[武士騎士] 古代中世総合13 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
1 :
名無し三等兵 :
2013/05/09(木) 10:39:22.64 ID:??? 軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
ソースの書籍を提示されたら否定せずにググったり、資料を借りたり、買いましょう。
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
900を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
950過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2 以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士騎士] 古代中世総合12 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1361625221/
2 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 10:40:40.57 ID:???
3 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 10:47:24.95 ID:fJM3OJET
中世最強の軍と言われるモンゴル軍は毒矢、馬、投石器、花火だけで 攻めていたのかと思ったら、大量の大型軍用犬も使用していたそうだ。 大量の大型軍用犬を笛で操ったのか、ムチの音で動かしたのかは知らないが 何万頭もの訓練した大型軍用犬を突撃させたそうだから当時の戦場では かなり強い戦法だろう。 また犬を使ったモンゴル軍は敵を足跡だけで追跡するのではなく、 犬の嗅覚で匂いによっても追跡したことになる。
4 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 10:53:09.10 ID:???
5 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 10:56:11.91 ID:fJM3OJET
中世の戦いと言えばヨーロッパの十字軍もある。 まだ近代は遠かった時代だから十字軍のキリスト教徒もイスラム教徒も 狂信的カルト集団のように「この聖戦で死ねば私は天国に行ける」と100%盲信していたはずだ。 するとその士気は凄まじかったのではないか。 現代でも宗教の儀式でトランス状態になった人が体に太い針を刺しても痛みを感じず、 恍惚状態で踊り狂うような祭りはインドや東南アジアなどにある。 仮に十字軍もそうした宗教恍惚状態で戦ったならば、血まみれで内臓が飛び出していても 出血多量で死亡するまで兵士は恍惚状態で戦った可能性はある。
6 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 10:58:09.82 ID:???
7 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:03:19.25 ID:???
8 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:07:20.24 ID:fJM3OJET
三国志の曹操は三国志のドラマで描かれているような知略や悪運が真実ならば 現代社会でも簡単に出世して六本木ヒルズなどに住みそうだ。 ああした知略や悪運は現代社会でも大きな武器になる。
9 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:07:51.40 ID:???
10 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:19:10.64 ID:fJM3OJET
源義経は「八艘飛び」をして戦ったと言われる。 これは創作だとされてきたが、現代の走り幅跳びの世界記録が8メートル台だから 義経が走って8メートル飛び移って戦った可能性を完全に否定することはできないはずだ。 また義経が筋肉だけでジャンプしたのではなく、義経が生きた平安時代末期は 修験道などの本格的な導師もいた可能性は高く、義経はヨガの空中浮遊のような技を体得して 気孔のパワーで風船のように浮いて移動したという可能性もある。 あくまで可能性だが、もし義経が何も無いただのチビなら武将になれなかったはずであり、 なにかの取り柄はあったはずだ。
11 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:24:00.83 ID:V03P1PYR
五胡十六国の時代に漢民族が異民族に蹂躙されてるのを 否定しようとするやからが多いのが困る
12 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:27:17.92 ID:fJM3OJET
現代でもアフリカの未開部族には視力が10,0という驚異的なのがいるし、 海に5分潜る肺活量の持ち主もいる。 フェンシングだって素人がオリンピックで金メダルを取ったフェンシングの選手と フェンシングで戦ったら秒殺されるだろう。 だから三国志の関羽などの超人的武将の話はすべて捏造だとは言い切れないと思うぞ
13 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:32:26.50 ID:fJM3OJET
古代や中世を再評価するうえで最大の障壁になるのはフランス革命やマルクス主義などの 近代イデオロギーである。 近代イデオロギーでは「人間の能力に差は無い」と考えるのだが、しかし現実には能力差はある。 能力差が無いなら誰でも六本木ヒルズ族やプロ野球選手になれるもの。 従来の「封建時代の小作人は苛められ、稗粟だけを食う惨めな生活だった」 というマルクス的観点とは違う斬新な視点で封建時代を再評価して頂きたい。
14 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:41:00.70 ID:fJM3OJET
プロ野球選手は至近距離から時速150キロのデットボールを投げられてもかわす。 言うまでもないがキャッチャーは時速150キロで飛んでくるボールをキャッチする。 すると封建時代の達人の中には時速230キロで飛んでくる弓矢をさっとかわし、 時速230キロの弓矢を手で掴んで止める猛者もいたかも。
15 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 11:48:47.85 ID:fJM3OJET
前スレでも書いたのだが、現代のようなダムが無かった時代の関東平野は ただの湿地帯と草原である。 ダムが無いと洪水を防げないから無数の小川や池があり、草も生い茂り、 馬の放牧には最適だったのではないかな
16 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 12:01:45.26 ID:fJM3OJET
中世の日本の武士は食事が玄米やおかゆだけというイメージがある。 しかし足利尊氏の食事が玄米と梅干だけで、あそこまでの仕事をしたとは思えない。 江戸時代の殿も鷹狩りなどの狩猟は大好きだったのであり、中世であれば都から一歩外に出れば そこは森林や草原であって野生の鹿やイノシシは豊富におり、武士は狩猟で採った獲物を焼肉にして食っていたと思う
17 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 12:07:26.54 ID:fJM3OJET
封建時代というと「稗粟だけを食らう惨めな小作人のイメージ」がある。 しかし悲惨なだけなら封建時代はあそこまで長続きしなかったはずで、 「小作人には幸せな一面もあった」と考えて差し支え無いのではないか? もちろん酷い封建領主や凶作による飢餓など悲惨な面はあったが、 当時の小作人なりの小さな幸せも荘園にはあったと考えてもいいのではないだろうか。
18 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 12:11:57.96 ID:fJM3OJET
たとえば現代の大学生の多くも「卒業後は公務員や大企業に就職したいです」と答える。 「何かにすがって生きたいと考える人が多数」なのである。 こうした「私は何かにすがらないと生きていけない弱い人間なんです」というタイプにとっては 封建時代の荘園は「領主さまの命令を聞いていればいい楽な世界で、稗粟も食えて幸せだべ」 という気持ちだったのではないか? 何かにすがりたい人ならすがり付く対象があれば幸せなわけだから。
19 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 12:13:30.33 ID:QKnO+XFu
>>14 アシタカか
>>15 低湿地の馬産地って(カマルグとかはあるが)少なくない?
しかも日本では水田向きで勿体ない。草原は乾田・畑に良いし。
草は冬の飼料価値が低いという難点もある。日よけ風よけもないし。夏は暑いし。
20 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 12:44:42.57 ID:???
まずは人間様の食い物が優先で稲作は湿地帯でやるのだがこの馬鹿は何を言ってるんだ
21 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 12:53:54.68 ID:???
>>16 幕末〜明治維新前後くらいに日本にいた植物学者がいるのだが、
その人によると雇った人足数人が毎日米ばかり食ってて肉を食わないので
かわいそうに思って、米を減らしてかわりに肉を与えてたそうな。
しばらくすると人足たちから「肉だと全然力が出ない、米だけにもどしてくれ」と
泣きつかれて、結局食事は戻したとのこと。
体質とかもあるのかもしれんよ。
武士たちは米を一日5合は食ったというし。
22 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:18:06.59 ID:???
そりゃ体質っつうより文化もあるだろうな。 ドイツ兵やロシア兵は白パンじゃ力が出ないとか言うし、 インド兵はカレーじゃないと力が出ないとか言う。 ジャンクフードで育ったアメリカ兵はハンバーガーやコーラがないと力が出ない。
23 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:20:36.41 ID:fJM3OJET
>>20 たしかに稲作も大切だが、鉄道も自転車も無かった封建時代においては馬は貴重な乗り物だよ。
今日の新幹線や飛行機の価値があったと言っても過言じゃない。
>>21 幕末の日本人の白黒写真が残っているが、今日の日本人とは別人種のように見える。
東南アジアや南米の原住民のようにも見えるし、胃腸も今とは違うのかも知れないな。
24 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:26:17.94 ID:???
猪や鹿が簡単に取れると思ってる時点で聞く価値もない 猪は危険な猛獣で死人がでることも珍しくなかったし鹿も 人間になれたというかなめてるのと違う野生の鹿は人間に気づくとすぐ逃げちゃう 現代の銃でも射程にいれるまでどんだけ苦労することか
25 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:27:09.59 ID:fJM3OJET
封建時代の日本の小作人はドングリも食っていたそうだ。(灰汁抜きをして食っていたそうです) もちろん天保の大飢饉のような悲惨もあっただろうが、リスのようにドングリまで 食うならカロリーは満たせたのではないか。 また中国や東南アジアの封建時代の小作人は現地の食習慣から考察するに昆虫を食べまくったはずだから、 昆虫が多い東南アジアでは昆虫でカロリーを満たせたはずだ
26 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:27:49.18 ID:???
>>23 まずは生きるのが優先だろうが妄想馬鹿
新幹線だろうが飛行機だろうが食い物がたりなくて死ねば無意味だ
27 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:30:52.48 ID:fJM3OJET
>>24 そう言うけど今の日本でも狩猟会が鹿を狩らないと野生の鹿が増え、
群れで畑を荒らすよ。
28 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:36:20.82 ID:???
>>27 ニホンオオカミがいてちゃんと鹿を食ってたので今見たいには増えないんだよ
29 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:36:57.84 ID:???
土鍋がこっちに居着いたのか…
30 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:37:08.34 ID:fJM3OJET
>>26 古墳時代はコメを作るだけじゃ生きていけなかったのではないか?
他の部族からの襲撃などが多く、負けたら食人族に食われたり、奴隷にされるので
馬で偵察をしたり、砦を築いたり、弓矢を作るなどの「村を防衛する努力」も不可欠だったのでは
31 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:40:10.36 ID:???
昔の武士は馬に乗って鹿猟をしたからな。しかも勢子を大勢使って巻き狩り。
32 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:45:40.05 ID:fJM3OJET
平安時代に密教を伝えた空海はその後の忍者や武士にかなりの影響を残してる。 禅や密教は武士道の一部ではあるんだね。 そんで空海は日本全国に空海が空を飛んで移動していたという伝説が残ってる。 マジで空を飛んだのかどうかは知らないが、マジで飛んだか、あるいは 空海は中国で学んだ少林寺拳法や漢方治療などの達人だったので、そこから伝説が飛躍したんだろう。
33 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 13:58:45.51 ID:fJM3OJET
体罰なんか封建時代は問題にならなかっただろうし、剣の師匠に「ちょっと剣を振ってみよ」 と言われて、情けない振り方をしたら「この馬鹿もんが!」と怒鳴られて鉄拳制裁をされまくったはずだ。 毎日過酷な体罰やシゴキによって死者が出るような訓練環境で選抜されたら、 それなりの戦士しか残らなかったはずだよ
34 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 14:05:04.19 ID:fJM3OJET
近代では馬鹿にされてきた「封建時代の迷信」も封建時代においては馬鹿にできないと思う。 テレビの催眠術ショーを観ると催眠術によって感覚や運動神経を高めるシーンがある。 封建時代の迷信もそれと同じで、武士が「合戦の前日に味噌を食うと弓矢に当たらない」 という迷信で味噌を食うと催眠効果で動体視力が高まり、戦場で弓矢をかわしまくったかも。 それは現代の心理学でもありえることだと証明できるからね。
35 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 14:16:25.91 ID:fJM3OJET
野球のバッターのバットを振るスピードが時速140キロぐらいだ。 すると仮に宮本武蔵が「20億人に1人の凄まじい超人的動体視力の持ち主」だったと仮定したら、 敵の剣や鎖鎌の動きが「はっきりとスローモーションのように見えた!」という状態になり、 それで勝ちまくった可能性はあるはずだ。 野球界では有名な話だが巨人の川上哲治は「ピッチャーの投げた球が静止して見えた」と語っていたからね。 卓球のスマッシュの速度が時速120キロだが、女子の選手でも打ち返すしね。
36 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 14:31:24.42 ID:fJM3OJET
封建時代再評価というのは面白いよな。 モンゴル帝国のジンギスカンだって昔は草原の野蛮人というイメージだったが、 最近はジンギスカンは大変なインテリだったという説が有力だ。 馬を使って東西南北ユーラシア大陸の隅々から情報を集め、勉強していた英知の人 だったから大帝国を築けたという話になっている
37 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 14:40:18.68 ID:fJM3OJET
前スレでも書いたのだが木曽馬は見た目が悪くても馬鹿にはできない。 もし平均的サラリーマンが木曽馬に体当たりされたら骨折して気絶して倒れる。 さらに倒れたところを木曽馬の足で頭部を踏まれたら、脳が飛び出して即死すると思う。
38 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 14:49:56.01 ID:???
まぁ静止して見えて3割しか打てないんでしょ? 鵜呑みにするのはどうだかなぁ・・
39 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 14:57:59.97 ID:fJM3OJET
>>38 川上哲治は超人的動体視力で飛んでくるボールが静止して見えたが、
バットを振る能力は凡人以下だったので三割で終わったとかさ
40 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 15:13:03.21 ID:fJM3OJET
古代ギリシャでは戦争でハンマー投げをしたという。 たしかに3万人の室伏広治がハンマーを投げてくるならかなりの脅威だろう。 初期の原始的火薬兵器が登場してくる時代においても3万人の室伏広治が 導火線に火を付けた火薬玉を次々と投げてきたら近づけない。
41 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 15:58:31.03 ID:???
土鍋って何? このうざいのなのはわかるけどどこから来たの?
42 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 16:06:03.56 ID:???
>>41 最初の発現は八重の桜スレらしい
論破されたのか相手されなかったのかしらんが発狂して、以降軍板の日本史系のスレをあちこち荒らして回ってる
まあ基地外だけにしつこいが、耐えて放置してればそのうち飽きてどっかに行く
それまでにスレひとつ以上脳内ソース根拠の勘違い発現でうめつくされてスレが麻痺させられたりするが
43 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 16:10:28.44 ID:V03P1PYR
44 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 16:14:07.82 ID:???
3万人の室伏広治がハンマーを投げてくる状況を想定してみる。 ハンマー投げの競技見ればわかるように安全のため周囲にかなりスペース空ける必要があるよな。 仮に一人一人が10メートル間隔で並んだとして300キロ。 長篠の合戦の100倍の広さの戦場が必要だな。
45 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 16:33:32.02 ID:???
NGさせてくれるだけ良心的やね
46 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 17:50:00.98 ID:???
このage野郎、歴史系スレに戻ってきたのか……
もう全部独ソ戦系の架空戦記スレを使いつぶしたのか?
>>41 まともに歴史を知らず、資料にあたらず、妄想を延々と駄弁る。スレが無駄に流れるんで
大変に迷惑な存在なんだわ
。
47 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 22:13:50.81 ID:???
突撃兵と土鍋でガチンコ対決してくんねーかな。 隔離スレで。
48 :
名無し三等兵 :2013/05/09(木) 22:55:43.72 ID:???
土鍋って鉄が貴重だから土鍋云々とか言ってたヤツか?
49 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 00:01:35.89 ID:???
まさにそれ
50 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 05:27:42.73 ID:???
ここまで馬鹿だと人生楽なんだろうなぁ。土鍋
51 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 10:41:18.89 ID:???
十字軍が狂信的だったのは間違いない
52 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 12:13:12.82 ID:???
中世はマルチンルターの宗教改革以前の時代だからな
53 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 12:16:25.92 ID:???
一揆を起こした百姓も年貢軽減はもとめても選挙権は求めなかった時代だね
54 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 13:21:06.85 ID:???
三閉伊一揆のときの南部藩の農民漁民は今の藩主変えろとか要求して、実際変わったけどな。
55 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 13:25:01.67 ID:???
幕末スレで完全論破されて身をくらませたかと思ったらこっちに来てたのか土鍋・・・
56 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 13:36:40.96 ID:???
>>54 近代革命は君主をギロチンにかけて民主制やプロレタリア独裁を確立するが、
封建一揆は君主を替えるだけで君主制そのものは維持するのだから百姓漁民は君主制論者だったことになるかな
57 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 15:52:27.82 ID:???
>>52 宗教的情熱よりも
喰いつめ寸前の貴族の次男三男坊の野心のほうが強かったんじゃないかな
58 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 19:09:20.80 ID:???
南部藩には身分制度完全否定した安藤昌益みたいな奴もいたから、 思想的にもけっこう惜しいとこまで行ってたんだろうけどな。
59 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 20:02:15.27 ID:???
全く違う話だけど マジャールやアヴァールとかの騎兵はやっぱり軽装騎兵だったの。 カール大帝やオットー大帝とかの率いていたのは重装騎兵だったと思うのだけど。 重装騎兵で軽装騎兵を追いかけて撃滅するのは困難だと思うのだけど カール大帝とかは成功させているみたいなので疑問を持った。 それとも重装騎兵と軽装騎兵ではそんなに機動力に差はないのかな
60 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 20:11:45.03 ID:???
61 :
名無し三等兵 :2013/05/10(金) 20:18:27.13 ID:???
62 :
名無し三等兵 :2013/05/11(土) 19:08:58.17 ID:???
重装騎兵で軽装騎兵に対抗するには囮や城を駆使して 軽装騎兵の機動力を生かせないようにしないといけないみたいですね。 第3次十字軍のアルスーフの戦い等十字軍の騎士達がイスラム騎兵に 勝利できた戦いも相手方の機動力を生かせないようにした結果ですし。
63 :
名無し三等兵 :2013/05/11(土) 19:28:22.70 ID:???
そもそも生産してる馬の数が西の森林国と東の草原国では違うから、 少ない馬を最大限活用するために重武装にしているというのもある。
64 :
名無し三等兵 :2013/05/11(土) 21:50:52.65 ID:???
第二次ウィーン包囲のときのポーランド軍の突撃とか、 マルタ攻防戦のときの騎士団別働隊の乗馬突撃も包囲軍に対する逆包囲だな。
65 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 03:02:09.70 ID:Devnje7d
欧州には槍術ってあります? あるんだったらフェンシングみたいにスポーツ化されてないんですかね?
66 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 05:13:30.17 ID:???
>>64 ポーランド騎兵っていろいろなところで崇められてるんだけど、
明確な根拠って、元をたどっていくと、結局たどり着くのはポーランド人が書いた本だけなんだよ。
どうもポーランド騎兵の活躍というのは誇張されている気がしてならない。
それだけの戦闘集団がいたならあっという間に大国に飲み込まれて分割されるのも不自然だし。
もちろん騎兵が多くいろいろなところで局所的にある程度活躍したのは本当だろうが。
67 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 06:12:48.83 ID:???
戦いは数だよ。兄貴
68 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 09:47:17.92 ID:???
>>66 まぁグスタフ・アドルフみたいな名将がポーランドフサールに度々苦杯を舐めさせられてるからなぁ
69 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 10:00:18.07 ID:???
オーストリアだって第一次大戦後にあっという間に細切れにされたじゃないか。 デンマークだって一時は北欧全てを征服した大国だったのに。 ドイツはもともとが細切れだった。
70 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 10:22:52.78 ID:???
>>66 ぜひその検証結果を具体的に報告してほしいんだがね。
何がどういう文献の孫引きなのかとか興味あるわ。
71 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 10:25:04.42 ID:???
72 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 10:27:59.85 ID:???
73 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 10:32:52.72 ID:???
74 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 10:40:48.83 ID:???
土方歳三とブリューネが箱館で試合したらこんなだったかもしれん。
75 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 12:42:29.50 ID:???
否 道とスポーツのじゃれ合いにすぎない 術同士の戦いになれはもっと壮絶でえげつない
76 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 15:16:00.81 ID:???
>>70 じゃポーランド騎兵の具体的な戦果がどれだけあるかって話にはなる。
ウィーン包囲戦にしてもポーランド騎兵の部分は英語版wikiだと
疑問符と要出展がつけられまくってたりはするね。
77 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 15:19:07.05 ID:???
>>69 オーストリアは第一次大戦ごろにはすでにフランスやドイツの強盛に
押されて歴史の主人公ではなくなってるからなぁ。
ポーランドはヤン・ソビエスキが活躍したわずか100年後には分割されてる。
78 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 15:20:43.49 ID:???
79 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 19:08:20.61 ID:???
英語版wikiのbattle of viennaにはこう書いてるぞ。 At about 17h, the Polish King ordered the cavalry attack in four groups, one of the Holy Roman Empire and three Polish. Twenty thousand horsemen charged down the hills (the largest cavalry charge in history). Jan III Sobieski led the charge at the head of 3,000 Polish heavy lancers, the famed "Winged Hussars". The Lipka Tatars who fought on the Polish side wore a sprig of straw in their helmets to distinguish themselves from the Tatars fighting on the Ottoman side. The charge broke the lines of the Ottomans, who were tired from the long fight on two sides. In the confusion, the cavalry headed straight for the Ottoman camps, while the remaining Vienna garrison sallied out of its defenses and joined in the assault. The Ottoman troops were tired and dispirited following the failure of both the sapping attempt and the brute force assault on the city. The arrival of the cavalry turned the tide of battle against them, sending them into retreat to the south and east. In less than three hours after the cavalry attack, the Christian forces had won the battle and saved Vienna. After the battle, Sobieski paraphrased Julius Caesar's famous quote (Veni, vidi, vici) by saying "Venimus, Vidimus, Deus vincit" – "We came, We saw, God conquered".
80 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 19:13:47.81 ID:???
英語版wikiの英文を読むとまさに河越夜戦を彷彿とさせるあざやかな逆包囲殲滅作戦だな。 The charge broke the lines of the Ottomans, who were tired from the long fight on two sides. In the confusion, the cavalry headed straight for the Ottoman camps, while the remaining Vienna garrison sallied out of its defenses and joined in the assault.
81 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 19:19:39.67 ID:???
82 :
名無し三等兵 :2013/05/12(日) 22:46:35.67 ID:???
ドイツも普仏戦争から100年経たずに東西に分割されちゃったけどな。
83 :
65 :2013/05/13(月) 01:04:01.71 ID:vRe5KOah
>>71 スピアフェンシングなんてあるんですね!
ナイフフェンシングもできそう
斧術ってのもあればいいのに
(斧だと木製でも痛そうだから無理ですかね)
84 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 04:05:38.98 ID:???
ポーランド騎兵が通用しなくなったのは、 やはり火力の発達が原因か?近世スレのほうがいい気がするが。
85 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 08:18:36.41 ID:???
86 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 14:44:21.51 ID:???
何が自分で文献に当たって真実にたどり着いた報告してもらえるのかと 思ってたらみんなで作る英語版wikipedia読んだだけかよ。
87 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 14:48:05.75 ID:???
報告してもらえるなんて思うなよw また独自研究は、精査受けない限り思いつきと同じだw 2chに何を期待してるんだw
88 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 14:57:38.76 ID:???
2ちゃんでも昔ならソース元を貼ったり文献から引用したり
信頼性の高い情報を提供する人もいたし有志ががんばってたよな。
確かに今のような衰退期で
>>87 みたいなのの割合が増えてる2ちゃんには
もう期待できないよなあ。
89 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 15:12:00.41 ID:???
好きにしろよw 期待できないところで暇つぶしをするのは、暇つぶしをしてる奴の判断だ。
90 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 15:14:46.00 ID:???
>>86 逆に報告待ちじゃなくて、
すばらしい文献をたくさん持ってるか知ってるなら、
それを最初にさらしたらいいんじゃねーか?
91 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 15:17:39.24 ID:???
それが結構な数あるんだわ。それも毎月のように小論文が増えるから、興味ある奴は自分でなんとかアクセスしてくれって感じ。 >88が言ってるように、ある意味匿名掲示板の役割が終わってる。個人的意見だけど、ってエクスキューズのついた話は、ウェブにけっこう流布してて面白いやり取りがある。 全部を転写するのは無理だわ。
92 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 15:21:48.91 ID:???
それなら、 どこをあたればいいかとか、 自分はこういう文献をもとにこういう判断をしている、とか 書けばいいんじゃね? 軍板的にはそっちのほうが盛り上がるだろ?
