抵抗の尼僧たちを強姦する、
そして事が済んだ後は、犠牲者たちを教会に閉じ込め火を放った、とか
日本兵は赤ん坊を銃剣術で何度も刺しては空中に放り上げて滞空時間を競った、
これは日本人が子供の頃から習熟させられている「KENDAMA」というゲームである、とか
161 :
名無し三等兵:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:mceFTlcQ!
>>151 もちろん南京でやらかしたこととか、誇り高き大韓帝国人の女性を性奴隷にして強制連行したとか
あんなこととかこんなこととかエトセトラ
否定はしないよな?お前さんはジョン・ダワー先生の本の内容が正しいと主張しているんだからなw
まあ要するに著作での比較文化人類学における結論としてはだな、
米軍がたとえ虐殺行為をしたとしても、確かにそれ自体は許しがたいとしたとしても、
それは同じ戦闘員同士での同族嫌悪といえるが、
日本軍の虐殺行為はおもに非戦闘員に向けられているので、まったく弁護の余地は無い、
ってことだw
162 :
名無し三等兵:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:mceFTlcQ!
>>151 「日本軍の虐殺行為はおもに非戦闘員に向けられている」
同じことは実はリンドバーグの日記でも結論づけられているんだよなw
リンドバーグも日記の最後のほうでは「確かに米軍は非道いことをしたと言えるが、
それ以上に残虐なのは(非戦闘員を餌食にする)日本軍のほうである」と書き残している
英語版ウィキでも記されているように、日本語版リンドバーグ日記では日本にとって都合が悪い内容は
削除されているからわかりづらいが、何のことはない、リンドバーグですら「悪いのは日本」であって、
日本兵が残虐に扱われるのは自業自得だと、認めているわけだw
もしかしてお前さん、リンドバーグを単に「アメリカ人なのに日本を弁護するお人好し」だと思っていたのか?
プププww
163 :
名無し三等兵:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN ID:mceFTlcQ!
「悪いのはいつだって日本である」
それが残酷な日本軍のテーゼだ
はい、ここまで完全論破
屈辱の立ち退き
西海岸に住む日系人は、ただちに住居を立ち退いて所定の仮収容所に集合すべし――。
大統領令9066号によって、日系人の強制収容は現実のものとなる。彼らに与えられた時間は限られていた。
これまで汗水たらして働き、ようやく自分のものとした財産のほぼすべてを数日のうちに処理し、
立ち退かなければならない。持っていくことを許された荷物は一人あたりスーツケース2個のみ。
家や会社、農場などをどうするのか、家具は、ペットは・・・? 運の良い者は、心あるアメリカ人の友人に
管理を任せることができた。
しかしほとんどの日系人たちは、持ち物を二束三文で売り払い、売れないものはそのまま置き去るしかなかった。
当時、日系人の家々に「Internment Sale」などと書かれたチラシが貼られ、足元を見て買い叩こうとする
商売人たちが追いはぎ同然の行為を繰り返していたという。
にわか政策で収容所の建設工事が間に合わなかったため、日系人たちはまずAssembly Centers と呼ばれる
仮の集合所に収容された。
各地に設置されたこの仮収容所は、町の集会場であったりフェアグラウンドであったりしたが、中でも悪名高いのが
サンタ・アニタ(Santa Anita)やタンフォラン(Tanforan)の競馬場である。急場しのぎの住まいとして日系人たちに
割り当てられたのは、悪臭立ち込める馬舎だった。
短期間とはいえ馬小屋に人間を押し込めるというこの処遇は、誇り高い日系人たちのプライドを踏みにじり、
彼らを屈辱と絶望の谷に突き落とした。
そして、ようやくその仮収容所を後にした彼らが電車に乗せられ、超距離移動の末に降りたところで目にしたものは、
荒野の砂嵐の中、連々と立ち並ぶバラックの群れだったのである。
>>164 真珠湾までの365日、という本によるとこれのおかげで、
日本がアメリカに張り巡らせたスパイ網は壊滅したそうだ。
戦争に勝つためにはこれくらいやらないとダメだ、というわけだな。
中韓と戦争するために俺達がやらないとならないことは、もう分かるな?
悲惨な沖縄戦を経て、敗戦後10年を経過した1955(昭和30)年9月3日、沖縄本島中部にある旧石川市
(同市はもともと2000人ほどの静かな農村であったが、敗戦後は収容所ができ、3万人以上にもなっていた。
2005年4月1日、2市2町が合併して「うるま市」【地図】になった)、市内の幼稚園に通っていた6歳の
永山由美子ちゃんが、その日の夕方1人で映画を観に行ったまま、行方不明となった。
沖縄の夏は午後8時まで明るく、当時の沖縄の住宅は台所を別にすると、1間か2間しかなく、それゆえ、
日が暮れるまで子どもたちは表で遊んでいることが多かった。
由美子ちゃんは、翌日死体で発見された。犯人は、由美子ちゃんを車で拉致して、嘉手納基地に連れ込み、
軍の施設内で何度も何度もレイプし、最後には殺し、その遺体を嘉手納の米軍部隊のゴミ捨て場に捨てたのである。
由美子ちゃんは、唇をかみしめて、右手に数本の雑草を握りしめているように死んでいた。
1955年9月4日付『沖縄タイムス』夕刊は以下のように報じた。
「嘉手納海岸近くの部隊塵捨て場に身元不明の少女が暴行を受け、殺されているのが発見された。
4日朝、嘉手納村旧兼久部落俗称カラシ浜の部隊塵捨場近くの原野で、8才から10才位と思われる少女死体が、
あお向けになったまま捨てられてあるのを警ら中の米兵2名が発見、MP隊(military police=米軍憲兵隊)を
通じ嘉手納派 出所へ届出た。
少女は暴行を受けた形跡がありシミーズは左腕のところまで垂れ下がり、口をかみしめたまま死んでいた」。
いわゆる「由美子ちゃん事件」である。由美子ちゃんの死体は、まるで鋭利な刃物で下腹部から肛門にかけて
切り裂かれたようだった。
犯人は、事件から1週間後に逮捕された。
米軍情報部は1955年9月9日夜、米国民政府新聞課を通じて公式発表を行い、9月10日付『沖縄タイムス』は
以下のように報じた。
「殺人、強かんおよび少女誘拐の3つの罪名で第32高射砲隊B中隊アイザツク・J・ハート軍曹に対する起訴状が
提出された。
驚くなかれ、由美子ちゃん事件の起きた1週間後に再び、9才の女の子が米兵によってレイプされた。
すなわち、同年9月10日夜12時頃、具志川村明道5班の農家宅(46才)の戸口をこわして開けようとする物音に、
夫妻が気づき、夫が戸を開けると米兵がクツのまま座敷に上がり込み、女を出せと脅迫、いないと答えたが
しつこく迫るので驚いた夫は11歳の長女を裏口から逃し、小学2年生の9歳の次女と6歳の長男、4歳の次男の
3人を6畳間に寝かせたまま隣人の応援を得るため出たすきに、次女が拉致されていた。
夫婦は隣人と付近を探していたところ、約20分後次女が下腹部に血流しながら泣いて帰って来たのである。
168 :
名無し三等兵:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:CGjKM0R3
キッシンジャー語録
・日本は経済大国になってしまった。もっと早く潰しておくべきだった。
・東アジアはアメリカと中国の両覇権国で支配する地域だ。
・日本には絶対に核武装させてはいけない。
・台湾や韓国や日本ごときの為に、アメリカが中国と戦争するなんて馬鹿げている。
・中国の経済発展と軍事大国化は、アメリカの利益になる。
・日本の自主防衛を封じ込めると同時に、日本を中国、韓国、北朝鮮、ロシアから
分断して孤立化させる事が大切だ。そうすれば日本はアメリカに依存せざるを得なくなり、
アメリカにとって都合の良い経済政策と外交防衛政策を取らざるを得なくなる。
それが犯罪と関係あるのか?
適当にコピペでスレ上げすぎ
自重しろ
昭和25年7月11日深夜、国鉄・小倉駅から南へ4キロメートルにある米軍・城野(じょうの)
補給基地から完全武装した黒人米兵が4〜5人ずつに分かれて基地の金網を
乗り越えて200〜250人が集団脱走した。
この黒人米兵は前日の10日、岐阜から移送されてきたばかりで近日中に
朝鮮戦争(前月の6月25日に北朝鮮軍が38度線を越境し韓国側に進撃した)の
最前線に送られることになっていたため黒人米兵は極度の緊張と不安、恐怖の中にあった。
折りしも、小倉市では「祇園祭り(7月12日〜13日)」の準備で街の中心から祇園太鼓の
《ドンドコドンドコ》という太鼓の音が基地にまで聞こえてきた。
このリズムが黒人米兵達に刺激を与えたのだろうか?
基地から脱走し逮捕されれば軍法会議で極刑もあることを知りつつ集団脱走を敢行した。
−小倉市民は恐怖のどん底に−
集団脱走した黒人米兵は太鼓の音がする街中とは反対の方向へ逃走した。
完全武装した黒人米兵は土足で民家になだれ込み略奪、傷害、夫・子供の前で
婦女暴行の限りをつくした。
一方、米軍基地では集団脱走が発覚するとMP(米軍警察)が現場に急行し翌12日の
夕方までに全員を逮捕し基地へ連行した。
この黒人米兵は14日に朝鮮の前線に移送され、その殆どが戦死したという。
これだけの大事件でありながら警察への届は僅かに70件で、新聞などのマスコミも
記事としては大きく扱わなかった。当時のGHQが報道管制をしたことは想像がつく。
米軍属の犯罪、裁かれず 06年から裁判権に空白
日本国内に駐留する米軍に勤務している民間米国人(軍属)が公務中に犯罪をした場合、事実上、日本でも
米国でも裁判を受けない「空白」状態に陥っていることが分かった。
明確なルールがないまま、日本で裁判をする運用が続いていたが、2006年から米国の姿勢が変わったという。
沖縄県で交通死亡事故を起こした米軍属の男性(24)を那覇地検が不起訴にした事件で、那覇検察審査会が
5月に「起訴相当」の議決を出したことで問題が表面化。日米の関係当局は今後のルールをつくるため、
協議を進めている。
日米地位協定は公務中の軍人、軍属の犯罪について「米軍が第1次裁判権を持つ」と規定。
軍人に対しては軍の裁判にあたる軍法会議で処分を決めている。
しかし、1960年に米連邦最高裁で「軍属を平時に軍法会議にかけることは憲法違反だ」とする判決があり、
関係者によると、日米両政府は60年代以降、この判決を尊重。地位協定の規定は変えないまま、
米軍が軍属に公務証明書を発行しないことによって、日本に裁判権を事実上委ねる運用を続けてきたという。
ところが、米軍は06年から、公務中の軍属の犯罪について証明書の発行を再開。日本の検察当局も
「裁判権がない」として、公務中の軍属の犯罪については不起訴にしている。法務省によると、08〜10年の
3年間に米軍属52人が公務中を理由に不起訴となったという。
172 :
名無し三等兵:2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ID:UXodvmF5!
毎月のように性犯罪をやらかす自衛隊員たちです。
わいせつ容疑で自衛官逮捕=「100件やった」供述−千葉県警
路上で女性にわいせつな行為をしたとして、千葉県警捜査1課などは11日、強制わいせつ容疑で
同県船橋市薬円台、陸上自衛隊第1空挺(くうてい)団3等陸曹の庄司裕毅容疑者(29)を逮捕した。容疑を認めているという。
捜査関係者によると、「100件くらいやった」と供述。船橋市内では昨年春ごろから、
夜間1人で歩く女性を狙った公然わいせつや性的暴行が数十件あり、
今回を含む4件で現場の遺留物と庄司容疑者のDNA型が一致したという。
逮捕容疑は2010年10月27日午後9時すぎ、船橋市の路上で女性(19)の口を後ろから
手でふさいで押し倒し、わいせつな行為をした疑い。(2011/10/11-18:49)
173 :
名無し三等兵:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:U2Q5SAQQ!
時の首相田中義一は世界侵略を目指す日本の外交方針を上奏文として奏上いたしました
昭和天皇は「朕に支那は取れるか?」と尋ねられました
その問に田中首相は「支那といわず世界をお取りなされませ、
陛下の後ろには世界最強の軍隊が控えております」と答えました
昭和天皇は「うむ、支那を征服せんと欲せば、まず満蒙を征せざるべからず、
世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず、
「これすなわち明治大帝の遺策なり!」と勅旨を出されたのでした
174 :
名無し三等兵:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:U2Q5SAQQ!
>>171 やれやれ、外務省のHPを見ればわかることだが、軍属の裁判については既に日米地位協定の見直しが
済んでおり「アメリカ様が訴追しなければ日本に裁判権が渡る」ということで決着がついている
日米間の話し合いが手間取ったことは不幸なことではあるが、それはアメリカ様に悪意があって
そうなったわけではない、
なにしろちょうど自民党と民主党の政権交代劇がなるかどうかでゴタゴタして、
おそらくは敗色が濃くなった自民党が天皇の意向を受けて嫌がらせをしたと考えられるからだ
175 :
名無し三等兵:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:U2Q5SAQQ!
>>171 ちなみに外務省のHPによれば、日米地位協定は他国のものと比べても、ドイツの協定よりも
有利にされており、それだけアメリカ様が日本のことを思いやってくださっていることが慮れます
ただし、やはりというか問題になるのがレイプの扱いなのだ、
なにしろ日本は先進国でも唯一といえる強姦が親告罪の国であり、レイパーのパラダイスなのです
そのため毎月のようにレイプする自衛隊や毎日のようにレイプする沖縄県人は、
そのほとんどが被害者を公権力によって威嚇して示談に持ち込んだり泣き寝入りさせている
176 :
名無し三等兵:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:U2Q5SAQQ!
ところが厳格なMPによって規制されている米兵様が数年に一度くらいハメを外してしまったり、
商売女のチチを揉んだりしたくらいでも、どうにかして強姦罪に持ち込もうと頑張る団体がいるのです
これでは公平な観点から見ても、米兵に対する人種差別裁判になることは明白である
ネオ皇軍ともいえる自衛隊が被災者を犯しまくっても、箝口令がしかれてウヤムヤにされるのに、
日本人にすら守れなかった日本を守ってくださっている米兵様だけがなんで目のカタキにされるのか、
だからそんな不公平な裁判にアメリカ軍が抵抗するのは当然のことなのだ
177 :
名無し三等兵:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:U2Q5SAQQ!
まず必要なのは強姦を「非親告罪」にすることだね、これは日米地位協定の改訂よりたやすいはずだが、
それで困る人はいるのか?
