>>48 >そのような無能司令部に作戦をまかせたGFの指導責任もあるでしょう
南雲・草鹿に関しては、こんなエピソードがあるらしい。
戦藻録に関し、千早正隆が「日本海軍の驕り症候群」に、こんな記載を残しているらしい。
>本書の序編にあたる部分を千早が英訳した際は、
>1941年(昭和16年)10月22日に、宇垣が第一航空艦隊の人事につき山本五十六に
>「南雲長官と草鹿参謀長を更迭し長官後任に小沢治三郎を用いるよう進言し、山本から同意を得た」
>との記述があった、としている。しかし刊行された『戦藻録』に該当部分はなく
>千早は何者かによって抹消された可能性を指摘している。
千早氏が入手した戦藻録って、「刊行当時行方不明となっていた開戦前50日間の日誌」の原文なのだろうか?
1968年に原書房から出版された版(開戦前50日の記録を追加した初版)から既に、抹消された、ということか?
山本五十六が同意したことが事実だった場合、それを実行に移さなかったのは、山本五十六の大チョンボ、
かもしれないね。その責任を自覚してたから、ミッドウェー大敗戦後、南雲・草鹿のみ、解任されずに3Fへ横滑りできたのだろうか?