93 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 15:24:36.85 ID:???
ヲチの手間すら省きたい奴に御報告してさしあげろかよw
94 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 16:01:30.57 ID:???
ところで李舜臣の像が、 持っている剣が日本刀っぽく、衣装が中国っぽいということで 撤去されるそうだな。 実際は当時の朝鮮の軍人って、どういう服装と武装なのが 時代考証的に正しいんだろうな。
95 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 16:21:02.29 ID:???
綿入れに申し訳程度に金属板を縫いつけてるのしか残ってないそうな。 いやまあマイナスん十度まで下がる寒冷地仕様だからしょうがないけどさぁ。 基本的に戦場は北の方だし。
96 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 16:44:22.01 ID:???
衣装は中国ぽいやつが正しいはずなのにそれすらも認めないのか
97 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 16:52:22.71 ID:???
>>94 李舜臣の刀とされるものが現存してるけど
まんま倭刀だよ
98 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 17:38:21.91 ID:???
だとしたら、倭刀に中国ぽい奴で正解なのに、 なぜ像を撤去するんだ……
99 :
名無し三等兵 :2013/05/13(月) 17:39:52.15 ID:???
水軍なら落ちた時に重い鎧なんてつけてられないから、当たったら運が悪かった位割り切ってるんじゃね? 中国じゃぁ紙の鎧使ってなかったけ?水軍 それか三国志みて藤甲鎧使えばいいのに____
水軍や海賊だと上半身裸もよくあるし金属だと錆びるのを防ぐ手間がかかる鎧まで使ってられないのもあるな
中国とか朝鮮って盾あったっけ?
そもそもウィーン包囲戦にしてもポーランド騎兵の部分は英語版wikiだと 疑問符と要出展がつけられまくってたりはするね。 っていうのがまるっきりのデタラメだからな。他は推して知るべし。 だいたいポーランド騎兵の具体的な個々の戦果なんてポーランド騎兵にやられた方がわかるわけない。 大和を雷撃したのがどの空母のどの艦載機なんて米軍の記録でないとわからない。
>>58 中世には民主主義の成功例がひとつも無い。
古代にはギリシャ、ローマで民主主義が行われた欧州でも、古代の民主主義が衆愚政治に堕して
失敗して中世の状況に移行したのだから、そのような社会状況では文盲の怒れる貧しい百姓でも民主主義で
自分たちの生活が改善されるとは考えないだろう。
また中世にフランス革命のような民主革命が起きても産業革命すら遠い時代だから
失敗したはずだ。
古代や中世の政治状況を踏まえないと古代中世の戦争も経済も何も理解できないだろう。 古代はギリシャ、ローマでは民主主義が一時的に行われたが失敗して帝政に移行したし、 ローマ以外は専制君主の時代だ。 秦の始皇帝のような君主が歴史を築いた時代である。 中世は専制君主もしくは豪族が乱立していた時代だ。
古代、中世においては宗教も専制君主に匹敵する権力を持っており、これも踏まえない と古代や中世を少しも理解できない。 現代のような医学が無い時代には宗教の心霊治療でもありがたみはあったであろうし、 現代から見ても観光名所になるほど立派な建築物である中世のキリスト教寺院やイスラム教寺院はその壮言さから 絶大な権威がそこにあったのだ。
中世に民主主義が成立しにくかった理由としては小さな村の中で一生を過ごした人が 多かったという点も挙げられる。 たとえば人口たった100人の小さな村があったとして、幼児期からずっと同じメンバーで 狭い村の中だけで過ごしたら、「あそこの鍛冶屋の権兵衛はすけべだ」とか「あそこの与作はアホだ」 とか互いのことが全て筒抜けになってしまい、そうしたプライバシーも何も無い環境では「俺たち民衆が主権者に なったら世の中は素晴らしくなる」という幻想は生まれにくい。 ちょうど男女が結婚前の恋愛期間中は愛で燃え上がるが、結婚して倦怠期が来ると 互いのことを知りすぎてしまうがゆえに愛も冷めるようなものだ。
江戸時代の江戸の町を考えても徒歩で生活していた時代だから大半の町人は 現代の東京人より生活圏が狭い。 現代の東京に例えれば渋谷の中だけで一生を過ごしたのだろうから、 渋谷のことを何でも知ってしまい「あそこの散髪屋の店主はすけべだ」 とか互いのことを知りすぎてしまい、知りすぎているから「俺たち東京都民のパワーで 政治を変える」といった幻想は生まれにくかったのだろう。 江戸の街でも打ち壊しは多かったが、民主的な幻想は出てこなかった。
>>102 ローマの海兵隊の胸甲は革製でしたよ。
兜は金属製でしたが。
>>104 横だが、お前さんも具体的論拠を出さないと盛り上がらないよ。
いやだからwikiの英語版の要出展やら疑問符とやらはどこにあるんだ? 横でもいいから出してくれよ。どこのどこにクエスチョンがあるんだ?
まあ第二次ウィーン包囲に限定してみようか。 で、新説ではどういう展開で戦況は推移したのかな?
最初に自分がポ−ランド騎兵否定する論拠に出したのが英語版wikiで、 それを否定されるとソースは英語版wikiかよ〜、2ちゃんのレベル低いな〜、 そんなんで内容のある議論なんか期待する方が無理に決まってる。
そもそも第二次ウィーン包囲って中世なの?
>>112 みてきたけど、
Prelude全体に
「This section needs additional citations for verification.(検証のため追加出典が必要)」
戦闘経過のほうに
「his article appears to contradict the article(○○の記事と矛盾するように見える、ノートページ参照)」
と書いてはあるな。
つか112-114は同じ人なんだと思うけど、なぜ自分は自分で論拠とか出さないんだ?
論文とか山ほどあるとか言ってた人と同じだろ?
確定的な話があるならそれで無駄な議論とかしないですむじゃん。
>>110 日本水軍の鎧はどうなんだろう?
熊野水軍博物館だと普通の甲冑が展示されていたように
思ってたけど、あれも革製とかなのだろうか。
>118 よくわからん。 ただ記録を見ると、偵察や小戦闘向けの千早船でも、漕ぎ手も戦闘員も盾板で防護されてたらしい。 個別の戦闘員が鎧を着用するケースが無かったとは断言しないけど、陸上よりも依存度は低かったんじゃないかとは思う。 海戦の様相を見ると、小型船で機動的な射撃戦を実施したり、あるいは焙烙船で自爆的に炎上させる(どうやって操船したかは不明)みたいなことをしているし、大型船を持っていれば小型船を露払いにして、火縄銃や弓による射撃戦や大筒射撃を行ったらしい。 ということで、乗り込み攻撃が主体だったわけでもないらしい。←ということは鎧そのものの依存度は高くなかったかもしれない。 さらに海賊についての研究も進んでるんだが、乗り込んで徴税する様子が記録に残っているんだが、鎧を着用していたと明記するものは無いらしい。 ということで、鎧への依存度は高くなかったんじゃないかねえ。
絵巻は見栄えを良くする為に改変上等だから頭っから信じるのは危険
いや、そんな突込み以前に、元寇って水軍だったっけ?とかその辺の・・・・・・ とはいえ、源平の後に瀬戸内近辺にも氏族単位で源氏系のものが移転してきてはいる。彼らの一部は瀬戸内海交流網に参画して、要するに海賊稼業も始めたらしいことはわかってるけど、元寇のときにどういう動員をしたかはわからん。 調べられているのかもしれんが、俺は知らん。
>>118 日本の水軍は海戦<陸戦だから陸向けの装備が多いのでは
>>123 元寇で日本側は文永の役でも弘安の役でも水軍投入してるよ
絵図と一致するかとか、何処をどう動員したとか、って言ってるのが判らんならそれでいいんだ。
練皮を固めるのに気泡の入った漆を使って浮力を稼ぐ手法は 船手具足に使われる以前からあった手法だと思う
よく読んでみろ。 要出展、citation needesがかかっているのは、(史上最大の騎兵突撃だった) というところとポーランドの王様が「オレ見た、オレ来た、ネ申勝った」と言った、 というところで別に戦闘全体に疑問符がついたり、要出展がついてる訳ではない。 plerude(戦闘前の状況)に、記述に矛盾があります、というのも、それはその序章、戦闘前の政治的状況の記述についての注意書きであって、 別にポーランド甲冑槍騎兵の突撃の存在に疑問符をつけているわけではない。
あ、citation neededだったな。
近世スレいけば?
フランス騎士というとやたらとクレシーを例に挙げて無謀な猪突猛進云々言うことが多いが、 実際は神聖ローマとイギリスに続けて完勝した1214年のブーヴィーヌの戦いを例に挙げないと分からないと思うよ。 実際は甲冑騎士というのはフィリップ二世やリッシュモンのような司令官に統制されて集団で威力を発揮するものだ。
このなかで剣道、槍投げ、フェンシング、アーチェリー、乗馬、柔術、相撲などのスポーツ経験者はいるのか? 経験ゼロでは鉄砲以前の戦いを想像しにくいと思われるが
>>127 船手具足って響きだけでなんかかっこいいわ。
>>132 剣道子供のころから〜 有段者
フェンシング サーヴルを大学時代に〜
格闘技&サバイバルゲーム 社会人になってから
甲冑を着用しての多人数での試合経験もあるが、何か。
>>134 弓道やってたよ
弓道は練度がないと撃てないし、中世の闘いはなにからなにまで練度が要求される
じゃぁ俺は補給担当で後方で食い物運んでるよ
食い物も重要だよな
フェンシングやってるよ。種目はエペ。都民大会は仕事でいけないが。 金と暇があったら近代五種やりたいね。
エペとフルーレって、 どっちか攻撃優先権なしで攻撃するだけで得点できたよね。 長いことやってないから忘れたわ。
エペだよ。近代五種だと一本勝負で参加者総当りなんだよな。 相打ちは両者敗北という素敵な規則。
そりゃ立ってる奴が勝者だろ。死んだらそれまでだから相打ちだと両者敗北は良いルールだと 思うけど。武術なんだし
>>142 えーとね、俺は剣道&サーブルの人のほうなんだけど、
フェンシングには攻撃優先権というめんどいルールがあってだね。
剣道はとにかく気合いの入った攻撃をすりゃ一本になる。
フェンシングはまず最初に攻撃宣言をしたほうが攻撃優先権を持つ。
その場合に両者相打ちになったとしても、攻撃宣言した側にだけ得点が入る。
防御側が攻撃優先権を取得するには、相手の攻撃を防御し反撃するしかない。
防御し反撃することをリポストといい、最初の攻撃者がさらに攻撃優先権を
とりかえして再反撃することをコントリポストという。
わけわからんよな。
でもエペはとにかく攻撃したほうにポイントが入るから面白そうではあった。
145 :
名無し三等兵 :2013/05/15(水) 18:44:33.69 ID:fSPvd4L9
馬は四半世紀以上やってる。今は馬車の御術を練習中。 裸馬から火矢を放ったこともある。
>>145 マジかよ。
よければ詳しく内容を知りたい。
147 :
名無し三等兵 :2013/05/15(水) 19:57:11.00 ID:fSPvd4L9
火矢? 期待させてすまん。乗馬クラブのお祭りで、馬場の中にキャンプファイヤー組んで、 小中高のジュニア選手たちがインディアンの格好して走り込むので開幕で、たまさか少し年長で 弓が引けたから担当しただけ。乗るのは若い子のほうが上手かった。 とはいえ、裸馬で火矢持って駆歩は怖かった。弓がまた米で買い付けた土産物。 遠いと当たらないし、近いと角速度が大きくてやっぱり当たらないし、馬の首を避けて矢を上に 上げると灯油と火が垂れてくるし、なんつーか、いろいろノウハウがある。 むりくりこじつけると、昔の馬の運用も、史料にないそうした細かい工夫の上にあったのだろうなあと。
ありがとう。 インディアンの恰好のあたりで不覚にも笑ってしまった。 しかし裸馬は大変そうだね。 ちなみに馬車にも興味があるのだが、 御術ってどういうものなんだ?
昔の輜重兵とか砲兵は必修だったらしいぞ。
150 :
名無し三等兵 :2013/05/15(水) 20:15:59.73 ID:fSPvd4L9
裸馬の難しさ。鐙がない(これは鞍アリ鐙上げで選手なら慣れている)、滑る、背骨と恥骨が当たる(馬も人も痛い) (ふつうに乗れば坐骨で体重を支える)というあたり。たとえば毛布一枚かけて、回らないように 長い腹帯(馬着−−馬の寒さ避けの腹−−用)なんかをかけるだけで断然楽になる。 御術、というよりドライビングというほうが今は通りがいいけれど、「馬の後方からほぼ手綱だけで」 コントロールする方法。鞭も使えなくはないけど、手がもう一本欲しくなる。 手綱は2本、左右のハミ輪に圧を掛けると同時に馬の脇腹や腿の横に触れることで圧をかける。 馬車本番になると後者は使えなくなる。 乗っていれば馬が暴走しても人は馬の上にいて操作できる。脚や体重も使える。 徒歩で御している場合、暴走されたらサヨナラで、暴走前になんとかせにゃいかん。 馬車ならついてはいけるけど、転倒するし、馬と離れているしで、簡単でない。 むろん、落ち着いた年寄り馬なら、乗るより御すほうが楽なはず。
151 :
名無し三等兵 :2013/05/15(水) 20:20:13.46 ID:fSPvd4L9
輜重や砲兵の場合、どうなんだろ、人が余っていたなら、馬のハミに繋いだ紐を持って先導すれば すごく楽になる。ドライビングは不要になる。 そこで大違い。
なるほど、大変興味深い。 馬車のコントロールは非常に大変そうだね。 中国やいろいろなところで戦車が廃れるわけだ。 戦闘可能な箇所まで行軍するのも大変で、 戦場でももっと大変そうだ……。
そういや古代戦車の平原での走行性能実験とか検証とかってなされてるのかな?
ちゃんとした記憶は無いけど、実証考古学でやってた人がいた気はする。
「古代の戦争」によると ペルシャ軍はわざわざ戦車のために溝掘って備えてたそうだ。 平原でも凸凹した地形では結構使いづらいんじゃないかな。
畝を作ると戦車の機動を妨害できるけど戦場じゅうに畝掘るわけにはいかないからなあ
古代戦車っていうのは要するに農民が普段使ってる荷馬車の進化形なんだよな。 今で言えば荷台に機関砲載せたトヨタのピックアップみたいな感じ。
チャリオットはセグウェイの先祖にも見えるな つまり荷馬車とセグウェイの間をつなぐミッシングリンク
159 :
名無し三等兵 :2013/05/16(木) 17:43:40.42 ID:36NULxPO
ツタンカーメンの調査で、外傷痕が、戦車練習での落車じゃないかって説があった。
162 :
名無し三等兵 :2013/05/16(木) 20:06:50.73 ID:htgAL7LA
>>159 今でもしょっちゅうですがな。でもこの画像のように外に放り出されるなら落馬と同じで、
ダメージは軽い。
パワーソースたる馬と、馬車との間が怖い。たとえば西部劇に出てくる4頭立の駅馬車、
馬をきちんと繋ぐ前に一頭が走り出したら・・・むろん古代中世でもリスクは小さくなかった。
今の馬車競技や趣味としての馬車はちゃんと「チーム」を作るけど、馬が道楽でなく実用的な動力源だった時は、
そんなゆとりはなかったはずで、いやいやいや・・・
もともとの古代戦車ってリアカーや大八車を馬に引かせて、 その上から弓を射る程度の単純素朴なものだったんだろうな。
当たり前の話だが弓矢には機関銃のような連射はできない。 ライフルのように長い有効射程距離も無い。 100メートル先にいる敵集団がこちらに走って来るとして、それを弓矢で狙う としたら時間的には20秒以内の話だから矢を1本撃てるだけだ。 さらにもし相手が大きな分厚い盾を持っていたら矢は弾かれてしまう。 これでは無いよりマシのレベルで機関銃のような近代的ストッピングパワーは無く、 敵集団の接近を阻止するのは不可能だから古代や中世において白兵戦が繰り返された のは必然だったと言える。
孔明「そこで今回ご紹介するのは連射可能なこの商品、諸葛弩です」
剣や薙刀で白兵戦をした中世の武士が柔術、合気道、相撲のルーツのような体術を編み出して いったのも当時においては一定の合理性があったと思われる。 なぜならたとえ鉄の棍棒を持って白兵戦に臨んだとしても、相手集団も鉄の武器や防具を持ち、 鉄同士で何時間も集団でガンガン打ち合うとしたら、鉄の棍棒といえども折れ曲がるだろう。 そしたら最後は討ち死に覚悟で体術で戦うしかない。
>>165 だから弓と騎馬の組み合わせが効果的だったんだろ
機動力を使って白兵戦を回避できるから
ポニー程度の小さな馬でも乗れるなら徒歩で移動するよりは疲労がまるで違うだろう。 ポニー程度でもあると無いでは天国と地獄の格差があったはずだ。
タイのムエタイも中世においては剣と盾を持って戦う戦場の武道だったという。 中世のタイの鍛冶屋が製作した粗末な刀は打ち合ったらいきなりポキンと折れそうだから、 刀が折れたら死ぬつもりで跳び蹴りに全てを賭けるしかない過酷さが中世東南アジアの戦場には あったのであろう
連投して自説を開帳する方はID出してくれるとありがたいな。
古代や中世の戦いというと第二次大戦でドイツの機甲師団に突撃したポーランド騎兵隊の ように滑稽なものとして捉える人も多いかも知れないが、すこしでも真剣に剣術、馬術、弓術などを 訓練したことがある人なら前近代の戦の困難さが想像できるはず。 馬術の難しさを書いておられる人もいるが、ただ競馬場で走らせるだけでも難しい馬を 戦場の乱戦の中で操るとしたら文字通りの人馬一体というか、超人的な馬術がなければ自分が落馬して死ぬと思う。 ナポレオンのワーテルロー会戦で騎兵突撃をしたネイ元帥はオリンピックの金メダルレベルの馬術だったはずだよ
古代中世の海戦は帆船やガレー船となる。 戸塚ヨットスクールを超えた過酷な世界がそこにあったはずであり、戸塚ヨットスクールを 非人間的だ前近代的だと思う人には想像もできないはず。 戦前の大日本帝国海軍でも地獄のスパルタリンチがあったが、エンジンの無い帆船となると スパルタの上を行くハイパースパルタで操舵したのだろう。
この理論展開の仕方、幕末スレに涌いてたキチガイと同じ臭いがするんだよなぁ まぁとりあえず持論で一席打ちたいんならIDかトリップつけてね。
夏に歩いて東京から山口まで行けと言われたら地獄だもんな
こいつスレの最初の方でageて連投してたアスペだろ
こいつに居座られたら過疎るまでまともな話は不可能だぞw 諦めて2,3ヶ月はスレ見ないようにするしか無いなぁ
>>171 土鍋がID消す知恵を覚えたような気がする
投石もストッピングパワーにはほど遠いような
>>167 甲冑を着て接近戦をするとわかるが、
意外と戦いながら距離が近づいてしまうとか、
相手が大振りしたときにすっと入るとか、
わりと格闘やレスリングが必要になる機会ってあるのよ。
そこで武器なしあるいは武器をもってても組打ちになるので、
それを練習してるかしてないかでだいぶ差でてる。
剣道にも昔は組打ちルールがあったのよ。
「平家」だと騎馬戦闘中にすれ違いざま組み打ちとかも多いね。
>>180 宮本武蔵は手元に刀がないときは相撲のような体術で敵を殺したという逸話があるし、
現代のアメリカ海兵隊でも銃剣格闘からレスリングの寝技のような展開になることを想定した
格闘訓練をさせていますもんね
機関銃が戦争の歴史を変えたというのはマジだと思う。 弓矢や投石はもちろんのこと火縄銃でも装填時間が長く、有効射程が短いから万単位の人数でこちらに 向かってくる敵の軍勢を阻止することは無理。(関ヶ原の合戦でも敵を火縄銃では阻止できず乱戦になってる) 敵が鎧兜を着て、盾まで持っていたら弓矢はほとんど効果ないしね
>>178 シベリアあたりに避難スレでも建てるか?
土鍋のやつ、本格的にここへ居座りそうだ。IPで識別できるあっちのほうがいいかもしれん
>>183 と思ってたんだけど、1.5mm〜2mm程度の甲冑に弓を実射すると
結構抜かれるみたいで。西洋の甲冑にしろ日本の甲冑にしろ、
距離が遠く角度が浅ければダメージを受けにくいってくらいじゃないか。
もっとも機関銃は1丁で1個旅団をとめるとも言われてたようだから、
確かにエポックメイキングな兵器ではあるよね。
固定目標に対する弓射と移動目標に対する弓射では威力も命中率もだいぶ変わるだろう。 まして流鏑馬みたいに自分が移動しながらの場合も多い。
>>185 元寇で戦った鎌倉武士は鎧兜だけではなく、盾も装備しており、モンゴル軍の毒矢を防いだ。
毒矢を防がれるとモンゴル軍は弱かった
蒙古の毒矢ってのはそんなに存在感あったか? 『八幡愚童訓』系以外に報告あったっけ?
日本の戦国時代には距離があれば火縄銃の弾を防ぐ竹を束ねた盾や傾斜を付けた鉄の盾が使用されてる
機関銃や大砲が無い時代に敵を食い止めるには堀や城壁しかない
関が原の合戦でも5時間以上も白兵戦をしているのだが、人間離れしたスタミナだな
>>192 (土鍋の脳内)ソース。
こいつはいつもそう
だから他のスレで論破されると涙目敗走する
土鍋か……
土鍋かよ
>>192 昔の武士の合戦の絵巻物とかを見ると、弓矢を防ぐ大きな木の盾を持ち運んでる絵が
描かれているよ
>>196 そりゃ置き盾でしょうに
>>187 の言い草じゃあ持ち盾のようにも聞こえるから、わざわざ持ち盾か?って確認してるんじゃないか
弓矢の矢はかさ張るから野戦の場合は1人の弓兵が何百本も携帯して戦闘をするなんてのは無理だろ。 篭城戦なら矢は豊富にあるかもしれんがね。 仮に矢筒に10本しか無いとしたら、残りの矢は貴重であり、無駄撃ちはできない。 敵の武将クラスとか、そういう人物のみを狙ったのかもな
>>196 あぁごめん。
置き盾は当然だと思っていたから、
>>197 の言うとおり持ち盾の意味だとしたら、
それってそんな一般的な装備か?ってつもりで書いた。
>>198 どうして携行している矢しか持ってきてないと思ってるんだ?
>>197 その置き盾を持ち運んでる絵もあるし、持ち運べないなら設置もできない。
ふつうに常識的に考えて、敵の弓矢が多く飛んでくる場所では置き盾を手で持って
矢を防ぎながら突撃したはずだ。
>>200 輸送している矢の数が多くても、戦闘中に矢を背中に何百本も背負って
戦うのは無理だろよ
弓矢の長所を言えばライフルのような火花も音も出さずに比較的静かに発射できる点だ それから弓矢は形状や腕前などによってかなり命中率に差が出る。 達人なら走っている狼の急所や飛んでいる鳥に矢を撃ち込むことは可能だろうが、素人では無理
機関銃みたいに引き金を引けば弾が連続して出るとか、そういう近代戦のイメージで弓矢や投石を 考えたらいかんわけよ。 投石の場合、仮に投げる石が大量にあっても人間は疲労するから機関銃のように 石を投げ続けることはできないからな。 また投石は熟練してないと遠投もできないし、石のコントロールもできない
中世に近い戦いなら戦後の日本にもあった。 学生運動や三里塚闘争などは中世の戦闘に近い。 ヤンキーが木刀を持ってやるヤンキー同士の喧嘩も中世に近い。
ヤンキーは喧嘩の時には派手な特攻服を着て、相手を睨み付けて吼えまくる。 弱い相手ならその睨みや吼えで「すみません許してください」と言い出すわけで、 こうした心理的はったり効果を考えると古代や中世の戦士が戦闘時に派手な格好をしていたのは 重要なハッタリ兵器だったと断言できる。 舐められたら終わりというやつだよ
置き楯じゃなくて日本のものなら掻楯と書けよ。 もしかして言葉知らないのか?