いないはずだよね、自衛官と沖縄県人以外はw
米軍機母子殺傷事件
当時茨城県にあったアメリカ軍水戸補助飛行場から離陸したL-22連絡機が上昇せず、滑走路東端から500m
はなれた道路を自転車で走行していた親子に機体が接触し、母親(当時63歳)は胴体を切断され即死、
息子(当時24歳)も腹部に重傷を負った。
この異常な離陸についてアメリカ軍側は異常高温による熱気流が原因の不可抗力による事故であるとした。
しかし、地元ではアメリカ軍のパイロットがわざと低空飛行を行い通行人を驚かしていたことが度々あったと主張し、
今回の事件は同様なイタズラをしようとして不幸な結果を招いたとしていた。
このアメリカ軍の見解に対し、地元の那珂湊市(現在のひたちなか市)の市議会は操縦していた米軍中尉(当時27歳)
の悪戯によるものと断定した抗議文を提出し、茨城県も連絡機が所属していたジョンソン基地(現在の
航空自衛隊入間基地)の司令官に対し正確に調査するようにとの要望書が出された。
また茨城県警も同中尉を業務上過失致死及び同傷害で水戸地検に書類送検し任意出頭を中尉に求める事態に
なった。
しかし、この事件は8月21日に中尉がアメリカ軍の公務中に起きたものであるとして、日米地位協定により
日本側の第一次裁判権が放棄され捜査も終了した。
180 :
名無し三等兵:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:fJvdka4u
沖縄だって責任あるだろクズ
そうやってどんどんアメリカ軍の罪を大きくする意地汚いクズ日本
1958年(昭和33年)9月7日、埼玉県狭山市の米軍ジョンソン基地の米兵のピーター・E・ロングブリー3等航空兵
(当時19歳)が西武線の電車に向かってカービン銃を発砲、乗客で武蔵野音大生の宮村祥之(21歳)が死亡した。
発砲の動機について「カラ射ちの練習をしたところ実弾が入っているのを忘れて射った」と述べた。
埼玉県警と狭山署はロングブリーを重過失致死罪で浦和地検(現・さいたま地検)に書類送検した。
浦和地裁(現・さいたま地裁)は禁固10ヶ月の判決を下した。
183 :
名無し三等兵:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:1ffgd3hD
なんなんだ
終戦から12年が経った昭和32年1月30日、日本はまだ米国の占領下にあることを実感させる事件が発生した。
この日、群馬県相馬が原の米軍演習地で地元の主婦・坂井なかさんが、砲弾の薬きょう拾いをしていた。
当時、この薬きょうは、お土産として売れるため近所の主婦がよく拾いに来ていた。
そこに米軍兵士が「ママさん、ママさん」と声をかけた。坂井さんが米兵に近づくと、小銃が火を吹き彼女は
射殺された。調査の結果、この米兵はジラード特務二等兵であることが判明した。
−厚い壁−
事件は、日米間の政治問題となる。すでに日米講和条約が締結され独立国家として、日本は捜査調査権と
犯人引渡し要求をしたが、米国は身柄引渡しを拒否するなどさまざまな妨害をした。
結局、同年11月、日本側の裁判権が認められ、ジラードに傷害致死罪で懲役3年、執行猶予4年の判決が下った。
だが、この事件は傷害致死ではなく殺人罪であって、判決が軽すぎるという世論の声が大きかった。
なお、ジラードへの処罰を最大限軽く(殺人罪でなく傷害致死罪で処断)することを条件に、身柄を日本へ
移すという内容の密約が日米間で結ばれていたことが、1991年に米国政府の秘密文書公開で判明した。
日本の外務省が1994年11月20日に行なった「戦後対米外交文書公開」でも明らかとなっている。
岩国基地周辺では1955年から84年までの30年間に米兵がらみの殺人事件が11件。そのうち8件は「基地村の女性」
が殺害された事件だ。下腹部にドライバーやハンマーを刺された死体で見つかった女性もいれば、乳房と性器を
切除された死体が遺棄されていた女性もいた。
朝鮮戦争後の基地拡張で岩国基地に隣接した地区を中心に歓楽街が拡大し、米兵の相手をする女性は1955年頃に
2500人。米海兵隊岩国航空隊基地は62年に正式に発足、ベトナム戦争が始まると米海兵隊で海外唯一の
実践航空機部隊拠点としてフル稼働し、女性に対する性的搾取と性暴力が常態化していた。
ベトナム戦後、米兵犯罪はむしろ凶悪化し、相次いで女性が殺人、傷害、強姦の被害者となった。
だが、そんな事実は地元以外ではほとんど知られていない。殺人事件が起こったり強姦事件の告訴が
行われたときにも、新聞報道は地元でしか行われず、全国的には伝えられてこなかった。
187 :
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常に嫌うカルト教団:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:DcRrZ4mf
★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。
リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
米兵の犯罪は大半が不起訴になっているという、おどろくべき実態がある。
〇七年一〇月には、やはり米海兵隊岩国基地所属の海兵隊員四人が広島市内で若い女性をら致し、
強姦事件をひきおこして逮捕されている。この事件では、日本の警察は対米屈従の態度をとり、広島県警は
身柄を拘束しないまま集団強姦、強盗などの容疑で広島地検に書類送検し、広島地検は不起訴処分にしている。
〇六年一月に、北谷町にあるキャンプ瑞慶覧内で日本人タクシー運転手が強盗にあう事件がおきた。
米兵三人がタクシー強盗をたくらみ、タクシーを基地内によびだしてナイフを突きつけて約五〇〇〇円と
五jをうばった。この事件では二〇代の二人の上等兵が犯人としてつかまり、懲役三年と同二年六カ月の
判決をうけたが、顔をかくすためにフード付きの上着やナイフをあたえたいま一人の共犯の米兵は、
名前も階級もわからないまま「すでに除隊し、本国に帰国している」として裁判にもかけられていない。
日本側は二人の被告の身柄引き渡しをもとめたが、米軍側は「日米地位協定」の「基地内に身柄がある場合は
公訴されるまで拘束できない」を盾に引き渡しを拒否した。
アメリカ側がみとめないかぎり犯罪米兵の身柄は拘束できないのである。まさに、日本の国家権力のうえにアメリカ帝国主義がたっているということである。
屈辱的な「日米地位協定」で、米兵が「公務中」である場合は米兵の犯罪があきらかでも日本は逮捕権も裁判権も
第一義的に行使できないというように、主権をうばわれている。
「公務中」でなくても、犯罪米兵が米軍基地ににげこめば日本側は手をだせない。
そればかりではない。「地位協定」で日本側に第一次裁判権がみとめられている場合でも、日本側はその権利の
行使を放棄している。日本政府は、一九五三年に「重要な案件以外日本側は裁判権を放棄する」という密約を
アメリカ側とむすんでいたことがあきらかになっている。
米軍厚木基地周辺で日本人女性が米軍兵士にレイプされるという事件が発生したが、日本政府はオスプレイ配備へ
の悪影響を恐れ、米兵への逮捕状請求を意図的に遅らせていることが週刊文春の取材で明らかになった。
レイプ事件が起きたのは7月21日(土曜)の未明ことである。神奈川県内のショットバーで厚木航空基地所属の
2等兵曹A(23)が泥酔し、居合わせた米軍将校に暴言を吐いたことでトラブルが発生した。将校はAを店の外に
連れ出し、「これ以上飲むな」と厳しく叱責。Aは常連客で家も近いため、店にいた寺坂恭子さん(仮名・30代前半)が
Aの自宅まで送り届けることになった。以下は寺坂さんの証言である。
「Aの自宅まで送って行く途中、人気のないマンションとマンションの間の通路に差しかかったところで、いきなり拳で
私のお腹を殴りました。『痛い、やめてよ』と抵抗しても『俺はやりたいんだ。黙ってやらせろ。従わなければ殺す』と、
私の髪を思い切り引っ張って、俵抱えにされて自宅に連れ込まれました。『これはちょっとでも抵抗したら本当に
殺されるな』と諦めるしかありませんでした」
寺坂さんはAが眠った隙に裸足で逃げ出し、相談した知人の勧めで在日米軍憲兵隊に通報。憲兵隊から
全米犯罪情報センターを通じて神奈川県警大和署に連絡が入り、同署はAの自宅などを家宅捜索した。
「事案の凶悪性からも、強姦容疑ですぐにAを逮捕して取り調べをするものと現場の捜査員も思っていた。
ところが署の幹部が逮捕状を請求しようとしたところ、司法当局から待ったがかかった。『オスプレイ配備の問題も
あるため、米軍関連で波風が立つのは好ましくない』というのがその理由。
被害女性にそんな言い訳が通用すると思っているのか。現場の怒りは相当なものですよ」
(神奈川県警関係者)
神奈川県・横須賀基地所属の米兵に睡眠薬を飲まされ暴行されたジェーンさん(オーストラリア)。
2002年、ジェーンさんは加害者の米兵に民事訴訟を起こし、東京地裁は加害米兵に300万円の賠償を命じた。
しかし、実際に支払ったのは、なんと日本の防衛省だった。
その米兵は裁判中にアメリカに帰国した。
192 :
名無し三等兵:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:TSB9swr6!
>>184 日本のチベットと呼ばれているグンマーという地域の特殊性を、一般的なものとして論じられないわな
米軍の演習場に忍び込んで、貴重な薬莢をくすねてくるなんて、ちょっと想像できないよw
なんでもマニアが同じように富士演習場に忍び込んで戦車の部品や砲弾を持ち去るそうだが、
便所虫のように這いつくばって薬莢探しをさせられる自衛官にとっては、
撃ち殺したい存在であろうなw
まあジラード君に関しては日本での裁判が認められたのだから、手続きとしても何の問題もあるまい
193 :
名無し三等兵:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:TSB9swr6!
>>185 30年でたったの11件ですか?
それで「性暴力が常態化」とは、なんと大げさな?
満州事変以降の皇軍が中国でやらかした殺人事件なんて数え切れないほどだし、
そんなものを持ち出さなくても自衛官による毎月の性暴力なんて、
当たり前すぎてベタ記事にしかならない
その上そうした非行が全国的には伝えられてこないことが常態化してしまっているのだ
194 :
名無し三等兵:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:TSB9swr6!
195 :
名無し三等兵:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:TSB9swr6!
>>189 被害者が商売女で相手は常連客で泥酔、しかも場所はヤンキー御用達レイプ多発地帯の神奈川とくれば
これはどう贔屓目に見ても、相手が日本人だったら示談で済ませるケースであろう
なにしろ法務省のスポークスによれば「加害者と被害者の将来を懸念して」強姦は親告罪であるべき、
としているのだからねw
それでも米兵のやらかした些細なことを何が何でも強姦罪に持ち込もうとする某団体がいるんだよな
ここまでくると逆に人種差別と非難されても、麻生だったら文句は言わないだろうなw
196 :
名無し三等兵:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:TSB9swr6!
>>191 お金を払ってくれたんだから、文句は言わないのw
札びらに名前が書いてあるわけではあるまいに、なまじっかアメリカドルだったら使い勝手が悪いだろ?
皇軍みたいに軍票という紙切れなんかよりはよっぽどマシですけどw
乞食占領軍
SAPIO 4/11号
FOCUS 63ページ 封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル 水間政憲(ジャーナリスト)
(妻36歳、長女17歳に対し、拳銃で脅して・・・・・・ から)
米軍の不法行為を明らかにする前に、敗戦後、日本政府が日本女性を米軍の「性の暴力」からいかに守るか、苦心惨憺した様子を少し述べてみたい。
日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、戦時中でなく占領下の米軍(進駐軍)のためにだったのだ。
1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、
1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。
その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。GHQは1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。
しかし、これでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。実際は主権回復まで膨大な数の女性が「強姦」されていたのだ。
ファイルに記された調書をつぶさに見ていこう(公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す)。
強姦事件は、米軍の進駐とほぼ同時に始まっている。8月30日は横須賀に海兵隊が上陸した日だが、いきなり事件が発生している。
〈強姦事件
(一)八月三十日午後六時頃 横須賀市○○方女中、34 右一人ニテ留守意中、突然米兵二名侵入シ来リ、一名見張リ、
一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手口ハ予メ検索ト称シ、家内ニ進入シ、一度外ニ出テ再ビ入リ、女一人ト確認シテ前記犯行セリ
(二)八月三十日午後一時三十分頃 横須賀市○○方。米兵二名裏口ヨリ進入シ、留守番中ノ右同人妻当○○三十六年、長女○○当十七年ニ対シ、
拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室ニ於テ、夫々強姦セリ(以下略)〉
同9月1日、房総半島に米軍上陸。ここでも事件発生。
〈○○方ニ侵入セル米兵三人ニ留守番中ノ妻(二八)(中略)奥座敷ニ連行、脅迫ノ上、三人ニテ輪姦セリ〉
〈九月一日午後六時頃 トラックニ乗リタル米兵二名(中略)市内○○ニ来リ女中一名(24)連レ去リ(中略)野毛山公園内米兵宿舎内ニ於テ
米兵二十七名(ニ)輪姦サレ假死状態ニ陥リタルモ(中略)三日米兵ニヨリ自宅迄送リ届ケラレタリ〉
このような記載が「特高」解散の10月14日まで続く。
〈九月十九日夜十一時頃、(横浜市)保土ヶ谷区、出征中○○妻(27)、(中略)ニ侵入シ「ジャックナイフ」デ情交ヲ迫リ、
被害者之ヲ拒否シテ戸外ニ逃避セルヲ(中略)畠(畑)ニ連行、三名ニテ輪姦シタル。更ニ通中ノ三名ノ黒人兵ガ同所ニ於テ輪姦逃走セリ〉
調書を総覧すると、米兵の蛮行が眼前に浮かんでくる。
警察官はいたるところで暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられている。
一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」まで、手当たり次第に強奪されていた。
〈九月二日午前十一時三十分頃武装米兵六名ハトラックニテ横浜市中區山手町二一二番地共立女子校内、校長神保勝也ニ侵入
各室ヲ物色シタル後現金二千七百十円及ウオルサム腕時計一個ヲ強奪逃走セリ〉
とこのような「強奪逃走せり」が続くのだ。
その中に、首を傾げたくなる記述がある。
それは、「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が散見することである。
貞操は取り返すことができずとも、せめて当時、貴重だった「腕時計」だけでも、取り返したいとの思いから被害届を出していたのではと思われる。
先述した945件の強盗・略奪に強姦(あるいは強姦未遂)も入っているのではないかと考えるのはこのためである。
このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。
当時の朝日新聞(1945年9月5日付)は三段見出しで「神奈川県の女生徒は休校 教職員が家族を巡回指導」と記している。
しかし、9月19日、GHQ「プレスレコード」が発令されて以後は米兵を批判する記事は、新聞紙面からすべて消えている。
これで米国は、「強姦」など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。
しかし、記述のように「特高」の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。
※資料・・・「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)377ページ
マッカーサーが厚木に降り立った8月30日から10月4日(特別高等警察)解散命令までの
米軍の不法行為を特高警察が取り調べたファイルを内務省警保局がまとめたもの。
この米軍の不名誉な記録は、没収され、米国に持ち去られたが、
1973年12月日本に返却、翌年1月から、国立公文書館に所蔵されていた。
(マッカーサーが厚木に降り立った直後に9件の強姦事件 から要約)
1945年
3.26 沖縄戦で米軍が初めて座間味村に上陸。数カ月後、米兵による強姦事件が発生。
拉致してボートで連れ出し、裏海岸で強姦した後、放置。
8.20 祖母と食料探しのため海岸に出た32歳の女性、米兵につかまり強姦される。
翌年4月、混血の男児を出産。(玉城村)
8.21 友人2人と、子どもをおぶって薪取りに出かけた31歳の女性、米兵3人に拉致され消息を絶つ。(座間味村)
9.8 子どもをおぶってヨモギを摘んでいた39歳の女性、4人乗りの米兵のジープに拉致され、カーブで道ばたに放り出される。
背中の子どもは死亡。(羽地市)
9.24 男性2人と石川の収容所に親戚を訪ねていく途中の19歳の女性、子どもをおぶったまま3人の米兵に
拉致される。男性2人は米兵に銃を向けたれ、抵抗不可能。母子は2年後に白骨死体で見つかった。(石川市)
10.24 46歳の女性、道路で米兵2人に襲われそうになり、がけ下に飛び降りて大腿骨折。その後、追ってきた2人に
強姦される。(本部町)
10.25 家具を失って岩の下で居住していた35歳の女性、夜トイレからの帰りに米兵2人に強姦される。
翌年8月、男児を出産。(知念村)
1946年
1.21 草刈り作業中の23歳の女性、米兵に森の中に連れ込まれ、ナイフでほおを切られたあと強姦される。
その後、妊娠、出産する。(兼城村)
1. 草刈り作業をしていた19歳の女性、米兵にすすき林の中に連れ込まれ、強姦される。混血の女児を出産。(糸満町)
3.10 農作業中の30歳の女性、米兵3人に拉致、強姦される。12月に男児を出産。彼女の姉も、前年、出産直後、
寝ていたところを米兵に拉致されそうになったが、住民の騒ぎで未遂に終わった。(具志川村)
7.26 川に洗濯に出かけた34歳の女性、行方不明になる。8月1日に死体で発見されるが、口にぼろ切れが詰め込まれていた
ことと、住民の立入禁止地区で発見されたことから、米兵による強姦、殺害と推定された。(北谷村)
8.30 芋の積み込み作業をしていた24歳の女性、米兵に捕まって強姦されそうになったところを抵抗。
ナイフで切りつけられ重傷を負う。数人の男性の騒ぎで米兵は逃げてしまう。(具志川村)
10. 農作業中の39歳の女性、米兵3人に山中に連れ込まれて強姦される。(具志川村)
1947年
3. 大勢の人たちと農作業をしていた女性、逃げ遅れて3人の米兵に拉致、強姦される。
後に赤毛の男児を出産。(具志川村)
5.8 34歳の女性給仕、所用で出かけて戻る途中、米兵に拉致され、浜辺で強姦される。
農作業中の人たちに助けを求めたが助けられなかった。(大宜味村)
8.20 外出から帰ってきた24歳の女性、屋敷に潜んでいたフィリピン兵に強姦されそうになり、
抵抗したところをナイフで刺殺される。(コザ市)
9.9 28歳の女性、自宅にピストルを持った米兵が侵入したため、一旦逃げるが、生後6カ月の子どものことが
気になり、戻ってきたところを畑に引きずり込まれて強姦され、ピストルで殴打されて死亡。(コザ市)
10. 畑を開墾中の42歳の女性、フィリピン兵らに強姦される。(具志川村)
東京都武蔵村山市の路上で2009年8月、バイクで通りがかった女性会社員(23)が、道路をふさぐように張られた
ロープに引っかかり転倒し、頭蓋(ずがい)骨骨折の重傷を負った事件があり、警視庁は24日、このロープを
意図的に張ったとして、いずれも米軍横田基地に住む米兵の家族で、15〜18歳の少年少女4人について、
殺人未遂容疑で逮捕状を取った。
しかし、逮捕状の有効期限が切れる日になっても、引き渡しは行われていない。
なんでソースつけないかねぇ。
何回も似た文章でてきてんだから、なんかのコピペでしょ?
出典書いたらまずいわけでもあんのか?