陣笠って持ち盾としても利用できるんだよね
たしかに柳生心眼流にはそういう型もあるな。
>>207 置き盾で通じるなら問題ないだろう。
いちいち鎧や甲冑という話がでたときに
日本のものだけ具足とか言い換えないと気が済まんのか?
>>208 最初のころは分厚い革に、鉄の筋をいれたものが主流だが、
鉄板を重ねたものに変わっていったようだから、
事実上の鉄盾みたいなもんだからな。
元寇に近い時代の春日権現験記には楯持ちが掻楯を持って横に並び 壁を作った状態で武士が後ろから弓を使用してる様子が描かれてるよ。
置き楯じゃ置いて使うもの限定みたいな感じがするな。
両手で持って前進することはある。
楠正成が置き盾を連ねて陣を作り足利軍相手に矢を射かけながら じりじり近づいたって話が太平記になかったっけ?
そりゃ日本の盾はそうやって前進することはあるのは知っているけど。
そうそうこれこれ
>>217 左側は掻盾を背負わせて、右側は掻盾の支柱を持って移動してるのね。
色んな支持方法あったのか。
武士は盾を使っていたのだから、一騎打ちが起きた理由も説明がつく。 双方が盾を持っていたら弓矢は無力化される。 すると白兵戦で決着を付けるしか方法が無くなるが、全員で白兵戦をやったら 双方に大被害が出る。 そこでタイマン勝負で決着を付けて双方の被害を減らす妥協案が行われたということだろう
>>220 一騎打ちをやってた根拠って薄いんじゃなかったか?
お城の城壁はより巨大な盾と言えなくもないが、大砲の無い時代に城壁のある城を 攻めるのは大変なことだったはずだ。 投石器やはしご車などの攻城兵器が無ければ成功確率なんてゼロに近い。 現代では観光名所でしかないお城も中世までは最強の盾だな
また土鍋が涌いてきたか 相変わらず理論展開がワンパターンな奴
>>221 後世の創作の可能性もあるが、実際にあった可能性もあるのでは。
なぜなら剣や槍などで戦う場合は腕の差がもろに出る。
現代の剣道だって素人が剣道で上級者に勝つのは99%不可能だ。
すると三国志の武将である関羽があまりに白兵戦で強いので雑魚はびびって
近寄らず、腕に自信のある戦士のみが一騎打ちを挑む状況になったとかさ
大阪冬の陣で徳川家康は大砲を使ったが、トラックのような近代的輸送ができない時代なので 大砲の弾が尽きて大阪城の城壁を完全には破壊できずに終わり、徳川家康は講和を結んで撤退している。 大阪冬の陣のころは大砲の命中率は悪いし、命中弾を撃ち込むまでに無駄弾を撃ちまくることになるので まだまだお城のほうが有利だったのだな。
>>224 イリアスとか読むとさ。
当時の英雄たちも一騎打ちしたことになってるんだけど、
一騎打ちはかっこいいから創作のネタになるんじゃないか?と個人的には思っている。
もちろん実際にあった可能性や戦場で偶発的に行われた可能性もあるけど、
合戦絵巻とかみてると基本的には集団戦じゃね?
それに素人が有段者に勝つのは難しいけど、初段が三段に勝つとかはママある話だし、
三国志だって一騎打ちの描写は演義だけだろ?
現代のアメリカ軍みたいな近代的な戦法を最強だと考える人は多いだろうが、 中世はまだ産業革命も起きてない時代なので近代的戦法をやる物質的土台が無い。 中世はものすごく生産力も低いしね。 しかし封建時代は悪で近代は正しいと考える思考パターンの人は こう言っても理解できないんだろうな
>>226 ただ一騎打ちをした武将は腕が達人だという話になってるよね。
地形にもよるかもしれないが、達人には雑魚では勝てないぞ。
喧嘩の弱いへたれが30人でゴリラに飛びかかっても勝てないようなもの。
へたれは腕が無いうえに臆病だからびびりまくるからね。
戦う前からへたれは心理的に負ける
走る能力だって100メートルを9秒台で走るやつに凡人は 絶対に追いつけないんだし、能力差という現実は認めないとな
だから三国志演義では一騎打ちは見られるけど、 正史のほうで一騎打ちなんて頻繁に記述があったか? 関羽についてはちょいちょい少数での奇襲だったり、 顔良を打ち取ったという記載はないでもないけど、あまり一般的現象ではないのでは。
一騎打ちが発生するしないは腕より考え方、価値観による。 指揮官に手をだすなと命令されれば下っ端は勝手に手を出せない。 指揮官が抜け駆け厳禁といえば一騎打ちは軍規違反になる。 上杉謙信なんか普段から言動行動おかしいから、信玄と一騎打ちしたいといっても不思議はないし、 家臣にも止められない。
あるいは悪源太義平と平重盛のように、 一方はやる気マンマンでも成立しない場合もある。
>>227 > 現代のアメリカ軍みたいな近代的な戦法を最強だと考える人は多いだろうが、
「現代」のアメリカ軍にかぎれば、制約条件は異なるものの
・補給のアウトソーシングと従軍商人から買い付け
・兵員の損害を抑える要請と傭兵を含む部隊
国民軍を飛び越え、むしろ先祖返り感が漂ってるような
もう娼婦とマロードが付けばスイス傭兵だよな コスプレを許せばランツクネヒツ
土鍋とは? もともとチャンバラスレで「鉄が貴重だった=だから土鍋が使われていたと」と独自理論を連呼していた電波で ソースとなる資料やデータを出さずに(出せずに)、脳内設定だけで自説を展開するのでスレ住民の笑いものにされていた。 (現在は八重の桜スレでNHK関係者()がスレを見て自説を番組に反映してくれていると妄想にふけっている) 19世紀末(幕末)の軍事分析スレに現れた電波も似たような行動(脳内設定をソースに自説を撒き散らす)を 行っていたため「土鍋MkU」「啓蒙太郎」などと命名される。 その時はID表示していた為、NGかスルーにするべきだとの意見も多かったものの有志(勇士)が土鍋の論拠をまとめて その矛盾点を添削してあげたところ勢いを失い退散しました。 (江戸には火消し盗賊が跋扈していたなど最後まで解読不能の自説もありましたが) 古代中世スレの皆様におきましても解決の一助になれば幸いです。
>>231 一騎討ちが無かったことを証明する歴史的資料が発見されない限りは無いとは言えないのが歴史学だろう。
歴史学においてしてはならないことは現代の観念で過去を判断することだ。
例えば「現代の日本でちょん髷をしている人物はいないから、江戸時代にもちょん髷は無かった」と判断したら明らかに間違う。
まずダーウィンの進化論では人類の先祖とされる類人猿の戦いを観察すると
一騎討ちは頻繁に起きる。
ライオンやカバなどの動物も一騎討ちをオス同士でやる。
仮に類人猿が人類の先祖だとすれば猿人や原人も類人猿の名残りで一騎討ちをした
としても不思議はないだろう。
三国志の時代に機関銃が無かった証拠は無い
>>231 次に石器時代の戦争だが、石器時代の戦争の多くは石器時代の推測人口や村の遺跡から考えて
少人数による小規模な戦闘が多かったと考察できる。
石器時代の村と村の戦いならば、20人対25人とか、そんな小規模戦闘もあっただろう。
20人対25人の小規模戦闘ならば、1人の猛者の英雄的活躍で勝つとか、
一騎討ちが発生したとしても全然おかしくない人数だろう。
お前はまず戦争の起源を熟読しとけw 考古学的な戦争の起源の探索だけでなく、歴史学的な、文化人類学的な探索も同時に行われていて、80〜90年代にはかなりの文献が出されている。
>>231 次に古代だが、古代ローマ帝国では円形闘技場で行われる剣闘士の戦いが最大の娯楽だったという
事実に私は注目したい。
人々が熱狂し、涙し、拍手喝采するイベントだったわけだ。
すると次のような考察も可能になる。
古代の戦争でも休戦協定や講和というものは結ばれたが、その際に両国の和平を
祝う一種のイベントとして一騎討ちが行われたという可能性だ。
今日でもある平和のスポーツ祭典なんてものの古代版だ。
>>231 中世以降は一騎討ちは廃れたと言われる。
しかし考えて欲しいこともある。
それは中世以降の戦争も必ずしも合理性だけでは行われなかったという点だ。
たとえば近代である19世紀のヨーロッパの戦争においても、騎士道精神で非合理な
戦争が行われた実例があるからだ。
1870年の普仏戦争においては騎士道精神で果敢に突撃したフランス騎兵を見て
プロイセン軍はその騎士道に感動し、銃を撃つのを止めて敬礼をしたという逸話がある。
そうした戦場なら一騎討ちは起こりえる。
合理的に勝利を求めるよりも、騎士道の体現者であることのほうに価値があるならばだ。
出典無しで妄想だけで語ってるのが凄いw
>>231 なるほど三国志演義は小説であるし、そこに描かれた関羽などは神格化されすぎのようにも思う。
しかしでは実際の関羽は無能でアホなヒゲ親父だったのかというと、それも無いだろう。
もし関羽が無能でアホの凡人だったら武将にすらなれなかったはずだ。
だから三国志演義は嘘とも真実とも言えず、虚実が入り混じった奇書なのだと思うぞ
事実をネタにした小説だろ
いわゆる近代イデオロギーというものがある。 ルネッサンス、宗教改革、啓蒙思想、産業革命、マルクス主義などから生まれた 現代人特有の考えだ。 そこでは「万人は神の前に平等に作られ、能力も権利も等しく平等である」といった 思想が正義であり、真理とされてきた。 しかしこの近代イデオロギーは明らかに嘘なのだ。 能力が平等なら、誰でも野球のイチローになってるもんな。
>>246 じゃなくて、関羽が確かに顔良を一騎打ちで討ち取ったととれる
文章があるから、一騎打ちがなかったわけじゃない。
近代でもオランダ独立戦争中、オラニエ公の弟がスペイン貴族と
一騎打ちをして討ち取られてるという記載がある。
だけどわざわざ記載するくらいだから珍しかったんだろうし、
関羽はそれ以降は特に一騎打ちをしたと思われる記述は正史にはないよ。
つーか三国志は小説で、せめて正史があるんだから、そっちをいくつか読めよ。
そして左翼などは特に平等を重視するので「宮本武蔵と平凡な主婦の剣の腕は平等だ」 といった虚構を持ち出す。 そうした虚構でしか思考できないのが左翼であるが、こうした能力平等論で 戦争を考えたら100%間違う
それから左翼ではないが、スポーツや武道の経験が1度も無いような人も 「槍の達人とか言っても素人でも10回戦いを挑めば1回ぐらいは勝てるはずですよ」 と楽観論を言う。 こういう人は「まぐれ」だけを当てにし、まぐれだけで物事が進むと考えるので 困ったもんである。 しかしまぐれではオリンピックの予選通過もできないのだ
だ
なんで荒らされてるの?
通称土鍋が平日日中からやることもないから。
土鍋に目を付けられたらこのスレ程度の人口じゃおしまいだな
もともと大した話しとらんかったろう。ゆっくり構えろよ。歴史好きにとって時は味方だ。
以前も提案したが、シベリアに避難スレ立てて移住したほうがいい あそこならIP強制表示だから土鍋をスルーできる
おいおい。 この軍事板は左翼も多く、日本軍のスレでは必ず左翼が「日本軍は封建的で悪だ」 と学生運動と変わらない左翼思想を書いてくる。 このスレも古代中世という「左翼にとって絶対に許せない封建時代」だから、 左翼が「封建時代はすべてが間違っていた」と書いてくる前に予防線を俺が張っているわけよ
なにも俺は古代中世がすべて正しいと言い張るつもりは無い。 しかし現代とは違うことは踏まえないと左翼のように「封建時代は悪だった」 という左翼歴史観を展開することにしかならない。
細々と13まで続いてるスレだがそんな予防線が必要だったことは一度も無い
中世は封建時代で明確に戦う武人階級と平民とに分かれてたんだろ 徴兵された民兵はあくまで戦場の見せ金として突っ立ってればよかった それが近世以降傭兵のような金で雇われた殺しの業者が出てくると30年戦争のような凄惨な戦争になった
>>260 これまでは予防線は必要ではなかったかも知れません。
しかし他スレでも日本軍の話を細々としていたら、左翼が来て「日本軍は封建的だから悪だ」
と言い出し、さらには左翼が「日本人は中国や朝鮮半島に謝罪しろ」といった軍事とは関係の無い
左翼思想論議をはじめたことは多々あります。
だから予防線は必要だと思いますよ
>>261 中世は農業技術が低く、農作業に多くの労働力を必要としたので近代のように男を根こそぎ徴兵したら
ただでさえ低い農業生産力がさらに下がり、平民も武士も餓死しかねないので一部の戦士しか戦わなかったという事情もあるはず
パプアニューギニアの先住民には今でも原始時代の名残りのような部族間戦争が起きる。 それは弓矢や槍で戦い、死傷者も出るのだが現代の合理性から見ると理解できないような観念や習慣がそこにある。 たとえば味方が優勢でも腹が減ると、野球で言うタイムの時間になって両軍が戦争を中断し、自宅に帰って飯を食い、 それからまた再開というスポーツなのか戦争なのかよく解らないような習慣があったりする。 前近代となると、そうした現代の常識では理解しがたいような習慣や行為はかなりあったはずだ。
日本でも古墳時代までは宗教的な抜歯の習慣があったことが遺跡の人骨から確認されている。 歯を抜いたら偉いというのは、現代では理解しがたい観念だろうが古代の日本では 歯を抜いたら偉かったのだから、すると古代の天皇や古代の戦士は19歳でも抜歯で歯を抜きまくっている のでお粥のようなものしか食えなかった可能性が高い。 そういう生活習慣から考えても現代がこうだから、古代や中世も同じようなものだろうと 考えるのは大変な錯誤に繋がりかねないと思います。
>>251 いやスポーツや武道の経験があればこそ、
意外な結果や予想外の結果があることは知ってるはずだろ。
それと一騎打ち論と何の関係があるかしらんが。
とりあえずお前はコテをつけろ。
左翼歴史観以前にソースのない妄想を延々と垂れ流されても迷惑なだけなんだよ。 仮に左翼が来たとしても、妄想の羅列よりは無害だ。消えてくれ。
それから古代から中世にかけての日本史では天皇の権威は絶大で、天皇抜きに戦争を語れない。 また中世ヨーロッパになるとキリスト教会の権威が絶対であり、キリスト教会に反すれば領主でも火あぶりにされたのだから 中世ヨーロッパの戦争を語る上でもキリスト教会は欠かせない。
>>267 まぐれはあるが、ではまぐれだけで体操の経験がゼロのデブがオリンピックの
体操で金メダルを取れるかと言えば、それはありえない
俺だけがそれを指摘している!
>>270 極論を言わない。
戦場では、最低限若くて健康な男で、
ある程度の訓練を受けた者同士が戦う可能性が高い。
例外はあるが、例外は例外だ。
手から気を出して相手を転ばす人がいる。 あれがやらせなのか、何なのかはよく知らない。 しかし仮にやらせではなく、手から出る気でそういうことをしているならば三国志の関羽は そうした術の達人で、関羽が長刀を振ると長刀の先から気が出て何千人もの敵兵が転げるとか、 そういう脅威の武道が存在した可能性はあるはずだ。
>>272 ちょっと待って頂きたい。
平均寿命が23歳ぐらいしか無かった封建時代には健康な男は希少であり、
どこにでもいるようなもんじゃなかったのではないか?
明治時代の日露戦争でも日本軍は脚気や赤痢だらけで健康な兵士はごくわずかだよ。
ご理解願いたいのは前近代は近代的標準化は無理な世界だということです。
>>272 たとえば平安時代には標準的な服というのは存在しない。
庶民が着てるボロ雑巾みたいな服か、貴族の立派な服はあっても標準化された服はない。
前近代には標準化は無理だったということをなにとぞご理解願いたい。
土鍋は、「土鍋自身が考えたどうしようもないバカ」を論破することを目標としているから 他人が突っ込み入れても全ては横レスに過ぎず無意味 常勝不敗の土鍋システムに隙は無い
>>273 お前、三国志に「演技」と「正史」があるのを知らんのか?
フィクションを基に歴史を語るのか。
標準化できない中世の兵士にはこんな奴もいたはずだよ。 訓練ゼロだが、飯だけは食わせてやると勧誘され、空腹だったので兵士になり、 その日のうちに槍を持たされて最前線に送り出されたとかな。 こうした今日で言えば派遣スタッフの悲哀のような人もいたはずだ。
>>274 平均寿命が23歳は赤ん坊の死亡率の高さから来てるだろ。
日露戦争の兵士だって、
数十キロの荷物かついで自分で歩いて戦地まで機動できてるわけだから、
お前のいう「運動経験ゼロの巨デブとか主婦」とは違うって話。
馬鹿か?
>>277 知ってるが火のないところに煙は立たぬという。
現代のスポーツ選手や財界人でも伝説の類は生まれているが、
それは100%嘘の場合もあるが、ある程度の真実を含んでいる場合もあるだろ
平民の戦力化はマウリッツの歩兵操典を待たないといけない
>>279 それが健康な行軍とは違うことはバターン死の行進が証明しているはずだ。
死亡者続出でフラフラになって精神力のみで歩いている状態だ
>>238 19世紀(幕末)スレ
327 :名無し三等兵 :2013/03/29(金) 15:01:51.17 ID:OYgZd0kQ
>306
おいおい。
幕末期には江戸で打ち壊しや火消し強盗が横行しているのだよ。
明治維新を前倒しでやれるという発想は現実的考えだ
火消し盗賊・・(´・ω・`)
>>284 "火消し"盗賊はなんか義賊っぽいなwww
>>283 んじゃ日露戦争の行軍で死傷者が出た率は?
行軍だけでだぞ。
標準化が無理だった前近代においては金持ちや乞食も標準化されてない。 現代の東京にいる乞食は標準化されているが、標準化されてない前近代の乞食には 明を建国した洪武帝のような物凄い乞食もいる。 標準化されてないから玉石混合だったのだ
>>285 江戸〜明治期の消防体制や当時の一揆・打ち壊しが近隣家屋への被害拡大を防ぐために最大限配慮を払っていて
その様式が秩父困民党にも継承されていたのも指摘されてたんだけど
「そもそも歴史や社会の知識が皆無」
なせいで全く理解できずに脳内妄想を続けてたけど流石に整合性が怪しくなってきて退散してた(´・ω・`)
>>286 赤痢、コレラ、脚気、凍傷で歩いて半島を移動したのだから物凄い率だったろうね
現代社会は標準化されているので標準化できない社会と言っても想像しにくいはず。 たとえば東大が学力で入試をせず、「東京都在住なら誰でも入れる大学」だとしたら標準化はできない。 「字の読めない70歳の東大生」もいれば「数学の天才である12歳の東大生」 など標準化できないキャンパスになるだろう。 そういうものを連想して欲しい
土鍋に目を付けられた時点で終わってるんだから諦めろ
まともな会話はあきらめたよ。 せめてコテだけでもつけさせたい。
>>293 こちらからの対話には応じないから無理無理
幕末スレでも散々コテかトリップつけろと指摘されたが完全スルーだし。
最近までsageのやり方すら知らなかったとこ見るに、そもそも指摘内容を理解してないのかもしれんけど
295 :
名無し三等兵 :2013/05/21(火) 18:33:58.83 ID:QidBj7aV
>>265 > それは弓矢や槍で戦い、死傷者も出るのだが現代の合理性から見ると理解できないような観念や習慣がそこにある。
> たとえば味方が優勢でも腹が減ると、野球で言うタイムの時間になって両軍が戦争を中断し、自宅に帰って飯を食い、
米軍のステーキ・タイム、英軍のティータイムと、現代の合理性から見ると理解しやすい例ですな
不合理なんか現代戦でもいくらでもある。 38度線でも相手と同程度の兵器での同規模の報復は可とか、 アメリカがキューバにグアンタナモ基地の賃料払ってるとか、 対物ライフルで人間撃つのは国際法違反とか、 PMCの会社員が戦闘中に射殺されても戦死にはならないとか。
>>276 この人、何と戦ってるのかよく分からんかったが
その説明で納得できたわ
無敵なわけや
しかし自分自身以外の誰にも勝てないわけで。 阿Q正伝の阿Qが自分をぶん殴って勝ち誇ってるようなもんだ。
結局一騎討ちはあったのか無かったのか あったとして名を上げる為か単に同時に切りかかるのが邪魔なだけだろうか 乱戦だと敵味方識別が大変だろうし
>>295 では中世ヨーロッパのキリスト教会が魔女狩りを連発した非合理を
現代の合理性で理解できるか
>>299 騎士道なんて戦闘に邪魔だという発想はヨーロッパでも20世紀までないぞ。
現代の合理性が普及したのは20世紀以降だ
18世紀までの欧州では国王や将軍が最前列で突撃した。 19世紀の欧州でも元帥が突撃している。
ペストが大流行した中世ヨーロッパで健康人がどれだけいたの
そんなもんところによるわw
>>300 日教組が自衛隊や警察の子供をつるし上げたり、
保守派の校長自殺に追い込んだりするのと何ら変わりないと思うが。
要は中世から現代まで一貫して人間は合理性も非合理性も持っているってことだ。
ここは中世暗黒時代の混沌を、レスで再現するスレですか?
それをもたらした土鍋さんはまさに這い寄る混沌そのものだな
>>299 日本史の教科書は、一騎討ちがあったのか無かったのかレベルじゃなく合戦は全てそういうルールで
行われたって書いてるわけでそれなら話は簡単。
そんなルールは存在しなかった。
史料でも普通に集団戦法同士の戦いの方が圧倒的多数なんだし。
韓国陸軍の白善Y将軍は多富洞の戦いでは師団長自ら先頭で銃剣突撃してるし、 米軍のウイリアム・ディ−ン少将は師団長自らス−パ−バズ−カ担いで対戦車戦闘してる。
>白善Y将軍 この人なしでは韓国という国があったかどうかもわからない本物の英雄なのに なぜか若造の国会議員に親日派認定されて不遇な人か。
「英雄を冷遇する国、その国は栄える」 古代ローマ共和国 「俺ら李舜臣の時からずっとそうだけど?」 朝鮮 同じ、半島なのに何故こうも違う?
後三年記でで一騎打ちの記述があるけど 一騎打ちで義家側の鬼丸が勝つ→敵側の数騎が死んだ味方の首を取り戻そうと乱入→義家側も応戦→双方乗り込んで乱戦状態 と名誉もへったくれもねぇわ
あれって戦況が膠着して退屈だから両軍から勇士を出して 一騎打ちやりましょうという申し合わせの結果 行われたもんだしな。 かなり特別な戦闘だよな。
戦局を左右するような人物による1対1で周りは手出ししないでゴクリって 息飲んでる文化はどこにも存在せんてこと?
互いの領地をかけて一騎討ちやって、自軍の代表者が負けたとします。 貴方は、その結果を受け容れて武器を捨て、領地を明け渡せますか?
>>314 スコットランドとイングランドの戦争で後のスコットランド王と
イギリス貴族が一騎打ちやってる。上の立場の人間同士で双方の名誉をかけて戦うような
戦闘が稀に行われることもあったんじゃない?これも結果的に一対一の状況なのか
呼びかけによって行われた特殊な戦闘なのか詳しくは知らんけど。
ちょいちょい一騎打ちはやってるみたいね。 特に血気にはやった若い騎士や武士とか、将軍とかが。 何となく一騎打ちは邪魔しちゃいかんみたいな空気になってる時に だいたい起きてるくさいが、 わざわざ個人の戦闘が史書に乗るくらいだから、 古今東西非常に珍しい現象だったんだろう。
>>304 中世ヨーロッパはペストで3人に1人が死亡したと言われる。
ねずみやノミだらけだったからだが、そのような不潔環境では健康人はゼロに近い
>>305 日教組は共産主義イデオロギーだから近代的非合理とでも呼ぶべきものだろう。
毛沢東やポルポトに通じるイデオロギーだ。
狂気である点は同じだったとしても中世ヨーロッパのキリスト教会とは質的に違う。
一方的に妄想垂れ流し。。。 こ、これが噂の土鍋システムか?
一騎討ちを否定する論者の矛盾を指摘してみたい。 まず中世がガチガチの身分社会である点を無視している。 それは中世の戦場においてもそうで、合戦のときだけ身分が廃止されたなんてことは無い。 身分が廃止されるのはフランス革命以降である。 そしてガチガチの身分社会では戦場で武将が「身分の低い雑魚どもはどけ」と叫べば、 大名行列に土下座する百姓のように雑魚が退き、高い身分の武将どうしで一騎討ちが起きた としても身分社会ではおかしくはない
土鍋も一騎打ちの話だけなら内容は無いけど一応このスレの流れをくみ取ってるからまあいいんだ なぜ誰も付いて行けない方向に話を広げてしまうのか
戦争のルールは時代によって違う。 第一次大戦では毒ガスが無制限に使用されたことは有名だろう。 しかし今日では公式には毒ガスは禁止されている。 戦争だからルール無用なんてことは無いのだ。 ならば身分社会の中世で一騎討ちがルール化されていたとしても不思議はないではないか
>>322 中世は現代人には理解しがたい時代なんだ。
近世である江戸時代の慣習だって理解しがたいものは多いし、
それは踏まえて欲しいからだ
それなら日教組がどうこうとか左翼がーとか要らんやん
>>318 アホかw
スポットに発生する伝染病に常時罹患してるわけねえだろw
健康問題なら、摂取カロリーや必須栄養素の不足や医療の問題だろ
>>321 ムダだろうが一応
一騎討ちの有無はともかく、その論理はおかしい
身分差があるならなおさら雑魚はムキになって襲いかかってくる
成り上がるにこれ程の好機はないだろうし
現に誰かさんも身分差乗り越えようと必死だろ?
彼は彼自身の知的ハンディキャップを乗り越えようとしてるのさ。 ここじゃないところでやってほしいが
>>323 >ならば身分社会の中世で一騎討ちがルール化されていたとしても不思議はないではないか
この事例を自分で引っ張ってくる努力をしてくれ
>>326 ペストはノミやねずみが媒介するからスポットでは終わらず拡大する。
だから伝染病と呼ぶ
>>327 君の発想では雑魚は一切時代の制約を受けない無政府主義者なのか?
成り上がりが普遍的現象であったかのように思うのも間違いだ。 戦国時代でも豊臣秀吉など数えるほどしかいない。
現代ならともかく、弓矢や槍の時代にどうして雑魚が強いのか。 ロシア革命あたりの民衆バンザイ史観に支配されていないか? 近世である江戸時代の民衆は身長が低く、子供程度だよ
卑弥呼が当時の日本で最強の戦士だったという仮説も唱えておきたい。 魏志倭人伝には卑弥呼が妖術の達人だと書いてあり、弓矢や槍ではかなわない ほどの妖術師だったので豪族も卑弥呼に従ったという仮説だ。
釈迦やイエスキリストも伝説が真実ならエスパーだし、エスパー抜きに 前近代は語れないと思うぞ。 左翼は反対するだろうが
左翼思想では卑弥呼は無知な民衆をだました詐欺師ということになるが、 それほど無知なら身分が高い武将を神だと思い、恐れ多くて雑魚は襲えない。 これでも一騎討ちが成立する
いい加減ID出すかトリップつけてくれんかなぁこのキチガイ 電波垂れ流すならせめて識別隔離できるようにしてくれよな なんでsageてんだよ、幕末スレではageのまま書き込んでたくせに
>>337 土鍋も土鍋なりに火消し強盗の悲劇(喜劇)に学んだんでね?(´・ω・`)
>>338 IDが見当たらなくなった分我々にとっては事態が悪化しとるw
エスパーとか言い出してるし。
>>323 少なくとも日本の中世で一騎討ちがルール化されていた痕跡はない。
つまり、一騎打ちなんてルールは存在しなかったということだ。
戦国時代の百姓は落ち武者狩なんかをやってるように普通に戦えるんだが。 というか戦国の雑兵の実態は明確になっていないところはあれど、仕事にあぶれた百姓が傭兵的に 兵員になっていたという可能性が高いんで、下層階級出身の一般兵卒でも十分な戦闘能力はあるんだが。
階級に関係なく武器持ってて好戦的だと言われる時代だからね。 フロイス『日本史』 ・日本では、今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者が、 ある年齢に達すると、大刀(エスパーダ)と小刀(アガダ)を帯びることになっており、 彼らはこれを刀と脇差と呼んでいる。彼らは、不断の果てしない戦争と反乱の 中に生きる者のように、種々の武器を所有することを、すこぶる重んじている。 ヴァリニャーノ 『東インド巡察記』 ・世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、 若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、 十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。 ・日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。 そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば 人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が 実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪われているものと思われる。
外人の偏見も入ってそうで何とも言えん
戦さ嫌いで武器を持ってなかった同時代の証言があるんなら見てみたいね。そうじゃないと 単に自分が気に入らないから否定しているようにしか。
元禄時代のころの話だが昔は毎日のように下人の手打ちがあって今みたいに無礼をはたらくやつなど いなかったのに最近は嘆かわしいとか 黄門様が若いころ仲間にあの乞食斬ろうぜと誘われていやがったけどみんなやってるこんなこともできないのかと笑われて 斬ってしまったことを後悔してるとかの話のように戦国から江戸初期は人の命が安かった
まあ決闘社会のヨーロッパも安いといえば安いが オット-スコルツェニーとか20世紀にもなって決闘で怪我してんじゃねえよ
刀狩りなんか本当はなかったから
お百姓さんも、水争いだの土地争いだので抗争していたし、そうやって頭角を表したのが地侍なんだから、強いのは当たり前。 この抗争には妙なシキタリがあって、場合によっては、近くの神社や寺、領主が仲介に入って治めることが良くあった。 この時、一方の犠牲者が多い時は、そのおさまりを付けるために、加害者側から生贄を出して帳尻を合わせる。 『生贄』と呼んだのは、必ずしも殺した張本人でなくても良かった為で、あくまて相手方が溜飲を下げられればそれで良かった。 これを『下死人』と呼び、後世において犯罪者を『下手人』と呼ぶいわれともなったが、もともとの意味とは異なる。 戦国大名が台頭して地域支配を完成させるまで、中世の治安が非常に悪く、法の整備は未発達であった。 また百姓も武装して戦い、地侍から武家へと力をつけていく勢力以上は、武士とそれ以外の区分けも曖昧なものだ。 例えば徳川家にしても、その発祥はかなり怪しいもので、決して豊臣家を馬鹿に出来るものではなかった。 ただし何代か武士が続いており、まがなりにも官名もあったので「三河にの地に代々住まう〜家」と名乗れた。 この辺り、一代で成り上がった豊臣秀吉はつらいものがある。
出生なんて偽造偽造じゃねえか 家系図は今作ってるって答えのは池田だったっけ 藤木さんの「戦国の作法」にそのあたりは詳しいが「解死人」って書いてあるな ふと思ったがそういうもめごと解決するための行政機関が地頭だったような…
ルールなど無い 雇用主が死んでしまえばそれまでというのはルールではないよ
宣教師の報告だと日本では裏切りが絶え間ないとかもあったよな。 戦国の武士道は現実的だわ。
まあ降伏落城でも城から出て元の主君のところに帰るわけでもなし 新しい主君に使える場合も多いからそりゃ確かに裏切りが絶え間なさすぎるw
ルターや英国王、オランダスイス北欧に裏切られまくりのカトリックの宣教師がよくいうよな。
ジャレド・ダイアモンドの新著「昨日までの世界」でニューギニア人の「戦争」について書かれていて
ドキュメンタリー映画DeadBirdsで映像にも収められていたけど
DeadBirds
http://vimeo.com/56655474 相手側に戦闘の場所や日時を指定することや(受けても無視することもできる)戦闘中でも雨天中止もあるから
「戦争」ではなく儀礼化した一種の「スポーツ」ではないかとの意見に
居住地区が湿地帯のために会戦が可能な乾燥した場所が限られていることや沼地での追撃・退却が困難なために
儀礼化して見えてるけど「戦争」に違いないと主張してた。
近年ではインドネシアやニューギニア政府の介在で部族戦争はほとんど収まっていて
「パックス・インドネシア」がもたらされているみたいですね。
エゲレスでは19世紀にパンを盗んだ10歳と9歳の姉妹が縛り首になったって話がどっかのスレにあったが。
産業革命真っ只中のエゲレスじゃ小さい子供がドブさらいをして金属やら金目になるものを漁ったり ロンドンの成人女性の13人に1人とかが売春婦だったとかの統計もある位貧富の差がはげしいからなぁ 地方から議員がロンドンに集まってきてもみんな売春宿にしけこんで議会が開けないから議会の役人が 売春宿を回って集めて回ったとか何とか
357 :
名無し三等兵 :2013/05/24(金) 17:06:16.83 ID:fLoHSxpy
>>356 人口が数千万なのに200万人近い売春婦がいる韓国
みたいな国がリアルに現在あるけどなw
せいぜい25人に一人だよ
女って人口の半分なんだけど
時代的に売春などあたりまえの存在だったが日本軍が朝鮮で
売春婦を現地調達した事をネチネチと・・・
>>355 それくらいやらないと統治できない時代もあった
子供だから可哀想なんて言えるようになったのはつい最近
>>348 歴史的事実を無視して百姓は強かったと言うなよ。
日本の戦国時代の百姓は火縄銃を持って大一揆を起こしているが、
一揆軍よりはるかに人数が劣る織田信長の軍隊などにボロ負けしている。
>>356 19世紀のロンドンに凄まじい貧富の差があったのは事実だが、マルクスが故意に
見落としている点がある。
それは19世紀のイギリスは産業革命と植民地からの収奪によって高度経済成長をしており、
何もない田舎者でも商売や株式投資で成功する確率が高かったという点だ。
毎日がバブルという状態だったのだね
イエスキリストが磔にされた後に生き返ったという伝説は中世ヨーロッパでは 疑うことも許されない宗教教義で、疑えば異端裁判で火あぶりにされる。 キリスト教会が絶大な権力を持っていた中世ヨーロッパではイエスキリストは神の子であり、 神の子だから超能力で死んでも生き返り、空中からパンを出したという話は真実だとされ、 前述のように火あぶりだ
「えーでも前近代の民衆はカルト宗教のキリスト教会などに脅されて、でたらめな教義を 信じるふりをしていただけでしょう」と思う人もいることだろう。 しかし新聞もない時代には民衆には判断材料など無いのだ。 さらに中世には近代的な科学もまだ無い。 江戸時代後期の民衆でも強制されたわけでもないのに宗教的信仰心からお伊勢参りを 大勢の民衆が行っており、江戸の町人はお札でコレラを防げるとマジで信仰していた。
15世紀に栄えたアステカ帝国は中米においては最高レベルの文明だったが、 アステカ人は太陽の神に生贄を捧げる儀式を熱狂的に行っていた。 ヨーロッパにしても16世紀から17世紀にかけては血なまぐさい宗教戦争をしており、 近世でもそんなもんだよ
素人の民衆が強くなるのは安価な自動小銃が普及してからだ 20世紀後半になってから
カムイ伝という漫画では江戸時代の百姓全員がマルクスレーニン主義の思想を 一言一句間違えることなく丸暗記している。 しかしそんなアホな話はありえないだろ。 マルクスの本すら無かったんだから。
「中世のお百姓さん達は現代の東京の渋谷にいるスマートフォンを持つ若者と同じ発想をしていた」 そんなアホなことがあったらおかしいだろよ。 19世紀のロシアでナロードニキ運動というのがあって左翼インテリがロシアの農村にマルクス主義を 広めようとしたのだが、まったく理解されずに終わっている
1960年代の学生運動だって民衆の意識とはかけ離れていた面がある。 当時の東大生は「俺たち東大生はエリートでマルクス主義は正しいのだ」と考えていたが、 当時の東京都内のタクシー運転手や千葉県の漁師は東大生はただのきちがいだと考えていた。
1960年代の学生運動では左翼学生は「俺たち革命的人民は最強だ」と考えていた。 しかし学生たちは警察の機動隊と棒で殴りあいになると「ひーっ!ママ助けて」と泣き叫ぶ者が続出した。 泣いて逃げるだけの幼児に等しいものが多かった。 「やめて殺さないで」と東大生の多くが悲鳴をあげたのだ。 ようは訓練もろくにしてない臆病者は弱いのだ。 このように事実から言えば臆病者は弱く、反対に足利尊氏は強かったので室町幕府を開けた
いいか。 中世のモンゴルは木が乏しいから弓矢の矢は貴重品なのだ。 「矢なんて工場でいくらでも作れるでしょうよ」と思うやつは顔を洗って出直して来い。 仮に木があっても、斧で切り倒し、木材を加工して弓矢を手作業で作るのは大変なのだ。 だから森林地帯を制圧する以前のモンゴル軍にとって矢は希少であり、無駄撃ちできるようなものではない。
近年ではモンゴル軍が矢の雨を降らせて戦ったという従来のイメージはさまざまな角度から 再検証されている。 まず地理的にも工業レベルから言っても矢の大量生産ができなかったモンゴル軍が ユーラシア大陸全域にまたがる広大な作戦面積で矢を撃ちまくれるはずが無いからだ。 それは近代工業やトラックが無いとできない話なのだ。 ではモンゴル軍はどうやってユーラシア大陸を征したのか?
仮説として提唱されているのはモンゴル軍が大量の軍用犬を持っていたという説だ。 家畜の羊や馬、野生の鹿などの肉を餌に大量の軍用犬を飼育していたモンゴル軍は 戦闘ではまず軍用犬の群れを突っ込ませた。 犬は馬と同じスピードで走るし、大量の軍用犬が敵の騎兵や歩兵に襲いかかり、 敵が混乱しているところに接近して短距離から正確に弓矢を撃ちこみ、そのうえで 馬に乗ったまま槍を持って突撃した。
それから中世の日本には植林の発想が無かったので山はほとんどハゲ山だったという説もある。 これが事実なら中世の日本では木材は貴重品であり、黄金に等しいことになる。 そして木材が貴重なら、木炭も貴重であり、鍛冶屋が木炭を焚いて刀剣を作ることはコストが高い作業になる。 木材も刀剣も黄金のように高額だったと仮説すれば、貧乏人は剣が折れても新しい剣を買うこともできない。 すると戦いが長引いて弓矢や刀剣が消耗すると、あとは地面に落ちている石と空手などで戦ったことになる。
◆土鍋さんへ◆ 僭越ながら小生がスレを代表して土鍋さんにこれまでの非礼を謝罪するとともに降伏します 改めて過去レス見直しましたが、冷静に判断するとどう考えても貴兄が一番正しいです どうやら、このスレはもとより2ちゃんは愚者ばかりで貴兄と対等に議論できる賢者はいないようです 土鍋さんの完全勝利です 貴兄は2ちゃんに収まる器ではありません これを機に新たなステージで活躍してください
「突撃なんて前近代的ですよ」と言う人に考えて欲しい歴史的事実がある。 前述の1960年代の学生運動では東大も早稲田も警察が投入されるまでは 偉そうなことをほざいていたのだ。 しかしいざ警察が大学に突入すると東大生も早稲田の学生も泣いて逃げる奴が大半だったのだ。 警察が早稲田の学生を捕獲して殴ると、早稲田の学生は「警察様の言うことは何でも聞きますから 命だけは助けてください」と泣いて土下座したんだよ。 これでも突撃が無意味だと言うのかね?
おつかれさまでした。お元気で。
二度と来なくて良いからね
残された我々は研鑽に努めますから、まさか再び訪れて連投するようなしつこい「左翼」そのもののような 行いをなさるとは思えませんが、安心して「新たなステージ」でご活躍ください。 おつかれさまでした。お元気で。
↑負け惜しみだから気にしないでね 色々教えてくれて、ありがとうございました
しばらく見ないうちに変なのが住み着いたな。 このスレも終わりかな
土鍋大先生の新たな門出を祝おうじゃないか 男気溢れる土鍋先生は、まさか卒業後もここに顔を出すなんて女々しい真似はするまいよ
アオルナヨ…
>>373-374 モンゴル軍が矢の雨を降らせて戦ったという記録は数多く存在するが、大量の軍用犬を使ったなどという
記録は無い。
つまり、モンゴル軍は矢の雨を降らせて戦ったのであって、大量の軍用犬を使ったわけではないってこと。
いいよいよとなればシベリアに避難所スレでも立ててほとぼりが冷めるのを待てばいい 粘着荒らしが居ついた場合はそうやって対処してるスレも実際いくつかあるわけだし
>>386 それだけの大量の矢をどうやって量産できたんだ、遊牧民のモンゴル人が。
反対に犬なら遊牧民だけに羊肉や鹿肉で飼育できる。
モンゴルが今の草原になったのは明代以降だって説がある 元々はバイカル湖辺りから続く大森林地帯だった
>>388 遊牧民は定期的に定住民と交易して必要なものはそこから入手してたよ。
モンゴル軍が大量の軍用犬を使ったなんて記録がない以上、モンゴル軍は大量の軍用犬を使ったり
してなかったんだよ。
モンゴル軍はあらゆる物を飲み込んで強大になった 国粋主義ではお話にならない あとね、矢ってのはリサイクルできる経済的なもんだ 諸葛孔明が敵の矢をまんまとせしめる話あったよね 実際戦場では敵の放った矢を撃ち返す事もあったろうよ お互いにそうしたら矢は尽きる事がないw
話を変えるけど フン族は匈奴の末裔とかいう説があるけど 東西で活躍した遊牧民族というと何があるだろう。 柔然がエフタルやアヴァールとして大活躍したとも聞くけど。 遊牧民族の機動力というか、活動範囲の大きさはどこまで信用していいものだろうか
先陣の騎馬部隊の後方に女子供の非戦闘員や使える技能を持った(生かせておくに値する)捕虜の群れも続いていて 戦闘終了後に回収・修理、随時オアシス都市なり定住民から入手する物資(鉄・樹)で補充してたんだろ。
>>392 「民族」と「東西」の定義がないとなんとも、遺伝子だけで言えばマジャール人(現ハンガリー)には
モンゴロイドの特色も見られるそうだし。
演義のネタだなw
話題になってたモンゴルも、東欧やエジプトまで進出していたし、オスマン・トルコも相当な版図だったよね。 ただオスマン・トルコは、西端がウィーンだったとして、東端がどの辺りまで進出したか思い出せない。
>>391 その手の逸話はイギリスに多かった気が。自分が射た矢を陣地から飛び出て走って回収云々て
トルコ系というくくりでなら突厥=テュルクはモンゴル高原全土支配してたけど、 彼らが後のオスマントルコとどこまで繋がるかはわからんな。
同時代で風俗に共通点があると言っても骨調べて遺伝子情報取り出しでもしない限り アイデアの伝播なのか特定集団が分化したのかなかなかわからんもんな
日本刀とロングソードが対決したら日本刀が折れますが なぜ武士は耐久度の低い日本刀を使ったのですか? 単なる伝統?
何でわざわざ変な書き方してageてるの?
単なる荒らしだろ。そもそももっと限定してなにを比べてるのか書かないと答えようないだろ 日本の刀も西洋の剣も時代・用途によって形状さまざまだろ
セルジューク朝とオスマン朝は一応繋がりあるんだっけ?
これはかつてないマイナー世界の予感
いや、武士がロングソードとか使えば甲冑ごと叩き割れるんじゃね?と思っただけ 江戸時代は合理性関係ないから戦国時代とかにさ ・・・西洋から伝わる頃にはもっと合理的な鉄砲も来てるよな 自己完結
つまりヨーロッパでは騎士が鎧ごとロングソードで叩き割られてたわけだ ロングソード最強すぎるわ
付き合ってんのか自演なのかわからんが土鍋並みにうざい流れ
農業の生産力の高さから多くの余剰人口抱えることのできた日本のほうが鍛冶の分野でも 多くの手間かけられてるんだけどね。刀鍛冶が一人前になるまでの期間と刀ひと振り作るんために 使える資源の量が西洋と比べ物にならなかったような。1対4の西洋に対し1対20〜40だっけ どんだけ無駄遣いしてんだよってレベル。大量生産の祖製品はもっと比率低いんだろうけど
>>398 オスマンの東はサファヴィー朝ペルシャが頑張ってたんだったかな?
オスマン帝国展でペルシャに贈ったごっつい宝石付きの短剣が印象に残ってたけど。
オスマンは時々展覧会があるけどペルシャはイランとの関係もあるのかあんまりないよね。
ヨーロッパは甲冑が発達したので斬撃は思考停止 鉄の棍棒 一方日本は三寸切り込めば致命傷たりうる、ともかく斬撃を磨いた
トルコが伝統的騎射中心から火薬中心に転換したのっていつくらいからだろうか?
でも火薬中心になっても騎射も残ったんだよな。
オスマントルコは遊牧民国家じゃないだろ。 主力のイェニチェリは歩兵だし。 陸軍力よりは寧ろ海軍力に物言わせて地中海、紅海、ペルシャ湾を抱え込むように 版図を広げたイメージ。 陸上の長距離遠征では西のウィーンでも東のペルシアでも兵站が破綻してた。
オットマンのジャニサリーズは建国当時からいたんだっけ?
>>416 兵站破綻?攻城戦あんだけ長期間続けて?ちと乱暴過ぎないか
さらに陸戦で勝利納めた征服地内の経済活動守るために海軍あったんで
あって海軍の力で領土広げたわけでは二と思うけど
>>418 海軍の力で領土広げたんだよ。
ウィーンにたどり着くのが精一杯の陸軍が北アフリカやアラビア半島沿岸の
奥地まで侵攻できるわけないし。
そういう地域はガレー艦隊が沿岸の交易都市を攻め落とすしかない。
何を寝言言ってるんだこいつは?海軍の整備された時期考えてからものいえよ そもそもアフリカの交易都市攻め落としたってなんだそりゃ?交易ルートの拠点 アレキサンドリア、イスタンブール抑えて交渉で半独立領で取り込みだろうに 妄想でももう少しましなこと書けよ
それ以前にアラビア半島沿岸を艦隊で移動は至難の業かと。内陸交易路が廃れず残り続けてる状況なのに
>>420 オスマン帝国の領土か飛躍的に増大したのは、バルバロッサの帰順で
海軍が整備されてからじゃん。
海軍力なくしてスペインとの係争地だったアルジェやチュニスの征服はあり得ない。
ポーランドにたどり着くのが精一杯だったモンゴルも 海軍があればもっと征服できたのかな?
多分、広い領地を統括、管理するには通信の発達が不可欠だから海軍力がある無しはそこまで 関係ないと思うぞ そりゃ半分独立してる太守みたいな関係なら広くても良いかも知れんけど統治、運営ならむりだろ
ローマ帝国があれだけ広い領地を統括、管理できたのは地中海の制海権を 完璧に掌握してたからだろ。 海軍力さえあれば、かなり離れた領土でも統括できることは、スペインや 大英帝国が証明してると思うけどね。
確かにモンゴルは海軍力がないからあの程度しか征服できなかったんだよなあ。
>>425 > ローマ帝国があれだけ広い領地を統括、管理できたのは地中海の制海権を
> 完璧に掌握してたからだろ。
海軍力の効果を過大評価しすぎだよね
その論はむしろ逆
沿岸拠点を制していたからこそ制海権を確保できたんだよ
>>425 お前、国土と国力混同してるんだろう。中世から・近世にかけてスペインに
外洋の海軍力なんざないよ。大航海時代のゲームに毒され過ぎ
>>427 海軍力がなければ沿岸拠点を制することなんて出来ないよ。
海路封鎖されたらどうやって沿岸拠点維持するのさ?