1948年
7月 中部農林高校の寄宿舎が台風で破壊されたため、民家に下宿していた女子高生、家主の知り合いの米兵に
強姦される。助けようとした家主はナイフで切りつけられる。(具志川村)
8月 フィリピン兵の集団に女性が拉致される。救出に行った地元の男性2人のうち、一人は殺され、
一人は負傷
9月 生後9カ月の赤ちゃんが米兵によって強姦される。
~~~~~~~~~~
在日本大韓民国民団(民団)は15日、
日本による植民地支配から朝鮮半島が解放された日を記念する第68周年光復節中央記念式を
東京・千代田区の日比谷公会堂で開きました。
各党代表らとともに日本共産党から笠井亮衆院議員・党政策委員長代理と
曽根はじめ都議会議員が来賓として出席。笠井氏は祝辞のなかで植民地支配の誤りを清算してこそ
日韓両国民の心通う友情が築けると強調し、大きな拍手を受け
「永住外国人の地方参政権という重要な懸案の一日も早い解決」をあげました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-16/2013081604_02_1.html 共産党w
もとからだけどな。
総連と組んで武力闘争やってたことあるし。
1949年12月 米軍部隊のメイドとして、働いていた17歳の女性、兵隊宿舎の中で米兵に強姦される。
翌年、混血の女児を出産。(具志川村)
1950年2月 夜11時頃、那覇市内で芝居見物帰りの2人の女性が米兵にカービン銃で脅迫されて連れ去られ、
一人の女性は6人の米兵に、またもう一人は8人の米兵に強姦される。
1952年3月 那覇市内の民家に米兵がCIDと偽って入り込み、21歳の女性を強姦。さらに1時間後に引き返してきて
逃げ回る女性を殴りつけ、再び強姦する。米兵はエンジニア部隊所属。
1950年2月17日 夜11時頃、那覇市内で芝居見物帰りの2人の女性が米兵にカービン銃で脅迫されて連れ去られ、
一人の女性は6人の米兵に、またもう一人は8人の米兵に強姦される。
1950年7月5日 民家にフィリピン兵が侵入してピストルを乱射。主婦が捕まって強姦される。(具志川村)
1952年3月25日 那覇市内の民家に米兵がCIDと偽って入り込み、21歳の女性を強姦。さらに1時間後に引き返して
きて逃げ回る女性を殴りつけ、再び強姦する。米兵はエンジニア部隊所属。
1955年9月3日 永山由美子ちゃん(6歳)が、嘉手納高射砲隊所属の米兵に拉致され、強姦された上、惨殺される。
(石川市)
1955年9月9日 9歳の少女が就寝中に海兵隊所属の一等兵に強姦拉致され、重傷を負う。(具志川村)
1956年9月23日 特飲街でホステスが海兵隊伍長に惨殺される。
1959年3月17日 20歳のハウスメイドが那覇航空隊近くで一等兵に強姦される。
1959年10月28日 22歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。死体は全裸で発見される。(コザ市)
1961年7月11日 47歳のホステスが部隊を脱走した19歳の海兵隊員によって殺される。
1963年7月3日 22歳のホステスが那覇航空隊所属の上等兵に惨殺される。ふられた腹いせによるもの。
1963年10月1日 20歳のホステス、キャンプ・シュワーブ所属の米兵2人に野原に引き出されて強姦される。
犯人はMPに現行犯逮捕される。(久志村)
1965年1月24日 28歳の女性のホステス、自宅で殺害される。米兵が容疑者として、取り調べを受ける。(金武村)
1966年7月21日 勤め先から帰宅途中の31歳のホステス、米兵に強姦、殺害され、全裸死体となって下水溝で
発見される。(金武村)
1967年1月24日 32歳のホステスが18歳の海兵隊員によって絞殺、全裸で発見される。(金武村)
1967年4月2日 34歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。(コザ市)
1967年11月20日 20歳のホステス、自宅で就寝中に米兵にハンマーで頭を殴られ死亡。(金武町)
1968年5月19日 52歳の主婦、自宅前の路上でミサイル基地所属の上等兵に強姦、殺害される。(読谷村)
1868年6月20日 23歳のホステス、海兵隊MPに強姦される。その後短銃で殴りつけられたため、重体。宜野座村)
1969年2月22日 21歳のホステス、砲兵連隊所属の二等兵に絞殺、全裸死体で見つかる。(コザ市)
1969年3月3日 20歳のホステスが死体で発見される。司法解剖の結果から米兵の犯行と断定。(那覇市)
1969年11月21日 アルバイト帰りの25歳の女性を路上で上等兵が強姦。抵抗するたびにナイフで切りつける。(那覇市)
またソースなしかw
1970年5月28日 出勤途中の21歳の軍雇用女性、米兵に襲われる。(浦添村)
1970年5月30日 下校途中の女子高生が軍曹に襲われ、腹部、頭などめった刺しにされる。
強姦が目的だったようだが、騒がれて未遂。教職員会、女性団体、高校生らの抗議で逮捕。(具志川市)
1970年 朝7時半頃、高校3年の女性とが登校中に、突然体が宙に浮き、上半身裸の3人の米兵に
腕を捕まれたままジープで数秒間引きずられた。(宮古)
1970年 バーを経営していた女性が、カウンター内に入り込んで来た米兵に強姦される。
その際、足と首に大けがをし、働けなくなる。
1971年4月23日 22歳の女性ホステスの全裸死体が墓地で見つかる。目撃者の証言で海兵隊所属の
伍長が逮捕される。(宜野湾市)
1971年5月1日 41歳の女性が海兵隊二等兵にドライバーで刺殺される。指紋体液の血液型などの
証拠で逮捕。(金武村)
1971年5月21日 女子中学生が米兵に強姦される。(コザ市)
1971年5月23日 出勤途中のホステスが米兵に空き家に連れ込まれ、強姦される。(コザ市)
1971年7月10日 自宅前で遊んでいた12歳の精薄児を3人の米兵が輪姦。(宜野湾市)
1972年4月10日 25歳のホステスを陸軍軍曹が殺害。排水溝に投げ捨てる。(泡瀬ゴルフ場横)
1972年8月4日 37歳のホステスが二等兵によって強姦、絞殺される。(宜野湾市)
1972年12月1日 22歳のサウナ嬢を海兵隊二等兵が強姦、シミーズのひもで絞殺。(コザ市)
1973年3月18日 42歳のホステスが全裸絞殺死体で発見。第二兵たん所属の兵隊の血液型、指紋が現場のものと
一致したが、物的証拠がなく、逮捕不可能。地元警察の米軍側への申し入れにも関わらず
容疑者は二ヶ月後に除隊し、本国に帰る。(コザ市)
1974年5月8日 叔父と共に農道を歩いていた17歳の少女が、米少年兵3人に全裸にされたうえ輪姦される。
叔父が殴られて気絶していたときの犯行で、叔父の訴えにより、犯人が判明。(金武村)
1975年4月19日 海水浴に来ていた二人の女子中学生をキャンプ・ハンセン所属の二等兵が石で殴って気絶させ強姦。
米軍は容疑者の身柄引き渡しを拒否したが、地元住民、県議会の抗議行動で地元警察に
引き渡す。(金武村)
1982年8月1日 33歳の女性ホステス、新築工事中の部屋で、上等兵に絞殺される。強姦しようとしたところを
抵抗され、殺す。(名護市)
1984年9月30日 19歳の米軍一等兵女性、一等兵と二等兵に強姦され、車ごと焼かれて死亡。(宜野湾市)
1985年10月29日 40代の女性が帰宅途中、キャンプ・ハンセン所属の二等兵と上等兵に拉致・強姦される。(金武町)
1993年5月 19歳の女性が陸軍軍曹に拉致、強姦される。被害者は告訴取り下げ。
1995年5月10日 24歳の保険外交員の女性、米兵にハンマーで顔面を殴られ死亡。(宜野湾市)
1995年9月4日 米兵3人による小学生拉致、強姦事件発生
↑全部調べたけど事実と適合するのは一つも無かったよ
●を持ってたそうじゃないか
これを犯罪と言わずして何を犯罪と?
許せん
在日米軍が起こす事件・事故の数は、防衛施設庁が提出した資料によると、1952年から2007年までに公務内外で
在日米軍が起こした事件事故件数は20万件、日本人が巻き込まれて死亡した人数は1,076人である。
2010年に公開された外務省文書によれば、復帰前も1965年の時点で年間1000件に上っていた。
また、1985年から2004年までに在日米軍の起こした事件・事故で軍法会議にかけられた者は1名で、
懲戒処分者は318人である。
1955年、嘉手納村の通信基地付近の原野で米軍兵士に強姦された幼女の遺体を発見した。幼女は石川市
(現うるま市)の6歳の幼稚園児であることが判明。遺体は下腹部から肛門にかけて刃物で切り裂かれていた(嘉手納幼女強姦殺人事件)
1995年、アメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した。
実行犯である3人が引き渡されなかったことが問題になった(沖縄米兵少女暴行事件参照)。
1996年、海兵隊員が運転する車が交通事故を起こし、沖縄の母子三人が死亡した。
1998年、飲酒運転した海兵隊員が18歳の女子高生が運転するバイクに衝突し、ひき逃げして死亡させた。
2002年、海兵隊少佐がフィリピン人女性を襲う強制わいせつ未遂事件が発生。(沖縄米兵強制わいせつ未遂事件)。
2008年2月、38歳の海兵隊員が14歳の沖縄の少女を強姦した容疑で逮捕された。
機密解除された米国の公文書によると、2008年5月17日までに、日本は在日米軍関係者の犯罪について、
1953年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」密約に合意し、その後5年間に起きた約13000件の
事件のうち、実際に裁判を行ったのは約400件で、97%の裁判権を放棄していたことが判明した
(在日米軍裁判権放棄密約事件)。また、1958年、日米安全保障条約改定にあたり、米側は岸信介首相に、
密約が結ばれている裁判権放棄を公的に表明するよう要求したが、国民からの批判を恐れ岸は認めなかった
●買ってるなんて許せないな
この犯罪者集団め
A級戦犯の岸だったら、アメリカ様から命を助けられた恩を忘れないだろうな
その孫の安倍が仕掛けたアホノミクスによって、どれだけの国富がアメリカ様に捧げられたことか
1957年(昭和32年)1月30日、群馬県相馬が原の米軍演習場内の立ち入り禁止の場所に、薬きょうを拾いに
きていた農婦の坂井なか(46歳)が、小銃弾に当たって死亡した。
一緒にいた日本人農夫の証言で、米兵に「ママさん、だいじょうぶ!」と呼び寄せられ、約10メートルの距離から
狙撃されたことが判明した。
その米兵は、この日、立哨だった米軍第1騎士団第8連隊のウィリアム・S・ジラード(当時21歳)3等特技兵であった。
事件現場は1920年(大正9年)に旧陸軍演習場となり、戦後米軍に接収された土地だったが、鉄くずの薬きょうを
拾って生活の足しにしている基地周辺の人々の貧しさや、日本人をスズメ程度にしか考えていない米兵の
心理など多くの問題を提起した。
5月18日、検察はジラードを傷害致死罪で起訴。これに対して、アメリカ本国では、在郷軍人会やジラードの
親族を中心に、「身柄を日本側に引き渡すな!」の一大合唱が湧き起こった。
ジラードの兄は、米連邦地裁に人身保護を求める訴訟を起こした。
6月18日、米連邦地裁は、ジラードの身柄を日本への引渡しを禁ずる判決を下した。
>>225 そんなこと言ってるのはお前ら馬鹿左翼だけだぞw
ダンピールの悲劇
1943年3月3日第八十一号作戦中の日本軍の輸送船8隻、駆逐艦4隻は、B-25の反跳爆撃により沈没した。
その後、武器を持たない丸腰で海面上を漂流する、もはや遭難者であり非戦闘員となった日本兵達を、
米豪軍の攻撃隊は何度も反復し機銃掃射して虐殺した。
日本海軍は、戦えなくなった者は敵の兵であろうと、一人残らず救助せよと命令を出したが、米軍の指揮官は
かまわず虐殺せよとの命令を出した。
機銃の弾が切れると、基地に戻って弾薬を補給し、漂流者の上空へ戻ってきては、また泳いでいる日本兵を
捜して機銃掃射を浴びせた。
そして弾が尽きるとまた、補充しては機銃掃射を繰り返して、連合軍のパイロットたちは、野蛮にも
虐殺行為を楽しんだのである。
時の首相田中義一は世界侵略を目指す日本の外交方針を上奏文として奏上いたしました
昭和天皇は「朕に支那は取れるか?」と尋ねられました
その問に田中首相は「支那といわず世界をお取りなされませ、
陛下の後ろには世界最強の軍隊が控えております」と答えました
昭和天皇は「うむ、支那を征服せんと欲せば、まず満蒙を征せざるべからず、
世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず、
「これすなわち明治大帝の遺策なり!」と勅旨を出されたのでした
日本海軍は「一人残らず救助せよ」どころか
対馬丸が沈められた時はアップアップ溺れている学童たちを見捨てて
日本海軍の駆逐艦は大慌てでトンズラこいているし、
戦艦大和が撃沈された時も溺れている乗組員の半数以上を見捨ててトンズラこいていますけどw
飛行機が人を轢く”という前代未聞のゴードン事件
私が住んでいるひたちなか市阿字ヶ浦町のすぐ後背地は、旧陸軍水戸飛行場が敗戦によって米軍に接収され、
73年まで米軍の射爆撃場となっていました。そのため、ひたちなか市史には記載されていない死傷事故を含めて
数多くの事件や大事故が起こっている。その一つが私にとって忘れられないゴードン事件です。
1957年8月2日、超低空飛行の米軍機が県道を自転車で通行中の母子を飛行機の車輪で轢き殺傷しました。
(この時の操縦士の名がゴードン)。小学生だった私は海水浴場から家に帰る途中で、大勢の大人たちが
「飛行機が人を轢いた」と言いながら慌てたように走っていくのを見て、赤いふんどしのまま大人たちに付いて
行きました。現場に行ってみると、家の畑の隣のさつまいも畑が飛行機の車輪でなぎ倒され、被害者の体が
ばらばらに散らばり、警察か消防の人が長火箸で肉片を拾っていました。息子さんはその時は重症ながら
生きていましたが、あたり一面さつまいもの葉が真っ赤な血で染まり直視できないほどでした。
いまもその時の光景が目に焼きついています。
この事件を米軍側は異常気流による不可抗力的事故と主張したが、地元の市議会は操縦者のゴードン中尉
(当時27歳)のいたずらによるものと断定、茨城県警は水戸地検に書類送検しました。ところが公務中の過失として
不起訴処分となっています。死亡者への補償額は43万円余でした。
アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行
沖縄本島には千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。
わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。
―――――――
以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家)
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
―――
一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。
とくに沖縄戦がそうだった。
クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。
地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、
やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、
何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、
丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、
「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」
と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。
女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、
手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。
>>221 wikiにすらのってるのも有るのになあ、必死すぎw
硫黄島警備隊司令の任にあった和智恒蔵海軍大佐は戦後、硫黄島守備隊戦死者の遺骨収集の為に奔走し、
未だGHQの占領下に在った日本政府と米国政府に掛け合い、幾多の困難を経て、硫黄島に渡り、
玉砕した将兵の遺骨収集を実現させた。
その彼が現地で目にしたものは、「収集した遺骨の内、1000体分に頭蓋骨が見当たらない」という異様な惨状で
あったのだ。
上坂冬子著「硫黄島いまだ玉砕せず」に依れば、彼は硫黄島駐屯のヤングス空軍少佐と、グアム島駐屯の
コリンズ海軍大佐に、頭蓋骨の数が足りないことを告げ、米軍当局の釈明を求めて抗議をしたが、
「そのことは承知しているが、現段階では声高に糾弾せず、当方に任せて欲しい」との返答があったという。
また別の戦場のケースとして、戦後にマリアナ諸島から日本軍将兵の遺体が
送還された時、その約60%には頭蓋骨が無かったという記録もある。
これが何を意味するかと言えば、日本軍と戦った太平洋戦線の米軍兵士の間には、戦勝記念に
日本軍将兵の頭蓋骨を持ち帰るという猟奇的な習慣があったということである。
頭蓋骨のコレクションどころか、米軍兵士に依る日本軍将兵の遺体損壊という残虐な猟奇行為は
日常化していたのである。
>>234 1975年から1995年の20年にかけて、たったの7件!もはや「たったの」としか言い様がない
で、その20年間に日本人および沖縄人によるレイプ強盗拉致誘拐換金で
いったい何千人の犠牲者が出たと思ってるんだ?
>>236 調べだしてその何千人とやらと貼ればぁ、↓こんなデマ書くよりもw
>↑全部調べたけど事実と適合するのは一つも無かったよ
毎月のように性犯罪をやらかす自衛隊員たちです。
わいせつ容疑で自衛官逮捕=「100件やった」供述−千葉県警
路上で女性にわいせつな行為をしたとして、千葉県警捜査1課などは11日、強制わいせつ容疑で
同県船橋市薬円台、陸上自衛隊第1空挺(くうてい)団3等陸曹の庄司裕毅容疑者(29)を逮捕した。
容疑を認めているという。
捜査関係者によると、「100件くらいやった」と供述。船橋市内では昨年春ごろから、
夜間1人で歩く女性を狙った公然わいせつや性的暴行が数十件あり、
今回を含む4件で現場の遺留物と庄司容疑者のDNA型が一致したという。
逮捕容疑は2010年10月27日午後9時すぎ、船橋市の路上で女性(19)の口を後ろから
手でふさいで押し倒し、わいせつな行為をした疑い。(2011/10/11-18:49)
1927年(昭和2年)に、スピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独
無着陸飛行に初めて成功したチャールズ・リンドバーグが、その従軍日誌
「リンドバーグ第二次世界大戦日記」で、米軍兵士の日本軍将兵の遺体への
目に余る冒涜の目撃談を著わし、その実態を告発していることも有名である。
遺体に小便を掛けることや、遺体を的にしての射撃、頭蓋骨をボール代わりに
してサッカーをするなどは序の口で、ペニスを切り取って、口に咥えさせる、
耳や鼻を切り取って、ネックレスにする、帰還する時に持ち帰る為に耳や鼻を
乾燥させる、ゴールドラッシュと嘯きながら、金歯を抜き取る、砲弾が着弾
して出来た穴に遺体を放り込んでおいて、その場を残飯などの廃棄物の集積所
にするなど、獣にも劣る蛮行が日常化していたのである。
これほどまでの遺体への冒涜は、日本人に対する人種差別的感情が無ければ、
為し得なかったことであったろう。
ヨーロッパ戦線での激戦場でも、独軍兵士の遺体の切り取りが流行したなど
聞いたことが無い。
1952年に、米国の移民と国籍に関する事項を定めた法律である移民国籍法は、
ネバダ州選出の上院議員パトリック・マッカランとペンシルベニア州選出の
下院議員フランシス・ウォルター、二人の策定の下、制定された法律で、
マッカラン=ウォルター法とも言われるが、この人種差別主義者のフランシス・
ウォルターは、太平洋戦線で戦死した日本軍兵士の肘から手首に掛けての骨、
前腕骨で作つたペーパーナイフを嬉々として、フランクリン・D・ルーズベルト
大統領の贈呈した人物でもある。
日本を巧妙な謀略で対米戦争へと誘い込んだ、卑劣な人種差別主義者であった
ルーズベルト大統領は、そのペーパーナイフを愛用していた。
ルーズベルト大統領の息子である、ジェームズ・ルーズベルト海兵隊大尉は
カールソン中佐指揮下の部隊に配属されていた。
1942年(昭和17年)8月17日の早朝、そのカールソン隊は、西太平洋の
ギルバート諸島マキン島の日本軍前哨陣地を攻撃し、守備隊を全滅させたが、
彼らは戦死した日本軍兵士の遺体を切り刻み、男根と睾丸とを日本軍兵士の
口中に詰め込むなどの蛮行を働き、20年後に遺体を陵辱した様子を記録した
写真が公表されると共に、その冒涜の有り様がテレビ番組で語られたという。
チャールズ・A・リンドバーグ著 『リンドバーグ第二次大戦日記』
1944年6月21日水曜日
日本兵士殺害に関する将軍の話一 数週間前のことだが、最前線のさる技術科軍曹が、もう2年以上も
太平洋地域で、戦闘部隊と行を共にしながら、ついぞ実戦に参加した経験がなく、帰国する前にせめて一人だけでも
日本兵を殺したいと不平を漏らした。
軍曹は敵の地域内に進入する偵察任務に誘われた。軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、
偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。…「しかし、俺はこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」
「ちえっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた
途端に、日本兵の頭部に腕が巻き付き、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。
244 :
名無し三等兵:2013/09/08(日) 10:08:19.04 ID:P6j61yRK
245 :
仲間邦雄p2204-ipbfp301yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/09/08(日) 22:05:18.48 ID:oQAxDRmy BE:2407766257-2BP(1920)
>>227 よくいうわ 安倍が日本を韓国やら日本に売り渡してるのを見届けて安倍政権やら自民党を支持してるあたりがすごいなネトウヨって
安倍晋三元首相を招き晩餐会開催
http://www.kccj.org/kccbbs/kannews_viewbody.php?number=204 ?地方参政権獲得への支援要請など幅広い意見交換行う?
安倍元総理は以前から韓国との親交が深く、
外国人の地方参政権獲得へ向けた支援要請や遊技機器の規制緩和要請など、経済問題のみならず幅広い分野で意見が交換された。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1296701307 http://ebilog.biz/2log/poverty/1350450855/ ネトウヨの正体
Q:最近、急増したネトウヨってどんな連中なの?なんかいきなり沸いて出たような連中だけど
A:簡潔に言えばほとんど日本人の底辺ニート無職です。
Q:底辺なのに何で自分が国の厄介者だって自覚してないの?
日本ではバブル崩壊以前の時期、少なくとも高度成長期からその後の安定成長期までは、
GDPはほぼ毎年増大し、社会が豊かになっていったため、人々が将来への希望を持ち、
政治や社会への不満につながりにくかったと言われている。
欧米各国では大都市部の貧困層の若者が右翼化しネオナチ支持や右翼政党の台頭につながった。
最近は、日本でも東京都知事選挙などにおいて、右翼的人物が大量得票を得るようになった。
これは、格差が拡大すると、都市部貧困層の不満が右翼支持として表れるという、
先進諸国でよく見られる社会現象と言ってよい。しかし自民党は、
農村部への利益配分を増やすことにより格差社会に対応しようという姿勢が強く、
都市部貧困層への配慮は少ない。麻垣康三すべてが農村部選挙区から出ていることを見れば分かるように、
自民党有力者の多くは、農村部を支持基盤としているからである。戦後日本の総理大臣は、小泉純一郎以外は、
ほぼ全てが農村部の選挙区出身である。米国でも、最近の大統領はすべて南部から出ている。共和党は主に、
農村部や産業化の遅れた南部が支持基盤であるように、先進諸国で地域間対立も強くなっている。つまり、
職業を基準とした階層間対立だけでなく、地域間対立も、社会学において重要な研究対象となっているのである。
246 :
仲間邦雄p2204-ipbfp301yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/09/08(日) 22:06:43.75 ID:oQAxDRmy BE:4333978679-2BP(1920)
>>223 >1955年、嘉手納村の通信基地付近の原野で米軍兵士に強姦された幼女の遺体を発見した。幼女は石川市
> (現うるま市)の6歳の幼稚園児であることが判明。遺体は下腹部から肛門にかけて刃物で切り裂かれていた(嘉手納幼女強姦殺人事件)
ベトナム戦争じゃ赤ちゃんの性器を破壊しつつレイプしたそうだな
OCNの規制解除されてんだな
永久規制じゃなかったっけ?
1944年6月26日月曜日
8時38分、第三滑走路からP38で離陸し、ニューギニアの密林を越えてボランデイアヘという直線コースの
針路をとる。天気良好。小屋の壁の一つに、絹地の日本国旗が三枚かかげてあった。
日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品(スーベニア)として10ポンド(33ドル)の値打があると、
ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は250ポンドなら譲ってもよいと言った。
●談たまたま捕虜のこと、
日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と、将校の
一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」
「*****では2千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった100か200だった。
残りの連中にはちょっとした出来事があった。
もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」
「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる
249 :
仲間邦雄p2204-ipbfp301yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp:2013/09/08(日) 23:23:22.78 ID:oQAxDRmy BE:1238280236-2BP(1920)
1944年六月二十八日水曜日
第475飛行連隊の将校連と夕食、夜を共に過す。話題は今夜もまた、戦争や捕虜、記念品のことに及ぶ。
わが将兵の態度に深い衝撃を覚えた。敵兵の死や勇気に対しても、また一般的な人間生活の品位に対しても、
敬意を払うという心を持ち合わせておらぬ。…略奪したり、ある議論の最中に私は意見を述べた。
日本兵が何をしでかそうと、われわれがもし拷問を以て彼を死に至らしめれば、われわれは得るところが何一つ無いし、
また文明の代表者と主張することさえ出来ないと。「ま、なかには奴らの歯をもぎとる兵もいますよ。
しかし、大抵はまず奴らを殺してからそれをやっていますね」と、将校の一人が言い訳がましく言った。
まーたリンドバーグの仮想戦記を貼り付け始めたのか
日本兵が2000人も捕虜になった戦い、つうのは何て戦いなんだよ?
戦後の武装解除時ならともかく、激戦区でそんなに捕虜が出るなんてことは「絶対にありえません」から
結局はリンドバーグといえども「自分の持っている知識の範囲内」でしか物語を語れない、
ってのが創作の弱点になっているわけだw
1944年8月6日日曜日
明りのいくらか貧弱なテント内で空箱や簡易ベッドの端に腰掛けたまま、日本人捕虜の問題を語し合った。
でもよい相手を捕虜に出来るいつ如何なる時でも投降を受け容れないのは間違いだ、投降を受け入れればわれわれ
の進撃は一段と速くなり、多くのアメリカ人の生命が救われるであろう。
とにかく投降した場合は必ず殺されると考えるようになれば、彼らは当然踏みとどまり、最後の一兵まで戦い抜くだろう
-そして機会があるごとに捕虜にしたアメリカ軍将校を殺すであろう、と。
大多数の将校は私の意見に同意したが(さほど熱烈に同意したわけではないが)、しかし、わが方の歩兵部隊は
そのように考えてはおらぬようだと言った。「たとえば第42連隊だ。連中は捕虜を取らないことにしている。
兵どもはそれを自慢にしているのだ」
「将校連は尋問するために捕虜を欲しがる。ところが、捕虜1名に付きシドニーヘ2週間の休暇を与えるという
お触れを出さない限り、捕虜が一人も手に入らない。お触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入るのだ」
「しかし、いざ休暇の懸賞を取り消すと、捕虜は一人も入って来なくなる。兵どもはただ、一人もつかまらなかったよ
とうそぶくだけなんだ」
253 :
名無し三等兵:2013/09/15(日) 08:40:15.63 ID:9j98xBfz
(七月一三日)
「我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、
それらの行為が大方から大目に見られているのである。
われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。
ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由が
いよいよ無くなるように思う」
(七月二一日)
「安全でかなり贅沢な将校クラブに座しながら、これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の
言に耳を傾けねばならないのである。
彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する
畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」
(七月二一日)
「私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。
あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ 飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。
ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない。
なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも
明らかだから」
またかよ
複数の伝記作家が調査したように、大戦中のリンドバーグの行動はきちんと記録に残っており、
彼が日記に書かれたような最前線のジャングル戦の現場にいなかったことははっきりしている
結論としては、日記は仮想戦記を創作するための下書きだったということだ
それにしても勇敢無比な日本兵が2千人も捕虜になったかと思えば、
撃たれることがわかっているから一人も投降しなかったとか、支離滅裂がすぎる、プロットが甘すぎ
ホントのところはどうだったのかは、当の日本兵捕虜に聞いてみればわかること
で実際に歴史研究家の秦郁彦先生が多数の元捕虜に聞き取り調査をしているが、
ほとんどの日本兵は「捕虜になるつもりはなかった、倒れているところを捕らえられた」と答え、
中にはアメリカ兵に「捕虜にするくらいなら殺してくれ今すぐ殺せ!」とくってかかった人もいたそうな
全然リンドバーグが想像して書いた日本兵捕虜とは違うものであるw
(七月二一日)
「われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、さらった土をかぶせて
やったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性に
もっと敬愛の心を抱けたに相違ない。
ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。『これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ』と」
(七月二四日)
「山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、
わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。
わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、残飯や廃物を放り込む
ところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる」
チャールズ・リンドバーグは、1927(昭和2)年に、大西洋横断の単独無着陸飛行に史上初めて成功した人である。
彼は第二次世界大戦中、空軍の顧問として太平洋各地を回ったが、そのときの日記の中に再三にわたって
書かれているのは「アメリカ軍は日本兵を捕虜にしない」ということへの嘆きである。
この日記にはアメリカ軍の日本兵捕虜に対する目を覆わんばかりの残虐行為が赤裸々に描かれている。
「わが軍の兵士たちは日本兵の捕虜や投降しようとしているものを射殺することを何とも思っていない。
彼らは日本人を動物以下のものとして取り扱い、それらの行為がほとんどみんなから大目に見られている」
ニューギニアでは2000人ほどの日本兵捕虜に機関銃が乱射された。
「ジャップの病院を占領したときには、病院に生存者を一人も残さなかった」。
捕虜として投降してきた者は即座に射殺、そのため日本人同胞は投降もままならず、ジャングルの中で飢えに
苦しみぬいて死んでいった。日本人の死体は切り刻まれた。
金歯を抜き取る者、面白半分に耳や鼻を切り取り、乾燥させて本国に持ち帰る者、大たい骨を持ち帰り、
それでペンホルダーやペーパーナイフを作る者さえいた。
リンドバーグは「わが国民が拷問で敵を殺し、その遺体を爆弾穴に投げ込んで、その上に生ゴミを投げ捨てるほどに
堕落しているとは、吐き気をもよおす」と同胞達の日本兵に対する虐待を嘆いている。
死体損壊が悪いなんて、誰が決めたんだよ?
死体損壊なんてものは日本人だって腐るほどやってるだろ
たとえば頭蓋骨で黄金の杯を作るとか
死体を積み重ねて試し切りするとか晒し首にするとか
戦友の遺体を持って帰れないからと小指を切り落とすのも、立派な死体損壊だ
それは散骨か死体遺棄かってのとよく似た問題だね。
結局節度をもって行われる限りは違法性はないって事になってるけど、それじゃあ何が節度だと言われると100人100様の節度がある。
その行為から死者を悼む気持ちを(裁判官が)感じられるかという極めて曖昧な所になるんじゃないの?