規模は違えど瀬戸内海なんか荒らした海賊も所詮海賊じゃん。 内陸部を順次制圧されればそれまで。 威張れるのは小島周辺のみで立ち枯れるしかない。
>>413 一概にいいすぎ。
あのね、時代や国によるけど、
日本も甲冑発達してたほうの国。
ヨーロッパの武器=堅牢というイメージがあるけど、
それはあえて研がないでほぼ鈍器として使ってた国があったから。
たとえば日本刀の幅は狭いけど、比較対象によっては日本刀の厚みは西洋剣の倍。
どっちが堅牢かわかるな?
とりあえず騎士=重武装 武士=軽武装
西洋の武器=鉄の棍棒 日本刀=脆弱だが切れ味鋭い
みたいな偏見はどっからくるのか教えてくれ。
>>422 飛躍的に拡大したって何を持っていってるんだ?経済・人口の中心地となるところの
大半は15世紀だしアフリカのマムルーク征服したのもヤヴーズの頃だろ(ついでにいやあ
彼と息子の時代にベルバリ海賊がトルコに帰順)
>>427 まぁ、たしかに当時の艦隊って、ガレー船主体で
沿岸でしか行動できないから。
陸上拠点を持っている状態ではじめて輸送力として意味が出てくるってのは事実よな。
よくある勘違いとしては近代近くまで実は艦隊って、
制海権を持つのが難しい兵種だったってことだな。
>>428 前スレか前々スレだったかでスペイン海軍は英西戦争に外洋でのノウハウ持って
なかったと指摘されてたね
>>433 内燃機関と空からの監視がなければね。一度出しちゃえばなかなか連絡がつかなかったし
>>434 オランダ独立戦争では
オランダの軍はマウリッツが出てくるまでほぼスペインに歯が立たなかったが、
市民巻き込んだ防戦と、海賊紛いのオランダ海軍(というか私掠船というか)は例外で、
金貨積んでアメリカ大陸から帰ってくるスペイン船をオランダ船が襲いまくってたな。
>>432 マムルーク朝征服したのはセリム1世の時代だよ。
438 :
432 :2013/05/27(月) 11:28:50.18 ID:???
>>437 君が世界史に無知だということ露呈させたな。海軍が強かったと騒いでる子なら黙っとけよ
土鍋がいなくてもなんか荒れてるじゃねーかw
>>437 トルコが陸軍より海軍を重視してたなら大宰相・他の高級官僚は海軍出身になると思うんだが
どう見ても陸軍出身者が多数しめてんの気のせいか?
>>438 1516年のマルジュ・ダービクの戦いって何処と何処の戦いかググってみたら?
>>441 まさかセリム1世の異名知らないのかコイツ…無知引っ張り出すためにてらったら
本当に釣れるなんて。よくあることだけど
>>442 イェニチェリと大砲が活躍した戦のはず。ちと手元にないんであれだが陸戦だよ
>>443 で、セリム1世の時代にバルバロッサが帰順し、彼の息子の時代に海軍力に
よってオスマン帝国の領土が飛躍的に拡大したのには異論ないんだろ?
紅海沿岸、北アフリカ、ロードス島、全部海軍力によってもたらされた領土じゃん。
>>444 海軍でマムルーク朝を滅ぼしたんじゃないんですか?
このスレの流れだとそれを期待するんですが。
>>445 いや、飛躍的に拡大したのは征服者と冷酷者の時代なんだが
この時代の後に手に入った主要拠点てどこだよ
まさか手に入れた経済的権益守るための外縁を主要領土と考えてるのか?
>>445 ちなみに赤ひげは尊厳者の時代に帰順でアフリカの主要拠点は
すでにトルコのものになった後なw
間違えた。「尊厳者」→「立法者」
>>447 それは、主要拠点を手に入れたのが征服者と冷酷者の時代で、
領土が飛躍的に
拡大したのが尊厳者の時代だろ。
俺は最初から一貫して、領土を飛躍的に拡大させたのが海軍力だって書いてるぞ。
北アフリカやアラビア半島沿岸の奥地までどうやって陸軍が侵攻するんだって。
>>450 具体的にはどれくらいの規模の艦隊でそれらの奥地に侵攻したんですか?
>>447 トリポリは主要拠点じゃないの?ただ軍事力で征服ではなくここに土着した勢力が
スペインとの争いの後ろ盾としてトルコ必要とした結果。バルバロッサのことだけど
さらにロドスの占領は陸軍を大規模に上陸させられたからでマムルーク、ヴェニス
が衰退し他国の海軍がいなかったからできたこと。これは大規模な海軍を
トルコが持ってることから直接導かれない。
ちなみに紅海の沿岸のトルコ領は帆船が活動できる地域じゃないんだ
水も風も満足に動かないうえ、接岸出来る水場がない…
>>450 えーとスレイマン1世の拡大した領土はセリム1世より小さいうえ、人口も過小な地域が第一点
さらに軍事侵攻による占領ではなく経済的交流・安全保障を主眼とした従属化で征服に
陸軍も海軍も侵攻してないってのが第二点
>>450 ところでアラビア半島のトルコ領にどうやって海軍侵攻したの?港どこ?
イラクはどう見ても陸軍の征服にしか見えんw
海軍でアラビア半島占領できたならなんでイエメンからマダカスタルにかけて
伸びてた交易国家がトルコに従属してないの?
>>452 ロドスは軍事占領だろw赤ひげの基準前だけどw
海軍さんコテハンつけるかID出してほしい。
>>454 失念してた申し訳ない。上段で軽く触れてるということで。
さらに中東のバグダッドはスレイマン一世の時代には
衰退してたことも書いておく
457 :
452 :2013/05/27(月) 12:27:24.19 ID:???
読み直したらもっと大きなミスをしていた
下段は
>>450 であげられた地域のことへの反論
>>453 イエメンからマダカスタルにかけての海はポルトガルが制海権持ってたからだよ。
地中海や紅海ではオスマン海軍のガレー船がポルトガルを寄せ付けなかったけど、
外洋では歯が立たなかった。
誰か欧州で面白い本を教えてくだしあ ヨーロッパ史における戦争の歴史、補給戦、戦闘技術の歴史、物語シリーズ、中世騎士道物語、城の生活と農村の生活、中世ヨーロッパの武術、城塞、などは読みました
>>458 制海権ポルトガルが持ってたってなんだそりゃ?大航海時代のゲーム本当にやり過ぎてないか?
帆船同士海戦のノウハウこの時代の後の少し後のスペインでさえ持ってないと直前で
指摘あったばかりなのに
>>455 同意。
完璧な制海権とか言い出してる時点でおかしいし、
海上封鎖が成立する条件も考慮してない。
時代的にもトルコノスレイマン1世の時代はまだ欧州国家は探検してる最中で 安定した勢力持ってない気が。ポルトガルにしてもインドの足がかり必死に強化してる最中で 介入できる余力あるわけないだろ
海軍さんコテトリIDよろしく。
海軍さんの主張はオスマントルコが初期から海軍を整備し 陸軍よりも海軍を重視したことで領土を飛躍的に広げたでいいのかな? それに対する突っ込みが強力な海軍持つ前に大規模な拡張は終了してると その後の拡張も陸軍によるものが主で、海軍は既得権益の保持のために 運用されたでいいのかな?
>>464 海軍の整備はバルバロッサの帰順後って書いてるし、陸軍ではスレイマン時代の
ウィーンやペルシア遠征で限界に達してたわけで、そこから先、地中海や
ペルシア湾や紅海を抱え込みように領土を拡大できたのは海軍力の
お陰だろっていってるんだが。
海軍さんコテトリIDはよ
>>465 北アフリカはバルバロッサの勢力圏だったから彼の帰順によって領土として手に入ったんだが
一体何を言ってるんだ?ついでにアラビア半島の聖地もバグダッドも陸路以外でどうやって
行くんだよw
ペルシア湾の海軍の整備はアラビア半島の付け根を抑えたことでその方面でペルシャと
対峙することになったからで海軍あったから領土手に入ったわけじゃないだろ
因果関係いい加減ひっくり返して語るのよせよ。ついでに海軍を整備・維持
するのは先に領土を手に入れて収益入る状況作らないと無理
>>466 おまえ
>>416 であってんだよな。言ってること支離滅裂だぞ。
帝国の伸長の中心にどうやって海軍据えられるんだ?
そもそも中世・近世なら海軍のほうが陸軍運用するのに水その他の資源使うんだから
陸路がつながってる状況で攻勢限界に達する(どういう状況を指してんのか今一つ不明だが)
海軍じゃもっと役に立たねえ
>>459 サイモン・シンの「暗号解読」とかどうよ?
カエサル暗号とかメアリ一世の使った秘密通信なんかの手段がわかりやすく解説されてていい暇つぶしになるぞ
>>459 ハプスブルクとオスマン帝国 - 歴史を変えた〈政治〉の発明 河野 淳 講談社選書メチエ
ハプスブルク帝国がオスマン帝国と対抗していくなかでいかに諸侯から軍費を巻き上・・献上させるか
を描いた一冊、データの提示やプロパガンダの駆使など近代政治につながる手法を脱線気味のエピソードで
結構手軽に読めた。
メチエとかたまにドマニアックで困る アレクサンドロス大王とかタイトルに偽りありすぎ
>>459 戦争の起源―石器時代からアレクサンドロスにいたる戦争の古代史
↑かなりオヌヌメ。
もしマケドニア軍と戦列歩兵が戦ったら?みたいな考察も
結構面白かった。
459じゃないけど暗号解読を注文してみた。面白いと良いな
>>472 見慣れないものへの畏怖がなく、純粋な戦力のみで計算したらわりといい勝負になるって話だっけ?
まあ、機関銃でるまでは戦場に最精鋭の兵用意できるなら、青銅以上の装備使えるのなら極端な
差は生じないか
スウォーロフが指揮すりゃ、どちらも運用方法は同じで、どちらも無敵なんだろうなw 「無駄ダマ撃つな、突貫ぁ〜んっ!」
残ってる肖像画が格好いい人か
>>453 1538年にハドゥム・スレイマン・パシャ率いる艦船72隻、兵員2万人の艦隊が紅海を遠征し、
アデンやモカを征服したんだよ。
ただ、艦隊は本来の目的地であるポルトガル支配下のディヴ攻略には失敗した。
その後、1551年のピーリー・レイスや1553年のアリー・レイスに率いられた艦隊が遠征してるけど、
紅海を出るとポルトガル海軍に敗れてる。
だからマダカスタルにかけて伸びてた交易国家を従属させることはできなかった。
>>460 つまり、紅海の外洋はポルトガルが制海権持ってたってこと。
>>477 はいペケ。実際にはトルコの時代にはマダカスタルに至る交易国家は存在しませんでした
おちょくるためのウソに真正面から踏み込んで脳足りん晒してくれてありがとう
>>478 なんかどうでもいいことばかり言ってくるね。
その辺のことは面倒だからコピペで済ましてるだけだから。
肝心の紅海沿岸を征服したのが海軍力だってことに反論できないから?
当時、紅海の外洋をポルトガルが制海権握ってったってのも事実だろ?
何で自分が無知でしたって認めないの?
>>477 ところでその時点でアラビア半島は陸軍によって占領されてるんだが
どこに
>>416 ,465の主張の根拠があるんだ?
>>478 ぶっちゃけお前の方が横から見てて恥ずかしい
>>479 陸軍によらず海軍によって大帝国が成立したことを主張しておいて
その根拠がイエメンの二都市ってどんだけしょぼいんだよ
時系列も完全にめちゃくちゃだし
>>480 実際オスマントルコは遊牧民国家じゃないだろ。
どこが間違ってる?
>>483 >陸軍力よりは寧ろ海軍力に物言わせて地中海、紅海、ペルシャ湾を抱え込むように
>版図を広げたイメージ。
>陸上の長距離遠征では西のウィーンでも東のペルシアでも兵站が破綻してた。
について突っ込まれてるときになんで突っ込まれてない遊牧民国家の部分の回答してるんだ?
陸軍=遊牧民とは恐れ入った。
>>482 陸軍によらずなんて書いてないじゃん。
陸軍ではウィーンとペルシアで限界露呈したって歴史的事実を指摘しただけだよ。
海軍がなけりゃ、それ以上領土拡大できなかっただろ。
お前ら論点詰めろや 何がどうしたら海軍国家で何がどうしたら海軍国家じゃないんだよ イギリスみたいな欧州は牽制であとは植民地みたいな海軍国家他にないんだからさあ
>>486 なんだそりゃ、陸軍なしでどうやって地域を占領するんだ?
>>477 で自分でも書いてるように
兵員は陸軍なんだが
お前らいい加減トルコ海軍が遊牧民でないと認めろや。
>>486 ベルベル海賊なんて海の遊牧民みたいなもんだから(震え声
>>486 素朴な疑問だが攻勢限界に達したと言ってる後で獲得された領土のうち
エチオピアとカスピ海に面する部分はどうやって海軍力で獲得できたの?
>>486 陸軍でさえ限界になる補給線は中世・近世の海軍じゃ代替できんよ
海運の輸送そのものは現代にいたるまで陸路に負けたことはなかったと思うが
議論()してる奴らに質問だが陸軍・海軍の定義も聞きたいが 版図にどこまで含んでるの?長官が宮廷から送られてくる地域だけなのか ちょうど今出てるイエメンのように地域王家が残ってる地域も含むの?
>>488 そりゃ例えば大英帝国だって地域を占領したのは最終的に陸軍だろ。
でも、海軍力によって帝国を築いたって普通言うじゃん。
>>496 領土に地方領主が事実上独立してて宗主権が名目上のものを含まないとそもそも
話が始まらないんで
>>497 で、トルコは海軍によって競争相手を打ち破ったの?ベネチア以外の主敵は陸軍によって
下してるように見えるんだが?マムルークもペルシャもドイツも陸戦が主
それから国外に展開するのに海軍が必要で展開時に他国の海軍叩くことで勢力圏広げた国と
主戦場が陸地のトルコの拡張をなぜ同一視できるんだ?
ついでに海軍によって到達できない内陸山岳地帯のエチオピアと
山岳地帯をわたって到達するカスピ海沿岸まで帝国が拡張したことは
>>486 に矛盾すると思うんですがそこら辺どうお考えで?
塩婆の小説を読んで歴史を知った気になってるバカがたまにいるよね
読んでないんだけどどっちがそのバカなんだ?両方うざいうえでソース出すかよそ行ってほしい
お前もだいぶ乱暴だなw まあよく考えると時代が違う気がしないでもないがw
>>500 出してるだろ。海軍が主で拡張に対しては海軍整備以前に獲得した領土のほうが
広い(セリム一世以前)
海軍整備以後も海軍では到達できない地域にも拡張してる(カスピ海沿岸、エチオピア)
さらに北アフリカの領土獲得は海軍による征服活動ではなく、その地域で海賊として
活動していたのがトルコの海軍になった結果、領土も付いてきたんで海軍による征服活動ではないと
>>416 以降の主張への反論でソースない部分あるかよ?
ソースってのは要するにおまいさんの主張の根拠を文献なりで示せって意味だよ
>>502 エジプトを除いた北アフリカなら海軍の征服でいいと思う。基本的に海上の
ドンパチ見て地元の領主が旗幟決めるんだから(19世紀までこの繰り返し)
>陸軍力よりは寧ろ海軍力に物言わせて地中海、紅海、ペルシャ湾を抱え込むように
>版図を広げたイメージ
からほど遠いけど
>>503 山川なり適当な世界史の教科書と、地形がわかる地球儀買えば
>>416 への反論にはそれで充分だろ。それとも内陸の標高高い所で
陸路以外の道がなくても整備された海軍で征服したなんてとんでも
論ぶちまけたいのかw
そういうだろうとは思ったが まあ物言いがバカっぽいのはお前さんのほうだよ
お前ら根拠出さずに印象操作で殴りあうなら寝とけよ。鬱陶しい
ちなみにオスマンなんて歴史の片隅なので 山川の教科書にもどっかの資料集にもろくすっぽのってない 当たり前だが
>>510 マジかよ浜島の資料集にメフメト2世とスレイマン1世だけはあったけどあとほぼ一括だぜ
>>511 スレイマン一世のってりゃ確認に充分だろ
>>512 セリム1世はいいのかよ
どうみても海沿い川沿いが大半だが
1568年 プレヴェザの海戦
(ヴェネツィアを破り地中海制海権獲得)
とか書いてあって海軍の影響大に見えるんだがw
>>513 1520年には死んでんだが…セリム一世の息子がスレイマン一世だよ
>>515 資料集がスレイマン1世とセリム1世が合体した地図しかないんだわ
>>517 ああ、それでいいならと探してきた
資料集は使えないことがそれ見て分かったw
お前らまだやってんのか。明日の朝までに結論出してまとめといて 30分おきに覗いても不毛なことしかやってねえw
しかしどうやって飛び地のアルジェとったんだこれ もらったのか
海洋国家であるか大陸国家であるかは宿命 かの第三帝国はドーバー海峡を渡れず 一方大日本帝国は大陸で海戦のごとく戦う愚行
日本帝国は、 もしかすると陸軍国ドイツに戦を教わるのではなく、 陸海軍ともにイギリスをモデルとするべきだったかもしれんな。
世界史はマクニールがいい
そうだな 日本はチハなんか作らず歩兵戦車マチルダみたいなの作っておくべきだったわ
日本刀は鎧の隙間にねじ込んで刺す武器だ。 鎧ごと叩き切るなどはゴリラの腕力でしかできない話で鎧が普及すると 刺すほうが合理的だった
1588年にスペインの無敵艦隊は当時の粗末なイギリス海軍にボロ負けしており、 外洋航海が風向きと潮向き次第だった時代に完璧な艦隊など作れない。 嵐に会ったら終わりだ
火縄銃では敵の歩兵集団の接近も阻止できないからマスケット銃には長い銃剣が装着された。 19世紀初頭のナポレオン戦争でもほぼ全ての戦闘で白兵戦が展開されている
長距離行軍でヘトヘトになった状態で白兵戦をしても勝てないから、休息や食事の時間を稼ぐことも 名将の条件と言えた
鬼神のような戦いぶりという言葉があるが、人間は戦闘になると文字通り顔つきが鬼となり、 ピストルで撃たれても痛みを感じないほどの極度の興奮状態になる。 火事場の馬鹿力というのは本当のことだ
古代から中世にかけての戦闘の多くは飢饉が原因の食料争奪戦だ。 勝たねば飢えて死ぬ。 平和を唱える余裕など産業革命以前の世界にはなかった
長篠の戦の三段撃ちも後世の創作だしな 200メートルを15秒で走ってくる馬に対して火縄銃は一度しか一斉発射できない。 武田軍が負けたのは囮の鉄砲隊に引き寄せられたところを隠蔽されていた徳川軍が 側面から突撃したからだ。 ナポレオンのマレンゴ会戦と同じパターンだ
海軍さんが去ったら土鍋が来たのか
まさかあれだけ華々しく旅立ったのに舞い戻るわけないだろw 「土鍋」の名を語る偽物に違いない。
土鍋だろw
>>502 北アフリカの領土獲得は海軍による征服活動だろ。
バルバロッサがオスマンに帰順した時は、アルジェ支配すら不完全な状態だったんだし。
バルバロッサがオスマンの支援の下で海軍を強化し、その海軍力で北アフリカ征服したんだろ。
さすが土鍋。会話にならん。
>>498 エチオピアって実は陸軍だけじゃ到達できなかった国なんだよね。
紅海沿いのイスラム国アダルを支援し、アデン湾から海路兵員を送り込んで侵攻したわけで。
ちゅーか、エチオピアって最終的にポルトガルの支援でオスマン撃退してるじゃん。
しかし〜太郎というネーミングにくらべ、 土鍋ってなんかかわいい名前だなw あー某研とかかえってこねーかな。
某研はこないだ武板で見たわ 意思の疎通が不可能なのは変わってなかった
マジかよ。 軍板から離れて遠くを遊弋してるのか。 そのうち土鍋も自然現象みたいに言われる日がくるかもな。
土鍋と某研の会話が見てみたいな
>>541 お互いがお互いを無視して自論を書きつづけるのだろうか
>>541 そんな蟲毒みたいなことしなくていいから(震え声)
>>543 海軍太郎と打通太郎もいれて最強の毒を作るか……。
なんかこう
土鍋鋼鉄で作った帆船に電磁砲積んで大陸を打通するスレ
とか作れば蠱毒状態にならんかな?
このスレの自称歴史通の人たちは、人でも物でも陸上を移動するよりも、海上を船で運んだ方が 圧倒的にコストが安上がりって超初歩的なことを理解してないから困る
>>545 いや知ってるけど、何でそう思ったのだ?
ただもちろん古代中世の西側の海軍はガレー船主体で、
沿岸地域でしか行動できないこと、
陸上拠点をつなぐ兵站としての役割しかになえないことを
君は知ってて言ってるんだろうな?
参考文献提示を義務付けよう
海軍力と海運力を混同してるから、話がややこしくなるんだと思うぞ。 『陸軍主力派』は、実在的な戦力とか、陸海どちらが主導権を持っていたかの、政治力を中心に考えている。 一方で『海軍主力派』は、海上輸送の能力と、それを可能にする制海権を中心に考えている。 ただハッキリと言えるのは、政治が戦略に、戦略が戦術に優越するという、基本的な原則だ。 したがって、オスマン・トルコについては、常に陸軍戦力が海軍に優越していたとしか言いようがない。 これは「どちらが重要だったか?」という、神学論じみた真理を語っているのではない。 当事者たちが、具体的にどう考えていたかの問題だ。 思えば前大戦の日本もそうだったろ?
>>545 航法も発達していなくて基本は限られた季節の昼間しか航行できず
確実性も陸路より劣る(国・民族により違いはある)
のを知ってて言ってますか?w
>>547 話の中心?であるオスマン海軍で言えば
オスマン帝国の海運と海軍 小松香織 山川出版社
という本がWikiのネタ本みたいですが読んだ方はいますか?
>>550 よく出来た研究書だが、扱っている時期はもっぱら19世紀中〜後半なのでこのスレ
の時期区分の枠外になる
同じ著者・出版社の世界史リブレット『オスマン帝国の近代と海軍』では、オスマン
海軍に関する数ページの概略が載っているが、こちらも論の中心は19世紀
>>548 そこまで面倒なこと考えてないよ。
>>416 の問題提起がそもそも間違えてるだろうと突っ込んでるだけ
中世から近世にかけての超大国のスペインでさえ、イングランドにまともに兵上陸させられたなかった レベルの海軍力()の時代
>>551 ありがとうございます
>>552 バルバリア海賊の勃興に亡命ユダヤ人が関わっていたのは「やる夫で学ぶ〜」で
知りましたが、火器の発展にも寄与したみたいですね。
ベネチア海軍のガレー船は市民オンリーで囚人は使っていなかったと塩婆あたりで読んでいましたが
あれは個人交易が認められていたからで、後世は囚人も使うようになってたみたいですね。
異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖 支配 トビー・グリーン 中央公論社
でコンヴェルソが南米の奴隷交易に関わっていた記録もみましたが
思ったよりユダヤ人は「海の民」だったんですね。
>>531 単に武田が物量で差があったのに正面から殴り合い仕掛けて敗走時に歴戦の武将打ち取られただけだろ
特殊な戦法も何もない気が
558 :
551 :2013/05/28(火) 19:19:20.62 ID:???