元陸軍大尉、田中徳裕 『我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』
三方から追い込まれた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。
婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。(略)
婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。
ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴……。
米軍は虐待しません、命が大切です。
早く出てきなさい……。
あの投降勧告は一体なんだったのか。
常夏の大空をこがさんばかりに燃え上る焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる>
残虐な行為は凄絶をきわめた。
火から逃がれ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。
かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴(け)り飛ばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ
投げこんでいる。
(略)
無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた
元海上自衛隊海将補平間洋一著『日露戦争が変えた世界史』(芙蓉書房出版)より
グレン・グレーの『戦士たち』には、日本兵を一人放ち、その兵士が身の安全を求めて狂ったように逃げ回るのを
標的として射撃を楽しんだというはなしが紹介されている。
兵士たちは、逃げ回る日本への様子の滑稽さに、あまり笑いすぎて日本兵に的を絞ることができなかった。
しかし、ついに弾が命中すると小隊全体の雰囲気は大いに盛りあがり、数日間はそれを肴にした話題や冗談が
続いたと書かれている。
一九四三年三月にラバウルからニューギニアのラエに向かった日本の輸送船八隻と駆逐艦四隻を撃沈すると、
米豪軍の航空機はいかだや救命ボートに乗っていた3000名近くの遭難者を機銃掃射した。
『タイム』誌(一九四三年三月一五日号)は、「低空飛行の戦闘機が生き残りのジャップでいっぱいの救命ボートを
血の海に変えた。ジャップに浴びせられたこの残忍さは、かつて彼らがしばしば示したものである。
今回の攻撃の結果、岸にたどり着くことができたジャップはほとんどゼロに近かった」と報じた。
また高級紙の『アトランティック・マンスリー』誌(一九四六年二月号)でさえ、「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、
病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を死体と
ともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置物を作るとか、他の骨でペーパーナイフを作るとかした」
との記事を掲載している。
そこには、標的の日本兵がすぐ死ぬことがないように火炎放射器の炎を調節したとも書かれていた。
元海上自衛隊海将補平間洋一著『日露戦争が変えた世界史』(芙蓉書房出版)より
英国人記者のラッセル・スパーは『戦艦大和の運命』で、海面に浮かんでいる大和の乗員を機銃掃射した
米軍機の行為を、「米国人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに気が咎めなかった。
米国の高官連中は公然と日本人を殺すことはシラミを殺すより悪いことではないと明言していた。」と書いている。
新庄哲夫訳『リンドバーグ第二次大戦日記』下巻(新潮社)より
同校の士官は第一波が上陸に成功してから間もなく到着したのだが、海兵隊は日本軍の投稿をめったに
受け付けなかったそうである。激戦であった。わが方も将兵の損害が甚大であった。
敵を悉く殺し、捕虜にしないというのが一般的な空気だった。
捕虜をとった場合でも、一列に並べ、英語を話せる者はいないかと質問する。
英語を話せる者は尋問を受けるために連行され、あとの連中は「ひとりも捕虜にされなかった」という
昭和二十年(1945年)四月七日沖縄への海上特攻に赴いた戦艦大和をはじめ巡洋艦矢矧(やはぎ)など二隻、
駆逐艦三隻が敵(アメリカ)の空襲を受けて沈没しました。
「現場の海面で浮遊物につかまり漂流中の無抵抗な乗組員に対して、空母を飛び立ったアメリカ軍戦闘機の群が
執拗に来襲しては情け容赦もなく機関銃を撃ちまくり殺戮した。」
(矢矧の原艦長の証言)
「この悲惨な状況をあざ笑うかのように、アメリカ軍機は何時間にもわたって、無抵抗の漂流者に執拗な機銃掃射を
加え続けた。」(著書、「伊藤整一」、大和と運命を共にした第二艦隊司令長官)
同様な残虐行為はニューギニア近海でもおこなわれました。昭和18年3月3日に起きたビスマルク海戦(空襲)の
結果、陸軍の兵士を乗せた輸送船八隻と駆逐艦四隻が敵機の攻撃により沈められましたが、沈没した日本の
艦船からボートや筏で逃れ、浮遊物につかまり漂流中の千名の兵士達に対して、アメリカとオーストラリア軍の
飛行機が低空から機銃掃射をおこない、機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に戻り弾を補給し、
映画撮影のカメラマンまで乗せて何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。
(容赦なき戦い、ジョン・ダワー著)
マキン島へ救援に赴いた私(谷浦中尉)は、戦場で妙なことに気が付いた。どういうものか仰向けになった屍体が
十五〜六あり、しかもすべて下腹部を露出している。死後一週間経っていたため原形は完全に崩れていて、
顔の穴という穴はすべて蛆で真っ白である。 どうしてこんな格好をしているのだろう。
被弾して苦痛のあまり無意識にズボンをずり下げたのか?。アメリカ兵といえばキリスト教徒であり、日本人以上に
文明人とみなされ、しかも選りすぐった精兵とこの種の蛮行を結びつけることなど、遺体収容作業に当たった
誰一人として思いつく者はいなかった。
戦後五十年経って意外な事実を知り、愕然とした。それはマキン襲撃の際に行われた海兵隊の蛮行を物語る、
翻訳された出版物を読んだからである。
(マキン、タラワの戦い、独立陸戦隊、中隊長谷浦英夫著)
265 :
名無し三等兵:2013/10/01(火) 22:10:46.22 ID:Xy8gssdS
>>258 黄金のシャレコウベは日本人にとって余りにも異質な出来事だから、
大きな話題になったんだよ。
1927年(昭和二年)にチャールズ・リンドバーグはニューヨークからパリへ、史上初の大西洋横断、単独無着陸飛行に
成功した。彼は1944年(昭和十九年)にニューギニアの米軍基地で陸軍将校として四ヶ月過ごしたが、その体験を
日記に記して後に「第二次大戦日記上巻、下巻」として出版した。
それによると彼は戦場で見たものにショックをうけた。それは兵士が嬉々として敵を殺したからではなく、米兵が
日本兵に対して抱く露骨な人種蔑視の念と、それに基づく残虐行為を目のあたりにしての苦悩であった。
そこでは士官も兵士も日本人に対する人種差別、蔑視から自分達と同じ人間とは考えず、人間以下の単なる
動物としか見ていなかった。
六月二十六日の彼の日記には日本兵捕虜の虐殺、およびパラシュート降下中の日本航空兵の射殺について
述べている。降伏し捕らえられた二千数百人という日本兵捕虜のうち、捕虜収容施設に引き渡されたのは
僅か百人か二百人に過ぎなかった。残りの者たちは殺害されたが、事故に遭ったと報告された。
八月三十日にリンドバーグは、中部太平洋ギルバート諸島にあるタラワ環礁を訪ねた。そこでは日米の激戦が
行われ米軍も甚大な死傷者が出たのだが、日記には、捕虜になった数少ない日本兵を一列に並べ、
尋問に英語で答えられる者だけを残し、あとは全て殺させた海軍士官のことが出てくる。
ある仲間のパイロットから直接聞いた話によれば、後ろ手に縛られた日本人捕虜達を輸送機に乗せて収容施設の
ある地域に輸送する際に、彼等を飛行中に突き落とす行為がおこなわれた。そして報告書には捕虜全員が
自分から飛び降りたと記録された。
昭和十九年(1944年)五月二十四日にブーゲンビル島ラバウル基地にあった第八海軍病院が、米軍機による
攻撃を受けて、患者、看護婦、医師ら千四百名が死傷した。
病院の屋根には国際法の定めに従い、上空からよく見えるように赤十字の標識を大きく塗装していたにもかかわらず、
それを無視して病院の建物に対して爆撃や銃撃を加えるという国際法違反の非人道的攻撃をおこなった。
在日米軍なんて思いやり予算を目的としている
乞食占領軍
日本兵を自分達と同じ人間とは見なさない連合国兵士による、死体や死にかけた日本兵から金歯、耳、骨、頭皮、
頭蓋骨などを収集し、戦果の証とする堕落した行為が広く行われていたことも、米国民の間で戦時中から
よく知られていた。
日本軍との戦いを前にして武勇自慢をし合う若い兵士達の会話を、ジャーナリストのリチャード・トレガキスが
記録している。「ジャップは金歯をたくさん入れているそうだが、それを頂いてネックレスでも作るかな」と一人が言う。
「おれは奴らの耳を持って帰るよ」ともう一人が宣言する。「塩漬けにしてな」。(ガダルカナル日記、1942年)
戦後出版された水兵の日記の1944年(昭和十九年)七月の記述に、すでに十七個の金歯を集めた海兵隊員がいて、
その最後の金歯はサイパンで負傷してまだ手を動かしている日本兵の頬を、ナイフで切り裂きほじくり出して取った
ものだ、と事もなげに述べられている。(容赦なき戦争、ジョン・ダワー著)
太平洋の激戦地ペリリュー島および沖縄で、日本兵の死体から 手を切り取って戦果のトロフィーとする、金歯をあさる、
死体の空いた口を目がけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、「みじめな生活から、解放してやっただけ
だ」 と気にも留めない海兵隊員の様子を目撃した。(E・スレッジ、生物学者、1981年に出版の回想録)
>>268 たかだか数千億円如きで日本の安全が守られるなら安い安い。
アメリカの国防費が幾らか知ってるか?50兆円だぞ。
数千億円で足しになるかよw
アメリカ軍は軍規は必ずしも厳正ではなかったが、他国の軍隊とは異なり
上官と部下の関係はいわばハイスクールの先輩後輩同然のフランクで風通しのいいものであり
まさしく民主主義国家の軍隊の規範ともいうべきものであった。
軍隊内の風通しがよく民主的であれば必然的に「民主主義国家の兵士として絶対にやってはいけない事」
はしっかりと理解し、ヨーロッパ戦線では軍服を着た良心的合衆国市民であるアメリカ兵たちは
ファシストナチスから西欧諸国を次々と解放し、民間人はもとより捕虜に対しても紳士的に接した。
そんなアメリカ兵が、なぜ太平洋戦線では残虐さを平然と剥き出しにすることが出来たのか。
日本人はナチスドイツさえ対等な軍事同盟を結ぶほど優秀な民族であり、それを理解していれば
人種差別主義者の塊であるアメリカ人でも、文明国の軍隊・民間人として扱っていたはずである。
戦後になるが、英連邦に連なる南アフリカ共和国においては日本人はその優秀さと戦時中の果敢な闘いから
その民族的優秀性を高く評価され、白人を上回る「名誉白人」という高い地位を獲得した。
もしアメリカ人が日本人の価値を白人以上の優秀民族である名誉白人として扱っていたなら
真珠湾で不意打ちされた程度のことで日本にケンカを売る愚かなルーズベルトは宣戦布告と同時に
(当時の米刑法の常識である)白人を殺した黒人同様リンチを受けて街路樹にでも逆さ吊りにされていたことだろう。
672 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/10/10(木) 22:06:39.53 ID:???
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|/ \| ゝ:. 、ー― ァ /: :./ ノ:/ | 宣伝して回るのと一緒だ・・・
}ヘ、  ̄ .イイ/ / |
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日本人=白人より優れた名誉白人
アメリカ人=白人のツラ汚しの不名誉黒人
672 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/10/10(木) 22:06:39.53 ID:???
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フィリピンのラグナラ州カランバには日本兵を収容するルソン第一捕虜収容所があったが、ここはフィリピンにおける
最大規模の収容所であった。
米軍の発表によれば収容された捕虜のうち、戦争が既に終了した昭和二十年(1945年)末までに、栄養失調で
死亡した日本兵捕虜は一万二千人にものぼった。
もし日本側の捕虜収容所がこのような米兵の大量死を起こしていたら、原因や経過はどうであれ、B C 級戦犯裁判に
掛けられて多数の責任者、兵隊が絞首刑になったことは間違いない。
しかしここの米軍責任者は誰も罪を問われなかった。
我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実 田中 徳祐著 立風書房
投降呼呼び掛けの放送とはうらはらな、人道上許し難い残虐な行為をしだした。日本軍はバナデル飛行場を
見下ろせる洞窟にいて、その距離1キロ位先で展開された。そこへ、三方から追われた数百の住民が逃げ込み、
捕らわれた。幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ、婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理矢理
トラックに積み込まれた。そして無理矢理積み込まれた順にトラックは走り出した。
婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫していた。
その声がマッピ山にこだまし、次つぎとトラックは走り出し、彼女たちの声は遠ざかっていた。
なんたることをするのだ、小銃だけではどうすることもできず、此方の位置もしれてしまう。この悲劇を
ただ見守るしかなかった。(この婦女子はその後一人として生還しなかつた)
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供老人の悲鳴があがった。ガソリンがまかれ、
火がつけられた。飛び出してくる老人子供達。その悲鳴。「米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい」の
投降勧告の意味は。幼い子供が泣き叫び、絶叫する、
「おい、もう我慢ならん。撃て」
吉田軍曹が一発撃った、何の効果もなく、敵はもはや無関心。
残酷な行為は壮絶をきわめた。火から逃れ出ようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、
又火のなかへ付き返す。死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴り飛したり、銃で突きとばしては火の海へ
投げ込んでいる。
二人の兵隊が滑走路際にいた、泣いている赤ん坊をみつけ、両足をもって、真二つに引き裂いて火の中へ投げ込んだ。
「ギャッ」という悲鳴。人間が蛙のようにまたさきにされ殺されてゆく。
彼らは、その行為を平然としてやり、大声で笑い得意げになっていた。日本軍は手を出せず、ただ合掌し霊を
とむらうほかなかつた。
アメリカ人ジョージ・ファイファーが書いた『天王山』(早川書房)によると沖縄本島の本部半島の運天界隈で
本島上陸の20日後にはもう既に兵士の強姦事件防止のため海兵隊長公認の「売春宿」が設置されていた。
「キャット・ハウス」と呼ばれたその売春宿では13歳くらいの女の子まで三十セントで米兵の相手をさせられていた。
(「天王山」(上)258ページ)
さらに同じくアメリカ人のヘレン・ミアーズが書いた『アメリカの鏡・日本』にも沖縄戦で壕から出てくる住民を米兵が
焼き殺す残酷な記述があり、GHQによりその日本語訳版の出版が禁じられるというおまけまで付いた。
沖縄人が書いた米軍賛美の『鉄の暴風』が米軍の推薦を受け、
その一方アメリカ人が米軍の残虐性を記述した『アメリカの鏡・日本』がGHGの発禁処分になった。
一般的には、日米戦争は、日本の真珠湾攻撃から始まったことになっている。
「日本は、卑怯なだまし討ちをした」みたいな。
しかし、国民党のバックにはアメリカが居て資金援助、武器援助、軍人まで送っていた。
日米戦争は、すでに始まっていた。
国民党に協力していたアメリカの退役軍人は、その後、正規軍に編入され、
退役中の期間も恩給の対象になっている。
これでは、「アメリカ政府の意向で活動していました、退役はインチキです」
と言っているようなもので、アメリカ政府が真珠湾攻撃の前の日本攻撃を認めたことになる。
13歳くらいの女の子って
どこから調達したんだ
現地人か?
>>281 うん、でも尾崎秀美やホワイト財務次官(それぞれ共産主義者)を
使って熱心に日米戦争煽ってたのはソビエトだけどね。
リンドバーグ第二次大戦参戦記
両手を挙げて投降しようとする先頭の日本兵を撃ち殺しさえすればよかった
「ジャップの投降は信用できない。手榴弾を投げつけるからね。即座に撃ち殺してしまう手しかないよ」
わが海兵隊が、ミッドウェーの砂浜に寸鉄を帯びないで泳ぎつこうとする日本軍の生存者を撃ち殺した話。
ホランディア飛行場で、わが軍が日本軍の捕虜に機銃掃射を浴びせた話。
ニューギニアの山越えに南へ飛ぶ輸送機の上から、オーストラリア人が日本軍の捕虜を突き落した話
「オーストラリア軍は捕虜がハラキリを演じたとか”抵抗”したからと報告してるんだ」
『スーベニア用としてこぎれいにするため』日本兵の生首を蟻塚に埋めたという話
『奴らは本当に獣以下だ。どいつもこいつも皆殺しにすべきだ』。
耳にタコができるほど南太平洋のアメリカ軍将校から聞かされた台詞(せりふ)だ!
285 :
名無し三等兵:2013/12/07(土) 19:38:24.29 ID:0EFsQuxL
挙げてたらキリ無いくらい帝国色々やってるよな どこもそうだけど
∋oノノハヽ
川o・∀・) o せっかく来たならカレー食べてくか一言書いてけよ
( づ_,..................,____
_,,...!-‐'''" ̄  ̄~`''ー-.、_
,,r‐'" ,r-ー、..,,,,r''""゙`ヽr-、,、_ ~`ー、
,r''" r'~゙ヾ'" " ヽ,_ ゙ヽ,
,r" ,r"~ `'ヽ,、_ ゙:、
,i" r'" ゙''j ゙:,
,! ,i'" _,,,,,,,,_ _,,,.___,., __,、, "ヽ, l,
| ,r'.;:'"~:::"::::::::::::::~`''''ー―::::'''''"::::::::::::::::~~::::::::゙''"`ー:'''':、 |
i, ,r'::r:::::ヾ;::::::::::ヾ;;;;;ソ::、::ソ:::::(;;;;シ:::ヾ::::::,r':,r、:::::::::::::::::::::::::::゙i ,!
゙i !;:::::ヽ'''::::::::::::::::::::::::::::::::::::::シ:ヾシ:::::::::::::::〉::::::::'''''シ:::::::::::::::::ノ ,:'
゙i、 ゙i、:::::::::〈:::::::::ヾ:::::::::::::::::::::::`ー''"::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::,r" ,r'
゙ヽ、゙ヾ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ーミ;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::,,r'" ,r'
゙ヽ、~゙ヾ;:::::::::::::::::::::く:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::,,,r''",,r''"
`ー-ニ_ー--、::::::::::::::::::::::::::::::::::::_,,,,,,r‐'二.:r''"
~゙`''''ー---゙二二二~--―''''"
(⌒⌒⌒)
|_i_i_| お好みのカレーオーダーしてってお!
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/ o⊂| ̄ ̄ ̄|⊃
しー-J |___|
★★★騙された人専用テンプラ★★★
【From】
【2ch歴】
【釣られた回数】
【釣られた時の餌】
【好きなカレー】
【ぜひ一言】
★★★★★★★★★★★★★★★★★
大東亜戦争沖縄戦では住民が戦火に晒され、集団自決するなどの惨事がおきました。「米軍に投降すれば助かった」
「鬼畜米英などのスローガンはウソだった」などという声を聞いたことがありますが、よく戦闘終了後に米軍と沖縄の
子供が映った写真など見ますね。米軍は親切だったのでしょうか。
投降した人は戦闘員と非戦闘員にわけられ、それぞれの捕虜収容所に送られました。収容所は一定地域に
有刺鉄線を張っただけで、テントやバラックを建て、砂の地面に寝る生活でした。そこでは伝染病が蔓延し、
昭和21年(1946年)にはマラリア患者が17万人にものぼり、死者は毎年1,000人を超え、本島北部の住民は
戦死者よりもマラリアによる死者のほうが多いくらいでした。
食事も軍用携帯食糧で、収容所によっては食糧飢饉になって草の根やネズミまで食べつくし、栄養失調で
次々死んでいった収容所もあります。
収容所間の通行は制限され、夜間は外出禁止。外に出て射殺されたり、女性が強姦される事件が頻発しました。
収容所から開放され、自宅に復帰すると、米兵は女狩りを始めます。本島中部の農道を若い娘二人を伴った
母子が歩行中、米軍車両が近づき、黒人兵3名が車から降りて娘二人を拉致しようとし、母親が必死に抵抗するも
歯が立たず、騒ぎを聞きつけた村の男性数人がこん棒を持って阻止しようとしたところ、もう一人の黒人兵が拳銃を
地元男性に照準して威嚇し、娘を連れ去ってしまいました。
妻に暴行しようとした米兵に立ち向かった50代の男性が射殺されたり、17,18歳の女性3人が拉致され、
山の中に連れて行かれ、後に泣きながら帰ってきたり、野戦病院に入院していた少女を父親の目の前で強姦されたり、
こういう話は山ほどあります。
強姦された後、生きて帰ればまだいいほうで、死体となって発見された例も少なくありません。
沖縄 米兵とみられる男が住居侵入
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121228/k10014499041000.html アメリカ軍兵士に対する夜間の外出禁止の措置が続くなか、28日朝、那覇市でアメリカ軍の兵士とみられる男がビルの
4階にある住宅のベランダに侵入したとして逮捕されました。
28日午前4時半ごろ、那覇市久茂地の4階建てのビルの最上階にある部屋の住民から、「外国人のような男が、部屋の
ベランダにいる」と警察に通報がありました。
男は現場から逃走しましたが、駆けつけた警察官が近くで特徴が似た男を見つけ、話を聞いたところ、ベランダに侵入した
ことを認めたため、午前7時すぎに逮捕しました。
男はアメリカ海兵隊員の証明書を持っていたということで、警察はアメリカ軍の兵士とみて、確認を急ぐとともに当時の状況などを
捜査しています。男の息からはアルコールが検出されているということで、警察は事件前の足取りについても調べています。
現場の近くに住む60代の男性は「一人で暮らしているので、こういう事件の話を聞くたびに怖い気持ちになります」と話していました。
また、60代の女性は「日米同盟は大事だと思いますが、ことばも通じないアメリカ兵による事件が繰り返されるのは怖いです。
特にこの辺りは小さな子どもも多く住んでいるので、こういうことはなくなってほしいです」と話していました。
アメリカ軍は、沖縄県内で兵士2人が女性に乱暴したなどとして逮捕・起訴された事件を受けて、ことし10月、国内のすべての
兵士に対し、夜11時から翌朝5時までの外出禁止を指示しています。
外務省が米大使館に抗議
外務省の伊原北米局長は、東京のアメリカ大使館のトング公使に対し、「アメリカ軍の海兵隊員が住居侵入の疑いで逮捕され
たのが事実であれば、誠に遺憾だ。再発防止を徹底してほしい」と電話で抗議しました。
これに対し、トング公使は「深刻に受け止めており、捜査には全面的に協力したい。引き続き再発防止に努めたい」と応じたということです。
いずれ
>>288-289みたいなのが
所属している左翼団体も秘密保護法&共謀罪で引っ張られる日がくるのかねぇ。
1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。 中村病院は三白のトラックに分乗した米兵によって、
およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。
婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが
凌辱された
「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」
「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」
「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」
そして、「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」
反米左翼はどんな気持ちでコピペしてるんだろうな。
<米軍ヘリ不時着>漁業の街にごう音、憤る住民
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131216-00000105-mai-soci 休日は観光客でにぎわう三浦半島先端の漁業の街に突然、ごう音が響いた。
神奈川県三浦市三崎の埋め立て地で16日、米海軍のヘリが不時着した。
現場近くには住宅のほか、魚市場や漁協の関連施設、水産会社などが点在する。
住民は恐怖の瞬間を語った。
近くで働いていた男性(42)は「『ドスン』『バリバリ』と音がして行ってみると、ヘリが落ちていて、
機体の後ろから少し火が出て、ガスのようなにおいがした」と驚いていた。
現場から約50メートルの水産物冷蔵会社に勤める女性は「音がして、急いで会社を飛び出したら周囲の人が『救急車』と叫んでいた。
町の人にけががなくてよかった」。
三浦市三崎2の杉村甫(はじめ)さん(31)は「(現場対岸の)鉄工所で働いていたら、真上を『これでもか』
というくらい低くヘリが飛んでいた。まさか不時着するとは」と話した。
>>294 これが米軍基地に嫌がらせしてる脱糞左翼ですよ。
鬼の首をとったかのようにw
>>296 ずれた左翼だな。ずれた反米コピペや反米記事に対して何を泣くというのか。
米兵の犯罪は大半が不起訴になっているという、おどろくべき実態がある。
〇七年一〇月には、やはり米海兵隊岩国基地所属の海兵隊員四人が広島市内で若い女性をら致し、
強姦事件をひきおこして逮捕されている。この事件では、日本の警察は対米屈従の態度をとり、広島県警は
身柄を拘束しないまま集団強姦、強盗などの容疑で広島地検に書類送検し、広島地検は不起訴処分にしている。
〇六年一月に、北谷町にあるキャンプ瑞慶覧内で日本人タクシー運転手が強盗にあう事件がおきた。
米兵三人がタクシー強盗をたくらみ、タクシーを基地内によびだしてナイフを突きつけて約五〇〇〇円と
五jをうばった。この事件では二〇代の二人の上等兵が犯人としてつかまり、懲役三年と同二年六カ月の
判決をうけたが、顔をかくすためにフード付きの上着やナイフをあたえたいま一人の共犯の米兵は、
名前も階級もわからないまま「すでに除隊し、本国に帰国している」として裁判にもかけられていない。
日本側は二人の被告の身柄引き渡しをもとめたが、米軍側は「日米地位協定」の「基地内に身柄がある場合は
公訴されるまで拘束できない」を盾に引き渡しを拒否した。
アメリカ側がみとめないかぎり犯罪米兵の身柄は拘束できないのである。まさに、日本の国家権力のうえにアメリカ帝国主義がたっているということである。
屈辱的な「日米地位協定」で、米兵が「公務中」である場合は米兵の犯罪があきらかでも日本は逮捕権も裁判権も
第一義的に行使できないというように、主権をうばわれている。
「公務中」でなくても、犯罪米兵が米軍基地ににげこめば日本側は手をだせない。
そればかりではない。「地位協定」で日本側に第一次裁判権がみとめられている場合でも、日本側はその権利の
行使を放棄している。日本政府は、一九五三年に「重要な案件以外日本側は裁判権を放棄する」という密約を
アメリカ側とむすんでいたことがあきらかになっている。
>>295 事実を事実のまま報道すると左翼認定か、
いくらネットで吠えてもグリーンカードは貰えないぞw
>>299 やっぱりずれてんな。だから左翼なんぞになるんだろうが。
親も泣いてるぞw
悲惨な沖縄戦を経て、敗戦後10年を経過した1955(昭和30)年9月3日、沖縄本島中部にある旧石川市
(同市はもともと2000人ほどの静かな農村であったが、敗戦後は収容所ができ、3万人以上にもなっていた。
2005年4月1日、2市2町が合併して「うるま市」【地図】になった)、市内の幼稚園に通っていた6歳の
永山由美子ちゃんが、その日の夕方1人で映画を観に行ったまま、行方不明となった。
沖縄の夏は午後8時まで明るく、当時の沖縄の住宅は台所を別にすると、1間か2間しかなく、それゆえ、
日が暮れるまで子どもたちは表で遊んでいることが多かった。
由美子ちゃんは、翌日死体で発見された。犯人は、由美子ちゃんを車で拉致して、嘉手納基地に連れ込み、
軍の施設内で何度も何度もレイプし、最後には殺し、その遺体を嘉手納の米軍部隊のゴミ捨て場に捨てたのである。
由美子ちゃんは、唇をかみしめて、右手に数本の雑草を握りしめているように死んでいた。
1955年9月4日付『沖縄タイムス』夕刊は以下のように報じた。
「嘉手納海岸近くの部隊塵捨て場に身元不明の少女が暴行を受け、殺されているのが発見された。
4日朝、嘉手納村旧兼久部落俗称カラシ浜の部隊塵捨場近くの原野で、8才から10才位と思われる少女死体が、
あお向けになったまま捨てられてあるのを警ら中の米兵2名が発見、MP隊(military police=米軍憲兵隊)を
通じ嘉手納派 出所へ届出た。
少女は暴行を受けた形跡がありシミーズは左腕のところまで垂れ下がり、口をかみしめたまま死んでいた」。
いわゆる「由美子ちゃん事件」である。由美子ちゃんの死体は、まるで鋭利な刃物で下腹部から肛門にかけて
切り裂かれたようだった。
犯人は、事件から1週間後に逮捕された。
米軍情報部は1955年9月9日夜、米国民政府新聞課を通じて公式発表を行い、9月10日付『沖縄タイムス』は
以下のように報じた。
「殺人、強かんおよび少女誘拐の3つの罪名で第32高射砲隊B中隊アイザツク・J・ハート軍曹に対する起訴状が
提出された。
>>299 やっぱり(ズラが)ずれてんな。だからハゲなんぞになるんだろうが。
先祖も泣いてるぞw
あ、元からハゲかw
ごめんな。ハゲw
何いってんだ?
左翼=醜いハゲ
恰幅の良いおっさんのハゲは格好いいけど
左翼はヒョロヒョロガリのハゲで醜い
驚くなかれ、由美子ちゃん事件の起きた1週間後に再び、9才の女の子が米兵によってレイプされた。
すなわち、同年9月10日夜12時頃、具志川村明道5班の農家宅(46才)の戸口をこわして開けようとする物音に、
夫妻が気づき、夫が戸を開けると米兵がクツのまま座敷に上がり込み、女を出せと脅迫、いないと答えたが
しつこく迫るので驚いた夫は11歳の長女を裏口から逃し、小学2年生の9歳の次女と6歳の長男、4歳の次男の
3人を6畳間に寝かせたまま隣人の応援を得るため出たすきに、次女が拉致されていた。
夫婦は隣人と付近を探していたところ、約20分後次女が下腹部に血流しながら泣いて帰って来たのである。
なるほど、珍米ポチ君は他人からハゲと言われるのが一番傷つくとw
>>307 冗談抜きで日本語わかってる?
左翼は論理性もないから困るわ。
昭和25年7月11日深夜、国鉄・小倉駅から南へ4キロメートルにある米軍・城野(じょうの)
補給基地から完全武装した黒人米兵が4〜5人ずつに分かれて基地の金網を
乗り越えて200〜250人が集団脱走した。
この黒人米兵は前日の10日、岐阜から移送されてきたばかりで近日中に
朝鮮戦争(前月の6月25日に北朝鮮軍が38度線を越境し韓国側に進撃した)の
最前線に送られることになっていたため黒人米兵は極度の緊張と不安、恐怖の中にあった。
折りしも、小倉市では「祇園祭り(7月12日〜13日)」の準備で街の中心から祇園太鼓の
《ドンドコドンドコ》という太鼓の音が基地にまで聞こえてきた。
このリズムが黒人米兵達に刺激を与えたのだろうか?
基地から脱走し逮捕されれば軍法会議で極刑もあることを知りつつ集団脱走を敢行した。
−小倉市民は恐怖のどん底に−
集団脱走した黒人米兵は太鼓の音がする街中とは反対の方向へ逃走した。
完全武装した黒人米兵は土足で民家になだれ込み略奪、傷害、夫・子供の前で
婦女暴行の限りをつくした。
一方、米軍基地では集団脱走が発覚するとMP(米軍警察)が現場に急行し翌12日の
夕方までに全員を逮捕し基地へ連行した。
この黒人米兵は14日に朝鮮の前線に移送され、その殆どが戦死したという。
これだけの大事件でありながら警察への届は僅かに70件で、新聞などのマスコミも
記事としては大きく扱わなかった。当時のGHQが報道管制をしたことは想像がつく。
1995年9月4日午後8時ごろ、沖縄のキャンプ・ハンセンに駐留する20歳から22歳までの
アメリカ海兵隊員3名(黒人)が基地内で借りたレンタカーで、沖縄本島北部の商店街で
買い物をしていた12歳の女子小学生を拉致した。
小学生は粘着テープで顔を覆われ、手足を縛られた上で車に押し込まれた。
その後近くの海岸に連れて行かれた小学生は強姦され、負傷した。
また、被告人となった海兵隊員の家族は『人種差別によるでっち上げだ」と主張し来日した。
来日後も「沖縄だと陪審員に良く思われないから裁判が我々に不利になる。
だから裁判の場を九州に移せ』などと被告人の妻らが騒ぐ様子がメディアに流された。
脱糞サヨクが「泣くんじゃねぇニダ」とか訳の分からん事をほざくスレw
米軍属の犯罪、裁かれず 06年から裁判権に空白
日本国内に駐留する米軍に勤務している民間米国人(軍属)が公務中に犯罪をした場合、事実上、日本でも
米国でも裁判を受けない「空白」状態に陥っていることが分かった。
明確なルールがないまま、日本で裁判をする運用が続いていたが、2006年から米国の姿勢が変わったという。
沖縄県で交通死亡事故を起こした米軍属の男性(24)を那覇地検が不起訴にした事件で、那覇検察審査会が
5月に「起訴相当」の議決を出したことで問題が表面化。日米の関係当局は今後のルールをつくるため、
協議を進めている。
日米地位協定は公務中の軍人、軍属の犯罪について「米軍が第1次裁判権を持つ」と規定。
軍人に対しては軍の裁判にあたる軍法会議で処分を決めている。
しかし、1960年に米連邦最高裁で「軍属を平時に軍法会議にかけることは憲法違反だ」とする判決があり、
関係者によると、日米両政府は60年代以降、この判決を尊重。地位協定の規定は変えないまま、
米軍が軍属に公務証明書を発行しないことによって、日本に裁判権を事実上委ねる運用を続けてきたという。
ところが、米軍は06年から、公務中の軍属の犯罪について証明書の発行を再開。日本の検察当局も
「裁判権がない」として、公務中の軍属の犯罪については不起訴にしている。法務省によると、08〜10年の
3年間に米軍属52人が公務中を理由に不起訴となったという。
>>307 おーおー左翼は日本語も分からないと来たか
やっぱり左翼のハゲでろくな奴は居ないな。
レーニン、フルシチョフ、ゴルバチョフ(ロシア人にとって)etc
韓国軍の弾薬提供について
358 :名無しさん@13周年:2013/12/24(火) 13:34:19.78 ID:AwtenQ2c0
この話は当然、韓国側から申し入れがあったんだが、
そのときに
「この話は公表しないでもらいたい」
と韓国側が言ったそうだ。
しかし、安倍内閣は、その言葉に胡散臭さを感じて公表した。
ココから先はオレの推測なんだけど、
この話は、
韓国政府と朝日新聞などが
グルになって仕掛けた罠
じゃないだろうかと思う。
つまり「秘密防止法」成立してしまったので、
なんとかこれを廃止にしたい
マスゴミはチョンと打ち合わせて