>>555 小松先生の世界史リブレット『オスマン帝国の近代と海軍』の方には、19世紀以前のオスマン海軍
が、どのような民族構成だったかも書いてあるので、このあたりは近代以前のオスマン海軍につい
て考える上で参考になる事を追記
同書30ページより
「オスマン海軍は、黒海、エーゲ海、地中海をわが庭のごとく知り尽くしたギリシア人、造船技術
や航海術に長けたジェノヴァ人、西地中海を荒らしまわりキリスト教徒の船に恐れられたマグリブ
の海賊たちなど、さまざまな「海の民」をたくみに利用することによって、十六世紀に黄金期を築
き上げた。オスマン海軍とは「トルコの海軍」ではなく「地中海世界の海軍」だったのである。」
559 :
551 :2013/05/28(火) 19:22:28.94 ID:???
本書では、具体的なパーセンテージや、どのような人々が海軍に人材を供給していたのか等も記載 されている。コンパクトな本ながら、お買い得な一冊といえる
560 :
551 :2013/05/28(火) 19:28:18.49 ID:???
531 徳川軍が側面から突撃・・ってまさか鳶ヶ巣山攻防戦を誤解してませんよね まあ土鍋(もどき)ならなんでもありだろうけど 本家?の土鍋の方は八重の桜スレで相変わらず電波受信してるみたいですね(^^; ようやくわかってきた つまり世間の人はバカだから、自分より勉強しているひとをみると、 「お前が知ってることがすべてじゃないんだ、俺は違うことを知っている、もっと謙虚になれ」といいたがるわけね。 でも、本質的に「人を評価するには評価される人よりも、評価する人の方が優秀でなければならない」という前提がある。 それすら考えずに、単に「お前にはそんなつもりはないのかもしれないが、俺達はバカにされてる気になるんだ!」だの言い出してくる人間こそ、 私には真のバカにしかみえない。別に知識の多寡が人間の価値を決めるわけじゃないし。 で、そういう連中が何をやるのかといえば、通常は無視される特殊な事例を持ち出してきたり、 言葉尻を捉えての揚げ足取り、たまに本当に間違うと鬼の首でもとったように大喜び。 私は「世間には本当にバカばっかりしかいないんだな」という確信を意固地に深める。 そしてそういう連中が仲間とみなして抜擢するのは、「自分と同じ価値観を有する人たち」 すなわち、「米や鉄が貴重品だったわけない」とトンデモ理論を信じてる人たちだったりする。 まじめにがんばっている私には周囲の人間が全員敵にしか見えなくなってくる。 頭にきて辞めると、「お前に辞められてたいへんなことになった、裏切り者!」とくる。 それも軍板という、「相応の知識を持ったひとしか来てはいけない所」ですらもだ。
>>560 時代被るからこのスレでも無問題かと。無根拠の煽りばかり多いから
出典明示してくれるのはありがたい。
>>425 ローマの制海権はポンペイウスが大規模に海賊掃討した後だから領地手に入れて当地・管理した
収益でやれたことだと思う
>>554 その時代なら日本は楽々と朝鮮半島に15万の兵上陸させてるな。
スペインの航海技術は日本に劣っていたということか。
>>564 イングランドには海軍と諜報機関と、それを使う国家指導者がおり、海戦で勝利してスペイン軍に本土上陸の機会を与えなかった。
航海技術云々の話じゃない。
>>565 つまり海軍力の話だったってことだろ。
そのツッコミは本来
>>554 にするべきじゃないの?
>>567 イングランドに侵攻しようとしたアルマダが負けたのはトラファルガー海戦じゃないぞ。
トラファルガーの時もスペインの艦隊はいたが。
参考文献は? 発言するときは逐一参考文献名を添えるって決まっただろ
高校世界史レベルじゃね
>>568 海峡渡る日本と比較してたからついフランスと混同してた
スペインだとネルソンに負けた後、何回か遠征かけてるがいずれも
難破やらなんやらで満足に上陸できてないね
大砲以降の時代になると、現地略奪で必要物資全部を賄うのは無理だから 瞬間的な海上優勢で上陸しても後が続かんのはわかりきってるからね
さらにその時代になると陸上要塞の砲に海軍で対抗するのは至難に 時代がずれるか
結局真っ先に不足するのは食料だと思うが
>>575 よほどのことがなければ撃ち合うまで船のほうが近付かんよ
時代が下るがナポレオン戦争時なんて劣勢の仏海軍は
地中海封鎖のイギリスに対して港に籠りっぱなし
>>573 インドのゴアなんかどう?ちょうどこのスレで関わる話題出てた
>>574 人が住んでるところなら飯は現地調達可能だべ
>>578 イナゴの大群じゃないが移動できんと食い尽くしてまう
規模にもよるんでね?バイキングの一撃離脱略奪ならともかく 数万単位の軍勢を維持するには現地調達だけでは限界があるし。 あと馬の飼葉かな?
飯を求めると分散せざるを得ないから、イギリス上陸なんかだといずれ各個撃破されるかな
>>582 初期に大都市など流通の拠点抑えないとそうなるね
英でもノルマン朝の内乱時代に女帝がロンドン攻略できなかったとき
そんな事態に陥ってる
ローマを落とせなかったハンニバルはよく維持できたな
ハンニバルは転戦繰り返してると思ったが いくつかローマ裏切った都市もあるし 結局カプア見殺しにしちゃったのでそこで完全に見切られちゃったけど
カンナエの直後にローマ進軍して各都市との連携切らなかったのがな
ほとんど動かなかった時期とかは、それまでの溜め込みがあったのかな
動かなかったか動けなかったのかもね アジアでは春窮という言葉があって春小麦の収穫前に秋の備蓄がなくなって 4月ごろ飢えるという古語だそうだけど、北ではまだ使われてたと蓮池薫さんの 体験記で書かれてたな。
>>567 距離の問題なの?
百年戦争では普通にイングランドからイベリア半島へ渡航侵攻してたのに・・・
ヨーロッパって200年でレベル下がった?
>>589 安全に停泊できる中継地点があるかどうかは大きな差
>>586 ローマ包囲すると自分も身動き取れないしそれこそ食い物に困るからなぁ
>>589 ,590
ついでに指摘しとくと季節にもよるがイベリア半島からブルターニュに向かうルートは
逆より難度高いよ。海流と進行方向が一致してるせいで沿岸ブチ当たりがもう多過ぎ
ローマ落とせばその後の食糧、困らないと思うが。せっかく指揮官層が崩壊してた時なのに
あの時代大都市包囲すると数年かかるぞ カプアは二年かかってるし 学術文庫のハンニバルどこへしまった俺
>>572 >>581-582 陸続きの国に侵攻する場合、必要物資を賄うのは渡航侵攻より何が有利になるの?
現地略奪で賄えない飼葉や食料をどうやって陸地を輸送するつもり?
まさか、馬車とかで船より多くの飼葉や食料を運べると思ってる?
>>593 都市は基本消費地だから長年の籠城の後占領しても食料は何もないと思うが
帝政時代になるとものすごい穀物輸入してたはずだし
>>595 分散して食料調達は渡航にはできない大きな利点に見えるが。
リスクがあるけど手段あるのに対し、そもそも調達手段がないもの比べる時点で…
それから馬車でなく荷馬による輸送ね。こっちの方が船より安定して多くの量運べる。
さらに船は作る過程で大量の資源消費するんだがそこは考慮しないの?
船で軍事物資のピストンなんてできたの内燃機関の時代になっても圧倒的な物量で
押しきれた大戦時の米ぐらいじゃないか。
>>595 そのためには大規模な港が両端に必要なうえ、陸路で一々
そこに物資を集積しなければいけないんだが。その手間考えたら
直接軍隊に付随させた方が手間もコストも少ないと思う。
>>572 食糧などの補給物資は武威を示すことで現地勢力を取り込んで支給受けることになんえ
(つーかそうしねえと異邦で食糧なんて手に入らん)占領目的でない略奪専門に特化した一部は除いて
荷馬車大量に用意したらその馬にもまた飯がいるという堂々巡りになるんだが… >それから馬車でなく荷馬による輸送ね。こっちの方が船より安定して多くの量運べる。 聞いたことないぞ? というか海上補給がある要塞は半永久的に持ちこたえるってよくきかね? アテネとか まあ確かに船作るコストはかかるが、武装商船みたいに軍艦と商戦のまるっきり違う時代なんて当分後出しだなぁ
いや、今回は相手が海軍規模の大きいイギリスで、瞬間的に戦力集中させて海上優勢とるので精一杯って状況だから
>>600 それは要塞とか都市とか固定拠点に対する補給なら海路で支えられるってだけで、上陸した後に
内陸へ向けて進撃したり移動を繰り返すと海上輸送だけじゃどうにもならなくなる。
>>600 補給線が切れてないことと、陸路・海路のいずれが輸送量多いかは全く別だろうが
そもそも海上補給があるってことは完全に包囲できない立地って理解してものいってんの?
軍艦と商船の用途なんて初期から違うよ。ギリシャの時代でも軍艦としてのガレーと
商船はまったく別もんだぜ
>>597 >それから馬車でなく荷馬による輸送ね。こっちの方が船より安定して多くの量運べる。
わかり易くするために、数字を単純化するよ。
仮に荷馬1頭が100sの荷を運べるとして、その荷馬が1日10sの飼葉を消費すると仮定した場合、
10日以上要する距離だと荷馬自身が消費する飼葉が輸送可能な荷の重量を上回ってしまうため、
一切物資を運べないってことになるよね。
荷馬で兵站維持することなんて不可能だよ。
だから現地調達なんだろ
>>606 スキタイ、フンを忘れんな。マジャールもな
>>605 だね。
少数ならともかく、大軍を後方からの補給だけで養うなんて無理だし。陸路海路を問わず
近代以前の軍隊は現地調達が基本でしょ。後方からの輸送はあくまでも補助的なレベル
>>602 そりゃ船がいけないところに話が無理だわ
というか陸路しか選択肢がないw
>>603 陸路のほうが輸送量が多いという肝心の説明がないじゃん
ローマは後方からの補給もあったんじゃないかなぁ エルサレム包囲60年とか頭おかしいんじゃないか アレシアも何年だっけ
海路に関しては一方的に勝ってるなら運んでいける でも海で勝ってる前提で作戦たてて、失敗すると前線の兵士全部が一気に戦闘能力失う だから相手の艦隊が存在してる間は無茶できない
ただよく考えるとローマ街道って軍用道路で荷馬車の通行に適してなかったな
>>609 確かに海上輸送の欠点ですなw
上陸した後は海岸線から離れられなくなる。
まぁ陸路は陸路で河川や湖畔から離れられなくなるけど
>>609 陸路のほうが輸送量多いのは当たり前なんだが、船舶の輸送が上回れたのって
大規模な河川利用できる領域で陸路より移動がスムーズな地域だけだぞ
なんでラムセス王がエジプトからシリアまでわざわざ陸路で行かなければならなかったと
思ってるんだ。併走する海上ルートも自国のもんなのに
軍オタは近代戦の概念に毒されきってるのが多いから 近世以前の戦争でも補給線や補給手段を必要以上に重要なものだと考えるきらいがある
>>613 海上輸送の不確実性は考えないの?陸路に対するリスクははるかに高いんだが
だから基本的に行軍は陸路中心なわけで
陸路は輸送部隊の飯すら輸送経路の途中で調達できないような侵攻は不可能よ 基本的に飯のある方へある方へ軍を動かしていく
>>614 陸路のほうが輸送量多いのは当たり前なら、昔の人たちは何のために莫大な労力投入して
運河建設したのさ?
>>608 少なくとも、ペルシャ、ローマ、中華帝国は陸路で輸送できるように自国内と前線に
集積拠点作ってたはずなんだが気のせいかな?前者は飢饉対策の視点もあって
良く横領されてたけど
>>618 >船舶の輸送が上回れたのって大規模な河川利用できる領域で陸路より移動がスムーズな地域
運河っていったいなんだろうね
>>615 まあ死の商人というか政商というか
仲買人のような人がいてそいつが一手に引き受けてくれることもあるとか
最近の研究(?)だと戦国初期の関東はそうだったとかとか
622 :
613 :2013/05/29(水) 14:31:19.10 ID:???
>>616 だから、俺は陸路派だよ。
近代以前の世界で海路に頼った補給とかナンセンスだと考えてるし。
ただまぁ陸路にせよ兵や馬に飲ませる水の問題が付きまとう以上は、河川や湖畔から一定以上離れて行軍するのは無理って主張しただけよ。
>>619 ローマ帝国はライン川とかドナウ川とか河川を防衛ラインにしていたよ。
つまり、前線は水運を利用できる。
まあ確かに船使って見知らぬ地域に突然攻撃とか普通やらんよなぁ というかそんなことしてもまず得がないだろう 十字軍?うんまあ頑張ったんじゃないかな インドってどうやってイギリスは征服したんだろう
えーと防衛ラインで水運?補給物資を敵にさらしながら輸送w いっちゃ悪いが正気か。前線より内地に集積地作るに決まってんだろ
>>624 分断して互いに争わせる。ただ、鉄道・蒸気船、出てきた時代だからさすがにスレチかと
>>625 大丈夫、軍団が土着化したせいでどこからどこが帝国内かわかんなくなったうえ
3世紀の内乱で兵站のノウハウ失われたからw
>>625 南宋だって河川を防衛ラインにしてたじゃん。
>>628 それってどちらも掌握してない河川があると補給線がそこ越えられないってことだろ
>>611 で指摘された通りの内容じゃん。そんなとこはなおさら水運に使えんわな
>>626 東インド会社作ってからそんなに時間かけて征服してたんだ
平時攻勢時は輸送
防衛時は防壁の水路とかよくあるような…
>>630 二百年以上時間かかってる上にいわゆる征服は機関銃発明後だよ
それまでは既存の統治機構の上に上部存在として被るもんだったよ
防衛ラインとして機能する時はどういう状況なんだ?平時の水運と同様のこと
できるのかよ
このスレってマーチン・ファン・クレフェルトの「補給戦」読んだ人いないの?
>>632 オレの記憶があってりゃそれ、近代の初めにかけて軍隊がでっかくなってそれまでのやり方じゃ
うまくいかなくなったことの考察してん本だと思うんだが違うか?
>>631 下段なにが言いたいのわからん
>>632 あれナポレオン以降が中心だからなぁ
それ以前だとほぼ一括
集積所とかやったけど不十分だった
基本は現地調達、ただし包囲戦とか長期間とどまると飢える
弾丸とかの不足はまずない
水運は便利
時に行軍は純軍事的目標より飢えを満たすことが最優先とされる
って感じだったかと
「補給戦」読めば陸路がどれだけ不利か分かるはずと思うんだが 陸路で補給が可能とか考えてる人が多すぎないか?
多すぎない というか居ない
>>635 そういいだすバカが出てくると思って
>近代の初めにかけて軍隊がでっかくなってそれまでのやり方じゃ
>うまくいかなくなったことの考察してん本
と先に釘指してるんだが。自演もやり過ぎんような
陸路で補給が可能はいないんじゃない? むしろ陸路でできない状況で海路で維持はなおさら無理の主張しか見当たらん
スペインみたいに海軍で強硬上陸して そのまま海運で軍を維持し続けて占領するのは無理って話じゃねーの 籠城戦を水運で補給するのはできるし
>>640 >大規模な河川利用できる領域で陸路より移動がスムーズな地域だけだぞ
これが全てじゃね
>>640 兵站は海路による方が陸路によるものより優れるってことへの反論
海路が優れてるんなら、自国の勢力圏なのに陸路で行軍しないだろ
>>642 ラムセス王は補給線を考慮して行動したの?
海路=遭難沈没のリスクはあるが、低コストで大量輸送可能。 陸路=確実だが輸送する人員自体にもコスト(食料など)がかかる。 人員を多くすればするほど大量輸送はできるが、海路に比べてコストは高い。 つまり海路は効率が高い輸送方法で、 陸路は確実だが効率が悪い輸送方法。 で、どちらがどちらかを完全に代替するのは無理で、 海路では安全を確保した地域にしか輸送することができない。 しかもそこから陸上輸送は発生することがある。 また、軍団そのものを船で輸送するのは大変で、 朝鮮を攻めた日本の武士たちも結局5000人/日揚陸するのが精いっぱいだった。 そのため行軍は陸路、輸送は海路を使いつつ陸路、という形式になる。
>>644 それが成り立つのは近代も終わり蒸気機関の時代に入ってから
大陸河川のように24時間移動できるようなところでもなければ
コストは高くつくよ
いちおう根拠を示しておくと、
>>644 の5000/日
は松村劭、海から見た日本の防衛―対馬海峡の戦史に学ぶ
ちなみに海路は天候の影響も強いので、効率はよくてもリスクが高く
時期を選ぶ。陸路のほうが天候の影響は受けにくいが、多少時期の影響はある。
>>643 補給線考慮しないで大規模な軍運用するのは珍しいんじゃないかなー
高度に役割分担できる文字持って経済活動も活発な組織ならなおのこと
>>644 陸路は逃亡兵のリスクもあるよあるよ
孫子にあったと思うが敵陣深く進攻せよって逃亡防止の意味合いも
>>648 それ言ったら海路は逃亡しないとでも。閉鎖環境に兵つめて移動って
短距離ならともかく、長距離だと反乱・疫病フラグだぜ。大航海時代
国家に対する反乱まで行かなくとも本国から送り込まれた総督が
どんだけ反乱起こされてるんだよ
んと、何が言いたいかというと効率の違いがあるから、組み合わせて使ったわけで単純比較はできないよという話
ちなみに傭兵ブレーカーさん読むとこの時代の歩兵のやる気のなさに吹く まあ本人逃げることしか考えてないからそういう視点なんだけどな! 自伝だから軍事的なこと一部しかないけど
>>646 これ興味深いな
元寇のときの江南軍10万が平戸でちんたらしてた理由にもなりそうだ
653 :
名無し三等兵 :2013/05/29(水) 15:58:07.39 ID:guIg8GYg
不整地でハロン15秒とは凄いお馬さんだ・・・
>>561 歴史は研究が進むことで、あっさりと従来の定説が覆されたりする。
これは医学も同じでIPS細胞が発見されたことで過去の医学の定説が覆されたのだから。
君の言ってるような感情論レベルだけの話ではないんだ
帆船と現代のエンジン付き船を混合しておられる方がいる。 16世紀のアルマダの海戦で負けたスペインの無敵艦隊は当時最高レベルの航海術や船を 持っていたが、強風や波でドーバー海峡すらまともに渡れず、予定航海ルートを大幅にずれまくった。 これはスペイン艦隊の船長がアホだったのではなく、帆船の限界だ。
古代から中世の軍隊なら、必要な物資は現代の軍隊より少なくて済む。 なぜなら人権は無視された時代だからだ。 古代のアレキサンダー大王の軍隊は略奪で食料を調達したし、強姦も繰り返したので 食料や慰安婦の輸送が必要ではなかった。 アレキサンダーのマケドニア軍は長い槍で押し捲る戦法だから矢や弾薬を浪費することも無い。 マケドニア軍は兵士も現地で徴集したのだしね。
え?別のステージに旅立ったはずの土鍋さんがまさか しぶとい「左翼」そのものように舞い戻ったりはしてませんよね。 きっと土鍋を装った「左翼」ですよね〜 早々にスレから退散してください。
古代ギリシャの海戦ではガレー船が衝角で体当たりした。 ガレー船は手漕ぎ船であるため、最大スピードを出せるのは10分が体力の限界である。 通常航行では体力を消耗しないようにノロノロ進み、ここぞというチャンスで全力を振り絞って オールを漕いで体当たりしたのだ。
古代ギリシャの兵士は下半身はフルチンだった。 これはパンツが無いからフルチンとは考えにくい。 白兵戦でむき出しの股間を攻撃されるリスクを犯してまでもフルチンにしなければ ならない理由があったはずだ。 想像するに当時のギリシャ方面での戦闘においてはペニスを勃起させて丸見せで 戦うことが勇者の証のようなもので、それをしなければ臆病だと見なされたのかも知れない。
中国の軍隊は中国国内で戦うことが多かったので古来より補給は無視された。 毛沢東の共産ゲリラも略奪のみで食料や女性を手に入れたのだからね。
>>660 >中国の軍隊は中国国内で戦うことが多かったので古来より補給は無視された。
そんなことないだろ。
中国で有名な合戦って、ほとんどが大河の周辺でおきてる。
水運を重視してたってこと。
そうなのか? というか大河周辺は単純に攻略価値が高い場所だと思うんだが
>>660 志村〜!それ土鍋!土鍋!(´・ω・`)9m
>>659 それは単なる英雄的表現じゃないの?オリンピア以外で全裸で運動はなかったと思うけど
土鍋の相手する人間がいるのが信じられん
>>661 いってる意味が良くわからない。水運によって大都市ができ、そこが要地になることと
補給兵站の都合で戦われる戦場になることは一致しないぜ
しかも有名な合戦が大河の周辺で起きてるってどこよ。国の流れ決める戦争の
大半は遊牧民との戦なんだが。そけんと南宋設立時以外なにある?
なにある・・土鍋は何人アルカ?(´・ω・`)
>>667 確認したら苻堅。その人の甥だった。かなり記憶がおぼろけだった
>>655 前スレか前々スレ読めばスペインは北海での運用技術持ってなかったと指摘されてる
船もガレアス船だったし。何をデマ飛ばしてんだよ
>>652 上陸用舟艇みたいに砂浜にいきなり乗りつけるわけにもいかんだろうし、
それほど容量のない中世の船にたくさん小舟があるとは思えないし。
安全を確保した日本の武士ですらなかなか揚陸できなかった、
というのは結構大きな話だよね。
>>614 >>642 俺の持ってる河出書房新社「地図で読む世界の歴史 古代エジプト」だとカデシュの戦いの時、
ラムセス王はエジプトからパレスチナまで海路移動してるし、援軍にいたってはシリアまで大半の距離を
海路で到着したことになってるが
>>673 どの軍団が?チャアルウ以降も陸路でカデシュまで進軍してんだが
さらに4軍団は陸路で連絡取れる位置で動いてんのに
その書き方できるなら海路で援軍としてきた軍団の名前もはっきりあげられるよな
>>674 路で援軍としてきたのは「精鋭ネアリム部隊」だって
>>675 それって戦場に到着できなかったやつだよな正規4軍とは別の。そいつの遅延のせいで
窮地に陥ってるんだが、それを陸路より海路が重視された方であげんの?でもって
ガザからシリア地方まで主力が陸路を通ってる理由については何かないの?
海路重視ならなんで傭兵と同じく海路取らないの?
古代ギリシア人の戦争にもカデシュのってるけど どこまであてになるんだこれ 当事者の記録に多々食い違いがあるとか最初に書いてあるんだがw 昔地球ドラマチックでやってのこれかぁ 石の塊という碑文から読み込むという
>>677 新王国期のエジプトの確立した勢力圏がガザまでってのは信じていいんじゃないの?
ガザに軍を集結させ陸路で攻めるってのはラムセス2世の親の代でもやってるから
679 :
677 :2013/05/29(水) 19:57:25.67 ID:???
一応追記で書いとくと海岸沿いにきた傭兵勢は2000前後なのに対し 陸路通った主力は4軍団それぞれ4000〜5000と言われてるね どっちが重視されたんだろうな
680 :
679 :2013/05/29(水) 19:58:11.06 ID:???
677→676のミス
自演か…
当時のエジプトの軍団の編制や装備ってどんなもんだったんだろうな。
というかカデシュ兵站関係ないじゃん…
>>682 てっとり早く書くと
カデシュだと兵5000(うち弓1900)に戦車50×4がエジプト軍主力の編成
部隊の行列が25kmに及ぶとかわけのわからんことが書いてあるw
こう書いたほうが正確だわ (兵5000(うち弓1900)に戦車50)×4 で計約2万と戦車200
>>683 兵站を気にしなくて済むって単に陸路の輸送で食糧・物資が足りてたからだろ
>>676 遅延したプタハは主力四個軍の一つだぞ、ステフは結局間に合ってないじゃん
傭兵なら一足先に到着してるみたいだが
精鋭ネムリアってなにかわからんが
>>685 いや、行軍で飢えるなんて誰も言ってないし
>>676 それって政治的理由なんじゃないの?