銃弾の融通を日本政府に頼んで、しかもこれを
「秘密扱い」にすることを頼んだ。
そして、もし安倍内閣が
この件を秘密のままにしていたら、
数週間経った時点で
意図的にこの件をリークして、
朝日新聞が
「日本政府は『武器輸出三原則』に違反する行為を
秘密にして実行した」
と騒ぎ立てるつもりだったんじゃないだろうか。
そうすれば、
「やっぱり『秘密防止法』は危険だ」
というイメージを拡散できる。
朝鮮人や朝日新聞だったらこのくらいはやりかねない。
米軍機母子殺傷事件
当時茨城県にあったアメリカ軍水戸補助飛行場から離陸したL-22連絡機が上昇せず、滑走路東端から500m
はなれた道路を自転車で走行していた親子に機体が接触し、母親(当時63歳)は胴体を切断され即死、
息子(当時24歳)も腹部に重傷を負った。
この異常な離陸についてアメリカ軍側は異常高温による熱気流が原因の不可抗力による事故であるとした。
しかし、地元ではアメリカ軍のパイロットがわざと低空飛行を行い通行人を驚かしていたことが度々あったと主張し、
今回の事件は同様なイタズラをしようとして不幸な結果を招いたとしていた。
このアメリカ軍の見解に対し、地元の那珂湊市(現在のひたちなか市)の市議会は操縦していた米軍中尉(当時27歳)
の悪戯によるものと断定した抗議文を提出し、茨城県も連絡機が所属していたジョンソン基地(現在の
航空自衛隊入間基地)の司令官に対し正確に調査するようにとの要望書が出された。
また茨城県警も同中尉を業務上過失致死及び同傷害で水戸地検に書類送検し任意出頭を中尉に求める事態に
なった。
しかし、この事件は8月21日に中尉がアメリカ軍の公務中に起きたものであるとして、日米地位協定により
日本側の第一次裁判権が放棄され捜査も終了した。
>>315 早くこういう奴レッドパージでいなくなんねぇかな。
1958年(昭和33年)9月7日、埼玉県狭山市の米軍ジョンソン基地の米兵のピーター・E・ロングブリー3等航空兵
(当時19歳)が西武線の電車に向かってカービン銃を発砲、乗客で武蔵野音大生の宮村祥之(21歳)が死亡した。
発砲の動機について「カラ射ちの練習をしたところ実弾が入っているのを忘れて射った」と述べた。
埼玉県警と狭山署はロングブリーを重過失致死罪で浦和地検(現・さいたま地検)に書類送検した。
浦和地裁(現・さいたま地裁)は禁固10ヶ月の判決を下した。
終戦から12年が経った昭和32年1月30日、日本はまだ米国の占領下にあることを実感させる事件が発生した。
この日、群馬県相馬が原の米軍演習地で地元の主婦・坂井なかさんが、砲弾の薬きょう拾いをしていた。
当時、この薬きょうは、お土産として売れるため近所の主婦がよく拾いに来ていた。
そこに米軍兵士が「ママさん、ママさん」と声をかけた。坂井さんが米兵に近づくと、小銃が火を吹き彼女は
射殺された。調査の結果、この米兵はジラード特務二等兵であることが判明した。
−厚い壁−
事件は、日米間の政治問題となる。すでに日米講和条約が締結され独立国家として、日本は捜査調査権と
犯人引渡し要求をしたが、米国は身柄引渡しを拒否するなどさまざまな妨害をした。
結局、同年11月、日本側の裁判権が認められ、ジラードに傷害致死罪で懲役3年、執行猶予4年の判決が下った。
だが、この事件は傷害致死ではなく殺人罪であって、判決が軽すぎるという世論の声が大きかった。
なお、ジラードへの処罰を最大限軽く(殺人罪でなく傷害致死罪で処断)することを条件に、身柄を日本へ
移すという内容の密約が日米間で結ばれていたことが、1991年に米国政府の秘密文書公開で判明した。
日本の外務省が1994年11月20日に行なった「戦後対米外交文書公開」でも明らかとなっている。
支那人から日当貰って米軍基地のフェンスにウンコ垂れる仕事の人が必死でコピペするスレw
岩国基地周辺では1955年から84年までの30年間に米兵がらみの殺人事件が11件。そのうち8件は「基地村の女性」
が殺害された事件だ。下腹部にドライバーやハンマーを刺された死体で見つかった女性もいれば、乳房と性器を
切除された死体が遺棄されていた女性もいた。
朝鮮戦争後の基地拡張で岩国基地に隣接した地区を中心に歓楽街が拡大し、米兵の相手をする女性は1955年頃に
2500人。米海兵隊岩国航空隊基地は62年に正式に発足、ベトナム戦争が始まると米海兵隊で海外唯一の
実践航空機部隊拠点としてフル稼働し、女性に対する性的搾取と性暴力が常態化していた。
ベトナム戦後、米兵犯罪はむしろ凶悪化し、相次いで女性が殺人、傷害、強姦の被害者となった。
だが、そんな事実は地元以外ではほとんど知られていない。殺人事件が起こったり強姦事件の告訴が
行われたときにも、新聞報道は地元でしか行われず、全国的には伝えられてこなかった。
米兵の犯罪は大半が不起訴になっているという、おどろくべき実態がある。
〇七年一〇月には、やはり米海兵隊岩国基地所属の海兵隊員四人が広島市内で若い女性をら致し、
強姦事件をひきおこして逮捕されている。この事件では、日本の警察は対米屈従の態度をとり、広島県警は
身柄を拘束しないまま集団強姦、強盗などの容疑で広島地検に書類送検し、広島地検は不起訴処分にしている。
〇六年一月に、北谷町にあるキャンプ瑞慶覧内で日本人タクシー運転手が強盗にあう事件がおきた。
米兵三人がタクシー強盗をたくらみ、タクシーを基地内によびだしてナイフを突きつけて約五〇〇〇円と
五jをうばった。この事件では二〇代の二人の上等兵が犯人としてつかまり、懲役三年と同二年六カ月の
判決をうけたが、顔をかくすためにフード付きの上着やナイフをあたえたいま一人の共犯の米兵は、
名前も階級もわからないまま「すでに除隊し、本国に帰国している」として裁判にもかけられていない。
日本側は二人の被告の身柄引き渡しをもとめたが、米軍側は「日米地位協定」の「基地内に身柄がある場合は
公訴されるまで拘束できない」を盾に引き渡しを拒否した。
アメリカ側がみとめないかぎり犯罪米兵の身柄は拘束できないのである。まさに、日本の国家権力のうえにアメリカ帝国主義がたっているということである。
屈辱的な「日米地位協定」で、米兵が「公務中」である場合は米兵の犯罪があきらかでも日本は逮捕権も裁判権も
第一義的に行使できないというように、主権をうばわれている。
「公務中」でなくても、犯罪米兵が米軍基地ににげこめば日本側は手をだせない。
そればかりではない。「地位協定」で日本側に第一次裁判権がみとめられている場合でも、日本側はその権利の
行使を放棄している。日本政府は、一九五三年に「重要な案件以外日本側は裁判権を放棄する」という密約を
アメリカ側とむすんでいたことがあきらかになっている。
米軍厚木基地周辺で日本人女性が米軍兵士にレイプされるという事件が発生したが、日本政府はオスプレイ配備へ
の悪影響を恐れ、米兵への逮捕状請求を意図的に遅らせていることが週刊文春の取材で明らかになった。
レイプ事件が起きたのは7月21日(土曜)の未明ことである。神奈川県内のショットバーで厚木航空基地所属の
2等兵曹A(23)が泥酔し、居合わせた米軍将校に暴言を吐いたことでトラブルが発生した。将校はAを店の外に
連れ出し、「これ以上飲むな」と厳しく叱責。Aは常連客で家も近いため、店にいた寺坂恭子さん(仮名・30代前半)が
Aの自宅まで送り届けることになった。以下は寺坂さんの証言である。
「Aの自宅まで送って行く途中、人気のないマンションとマンションの間の通路に差しかかったところで、いきなり拳で
私のお腹を殴りました。『痛い、やめてよ』と抵抗しても『俺はやりたいんだ。黙ってやらせろ。従わなければ殺す』と、
私の髪を思い切り引っ張って、俵抱えにされて自宅に連れ込まれました。『これはちょっとでも抵抗したら本当に
殺されるな』と諦めるしかありませんでした」
寺坂さんはAが眠った隙に裸足で逃げ出し、相談した知人の勧めで在日米軍憲兵隊に通報。憲兵隊から
全米犯罪情報センターを通じて神奈川県警大和署に連絡が入り、同署はAの自宅などを家宅捜索した。
「事案の凶悪性からも、強姦容疑ですぐにAを逮捕して取り調べをするものと現場の捜査員も思っていた。
ところが署の幹部が逮捕状を請求しようとしたところ、司法当局から待ったがかかった。『オスプレイ配備の問題も
あるため、米軍関連で波風が立つのは好ましくない』というのがその理由。
被害女性にそんな言い訳が通用すると思っているのか。現場の怒りは相当なものですよ」
(神奈川県警関係者)
神奈川県・横須賀基地所属の米兵に睡眠薬を飲まされ暴行されたジェーンさん(オーストラリア)。
2002年、ジェーンさんは加害者の米兵に民事訴訟を起こし、東京地裁は加害米兵に300万円の賠償を命じた。
しかし、実際に支払ったのは、なんと日本の防衛省だった。
その米兵は裁判中にアメリカに帰国した。
1945年
3.26 沖縄戦で米軍が初めて座間味村に上陸。数カ月後、米兵による強姦事件が発生。
拉致してボートで連れ出し、裏海岸で強姦した後、放置。
8.20 祖母と食料探しのため海岸に出た32歳の女性、米兵につかまり強姦される。
翌年4月、混血の男児を出産。(玉城村)
8.21 友人2人と、子どもをおぶって薪取りに出かけた31歳の女性、米兵3人に拉致され消息を絶つ。(座間味村)
9.8 子どもをおぶってヨモギを摘んでいた39歳の女性、4人乗りの米兵のジープに拉致され、カーブで道ばたに放り出される。
背中の子どもは死亡。(羽地市)
9.24 男性2人と石川の収容所に親戚を訪ねていく途中の19歳の女性、子どもをおぶったまま3人の米兵に
拉致される。男性2人は米兵に銃を向けたれ、抵抗不可能。母子は2年後に白骨死体で見つかった。(石川市)
10.24 46歳の女性、道路で米兵2人に襲われそうになり、がけ下に飛び降りて大腿骨折。その後、追ってきた2人に
強姦される。(本部町)
10.25 家具を失って岩の下で居住していた35歳の女性、夜トイレからの帰りに米兵2人に強姦される。
翌年8月、男児を出産。(知念村)
328 :
名無し三等兵:2014/01/03(金) 15:04:59.67 ID:g1pciEDB
>>328 うんうん。
で?
そもそもその「被害」って実在するの?
従軍慰安婦がねつ造だらけなんだから、
米軍ガーとかいってる連中もうさんくさいんだがね。
1946年
1.21 草刈り作業中の23歳の女性、米兵に森の中に連れ込まれ、ナイフでほおを切られたあと強姦される。
その後、妊娠、出産する。(兼城村)
1. 草刈り作業をしていた19歳の女性、米兵にすすき林の中に連れ込まれ、強姦される。混血の女児を出産。(糸満町)
3.10 農作業中の30歳の女性、米兵3人に拉致、強姦される。12月に男児を出産。彼女の姉も、前年、出産直後、
寝ていたところを米兵に拉致されそうになったが、住民の騒ぎで未遂に終わった。(具志川村)
7.26 川に洗濯に出かけた34歳の女性、行方不明になる。8月1日に死体で発見されるが、口にぼろ切れが詰め込まれていた
ことと、住民の立入禁止地区で発見されたことから、米兵による強姦、殺害と推定された。(北谷村)
8.30 芋の積み込み作業をしていた24歳の女性、米兵に捕まって強姦されそうになったところを抵抗。
ナイフで切りつけられ重傷を負う。数人の男性の騒ぎで米兵は逃げてしまう。(具志川村)
10. 農作業中の39歳の女性、米兵3人に山中に連れ込まれて強姦される。(具志川村)
1947年
3. 大勢の人たちと農作業をしていた女性、逃げ遅れて3人の米兵に拉致、強姦される。
後に赤毛の男児を出産。(具志川村)
5.8 34歳の女性給仕、所用で出かけて戻る途中、米兵に拉致され、浜辺で強姦される。
農作業中の人たちに助けを求めたが助けられなかった。(大宜味村)
8.20 外出から帰ってきた24歳の女性、屋敷に潜んでいたフィリピン兵に強姦されそうになり、
抵抗したところをナイフで刺殺される。(コザ市)
9.9 28歳の女性、自宅にピストルを持った米兵が侵入したため、一旦逃げるが、生後6カ月の子どものことが
気になり、戻ってきたところを畑に引きずり込まれて強姦され、ピストルで殴打されて死亡。(コザ市)
10. 畑を開墾中の42歳の女性、フィリピン兵らに強姦される。(具志川村)
>>329 被害が実在してるならもっとドヤ顔で騒いでるだろ。
333 :
名無し三等兵:2014/01/05(日) 14:13:42.16 ID:Z4I6sS2R
1948年
7月 中部農林高校の寄宿舎が台風で破壊されたため、民家に下宿していた女子高生、家主の知り合いの米兵に
強姦される。助けようとした家主はナイフで切りつけられる。(具志川村)
8月 フィリピン兵の集団に女性が拉致される。救出に行った地元の男性2人のうち、一人は殺され、
一人は負傷
9月 生後9カ月の赤ちゃんが米兵によって強姦される。
~~~~~~~~~~
1949年12月 米軍部隊のメイドとして、働いていた17歳の女性、兵隊宿舎の中で米兵に強姦される。
翌年、混血の女児を出産。(具志川村)
1950年2月 夜11時頃、那覇市内で芝居見物帰りの2人の女性が米兵にカービン銃で脅迫されて連れ去られ、
一人の女性は6人の米兵に、またもう一人は8人の米兵に強姦される。
1952年3月 那覇市内の民家に米兵がCIDと偽って入り込み、21歳の女性を強姦。さらに1時間後に引き返してきて
逃げ回る女性を殴りつけ、再び強姦する。米兵はエンジニア部隊所属。
ウイキからも「事実無根」として削除された朝鮮進駐軍をいまだに信奉しているネトウヨがいるんだなw
>>336 Wikiはアカ多いよね。だからじゃねーの?としか思えんな。
1950年2月17日 夜11時頃、那覇市内で芝居見物帰りの2人の女性が米兵にカービン銃で脅迫されて連れ去られ、
一人の女性は6人の米兵に、またもう一人は8人の米兵に強姦される。
1950年7月5日 民家にフィリピン兵が侵入してピストルを乱射。主婦が捕まって強姦される。(具志川村)
1952年3月25日 那覇市内の民家に米兵がCIDと偽って入り込み、21歳の女性を強姦。さらに1時間後に引き返して
きて逃げ回る女性を殴りつけ、再び強姦する。米兵はエンジニア部隊所属。
1955年9月3日 永山由美子ちゃん(6歳)が、嘉手納高射砲隊所属の米兵に拉致され、強姦された上、惨殺される。
(石川市)
1955年9月9日 9歳の少女が就寝中に海兵隊所属の一等兵に強姦拉致され、重傷を負う。(具志川村)
1956年9月23日 特飲街でホステスが海兵隊伍長に惨殺される。
1959年3月17日 20歳のハウスメイドが那覇航空隊近くで一等兵に強姦される。
1959年10月28日 22歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。死体は全裸で発見される。(コザ市)
1961年7月11日 47歳のホステスが部隊を脱走した19歳の海兵隊員によって殺される。
1963年7月3日 22歳のホステスが那覇航空隊所属の上等兵に惨殺される。ふられた腹いせによるもの。
1963年10月1日 20歳のホステス、キャンプ・シュワーブ所属の米兵2人に野原に引き出されて強姦される。
犯人はMPに現行犯逮捕される。(久志村)
1965年1月24日 28歳の女性のホステス、自宅で殺害される。米兵が容疑者として、取り調べを受ける。(金武村)
1966年7月21日 勤め先から帰宅途中の31歳のホステス、米兵に強姦、殺害され、全裸死体となって下水溝で
発見される。(金武村)
1967年1月24日 32歳のホステスが18歳の海兵隊員によって絞殺、全裸で発見される。(金武村)
1967年4月2日 34歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。(コザ市)
1967年11月20日 20歳のホステス、自宅で就寝中に米兵にハンマーで頭を殴られ死亡。(金武町)
1968年5月19日 52歳の主婦、自宅前の路上でミサイル基地所属の上等兵に強姦、殺害される。(読谷村)
1868年6月20日 23歳のホステス、海兵隊MPに強姦される。その後短銃で殴りつけられたため、重体。宜野座村)
1969年2月22日 21歳のホステス、砲兵連隊所属の二等兵に絞殺、全裸死体で見つかる。(コザ市)
1969年3月3日 20歳のホステスが死体で発見される。司法解剖の結果から米兵の犯行と断定。(那覇市)
1969年11月21日 アルバイト帰りの25歳の女性を路上で上等兵が強姦。抵抗するたびにナイフで切りつける。(那覇市)
川崎の在日の事件にはなんにも想いを致さないのかね?
1970年5月28日 出勤途中の21歳の軍雇用女性、米兵に襲われる。(浦添村)
1970年5月30日 下校途中の女子高生が軍曹に襲われ、腹部、頭などめった刺しにされる。
強姦が目的だったようだが、騒がれて未遂。教職員会、女性団体、高校生らの抗議で逮捕。(具志川市)
1970年 朝7時半頃、高校3年の女性とが登校中に、突然体が宙に浮き、上半身裸の3人の米兵に
腕を捕まれたままジープで数秒間引きずられた。(宮古)
1970年 バーを経営していた女性が、カウンター内に入り込んで来た米兵に強姦される。
その際、足と首に大けがをし、働けなくなる。
1971年4月23日 22歳の女性ホステスの全裸死体が墓地で見つかる。目撃者の証言で海兵隊所属の
伍長が逮捕される。(宜野湾市)
1971年5月1日 41歳の女性が海兵隊二等兵にドライバーで刺殺される。指紋体液の血液型などの
証拠で逮捕。(金武村)
1971年5月21日 女子中学生が米兵に強姦される。(コザ市)
1971年5月23日 出勤途中のホステスが米兵に空き家に連れ込まれ、強姦される。(コザ市)
1971年7月10日 自宅前で遊んでいた12歳の精薄児を3人の米兵が輪姦。(宜野湾市)
1972年4月10日 25歳のホステスを陸軍軍曹が殺害。排水溝に投げ捨てる。(泡瀬ゴルフ場横)
1972年8月4日 37歳のホステスが二等兵によって強姦、絞殺される。(宜野湾市)
1972年12月1日 22歳のサウナ嬢を海兵隊二等兵が強姦、シミーズのひもで絞殺。(コザ市)
1973年3月18日 42歳のホステスが全裸絞殺死体で発見。第二兵たん所属の兵隊の血液型、指紋が現場のものと
一致したが、物的証拠がなく、逮捕不可能。地元警察の米軍側への申し入れにも関わらず
容疑者は二ヶ月後に除隊し、本国に帰る。(コザ市)
1974年5月8日 叔父と共に農道を歩いていた17歳の少女が、米少年兵3人に全裸にされたうえ輪姦される。
叔父が殴られて気絶していたときの犯行で、叔父の訴えにより、犯人が判明。(金武村)
1975年4月19日 海水浴に来ていた二人の女子中学生をキャンプ・ハンセン所属の二等兵が石で殴って気絶させ強姦。
米軍は容疑者の身柄引き渡しを拒否したが、地元住民、県議会の抗議行動で地元警察に
引き渡す。(金武村)
1982年8月1日 33歳の女性ホステス、新築工事中の部屋で、上等兵に絞殺される。強姦しようとしたところを
抵抗され、殺す。(名護市)
1984年9月30日 19歳の米軍一等兵女性、一等兵と二等兵に強姦され、車ごと焼かれて死亡。(宜野湾市)
1985年10月29日 40代の女性が帰宅途中、キャンプ・ハンセン所属の二等兵と上等兵に拉致・強姦される。(金武町)
1993年5月 19歳の女性が陸軍軍曹に拉致、強姦される。被害者は告訴取り下げ。
1995年5月10日 24歳の保険外交員の女性、米兵にハンマーで顔面を殴られ死亡。(宜野湾市)
1995年9月4日 米兵3人による小学生拉致、強姦事件発生
悲惨な沖縄戦を経て、敗戦後10年を経過した1955(昭和30)年9月3日、沖縄本島中部にある旧石川市
(同市はもともと2000人ほどの静かな農村であったが、敗戦後は収容所ができ、3万人以上にもなっていた。
2005年4月1日、2市2町が合併して「うるま市」【地図】になった)、市内の幼稚園に通っていた6歳の
永山由美子ちゃんが、その日の夕方1人で映画を観に行ったまま、行方不明となった。
沖縄の夏は午後8時まで明るく、当時の沖縄の住宅は台所を別にすると、1間か2間しかなく、それゆえ、
日が暮れるまで子どもたちは表で遊んでいることが多かった。
由美子ちゃんは、翌日死体で発見された。犯人は、由美子ちゃんを車で拉致して、嘉手納基地に連れ込み、
軍の施設内で何度も何度もレイプし、最後には殺し、その遺体を嘉手納の米軍部隊のゴミ捨て場に捨てたのである。
由美子ちゃんは、唇をかみしめて、右手に数本の雑草を握りしめているように死んでいた。
1955年9月4日付『沖縄タイムス』夕刊は以下のように報じた。
「嘉手納海岸近くの部隊塵捨て場に身元不明の少女が暴行を受け、殺されているのが発見された。
4日朝、嘉手納村旧兼久部落俗称カラシ浜の部隊塵捨場近くの原野で、8才から10才位と思われる少女死体が、
あお向けになったまま捨てられてあるのを警ら中の米兵2名が発見、MP隊(military police=米軍憲兵隊)を
通じ嘉手納派 出所へ届出た。
少女は暴行を受けた形跡がありシミーズは左腕のところまで垂れ下がり、口をかみしめたまま死んでいた」。
いわゆる「由美子ちゃん事件」である。由美子ちゃんの死体は、まるで鋭利な刃物で下腹部から肛門にかけて
切り裂かれたようだった。
犯人は、事件から1週間後に逮捕された。
米軍情報部は1955年9月9日夜、米国民政府新聞課を通じて公式発表を行い、9月10日付『沖縄タイムス』は
以下のように報じた。
「殺人、強かんおよび少女誘拐の3つの罪名で第32高射砲隊B中隊アイザツク・J・ハート軍曹に対する起訴状が
提出された。
これと「沖縄を取り戻せ」のスレって同じ奴が延々とコピペしてんだろうなぁw
在日米軍が起こす事件・事故の数は、防衛施設庁が提出した資料によると、1952年から2007年までに公務内外で
在日米軍が起こした事件事故件数は20万件、日本人が巻き込まれて死亡した人数は1,076人である。
2010年に公開された外務省文書によれば、復帰前も1965年の時点で年間1000件に上っていた。
また、1985年から2004年までに在日米軍の起こした事件・事故で軍法会議にかけられた者は1名で、
懲戒処分者は318人である。
1955年、嘉手納村の通信基地付近の原野で米軍兵士に強姦された幼女の遺体を発見した。幼女は石川市
(現うるま市)の6歳の幼稚園児であることが判明。遺体は下腹部から肛門にかけて刃物で切り裂かれていた(嘉手納幼女強姦殺人事件)
1995年、アメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した。
実行犯である3人が引き渡されなかったことが問題になった(沖縄米兵少女暴行事件参照)。
1996年、海兵隊員が運転する車が交通事故を起こし、沖縄の母子三人が死亡した。
1998年、飲酒運転した海兵隊員が18歳の女子高生が運転するバイクに衝突し、ひき逃げして死亡させた。
2002年、海兵隊少佐がフィリピン人女性を襲う強制わいせつ未遂事件が発生。(沖縄米兵強制わいせつ未遂事件)。
2008年2月、38歳の海兵隊員が14歳の沖縄の少女を強姦した容疑で逮捕された。
機密解除された米国の公文書によると、2008年5月17日までに、日本は在日米軍関係者の犯罪について、
1953年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」密約に合意し、その後5年間に起きた約13000件の
事件のうち、実際に裁判を行ったのは約400件で、97%の裁判権を放棄していたことが判明した
(在日米軍裁判権放棄密約事件)。また、1958年、日米安全保障条約改定にあたり、米側は岸信介首相に、
密約が結ばれている裁判権放棄を公的に表明するよう要求したが、国民からの批判を恐れ岸は認めなかった
1957年(昭和32年)1月30日、群馬県相馬が原の米軍演習場内の立ち入り禁止の場所に、薬きょうを拾いに
きていた農婦の坂井なか(46歳)が、小銃弾に当たって死亡した。
一緒にいた日本人農夫の証言で、米兵に「ママさん、だいじょうぶ!」と呼び寄せられ、約10メートルの距離から
狙撃されたことが判明した。
その米兵は、この日、立哨だった米軍第1騎士団第8連隊のウィリアム・S・ジラード(当時21歳)3等特技兵であった。
事件現場は1920年(大正9年)に旧陸軍演習場となり、戦後米軍に接収された土地だったが、鉄くずの薬きょうを
拾って生活の足しにしている基地周辺の人々の貧しさや、日本人をスズメ程度にしか考えていない米兵の
心理など多くの問題を提起した。
5月18日、検察はジラードを傷害致死罪で起訴。これに対して、アメリカ本国では、在郷軍人会やジラードの
親族を中心に、「身柄を日本側に引き渡すな!」の一大合唱が湧き起こった。
ジラードの兄は、米連邦地裁に人身保護を求める訴訟を起こした。
6月18日、米連邦地裁は、ジラードの身柄を日本への引渡しを禁ずる判決を下した。
ダンピールの悲劇
1943年3月3日第八十一号作戦中の日本軍の輸送船8隻、駆逐艦4隻は、B-25の反跳爆撃により沈没した。
その後、武器を持たない丸腰で海面上を漂流する、もはや遭難者であり非戦闘員となった日本兵達を、
米豪軍の攻撃隊は何度も反復し機銃掃射して虐殺した。
日本海軍は、戦えなくなった者は敵の兵であろうと、一人残らず救助せよと命令を出したが、米軍の指揮官は
かまわず虐殺せよとの命令を出した。
機銃の弾が切れると、基地に戻って弾薬を補給し、漂流者の上空へ戻ってきては、また泳いでいる日本兵を
捜して機銃掃射を浴びせた。
そして弾が尽きるとまた、補充しては機銃掃射を繰り返して、連合軍のパイロットたちは、野蛮にも
虐殺行為を楽しんだのである。
354 :
名無し三等兵:2014/01/21(火) 03:16:08.08 ID:j875WmQL
飛行機が人を轢く”という前代未聞のゴードン事件
私が住んでいるひたちなか市阿字ヶ浦町のすぐ後背地は、旧陸軍水戸飛行場が敗戦によって米軍に接収され、
73年まで米軍の射爆撃場となっていました。そのため、ひたちなか市史には記載されていない死傷事故を含めて
数多くの事件や大事故が起こっている。その一つが私にとって忘れられないゴードン事件です。
1957年8月2日、超低空飛行の米軍機が県道を自転車で通行中の母子を飛行機の車輪で轢き殺傷しました。
(この時の操縦士の名がゴードン)。小学生だった私は海水浴場から家に帰る途中で、大勢の大人たちが
「飛行機が人を轢いた」と言いながら慌てたように走っていくのを見て、赤いふんどしのまま大人たちに付いて
行きました。現場に行ってみると、家の畑の隣のさつまいも畑が飛行機の車輪でなぎ倒され、被害者の体が
ばらばらに散らばり、警察か消防の人が長火箸で肉片を拾っていました。息子さんはその時は重症ながら
生きていましたが、あたり一面さつまいもの葉が真っ赤な血で染まり直視できないほどでした。
いまもその時の光景が目に焼きついています。
この事件を米軍側は異常気流による不可抗力的事故と主張したが、地元の市議会は操縦者のゴードン中尉
(当時27歳)のいたずらによるものと断定、茨城県警は水戸地検に書類送検しました。ところが公務中の過失として
不起訴処分となっています。死亡者への補償額は43万円余でした。
アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行
沖縄本島には千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。
わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。
―――――――
以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家)
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
―――
一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。
とくに沖縄戦がそうだった。
クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。
地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、
やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、
何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、
丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、
「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」
と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。
女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、
手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。
このコピペ連投に何か意味があるとおもってんのか。
硫黄島警備隊司令の任にあった和智恒蔵海軍大佐は戦後、硫黄島守備隊戦死者の遺骨収集の為に奔走し、
未だGHQの占領下に在った日本政府と米国政府に掛け合い、幾多の困難を経て、硫黄島に渡り、
玉砕した将兵の遺骨収集を実現させた。
その彼が現地で目にしたものは、「収集した遺骨の内、1000体分に頭蓋骨が見当たらない」という異様な惨状で
あったのだ。
上坂冬子著「硫黄島いまだ玉砕せず」に依れば、彼は硫黄島駐屯のヤングス空軍少佐と、グアム島駐屯の
コリンズ海軍大佐に、頭蓋骨の数が足りないことを告げ、米軍当局の釈明を求めて抗議をしたが、
「そのことは承知しているが、現段階では声高に糾弾せず、当方に任せて欲しい」との返答があったという。
また別の戦場のケースとして、戦後にマリアナ諸島から日本軍将兵の遺体が
送還された時、その約60%には頭蓋骨が無かったという記録もある。
これが何を意味するかと言えば、日本軍と戦った太平洋戦線の米軍兵士の間には、戦勝記念に
日本軍将兵の頭蓋骨を持ち帰るという猟奇的な習慣があったということである。
頭蓋骨のコレクションどころか、米軍兵士に依る日本軍将兵の遺体損壊という残虐な猟奇行為は
日常化していたのである。
>>358 それで反米感情醸成して何がしたいんだ?w
1927年(昭和2年)に、スピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独
無着陸飛行に初めて成功したチャールズ・リンドバーグが、その従軍日誌
「リンドバーグ第二次世界大戦日記」で、米軍兵士の日本軍将兵の遺体への
目に余る冒涜の目撃談を著わし、その実態を告発していることも有名である。
遺体に小便を掛けることや、遺体を的にしての射撃、頭蓋骨をボール代わりに
してサッカーをするなどは序の口で、ペニスを切り取って、口に咥えさせる、
耳や鼻を切り取って、ネックレスにする、帰還する時に持ち帰る為に耳や鼻を
乾燥させる、ゴールドラッシュと嘯きながら、金歯を抜き取る、砲弾が着弾
して出来た穴に遺体を放り込んでおいて、その場を残飯などの廃棄物の集積所
にするなど、獣にも劣る蛮行が日常化していたのである。
これほどまでの遺体への冒涜は、日本人に対する人種差別的感情が無ければ、
為し得なかったことであったろう。
ヨーロッパ戦線での激戦場でも、独軍兵士の遺体の切り取りが流行したなど
聞いたことが無い。
1952年に、米国の移民と国籍に関する事項を定めた法律である移民国籍法は、
ネバダ州選出の上院議員パトリック・マッカランとペンシルベニア州選出の
下院議員フランシス・ウォルター、二人の策定の下、制定された法律で、
マッカラン=ウォルター法とも言われるが、この人種差別主義者のフランシス・
ウォルターは、太平洋戦線で戦死した日本軍兵士の肘から手首に掛けての骨、
前腕骨で作つたペーパーナイフを嬉々として、フランクリン・D・ルーズベルト
大統領の贈呈した人物でもある。
日本を巧妙な謀略で対米戦争へと誘い込んだ、卑劣な人種差別主義者であった
ルーズベルト大統領は、そのペーパーナイフを愛用していた。
そのペーパーナイフとやらを出してみせろよ
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140202-00000052-jij-soci 米兵、暴行容疑で逮捕=自宅で交際女性に―長崎県警
時事通信 2月2日(日)18時49分配信
交際女性を床に投げ付けるなどしたとして、長崎県警佐世保署は2日、暴行容疑で、米軍佐世保基地所属の
2等兵曹リンドン・アンソニー・ルーション・ジュニア容疑者(26)=佐世保市潮見町=を現行犯逮捕した。
逮捕容疑は2日午後1時ごろ、マンション自室で交際女性(30)=福岡市中央区=に対し、胸ぐらをつかんだり、
腕を取り体を床に投げ付けたりする暴行を加えた疑い。
女性が「別れ話のもつれでけんかになり、暴行された」と通報し、署員が逮捕した。
ルーズベルト大統領の息子である、ジェームズ・ルーズベルト海兵隊大尉は
カールソン中佐指揮下の部隊に配属されていた。
1942年(昭和17年)8月17日の早朝、そのカールソン隊は、西太平洋の
ギルバート諸島マキン島の日本軍前哨陣地を攻撃し、守備隊を全滅させたが、
彼らは戦死した日本軍兵士の遺体を切り刻み、男根と睾丸とを日本軍兵士の
口中に詰め込むなどの蛮行を働き、20年後に遺体を陵辱した様子を記録した
写真が公表されると共に、その冒涜の有り様がテレビ番組で語られたという。
366 :
名無し三等兵:2014/02/11(火) 18:14:57.55 ID:ajJZhSW1
米兵性犯罪の軍事裁判率 在日米軍24%、全体68%
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140211-00000006-ryu-oki ワシントン=島袋良太本紙特派員】AP通信は9日、性犯罪容疑の米軍人が軍法会議で裁かれる割合が、
在日米軍では米軍全体を大きく下回る傾向にあるとした調査報道を発表した。
AP報道によると、性的暴行で告発された米軍人が軍法会議で裁かれる割合は、
米軍全体で見ると2009年の42%から12年には68%に増え、上昇傾向にある。一方、在日米軍の中で確定的な統計が得られた
海兵隊、海軍の合計で24%(05年〜13年平均)となり、低水準で推移している。
軍法会議にかけられた事例でも「加害者のほとんどは懲役刑を受けなかった」とした。
その上で記事は、在日米軍人の性犯罪に対する米軍側の処罰状況は「無秩序だ」と結論付けた。
チャールズ・A・リンドバーグ著 『リンドバーグ第二次大戦日記』
1944年6月21日水曜日
日本兵士殺害に関する将軍の話一 数週間前のことだが、最前線のさる技術科軍曹が、もう2年以上も
太平洋地域で、戦闘部隊と行を共にしながら、ついぞ実戦に参加した経験がなく、帰国する前にせめて一人だけでも
日本兵を殺したいと不平を漏らした。
軍曹は敵の地域内に進入する偵察任務に誘われた。軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、
偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。…「しかし、俺はこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」
「ちえっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた
途端に、日本兵の頭部に腕が巻き付き、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。
369 :
名無し三等兵:2014/05/18(日) 17:44:16.44 ID:GFjlVFel
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370 :
名無し三等兵:
【社会】児童ポルノ所持で軍法会議 在日米兵に厳罰相次ぐ
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1402157541/ 1 ( ´`ω´) ★ sage 2014/06/08(日) 01:12:21.58 ID:???
■児童ポルノ所持で軍法会議 在日米兵に厳罰相次ぐ
児童ポルノを所持したとして、在日米海軍の軍法会議で米兵の有罪判決が相次いでいることが分かった。
2013年4月には、根岸住宅地区(横浜市)内で所持したとして18年の拘禁刑を言い渡された被告も。
訴追されたのは国内での行為だが、現行の国内法では個人が趣味で持つ「単純所持」は規制対象外。
今国会で審議中の児童買春・ポルノ禁止法改正案が成立すれば禁止となるが、児童ポルノをめぐる国内外の規制水準の差が表れた形だ。
神奈川新聞が入手した公的記録や米軍当局への取材によると、18年の拘禁刑を言い渡された被告は、横須賀基地(横須賀市)で補給任務に従事していた米兵。
12年ごろ、米軍根岸住宅地区の住居で、未成年者 あるいは未成年者とみられる画像を個人的に所持したなどとして訴追された。
判決は昨年11月の上訴審でも維持されている。(中略)
子どものわいせつな写真や画像などを含む児童ポルノは、未成年者に対する極めて深刻な人権侵害とされる。
製造過程で児童への性的虐待が起きることが少なくない上、写真や画像はインターネットを通じて 瞬時に広く流通し、長期間にわたって残るためだ。
海外では児童ポルノをめぐる犯罪には重罰が科せられる。
米国では製造目的の使用は30年以下の拘禁刑の対象。
米国や英国、ドイツなどでは単純所持も処罰の対象になっている。(中略)
今月5日には、単純所持に対して1年以下の懲役または100万円以下の罰金を科すとした同法改正案が衆院を通過。
参院に送付され、今国会で成立する見通しとなった。
※記事の一部を引用しました。全文は下記リンク先で御覧ください。
ttp://www.kanaloco.jp/article/72631/cms_id/84968 ttp://www.kanaloco.jp/ 神奈川新聞社 (2014.06.07 03:00:00)配信
ttp://anago.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1399820443/98 依頼