パレスチナやシリアの支配権をヒッタイトと争ってるわけで海上にいたら意味ないじゃん。
陸上で支配地域の地固めする必要あるんだし。
ガザまで海路を選択してるのは、補給面だけなら海路の方が有利だったってことでしょ。
>>686 ナーラムの傭兵部隊のことかと。これも到着遅延してる
>>683 おぉー、ありがとう。
弓多いね。勉強になった。
行列25kmか……。
2万の兵員が1列縦隊で1mの間隔をあければ、まぁありえるなw
5000のうち弓1900ってことは兵站を数えてないようだから、
輜重兵とかが入ったり、戦車がごちゃごちゃスペースをとることで
結果としてそうなったのかもしれんけど。
>>688 ペル・ラメセスからガザまでは進路が不明だからそこ除外してんだけど
>>690 この時一晩で25km移動予定したそうだから行軍25kmだと意味がわからないw
兵数も〜人(じん)何人とか書いてあって
まあいかにも作った数字くさい
そもそも新王国期って国内の木材枯渇してるから大規模な海軍作れない時代なのに。 だからこそ木材資源を求めてヒッタイトと戦争してたのに。どうやって海上補給路構築すんだろう
古代ギリシア人の戦争は個人的におすすめ 基本戦の概要が書かれてるだけだが面白い
>>692 25kmの行列が25km移動すると、
再集結するのが大変そうだねw
確かに作った数字なのかも。
ペルシャとかもそうだが○人=兵種みたいに
なってることが古代の軍隊は多いよね。
正規の充足数のままで書いてるんだろ。カエサルなんか見ても歴戦の軍団が 定数のまま戦ってるような表記あるから(補充する時間的余裕ないのに)
>>689 でもまあそいつらなら一応戦ってるしね
途中で味方二個軍団追い抜いてるのが変だから船移動と誰かが解釈したのだろうか
>>697 いや、資料で海岸沿いに行軍したとあっておそらく海路で移動したんだろうと
推定されてたんじゃなかった?ちと手持ちでそこまで確認できん
ただ、ラムセス2がペルシウムから戦車に跨乗して先発とあるけど
ペルシウムってナイル河口にある都市だよな
>>698 確かに地中海沿岸のナーラムからと書いてある
王の行軍は首都ラメスから650kmを一か月かからず走破とか秀吉もビックリのことが書いてある
ナポレオンの行軍速度が最盛期で一日20kmだっけ?よく覚えてないわ
ペルシウム=ラメスなのかは俺にはわからん
ちなみにエジプト勝ったのに次の日講和して引き上げちゃった
砂最近(といっても新しい本でもないが)はエジプトを追ってヒッタイトが勢力を広げたという考古学調査の結果もあるそうな
>>699 >王の行軍は首都ラメスから650kmを一か月かからず走破とか秀吉もビックリのことが書いてある
途中で船使ったってことだろ
戦車の跨乗して軍の先頭で行軍してんのにか。船に乗ったならそう書いてあるだろ それ以前に大規模な軍を運べる艦隊この時代のエジプト持ってるの?
持ってるよ 無知乙としか言えんわ
>>664 古代ギリシャの壁画などにはフルチンで戦う兵士が描かれている
日中戦争でも馬車の補給部隊は味方の歩兵部隊にも追いつけなかった。 いやそもそも大量生産ができない中世においては運ぶ物資が存在しない。 運ぶモノすらなければ補給は無視される
「補給を無視したら負けるし、白兵戦は時代遅れ」 こんな話は20世紀の話であって、中世においては関係ない。 中世はヨーロッパでも騎士の時代だぞ
「大量生産ができないから運ぶ物資も無いなんて、、、それで戦争をやるなんて狂気の沙汰だ」 そう思う人は源平合戦や南北朝時代など語れないだろよ。 矢や刀剣の大量生産もできない時代なんだから。
自分を総括できない左翼よろしく、土鍋が戻って参りました
「戦争はおたく的知識のみで語れるもので筋肉は必要ない」 現代の米軍でもそんな軟弱は排除される。 古代ローマ軍は徒歩で移動し、槍投げと短剣で戦ったのだから筋肉は最重要だ。 筋肉がないと槍投げができない。
長篠の戦で三段撃ちが実話だったとしよう。 それでも火縄銃の低い命中率や有効射程から言って火力で武田軍を殲滅することはできない。 せいぜい第一波を倒せるだけだ。 いずれにしても伏兵だった徳川軍の働きがなければ織田軍は負けている
戦場でも土鍋で飯作ってたんですか?
もちろんです。 土鍋システムより優れた論法など存在しません。
古代ギリシャの軽装備歩兵は短剣のみで走るのだから1日100キロでも走れる。 しかしナポレオン軍は背負う荷物が50キロだから1日20キロの行軍が限界だ。 疲労しすぎると士気や戦闘力が下がるしな
「おたくを馬鹿にした貴方の文体には怒りを感じます」という意見もあった。 おたくが評価されたのはつい最近だ。 80年代のおたくはゴミ扱いされていたし、中世にはコミケもない。 中世には戦後民主主義も豊かさもないしな
ふーんへー土鍋さん博識だなああーそー
>>711 古代ギリシャで青銅の盾を持てたのは金持ちだけだよ。
金属が貴重な時代はそんなもんだ
「戦争はおたく的知識のみで語れるもので筋肉は必要ない」 知識のみで語れるだろ 何で議論に筋肉必要なの? お得意の土鍋自身が想像したバカを論破することすらできてねぇ
行軍の大変さも理解しろよ。 現代の自衛隊の行軍練習でも2割は倒れて気絶するんだからな コンピューターゲームとは違うんだよ
まず土鍋は徒歩でいいから一日歩いて見ろよ。1時間じゃなくて24時間だぞ。ヨーロッパ人から見て よく整備されてるって驚かせた東海道を旅する(荷物は出来るだけ軽くしている)人間でも1日に歩いて 40kmだろ。道路が整備されてなきゃ20kmでも凄いと思うぞ。。飯作ったりしながらなんだから 丸一日走れるならちょっと24時間マラソンにでも出て来い
>>716 なるほど!
それで土鍋を盾として利用してたんですね?
ナポレオン軍の行軍距離が1日20キロということは5時間歩いたらもう野営だ。 薪を拾い集めての飯の煮炊きや馬の世話に時間を食うから、そんなもんだ。
>>721 このスレで主題になる中世あたりじゃそれ以下だしな
30年戦争のランツクネヒトとか一日15Kmも移動してない
>>703 新規に1万増やした軍勢運べる艦船持ってない。エジプト内のナイル流域の木材は枯渇していたうえ
木材供給源のシリアをヒッタイトに侵食されてるんだ。何を持って無知乙と言ってるの?
手ぶらの走力限界だと、陸上ウルトラマラソンとかで人間の上限見えてくるけど 荷物持った状態で計れる競技ないかな
その競技なら自衛隊って組織がやってる
>>722 飯を炊くための薪拾いや略奪に時間を食うとは言え、3時間歩いたら野営というのはのんびりしてるよな。
白兵戦が主体となる中世においては休息をしっかり取らないと負けるから、のんびりペースで体力を温存しつつ
移動することが勝利の条件だったのでは
走力限界まで連日走ると、自転車ツール系みたいに必要摂取カロリー8000kとかになってしまって 野営も大変なことになりそうだな
ナポレオンのワーテルロー会戦でも前夜にたっぷり眠り、のんびり朝食と昼食をとって 正午近くに戦闘が開始されているが、そのぐらいじゃないと体力がもたないし、馬の準備も 整わなかったと推測される
>>727 必用カロリーを満たせないとガダルカナル島の日本軍のように骨と皮だけになって
白兵戦をしても負ける骸骨同然の兵士になるからね
排熱の問題で高速で空冷の効く自転車か、水冷の水泳じゃないとそこまで消費できないって話もあるな むろん気候にもよるが
日本軍の命令のなかには寝ずに100キロを徒歩で移動して、そのまま飯も食わずに バンザイ突撃しろというのが多い。 これはナポレオン軍でさえそんなことはしなかったという作戦であり、 前近代的というより、近代特有の非人間性だ
ボクシングの試合は先に疲れたほうが負ける。 白兵戦が主体の中世では疲労は敗北に直結する問題だった
でも土鍋は短剣一つもってるだけなら100キロは移動できるとか言ってるよ
前日まで宿舎で寝てて1日だけの無茶ならできるだろうけどさあ
>>722 北畠顕家は東北の多賀城から京都近郊の坂本まで900キロを23日間で移動したよ
昔は手弁当で戦争に行ってたから、それが腐る前に終わらせてくれんと
事実としてももうろくすっぽついてこれねーだろそれ
>>735 同時代におけるレアケースを持ち出して一般化されても困るw
常識外の速度だったからわざわざ特筆されてるわけで。
>>733 マラソン選手は時速18キロで走るから軽装備で脚力があるなら走るのみなら可能。
ヨーロッパは南部と北部で気候が違う。 ドイツは緯度で言えばシベリアだから冬に雪中行軍したら凍死する。 薪を集めて焚き火をして暖を取らないと凍死する冬の寒さも行軍が遅かった原因だ
食い物の関係もあってよく越冬してたような
中世の西洋騎士はあの重厚な鎧から考察して行軍に適してない。 馬に乗っていてもあの重厚な鎧ではヘトヘトに疲労する。 馬もへとへとになる
じゃ
>>740 は軍隊が軽装備で行軍してるって言うのか?昔ならそれこそ20キロとか背負って行軍だろ
身体能力からは何とか出来るかなって事を集団でしかも色んな条件あるのに出来るっていうから土鍋って言われるんだろ
マラソン選手でも最初から飛ばすと後半でスタミナが尽きて口から泡吹いて倒れるもんな
>>744 古代ギリシャの軍隊は装備が実費なので身分によって装備が違い、下層だと走れメロスのように
短剣ひとつで全裸で走る。
初代マラソンの人死んじゃったもんな(伝説だろ
現代人の時間感覚はスピーディだ。 しかしこれは飛行機や新幹線があるからで、馬や帆船の時代にはカタツムリのように ゆっくりとした時間感覚でしか社会も軍隊も動けない
北畠顕家は軍馬は南部に、兵站・荷駄は途中の伊達行朝、結城宗広、宇都宮公綱、新田義貞に頼れるから、 思いっきりぶっ飛ばせたんだろうな。
>>746 貧乏人は投石器か弓で剣なんてもてんのですが
日本軍は荷物を担いで1日40キロぐらい徒歩で移動したのだが、倒れてそのまま死亡した兵士の 腐乱死体が無数に転がった
宇都宮公綱って正成に負けた人ってしか知らなかったが南朝に降ったのね
マラトンは死んだのがマジならよっぽどオーバーペースで走ったんだな 伝える前に途中で死ななくて良かったな
西洋の戦いでは18世紀までは王様も従軍した。 これも行軍が遅かった理由だ。 贅沢な王様は昼まで寝て、豪華な食事をして、風呂に入り、豪華な衣装を着てから行軍や戦闘を始めた。 ナポレオンも戦場で1日3回も移動式の黄金の風呂に入っている
>>702 エジプトの長距離遠征って船使うのが通常形態なんじゃないの?
「地図で読む世界の歴史 古代エジプト」はトトメス3世の中東遠征について、
「しかし、それ以後は、大軍と大量の補給物資を船で輸送したようだ。ヌビアのジュベル・バルカルの
大きな石碑に彫られた王の記録によると、王がナハリンに進軍したとき、ビュブロスは補給基地として
確立されていた。」
って書いてるよ。
つまり、エジプトでは船による大規模な軍の輸送はラムセス王より昔から普通に行われていた。
>>753 実際の距離は35kmほどだって
でもその人も戦闘してたと考えるとテラかわいそうw
>>753 古代ギリシャは死ぬほどのオーバーペースだからペルシャの侵略を防げた
>>755 なぜ、明確に戦車でガザまで行軍したという記述があるときに船を使ったと主張するんだ?
ビル マンリー以外でその主張あげてるエジプト学者出してみろよ
ペルシア戦争のマラトンの戦いで、ギリシア軍の勝利をある青年が一刻でも早くアテネ市民に知らせようと、一度も休まず悪路を走りぬき、 「喜んでください、わが軍は勝ちました!」と告げると同時に息絶えた、これを記念してオリンピック競技の中に、マラトンとアテネ間の約49kmを走る長距離走が始まり、 マラソン競技といわれるようになった・・・というよく出てくる話は、どうやら実話ではなさそうだ。 ペルシア戦争についてどんなことでも細大漏らさず述べたというヘロドトスの『歴史』には、フィリッピデスという伝令が、マラソンの戦いの直前に、 アテネから2日間で走ってスパルタに援軍を要請したという話は出てくるが、勝利を報告してバッタリ倒れた、という話は出てこない。 ずっと後のローマ時代になってプルタルコスの『倫理論集』などにそれに近い話が出てくるが、伝令の名前はエウクレスと言っている。 また、古代オリンピックの長距離走は4600m走だった。 実はこの話は、近代オリンピック開催を実現させたクーベルタン男爵の友人のブレアルという古典学者が、マラソン競技を提唱したときに援用した伝説に過ぎなかった。 事実ではない神話であったが、このアテネで開催された第1回大会で無名のギリシア人ランナーのスピリドン・ルイスが優勝したことで、ギリシア中が沸き立ち、 すっかりこの神話が事実として定着した。<桜井万里子・橋場弦『古代オリンピック』2004 岩波新書による>
>>743 どの中世のことを言ってるか知らんけど、
12世紀前後ならさほど重くない。
全身甲冑のこといってるなら、あれは全身に薄く広く装甲を
まとうために全体的に薄く作ってある。
>>755 ついでにラムセス王の時代ってビブロスはヒッタイトの影響力強くて
基地として利用できる状況じゃない
シリアの木材供給源をヒッタイトから回収するため争ったって理解してるのか
>>759 うぉすげー、
藤子不二雄の「TPぼん」にその伝令の話が出てくるのだが。
フィリッピデスになってたりエウクレスになってたりする理由を物語の中で
説明しきっていた。
面白いからぜひ読んでくれ。
TPぼん自体に、壇ノ浦合戦とか、玉藻の前の話とか、
結構面白い話が出てくる。
アスリート系だと 100キロマラソン世界記録6時間13分 24時間走世界記録が300キロくらい 6日間走世界記録が1040キロくらい(睡眠時間合計7時間くらいらしい) 日本山岳耐久レース(長谷川恒男CUP)71.5q 標高差合計4.8km 制限時間24時間、水・行動食持参(40キロ過ぎに給水あり)、優勝タイム7時間10分台くらい 荷物が増える砂漠系マラソンだと、250キロ7日間とかのステージ制に
>>761 市川定春の「古代ギリシア人の戦争」ですら、
「ラムセスは最初の年、地中海沿岸の港町を支配下において補給の中継基地を整備することに専念し、
翌年、自らが大軍を率いて敵地への侵攻作戦を開始した。」
って書いてるのに。
船使わないなら何のために港町の整備が必要だったの?
正直不毛だと思うが…
伝令で馬は乗り潰すつもりなら1日でどれくらい走れたのかな
楊貴妃のライチ思い出してググったら 600kmで8日8晩だって インカはそういえば飛脚制度だった
>>763 ただ六日間ほとんど寝ずに千キロを走ってから休息無しに戦闘をやるのはさすがに無理だ。
弓矢を引く体力も残ってないし、重い槍も持てないだろう。
中世の戦争の最終局面である白兵戦で負けたら元も子も無いから、いかに迅速な移動が必要で
あったとしても白兵戦をやれるだけの体力は温存しなくては
当たり前だ
限界を超えた機動作戦は悲劇を招く。 飛行機や車で移動する現代戦でも、24時間寝ずに車を運転したら疲労するし、 疲労したフラフラ状態で狙撃をしても命中は期待できない。 疲労に正比例してミスは増えるからね
確か米軍が疲労と睡眠とか統計だか実験やってたな
槍を持って5時間白兵戦をやるには物凄い体力が必要になる。 つまり白兵戦が主体の時代には白兵戦が開始される前に兵士の体力を回復させておかないと 戦う前から負けが決まっている。 食事もカロリーを満たさないと戦う前から負けている
土鍋なりにスレに流された主張になるのがなんか面白いw
日本兵の多くは極度の栄養失調と疲労で銃すら持てず、廃人同然で杖を付いて歩いた。 これではいかなる戦場でも戦う前から負けている
中世は大砲が無いから遠距離攻撃などできない。 だから兵士がのんびり寝たり、ゆっくり食事をする時間を稼げた。
どのみち白兵戦になるなら移動せず、一箇所に留まって原始的な石焼サウナに入り、たっぷり眠り、 ちゃんこ鍋や鳥の丸焼きを食べて敵をひたすら待つのはどうだ。 疲労ゼロで戦えるぞ
最速行軍って雨降っただけでも涙目だな
大阪夏の陣でも豊臣方はひたすら寝て、ちゃんこ鍋を食って家康を待てば白兵戦で逆転のチャンスがあったのだ。
>>777 雨や雪も弱るが真夏の行軍は熱中症で死ぬな
行軍速度を速めるには装備を軽量化する必要があるけど、そうなると食料はどうするかだな。 ナポレオンの軍だって携帯できる食料は12日分程度だろ。
最強の手段は勝って奪う
敵が堅壁清野戦術使ったらアウトだな
まあそもそも強行軍する理由は一種の奇襲だから バレテ堅守されるだけで「逸を以って労を待つ」という一種のハマリだし
行軍ルートごとに調達可能な量を計算して兵力を振り分ける それには道路網と、その経路上の人口分布(=調達できる飯の量)を把握できる地図の発達が不可欠 戦乱が続いて入り乱れると、残念、既に略奪済みでしたな事態が発生して更に難度上昇 敵を飯の無い地域に追い込めば勝ち確定
>>764 いつから船を全く使わなかったことに論点がすりかえってるんだよ
指摘してる点は主力の行軍は陸路であり、海路は従属的な立場だってこと
カデシュを勢力圏に回復できたらそこまでルート伸ばすために港整備しておくことは
当たり前だろうに
>>778 大砲一方的に打ち込まれて終わらないかw
兵站を海路でってのは中世じゃ間抜けに近い行為じゃね? 現地で調達するのも軍事行動の目的みたいな部分があるわけで わざわざ自国領域から調達して運ぶ時点で本末転倒というか・・・
>>788 海路だと、運んでいる間に消耗する量が少ない。
大量に運べるし。
だから海流や寄港の影響が強くリスクがあっても、
何だかんだ海路輸送って結構やってるのよ。
日本の戦国時代みたいに戦争中軍隊相手に商売する
商人がそこらじゅうにいるとかだと話は違うが。
ちゃんこってのは鍋に限らず力士の食事全般を指す。 それに常陸山が改革する以前は力士たちは鍋を囲むスタイルではなく 力士の前に一膳一膳配膳されるスタイルだったみたいだな。 そういう意味で中華鍋説って何か疑問がある。
>>789 なぜ交易と兵站をごっちゃにして話すんだ?
津軽為信が小田原攻めの時に南部氏を避けて、日本海経由で行こうとしたら、 風に流されて北海道に漂着したとか。
流されすぎだろw
というか日本海経由でどこに行く気だったんだ?
元寇ってもし暴風雨が来ないで上陸されてたら九州占領されてた? 陸戦でどれだけ日本側が戦えたのか気になる
>>795 元コウは一回目も二回目も「台風のおかげで勝てた」じゃなくて
「勝ってから(元軍に贔屓目に見ても日本が押してる状況で)台風の追い打ち」だから
台風来なくても結果は変わらなかったよ、ちょっと長引いたかもねって程度
ちなみに九州に上陸した元軍は普通に陸戦で鎌倉武士に負けてる
離島とか沿岸すぐの地域の武士団は壊滅しちゃったみたいだけどね
>>795 暴風雨がくるまで何か月も上陸できなかったわけだから、
暴風雨がこなかったとしてもいずれ病気と食料不足で全滅してたかと。
>>797 壱岐対馬勢は数百もいなかったのだから、しょうがないだろ……。
もし陸続きだったら勝てなかったろうよ それでも当時世界最先端の軍を相手によく勝てたもんだと思う 神風を理由にしなければ説明つかない不思議な強さ
パフォーマンスコンクールvs土鍋くるー
>>800 陸続きなら日本がモンゴル帝国征服してただろ
元寇はそれくらいの圧勝だよ
日本軍の方がモンゴル軍よりは数世紀分進んでた
基本的に防衛側が圧倒的に有利な状況、機動作戦の余地がほとんどない上陸作戦で橋頭堡を潰した&作らせなかった って戦いなのに、武士団が元軍より強いなどと証明できるか。中原の平原で、元軍の精鋭部隊と機動戦やったら 逆の結果になるわ。あと、元寇は専用スレがあるからそっちで。
>>803 基本的に防衛側が圧倒的に有利な状況、機動作戦の余地がほとんどない上陸作戦で
元軍は倭寇にあっさり当時の重要都市の慶元府攻め落とされてるよ。
ユーラシア大陸の軍ってのは日本軍より話にならないくらい弱いんだよ。
だから例え中原の平原で、元軍の精鋭部隊と機動戦やっても鎌倉武士が圧勝する。
文永の役は数的不利の陸戦で日本が勝ってる 弘安の役は海上で日本側から襲撃繰り返してただけ
>>804 襲撃時点で防衛戦力がどれだけ駐屯してたかわからんし、その後元軍の迎撃部隊が集結して反撃にでたら戦えるのか?
海賊の略奪成功と、侵略軍の制服失敗を同列にして語るのか。
元は広くて、日本と比べると領土に比して兵力は少ないって事はわかるよな。封建制度でもないから地域防衛への責任感も違うものになるぞ。
陸で繋がってたらの話は要らんな
海賊でも騎馬の略奪行でも守備側が略奪にきたのを初手で迎撃って著しく 困難だろ。なんとか略奪品抱えて動きが鈍った帰路を捕捉できるくらい 直接被害受けた集団以外は戦利品手に入らないなら戦う気おきんてのもあるだろうけど
>>806 当時、日本や高麗からの貿易は慶元府のみで行われていたから、交易の中核都市。
しかも10年以上前から日本人商人の武装化が問題視され、元側は海防を強化してその中枢機関を
慶元府に設置し、更に日本人を城内へ入城禁止にしていた。
広い海岸線の隙を突かれたとかじゃなく、精一杯軍事的手段を尽くした重要拠点に対する襲撃。
これだけやってそれでも攻め落とされたんだから、明らかに元軍には日本からの攻撃に対抗できる
能力がない。
>>809 どう見ても交易都市内で武装禁じただけなんだが
軍団駐屯させてたわけでもない拠点をどうしろと
>>809 焼失とあるがどこにも攻め落としたって記述ないぞ。略奪のために火を放ったことを
攻略と同一視すんな
カイシャンの治世で海岸防衛に避ける余力はなかったような 支持母体はモンゴル高原の上、大元ウルスを上位に置くための 外交費と紙幣政策の失敗が長江下流域の経済混乱させたはず
>>810 慶元には1302年に浙東海道都元帥府が設置され、1304年に定海千戸所が置かれてるから
軍団駐屯してたよ。
>>811 当時の史料では殺略も行われてる。
日本人入城禁止の城郭都市を攻め落とさずに、どうやって略奪するの?
>>813 元史読んでんなら分かってるだろうがその地域におかれたで寧波に
おかれたとの特定はまだされてないぞ。さらに元代は皇位の継承の度に
軍が大きく変わるから1309年時点で継続してたかどうか定かでないよ
>>813 さらに本格的に海防政策の要請が出たのは1311年でこのときも新規の軍の配備はないんだが
どこで
>>809 後段の様な配慮をしてるんだ?
城郭は堕とさなくても普通に船舶なり隊商なりを略奪したんでね?
>>814 日本との交易が慶元でしか行われていないのに、日本に備える目的の定海千戸所を慶元以外の
どこに設置する可能性あるのさ?
>>816 城内の建築物が尽く日本人の襲撃で焼失した記録残ってる
>>819 占領したわけではなくても、
陥落はしてる感じだね。
原文とかってどっかにない?
>>818 ?浦・上海・泉州・慶元・広東
>>817 内の引用だけでも日本と交易してた都市こんだけあげられるんだが
>>822 まぁ日本人は当時武士以外でも、
脇差で武装していたり、道場で剣術習ったりはしていたからねぇ。
しかし役所もあって家もあるような場所に警備はいなかったんか?
だとしたらとんでもない平和ボケだが……。
>>822 地元の警備がなかったからじゃないよ。
官軍が敵わなかったって元史/卷099、兵二、鎮戍に書いてある。
「武宗至大二年七月,樞密院臣言:「去年日本商船焚掠慶元,官軍不能敵。」
>>823 そりゃ海外遠征後、満足な国交こそないもののそれなりに交易が盛んになってるときに
だまし討ち的な略奪食らうとはそう考えないだろ
「元史」確認してて気づいたんだが千戸所自体が明代の制度の上、倭船に対する態度が
最初から敵対的なものになってるな。「新元史」とすり合わせなきゃだめか。めんどくせえ
>>824 だから地元の警備が弱かったんだろ。商船であって賊と書いてない時点で
>>825 現実見ようよ。
日本商船の武装化が発覚して以来、元側は常に日本からの襲撃を現実的脅威として警戒してる。
>>827 いやその点は同意してる。いつから脅威と警戒するようになったのかは
1309年寧波焚焼事件以降だろって話
>>825 いやね、対倭寇に限らず、
そういう役所があって民家があるような都市に、
全く治安維持のためでも警備がいなかったというのは、
ちと考えられないなと思ってね。
君は単に強度の強い警備のことを警備、
それ以外は警備がない、みたいに表現してるだけかもしれんけど。
>>826 日本の商船でも、元軍にとっては「大敵に備えるがごとし」だよ。
元の軍事力が日本の水準より遥かに劣ってたってことを考慮しないとダメだろ。
>>824 ・・実際は日本人にかこつけてどさくさに現地貧民・一部警備兵も略奪祭りとかないよね・・
>>828 元史では1292年から脅威と警戒するようになってる
>>830 密貿易により富を蓄えた商人のほうが地元の軍より立派な武装してるのは当然だが
そこからただちに国家間の軍事力の優劣に結びつかんよ
>>831 密貿易は地元の有力者との癒着がなきゃできんもんな…
>>832 元が警戒始めたのは国家の統制によらない密貿易の増加だよ
>>829 寧波市を守る軍は、市から離れた島(定海)におかれてたから
市内にはいった商人の略奪には即応できなかったってのはあるかもね
>>831 元末の反乱考えるに大いにありそう・・w
警備兵にまじめに働くインセンティブが薄いもんね。異民族の王朝だし。
当時の倭寇と貿易商人なんて同じ穴のムジナだろ 分けて考えるのがおかしい。 相手が強そうなら大人しく交易して、弱そうなら皆殺しで略奪してくような連中だよ
>>834 「日本舟至四明,求互市,舟中甲仗皆具,恐有異圖,詔立都元帥府,令哈剌帶將之,以防海道。」
元史 卷017 世祖十四
日本商船の武装が発覚し、交易以外の意図を恐れてるんだから、元が警戒始めたのは密貿易の増加
とかじゃなく、日本人の襲撃じゃん
時代が違うと言えばそこまでだけど 江戸時代に鎖国していた日本は長崎にしか防衛のための部隊を置かなかったわけで 更にフェートン号(現代でいえば駆逐艦以下水雷艇以上クラスの軍艦)1隻のために右往左往した レベルの国防意識しか当時は無かった日本人に言われたくないと思うな。
>>841 その水準は単に密貿易に伴う武装の持ち込みによる治安の悪化だろ
なぜ、一足飛びに襲撃になんだ?
>>841 そこら辺は当時の元の状況でなく「元史」がまとめられたときの明の状況からの演繹だと思うよ
>>841 それは日本人の襲撃の警戒ではなく、フビライ治世後半以降の日本との関係改善
を目的として交易の整備にともなう商人の非武装化を目的とするもの。
それと並行して貿易の窓口整備始めるんだけど、倭寇の武装化の進展と
上でも上がってる慶元府略奪で結局うまくいかなかったもの
密貿易が増加することにより武装商人が 略奪する機会増えること認識してない相手に いくら付き合っても時間の無駄だろ。 そもそも軍にしろ何にしろ整備・維持すんのに金かかんのに 実害でないうちに実効性ある対処なんてできるわけねーよ 同じことのどうどうめぐりしかできないなら専用スレ立ててやれよ
?
>>842 > 〜日本人に言われたくないと思うな。
誤認識以前
歴史議論ですらないぞ
>>842 フェートン号は立派なフリゲート艦だし
日本側に本来あるべき戦力がなかったのは鍋島藩の怠慢だが
応援要請で直ぐに近隣から兵力来てるわけで
仮にフェートン号が交戦したら勝敗がどうなったかは正直わからん
もちろん増援が揃う前に離脱する自由はフェートン号の側にあるが
それは太平だからじゃなくて陸上兵力と海上兵力の自由度の問題だしな
>>840 まぁ、倫理観はともかくとして
台湾のオランダ総督をひっつかまえた浜田弥兵衛も商人だしな。
当時の日本人は腕っぷし強いわ。
>>828 『倭人入市慶元、有司不能用公前後持之道、而利其貨宝刧之以兵、反被殺略焼焚之禍』(程雪楼文集)
元は1309年寧波焚焼事件があったから日本に対する海防を強化したんじゃない。
実際には逆で、兵を以って日本人に対応しようとしたことが寧波焚焼事件を招いたと書かれてる。
モンゴル軍レベルが当時世界最強だった日本に軍事力で対したのが根本的に間違いだったってこと。
>>851 今の日本人も自覚がないだけで本質は変わらない
腕っ節強いだけじゃなくて飛び掛ってすぐさま縛り上げるあたり 相当手馴れてる感じがあるな。 『バタヴィア城日誌』 ここにおいて彼等(日本人)は咆哮するライオンのごとく、彼(長官)に跳び懸り、 頭を押え手足を縛し、長き布をもって頚を巻き、もし声を発すれば 直ちに首を斬るべしと脅したり。商務員ヤコブ・ホーマンは、事の 起こる前のその室を出で、長官に尋ぬべき事ありて立戻りしが、 この騒ぎを聞きて引き返し、兵士に対かい、長官殺されんとするがゆえに 武器を取るべしと叫びたり。これによりてはじめて大騒擾を起こし、 広間の外に在りし日本人数人もまたこの事を聞き、剣を抜きて 広間またはその付近を守りし兵士を襲いたり。彼等は不意を襲われ、 かつ銃器を有せざりしがゆえに、まず逃げたり。よってその辺には、 日本人に敵する者一人もなかりき。
「日本人は殺戮者であり、その家には刀を持たぬもの無く、 幼少より武術を修め、壮年にいたれば手に負えず」と、徐々に戦闘民族像を築き上げるシナ 対して「日本人は脅威だが、戦争は斬り合いではないので勝利に疑いは無い」とする欧州
またおかしなのが来たな このスレはこういう電波をよせつける何かを放ってるのか?
フォーチュンの悪口は止めろ
キーワード【 土鍋 古代 近代 てる オスマン 海路 時代 】
>>852 ,856
江戸時代に入るまで道をふさいだふさいでないで切り合いする凶暴な民族ってだけで
強さは朝鮮半島すら征服・服属できない水準
共食いしか能力ない民族が何を持って世界最強だって?寧波焚焼事件は武装商人が
寧波市で略奪始めたものでそんな状況で定海等に兵配置してあっても対応できないだろよ
来たのか商人か、盗賊なのか分からないから対応に苦慮してるわけで
いくらなんでもカタコトすぎんだろ 噛み付く必要のない相手にも噛み付いてるし
帆船は風任せだから遅く、いつ到着するかも未定で計画が立てられず、難破のリスクも高い。 牛馬による輸送はインパール作戦で行われたジンギスカン作戦だから楽ではない
モンゴル軍の弓より武士の弓のほうが大きいぶん最大射程が長い。 それなら武士はアウトレンジで適当に矢を放ち、モンゴル弓兵が負傷混乱したところへ 突撃して白兵戦に持ち込めば武士は勝つ。
>>863 インパール作戦の牛馬の運用はホント何を考えてたんだろうな…
スレ違いだけど
日本軍は1日の行軍距離が荷物を担いで徒歩で30キロという過酷な軍隊だから 中世なら最強レベルだっただろう
>>864 射程はモンゴルのほうが長いと書かれてなかった?
明も終わりの頃の文章だな
日本軍は太平洋戦争までは馬車で補給をしていたのだから、中世の補給方法は 日本においては大昔の話ではない。
ナポレオン軍も行軍中に兵士の半数以上が過労死や病死で死んでおり、 それが当時の限界とは言え、どうにかならなかったのかと思う。
遠征軍の病死は第一次世界大戦まで残る問題だからどうにもならんな
豊臣秀吉の有名な中国返しの行軍距離は1日平均20キロだからナポレオン軍と同程度だ。 大河ドラマでは中国返しを寝ずに走るシーンとして描くことが多いが、実際は1日20キロだから寝ていたと考えられる。 ただ飯は自炊をせず、街道沿いの民家や店に炊き出しをさせて時間を節約したのだろうと推測できる。
>>872 そこが前時代の戦争の辛さで作戦距離や作戦期間に比例して病死が増えるので
短期で終わらせないと病死で全滅する
>>858 テーマが広いからでね?しかし不思議と電波同士が論争()することってないんだよな・・
電波よりアホな奴が居るからな
>>875 他人と対話できないから電波さんなのであって、電波同士が対話なんて出来るわけがないんだよなぁ
ボッチが集まったってリア充になれないのと一緒
>>868 矢が軽いからよく飛ぶんじゃなかった?日本の弓は直射で重い矢を飛ばして大鎧を打ち抜く感じ
東京から荷物背負って山口県まで歩いて行くとしたら1日最低2千カロリーは食わないと 衰弱の極みになりそう
戦国時代の足軽はよくあんな重そうな槍持って何時間も乱戦ができたな。 訓練なしで可能なことだとは思えない
まあ実戦闘時間がわからんので
川を使った輸送はルートが決まってしまうため三国志の赤壁の戦いの曹操軍のように 待ち伏せされて大被害を蒙るリスクがある
何を言っているのかわからないw
小説や講談をもとに語られてもと突っ込もうと思ったが河川は確かにそうだね
>>884 赤壁の戦いの曹操軍は川を使って船で大量の兵士と物資を運ぼうとした。
しかしそのルートは川を使う以上、決まっており蜀と呉の連合軍は対策が立てやすかった。
なーに講談なら関羽が見逃してくれるから問題無い
>>885 戦争において講談が全て嘘だとは言い切れないよ。
戦争で極度に疲労すると幻覚を見るようになるし、戦争には大本営発表のような
マインドコントロールは付きものだ。
太平洋戦争中の日本でも全国民が神風で勝てると幻想を信じきっていたのだし、
戦争という狂気の中では真実と嘘を見分けるのは難しく、講談的な話でも真実として広まる。
それも戦争の一面だ。
大軍動員して動かしたらルートなんてどうせばれるんだがなぁ と思ったら土鍋ちゃんか
左翼は長らく「社会主義でユートピアになる」と叫び、南京大虐殺や従軍慰安婦などの 講談的な問題を持ち出してきたが、これも講談的な幻想である。
こんなスレにあんたが叩く左翼かぶれとかおらんから
国民も講談的な話は好きだしね
鎌倉時代の民衆は琵琶法師の平家物語が大好きだったというが、そうした講談が好きな民衆が いるから限りなく脚色された歴史もあんだろう
てか、神話や伝説はそれで出来上がるもんじゃねーか
戦争で新聞儲かるお どんどん戦争するお
アニメや漫画も一種の講談
中世の記述に何を求めてるのか 勝者を盛大にヨイショすることではないか
バッカ敗者の悲哀の方が人気出るだろ 流石に漫画やアニメを講談と入れるのは違うわw 形態が違いすぎる
中世に限らず同時代・同勢力で勝者をヨイショしないのはいないだろw
敗者が敗者のままで終わったので人気あるのある?なんだかんだ事実と異なっても 勝ち組属性付けられね?
>>895 戦時中の新聞は講談そのものだが、それを国民は喜んで買って読んだ
判官や楠公
三国志の講談は現代の日本の若者にも一定の人気がある。 明の時代から人気があったのだから息が長すぎ
講談に三国志なんてあんの?
講談だと三国志としてじゃなくて個別じゃね
ブラック企業の経営者も自分を講談化してるよな
日本の槍先は直剣状、西洋は葉状、他は菱形が多いですけど、 それぞれどういう利点があるんですか?
槍の穂は(鏃も同じだけど)、断面積が小さいほど貫通力が高くなる代わりに強度が下がる。 断面積が同じなら丸っこい断面の方が折れにくいが、平たくすれば「斬る」使い方も出来る。 そして断面積が大きく、長くなれば当然重くなる。 故に、各地域の金属加工技術・相手の装甲・戦闘技法等に合わせて最適化される。
武士と騎士の違いって 武士が弓馬重視、騎士が白兵戦重視ってことくらい? 精神性はほとんど同じ?
つ 武士と騎士―日欧比較中近世史の研究 小島 道裕
武士の場合、幕府開いて将軍になってもやっぱり武士
>>910 鎌倉〜室町くらいまでは弓馬重視、
その後も弓は重視されてるけど白兵戦の重要性が高まる。
騎士:フランス:騎乗しての騎馬突撃重視
イギリス:長弓兵、下馬しての白兵戦重視
ドイツ:傭兵隊または宗教騎士団による白兵戦重視
てとこじゃね。
ただ、武士というと何となく徒歩武者や馬廻り衆だけじゃなくて、
足軽とかの雑兵を含むけど、騎士というと何となく騎士階級だけを差すような
感じはするよね。実際どこも雑兵はちゃんと重要視されてるわけで。
組み討ちで押さえ込まれた時に さあ殺せと言うのが武士 捕虜になった時の待遇交渉を始めるのが騎士
>鎌倉〜室町くらいまでは弓馬重視、 平安〜鎌倉中期じゃね? 鎌倉後期から室町はもう打物の時代でしょ。
916 :
名無し三等兵 :2013/06/03(月) 16:02:25.75 ID:O0TnwfI1
浮世絵で貴族の女が寝る殿造りの縁先で裾を広げて陰部を露出し、 性器を武士に舐めさせているのがあるけど平安中期以降はこんな ことはしょっちゅうあったのだろうね。
現在出回ってる現代を舞台にしたエロ本の内容がどの程度現実にあるんだ?
浮世絵は江戸時代の物だろ…
江戸時代は浣腸プレイで「かわやに行かせてえ!」とかやってたんだろ。
>>916 エロ同人を見て「こんな奴がどこにいるんだ!」って言うぐらい馬鹿な奴だなお前
てか唐突にどうしたんだよ、脳に虫でも湧いたか?
姫君は猛々しい蝦夷に抱かれるのが燃えるんだよ。 もののけ姫にもそんな雰囲気あっただろう。
義経もそんな感じだな。
糞みたいなレスでID隠しながらスレを上げる
>>916
木曾義仲と巴御前はお互いに甲冑を着たまま、 組討のように荒々しいセックスをしていたと竹内流の秘伝にある。
土鍋が戻ってきてるぞー
土鍋氏ねばいいのに
また義経と白拍子であった静御前のセックスは常人の想像し得ないほどに、 アクロバティックな曲芸的なものであったと、岩手県宮古市鈴久名にある鈴ヶ神社の伝承に伝えられている。
メ欄見れば一発
今janeのスキン、メール欄見るのにいちいちカーソル合わせる必要がある奴にしてるから 一つずつ確認してしまった もちろん何も無し
janeだとわかりにくいよな 一人ageてるやつがいるんだけどさ
>お前は何を言ってるんだ? 自演なのかアホが二匹なのか
>>932 土鍋が最初に上げて、そのあとに下げて続けてるように見えるんだが
ID隠して上げとか言うからメール欄にsage以外の何か入れてる奴がいるのかと思った
実際上がってる
よくメ欄見ろや ブラウザ変えてもいし
お前ら土鍋一人にかき回されすぎだろ
>>940 sageで抽出してみろ。これ以上は言わん。気づいたら黙れ
一人病的なのが居るな 土鍋とは別のキチガイか
ただのバカだろw
結局メール欄は空白かsageかしか無いんだろ
どうしてもわからんならもういいわw
釣られてメール欄チェックの手間かけたヤツはアホってことで
>>946 jane使ってると気づかないってのはあるからそこまでは
次スレ900とか書いてあるが早すぎるだろw
>>950 でいいか
てかメ欄見るまでもなく、周りのスレ見れば
>>916 以降も上げてるのが分かるだろ
よほどの馬鹿だな
>>949 お前、まさかと思うが上げの意味一人で勘違いしてないか?
まあ特別なことしないでも20:46以降にスレ上がってることは分かる
927 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/03(月) 20:49:20.02 ID:???
次スレの催促は良いから見苦しいものageんな
エクスプローラーでメ欄にカーソル合わせれば空白が入ってるのはどんなバカでもわかるはずなんだがなぁ
>>954 気づかん人は気づかんもんだね
もしくは途中から引っ込みつかんようなってトボけてんのかな
>>957 何をギスギスしてるのかと思ったら居付いてる荒らしが
メ欄にs ageとやってるわけか。janeで見てわからず
クロームでもID表示出てないから暫く何について
もめてたのか読んでてわからなかった
>>933 で結論出てるだろ
土鍋の自演荒らしじゃなきゃ土鍋と同水準のが一人いる
そんなもんチェックするまでもなくどのタイミングでスレが上がったかくらい板を見てりゃわかるんじゃねーの?
それ以上思考が進まないんだからしょうがない
騎士は欧州各国にいたのになんで武士は日本限定なん?
日本史板かかどっかで聞いてください
>>964 ヨーロッパは欧州各国の交流を通じて騎士身分が成立したのに対し、日本は日本列島の中に
限定された交流で武士身分が成立したってだけじゃないの?
>>966 単に日本では、「キリスト教」で「西欧の」「封建貴族的身分の戦士階級」を
騎士と呼んでるだけだからだと思うが。
各国ごとに呼び名は違うだろ。
前半二つの要件がなければ、武士やポーランド騎兵だって「騎士」カテゴリだろ。
大量生産も大量輸送もできない古代から中世にかけての軍隊は略奪で食料を得ることができないエリアで 行軍をしたら手持ちの食料が尽き次第餓死で全滅である。 また槍を持って何時間も白兵戦を行う中世の戦は超人的なスタミナや武運がなければ到底できない。 槍を持った足軽も腕っ節が弱ければ槍を持つこともできないのだから、講談的な能力が足軽にも求められる。
中世は方位コンパスが普及しておらず、地図すら無いエリアが多い点も辛い。 すなわち道に迷って餓死するリスクは半端なく多い。 また中世は情報を得る方法は忍者になる。 そして忍者は徒歩で移動するのだから何をするにも半端なく時間がかかる。
忍者はいりましたー
はっきり言おう。 太平洋戦争末期の日本よりも生産力が低い南北朝時代に室町幕府を築いた 足利尊氏さんは偉い。 すごい能力、すさまじい人格、余人では及びもつかぬ強運がなければ、 そんなことはできない。
にんにん!
土鍋の演説がちょっとずつスレの内容くみ取って修正されていくのが笑える
問題は人任せで自分で調べて持ってくる内容が無いこと
いや足利尊氏まで行かずとも室町時代のお百姓さん達だって凄い。 農薬もトラクターも何も無い時代に農業をやるのは超人的執念が無いと無理だ。 害虫、日照り、洪水なんかは凄まじいわけだから。 映画化された「奇跡のリンゴ」の世界になるからな。
>>973 基本的に構ってちゃんだからスルーされるのが1番嫌いなんだろ。
現実の寂しさを紛らわすためにネットで演説するのがこの手のキチガイの常だし
そりゃ俺達に相手して貰えるよう主張を曲げもするさ、いじらしいねぇw
できればここでは左翼トークは不要ってのもくみ取ってくれ
いいか。 中世で一番航海術があったと言われているのはハワイの原住民などである ポリネシア系の人々だ。 島伝いにヨットで中国と中南米を往復したと言われているからな。 その次はアイスランド経由で北米に到達したバイキングかな。
このスレは左翼的な歴史観で書いてくる奴が多い。 もっとも薄められた朝日新聞的左翼ではあるがな。 そういう奴が左翼の必然として好きなのが「歴史は偉大な人物だけで作られる のではない、そこには多くの民衆の力が、、、」といった話だ。
土鍋先生って仕事してないの? 文体や知識、左翼に執着する価値観からして若者ではないみたいだけど それか夜勤のオッサンか?
>>980 >このスレは左翼的な歴史観で書いてくる奴が多い。
いねーよ
>>982 土鍋が脳内で考えた馬鹿のことだろ
自分が想像した左翼を自分で論破するのが土鍋式弁証法
お前らは武道やスポーツの経験がない、おたくが多いんだろ。 コミケに毎年行ってるとかな それじゃあ古代や中世を理解するのは無理だし、大日本帝国すら理解できない お前らに理解できるのはコミケだけだろう
>>980 次スレ建ててくること
建てないのならそれこそ口先だけで実行の伴わない「左翼」そのものと軍板で
永久認定ね
しかし悲しいかな歴史ものは、おたくに頼っている面がある。 コンビニで売ってる歴史雑誌や歴史漫画を買うのもおたくが多いからな。
武士の英名はジャパニーズナイトですよね?
グーグル先生によるとWarrior英語版wikiだとSamuraiらしいけど
土鍋さんって結構会話できるんだな
夜天の星と日中の太陽を基準として方角を求める手法を古代文化は習得してたと思うが どこから位置情報求められないなんていってるんだ?たしか三角比と狼煙使って位置割り出す逸話 ギリシャの時点で在ったよな
968 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/04(火) 12:21:54.52 ID:??? 大量生産も大量輸送もできない古代から中世にかけての軍隊は略奪で食料を得ることができないエリアで 行軍をしたら手持ちの食料が尽き次第餓死で全滅である。 また槍を持って何時間も白兵戦を行う中世の戦は超人的なスタミナや武運がなければ到底できない。 槍を持った足軽も腕っ節が弱ければ槍を持つこともできないのだから、講談的な能力が足軽にも求められる。 969 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/04(火) 12:25:00.60 ID:??? 中世は方位コンパスが普及しておらず、地図すら無いエリアが多い点も辛い。 すなわち道に迷って餓死するリスクは半端なく多い。 ↑ このあたりまではどこかで見た(と言うかこのスレで見た) 内容のまとめみたいなものでまあいいんだけど ↓ここからオリジナルでいきなり忍者になってしまうのが土鍋クオリティ また中世は情報を得る方法は忍者になる。 そして忍者は徒歩で移動するのだから何をするにも半端なく時間がかかる。
>>991 なぜ忍者が絶対馬に乗らないと決めつけているのかとか、
城に潜入とかは忍者頼るにしても、偵察捜索は馬に乗った物見だろとか、
突っ込む気力がない。
まぁ島原の乱でも忍者活動したらしいが、戦国期と違って
いまいち使えなかったみたいだけどね。
英雄譚で道案内に雇った案内人が裏切って苦境に陥るってのも一つの様式だな 次スレまだ立ってないならID出るところに立てようと思うんだがどこがいいかな?
>>993 シベリアでいいんじゃない?
IDどころかIPすら表示されるし
996 :
994 :2013/06/04(火) 17:30:12.01 ID:???
まだ無理だった。誰か頼む
ID制は賛成なんだがIP晒す気にはイマイチなれんなあ
なぜ誰も1000を取らない? 譲り合ってるのか……
1001 :
1001 :
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